時間に追われずこのくらい「のんびり」が許される時代、いいなぁ。
小学5年の時、行き先を間違えて乗った神姫バスの車掌さんお姉さんが親切に対応してくれた事を50年以上経っても忘れない・・・ありがとう
人の優しさや親切を50年以上忘れていない貴方はきっと優しく親切で思慮深い人だと思います。
貴方、もしかして昭和30年代生まれかな?w
私は、昭和40年代前半生まれで物心ついた時には神姫バスは殆どワンマンでしたが、数えるほどですが車掌さんがいたバスに乗りました。
車掌さんがいるバスの乗り方が判らず一緒に乗った母に何度も聞き直した事を思い出しました。
バスの車内放送が女性の声なのも車掌時代の名残です。
車掌さんのお喋りがとってもエレガント。しっかりした大人の女性って感じでとても好ましいです。
バスの車掌は今と比較にならないほど過酷で危険で責任重大だったことがよくわかる貴重な映像です。ありがとうございます。
やはり車掌がいるほうが安全性が高いことを実感します。アナウンスにも誇りを感じる。
貴重な映像でもありますけど、社員教育、業務内容の確認から安全確認・接遇など、今と比べても遜色ないっていうか、今でも参考になる事をやっていたのだなと、これが40年も前に確立できていたのだとすごいと思いました。
>>40年も前に確立できていたのだ。
50年以上前までに確立していた。映像は50年前、全国で、都会から田舎・僻地まで、一般的に見られた光景、ワンマンバス以前の光景。
@@revialzero @revialzero 映像は昭和40年代と表示されているが、限りなく昭和40年(1965年)に近い、55年近く前のはず!!(ちなみに東京五輪は昭和39年1964年)。全国的には、50年前の昭和40年(1970年)の「大阪万博」の年には、どの地方も「ワンマンバス」に移行してた。2人でバスを運行する”この映像”は、この形態の終了近い年かもしれない。
昭和40年代とあるのでまあ、ご指摘の通りおそらく40年代前半ということで50年以上前として良いかと思いましたが、一応昭和40年で55年前、昭和49年なら46年前なので、上記の表現です。
@@revialzero さん、業務で安全に関わる立場なのでそのような視点でもあるのですが、ちょうど自分が生まれた頃の映像で、物心つく頃にはバス車掌を見ることはなく新鮮で、服装とか髪型とか、同じ視線での興味もありましたから最後まで飽きずに見ることができました。
@@woodywoody2228 様 この教育フィルムが撮影制作されたのは昭和40年5月15日だと思われます。
18:30前後にある遺失物(仮)預かり証を作成している時に書かれております。
この様な撮影の為の架空の証を作成するのは面倒くさいので、フィルムを撮影したその日の日付を記入する事が多いようです。
昭和40年は1965年ですので2021年現在では56年前になります。
この若い女性の車掌さんたち、今生きてたら80歳前後なんやね…
当時の教習用のフィルムなんだけど、とても郷愁のような(失礼)昭和の空気を感じる動画ですね。
うわぁ!神マニュアル!
日本語ってやはり綺麗だし、アナログな仕事が減りつつある今の時代に観ると新鮮で感動します👍
「オーライ!」の声に萌え~ こんな上品な若い女性の車掌さんのバスに乗りたいなあ。と思わせる、完璧な社員教育だ!!!
高校生だったワタシは週末よくバスで銀座に行きました。電車でも行けたのを車掌さん目当てでバスに乗るのが楽しみでしたよ‥良い時代を生きたんだなぁと思います。
昔の人ってやっぱ話し方上品だよね。
昭和52年頃、長野県の山奥でバスの車掌をやっていました。車掌カバンにパンチと、見るものすべてが懐かしいです。当時勤務していた営業所のバスはパワステではなかったので、運転手はハンドル操作が大変でした。オモステとか呼ばれていました。冬場はエンジンの始動もひと苦労でしたね(≧▽≦)
@@takakomi748 様
川バスに客として”戸倉温泉~長野駅”行に乗車。
主だった停留所のタイムレコーダーにカードを挿入して、戻ってくるのを見たことがあります。
ナニをしていたのでしょう?
白馬方面(白馬五竜、白馬バスセンター等)懐かしいです。
冬になると愛知県からよくスキー客を乗せて行きました。その頃は〇〇〇鉄道でしたが、
分社化して〇〇バスで定年しました。雪の降る方では女性のガイドさんがチェーンをまく
練習をしているのを見て大変驚きました。また大変勉強になりました。@@user-C58139
バス車掌は激務だったそうですが、なんとなくわかります。
日本語がとても綺麗に聞こえたわ
いや~胸が締め付けられますね~私が子供の頃、学校に通うのに路線バスで通学し、車掌さんには、大変お世話になりました(*^-^*)
女性・男性の車掌さんがいました、私はその仕事に感動しバス会社に就職し運転士に成りました、昭和から平成に成り、時代は変わりましたが
車掌業務を経験した人は、男女問わず、一目おかれ、中卒でも、総務課のトップ、取締役などに成りました、私は
路線・高速・観光バスを経験しましたが、バスガイドさんの、バック誘導、左折、確認など、とても厳しい教育があり、おかげ様で無事故で運転士を務めてます。とても貴重な動画ありがとうございます。
路線バス運転士です。現在ワンマン運行、ですので、大昔のバス乗務員の優しさと丁寧さを感じます。
勉強になりました。
女性車掌さん、清楚で上品。
白いソックスも清楚感、きっちり感を増しています。
昔の路線バスには車掌さんが必ずいたのがよく分かる動画ですね👍✨✨✨✨
それにしても、車掌さんの口調の上品さ!今の人とは全く違います😄。
ほとんど同じ車内放送が今でも流れるってすごい
貴重な映像を本当に有難うございました。さすがは大手の京王グループ…。映画そのものみたいな映像での教習は、新入社の若人も意欲をもって見入っていたのだろうと思えます。遮断棒の無い踏切も、本当に懐かしいですね。京王のことですから、多分今の調布以西辺りの踏切使って撮影したのですかね。とにかく昔が懐かしかったです!
ワンマンで機械化されているとはいえ
これを今は運転士さんが一人やっているのだから大変だと思います
元運転士で今は事務方です。実際やってみるとわかるけどでっかい車体を事故らないよう動かすのはもちろん、はっきり言ってしゃべってる余裕なんかないし、こんな風習やめてしまえばいいのにと思います。
その癖いくらマイクパフォーマンスでべらべら喋ってても、いざ接触事故や車内事故おこしたら結局全部運転士のせいにされて終わりなので、なら最初からやる必要ないような気がしますわ。
また事故ったバスのドライブレコーダー見てるとでかい声で案内してる人ほど周りの車とか見てなくてバス停から出たときにほかの車と接触する事故とか最近増えてきました。全く喋らないのもだめだけどやりすぎもダメな気がします。
結局集中力をマイクパフォーマンスに持ってかれてる気がしますわ。
海外いったらわかるけど馬鹿みたいに運転しながらマイクでべらべらしゃべってるのは日本だけ。
@@user-kp1xz9vi3p さん
USAでMETROの路線バスを何度か利用したけど、停留所の名前案内の自動放送も肉声放送も無しなので、確かにそのほうが運転に専念できると思います。
次で下車するときは押しボタンじゃなくて横方向に張られた紐を下に引っ張り、その紐が運転席まで繋がっており、運転士さんがそれを確認したら右手を挙げてくれます。
乗車するとき、下車するときは笑顔で軽く会釈してくれるのですけど、これは全ての運転士さんに共通でして、このようなところでも人との触れ合いを感じました。
日本の運転士さんは表情ひとつ変えませんから何か全てが機械的なのですね~。
なお、混雑時は前扉から乗車、後ろ扉から下車で閑散時は前の扉だけ開閉して乗下車です。
料金支払いは乗車時に(先払い)コイン、またはTAPカードをタッチで行います。
@@7nekoneko297 紐を引っ張るバスって、あったなー(40年前)
それとアメリカのバスは、2ストのディーゼル(Uni-flow Diesel)なんてのがあった。
それを日産ディーゼルがライセンス生産していて、後のUDブランドになった。
@@user-pt1yd8mi3n さん
日産のUD大型車も昔は2ストロークがあって、騒音が凄まじかった。
そう、今では90式戦車が2ストローク(10式は4ストローク)だけど、あの強烈なエンジン音がトラックから聞こえてきた。
アメリカのバスのエンジンはこれまた甲高いフワワ~~~ンとでも言うか強烈なのがあるけど、あれはカミンズ社製かな?
60年代ですね。
皆、人情味が厚くいい時代でした。
当時子供だった私は、車掌さんの仕事は切符を切る、停留所の案内をする、ドアを開け閉めするぐらいにしか思っていませんでしたが、バスの安全運航全般に渡る幅広く重要な責務を果たしていたのですね。
お客様も大人しい人たちでバスの運行も大変丁寧で模範的ですね。感動的です。
水を差すようで申し訳ないのですが、この動画は社員(車掌)教育資料として作製されたものなので、実際のバス運行を撮影した映像ではないと思います。
運転手と車掌は京王帝都電鉄の社員でしょうが、乗客は全員エキストラと思います。そうでないと撮影できませんから。
撮影用にバスを運行したのでしょう。
例えば、カメラを見つけたシーンがありますが撮影時に偶然カメラを見つけることはあり得ません。
シナリオに沿った動画と思います。
昭和30年代あたりでとても懐かしいです。丁寧な言葉使い、道理に忠実で温かい思いやりがあり原点を見せて頂き有り難う御座いました。
うちのおばあちゃんこれやってたw
会社に戻ってから運賃を計算する作業が大変だったらしい
6:41 ここで右足から降りると不意にバスが動き出したときに地面に引き倒されるから左足から降りることになってるのか
やっぱり細かいことでも基本動作は大事
平成の頃の元バスガイドです。ステップ降りる時の『降ります』、左足から降りる、オーライ、踏切確認(下車はしませんが)など、安全面は車掌の時代から何十年変わらず伝承されているんだと、勉強になりました。あとバスガイドの先生(今80歳ぐらい)の発声がこの車掌さんと似ていて、とても懐かしいです✨
もう定年しましたが、元バス運転士でガイドさんと仕事をしましたが、
ベテランガイドさんは知識が豊富で観光地でいろいろ勉強になりました。
ガイドの仕事はかなり勉強と接客、大変です。
『基礎の無い、いい加減な動作。』
心に沁みました。
1965年ですね。動画を見て懐かしいものばかりでした。現在でも通用する社員教育内容だと思いました。
「貴方は会社を代表します」という言葉、正に車掌のいないワンマン化された路線バスでも会社の看板を引っ提げての客商売なので令和の今でもこれは充分通用できる言葉だと思います。最近の大阪シティバスにはフロントに「確認」等と書いたプレートを掲げています。
「機械に取って代わられた職業」ってこういうのを指すんだろうな
コストと人件費削減でワンマンになっちゃったけど、運転士と車掌で業務が分担されてるのがやっぱり良いよね。
バック誘導なんて今じゃバスの見送り部分(後部)の上に小型バックアイが付き。車内後ろ方向幕下にもカメラ装着、前扉横にも小さなカメラ、車内はドラレコカメラと、前方の車との車間距離が狭すぎると警報が鳴るシステムさらには前屋根に小型スピーカーが付き「バスにご注意ください!」とガチガチにされてます(大阪シティバスの例)
しかし映画に出てた日野の帝国車両製のバスのバックウインドウって今で言うなら結構かっこいいですね。今のバスの平面1枚ガラスよりも見た目がいいです。
バスに車掌がいなくなったきっかけは、コストや人件費の削減ではありません。
高度経済成長期が始まり、採用条件である「中卒」で働く人がいなくなったことが始まりです。
細い事は割愛しますが、運輸省(当時)はワンマン運転に安全を理由に反対でした。
結果的に人件費の節約になりましたが、運転士さんの負担は相当増えました。
@@4126org
西東京バスでは五日市営業所の「機関車バス」に限って車掌が乗車していたのは、トレ-ラ-バスの為に運転手が接客業務を行うことが出来なかった為だと思います。
@@saskiyoshiaki さん それも今年の3月で運行を終了しましたね。徳島の阿波池田方面へ行くボンネットバスが、昔のスタイルで車掌を乗せて運行しているそうです。
私の地元の公営バスでは、近年まで一部区間ではワンマンではなくツーマン方式でした。理由はそのバスの区間が狭隘つまり道幅が狭いこと、その路線の終点のバスの停車場所が敷地が狭く、バックするときは誘導が必要なためでした。(その後、バスにはバックの時に広報が映るバックカメラ、今ではバックモニターが設置されたため、ワンマンでも走行できるようになった)
昭和51年に自衛隊を退職後22歳でバスの運転士になり、現在はアルバイトで乗務している現役バスドライバーです。入社当時は、徐々にワンマン化された時代で、たまにですが車掌さんと組んで仕事をした事を懐かしく思いました。貴重な動画ありがとうございました。因みに妻はバスガイドでした。
「ワンマン」と書かれていました。昭和40年代後半かと思っていましたが50年代前半だったんですね。ただ、子供の頃(40年代半ば以降)路線バスに乗って車掌さんがいた記憶が無いんですよね。
懐かしい‼️昭和34年生まれです、幼稚園行くのに乗り継ぎしてたけど車掌さんが優しかった‼️
@@coscos3060 昔は名古屋市内に市バスと市電が走り地下鉄は東山線藤が丘~中村公園と名城線市役所~金山の二本だけでした。そんな時私は市バスの車掌として採用されました。地方公務員です。
鉄道もバスも、運行することに今より信じられないくらいの人手と労力がかかっていた時代ですね。
いくら情緒が消えようとも効率や安全には敵いませんね。
女性車掌も、ナレーションも美しい日本語を話される。乗り物は違うが、今は電車のアナウンスでたまに何を言っているか聞き取れない又はうるさすぎる時がある。そして女性車掌のプロフェッショナルな仕事ぶりに感嘆。自動化するのは時代の流れとは云えど、この車掌さん達の接客を見ていると、人とのコミュニケーションの大切さが沁みる。気遣い、心遣い、優しさに溢れている。
乗務員と乗客の間に互いの敬意が感じられる。
@@eeebee5116 市バスは走行中に車掌が吊り革も使わず車内を移動して切符を切る等仕事がたくさんあります。運転手と車掌との信頼関係で成り立っていますので荒い運転の訳がありません。私は昭和40年代の経験者ですが楽しかったです。
昔の車掌さんは、接客は勿論のこと、運航補助者の責任の範囲が広かったんですね。仕事の流れを見て、大変誇らしい業務だと思いました。
大変貴重な映像ですね!しかも、カラーで驚きました。
車掌業務の指導内容は勿論、街中に走る車や人々の生活の様子にも見入ってしまいました。
私は52年生まれで、ツーマンバスの経験はありませんが、この様なシステムも、風情があって素敵ですね😌
歴史を知るということはいいことだなぁと思える映像で感謝です。人と人が関わるサービスの基本がありますね。
お膝送り願います。こんなゆかしい日本語があったとは。全体に、馬鹿丁寧でない気品のある言葉遣い。言葉と身体運用の教科書を読んでいるようです。大いに刺激を受けました。貴重なビデオ、本当にありがとうございます。
昔、女の子の将来なりたい職業に「バスの車掌さん」があった
制服と皮の鞄、憧れてたんだろうな
私が幼児だった頃、車内で気分が悪くなったときに車掌さんがブリキの洗車用バケツを持ってきて「これに!」と渡してくれたのは甘酸っぱい、いや苦酸っぱい想い出。
この映像が作られたときはまだ生まれてなかったけどなぜか懐かしさを感じる
昭和40年代はまだ🚌に前扉が無かった時代で真ん中扉だけで乗降していました!車掌さんは中央扉で立っていましたし、扉開閉は車掌さんが手動でしていました。
まだ🚌バスに冷房装置がなく扇風機が付いていました。
運賃精算や切符発売していました。
懐かしです!!「はっしゃオーライ!揺れますから、ごちゅういください!!」バスのキップも懐かしですね❕それと、バスの運転手の後ろの、一輪の花ありましたね!
懐かしい。子供の頃を思い出しました。
貴重な映像ありがとうございました。
私が子供の頃はギリギリ
地元のバスでも車掌さんが乗務されていました。
その後、その会社の運転士になりましたが、年配の先輩の奥様は
車掌さん。のパターンも多かったです(笑)
昔の日本人て、こんな繊細だったんだなぁ!こんなバスだったら毎日乗りたい!
今の時代よりもパワハラ、セクハラ、痴漢、強姦当たり前のように多かったですよ。ゴキブリも多いし、クーラーはないし、ぼっとん便所だし、いまのほうがいいですよ。
@@user-lg2by5im1m そうなんですよね。当時「痴漢注意」って看板がガード下や森の近くによくありましたが、今でいうと強姦魔に注意って意味ですしね。
自分の子どもの頃の映像で、とても懐かしく拝見しました。
当時の車掌さんは、とても忙しくて大変だったのだなぁと改めて感じました。
あ~!懐かしい、昔のバスガイドさんこんな感じでしたね。小学生の時バス通学していたからガイドさんが覚えていてくれて、寝ていても起こしてくれた事ありました。
昭和40年代前半迄はバス車掌さんが普通にいましたね! 子供ながら女性車掌さんって綺麗でかっこ良く乗るたびに見つめていた記憶が…
非常に貴重な動画をありがとうございます。
昭和時代の車掌さんは、現金を取り扱うお仕事ゆえ、ひどい会社になると現金横領を疑うところもありました。
裸にされて身体検査。その屈辱に堪えきれず自殺した女性もいます。当時、社会問題になりました。
京王さんのようにきちんとした会社ばかりではなかったのです。
初めて見たな…
昔はこんな感じだったんだ…
(2005年生まれ)
1964年産まれ。都バスに車掌さんが乗っていたのを覚えています。最後に車掌さんのいる都バスに乗ったのは1980年位の高校生の頃。目黒駅から日本橋三越前に行く路線でした。
めっちゃかっこいい仕事やん!
みんな憧れてた理由がわかる!!
車掌さんも懐かしいけど、ベンチタイプのシートも無くなりましたね。
千葉県柏市に住んでいたときにワンマンバスの路線ばかりの中で、1路線(だったかな?)だけ車掌さんの乗った中扉のツーマンバスが走ってました。
その中で、ふと思い出したのですが一度だけワンマンタイプ(前・中扉引き戸の車)でツーマン運行していたことがありました。
車掌さんの立ちスペースに立って、ドアの開閉も手元のレバーを使って開閉してました。
※当時の中引き戸のワンマン車にも「車掌専用」と表記されたブザーとドア開閉レバーがありました。
その時は、車検か故障の代車だったのかもしれませんね。
今から40年ぐらい前の話ですが、懐かしい時代を思い出しました。
UPありがとうございました。
"ベンチタイプのシート”は俗称「三方シート」と言い、車両コスト的には安上がりなのですが、無くなったのには理由があります。三方シートの場合、急ブレーキを掛けると、座っていた人がまとまって運転席の後ろあたりに投げ出されてしまい、怪我をする可能性が高いので、現在のように前向きに1人または2人がけになってゆきました。
昭和45年生まれです。
自分が生まれた頃はこんなだったかなと思いました。本当に上品な映像。車掌さんもお客さんも品がある。バスも走るクルマも全部レトロでカッコイイ。ずっとジャズがかかってて、洋画を観ているようです。この世界観に感動しました。素晴らしいです。
この画像みて 思いましたが・・
今は ICカードなど タッチして
それで 乗降者ができる 便利な
時代になったなぁ~と しみじみと
感じます。。。 この動画は いつまでも
残してほしいですね。。。
バスガイドさんのロングスカートと切符入れのバッグ、白い襟、帽子・・・印象深く残ってるなあ
そうそう、修学旅行の時のガイドさんは心ときめく美人だったなあ
オリジナルの歌を歌ってくれた一節まだ覚えてる・・・・ああ なんか胸が熱くなった
当時のバスの車掌さん、現代の旅客機のCA並みにハードなお仕事だったんですね~
素晴らしいです!!
いやソレいヨウです。
激せマナな、当時の道路で車内からバスを誘導して、電柱に挟まれて亡くなった車掌さんもいらっしゃいます。
関東バスの”阿佐ヶ谷6丁目からお伊勢の森付近の激狭道路”で・・・
何故か、この区間を運行するバスは”小形”のバスでした。
車掌付きのバスは小さい頃に何度か乗った事ある。でも喋りは事務的でこんなに丁寧じゃなかったw
何か泣けてくる。
バイクや車で時代が分かる。
皆さんがご存命でお元気なら嬉しい。
20年後「昔、電車に車掌という人が乗っていて...」
@@monoclur1006 確かに、運転が自動になった分、やってることは安全確認と扉操作やアナウンスや空調操作…。名札の名前は運転士でも、仕事内容は車掌そのものです。
今、車掌がいたら、運行も楽になるんだろうと思ってしまいます😅
昔は、運転士様々だったんですね…いいなぁ、いい時代だ!!
現役運転士だけに、余計思う(^^;)
バスはワンマン運転でも無賃乗車をする者は少ないと思いますが、鉄道の場合はいますね。日南線で無賃乗車をした若者を運転手が追いかけて捕まえ運賃を払わせていました。「人件費の削減でワンマン運転をしているが、我々はストレスが溜まる。車掌が乗務していれば無賃乗車は防げるし運転手の精神面の負担も軽くなる。」と言っていました。
@@Dennis07021 居ないと思っていましたが、高校生の頃に悪友が始発から終点まで乗って、50円だけ払って逃げたと言っていました。(広島の南側の某市から、県北部までなので本来なら千数百円)
@@Dennis07021 バスの運転手は追い掛けては来れないから、10円玉をちょこっと入れながら走って逃げれば平気って言ってた頭の悪い友達が昔いましたね。
その子は当時(今でも?)弁当におかずも無い貧乏人だったから大人になった今でもやってるかも知れない(`´)
この時代の空気を感じてみたいな。
可処分所得と物価を考えると貧しいよ。
水洗トイレはないし、食中毒もよくあるし、町医者なんてひどいもんだった。土曜は仕事だし日曜は上司の家族と付き合わされ、パワハラセクハラばっかだよ。
世話焼きおばさんがいて性的には堕落してなかったから、真面目にやってれば処女と結婚できたけどね。
路線バスに車掌さんがいてくれる!
なんて贅沢な時代でしょう😂
つくづく思うのはとにかく全員のマナーが最優秀ですね~
日本の原点の1つを見れて幸せな気持ちになれました!本当にありがとうございました。
京王帝都。この風格と威厳のある社名が好き。もう一度帝都を冠してほしいよ。京王さん。
その後「京王バス東」「京王バス南」「京王バス中央」「京王バス小金井」が設立されましたが、「電鉄バス」と「小金井」以外は「京王バス南」に統合されて「京王バス」に替わりました。
よって映像は「京王電鉄バス」の前身が「京王電鉄自動車事業部」で、更にその前が「京王帝都電鉄(自動車事業部)」で有りました。
自分も子供の頃乗りました、都バスで路線は忘れてしまいました。白い手袋黒カバンを思い出します。
貴重な記録フィルムです。新人教育を受けているようで、勉強になります。
1回ブザーは「願います!」2回ブザーは「オーライ!」懐かしい!
関西では出発時刻となると「ジャン!」とベルを運転手から車掌へ合図を送り、時を見計らって扉を締めてもう一度確認してから今度は車掌側から「ジャン!ジャン!」とベルを鳴らして列車が出発します。まぁ最近はそれの補助信号があり「ト」で扉を締め「〇」で発車と言う方式になりつつあります。ベルは相変わらず鳴らしますが。
いろんな職業が無くなり、無人になったり最近ではAIにとって変わられたり。。。
なんか、この昭和の頃みたいに、人間が生き生きと働けた時代が眩しいです。
いやー物凄く神経を使う仕事と頷けます。このやり方は今のサービス業にも接遇マナーとして重要なファクターですね。
このときの女性バス車掌さんに【ありがとう御座います】と言いたいですね。
これはなかなか貴重な映像ですね。狭い車内で揺れも多い中でテキパキと業務をこなす姿は本当に素晴らしい!又、今ではほとんど見る事のない中扉車も時代を感じさせてくれますね。ちなみに、旧国鉄バスではこの中扉車は1979年頃まで製造されていました。主に福島県内の路線で昭和60年代初頭まで走っていたようです。
懐かしい!! 子供の頃、車掌さんいました、いました。w
自分が物心ついた時は、すでに自動ドアでした。
幼稚園で「大きくなったら、バスの車掌さんになりたい」と言ってたけど、小学校低学年の頃にはワンマン化されて、夢が潰えました。
素晴らしい働き!景色も懐かしい、踏切の長閑さは涙が出ます。
私が子供だった80年代は車掌さんは居ませんでしたが車掌台と機器が残っている車両がたくさんありました。子供心にあのグレーのブザーボタンを押したらどうなるのだろうと衝動にかられました
昭和45年生まれ。
小学3年生くらいまでバスには車掌さんいた記憶がある。
広島電鉄の連接車は今も車掌が乗務していますが、どこか似ている。小さな鞄を持って精算や案内、周囲の車がいないかの監視等…今も左オーライとか運転士に言ってますね。
私も、15年前くらいにこの会社の路線バス営業係でした。当時と、現代ではかなり違いますが、安全確認をいつも注意を払ってたのは、素晴らしいです。なによりも安全が1番ですね。喋り方に時代を感じます。
懐かしい動画ですね。1952年生まれの私が小学生の頃は路線バスに必ず車掌が乗っていました。1964年頃から徐々にワンマン運転が始まり中学生時代には完全にワンマン運転になりました。当時の運転手は長年車掌と二人三脚で乗務していたのが、運転手と車掌を兼務せねばならず現在のワンマン対応のバスの様に自動アナウンスの装置も無いので肉声でバス停案内をせねばならず、ストレスで大変だったと思います。運行上の安全面を考えると車掌が乗務する方が良いと思います。
運転手さんで、録音テープを流さないで、完璧な始発発車前アナウンスしている人がいました。私(昭和45年生)が小学生くらいの時代の小樽駅発の国鉄バスです。懐かしいな。
@@user-eg1wm4mi6b さん テープガイドが設置されたのは、昭和47年頃からで、それまでは運転士さんがマイクで車内放送して停留所を案内していた時期があります。
喋り方の癖でよく聞き取れない方がいたり、喋ることに気を取られて、運転がおろそかになったりといったことから、順次切り替えていったようです。
私も昭和45年バスの車掌として乗務しました。懐かしいです。若い方はバスの車掌がいた事すら知りません❗️
私の母もバスの車掌でした。
子供の頃色んな話聞いた。
小学校の同級生がバスガイドやったん?って聞くので、車掌だよ!って返してた。
小学生のころ、バスに「ワンマン」と表示されていた意味が分からなかったが、大人になってから知った。となりのトトロの車掌さんのシーンもよくわからなかった。
この動画内で、運転手と合わせる車掌さんの仕事ぶりなど結構魅力的に見える。
@@hioki5303 「ワンマン」や「自動扉」は平成になるまで表示が義務付けられていました。
会社(路線バス)の今は整備工場勤務ですが元車掌の人がいます。
自分的には子供のころ、「次、願います。」とブザーの音は、聞き覚えがあります‼️
(年がバレますね)
自分、今は格安の給料で車掌分も仕事をしております。
運転が好きであることとボランティア精神のある人でないと現代の路線バスの運転は勤まらないと日々実感しております。
古き良き時代の日本を知る方のコメントを拝見し、嬉しくなりコメントいたしました。
深夜に失礼いたしました。
@@mitsu4142 私の場合は名古屋市交通局でした。初任給税込み二万五千円程、よく言われるバスガイドと車掌は全く違う職種です。なんか楽しい想い出が多いんですが車掌は若い内だけなんです。男性はいずれ運転手に昇格、女性は退職が一般的でした。