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この時代に車内放送を録音していたというのが凄いです。古い時刻表も取ってあるというのも素晴らしいです。
古いテープや時刻表、切符類や収集品の数々。捨てられないのですが、そろそろ終活の一環として何とかしなければ・・・と思います。
@@急行-宗谷 時刻表・切符類は中古品を取り扱う店が存在していますので、そちらに売却かなあ・・・それともヤフオクですかねえ
この年、ちょうど昭和53年、中学生のときに函館から札幌まで急行ニセコの乗車したこと思い出します。懐かしいです!ありがとうございました。
録音と同じ年に乗車されたのですね。当時を思い出し、懐かしさを感じていただけましたら何よりです。
本当に懐かしいですね~ 私も当時の特急の写真を大切に保管しています。札幌駅でたくさん撮りまくりました!本当に昭和の時代は良かったですね✨ありがとうございました!
懐かしさを感じていただけましたら何よりです。当時の鉄道はダイヤも車両も変化に富んでいましたね。
懐かしいですね。82年夏にこの時間帯のニセコに乗ったのですが、すっかり記憶のかなたでしたが、こちらの動画で久しぶりに思い出しました。ありがとう!
忘れかけていた記憶を思い出して頂けて何よりです。
鉄道が幅を利かせた昭和の風情を感じます。僕は定期の急行ニセコには乗車したことありませんが、中学校の修学旅行で乗車した札幌から山線経由函館行きの機関車牽引の団体急行列車を思い出させてくれた動画です。あまりいい思い出のない中学でも列車の旅は良かったです。動画のアップ、ありがとうございます😊
山線経由の団体列車があったのですね。いいなぁ・・・。修学旅行を思い出して頂けて何よりです。
おはようございます。今日もまた懐かしい急行ニセコの車内放送ありがとうございます。また乗りたいですね。胆振線岩内線乗り換え案内最高です。編集お疲れ様でした
@かな 様。おはようございます。今回もまた公開直後のコメント有難うございます。お互いに早起きなのですね。この時の旅行では、北海道に渡って最初に乗ったニセコが機関車故障。その後は、大雪で足止めされたりと多難な回でした。でもかえって印象深いものとなりました。私が住む地域ではようやく暖かくなってきました。寒の戻りがあるかも知れませんが、お互いに健康に気を付けていきましょう。快方に向かっていることと思いますが、引き続きお大事に。
@@急行-宗谷 さん。何時も暖かい言葉感謝しています。ありがとうございます。急行宗谷さんも体調気をつけてお過ごし下さいね(*^^*)
@@kana08 様。有難うございます。若い頃は無茶をしましたが、高齢になって健康の有難さを嚙みしめております。
特急がホームに入ってきたときの『デラックス』さが懐かしい🌈ニセコの荷物車郵便車ありの編成表重厚感圧倒的で最高😃⤴️⤴️
特急列車と言えば前向き二人掛けの座席、エル特急「いしかり」以外は食堂車付き。たしかに眩しいくらい豪華でしたね。
機関車2両+荷物車2両+郵便車1両+客車7両で山線経由とか、今から見たら夢のような列車ですね。本当に懐かしい。
北海道新幹線開業に伴い、将来姿を消すことになる『山線』の車内放送、益々貴重さが増していくようです。『山線』を走っていた優等列車、急行「宗谷」の山線運行を忘れていました。当時の『山線』の格を感じました。当時の函館駅も、今の簡素化された駅と異なり、優等列車と青函連絡船を迎える重厚感がいいですね。「ニセコ」のグリーン車もそうですが、「北海」の食堂車も今では考えられない編成ですね。
この当時は新幹線など遠い未来のことと思っていました。新幹線ができれば、観光客を呼び込み、住む人も物流も増え、在来線も活性化するのだろうな・・・と思ったものでしたが、まさか廃止になろうとは・・・
@@急行-宗谷 それどころか札幌近郊以外廃止か資金ショートで経営破綻かのところまで追い込まれました。
懐かしい、音源ありがとうございます。私も昭和53年に急行ニセコに乗りました。国鉄最後の昼間客車急行ですね。気動車のニセコもありましたが、それは、片道だけですが、根室発函館行きの北海道最長の列車で、共に懐かしい思い出です。
「ニセコ」が14系になり、「快適そうだな・・・」と思いましたが、乗らないうちに廃止になってしまいました。
懐かしいです。私の記憶も同世代かと思います。ニセコは14系客車、鈍行は旧型客車、ともにDD51が牽引してました。岩内線の乗り換え案内はとても貴重ですね!いつもありがとうございます。
ニセコが14系になった時は、国鉄も大盤振舞をするものだと驚きました。でもその頃は旅行に出られず、そのうちに廃止になってしまいました。今にして思うと、14系で走った期間は意外と短かったようですね。
@@急行-宗谷 14系は確か、昭和56年2月頃~昭和61年11月ダイヤ改正での列車廃止まででした。
確か札幌駅もそうだったのですが、当時の函館駅の発車ベルの音色が美しかったですね...
そうなんです。本当はもっと長めに入れたかったのですが、「いきなりやかましい !!」との苦情を恐れ、少しだけ(約3秒)にしました。
山線、客車急行、機関車のお手当・・・もう何もかもが凄すぎます。
冒頭の特別急行呼びが大好き!アルプスの牧場も良き!今でも札幌駅では特急を「特別急行」って言ってくれるからJR北海道は大好きです。こないだのノースレインボーエクスプレスの展望は最高でした…
本数が少なかった頃の特急は長距離を走り、停車駅も少なく、食堂車付きで、本当に特別な列車という感じでしたね。
「特別急行」と言う言い方は、札幌駅だけとは限りません。他の道内の駅アナウンスでも言います、今はAIが案内放送しますが(道民)。
急行ニセコ103レといえばかつてSL時代に大きく脚光を浴びた花形列車でした。牽引機がDLに変わったとはいえ旧客の雰囲気がなつかしく楽しませてもらいました。わたしもSL時代のニセコは乗車経験がなく車内音もあまり記録していませんでした。こうして聞かせていただくと録音機材も本格的と思われ鮮明な音源でよく当時の車内の雰囲気をとらえていると思います。私がかつて見過ごしていた旧客の車内音を提供していただき感謝します。
旧型客車を懐かしく感じて頂けて何よりです。旧型客車はその後、急速に姿を消してゆき、普通列車からもなくなってしまいましたね。今にして思うとあっという間になくなってしまった感じです。
またまた良いものを拝見させていただきました。良い時代でした。一度急行ニセコには乗った事があります。C62重連時代の翌年だったか? 函館の駅舎も変わり、青函連絡船もなくなり、もう昭和の、そしてあの国鉄時代は幻となっていくのでしょうか・・・ 次回も楽しみにしております。
遠い昔の旅を思い出すと「あの頃は良かった」と思うものですが、そんな昔に思いを馳せながら、現代の旅をするのもまたよきかな・・・と思うようにしています。時代の変化と共に自分も年をとりました。
機関車故障の貴重な音源でしたね。自分も乗っている気分で聞き、終点までなんとか35分遅れで走り切れ安心できました。
列車に乗りまくっていると、こういう事態に遭遇することもありますね。乗っている気分で音声を鑑賞して頂きありがとうございます。
1985年夏、初めての北海道で最晩年の下り「ニセコ」に乗りました。客車は14系でしたが、DD51に引かれて小樽まで飽きることなくゴトゴトと揺られたことを思い出します。長万部での停車中に何気なく撮った写真と全く同じ構図のものが、突如 4:32 で現れたので思わず声が出ました。ニョキニョキと生えたたくさんの出発信号機、ブルルン…と身震い一発踏み出す山線への細道、ざわざわと線路脇の草をなびかせながら登る峠、暮れなずむ小駅、暗闇から人家が増えて滑り込む灯りまばゆい小樽…。その日泊ったホテルも晩飯を食べたラーメン屋も既になく、ついには山線まで消えていこうとしています。自分の経験したことが歴史に消えていくというのは、なんとも不思議な感覚ではありますね。今日は少々饒舌が過ぎました。本日もありがとうございました。
いやあ、いつも忘れかけていた多くの情景を思い出させてくれる投稿に感激しております。まるで寅さんの語りのような描写で(←例えが不適切でしたら申し訳ありません)、もっとお話を聞きたくなってしまいます。不安にさせるニュースが多い中、心がほのぼのとしました。こちらこそありがとうございます。
@@急行-宗谷 いやいやいや、寅さんだなんて畏れ多いです!毎々駄文にお付き合いいただきありがとうございます。m(__)m
貴重な音源のご提供ありがとうございます。札幌からの接続列車の多彩な事。今だったら普通や快速がちょこちょこなのでしょうな。中年の繰り言になって恐縮ですが改めて古き良き時代と云う言葉を噛み締めております。
札幌駅から各方面に夜行列車があった頃は、何とも言えない情緒がありましたね。鉄道会社としては情緒だけでは経営が成り立たないのもわかるのですが・・・
昔の札幌~函館の列車はサボに「小樽経由(山線)」「千歳経由(海線)」がありましたね。あと札幌駅の列車表示器には海線の列車は飛行機のマークがありました。
朝、アップされたの気が付きましたが出勤直前で・・・。機関車故障とは、でも短時間で運行できたのですね。札幌までどれだけ乗り換え案内があるのか。懐かしい路線ばかりです。子供の声がいいですね。「お父さん・・・」今回もありがとうございました。
いつも励みになるコメントを頂戴し、有難うございます。すでにお察しのことと思いますが、私のパソコン活動は午前が中心で、オロロンライン様と生活リズムが合わず申し訳ありません。新作公開後、「早くコメントを・・・」と負担になっているのでは……と気がかりです。私も気まぐれで、時々同じような画像編集に飽きて間隔が空くこともあります。どうか気楽に楽しんで頂ければと思います。
@@急行-宗谷様 ご心配ありがとうございます。私もかなり朝型です。5時には朝食はすませていますので・・・。これからも、気楽に楽しませて頂きますので。編集、無理なさらないように。
@@オロロンライン-t9e 様。有難うございます。安心いたしました。
ごおいちとお改正(昭和51年10月国鉄全国ダイヤ白紙改正)の頃の音声ですね。貴重な音源公開ありがとうございます。函館本線の山線区間に入った直後のディーゼル機関車エンジントラブルによって、終着駅の札幌まで約35分間の遅れを持ち込ませられたと推察いたします。お疲れ様でした。そのクレーム対応に悪戦苦闘されていたと推察される車掌長さん、終始落ち着いた声色で、折に触れてお詫びをしつつ乗り換え案内も完璧に行われていて、マニュアルに囚われない臨機応変な素晴らしい対応だと感心いたしました。国鉄時代の長距離列車を任されたベテラン車掌さんに出逢った思いです。昭和51年というと毎年のように国鉄の運賃料金が値上げされて、労使紛争も盛んで春闘秋闘シーズンには絶えずストライキが実施されていましたが、こういったベテラン車掌さんもいらっしゃったのですね。青函連絡船を降りて、急行ニセコからの宗谷狩勝大雪の三大夜行急行への乗り継ぎ、こんな旅行をしてみたいのですが、2030年北海道新幹線が札幌まで全線開業予定の頃には、並行在来線となる函館本線山線区間はもう…。
この時の車内は特に文句を言う人もなく、穏やかな雰囲気でした。北海道という広大な土地で、雪の季節に30分程度の遅れなら「まあしょうがないか」ぐらいの気分なのでしょうね。遅れたお詫びの放送も録音した以外にも頻繁にしていました。新聞では国鉄叩きの記事が多かった頃でしたが、北海道の多くの国鉄職員は乗客を大切にしてくれたように思います。
トラブルの案内とかレアですね
当時は何事もない平常時の放送を録りたかったのですが、年月が経ってみると、これもよきかな・・・と思います。
ニセコ は14系になってから乗りましたねこの時は 国縫 黒松内 も停車でした函館駅 先発で 後発の 北斗に 長万部で追いつくダイヤでした
14系になってからは乗る機会がありませんでした。ニセコは荷物輸送の関係で気動車にできず、最後まで残った昼間の客車急行でしたね。その後、居住性改善のため宗谷や天北に14系が投入され、4人向かい合わせのボックス席から、前向き二人掛け座席に変わって、素直に嬉しかったです。
長万部で7分も停車していたのですね。 幼稚園か小学校低学年の頃、一度だけこの列車に乗車。父親がホームで「かにめし」を買ってきたのですが、動き出す前に食べ始めたのを覚えています。 特急ばかりになってから長万部での停車時間はだんだん短くなり、買いにくくなった印象。数年前は予約して客室乗務員から購入できましたが、今は車内販売もなくなりました。 食べたかったら札幌でも買えるのですが、ホームで買って車内で食べたのが今でも思い出。
勾配区間を前に、機関車を増結するために長めの停車ですね。駅弁を買うには丁度良かったですね。初めて北海道を訪れた昭和40年代末、同じ「ニセコ2号」で「かにめし」を買いました。買った時は普通の駅弁のつもりでしたが、「これが人気のかにめしか・・・」と気が付きました。今ほど豊富に情報がなかった時代でした。美味しかったことが忘れられず、すっかり「かにめし」のファンになってしまいました。
旧客時代のニセコには乗ったことがないですが、二重窓のスハ45とスハフ44を使っていたでしょうから、冬の隙間風に悩まされることはなかったのでしょうね。この時期は冬季減車だと思います。グリーン車の故障減車は残念ですが、東北筋でも運用から外されていたころでしたので、寿命であったのかと思います。グリーン車なければ、荷物列車と同じですよね。
周遊券で自由席ばかり乗っていた身としては、グリーン車の有無は影響ありませんでしたが・・・
いやあ‼️😄懐かしいです😆🎵🎵
有難うございます。懐かしさを感じて頂けて何よりです。
ユ・ニは「狩勝4号」に継走され、さらに鈍行となって根室まで行っていたのですね。「ニセコ2号」「狩勝4号」「最果て混合列車」はもとは1本の列車でした・・・・「ニセコ2号」というと、自分は根室発函館行を思い浮かべてしまいます(汗
上りのニセコ2号は長距離急行として知られていましたね。全区間通して乗ったことはありませんでしたが。
オッサンだから、「ニセコ」(旧客時代)の函館→大沼公園と、根室本線の混合列車の釧路→厚岸&浜中→釧路乗りました!郵便📮車の運用番号「北東航21」は、以前、ハンドルネームとして使わせていただきました。
この頃は大勢の人達、特に若者が多かったか、が旅をしていたのですね。今は駅間の移動をしているだけみたい。
駅間の移動を楽しむか、退屈な時間と思うかですね。スマホの画面を見ているより、車窓を眺めた方が楽しいと思うのですが。
@@急行-宗谷 札幌まで大半がトンネルならきっとゲーム三昧の人もたくさん出てくると思います。短時間の飛行機でもそうなのだから。少しは地理や気象の勉強をせいと思いたいが。
0:54の巻き取り式案内懐かしい!(札幌駅にも有りましたね。)4:45のアナウンス貴重ですね。有る意味幸運(?)でしたね。
巻き取り式案内もダイヤ改正で発車時刻が変わったら修正しなければならないし、何かと手間と費用がかかったことと思います。二股駅でしばらく停車して沈黙が続いた時は不安な気持ちになりましたが、あとになってみれば、機関車牽引の客車列車だという記録が残せてかえって良かったかな…と思います。
機関車故障での遅延とは今となっては千載一遇の貴重な音源ですね。当時はこうしたトラブルも珍しくなかったのでしょうか?
自分が乗車した列車で機関車故障に遭遇したのはこの時だけだったと記憶しております。
急行でも停車駅がいまの特急とあまり変わらない感じがしますね。長万部のかにめしが300円はびっくりです。また、札沼線の本数が少ないですね。
本数が少ない札沼線。定時到着なら20時13分発の浦臼行に間にあったのでしょうが、だいぶ待ち時間が空いてしまったようですね。乗り換える人もいなかったのでしょうが。
70年高3の時周遊券でC62のニセコに乗ったのが懐かしいよ
C62牽引の急行ニセコの乗車体験がおありとは羨ましいです。
旧型客車のニセコ、いいね👍️夜行鈍行も懐かしい。網の目の北海道路線、駅には人が集まり生活を支え、商店街が発展していくんだよなぁ。特急には食堂車がある時代で~✴️もう二度と無いよき時代😢
もう40年以上も昔のことになってしまいました。懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
太古の昔にC62が牽いてた列車でしょうか。今は行けない所がいっぱい出てましたが何れはこの線も過去帳入りするみたいですね。
C62が牽引していたのも遠い昔になってしまいました。この録音の下りのニセコ2号は山線の区間が夏季以外は暗くなってしまうので、C62重連の映像は上りのニセコ1号が多いようですね。
遅れのため、残念ながら浦臼行終車には接続できなかったようですね。
浦臼行に乗り継ぎを予定していた人がいたかどうかはわかりませんが、当時の札沼線は本数が少なく、1本逃すと大変だったことでしょう。
マニ30も荷物車と一緒に連結されていたのですかね?機関車故障を約40分で手配完了は今より早いかもしれませんね
本州では夜行列車に連結されていた荷物車を引き継ぐため、旧型客車から14系に変更されても昼行の客車急行として残りましたね。機関車故障はおそらく軽微な不具合だったのでしょう・・・
貴重な音源ありがとうございます。この当時は、国縫は通過だったのですね。
当時、上りの函館行ニセコ2号が長万部21時18分発。瀬棚線の長万部行が長万部21時12分着。瀬棚線からニセコ2号へ乗り換え可能なのですが、瀬棚線に遅れが生じたために、ニセコ2号が、通常は通過する国縫に臨時停車して瀬棚線からの乗り換え客を拾っていました。「なかなか臨機にやるものだなぁ」と感心しました。
あのチャイム、なつかしいわぁ。
ここのところ北海道旅行にはご無沙汰しておりますが、今でも車内でこのメロディーを電子音で聞くことはできるのでしょうか・・・
客車でしか使用されないハイケンスのセレナーデです。道内で耳にすることはなくなりました。北斗星が最後だったと思料。中学生のとき14系ニセコで小樽から函館、東北地方に修学旅行に行きました。昭和59年6月。最寄り駅:銭函に臨時停車してくれて、乗り込んだ記憶があります。
懐かしい。😂
有難うございます。懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
もう蒸気機関車が引いていないんですね。それでも気動車じゃないのは坂がキツいからでしょうか。長万部~小樽間の廃止が決まってしまいましたね…。
当時、本州側でも青森発着の夜行急行にはまだ客車列車が健在でした。この夜行急行に連結されていた荷物車が青函連絡船を介して北海道の急行列車に連結されるため、北海道側では「ニセコ」の1往復だけが昼行なのに気動車化しなかったと聞いております。この列車とペアになる上り「ニセコ1号」は函館着が16時07分で、青森発の夜行急行に荷物車を渡すには適度な時間で、信ぴょう性は高いかなと思います。
二股で機関車故障だったのは長万部に近かったから不幸中の幸いだったのでしょうか?何か気になってしまいました。
長万部からは急勾配のため、先頭にもう一両DD51が連結されましたが、これが不具合を生じたものと想像いたします。長万部から何か応援が来た気配はなく、機関士さんが処置をして復旧させたようです。幸い軽微な不具合だったようで30分程度の遅れで済みました。もっと重篤な不具合でしたらこの程度の遅れでは済まなかったと思います。
いつも貴重な音源のUPありがとうございます😄 今回はグリーン車故障で不連結。機関車のトラブルで30分の遅延と録音されていても気が気でなかったのでは?
そうなんです。北海道に上陸して最初に乗った列車が機関車故障でした。外は暗くなるし、「最悪、このまま夜明かし・・・」との不安もありました。結果として30分程度の遅れで済み、夜行列車にも乗り継げて、影響はありませんでした。
小樽経由時代だもんなぁ~。
長万部~小樽間、今のうちに乗っておきたいですね。本数が減って随分乗りにくくなってしまいましたが・・・
@@急行-宗谷 すでに、廃線なることも決まってますし、今年の夏に乗っておきたいと思います!
冬場だったらどうなっていたんでしょうね。
乗車したのは2月末でしたが、特に寒さに震えることもなく無事に旅を続けることができました。
札沼線の時刻表を見てびっくり(゚ロ゚)!! 現在の10分の1くらいの本数しか列車が走っていなかったんですねぇ(゚o゚;・・・。
全体の本数は少なかったですが、一方で新十津川行きはそこそこあり、乗り通すのは比較的ラクでしたね。
グリーン車が故障で連結していません。機関車故障で遅れ・・・当時から北海道の国鉄はボロボロだったのかもしれませんね。
おっさん鉄オタって急行〇〇って列車大好きやんな
周遊券で旅行した身にとって、急行に愛着がありますね。
@@急行-宗谷 この動画の少し後の昭和56年頃から、順次、周遊券🎫での特急自由席利用が可能になりましたからね。私が北海道回った昭和60・61年では既にそうなっていたので移動が楽でした。
53年か…55年の確か?室蘭経由だと札幌行夜行に乗った事がある当方だと、旧型客車のいい思い出になったなと
旧型客車の記憶を思い出して頂けましたら何よりです。
(東)室蘭経由だと急行「すずらん」ですね。
この時代に車内放送を録音していたというのが凄いです。古い時刻表も取ってあるというのも素晴らしいです。
古いテープや時刻表、切符類や収集品の数々。捨てられないのですが、そろそろ終活の一環として何とかしなければ・・・と思います。
@@急行-宗谷 時刻表・切符類は中古品を取り扱う店が存在していますので、そちらに売却かなあ・・・
それともヤフオクですかねえ
この年、ちょうど昭和53年、中学生のときに函館から札幌まで急行ニセコの乗車したこと思い出します。
懐かしいです!
ありがとうございました。
録音と同じ年に乗車されたのですね。当時を思い出し、懐かしさを感じていただけましたら何よりです。
本当に懐かしいですね~ 私も当時の特急の写真を大切に保管しています。札幌駅でたくさん撮りまくりました!本当に昭和の時代は良かったですね✨ありがとうございました!
懐かしさを感じていただけましたら何よりです。当時の鉄道はダイヤも車両も変化に富んでいましたね。
懐かしいですね。82年夏にこの時間帯のニセコに乗ったのですが、すっかり記憶のかなたでしたが、こちらの動画で久しぶりに思い出しました。ありがとう!
忘れかけていた記憶を思い出して頂けて何よりです。
鉄道が幅を利かせた昭和の風情を感じます。
僕は定期の急行ニセコには乗車したことありませんが、中学校の修学旅行で乗車した札幌から山線経由函館行きの機関車牽引の団体急行列車を思い出させてくれた動画です。
あまりいい思い出のない中学でも列車の旅は良かったです。
動画のアップ、ありがとうございます😊
山線経由の団体列車があったのですね。いいなぁ・・・。修学旅行を思い出して頂けて何よりです。
おはようございます。今日もまた
懐かしい急行ニセコの車内放送
ありがとうございます。また乗りたいですね。胆振線岩内線乗り換え案内最高です。編集お疲れ様でした
@かな 様。おはようございます。今回もまた公開直後のコメント有難うございます。お互いに早起きなのですね。
この時の旅行では、北海道に渡って最初に乗ったニセコが機関車故障。その後は、大雪で足止めされたりと多難な回でした。でもかえって印象深いものとなりました。
私が住む地域ではようやく暖かくなってきました。寒の戻りがあるかも知れませんが、お互いに健康に気を付けていきましょう。快方に向かっていることと思いますが、引き続きお大事に。
@@急行-宗谷 さん。何時も暖かい
言葉感謝しています。ありがとうございます。急行宗谷さんも体調気をつけてお過ごし下さいね(*^^*)
@@kana08 様。有難うございます。
若い頃は無茶をしましたが、高齢になって健康の有難さを嚙みしめております。
特急がホームに入ってきたときの『デラックス』さが懐かしい🌈ニセコの荷物車郵便車ありの編成表重厚感圧倒的で最高😃⤴️⤴️
特急列車と言えば前向き二人掛けの座席、エル特急「いしかり」以外は食堂車付き。たしかに眩しいくらい豪華でしたね。
機関車2両+荷物車2両+郵便車1両+客車7両で山線経由とか、今から見たら夢のような列車ですね。本当に懐かしい。
北海道新幹線開業に伴い、将来姿を消すことになる『山線』の車内放送、益々貴重さが増していくようです。
『山線』を走っていた優等列車、急行「宗谷」の山線運行を忘れていました。当時の『山線』の格を感じました。
当時の函館駅も、今の簡素化された駅と異なり、優等列車と青函連絡船を迎える重厚感がいいですね。
「ニセコ」のグリーン車もそうですが、「北海」の食堂車も今では考えられない編成ですね。
この当時は新幹線など遠い未来のことと思っていました。新幹線ができれば、観光客を呼び込み、住む人も物流も増え、在来線も活性化するのだろうな・・・と思ったものでしたが、まさか廃止になろうとは・・・
@@急行-宗谷 それどころか札幌近郊以外廃止か資金ショートで経営破綻かのところまで追い込まれました。
懐かしい、音源ありがとうございます。私も昭和53年に急行ニセコに乗りました。国鉄最後の昼間客車急行ですね。気動車のニセコもありましたが、それは、片道だけですが、根室発函館行きの北海道最長の列車で、共に懐かしい思い出です。
「ニセコ」が14系になり、「快適そうだな・・・」と思いましたが、乗らないうちに廃止になってしまいました。
懐かしいです。私の記憶も同世代かと思います。
ニセコは14系客車、鈍行は旧型客車、ともにDD51が牽引してました。
岩内線の乗り換え案内はとても貴重ですね!いつもありがとうございます。
ニセコが14系になった時は、国鉄も大盤振舞をするものだと驚きました。でもその頃は旅行に出られず、そのうちに廃止になってしまいました。今にして思うと、14系で走った期間は意外と短かったようですね。
@@急行-宗谷 14系は確か、昭和56年2月頃~昭和61年11月ダイヤ改正での列車廃止まででした。
確か札幌駅もそうだったのですが、当時の函館駅の発車ベルの音色が美しかったですね...
そうなんです。本当はもっと長めに入れたかったのですが、「いきなりやかましい !!」との苦情を恐れ、少しだけ(約3秒)にしました。
山線、客車急行、機関車のお手当・・・もう何もかもが凄すぎます。
冒頭の特別急行呼びが大好き!
アルプスの牧場も良き!
今でも札幌駅では特急を「特別急行」って言ってくれるからJR北海道は大好きです。
こないだのノースレインボーエクスプレスの展望は最高でした…
本数が少なかった頃の特急は長距離を走り、停車駅も少なく、食堂車付きで、本当に特別な列車という感じでしたね。
「特別急行」と言う言い方は、札幌駅だけとは限りません。他の道内の駅アナウンスでも言います、今はAIが案内放送しますが(道民)。
急行ニセコ103レといえばかつてSL時代に大きく脚光を浴びた花形列車でした。牽引機がDLに変わったとはいえ旧客の雰囲気がなつかしく楽しませてもらいました。わたしもSL時代のニセコは乗車経験がなく車内音もあまり記録していませんでした。こうして聞かせていただくと録音機材も本格的と思われ鮮明な音源でよく当時の車内の雰囲気をとらえていると思います。私がかつて見過ごしていた旧客の車内音を提供していただき感謝します。
旧型客車を懐かしく感じて頂けて何よりです。旧型客車はその後、急速に姿を消してゆき、普通列車からもなくなってしまいましたね。今にして思うとあっという間になくなってしまった感じです。
またまた良いものを拝見させていただきました。良い時代でした。一度急行ニセコには乗った事があります。C62重連時代の翌年だったか? 函館の駅舎も変わり、青函連絡船もなくなり、もう昭和の、そしてあの国鉄時代は幻となっていくのでしょうか・・・ 次回も楽しみにしております。
遠い昔の旅を思い出すと「あの頃は良かった」と思うものですが、そんな昔に思いを馳せながら、現代の旅をするのもまたよきかな・・・と思うようにしています。時代の変化と共に自分も年をとりました。
機関車故障の貴重な音源でしたね。自分も乗っている気分で聞き、終点までなんとか35分遅れで走り切れ安心できました。
列車に乗りまくっていると、こういう事態に遭遇することもありますね。
乗っている気分で音声を鑑賞して頂きありがとうございます。
1985年夏、初めての北海道で最晩年の下り「ニセコ」に乗りました。
客車は14系でしたが、DD51に引かれて小樽まで飽きることなくゴトゴトと揺られたことを思い出します。
長万部での停車中に何気なく撮った写真と全く同じ構図のものが、突如 4:32 で現れたので思わず声が出ました。
ニョキニョキと生えたたくさんの出発信号機、ブルルン…と身震い一発踏み出す山線への細道、
ざわざわと線路脇の草をなびかせながら登る峠、暮れなずむ小駅、暗闇から人家が増えて滑り込む灯りまばゆい小樽…。
その日泊ったホテルも晩飯を食べたラーメン屋も既になく、ついには山線まで消えていこうとしています。
自分の経験したことが歴史に消えていくというのは、なんとも不思議な感覚ではありますね。
今日は少々饒舌が過ぎました。本日もありがとうございました。
いやあ、いつも忘れかけていた多くの情景を思い出させてくれる投稿に感激しております。まるで寅さんの語りのような描写で(←例えが不適切でしたら申し訳ありません)、もっとお話を聞きたくなってしまいます。
不安にさせるニュースが多い中、心がほのぼのとしました。こちらこそありがとうございます。
@@急行-宗谷 いやいやいや、寅さんだなんて畏れ多いです!
毎々駄文にお付き合いいただきありがとうございます。m(__)m
貴重な音源のご提供ありがとうございます。
札幌からの接続列車の多彩な事。今だったら普通や快速がちょこちょこなのでしょうな。
中年の繰り言になって恐縮ですが改めて古き良き時代と云う言葉を噛み締めております。
札幌駅から各方面に夜行列車があった頃は、何とも言えない情緒がありましたね。
鉄道会社としては情緒だけでは経営が成り立たないのもわかるのですが・・・
昔の札幌~函館の列車はサボに「小樽経由(山線)」「千歳経由(海線)」がありましたね。
あと札幌駅の列車表示器には海線の列車は飛行機のマークがありました。
朝、アップされたの気が付きましたが出勤直前で・・・。機関車故障とは、でも短時間で運行できたのですね。札幌までどれだけ乗り換え案内があるのか。懐かしい路線ばかりです。子供の声がいいですね。「お父さん・・・」今回もありがとうございました。
いつも励みになるコメントを頂戴し、有難うございます。すでにお察しのことと思いますが、私のパソコン活動は午前が中心で、オロロンライン様と生活リズムが合わず申し訳ありません。
新作公開後、「早くコメントを・・・」と負担になっているのでは……と気がかりです。私も気まぐれで、時々同じような画像編集に飽きて間隔が空くこともあります。どうか気楽に楽しんで頂ければと思います。
@@急行-宗谷様 ご心配ありがとうございます。私もかなり朝型です。5時には朝食はすませていますので・・・。これからも、気楽に楽しませて頂きますので。編集、無理なさらないように。
@@オロロンライン-t9e 様。有難うございます。安心いたしました。
ごおいちとお改正(昭和51年10月国鉄全国ダイヤ白紙改正)の頃の音声ですね。貴重な音源公開ありがとうございます。
函館本線の山線区間に入った直後のディーゼル機関車エンジントラブルによって、終着駅の札幌まで約35分間の遅れを持ち込ませられたと推察いたします。お疲れ様でした。
そのクレーム対応に悪戦苦闘されていたと推察される車掌長さん、終始落ち着いた声色で、折に触れてお詫びをしつつ乗り換え案内も完璧に行われていて、マニュアルに囚われない臨機応変な素晴らしい対応だと感心いたしました。国鉄時代の長距離列車を任されたベテラン車掌さんに出逢った思いです。
昭和51年というと毎年のように国鉄の運賃料金が値上げされて、労使紛争も盛んで春闘秋闘シーズンには絶えずストライキが実施されていましたが、こういったベテラン車掌さんもいらっしゃったのですね。
青函連絡船を降りて、急行ニセコからの宗谷狩勝大雪の三大夜行急行への乗り継ぎ、こんな旅行をしてみたいのですが、2030年北海道新幹線が札幌まで全線開業予定の頃には、並行在来線となる函館本線山線区間はもう…。
この時の車内は特に文句を言う人もなく、穏やかな雰囲気でした。北海道という広大な土地で、雪の季節に30分程度の遅れなら「まあしょうがないか」ぐらいの気分なのでしょうね。遅れたお詫びの放送も録音した以外にも頻繁にしていました。
新聞では国鉄叩きの記事が多かった頃でしたが、北海道の多くの国鉄職員は乗客を大切にしてくれたように思います。
トラブルの案内とかレアですね
当時は何事もない平常時の放送を録りたかったのですが、年月が経ってみると、これもよきかな・・・と思います。
ニセコ は14系になってから
乗りましたね
この時は 国縫 黒松内 も停車でした
函館駅 先発で
後発の 北斗に 長万部で追いつくダイヤでした
14系になってからは乗る機会がありませんでした。
ニセコは荷物輸送の関係で気動車にできず、最後まで残った昼間の客車急行でしたね。
その後、居住性改善のため宗谷や天北に14系が投入され、4人向かい合わせのボックス席から、前向き二人掛け座席に変わって、素直に嬉しかったです。
長万部で7分も停車していたのですね。
幼稚園か小学校低学年の頃、一度だけこの列車に乗車。父親がホームで「かにめし」を買ってきたのですが、動き出す前に食べ始めたのを覚えています。
特急ばかりになってから長万部での停車時間はだんだん短くなり、買いにくくなった印象。数年前は予約して客室乗務員から購入できましたが、今は車内販売もなくなりました。
食べたかったら札幌でも買えるのですが、ホームで買って車内で食べたのが今でも思い出。
勾配区間を前に、機関車を増結するために長めの停車ですね。駅弁を買うには丁度良かったですね。
初めて北海道を訪れた昭和40年代末、同じ「ニセコ2号」で「かにめし」を買いました。買った時は普通の駅弁のつもりでしたが、「これが人気のかにめしか・・・」と気が付きました。今ほど豊富に情報がなかった時代でした。
美味しかったことが忘れられず、すっかり「かにめし」のファンになってしまいました。
旧客時代のニセコには乗ったことがないですが、二重窓のスハ45とスハフ44を使っていたでしょうから、冬の隙間風に悩まされることはなかったのでしょうね。
この時期は冬季減車だと思います。グリーン車の故障減車は残念ですが、東北筋でも運用から外されていたころでしたので、寿命であったのかと思います。
グリーン車なければ、荷物列車と同じですよね。
周遊券で自由席ばかり乗っていた身としては、グリーン車の有無は影響ありませんでしたが・・・
いやあ‼️😄
懐かしいです😆🎵🎵
有難うございます。懐かしさを感じて頂けて何よりです。
ユ・ニは「狩勝4号」に継走され、さらに鈍行となって根室まで行っていたのですね。
「ニセコ2号」「狩勝4号」「最果て混合列車」はもとは1本の列車でした・・・・
「ニセコ2号」というと、自分は根室発函館行を思い浮かべてしまいます(汗
上りのニセコ2号は長距離急行として知られていましたね。全区間通して乗ったことはありませんでしたが。
オッサンだから、「ニセコ」(旧客時代)の函館→大沼公園と、根室本線の混合列車の釧路→厚岸&浜中→釧路乗りました!郵便📮車の運用番号「北東航21」は、以前、ハンドルネームとして使わせていただきました。
この頃は大勢の人達、特に若者が多かったか、が旅をしていたのですね。今は駅間の移動をしているだけみたい。
駅間の移動を楽しむか、退屈な時間と思うかですね。
スマホの画面を見ているより、車窓を眺めた方が楽しいと思うのですが。
@@急行-宗谷 札幌まで大半がトンネルならきっとゲーム三昧の人もたくさん出てくると思います。短時間の飛行機でもそうなのだから。少しは地理や気象の勉強をせいと思いたいが。
0:54の巻き取り式案内懐かしい!(札幌駅にも有りましたね。)
4:45のアナウンス貴重ですね。有る意味幸運(?)でしたね。
巻き取り式案内もダイヤ改正で発車時刻が変わったら修正しなければならないし、何かと手間と費用がかかったことと思います。
二股駅でしばらく停車して沈黙が続いた時は不安な気持ちになりましたが、あとになってみれば、機関車牽引の客車列車だという記録が残せてかえって良かったかな…と思います。
機関車故障での遅延とは今となっては千載一遇の貴重な音源ですね。
当時はこうしたトラブルも珍しくなかったのでしょうか?
自分が乗車した列車で機関車故障に遭遇したのはこの時だけだったと記憶しております。
急行でも停車駅がいまの特急とあまり変わらない感じがしますね。
長万部のかにめしが300円はびっくりです。
また、札沼線の本数が少ないですね。
本数が少ない札沼線。定時到着なら20時13分発の浦臼行に間にあったのでしょうが、だいぶ待ち時間が空いてしまったようですね。乗り換える人もいなかったのでしょうが。
70年高3の時周遊券でC62のニセコに乗ったのが懐かしいよ
C62牽引の急行ニセコの乗車体験がおありとは羨ましいです。
旧型客車のニセコ、いいね👍️
夜行鈍行も懐かしい。
網の目の北海道路線、駅には人が集まり生活を支え、商店街が発展していくんだよなぁ。
特急には食堂車がある時代で~✴️
もう二度と無いよき時代😢
もう40年以上も昔のことになってしまいました。懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
太古の昔にC62が牽いてた列車でしょうか。今は行けない所がいっぱい出てましたが何れはこの線も過去帳入りするみたいですね。
C62が牽引していたのも遠い昔になってしまいました。この録音の下りのニセコ2号は山線の区間が夏季以外は暗くなってしまうので、C62重連の映像は上りのニセコ1号が多いようですね。
遅れのため、残念ながら浦臼行終車には接続できなかったようですね。
浦臼行に乗り継ぎを予定していた人がいたかどうかはわかりませんが、当時の札沼線は本数が少なく、1本逃すと大変だったことでしょう。
マニ30も荷物車と一緒に連結されていたのですかね?機関車故障を約40分で手配完了は今より早いかもしれませんね
本州では夜行列車に連結されていた荷物車を引き継ぐため、旧型客車から14系に変更されても昼行の客車急行として残りましたね。
機関車故障はおそらく軽微な不具合だったのでしょう・・・
貴重な音源ありがとうございます。
この当時は、国縫は通過だったのですね。
当時、上りの函館行ニセコ2号が長万部21時18分発。瀬棚線の長万部行が長万部21時12分着。瀬棚線からニセコ2号へ乗り換え可能なのですが、瀬棚線に遅れが生じたために、ニセコ2号が、通常は通過する国縫に臨時停車して瀬棚線からの乗り換え客を拾っていました。「なかなか臨機にやるものだなぁ」と感心しました。
あのチャイム、なつかしいわぁ。
ここのところ北海道旅行にはご無沙汰しておりますが、今でも車内でこのメロディーを電子音で聞くことはできるのでしょうか・・・
客車でしか使用されないハイケンスのセレナーデです。道内で耳にすることはなくなりました。北斗星が最後だったと思料。中学生のとき14系ニセコで小樽から函館、東北地方に修学旅行に行きました。昭和59年6月。最寄り駅:銭函に臨時停車してくれて、乗り込んだ記憶があります。
懐かしい。😂
有難うございます。懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
もう蒸気機関車が引いていないんですね。それでも気動車じゃないのは坂がキツいからでしょうか。
長万部~小樽間の廃止が決まってしまいましたね…。
当時、本州側でも青森発着の夜行急行にはまだ客車列車が健在でした。この夜行急行に連結されていた荷物車が青函連絡船を介して北海道の急行列車に連結されるため、北海道側では「ニセコ」の1往復だけが昼行なのに気動車化しなかったと聞いております。この列車とペアになる上り「ニセコ1号」は函館着が16時07分で、青森発の夜行急行に荷物車を渡すには適度な時間で、信ぴょう性は高いかなと思います。
二股で機関車故障だったのは長万部に近かったから不幸中の幸いだったのでしょうか?何か気になってしまいました。
長万部からは急勾配のため、先頭にもう一両DD51が連結されましたが、これが不具合を生じたものと想像いたします。長万部から何か応援が来た気配はなく、機関士さんが処置をして復旧させたようです。幸い軽微な不具合だったようで30分程度の遅れで済みました。もっと重篤な不具合でしたらこの程度の遅れでは済まなかったと思います。
いつも貴重な音源のUPありがとうございます😄 今回はグリーン車故障で不連結。機関車のトラブルで30分の遅延と録音されていても気が気でなかったのでは?
そうなんです。北海道に上陸して最初に乗った列車が機関車故障でした。外は暗くなるし、「最悪、このまま夜明かし・・・」との不安もありました。結果として30分程度の遅れで済み、夜行列車にも乗り継げて、影響はありませんでした。
小樽経由時代だもんなぁ~。
長万部~小樽間、今のうちに乗っておきたいですね。本数が減って随分乗りにくくなってしまいましたが・・・
@@急行-宗谷
すでに、廃線なることも決まってますし、今年の夏に乗っておきたいと思います!
冬場だったらどうなっていたんでしょうね。
乗車したのは2月末でしたが、特に寒さに震えることもなく無事に旅を続けることができました。
札沼線の時刻表を見てびっくり(゚ロ゚)!! 現在の10分の1くらいの本数しか列車が走っていなかったんですねぇ(゚o゚;・・・。
全体の本数は少なかったですが、一方で新十津川行きはそこそこあり、乗り通すのは比較的ラクでしたね。
グリーン車が故障で連結していません。機関車故障で遅れ・・・当時から北海道の国鉄はボロボロだったのかもしれませんね。
おっさん鉄オタって急行〇〇って列車大好きやんな
周遊券で旅行した身にとって、急行に愛着がありますね。
@@急行-宗谷 この動画の少し後の昭和56年頃から、順次、周遊券🎫での特急自由席利用が可能になりましたからね。私が北海道回った昭和60・61年では既にそうなっていたので移動が楽でした。
53年か…55年の確か?室蘭経由だと札幌行夜行に乗った事がある当方だと、旧型客車のいい思い出になったなと
旧型客車の記憶を思い出して頂けましたら何よりです。
(東)室蘭経由だと急行「すずらん」ですね。