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車田さん、凄い、凄い、凄い!今までで、この”音楽談話XX”の中で最高にディ―プな話でした。最高!!私は若い時は、内面性ばかりを音楽に求めながら、聴いていましたが、歳を経るごとに外面に移ってきました、ーーがーーー最近、自分も晩年になるにつれ、もう一度、内面に回帰してきました。--更に、ごく最近は、もう、今はそんなの(作曲家の内面、外面なども)、関係ない、いいじゃないか!!私のモーツァルト、私のバッハ等で―ー作曲家が意図され、指示された、--そんなの、お構いなしに、--全く邪道、邪道、邪道(?)でーーーー好きなように、パクリ、パクリで自分の楽器で、自己中でーー自分のために演奏を楽しんでいます。そういう音楽?も、あってもーーーーどうなんだろう?ーーー今は、音を出すこと自体が楽しい(子供が、何かを叩いて、喜んでいるように)、音を出すこと自体を、私が今を、生きていると同義の様に思えています。間違ってるかなあーーーー(プロとアマは視点が違うのだろうと思いますけど)
わかります。年齢重ねるにつれ、自由に表現していいと思うようになりますよね。そうなってやっと、楽しくなってきました。
私は、当時の演奏様式や音色を重視する傾向にあり、音楽の内側の要素(精神性) が欠けていたようです。楽譜と実際に出される音の関係は、たとえてみれば脚本に書かれているセリフと実際に俳優が喋る言葉との関係に似ています。 同じ言葉でも演じる俳優によって、その言葉は様々な表現に変わります。様々な表現方法を学ぶためにも、国内外の素晴らしい演奏家の方々の演奏を沢山聞きたいと思います。何時もながら、大変興味深いお話をありがとうございました ♬。
ありがとうございます😊😊
メンデルスゾーンは、作曲家としても、もちろんですが、世の中に、バッハを、広めた方ですね。私達が、バッハの曲を楽しめることも、彼の業績があるからですね。
私は完全に内側派でした。耳より心で聴く感じです。だからすぐ泣くし、音楽に感動します。でも欠損している外側をいま、車田さんのUA-camで埋めているのだと思います。すごく楽しく学んでいます。最後のtea timeも学びの後のご褒美にご一緒させていただいてます。
今回も面白いお話でした。内から見たり外から見たりを繰り返しながら、それぞれの演奏家が腑に落ちる表現を見つけていく、それが時代と共に変化しながらクラシック音楽が受け継がれていく感じですね。身近なモダン楽器で数百年前の音楽を演奏する意味がこの脈絡でも見い出せますね。指定楽器の無い音楽なんて物もありますが、演奏を伴わず、楽譜を読んだ人の内面だけで完結する究極の音楽なのかも😆
音楽はそうやって高めていくのかと、大きく納得したお話しでした。ありがとうございました✨
いつも素晴らしいお話しに元気を頂いています。特に、近年、子供達のテレビ環境下での音楽が、喜寿を去年迎えた私には、何度聴いても心に入って来ません。最近、小学生低学年対象に、夏休みに音楽を聴かせたいから、と人を通して要望を受けて、何をしたものかと考えているうちに、人から教えられた、聴いた事のない🎵鬼滅の刃をUA-camで聴いてみました。が、どうにも心に入って来なくって、子供達との融合の輪をどう方向づけたら良いのかと悩んでいました。あれこれ聴きながら心は閉塞状態になりました。そこで、毎日繰り返しお聴きさせて頂いている車田先生のお話しに憩いを求めてチャンネルを押しました。そして、爽やかな筋の通ったいつものような感動的なメッセージに、ホッと息が出来ました。生き返った、とはこの事だ、と思いました。そして、更に、最後の茶菓子を頂かれる先生の笑顔が何とも言えない幸せな気持ちにさせて下さいました🎉❤古巣へ帰った時の安堵感❤と言ったところでしょうか。ずーっと以前から、何度も何度も、あれこれとチャンネルを開いては元気を頂いておりましたが、初めてお便りさせて頂きました。今までの感謝も纏めて、ここに御礼申し上げます🙏✝️🌈🎹
テンポ100のところのお話、なるほどです。作曲家が感情のエナジーやポエジーを表現するならそのテンポがベストでも他者が再現するにはエネルギー量が違う。だから微妙な表現の違いが生まれる。しかし、テンポが違ってもどれもいい表現に聴こえる。これから自分もこんな伝え方ができればと思わされました。
ものすごく参考になりました。ありがとうございます!
ありがとうございます。面白いですね。これぞクラシックの醍醐味です。第九のメトロノーム解釈に関してはコブラの演奏が衝撃でしたね。こうしてお話を聞きますと、僕は外側寄りに聞いてるなあ、と思いました。内側=感情については、ソ連時代のショスタコーヴィッチは、あえて自分の本当の感情を公式には否定しながら作曲しましたよね。「お前、こう思って作曲しただろ!?」「え、そんなこと考えもしませんでしたが、言われてみればそうも言えますね。偶然ですね〜!」という具合です。そんなショスタコーヴィッチについてもいつか解説してくれたら嬉しく思います。
車田先生、今回も興味深いテーマでした!音楽の内側と外側に思いを馳せて聴いたり演奏したり…これが音楽の醍醐味で、とてもロマンチックなことだと私には思えます☺️
たいへん興味深いお話でした😄自分は内向きを好んでいますが、実は自分が内だと感じていた演奏が、人の解釈によっては外向きだと感じるかも知れません。フルトヴェングラーは外向きには激しい演奏ですし、内向きには深く深く心の中に響きます。外面と内面が絶妙に混ざりあっているのかなと思いました。
チェンバロで平均律を演奏する、おそらく一生かなうことのない憧れを持ち続けて何十年も過ぎましたw。ピアノでの表現を内面的に追究していきたいと思います。
興味深いお話でした。現代は音源だけでなく、映像も残されてますね。宗教音楽などは教会で脈々と奏法が受け継がれてきたものだと思ってました。
音楽。とにかく深い!
こんばんは♪♪♪素敵なお話ありがとうございます😊私は今シユーマンの蝶々を練習しています(^^)うちのメトロノーム壊れちゃって、だいたいこんな速さかな⁇って感じで弾いています!シユーマンはこのメロディだけは絶対聴かせたい、またこのリズム、重要な音を拾い出して、楽しく弾いています❣️蝶々はとても素敵な曲ですね❤私は内面派かな⁈また次回のお話楽しみにしてます(^^)
15:28 なるほど‥。メンデルスゾーンの聴き方も変わってきますね
車田先生本日も素晴らしいお話をありがとうございました。私はどちらかというと内側を大切にするようです。ピリオド楽器による演奏も素晴らしいことですが、例えばモーツァルトが現代の楽器の存在を知ったら古い楽器に固執していただろうか?とも思います。先日、とあるUA-camr料理研究家の方が「めんつゆを使い過ぎ。手間暇かける日本料理の伝統が壊れる」という視聴者の声に対して、「手間暇をかけるのは手段であって目的ではない」と仰っていました。古楽器による再現の試みも当時の響きを得るための「手段」であってほしいと思います。表現者の数だけ表現方法があるのが音楽の良いところですね。今後は外側にも目を向けながら音楽活動を続けたいと思います。
フィナンシェとマドレーヌの違いはフィナンシェは焦がしバター、卵は卵白のみ、型が金の延べ棒型という所でしょうか。ドイツ語はフリアンという名前だったような?お菓子も考えてみたら様式に通ずる所があるように感じます。音楽は基本的に好きか嫌いか、その中で涙する時もあればつまらんから変える時もあればでした。色んな着眼点で更に楽しみ方や深みを知れて嬉しいです。
バッハが一番思い出せますが。シューベルトの歌曲、ベートーヴェンの理想の世界、モーツァルトは優しさ陽気その内側の哀愁ですかね。
例えばピアノ協奏曲でオーケストラや指揮者は楽譜を前にしてますがピアノの前には楽譜は無く それはソリスト独自の曲への解釈を尊重するからだという 聴く側はソリストの数だけ楽しめますが
私は…どっちつかず派なようです。外側、当時の響きを求めれば鈴木雅明さんのバッハには「このオーボエにチェロ、これ聞いたらほか聞けないよな〜」と思いつつ、聖書的な理解も深く、この方は牧師先生でもやっていけるのではとも思ってしまいます。ガーディナーのバッハにいたっては、オケ(とくにホルンならぬコルノダカッチャやナチュラルトランペットの職人技!!)も歌も圧倒的に上手い、退屈しない(ベートーベン交響曲全集も躍動感溢れる…あ、第九の例のフロー!から倍に速いのには確かに面食らいましたが)、それにカンタータ全曲巡礼やりだしてからか、テンポも落ち着いてまろやかに。ガーディナー最近のUA-cam、バッハのロ短調やモンテベルディのマリア晩課で持ってるCDとずいぶん変わったなぁ(良い意味で)と、好きです。が、やっぱり内側の精神、バッハはリヒター、ベートーベンはバーンスタインや朝比奈、最近(いや今さら)UA-camでブロムシュテット、「俺の魂が心底求めるのはコレだ!」と戻ってくるのです。
貴重なお話し ありがとうございました。 どちらよりか 考えて 片寄らない様に きおつけます。
深いお話、好奇心が沸き起こりました。私はどうやら内側優先の様です、しかし外側の重要性も感じております。これから聴く音楽に対しても作曲者や演奏家の感情を思いながら聴くことになると思います。演奏家もその時々で結構違う人も居ますね、どの演奏家もライブの方がスタジオ録音より感情のこもった演奏をする傾向が強いですが、聴衆が居るのと居ないのとではそりゃ違いますよね。五嶋みどりさんや辻井伸行さんなどは、その熱量の差が大きいのを感じます。そう言う音楽の楽しみ方もあると思います。美味しそうなお菓子ですね、私もお菓子大好きなんですが、残念なことに血糖値が高くなるので医者の指導を受けています・・・・とほほ。
本当に人によってこの二つの傾向性の違いって兎角ありますね!音楽の内側と外側、両方の成長という素晴らしい目標を与えて頂きました。ちなみにフィナンシエはフランス菓子で、アーモンドパウダーたっぷりと卵白で作る焼き菓子ですよ😋
ベートーヴェンの時代のメトロノーム職人たちが、欧州メトロノーム協会検査合格シールでも貼っててくれれば良かったと思う事がしばしばあります。😊
「作曲者の意図」は多分近づく事は出来てもそのものに到達する事が出来ないようなものだと思います。演奏は変化してゆくもの、正にその通りだと思います。社会そのものが作曲者とは違う世界に住む我々にとってのクラシック音楽とは何か。難しいですが同時にとても魅力的な問題でもあります。
メトロノームを発明したのは、ベートーヴェンの友人だったとか。ただ、ベートーヴェンによる速度指定は無視しろ、という話も、むかしから、ありましたね。古楽器の音と演奏は、わたしには違和感があります。どうしても好きになれない。現代楽器による演奏のほうが、しっくりします。
最近チャンネルを発見し、次々と動画を見て勉強させていただいてます。メンバーシップのリンクに飛ばないのですが、私の端末側の問題?他にメンバーシップ案内が見られる場所はありますか?
こちらのリンクをお試しください😊😊ua-cam.com/channels/fMU7OwDiMZ5yUOZ_dHlCwQ.htmljoin
本題と全然、関係ない質問で、恐縮ですが、バックで流れているBachのGoldberg Variationを弾いてるのは誰れなんでしょう?ご存知の方がいらしたら教えいただければ幸いです。僕個人は、Rosalyn TureckのBachが好きなのですが、この演奏は、Tureckとまたちがって、いいなあと思いました。
うん、なるほど。。概ね間違ってないけど、作曲家視点で言うと、色々と有ります。長くなるので辞めますが😀
車田さん、凄い、凄い、凄い!今までで、この”音楽談話XX”の中で最高にディ―プな話でした。最高!!私は若い時は、内面性ばかりを音楽に求めながら、聴いていましたが、歳を経るごとに外面に移ってきました、ーーがーーー最近、自分も晩年になるにつれ、もう一度、内面に回帰してきました。--更に、ごく最近は、もう、今はそんなの(作曲家の内面、外面なども)、関係ない、いいじゃないか!!
私のモーツァルト、私のバッハ等で―ー作曲家が意図され、指示された、--そんなの、お構いなしに、--全く邪道、邪道、邪道(?)でーーーー好きなように、
パクリ、パクリで自分の楽器で、自己中でーー自分のために演奏を楽しんでいます。そういう音楽?も、あってもーーーーどうなんだろう?ーーー今は、音を出すこと自体が
楽しい(子供が、何かを叩いて、喜んでいるように)、音を出すこと自体を、私が今を、生きていると同義の様に思えています。間違ってるかなあーーーー(プロとアマは視点が違うのだろうと思いますけど)
わかります。年齢重ねるにつれ、自由に表現していいと思うようになりますよね。そうなってやっと、楽しくなってきました。
私は、当時の演奏様式や音色を重視
する傾向にあり、音楽の内側の要素
(精神性) が欠けていたようです。
楽譜と実際に出される音の関係は、
たとえてみれば脚本に書かれている
セリフと実際に俳優が喋る言葉との
関係に似ています。 同じ言葉でも
演じる俳優によって、その言葉は
様々な表現に変わります。
様々な表現方法を学ぶためにも、
国内外の素晴らしい演奏家の方々
の演奏を沢山聞きたいと思います。
何時もながら、大変興味深いお話
をありがとうございました ♬。
ありがとうございます😊😊
メンデルスゾーンは、作曲家としても、もちろんですが、世の中に、バッハを、広めた方ですね。私達が、バッハの曲を楽しめることも、彼の業績があるからですね。
私は完全に内側派でした。耳より心で聴く感じです。だからすぐ泣くし、音楽に感動します。でも欠損している外側をいま、車田さんのUA-camで埋めているのだと思います。すごく楽しく学んでいます。最後のtea timeも学びの後のご褒美にご一緒させていただいてます。
今回も面白いお話でした。
内から見たり外から見たりを繰り返しながら、それぞれの演奏家が腑に落ちる表現を見つけていく、それが時代と共に変化しながらクラシック音楽が受け継がれていく感じですね。
身近なモダン楽器で数百年前の音楽を演奏する意味がこの脈絡でも見い出せますね。
指定楽器の無い音楽なんて物もありますが、演奏を伴わず、楽譜を読んだ人の内面だけで完結する究極の音楽なのかも😆
音楽はそうやって高めていくのかと、大きく納得したお話しでした。ありがとうございました✨
いつも素晴らしいお話しに元気を頂いています。
特に、近年、子供達のテレビ環境下での音楽が、喜寿を去年迎えた私には、何度聴いても心に入って来ません。
最近、小学生低学年対象に、夏休みに音楽を聴かせたいから、と人を通して要望を受けて、何をしたものかと考えているうちに、人から教えられた、聴いた事のない🎵鬼滅の刃をUA-camで聴いてみました。が、どうにも心に入って来なくって、子供達との融合の輪をどう方向づけたら良いのかと悩んでいました。
あれこれ聴きながら心は閉塞状態になりました。
そこで、毎日繰り返しお聴きさせて頂いている車田先生のお話しに憩いを求めてチャンネルを押しました。
そして、爽やかな筋の通ったいつものような感動的なメッセージに、ホッと息が出来ました。
生き返った、とはこの事だ、と思いました。
そして、更に、最後の茶菓子を頂かれる先生の笑顔が何とも言えない幸せな気持ちにさせて下さいました🎉
❤
古巣へ帰った時の安堵感❤と言ったところでしょうか。
ずーっと以前から、何度も何度も、あれこれとチャンネルを開いては元気を頂いておりましたが、初めてお便りさせて頂きました。
今までの感謝も纏めて、ここに御礼申し上げます🙏✝️🌈🎹
テンポ100のところのお話、なるほどです。
作曲家が感情のエナジーやポエジーを表現するならそのテンポがベストでも
他者が再現するにはエネルギー量が違う。だから微妙な表現の違いが生まれる。
しかし、テンポが違ってもどれもいい表現に聴こえる。
これから自分もこんな伝え方ができればと思わされました。
ものすごく参考になりました。ありがとうございます!
ありがとうございます。面白いですね。これぞクラシックの醍醐味です。第九のメトロノーム解釈に関してはコブラの演奏が衝撃でしたね。こうしてお話を聞きますと、僕は外側寄りに聞いてるなあ、と思いました。
内側=感情については、ソ連時代のショスタコーヴィッチは、あえて自分の本当の感情を公式には否定しながら作曲しましたよね。「お前、こう思って作曲しただろ!?」「え、そんなこと考えもしませんでしたが、言われてみればそうも言えますね。偶然ですね〜!」という具合です。そんなショスタコーヴィッチについてもいつか解説してくれたら嬉しく思います。
車田先生、今回も興味深いテーマでした!
音楽の内側と外側に思いを馳せて聴いたり演奏したり…これが音楽の醍醐味で、とてもロマンチックなことだと私には思えます☺️
たいへん興味深いお話でした😄自分は内向きを好んでいますが、実は自分が内だと感じていた演奏が、人の解釈によっては外向きだと感じるかも知れません。フルトヴェングラーは外向きには激しい演奏ですし、内向きには深く深く心の中に響きます。外面と内面が絶妙に混ざりあっているのかなと思いました。
チェンバロで平均律を演奏する、おそらく一生かなうことのない憧れを持ち続けて何十年も過ぎましたw。ピアノでの表現を内面的に追究していきたいと思います。
興味深いお話でした。現代は音源だけでなく、映像も残されてますね。
宗教音楽などは教会で脈々と奏法が受け継がれてきたものだと思ってました。
音楽。とにかく深い!
こんばんは♪♪♪
素敵なお話ありがとうございます😊
私は今シユーマンの蝶々を練習しています(^^)うちのメトロノーム壊れちゃって、だいたいこんな速さかな⁇って感じで弾いています!シユーマンはこのメロディだけは絶対聴かせたい、またこのリズム、重要な音を拾い出して、楽しく弾いています❣️蝶々はとても素敵な曲ですね❤
私は内面派かな⁈
また次回のお話楽しみにしてます(^^)
15:28 なるほど‥。メンデルスゾーンの聴き方も変わってきますね
車田先生本日も素晴らしいお話をありがとうございました。
私はどちらかというと内側を大切にするようです。
ピリオド楽器による演奏も素晴らしいことですが、例えばモーツァルトが現代の楽器の存在を知ったら古い楽器に固執していただろうか?とも思います。
先日、とあるUA-camr料理研究家の方が「めんつゆを使い過ぎ。手間暇かける日本料理の伝統が壊れる」という視聴者の声に対して、「手間暇をかけるのは手段であって目的ではない」と仰っていました。
古楽器による再現の試みも当時の響きを得るための「手段」であってほしいと思います。
表現者の数だけ表現方法があるのが音楽の良いところですね。
今後は外側にも目を向けながら音楽活動を続けたいと思います。
フィナンシェとマドレーヌの違いはフィナンシェは焦がしバター、卵は卵白のみ、型が金の延べ棒型という所でしょうか。ドイツ語はフリアンという名前だったような?お菓子も考えてみたら様式に通ずる所があるように感じます。音楽は基本的に好きか嫌いか、その中で涙する時もあればつまらんから変える時もあればでした。色んな着眼点で更に楽しみ方や深みを知れて嬉しいです。
バッハが一番思い出せますが。シューベルトの歌曲、ベートーヴェンの理想の世界、モーツァルトは優しさ陽気その内側の哀愁ですかね。
例えばピアノ協奏曲でオーケストラや指揮者は楽譜を前にしてますがピアノの前には楽譜は無く それはソリスト独自の曲への解釈を尊重するからだという 聴く側はソリストの数だけ楽しめますが
私は…どっちつかず派なようです。外側、当時の響きを求めれば鈴木雅明さんのバッハには「このオーボエにチェロ、これ聞いたらほか聞けないよな〜」と思いつつ、聖書的な理解も深く、この方は牧師先生でもやっていけるのではとも思ってしまいます。ガーディナーのバッハにいたっては、オケ(とくにホルンならぬコルノダカッチャやナチュラルトランペットの職人技!!)も歌も圧倒的に上手い、退屈しない(ベートーベン交響曲全集も躍動感溢れる…あ、第九の例のフロー!から倍に速いのには確かに面食らいましたが)、それにカンタータ全曲巡礼やりだしてからか、テンポも落ち着いてまろやかに。ガーディナー最近のUA-cam、バッハのロ短調やモンテベルディのマリア晩課で持ってるCDとずいぶん変わったなぁ(良い意味で)と、好きです。が、やっぱり内側の精神、バッハはリヒター、ベートーベンはバーンスタインや朝比奈、最近(いや今さら)UA-camでブロムシュテット、「俺の魂が心底求めるのはコレだ!」と戻ってくるのです。
貴重なお話し ありがとうございました。 どちらよりか 考えて 片寄らない様に きおつけます。
深いお話、好奇心が沸き起こりました。私はどうやら内側優先の様です、しかし外側の重要性も感じております。これから聴く音楽に対しても作曲者や演奏家の感情を思いながら聴くことになると思います。演奏家もその時々で結構違う人も居ますね、どの演奏家もライブの方がスタジオ録音より感情のこもった演奏をする傾向が強いですが、聴衆が居るのと居ないのとではそりゃ違いますよね。五嶋みどりさんや辻井伸行さんなどは、その熱量の差が大きいのを感じます。そう言う音楽の楽しみ方もあると思います。
美味しそうなお菓子ですね、私もお菓子大好きなんですが、残念なことに血糖値が高くなるので医者の指導を受けています・・・・とほほ。
本当に人によってこの二つの傾向性の違いって兎角ありますね!音楽の内側と外側、両方の成長という素晴らしい目標を与えて頂きました。ちなみにフィナンシエはフランス菓子で、アーモンドパウダーたっぷりと卵白で作る焼き菓子ですよ😋
ベートーヴェンの時代のメトロノーム職人たちが、欧州メトロノーム協会検査合格シールでも貼っててくれれば良かったと思う事がしばしばあります。😊
「作曲者の意図」は多分近づく事は出来てもそのものに到達する事が出来ないようなものだと思います。
演奏は変化してゆくもの、正にその通りだと思います。
社会そのものが作曲者とは違う世界に住む我々にとってのクラシック音楽とは何か。
難しいですが同時にとても魅力的な問題でもあります。
メトロノームを発明したのは、ベートーヴェンの友人だったとか。
ただ、ベートーヴェンによる速度指定は無視しろ、という話も、むかしから、ありましたね。
古楽器の音と演奏は、わたしには違和感があります。どうしても好きになれない。
現代楽器による演奏のほうが、しっくりします。
最近チャンネルを発見し、次々と動画を見て勉強させていただいてます。メンバーシップのリンクに飛ばないのですが、私の端末側の問題?他にメンバーシップ案内が見られる場所はありますか?
こちらのリンクをお試しください😊😊
ua-cam.com/channels/fMU7OwDiMZ5yUOZ_dHlCwQ.htmljoin
本題と全然、関係ない質問で、恐縮ですが、バックで流れているBachのGoldberg Variationを弾いてるのは誰れなんでしょう?ご存知の方がいらしたら教えいただければ幸いです。僕個人は、Rosalyn TureckのBachが好きなのですが、この演奏は、Tureckとまたちがって、いいなあと思いました。
うん、なるほど。。概ね間違ってないけど、作曲家視点で言うと、色々と有ります。長くなるので辞めますが😀