Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
態度が悪いだの何かと批判を浴びることの多かった国鉄職員ですが、車掌業務に誇りと自負を持ち、鉄道を愛し、渾身に働いていた方も多くいました。ほんと、各駅ごとのアナウンスに心がこもってます。
こういう放送は録音当時でも嬉しくなったものでした。40年の時を経て、多くの方に聴いていただける機会を得て、嬉しく思います。
態度が悪かったのは都市部の職員でした、地方ローカル部の職員は気さくでとてもフレンドリーでした。
優等列車に反抗的な社員は配置されなかったのでは。車体にアジ文句を書くのも、特急車両は少なかったと言われるし。そもそも地方だとそれほど過密ダイヤでないから労務上の不満も少なかったかもしれないな。
窓も開かないし😤列車の匂いしないし😤 スピード😤速いけど🤣なんの情緒もない😓こんなのんびり時代戻りたい🚃🚃🚃🚃
めちゃくちゃ良いこと言うな
こんな急行列車、乗ってみたかったなあ。それにしても、すごく聞きやすい車内放送の録音、また 放送と共に、当時の時刻表を見せてきただき、とてもわかりやすかったです。up主のお心使い、感動しました。
心遣いというより、付けるべき動画も写真もなく、苦し紛れの時刻表加工画像ですが、放送を楽しんでいただければ何よりです。
@@kyuukou-souya 今振り返ると 昭和時代のほうが北海道には多くの路線が存在していましたね
そのうちに路線も廃止され、たどることもできなくなりますね。
初めまして。今では長距離急行もなく特急に輸送が変わり時代を感じます。函館~稚内間の急行宗谷は今となっては貴重な列車だと思いますまた車内放送の車掌さんも音声が素敵で観光案内(大沼)や当時活躍した瀬棚線や胆振線などの乗り換え案内も貴重な放送ですね楽しく聞かせていただきましたので私も旅行気分になりました。貴重な動画ありがとうございます。
数多くのUA-cam作品に比べて、音質も画像も見劣りして、UPする際には、数日で撤去することも考えつつ、恐る恐るの公開でした。今では大勢の方から「貴重な」とコメントを頂戴しており、嬉しさでいっぱいです。ありがとうございます。
JRの特急より格段に味がある放送
現在の自動放送も否定はしませんが、『人』がしゃべる放送は味がありましたね。
@@kyuukou-souya 自動放送とか形式化された放送内容ではなく、車掌さん自身の言葉っていうのが好きですね。
当時の気動車急行の最長距離列車この車掌さんの車内放送サ―ビス満点最高に聴きやすいし連絡待ち停車時間も詳しく説明してくれる関西圏のキハ58だいせん丹波 但馬 みまさか号たくさん乗ったけれどこんなに上手い車内放送聴いたことがない⁉️録音も凄い良くミニ旅行気分になりますね‼️
嬉しい評価を頂き有難うございます。北海道を縦断する急行宗谷は大好きな列車でした。でも宗谷本線区間が夜になってしまうので稚内まで乗り通したことはありませんでした。
国鉄時代にも丁寧な温かい車掌さんおたなあ😊
新聞では国鉄叩きの記事が多かった時代ですが、旅客を大事にしてくれる職員さんも多かったと思います。
函館↔︎稚内って、11時間で行けたんですね。もっと掛かるかと思ってました。
コロナ禍が去り自由気ままに皆が鉄道の旅を楽しめる日が早く来ますように。
コロナの収束は鉄道ファンだけではなく、全世界の願いですね。宗教はやっておりませんが祈るばかりです。
最近見た動画で一番心が揺さぶられました。私が産まれる前ですが北海道の賑わいを感じました。たくさんの廃線、あさひがわ、手稲から琴似まで駅が無い、急行なのに停車駅は特急並み、、とても新鮮な気持ちで発見があり、想像しながら旅行することができました。この動画より前の時代ですが、私の祖父はかつて旭川駅で駅長をしていました。次に会うときはこの動画を観ながら昔話を聞いてみたいと思います。ありがとうございました。
UA-camにには数多くの鉄道系動画が公開されていますが、その中から嬉しい評価をありがとうございます。音声に苦肉の策の時刻表加工画面を付けた、言ってみれば「安っぽい画面」ですが、反響の多さに驚いています。
今では考えられない壮大な急行だ。とても丁寧な車掌の放送も良い。
函館~稚内まで約12時間。こんな長い時間、キハ56に乗れるって今思えば夢のよう。
今にして思えばその通りですね。宗谷は大好きな列車でしたが、全区間を通して乗ったことはありませんでした。
今思えばもう一度乗りたいと思うけど、旭川から先、稚内や網走、釧路からさらに根室まで乗るとなると、最後の方はうんざりしたものです。
正午前頃に函館を出て、その日のうちに稚内に着くなんて意外と速い
あの時代にタイムスリップして旅をしている気分にさせていただきました。本当に貴重な車内放送をありがとうございました。
コメントありがとうございます。旅気分を感じていただけて何よりです。
大変音質がいいのでずっと聞いてます。ありがとうございます。長距離列車の放送旅情があっていいですね。「待合室でお休みください」「飲料水はホーム中央にあります」がツボでした。
2分弱の停車しかない長万部で、飲料水の案内をして大丈夫かな…とも思いますが、窓を開けて駅弁を買う人も多くいましたからね……
アナウンスに合わせた時刻表、非常に楽しい感じです。この頃は鉄道が一番盛り上がっていた時代なんだなあと感じます。今は旅に出られないですが、おかげさまで旅をしている気分になれました。ありがとうございます!
音声に合わせた動画はなく、時刻表加工の質素な画面ですが、わずかでも旅気分を感じて頂けたら幸いです。
出来る事なら、こういう列車が日本のどこかに走ってるような時代がまた来て欲しい。この動画は『旅情とは』をそのまま物語ってると思います。ゆっくりと落ち着くトーンでアナウンスしてる車掌さん。僕がこの列車に乗ってたなら、間違いなくこれは生涯忘れることの無い旅になってたと思います。
こんな列車にまた乗ってみたい・・・同じ気持ちですね。
素晴らしい動画です、「日本遺産」と言っても良いのではないでしょうか。貴重な当時の時刻表のキャプションなど織り交ぜて、視聴者に分かりやすよう伝わりやすいよう編集してくださっている主様のその姿勢に、ただひたすら敬服する次第です。
音声はありのままでいいとしても、画像作りは困りました。同じ画面が長時間続かないように、とにかく色々なものを織り交ぜて、なるべく画面がこまめに変わるようにしたつもりです。スタンプその他、必ずしも同一年代ではありませんが、おおむね昭和末期のイメージということでご容赦願います。
@@kyuukou-souya さまご丁寧に返信ありがとうございます。主様のその視聴者第一目線の編集に、ただただ敬意を表します。
@@hanagatamitsuru_hokkaido 様 視聴者第一目線とはお恥ずかしい。わたくし自身が楽しんで作っております。
現代のマニュアル的な車内放送と違い 車掌さんにより個性があり良い時代だったと思いますこんな車内放送を聞いたら 旅路の雰囲気が盛り上げます!!
現在は自動放送がほとんどですが、これも時代の流れですね。外国語の案内が流れるようになった時には、すごいものだと思いました。
@@kyuukou-souya 北海道のほとんどの駅にもう汽車は来ません、とりあえず今日は来ません、今日の予定は終わりました・・・となるでしょう。
すごいの一言です。昭和40年代にカニ族として、夏も冬も旅をしたものです。10歳代の思い出ポロポロです。本当にありがとうございます。何度も宗谷や利尻に乗車しました。まだ特急がない時代でした。
昔の旅を思い出して頂けて何よりです。宗谷本線は急行が頑張っていましたね。
急行宗谷。急行利尻(夜行列車)、急行天北(天北線経由)が宗谷本線を走っていました。何度も利尻に乗りました。特に思い出深いのは、普通列車(5~6両の客車編成)のSLのC55が旭川と稚内間を往復していました。小生は、上りの稚内から終点の旭川まで乗車しました。スポーク動輪の美しい汽車でした。
今JRは切符の対面販売をなくそうとしています。でもこの頃はアナログな時代だったので駅のみどりの窓口で行き先を告げてどの列車に乗ったらいいかなど相談したもんです。デジタル化が悪いとは言いませんが人間味がなくなったのは昭和生まれとして何か悲しいものがあります。
2:44~ この頃、「旭川」駅は「あさひがわ」(「か」に濁点あり)って読んでたんですよね。国鉄からJRになった次の年の1988年3月ダイヤ改正から「あさひかわ」(「か」に濁点なし)に変わりました。面白いことに、1898年の開業当初は数年間、「あさひかわ」(「か」に濁点なし)と言ってたそうで、読み方が2回変わったのです。
「あさしがわ」と聞こえます
大変貴重な音源、ありがとうございます。当時、大学入学で渡道したばかり、このような道内の長距離急行列車が当たり前の存在でした。今となっては、本当に懐かしく、二度と乗ることが出来ない列車の重要文化財級の記録です。
コメントありがとうございます。重要文化財級……とはまた大変な評価。恐縮しつつとても嬉しく思います。もっといい画像を付けられると良かったのですが……
@@kyuukou-souya 返信いただきありがとうございます。お世辞では決してありません。その当時あのシーンは二度と戻らないのですから。
鉄道ジャーナル1981年4月号の「宗谷」列車追跡は、シリーズ随一の名作だと思います。C62ニセコの思い出、老骨にムチ打って走るキハ56、自然災害との闘い、氷雪の原野で見る哀しい幻影・・・冬が今よりずっと厳しかった頃の北海道は、乗り鉄するだけで大冒険だったと感じさせてくれます。機会がありましたら是非。
国鉄時代、愛想のないひどい対応の駅員・車掌も少なくなかっただろうが、この車掌氏は素晴らしい。何と言っても発音にくせがなく、きれい。
ぶっちゃけ今より乗り換えの案内親切だなとも
乗り換える支線も多かったですね。
函館から稚内まで走りきるのかぁ…道内縦断急行、乗ってみたかったなぁ…
函館~稚内?信じられない距離です。昔の車掌さんの案内は、今と違って温かみがありますね。貴重な音声、ありがとうございます。
いぶし銀のような放送も可、女性アテンダントの放送も可、自動放送も可、要するに乗るのが好きなのですが、コロナで旅行自粛中です。
東京からだとどこまで行っちゃうんだろう札幌ー網走が東京ー大阪とほぼ同じくらいって聞いたことあるけど
当時の特急おおぞらは函館〜釧路。しかも滝川・富良野経由でした。
当時の営業距離で確か623キロだったかな?
小学生の頃乗った急行列車で「切符を拝見しま~す。切符を拝見しま~す。」とだけ言ってた車掌を思い出しました。この車掌さんは親切そうですね。
この車掌さんの車内放送、すごく丁寧ですね!!内容がわかりやすく、話すスピードとかも、誰もが聞きやすいように理解しやすいようにという感じで、車掌さん自身の親切なお人柄さえ感じられます!
自動放送も悪くはないですが、人の声による放送は温かみがありましたね。合理化か近代化か、だんだん聞けなくなってきました。時代の流れですね。
宗谷、山線経由だけど早いんだよね。函館札幌は4時間40分、海線のすずらんより15分くらいしか違わない。山線特急の北海がすずらんと同じ4時間25分だから、早いな。
まさに昭和55年8月~9月の夏、北海道ワイド周遊券で20日間、大学鉄研の北海道合宿をしていました。大雪、利尻、からまつなど、夜行列車を宿代わりに14車中泊をしての全線乗り潰しをしていました。石勝線はまだ無くて、白糠線も廃線前、美幸線、士幌線(十勝三股代行バス)、万字線、夕張線登川支線などはまだ健在でした。懐かしさに、感涙です。ありがとうございました。
音声を聴いて、遠い昔の旅を思い起こして頂けたのでしたら幸いです。
この頃、東北夜行から青函連絡線乗り継ぎで函館では2本の特急を見送り、直後に発車のこの宗谷に札幌まで乗ったのを思い出しました。アナウンスも細かく、乗り継ぎ時間が長い時は待合室でお待ちくださいは良く印象に残っています。当時使用したコンパス時刻表(¥300)も所有しています。懐かしく拝見させていただきました。
気動車の轟音、線路の継ぎ目の快いリズム、車内オルゴール「アルプスの牧場」、そして車内放送……車両の案内、途中停車駅と到着時刻、乗り換え案内。乗り換えの待ち合わせ時間が1時間以上は当たり前。昭和の鉄道旅行の、時間の流れと音が懐かしいです。加えて、時刻表と地図までアップいただき、感謝です。
音声に見合う動画がなく、苦し紛れに時刻表を加工したスライドショーですが、楽しんで頂けましたら何よりです。
函館から稚内。10時間を超える急行の旅。乗り鉄にはたまらないですよねぇ~。この長距離急行「宗谷」には、私は乗った事がありませんでしたが、函館から網走への特別急行「おおとり」には2度ほど乗った事があります。こちらも10時間超えの長い旅でした。キハ80系の「鼓動」が、今でも忘れられません。この時代の車掌さんの、肉声の車内放送はホント、良かった。旅を演出してくる情緒がありました。今は味気のない自動放送ばかりで、列車は旅ではなく、ただの移動手段に過ぎなくなってしまいました。そう言う意味からも、この動画は本当に貴重です。アップ、有り難うございます
網走までの『おおとり』も長かったことと思います。わたくしは『急行宗谷』のファンでしたが、恥ずかしながら、函館から稚内まで乗り通したことがありませんでした。
40年前の音声をこんなにも高音質で聞けるなんてすごい!貴重な音源ありがとうございます!紋別やはぼろなど、現在は廃線になってしまった路線を走行する列車も結構走っていたんですね。
普通のカセットテープも意外と耐久性があることを知りました。公開して多数の方に聴いて頂けて良かったです。
味わいのある車掌さんの名調子に、旅の楽しみが増すというものです。車掌さんの名調子もそうですが、国鉄時代の昔。駅の放送にも旅の楽しみが膨らみました。例えば長万部の駅の放送は「おしゃまんべ〜い。おしゃまんべ〜い」「れんらくぅ〜、瀬棚線は1時間の待ち合わせ。室蘭方面は1時間半の待ち合わせ。それぞれ時間がございます〜。橋を渡って待合室にてお待ち合くださぁ〜い」情緒がありましたよね。
「人」が放送する案内もめっきり減って、車内、駅とも自動放送が主流になってしまいました。情緒は失われてしまいましたが、外国語の案内も流せるようになって、利点はあるようですが。
いい日旅立ち!北海道の鉄道もまだまだ元気のあった良い時代でした。
すごい! まさに北海道縦断急行。こんな素晴らしい急行があったなんて。しかしよく録音してましたね。公開ありがとうございます!
我ながら、よくこんな録音をしたものだと思います。古い録音なので公開に踏み切るのは、恐る恐るでした。
山線と急行列車が元気だった時代、「くるまは~」「橋を渡りまして、待合室でお休みください」「気動車」等々、当時の車掌さんの言い回しが懐かしいです。多層階急行や「長万部発深川行」「小樽発追分行」など、今では考えられない行き先ですね。「あさひがわ」と濁って読んでいたのはいつまでだったのでしょう。
最初は函館発車後放送だけをUPしようと思ったのですが、乗り換え案内も捨てがたく、長くなってしまいました。小樽発追分行は時刻表では客車列車ですが、放送では気動車と言っていますね。
私の学生時代、上野から札幌まで 急行八甲田〜宗谷の乗り継ぎは、テッパンのルートでした。周遊券だけで行ける最速列車でしたから、おもひでぽろぽろです❗️貴重な画像ありがとうございます😊
コメントありがとうございます。函館で先発する『おおぞら』にも『おおとり』にも乗らず、悠々『宗谷』に乗るのは周遊券ならではでした。
テッパンと言うのは関西方言だぜ。首都圏じゃ何言ってるんだこいつと思われるだけ
関東圏では漢字で『鉄板』。私も八甲田組ですけど、北海道ワイド周遊券だと、道内は特別急行の自由席に乗れませんでしたか?
素晴らしい。懐かしい。昭和50年の3月、北海道均一周遊券を使って初めて北海道旅行をしたとき急行宗谷に乗りました。前日の19時頃、上野を急行八甲田で出発し青森に早朝到着、青函連絡船に乗り次いで函館に昼前に到着、函館駅のカーブを描いた長いホームで待ち受ける急行宗谷に乗り継ぎ札幌には16時半に到着、実に22時間近く固い座席(連絡船はカーペット敷きの広間)に揺られて、2週間(均一周遊券の有効期間)におよぶ北海道旅行が始まりました。均一周遊券では特急には乗れないため、この乗り継ぎが金のない学生旅行の定番でした。そしてユースホステルも。40年以上前の思い出がはっきりと蘇ってきました。ありがとうございます。
思い出深い列車ばかりではなく、周遊券という魅力的な切符も無くなってしまいました。時代の流れですね。
函館~稚内間の長距離急行なんて、最高の汽車旅ですね!!北海道の鉄道網は、高速道路の発展とともに、どんどん衰退していきますね…。車社会の今となっては、もうどうする事も出来ませんが…。😔
昔と今を比較すると淋しい気持ちにもなりますが、これも時代の流れですね。過去は過去として、現在残っている路線、列車を『良し』として、汽車旅を楽しみたいと思います。
新幹線やリニアが出来れば又栄えるではないでしょうか?
JR北海道がもっとマトモならね。
急行列車全盛期の車内放送は凄く丁寧で乗りたくなりますね❗
1970年頃「宗谷」で長万部-札幌間を利用しました。室蘭・千歳線経由が距離が長くても時間が短いので、急ぐ人はこの列車の少し前に出る「おおとり」で札幌に向かっていましたね。函館山線経由がものすごく遅く感じたものです。冬でしたので、札幌についたころは暗くなっていました。この先、さらに旭川や稚内まで行くのがすごいなと感じたものです。
懐かしい、とにかく懐かしいです、旅してる気分になります。旧国鉄の車掌さんは本当に車内放送が上手でした。でも、この車掌さん絶品です。こんな音源があったとは・・、有難うございました。
今は普通列車の大部分がワンマンで、特急は自動放送。こういう案内放送もだんだん過去のものになりつつあるのですね。
函館から稚内へ。急行宗谷は9時間半をかけてはしりました。国鉄時代の、古き佳き急行。現在ではあり得ない北海道の鉄路に涙💧
石勝線開業も見えていた頃、北海道の鉄道が今のような姿になろうとは夢にも思いまsんでした。
国鉄の経営悪化については時代背景など思うところがあるが、負の遺産をすべて押し付けた国の無責任による部分は大きいですよね。こういう感じで良いところもたくさんあった。時代の流れには逆らえないけど、味があったなぁとは思う。
何時も楽しく聞かせて頂いております。国鉄時代の壮大な急行宗谷の、旅路を車窓と共に遙か稚内に想いを馳せています。これからも、貴重な車内放送や構内放送、列車の音など楽しみにしております。昔は良かったですね。
有難うございます。遠い昔の汽車旅に思いを巡らせて頂けましたら嬉しいです。
下手な観光列車走らせるより、昔の車両、名前で様々な列車を期間限定で走らせた方がいいような気がした郷愁ある動画でした。
「余市には止まりません」って止まればいいのに。宗谷本線直行のプライドを感じます。ああ懐かしい。
コメントありがとうございます。懐かしさを感じて頂けて何よりです。
この後、ダイヤ改正され、宗谷は札幌発に分断、残りの函館~小樽~札幌の南半分は特急北海に格上げされ、北海は2往復化となり余市にも北海が停車する様になりました。
急行ですが特急並みの停車駅。まさに長距離急行ですね❗️
国鉄時代余市は町の規模の割には優等列車に軽視されていた感じがしました。特急北海が停車したのもニセコや黒松内の後ですから。国鉄時代は過去の栄光をいつまでも引きずって現実の利用実態に合わせた運行を出来ていない部分もかなりあったと思います。
@@青空うれし-n5i 同感です。優等列車ならではの”こだわり”がありましたね。今思えばそれがまた魅力の一つでした、JRの特急に無い。
凄く丁寧なアナウンスですね今はもう乗れないのが悔やまれる
同じ列車はありませんが、幸いにも線路はまだあります。路線が廃止にならないうちに乗って楽しみたいものですね。
宗谷本線の場合、普通急行は、和寒に止まるのですが、これは、和寒には、停まりませんでした。長距離急行の位の高さという認識がありました。
素晴らしい動画ですね!ありがとうございました!感動しました!
コメントありがとうございます。『動画』と呼ぶには適当なイメージ画像ばかりですが、音声だけよりは楽しめるように…と思いまして。
今の時代に何か忘れられたまたは失ってしまった良さがありますね^_^
時代の流れですね。蒸気機関車が日常的に走っていた頃は、決して快適ではありませんでしたが、無くなってみると懐かしい・・・時の流れってそういうものですね・・・
今では考えられない昼行のロングラン列車ですね。しかも山線経由で。現在同じことをやろうとしたら、特急急行が無くなった山線経由ではもっと時間がかかるでしょうし、特急の最短乗り継ぎ(北斗-カムイ-サロベツ)でも稚内まで10時間近くかかる。如何に北海道が広いかってことを実感します・・・
旅情をかきたてる素晴らしい車内放送です。まさに質実剛健!
今ではこのような長距離列車があっても、よっぽどの物好きかマニアしかいないのだろうけど、この時代は東京や大阪からやって来て、連絡船を乗り継いで終着稚内まで乗る人も、多くはないけれども普通にいたんでしょうね。
普通にいたかどうかはわかりませんが、連絡船から乗り継いで、稚内まで行くのは大変な旅だったでしょうね。
大阪からは朝10時の白鳥で青森、連絡船乗って朝四時半時発の北斗に乗って札幌行って、急行天北に乗ると稚内に夕方着けるルートでした。
北海道が輝いていた末期の貴重な録音。そして音質が素晴らしい。リマスターでもしたのでしょうか?。JR北海道もこの列車を年に数回、企画列車として運行すれば完売だと思うが走らせないかな。
ごく普通のカセットテープが、40年後でもそこそこ聴けるものなのですね。引っ越しの際に捨てなくて良かった。企画列車として運行、賛成!! でも混んで高齢者が乗車するのは無理ですかね。
車掌さんの肉声放送に感動。涙💧今の自動放送に旅情は感じられませんが、国鉄時代の車掌さんの肉声放送は、否が応でもでも旅情が掻き立てられます。
自動放送がすっかり定着してしまいました。さびしいことですが、これも時代の流れですね。
とても懐かしい動画でした。私も18歳のときに鳥取から網走に赴任したとき函館から乗車しました。大沼公園に差し掛かった時に目に飛び込んできたのが雄大な駒ヶ岳でした。初めて目にする景色に感動したのを今でもはっきり覚えています。もう54年も前のことです。
函館から北海道に入って、すぐに出会える大沼公園の景色はひときわ印象的ですね。千歳空港から入るのとは違いましたね。
長万部発深川行き、小樽発追分行き、札幌発歌志内行き、札幌発新十津川行き、、、いずれも(いい意味で)「ふざけんな」と苦笑してしまう。こんな時代があったのですね。
新十津川直通は日に3本くらいあったような…他に浦臼。それはそうと目名発札幌行きとか…今なら『目名🤔』って始発になるのだろうな。個人的には普通列車札幌ー函館が大好きでした。快速ミッドナイトも良かったけど。ふと思うに札幌発着小樽以遠って今、日に何本?JR北終了のお知らせ?
あさひかわではなくあさひがわというアナウンスがいいですね。時代を感じます。
国鉄時代はずっと『がわ』でしたね。JR化後に『かわ』になり、自然で発音し易いのですが、大きな駅だけに変更に伴う作業は大変だったろうと思います。
自分も言い間違えかとおもったら時刻表のルビもアサヒガワでビックリ!!
@@kyuukou-souya 別のところにも書きましたが、開業当初は「あさひかわ」で、数年後から「あさひがわ」に変わり、JRになった翌年の1988年3月ダイヤ改正から再び「あさひかわ」になりました。
ちなみに町の名前は「旭川村」から一貫して「あさひかわ」と読んでいるはずです。これに対して、滋賀県の「米原駅」は当初から「まいばら」、町の名前は「滋賀県米原(まいはら)町」でしたが、市政を施行する際に「滋賀県米原(まいばら)市」に読み方を変えました。ところが、町(市)にある北陸自動車道・名神高速道路の「米原ジャンクション」、北陸自動車道の「米原インターチェンジ」は、町の名前にあわせて「まいはら」と読んでいましたが、市制施行後もこちらは以前通りに「まいはら」読みで、市の読み方と齟齬が生じてしまっています。
当時、函館から稚内までの長距離直通急行があったことは驚きです。しかも函館本線の山線経由とは。当時の時刻表、路線図、駅弁なども同時に編集いただき、当時の北海道の鉄道旅行の記憶をたどることができました。貴重な音源を提供いただきありがとうございました。
北海道への旅客が鉄道から飛行機に移りつつあった時代、青函連絡船に接続して、函館から釧路へ、網走へ、稚内へと列車を走らせていたのは、広域輸送を担う国鉄の最後の意地のようでした。ほどなく函館中心の列車網が札幌中心に変わっていったのも時の流れですね。それにしても山線も廃止が決定になってしまうとは・・・
亡父が倶知安の出身、母は函館の出身で毎年夏は家族全員で帰省していました。上野から青森、そこから青函連絡船で函館に到着した後、翌日に倶知安へ鉄道移動の一大旅行でした。貴重な音声を拝聴しながら50年前の記憶が甦りました。ありがとうございました。
楽しかった思い出ですね。昔の歌謡曲を聴いて、その時代を思い出すように、この音声から遠い昔の記憶が甦ってこられたのなら幸いです。
函館から来た宗谷に札幌から乗車して、音威子府まで行った事を思い出しました。グリーン車で贅沢させて貰いましたが、旭川発車後、バスガールみたいな帽子をちょこんと被ったおばさんが車内のゴミ集めや簡易清掃をしてくれていたのが印象的でした。優等列車の特別感みたいなの、車掌さんのきれいな日本語の車内放送と共に古き佳き思い出です。
そういえば、長距離列車の走行中に、車内の清掃って、結構ありましたね。忘れていた記憶が甦えるコメントをありがとうございます。
すばらしく懐かしい音源のアップ、ありがとうございます。私が宗谷に乗車したのは、この4年後。確か、この頃は宗谷が札幌で系統分割され、札幌~稚内になってました。「おおぞら」も函館~釧路間、今では考えられないスケールの列車でしたね。この時代、北海道は乗り継ぎ列車との接続が悪くて、「時間がございます。待合室でお待ち下さい。」は車掌さんの決まり文句でしたね。多層階列車の案内放送も涙が出るほど懐かしいです。北海道ならではの「~行き特別急行・〇〇号」は、特急の格式を感じさせる言い方でした。
北海道を縦断していた『急行宗谷』は大好きな列車でした。初代南極観測船の『宗谷』ともイメージがダブり、大切な任務を背負って最果ての地を目指す・・・そんな頼もしさを感じました。
懐かしい車内放送でした。当方実家が伊達紋別駅の近くだったので、いつも見ることはできませんでした。しかし父の実家である八雲では函館から来る親戚がこの列車を利用していたので、八雲駅で迎えに行くときによく見ていました。
初見です。この貴重なテープをよく残してましたね…あと、温かい放送ですね。
引っ越しの際にテープを捨てなくて良かったです。
47年以上生きている道産子ですが、恥ずかしながら函館発稚内行の急行があったこと自体知りませんでした。主様のご厚意なければ、このような素晴らしい資料を体験することができませんでした。他の方々が仰る通りの重要文化財級の内容に感服と畏敬申し上げます。
昔を知っていて、懐かしんでくださる方のコメントも嬉しいですが、「初めて知った・・・」というコメントも同じくらい嬉しいです。40年前の録音も『資料』と感じて下さる方がたくさんいらっしゃるのですね。嬉しい評価、ありがとうございます。
懐かしく拝聴致しました。現代の機械的な車内放送とは違って人の温もりが伝わる味わい深い放送です。各案内も懇切丁寧、気遣いが随所に感じられます。放送に併せて時刻表等を表示するup主様の構成も大変分かり易く、臨場感も大幅に増しております。貴重な記録をupして戴きありがとうございました。
多くの方から「貴重な」というコメントが寄せられ嬉しく思います。こんなに多くの方々がご覧になるとは思わず、今にしてみると、もっと丁寧な画像を作れば良かった・・・と思います。
大変貴重な音源をありがとうございました。懐かしいなと思う反面、禁煙車などない時代ゆえ紫煙立ち込める車内で稚内までの半日は拷問だなぁ、と(笑)非冷房で窓の開く夏ならともかく、暖房ガンガンの冬だったらきっと大沼公園までに酔ってたと思います。
その通りですね。わたくしも煙にはずいぶん苦しめられました。4人向かい合わせのボックスシートで、定員近くまで乗っていると窮屈で、ラクではありませんでしたね。懐かしさは懐かしさとして心に残し、快適になった現在の旅も素直に受け入れ、楽しんでいます。(自粛中ですが)
夏場は窓開けると、お手洗いからの水が吹き込み場所を選んで座席を取らないと稚内から函館通しで、排気ガスとお手洗いからの水で全身が汗とコレで汚れマクリ連絡船シャワーで流さないと大変でした。
懐かしいです~、学生時代の夏は毎年北海道へ。朝10時の大阪発特急白鳥に乗り青森着が24時、青函連絡船で函館着が早朝5時、札幌に着くのが昼過ぎでした。
昭和の良き鉄道遺産『急行 宗谷』真面目で丁寧な車掌さんのアナウンスが、広い北の大地の旅情をそそる実に良い時代の思い出が鮮明に甦る
いい時代だったなぁ・・・と思います。でも今の時代だって捨てたものではありません。コロナが収束したら、また新鮮な気持ちで旅に出たいと思います。
この車のオルゴールは、スタートをあわせて、途中でもう一度ゼンマイを巻き直すときれいにワンフレーズ流れるのですよね。懐かしい。。。それにしても旅情溢れる素晴らしい放送ですね✨
旅情を感じて頂けたら何よりです。当時、特急以外の気動車のオルゴールを完全な形で聴くことはまずありませんでしたね。
長万部発深川ゆき小樽発追分ゆき札幌発歌志内ゆき急行「大雪7号・紋別・はぼろ」の3階建て列車もレアですが普通列車も今では考えられない区間ですね
初めは函館発車後放送だけをUPするつもりでしたが、乗り換え列車の案内が捨てがたく、長編になってしまいました。
叔母がいる稚内まで上野からゆうづる、青函連絡船、そしてこの急行宗谷に乗って行ったこと思い出しました。時間の節約ばかりでなく、こういう時間の使い方ができる選択肢が復活してくれればと願います。
函館から稚内まで乗り通すのは、乗ること自体を楽しむ鉄道ファンばかりと思っていましたが、実際に稚内に行く目的があって乗車されていたのですね。急行宗谷が本来の使命を果たしていたようで嬉しいです。それにしても長時間の乗車お疲れ様です。
@@kyuukou-souya 小学生の私に取ってはかなり苦痛だった思い出ですが、見知らぬ車窓をずっと眺めてました。
@@shingo4785 様。私も幼いころから乗り物に乗ると、ずっと外ばかり眺めていました。退屈しないのが親にとっては助かったようですね。
ユニークな企画楽しませてもらいました!私も昭和53年1月版を持っていますがもうボロボロです。駅のスタンプも同じものがあります。いい時代でした。分割併結がいっぱいありましたし、鈍行なんか駅で1時間も泊まる列車もありました(≧▽≦) 入場券買って駅弁買って青春時代でした。懐かしい時刻表の旅にお誘い頂きありがとうございました(;´∀`)
懐かしい列車の放送がUA-camにたくさんあり、自分も音声だけの公開にしようと思いましたが、思い付きで、時刻表加工画像をメインに、引き出しや押し入れから『出土』したコレクションなども適当に入れてみました。コメントを拝見して、みんな同じような旅をしていたのだな...と思いました、
『出土』という表現に思わずはその通~り!と声を出してしまいました。座布団3枚さしあげます(*^^)v
私にとっても、まさに若かりし頃の夏休みの思い出です。函館駅で乗る時に風景を先読みして、進行方向のどちら側に座るか迷うのさえも楽しかった。大きな駅に着くと駅弁売りの声が響いていたのもこの時代。風情のあった鉄道風景を思い出しながら缶ビールで乾杯!
コメントありがとうございます。放送を聴きながら旅の思い出に浸っていただけたら幸いです。美味しく飲んでください。
札幌からの歌志内行の普通列車があったなんて知らなかったです。スゲェの一言に尽きました💦
その驚きの声が嬉しいです。
ありましたよー。子供のころ、祖父母宅へ独りで行くのに白石から乗ってましたよ。懐かしい✨
こういう音声データは貴重なんだよなあ。当時の空間を取り巻く呼吸感がなんとなく伝わる非常に貴重な音声。でもって昭和のこの年代を記録した書物は実はあんまり残っていなかったりする。よくぞ残して下さったと思います。
この当時も録音をされた方は沢山いらっしゃると思いますが、テープが廃棄されたり、どこかで眠っているものと思います。これも、眠っていた古いテープからの再生ですが、低評価の嵐になるのでは・・・と、UA-camで公開するには勇気がいりました。
急行列車って言葉も死語になってしまった特急が「特別急行」の略だって知らない人も多いんだろうなものすごく貴重な音源と画像、堪能しました、ありがとうございます
素人の古い録音ですが、40年の歳月を経て『貴重な…』と言っていただける方がたくさんいて、感激しております。
上野から夜行列車で青森に着いて、青函連絡船で函館に渡りこの列車で稚内まで乗った人もいたことだろう。
戦前はこんな急行列車もなく、蒸気機関車が引く鈍行に何日も揺られ、稚内からさらに樺太へ渡った人はどんな気持ちだったのかな・・・と思います。
紛れもなく1億国民の足だった頃の「国鉄」の息吹😭派手な車内演出は一切無く、ともすればボックスクロスシートの窮屈極まりない車内だったはずですが、それを余り感じさせない旅の雰囲気。乗客専務の赤い腕章を巻いたカレチの案内放送が目に浮かびます。世の中はどんどん「国鉄」を全く知らない世代が増えてきている中、国鉄ってこうだったんだよと後世に伝える貴重極まりない1級品の資料ですよ❗️アップありがとうございました。
様々な情景を思い起こして頂けたら何よりです。嬉しい評価をありがとうございます。
素晴らしい車掌さんの案内ですね~とってもレトロで良いですね~有難う?この時代に戻ってほしいですね~優しくていいですね~
なんだか淀川長治さんの映画解説みたいですね。こんなスライドショーでも映画監督の気分です。楽しんで頂けたのでしたら何よりです。
本当に懐かしいです。心に永遠に残る列車です。ありがとうございます。
急行宗谷は、個人的に大好きな列車でしたが、多くの人の心に残っていて嬉しいです。
これは貴重な音声ですね!函館から稚内に直行する列車…乗ってみたいな(´∀`)
多くの方に『貴重な』と言って頂けて嬉しいです。
貴重な音声、ありがとございます。今では廃線になった区間や普段は使われないルートで楽しめました。長万部から深川行き鈍行ってと思いました。
長万部~小樽は、ローカル線のようになってしまいましたが、昔の山線は元気でしたね。
夏休みがあるかなねはあちゃんうちに行く時に乗ってかにつかしいかなねありがとうかな朝からイカの刺身おいしかなはあちやんの料理かにつかしいしたねありがとうかなねありがとうかな
かつては長距離の急行も運行していましたね。この宗谷や大雪も札幌から釧網本線回り釧路行きや、狩勝も根室発札幌行きもありましたね。まあ本編成は途中駅からですが。乗り換え案内も路線が多いですね。宗谷は札幌発着の印象が強いと思いますが函館発着でしたね。以上です。
長距離急行がなくなり、特急もだんだん短くなって、長距離列車と言えば新幹線という時代になってしまいました。新幹線が札幌まで開業したら、山線はどうなってしまうのでしょうね。
知人は、もう少し前にですが、西鹿児島から錦江、都城からえびの、熊本からぎんなん、博多からさんべ、出雲市から大社、名古屋から赤倉、新潟からしらゆきと青函航路とDC9本(急行8本)で枕崎から稚内まで行ったみたいです。
驚きました。すごい『つわもの』がいたのですね。
たぶん700キロ近い旅です。北海道のスケールのでかさを教えてくれる急行でした。だって東京から大阪通り越して岡山近くまで行ってしまうのですよ。中学生だった自分の心に、すさまじい旅路を思わせてくれましたよ。自分は実際には宗谷には通しで乗らなかったけど、14歳の冬、函館に入って札幌から釧路、オホーツク沿岸をひたすら北上して浜頓別まで行った、あの旅が忘れられません。
遠い昔の旅をふと思い出して頂けましたら何よりです。
1980年、まだ鉄道ファンになる前。貴重な音源ありがとうございました。
こんな素晴らしい貴重な音声を聞かせていただけるなんて感謝です
古いテープからの再生ですが、思ったよりも劣化が少なく、たくさんの方から「貴重な・・・」とコメントを頂戴し、嬉しいです。
今年56歳になりますが、この車内放送のあった年の1980年は僕は中3でした。夏が涼しくて冷夏と言われた年でした。当時アニメオタクという言葉がまだ無かった当時、機動戦士ガンダムが大流行りしてこの僕も多分に漏れず再放送を見まくっていた頃です。志望校にも合格した後、親友と京都から山陰線を走る夜行鈍行「山陰」に乗ったのは翌年の3月末でした。当時時刻表を数ヶ月に一回買い、色々ページを眺めながら旅行のプランを考えるのが趣味でした。
普通北広島行きが渋すぎるw小樽~札幌が31分はなかなかすごいですね。現在の快速APが32分なので。
今に比べれば非力な気動車で頑張っていましたね。
味のある車掌さんのアナウンスでした。駅に着く度に「長らくの御乗車お疲れ様でした」「長時間の待ち合わせは待合室でお待ちください」と、乗客を気遣う放送はは、長距離列車ならではの放送ですね。また、道内各地へ向かう列車の種類が豊富であったことも知ることが出来ました。
「待合室でお待ちください」は当時必ずありましたね。ホームで撮影したり、録音したい身には不自由でしたが・・・
素晴らしい!この録音が残っていたこと、そしてIT技術によって広く聞けるという感動。うp主に感謝。
コロナによる外出自粛を機会に身辺整理し、古いカセットの音をパソコンに取り込み、思いつきで作ったスライドショーです。単に自分の「お遊び」のつもりでしたが、公開してみれば、意外や意外。多くの方から暖かいコメントを頂戴し、大変嬉しいです。
@@kyuukou-souya この動画は画面センスも非常に良い。切符や駅舎、時刻表など映像だけでもお宝ものであり、合わせ方も芸術的である。コロナもあり常に車移動なので音声を運転時にかけると、自家用車でも旅情が感じられるという贅沢もできる。この時代に生きて路線に乗れた方々はなんと幸せなのだろう、羨ましい。
@@ぴんくぴょん 様。嬉しいコメントをありがとうございます。車を運転中に音声をかけて、速度感覚が狂わないようにお気をつけ下さいませ。
私が「汽車通」していた高校時代、札幌駅で毎日聞いていて、今でも耳に残っているのが「網走・遠軽・幌延行き」という不思議な構内放送でした。
大雪・紋別・はぼろですね。
それにしても、函館から稚内だなんて、凄い距離だよな😃乗ってみたかったな~😃今、50歳です🙋
函館から稚内まで乗り通すのは、当時20代のわたくしも困難で、この時は札幌で降りました。後半戦は夜で景色が見えないものですから。
初めまして!40年以上前の貴重な音源がキレイに再生されて素晴らしいです!列車に揺られている気分に浸らせていただきました。1981年に私が乗った急行宗谷は札幌始発で稚内に23時前に到着しましたが、アナウンスを聞くと函館発のダイヤを札幌からそのまま引き継いだようです。それにしてもロングランでしたね〜。ありがとうございました
嬉しい評価をありがとうございます。系統分離で函館~札幌間が『北海』に格上げされた時は残念に思いました。しかも特急に格上げされた区間の列車の方が先に廃止になってしまうなんて思いもよりませんでした。
急行宗谷には稚内~札幌間で何度か利用した事があります。夏場に臨時列車の返却回送でしょうか13両編成の上り急行宗谷を札幌駅で見かけた事があります。この頃なら急行ニセコ2号根室発函館行きも走っていましたね、走行距離は約810km。よく利用いたしました。釧路発札幌行きの急行大雪もあったと思います。乗り換え案内で出てくる急行大雪・紋別・はぼろ、この列車急行紋別を札幌~遠軽全区間乗車致しました。
函館から稚内…!函館11:50発で終点の稚内着が22:46…!北海道の大きさを感じざるを得ない…
それと千歳回りでなくて小樽回りだから時間がかかる
@@スーパーおおとり でも、当時の急行の割に爆走かと…
@@koko-jg5wl さんその頃の特急の存在は特別な急行でしたからね利益のありそうな区間は特急 どうだろうか?とかそのレベルには達して無い路線は急行までの様な振り分けあった様です東北本線の急行 くりこま 特急並みの速さの急行の様なものでしょうかと
態度が悪いだの何かと批判を浴びることの多かった国鉄職員ですが、車掌業務に誇りと自負を持ち、鉄道を愛し、渾身に働いていた方も多くいました。ほんと、各駅ごとのアナウンスに心がこもってます。
こういう放送は録音当時でも嬉しくなったものでした。40年の時を経て、多くの方に聴いていただける機会を得て、嬉しく思います。
態度が悪かったのは都市部の職員でした、地方ローカル部の職員は気さくでとてもフレンドリーでした。
優等列車に反抗的な社員は配置されなかったのでは。車体にアジ文句を書くのも、特急車両は少なかったと言われるし。そもそも地方だとそれほど過密ダイヤでないから労務上の不満も少なかったかもしれないな。
窓も開かないし😤列車の匂いしないし😤 スピード😤速いけど🤣なんの情緒もない😓こんなのんびり時代戻りたい🚃🚃🚃🚃
めちゃくちゃ良いこと言うな
こんな急行列車、乗ってみたかったなあ。それにしても、すごく聞きやすい車内放送の録音、また 放送と共に、当時の時刻表を見せてきただき、とてもわかりやすかったです。up主のお心使い、感動しました。
心遣いというより、付けるべき動画も写真もなく、苦し紛れの時刻表加工画像ですが、放送を楽しんでいただければ何よりです。
@@kyuukou-souya 今振り返ると 昭和時代のほうが北海道には多くの路線が存在していましたね
そのうちに路線も廃止され、たどることもできなくなりますね。
初めまして。今では長距離急行もなく特急に輸送が変わり時代を感じます。
函館~稚内間の急行宗谷は今となっては貴重な列車だと思います
また車内放送の車掌さんも音声が素敵で観光案内(大沼)や
当時活躍した瀬棚線や胆振線などの乗り換え案内も貴重な放送ですね
楽しく聞かせていただきましたので私も旅行気分になりました。貴重な動画ありがとうございます。
数多くのUA-cam作品に比べて、音質も画像も見劣りして、UPする際には、数日で撤去することも考えつつ、恐る恐るの公開でした。
今では大勢の方から「貴重な」とコメントを頂戴しており、嬉しさでいっぱいです。ありがとうございます。
JRの特急より格段に味がある放送
現在の自動放送も否定はしませんが、『人』がしゃべる放送は味がありましたね。
@@kyuukou-souya
自動放送とか形式化された放送内容ではなく、車掌さん自身の言葉っていうのが好きですね。
当時の気動車急行の
最長距離列車
この車掌さんの
車内放送サ―ビス満点
最高に聴きやすいし
連絡待ち停車時間も
詳しく説明してくれる
関西圏のキハ58だいせん
丹波 但馬 みまさか号
たくさん乗ったけれど
こんなに上手い車内放送
聴いたことがない⁉️
録音も凄い良く
ミニ旅行気分になりますね‼️
嬉しい評価を頂き有難うございます。
北海道を縦断する急行宗谷は大好きな列車でした。でも宗谷本線区間が夜になってしまうので稚内まで乗り通したことはありませんでした。
国鉄時代にも丁寧な温かい車掌さんおたなあ😊
新聞では国鉄叩きの記事が多かった時代ですが、旅客を大事にしてくれる職員さんも多かったと思います。
函館↔︎稚内って、11時間で行けたんですね。
もっと掛かるかと思ってました。
コロナ禍が去り自由気ままに皆が鉄道の旅を楽しめる日が早く来ますように。
コロナの収束は鉄道ファンだけではなく、全世界の願いですね。宗教はやっておりませんが祈るばかりです。
最近見た動画で一番心が揺さぶられました。私が産まれる前ですが北海道の賑わいを感じました。
たくさんの廃線、あさひがわ、手稲から琴似まで駅が無い、急行なのに停車駅は特急並み、、とても新鮮な気持ちで発見があり、想像しながら旅行することができました。この動画より前の時代ですが、私の祖父はかつて旭川駅で駅長をしていました。次に会うときはこの動画を観ながら昔話を聞いてみたいと思います。ありがとうございました。
UA-camにには数多くの鉄道系動画が公開されていますが、その中から嬉しい評価をありがとうございます。
音声に苦肉の策の時刻表加工画面を付けた、言ってみれば「安っぽい画面」ですが、反響の多さに驚いています。
今では考えられない壮大な急行だ。とても丁寧な車掌の放送も良い。
函館~稚内まで約12時間。こんな長い時間、キハ56に乗れるって今思えば夢のよう。
今にして思えばその通りですね。宗谷は大好きな列車でしたが、全区間を通して乗ったことはありませんでした。
今思えばもう一度乗りたいと思うけど、旭川から先、稚内や網走、釧路からさらに根室まで乗るとなると、最後の方はうんざりしたものです。
正午前頃に函館を出て、その日のうちに稚内に着くなんて意外と速い
あの時代にタイムスリップして旅をしている気分にさせていただきました。
本当に貴重な車内放送をありがとうございました。
コメントありがとうございます。旅気分を感じていただけて何よりです。
大変音質がいいのでずっと聞いてます。ありがとうございます。長距離列車の放送旅情があっていいですね。
「待合室でお休みください」「飲料水はホーム中央にあります」がツボでした。
2分弱の停車しかない長万部で、飲料水の案内をして大丈夫かな…とも思いますが、窓を開けて駅弁を買う人も多くいましたからね……
アナウンスに合わせた時刻表、非常に楽しい感じです。
この頃は鉄道が一番盛り上がっていた時代なんだなあと感じます。
今は旅に出られないですが、おかげさまで旅をしている気分になれました。
ありがとうございます!
音声に合わせた動画はなく、時刻表加工の質素な画面ですが、わずかでも旅気分を感じて頂けたら幸いです。
出来る事なら、こういう列車が日本のどこかに走ってるような時代がまた来て欲しい。
この動画は『旅情とは』をそのまま物語ってると思います。
ゆっくりと落ち着くトーンでアナウンスしてる車掌さん。僕がこの列車に乗ってたなら、間違いなくこれは生涯忘れることの無い旅になってたと思います。
こんな列車にまた乗ってみたい・・・同じ気持ちですね。
素晴らしい動画です、「日本遺産」と言っても良いのではないでしょうか。
貴重な当時の時刻表のキャプションなど織り交ぜて、視聴者に分かりやすよう伝わりやすいよう編集してくださっている主様のその姿勢に、ただひたすら敬服する次第です。
音声はありのままでいいとしても、画像作りは困りました。
同じ画面が長時間続かないように、とにかく色々なものを織り交ぜて、なるべく画面がこまめに変わるようにしたつもりです。
スタンプその他、必ずしも同一年代ではありませんが、おおむね昭和末期のイメージということでご容赦願います。
@@kyuukou-souya さま
ご丁寧に返信ありがとうございます。
主様のその視聴者第一目線の編集に、ただただ敬意を表します。
@@hanagatamitsuru_hokkaido 様 視聴者第一目線とはお恥ずかしい。わたくし自身が楽しんで作っております。
現代のマニュアル的な車内放送と違い 車掌さんにより個性があり良い時代だったと思います
こんな車内放送を聞いたら 旅路の雰囲気が盛り上げます!!
現在は自動放送がほとんどですが、これも時代の流れですね。
外国語の案内が流れるようになった時には、すごいものだと思いました。
@@kyuukou-souya 北海道のほとんどの駅にもう汽車は来ません、とりあえず今日は来ません、今日の予定は終わりました・・・となるでしょう。
すごいの一言です。昭和40年代にカニ族として、夏も冬も旅をしたものです。10歳代の思い出ポロポロです。本当にありがとうございます。何度も宗谷や利尻に乗車しました。まだ特急がない時代でした。
昔の旅を思い出して頂けて何よりです。宗谷本線は急行が頑張っていましたね。
急行宗谷。急行利尻(夜行列車)、急行天北(天北線経由)が宗谷本線を走っていました。何度も利尻に乗りました。特に思い出深いのは、普通列車(5~6両の客車編成)のSLのC55が旭川と稚内間を往復していました。小生は、上りの稚内から終点の旭川まで乗車しました。スポーク動輪の美しい汽車でした。
今JRは切符の対面販売をなくそうとしています。
でもこの頃はアナログな時代だったので駅のみどりの窓口で行き先を告げてどの列車に乗ったらいいかなど相談したもんです。
デジタル化が悪いとは言いませんが人間味がなくなったのは昭和生まれとして何か悲しいものがあります。
2:44~ この頃、「旭川」駅は「あさひがわ」(「か」に濁点あり)って読んでたんですよね。国鉄からJRになった次の年の1988年3月ダイヤ改正から「あさひかわ」(「か」に濁点なし)に変わりました。面白いことに、1898年の開業当初は数年間、「あさひかわ」(「か」に濁点なし)と言ってたそうで、読み方が2回変わったのです。
「あさしがわ」と聞こえます
大変貴重な音源、ありがとうございます。当時、大学入学で渡道したばかり、このような道内の長距離急行列車が当たり前の存在でした。今となっては、本当に懐かしく、二度と乗ることが出来ない列車の重要文化財級の記録です。
コメントありがとうございます。重要文化財級……とはまた大変な評価。恐縮しつつとても嬉しく思います。もっといい画像を付けられると良かったのですが……
@@kyuukou-souya 返信いただきありがとうございます。お世辞では決してありません。その当時あのシーンは二度と戻らないのですから。
鉄道ジャーナル1981年4月号の「宗谷」列車追跡は、シリーズ随一の名作だと思います。
C62ニセコの思い出、老骨にムチ打って走るキハ56、自然災害との闘い、氷雪の原野で見る哀しい幻影・・・
冬が今よりずっと厳しかった頃の北海道は、乗り鉄するだけで大冒険だったと感じさせてくれます。
機会がありましたら是非。
国鉄時代、愛想のないひどい対応の駅員・車掌も少なくなかっただろうが、この車掌氏は素晴らしい。何と言っても発音にくせがなく、きれい。
ぶっちゃけ今より乗り換えの案内親切だなとも
乗り換える支線も多かったですね。
函館から稚内まで走りきるのかぁ…
道内縦断急行、乗ってみたかったなぁ…
函館~稚内?信じられない距離です。
昔の車掌さんの案内は、今と違って温かみがありますね。貴重な音声、ありがとうございます。
いぶし銀のような放送も可、女性アテンダントの放送も可、自動放送も可、要するに乗るのが好きなのですが、コロナで旅行自粛中です。
東京からだとどこまで行っちゃうんだろう
札幌ー網走が東京ー大阪とほぼ同じくらいって聞いたことあるけど
当時の特急おおぞらは函館〜釧路。
しかも滝川・富良野経由でした。
当時の営業距離で確か623キロだったかな?
小学生の頃乗った急行列車で「切符を拝見しま~す。切符を拝見しま~す。」とだけ言ってた車掌を思い出しました。この車掌さんは親切そうですね。
この車掌さんの車内放送、すごく丁寧ですね!!内容がわかりやすく、話すスピードとかも、誰もが聞きやすいように理解しやすいようにという感じで、車掌さん自身の親切なお人柄さえ感じられます!
自動放送も悪くはないですが、人の声による放送は温かみがありましたね。合理化か近代化か、だんだん聞けなくなってきました。時代の流れですね。
宗谷、山線経由だけど早いんだよね。函館札幌は4時間40分、海線のすずらんより15分くらいしか違わない。山線特急の北海がすずらんと同じ4時間25分だから、早いな。
まさに昭和55年8月~9月の夏、北海道ワイド周遊券で20日間、大学鉄研の北海道合宿をしていました。
大雪、利尻、からまつなど、夜行列車を宿代わりに14車中泊をしての全線乗り潰しをしていました。
石勝線はまだ無くて、白糠線も廃線前、美幸線、士幌線(十勝三股代行バス)、万字線、夕張線登川支線などは
まだ健在でした。懐かしさに、感涙です。ありがとうございました。
音声を聴いて、遠い昔の旅を思い起こして頂けたのでしたら幸いです。
この頃、東北夜行から青函連絡線乗り継ぎで函館では2本の特急を見送り、直後に発車のこの宗谷に札幌まで乗ったのを思い出しました。
アナウンスも細かく、乗り継ぎ時間が長い時は待合室でお待ちくださいは良く印象に残っています。当時使用したコンパス時刻表(¥300)も所有しています。懐かしく拝見させていただきました。
気動車の轟音、線路の継ぎ目の快いリズム、車内オルゴール「アルプスの牧場」、そして車内放送……車両の案内、途中停車駅と到着時刻、乗り換え案内。乗り換えの待ち合わせ時間が1時間以上は当たり前。昭和の鉄道旅行の、時間の流れと音が懐かしいです。加えて、時刻表と地図までアップいただき、感謝です。
音声に見合う動画がなく、苦し紛れに時刻表を加工したスライドショーですが、楽しんで頂けましたら何よりです。
函館から稚内。10時間を超える急行の旅。乗り鉄にはたまらないですよねぇ~。
この長距離急行「宗谷」には、私は乗った事がありませんでしたが、函館から網走への特別急行「おおとり」には2度ほど乗った事があります。
こちらも10時間超えの長い旅でした。
キハ80系の「鼓動」が、今でも忘れられません。
この時代の車掌さんの、肉声の車内放送はホント、良かった。旅を演出してくる情緒がありました。
今は味気のない自動放送ばかりで、列車は旅ではなく、ただの移動手段に過ぎなくなってしまいました。
そう言う意味からも、この動画は本当に貴重です。
アップ、有り難うございます
網走までの『おおとり』も長かったことと思います。
わたくしは『急行宗谷』のファンでしたが、恥ずかしながら、函館から稚内まで乗り通したことがありませんでした。
40年前の音声をこんなにも高音質で聞けるなんてすごい!貴重な音源ありがとうございます!紋別やはぼろなど、現在は廃線になってしまった路線を走行する列車も結構走っていたんですね。
普通のカセットテープも意外と耐久性があることを知りました。公開して多数の方に聴いて頂けて良かったです。
味わいのある車掌さんの名調子に、旅の楽しみが増すというものです。
車掌さんの名調子もそうですが、国鉄時代の昔。
駅の放送にも旅の楽しみが膨らみました。例えば長万部の駅の放送は「おしゃまんべ〜い。おしゃまんべ〜い」
「れんらくぅ〜、瀬棚線は1時間の待ち合わせ。室蘭方面は1時間半の待ち合わせ。それぞれ時間がございます〜。橋を渡って待合室にてお待ち合くださぁ〜い」情緒がありましたよね。
「人」が放送する案内もめっきり減って、車内、駅とも自動放送が主流になってしまいました。
情緒は失われてしまいましたが、外国語の案内も流せるようになって、利点はあるようですが。
いい日旅立ち!
北海道の鉄道もまだまだ元気のあった良い時代でした。
すごい! まさに北海道縦断急行。
こんな素晴らしい急行があったなんて。
しかしよく録音してましたね。
公開ありがとうございます!
我ながら、よくこんな録音をしたものだと思います。古い録音なので公開に踏み切るのは、恐る恐るでした。
山線と急行列車が元気だった時代、「くるまは~」「橋を渡りまして、待合室でお休みください」「気動車」等々、当時の車掌さんの言い回しが懐かしいです。
多層階急行や「長万部発深川行」「小樽発追分行」など、今では考えられない行き先ですね。「あさひがわ」と濁って読んでいたのはいつまでだったのでしょう。
最初は函館発車後放送だけをUPしようと思ったのですが、乗り換え案内も捨てがたく、長くなってしまいました。
小樽発追分行は時刻表では客車列車ですが、放送では気動車と言っていますね。
私の学生時代、上野から札幌まで 急行八甲田〜宗谷の乗り継ぎは、テッパンのルートでした。周遊券だけで行ける最速列車でしたから、おもひでぽろぽろです❗️
貴重な画像ありがとうございます😊
コメントありがとうございます。函館で先発する『おおぞら』にも『おおとり』にも乗らず、悠々『宗谷』に乗るのは周遊券ならではでした。
テッパンと言うのは関西方言だぜ。首都圏じゃ何言ってるんだこいつと思われるだけ
関東圏では漢字で『鉄板』。
私も八甲田組ですけど、北海道ワイド周遊券だと、道内は特別急行の自由席に乗れませんでしたか?
素晴らしい。懐かしい。
昭和50年の3月、北海道均一周遊券を使って初めて北海道旅行をしたとき急行宗谷に乗りました。
前日の19時頃、上野を急行八甲田で出発し青森に早朝到着、青函連絡船に乗り次いで函館に昼前に到着、函館駅のカーブを描いた長いホームで待ち受ける急行宗谷に乗り継ぎ札幌には16時半に到着、実に22時間近く固い座席(連絡船はカーペット敷きの広間)に揺られて、2週間(均一周遊券の有効期間)におよぶ北海道旅行が始まりました。
均一周遊券では特急には乗れないため、この乗り継ぎが金のない学生旅行の定番でした。そしてユースホステルも。
40年以上前の思い出がはっきりと蘇ってきました。ありがとうございます。
思い出深い列車ばかりではなく、周遊券という魅力的な切符も無くなってしまいました。時代の流れですね。
函館~稚内間の長距離急行なんて、最高の汽車旅ですね!!
北海道の鉄道網は、高速道路の発展とともに、どんどん衰退していきますね…。
車社会の今となっては、もうどうする事も出来ませんが…。😔
昔と今を比較すると淋しい気持ちにもなりますが、これも時代の流れですね。
過去は過去として、現在残っている路線、列車を『良し』として、汽車旅を楽しみたいと思います。
新幹線やリニアが出来れば又栄えるではないでしょうか?
JR北海道がもっとマトモならね。
急行列車全盛期の車内放送は凄く丁寧で乗りたくなりますね❗
1970年頃「宗谷」で長万部-札幌間を利用しました。室蘭・千歳線経由が距離が長くても時間が短いので、急ぐ人はこの列車の少し前に出る「おおとり」で札幌に向かっていましたね。函館山線経由がものすごく遅く感じたものです。冬でしたので、札幌についたころは暗くなっていました。この先、さらに旭川や稚内まで行くのがすごいなと感じたものです。
懐かしい、とにかく懐かしいです、旅してる気分になります。旧国鉄の車掌さんは本当に車内放送が上手でした。でも、この車掌さん絶品です。こんな音源があったとは・・、有難うございました。
今は普通列車の大部分がワンマンで、特急は自動放送。こういう案内放送もだんだん過去のものになりつつあるのですね。
函館から稚内へ。
急行宗谷は9時間半をかけてはしりました。
国鉄時代の、古き佳き急行。
現在ではあり得ない北海道の鉄路に涙💧
石勝線開業も見えていた頃、北海道の鉄道が今のような姿になろうとは夢にも思いまsんでした。
国鉄の経営悪化については時代背景など思うところがあるが、負の遺産をすべて押し付けた国の無責任による部分は大きいですよね。こういう感じで良いところもたくさんあった。時代の流れには逆らえないけど、味があったなぁとは思う。
何時も楽しく聞かせて頂いております。
国鉄時代の壮大な急行宗谷の、旅路を車窓と共に遙か稚内に想いを馳せています。
これからも、貴重な車内放送や構内放送、列車の音など楽しみにしております。
昔は良かったですね。
有難うございます。遠い昔の汽車旅に思いを巡らせて頂けましたら嬉しいです。
下手な観光列車走らせるより、昔の車両、名前で様々な列車を期間限定で走らせた方がいいような気がした郷愁ある動画でした。
「余市には止まりません」って止まればいいのに。宗谷本線直行のプライドを感じます。ああ懐かしい。
コメントありがとうございます。懐かしさを感じて頂けて何よりです。
この後、ダイヤ改正され、宗谷は札幌発に分断、残りの函館~小樽~札幌の南半分は特急北海に格上げされ、北海は2往復化となり余市にも北海が停車する様になりました。
急行ですが特急並みの停車駅。
まさに長距離急行ですね❗️
国鉄時代余市は町の規模の割には優等列車に軽視されていた感じがしました。特急北海が停車したのもニセコや黒松内の後ですから。国鉄時代は過去の栄光をいつまでも引きずって現実の利用実態に合わせた運行を出来ていない部分もかなりあったと思います。
@@青空うれし-n5i 同感です。優等列車ならではの”こだわり”がありましたね。今思えばそれがまた魅力の一つでした、JRの特急に無い。
凄く丁寧なアナウンスですね
今はもう乗れないのが悔やまれる
同じ列車はありませんが、幸いにも線路はまだあります。
路線が廃止にならないうちに乗って楽しみたいものですね。
宗谷本線の場合、普通急行は、和寒に止まるのですが、これは、和寒には、停まりませんでした。長距離急行の位の高さという認識がありました。
素晴らしい動画ですね!
ありがとうございました!
感動しました!
コメントありがとうございます。『動画』と呼ぶには適当なイメージ画像ばかりですが、音声だけよりは楽しめるように…と思いまして。
今の時代に何か忘れられたまたは失ってしまった良さがありますね^_^
時代の流れですね。蒸気機関車が日常的に走っていた頃は、決して快適ではありませんでしたが、無くなってみると懐かしい・・・時の流れってそういうものですね・・・
今では考えられない昼行のロングラン列車ですね。しかも山線経由で。
現在同じことをやろうとしたら、特急急行が無くなった山線経由ではもっと時間がかかるでしょうし、
特急の最短乗り継ぎ(北斗-カムイ-サロベツ)でも稚内まで10時間近くかかる。
如何に北海道が広いかってことを実感します・・・
旅情をかきたてる素晴らしい車内放送です。まさに質実剛健!
今ではこのような長距離列車があっても、よっぽどの物好きかマニアしかいないのだろうけど、この時代は東京や大阪からやって来て、連絡船を乗り継いで終着稚内まで乗る人も、多くはないけれども普通にいたんでしょうね。
普通にいたかどうかはわかりませんが、連絡船から乗り継いで、稚内まで行くのは大変な旅だったでしょうね。
大阪からは朝10時の白鳥で青森、連絡船乗って朝四時半時発の北斗に乗って札幌行って、急行天北に乗ると稚内に夕方着けるルートでした。
北海道が輝いていた末期の貴重な録音。そして音質が素晴らしい。リマスターでもしたのでしょうか?。JR北海道もこの列車を年に数回、企画列車として運行すれば完売だと思うが走らせないかな。
ごく普通のカセットテープが、40年後でもそこそこ聴けるものなのですね。引っ越しの際に捨てなくて良かった。
企画列車として運行、賛成!! でも混んで高齢者が乗車するのは無理ですかね。
車掌さんの肉声放送に感動。
涙💧
今の自動放送に旅情は感じられませんが、国鉄時代の車掌さんの肉声放送は、否が応でもでも旅情が掻き立てられます。
自動放送がすっかり定着してしまいました。さびしいことですが、これも時代の流れですね。
とても懐かしい動画でした。私も18歳のときに鳥取から網走に赴任したとき函館から乗車しました。大沼公園に差し掛かった時に目に飛び込んできたのが雄大な駒ヶ岳でした。初めて目にする景色に感動したのを今でもはっきり覚えています。もう54年も前のことです。
函館から北海道に入って、すぐに出会える大沼公園の景色はひときわ印象的ですね。千歳空港から入るのとは違いましたね。
長万部発深川行き、小樽発追分行き、札幌発歌志内行き、札幌発新十津川行き、、、
いずれも(いい意味で)「ふざけんな」と苦笑してしまう。こんな時代があったのですね。
新十津川直通は日に3本くらいあったような…他に浦臼。
それはそうと目名発札幌行きとか…今なら『目名🤔』って始発になるのだろうな。個人的には普通列車札幌ー函館が大好きでした。快速ミッドナイトも良かったけど。
ふと思うに札幌発着小樽以遠って今、日に何本?JR北終了のお知らせ?
あさひかわではなくあさひがわというアナウンスがいいですね。時代を感じます。
国鉄時代はずっと『がわ』でしたね。JR化後に『かわ』になり、自然で発音し易いのですが、大きな駅だけに変更に伴う作業は大変だったろうと思います。
自分も言い間違えかとおもったら時刻表のルビもアサヒガワでビックリ!!
@@kyuukou-souya 別のところにも書きましたが、開業当初は「あさひかわ」で、数年後から「あさひがわ」に変わり、JRになった翌年の1988年3月ダイヤ改正から再び「あさひかわ」になりました。
ちなみに町の名前は「旭川村」から一貫して「あさひかわ」と読んでいるはずです。これに対して、滋賀県の「米原駅」は当初から「まいばら」、町の名前は「滋賀県米原(まいはら)町」でしたが、市政を施行する際に「滋賀県米原(まいばら)市」に読み方を変えました。ところが、町(市)にある北陸自動車道・名神高速道路の「米原ジャンクション」、北陸自動車道の「米原インターチェンジ」は、町の名前にあわせて「まいはら」と読んでいましたが、市制施行後もこちらは以前通りに「まいはら」読みで、市の読み方と齟齬が生じてしまっています。
当時、函館から稚内までの長距離直通急行があったことは驚きです。しかも函館本線の山線経由とは。当時の時刻表、路線図、駅弁なども同時に編集いただき、当時の北海道の鉄道旅行の記憶をたどることができました。貴重な音源を提供いただきありがとうございました。
北海道への旅客が鉄道から飛行機に移りつつあった時代、青函連絡船に接続して、函館から釧路へ、網走へ、稚内へと列車を走らせていたのは、広域輸送を担う国鉄の最後の意地のようでした。ほどなく函館中心の列車網が札幌中心に変わっていったのも時の流れですね。それにしても山線も廃止が決定になってしまうとは・・・
亡父が倶知安の出身、母は函館の出身で毎年夏は家族全員で帰省していました。
上野から青森、そこから青函連絡船で函館に到着した後、翌日に倶知安へ鉄道移動の一大旅行でした。
貴重な音声を拝聴しながら50年前の記憶が甦りました。
ありがとうございました。
楽しかった思い出ですね。昔の歌謡曲を聴いて、その時代を思い出すように、この音声から遠い昔の記憶が甦ってこられたのなら幸いです。
函館から来た宗谷に札幌から乗車して、音威子府まで行った事を思い出しました。グリーン車で贅沢させて貰いましたが、旭川発車後、バスガールみたいな帽子をちょこんと被ったおばさんが車内のゴミ集めや簡易清掃をしてくれていたのが印象的でした。優等列車の特別感みたいなの、車掌さんのきれいな日本語の車内放送と共に古き佳き思い出です。
そういえば、長距離列車の走行中に、車内の清掃って、結構ありましたね。
忘れていた記憶が甦えるコメントをありがとうございます。
すばらしく懐かしい音源のアップ、ありがとうございます。
私が宗谷に乗車したのは、この4年後。確か、この頃は宗谷が札幌で系統分割され、札幌~稚内になってました。「おおぞら」も函館~釧路間、今では考えられないスケールの列車でしたね。
この時代、北海道は乗り継ぎ列車との接続が悪くて、「時間がございます。待合室でお待ち下さい。」は車掌さんの決まり文句でしたね。多層階列車の案内放送も涙が出るほど懐かしいです。
北海道ならではの「~行き特別急行・〇〇号」は、特急の格式を感じさせる言い方でした。
北海道を縦断していた『急行宗谷』は大好きな列車でした。初代南極観測船の『宗谷』ともイメージがダブり、大切な任務を背負って最果ての地を目指す・・・そんな頼もしさを感じました。
懐かしい車内放送でした。当方実家が伊達紋別駅の近くだったので、いつも見ることはできませんでした。しかし父の実家である八雲では函館から来る親戚がこの列車を利用していたので、八雲駅で迎えに行くときによく見ていました。
初見です。
この貴重なテープをよく残してましたね…
あと、温かい放送ですね。
引っ越しの際にテープを捨てなくて良かったです。
47年以上生きている道産子ですが、恥ずかしながら函館発稚内行の急行があったこと自体知りませんでした。主様のご厚意なければ、このような素晴らしい資料を体験することができませんでした。他の方々が仰る通りの重要文化財級の内容に感服と畏敬申し上げます。
昔を知っていて、懐かしんでくださる方のコメントも嬉しいですが、「初めて知った・・・」というコメントも同じくらい嬉しいです。40年前の録音も『資料』と感じて下さる方がたくさんいらっしゃるのですね。
嬉しい評価、ありがとうございます。
懐かしく拝聴致しました。
現代の機械的な車内放送とは違って人の温もりが伝わる味わい深い放送です。
各案内も懇切丁寧、気遣いが随所に感じられます。
放送に併せて時刻表等を表示するup主様の構成も大変分かり易く、臨場感も大幅に増しております。
貴重な記録をupして戴きありがとうございました。
多くの方から「貴重な」というコメントが寄せられ嬉しく思います。こんなに多くの方々がご覧になるとは思わず、今にしてみると、もっと丁寧な画像を作れば良かった・・・と思います。
大変貴重な音源をありがとうございました。
懐かしいなと思う反面、禁煙車などない時代ゆえ紫煙立ち込める車内で稚内までの半日は拷問だなぁ、と(笑)
非冷房で窓の開く夏ならともかく、暖房ガンガンの冬だったらきっと大沼公園までに酔ってたと思います。
その通りですね。わたくしも煙にはずいぶん苦しめられました。
4人向かい合わせのボックスシートで、定員近くまで乗っていると窮屈で、ラクではありませんでしたね。
懐かしさは懐かしさとして心に残し、快適になった現在の旅も素直に受け入れ、楽しんでいます。(自粛中ですが)
夏場は窓開けると、お手洗いからの水が吹き込み場所を選んで座席を取らないと稚内から函館通しで、排気ガスとお手洗いからの水で全身が汗とコレで汚れマクリ連絡船シャワーで流さないと大変でした。
懐かしいです~、学生時代の夏は毎年北海道へ。朝10時の大阪発特急白鳥に乗り青森着が24時、青函連絡船で函館着が早朝5時、札幌に着くのが昼過ぎでした。
昭和の良き鉄道遺産『急行 宗谷』
真面目で丁寧な車掌さんのアナウンスが、広い北の大地の旅情をそそる
実に良い時代の思い出が鮮明に甦る
いい時代だったなぁ・・・と思います。でも今の時代だって捨てたものではありません。
コロナが収束したら、また新鮮な気持ちで旅に出たいと思います。
この車のオルゴールは、スタートをあわせて、途中でもう一度ゼンマイを巻き直すときれいにワンフレーズ流れるのですよね。懐かしい。。。
それにしても旅情溢れる素晴らしい放送ですね✨
旅情を感じて頂けたら何よりです。当時、特急以外の気動車のオルゴールを完全な形で聴くことはまずありませんでしたね。
長万部発深川ゆき
小樽発追分ゆき
札幌発歌志内ゆき
急行「大雪7号・紋別・はぼろ」の3階建て列車もレアですが
普通列車も今では考えられない区間ですね
初めは函館発車後放送だけをUPするつもりでしたが、乗り換え列車の案内が捨てがたく、長編になってしまいました。
叔母がいる稚内まで上野からゆうづる、青函連絡船、そしてこの急行宗谷に乗って行ったこと思い出しました。
時間の節約ばかりでなく、こういう時間の使い方ができる選択肢が復活してくれればと願います。
函館から稚内まで乗り通すのは、乗ること自体を楽しむ鉄道ファンばかりと思っていましたが、実際に稚内に行く目的があって乗車されていたのですね。急行宗谷が本来の使命を果たしていたようで嬉しいです。
それにしても長時間の乗車お疲れ様です。
@@kyuukou-souya 小学生の私に取ってはかなり苦痛だった思い出ですが、見知らぬ車窓をずっと眺めてました。
@@shingo4785 様。私も幼いころから乗り物に乗ると、ずっと外ばかり眺めていました。退屈しないのが親にとっては助かったようですね。
ユニークな企画楽しませてもらいました!私も昭和53年1月版を持っていますがもうボロボロです。駅のスタンプも同じものがあります。いい時代でした。分割併結がいっぱいありましたし、鈍行なんか駅で1時間も泊まる列車もありました(≧▽≦) 入場券買って駅弁買って青春時代でした。懐かしい時刻表の旅にお誘い頂きありがとうございました(;´∀`)
懐かしい列車の放送がUA-camにたくさんあり、自分も音声だけの公開にしようと思いましたが、思い付きで、時刻表加工画像をメインに、引き出しや押し入れから『出土』したコレクションなども適当に入れてみました。
コメントを拝見して、みんな同じような旅をしていたのだな...と思いました、
『出土』という表現に思わずはその通~り!と声を出してしまいました。座布団3枚さしあげます(*^^)v
私にとっても、まさに若かりし頃の夏休みの思い出です。
函館駅で乗る時に風景を先読みして、進行方向のどちら側に座るか迷うのさえも楽しかった。
大きな駅に着くと駅弁売りの声が響いていたのもこの時代。
風情のあった鉄道風景を思い出しながら缶ビールで乾杯!
コメントありがとうございます。放送を聴きながら旅の思い出に浸っていただけたら幸いです。美味しく飲んでください。
札幌からの歌志内行の普通列車があったなんて知らなかったです。スゲェの一言に尽きました💦
その驚きの声が嬉しいです。
ありましたよー。子供のころ、祖父母宅へ独りで行くのに白石から乗ってましたよ。懐かしい✨
こういう音声データは貴重なんだよなあ。当時の空間を取り巻く呼吸感がなんとなく伝わる非常に貴重な音声。でもって昭和のこの年代を記録した書物は実はあんまり残っていなかったりする。よくぞ残して下さったと思います。
この当時も録音をされた方は沢山いらっしゃると思いますが、テープが廃棄されたり、どこかで眠っているものと思います。
これも、眠っていた古いテープからの再生ですが、低評価の嵐になるのでは・・・と、UA-camで公開するには勇気がいりました。
急行列車って言葉も死語になってしまった
特急が「特別急行」の略だって知らない人も多いんだろうな
ものすごく貴重な音源と画像、堪能しました、ありがとうございます
素人の古い録音ですが、40年の歳月を経て『貴重な…』と言っていただける方がたくさんいて、感激しております。
上野から夜行列車で青森に着いて、青函連絡船で函館に渡りこの列車で稚内まで乗った人もいたことだろう。
戦前はこんな急行列車もなく、蒸気機関車が引く鈍行に何日も揺られ、稚内からさらに樺太へ渡った人はどんな気持ちだったのかな・・・と思います。
紛れもなく1億国民の足だった頃の「国鉄」の息吹😭
派手な車内演出は一切無く、ともすればボックスクロスシートの窮屈極まりない車内だったはずですが、それを余り感じさせない旅の雰囲気。乗客専務の赤い腕章を巻いたカレチの案内放送が目に浮かびます。世の中はどんどん「国鉄」を全く知らない世代が増えてきている中、国鉄ってこうだったんだよと後世に伝える貴重極まりない1級品の資料ですよ❗️アップありがとうございました。
様々な情景を思い起こして頂けたら何よりです。嬉しい評価をありがとうございます。
素晴らしい車掌さんの案内ですね~とってもレトロで良いですね~有難う?この時代に戻ってほしいですね~優しくていいですね~
なんだか淀川長治さんの映画解説みたいですね。こんなスライドショーでも映画監督の気分です。楽しんで頂けたのでしたら何よりです。
本当に懐かしいです。心に永遠に残る列車です。ありがとうございます。
急行宗谷は、個人的に大好きな列車でしたが、多くの人の心に残っていて嬉しいです。
これは貴重な音声ですね!
函館から稚内に直行する列車…乗ってみたいな(´∀`)
多くの方に『貴重な』と言って頂けて嬉しいです。
貴重な音声、ありがとございます。
今では廃線になった区間や普段は使われないルートで楽しめました。
長万部から深川行き鈍行ってと思いました。
長万部~小樽は、ローカル線のようになってしまいましたが、昔の山線は元気でしたね。
夏休みがあるかなねはあちゃんうちに行く時に
乗ってかにつかしいかなねありがとうかな
朝からイカの刺身おいしかなはあちやんの料理かにつかしいしたねありがとうかなねありがとうかな
かつては長距離の急行も運行していましたね。この宗谷や大雪も札幌から釧網本線回り釧路行きや、狩勝も根室発札幌行きもありましたね。まあ本編成は途中駅からですが。乗り換え案内も路線が多いですね。宗谷は札幌発着の印象が強いと思いますが函館発着でしたね。以上です。
長距離急行がなくなり、特急もだんだん短くなって、長距離列車と言えば新幹線という時代になってしまいました。
新幹線が札幌まで開業したら、山線はどうなってしまうのでしょうね。
知人は、もう少し前にですが、西鹿児島から錦江、都城からえびの、熊本からぎんなん、博多からさんべ、出雲市から大社、名古屋から赤倉、新潟からしらゆきと青函航路とDC9本(急行8本)で枕崎から稚内まで行ったみたいです。
驚きました。すごい『つわもの』がいたのですね。
たぶん700キロ近い旅です。北海道のスケールのでかさを教えてくれる急行でした。だって東京から大阪通り越して岡山近くまで行ってしまうのですよ。中学生だった自分の心に、すさまじい旅路を思わせてくれましたよ。自分は実際には宗谷には通しで乗らなかったけど、14歳の冬、函館に入って札幌から釧路、オホーツク沿岸をひたすら北上して浜頓別まで行った、あの旅が忘れられません。
遠い昔の旅をふと思い出して頂けましたら何よりです。
1980年、まだ鉄道ファンになる前。貴重な音源ありがとうございました。
こんな素晴らしい貴重な音声を聞かせていただけるなんて感謝です
古いテープからの再生ですが、思ったよりも劣化が少なく、たくさんの方から「貴重な・・・」とコメントを頂戴し、嬉しいです。
今年56歳になりますが、この車内放送のあった年の1980年は僕は中3でした。夏が涼しくて冷夏と言われた年でした。当時アニメオタクという言葉がまだ無かった当時、機動戦士ガンダムが大流行りしてこの僕も多分に漏れず再放送を見まくっていた頃です。志望校にも合格した後、親友と京都から山陰線を走る夜行鈍行「山陰」に乗ったのは翌年の3月末でした。当時時刻表を数ヶ月に一回買い、色々ページを眺めながら旅行のプランを考えるのが趣味でした。
普通北広島行きが渋すぎるw
小樽~札幌が31分はなかなかすごいですね。
現在の快速APが32分なので。
今に比べれば非力な気動車で頑張っていましたね。
味のある車掌さんのアナウンスでした。
駅に着く度に「長らくの御乗車お疲れ様でした」「長時間の待ち合わせは待合室でお待ちください」と、乗客を気遣う放送はは、長距離列車ならではの放送ですね。
また、道内各地へ向かう列車の種類が豊富であったことも知ることが出来ました。
「待合室でお待ちください」は当時必ずありましたね。ホームで撮影したり、録音したい身には不自由でしたが・・・
素晴らしい!この録音が残っていたこと、そしてIT技術によって広く聞けるという感動。うp主に感謝。
コロナによる外出自粛を機会に身辺整理し、古いカセットの音をパソコンに取り込み、思いつきで作ったスライドショーです。単に自分の「お遊び」のつもりでしたが、公開してみれば、意外や意外。多くの方から暖かいコメントを頂戴し、大変嬉しいです。
@@kyuukou-souya この動画は画面センスも非常に良い。切符や駅舎、時刻表など映像だけでもお宝ものであり、合わせ方も芸術的である。
コロナもあり常に車移動なので音声を運転時にかけると、自家用車でも旅情が感じられるという贅沢もできる。
この時代に生きて路線に乗れた方々はなんと幸せなのだろう、羨ましい。
@@ぴんくぴょん 様。嬉しいコメントをありがとうございます。
車を運転中に音声をかけて、速度感覚が狂わないようにお気をつけ下さいませ。
私が「汽車通」していた高校時代、札幌駅で毎日聞いていて、今でも耳に残っているのが「網走・遠軽・幌延行き」という不思議な構内放送でした。
大雪・紋別・はぼろ
ですね。
それにしても、函館から稚内だなんて、凄い距離だよな😃乗ってみたかったな~😃今、50歳です🙋
函館から稚内まで乗り通すのは、当時20代のわたくしも困難で、この時は札幌で降りました。後半戦は夜で景色が見えないものですから。
初めまして!40年以上前の貴重な音源がキレイに再生されて素晴らしいです!列車に揺られている気分に浸らせていただきました。1981年に私が乗った急行宗谷は札幌始発で稚内に23時前に到着しましたが、アナウンスを聞くと函館発のダイヤを札幌からそのまま引き継いだようです。それにしてもロングランでしたね〜。ありがとうございました
嬉しい評価をありがとうございます。系統分離で函館~札幌間が『北海』に格上げされた時は残念に思いました。しかも特急に格上げされた区間の列車の方が先に廃止になってしまうなんて思いもよりませんでした。
急行宗谷には稚内~札幌間で何度か利用した事があります。
夏場に臨時列車の返却回送でしょうか13両編成の上り急行宗谷を札幌駅で見かけた事があります。
この頃なら急行ニセコ2号根室発函館行きも走っていましたね、走行距離は約810km。よく利用いたしました。
釧路発札幌行きの急行大雪もあったと思います。乗り換え案内で出てくる急行大雪・紋別・はぼろ、この列車急行紋別を札幌~遠軽全区間乗車致しました。
函館から稚内…!函館11:50発で終点の稚内着が22:46…!北海道の大きさを感じざるを得ない…
それと
千歳回りでなくて小樽回りだから
時間がかかる
@@スーパーおおとり でも、当時の急行の割に爆走かと…
@@koko-jg5wl さん
その頃の特急の存在は特別な急行でしたからね
利益のありそうな区間は特急
どうだろうか?とかそのレベルには達して無い路線は急行までの様な振り分けあった様です
東北本線の急行 くりこま 特急並みの速さの急行の様なものでしょうかと