I assume machine guns was a translator error?. Interesting though this video is a beauty but a crappy plane in wt. But to know there is footage of her flying makes me tear.
Yes there are slight translation errors but the difference between cannon and machine gun wasn't that big in Japanese terminology. I'm glad you enjoyed it.
Is 25:40 correctly translated? Is it meant to be in miles per hour? I know it was a bit heavier and mire sluggish then first envisioned, but that speed sounds super low...
@@ZYNKYOKU oh... i didn't know that, i recalled there was a test to see its climb speed and that it was quite a bit lower than expected but idk how true that info is
@@arpadpinter6050 Apologies for my late reply. The Shinden never had any formal flight test done outside of 3 flights with gear legs deployed the entire time. He did some circles around the airfield but never did rapid climbs or any other tests outside of takeoff and landings.
@@ZYNKYOKU thank you very much for this clarification! I always find out something new about this plane since sources about it are scattered all across the internet!
At the beginning of this video, some strong fighters failed to climb and intercept the B-29s? Weird I thought they could climb at 10k m altitude like N1K, J2M and Ki-84.
Many general fighter aircraft didn't have the armament or the climbrate and speed to reach the B-29s fast enough. Another issue specifically with Ki-84 was that there just wasn't enough of them ready due to reliability issues even though it was a great aircraft when properly running.
1985年4月19日NHK総合テレビ・九州ローカルにて初回放送か。
Thank you.
このたび、めでたく日の目を見るその日を迎える事が出来ました。一部マニアや、海軍ファンの間でしか認知されていなかった、「震電」の勇姿を。軽快な乾いたエンジン音を響かせ、大空を駆け回るその神々しい勇姿を、『ゴジラマイナスワン』の中で魅せてくれました。嬉しい限りです。
鶴野正敬技術大尉、初めて見ました。ありがとうございます。
Thank you so much for finding this footage. The Shinden is one of my favorite aircraft.
このような貴重な映像が見れてとても嬉しいです、欠陥機やら劣悪機などと言ってる人もいますが、当時の人は失敗は二の次でとにかくやってみるという努力がすごい感じられました、昔の人たちのおかげで今があると思うと頭が上がらないです
まぁ歴史にIFは無いが、イタリア、ドイツと共同開発すれば行けたかもね、(ドイツのエンジンとイタリアの素晴らしい空力学)
Amazing footage. Thanks for sharing this.
映画のゴジラ-1.0では、この動画とは別の世界線で「わずかな試作機が実戦配備」されていたという設定でした。用途も、低空でゴジラの攻撃をかわしながら海上の作戦域へ誘導することだったので、本機本来の高速高高度での重爆迎撃とは真逆の運用。それでも、鶴野技術大尉がご存命だったら「ありえん」と言いながら笑ってくれたでしょうか。今となっては何もかもがifでしか語れない機体、それだけにロマンの尽きない機体でもありますね。
白黒の不鮮明な動画を食い入る様にみられていた様子から、カラーで鮮明飛んでる姿や実物大模型をみたら色々語ってくれそうな感じもする。叔父も海軍と空自の経験者で特に思い入れのあるF86に関しては熱く語っていました。
すごいなこのフィルム
震電の設計者の一人だったであったろう人が番組で解説してる
戦争当時27、堀越二郎はじめ名だたる技術者を輩出した東大の航空工学科の出
基地周辺で目撃した人もおじさんおばさんとなって証言してる
当たり前だが今では考えられないこと
それだけに貴重だ
「ぼくのかんがえたさいきょうのせんとうき」をガチで造って自分で乗るという男のロマンそのものの生き方です。こういった大先輩の存在忘れてはいけませんね。
現代において、自分がデザインしたものを追求できる人は稀です。 残念なことに、戦争はしばしばそれを促進します。
おもしろい話だった!伝説の、幻の戦闘機震電の全貌がこの動画でほぼ、すべてわかる一級の資料映像ですな!
【震電は架空戦記小説やアニメ、軍時マニア、飛行機好きにとってとても人気のある試作戦闘機で 架空戦記では高性能飛行機としてかならず出てきて大活躍するのがいまや定番】
今となってはもう不可能な当時の開発者自身が語る映像で、真実がわかる 軍事の歴史としてもかなり価値のある番組でしたね。
Amazing documentary. Shinden is probably my favorite plane
B29機からの爆撃は民間人も攻撃対象に含まれた戦争犯罪なのに、それには興味を全然興味を示さず、最後の戦闘機の方に比重を置いてるのが最高ですよね😃
鶴野さんがこんなふうに語っておられる映像があったとは・・・
私の知る限りでは、このインタビューが最初に放映されて以来、NHKは一度も放送したことがありません。
戦後生まれなので当時の漫画雑誌に記載されていたのを覚えています。
戦中のエンジニアが優秀過ぎたおかげで戦後日本は高度成長できた。その恩恵にどっぷり浸りながら「つまらん」とか言いながら財産食いつぶしている輩が多いこと。
この時代、木を窒化させて、今で言うドライカーボンに近いモノを開発していて木の重量で鋼鉄の方さが出ると言う素材があり平成に成ってから大手が研究開発をしていましたが、何度作って実験しても当時作ったと言うサンプルと同じ強度が出ずに中断してしまいました。
昔作ったという素材がウソって事でしょうね
@@sunami808 昔作ったと言うサンプルは本物です。間違えなく木炭でした。ただ、この製法を知っている技術士を企業側が外してしまった事に原因があると思うのです。
雑誌「丸」?で「(ジェットエンジンを持たざる国の)過渡的な飛行機」と書かれていたかと…(ジェットエンジン換装の「震電改」構想も少年向け図鑑でみた)。ただし、震電の名誉のためにいえば、同時期に米軍が開発していた、エンテ型翼機よりも、機体構造や設計思想は進んでいた、と読んだことがあります。
cool.
Thanks ryobi.
当時の映像が残されていたとは、凄いですね。
もし、完成がもう少し早かったら、B-29を撃墜し原爆投下も防げたのではと思うと、さぞかし無念であったと思います。。
貴重な動画配信、有難う御座いました。
I assume machine guns was a translator error?. Interesting though this video is a beauty but a crappy plane in wt.
But to know there is footage of her flying makes me tear.
Yes there are slight translation errors but the difference between cannon and machine gun wasn't that big in Japanese terminology.
I'm glad you enjoyed it.
実戦装備で配置されたとしても、敗戦前にB-29には、数で負ける・・。
でも、この機体は・・日本が生み出したとても素晴らしい戦闘機だと思います。
エンテ型のデザイン・・斬新で凄くかっこいいです。今でも、レシプロ機の中に於いて、とても大好きな戦闘機です。
ライトフライヤー、アンブロジーニ、xp55「斬、…新?」
せっかく英語字幕ついてるからもっと海外の人の目にとまって欲しい動画です。 まさか設計者の鶴野さんがテレビ番組に出て当時の事をお話しになってるとは知らなかったのでもっと早くこの動画に巡り有ってればよかったと思っております。
B29はジェット戦闘機の登場で消えた
Is 25:40 correctly translated? Is it meant to be in miles per hour? I know it was a bit heavier and mire sluggish then first envisioned, but that speed sounds super low...
It was a test flight, Tsuruno hadn't even raised the landing gear during that flight. Shinden was never test flown at full speed.
@@ZYNKYOKU oh... i didn't know that, i recalled there was a test to see its climb speed and that it was quite a bit lower than expected but idk how true that info is
@@arpadpinter6050 Apologies for my late reply.
The Shinden never had any formal flight test done outside of 3 flights with gear legs deployed the entire time. He did some circles around the airfield but never did rapid climbs or any other tests outside of takeoff and landings.
@@ZYNKYOKU thank you very much for this clarification! I always find out something new about this plane since sources about it are scattered all across the internet!
震電の名前と姿は知っていたものの詳しくは知らなかったので、大変興味深かったです。この番組当時は設計者が生きていた(しかも60代)なんてすごい。考えたら1980年代の60代はみんな戦争に行った人だったんだな。
それにしても、番組中の聞き手はいまいちだった。ちょっとピントがズレているんじゃないかと思った。
彼が生き残ったのは良いことです。 当時の飛行機の設計者にもっとこういうインタビューをしてほしかった。
インタビューの仕方がいまいち!
相手の話を聞くところ、話してるのにかぶせて、自分の意見を話してる。
昭和50年代だと老人が明治生まれオッサンは大正若手は昭和って認識でした。海軍〜空自経験した叔父 京大〜陸軍〜京大〜官僚だった叔父が定年後って感じで戦中の話を面白おかしく言うのは軍曹以上でキツイ辛い言うのが兵隊って感じでしたね。軍曹の母方の親族は指が二本無くて大きな傷跡もありました。もう鬼籍に入ってます。
That plane should be in a Japanese museum.
いつも思うんだが陸軍と海軍が別々に似たような飛行機造ってなかったら色々なものが間に合っていたような感じがしてならない。
当時の日本軍は世界で圧倒的に強かったのを自負しており、外敵に油断して国内の陸海軍で競い歪みあっていた、勿体ない話、米国軍🇺🇸を如何に舐めていたかわかる。
おっしゃる通り、零戦と隼、二式戦と雷電、二式複戦と月光とか、DBエンジンを川崎と愛知がそれぞれライセンスを借ったとか、0式輸送機への統一射撃照準装置に銃弾と馬鹿馬鹿しい限り、経済の弱い者がより多品種少量生産なんて馬鹿の馬鹿です。原因は全て軍官僚のセクト主義ですよ。今もそうだけど。
現在も続く縦割り行政
すごく貴重な映像ですね、でも聞き手が適任でゃなかったし、NHKの取材もどうかと思う、九州飛行の工場が今は自動車修理工場と言っていますがどう見ても部品製造工場ですよね。
鶴野氏から話を聞けたんだからもっと試験飛行の詳細を聞き出してほしかった、安定性はどうか、振動はどうかなどなど。
ナレーターがここまでしゃべってしまうのは本当に残念です。
九州飛行機の跡地は渡辺鉄工 陸自福岡駐屯地 今はURのマンションなってる紡績工場。確かに九州飛行機時代に建設された建物が平成初めまでは武器隊の工場で車両整備してましたから、自動車整備と言うのは100パー間違いではないですね。
@@sunami808 様
情報をありがとうございます。動画の感じだけで部品製造工場と思ってしまいました。
震電のテストの為に作ったグライダーの性能が良かったと聞いたので、数機でもいいから実戦に登場して欲しかったと思っていました。
一方でエンジンが後部で冷却が十分ではないとか空力特性が悪いという人もいるので実際はどうなんだろうと考えていました。
この動画でその辺を話してもらえれば良かったのになと思いました。
710キロ毎時、12000m、30ミリ4門、当時の性能としては異次元🎉
P-51と比べても異次元ってレベルではないと思うで
P51のRRは1400馬力級でしたね、それで700km超えてました。四式や紫電21型に真面の誉を供給できる生産設備や100オクガソリン製造設備に注力した方が良かったと思いますけど。
震電のすごく貴重な話なのに聞き手の作家のジジイが技術者の話の腰を折る言い方をするのでイライラする。
それに震電の予備知識を全く勉強していない。
震電に対する敬意が微塵も感じられないし震電をジジイに汚された気がしてものすごくイライラする。
ナレーターはデザイナーの話を台無しにします。 それはひどいことで、彼がこの状況についてコメントを残さなかったらよかったのにと思います。
「戦後の情報操作DSCIANHkがマトモナ司会をするわけが無く、小ばかにする態度が鼻につく。敗戦間際の試作実戦機に至るまでのひっ迫経緯はあるが、後のJET・F-系戦闘機のデザインへ流用されていることは確かな事実。」日本の技術者が優秀であったことが誇りに意う。
確かにNHKのこの手の番組は態度が悪いと思います。前に零戦をやった時も酷いものでした。
ただ、私はWWⅡ当時の日本の航空技術は機体は世界レベルかも知れませんが、エンジンや航空艤装は劣っていたと思っています。
@@垣和夫森 戦時中の三菱エンジン・中島・愛知、riggingライセンスコピー含めて何が最大の危惧は、軍部の対立遅延、資源の壊滅状態にあり戦争の悲惨。その悲惨を忘れる事無く防御が大事ですね。
海軍出身でのちに空自幹部だった叔父も米国製機材に接して、練習機のT6でも見事なもんとは聞いた。一番好きな機体がF86と言ってました
@@垣和夫森イタリアはアンブロジーニってエンテ翼機で震電よりも5年くらい前に環境的に見れば震電よりも優秀な記録出してたで、あの時代になっても境界層の影響力すら分からなかった(例 飛燕、震電)日本は基本的にそういうのもある程度遅れてたと思うで
At the beginning of this video, some strong fighters failed to climb and intercept the B-29s?
Weird I thought they could climb at 10k m altitude like N1K, J2M and Ki-84.
Many general fighter aircraft didn't have the armament or the climbrate and speed to reach the B-29s fast enough. Another issue specifically with Ki-84 was that there just wasn't enough of them ready due to reliability issues even though it was a great aircraft when properly running.
@@ZYNKYOKU最初の頃は日本側もかなりの戦果だしてたし手も足も出ない見たいな評価はちょっと良くないと思うよ
航空審査部の手記だったか?震電が出てきて「脱出する時に必ずプロペラに引っ掛かる(=ミンチ)設計なので即座に設計し直しを命じた」とあった。九州飛行機は戦闘機の設計経験が無いのと、Me626を参考にしたんじゃなかったっけ(エンジンが後ろはジェット機の発想)。
昔、プラモ組んだ時は格好良すぎ!と感動したけど、特攻専用機ならともかく、レシプロ戦闘機としては日本ですら量産はされなかっただろう。
設計書では、パイロットがベイルアウトする必要があるときにプロペラを放出するシステムがあることになっている。その資料は渡辺鉄工所の書庫に保管されている。
主翼前縁とエレベーターのデザインが大きく異なっているため、「Me262」をベースにしたとは考えにくい。キッカ」は262に近かった。
@@ZYNKYOKU多分ジェットにしてマトモに飛べる様にカナードを改修しても境界層の影響でかなりひどい結果にはなるね
我にソウライあり
たられば、多い程悲しさが。
BASED
震電、デザインや成り立ち、開発目的が魅力的ですごい好きな戦闘機ですが、完成してないですし、カタログスペックですよね。これを実際に飛ばすほどの開発力があったのかなっていまでは思います。これを開発するなら、ジェット戦闘機の方が現実的だったような、そうでないようなw ← でもまぁドイツのジェットエンジンの図面見ると、日本じゃ作るのはムリゲーっぽかったみたいですが。
そうそう、そのとうりカタログスペックです。あのままの設計では多分、カタログ道理の性能はでないとおもいます。が。
それも最初だけで、この映像を見たら開発者の方がとてもない情熱と才能で飛行機を設計しておられるので、時間と十分な資材さえあれば 何年か後には、震電の改良機を作って高性能な飛行機に仕上げてしまいそうな雰囲気はありますね。
(ジェット機にするという計画があったとも聞いてましたが、映像見て、この設計者、ならやりかねないなとw思わせる人物だった。)
ちなみに、私も震電 大好きです。ジェット震電とか夢想して楽しんでいる。
たしか橘花は「実用するにたりる性能」と言われては居たけど震電は8月17日に開発中止命令出される予定だったからな、…まぁこれは九州飛行機が悪いんじゃなくて、低速機メーカーに「比較的暇そうだったから」という理由で作らせた軍にも非はあるんだろうな、
後2年早く開発してたらねー
零式艦上戦闘機に溺れ過ぎた。そして、次の戦闘機開発が遅くなった。
烈風のエンジン選定とかはある程度理にかなっては居たぞ?
この機体って開発中止命令の前に終戦が来てなんだかんだ良かったと思うよ、だって8月17日以降だと開発中止命令出されてその程度の物って言われるし、まぁ間に合わなかった事によって震電の名誉が守られたって事もあるよね、(ちなみにあのデザインは俺もかなり好きだが神格化する奴は嫌いだし別に好きだからと言う理由で神格化するのはどうかと思う)
私が大学生の頃までは、こんなすごいおっさんがいっぱいいたんだろうな。でも、大学には左巻きの先生方、友達は女の子からアッシー、メッシー扱いされている。私のアパートはポットン便所でワンルームマンションに引っ越すことしか夢見てなかった。もったいないことした。
この形状を見ると、後のF-14戦闘機の原型みたいに見えるんで、アメリカに送られて、後の飛行機に影響を与えたのではないだろうか?
🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤭
米ソはナチドイツからだったら航空技術者と資材と資料を山ほど奪って行ったけど、J7W1と似た形状のエンテ機は、戦前戦中すでに欧米でもいくつも試作(&計画放棄)されてて。
願望妄想自尊心慰撫アイコクポルノは、ほどほどに。
なんでこんな境界層モロ受けかつカナードがあんまり機能しない奴が影響与えんねんwwwというかプッシャ式なんてライト兄弟の頃からあったよ?😅
本来はB29を迎撃できる高射砲もあったが、3基しか完成しなかった(実績あり)、これが、日本の最後の失敗かも?こんなもの作ってる場合じゃなかった。しかしこの人ゼロ戦とか言ってるけど、本当に軍人なの?本来は零(れい)戦です。
震電もそうですが終戦後日本が計画していた設計図を全て回収した米国はその斬新な発想や技術に驚愕し、徹底的に研究した。それで判明した事の1つが燃料が悪くて設計の性能が発揮できなかったこと。せめて物資が無くなる前に戦争に踏み切っていたら違う結果だったかも。米国の使用する燃料を入れただけで性能が2割以上アップしたと言う。
Ki-83 はアメリカの燃料で速かった。 J7Wも一緒に見れたらいいのに。
試作機が3機造られただけで終戦。
設計図だけの机上論で終わった富嶽よりはマシか。
当時の環境はジュラルミンが生産できない、鉄もない、蓄蔵原油の枯渇、低い精製能力による低オクタン価の航空燃料、熟練工の枯渇、爆撃による工場生産能力の低下、とても新鋭機を製造できる状況ではなかっただろう。震電を革新的ゲームチェンジャーのように言うが、現実は単なる幻の戦闘機でしかなかったようだ。
確かに物資の不足や戦争のやり方を考えれば日本は戦争に負けていただろうが、震電と木塚を比較する方が良いのに、震電と富嶽を比較するのは無理がある。 神電が最終的には何もしなかったということには同意しますが、少なくとも3回は飛行しました。
サムネのキックボードの車輪みたいな細い前脚を見ただけでこりゃヤバいだろと思う。
あとプロペラも2重反転式にしてトルクを打ち消さないと不安定すぎる。
前輪は、今の戦闘機だって細いし、普通の戦闘機も、反転プロペラなんかなってないよ。
一番の欠点はエンジンの冷却
前輪は後部にエンジンがある関係でそこまで荷重がかからない為細くできるだけ軽量化してあるんだと思います。 プロペラは二十反転式にするとなると、ただでさえ先尾翼で技術がいっぱいなのに更なる技術が求められるので従来のプロペラにしたんだと思います
まあ実際に飛ばしてみたら問題続出で、とても使い物にならなかっただろうな。
全然使えるよw
まあ、妄想の中で生きていなさい。
┐(´д`)┌
@@埼玉原人 お前も勝手な想像でもしてなさいw
共産主義者かな?キミ
他の戦闘機開発の半分以下の時間で開発したのですよ。動画見てないの。
蚊に似てる
日本の技術は昔から世界一 増槽タンクも水上戦闘機も20ミリ機銃もひねり込み技術もない:
鶴野元大尉や九州飛行機技師の話を聞いてると残念な感じ。話に技術的な裏付けがほとんどない。中島の技師たちは、エンジン設計単位が日本がmmなのにドイツは0.mm単位、ボルトなども欧米は標準規格を持ち下請け部品の品質が維持されていたことに触れ、基礎技術の差を大いに痛感していたのとは対照的な気がします。ドイツも変わり種飛行機を作りましたが、ドルニエDo335プファイルのほうが普通に飛んだだけまだまし。震電はろくに飛んでもないのになぜこんなに取り上げられるのだろうか?謎です。
スミソニアンに展示されていますよ、エンテ機のよくできた模型としてね。
日本の工業力の問題は「部品公差」がマスターされて田舎っからでは。
なるほど、やはり当時のドイツの精密さの単位は、日本の比ではなかったのか。そりゃぁ、ライセンスの液冷エンジンもうまくいかんですな。
しっかり完成しなかったからこそロマン兵器なのだと思います。
試験飛行のレベルクリア迄来ていたのでその点は、この後どうなった?と思う所ですが、米軍のシミュレーションも、結局はロマンの域を出ないのかなと思ってしまいます。
ただ、こうしたものを試験飛行出来る所迄行く事が出来たのはやはり日本の技術的な部分が決して他国に劣らないものだった証明だと思います。
航空機産業は、世界の先端技術に基づくと考える事は私は正しいと思います。
故に、世界の空に日本製の航空機がいない事は寂しいと思っている古い人間でもあります。
いつの日か、再び日本製の航空機が空をかける日を切に希望して止みません。
@@ymonolithus3360 私も当時の日本航空技術者のレベルは英米独に匹敵するまでになっていたと思います。基礎技術の格差についても中島飛行機からボルト等の規格統一を軍に打診したが断られたという話が残ってます。技術的な保険として陸海軍でDB601エンジンのライセンスを異なる二社の取らせるのは理解できますが、部品の規格統一を秘密主義から拒否するのは、軍官僚セクショナリズムですね。このセクショナリズムからくる開発予算の争奪戦、技術秘匿が無ければ日本の航空技術者(銃砲技術者も)はもっと能力を発揮できたと思うと残念でならないです。
ノベルズにはいいネタ供給しましたね。
歴史のIFとしてロマンを持つことはいいこと。但し、英語のタイトルのInterviewはブチ壊し。
エンテ型機は操縦性能が劣悪でコンピュータ無しでの制御は無理だね。
F86やMiG15の様に機種にエアダクトのあるジェット機の方が簡単で大量生産には向いてる。
垂直尾翼が、離陸時にグラウンドに擦るのを防ぐために、小さな尾輪を付けるなど、設計が今一つ洗練されていない。
幻で終わるに値する、未熟な設計ですね❣
生命すら危ぶまれる中、資材や時間のない中で一生懸命作っていた人たちに対してあまりにも失礼な上から目線の言葉。自分でできるならやってみるがいい。
@@Landscape01
排気タービンが日本では実用化できなかったため、予定の性能を満たす事は困難だったのです。
当時、私の父は、中島飛行機の試作部に就いていましたので、アメリカの工業力の凄さを実感していたと教えてくれました。
※ 根拠の無いコメントでは無く、当時のプロ技師であった父の言葉です。上から目線では無いですよ❣
@@洞口久光
アメリカは1943年まで欠陥魚雷を作ってました
アメリカはイギリス製エンジンを積んでました
未熟な設計なので、そうでもしないとゼロ戦の様に長距離爆撃に護衛できる戦闘機が作れなかったのです
P51は未熟な設計だったので、のちに1tもの無駄なぜい肉を減量しました
さすがアメリカの工業力ですな
@@21goikenban17
それには、政治の力も含んでいますね! P51を高性能にしたのは、ロールスロイスのマーリンエンジンの搭載です!それまでは、平凡な機体に過ぎなかった様ですね。
また、実戦機に、排気タービンを投入できる事で、大馬力のエンジンを載せて、航空機の性能向上を実現しました。
WWⅡにアメリカを引き込んで喜んだのは、蒋介石とチャーチルでしょう。
日本の軍部は、中島飛行機に定期的に視察に来て、「砲弾に磨きが足りない!」というレベルでの注文を付けるだけで、物資の確保が出来ない事に対して回答できなかった。
これでは、米国に太刀打ちできる筈が無いと実感した事、VT信管の実用化(これは、戦後に分かった)など、父は、心の中で「これでは戦に対する姿勢が、米国に劣っており、勝てる戦になる訳が無い」と思ったと言っておりました。
@@洞口久光
日本が資源獲得競争に参加したのは最後発組であり、イギリス・アメリカなどの世界の資源の8割を確保していた植民地帝国連合とは条件が違いすぎます
イギリス・アメリカほど物資が確保できないのは当たり前なのです
無限の資源を持ちつつ余裕で勝てると油断し、戦争を仕掛けておいて、イギリスに逃げ帰ったり、植民地を開放されたり、共産主義を押さえ込めなかった体たらくなイギリス・アメリカの軍部・技術者よりはドイツ・日本の軍部・技術者の頑張りが目立ちますな
他の動画見で見たけど、どうしようもない欠陥機だったらしいですね。
開発途上の飛行機は欠陥があるのが普通ですよ。
@ordinaryjapanesemeals8714軍からは簡単に言うと「一発合格しない限り中止するからね」って 言われてるらしいよ?つまり最終段階(8月17日で水平飛行ができない)時点で震電は飛行機としての評価をする価値も無い、別に俺も九州飛行機を小馬鹿にしたいわけでも無いし個人的には九州飛行機という低速機のメーカーに作らせた軍にも非はあると思うが今一番ヤバいと思うのは負け惜しみとしてミステリアスと言うだけで「震電」という機体を勝手に神格化するお前が一番反吐が出るほど嫌い
追記、8月17日とは本来震電に開発中止命令が出されるハズだった日(だが皆ご存知の通り8月15日に終戦)
実際には、そもそも空を飛ぶ物件としてのレイアウト・外形そのものに無理がありすぎ、マトモに真っ直ぐ飛ぶのすら困難な代物だった。試作機を飛ばして初めて、航空機としての基礎的なありようすら満たせていない、と気づいたのが実態。
当時の日本には高速飛行時の流体力学的なノウハウも乏しく、適当につけたとしか見えない機体側面の小っさいエアインテークが期待通りには働いておらず、エンジンやスーパーチャージャーの冷却系があっという間に加熱して試験飛行も打ち切り。
それも、燃料は半分、武装もダミーという甘々の条件下で、だ。
戦後に敗戦コンプレックス・アイコクポルノの“ダシ”として祭り上げられ、一部界隈では未だにもてはやされてる存在だが、たった今現在では「量産・戦力化なぞそもそも門前払い」の失敗作、計画段階からして論外の物件だった…というのが定説。
「先人の努力を貶めるハンニチ!」とか言われても、「一生懸命やったから評価しませう」なんてのは幼稚園児への評価法。
国家事業としての戦争とは、結果が全て。死んだ子のトシ数えて必死に自尊心満たして悦に入ってる方が、よほど国や先人を貶める卑しい振る舞いだ。
あらゆる点で惜しい飛行機だった。