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一部の米英パイロットからは「後期の機体はそんなに火を吐かなかった」と言われていたとはいえ、犠牲の多さには酷すぎる。
運用がね...
運用もね ーー佐賀人
戦闘機の護衛がほとんどないからさ。戦闘機の護衛がなければBー17だって、アッサリと撃墜されている。後期の一式陸攻はBー17よりやや劣る程度の防御力があった。
この尾部の機銃手位置…ほぼ最初に狙われたよね?…勿論他国の爆撃機も同じ様な感じだったろうね…。
実際『こいつはタフだった・・・』って声も少なくないんだよね。
日本陸軍機は大東亜戦争初期からかなり防弾に考慮した設計だったのに。日本海軍の防弾軽視は戦争後半まで続いた。オーストラリア空襲で出撃した100式爆撃機呑龍は迎撃にきたスピットファイアにかなり撃たれたが防弾装備と強化した防御機銃のかいあって8割近くが帰還できた例もある。
お説の通り。
比較する相手が悪いですが、本土空襲に来たB-29の生還率が98%くらいなんですよね。
陸軍はノモンハンでの戦闘で防弾の必要性を感じたのが大きいそうです
海軍要求が航続距離。だから。軽くて。
@@てるくんてるくん-h2g さんしかも失われたB-29の半数ほどは、日本側の迎撃による損失ではなくエンジンの不調によるものだったそうですね。
航空艦隊構想に基づいて開発した航空機。後期型は自動消火装置と防漏対策を施しました。高高度爆撃における損害率はB17よりわずかながら優秀でした。銃座配置はB17と同じで死角が少なく、防御火網としてはかなり強力で、本機を迎撃したスピットファイアのパイロットから「ベティは撃たれ強く、火力は強力で手強い相手だった」と高く評価されています。
20ミリ機銃は敵戦闘機のパイロットにとって脅威だったようで、生きて終戦を迎えた射手が「敵機が迫って来たら20ミリでポンと脅かしてやると逃げて行った」と証言していますね。
@@当たり前田-z2b さんへ、アメリカは後部銃座の20mm機銃を強く警戒して、「迂闊に近寄るな」と通達していたそうです。
陸攻とB17なら、搭乗員は、B17を選ぶ。防弾性能が別物。B17は2発でも飛べるが、陸攻は1発では飛べない。B17の生存性は、ドイツの爆撃で証明されてる。
特攻兵器桜花を発案した大田正一氏の経歴、無責任な言動。終戦時の逃亡、戦後、偽名を使って潜伏して3人の子供をなして天寿を全う。桜花に携わって戦死された人たちと遺族の方々の無念を思うとやりきれない気持ちになります
陸軍はノモンハン事件での戦訓等で防弾重視、海を主戦場とする海軍は任務等の理由で航続距離重視でしたからね。陸攻を設計&製作した三菱は防弾を最初から提案してましたが却下され、開戦1年後の昭和17年11月に「航続距離を減らしてでもいいから防弾をやってくれ」と要望が出されたそうです。米軍のガンカメラの映像ではすぐに落ちる機体はあまりない上に、沖縄戦では米戦闘機の主力のM2重機関銃では撃墜は難しいと評価されてるみたいですね。
海軍が三菱提案を却下したのは既に翌年四発の大型攻撃機開発を決定していて三菱が要求する充実した防弾装備はその4発機で実現させる事にしてました。13試で開発された二式大型飛行艇がとんでもないレベルの防弾装備を持っていたのはそれが理由だし、深山が不採用になった最大の理由は性能だけでなく二式大型飛行艇でさえ当初は装備していなかった動力銃座に象徴される防御火網の充実より防弾装甲を重視したため。
一式陸攻は内地から各島嶼への小銃などの武器、食糧、家族や将兵宛の手紙を郵送する任務でも使用されています。
伊藤淳史さん主演で、硫黄島とを結ぶ輸送便のドラマがありましたね。
父は子供の時に1式が飛んでるのをよく見かけ仲間うちでは通称「まんねんしつ」と言ってたそうです。葉巻は今もですが見たこともない人が殆どでイメージとして一般的ではないでしょう。
三木忠直さんは戦後国鉄に入って新幹線の開発に貢献します。
桜花と0系新幹線。
出現した日中戦争時は高速高高度の新鋭機でしたが太平洋戦争になると早くも米機の攻撃に脅かされる様になってしまいました。戦争が始まるに連れ兵器の急速な進歩によるものですが残念ながら日本海軍は新鋭機開発に遅れを取ってしまいました。
一式陸攻のエンジンは双発、また航続距離も長くとの要求があったため、三菱側は双発を4発に変更するよう海軍に要求したが容れられず、結果として防弾を犠牲にした。改良型は発火性に一定の対策が施されたが、とはいえこれに桜花を搭載し出撃させたのは無謀すぎた。
四発機は別で中島に要求を出していたから、双発という条件は絶対だったんですよね。にしても無茶な要求だ...
@@otaku_yarouさん実は川西にも飛行艇として要求出していた。二式大型飛行艇の強力な防弾装備はその明石
ワンショットライター、ですか……水木しげる氏は「マンガ昭和史」で日本軍機を日本軍兵士は「マッチ」と呼んでいたと書いています。
陸軍はまがいなりにも、1式単座から防弾ありました。
B29でも 護衛にP51ムスタングが付いた😃
戦闘機の護衛が付いていても、敵戦闘機や対空砲火の迎撃で撃ち落される可能性の高い一式陸上攻撃機の運用を海軍航空隊上層部は、真面目かつ正気で、考えていたのでしょうか?。
私の父は学徒動員で水島(岡山県)の工場で製造に従事していました 万年筆に羽根をつけたような機体だったと聞いていた
一式陸攻が搭載した桜花は米軍からBAKAって言われていた理由が特攻専用機、人間爆弾って以外にも桜花が重すぎて飛行するのにやっとで米軍機からの攻撃にまともな回避運動が出来ずに桜花ごと撃墜されるのが大半だったのに毎回出撃して来るからだったらしいね
桜花をぶら下げると、時速300キロくらいまで低下し、護衛戦闘機も大してつかなかったからね。
米軍は、桜花を搭載可能なのは双発機と正しく分析し、地上の一式陸攻や銀河を重点的に叩いたので、そもそも出撃すら不可能に近くなりました。
一式陸攻って普通に形状かっこいいよねー
惜しい機体。東南アジアからの資源輸送船団の護衛に投入してたら、もっと活躍してた。
その護衛戦闘機が必要。
@@user-xn8xl4xx4e 南シナ海に敵戦闘機は飛んでこないだろ。
大戦末期には、同じ長距離攻撃でも搭乗員たちの間では生還率の高い「銀河」より人気があったようです。何故なら「一式陸攻」にはトイレがあり、移動中には搭乗員が身体を動かせるスペースが「銀河」よりも広かったからだそうです。ただ設計思想ではマリアナ諸島に侵攻してきた米艦隊を本土から魚雷攻撃するために造られた陸上攻撃機であったので、地上支援などの爆撃任務等にはかなり無理があった事は容易に想像できます。
結局、大型機を魚雷攻撃用というコンセプト自体に無理があったんだと思う。双発でなく4発にすりゃ良かった云々と言いたがるヤカラは多いが、そもそもはおっしゃる様に、「魚雷を抱えて敵艦隊に突っ込ませれば駆逐艦より効率的」というところから着想された機体なのだ。敵艦隊の洋上攻撃が主任務なら航続距離は絶対な一方、敵艦隊からの対空砲火を冒すとなれば4発にして得られる防弾強化なんて大して意味はなかったろう。(戦闘機より強力な艦艇の対空砲火網にマトを大きくして突っ込むことになる)加えて、エンジンの精度にも性能にも生産数にも疑問があるのなら、2発での開発となったのはそもそもの出発点からしてもやむを得ない思考経路だったろうと思う。(いい悪いは別の話である)4発にしていたら、エンジン生産数と稼働率の制約から実機稼働は半分以下となったろう。それでいて、マトが大きくなった分、マレー沖海戦以降の泊地攻撃などでは史実以上の損害を出したろう。アト知恵評論家どもが「だから2発で開発量産しときゃよかったんだ」と今頃言っている世界線があったのかもしれないが、そもそもの「大型機での雷撃」との構想に無理があったのではないのかと思う。
陸攻は、漸減でロンドン会議の駆逐艦の削減で、穴埋めに出て来た。小笠原からフィリピンに作戦計画変わっても、来る前に削るため。雷撃は水面ギリギリに飛ばなければならず。大型なら戦闘機、高角砲で。
同時期の同様のスペックのB25の方が防御火力・耐久力が高い気がすると思ったら、偵察後続距離は考慮せず、エンジン馬力が高いから12.7mm機銃12丁の武装と防弾装備があるんですね。一式陸攻の前期型は、防弾を犠牲に偵察後続距離を最優先にし、尾部の20mm機銃以外の左右・背面・前方が7.7mm機銃でしたが、後期型は偵察航続距離を無くして防弾を施し、二式大艇と同じ1850馬力の火星エンジンにして20mm機銃を左右・尾部・背面の4丁と前方を13mm機銃にしていたんですね。これだと陸軍の四式重爆に比べても、速度は劣るものの、防御火力は上になりますね。
この一式陸上攻撃機は、岡山県倉敷市水島今の三菱自動車が生産していたそうです、ですからよくグラマンF6F戦闘機とかグラマンF4F戦闘機が飛来していたそうです、
爆撃機自体が戦闘機よりも高価だし材料も使うので、当時の貧乏国家の日本では一式陸攻以降の後継機を作れなかった。後継爆撃機の連山は試作で終わったし、富嶽は予算と資源の見通しで計画中止になってる。まあ、そういう爆撃機作れる資金や資源があるなら、もう少し冷静になれて英米とは戦争してないだろうけど。
4発機の2式大艇は贅沢過ぎて200機も造れなかった。だから深山はおろか連山すら試作のみ。富嶽なんて夢物語。
日本陸軍、97式重爆→100式重爆→4式重爆と後継機開発していったが日本海軍は1式陸攻を大戦後期まで生産して、ようやく生産開始された銀河はエンジン不調が多かったので結局終戦まで1式陸攻が主力のままだった。
@@ライヘナウヘルマン流石に現場では四式重爆を借りて「靖国」として運用したりもした。
山本五十六長官も最期はこの機に乗っていた
やはりエンジンの遅れか、、
7人搭乗で1トンだけの爆弾搭載量。魚雷も一本しか積めない。航続力を優先するなら防御力は妥協しなくてはならない…ないものばかりの国が生み出した、悲劇的な機体。
連合国軍爆撃機パイロットの常識からすれば、とんでも無い一式陸上攻撃機・・・そんな、一式陸上攻撃機で終戦まで任務をこなしかつ撃墜される事無く、生き残った一式陸上攻撃機エースの高橋淳氏は、ある意味で凄いですね。
日本の爆撃機・攻撃機は欧米の同クラスの機体に比べ、少量の爆弾を投下するために大勢の人命を失ってしまうリスクが高いので、海外の専門筋からの評価は低いですね。ちなみにP-47は戦闘機なのに1トン以上の爆弾が搭載可能で、投下してしまえば強力な戦闘機として機能し、万が一撃墜されても人的被害は1名で済みます。
@@当たり前田-z2b 戦線に間に合わなかったとはいえ単発機で3.6トン積めるスカイレイダーとか5トン近く詰めるモーラーとかヤバイのも居たしね
@@当たり前田-z2bサンダーボルトの驚異的積載量は、排気タービンのたまものでしょうかね?
@@てるくんてるくん-h2gリアルに2000馬力以上出せるエンジンの賜物カタログ値3割も水増ししてさらに百の位切り上げでやっと2000馬力を出した誉とはそこが違う。ちなみにハー44はリアルに2000馬力出していたし、サンダーボルト用と同じエンジンサイズのハー42は後期型にてリアル2000馬力を達成してます。
ガ島空襲では脆弱な一式陸攻に米軍戦闘機の一撃離脱が非常に効果的で一式陸攻は出撃する度に甚大な被害を受けて対策会議が開かれた
爆撃の成功率は高いんだけどな…桜花は論外だし運用ミスのせいかな
7000mで侵入出来れば。迎撃機が到達前に爆撃を終えるから。電探の性能が上がって、迎撃機が2000馬力が出てくると。
米軍のオヘア中佐が、5分で7機撃墜したというのは・・
ラバウル沖航空戦の後で偵察機のみの運用に切り替えておけば、レーダー技術で劣勢でも基地航空隊の援護下で空母機動部隊を有効に使って徹底防御できたのにな
人間爆弾だったこともあり戦後接収された戦艦長門や榛名に兵器試験をされずに済んだんだよね…
一式陸港攻の葉巻型胴体には、それなりに空力的利得があったが、「航空魚雷」の搭載を意識し過ぎて、爆弾搭載量が1トン程度に制限されるという間抜けな設計に成り果てた。爆弾倉の設計思想はランカスターと似ているが、グランドスラムまでぶら下げられるという、圧倒的な爆撃能力に対して、終始無神経なのが貧乏臭い。
海軍の「攻撃機」は、基本的に雷撃機として企図されています。四発の大攻には航空魚雷二本、双発の中攻には航空魚雷一本を搭載する構想でした。
単発のスツーカですら1t以上積めるのに、もったいない話。
山本長官が搭乗してた機体も陸攻なんだよな😢
大学生になったら戦史研究会サークル入ろ
緑十字は四式重爆じゃなかった?
一式陸攻の緑十字機も実在しますよ。
@@whitepandajp そうだったんですね。
日本国も地下資源があれば、もっと良い飛行機を作れたのだがな〜。本当に残念。
この機体を海軍が持っていたというのがまず驚きです。航空自衛隊は海軍航空隊と陸軍航空隊が一緒になって編成されましたが普通空関連の軍事組織は陸軍から生まれるので航空自衛隊が如何にかなり独特な生まれかそのことだけでもわかります。
空軍作ったのは、英国海軍。一次艦載機まで、空軍だった。海自も同じ間違いないが。艦載機は海軍でないと。
プリンスオブウェールズは大和級に勝てない。この英戦艦は大和を打ち抜けない。
ジリ貧てこうゆうことなんだなあ
飛龍でもB39とは戦えないよね
もう少し搭載量と、防弾を考えるべき機体でしたね。
両方とも深山や二式大艇に盛り込んでます
「もう少し搭載量、防弾を考慮」↑こういうのを「ないものねだり」とか「アト知恵」と言うのだろう。もう少しって、どうやって?もう少しって、どの程度?それ、当時使えたエンジンで可能なのか?そもそもが海軍の漸減作戦の一環で「艦隊決戦に先立って、多数の長距離機を内南洋に展開させて敵艦隊に魚雷攻撃させれば、水雷戦隊整備より効率的かつ効果的」とのコンセプトから開発された機体なのだ。洋上で前衛として敵艦隊を迎撃する用途なら、まず考慮されるべきは「航続距離と航法の安定性」、そして「魚雷一本過不足なく積める程度の搭載量」だろう。敵艦隊の対空砲火の中を突っ込ませるのなら「もう少し」の防弾なんて搭載量とのトレードオフで優先順位が下になるのは分かりきった話。(いい悪いは別の話)一直線で突っ込んでくる雷撃機は静止マトと同じと言うから、雷撃を前提とする以上、4発機にして防弾強化をしたらマトが大きくなるだけのことで、損害は史実以上に著増したろう。そしてまた、エンジンを2倍使うのだから、生産数と稼働率(双発機ならエンジンふたつ動けばいいが、4発機なら3つ以上動かなければ不可)は半減以下となったろう。更に言えば。いずれにしても、艦隊決戦の前衛たる水雷戦隊のそのまた前衛として「魚雷攻撃に突っ込ませる」為の機体として開発されたのだ。「艦隊決戦の花形は砲撃戦なのだ、駆逐艦なんぞタマを撃ち尽くすまで突っ込ませるべきだ」と大真面目におっしゃるアナタ@伊藤宏憲が、「ワタシの考えとおんなじだぁ」とでも言うのならともかく、「もう少し搭載量と防弾を」なんぞといい出すのは、自己矛盾だろうよ。
@@草莽-b6d ま、所詮、ないものねだりなんでしょうけどね。
@@伊藤宏憲-f6tそう、ないものねだり。アナタの場合「ないものねだり」の上に「アト知恵」「自己矛盾」が加わる。魚雷一本積んで敵艦に突っ込む為に造られた攻撃機に爆弾を積ませて陸上爆撃に使うなら、敵戦闘機への防弾装備不足と搭載量不足とが露呈するのは元々分かりきった話なのだ。ならば陸上機に関しては陸軍との共同開発なり陸軍機の転用なりでもした方が、国全体の生産資源の活用面からもよほど効率的なのはこれまた分かりきった話。(これは局地戦闘機≒陸上発着前提 に於いても同じ)陸上機共同開発の申し出はこれは海軍側から拒絶されている(堀栄三の手記にある)のだか、アナタによれば「陸海軍機の共用なんて無益で無用」なんだろ?(井上成美の航空本部長時代の実績とやらでそんな事を書いていたっけな)無理なら元々艦艇攻撃向けに開発されて防弾装備もそれなりの攻撃機を陸爆として用いて敵戦闘機からの被弾被害を出すのも「仕方ない」ということになるよな。「もう少し搭載量と、防弾を考えるべき」なんて言い草は、ことアナタに関する限りそれこそ「ないものねだり」「自己矛盾」だろう。
ネットによって虚だけが広まった悲運の機体最初に刷り込まれた印象を更新できない人は多そう
こんな ガラクタに乗せられた若者が 不憫だね、、、
使い方が間違っていたから。ガラクタではないが。
こんな発火物、、、、どうやって使う?? @@user-xn8xl4xx4e
@@themuraoka「どうやって使う?」もナニも、元々艦隊決戦の前衛として魚雷攻撃で敵艦隊を撹乱する為に構想設計開発されたのだ。軍縮条約や生産力の制約から水雷戦隊(←主力の前衛)の強化に制約があったから、航空部隊による魚雷攻撃で駆逐艦(魚雷攻撃による敵艦隊撹乱が期待された)の相対的不足を解決しようとしたものだ。主な用途は、あくまで魚雷攻撃だった。主力の前衛の水雷戦隊のそのまた前衛に出るのだから、航続距離と航法の安定性は絶対だったろう。一方で、航空機からの雷撃ではまっすぐ突っ込んでくる一点に対空砲火が集中する(爆弾では沈まないが魚雷が中たれば沈む)から、攻撃機への防弾装備の強化の優先順位は低くなる。(いい悪いは別の話である)また、4発にして防弾装備強化を図るべきだったという人もいるが、敵側からすればマトが大きくなるだけの話だから、多少防弾装備強化をし得たところで、損害は史実より却って著増したことだろう。また、当時の日本のエンジンの整備性や稼働率の悪さを考えれば、2発の方が4発より機としての稼働率は高かったろうし、生産も容易だったろう。4発にして防弾装備強化を図るべきだったというのなら、マトが大きい分、射点を遠距離にとらねばなるまいが、魚雷到達までの間に当然敵艦も動き回るわけだから、射線を多くとらねば(つまり、複数本の魚雷を搭載)結局自滅的な攻撃となるのは同じ事。ならば、エンジン増やしての防弾装備解決は、結局イタチごっこになる。結局、対空砲火が強力な敵艦隊に大型機で魚雷攻撃をかけるというコンセプトそのものにかなりの無理があったということだろうと思う。ガラクタという言い方には少し抵抗を感じるが、乗せられた若者が不憫だというのはかなり同感である。大型機で対空砲火に突っ込むという、そもそもが生還を期し難い任務なのだ。一式陸攻にとっては元々傍系の任務だった陸上爆撃なぞ、むしろ陸軍機でも導入した方が生産性ひとつ考えてもトータルでの効率は上がったことだろう。(これは短視眼的な海軍側が承知しなかった)4発での防弾装備強化を云々するのなら、雷撃よりもむしろ(ドイツ空軍がイタの戦艦相手にやった様な)誘導弾の開発でも考えるべきだったのではないか。艦隊決戦にこだわった結果のこの機体なら、そもそも艦隊決戦よりもハワイやサンジェゴへの徹底的な封鎖と妨害でも先に考えるべきだったのではないか。どうせのアト知恵ならそう思う。
B29とは戦えないの?
1式陸攻では爆弾搭載したB29にも速度で負けてます。1式陸攻に陸戦隊を乗り込ませて、サイパンやテニアンのB29が駐機する飛行場に特攻する作戦はあったが実現できず。
そもそもB29と戦うようなタイプの軍用機ではないですよ、、、😂
爆弾搭載量、速度、航続距離、高高度性能、武装(遠隔操作可能機関砲)、被弾時のダメージ、レーダー、照準器、気密式の機内。一式陸攻がB-29より優れている点は、魚雷攻撃ができるくらいしか思い浮かばないですね。
所詮は、各軍縮条約からくる海上戦力の不足を補う為だけの、“長距離対艦攻撃機”、全く開発コンセプトが異なる機体でしから、比較する事すら無意味と言えます~😙
@@てるくんてるくん-h2g さん実際Bー29を戦闘機狩りに使うと言う、超ナメくさった作戦(2トン程度爆弾積んでいてついでに空襲までして帰った)を成功させて日本軍機を本土上空でバタバタ堕として国民に精神的ダメージ与えてますからね。一式陸攻に荒馬(Pー51)や雷電(Pー47)狩りは無理ですが、Bー29が鍾馗や飛燕、疾風狩りに出撃すると言う正気の沙汰とは思えない作戦は成功してますからね。Pー51が鉄道施設銃撃しまくったのは日本の戦闘機がポンコツ過ぎて護衛に出かけても全く出番がなく、鉄道施設でも銃撃しないと射撃練習にもならない上にストレス溜まるだけだから
ワンショットライターって言ってる人は情報が古い人
設計者の本庄季郎氏は、生前によく「ワンショットなんとかなんて、あんなのは日本人が言い出した言い方なんだぜ」と悔しそうに語っていたと、後輩の佐貫亦男氏が随筆に書いていた。
インテグラルに問題がある。海軍要求が航続距離だから。本庄氏の設計がではない。防弾付けたら、航続距離がで。特攻に成って、分割タンクに防弾。海軍に、防弾てサイパン以降。戦闘機を設計した人は、要求無かったから。軽量化の為に議論しなかった。とな。
後半に発火しなくなったのはインテグラルタンクにしたからだよ初期は被弾すると燃料が機内に漏れてきて気化、息もできない状態となるそんな状態で一発食らったら引火、爆発、ワンショットライター
インテグラルが問題で、出火。
しんぷう→かみかぜ、カミカゼ
まじか!?
いや、そもそもは、“しんぷう”が正しいですよ😂報道関係が“かみかぜ”としてしまい、それが定着しただけ😂
どちらも用いられたので誤りではないです。やまとことばとしては「かみかぜ」「かむかぜ」、中国語読み下し風では「しんぷう」ですね。日本の公文書は、明治初期まで中国語(漢文)ベースでしたから、オフィシャルでは中国語風に「しんぷう」が多いです。
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一部の米英パイロットからは「後期の機体はそんなに火を吐かなかった」と言われていたとはいえ、犠牲の多さには酷すぎる。
運用がね...
運用もね ーー佐賀人
戦闘機の護衛がほとんどないからさ。
戦闘機の護衛がなければBー17だって、アッサリと撃墜されている。
後期の一式陸攻はBー17よりやや劣る程度の防御力があった。
この尾部の機銃手位置…ほぼ最初に狙われたよね?…勿論他国の爆撃機も同じ様な感じだったろうね…。
実際『こいつはタフだった・・・』って声も少なくないんだよね。
日本陸軍機は大東亜戦争初期からかなり防弾に考慮した設計だったのに。日本海軍の防弾軽視は戦争後半まで続いた。
オーストラリア空襲で出撃した100式爆撃機呑龍は迎撃にきたスピットファイアにかなり撃たれたが防弾装備と強化した防御機銃のかいあって8割近くが帰還できた例もある。
お説の通り。
比較する相手が悪いですが、本土空襲に来たB-29の生還率が98%くらいなんですよね。
陸軍はノモンハンでの戦闘で防弾の必要性を感じたのが大きいそうです
海軍要求が航続距離。だから。軽くて。
@@てるくんてるくん-h2g さん
しかも失われたB-29の半数ほどは、日本側の迎撃による損失ではなくエンジンの不調によるものだったそうですね。
航空艦隊構想に基づいて開発した航空機。後期型は自動消火装置と防漏対策を施しました。高高度爆撃における損害率はB17よりわずかながら優秀でした。銃座配置はB17と同じで死角が少なく、防御火網としてはかなり強力で、本機を迎撃したスピットファイアのパイロットから「ベティは撃たれ強く、火力は強力で手強い相手だった」と高く評価されています。
20ミリ機銃は敵戦闘機のパイロットにとって脅威だったようで、生きて終戦を迎えた射手が「敵機が迫って来たら20ミリでポンと脅かしてやると逃げて行った」と証言していますね。
@@当たり前田-z2b さんへ、アメリカは後部銃座の20mm機銃を強く警戒して、「迂闊に近寄るな」と通達していたそうです。
陸攻とB17なら、搭乗員は、B17を選ぶ。防弾性能が別物。B17は2発でも飛べるが、陸攻は1発では飛べない。
B17の生存性は、ドイツの爆撃で証明されてる。
特攻兵器桜花を発案した大田正一氏の経歴、無責任な言動。終戦時の逃亡、戦後、偽名を使って潜伏して3人の子供をなして天寿を全う。桜花に携わって戦死された人たちと遺族の方々の無念を思うとやりきれない気持ちになります
陸軍はノモンハン事件での戦訓等で防弾重視、海を主戦場とする海軍は任務等の理由で航続距離重視でしたからね。
陸攻を設計&製作した三菱は防弾を最初から提案してましたが却下され、開戦1年後の昭和17年11月に「航続距離を減らしてでもいいから防弾をやってくれ」と要望が出されたそうです。
米軍のガンカメラの映像ではすぐに落ちる機体はあまりない上に、沖縄戦では米戦闘機の主力のM2重機関銃では撃墜は難しいと評価されてるみたいですね。
海軍が三菱提案を却下したのは
既に翌年四発の大型攻撃機開発を決定していて
三菱が要求する充実した防弾装備はその4発機で実現させる事にしてました。
13試で開発された二式大型飛行艇がとんでもないレベルの防弾装備を持っていたのはそれが理由だし、深山が不採用になった最大の理由は性能だけでなく
二式大型飛行艇でさえ当初は装備していなかった動力銃座に象徴される防御火網の充実より防弾装甲を重視したため。
一式陸攻は内地から各島嶼への小銃などの武器、食糧、家族や将兵宛の手紙を郵送する任務でも使用されています。
伊藤淳史さん主演で、硫黄島とを結ぶ輸送便のドラマがありましたね。
父は子供の時に1式が飛んでるのをよく見かけ仲間うちでは通称「まんねんしつ」と言ってたそうです。葉巻は今もですが見たこともない人が殆どでイメージとして一般的ではないでしょう。
三木忠直さんは戦後国鉄に入って新幹線の開発に貢献します。
桜花と0系新幹線。
出現した日中戦争時は高速高高度の新鋭機でしたが太平洋戦争になると早くも米機の攻撃に脅かされる様になってしまいました。
戦争が始まるに連れ兵器の急速な進歩によるものですが残念ながら日本海軍は新鋭機開発に遅れを取ってしまいました。
一式陸攻のエンジンは双発、また航続距離も長くとの要求があったため、三菱側は双発を4発に変更するよう海軍に要求したが容れられず、結果として防弾を犠牲にした。改良型は発火性に一定の対策が施されたが、とはいえこれに桜花を搭載し出撃させたのは無謀すぎた。
四発機は別で中島に要求を出していたから、双発という条件は絶対だったんですよね。にしても無茶な要求だ...
@@otaku_yarouさん
実は川西にも飛行艇として要求出していた。
二式大型飛行艇の強力な防弾装備はその明石
ワンショットライター、ですか……水木しげる氏は「マンガ昭和史」で日本軍機を日本軍兵士は「マッチ」と呼んでいたと書いています。
陸軍はまがいなりにも、1式単座から防弾ありました。
B29でも 護衛にP51ムスタングが付いた😃
戦闘機の護衛が付いていても、敵戦闘機や対空砲火の迎撃で撃ち落される可能性の高い一式陸上攻撃機の運用を海軍航空隊上層部は、真面目かつ正気で、考えていたのでしょうか?。
私の父は学徒動員で水島(岡山県)の工場で製造に従事していました 万年筆に羽根をつけたような機体だったと聞いていた
一式陸攻が搭載した桜花は米軍からBAKAって言われていた理由が特攻専用機、人間爆弾って以外にも桜花が重すぎて飛行するのにやっとで米軍機からの攻撃にまともな回避運動が出来ずに桜花ごと撃墜されるのが大半だったのに毎回出撃して来るからだったらしいね
桜花をぶら下げると、時速300キロくらいまで低下し、護衛戦闘機も大してつかなかったからね。
米軍は、桜花を搭載可能なのは双発機と正しく分析し、地上の一式陸攻や銀河を重点的に叩いたので、そもそも出撃すら不可能に近くなりました。
一式陸攻って普通に形状かっこいいよねー
惜しい機体。東南アジアからの資源輸送船団の護衛に投入してたら、もっと活躍してた。
その護衛戦闘機が必要。
@@user-xn8xl4xx4e 南シナ海に敵戦闘機は飛んでこないだろ。
大戦末期には、同じ長距離攻撃でも搭乗員たちの間では生還率の高い「銀河」より人気があったようです。何故なら「一式陸攻」にはトイレがあり、移動中には搭乗員が身体を動かせるスペースが「銀河」よりも広かったからだそうです。ただ設計思想ではマリアナ諸島に侵攻してきた米艦隊を本土から魚雷攻撃するために造られた陸上攻撃機であったので、地上支援などの爆撃任務等にはかなり無理があった事は容易に想像できます。
結局、大型機を魚雷攻撃用というコンセプト自体に無理があったんだと思う。
双発でなく4発にすりゃ良かった云々と言いたがるヤカラは多いが、そもそもはおっしゃる様に、
「魚雷を抱えて敵艦隊に突っ込ませれば駆逐艦より効率的」
というところから着想された機体なのだ。
敵艦隊の洋上攻撃が主任務なら航続距離は絶対な一方、敵艦隊からの対空砲火を冒すとなれば4発にして得られる防弾強化なんて大して意味はなかったろう。
(戦闘機より強力な艦艇の対空砲火網にマトを大きくして突っ込むことになる)
加えて、エンジンの精度にも性能にも生産数にも疑問があるのなら、2発での開発となったのはそもそもの出発点からしてもやむを得ない思考経路だったろうと思う。
(いい悪いは別の話である)
4発にしていたら、エンジン生産数と稼働率の制約から実機稼働は半分以下となったろう。
それでいて、マトが大きくなった分、マレー沖海戦以降の泊地攻撃などでは史実以上の損害を出したろう。
アト知恵評論家どもが
「だから2発で開発量産しときゃよかったんだ」
と今頃言っている世界線があったのかもしれないが、そもそもの
「大型機での雷撃」
との構想に無理があったのではないのかと思う。
陸攻は、漸減でロンドン会議の駆逐艦の削減で、穴埋めに出て来た。
小笠原からフィリピンに作戦計画変わっても、来る前に削るため。
雷撃は水面ギリギリに飛ばなければならず。大型なら戦闘機、高角砲で。
同時期の同様のスペックのB25の方が防御火力・耐久力が高い気がすると思ったら、偵察後続距離は考慮せず、エンジン馬力が高いから12.7mm機銃12丁の武装と防弾装備があるんですね。
一式陸攻の前期型は、防弾を犠牲に偵察後続距離を最優先にし、尾部の20mm機銃以外の左右・背面・前方が7.7mm機銃でしたが、後期型は偵察航続距離を無くして防弾を施し、二式大艇と同じ1850馬力の火星エンジンにして20mm機銃を左右・尾部・背面の4丁と前方を13mm機銃にしていたんですね。これだと陸軍の四式重爆に比べても、速度は劣るものの、防御火力は上になりますね。
この一式陸上攻撃機は、岡山県倉敷市水島今の三菱自動車が生産していたそうです、ですからよくグラマンF6F戦闘機とかグラマンF4F戦闘機が飛来していたそうです、
爆撃機自体が戦闘機よりも高価だし材料も使うので、当時の貧乏国家の日本では一式陸攻以降の後継機を作れなかった。
後継爆撃機の連山は試作で終わったし、富嶽は予算と資源の見通しで計画中止になってる。
まあ、そういう爆撃機作れる資金や資源があるなら、もう少し冷静になれて英米とは戦争してないだろうけど。
4発機の2式大艇は贅沢過ぎて200機も造れなかった。だから深山はおろか連山すら試作のみ。富嶽なんて夢物語。
日本陸軍、97式重爆→100式重爆→4式重爆と後継機開発していったが日本海軍は1式陸攻を大戦後期まで生産して、ようやく生産開始された銀河はエンジン不調が多かったので結局終戦まで1式陸攻が主力のままだった。
@@ライヘナウヘルマン流石に現場では四式重爆を借りて「靖国」として運用したりもした。
山本五十六長官も最期はこの機に乗っていた
やはりエンジンの遅れか、、
7人搭乗で1トンだけの爆弾搭載量。魚雷も一本しか積めない。航続力を優先するなら防御力は妥協しなくてはならない…ないものばかりの国が生み出した、悲劇的な機体。
連合国軍爆撃機パイロットの常識からすれば、とんでも無い一式陸上攻撃機・・・そんな、一式陸上攻撃機で終戦まで任務をこなしかつ撃墜される事無く、生き残った一式陸上攻撃機エースの高橋淳氏は、ある意味で凄いですね。
日本の爆撃機・攻撃機は欧米の同クラスの機体に比べ、少量の爆弾を投下するために大勢の人命を失ってしまうリスクが高いので、海外の専門筋からの評価は低いですね。
ちなみにP-47は戦闘機なのに1トン以上の爆弾が搭載可能で、投下してしまえば強力な戦闘機として機能し、万が一撃墜されても人的被害は1名で済みます。
@@当たり前田-z2b 戦線に間に合わなかったとはいえ単発機で3.6トン積めるスカイレイダーとか5トン近く詰めるモーラーとかヤバイのも居たしね
@@当たり前田-z2bサンダーボルトの驚異的積載量は、排気タービンのたまものでしょうかね?
@@てるくんてるくん-h2gリアルに2000馬力以上出せるエンジンの賜物
カタログ値3割も水増ししてさらに百の位切り上げでやっと2000馬力を出した誉とはそこが違う。
ちなみにハー44はリアルに2000馬力出していたし、サンダーボルト用と同じエンジンサイズのハー42は後期型にてリアル2000馬力を達成してます。
ガ島空襲では脆弱な一式陸攻に米軍戦闘機の一撃離脱が非常に効果的で一式陸攻は出撃する度に甚大な被害を受けて対策会議が開かれた
爆撃の成功率は高いんだけどな…
桜花は論外だし運用ミスのせいかな
7000mで侵入出来れば。迎撃機が到達前に爆撃を終えるから。電探の性能が上がって、迎撃機が2000馬力が出てくると。
米軍のオヘア中佐が、5分で7機撃墜したというのは・・
ラバウル沖航空戦の後で偵察機のみの運用に切り替えておけば、レーダー技術で劣勢でも基地航空隊の援護下で空母機動部隊を有効に使って徹底防御できたのにな
人間爆弾だったこともあり戦後接収された戦艦長門や榛名に兵器試験をされずに済んだんだよね…
一式陸港攻の葉巻型胴体には、それなりに空力的利得があったが、「航空魚雷」の搭載を意識し過ぎて、爆弾搭載量が1トン程度に制限されるという間抜けな設計に成り果てた。
爆弾倉の設計思想はランカスターと似ているが、グランドスラムまでぶら下げられるという、圧倒的な爆撃能力に対して、終始無神経なのが貧乏臭い。
海軍の「攻撃機」は、基本的に雷撃機として企図されています。四発の大攻には航空魚雷二本、双発の中攻には航空魚雷一本を搭載する構想でした。
単発のスツーカですら1t以上積めるのに、もったいない話。
山本長官が搭乗してた機体も陸攻なんだよな😢
大学生になったら戦史研究会サークル入ろ
緑十字は四式重爆じゃなかった?
一式陸攻の緑十字機も実在しますよ。
@@whitepandajp そうだったんですね。
日本国も地下資源があれば、もっと良い飛行機を作れたのだがな〜。本当に残念。
この機体を海軍が持っていたというのがまず驚きです。航空自衛隊は海軍航空隊と陸軍航空隊が一緒になって編成されましたが普通空関連の軍事組織は陸軍から生まれるので航空自衛隊が如何にかなり独特な生まれかそのことだけでもわかります。
空軍作ったのは、英国海軍。一次艦載機まで、空軍だった。
海自も同じ間違いないが。艦載機は海軍でないと。
プリンスオブウェールズは大和級に勝てない。この英戦艦は大和を打ち抜けない。
ジリ貧てこうゆうことなんだなあ
飛龍でもB39とは
戦えないよね
もう少し搭載量と、防弾を考えるべき機体でしたね。
両方とも深山や二式大艇に盛り込んでます
「もう少し搭載量、防弾を考慮」
↑
こういうのを「ないものねだり」とか「アト知恵」と言うのだろう。
もう少しって、どうやって?
もう少しって、どの程度?
それ、当時使えたエンジンで可能なのか?
そもそもが海軍の漸減作戦の一環で
「艦隊決戦に先立って、多数の長距離機を内南洋に展開させて敵艦隊に魚雷攻撃させれば、水雷戦隊整備より効率的かつ効果的」
とのコンセプトから開発された機体なのだ。
洋上で前衛として敵艦隊を迎撃する用途なら、まず考慮されるべきは「航続距離と航法の安定性」、
そして「魚雷一本過不足なく積める程度の搭載量」だろう。
敵艦隊の対空砲火の中を突っ込ませるのなら「もう少し」の防弾なんて搭載量とのトレードオフで優先順位が下になるのは分かりきった話。
(いい悪いは別の話)
一直線で突っ込んでくる雷撃機は静止マトと同じと言うから、雷撃を前提とする以上、4発機にして防弾強化をしたらマトが大きくなるだけのことで、損害は史実以上に著増したろう。
そしてまた、エンジンを2倍使うのだから、生産数と稼働率(双発機ならエンジンふたつ動けばいいが、4発機なら3つ以上動かなければ不可)は半減以下となったろう。
更に言えば。
いずれにしても、艦隊決戦の前衛たる水雷戦隊のそのまた前衛として「魚雷攻撃に突っ込ませる」為の機体として開発されたのだ。
「艦隊決戦の花形は砲撃戦なのだ、駆逐艦なんぞタマを撃ち尽くすまで突っ込ませるべきだ」
と大真面目におっしゃるアナタ@伊藤宏憲が、
「ワタシの考えとおんなじだぁ」
とでも言うのならともかく、
「もう少し搭載量と防弾を」
なんぞといい出すのは、自己矛盾だろうよ。
@@草莽-b6d ま、所詮、ないものねだりなんでしょうけどね。
@@伊藤宏憲-f6t
そう、ないものねだり。
アナタの場合「ないものねだり」の上に
「アト知恵」
「自己矛盾」
が加わる。
魚雷一本積んで敵艦に突っ込む為に造られた攻撃機に爆弾を積ませて陸上爆撃に使うなら、敵戦闘機への防弾装備不足と搭載量不足とが露呈するのは元々分かりきった話なのだ。
ならば陸上機に関しては陸軍との共同開発なり陸軍機の転用なりでもした方が、国全体の生産資源の活用面からもよほど効率的なのはこれまた分かりきった話。
(これは局地戦闘機≒陸上発着前提 に於いても同じ)
陸上機共同開発の申し出はこれは海軍側から拒絶されている(堀栄三の手記にある)のだか、アナタによれば
「陸海軍機の共用なんて無益で無用」
なんだろ?
(井上成美の航空本部長時代の実績とやらでそんな事を書いていたっけな)
無理なら元々艦艇攻撃向けに開発されて防弾装備もそれなりの攻撃機を陸爆として用いて敵戦闘機からの被弾被害を出すのも「仕方ない」ということになるよな。
「もう少し搭載量と、防弾を考えるべき」
なんて言い草は、ことアナタに関する限りそれこそ「ないものねだり」「自己矛盾」だろう。
ネットによって虚だけが広まった悲運の機体
最初に刷り込まれた印象を更新できない人は多そう
こんな ガラクタに乗せられた若者が 不憫だね、、、
使い方が間違っていたから。ガラクタではないが。
こんな発火物、、、、どうやって使う?? @@user-xn8xl4xx4e
@@themuraoka
「どうやって使う?」
もナニも、元々艦隊決戦の前衛として魚雷攻撃で敵艦隊を撹乱する為に構想設計開発されたのだ。
軍縮条約や生産力の制約から水雷戦隊(←主力の前衛)の強化に制約があったから、航空部隊による魚雷攻撃で駆逐艦(魚雷攻撃による敵艦隊撹乱が期待された)の相対的不足を解決しようとしたものだ。
主な用途は、あくまで魚雷攻撃だった。
主力の前衛の水雷戦隊のそのまた前衛に出るのだから、航続距離と航法の安定性は絶対だったろう。
一方で、航空機からの雷撃ではまっすぐ突っ込んでくる一点に対空砲火が集中する(爆弾では沈まないが魚雷が中たれば沈む)から、攻撃機への防弾装備の強化の優先順位は低くなる。
(いい悪いは別の話である)
また、4発にして防弾装備強化を図るべきだったという人もいるが、敵側からすればマトが大きくなるだけの話だから、多少防弾装備強化をし得たところで、損害は史実より却って著増したことだろう。
また、当時の日本のエンジンの整備性や稼働率の悪さを考えれば、2発の方が4発より機としての稼働率は高かったろうし、生産も容易だったろう。
4発にして防弾装備強化を図るべきだったというのなら、マトが大きい分、射点を遠距離にとらねばなるまいが、魚雷到達までの間に当然敵艦も動き回るわけだから、射線を多くとらねば(つまり、複数本の魚雷を搭載)結局自滅的な攻撃となるのは同じ事。
ならば、エンジン増やしての防弾装備解決は、結局イタチごっこになる。
結局、対空砲火が強力な敵艦隊に大型機で魚雷攻撃をかけるというコンセプトそのものにかなりの無理があったということだろうと思う。
ガラクタという言い方には少し抵抗を感じるが、乗せられた若者が不憫だというのはかなり同感である。
大型機で対空砲火に突っ込むという、そもそもが生還を期し難い任務なのだ。
一式陸攻にとっては元々傍系の任務だった陸上爆撃なぞ、むしろ陸軍機でも導入した方が生産性ひとつ考えてもトータルでの効率は上がったことだろう。
(これは短視眼的な海軍側が承知しなかった)
4発での防弾装備強化を云々するのなら、雷撃よりもむしろ(ドイツ空軍がイタの戦艦相手にやった様な)誘導弾の開発でも考えるべきだったのではないか。
艦隊決戦にこだわった結果のこの機体なら、そもそも艦隊決戦よりもハワイやサンジェゴへの徹底的な封鎖と妨害でも先に考えるべきだったのではないか。
どうせのアト知恵ならそう思う。
B29とは戦えないの?
1式陸攻では爆弾搭載したB29にも速度で負けてます。
1式陸攻に陸戦隊を乗り込ませて、サイパンやテニアンのB29が駐機する飛行場に特攻する作戦はあったが実現できず。
そもそもB29と戦うようなタイプの軍用機ではないですよ、、、😂
爆弾搭載量、速度、航続距離、高高度性能、武装(遠隔操作可能機関砲)、被弾時のダメージ、レーダー、照準器、気密式の機内。一式陸攻がB-29より優れている点は、魚雷攻撃ができるくらいしか思い浮かばないですね。
所詮は、各軍縮条約からくる海上戦力の不足を補う為だけの、
“長距離対艦攻撃機”、
全く開発コンセプトが異なる機体でしから、比較する事すら無意味と言えます~😙
@@てるくんてるくん-h2g さん
実際Bー29を戦闘機狩りに使うと言う、超ナメくさった作戦(2トン程度爆弾積んでいてついでに空襲までして帰った)を成功させて日本軍機を本土上空でバタバタ堕として国民に精神的ダメージ与えてますからね。
一式陸攻に荒馬(Pー51)や雷電(Pー47)狩りは無理ですが、
Bー29が鍾馗や飛燕、疾風狩りに出撃すると言う正気の沙汰とは思えない作戦は成功してますからね。
Pー51が鉄道施設銃撃しまくったのは日本の戦闘機がポンコツ過ぎて護衛に出かけても全く出番がなく、鉄道施設でも銃撃しないと射撃練習にもならない上にストレス溜まるだけだから
ワンショットライターって言ってる人は情報が古い人
設計者の本庄季郎氏は、生前によく
「ワンショットなんとかなんて、あんなのは日本人が言い出した言い方なんだぜ」
と悔しそうに語っていたと、後輩の佐貫亦男氏が随筆に書いていた。
インテグラルに問題がある。海軍要求が航続距離だから。
本庄氏の設計がではない。防弾付けたら、航続距離がで。
特攻に成って、分割タンクに防弾。
海軍に、防弾てサイパン以降。
戦闘機を設計した人は、要求無かったから。軽量化の為に議論しなかった。とな。
後半に発火しなくなったのはインテグラルタンクにしたからだよ
初期は被弾すると燃料が機内に漏れてきて気化、息もできない状態となる
そんな状態で一発食らったら引火、爆発、ワンショットライター
インテグラルが問題で、出火。
しんぷう→かみかぜ、カミカゼ
まじか!?
いや、そもそもは、
“しんぷう”が正しいですよ😂
報道関係が“かみかぜ”としてしまい、それが定着しただけ😂
どちらも用いられたので誤りではないです。やまとことばとしては「かみかぜ」「かむかぜ」、中国語読み下し風では「しんぷう」ですね。日本の公文書は、明治初期まで中国語(漢文)ベースでしたから、オフィシャルでは中国語風に「しんぷう」が多いです。