Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
待ってました!個人的大好き姜維伯約!動画作成ありがとうございます!
ありがとうございます!今後も有名人物がどんどん登場予定ですので、よろしくお願いいたします!
姜維は、良くも悪くも骨の髄まで一身全てこれ武人魂なり。惜しむらくは、良き理解者に恵まれなかった。
言うて姜維も非戦派や内政に対して理解しているとは言えなかったよね自分が理解する気が無いのに「理解者に恵まれない」と言うのは少々勝手に思える
動画UP待ってました。このチャンネルはとても気に入っています。大変と思いますが頑張ってください
ありがとうございます。大変励みになります。今後ともよろしくお願いいたします♪
姜維は諸葛亮というより、兵の気持ちを掴んだり、度胸があったりと劉備に近い人だったように思う。孔明も彼に先代の影をみたのかも。
初期の頃よりアテレコが上手くなってて見てて引き込まれます!これからも応援しています!
ありがとうございます!今後ともよろしくお願いします🙇♂️
横山三国志のみの者です。三国志演義すら未読ですみません。黄昏ゆく蜀への忠義の武将という背景のみで、姜維が、一番好きな武将です。面白く観させて頂きました!!
今回も良かったです😊呉の魯粛、陸遜、孫堅を希望します。
ありがとうございます。リクエスト承りました!!
いい動画でした。
ありがとうございます!
関羽の勇武に龐統の知力を兼ね揃え孔明唯一の愛弟子と言われた姜維。三国志後期ではナンバー1
誰もそんなこと言ってないって。まあ実績の怪しい趙雲よりは確かな実績を持った武人だったと思うが。
この言葉は、とある小説に書いてあった言葉をお借りしたまでなので。姜維好きになって数十年格好いいなと思い載せました。
老化した趙雲と引き分けて中途半端な知力を持った為に蜀を滅亡に導いた愚将ってイメージなのよね、まぁ攻めないとジリ貧になって結局は滅ぼされるだろうから攻めるのは正解なんだけど人材不足の蜀ではねー
孔明と姜維の差は政治力にあると思う。孔明は北伐で国力を衰退させないよう政治にも全力を傾け、むしろ軍師としてよりも政治家としての才能の方が凄い。
姜維が始めた軍事行動は焦り、未熟だが、決して無謀や盲動ではない。曹魏は司馬氏の執政以来、関中を開墾し、軍事力を大規模に蓄積してきたため、鄧艾が安西将軍を務め、都督隴右諸軍事を担当した後、隴右さえ曹魏が軍事力と経済力を蓄積した大後方になり始め、重要な前進基地を蜀漢の国門の前に建設したと言える。蜀漢は衰え続けているが、曹魏の軍事力は増強されている。 このような環境の下で姜維が考えているのは、北伐を絶えず開始し、できるだけ自発的に防御する道しかない。さらに大規模な軍事賭博を行い、できるだけ雍州と涼州を奪取しようとする必要がある。北伐を放棄するということは、全国の人口は28万户、軍の甲士が10万2千人しかいない蜀漢が「天下を三分するにはその二がある」の曹魏の前でゆっくりと死を待つことを意味する
有能、真面目、一本気という印象。それがときに大局を見失い、、、ということでしょうか
良くも悪くも、戦いの中でしか居場所を見いだせなかった感がある。
「戦は現場でやってるんじゃなく宮中でやってるんです」
63まで生きたのか・・・凄い野心の持ち主だ・・・😊😊
果たして野心なのか、忠誠心なのか、それとも執念なのか。
この時代、博打打ってでも少しの可能性に賭けたんだな・・・あまりにも勇猛すぎ
今回も面白かったです。姜維は頑張ったのに、信用がなかったんですね!
ありがとうございます!才能あったであろう人物ですが、もう1つ何かが足りなかった感じがしますね!
一軍を率いて戦うのは滅法強かったんだろうが、ただ北伐に呑めりこんで悪戯に国力を衰退させて、周囲の人たちからも孤立して最終的に魏が蜀を滅ぼす決定的な要因になってしまった。最後には部下の裏切りで死んでしまった。大局を俯瞰して、それに関わる人間を観て、調整する能力は孔明費偉に遠く及ばなかった。欠けていたのは将器だろう。孔明を大尊敬していたようだが、自身が魏延になっていたことは何たる皮肉か。
劉備の在命時と比べると、人との出会いの大切さを痛感する。 運なのか、必然なのかやはり劉備は、持っているという事なのかな?
洮西の戦いは姜維の生涯の中で最大の軍事成果であり、地理的条件、経済力、軍事力が全く曹魏に及ばない場合。姜維は限られた兵力で王経統帥の数倍の巨大な魏軍を痛めつけただけで、もう少しで雍州を攻め落とすところだった。もちろん、この後姜維は郭淮、陳泰の軍事行動に直面するか、惨勝するか、無功で帰ってきた。鄧艾が安西将軍になってから、姜維の北伐行動は無謀か盲動でしか形容できないことが多く、基本的に惨敗した。姜維の人生における第二のハイライトの時については、沓中から鄧艾の追撃を抜け出し、戦略的に諸葛緒を誤って導き、さらに剣閣に退却て鐘会の伐蜀の主力を遅らせたはずだ。曹魏の伐蜀戦役では珍しい抵抗能力と抵抗意志を示した漢室忠臣と言える。
もちろん、漢中が失守してから、姜維がどんなに努力しても、蜀漢の滅亡はただ時間の問題。陽平関が攻略されると、曹魏の戦略的優位性は圧倒的と言えるだろう。諸葛緒が姜維の撤退路線を遮断し、姜維の主力を殲滅することに成功すれば、この政権の滅亡時期はさらに早まるだろう。姜維ができることは、できるだけ鐘会の足を延ばし、できるだけ蜀漢の滅亡時間を少し遅らせることだけだ。
上計掾の後は雍州刺史の従事になったでは?
諸葛孔明が姜維を軍事だけでなく政治とか育てる時間がなかったのと有力な将軍もいません。まわりにも信用されていないのも原因だと自分は思います。勝てないなら攻めない方が良かったのだと思います。その方がまだ蜀は早くは滅ばなかったと思います。
蜀は北伐をしないで、守りを固めてた方が良かったんじゃないのかな
そうは言っても北伐という大義が前提で成り立ってる国だし何もしないのはあり得なかったんじゃないかなぁ
@@はげはげ-x3f 大義に食い潰されては元も子もないんじゃないかなぁ
動画中1番まともな意見は費禕である人材教育が如何に必要かわかる
馬謖がミスった時点で蜀の勝利は無くなったようなもんだから…
勇猛と無謀を履き違えてるわな。守って相手の弱体化を図るしかないのに防衛戦力まで攻めに使った結果国を滅ぼした戦犯。功あれどあまりに大きいやらかし。
劉備の意志を継いだのが諸葛亮なら、諸葛亮の意志を継いだキョウ維の行いを責めようとは思えない自分がいます。
@@はるやに 諸葛亮の意志は「戦争で国を食い潰せ」では無かったよね?と思う自分がいます。諸葛亮直々に政治の後継を託された董允や費禕は姜維の北伐偏重姿勢に対し何を言っていたのかと考えれば…それこそ諸葛亮が生きてたら喝が飛んでいたとしか思えないのだけど。
基本外で戦うのは大事よな~蜀漢を名乗る以上は魏とは戦わないとで、基本攻めの戦いを北伐で実践しただけだと思う
姜維「皆は北伐の重要性が分からないのだ」お前は民の生活の苦労と都合がわかってないという特大ブーメラン
公明に幻想抱き過ぎなのに仲達は悪い奴みたいなの1800年続いてるの凄いなぁ…。阿斗は同じ位駄目って言われてる訳だ
姜維は最期まで魏の脅威だったんですね・・・あ、なんかすみません
姜維は鍾会と手を組みクーデターをしたものの失敗し、胡烈達に討伐されて妻子も殺されたが、彼の末裔の姜きょうと姜恪が唐で活躍してました!
俺が蜀の住人だったらさっさと魏に投降してくれと思うだろうな劉備が来てからめちゃくちゃよ
きょういは、局地線の大将止りです。政治がわからない。張飛の副将とかで、カンチュウを押さえつけて欲しかった。燭の人材不足、こぅめぃ見た、魏の光、そっと遮る、馬謖の焦り、見上げる夜空、我が命。
諸葛亮も焦りすぎたんだろうな兵糧を運搬する要所だけを確保して城や砦を作って守りを固くして数年間しっかり兵を集めて兵糧を蓄えて1度の北伐にかけていたらまた結果は変わっていたかもしれない
姜維を語る時に必ず黄皓が悪者にされるが、多分に脚色されてるフシがあるから注意する必要がある三国志を編纂した陳寿が黄皓と対立関係だった以上、陳寿の個人的感情が筆に乗ってると思われる点が多々あるしね黄皓がそんなに悪政を行ったにしては、董允死後17年も国力に劣る蜀が国を持たせられるものかかなり怪しいし姜維と敵対する時基本的に黄皓が独断で何かしてはいない。劉禅を筆頭に諸葛瞻や董厥など、むしろ支援者が多い別に黄皓が善玉だった訳では無いだろうが、そもそも姜維が中央と対立して半ば暴走していたんじゃないかね?劉禅だって、讒言抜きにしたって劉禅本人や国民の事を一切顧みずに自分だけが先帝の思いを汲んでるような態度を取る姜維を良く思いはしないだろう。
まず本人は良くても、王と政権と周囲と同盟国がクソじゃどうしようもないかと思います。まず守りを固めて内政と国力をやるしかないのにそれも出来ないとか無理ゲー
姜維の北伐は異民族と連携し、季漢の悲願である隴掌握まで後一歩だったんよね…陳泰と鄧艾という魏側でも屈指の名将にぶち当たってしまったが
不運だったとしか言いようがない。
在職機関長いですよね
絶対は絶対にないBy織田信長
度重なる北伐で国力の衰退を招き、蜀滅亡の原因の一つとなってしまったのは事実だな。費禕が長生きしていれば蜀の未来も違うものになっていたかもね。とはいえ、彼は生涯に渡り忠臣であり、良い将軍ではあったとは思う。
姜維は戦士であり、諸葛亮は軍師であった。やはり軍師が必要だったと思うが、劉禅がアホだったから仕方ない。
そもそも北伐って難しいって気づいて東に侵攻すればよかったのに。黄皓は確かに弱体化にとどめを刺したと思うけど、それまでにも姜維は負けすぎ・・。大将軍にもなってたわけだし、十分軍隊を率いて好きなように采配出来てたと思うので、自業自得な気がする。蜀は人材不足もあっただろうから、どんどん出世できたけど、姜維は魏に居ればそこそこな奴で終わってたんじゃないだろうか。鄧艾とかその辺とかと一緒かそれ以下レベルな気がする。最近こちらで三国志の動画ばかり見てるので、三国志がめっちゃやりたくなりました。
鄧艾は武廟六十四将の一人にも数えられる、この時代を代表する英雄。姜維はこの鄧艾に全く刃が立たなかった。
劉禅は処刑されるべきだった。蜀の無念のためにも。
諸葛亮が劉禅に後継者として姜維を指名しておけばまた違ったんでしょうけどね。残念ながらまだそこまでの功績がなかったのでしょう。まあでもそもそも国力的に蜀と呉の協力は不可欠だったのに関羽を討たれ漢中を奪われる事を諸葛亮が予見出来なかった時点で蜀に目はなかったと思いますね。
漢中を奪われた…??
待ってました!個人的大好き姜維伯約!動画作成ありがとうございます!
ありがとうございます!
今後も有名人物がどんどん登場予定ですので、よろしくお願いいたします!
姜維は、良くも悪くも骨の髄まで一身全てこれ武人魂なり。惜しむらくは、良き理解者に恵まれなかった。
言うて姜維も非戦派や内政に対して理解しているとは言えなかったよね
自分が理解する気が無いのに「理解者に恵まれない」と言うのは少々勝手に思える
動画UP待ってました。このチャンネルはとても気に入っています。大変と思いますが頑張ってください
ありがとうございます。
大変励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします♪
姜維は諸葛亮というより、兵の気持ちを掴んだり、度胸があったりと劉備に近い人だったように思う。孔明も彼に先代の影をみたのかも。
初期の頃よりアテレコが上手くなってて見てて引き込まれます!これからも応援しています!
ありがとうございます!
今後ともよろしくお願いします🙇♂️
横山三国志のみの者です。三国志演義すら未読ですみません。黄昏ゆく蜀への忠義の武将という背景のみで、姜維が、一番好きな武将です。面白く観させて頂きました!!
今回も良かったです😊呉の魯粛、陸遜、孫堅を希望します。
ありがとうございます。
リクエスト承りました!!
いい動画でした。
ありがとうございます!
関羽の勇武に龐統の知力を兼ね揃え孔明唯一の愛弟子と言われた姜維。
三国志後期ではナンバー1
誰もそんなこと言ってないって。まあ実績の怪しい趙雲よりは確かな実績を持った武人だったと思うが。
この言葉は、とある小説に書いてあった言葉をお借りしたまでなので。
姜維好きになって数十年
格好いいなと思い載せました。
老化した趙雲と引き分けて中途半端な知力を持った為に蜀を滅亡に導いた愚将ってイメージなのよね、まぁ攻めないとジリ貧になって結局は滅ぼされるだろうから攻めるのは正解なんだけど人材不足の蜀ではねー
孔明と姜維の差は政治力にあると思う。孔明は北伐で国力を衰退させないよう政治にも全力を傾け、むしろ軍師としてよりも政治家としての才能の方が凄い。
姜維が始めた軍事行動は焦り、未熟だが、決して無謀や盲動ではない。曹魏は司馬氏の執政以来、関中を開墾し、軍事力を大規模に蓄積してきたため、鄧艾が安西将軍を務め、都督隴右諸軍事を担当した後、隴右さえ曹魏が軍事力と経済力を蓄積した大後方になり始め、重要な前進基地を蜀漢の国門の前に建設したと言える。蜀漢は衰え続けているが、曹魏の軍事力は増強されている。
このような環境の下で姜維が考えているのは、北伐を絶えず開始し、できるだけ自発的に防御する道しかない。さらに大規模な軍事賭博を行い、できるだけ雍州と涼州を奪取しようとする必要がある。北伐を放棄するということは、全国の人口は28万户、軍の甲士が10万2千人しかいない蜀漢が「天下を三分するにはその二がある」の曹魏の前でゆっくりと死を待つことを意味する
有能、真面目、一本気という印象。それがときに大局を見失い、、、ということでしょうか
良くも悪くも、戦いの中でしか居場所を見いだせなかった感がある。
「戦は現場でやってるんじゃなく宮中でやってるんです」
63まで生きたのか・・・凄い野心の持ち主だ・・・😊😊
果たして野心なのか、忠誠心なのか、それとも執念なのか。
この時代、博打打ってでも少しの可能性に賭けたんだな・・・あまりにも勇猛すぎ
今回も面白かったです。姜維は頑張ったのに、信用がなかったんですね!
ありがとうございます!
才能あったであろう人物ですが、もう1つ何かが足りなかった感じがしますね!
一軍を率いて戦うのは滅法強かったんだろうが、ただ北伐に呑めりこんで悪戯に国力を衰退させて、周囲の人たちからも孤立して最終的に魏が蜀を滅ぼす決定的な要因になってしまった。最後には部下の裏切りで死んでしまった。大局を俯瞰して、それに関わる人間を観て、調整する能力は孔明費偉に遠く及ばなかった。欠けていたのは将器だろう。孔明を大尊敬していたようだが、自身が魏延になっていたことは何たる皮肉か。
劉備の在命時と比べると、人との出会いの大切さを痛感する。
運なのか、必然なのか
やはり劉備は、持っているという事なのかな?
洮西の戦いは姜維の生涯の中で最大の軍事成果であり、地理的条件、経済力、軍事力が全く曹魏に及ばない場合。姜維は限られた兵力で王経統帥の数倍の巨大な魏軍を痛めつけただけで、もう少しで雍州を攻め落とすところだった。もちろん、この後姜維は郭淮、陳泰の軍事行動に直面するか、惨勝するか、無功で帰ってきた。鄧艾が安西将軍になってから、姜維の北伐行動は無謀か盲動でしか形容できないことが多く、基本的に惨敗した。姜維の人生における第二のハイライトの時については、沓中から鄧艾の追撃を抜け出し、戦略的に諸葛緒を誤って導き、さらに剣閣に退却て鐘会の伐蜀の主力を遅らせたはずだ。曹魏の伐蜀戦役では珍しい抵抗能力と抵抗意志を示した漢室忠臣と言える。
もちろん、漢中が失守してから、姜維がどんなに努力しても、蜀漢の滅亡はただ時間の問題。陽平関が攻略されると、曹魏の戦略的優位性は圧倒的と言えるだろう。諸葛緒が姜維の撤退路線を遮断し、姜維の主力を殲滅することに成功すれば、この政権の滅亡時期はさらに早まるだろう。姜維ができることは、できるだけ鐘会の足を延ばし、できるだけ蜀漢の滅亡時間を少し遅らせることだけだ。
上計掾の後は雍州刺史の従事になったでは?
諸葛孔明が姜維を軍事だけでなく政治とか育てる時間がなかったのと有力な将軍もいません。まわりにも信用されていないのも原因だと自分は思います。勝てないなら攻めない方が良かったのだと思います。その方がまだ蜀は早くは滅ばなかったと思います。
蜀は北伐をしないで、守りを固めてた方が良かったんじゃないのかな
そうは言っても北伐という大義が前提で成り立ってる国だし何もしないのはあり得なかったんじゃないかなぁ
@@はげはげ-x3f 大義に食い潰されては元も子もないんじゃないかなぁ
動画中1番まともな意見は費禕である
人材教育が如何に必要かわかる
馬謖がミスった時点で蜀の勝利は無くなったようなもんだから…
勇猛と無謀を履き違えてるわな。
守って相手の弱体化を図るしかないのに防衛戦力まで攻めに使った結果国を滅ぼした戦犯。
功あれどあまりに大きいやらかし。
劉備の意志を継いだのが諸葛亮なら、諸葛亮の意志を継いだキョウ維の行いを責めようとは思えない自分がいます。
@@はるやに 諸葛亮の意志は「戦争で国を食い潰せ」では無かったよね?と思う自分がいます。
諸葛亮直々に政治の後継を託された董允や費禕は姜維の北伐偏重姿勢に対し何を言っていたのかと考えれば…
それこそ諸葛亮が生きてたら喝が飛んでいたとしか思えないのだけど。
基本外で戦うのは大事よな~
蜀漢を名乗る以上は魏とは戦わないとで、基本攻めの戦いを北伐で実践しただけだと思う
姜維「皆は北伐の重要性が分からないのだ」
お前は民の生活の苦労と都合がわかってないという特大ブーメラン
公明に幻想抱き過ぎなのに仲達は悪い奴みたいなの1800年続いてるの凄いなぁ…。
阿斗は同じ位駄目って言われてる訳だ
姜維は最期まで魏の脅威だったんですね・・・
あ、なんかすみません
姜維は鍾会と手を組みクーデターをしたものの失敗し、胡烈達に討伐されて妻子も殺されたが、彼の末裔の姜きょうと姜恪が唐で活躍してました!
俺が蜀の住人だったらさっさと魏に投降してくれと思うだろうな
劉備が来てからめちゃくちゃよ
きょういは、局地線の大将止りです。
政治がわからない。
張飛の副将とかで、カンチュウを押さえつけて欲しかった。
燭の人材不足、こぅめぃ見た、魏の光、
そっと遮る、馬謖の焦り、
見上げる夜空、我が命。
諸葛亮も焦りすぎたんだろうな
兵糧を運搬する要所だけを確保して城や砦を作って守りを固くして
数年間しっかり兵を集めて兵糧を蓄えて1度の北伐にかけていたらまた結果は変わっていたかもしれない
姜維を語る時に必ず黄皓が悪者にされるが、多分に脚色されてるフシがあるから注意する必要がある
三国志を編纂した陳寿が黄皓と対立関係だった以上、陳寿の個人的感情が筆に乗ってると思われる点が多々あるしね
黄皓がそんなに悪政を行ったにしては、董允死後17年も国力に劣る蜀が国を持たせられるものかかなり怪しいし
姜維と敵対する時基本的に黄皓が独断で何かしてはいない。劉禅を筆頭に諸葛瞻や董厥など、むしろ支援者が多い
別に黄皓が善玉だった訳では無いだろうが、そもそも姜維が中央と対立して半ば暴走していたんじゃないかね?
劉禅だって、讒言抜きにしたって劉禅本人や国民の事を一切顧みずに
自分だけが先帝の思いを汲んでるような態度を取る姜維を良く思いはしないだろう。
まず本人は良くても、
王と政権と周囲と同盟国がクソじゃどうしようもないかと思います。
まず守りを固めて内政と国力をやるしかないのにそれも出来ないとか無理ゲー
姜維の北伐は異民族と連携し、季漢の悲願である隴掌握まで後一歩だったんよね…
陳泰と鄧艾という魏側でも屈指の名将にぶち当たってしまったが
不運だったとしか言いようがない。
在職機関長いですよね
絶対は絶対にないBy織田信長
度重なる北伐で国力の衰退を招き、蜀滅亡の原因の一つとなってしまったのは事実だな。
費禕が長生きしていれば蜀の未来も違うものになっていたかもね。
とはいえ、彼は生涯に渡り忠臣であり、良い将軍ではあったとは思う。
姜維は戦士であり、諸葛亮は軍師であった。やはり軍師が必要だったと思うが、劉禅がアホだったから仕方ない。
そもそも北伐って難しいって気づいて東に侵攻すればよかったのに。
黄皓は確かに弱体化にとどめを刺したと思うけど、
それまでにも姜維は負けすぎ・・。大将軍にもなってたわけだし、十分軍隊を率いて好きなように采配出来てたと思うので、自業自得な気がする。
蜀は人材不足もあっただろうから、どんどん出世できたけど、姜維は魏に居ればそこそこな奴で終わってたんじゃないだろうか。
鄧艾とかその辺とかと一緒かそれ以下レベルな気がする。
最近こちらで三国志の動画ばかり見てるので、
三国志がめっちゃやりたくなりました。
鄧艾は武廟六十四将の一人にも数えられる、この時代を代表する英雄。姜維はこの鄧艾に全く刃が立たなかった。
劉禅は処刑されるべきだった。蜀の無念のためにも。
諸葛亮が劉禅に後継者として姜維を指名しておけばまた違ったんでしょうけどね。残念ながらまだそこまでの功績がなかったのでしょう。まあでもそもそも国力的に蜀と呉の協力は不可欠だったのに関羽を討たれ漢中を奪われる事を諸葛亮が予見出来なかった時点で蜀に目はなかったと思いますね。
漢中を奪われた…??