山奥の寒村から始まった戦国武将の一族、その村は平安時代から続いた由緒正しい場所であった【廃村探訪 - 道湯川集落】

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  • Опубліковано 14 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 126

  • @Momijiya-mo2gb
    @Momijiya-mo2gb Рік тому +48

    懐かしい風景の動画を拝見しました。私は約700年前にこの湯川家から分家した家系の末裔だと言われています。岡安さん安藤さん、機会があればいろいろと面白いお話も差し上げられるかもしれません。

  • @boomoto6512
    @boomoto6512 Рік тому +64

    楽しく見させて頂きました、ノーベル賞の湯川秀樹博士は小川姓で紀州田辺藩、湯川姓は奥様の姓で、
    奥様のご先祖はやはり紀州で代々医師を務める家だったようですので、道湯川の流れを組んでおられる
    のかもしれません。

  • @エレファントジュビリー

    人の往来が多かった頃を想像しながら集落を巡る・・・とても惹かれる場所ですね。
    ちなみに、野田醤油=現在のキッコーマン。戦前の頃の醤油瓶ですね。

  • @mejirou-bw5re
    @mejirou-bw5re Рік тому +50

    こんにちは いつも元気そうなお二人を見て当方も元気をもらっています。
    この番組を見ていつも感じるのは、この国の忘れてはならない真の歴史を学べるような気がします。
    70代になった今の私には行くことがかなわない場所を見せて貰えるだけでも感謝しなければと思っています。
    もしよろしければ教えてください。お二人は何故このような番組を作ろうと思われたのですか?

    • @neu_historica
      @neu_historica  Рік тому +32

      コメントありがとうございます!
      このような小さな歴史はあまり注目されることなく消えていく一方なので少しでも未来に残したいと思ったのがきっかけですね。
      叶うかは分かりませんが100年後の人々に私たちの動画を観てもらえることを秘かに期待しております。

  • @hogohogehage
    @hogohogehage Рік тому +10

    朝もいだ完熟ミカンが
    ¥100とか素晴らし過ぎ
    醤油王国千葉がここまで
    毎回勉強になります。
    ありがとうございます。

  • @リバー-z3z
    @リバー-z3z Рік тому +52

    昨日たまたまこのチャンネルを知り、ハマってしまい過去の動画も観まくってます。
    廃村を茶化しに行ってるのではなく、敬意を持って楽しく動画を撮影してる感じが気に入りました!
    良いチャンネルです!

    • @ちえこばあ
      @ちえこばあ 4 місяці тому +1

      なぜかみたらハマるんですよねえ😊

  • @co-sa.
    @co-sa. Рік тому +13

    センゴクというマンガで材木の横流しで財政を建て直した11代湯川直春が熊野山中で8000人を率いて羽柴(豊臣)秀吉軍と戦う話があり、ここが発祥の地かと感慨深かったです。マラドーナがモデルにされてて印象深いキャラでした。
    自分は大門坂の多富気王子しか行ったことないですが、王子制覇とか過酷な目標立ててヤバいっすねw 是非達成してください!

  • @yhori5510
    @yhori5510 Рік тому +27

    最近、見始めたばかりですが、単に廃村に行くだけでなくその歴史もしっかり入っているのが素晴らしいです。私の本当の故郷は今や平成の大合併でなくなった村の奥の集落でした。今の実家は町にあって、小学校まで生まれ育った家は全くほったらかしで35年以上行ってません。10年もすると集落に誰もいなくなるだろうなと思いながらいつも見てます。見るたびに懐かしさを覚えます。最盛期の集落の賑わいは凄かった。集落あげての奉納子供相撲大会があった位です。今は大都市に人口集中で小さい集落は無くなる一方です。このようなチャンネルは貴重だと思います。集落はやむなく無くなっていくというメッセージとしても。

  • @ゆうてん-r4b
    @ゆうてん-r4b Рік тому +17

    今回もお疲れ様でした✨
    私が子供の頃…今年59になりますが、醤油は一升瓶を持ってお味噌や乾物を売っているお店に行ってじょうごで移して貰って買ってました。
    こんな山の中だと醤油1つ買うにも一苦労で本当に大変でしたよね。
    また次の配信も楽しみにしています。

  • @まこちん-l4j
    @まこちん-l4j Рік тому +37

    醬油瓶は俺が小学生の時の時あったね。
    野田醬油は今のキッコウマン(⌒∇⌒)

    • @neu_historica
      @neu_historica  Рік тому +6

      コメントありがとうございます!
      まさかあのキッコーマンの前身とは知りませんでした。

  • @user-zo2xx8yw7y
    @user-zo2xx8yw7y Рік тому +13

    道湯川集落の動画ありがとうございます。室町時代からの歴史がある集落に驚きました。湯川氏の事も集落の事ももっと知りたい!と、感じました.最高の石垣も楽しませてもらいました。今は、みずの流れていない川も遠い昔々は、集落の方々が生活や耕作に利用された大切な水源だったんだろうなと、思うと同時に大正時代になっても学校に通うのが厳しい土地というのが動画から学ばせてもらいました。時代の流れは、変化を強いられますよね。かつて賑わっていた土地だけに、感慨深いです。古道も昔の方々が
    にぎやかに往来していたんだぁ。和歌山の動画は、集落内の生活道に石をうまく使っていて、タイムスリップしてその当時の生活をのぞいてみたい気持ちになる動画でした。後世に残る動画作りいつもありがとうhistorica🤗応援します。

  • @あかね田中-f7m
    @あかね田中-f7m Рік тому +17

    初めてのコメントです。亡くなった主人の実家も廃村寸前の山奥なので懐かしい感じです。お二人のやりとりも素敵だし、お二人のやりとりもいいですね。オカヤスさんは可愛らしくアンドウさんの声がいいですね。これからも楽しみにしています。お怪我に気をつけて頑張ってくださいね。

  • @miumiu436
    @miumiu436 Рік тому +14

    この様なジャンルの配信で、めちゃ笑える唯一無二のこちらのチャンネル が大好きです💓☘️
    いつも有り難うございます☺️

  • @mansatosi8939
    @mansatosi8939 Рік тому +33

    江戸初期に文書化された『和州湯川彦衛門覚書』は、「湯川の先祖は、古昔甲斐国武田の次男なり。(中略)次男は甲州を立ち退き、紀伊の国熊野の内、湯川と申す所に城を構え居住す、湯川の先祖是れ也」と記している。いずれにしろ、湯川氏が甲斐武田氏から出たことには変わりがない。

  • @よし-o4q
    @よし-o4q Рік тому +7

    オカヤスさん、アンドウさんにとって、いつも見つけるもの全てが宝物なんですね✨感性が素敵です。最後の黄金色のお芋に釘付けになりました👀✨オカヤスさんの指、男らしいですね!

  • @四面楚歌-y1d
    @四面楚歌-y1d Рік тому +10

    最後の🍠焼き芋がとっても美味しそうでしたね!こうゆう寄り道や道の駅をよって地元の農作物を食べて帰るのも思い出になってきますよね〜👌湯川氏一族のお墓も歴史を感じましたし立派な棚田の石垣も立派に残って、理由があるから廃村になってしまうのは炭鉱の街も同じであり
    時代の移り変わりで街も村も変わっていくのは避けられないのがなんとも寂しいですよね!今回も素敵な動画アップして頂きありがとうございました😊🫶

  • @田中博幸-r1d
    @田中博幸-r1d Рік тому +35

    住職、子供への愛情、仏門に携わる人格者に涙がでました。

  • @ハマちゃんホンポ
    @ハマちゃんホンポ Рік тому +17

    湯川氏といえば湯川光春ですね!
    幕府の奉公衆までしていましたし、政長流畠山に合力して遊佐長教と共に一揆勢にあたってましたね
    全盛期には5000騎もの兵を従えていたそうで、畠山稙長に従っていました

  • @山口幸代-h2b
    @山口幸代-h2b Рік тому +11

    初めて拝見させていただきました。
    歴史も勿論ですがお二人の言葉のキャッチボールが何とも聞いてて楽しいです。
    これからも応援してます。頑張って✊😃✊

  • @ウマアー-f2z
    @ウマアー-f2z Рік тому +9

    亀山城の北側にある地名が名字です。今も本家はそこに住んでます。
    当時は亀山城の北側の出城を任されてたようで湯川さんは主人だったんでしょうね

  • @中野諒子
    @中野諒子 Рік тому +10

    何時も楽しませて頂いています。
    村の歴史も、細やかに説明して頂き感謝です。
    安藤さん、今回も沢山の石垣、そして醤油瓶まで出会えて
    良かったですね。又の動画楽しみに。

  • @ある-m1m
    @ある-m1m Рік тому +12

    配信お疲れ様です😊
    さすが熊野古道。廃集落にはなっていても、古い道も整備されていますね。また湯川一族の発祥の地ということで、集落を去っても父祖の地を大切に守ってらっしゃるのかも。
    コメントの中に縁の方がいらして、知られぬ一族のことを教えてくださったのもありがたいです
    (あの湯川秀樹氏も養子に入られた方なのは知っていましたが、道湯川に縁のあるお家に縁付かれたのですね)。
    一族の方々の歴史は途切れることなく、現代にまで受け継がれているのですね。
    熊野詣での人々の往来で栄えた道湯川も、山中を避けた新しい道ができて人の往来が途絶えたことや生活の利便のために住民が離れていき、ついには廃村になったことには時代の移り変わりとは言え、寂寥感を覚えます。
    現代に紹介された熊野古道を辿る人たちが増えたことによって、付近の廃集落も何らかの活用がされるといいですね。
    これからもお2人ともご安全に。

    • @neu_historica
      @neu_historica  Рік тому +5

      いつもありがとうございます!
      今でも大切にされている様子が伝わってきて良い場所でした。
      歴史を思うと感慨深い場所ですね。

  • @ひろママ-k3i
    @ひろママ-k3i Рік тому +9

    今は、便利過ぎて当たり前になって居ますが、それを作り上げ今を作ったご先祖様に感謝の気持ち持たないとならないですね。戦国時代ののどかさとか大変さを味わいたいですね。

  • @hemuhemuful
    @hemuhemuful Рік тому +11

    今回の杉林は鬱蒼としていなくて明るく綺麗な場所でしたね。
    湯川一族も穏やかに眠っているのでしょうね。

  • @Guardian016
    @Guardian016 Рік тому +17

    石は形として残るから、何百年という歴史のある物を目の前に見ていると思うと興味深いですね。

  • @スズキン村田
    @スズキン村田 Рік тому +20

    野田醤油は…キッコーマン醤油ですね。あと、前半の穴は…炭焼き窯跡の穴ですね。房総丘陵の山中麓にもよく見かけます。たまに炭焼き窯を囲った石が残ってたりも。
    湯川氏は、信長の野望に出るモブ的な武将でしたが…そんな紀州山中を拠点とされていたのですね。ウェブで調べると…秀吉時代には紀州征伐で最後まで抵抗するも和睦した後は弟の秀長に仕え、その後は安芸広島藩の浅野家に使えたようです。とはいえ、道湯川にも一族が帰農して残ってたんですね。

    • @ksmsepk607
      @ksmsepk607 Рік тому +2

      野田さんで?となったんです。
      千葉県の野田市でしょうか?

    • @スズキン村田
      @スズキン村田 Рік тому +8

      EPKさん
      私は野田市にキッコーマンの由来があるのを知ってたくらいでした。
      ググると…戦国後期に武田氏へ醤油を卸していた飯田さんって商人が、江戸期に野田で複数の商人らと合同で醤油を作って商売したのが…大正時代に野田醤油株式会社となり、現在のキッコーマンとなったようです。

    • @Momijiya-mo2gb
      @Momijiya-mo2gb Рік тому +8

      信長の野望に出てくる武将の湯川氏は確かに道湯川の湯川家の出身ですが、その本拠地は今の和歌山県御坊市です。
      御坊市の湯川家は当時からそこで繁栄しながら今に至っていますが、並行して、道湯川の湯川家は湯川本家として相応の勢力を保ってきました。平成の終わり頃まで、湯川本家ではkさんがご当主としておられました。

    • @スズキン村田
      @スズキン村田 Рік тому +6

      Momijiyaさん
      詳しい補足コメントありがとうございましたm(__)m湯川氏が甲斐武田氏の流れとかも、私は全く未知でしたので😅御坊とか紀州はなかなか信長や秀吉の勢力下にならなかった理由が…根来衆だけではなかったということがわかり、大変勉強になりましたm(__)m

  • @TERANG1965
    @TERANG1965 Рік тому +15

    d(・ω・ ) 醤油の一升瓶はキッコーマンのですね。 野田醤油株式会社は大正6年設立のキッコーマンの前身です。

  • @紅葉ba--bay6t
    @紅葉ba--bay6t Рік тому +9

    historicaのアンドウさん・オカヤスさんこんばんは~
    オープニングで流れる音楽ワクワク感あっていいですね。
    お地蔵様の後ろにある石は海藻の化石で蛇に見えますね~
    道湯川集落跡は湯川一族の発祥の地なんですね。発掘調査されたとか・・・
    湯川皇子神社とか古い時代からのお墓もありこれらは今でも手入れもされてるようですね。
    あまりうまくコメント書けなくて申し訳ないとおみいますが
    ワクワクしながら動画拝見してました。素晴らしい取材の配信ありがとうございました。
    次回はどんなんだろう楽しみです。

    • @neu_historica
      @neu_historica  Рік тому +2

      コメントありがとうございます!
      地元の方に大切にされている様子が感じられて気持ちの良い場所でした。

  • @ほっちゃん-l1e
    @ほっちゃん-l1e Рік тому +8

    和歌山在住の者です。前の職場に湯川さんという方がいました。もしかしたらその方のご先祖様がこちらの集落の方なのかもしれませんね…
    あたしはその場所の歴史や人の想いなどを知るのが好きで地元の歴史なども調べています。まだまだ詳しくはありませんが、historicaさんのようにまだ皆さんに知られていない場所などのいいところや歴史を広めて行きたいなと思います。いつも動画楽しみにしています!お二人の仲がいい感じのところも大好きです!応援しています!

  • @masayafujiki8471
    @masayafujiki8471 Рік тому +7

    勉強になります。京都大学の芦生研究林の入口にも、平氏ね平良集落があり、揚羽蝶でなく、矢紋が家屋に記してありますね。近くに地蔵峠、大宮神社があります。京都は、夜泣峠とか、帷子ノ辻とか、物騒な名称があります。蹴上もそのひとつ。

  • @信司芦田
    @信司芦田 Рік тому +18

    今回道湯川を興味深く拝聴させて頂きました、人のルーツの話が出てましたが、湯川氏の子孫が何処かで生活しているかもしれないと考えると、歴史の奥深さを考えずにいられません。お二人の掛け合いが大変面白くニンマリしてしまします。次回も楽しみにしています

  • @淳子土屋-z9j
    @淳子土屋-z9j Місяць тому +1

    ありがとうございます!

  • @指人形
    @指人形 Рік тому +13

    凄く安くてしっかりした、いいみかんですね、野田醤油は千葉県野田市の県道17号線沿いに在りますね、勿論工場等は今野田市以外にも有ると思います、我が家の先祖は農家ですね、村中同じ名字だから、名字じゃなくて屋号で呼んでますね、今は名字の違う家も有りますけど、まだ殆どが同じです、我が家は分家なので2駅離れた町に在り、末っ子の自分はそこからも離れ県も違います、

  • @harada8877
    @harada8877 Рік тому +4

    とても楽しく拝見しました。なかなかいくことのない知ることのできないものでした。落ち葉拾いと言われる歴史は大切ですね。感謝

  • @AiRobi
    @AiRobi Рік тому +4

    映像有難うございました。千葉県野田市といえば、キッコーマンなどのそうそうたるメーカーがありますよね。
    あの「NODA SYOUYU」の瓶は、博物館にあってもおかしく無いものですね。多分。
    毎週水曜日が楽しみです😄

  • @奥田圭亮-k5h
    @奥田圭亮-k5h Рік тому +17

    昔の同僚が中辺路町出身でして郷里の事を話してくれてました。
    自然豊かと言うより壮大な景観ですね😊

  • @mada6-yoshi5
    @mada6-yoshi5 Рік тому +5

    最近やけに石垣に目が行くようになりました(笑)
    熊野古道の楽しみもまた一つ増えました。
    歴史を調べてから歩くのもいいですね。
    湯浅醤油、野田醤油からの醤油瓶。
    昔家にアルミのロートがあって、醤油瓶に入れて量ってましたね。←醤油瓶フェチ(笑)

  • @まり子-c4l
    @まり子-c4l Рік тому +19

    お二人だけではなく皆様もとても歴史に造詣が深いですね。コメント読むだけでも毎回お勉強になります。そして私も醤油壺ファンになりました。量り売りとか???で原体験はしていないのですが。

  • @jynsawai1631
    @jynsawai1631 Рік тому +3

    今日も 面白い歴史の勉強が出来ました‼️見ている間は昔の状況を 思いはせながら  
    勉強? してるんですが! 今日は 最後の からいも(宮崎では、さつまいもの事、唐芋って 言ってます)に意識が行ってしまいました。美味しそうでしたね。

  • @kenggl
    @kenggl Рік тому +5

    紀州熊野 シリーズが大好きです😊

  • @ダウン症ふうチャンネル
    @ダウン症ふうチャンネル 9 місяців тому +1

    お二人のご先祖を辿る旅もして見たら面白いのではないでしょうか?
    今後の活躍も期待し、応援致して参ります。

  • @あいしんかくらぬるはち

    湯川秀樹博士の奥様もこちらの湯川氏の末裔かもしれませんね
    武田一族というか新羅三郎の子孫って日本全国で繁栄してて興味深い

  • @ジョーカー-n5z
    @ジョーカー-n5z Рік тому +5

    もしかしたら
    野田醤油=キッコーマン
    ではないでしょうか。
    千葉県野田市で製造された物が和歌山の僻地にあったとなると何だかワクワクしました。

  • @yotayotariding
    @yotayotariding Рік тому +17

    和歌山は醤油発祥の地ですが、
    野田醤油は関東民のわたくしからすると千葉ですね
    でも千葉の文化は和歌山発のものが多いので交流が深かったと考えられ
    千葉から和歌山に逆輸入されていた?

    • @boomoto6512
      @boomoto6512 Рік тому +3

      逆輸入と言うより、野田醤油、つまりキッコーマンは昭和30年代ごろには全国規模の大会社ですので、
      全国どこでも売っている醤油で、まあ今風に言えばトヨタの車を買うと言った風な話ではないでしょうか?

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke Рік тому +10

    歴史が好きで、神社仏閣や石塔石仏墓所などを巡ったりしてます。五輪塔は室町期のものかも知れませんね。石造りとはいえ、長い間の風雪により風化したり倒壊したりすることで、形状もだいぶ変わってしまいます。一部しか残らない墓石も結構多いです。江戸期のものも場所によっては銘文が剥落してしまってるのも多いです。そうやって墓石さえも埋もれてしまうんでしょうね。平安や鎌倉期の墓石があまりないのも、そうした理由があるのかも知れません。

  • @ササカカオル子
    @ササカカオル子 Рік тому +25

    自分の先祖を果しなく遡れるのがスゴいですね!名字や戸籍は明治からですから昔は識字率や身分等の関係もあって、家系図がある家は稀だったとか…現在の湯川氏末裔が羨ましい😊アンドウさんの気持ちわかります!

  • @smikan1283
    @smikan1283 Рік тому +2

    いつも楽しく見させてもらってます。有り難うございます。
    清見オレンジの感想を見れると思ったのですが、お芋さんでしたね。

  • @user-Thunderbird2
    @user-Thunderbird2 Рік тому +8

    ٩😆何と、なんと、ビックリした!紀南の豪族武将(カナリィ~ややこしや)が少し気になり、湯川一族を調べたばかりでした。これ相当日本史に造詣深くないと、紀州湯川氏は知らないハズですから。アンド〜セレクトは、流石だ!
    紀州湯川氏、発祥の経緯(いくつか存在する)。
    そのルーツは、甲斐武田範長の末子「武田三郎忠長」が紀州系湯川氏の始祖となる。三男の忠長は五人張り弓を常用する程のツワモノに成長する。そして自らの将来を考え、自発的に武田氏に縁の深い熊野へ移住した。
    この説によれば、熊野の地は、源平合戦のおりに熊野神社(弁慶でお馴染み)が源氏方へ味方し、その時甲斐の奈古地方から、相当数の奈古の人々が熊野に移り住んだという。そんな縁もあり、後宇多院の正安三年(1301)。忠長は新天地を求め、熊野道湯川に移住したと伝わる・・云々(以下略)と云うはなしです。

  • @淳子土屋-z9j
    @淳子土屋-z9j Місяць тому

    こんにちは。また南河内のおばちゃんがお邪魔致します。このような無人販売店は南河内の奥地や奈良県や和歌山県にはかなり多いですね。私もよく歴史探訪でお世話になりました。顔程大きな椎茸やら大根に白菜等果物以外にも農産物が売られていますね。手作りの小物もありますね。何分昔の道の駅ですからね❤熊野古道は大好きです😊温泉地ですから湯川の村名も頷けますね。またお地蔵さんが多いのも熊野古道のあるあるですね。〇〇王子の名前も熊野古道あるあるですね。九十九王子の制覇いいですね。本当にできれぱマジすごいです😊和歌山は根来衆もいましたから戦国時代からかなり発展していたと思います。また神武天皇が和歌山県からヤマトに入りましたので和歌山県には(特に熊野古道には)由緒正しい歴史があちこちに見受けられますね。また湯浅醤油で栄えている和歌山県ですから醤油壺ならぬ醤油瓶があるのはワクワクしますね。熊野古道の入口の吉野(奈良県)の宮滝でも今も宮滝醤油がありますから醤油壺や醤油瓶は酒や味噌に酢もあったであろうことから歴史ロマンを感じられるアイテムですよね。長いコメントでいつも失礼致しますが長々と書いたついでに。アンドウさんの苗字に 藤 が付いてるなら 藤原氏がご先祖さまかもしれませんね❤今回も素晴らしい取材や動画をありがとうございます。

  • @okojyo11ne54
    @okojyo11ne54 Рік тому +4

    野田醤油は千葉の銚子の近くですよ。
    昭和50年代くらいまでは醤油は一升瓶で酒屋で売られてました。その前は味噌などと、樽から量り売りもされてました。
    日本発ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の父親琢治が和歌山県出身だそうですよ。

  • @アプリ-z9x
    @アプリ-z9x Рік тому +3

    岡山県の県北の集落に湯川さんと言われるかたがいましたがもしかしたらこの道湯川の出なのかも知れませんね
    じつわ私の嫁さんの妹の旦那さんの御先祖様は和歌山出身らしく
    何でも戦国時代に戦に敗れ岡山県の地まで逃げ延び今はこの地にいると言ってましたからもしかしたらこの湯川さんと関係あるかも知れませんね、少し想像し過ぎですかね。

  • @fujiwara_shino
    @fujiwara_shino Рік тому +5

    鎌倉殿で八嶋さんが演じた、武田家初代・武田信義の弟である武田義行から6代目、
    武田忠長が素行不良で熊野に流されて、最終的に湯川に腰を据えて湯川氏を名乗ったとも言われてますね。

  • @Toshi-vt1jl
    @Toshi-vt1jl Рік тому +3

    ナレーションの文章から教養を感じます。良いチャンネル見つけました。

  • @ラピス-n1g
    @ラピス-n1g Рік тому +4

    熊野詣、行ってみたいです。ぜひ王子を訪ねた動画アーカイブを残して欲しいです。今の日本がいつまで続くか分からないですから。

  • @田中貢-i3g
    @田中貢-i3g Рік тому +3

    野田醤油は千葉の野田市にあり私が子供の頃はリヤカーで毎年売りに来ていました 場所は目黒区祐天寺裏です

  • @r.m.familyone320
    @r.m.familyone320 Рік тому +5

    いつもありがとうございます。
    野田醬油・・、千葉県野田市。キッコーマン醤油の前身となる会社のようです。
    お役に立てれば幸いです。感謝。

  • @chige1234
    @chige1234 Рік тому +5

    野生の焼き芋さん😅
    信長の野望というゲームでも、湯川氏は登場しますね。

  • @チュンジャッキー-t2k
    @チュンジャッキー-t2k Рік тому +4

    明治大正になると、車(大八車のようなやつ)が普及し始めて、道も拡張されました
    そうした中で廃れていったのでしょうね
    実家の近くには
    屋島の合戦前に、義経軍が通行したとされる道があり
    集落の周りにはには10以上の祠があり、それぞれ神様が祭られています
    もう道も通れなくなっていますが、祠の方角に向かって
    毎年獅子舞奉納をしています

  • @ああ-p1l6t
    @ああ-p1l6t 5 місяців тому +1

    甲斐武田の庶流の湯川氏ですね
    鎌倉時代に呂布のような強さを誇った朝比奈義秀に立ち向かった武田悪三郎信忠が南紀に落ち現地を従えたのが湯川氏の始まりです
    紀伊といえば雑賀や鈴木が有名ですが主力は湯川氏で、久米田の戦いでは三好義賢を討ち取る活躍もしてます
    最後は豊臣秀長の騙し討ちで暗殺されてしまいましたが、最後まで武田の名に恥じない戦ぶりを示してくれました

  • @ukito12345
    @ukito12345 Рік тому +7

    今の学校教育の歴史教科書・地方の郷土史を学ぶ機会が減り、都市一極集中で、益々地方の過疎地域が消滅した。もう一度、林道など整備して、歩く歩道の整備で、郷土を伝える伝承文化を継承する仕組み文科省は考えるべき。

  • @砂糖-q1n
    @砂糖-q1n Рік тому +4

    湯川一族はセンゴク権兵衛の紀州編で丁寧に描かれてるのでおすすめです

  • @松本好布
    @松本好布 Рік тому +3

    野田醤油とは、現キッコウマンではないかと思います。
    千葉県には野田市という醤油の町があります。キッコウマン醤油の本拠地です。

  • @ぽこぽこ猫ぱんち
    @ぽこぽこ猫ぱんち Рік тому +4

    清見オレンジ5個(多分)で100円はめちゃ安いですね!!
    SHOYUって書かれた一升瓶は、量り売り用の瓶でしょうね。
    もしかしたら、醤油店で買える一升瓶だったのかも。

    • @boomoto6512
      @boomoto6512 Рік тому +1

      普通の醤油1升瓶だと思います、昔の田舎では農協の購買部にいけば1升瓶入りの醤油が売られていましたし、
      今は無くなった何とか商店と言われていた雑貨屋でも売られていました。

  • @地獄の番人の死神
    @地獄の番人の死神 11 місяців тому

    初めましてチャンネル登録させて頂きました。
    歴史を少しは齧ってはいるのですが湯川氏発祥の地とは知りませんでした。

  • @MAX-nj5bo
    @MAX-nj5bo Рік тому +5

    人類何千年なのに杉は100年位の不思議

  • @YM-kq1nbm
    @YM-kq1nbm Рік тому +4

    アレ?ユニホームの醬油壺Tシャツは?真冬でもよく見えるように醤油壺リュックとかボディバックなんてどうですか? グッズ販売待ってます勿論、Tシャツも待ってます

  • @あきばめぐりん
    @あきばめぐりん Рік тому +3

    野田醤油…
    まさか関東はチーバ君の鼻先、野田市の醤油?
    そうするとキッコーマンて事もありうるけど、紀州といえばヤマサやヒゲタが繋がりが深いよね♪

  • @minatotanabe8327
    @minatotanabe8327 Рік тому +3

    紀南出身ですが、1学年上にいましたね。湯川君。子孫なのかな?

  • @ray.tachi.
    @ray.tachi. Рік тому +17

    1:17
    うしろのベストが気になりすぎる笑

    • @user-wanuo
      @user-wanuo 8 місяців тому +1

      同じくです😆

  • @The.M.M.
    @The.M.M. Рік тому +3

    みかん🍊の無人販売所が羨ましかった✨😃  うちの近くにないから

  • @頭文字T-h8f
    @頭文字T-h8f Рік тому +4

    昭和の頃までは醤油も普通に一升瓶で売っていましたよ。今と違って地元だけで流通しているメーカーも沢山あった時代です。

  • @有芝里島
    @有芝里島 Рік тому

    御苦労様です。我が地元、奄美にも住人オバサン85歳、1人の廃集落直前の青木集落があります。その集落のみの方言も絶滅危惧。宇検村役場に連絡して形にして残して欲しい

  • @asa01053
    @asa01053 Рік тому +1

    成田湯川駅がありますね。奈良県から千葉県に行ったんですかね。

  • @ikechi9999
    @ikechi9999 Рік тому +3

    湯川といえば マサタカさんですね。

  • @Gekitakubaibai
    @Gekitakubaibai Рік тому +8

    醤油は和歌山発祥か

  • @angeline-uji
    @angeline-uji Рік тому +5

    安藤姓は平家一門との事ですよ☺

  • @kazzhori9536
    @kazzhori9536 16 днів тому

    湯川と言えば、ガリレオですがそのモデルとなったと思われるノーベル賞受賞者の湯川秀樹は奥さんの姓を名乗ったはずなのですが、その湯川家はもともと和歌山出身とか。関係あるんですかね?

  • @賢治伊藤-l8d
    @賢治伊藤-l8d 11 місяців тому

    オープニングの後ろのベストは誰のでしょうか

  • @菅野勲
    @菅野勲 7 місяців тому

    キッコーマンの創業は1917年、それ以前は製造元の野田市にちなんで「野田醤油」と名乗っていた。野田さんがここにいたわけではありませんw

  • @埠頭半田
    @埠頭半田 Рік тому +2

    秀樹とかれい子とか居ますね・・・湯川

  • @haruyofujimori4898
    @haruyofujimori4898 Рік тому

    野田醤油ってきっこまーんの事じゃないでしょうか?さすが老舗メーカーですね!

  • @らっきー7-n5w
    @らっきー7-n5w Рік тому +3

    人間って、「焼き芋」だけを食べていければ健康に生きていけるらしい。

  • @GK-zk5jo
    @GK-zk5jo 7 місяців тому

    野田醤油は千葉県野田市の醤油です。
    キッコーマンの原点の工場があり有名ブランドです。

  • @田中博美-h7n
    @田中博美-h7n Рік тому

    仲良くしていた同級生に湯川がおりましてルーツは二系統あると言ってました。彼は湯川博士、正確には奥様のですが、とは別のルーツだそうです。
    追記、彼は大阪在住、実家は京都です。

  • @ぼひひん
    @ぼひひん Рік тому +3

    野田醤油って、今のキッコーマンでしょ。

  • @ct3501
    @ct3501 Рік тому

    3回見たんですが、3回イイネ👍出来ないのが残念です👎

  • @岩井実-d1h
    @岩井実-d1h Рік тому +3

    野田醤油はキッコーマン醤油のこと

  • @syyyyy11
    @syyyyy11 2 місяці тому

    遠い親戚に湯川姓います。ここが発祥なんだ。

  • @なかさん-h5r
    @なかさん-h5r Рік тому +1

    SEGA(セガサターン)のCMを思い出す😃💡

  • @hobiorx
    @hobiorx Рік тому +4

    紀州御三家。安藤、水野、久野。

  • @松本幸春
    @松本幸春 Рік тому +1

    五輪の塔表面が人の顔に見えたのは目の錯覚かな~

  • @ytchopper
    @ytchopper Рік тому +4

    キッコーマンは野田の発祥じゃなかったっけ?

  • @砂川芳江
    @砂川芳江 Рік тому +1

    岡安、安藤コンビ、、なぜか?安心します。二人の、写真を、のせてほしいでしす。

  • @ayrtonbaggio4293
    @ayrtonbaggio4293 Рік тому +2

    昭和最後と平成令和ってほとんど何も変わってない、PC携帯スマホくらい

  • @河内少将
    @河内少将 Рік тому +2

    熊野街道_歩いてるで

  • @クオン-h3w
    @クオン-h3w Рік тому +5

    清見は
    みかんじゃなく
    オレンジですよ😓

    • @neu_historica
      @neu_historica  Рік тому +3

      コメントありがとうございます!
      てっきりミカンかと勘違いしてしまいました。
      オレンジだったのですね。。。

  • @toshikazusakai-t8f
    @toshikazusakai-t8f 10 місяців тому

    私の母親の里のお寺が湯川氏の末裔です。日高郡美浜町にある三宝寺といいます。

  • @YohS-bv1wl
    @YohS-bv1wl 4 місяці тому

    芋は皮ごと食べるもんですわ(笑)

  • @砂川芳江
    @砂川芳江 Рік тому

    石垣、は?大昔、暮らして、いた人の、手作り、痕跡、あったら、目を向けて、忍んでほしいです。

  • @としくん-h6v
    @としくん-h6v Рік тому +2

    野生の焼き芋屋ってw