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ブルトレ客車で多用された折戸ですけど、北海道で使用する時には冬季は粉雪のせいでドアが開閉できないとが予想されたことから、引戸に改造されましたね。(ドアレールにヒーターを取り付けて凍結しないようにしていました。)
@@N--T 「折戸 雪」で検索かけると○のちゃんねるさんの面白い動画が出てくるのでぜひご覧ください。
24系「北斗星」もそうでしたね。
旧型客車の開戸、内開きなので混雑すると開けられなくなるんですよ。特に学校が半ドンだった土曜日は、通学に使える列車が一本しかなくて物凄い混雑でした。混雑が見込まれる列車では、扉を閉めてはいけない、閉まっている扉を見つけたら開けておく、という暗黙のルールがありました。余談ですが桜木町で燃えたモハ63は貫通路が内開き開戸だったため隣の車両に避難しようという乗客が殺到し、扉を開けることができなかったそうです。ドアコックが明示されていない乗降用ドア、中段が固定の窓とともに大参事に至った要因のひとつでした。
そこで混雑区間の安全のために作られた客車が50系レッドトレインで片開きの自動ドアが付いていた。
50系に一度乗ったことがあるけど、ドアを開けるたびに床下からギーーッっていう音がして耳ざわりだった
21000系UL含めて、それより前の近鉄特急なんて、全部折り戸やしね。駅着く前の車内放送で、「ドアは内側に開きます。ドアより一歩下がられましてお待ちください。」と必ず言うからなぁ。まぁ、今のUL場合だと、「1号車から6号車と、8号車の扉は内側に開きます。一歩下がられまして、お待ち下さい」となるが。折り戸は良い。何かしらの特別感がある。
名鉄でもパノラマスーパーならいうね。
南海の特急用車輌も「こうや」用の「デラックスズームカー」20001系を皮切りに30000系(「こうや」置換え用)、10000系(「サザン」用)、11000系(「りんかん」用)、31000系(「こうや」増発用)と長らく折戸が採用されていましたね。「ラピート」用50000系のプラグドアを経て「りんかん」「泉北ライナー」用の12000系で片引き戸に移行。
なんか船に乗ってる感じがするあとは南海こうや・りんかんとかキハ185とかもそうやな
3:09 ブルートレインなどで折り戸は使われていましたね。あまりドアに近づき過ぎると折り戸が開いたときに顔がぶつかるので要注意でしたが
後583系なんかも折戸でしたね
元祖ブルトレの20系客車にはドアエンジンがなく、旧客のような手動ドアでした。停車しても自動でドアが開くことはなく、乗客がドアの把手を持って開ける必要がありました。また、ドアを開けたままでも発車できました。旧客の手動ドアとの違いは、ドアのロック機構があったこと。車掌のスイッチ操作で、閉まっているドアを車内側から押さえるラッチが天井側から突き出し、ドアを開けられなくしていました。ドアを開けたままの発車後にドアを閉めると、次の停車で車掌がロックを解除するまで開けられないようにもなっていました。このスタイルは20系のみで、旧客の手動ドアと14系のような自動ドアの過渡期らしい装備でした。
@@hiroakiishii3986 魔改造した419系は自動で開かないので、どうやって乗るんだろう?と迷ったことがあります。後ろの人が紐を引っ張るんだと教えてくれました。
@@hiroakiishii3986 寝台やら機器を詰め込んだせいで戸袋を設けるスペースを捻出できなかったので折り戸になったとか。特急列車だから扉幅が狭くても問題にならなくて合理的とも言えた。後で近郊型に改造されたら、その折り戸の狭さが仇になるという皮肉。
@@Zeit-OSA 当時の寝台車は各車両ごとに「給仕」が乗っていたので発車時はドアの確認をしていたのだと思います。
戸袋に窓が付いてる車両が好きです
実は西武6000系は東急東横線を走った唯一戸袋窓がある両開きドア車だったりします。
東武鉄道で思い出したけど、かつてあったのも含めるとゼロ~5ドアが全部揃っていた時もあったな5ドアのうち2つを埋めて残りの3ドアで今も営業している20400系(何番台かは忘れた)
東急から来るものを含めれば、6ドアもありました。
20430(各先頭車が元5ドア)番台と20440(パンタグラフのない中間車である3号車が元5ドア)番台ですね
動画に「両開きドアは旅客の乗降時間の短縮」とありますが、乗降時間の短縮ではなく、「開閉時間の短縮」が目的ですね。京浜急行電鉄の車両は、ある役員のこだわりで、部品点数の削減やメンテナンスの簡素化を目的に両開きドアの車両を入れなかったんですが、この辺は停車時間や開閉時間、乗客の乗降時間を全て検証して出したとのこと。今はその役員もいなくなり、両開き当たり前になりましたが。
その役員、ドコゾの大手私鉄の車体色が時代錯誤なウンコ色にこだわっているのと同様に、前照灯が一灯とか、先頭車は電動車に限る、等の意味不明な事柄に固執してたようなw。
新快速の場合だと225系のAシートのドア幅は従来の両開きと同じなので開閉にかかる時間は両開きの2倍かかりますね。
@@tanoseason5013 さま 昔の京浜急行をほうふつとさせますね。500系ロマンスシート車もあんな感じでした。新快速の場合は乗降人数が少ないでしょうから、大きな問題にはならないでしょうけど、通勤時間帯の一般車じゃ結構響くでしょうね。
@@けん-o4y さま 先頭電動車だけは意味不明ではありませんよ。何年前か忘れましたが、京浜急行で追浜付近の大雨で土砂崩れしたところに乗り上げてしまいましたが横倒しにはならず、乗客•乗務員とも軽傷で済んでいます。先頭が制御車だったら、大事故になったかも知れません。ちなみに、乗り入れている都営地下鉄や京成電鉄の車輌にも、先頭電動車を強要?しています。
先頭に重い電動車を配置するのは意味がある
冒頭の片開き両開きのくだりで373系取り上げてくれたのが沿線民としてはかなり嬉しい
たしかに
昔の18きっぱーの憧れ
07:16 JR北海道のキハ281系・キハ283系・智頭急行HOT7000系・JR四国2000系気動車は「高速バス」タイプのプラグドア。
外吊りドアの代表車両は通勤気動車キハ30・35・36形。
この外吊りドアが設けられた理由は床下機器との兼ね合いだそうで、低床ホーム用にステップを付けると戸袋が床下機器を邪魔するための苦肉の策だとか。
「りょうもう号」に使われる東武200系にドア無し車両がつくられたのは、始発の浅草駅が6両編成しか入線出来ないので、少しでも定員を増やすためにドアを無くした分だけ座席を増やしたのかな?
1つ前の1800系と定員数を合わせるためだそうです。1編成の両数は一緒ですが、シートピッチ拡大のため一両あたりの定員が減少したためと言われています。
ブルトレの折り戸は懐かしい。独特の特別感がある。
遠いところへの旅立ちを想起できるから私も折戸が好きです
東武のDRC、西武初代レッドアロー、京成初代スカイライナー、小田急のLSE・HISE・RSEも折扉でした。
私の亡弟は中学3年の修学旅行で長野から出発した列車は「集約臨」と称され,帰って来てから「バスみたいなドアがおもむろに開いて・・・・・・」等と話していたことから,おそらく12系の客車だったのではないかと推定される。
お風呂場の折戸で電車ごっこした事ある
そして母親に怒られる😂
折戸…食パン電車が恋しくなります。
@@monoeye4x489 あんな醜いボロの車輌が??
閉まる直前でちょっと止めてゆっくり閉めるんですよね
浴室用の折戸でバス🚍ごっこをした事がある人もいそう(笑)
ドア無しの東武200系4号車は車端部の席に座ってもドア開閉による車窓の妨げが一切ないから、車窓撮影の際は重宝するので積極的に乗ってる
和歌山電鐵貴志川線の車両は降車に配慮して、運転席側が片開き扉で、連結部側が両開き扉というユニークな形になっている。
久留里線に昔いた気動車もへんてこな扉配置だった記憶が
JR四国にも、両端が両開きで真ん中が片開きの車両がある
@@shigoroku-448JR四国の6000系電車ですね。初期は岡山まで進出していたけど瀬戸大橋の通行に支障が出て乗り入れを止めたと聞いた記憶がありますが、間違っていたらごめんなさい。特急用車両を改造したものですが、近鉄と京阪も同じような扉配置の車両がありました。こちらはとおに廃車されましたが初めて見た時は変なの…?て思いました。
@@nishimacchi1972 さん久留里線で一昔前まで走っていたのは「キハ37」ですね。現在は岡山県の水島臨海鉄道に譲渡されて朝夕を中心に活躍しています。(キハ37はJR西の加古川線や米子支社管内でも走っていたけど既に廃車済)ヘンテコなドア配置・窓配置で思い出したけど、JR西・福知山支社の113系5300番台(クモハ113+クモハ112)も先頭車化改造の際に元からのドアを新設した運転台側に移設したので(ワンマン運転対応のため)、戸袋窓が大小2枚並ぶヘンテコな窓配置に…。💦
関東鉄道の気動車は関鉄の伝統ともいえる両端運転席側が片開き、中央が両開きになっている。鹿島臨海鉄道の8000系も同型車。他の鉄道でもあるようです。
近鉄の特急車両ではアーバンライナーまで折戸、それ以降の車両はプラグドアのはず。
しかしひのとりは引き戸なんですよねえ。
@@Fanatia さんサンクス😆💕✨
アーバンライナーがデビューした頃、近鉄特急の一般車両は折戸なのにデッキがない車両が多く、ドア近くの席の乗客はラッシュ時の立ち客や冬場の冷たい空気が流れ込むなどで落ち着かなかったでしょうね。
@@Yoshin-Sashizume さん関係ないけど、南海のラピートは粋な演出のためか?駅に停車中はデッキとの仕切り扉も開いていて、発車時にドアが閉まると一緒に閉まるというのを聞いたことがあります。折角の特急車両の意味がない~。
南海ラピートの話題が出て来たので…。南海の特急用車輌も「こうや」用の「デラックスズームカー」20001系を皮切りに30000系(「こうや」置換え用)、10000系(「サザン」用)、11000系(「りんかん」用)、31000系(「こうや」増発用)と長らく折戸が採用されていましたね。「ラピート」用50000系のプラグドアを経て「りんかん」「泉北ライナー」用の12000系で片引き戸に移行。
プラグドアはロマン
鎖といえば明治村のSL列車の客車の両端の車両もそうですね。(乗降用のデッキの所だけですけど/因みに中間車は手動ドア)
折戸は見た目はカッコいいんだけと前後に動くから東北方面のブルトレなんかでドアの外側に雪が付いてると開けた時に車内に入っちゃったり開閉を繰り返してるうちに床に雪がたまったりしてキチンと閉まらない状態で運行してるとデッキの壁や床に吹き込んだ雪がこびりついてデッキはものすごく寒かった🥶昔は常磐線や東北本線の普通列車でも手動開き戸の客車列車があって開き戸を開けっ放しでデッキ(ドア)の縁の所に立ってたなぁ~上野(常磐線経由)仙台とか上野(東北本線経由)一ノ関とか今じゃありえない行き先だったな。
14系や24系、25形もですが、北海道対応の改造をされると、折り戸が引き戸になってましたね。583系での雪害がよっぽど堪えていたのでしょう。
昔、東北本線で1度だけ、ドアを開けっ放しにして走ってる列車に乗ったことがあります。何か音がするなあと思って見たら、ドアが開けっ放しで外の風景が流れるのが見えて驚いた。そのとき「今時、こんな列車があるのか!」と驚いた。それまで、地方に行ってたら、開ける方は人力で開けないといけない横開きドアを見たことはあったけど、閉める方は自動で行ってたからなあ。閉める方も人力っていうのは初めて見た。
N700系とN700S系の内プラグドア。本来この車両はコストや信頼性の為と空気抵抗がさほど変わらなかった事で引き戸を採用しているものの、先頭車両の乗務員室扉横の扉だけ内プラグドアを採用。(1編成あたり4個所のレアドア)理由が乗車人数の維持したまま先頭形状の傾斜を700系よりも浅くした(尖らせた)結果、先頭形状の曲面がドアの所まで達してしまい、3次元形状の複雑な曲面を持ったドアになって、そのままでは引き戸にできなくなってしまったから。・6:23の500系のプラグドアと、9:12のN700S系のプラグドア。
E5系量産先行車U1も同じ。ただ量産車からは普通の引き戸。やってもデザイン性の問題でしかなく意味が無いから辞めた。
@@s.hr-vermouth656 E5系は乗車人数をがっつり減らして車両半分ぐらい先頭形状に使って扉が平面だから引き戸にできます。N700~N700Sは300系から座席配置据え置きであの傾斜。(座席のピッチまで削っている)乗務員室扉なんかすごい形になってる。この2つの扉は先頭形状を製作する時に一緒に作ってから切り離して扉にしてる。
@@岡田和浩-r1d N700Sは座席数違うぞ? シートをそこまで削って詰め込ませたのに席数が歪になって結局500系を追いだしたときの理由で今自分達が返金処理で面倒なことになってる。話がそれちゃった。もう座席定員の意味と定義がSの登場で崩れたから二次車は席削って引き戸にしてもいいんじゃない?
@@s.hr-vermouth656 Sはそうなってたんだ😲。ただ、2次車を引き戸にする為には先頭形状の変更か扉の位置を後退させる事になって、限りなく別車種になります。扉を後退させると乗車位置が変更になって500系問題の再来ですね。
JR西日本めげずにN500系作ってくれないかな。
名鉄パノラマスーパーも折り戸で近所に走っててあんまり違和感がないけどよくよく考えたら面白いドアだねえ
旧型客車の最後尾の貫通路が鎖だけっていう運用もあったと思います。
折り戸が少数になったのは、車両の老朽化だけでなくバリアフリー法によるもので設けるのが難しくなったのもあると感じます。トロッコのは雨の日にあの開放車両に地獄を味わうことができるというね…。
ドアの強度としても脆弱だしね。
元水郡線沿線民としては、プラグドアと聞くとキハ110系を連想する。今はキハE130系に置き換わって110系は東北の路線に移籍しました。
昔は当たり前やったかもしれんけど、南海6000系の結構幅広の片開き4扉。今となっては風前の灯。。。🥺
待っていてアレが来ると嬉しく思います。
京阪特急の広い片開き扉も忘れないで~
アレって、国鉄のモハ63を進化させたような感じですよね?>南海6000系
元名鉄車で今は豊橋鉄道のモ780とモ800、福井鉄道のモ770とモ880の運転席後扉は3枚折戸という独特の形態。連動して格納ステップが出てくるのも含めて他には見かけないタイプかと。
芸備線のドアは紐で引っ張る式ですね
朝しかドアの開かない車両もあったな。先年引退した京阪5000系と言うんですけど。
京阪5000系みたいな両開きドア5ヶ所配置は乗り降りが楽ですので再興したい。
東武20000系も、一部の車両は5扉でした。生まれ変わった20400系も、一部の車両は5扉を一部埋めて3扉にしたものがある。
主要ドアをホームドアに合わせた京阪新5000系って作って欲しい。あの四角いボディがカッコ良かったな。
京阪5000系の第2ドアと第4ドアは日中に締め切る時間帯では天井から座席が降りてきてセットされていましたね。あれは仲々のアイデアだった。
@@kiha110oykot 京阪5000系の3ドアモードですね、個人的にはソレの発展型をやりたい。
国鉄の折り戸ですけど、同じ組織でドアパネルも同じなのに、客車と電車(581系)、気動車(キハ181系)で動作する時の音や動きが全然違うんですよね。なぜドアエンジンを統一しないんだろうと不思議に思っていました。
11:21 最近はゆふいんの森のキハ72の増設された4号車もドアなしですね。
折戸の特殊形に、貴賓電車クロ157が採用した4枚折戸がありますね。西鉄バス(少し前の都バスも)の中扉で見かける、通常の2枚折戸を両開扉よろしく左右に配置したスタイル。貴賓車としてのゆとりある乗降口幅・デッキスペースの確保と、戸袋を設けないことのため、こうなったとか。もっと特殊な折戸は、大出力気動車の試作系列・キハ90系の3枚折戸。どうしても戸袋が設けられず、急行用のドア幅は2枚折戸では困難だったため、3枚折戸という構造になったとか。2枚折戸+1枚開戸、という他に例がない構造。鎖は、京都市電のN電みたいなオープンデッキの路面電車でも使われた例があるようです。あと開戸は、少し前の欧州の客車にもありました。日本の場合は内開きですが、欧州は外開きでしかも大きな扉。ホーム側に巨大な扉が開いている光景は、日本人の目には違和感しかありません。
西鉄バスでは前扉も4枚折り戸というのがありました。
折戸式ドアだと581.583系寝台特急形電車、近郊形に改造された419系.715系、気動車だと急行形キハ58系キハ65形や特急形キハ181系がありましたね。
全然特別な車両じゃない上に番台によってはロングシートも存在するキハ120…()ちなみに外吊りドアはキハ30系列の他に471・451系初期車の先頭車の一部ドアにも採用されました車両構造が理由だったようですが後に製造した471・451系で戸袋付きの片開きドアを採用したら何一つとして問題が無かったため後に外吊りドアだった車両も改造で戸袋付きの片開きドアに改良したそうです
名鉄1200系の特別車は2扉の折戸で一般車は3扉の両開きです。
251系はプラグドアで、通常は窓が付いてる5箇所のみ開閉し、窓がない残りのドアは河津桜祭りなど極めて多客の時のみ使ってました。
福井鉄道(元名鉄)770系と880系の運転室後ろの扉も珍しいです。三分割の折戸?(観音開き)
開き戸の中で高崎の旧型客車は安全上の観点から手動開き戸に自動戸閉装置が付いて走ってますね。(ただ開けるのは手動です。仕組みはかつての20系寝台客車と同じですね)
外吊りドアは、満員状態で事故を起こした時。旅客が車外へ投げ出される恐れがあります。ヨーロッパの車両事故で旅客が投げ出されたことがあります。
隙間風が入る気は35系は何と降雪地の新潟仕様さえありました。3:50タラコ色の編成の先頭のキハ35が正にそれ一応ドアと車体の間にゴムを付けて塞いでいたそうです。写真の車は越後線弥彦線電化で関東に移籍した車両。
キハ181も折戸で好き、他の折戸の車両も好きです
折戸ドアは名鉄のパノラマスーパーの特別車とパノラマDXが採用されてましたね!
あと名鉄はキハ8000系、キハ8500系の特急北アルプスも折戸でしたね
高崎支社の旧型客車は自動開き戸で閉まるときだけ自動で閉まるので、まるで銀河鉄道999みたいでした。
学生時代に停車中のキハ110を遠目で見たときに、プラグドアの存在を知らなくて「ドアが外れてる!」と吃驚した。こういうことだったのね。
荷物や郵便車には両開きが採用されていますね。当然大きな荷物の積み下ろし作業を容易にする為です。意外に知られていないのは、旧型客車の荷物車の妻板側の扉は一部の例外を除き、開き戸ではなく片開き戸になっています。現存するオハニ36-11も荷物室側の車端扉は車掌室側への開き戸で、其の為に乗務員室窓がとても狭い窓となっています。
プラグドアは大好物です。
外吊りドアとプラグドアは実は海外ではたくさんある
なんならゆりかもめの最初の車輌外吊りだし。
明治初期の客車は外開きドアで座席の列ごとに多数のドアのあるタイプだな。 そして仕切りが有るので車内通りぬけ出来ない。また駅に着くたびに駅員が全部のドアの外の掛け金を外してドアを開き、発車するときはドアを閉め掛け金を掛ける。
30年程前だけど、ロンドンの近郊線でそういう車両が現役だった。降りる時になって客室側にドアノブが無いので焦ったが、近くに居たオジサンが窓から手を出して外側から開けるんだ、と教えてくれて、事なきを得を得た。
田舎の車両には半自動ドアがありますね。ドアの横に開閉ボタンがあって、客がボタン押して開けたり閉めたりする。単線の待避駅や始発駅では長時間停車するので冷暖房の効率を上げるための仕様。
折戸の車両は、ワンマン運転の気動車に多い。キハ120系など。
特別な列車だな(白目
@@大坂孝幸 見た目や車両長からしてまるでレールバス、一部の人はこの車両を「死神」と言ってますね。キハ65は折戸の扉窓が板で塞がれている車両を九州でよく見かけましたが、なぜだろうかと疑問に思ったことがあります。
@@Yoshin-Sashizume さんキハ65では運転台寄りの折戸の片側の窓が塞がれていた車輌が多く見られましたね。あれは昔単線区間でタブレット(通票)閉塞を実施していた時代の名残と記憶しています。タブレット閉塞の路線で特急や急行・快速等の優等列車を運転する場合は駅を通過しながらタブレットキャリアの授受を行う場面もありました(別途乗務する「運転助士」が前の閉塞区間のキャリアをホーム上の「受器」に放り投げ、次の閉塞区間のキャリアを「授器」から受け取る)。車体側にも根元にヒンジが付いた鉄パイプ状の「受器」が装着されていたけど、これがキャリアを受け取って折り畳まれた際の衝撃が凄まじくてドアのガラスを破損する事も多かった為に折戸の片側の窓を鉄板で塞ぐ処置が施工されたと記憶しています。(余談ですが、この「受器」が車体に無かった頃は運転助士が自分の腕を伸ばして受け取っていたとか。とんでもなく痛そう…。💦)同様に、キハ58系やキハ40型の様に運転台側のドアのガラス部分を一段凹ませて鉄格子状の柵を装着したり、乗務員用ドアの直後に鉄板を貼っていたのもタブレット防護が理由でした。旧型国電80系ではドアのガラス部分を鉄板で塞いで小さな窓を嵌め込んでいたのを雑誌の写真で確認した事も…。🤔最後までタブレットの通過授受を実施していたのは、津山線・因美線経由で岡山と鳥取を結んでいた急行「砂丘」だったかな?と記憶しています。
@@kiha110oykot 様返信が遅れましてすみません。そして詳しい説明をいただきましてありがとうございます。キハ65もタブレットによる割れ防止だったのですね。あと、キハ28やキハ58の扉の右下か左下の端に直径10㎝ほどの丸窓がありましたが、調べたらデッキステップのライトが外に漏れて夜間でも乗降口がわかりやすくなるように設けられたとか書いてありました。しかし、急行型電車の扉には丸窓はついていなかったのがなぜか疑問?ですね。
@@Yoshin-Sashizume 気動車急行が走る亜幹線はホームの照明が不十分で真っ暗な駅が多かったという事情があったようです。照明が改善されてホームが明るくなり、また足元のガラスは割れやすいことからこの丸窓は後年塞がれた例が多かったですね。
近鉄特急の一部は、折戸が採用している車輌が残っているぞ。
外釣りドア新交通システムに多いよね〜
京都市電700形や横浜市電1600形が4枚折戸で末期の路面電車に使われたイメージがある。
開き戸、旧国鉄の客車。手動のドア。
小田急50000形VSEは外プラグ方式ですね。プラグ式の特急が紹介されているのと同じ50000という形式
5:50 ニューシャトル2020系、日暮里舎人ライナー330形もですね
かつては451系にも外吊り扉だったみたいですが、故障が多発してすぐ戸袋式に改造されたそうですw
@@動画投稿終了_しました 高速でトンネルに突入すると風圧で外側に持ってかれたりしたみたい。
@@魔改造人間 とんでもねぇな…
その代わり車両重量が900kg増しだそうな・・・
@@Tsurusampachi マジかよ…元々車体強度の問題で採用されたみたいだけども…
初代のぞみ300系は最初期ロットだけプラグドアでした。大学の就職活動で名古屋から東京へ行くときに乗りました。一緒に乗った友人が「もうこの先二度と乗れない貴重な車両だ」と言ってました。現在、N700系先頭車のプラグドアを見るたびにこの言葉を思い出します。話は変わって、私の子供のころはまだSLが牽引する列車編成でした。(国鉄中央西線)ドアは一年中開け放たれていて、そもそも閉まっているところは一度も見たことありません。全開状態で固定されてるイメージでした。だからといって転落事故を聞いたこともないですね。
0ドアは、小田急ロマンスカーのかつてのSSEの先頭車が客用の扉が無かったですね。また、引退したVSEの先頭車も扉は非常用で実質0ドア。今もGSE以外は扉を常時締め切りの車両があり、扉があるが実質0ドアのロマンスカーがあります。
ダブルの折り戸は珍しいと思います。採用例・伊豆急行 ロイヤルボックス・貴賓車 クロ157-1
北海道用の711系でも試作車のクモハ711-901とクハ711-901が登場時に4枚折戸を試用していました。(量産車の登場時に通常の片引き戸に改造されましたが…。💦)この2輌は側窓も他の車輌の様な一段上昇式の二重窓ではなく急行型電車の様な上段下降・下段上昇式のユニット窓だったので異色の存在でした。
折戸、外吊り戸も知らないで“俺様はスゲー鉄道UA-camr”とは草
9:00車のドアは開き戸だけど、タクシーの場合自動ドアも多くの車種で開き戸。スライドの自動ドアはミニバン系だね。
南海電鉄、高野線に運用されている6000系のドアは片開きです。ちなみに1962年から運用されて今でも現役車両です。
一般型車両なのにプラグドアを装備したキハ100・110系の0番台は異端児ですな。開き戸の自動ドアについて言及するなら、高崎支社の旧客のことも紹介しないと。
高崎の旧型客車はドアクローザーと建造物の防火扉によくあるマグネットを使って閉扉のみ一斉自動でできるようになってますね。閉まったあとは電磁式でかんぬきがかかるようになってます。
2枚のドアが同じ方向にスライドして開くドアもありましたね。たとえば伊予鉄の50形の一部車両。
車で開き戸で自動ドアなのはセダンタイプのタクシーぐらいだなw (アレも実際には運転席のレバーで開閉してるだけで電動じゃ無いけど)
客扱い扉が無いという点では、食堂車もそうだったね。今回は車両(車体)ファンとしては楽しい企画でした。
近鉄が特急車において22000系「ACE」・16400系「ACE」から長らくプラグドアを採用していたけど、80000系「ひのとり」からは片開スライドドアになった。旧型車置き換えの大量導入も目的に開発されているから、やっぱりコストが関係しているのだろうか…。
昔京阪1700.1800.1900系とか格下げ車は3扉化の際は増設は両開きだったな片両片みたいに近鉄も片開きを両開きに改造とか6331車体延長車も3扉とも両開き中央のみ両開きあったわ小田急は吊り掛け特急1750型もドアなしだった
他に3扉化の際に増設ドアを両開きにした車輌を挙げれば…、①JR九州・717系900番台急行形457系からの改造車。②関東鉄道キハ700型2扉クロスから3扉ロングへの改造時に中央に両開き扉を増設。他に関東鉄道では片開き3扉の中央だけ両開き扉に改造した車輌や外吊り式の増設扉を設けた車輌(小田急キハ5000・5100型→関東鉄道キハ750型)もありました。
京阪の場合、ドア間の窓枚数なんかを考慮して片開きか両開きかてわけてたな。
近鉄の旧型車両も多かったですね、片扉車両の真ん中だけ両開扉増設車。通勤ラッシュが酷い時代、極力両開扉車両を混雑の酷い大阪寄りに連結するという事もしてたようです。今の3扉の5200系を伊勢寄りに編成を組むのはその流れです。
@@kiha110oykot 関東鉄道では2200、2400、5000、5010、5020、が新車でこの形でお隣の鹿島臨海鉄道の8000、も関鉄の5020と同型車。
@@kiha110oykot 事故廃車になった南海キハ5505が西武所沢工場で4扉に改造されて関東鉄道キハ755として就役しましたけど、増設扉が両開きでした。
プラグドアといえば元祖ゆりかもめ車両(7000系初期車)と22000系〜しまかぜの代の近鉄特急を真っ先に連想する。ゆりかもめはブザーとプラグドアの組み合わせだった。
東武1720系の4号車も0ドアですね
デラさんは各車両の定員を揃えるため。
乗降扉の両開き化構想は1937年頃からあったが、初めて試作されたのは1941年のサハ75。しかし当時の技術では両扉のシンクロが上手くいかず、実用化されたのは1957年登場の101系、20年の年月を要した。
戦後に東京で丸ノ内線が作られた際、ニューヨーク市地下鉄の車両を参考に当時の最新技術を詰め込んだ300形が1954年に導入され、これが日本の通勤電車における両開きドアの本格採用された最初の例だと思います。ただし、この300形は左右別々のドアエンジンがありました。
昔の気動車の半自動扉もあったね。キハ17とか他にもあった。開ける時はレバーを倒してから引くんだけど、かなり重いのもあった。閉まる時だけ自動なんだよね。子供の頃は両開き扉が都会っぽく好きだった。田舎は片開き都会は両開きって思ってたな。キハ100系のプラグドア良いですね。優等列車ではそこそこ見ますが、普通列車でプラグドアって他にないんじゃないでしょうか?
キハ17の時代の半自動ドアは開けるのが重いのは当然で、畜圧式と言って開ける力を貯めておいて、締める力をその力で閉める方式でした。ドアエンジンがいらないので。
お風呂のドアをLSEのおり所ドアにしたのはいい思い出
ゆっくり各駅停車さんの動画投稿待ってました!
山梨リニア実験線のL0型はプラグドアですが、乗り降りの際は扉が外側の上にスライドする構造。営業車両でどうなるかは不明
折り戸+両開き方式のタイプの車両が 伊豆急行線のリゾート21の 特別車両に設けられていた。
ロマンスカーが新宿駅で折り返すときの清掃中なんかに、力ない感じで半開きになってる折戸がなんとも言えない風情を醸し出して好きだったなぁ😆
日立製作所に、品質検査の派遣で行ってた時、スコットランドで使う『Class385』の扉に泣かされたよ。
ドアの上に座席が持ち上がり通勤時にはドアに成るけど、昼などの閑散時には上から座席が降りて来て、そこのドアは封鎖される。なんて変わり種も有ったな
京急「ドアじゃねえ!ダァだ!」
小田急3000(3100)形も開き戸でしたね
小田急の初期ロマンスカーのドアはちょっと特殊な手動ドアで、旧国鉄の客車みたいに「いつでも開閉可能・飛び降り飛び乗りOK」ではなく、駅について車掌が自動ドア車の様な車掌スイッチを扱うとロックが解除されて開閉可能になり、出発時はドアが閉まると側灯が消灯して、確認後車掌が車掌スイッチを扱うとロックがかかり、力行が可能になるシステムでした。降車は全てのドアで可能だったのですが、乗車は特定のドアで係員が特急券をチェックしてのせるスタイルだったですしね。
家のドアみたいに開く鉄道車両はSLが普通に走っていた頃、SLに引っ張られて走っていた客車全般。
タクシーは自動開き戸が多いプラグダァも増えてるけど
4枚折戸っつーと711系901編成か。あと急行型クモハ451/471は前方扉を戸袋式にすると台枠切るから強度のために外吊りにしたけど、戸袋式のを試作したら杞憂だったんで全部改造した。
一般人には無関係なクロ157
カニ38や20系客車電源車の荷物室のドアは上昇式の巻き上げシャッターでした。
2:48名鉄1200系「解せぬ」
かつての京浜急行も片扉かありました。
800系までは全て片開きで2000系以降が両開きになった、2000系はクロスシートだったため戸袋窓を避けるために両開きにした模様、併せてヘッドライトの2灯化もこの形式から採用された。
当時の副社長のこだわりだったそうですね。両開き2灯ライトの2000系が登場したのはその副社長が退任した直後。
@@ebutuoy970800系の設計当時の正面デザイン案は後の2000系そのままだったな。
その後の1500形が、一般用の両開き扉のお初になりました。
東武200系のトア無し車両は、200系新造当時の「りょうもう」の利用者が非常に多かったからでしょうね。浅草駅などのホーム長最大6両という制約の中で着席定員確保しないといけなかったから。
前車に座席数合わせるからああなった。
@@s.hr-vermouth656 おっしゃるとおりですね。wikipediaにもそう記載されていた。なぜ合わせないとないかという理由が当時の「りょうもう」の需要の高さですね。今なら少しぐらいなら定員減っても構わないですからね。
国鉄の583系寝台・座席💺兼用交直流両用型特急電車🚃の乗降口扉が折戸式になっています!但し東北方面に向かう特急列車の場合冬場になると折戸に雪❄が挟まると開かない事がありますした。
名古屋鉄道の特急列車1000系パノラマスーパー特別車(指定席車)も折戸を使ってます・・・まあそもそも設計が昭和なので、車齢が30年前後😅
しかも、特急りょうもう号は東武動物公園駅と久喜駅では一部のドアが開かない。
昔の阪神電車や山陽電車は片方の扉もあります。現在は両方の扉が開きます。
折戸といえば、近鉄特急
ACEやしまかぜはプラグドアですね。
ひのとりは引き戸。
近鉄10000系は折戸と片開き扉の両方採用していた
9:04 タクシー🚕の自動ドアは実際ドライバーの手動だからな。
セダン型の大半は手動ですが、ブレーキ倍力装置と同様にエンジンの負圧を利用したバキューム式もあるようです。最近のスライドドアは電動式ですね。
20m3扉 でもロングシート というちょっと昔の西武も思い出してあげてw
鉄道はおろか、移動するものですら無いのですが、空港では開き戸の自動扉を見かけますね……
折り戸は路面電車や第3セクター鉄道の旧型車両でまだちらほら残ってるな。だいぶ減ってきてはいるけど、思いつく中でも、長崎、熊本、豊橋、函館の路面電車で普通に見る。
プラグ式ドアの代表車両、JR西日本の500系新幹線車両。外プラグ式ドア近鉄伊勢志摩観光特急しまかぜ用50000系。
内プラグは300系とE3系が最初では?外プラグはキハ100形。
近鉄アーバンに乗った時プラスは折り戸、滅多に来ないネクストが外プラグでした。
ブルトレ客車で多用された折戸ですけど、北海道で使用する時には冬季は粉雪のせいでドアが開閉できないとが予想されたことから、引戸に改造されましたね。(ドアレールにヒーターを取り付けて凍結しないようにしていました。)
@@N--T
「折戸 雪」で検索かけると○のちゃんねるさんの面白い動画が出てくるのでぜひご覧ください。
24系「北斗星」もそうでしたね。
旧型客車の開戸、内開きなので混雑すると開けられなくなるんですよ。特に学校が半ドンだった土曜日は、通学に使える列車が一本しかなくて物凄い混雑でした。混雑が見込まれる列車では、扉を閉めてはいけない、閉まっている扉を見つけたら開けておく、という暗黙のルールがありました。余談ですが桜木町で燃えたモハ63は貫通路が内開き開戸だったため隣の車両に避難しようという乗客が殺到し、扉を開けることができなかったそうです。ドアコックが明示されていない乗降用ドア、中段が固定の窓とともに大参事に至った要因のひとつでした。
そこで混雑区間の安全のために作られた客車が50系レッドトレインで片開きの自動ドアが付いていた。
50系に一度乗ったことがあるけど、ドアを開けるたびに床下からギーーッっていう音がして耳ざわりだった
21000系UL含めて、それより前の近鉄特急なんて、全部折り戸やしね。
駅着く前の車内放送で、「ドアは内側に開きます。ドアより一歩下がられましてお待ちください。」
と必ず言うからなぁ。
まぁ、今のUL場合だと、
「1号車から6号車と、8号車の扉は内側に開きます。一歩下がられまして、お待ち下さい」となるが。
折り戸は良い。何かしらの特別感がある。
名鉄でもパノラマスーパーならいうね。
南海の特急用車輌も「こうや」用の「デラックスズームカー」20001系を皮切りに30000系(「こうや」置換え用)、10000系(「サザン」用)、11000系(「りんかん」用)、31000系(「こうや」増発用)と長らく折戸が採用されていましたね。
「ラピート」用50000系のプラグドアを経て「りんかん」「泉北ライナー」用の12000系で片引き戸に移行。
なんか船に乗ってる感じがする
あとは南海こうや・りんかんとかキハ185とかもそうやな
3:09 ブルートレインなどで折り戸は使われていましたね。
あまりドアに近づき過ぎると折り戸が開いたときに顔がぶつかるので要注意でしたが
後583系なんかも折戸でしたね
元祖ブルトレの20系客車にはドアエンジンがなく、旧客のような手動ドアでした。停車しても自動でドアが開くことはなく、乗客がドアの把手を持って開ける必要がありました。また、ドアを開けたままでも発車できました。
旧客の手動ドアとの違いは、ドアのロック機構があったこと。車掌のスイッチ操作で、閉まっているドアを車内側から押さえるラッチが天井側から突き出し、ドアを開けられなくしていました。ドアを開けたままの発車後にドアを閉めると、次の停車で車掌がロックを解除するまで開けられないようにもなっていました。
このスタイルは20系のみで、旧客の手動ドアと14系のような自動ドアの過渡期らしい装備でした。
@@hiroakiishii3986 魔改造した419系は自動で開かないので、どうやって乗るんだろう?と迷ったことがあります。
後ろの人が紐を引っ張るんだと教えてくれました。
@@hiroakiishii3986 寝台やら機器を詰め込んだせいで戸袋を設けるスペースを捻出できなかったので折り戸になったとか。特急列車だから扉幅が狭くても問題にならなくて合理的とも言えた。
後で近郊型に改造されたら、その折り戸の狭さが仇になるという皮肉。
@@Zeit-OSA 当時の寝台車は各車両ごとに「給仕」が乗っていたので発車時はドアの確認をしていたのだと思います。
戸袋に窓が付いてる車両が好きです
実は西武6000系は東急東横線を走った唯一戸袋窓がある両開きドア車だったりします。
東武鉄道で思い出したけど、かつてあったのも含めるとゼロ~5ドアが全部揃っていた時もあったな
5ドアのうち2つを埋めて残りの3ドアで今も営業している20400系(何番台かは忘れた)
東急から来るものを含めれば、6ドアもありました。
20430(各先頭車が元5ドア)番台と20440(パンタグラフのない中間車である3号車が元5ドア)番台ですね
動画に「両開きドアは旅客の乗降時間の短縮」とありますが、乗降時間の短縮ではなく、「開閉時間の短縮」が目的ですね。
京浜急行電鉄の車両は、ある役員のこだわりで、部品点数の削減やメンテナンスの簡素化を目的に両開きドアの車両を入れなかったんですが、この辺は停車時間や開閉時間、乗客の乗降時間を全て検証して出したとのこと。
今はその役員もいなくなり、両開き当たり前になりましたが。
その役員、ドコゾの大手私鉄の車体色が時代錯誤なウンコ色にこだわっているのと同様に、前照灯が一灯とか、先頭車は電動車に限る、等の意味不明な事柄に固執してたようなw。
新快速の場合だと
225系のAシートのドア幅は従来の両開きと同じなので開閉にかかる時間は両開きの2倍かかりますね。
@@tanoseason5013 さま 昔の京浜急行をほうふつとさせますね。500系ロマンスシート車もあんな感じでした。新快速の場合は乗降人数が少ないでしょうから、大きな問題にはならないでしょうけど、通勤時間帯の一般車じゃ結構響くでしょうね。
@@けん-o4y さま 先頭電動車だけは意味不明ではありませんよ。何年前か忘れましたが、京浜急行で追浜付近の大雨で土砂崩れしたところに乗り上げてしまいましたが横倒しにはならず、乗客•乗務員とも軽傷で済んでいます。
先頭が制御車だったら、大事故になったかも知れません。
ちなみに、乗り入れている都営地下鉄や京成電鉄の車輌にも、先頭電動車を強要?しています。
先頭に重い電動車を配置するのは意味がある
冒頭の片開き両開きのくだりで373系取り上げてくれたのが沿線民としてはかなり嬉しい
たしかに
昔の18きっぱーの憧れ
07:16 JR北海道のキハ281系・キハ283系・智頭急行HOT7000系・JR四国2000系気動車は「高速バス」タイプのプラグドア。
外吊りドアの代表車両は通勤気動車キハ30・35・36形。
この外吊りドアが設けられた理由は床下機器との兼ね合いだそうで、低床ホーム用にステップを付けると戸袋が床下機器を邪魔するための苦肉の策だとか。
「りょうもう号」に使われる東武200系にドア無し車両がつくられたのは、始発の浅草駅が6両編成しか入線出来ないので、少しでも定員を増やすためにドアを無くした分だけ座席を増やしたのかな?
1つ前の1800系と定員数を合わせるためだそうです。1編成の両数は一緒ですが、シートピッチ拡大のため一両あたりの定員が減少したためと言われています。
ブルトレの折り戸は懐かしい。独特の特別感がある。
遠いところへの旅立ちを想起できるから私も折戸が好きです
東武のDRC、西武初代レッドアロー、京成初代スカイライナー、小田急のLSE・HISE・RSEも折扉でした。
私の亡弟は中学3年の修学旅行で長野から出発した列車は「集約臨」と称され,帰って来てから「バスみたいなドアがおもむろに開いて・・・・・・」等と話していたことから,おそらく12系の客車だったのではないかと推定される。
お風呂場の折戸で電車ごっこした事ある
そして母親に怒られる😂
折戸…食パン電車が恋しくなります。
@@monoeye4x489 あんな醜いボロの車輌が??
閉まる直前でちょっと止めてゆっくり閉めるんですよね
浴室用の折戸でバス🚍ごっこをした事がある人もいそう(笑)
ドア無しの東武200系4号車は車端部の席に座ってもドア開閉による車窓の妨げが一切ないから、車窓撮影の際は重宝するので積極的に乗ってる
和歌山電鐵貴志川線の車両は降車に配慮して、運転席側が
片開き扉で、連結部側が両開き扉というユニークな形になっている。
久留里線に昔いた気動車もへんてこな扉配置だった記憶が
JR四国にも、両端が両開きで真ん中が片開きの車両がある
@@shigoroku-448
JR四国の6000系電車ですね。
初期は岡山まで進出していたけど瀬戸大橋の通行に支障が出て乗り入れを止めたと聞いた記憶がありますが、間違っていたらごめんなさい。
特急用車両を改造したものですが、近鉄と京阪も同じような扉配置の車両がありました。
こちらはとおに廃車されましたが初めて見た時は変なの…?て思いました。
@@nishimacchi1972 さん
久留里線で一昔前まで走っていたのは「キハ37」ですね。
現在は岡山県の水島臨海鉄道に譲渡されて朝夕を中心に活躍しています。
(キハ37はJR西の加古川線や米子支社管内でも走っていたけど既に廃車済)
ヘンテコなドア配置・窓配置で思い出したけど、JR西・福知山支社の113系5300番台(クモハ113+クモハ112)も先頭車化改造の際に元からのドアを新設した運転台側に移設したので(ワンマン運転対応のため)、戸袋窓が大小2枚並ぶヘンテコな窓配置に…。💦
関東鉄道の気動車は関鉄の伝統ともいえる両端運転席側が片開き、中央が両開きになっている。鹿島臨海鉄道の8000系も同型車。他の鉄道でもあるようです。
近鉄の特急車両ではアーバンライナーまで折戸、それ以降の車両はプラグドアのはず。
しかしひのとりは引き戸なんですよねえ。
@@Fanatia さん
サンクス😆💕✨
アーバンライナーがデビューした頃、近鉄特急の一般車両は折戸なのにデッキがない車両が多く、ドア近くの席の乗客はラッシュ時の立ち客や冬場の冷たい空気が流れ込むなどで落ち着かなかったでしょうね。
@@Yoshin-Sashizume さん
関係ないけど、南海のラピートは粋な演出のためか?駅に停車中はデッキとの仕切り扉も開いていて、発車時にドアが閉まると一緒に閉まるというのを聞いたことがあります。折角の特急車両の意味がない~。
南海ラピートの話題が出て来たので…。
南海の特急用車輌も「こうや」用の「デラックスズームカー」20001系を皮切りに30000系(「こうや」置換え用)、10000系(「サザン」用)、11000系(「りんかん」用)、31000系(「こうや」増発用)と長らく折戸が採用されていましたね。
「ラピート」用50000系のプラグドアを経て「りんかん」「泉北ライナー」用の12000系で片引き戸に移行。
プラグドアはロマン
鎖といえば明治村のSL列車の客車の両端の車両もそうですね。(乗降用のデッキの所だけですけど/因みに中間車は手動ドア)
折戸は見た目は
カッコいいんだけと
前後に動くから
東北方面のブルトレなんかで
ドアの外側に雪が付いてると
開けた時に車内に入っちゃったり
開閉を繰り返してるうちに
床に雪がたまったりして
キチンと閉まらない状態で運行してるとデッキの壁や床に吹き込んだ雪がこびりついて
デッキはものすごく寒かった🥶
昔は常磐線や東北本線の普通列車でも
手動開き戸の客車列車があって開き戸を開けっ放しでデッキ(ドア)の縁の所に立ってたなぁ~
上野(常磐線経由)仙台とか
上野(東北本線経由)一ノ関とか
今じゃありえない行き先だったな。
14系や24系、25形もですが、北海道対応の改造をされると、折り戸が引き戸になってましたね。583系での雪害がよっぽど堪えていたのでしょう。
昔、東北本線で1度だけ、ドアを開けっ放しにして走ってる列車に乗ったことがあります。何か音がするなあと思って見たら、ドアが開けっ放しで外の風景が流れるのが見えて驚いた。そのとき「今時、こんな列車があるのか!」と驚いた。それまで、地方に行ってたら、開ける方は人力で開けないといけない横開きドアを見たことはあったけど、閉める方は自動で行ってたからなあ。閉める方も人力っていうのは初めて見た。
N700系とN700S系の内プラグドア。
本来この車両はコストや信頼性の為と空気抵抗がさほど変わらなかった事で引き戸を採用しているものの、先頭車両の乗務員室扉横の扉だけ内プラグドアを採用。
(1編成あたり4個所のレアドア)
理由が乗車人数の維持したまま先頭形状の傾斜を700系よりも浅くした(尖らせた)結果、先頭形状の曲面がドアの所まで達してしまい、3次元形状の複雑な曲面を持ったドアになって、そのままでは引き戸にできなくなってしまったから。
・
6:23の500系のプラグドアと、9:12のN700S系のプラグドア。
E5系量産先行車U1も同じ。
ただ量産車からは普通の引き戸。やってもデザイン性の問題でしかなく意味が無いから辞めた。
@@s.hr-vermouth656 E5系は乗車人数をがっつり減らして車両半分ぐらい先頭形状に使って扉が平面だから引き戸にできます。
N700~N700Sは300系から座席配置据え置きであの傾斜。
(座席のピッチまで削っている)
乗務員室扉なんかすごい形になってる。
この2つの扉は先頭形状を製作する時に一緒に作ってから切り離して扉にしてる。
@@岡田和浩-r1d N700Sは座席数違うぞ? シートをそこまで削って詰め込ませたのに席数が歪になって結局500系を追いだしたときの理由で今自分達が返金処理で面倒なことになってる。
話がそれちゃった。もう座席定員の意味と定義がSの登場で崩れたから二次車は席削って引き戸にしてもいいんじゃない?
@@s.hr-vermouth656 Sはそうなってたんだ😲。
ただ、2次車を引き戸にする為には先頭形状の変更か扉の位置を後退させる事になって、限りなく別車種になります。
扉を後退させると乗車位置が変更になって500系問題の再来ですね。
JR西日本めげずにN500系作ってくれないかな。
名鉄パノラマスーパーも折り戸で近所に走っててあんまり違和感がないけどよくよく考えたら面白いドアだねえ
旧型客車の最後尾の貫通路が鎖だけっていう運用もあったと思います。
折り戸が少数になったのは、車両の老朽化だけでなくバリアフリー法によるもので設けるのが難しくなったのもあると感じます。
トロッコのは雨の日にあの開放車両に地獄を味わうことができるというね…。
ドアの強度としても脆弱だしね。
元水郡線沿線民としては、プラグドアと聞くとキハ110系を連想する。今はキハE130系に置き換わって110系は東北の路線に移籍しました。
昔は当たり前やったかもしれんけど、南海6000系の結構幅広の片開き4扉。
今となっては風前の灯。。。🥺
待っていてアレが来ると嬉しく思います。
京阪特急の広い片開き扉も忘れないで~
アレって、国鉄のモハ63を進化させたような感じですよね?>南海6000系
元名鉄車で今は豊橋鉄道のモ780とモ800、福井鉄道のモ770とモ880の運転席後扉は3枚折戸という独特の形態。連動して格納ステップが出てくるのも含めて他には見かけないタイプかと。
芸備線のドアは紐で引っ張る式ですね
朝しかドアの開かない車両もあったな。先年引退した京阪5000系と言うんですけど。
京阪5000系みたいな両開きドア5ヶ所配置は乗り降りが楽ですので再興したい。
東武20000系も、一部の車両は5扉でした。生まれ変わった20400系も、一部の車両は5扉を一部埋めて3扉にしたものがある。
主要ドアをホームドアに合わせた京阪新5000系って作って欲しい。あの四角いボディがカッコ良かったな。
京阪5000系の第2ドアと第4ドアは日中に締め切る時間帯では天井から座席が降りてきてセットされていましたね。
あれは仲々のアイデアだった。
@@kiha110oykot 京阪5000系の3ドアモードですね、個人的にはソレの発展型をやりたい。
国鉄の折り戸ですけど、同じ組織でドアパネルも同じなのに、客車と電車(581系)、気動車(キハ181系)で動作する時の音や動きが全然違うんですよね。なぜドアエンジンを統一しないんだろうと不思議に思っていました。
11:21 最近はゆふいんの森のキハ72の増設された4号車もドアなしですね。
折戸の特殊形に、貴賓電車クロ157が採用した4枚折戸がありますね。西鉄バス(少し前の都バスも)の中扉で見かける、通常の2枚折戸を両開扉よろしく左右に配置したスタイル。
貴賓車としてのゆとりある乗降口幅・デッキスペースの確保と、戸袋を設けないことのため、こうなったとか。
もっと特殊な折戸は、大出力気動車の試作系列・キハ90系の3枚折戸。どうしても戸袋が設けられず、急行用のドア幅は2枚折戸では困難だったため、3枚折戸という構造になったとか。2枚折戸+1枚開戸、という他に例がない構造。
鎖は、京都市電のN電みたいなオープンデッキの路面電車でも使われた例があるようです。
あと開戸は、少し前の欧州の客車にもありました。日本の場合は内開きですが、欧州は外開きでしかも大きな扉。ホーム側に巨大な扉が開いている光景は、日本人の目には違和感しかありません。
西鉄バスでは前扉も4枚折り戸というのがありました。
折戸式ドアだと581.583系寝台特急形電車、近郊形に改造された419系.715系、気動車だと急行形キハ58系キハ65形や特急形キハ181系がありましたね。
全然特別な車両じゃない上に番台によってはロングシートも存在するキハ120…()
ちなみに外吊りドアはキハ30系列の他に471・451系初期車の先頭車の一部ドアにも採用されました
車両構造が理由だったようですが後に製造した471・451系で戸袋付きの片開きドアを採用したら何一つとして問題が無かったため後に外吊りドアだった車両も改造で戸袋付きの片開きドアに改良したそうです
名鉄1200系の特別車は2扉の折戸で一般車は3扉の両開きです。
251系はプラグドアで、通常は窓が付いてる5箇所のみ開閉し、窓がない残りのドアは河津桜祭りなど極めて多客の時のみ使ってました。
福井鉄道(元名鉄)770系と880系の運転室後ろの扉も珍しいです。三分割の折戸?(観音開き)
開き戸の中で高崎の旧型客車は安全上の観点から手動開き戸に自動戸閉装置が付いて走ってますね。(ただ開けるのは手動です。仕組みはかつての20系寝台客車と同じですね)
外吊りドアは、満員状態で事故を起こした時。旅客が車外へ投げ出される恐れがあります。ヨーロッパの車両事故で旅客が投げ出されたことがあります。
隙間風が入る気は35系は何と降雪地の新潟仕様さえありました。3:50タラコ色の編成の先頭のキハ35が正にそれ一応ドアと車体の間にゴムを付けて塞いでいたそうです。写真の車は越後線弥彦線電化で関東に移籍した車両。
キハ181も折戸で好き、他の折戸の車両も好きです
折戸ドアは名鉄のパノラマスーパーの特別車とパノラマDXが採用されてましたね!
あと名鉄はキハ8000系、キハ8500系の特急北アルプスも折戸でしたね
高崎支社の旧型客車は自動開き戸で閉まるときだけ自動で閉まるので、まるで銀河鉄道999みたいでした。
学生時代に停車中のキハ110を遠目で見たときに、プラグドアの存在を知らなくて「ドアが外れてる!」と吃驚した。こういうことだったのね。
荷物や郵便車には両開きが採用されていますね。
当然大きな荷物の積み下ろし作業を容易にする為です。
意外に知られていないのは、旧型客車の荷物車の妻板側の扉は一部の例外を除き、
開き戸ではなく片開き戸になっています。
現存するオハニ36-11も荷物室側の車端扉は車掌室側への開き戸で、
其の為に乗務員室窓がとても狭い窓となっています。
プラグドアは大好物です。
外吊りドアとプラグドアは実は海外ではたくさんある
なんならゆりかもめの最初の車輌外吊りだし。
明治初期の客車は外開きドアで座席の列ごとに多数のドアのあるタイプだな。 そして仕切りが有るので車内通りぬけ出来ない。
また駅に着くたびに駅員が全部のドアの外の掛け金を外してドアを開き、発車するときはドアを閉め掛け金を掛ける。
30年程前だけど、ロンドンの近郊線でそういう車両が現役だった。
降りる時になって客室側にドアノブが無いので焦ったが、近くに居たオジサンが窓から手を出して外側から開けるんだ、と教えてくれて、事なきを得を得た。
田舎の車両には半自動ドアがありますね。
ドアの横に開閉ボタンがあって、客がボタン押して開けたり閉めたりする。
単線の待避駅や始発駅では長時間停車するので冷暖房の効率を上げるための仕様。
折戸の車両は、ワンマン運転の気動車に多い。
キハ120系など。
特別な列車だな(白目
@@大坂孝幸
見た目や車両長からしてまるでレールバス、一部の人はこの車両を「死神」と言ってますね。
キハ65は折戸の扉窓が板で塞がれている車両を九州でよく見かけましたが、なぜだろうかと疑問に思ったことがあります。
@@Yoshin-Sashizume さん
キハ65では運転台寄りの折戸の片側の窓が塞がれていた車輌が多く見られましたね。
あれは昔単線区間でタブレット(通票)閉塞を実施していた時代の名残と記憶しています。
タブレット閉塞の路線で特急や急行・快速等の優等列車を運転する場合は駅を通過しながらタブレットキャリアの授受を行う場面もありました(別途乗務する「運転助士」が前の閉塞区間のキャリアをホーム上の「受器」に放り投げ、次の閉塞区間のキャリアを「授器」から受け取る)。
車体側にも根元にヒンジが付いた鉄パイプ状の「受器」が装着されていたけど、これがキャリアを受け取って折り畳まれた際の衝撃が凄まじくてドアのガラスを破損する事も多かった為に折戸の片側の窓を鉄板で塞ぐ処置が施工されたと記憶しています。
(余談ですが、この「受器」が車体に無かった頃は運転助士が自分の腕を伸ばして受け取っていたとか。とんでもなく痛そう…。💦)
同様に、キハ58系やキハ40型の様に運転台側のドアのガラス部分を一段凹ませて鉄格子状の柵を装着したり、乗務員用ドアの直後に鉄板を貼っていたのもタブレット防護が理由でした。
旧型国電80系ではドアのガラス部分を鉄板で塞いで小さな窓を嵌め込んでいたのを雑誌の写真で確認した事も…。🤔
最後までタブレットの通過授受を実施していたのは、津山線・因美線経由で岡山と鳥取を結んでいた急行「砂丘」だったかな?と記憶しています。
@@kiha110oykot 様
返信が遅れましてすみません。
そして詳しい説明をいただきましてありがとうございます。
キハ65もタブレットによる割れ防止だったのですね。
あと、キハ28やキハ58の扉の右下か左下の端に直径10㎝ほどの丸窓がありましたが、調べたらデッキステップのライトが外に漏れて夜間でも乗降口がわかりやすくなるように設けられたとか書いてありました。
しかし、急行型電車の扉には丸窓はついていなかったのがなぜか疑問?ですね。
@@Yoshin-Sashizume 気動車急行が走る亜幹線はホームの照明が不十分で真っ暗な駅が多かったという事情があったようです。照明が改善されてホームが明るくなり、また足元のガラスは割れやすいことからこの丸窓は後年塞がれた例が多かったですね。
近鉄特急の一部は、折戸が採用している車輌が残っているぞ。
外釣りドア新交通システムに多いよね〜
京都市電700形や横浜市電1600形が4枚折戸で末期の路面電車に使われたイメージがある。
開き戸、旧国鉄の客車。
手動のドア。
小田急50000形VSEは外プラグ方式ですね。プラグ式の特急が紹介されているのと同じ50000という形式
5:50 ニューシャトル2020系、日暮里舎人ライナー330形もですね
かつては451系にも外吊り扉だったみたいですが、故障が多発してすぐ戸袋式に改造されたそうですw
@@動画投稿終了_しました
高速でトンネルに突入すると風圧で外側に持ってかれたりしたみたい。
@@魔改造人間 とんでもねぇな…
その代わり車両重量が900kg増しだそうな・・・
@@Tsurusampachi マジかよ…元々車体強度の問題で採用されたみたいだけども…
初代のぞみ300系は最初期ロットだけプラグドアでした。
大学の就職活動で名古屋から東京へ行くときに乗りました。
一緒に乗った友人が
「もうこの先二度と乗れない貴重な車両だ」
と言ってました。
現在、N700系先頭車のプラグドアを見るたびにこの言葉を思い出します。
話は変わって、私の子供のころはまだSLが牽引する列車編成でした。(国鉄中央西線)
ドアは一年中開け放たれていて、そもそも閉まっているところは一度も見たことありません。
全開状態で固定されてるイメージでした。
だからといって転落事故を聞いたこともないですね。
0ドアは、小田急ロマンスカーのかつてのSSEの先頭車が客用の扉が無かったですね。
また、引退したVSEの先頭車も扉は非常用で実質0ドア。
今もGSE以外は扉を常時締め切りの車両があり、
扉があるが実質0ドアのロマンスカーがあります。
ダブルの折り戸は珍しいと思います。
採用例
・伊豆急行 ロイヤルボックス
・貴賓車 クロ157-1
北海道用の711系でも試作車のクモハ711-901とクハ711-901が登場時に4枚折戸を試用していました。
(量産車の登場時に通常の片引き戸に改造されましたが…。💦)
この2輌は側窓も他の車輌の様な一段上昇式の二重窓ではなく急行型電車の様な上段下降・下段上昇式のユニット窓だったので異色の存在でした。
折戸、外吊り戸も知らないで
“俺様はスゲー鉄道UA-camr”とは草
9:00車のドアは開き戸だけど、タクシーの場合自動ドアも多くの車種で開き戸。スライドの自動ドアはミニバン系だね。
南海電鉄、高野線に運用されている6000系のドアは片開きです。ちなみに1962年から運用されて今でも現役車両です。
一般型車両なのにプラグドアを装備したキハ100・110系の0番台は異端児ですな。
開き戸の自動ドアについて言及するなら、高崎支社の旧客のことも紹介しないと。
高崎の旧型客車はドアクローザーと建造物の防火扉によくあるマグネットを使って閉扉のみ一斉自動でできるようになってますね。閉まったあとは電磁式でかんぬきがかかるようになってます。
2枚のドアが同じ方向にスライドして開くドアもありましたね。たとえば伊予鉄の50形の一部車両。
車で開き戸で自動ドアなのはセダンタイプのタクシーぐらいだなw (アレも実際には運転席のレバーで開閉してるだけで電動じゃ無いけど)
客扱い扉が無いという点では、食堂車もそうだったね。今回は車両(車体)ファンとしては楽しい企画でした。
近鉄が特急車において22000系「ACE」・16400系「ACE」から長らくプラグドアを採用していたけど、80000系「ひのとり」からは片開スライドドアになった。旧型車置き換えの大量導入も目的に開発されているから、やっぱりコストが関係しているのだろうか…。
昔京阪1700.1800.1900系とか格下げ車は3扉化の際は増設は両開きだったな
片両片みたいに
近鉄も片開きを両開きに改造とか
6331車体延長車も3扉とも両開き
中央のみ両開きあったわ
小田急は吊り掛け特急1750型もドアなしだった
他に3扉化の際に増設ドアを両開きにした車輌を挙げれば…、
①JR九州・717系900番台
急行形457系からの改造車。
②関東鉄道キハ700型
2扉クロスから3扉ロングへの改造時に中央に両開き扉を増設。
他に関東鉄道では片開き3扉の中央だけ両開き扉に改造した車輌や外吊り式の増設扉を設けた車輌(小田急キハ5000・5100型→関東鉄道キハ750型)もありました。
京阪の場合、ドア間の窓枚数なんかを考慮して片開きか両開きかてわけてたな。
近鉄の旧型車両も多かったですね、片扉車両の真ん中だけ両開扉増設車。
通勤ラッシュが酷い時代、極力両開扉車両を混雑の酷い大阪寄りに連結するという事もしてたようです。
今の3扉の5200系を伊勢寄りに編成を組むのはその流れです。
@@kiha110oykot 関東鉄道では2200、2400、5000、5010、5020、が新車でこの形でお隣の鹿島臨海鉄道の8000、も関鉄の5020と同型車。
@@kiha110oykot 事故廃車になった南海キハ5505が西武所沢工場で4扉に改造されて関東鉄道キハ755として就役しましたけど、増設扉が両開きでした。
プラグドアといえば元祖ゆりかもめ車両(7000系初期車)と22000系〜しまかぜの代の近鉄特急を真っ先に連想する。
ゆりかもめはブザーとプラグドアの組み合わせだった。
東武1720系の4号車も0ドアですね
デラさんは各車両の定員を揃えるため。
乗降扉の両開き化構想は1937年頃からあったが、初めて試作されたのは1941年のサハ75。
しかし当時の技術では両扉のシンクロが上手くいかず、実用化されたのは1957年登場の101系、20年の年月を要した。
戦後に東京で丸ノ内線が作られた際、ニューヨーク市地下鉄の車両を参考に当時の最新技術を詰め込んだ300形が1954年に導入され、これが日本の通勤電車における両開きドアの本格採用された最初の例だと思います。ただし、この300形は左右別々のドアエンジンがありました。
昔の気動車の半自動扉もあったね。キハ17とか他にもあった。
開ける時はレバーを倒してから引くんだけど、かなり重いのもあった。閉まる時だけ自動なんだよね。
子供の頃は両開き扉が都会っぽく好きだった。田舎は片開き都会は両開きって思ってたな。
キハ100系のプラグドア良いですね。優等列車ではそこそこ見ますが、普通列車でプラグドアって他にないんじゃないでしょうか?
キハ17の時代の半自動ドアは開けるのが重いのは当然で、畜圧式と言って開ける力を貯めておいて、締める力をその力で閉める方式でした。ドアエンジンがいらないので。
お風呂のドアをLSEのおり所ドアにしたのはいい思い出
ゆっくり各駅停車さんの動画投稿待ってました!
山梨リニア実験線のL0型はプラグドアですが、乗り降りの際は扉が外側の上にスライドする構造。営業車両でどうなるかは不明
折り戸+両開き方式のタイプの車両が 伊豆急行線のリゾート21の 特別車両に設けられていた。
ロマンスカーが新宿駅で折り返すときの清掃中なんかに、力ない感じで半開きになってる折戸がなんとも言えない風情を醸し出して好きだったなぁ😆
日立製作所に、品質検査の派遣で行ってた時、スコットランドで使う『Class385』の扉に泣かされたよ。
ドアの上に座席が持ち上がり通勤時にはドアに成るけど、昼などの閑散時には上から座席が降りて来て、そこのドアは封鎖される。なんて変わり種も有ったな
京急「ドアじゃねえ!ダァだ!」
小田急3000(3100)形も開き戸でしたね
小田急の初期ロマンスカーのドアはちょっと特殊な手動ドアで、旧国鉄の客車みたいに「いつでも開閉可能・飛び降り飛び乗りOK」ではなく、駅について車掌が自動ドア車の様な車掌スイッチを扱うとロックが解除されて開閉可能になり、出発時はドアが閉まると側灯が消灯して、確認後車掌が車掌スイッチを扱うとロックがかかり、力行が可能になるシステムでした。降車は全てのドアで可能だったのですが、乗車は特定のドアで係員が特急券をチェックしてのせるスタイルだったですしね。
家のドアみたいに開く鉄道車両はSLが普通に走っていた頃、SLに引っ張られて走っていた客車全般。
タクシーは自動開き戸が多い
プラグダァも増えてるけど
4枚折戸っつーと711系901編成か。
あと急行型クモハ451/471は前方扉を戸袋式にすると台枠切るから強度のために外吊りにしたけど、戸袋式のを試作したら杞憂だったんで全部改造した。
一般人には無関係なクロ157
カニ38や20系客車電源車の荷物室のドアは上昇式の巻き上げシャッターでした。
2:48名鉄1200系「解せぬ」
かつての京浜急行も片扉かありました。
800系までは全て片開きで2000系以降が両開きになった、2000系はクロスシートだったため戸袋窓を避けるために両開きにした模様、併せてヘッドライトの2灯化もこの形式から採用された。
当時の副社長のこだわりだったそうですね。両開き2灯ライトの2000系が登場したのはその副社長が退任した直後。
@@ebutuoy970800系の設計当時の正面デザイン案は後の2000系そのままだったな。
その後の1500形が、一般用の両開き扉のお初になりました。
東武200系のトア無し車両は、200系新造当時の「りょうもう」の利用者が非常に多かったからでしょうね。浅草駅などのホーム長最大6両という制約の中で着席定員確保しないといけなかったから。
前車に座席数合わせるからああなった。
@@s.hr-vermouth656 おっしゃるとおりですね。wikipediaにもそう記載されていた。なぜ合わせないとないかという理由が当時の「りょうもう」の需要の高さですね。今なら少しぐらいなら定員減っても構わないですからね。
国鉄の583系寝台・座席💺兼用交直流両用型特急電車🚃の乗降口扉が折戸式になっています!但し東北方面に向かう特急列車の場合冬場になると折戸に雪❄が挟まると開かない事がありますした。
名古屋鉄道の特急列車1000系パノラマスーパー特別車(指定席車)も折戸を使ってます・・・まあそもそも設計が昭和なので、車齢が30年前後😅
しかも、特急りょうもう号は東武動物公園駅と久喜駅では一部のドアが開かない。
昔の阪神電車や山陽電車は片方の扉もあります。
現在は両方の扉が開きます。
折戸といえば、近鉄特急
ACEやしまかぜはプラグドアですね。
ひのとりは引き戸。
近鉄10000系は折戸と片開き扉の両方採用していた
9:04 タクシー🚕の自動ドアは実際ドライバーの手動だからな。
セダン型の大半は手動ですが、ブレーキ倍力装置と同様にエンジンの負圧を利用したバキューム式もあるようです。最近のスライドドアは電動式ですね。
20m3扉 でもロングシート というちょっと昔の西武も思い出してあげてw
鉄道はおろか、移動するものですら無いのですが、空港では開き戸の自動扉を見かけますね……
折り戸は路面電車や第3セクター鉄道の旧型車両でまだちらほら残ってるな。だいぶ減ってきてはいるけど、思いつく中でも、長崎、熊本、豊橋、函館の路面電車で普通に見る。
プラグ式ドアの代表車両、JR西日本の500系新幹線車両。
外プラグ式ドア近鉄伊勢志摩観光特急しまかぜ用50000系。
内プラグは300系とE3系が最初では?
外プラグはキハ100形。
近鉄アーバンに乗った時プラスは折り戸、滅多に来ないネクストが外プラグでした。