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デ・キリコ展行ってきました。1910年代の絵の印象しか無かったのでそれ以外の絵を見ても楽しめるのかと不安でしたが、年代が下るにつれ向上する技術力が原画だからこそ感じられて面白かったです。おかしな話、子供の成長を見ているようでした。10年代の絵は赤子のような言葉にならない魂の発露を感じられ、20~40年代は表現のレパートリーが増え、50~60年代は表現が洗練され、70年代はこれまでの総括するような雰囲気。やはり10年代の幼い子供の奇声のような力強さと理不尽な暴力さを感じる作品が一番好きですが、壺風呂みたいな水浴の絵も面白いです。
売れたバンドが正統派楽曲になっていって古参ファンがディスって降りていく構図と同じ🙄繰り返す人間の行動に皮肉にも哲学みを感じました〜
昨日、デ・キリコ展へ行きました。めっちゃ同じこと思いました!!
デ・キリコの諧謔味のようなものがはっきりと感じられて、とにもかくにもめちゃくちゃ面白かったです。五郎さん、解説上手!
前回の「世界がゲシュタルト崩壊した感覚」という表現が刺さり、デ・キリコ展行ってきました絵画の中に五郎さんの言っていた世界の中に自分がポツンという寂しさというのも感じましたが、自分は諦念からくる、しょうがないよねみたいな「明るい前向きな寂しさ」を感じました。また、90歳まで生きたその画業の変遷が丸ごとみられて非常にボリュームのなる展覧会でした。
「予言者としてのデ•キリコ」前後編を通してこれだけで論文が書けそうなお見事な解説でございました⋯
画家の一生を豊富な絵画で五郎さんに説明されると、すごくわかりやすくて楽しかった。90歳までキリコは奥さんと同じベッドで寝てたから、自分用のは小さいと思いたいな。
やっと行ってきました!五郎さんの解説を2つ見て予習してから鑑賞したので、とてもとっつきやすく楽しく観ることが出来ました。彫刻を間近にみることができたのもうれしかったです。帰ってから、もう1度五郎さんの解説を見て復習したのでキリコを堪能できました!ありがとうございました😊
戦争という混沌とした状況を得て秩序に以降するの時代というか現象の流れの中に自分たちも居るんだという不思議な納得感がある
シュールレアリズムの人たちに誹られたのは残念ですが、キリコをそのまま受け入れてくれた人たちがいた。戦後のキリコの作品はなにか明るくなって新しさを感じ、ポップアートの先駆け。まさにタイトル通りですね。五郎さんの解説が素晴らしい。
宗教的なテーマを描く画家の絵は観賞するとやはり宗教観について思考しますが、キリコの場合むしろ哲学的な感想を自ずと懐きます。キリコが絵画で表現しているのがキリコ自身の哲学であるからだろうと思います。絵画は視覚的に美しさを感じさせるものを私は好みますが、そして芸術全般に対してそのような傾向を強く持ちますが、キリコの魅力は視覚的な要素だけにないことがはっきりと感じられて非常に良く分かります。
解釈違いおこして反転アンチになるのはいつの時代も一緒なんだな
パーソナリティ障害の診断を受けている友人から、アンドレブルトンみたいな仕打ちを受けたことがあります。持ち上げるだけ持ち上げてこき落とす…そういう人っているんですよねえ。
動画みて気になったので、デ・キリコ展見てきました!すごく良かったです!
身体が弱く、また経済的事情もあり展覧会には行けませんかうして丁寧に解説、紹介して下さるのがとても有り難いです
よく考えれば、長く作品を作っていればその時代とともに作風が変遷するのは当たり前のことですよね。宮崎駿の作品が「最近のはよくわからない、昔のほうが良かったからあの時代のような作品を見たい」と言われるのと同じように思います。周りが期待する作品と自分の描きたい作品との齟齬が生じるのはクリエイターの宿痾だと思いますね。初期の作品を見てピカソの絵だとわかる人は美術に詳しい人ですよね。
キリコの、「イタリア広場」連作が、私の卒論のテーマでした。初期のイタリア広場と、晩年のイタリア広場までの変遷は、まさに〝統合されていく自己〟そのものだと感じました。コードのついた太陽を飾っておりました。当時、五郎さんに、ご指導いただけていたら‥と思います。
平日一般券買いました、行く前にもう一度動画見直してから行こうかな、楽しみです。
待っていました☺️山田五郎先生の動画を観てから行こうと思っていました。今から楽しみです🥰
私も先日都立美術館に行って見てきました。間違いなく、このチャンネルの紹介が無ければ、今回の展覧会を観に行かなかったと思います。そしてその場合、デ・キリコが色々やっている(弛まず変遷している)画家だとは知らなかったとでしょう。また私にとって今回の一番大きな収穫は、形而上 (metaphysical) の概念を感覚で掴めた事だと思います。
山田さんのキリコの解説、特に今回の部分は大変興味を持って拝見出来ました。50年近く前の高校美術の授業で、アステカの遺跡を、キリコ風に描いて訳が分からなくなったことを急に思い出してきました。また1980年前後のキリコ展で展示されていた作品が、小さいサイズであったこともなんとなく納得しました。そしてキリコノの著作である『エブドメロス』も完読できずに就職し、形而上とは無縁の人生を過ごしてきました。若い時はキリコの初期作品に引かれ、展示会やテレビでの解説などに接していても、彼の後半の活動の記憶は無く、今日改めて山田さんのお話が理解できた次第です。
デ・キリコ展行ってきました。「オデユッセウスの帰還」が、一番良かったですね。明るくて、楽しくて、自由な感じがして。最晩年にラップアップでこれを書き始めたっていうのが、印象的でした。
中期のビートルズみたいにシングルとアルバムを使い分けているような。ヒット曲も作り、意欲作も作り。
デキリコ展、ますます行きたくなりました。たいして見たことなかったくせに、ブルトンに洗脳されていたのか「デキリコは初期の作品が一番良い」という認識でいたのですが、古典回帰時代のも、60年代のも味わい深いじゃないですか!以前、横尾忠則さんが「デキリコの古典回帰時代の作品が好きだ」と書いてらしたことがあったように思うのですが、なるほど、なんとなく通じるものがあるような気がします。
待ってましたーーー!!
「10年で方針転換」した画家はほかにもいる気がします。ミュシャは約10年間で有名な美人ポスターシリーズをやめて『スラブ叙事詩』の制作に入りますし、ルノワールがザ・印象派の絵を描いたのも約10年間で以後は古典に回帰します。
本日行ってまいりました!ちょうど動画の続編が観られるとは、嬉しい限りです☺️✨✨想定していたより遥かに点数が多く充実した内容で、キリコの幅広い作風の遍歴とその才能に圧倒されました。やはり生で見るのとでは全然迫力が違いますね。ミュージアムショップのグッズが充実していたので、思わずたくさん買い込んでしまい、予想外の出費に…笑いつも楽しい解説をありがとうございます。おかげさまで感動に深みが増しました。現在見に行こうか迷っている方は、是非一度足を運ばれることをお勧めします❣️
満を持して神戸で見てきました。器の小さいブルトンと意見が一致するのも微妙な気持ちですが、全て通して見たうえで、やっぱりオリジナルの形而上絵画が一番好き。懐古主義の方もセルフコピーされた形而上絵画も、最後に戻ってきた新形而上絵画も、なんというか、思わず足を止めてしまう迫力のようなものは感じられませんでした。とはいえ散々このチャンネルでも不遇な人生だった画家を観てきたので、生前からちゃんと評価されて良かったなという気持ちです。
見に行くのが楽しみです!
もう一度行って楽しもうと思います。ありがとうございました。/しんさん
中学の頃、美術の教科書で覚えてから「町角の神秘と憂愁」がずっと心に残る絵です。キリコとフォロンを印象的に覚えていて、ぱっと見でどういう意味かわからない絵が好きなのかもしれないです。
デキリコの売れっ子の秘訣を垣間見た気がします。ゴローさんのわかりやすいご説明にウリタニさんの合いの手が板についてきましたね😁
17:55 1983年のパリ:ポンピドー・センターでのデ・キリコ展がまさに1920年代までで切ってそれ以後事実上無し、という徹底したものでした。パリのシュルレアリストたちの偏執的な恨みがまだ影響してたんですね。当方は晩年のポップな絵はキース・ヘリングの先駆だと思ってました。やはりデ・キリコは常に予言者でありつつけた。作品自体が成功したかどうかは、ともかく。あと、デ・キリコが左翼でなかったことが、左翼でないと芸術家にあらずという1960-70年代のインテリから誹謗された理由でもあったでしょう。
都美のキリコ展、行ってきました。鑑賞に丁度良い人出でした。
オデュッセウスの帰還はポップで見る方も気持ちが軽くなりますが、初期の作品は気分が沈んでいくようでつらい気持ちになります。マグリットが作品をみて涙が止まらなかったという感性にも驚きましたし、まさにインスパイアされた瞬間でしょうか。イヴ・ネッツハマー展をやってますが、マネキンのインスタレーションはデ・キリコの影響もあるのかなぁと思ったりもしました。
山田五郎がチョイスした絵が説明と共に並ぶ山田五郎展やってほしいなー
お待ちしておりました。ありがとうございます。
やはりマグリットはデ・キリコ チルドレン😮✨
古典主義、ネオ・バロックの時期の絵は、”これを見ても、キリコと思えない!”といううりたにさんの言葉通りで、画風の変遷が激しいですね。でも最期の五郎さんの解説を聞いて、キリコはやはり芸術家!感性のアンテナが鋭いんだなあと感じます。一般人よりいち早く時代の風潮や変化を嗅ぎ取る臭覚が、鋭いということです。おそらく彼の中では、いつの時代も自分の心情に沿って描いているわけで、他者が思うほどの違和感、変動とは認識していなかったのでしょう。大消費社会の中で生産されるモノを、今までとは異なる視点で見据え、現代的解釈を盛り込んだとも取れます。電源のある太陽などは、かなりデザイン性に富んだ表現だと感じます。70歳を超えての老年で、新たなタッチ、ポップな表現ができる柔軟性、やはりキリコは一流の芸術家だと思います。
最期➡最後
キリコ展 ゴールデンウィーク明けてから行ってきました。事前に予習が出来て助かりました。有難うございました。
ブルトンの気持ちも分かる、初期作品の方が好き。シュールでメランコリック感、不思議感は初期作品が強い。実際今回のも含めデキリコ展のポスター等や作品集は常に初期作品になっているじゃないか。
ルノアールに影響を受けた柔らかく温かい『南の歌』には驚きましたまた彫刻『ヘクトルとアンドロマケの抱擁』の美しさも忘れられませんしかしシュルレアリスト達からしたら裏切り者!と言いたくなるだろうなと笑
私も都立美術館で観ました。その絵、柔らかいタッチ、明るい色彩、そしてポチャ感がまさしくルノアールの影響を感じさせていました。
キリコ展行きました。シュルレアリストたちに共感。初期の形而上絵画の方が良いと思います。
2015年にスペイン広場のキリコ宅(美術館)に行ってきました。事前予約制で1時間毎に10人程が入れます。スタッフが英語で解説してくれて一階から最上階まで案内してくれました。今は撮影禁止だそうですが、当時は撮影もフリーでした。 アトリエの本棚にアンドレマッソンの画集と並んで『日本の凧』という画集もありました。その時に撮った写真に写っている背表紙から、おそらく、日本の凧 俵有作編著 薗部澄撮影 1970年初版 菊華社ではないかと思います。
クラシック音楽でも第一次大戦後は新古典主義が一部流行った時代でしたけど、ストラヴィンスキーの新古典主義時代の代表作の「プルチネルラ」という作品が、古典回帰したデキリコの作品と雰囲気がばっちり合っている気がするんですよね。イタリアの仮面劇の音楽なので、そのへんの要素もデキリコとの親和性アリな気がします。
ストラヴィンスキー好きです~
同じこと書こうとしてたので助かる。
行ってみようかなぁと思ってます。全く美術わからんですが、面白そうです。そして、ブルトン、えげつなさすぎるわ、幼稚だわでどんびいてます。。知り合いのバドミントンのチームのリーダーと一緒で、器小さくて揉めてその業界を離れさせる人ってどこにでもいるんだなぁと思って、人って進歩しないなぁとしみじみ思いました。。チルドレンのマグリッドは、よくわからないですが昔から好きです。
毎週楽しみだぜ!
美術とか知らなかった小学生時代から気になるのはシューレリアリズムだったのだけど、理由は「ゴミ置き場」みたいだから。本来同等でないものが最後にたどり着く場所でごちゃ混ぜになっていてカオス。お宝探し的な雰囲気も好きな理由です。
ネオ?形而上絵画で描かれる太陽のやたら太い輪郭線や、ギョーム・アトリエールの詩集のためのリトグラフで使われる唐突な太い線は、自分にとってはキース・へリングを彷彿とさせて、ポップアートの先駆けというのはすごくわかります
ブルトンは今で言う厄介ファンから害悪アンチに変貌するとんでもモンスターですね😅そんなやつらの嫌がらせに屈せず自分のやりたい表現を追求したキリコはカッコイイし更に好きになりました
見に行かなくてもいいかなと思っていましたが興味がわいてしまいました(笑)。アンドレ・ブルトンの器がちっちゃいというのに笑いました。😄
昨日行ってきました。昼下がりお腹空いてたせいか、絵を見てもビスケットにしか見えない…キャプションによればそれで良かったらしいwwwデ・キリコと交錯した気分❤
バロック期はなんか小松崎茂や岡崎甫雄みたいで昭和のプラモのボックスアートや絵本の挿絵みたいで好き
今回のデ・キリコ特集を拝見して、「マグリット」を無意識に感じたのですが、マグリットはデ・キリコに影響を受けたチルドレンだったのですね🤔⁉️納得です‼️‼️シュルレアリストの画家と言うと、個人的にマグリットが好きなので、是非またの機会にマグリットも取り上げて頂きたいです😊
キリコ、面白いなぁ時代に翻弄されているようでいて、じつは時代の先へと魁続けていたヘンな人w(超絶賛)
まだ行けてないのですが、89年以来で楽しみです。キリコのワカメみたいな太陽の描かれたスウォッチとか持ってたけど、どこにいったかなぁ。
戦間期の古典回帰は、音楽だとストラヴィンスキーがプルチネッラ書いたりしてるから納得。みんなチェンバロ使い始めたりしてたし。音楽の方は古楽に発展して、現代のポストクラシックに繋がってるから、余計にブルトンの器のちっちゃさがwww
北斎や広重のようなランドスケープを描いた日本絵画も考古学的価値があります。初期のキリコのノスタルジーを感じさせる懐古的な風景が琴線に触れるのは分かる気がします。
見に行きたいなぁ❗車椅子なので今、ちょっと消極的になってます(*_*)
もし、首都圏にお住まいなら、上野駅から動物園口まで上がれれば、割りと平場です。都立美術館はエレベーターがあって、その後は各階に繋がるエレベーターがありました。混雑時は、ゆっくり見られないかも知れないかも知れないけれど、今日は、20時まで見れました。もしかしたら、金曜日とかは、延長してくれてるのかも。調べてから、コメントした方が良いのは、分かっていますが、今行っておいた方がよいです。私は、あなたのご不便を理解できていないかも知れませんが、行って感じて欲しいと思います。介助者の方と美術館の方に相談されても良いとおもいます。2200円は、ビックリしたけど、見て欲しいです。勝手なことを言ってしまい、ご不快だったらごめんなさい。
アーティストも流行に左右されて、それが決して悪いことではない、ということですね。ありがとうございます。
デキリコは子供の頃に惹かれ30年ちょっと前に見に行ったきりでしたがたまたま屋外で告知を見て行こうと思いこの動画で予習しました。人柄は知らなかったのでなんだかファッションデザイナーに近いというかヨウジさんみたいにいい意味でのペテン師だなと感じましたね。
私にとっては、どちらかと言うと真逆の印象だったので、面白いですね。
気まぐれによる思いつきが芸術の原点。
「ユリシーズの帰還」って部屋の中に海があるってドラえもんの「ルームスイマー」見たいですね。宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」にキリコさんて名前の女性が出てきましたがシュールレアリスムと何か関係があるのかしら☺
映画の後半に出てきた廻廊、まんまデ・キリコでしたね。
マグリット大好き人間的にデ・キリコと言えば号泣エピソードなので紹介して頂いて嬉しいです!デ・キリコ展、行くタイミングを悩んでます。いつ行こうかなぁ…
愛の歌をみて Vaperwave の Macintosh Plus を連想しましたね😀
デ・キリコにとって彼の部屋のベッドは自分専用で、奥さんのベッドは二人用だったから広かったんじゃないですか。
後年の太陽についたワカメの曲線がキース・へリングに見えてくる。
先週行ってきました。すごいボリューム。後半はルーツであるギリシャの色々なモチーフが入ってきて、あの転がるちくわぶは…?と思ってましたが、柱ですよね?多分…😅
日本の初期シュールレアリスムを代表する画家、古賀春江を取り上げてほしいです。
先日行ってきました!じっと見ているとなんだかソワソワした気分に。特に画風がガラッと変わる時(部屋が変わる時)には頭がクラっとして楽しめました。旧約と新約という説明がとってもしっくりきます!説明を全部読もうとすると閉館時間になりそうなので出来ず、また行くしかない💨キリコへのいじめも五郎先生の解説があると納得がいくと言うか面白いです😃
流行は繰り返す、を地で行くデ・キリコ氏、推せるキリコwww遊びまくってるwww
デ.キリコの生涯の作品を、かいつまんで更に私達の様な素人にも分かりやすく話して頂いてありがとうございます😊見ているうちに何だか宮崎駿さんのことを思い出しましたデ.キリコさんの最後の方の作品が、時代に合わせかつ今までの作品の集大成の様な感じがしてて、それが宮崎駿の[君たちはどう生きるか]を、彷彿させてる気がします。注、あくまでも個人的な感想です😅
昔、ローマに行った時、キリコの家に行きましたよ😊 行くまではこんな所本当にキリコのアトリエ?とおっかなびっくりでしたけど🐻
感想は前編に書いたけど、復習してたら、ピカソの妻も?!ロシアバレエ団=バレエ・リュスのことですね!ディアギレフはキューピッドなのですね。バレエ芸術を画期的に飛躍させた人であり、いろんな人を結びつけた!私も部屋の中のプールのカーペットような海の🚣が好き。ポップでボートを漕ぐ人がかわいい。私もアメリカ人と同じくらいわかりやすいのが好きなんだろう。ダリも好きだし。この配信は、著作権の関係で、この展覧会開催期間中までなのですね♪デ・キリコハウスミュージアム、絶対行きたくなりました!
デ・キリコ編後半、凄くおもしろかった!は早く見に行かなきゃ。
私は、1910年代の重みがあるシュルレアリスムの方が好きだな。ネオバロック期の絵が出てきた時は、「裏切られた」という気がした。しかし、新しい形而上絵画の変な太陽が出て来た時は、「まあ、許してやるか」と、ホッとした。
大体においてキリコに「裏切られた」っておかしいんですけどね。実際キリコこそ裏切られた訳ですから。
形而上学的に完全である現象はある意味神の領域。形而下においては日々無事に特に障害なく仕事に生きる私にとっては時おり喉をうるおすジンジャーエールに似て、乙女の祈りのようなデキリコチルドレンの無事を祈りに変える生きる自分ということになります。ソフィアちゃんの様に哲学的ではありますが。皆様いつも守護を頂きましてありがとうございます🙏
因みにどちらかと言うとデブではありませんよ。
とても面白かったです🤍キリコ展楽しみです
神戸は行けそうです
作品の転向のくだりはギャラリー・フェイクでやったところだ♪ってなりました。これから展覧会に行ってきます!
デキリコが有名になってくると、次々とデキリコ亜流の作品が出回るようになったそうだ。デキリコのベタ塗りで、特別な技巧を必要としないイメージ優先の絵画は誰でもお手軽にパクれた。そうなると面白くないデキリコは自分にしか描けない絵画を模索し始めた。行き着いた先が古典で、画家のテクニック、技巧、力量に裏打ちされた世界。「やっぱ誰でも描けるような絵じゃな~」というのが転向の動機の1つらしい。
本人の作品が実際に評価されていたのであればいいじゃないですか。誰ひとり文句言わないでしょうから。
デ、キリコさん大好きです。塔の上に旗🚩がはためいてる。何年か前に展覧会に行ったこともあります。ワケわからん不思議な空気がいいですね🍌🍌🍌
愛の詩 無関係に見えますが、画家のアトリエ内の出来事を切り取ったなと、私は思った。画家の工房という文脈を消してしまうとシュールなものになる。文脈の喪失こそがキリコの最初の啓示だったのだから。キリコの転向はダダイズム・シュールレアリズムの行く先を見ていたのかもしれない。
先日東京都美術館行ってきました。僕はアンドレブルトンじゃないけど、初期のイタリア広場辺りの絵が好きでした。暗い方。キリコの言ってた謎がよく表れてる。後半の新形而上絵画は謎とか無意味の内容が初期とは変わってる感じがしました。なーんか、個人の存在論的無意味から社会の無意味に、苦悩からまあしゃーないわに変容してる感じでした。
デキリコ チルドレン、、、できる子 チルドレンに聞こえたわ😂
生配信で名古屋飛ばしが話題になってましたが、札幌も全然来ないんですよね...
ダリの時計が特殊相対性理論に触発されたように、シュールレアリスムは相対論や量子論の発展の時代と期を一にして活動していた感じですね 世の中というものは今まで思っていたようなものでは無いんだという感覚?
行ってきました。一生を通じて煩悶の芸術家だったようですね。私は「形而下」のベーコンを食しています。
キリコの場合は結構どこ吹く風で本人は煩悶とは程遠いように思いますけどね✨そういう意味ではキリコの精神的な練度は相当高かったと思われますね。
形而上村上春樹氏の小説で度々出てきて未だに意味が分かりませんがなんとなくカッコよろしいなぁ~と遠い昔に思いました
「オデュッセウスの帰還」は何となく『King Of The Delta Blues Singers Vol.II』(1970)のジャケットを連想させますね
あらゆる芸術において、戦争が大きく展開を生むのは皮肉だな。
60年代の作品は、レディーメイドの引用元が過去の自分の作品になってるような感じしますね
いつも興味深い説明をありがとうございます。筆致(タッチ)についてはベタ塗りとそれ以外といったお話に終始したように見えました。今後機会がありましたら、ルノワールとの出会いとそれがキリコのキャンバスに与えた影響をお教えいただけると嬉しいです。
シュールレアリスムの絡みでキリコが書いた小説の話出てくるかなと思ったがなかったな。
ロートレアモンのイントネーション、ずっと間違って生きてたことに気づきました。
私もブルトンは嫌い。意味ないことをほざいて恍惚に浸ったり、何かを腐していないと成り立たないというか、対象を否定して作られた形式は、否定することでしか成り立たなくなるようじゃダメですね。
自画像の遠近感はルソーオマージュに違いない
大塚国際美術館の次はデ・キリコか〜忙し〜w
シュルレアリストたちの「昔の方が良かった」の感覚は、インディーズ時代に熱狂したロックバンドがメジャーでキャッチーになってショックを受けたファンに見えました😅
むせる〜🎵
なるほど「横尾忠則 寒山百得」が「オデュッセウスの帰還」「燃えつきた太陽のある形而上的室内」に見えてきました。
なるほど!キリコをポップアートの先駆けと捉えれば、シュールレアリスムとも差別化できるなぁ。。。なるほど
デ・キリコ展行ってきました。1910年代の絵の印象しか無かったのでそれ以外の絵を見ても楽しめるのかと不安でしたが、年代が下るにつれ向上する技術力が原画だからこそ感じられて面白かったです。おかしな話、子供の成長を見ているようでした。10年代の絵は赤子のような言葉にならない魂の発露を感じられ、20~40年代は表現のレパートリーが増え、50~60年代は表現が洗練され、70年代はこれまでの総括するような雰囲気。やはり10年代の幼い子供の奇声のような力強さと理不尽な暴力さを感じる作品が一番好きですが、壺風呂みたいな水浴の絵も面白いです。
売れたバンドが正統派楽曲になっていって古参ファンがディスって降りていく構図と同じ🙄繰り返す人間の行動に皮肉にも哲学みを感じました〜
昨日、デ・キリコ展へ行きました。めっちゃ同じこと思いました!!
デ・キリコの諧謔味のようなものがはっきりと感じられて、とにもかくにもめちゃくちゃ面白かったです。
五郎さん、解説上手!
前回の「世界がゲシュタルト崩壊した感覚」という表現が刺さり、デ・キリコ展行ってきました絵画の中に五郎さんの言っていた世界の中に自分がポツンという寂しさというのも感じましたが、自分は諦念からくる、しょうがないよねみたいな「明るい前向きな寂しさ」を感じました。また、90歳まで生きたその画業の変遷が丸ごとみられて非常にボリュームのなる展覧会でした。
「予言者としてのデ•キリコ」
前後編を通してこれだけで論文が書けそうな
お見事な解説でございました⋯
画家の一生を豊富な絵画で五郎さんに説明されると、
すごくわかりやすくて楽しかった。
90歳までキリコは奥さんと同じベッドで寝てたから、
自分用のは小さいと思いたいな。
やっと行ってきました!五郎さんの解説を2つ見て予習してから鑑賞したので、とてもとっつきやすく楽しく観ることが出来ました。彫刻を間近にみることができたのもうれしかったです。帰ってから、もう1度五郎さんの解説を見て復習したのでキリコを堪能できました!ありがとうございました😊
戦争という混沌とした状況を得て秩序に以降するの
時代というか現象の流れの中に自分たちも居るんだという
不思議な納得感がある
シュールレアリズムの人たちに誹られたのは残念ですが、キリコをそのまま受け入れてくれた人たちがいた。
戦後のキリコの作品はなにか明るくなって新しさを感じ、ポップアートの先駆け。まさにタイトル通りですね。
五郎さんの解説が素晴らしい。
宗教的なテーマを描く画家の絵は観賞するとやはり宗教観について思考しますが、キリコの場合むしろ哲学的な感想を自ずと懐きます。キリコが絵画で表現しているのがキリコ自身の哲学であるからだろうと思います。
絵画は視覚的に美しさを感じさせるものを私は好みますが、そして芸術全般に対してそのような傾向を強く持ちますが、キリコの魅力は視覚的な要素だけにないことがはっきりと感じられて非常に良く分かります。
解釈違いおこして反転アンチになるのはいつの時代も一緒なんだな
パーソナリティ障害の診断を受けている友人から、アンドレブルトンみたいな仕打ちを受けたことがあります。持ち上げるだけ持ち上げてこき落とす…そういう人っているんですよねえ。
動画みて気になったので、デ・キリコ展見てきました!すごく良かったです!
身体が弱く、また経済的事情もあり展覧会には行けません
かうして丁寧に解説、紹介して下さるのが
とても有り難いです
よく考えれば、長く作品を作っていればその時代とともに作風が変遷するのは当たり前のことですよね。
宮崎駿の作品が「最近のはよくわからない、昔のほうが良かったからあの時代のような作品を見たい」と言われるのと同じように思います。
周りが期待する作品と自分の描きたい作品との齟齬が生じるのはクリエイターの宿痾だと思いますね。
初期の作品を見てピカソの絵だとわかる人は美術に詳しい人ですよね。
キリコの、「イタリア広場」連作が、私の卒論のテーマでした。
初期のイタリア広場と、晩年のイタリア広場までの変遷は、まさに〝統合されていく自己〟そのものだと感じました。
コードのついた太陽を飾っておりました。
当時、五郎さんに、ご指導いただけていたら‥と思います。
平日一般券買いました、行く前にもう一度動画見直してから行こうかな、楽しみです。
待っていました☺️
山田五郎先生の動画を観てから行こうと思っていました。今から楽しみです🥰
私も先日都立美術館に行って見てきました。
間違いなく、このチャンネルの紹介が無ければ、今回の展覧会を観に行かなかったと思います。そしてその場合、デ・キリコが色々やっている(弛まず変遷している)画家だとは知らなかったとでしょう。また私にとって今回の一番大きな収穫は、形而上 (metaphysical) の概念を感覚で掴めた事だと思います。
山田さんのキリコの解説、特に今回の部分は大変興味を持って拝見出来ました。
50年近く前の高校美術の授業で、アステカの遺跡を、キリコ風に描いて訳が分からなくなったことを急に思い出してきました。
また1980年前後のキリコ展で展示されていた作品が、小さいサイズであったこともなんとなく納得しました。
そしてキリコノの著作である『エブドメロス』も完読できずに就職し、形而上とは無縁の人生を過ごしてきました。
若い時はキリコの初期作品に引かれ、展示会やテレビでの解説などに接していても、彼の後半の活動の記憶は無く、今日改めて
山田さんのお話が理解できた次第です。
デ・キリコ展行ってきました。「オデユッセウスの帰還」が、一番良かったですね。明るくて、楽しくて、自由な感じがして。最晩年にラップアップでこれを書き始めたっていうのが、印象的でした。
中期のビートルズみたいに
シングルとアルバムを
使い分けているような。
ヒット曲も作り、
意欲作も作り。
デキリコ展、ますます行きたくなりました。
たいして見たことなかったくせに、ブルトンに洗脳されていたのか「デキリコは初期の作品が一番良い」という認識でいたのですが、古典回帰時代のも、60年代のも味わい深いじゃないですか!
以前、横尾忠則さんが「デキリコの古典回帰時代の作品が好きだ」と書いてらしたことがあったように思うのですが、なるほど、なんとなく通じるものがあるような気がします。
待ってましたーーー!!
「10年で方針転換」した画家はほかにもいる気がします。
ミュシャは約10年間で有名な美人ポスターシリーズをやめて『スラブ叙事詩』の制作に入りますし、ルノワールがザ・印象派の絵を描いたのも約10年間で以後は古典に回帰します。
本日行ってまいりました!
ちょうど動画の続編が観られるとは、嬉しい限りです☺️✨✨
想定していたより遥かに点数が多く充実した内容で、キリコの幅広い作風の遍歴とその才能に圧倒されました。やはり生で見るのとでは全然迫力が違いますね。
ミュージアムショップのグッズが充実していたので、思わずたくさん買い込んでしまい、予想外の出費に…笑
いつも楽しい解説をありがとうございます。おかげさまで感動に深みが増しました。
現在見に行こうか迷っている方は、是非一度足を運ばれることをお勧めします❣️
満を持して神戸で見てきました。器の小さいブルトンと意見が一致するのも微妙な気持ちですが、全て通して見たうえで、やっぱりオリジナルの形而上絵画が一番好き。懐古主義の方もセルフコピーされた形而上絵画も、最後に戻ってきた新形而上絵画も、なんというか、思わず足を止めてしまう迫力のようなものは感じられませんでした。とはいえ散々このチャンネルでも不遇な人生だった画家を観てきたので、生前からちゃんと評価されて良かったなという気持ちです。
見に行くのが楽しみです!
もう一度行って楽しもうと思います。ありがとうございました。/しんさん
中学の頃、美術の教科書で覚えてから「町角の神秘と憂愁」がずっと心に残る絵です。
キリコとフォロンを印象的に覚えていて、ぱっと見でどういう意味かわからない絵が好きなのかもしれないです。
デキリコの売れっ子の秘訣を垣間見た気がします。
ゴローさんのわかりやすいご説明にウリタニさんの合いの手が板についてきましたね😁
17:55 1983年のパリ:ポンピドー・センターでのデ・キリコ展がまさに1920年代までで切ってそれ以後事実上無し、という徹底したものでした。パリのシュルレアリストたちの偏執的な恨みがまだ影響してたんですね。当方は晩年のポップな絵はキース・ヘリングの先駆だと思ってました。やはりデ・キリコは常に予言者でありつつけた。作品自体が成功したかどうかは、ともかく。あと、デ・キリコが左翼でなかったことが、左翼でないと芸術家にあらずという1960-70年代のインテリから誹謗された理由でもあったでしょう。
都美のキリコ展、行ってきました。鑑賞に丁度良い人出でした。
オデュッセウスの帰還はポップで見る方も気持ちが軽くなりますが、初期の作品は気分が沈んでいくようでつらい気持ちになります。
マグリットが作品をみて涙が止まらなかったという感性にも驚きましたし、まさにインスパイアされた瞬間でしょうか。
イヴ・ネッツハマー展をやってますが、マネキンのインスタレーションはデ・キリコの影響もあるのかなぁと思ったりもしました。
山田五郎がチョイスした絵が説明と共に並ぶ山田五郎展やってほしいなー
お待ちしておりました。ありがとうございます。
やはりマグリットはデ・キリコ チルドレン😮✨
古典主義、ネオ・バロックの時期の絵は、”これを見ても、キリコと思えない!”といううりたにさんの言葉通りで、画風の変遷が激しいですね。でも最期の五郎さんの解説を聞いて、キリコはやはり芸術家!感性のアンテナが鋭いんだなあと感じます。一般人よりいち早く時代の風潮や変化を嗅ぎ取る臭覚が、鋭いということです。おそらく彼の中では、いつの時代も自分の心情に沿って描いているわけで、他者が思うほどの違和感、変動とは認識していなかったのでしょう。大消費社会の中で生産されるモノを、今までとは異なる視点で見据え、現代的解釈を盛り込んだとも取れます。電源のある太陽などは、かなりデザイン性に富んだ表現だと感じます。70歳を超えての老年で、新たなタッチ、ポップな表現ができる柔軟性、やはりキリコは一流の芸術家だと思います。
最期➡最後
キリコ展 ゴールデンウィーク明けてから行ってきました。
事前に予習が出来て助かりました。有難うございました。
ブルトンの気持ちも分かる、初期作品の方が好き。
シュールでメランコリック感、不思議感は初期作品が強い。
実際今回のも含めデキリコ展のポスター等や作品集は常に初期作品になっているじゃないか。
ルノアールに影響を受けた柔らかく温かい『南の歌』には驚きました
また彫刻『ヘクトルとアンドロマケの抱擁』の美しさも忘れられません
しかしシュルレアリスト達からしたら裏切り者!と言いたくなるだろうなと笑
私も都立美術館で観ました。
その絵、柔らかいタッチ、明るい色彩、そしてポチャ感がまさしくルノアールの影響を感じさせていました。
キリコ展行きました。
シュルレアリストたちに共感。
初期の形而上絵画の方が良いと思います。
2015年にスペイン広場のキリコ宅(美術館)に行ってきました。
事前予約制で1時間毎に10人程が入れます。スタッフが英語で解説してくれて一階から最上階まで案内してくれました。今は撮影禁止だそうですが、当時は撮影もフリーでした。
アトリエの本棚にアンドレマッソンの画集と並んで『日本の凧』という画集もありました。
その時に撮った写真に写っている背表紙から、おそらく、日本の凧 俵有作編著 薗部澄撮影 1970年初版 菊華社ではないかと思います。
クラシック音楽でも第一次大戦後は新古典主義が一部流行った時代でしたけど、ストラヴィンスキーの新古典主義時代の代表作の「プルチネルラ」という作品が、古典回帰したデキリコの作品と雰囲気がばっちり合っている気がするんですよね。イタリアの仮面劇の音楽なので、そのへんの要素もデキリコとの親和性アリな気がします。
ストラヴィンスキー好きです~
同じこと書こうとしてたので助かる。
行ってみようかなぁと思ってます。全く美術わからんですが、面白そうです。そして、ブルトン、えげつなさすぎるわ、幼稚だわでどんびいてます。。知り合いのバドミントンのチームのリーダーと一緒で、器小さくて揉めてその業界を離れさせる人ってどこにでもいるんだなぁと思って、人って進歩しないなぁとしみじみ思いました。。
チルドレンのマグリッドは、よくわからないですが昔から好きです。
毎週楽しみだぜ!
美術とか知らなかった小学生時代から気になるのはシューレリアリズムだったのだけど、理由は「ゴミ置き場」みたいだから。
本来同等でないものが最後にたどり着く場所でごちゃ混ぜになっていてカオス。お宝探し的な雰囲気も好きな理由です。
ネオ?形而上絵画で描かれる太陽のやたら太い輪郭線や、ギョーム・アトリエールの詩集のためのリトグラフで使われる唐突な太い線は、
自分にとってはキース・へリングを彷彿とさせて、ポップアートの先駆けというのはすごくわかります
ブルトンは今で言う厄介ファンから害悪アンチに変貌するとんでもモンスターですね😅
そんなやつらの嫌がらせに屈せず自分のやりたい表現を追求したキリコはカッコイイし更に好きになりました
見に行かなくてもいいかなと思っていましたが興味がわいてしまいました(笑)。アンドレ・ブルトンの器がちっちゃいというのに笑いました。😄
昨日行ってきました。
昼下がりお腹空いてたせいか、絵を見てもビスケットにしか見えない…
キャプションによればそれで良かったらしいwww
デ・キリコと交錯した気分❤
バロック期はなんか小松崎茂や岡崎甫雄みたいで昭和のプラモのボックスアートや絵本の挿絵みたいで好き
今回のデ・キリコ特集を拝見して、「マグリット」を無意識に感じたのですが、マグリットはデ・キリコに影響を受けたチルドレンだったのですね🤔⁉️
納得です‼️‼️
シュルレアリストの画家と言うと、個人的にマグリットが好きなので、是非またの機会にマグリットも取り上げて頂きたいです😊
キリコ、面白いなぁ
時代に翻弄されているようでいて、じつは時代の先へと魁続けていた
ヘンな人w(超絶賛)
まだ行けてないのですが、89年以来で楽しみです。キリコのワカメみたいな太陽の描かれたスウォッチとか持ってたけど、どこにいったかなぁ。
戦間期の古典回帰は、音楽だとストラヴィンスキーがプルチネッラ書いたりしてるから納得。みんなチェンバロ使い始めたりしてたし。音楽の方は古楽に発展して、現代のポストクラシックに繋がってるから、余計にブルトンの器のちっちゃさがwww
北斎や広重のようなランドスケープを描いた日本絵画も考古学的価値があります。
初期のキリコのノスタルジーを感じさせる懐古的な風景が琴線に触れるのは分かる気がします。
見に行きたいなぁ❗車椅子なので今、ちょっと消極的になってます(*_*)
もし、首都圏にお住まいなら、上野駅から動物園口まで上がれれば、割りと平場です。
都立美術館はエレベーターがあって、その後は各階に繋がるエレベーターがありました。混雑時は、ゆっくり見られないかも知れないかも知れないけれど、今日は、20時まで見れました。もしかしたら、金曜日とかは、延長してくれてるのかも。
調べてから、コメントした方が良いのは、分かっていますが、今行っておいた方がよいです。
私は、あなたのご不便を理解できていないかも知れませんが、行って感じて欲しいと思います。
介助者の方と美術館の方に相談されても良いとおもいます。
2200円は、ビックリしたけど、見て欲しいです。
勝手なことを言ってしまい、ご不快だったらごめんなさい。
アーティストも流行に左右されて、それが決して悪いことではない、ということですね。
ありがとうございます。
デキリコは子供の頃に惹かれ30年ちょっと前に見に行ったきりでしたがたまたま屋外で告知を見て行こうと思いこの動画で予習しました。人柄は知らなかったのでなんだかファッションデザイナーに近いというかヨウジさんみたいにいい意味でのペテン師だなと感じましたね。
私にとっては、どちらかと言うと真逆の印象だったので、面白いですね。
気まぐれによる思いつきが芸術の原点。
「ユリシーズの帰還」って部屋の中に海があるってドラえもんの「ルームスイマー」見たいですね。
宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」にキリコさんて名前の女性が出てきましたがシュールレアリスムと何か関係があるのかしら☺
映画の後半に出てきた廻廊、まんまデ・キリコでしたね。
マグリット大好き人間的にデ・キリコと言えば号泣エピソードなので紹介して頂いて嬉しいです!
デ・キリコ展、行くタイミングを悩んでます。いつ行こうかなぁ…
愛の歌をみて Vaperwave の Macintosh Plus を連想しましたね😀
デ・キリコにとって彼の部屋のベッドは自分専用で、奥さんのベッドは二人用だったから広かったんじゃないですか。
後年の太陽についたワカメの曲線がキース・へリングに見えてくる。
先週行ってきました。すごいボリューム。後半はルーツであるギリシャの色々なモチーフが入ってきて、あの転がるちくわぶは…?と思ってましたが、柱ですよね?多分…😅
日本の初期シュールレアリスムを代表する画家、古賀春江を取り上げてほしいです。
先日行ってきました!
じっと見ているとなんだかソワソワした気分に。
特に画風がガラッと変わる時(部屋が変わる時)には頭がクラっとして楽しめました。旧約と新約という説明がとってもしっくりきます!説明を全部読もうとすると閉館時間になりそうなので出来ず、また行くしかない💨
キリコへのいじめも五郎先生の解説があると納得がいくと言うか面白いです😃
流行は繰り返す、を地で行くデ・キリコ氏、推せる
キリコwww遊びまくってるwww
デ.キリコの生涯の作品を、かいつまんで更に私達の様な素人にも分かりやすく話して頂いてありがとうございます😊
見ているうちに何だか宮崎駿さんのことを思い出しました
デ.キリコさんの最後の方の作品が、時代に合わせかつ今までの作品の集大成の様な感じがしてて、それが宮崎駿の[君たちはどう生きるか]
を、彷彿させてる気がします。
注、あくまでも個人的な感想です😅
昔、ローマに行った時、キリコの家に行きましたよ😊 行くまではこんな所本当にキリコのアトリエ?とおっかなびっくりでしたけど🐻
感想は前編に書いたけど、復習してたら、ピカソの妻も?!ロシアバレエ団=バレエ・リュスのことですね!
ディアギレフはキューピッドなのですね。バレエ芸術を画期的に飛躍させた人であり、いろんな人を結びつけた!
私も部屋の中のプールのカーペットような海の🚣が好き。ポップでボートを漕ぐ人がかわいい。
私もアメリカ人と同じくらいわかりやすいのが好きなんだろう。ダリも好きだし。
この配信は、著作権の関係で、この展覧会開催期間中までなのですね♪
デ・キリコハウスミュージアム、絶対行きたくなりました!
デ・キリコ編後半、凄くおもしろかった!は早く見に行かなきゃ。
私は、1910年代の重みがあるシュルレアリスムの方が好きだな。ネオバロック期の絵が出てきた時は、「裏切られた」という気がした。しかし、新しい形而上絵画の変な太陽が出て来た時は、「まあ、許してやるか」と、ホッとした。
大体においてキリコに「裏切られた」っておかしいんですけどね。実際キリコこそ裏切られた訳ですから。
形而上学的に完全である現象はある意味神の領域。形而下においては日々無事に特に障害なく仕事に生きる私にとっては時おり喉をうるおすジンジャーエールに似て、乙女の祈りのようなデキリコチルドレンの無事を祈りに変える生きる自分ということになります。
ソフィアちゃんの様に哲学的ではありますが。
皆様いつも守護を頂きましてありがとうございます🙏
因みにどちらかと言うとデブではありませんよ。
とても面白かったです🤍キリコ展楽しみです
神戸は行けそうです
作品の転向のくだりはギャラリー・フェイクでやったところだ♪ってなりました。これから展覧会に行ってきます!
デキリコが有名になってくると、次々とデキリコ亜流の作品が出回るようになったそうだ。デキリコのベタ塗りで、特別な技巧を必要としないイメージ優先の絵画は誰でもお手軽にパクれた。そうなると面白くないデキリコは自分にしか描けない絵画を模索し始めた。行き着いた先が古典で、画家のテクニック、技巧、力量に裏打ちされた世界。「やっぱ誰でも描けるような絵じゃな~」というのが転向の動機の1つらしい。
本人の作品が実際に評価されていたのであればいいじゃないですか。誰ひとり文句言わないでしょうから。
デ、キリコさん大好きです。
塔の上に旗🚩がはためいてる。
何年か前に展覧会に行ったこともあります。
ワケわからん不思議な空気がいいですね🍌🍌🍌
愛の詩 無関係に見えますが、画家のアトリエ内の出来事を切り取ったなと、私は思った。画家の工房という文脈を消してしまうとシュールなものになる。文脈の喪失こそがキリコの最初の啓示だったのだから。
キリコの転向はダダイズム・シュールレアリズムの行く先を見ていたのかもしれない。
先日東京都美術館行ってきました。僕はアンドレブルトンじゃないけど、初期のイタリア広場辺りの絵が好きでした。暗い方。キリコの言ってた謎がよく表れてる。後半の新形而上絵画は謎とか無意味の内容が初期とは変わってる感じがしました。なーんか、個人の存在論的無意味から社会の無意味に、苦悩からまあしゃーないわに変容してる感じでした。
デキリコ チルドレン、、、
できる子 チルドレンに聞こえたわ😂
生配信で名古屋飛ばしが話題になってましたが、札幌も全然来ないんですよね...
ダリの時計が特殊相対性理論に触発されたように、シュールレアリスムは相対論や量子論の発展の時代と期を一にして活動していた感じですね 世の中というものは今まで思っていたようなものでは無いんだという感覚?
行ってきました。一生を通じて煩悶の芸術家だったようですね。私は「形而下」のベーコンを食しています。
キリコの場合は結構どこ吹く風で本人は煩悶とは程遠いように思いますけどね✨そういう意味ではキリコの精神的な練度は相当高かったと思われますね。
形而上
村上春樹氏の小説で度々出てきて未だに意味が分かりませんが
なんとなくカッコよろしいなぁ~と遠い昔に思いました
「オデュッセウスの帰還」は何となく『King Of The Delta Blues Singers Vol.II』(1970)のジャケットを連想させますね
あらゆる芸術において、戦争が大きく展開を生むのは皮肉だな。
60年代の作品は、レディーメイドの引用元が過去の自分の作品になってるような感じしますね
いつも興味深い説明をありがとうございます。
筆致(タッチ)についてはベタ塗りとそれ以外といったお話に終始したように見えました。今後機会がありましたら、ルノワールとの出会いとそれがキリコのキャンバスに与えた影響をお教えいただけると嬉しいです。
シュールレアリスムの絡みでキリコが書いた小説の話出てくるかなと思ったがなかったな。
ロートレアモンのイントネーション、ずっと間違って生きてたことに気づきました。
私もブルトンは嫌い。意味ないことをほざいて恍惚に浸ったり、何かを腐していないと成り立たないというか、対象を否定して作られた形式は、否定することでしか成り立たなくなるようじゃダメですね。
自画像の遠近感はルソーオマージュに違いない
大塚国際美術館の次はデ・キリコか〜
忙し〜w
シュルレアリストたちの「昔の方が良かった」の感覚は、インディーズ時代に熱狂したロックバンドがメジャーでキャッチーになってショックを受けたファンに見えました😅
むせる〜🎵
なるほど「横尾忠則 寒山百得」が「オデュッセウスの帰還」「燃えつきた太陽のある形而上的室内」に見えてきました。
なるほど!キリコをポップアートの先駆けと捉えれば、シュールレアリスムとも差別化できるなぁ。。。なるほど