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ずっとハンジさんの死に納得できずもやもやしていたのですが、動画を見て納得できたと思います。エレンは直接介入せず、全ては結果に結びついた過程のものだとすると、彼女の死は彼女自身が選んだもので、決してエレンが望んだものでもないと解釈しました・・・・・・でも、戦後の世界を生きているハンジさんは見たかったですね。
やっぱり、エレンは自分は自由な存在だと自分で信じるために、抗うことのできない決定された運命を自分の自由意志だと自分で信じ込んだ。という新解釈がしっくりくるな
世界連合潰す直前に、それっぽい事回想で言ってますしね。
本当にあなたは頭が良く素晴らしい考察をしますね。私は馬鹿なので何十回も繰り返しみてようやく理解できる感じです。でもあなたの動画が面白くて大好きです。新しい動画まってます!
そんなことはないですよ😂複雑で結構内容難しいだから進撃途中から見なくなった人も多少いるし、でもそれを深く理解できたら楽しいのが進撃の巨人だと認識してる😌
普通に読めば「新解釈に近いもの」になるはず。特に完結後にまとめて読んだ人はその傾向が強いのでは。旧解釈は謎を謎で説明している上に矛盾だらけで破綻しており、単なる誤読・妄想としか思えない。解釈云々以前の問題であり、比較するまでもないのではないだろうか。新解釈にしても、始祖や進撃単体の能力という独自設定を前提にした結果生まれた問題に足を引っ張られているように感じる。エレンが無垢や地鳴らし巨人を完璧に制御できると言える証拠はどこにもなく、ハンジも地鳴らしが期待通りに機能する保証は何も無いと言っており、実際そうだった。だからわざわざハンジやピクシス達の死を矛盾とする必要はないと思う。
俺も、一度無垢巨人になったのを元に戻すのが不可能&兵団上層部が邪魔になるのが事実&細かいとこまで見ようと思えば見えるけど、見てない。気にしてられない。で説明がつくと思います。ハンジさんとフロックがあそこで死ぬ事も知ろうと思えば知れるし、防ごうと思えば防げるけど、いっぱいいっぱいで頭回らなかったで済む。できる事なら全部やったはず。とは限らない。別に矛盾だとは思はない。エレンはアルミンほど頭良くないし、ユミルと自分の目的を叶えつつも犠牲を最小限にする調整はできない気がする。8割も大雑把だし。誤差で殺された人も数百万人はいるだろう。地ならし終了後の環境の変化で死ぬ数まで把握できないし。ジークが死んで地ならしが止まったけど、それが必要条件だったのか、ジークが死んだタイミングに合わせてユミル/エレンが止めただけなのかは分からない。ムカデはお構いなしで忖度しないだろうけど。
この方の考察ってすごく面白い秋の最終回が待ち遠しい
ハンジの死によってアルミンが団長になったから、そのあたりにハンジの死の必要性があるのかも。
うーん、自分は新解釈の方が信憑性もあって、新しく面白いと思いました!
進撃の巨人ほんと大好き
「エレンがダイナ巨人を“積極的に”操っていた」という旧解釈というかエレンの思い込み(?)があまりしっくり来なかったので、やっぱり「エレンの始祖の巨人によるユミルの民への作用全てが、光るムカデor諫山先生の意思でなんかいい感じに決まっていた」という新解釈がめちゃくちゃ腑に落ちました。
次の動画楽しみ!
旧解釈には、ずっと疑問があった。過去の全てのユミルの民を操れるなら、まずもって、いくらでも過去に遡って、壁が破壊されての惨劇にならないよう介入できるポイントはあったんじゃないだろうかもっと言えば、巨人大戦など起こさせずマーレに力を与えることを防げたのではないかそれとも、過去にいけるのはエレンが生まれてからの過去だけなのかな
介入できる過去の範囲には限界があると考えると理解はできますが、誰もそんなこと言っていないので考えようがないですよねぇ
昔に遡りすぎるとエレンたちが生まれてくる未来も変わっちゃうから、104期のみんなを守るにはいかに過去を変えすぎず未来を変えるかが大事だと考察
ミカサに愛されなきゃ終わらなかった物語だ
@@mjk9905そのために介入ポイントをエレンは最小限にし、仲間の自由意志を尊重した。ユミルの民の操作だけではその他の物理的な事象を自由にできるわけでは無いため不都合が所々生じたと考えます。
始祖の能力はそこまで万能じゃないと思うわ、なぜなら俺がエレンなら「名は進撃の巨人」は懲罰が10日短くなるからハンジに見せる意味があったけど「戦え、戦え」を見せる意味は全くなく絶対ここ介入したくなると思うから
エレンは"全知"ではあったが、"全能"ではなかったって言い回しがめっちゃしっくり来てすき個人的には新解釈派です
遅れてアニメ最終回まで観たのでここに辿り着きました個人的にエレンは過去含めて人の操作はしていない(するつもりがない)と思いましたそういう意味ではダイナ巨人はエレンに操作されたという方がしっくりきますハンジの死については自分を止める戦いについて手加減する気はない事が大きいのでは?(それこそが自分と仲間の自由の両方を尊重した結果)未来を見る事が出来るとしても限定的なのでエレンは「全能」はもちろん「全知」ですらないという気もしますあくまで神ではなく1人の人間として思い悩み決断した物語だと考えています
新解釈いいですね、旧解釈よりしっくり来るので好きです。「カルラを死なせたのは自分」という告白については、エレンの「(みんなに)パラディ島で殺し合いをさせて」という発言と共通して、本当にエレンがそう仕向けたというよりかは結果的にそうなってしまったことに対して強い罪悪感を感じた結果、ああいう表現になったのではないかと思いました。エレンがライナーのように死にたくなる程の罪悪感を抱えていたとするなら、いわゆる「俺が悪いんだよ」的な発言をしてもおかしくない…と考えれば新解釈でも不自然ではないかと思います。かなり回りくどい考え方ですが
忘れがちだけれど、始祖の巨人が影響を与えられるのはエルディア人だけということ。つまり、それ以外の人類には何ら影響は与えられない。そうだとすれば、例え始祖の巨人の力を持ったとしても、神になることは出来ず、世界の中に始祖でもコントロール不可能なことが存在することになる。このことを前提に考えれば、旧解釈は棄却されることになるが、新解釈はどうだろうか。こちらはなお、残存する。いや、むしろ強化される。進撃の巨人の世界には、「始祖の巨人」の意思とそれ以外のいわば「世界」の意思が存在し、それが相互に影響し合う中で、作中の「歴史」が形成されてきた。もっとも、「始祖の巨人」にせよ、「世界」にせよ固有の自由意志は存在せず、前者は宿主の、後者は非エルディア人の意志の総体としての自由意志により動くものである。そうだとすると、より決まった方向に進む力が強いのは「始祖の巨人」の方になり、「始祖の巨人」が地ならしを望んでも「世界」の側にはそれを止めることはできない(非エルディア人は誰も地ならしが実際にどのような形で起こるかは知らないあるいは知らない物が多数である)ため、結果として地ならしが起こることになる。2000年という歳月は、「始祖の巨人」と「世界」がぶつかり合い、地ならしが起きるために必要な条件が揃うための時間であったということになる。新解釈は、エレンやユミルに世界の決定権があるのではなく、「何か」が決定しているということであったが、その「何か」を定義するとすれば、「「始祖の巨人」の意思と「世界」の意志の総体」であると言えるだろう。
結局そもそも巨人の力がどのタイミングで分けられたのかもわからないんですよね。進撃の巨人はなんの能力も持たないと言う解釈は面白いと思います。具体的にどの場面か、何回あったか、朧げで申し訳無いのですが......作中でエレンに対し「一人じゃ何もできない」といった趣旨の発言が何回かあったと覚えているので、あれは様々な示唆を含んでいたのかもしれません。無垢の巨人と進撃の巨人保持者の意志には介入しないという制約は実にエレンらしく、切ないですね。
11:15 根拠にはならない。セリフの一部を切り抜いて文脈を無視して都合良く解釈しているだけなのでは?11:28 エレンはカルラの死に関わっている。ジークが言った通りグリシャはエレンに影響を受けて行動していた。ウソでも勘違いでもない。分かりにくいも何も、そのままの意味では?11:56 エレンは "全知" ではない。わからないことがいくつもあるのは明らかでは?12:18 旧解釈は決定論的世界観ではなく、俗に言う「ループもの」ということになるのでは?12:29 不憫というよりも運命愛的なものなのでは?それを不憫と言っているのかもしれないが
1点目この動画は「エレンはダイナ巨人を操った」、「グリシャに未来の記憶を見せた」という解釈をしてる人が多いという前提で作っています。表面的に読んでいるライト層にとっては、そう解釈されても仕方ないセリフだという意味です。2点目エレンはカルラの死に関わってるのであって、カルラのもとに直接向かわせてるわけではない。グリシャもエレンの影響を受けてはいるが、記憶を見せられているわけではない。言ってることは大方合っていますが、まったくそのままの意味ではないということです。3点目ジークが始祖の力でグリシャの記憶を巡れたように、過去のユミルの民の記憶に関しては全知(知る事は可能)だったと考えています。しかし、未来の記憶に関しては断片的でしたので、確かにそういう意味では全知とは言えないですね。分かりやすい表現をしたく、大雑把に言ってしまいました。4点目ループものは「記憶を保持したまま何度もやり直して未来・過去を変える」という設定です。しかし、エレンは結局過去に介入しただけで、過去・未来を変えてはいません。エレンの介入込みの決定論的世界が存在したという認識です。そして、その世界がエレンにとって望ましいものだったから、エレンは過去を変える必要性もなかったというのが旧解釈になります。5点目その通りだと思います。ここの感じ方は哲学なので人それぞれでしょうね。私はあれほど自由を望んだエレンが運命愛に行き着いたというより、行き着くしかなかったように思えて不憫に感じてしまいました。
@@チカチローニ進撃の巨人考察 返信ありがとうございます。前提・意図はだいたい理解できたと思います。4点目。投稿主さんがこの作品をよくあるループものとは違うと感じていることは理解できます。しかし、「エレンが介入箇所を選んでいる」のであれば、「記憶を保持したまま何度もやり直して過去や未来を変える設定」と同じではないでしょうか?
@@チカチローニ進撃の巨人考察 4点目は旧解釈の説明になっておらず、むしろ新解釈的なものになっていると思います。なぜエレンは介入箇所(見せる記憶)を選ぶ必要があるのか?そのような動機があるのか?そうしないとゴール出来ないとエレンが知っているからでは?なぜエレンがそれを知っているのかといえば、ゴールに辿り着けない周回があったから、としないと筋が通りません。エレンは最低でも1回以上は結末までの流れを見届けたことになります。そうしないと介入箇所を選べないし、選ぼうとすら思わないからです。無限に試せるという前提によって、始祖ユミルが解放されるまでの過程も、解放がゴールだという結末も、1つしかないことを保証できなくなります。もし仮に作中で正解となる過程もゴールも1つしかないと明示されていれば、この無限の試行錯誤も吸収できますが、そのような証拠は何もありません。その上でエレンが介入箇所を選んでいるとするのであれば、敢えて決定論だと強調する必要もなくなる、というか強調できなくなります。どんな作品でも結果が1つなら決定論的だと言えてしまいますが、旧解釈は自ら決定論を手放しています。だから旧解釈はループものということになってしまうのではないでしょうか?このことを、旧解釈的に読んでいる人たちはどうやって納得しているのか興味があります。
@@pot8os742 なるほど、確かにエレンが無限に試行錯誤していたとするとそうなりますね。しかしこれならどうでしょう?進撃の巨人が他のループものと違うのは、自分を取り巻く過去・未来を受け入れた時に過去介入能力を得たことだと思っています。普通は何かしら過去・未来を変えたいと思った時に突如として主人公がループ能力に目覚めたりしますが、エレンの場合、勲章授与式で未来を見た時はループ能力がなく、むしろ見た未来の通りになっていく現実を見て、未来は変えられないと思ったはずです。そして、地鳴らしの未来を受け入れ自分で自分の背中を押して前に進み続けようと思った矢先に、エレンは過去介入能力を得ました。しかし、その時点で既にエレンは地鳴らしをしたいと思っていますから、わざわざ過去を変える必要もなくなったわけです。さらに、エレンは突如として過去介入能力に目覚めたのではなく、始祖を食い、ジークと接触したことでその能力が発動しました。となると、その能力で過去に遡って、ジークと接触出来ないような介入をしてしまうと、地鳴らしができなくなる上にタイムパラドックスも起きてしまいます。過去介入能力が潜在的にエレンの中に存在するものであれば何度もやり直せますが、エレンの能力は外的要因から得たものなので下手に過去を変えると矛盾が生じかねません。となると、エレンがやるべき事は自分が体験してきた歴史の通りになるように調整すること。だから、エレンは介入箇所の記憶を見せたのであって、何度もやり直したわけではないという事になります。ただし、エレンが介入したのが先か、介入箇所の記憶を見せたのが先か、ここも鶏卵問題になるので、実際はエレンが介入箇所を選んだわけではないという捉え方もできてしまいますね。このように、結局はすべて最初から決まっていたという決定論的世界観が物語の軸にあるのではないかと考えています。その中でその世界の在り方を決定したのがエレンなのか、そうでないのか。もしくはエレンが決定したと本当に思い込んでいるのか、ただ思い込もうとしているだけなのか。これが新・旧解釈の違いだと思っています。ちなみに、タイムトラベルものに必ず付随してくるタイムパラドックスの問題ですが、これを解決するには2つの方法しかありません。1つ目はどうやっても過去・未来が変わらない、いわゆる介入込みの歴史がただ一つ存在するという認識。2つ目はもともといた世界と過去・未来が変わった世界が分岐するパラレルワールドという認識。私の考える旧解釈が前者、pot8osさんが理解した旧解釈が後者になりますね。しかし、決定論が軸と言っておきながら、実は裏設定としてのパラレルワールド、ループ説の可能性もあるんじゃないかと思っていたりもします。それが、動画が曖昧になってしまった原因でもあり反省しています。ミカサの見た長い夢に絡めてその検証も今後の動画でやろうと思っているので、ぜひそちらもご覧ください。長文すみません。🙇♂️
@@チカチローニ進撃の巨人考察 大変丁寧な解説をありがとうございます。何を前提にしているのか、どうやって納得しようとしているのか、については良くわかりました。作者は読者の最低100倍考えているなんて言いますが、この作品は特に思わせぶりではなく意図して隠していることが多いように感じます。疑問に答えていただきありがとうございました。ミカサの長い夢の動画、楽しみにしています。
チカチローニさんは進撃の考察系のユーチューバーの中でも最先端の考察をしてる気がしますね。毎回色々な視点から考えられていて説得力があるので見ていて勉強になります。
新解釈の方が好きだなぁ
次の動画が楽しみです😂
新派です。ループ、タイムリープ物より現実の道は一本しかなくて何かによって動かされていたとするほうが作品の質が保たれている気がします。自由意志の有無は現代の科学でも議論され、エレンの自由への苦悩がそのままこの先の人間を写したものであるようにも感じました。過去を覗いている間、自由を欲求するエレンは自由意志を持っているかもしれないヒトに対して直接介入したとは考えにくいし、個体差はありますが無垢の巨人も意志がありそうですし、そういう意味でもエレンが直接操ったりした可能性は低くなってくると思います。
すみません、勲章授与式にエレンが見た記憶についてどなたかわかる方がいたら教えてほしいです。#2の動画で、エレンは勲章授与式の際にグリシャの記憶を通して未来を見たと、主さんは仰っており、その通りだと納得していました。グリシャの記憶でみた未来の断片が、130話「すべてはこの先にある」のセリフ部分の描写だと思うのですが、ダイナ巨人目線のベルトルトの描写と、鳥目線のファルコの描写だけどうにも納得がいきません。まずダイナ巨人目線のベルトルトの描写についてですが、描写がダイナ巨人の目線ということは「ダイナの記憶である」という認識が正しいと思います。したがって考えられることとしては①ダイナが巨人化した際に使用された脊髄液がクルーガーのものであったため、ファルコとジーク的な関係が生まれ、ダイナの記憶を垣間見ることができた。②850年に初めてエレンがダイナ巨人と接触し座標を発動した際に記憶を見ることができたが、それどころではなかったため忘れていたエレンが、ヒストリアと接触したことで再び記憶の蓋があき、この描写を思い出した。自分的には①が意外と信憑性を持つと考えているのですがどうでしょうか。次に鳥目線のファルコの描写ですが、これはよくわかりません、誰か教えてください。エレンが道に行っている間は鳥になっちゃうとかですか。
諫山先生がエレンに自分を重ね合わせてたように、「自分は全知(2人とも話の流れを理解している)だけど、全能(一からやり直すことができるほど、先生は時間、エレンは心に余裕がある)というわけではない」という作者なりの懺悔だったのかもしれないこれから自分が踏み潰させる子供にごめんなさいって言ってしまうように、エレンの精神は強くない。ライナーを最後は曇らせずに気持ち悪いキャラにしたし、諫山先生は愛しいキャラを殺せるほどには強くないのかもしれない。
RTAを走る時に、先駆者のルートを洗練するだけで、完全新ルートを探すのは超骨が折れるからやらないみたいな。
ハンジの死を「記憶の蓋」で説明すると次のようになります。エレンが言う授与式で開いた「親父の記憶(未来の記憶ではないことに注意)」によってエレンは未来を部分的に見ます。以後、エレンはグリシャの記憶が実現される現実を見ながら、自分にできることをやりつくした結果、ガビに撃たれて道の住人となります。地鳴らしはエレンではなく始祖の巨人の意思に従ってユミルが起こしたものです。エレンは始祖の巨人の一部であり、始祖の巨人はユミルの一部です。ユミルはエレンが地鳴らしを起こしたように見せかけ、ミカサがエレンを打ち取る様を見て「地上から巨人の力」を消しました。地鳴らしはエレンが起こしたものではなく、エレンは生前に地鳴らしの結末は知りませんでした。授与式で見たグリシャの記憶に含まれていなかったからです。同様にハンジが死ぬことも知りませんでした。よってハンジが死なないように歴史を操作することも、地鳴らし速度を調整することもできません。エレンができたことは「地上から巨人の力」を消すために、グリシャの記憶が現実で再現されるように生きることだけでした。(記憶の奴隷)エレン自身も地鳴らしは自分が起こしたと考えてアルミンに告白していますが、これは道にいるエレンの勘違いです。生前のエレンはグリシャの記憶で地鳴らしの先頭を進む自分と地上から巨人の力が消える未来を見ているので自分が地鳴らしを起こしたのだと思い込みましたが、現実の地鳴らし進行中は道の住人であり「生きた人間としての地鳴らしを起こした経験や記憶」を持たない存在です。死んだ後も進み続けましたが、エレンの人生はガビに首を吹き飛ばされた瞬間に終わっているのです。rip.
進撃考察系UA-camrのなかで1番好きです!これからも動画楽しませてもらいます。応援してます(●︎´▽︎`●︎)
BGM何
どちらとも思える考察やな
俺的には始祖単体の能力:時間に関係なく全ての無垢の巨人とユミルの民の記憶を操る。(明確に意志のある行動を操り強制的に変えることはできない。なので、知性巨人や人間状態のユミルの民を操ることはできない。例えば、ガビを操りサシャが死なないようにするのは無理)*そもそも具体的に情景を思い浮かべられないと操れない。なので、エレンの記憶にないシーンの無垢の巨人を操ることはできない。エレンは、第50話「叫び」でダイナ巨人と接触し、座標に到達した際に、無意識下でダイナ巨人の記憶を見ているのでダイナ巨人を操れた。その根拠てして、エレンがダイナ巨人を操ったことをアルミンに打ち明ける時、第三者視点からみたダイナ巨人ではなく、ダイナ巨人視点から見たベルトルトが描写されている。進撃単体の能力:過去の継承者に自分の記憶を送ることができる。ここで重要なのは、進撃の巨人継承者は見たい未来の記憶を全て見れるわけではなく、未来の継承者が自分に見せてくれた記憶しか見れないということ。だから、レイス家襲撃後にグリシャは「なぜ全てをみせてくれないんだ!壁が壊される日のこと...」と叫んでいる。また、進撃の巨人が自由を求め進み続けたのもエレンが過去の継承者達に送ったエレンの自由になりたいという意志に過去の継承者達が無意識下で影響下されているから。エレンが見た夢について:エレンが夢で未来の記憶を見た理由は、エレンが死ぬ直前に感情をとても昂ったので、始祖の巨人継承者で道との結びつきが強いことなども相まって、一瞬過去の自分に記憶が流れ込んできただけ。無理やり流れ込んできただけなので、夢から覚めてしまうと内容を全く思い出せない。これには進撃の巨人の能力は関係なく、あくまで強い感情によって記憶が一瞬、道を通じて流れ込んできただけである。
自分は始祖単体と進撃単体という見方はしなかったな。始祖の能力は王政編でも言われる通り、全ての巨人(人状態のユミルの民を含む)の記憶を改竄したり操れる。これに座標という時のない場所という要素が加わったから、過去でも未来でもその能力を行使できたんだと思う。座標だからこそ、ユミルの民の記憶の断片が時間を超えて垣間見れた。進撃の巨人の継承者へ未来の記憶を送信する能力が、進撃の巨人の能力である場合、座標で始祖の力を掌握する前のエレンでも記憶ツアーを単体で行える。アニメで、目を覚ましたグリシャがジークの姿を見た事にエレンが驚いてたので、そのシーンを見た後にエレンが記憶を送った事になる。記憶ツアーのすぐ後に始祖を掌握してるので、記憶ツアー中、あのシーンのすぐ後に送ったか、始祖掌握後に送った事になる。未来視が始祖の能力の場合 座標から更に後の未来まで見て、過去に記憶を送った(送るというか記憶改竄かも?)。進撃の巨人の能力は未来視とは別にある。始祖にすら従わなかった。のが、進撃の能力で、それがアッカーマンの素だとしたらしっくりくる。巨人大戦後、進撃の巨人だけ行方不明になった事、大陸にアッカーマンがいない事。自分(始祖)に従わない者をわざわざ作って近くに置くとかいかにもカール・フリッツがやりそうだし、人口的に島に連れていけるユミルの民がごく一部で、大勢を大陸に置き去りにするから、王族の片割れ(ダイナの先祖)と、マーレの手に堕ちない進撃の巨人を敢えて復権派に残したんじゃないだろうか。おそらくヘイロンとタイバー家の先祖は全部聞かされていた。カール以前の始祖の継承者に対し、始祖ユミルは受け身で命令を聞くだけ。座標で始祖継承者に過去や未来の記憶を見せないため過去未来に干渉する事も無かっただろう。
アニメもおわた。
エレンを加害者として見るのか被害者として見るのかですね
旧解釈派だなぁどっちも面白いけどね
ジークを治した巨人がオカピ同様、座標に送るために遣わされたのは分かるけど、リヴァイが仕留めた無垢巨人かジークが肉礫にした余りだとか、壁外でうずくまってた巨人だとか、何か媒体がほしかった。唐突に現れたのがなんかモヤっとしてしまう。何もない場所へ座標から巨人が送られてきた前例がないからあれだけ異質な印象。座標に時間はないから、ジークを治そうとしたのが、エレンに口説かれた後のユミルでも問題ないけど、受肉するための器が欲しかった。「想像に任せる」謎の部分とは別に、845とか、作品に支障ない小ネタの種明かし本出してほしい。
新解釈で気になるのは、少年ベルトルトを見るダイナ巨人らしき視点がどこからきているのか、という点です。これに関しては旧解釈のエレン操作の方がスッキリしている気がします。
そんなこと言ったらファルコを上空から見てる鳥視点が気になるし、旧解釈も新解釈も腑に落ちないが。始祖+進撃はユミルの民以外に鳥も操れることになるけど。
辻褄とかを考えると新解釈の方がスッキリするけど、好みで言えば旧解釈の方だな。
母親殺すことなんてエレンに出来るわけがない!母親を助けることもできた!と思う人はこの文章を読んでほしい。暇な人も読んでほしい笑「卵か鳥か」という有名な話がある。この話は、誰もが知るニワトリが目の前にいたところから始まる。ニワトリを見ていて主人公は思う。ニワトリという生物には始まりがあったのだろうか?と。1番最初のニワトリは卵なのか鳥なのか。シンプルな疑問だったが主人公は分からなかった。ニワトリというより、一番最初の生物は卵で誕生したのか、それとも生物自体が誕生したのか分からなかった。それはどっちかであることは間違いない。しかし目の前にニワトリがいるのだからどんな始まり方であれ、始まりはあったのだろう。その答えを知るのは全知全能の神だけだろうと主人公考えた。そして主人公は別にニワトリの始まり方なんてどうでもいい気がしてきた。なぜなら目の前にニワトリが確かに生きているのだから。そこに生物が目の前にいるこれだけは事実だった。進撃の巨人という物語は誰が始めたのかは分からない。カルラ・イェーガーが死んだのは誰の意思だったのかは分からない。ただ確かなのはエレンの母カルラは死んだということ。エレンの目の前で食われた事実はどれだけ考えようが変わらない。一歩間違えれば未来は大きく変わっていたかもしれない。しかしニワトリがいない世界、そこに物語がない世界、物語がある世界、幾つもの世界線がある。第一話でエレンの母が食われた世界というのが進撃の巨人なんだと思う。エレンがやったとするとエレンは異常だが、エレンが自分の母親よりも巨人の力を消滅させることの方が大事だったというだけにすぎない。しかしエレンは最低ということではない。エレンは選んだんだ。可哀想なエレン😭エレンの気持ちを想像すると悲しい。彼に本当の気持ちを聞きたいがエレンはもうこの世にいない。死んでしまったからもういない。
地ならしを発動するために、誰かが死ぬ必要があったでサシャが死んだときに笑ったのは、エレンが未来を見た時にサシャが「肉」と本当に言ったことに笑った、もしくは未来を見たときには「肉」とは言わなかったから、まさかの言葉に笑った
ハンネスさんが死んだ時みたいに悲しさのあまり笑いが出たのではと自分は解釈している。
ずっとハンジさんの死に納得できずもやもやしていたのですが、動画を見て納得できたと思います。
エレンは直接介入せず、全ては結果に結びついた過程のものだとすると、彼女の死は彼女自身が選んだもので、決してエレンが望んだものでもないと解釈しました・・・・・・でも、戦後の世界を生きているハンジさんは見たかったですね。
やっぱり、エレンは自分は自由な存在だと自分で信じるために、抗うことのできない決定された運命を自分の自由意志だと自分で信じ込んだ。という新解釈がしっくりくるな
世界連合潰す直前に、それっぽい事回想で言ってますしね。
本当にあなたは頭が良く素晴らしい考察をしますね。
私は馬鹿なので何十回も繰り返しみてようやく理解できる感じです。
でもあなたの動画が面白くて大好きです。
新しい動画まってます!
そんなことはないですよ😂
複雑で結構内容難しい
だから進撃途中から見なくなった人も多少いるし、
でもそれを深く理解できたら
楽しいのが進撃の巨人だと認識してる😌
普通に読めば「新解釈に近いもの」になるはず。特に完結後にまとめて読んだ人はその傾向が強いのでは。
旧解釈は謎を謎で説明している上に矛盾だらけで破綻しており、単なる誤読・妄想としか思えない。解釈云々以前の問題であり、比較するまでもないのではないだろうか。
新解釈にしても、始祖や進撃単体の能力という独自設定を前提にした結果生まれた問題に足を引っ張られているように感じる。
エレンが無垢や地鳴らし巨人を完璧に制御できると言える証拠はどこにもなく、ハンジも地鳴らしが期待通りに機能する保証は何も無いと言っており、実際そうだった。だからわざわざハンジやピクシス達の死を矛盾とする必要はないと思う。
俺も、一度無垢巨人になったのを元に戻すのが不可能&兵団上層部が邪魔になるのが事実&細かいとこまで見ようと思えば見えるけど、見てない。気にしてられない。で説明がつくと思います。ハンジさんとフロックがあそこで死ぬ事も知ろうと思えば知れるし、防ごうと思えば防げるけど、いっぱいいっぱいで頭回らなかったで済む。できる事なら全部やったはず。とは限らない。別に矛盾だとは思はない。エレンはアルミンほど頭良くないし、ユミルと自分の目的を叶えつつも犠牲を最小限にする調整はできない気がする。8割も大雑把だし。誤差で殺された人も数百万人はいるだろう。地ならし終了後の環境の変化で死ぬ数まで把握できないし。
ジークが死んで地ならしが止まったけど、それが必要条件だったのか、ジークが死んだタイミングに合わせてユミル/エレンが止めただけなのかは分からない。ムカデはお構いなしで忖度しないだろうけど。
この方の考察ってすごく面白い
秋の最終回が待ち遠しい
ハンジの死によってアルミンが団長になったから、そのあたりにハンジの死の必要性があるのかも。
うーん、自分は新解釈の方が信憑性もあって、新しく面白いと思いました!
進撃の巨人ほんと大好き
「エレンがダイナ巨人を“積極的に”操っていた」という旧解釈というかエレンの思い込み(?)があまりしっくり来なかったので、やっぱり「エレンの始祖の巨人によるユミルの民への作用全てが、光るムカデor諫山先生の意思でなんかいい感じに決まっていた」という新解釈がめちゃくちゃ腑に落ちました。
次の動画楽しみ!
旧解釈には、ずっと疑問があった。
過去の全てのユミルの民を操れるなら、まずもって、いくらでも過去に遡って、壁が破壊されての惨劇にならないよう介入できるポイントはあったんじゃないだろうか
もっと言えば、巨人大戦など起こさせずマーレに力を与えることを防げたのではないか
それとも、過去にいけるのはエレンが生まれてからの過去だけなのかな
介入できる過去の範囲には限界があると考えると理解はできますが、誰もそんなこと言っていないので考えようがないですよねぇ
昔に遡りすぎるとエレンたちが生まれてくる未来も変わっちゃうから、104期のみんなを守るにはいかに過去を変えすぎず未来を変えるかが大事だと考察
ミカサに愛されなきゃ終わらなかった物語だ
@@mjk9905そのために介入ポイントをエレンは最小限にし、仲間の自由意志を尊重した。ユミルの民の操作だけではその他の物理的な事象を自由にできるわけでは無いため不都合が所々生じたと考えます。
始祖の能力はそこまで万能じゃないと思うわ、なぜなら俺がエレンなら「名は進撃の巨人」は懲罰が10日短くなるからハンジに見せる意味があったけど「戦え、戦え」を見せる意味は全くなく絶対ここ介入したくなると思うから
エレンは"全知"ではあったが、"全能"ではなかったって言い回しがめっちゃしっくり来てすき
個人的には新解釈派です
遅れてアニメ最終回まで観たのでここに辿り着きました
個人的にエレンは過去含めて人の操作はしていない(するつもりがない)と思いました
そういう意味ではダイナ巨人はエレンに操作されたという方がしっくりきます
ハンジの死については自分を止める戦いについて手加減する気はない事が大きいのでは?
(それこそが自分と仲間の自由の両方を尊重した結果)
未来を見る事が出来るとしても限定的なので
エレンは「全能」はもちろん「全知」ですらないという気もします
あくまで神ではなく1人の人間として思い悩み決断した物語だと考えています
新解釈いいですね、旧解釈よりしっくり来るので好きです。
「カルラを死なせたのは自分」という告白については、エレンの「(みんなに)パラディ島で殺し合いをさせて」という発言と共通して、本当にエレンがそう仕向けたというよりかは結果的にそうなってしまったことに対して強い罪悪感を感じた結果、ああいう表現になったのではないかと思いました。
エレンがライナーのように死にたくなる程の罪悪感を抱えていたとするなら、いわゆる「俺が悪いんだよ」的な発言をしてもおかしくない
…と考えれば新解釈でも不自然ではないかと思います。かなり回りくどい考え方ですが
忘れがちだけれど、始祖の巨人が影響を与えられるのはエルディア人だけということ。
つまり、それ以外の人類には何ら影響は与えられない。
そうだとすれば、例え始祖の巨人の力を持ったとしても、神になることは出来ず、世界の中に始祖でもコントロール不可能なことが存在することになる。
このことを前提に考えれば、旧解釈は棄却されることになるが、新解釈はどうだろうか。
こちらはなお、残存する。いや、むしろ強化される。
進撃の巨人の世界には、「始祖の巨人」の意思とそれ以外のいわば「世界」の意思が存在し、それが相互に影響し合う中で、作中の「歴史」が形成されてきた。
もっとも、「始祖の巨人」にせよ、「世界」にせよ固有の自由意志は存在せず、前者は宿主の、後者は非エルディア人の意志の総体としての自由意志により動くものである。
そうだとすると、より決まった方向に進む力が強いのは「始祖の巨人」の方になり、「始祖の巨人」が地ならしを望んでも「世界」の側にはそれを止めることはできない(非エルディア人は誰も地ならしが実際にどのような形で起こるかは知らないあるいは知らない物が多数である)ため、結果として地ならしが起こることになる。
2000年という歳月は、「始祖の巨人」と「世界」がぶつかり合い、地ならしが起きるために必要な条件が揃うための時間であったということになる。
新解釈は、エレンやユミルに世界の決定権があるのではなく、「何か」が決定しているということであったが、その「何か」を定義するとすれば、「「始祖の巨人」の意思と「世界」の意志の総体」であると言えるだろう。
結局そもそも巨人の力がどのタイミングで分けられたのかもわからないんですよね。
進撃の巨人はなんの能力も持たないと言う解釈は面白いと思います。具体的にどの場面か、何回あったか、朧げで申し訳無いのですが......作中でエレンに対し「一人じゃ何もできない」といった趣旨の発言が何回かあったと覚えているので、あれは様々な示唆を含んでいたのかもしれません。無垢の巨人と進撃の巨人保持者の意志には介入しないという制約は実にエレンらしく、切ないですね。
11:15 根拠にはならない。セリフの一部を切り抜いて文脈を無視して都合良く解釈しているだけなのでは?
11:28 エレンはカルラの死に関わっている。ジークが言った通りグリシャはエレンに影響を受けて行動していた。ウソでも勘違いでもない。分かりにくいも何も、そのままの意味では?
11:56 エレンは "全知" ではない。わからないことがいくつもあるのは明らかでは?
12:18 旧解釈は決定論的世界観ではなく、俗に言う「ループもの」ということになるのでは?
12:29 不憫というよりも運命愛的なものなのでは?それを不憫と言っているのかもしれないが
1点目
この動画は「エレンはダイナ巨人を操った」、「グリシャに未来の記憶を見せた」という解釈をしてる人が多いという前提で作っています。表面的に読んでいるライト層にとっては、そう解釈されても仕方ないセリフだという意味です。
2点目
エレンはカルラの死に関わってるのであって、カルラのもとに直接向かわせてるわけではない。グリシャもエレンの影響を受けてはいるが、記憶を見せられているわけではない。言ってることは大方合っていますが、まったくそのままの意味ではないということです。
3点目
ジークが始祖の力でグリシャの記憶を巡れたように、過去のユミルの民の記憶に関しては全知(知る事は可能)だったと考えています。しかし、未来の記憶に関しては断片的でしたので、確かにそういう意味では全知とは言えないですね。分かりやすい表現をしたく、大雑把に言ってしまいました。
4点目
ループものは「記憶を保持したまま何度もやり直して未来・過去を変える」という設定です。しかし、エレンは結局過去に介入しただけで、過去・未来を変えてはいません。エレンの介入込みの決定論的世界が存在したという認識です。そして、その世界がエレンにとって望ましいものだったから、エレンは過去を変える必要性もなかったというのが旧解釈になります。
5点目
その通りだと思います。ここの感じ方は哲学なので人それぞれでしょうね。私はあれほど自由を望んだエレンが運命愛に行き着いたというより、行き着くしかなかったように思えて不憫に感じてしまいました。
@@チカチローニ進撃の巨人考察 返信ありがとうございます。前提・意図はだいたい理解できたと思います。
4点目。投稿主さんがこの作品をよくあるループものとは違うと感じていることは理解できます。
しかし、「エレンが介入箇所を選んでいる」のであれば、「記憶を保持したまま何度もやり直して過去や未来を変える設定」と同じではないでしょうか?
@@チカチローニ進撃の巨人考察 4点目は旧解釈の説明になっておらず、むしろ新解釈的なものになっていると思います。
なぜエレンは介入箇所(見せる記憶)を選ぶ必要があるのか?そのような動機があるのか?
そうしないとゴール出来ないとエレンが知っているからでは?
なぜエレンがそれを知っているのかといえば、ゴールに辿り着けない周回があったから、としないと筋が通りません。
エレンは最低でも1回以上は結末までの流れを見届けたことになります。そうしないと介入箇所を選べないし、選ぼうとすら思わないからです。
無限に試せるという前提によって、始祖ユミルが解放されるまでの過程も、解放がゴールだという結末も、1つしかないことを保証できなくなります。
もし仮に作中で正解となる過程もゴールも1つしかないと明示されていれば、この無限の試行錯誤も吸収できますが、そのような証拠は何もありません。
その上でエレンが介入箇所を選んでいるとするのであれば、敢えて決定論だと強調する必要もなくなる、というか強調できなくなります。
どんな作品でも結果が1つなら決定論的だと言えてしまいますが、旧解釈は自ら決定論を手放しています。
だから旧解釈はループものということになってしまうのではないでしょうか?
このことを、旧解釈的に読んでいる人たちはどうやって納得しているのか興味があります。
@@pot8os742 なるほど、確かにエレンが無限に試行錯誤していたとするとそうなりますね。しかしこれならどうでしょう?
進撃の巨人が他のループものと違うのは、自分を取り巻く過去・未来を受け入れた時に過去介入能力を得たことだと思っています。
普通は何かしら過去・未来を変えたいと思った時に突如として主人公がループ能力に目覚めたりしますが、エレンの場合、勲章授与式で未来を見た時はループ能力がなく、むしろ見た未来の通りになっていく現実を見て、未来は変えられないと思ったはずです。
そして、地鳴らしの未来を受け入れ自分で自分の背中を押して前に進み続けようと思った矢先に、エレンは過去介入能力を得ました。しかし、その時点で既にエレンは地鳴らしをしたいと思っていますから、わざわざ過去を変える必要もなくなったわけです。
さらに、エレンは突如として過去介入能力に目覚めたのではなく、始祖を食い、ジークと接触したことでその能力が発動しました。となると、その能力で過去に遡って、ジークと接触出来ないような介入をしてしまうと、地鳴らしができなくなる上にタイムパラドックスも起きてしまいます。過去介入能力が潜在的にエレンの中に存在するものであれば何度もやり直せますが、エレンの能力は外的要因から得たものなので下手に過去を変えると矛盾が生じかねません。
となると、エレンがやるべき事は自分が体験してきた歴史の通りになるように調整すること。だから、エレンは介入箇所の記憶を見せたのであって、何度もやり直したわけではないという事になります。ただし、エレンが介入したのが先か、介入箇所の記憶を見せたのが先か、ここも鶏卵問題になるので、実際はエレンが介入箇所を選んだわけではないという捉え方もできてしまいますね。
このように、結局はすべて最初から決まっていたという決定論的世界観が物語の軸にあるのではないかと考えています。その中でその世界の在り方を決定したのがエレンなのか、そうでないのか。もしくはエレンが決定したと本当に思い込んでいるのか、ただ思い込もうとしているだけなのか。これが新・旧解釈の違いだと思っています。
ちなみに、タイムトラベルものに必ず付随してくるタイムパラドックスの問題ですが、これを解決するには2つの方法しかありません。1つ目はどうやっても過去・未来が変わらない、いわゆる介入込みの歴史がただ一つ存在するという認識。2つ目はもともといた世界と過去・未来が変わった世界が分岐するパラレルワールドという認識。
私の考える旧解釈が前者、pot8osさんが理解した旧解釈が後者になりますね。
しかし、決定論が軸と言っておきながら、実は裏設定としてのパラレルワールド、ループ説の可能性もあるんじゃないかと思っていたりもします。それが、動画が曖昧になってしまった原因でもあり反省しています。ミカサの見た長い夢に絡めてその検証も今後の動画でやろうと思っているので、ぜひそちらもご覧ください。
長文すみません。🙇♂️
@@チカチローニ進撃の巨人考察 大変丁寧な解説をありがとうございます。
何を前提にしているのか、どうやって納得しようとしているのか、については良くわかりました。
作者は読者の最低100倍考えているなんて言いますが、この作品は特に思わせぶりではなく意図して隠していることが多いように感じます。
疑問に答えていただきありがとうございました。ミカサの長い夢の動画、楽しみにしています。
チカチローニさんは進撃の考察系のユーチューバーの中でも最先端の考察をしてる気がしますね。
毎回色々な視点から考えられていて説得力があるので見ていて勉強になります。
新解釈の方が好きだなぁ
次の動画が楽しみです😂
新派です。ループ、タイムリープ物より現実の道は一本しかなくて何かによって動かされていたとするほうが作品の質が保たれている気がします。自由意志の有無は現代の科学でも議論され、エレンの自由への苦悩がそのままこの先の人間を写したものであるようにも感じました。過去を覗いている間、自由を欲求するエレンは自由意志を持っているかもしれないヒトに対して直接介入したとは考えにくいし、個体差はありますが無垢の巨人も意志がありそうですし、そういう意味でもエレンが直接操ったりした可能性は低くなってくると思います。
すみません、勲章授与式にエレンが見た記憶についてどなたかわかる方がいたら教えてほしいです。
#2の動画で、エレンは勲章授与式の際にグリシャの記憶を通して未来を見たと、主さんは仰っており、その通りだと納得していました。グリシャの記憶でみた未来の断片が、130話「すべてはこの先にある」のセリフ部分の描写だと思うのですが、ダイナ巨人目線のベルトルトの描写と、鳥目線のファルコの描写だけどうにも納得がいきません。
まずダイナ巨人目線のベルトルトの描写についてですが、描写がダイナ巨人の目線ということは「ダイナの記憶である」という認識が正しいと思います。したがって考えられることとしては①ダイナが巨人化した際に使用された脊髄液がクルーガーのものであったため、ファルコとジーク的な関係が生まれ、ダイナの記憶を垣間見ることができた。②850年に初めてエレンがダイナ巨人と接触し座標を発動した際に記憶を見ることができたが、それどころではなかったため忘れていたエレンが、ヒストリアと接触したことで再び記憶の蓋があき、この描写を思い出した。
自分的には①が意外と信憑性を持つと考えているのですがどうでしょうか。
次に鳥目線のファルコの描写ですが、これはよくわかりません、誰か教えてください。エレンが道に行っている間は鳥になっちゃうとかですか。
諫山先生がエレンに自分を重ね合わせてたように、「自分は全知(2人とも話の流れを理解している)だけど、全能(一からやり直すことができるほど、先生は時間、エレンは心に余裕がある)というわけではない」
という作者なりの懺悔だったのかもしれない
これから自分が踏み潰させる子供にごめんなさいって言ってしまうように、エレンの精神は強くない。
ライナーを最後は曇らせずに気持ち悪いキャラにしたし、諫山先生は愛しいキャラを殺せるほどには強くないのかもしれない。
RTAを走る時に、先駆者のルートを洗練するだけで、完全新ルートを探すのは超骨が折れるからやらないみたいな。
ハンジの死を「記憶の蓋」で説明すると次のようになります。
エレンが言う授与式で開いた「親父の記憶(未来の記憶ではないことに注意)」によってエレンは未来を部分的に見ます。以後、エレンはグリシャの記憶が実現される現実を見ながら、自分にできることをやりつくした結果、ガビに撃たれて道の住人となります。地鳴らしはエレンではなく始祖の巨人の意思に従ってユミルが起こしたものです。エレンは始祖の巨人の一部であり、始祖の巨人はユミルの一部です。ユミルはエレンが地鳴らしを起こしたように見せかけ、ミカサがエレンを打ち取る様を見て「地上から巨人の力」を消しました。
地鳴らしはエレンが起こしたものではなく、エレンは生前に地鳴らしの結末は知りませんでした。授与式で見たグリシャの記憶に含まれていなかったからです。同様にハンジが死ぬことも知りませんでした。よってハンジが死なないように歴史を操作することも、地鳴らし速度を調整することもできません。エレンができたことは「地上から巨人の力」を消すために、グリシャの記憶が現実で再現されるように生きることだけでした。(記憶の奴隷)
エレン自身も地鳴らしは自分が起こしたと考えてアルミンに告白していますが、これは道にいるエレンの勘違いです。生前のエレンはグリシャの記憶で地鳴らしの先頭を進む自分と地上から巨人の力が消える未来を見ているので自分が地鳴らしを起こしたのだと思い込みましたが、現実の地鳴らし進行中は道の住人であり「生きた人間としての地鳴らしを起こした経験や記憶」を持たない存在です。死んだ後も進み続けましたが、エレンの人生はガビに首を吹き飛ばされた瞬間に終わっているのです。rip.
進撃考察系UA-camrのなかで1番好きです!
これからも動画楽しませてもらいます。
応援してます(●︎´▽︎`●︎)
BGM何
どちらとも思える考察やな
俺的には
始祖単体の能力:時間に関係なく全ての無垢の巨人とユミルの民の記憶を操る。(明確に意志のある行動を操り強制的に変えることはできない。なので、知性巨人や人間状態のユミルの民を操ることはできない。例えば、ガビを操りサシャが死なないようにするのは無理)
*そもそも具体的に情景を思い浮かべられないと操れない。なので、エレンの記憶にないシーンの無垢の巨人を操ることはできない。エレンは、第50話「叫び」でダイナ巨人と接触し、座標に到達した際に、無意識下でダイナ巨人の記憶を見ているのでダイナ巨人を操れた。その根拠てして、エレンがダイナ巨人を操ったことをアルミンに打ち明ける時、第三者視点からみたダイナ巨人ではなく、ダイナ巨人視点から見たベルトルトが描写されている。
進撃単体の能力:過去の継承者に自分の記憶を送ることができる。ここで重要なのは、進撃の巨人継承者は見たい未来の記憶を全て見れるわけではなく、未来の継承者が自分に見せてくれた記憶しか見れないということ。だから、レイス家襲撃後にグリシャは「なぜ全てをみせてくれないんだ!壁が壊される日のこと...」と叫んでいる。また、進撃の巨人が自由を求め進み続けたのもエレンが過去の継承者達に送ったエレンの自由になりたいという意志に過去の継承者達が無意識下で影響下されているから。
エレンが見た夢について:エレンが夢で未来の記憶を見た理由は、エレンが死ぬ直前に感情をとても昂ったので、始祖の巨人継承者で道との結びつきが強いことなども相まって、一瞬過去の自分に記憶が流れ込んできただけ。無理やり流れ込んできただけなので、夢から覚めてしまうと内容を全く思い出せない。これには進撃の巨人の能力は関係なく、あくまで強い感情によって記憶が一瞬、道を通じて流れ込んできただけである。
自分は始祖単体と進撃単体という見方はしなかったな。始祖の能力は王政編でも言われる通り、全ての巨人(人状態のユミルの民を含む)の記憶を改竄したり操れる。これに座標という時のない場所という要素が加わったから、過去でも未来でもその能力を行使できたんだと思う。座標だからこそ、ユミルの民の記憶の断片が時間を超えて垣間見れた。
進撃の巨人の継承者へ未来の記憶を送信する能力が、進撃の巨人の能力である場合、座標で始祖の力を掌握する前のエレンでも記憶ツアーを単体で行える。アニメで、目を覚ましたグリシャがジークの姿を見た事にエレンが驚いてたので、そのシーンを見た後にエレンが記憶を送った事になる。記憶ツアーのすぐ後に始祖を掌握してるので、記憶ツアー中、あのシーンのすぐ後に送ったか、始祖掌握後に送った事になる。
未来視が始祖の能力の場合 座標から更に後の未来まで見て、過去に記憶を送った(送るというか記憶改竄かも?)。進撃の巨人の能力は未来視とは別にある。始祖にすら従わなかった。のが、進撃の能力で、それがアッカーマンの素だとしたらしっくりくる。
巨人大戦後、進撃の巨人だけ行方不明になった事、大陸にアッカーマンがいない事。自分(始祖)に従わない者をわざわざ作って近くに置くとかいかにもカール・フリッツがやりそうだし、人口的に島に連れていけるユミルの民がごく一部で、大勢を大陸に置き去りにするから、王族の片割れ(ダイナの先祖)と、マーレの手に堕ちない進撃の巨人を敢えて復権派に残したんじゃないだろうか。おそらくヘイロンとタイバー家の先祖は全部聞かされていた。カール以前の始祖の継承者に対し、始祖ユミルは受け身で命令を聞くだけ。座標で始祖継承者に過去や未来の記憶を見せないため過去未来に干渉する事も無かっただろう。
アニメもおわた。
エレンを加害者として見るのか被害者として見るのかですね
旧解釈派だなぁ
どっちも面白いけどね
ジークを治した巨人がオカピ同様、座標に送るために遣わされたのは分かるけど、リヴァイが仕留めた無垢巨人かジークが肉礫にした余りだとか、壁外でうずくまってた巨人だとか、何か媒体がほしかった。唐突に現れたのがなんかモヤっとしてしまう。何もない場所へ座標から巨人が送られてきた前例がないからあれだけ異質な印象。座標に時間はないから、ジークを治そうとしたのが、エレンに口説かれた後のユミルでも問題ないけど、受肉するための器が欲しかった。「想像に任せる」謎の部分とは別に、845とか、作品に支障ない小ネタの種明かし本出してほしい。
新解釈で気になるのは、少年ベルトルトを見るダイナ巨人らしき視点がどこからきているのか、という点です。
これに関しては旧解釈のエレン操作の方がスッキリしている気がします。
そんなこと言ったらファルコを上空から見てる鳥視点が気になるし、旧解釈も新解釈も腑に落ちないが。始祖+進撃はユミルの民以外に鳥も操れることになるけど。
辻褄とかを考えると新解釈の方がスッキリするけど、好みで言えば旧解釈の方だな。
母親殺すことなんてエレンに出来るわけがない!母親を助けることもできた!
と思う人はこの文章を読んでほしい。暇な人も読んでほしい笑
「卵か鳥か」という有名な話がある。
この話は、誰もが知るニワトリが目の前にいたところから始まる。
ニワトリを見ていて主人公は思う。ニワトリという生物には始まりがあったのだろうか?と。1番最初のニワトリは卵なのか鳥なのか。シンプルな疑問だったが主人公は分からなかった。
ニワトリというより、一番最初の生物は卵で誕生したのか、それとも生物自体が誕生したのか分からなかった。それはどっちかであることは間違いない。しかし目の前にニワトリがいるのだからどんな始まり方であれ、始まりはあったのだろう。その答えを知るのは全知全能の神だけだろうと主人公考えた。
そして主人公は別にニワトリの始まり方なんてどうでもいい気がしてきた。なぜなら目の前にニワトリが確かに生きているのだから。そこに生物が目の前にいるこれだけは事実だった。
進撃の巨人という物語は誰が始めたのかは分からない。カルラ・イェーガーが死んだのは誰の意思だったのかは分からない。ただ確かなのはエレンの母カルラは死んだということ。エレンの目の前で食われた事実はどれだけ考えようが変わらない。一歩間違えれば未来は大きく変わっていたかもしれない。
しかしニワトリがいない世界、そこに物語がない世界、物語がある世界、幾つもの世界線がある。
第一話でエレンの母が食われた世界というのが進撃の巨人なんだと思う。
エレンがやったとするとエレンは異常だが、エレンが自分の母親よりも巨人の力を消滅させることの方が大事だったというだけにすぎない。しかしエレンは最低ということではない。エレンは選んだんだ。可哀想なエレン😭エレンの気持ちを想像すると悲しい。彼に本当の気持ちを聞きたいがエレンはもうこの世にいない。死んでしまったからもういない。
地ならしを発動するために、誰かが死ぬ必要があったでサシャが死んだときに笑ったのは、エレンが未来を見た時にサシャが「肉」と本当に言ったことに笑った、もしくは未来を見たときには「肉」とは言わなかったから、まさかの言葉に笑った
ハンネスさんが死んだ時みたいに悲しさのあまり笑いが出たのではと自分は解釈している。