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私はティンパニをやっていましたが、この楽器は調によって鳴らす音の印象が大きく違います。ヘ調(F)の場合、主音はいちばん大きな太鼓を使うドスンという重い音か、いちばん小さい太鼓の甲高い音のどちらかを選ぶことになり、どちらを使うかで曲のキャラクターは大きく変わります。ベートーヴェンやチャイコフスキーは曲の印象に合わせてそれを巧みに使いわけましたね。使う楽器によっても調によるキャラクターが違ってきますね。
自分は合唱を永らくやってきた素人です。なぜ「ニ長調が荘厳」な調なのか、平均律ではハ長調と何が違うんだ?とずっと思っていました。長年の疑問が氷解した気持ちです。ありがとうございます。
本当に興味深いお話をありがとうございます!僕は理系なのでこういう物理系の話が大好物です笑僕も車田先生と同じで学生の頃は吹奏楽部でトランペットやってました。B管しか経験はありませんが、音色や音の出やすさはバルブによって多少違っていましたので(特に3番管)、C管で同じ曲を演奏すると違う「キャラクター」が感じられるのかもしれませんね。まあ、僕の耳ではその違いは感じられないと思いますが笑現在は単なる趣味でピアノを弾いていて、練習にリトルピシュナを使っています。1小節(または数小節)ごとに半音ずつ同じ音型で上がっていき、1曲で12の調をやるように設計されていますが、やはりキャラクターの違いは僕の耳では全く感じられません。ただ「高くなってってるな~」としか感じません笑
柴犬可愛い😊😊😊今回のお話、大変ためになりました🎶🎶🎶また見直して観たいと思います😊😊😊
めちゃくちゃ面白かった。歌とかラッパみたいに振動を身体が直で感じる楽器をやっていると、キーの違いによって音色(ねいろ)が変化して、音楽の雰囲気が変わるってことは実感してるから、そういう話なのかな…と思ったが見事に裏切られた。素晴らしいです。20:54 地域によって違う高さを基準に調律されてたってことは、バロック時代は徒歩や馬でやっとの思いで違う国や地域に行くと、全く違う雰囲気の音楽が演奏されて「この地域ではこんな音が流れてるんだ!スッゲー!!異国情緒半端ねえ!!」っておもったミュージシャンもたくさんいたんだろうなと思うと、ロマンがありますね。
興味深いお話を感謝します。私は作曲をする時に、何調にするか?を頭で考えるのではなくパッとメロディーを思いついた時の調を、そのまま楽譜に採譜して書きます。 残念ながら私は絶対音感がないので、頭の中ではそれが何調かわからず、後からピアノの所へ行って音を探ってみて、「あ、ロ長調か、面倒くさい調だなw」とか、そんな感じです。 それを自分が楽譜に書きやすいようにハ長調に変えて弾いてしまうと、やっぱりなんかイメージが違う変な感じがしたりします。 その曲想の続きを思いうかべられず、いつのまにか消えてしまったりします。 最初の調のままだと、どんどん曲の最後まで仕上がります。不思議なんですが。生き物?みたいな。。 一般的に作曲家が曲の調を決める時に、どういう基準で決定して書き始めるのか、最初に思いついた調とは関係なく、いろいろ考えて決めていくのか、興味がありますね。
絶対音感も大切ですが、そういった枠に収まらない、素晴らしい感受性を持っていらっしゃるのですね。きっと素敵な曲をたくさん作ってこられたのでしょう。「音」に対して、繊細そして鋭い、優れた感性だと思います😊🎵
私も時々作曲をやりますが、最初に思いついた調性にはこだわりたいです。因みに絶対音感あります。
実際に作曲をされている方の考え方を教えて頂き、大変興味深いです。つまり最初に思い付いたメロディーを口づさんで音の高さがどの調に相当するかということでしょうか?なるほど!私は作曲しませんがカラオケとか行ってもキーを変えると違和感ありますからね。作曲が大体終わって実際に自分で演奏してみて演奏のしやすさも考慮して調を多少妥協して変更することはありますか?
頭に浮かぶのはその人の声の範囲
自分も全く同感で、コメント読んでいて嬉しい気持ちになりました。絶対音感もないので、浮かんだ調を確認して「ゲッ」というところまですごく同感でした。
クラッシック音楽が調によって音楽の雰囲気が変わるとされてきたのは、ブラームスの頃まで平均律ではなくWohltemperierte Stimmungという調律を使っていたからなのですね。みなさんコメントされてらっしゃいますが、長年の疑問が氷解しました。大切なことは教えてくれないのですね😢名曲の数々をぜひ当時の音律で聞いてみたいものです。
調(キー)に関するお話ありがとうございました。調のキャラクターは『色』で表されることもありさらに楽器によっても得意な『調』もありますね。長調 短調が出来るまでは“教会旋法”というのがあってそこから時を経て今に至っていますがいずれ『教会旋法』についても取り上げてくださると思いますのでその回の時も宜しくお願いいたします
ありがとうございます。中学からギターを弾いていますが、構造的に平均律しか出来ない楽器なので調はフレットの平行移動としか理解してませんでした。バンドの演奏時にホールにある生ピアノに合わせますが、Aが440Hzではなく、442Hzなど少し高めに設定されていることが多かったですが、438Hzに設定されているとCメジャーも何となく悲しい響きに感じました。チューニング、調律は深いですね!
分かりやすい解説ありがとうございます。ずっと「時代や文化の違いからくる理解の難しさ」だと思ってましたが、調律も異なっていたのですね。ついでに昔に持っていた鍵盤にミーントーンとヴェルクマイスターのスイッチがありましたが、その意味も30年越しに回収できてすっきりしました。
と、とんでもない話だぞこれは…この動画に出会えてよかった…
長年の疑問が解決しました。分かりやすくて納得しました。
当時のアプローチや感性、先人の試行錯誤が想像できるようになりました。それでも平均律が優勢になったのは、機能和声のカデンツ(緊張から解放の概念)が平均律以外では解消しきれないとか、ソナタ形式の転調が別物になりすぎてしまうとか、いろんな理由があったからだと思います。先人たちの葛藤の歴史が面白いと思います。
今回のお話も、音楽理論については、まるで素人の私には大変興味深くためになるお話でした。マッテゾンやシューバルトの調性論は興味深くて面白いのですが、人間の耳や感性は、それほど単純なものではありませんので、同じ調で書かれている同じ曲を聞いても、人によってクオリアは違ってきますよね。そこが音楽の奥深いところだと思っています。
このチャンネルの動画を始めて拝見しました。基準周波数と調律の話題、以前から気になっていたのに何を調べたらいいのか分からなかった題材でした。純正律でも平均律でもない調律の、音階の間隔の不揃いさの中に、その調がその調である理由が存在していたなんて、今まで考えたこともありませんでした。平均律しか知らなかった頃には、基準周波数と長調短調の組み合わせだけで表現すればいいのにとよく思っていました。バッハさんが編み出した当時の調律、誰かが決めた言葉ではなく、自分が直に聞いた時にどんなキャラクターを感じるのか試してみたかったなあとすごく思いました。後半の楽器の調律の話にも興味が湧きました。BbだったりCだったり、それぞれの楽器の音階はなぜそのようになったのか?考え始めればきりはないですが、ロマンを感じました。とてもためになる時間をありがとうございました。感謝致します。
吹奏楽とオーケストラ両方経験したからかもしれませんが、シャープ系の調性はウッディ(木質)で、フラット系の調性は金属的なイメージを個人的に持っています。吹奏楽ではオーケストラの曲を編曲してよく演奏しますが、原曲はシャープ系の調性のものをフラット系に移調したものを聴くと音楽の持つ色彩感や温度感が全く変わってしまい、自分にとっては別の曲にすら聞こえてしまうことがあります。とはいえ、最近は低めのピッチの古楽器の演奏を良く聴くので、自分の中に確固としてあったはずの調性感がぐちゃぐちゃになってしまいました(苦笑)
こういうことがスラスラと理解できたら、楽しいでしょうね。
柴犬とってもかわいいですね。うちにもメヌエットて名前の3歳の柴犬がいます。いつか動画で車田さんとワンちゃんの二重奏🎶きいてみたいです😊
調性が持つ性格的な特性については、例えば青島広志氏が書かれた楽典書等にも示されていますね。「曲における調の選定」については作曲家が24種類の調からそれを選んだ理由というものが必ずある訳で(かのL.バーンスタインはベートーヴェンの交響曲第7番の冒頭に関し、『FdurでもEsdurでもなくAdurで書いたのは、聴衆をビックリさせるためだった』と語ったとか・・)、例えば管弦楽曲が吹奏楽に編曲される際、「演奏しやすいように」移調してしまうことには個人的に抵抗を感じています(by元吹奏楽部員)。
濁りのお話を聞いて、お米と似ているなと思いました。うちは米農家なのですが、どんなお米にも雑味というものが含まれています。その、風味、強さ、クセなどは本当に様々で、同じ種類の米でも年によって違ったりします。雑味と聞くと悪いもののように聞こえますが、これがないと、ただ甘いだけの米とかになってしまい、味に深みがなく美味しくないんです。音楽とは関係ないかも知れませんが、お米の鑑定家のかたがたも、この雑味をとても重視していらっしゃるようです。
スーパーの棚に、お米が再び並ぶようになって、本当に安心しました😮💨 お米のない生活なんて、考えられない‼︎ 我が家の朝食は、ご飯🍚に味噌汁、納豆に海苔……週に3回は、このメニューです。因みに、今日(昨日になってしまいましたが)の夕食は、ご飯の上に明太子をのせて食べました。お米さん、そして生産農家さんには、心から感謝しております😊新米が美味しい季節となりましたが、今年は特によく味わって頂こうと思います🌾🍙✨
@@sH-cr5zc そこまでお米を愛していただいているのなら、こちらも作り甲斐があります。ありがとうございます😊
包括的に噛み砕いて説明いただき、ありがとうございました。これまで、断片的な知識と思い込みで正しく理解できていなかった点がクリアになりました!私は、趣味でピアノを弾いてます。弾き始めた頃は、シンプルに「平均律ならば、どこが主音でも等比数列なので響きが変わることはない」と思っていました。最近、調による差が「分かる」ように感じてきたのは、実は「知識による印象の上書き」だったのかもしれません。。やはり、平均律ならキャラクター変化はないはずなんですね。さらに、純正律でも全ての主音について比は一緒なのでキャラクターは変わらない。一方、(もっと昔に使われていた)主音ごとに比が異なる音階では、主音が異なれば別のキャラクターを感じられる、と理解できました。蛇足ですが、私の場合、移調に伴う印象変化を平均律のピアノで確認する際に、ハ長調→ト長調→ニ長調、あるいは、ハ長調→ヘ長調→変ロ長調、みたいなパターンでチェックしていました。このため、もしかすると、移調でキャラクターが変わるように感じたのは、シャープが増える場合は演奏中に属調へ転調する時の印象変化(フラットなら下属調への転調時の印象変化)と同じ理由なのかもしれません。
おぼろげな記憶ですが、内田光子女史は、モーツァルトの協奏曲の録音時に、ヴェルクマイスター3に調律していた云々、という文章を読んだことが。確かに、23番の或る和音、20番の或る箇所、など要所要所で、平均律での響きとは明らかに異なる趣きの音の響きを醸し出していたように感じています。
ひえー、こんな論理的かつ歴史的な理由があったとは!調は旋律等に対して楽器や人の声の得意な音域や演奏のし易さで自然と選ばれるのだと思っていました(動画の最後で、その点にも言及されていましたね)。全編、目から鱗でした、勉強になりました!
昔、バッハの平均律の楽譜を見て、先生に平均律の意味を尋ねて何か答えてくれましたが、さっぱりわかりませんでした。理解するのは難しいですが、初めてざっくり理解できました。ありがとうございます。
長年の疑問が30分で解決いたしました。本当に音楽は面白い。
ミーントーンによるヘ長調と変イ長調のカデンツの響きの違い、メチャ解りやすかったです❣調の性格というのは音の高さではなく、幅の歪みから生じる濁り具合によるものという理解でザックリ合っているのではないか思いますが、いっぽう私は現在の調性においても、 ハ長調=落ち着いた感じ ニ長調=明るい感じ イ長調=さらに陽気な感じ ヘ長調=のんびりした感じ 変ロ長調=くぐもった感じ 変ト長調=キラキラした感じというような印象を持っています。これなんかは、まさに音の高さによるものなのかも。。。
ピアノを習って平均律の響きしか知らなかったので、調性ごとに性格があるというのが、イマイチわかりませんでした。響きと濁りが違うので、性格も違って聞こえるとは、はじめてストンと腑に落ちました。クラシックは調によって、曲想も似た趣のものがあるのですね!今度、弾くとき確かめてみます。いつも面白いお話ありがとうございます。
平均律の現代にも私にはヘ長調は牧歌的というイメージは何かわかるような気がします。ピアノでの学習だとド/ハ長調から始まるので、ドやハ長調を基準とした各音・各調のイメージがつく(ファ/ヘ長調は(ド/ハ長調に対して)柔らかい、優しいなど)のかなと思っていました。
いつも面白い話をありがとうございます😊「調の性格による違い」の話,ずっと楽しみにしていました!犬が可愛すぎる...👍
9月もありがとうございました!中学生の時に購入したコールユーブンゲン、目次より前のページを見たことが有りませんでした。久しぶりに手に取り、6ページにて見つけました「…~ピアノで一緒に奏してはならない。~…」。もっと最近の練習書だと思っていました。日本においては50年後の大正14年、西暦1925年に発行(初版)、もう来年で100年が経つのですね、歴史を感じました。
どうもありがとうございます😊
いつも、ご指導賜り有り難うございます。感謝。感動有る日々をお送り下さいませ。
調とキャラクターの結びつきは決して自明・自発的なものではなく、当時の音楽家・学者の恣意的な言及によって構築され普及してきたものである、という側面が強い訳ですね。具体的な説明でよく理解できました。
調の性格は純正律で決まったんだろう考えてた時がありましたが、その後純正律では転調できないことを知り、悶々としてました。今日の動画で全てがスッキリしました。ありがとうございました。
1:45 音楽大辞典に載ってるっていうからどんだけ難解な文言が来るかと思いきや意外にも結構しっくりくる概念説明…かも?それにしても気になっていてもどうせわからないまま人生を過ごすだろうと思っていた調について学べるなんてとても幸運でした
弦楽器奏者なら、ピアノだったら同じ音が、シャープ付きの音かフラット付きの音かで違っていることがわかっていると思います。例えば、ソのシャープは、ラのフラットより高く抑えます。シャープは高め、フラットは低めということです。 調性に対する私の個人的感覚は、シャープ系の調は開ける感じで、フラット系の調は平静な落ち着いた感じが、してます。
いつも楽しみに見ています。今回は長い間疑問に思っていたことが、かなりすっきりしました。音楽をやっている人や音大卒の人に訊いても「そんなこと考えたことない」とか、もやもやが残る回答ばかりだったんです。調律については関心を持っていましたが、やはりかなり深い歴史があったのですね。ありがとうございました。
音楽の素人ですが、どうしてもわからなかったことがパッと解けた気がしました。ありがとうございます。
おもしろいです。理論というか方程式というか物理法則というか、この手の話は惹きつけられます。人間同様、欠点(濁り)があるから魅力(キャラクター)が与えられてるとは。知らなかった。
ものすごく良い内容でした! ピタゴラス律で調律したハープで平均律にあった違和感が解決した一方でピタゴラス律スケールの問題を認識したのですが、その次のレベルのお話しでした。
興味深い〜、面白い〜。クラシック音楽がますます楽しめそうです。和音に生じるうなりの現れ方が調のキャラクターだったのですね🤗。
ハ長調とニ長調の違いが判るのは、絶対音感(あるいは共感覚)を持った人だけかと思っていましたが、平均律以前の調律が大きく影響していたのですね。非常に勉強になりました。😮
少し今回のお話の趣旨とは外れますが…調性音楽とは一体何なのでしょうか。本来連続的である音からなぜ離散的な12音が選ばれたのか、その中の白鍵7音がなぜ音階を構成する音として選ばれたのか、黒鍵5音を含む他の音との本質的な違いは何か。7音を使用した様々な音階、数ある教会旋法の中から長音階(イオニア旋法)と短音階(エオリア旋法)の2つが生き残ってきたのはなぜか、他の音階・旋法との本質的な違いは何だったのか…。ピタゴラスから始まる紆余曲折の物語や楽典、いくつか本を読みました。ある音から振動数が1.5倍の音を積み重ねて行って…とのことですが…。ある程度頭で理解できたと思っていても、実感として解ったとは充分感じられないんですね、理屈としては理解できますが…。そう言えば…数ある音楽の中で西洋12音階(調性音楽)が広く流布し一般化されているのは何故なのでしょう。それそのものが持つ、他の音楽にはない何か普遍的な特性があるのか、それとも西洋の世界進出という(音楽とは関係のない)歴史的背景が主な原因だったりするのでしょうか?また、5音からなる音階(ペンタトニック)は、いろんな種類のものが世界中にありますね。ヨナ抜き音階や琉球音階等、日本古来特有の音階でもいくつかあるようです。これにはきっと何かの必然性が…5音の音階には、特有の何らかの秘密がきっとあるんでしょうね、何なのだろう…。いろいろと、興味は尽きません。
中学の頃、音楽の先生が(平均律で調律された)ピアノ上で同じ曲をニ長調とヘ長調でそれぞれ弾いて「ほら、曲の雰囲気が全然違うだろう?」と言い、周りの生徒もみんな「すごい、全然違う!」って言っていたのですが、この動画を見て「あれはなんだったのか」と思いました。ちなみに当時、自分は本当は違いがさっぱり解りませんでしたが、周りがみんなそう言うので一緒になって「やっぱ違うねー」と言っておりました。
😂😂😂❤
作曲されたその背景を考える時、「~的」と言われているのと違う印象の調性の曲も有り、そもそも何故そういったキャラクターに分かれたのだろうかとずっと疑問でした。それぞれの時代の調律方法、地域別の違い等の歴史を経て、修辞学の型、演奏者のため管楽器の演奏しやすさ・弦楽器の開放弦など、作曲家の熟慮が背景に有るのだと改めて、その凄さが身に染みました。例えば「変ホ長調」は「英雄的」、古典派の時代の曲だと納得感が有る曲が多いですが(ホルン奏者の為とかも)、以下ピアノ曲ですが、シューベルトの♪即興曲Op90-2、ロマン派以降の時代になると、ショパンの♪華麗なる大円舞曲や♪アンダンテ・スピアナートに続く華麗なる大ポロネーズ、デュランの♪ワルツ、♪乙女の祈りの様に、柔らかくも明るく煌びやかな曲も有れば、♪ノクターンOp9-2、ビゼーの♪アルルの女「メヌエット」(ピアノ編)など柔らかくしっとり系の曲も有り、近現代になると、ドビュッシーの♪ゴリウォーグのケークウォークの様に楽しい曲など、それぞれに理由が有るのでしょうね。マッテゾンの文章が気になります。また、現在の平均律においては、それぞれの調性に色を感じる方がいらっしゃいますし、それも人それぞれ。私自身、ピアノのイメージで言うと、ハ長調は白、イ短調は紫、♯の曲は原色寄り、♭の曲は少しフィルターのかかった音色、淡い色やパステルカラーに感じ、「変ホ長調」は柔らかで優しい音の印象をずっと持っていましたが、自分が子供の頃に出逢い、慣れ親しんだ上記の中のしっとり系の曲達のせいも有るのかも知れません。
マッテゾンの文章を見つけました。変ホ長調 (E♭): それ自身で感情的なものが多い、そして真剣かつ悲しみ嘆くものしか欲しない [調子であり]、全ての充足感にあたかも敵対的なようでもある調子
知らないことばかりで目から鱗でした。ありがとうございます。
今日のお話を聴いていて思ったことは、バッハのような偉大な音楽家が歴史の中で現れた要因には、彼の天才だけでなくて、彼が生まれ育った時代の影響もあったのだということ。調律の影響もそうだけど、宗教改革によってプロテスタントが生まれていなかったなら、今ぼくたちの知るバッハはちがうバッハになっていたにちがいない。たしか吉田秀和が丸山眞男の座談会の中で、ドイツの音楽は宗教改革以降にすばらしくなったというようなことを言っていた。と、ちょっと音楽通を気取ってみたけれど、ワンちゃんを見てしまったからには、犬のことが気になってしまってどうしようもない。ぼくにとってイヌという動物は、赤ん坊の頃から親友だったから。日本で知り合ったイギリス人が芝犬と散歩していたので、あなたのワンちゃんはJapaneseだねと言ったら、JapaneseじゃなくってEnglishだと彼は言う。その犬はイングランドで生まれた芝犬だからEnglishだというのが彼の考えだったらしい。まじめな顔で言ってたから冗談ではなかったのだと思う。イギリス人はまじめな顔で冗談を言うことがあるけれど。英国で加藤周一がイギリス人の家を訪ねた時、居間で語り合っていたところに一頭の馬が窓からその大きな顔を出してきた。するとそのイギリス人は「ぼくの友だちの〇〇だよ」と言って紹介したという。馬を友だちとして紹介することに加藤周一はきっと驚いたのかもしれないけど、そんなイギリス人に好意をいだいたことも確かだと思う。ぼくの親友のイギリス人も、「あたしにとってイヌという動物は家族である以上に親友なのよ」と言っていた。日本の現状を想うと、欧州の犬たちは幸せだと思う。ウィーンで生まれ育ったオーストリア人が日本に移住して動物保護活動をしているけど、日本という国では犬の自由と権利がまったく無視されていて、ペット産業を自動車産業にたとえるなら、車を売っておきながら道路を走るなというようなことをやっていると彼は言ってる。椎名誠が世界中を旅して気づいたことは、日本以外の国々ではリードに繋がれていない犬をよく見かけるけれど、日本ではどこでもいつも繋がれている。イギリス人ならば off lead として何も問題視しなくていいような場合でさえ、日本人の中には「放し飼い」として警察に通報するような人までいる。さいわい、警察は法律や条例のことを庶民よりはよく理解しているから、ぼくの体験では、「どこからどう見ても事件性のない犬のことで通報しないでほしい」と言って本音をもらしたお巡りさんがいたくらいだけど、C.W.ニコルは日本の田舎で地元の人間や警察に相当にいじめられたらしい。音楽と同じで、犬が本来のイヌらしく育つためにも自由が必要であって、この自由ということが日本人にとっていつも問題になるように思う。日本ではイヌだけでなく、ヒトも眼には見えないリードにいつも繋がれているのかもしれない。もちろん音楽にも規律があるように、自由にも規律が必要なのだけど、犬の自由を認めない日本の現状の中で、社会性の育っていない犬たちがイヌぎらい・ヒトぎらいになっていていろんな問題行動を起こしているのだから、少なくとも人間の教育に関係している人たちであれば、こんなイヌの問題にも関心をもってもらいたいといつも思っている。日本人の事なかれ主義の中で、ヒトだけじゃなくイヌのことでも重大な事が起きてるってことに。大好きな音楽の話にイヌまで加わっちゃうと、ただでさえ長くなる傾向のあるコメントが、さらに長くなってしまう。最後まで読んでくれる人はほとんどいないだろうなと思って書き込んでるのだけど、30年のネット人生を通して世界中で出会って親友と呼べるような人がぼくにも何人かいるので、たったひとりでもそんな親友と出会えることを、いつも願っているのかもしれない。
wを~ゥてmrピrえァてシュてmムng だけ覚えました。ちゃんと鼻先でも「待て」できててお利口。
歴史を交えて解説で、とても勉強になりました。単純に、純正律 対 平均律では無いと言う点、とても興味深かったです。音楽を愛好していますが、音楽を勉強してるわけではありません。今回のビデオで今まで本を読んでわからなかった点が解消しました。
Wohltemperierteが調号ごとのキャラクターを決める大きな要因…なるほど!つまり、少なくとも世間様でよく言われるように「絶対音感があればわかるのに」という話ではない、と。納得‼️💡確かに、 18:47 からの実際の和音の響きを聴けば、絶対音感とはほぼ無縁な私でもはっきりと「キャラクターの違い」≒度数ごとの音程幅の違いは聴き取れます!
24:30 〜のマッテゾンの説明が、そこまでの科学的な話と違って「情緒に訴えるわかりやすさ」があったから独り歩きしてしまっているところもあるんだな、と納得です❣️
調のキャラクターを上手く出すような歌い方を知りたいです。また歌い手さんによって持って生まれた調が違う(金管楽器っぽい声、プラチナ色の声 など)というのがあるのも気になります。是非 有名な歌手を例に取り上げて頂きたいです😊
平均律でも、ギターやヴァイオリンなどの弦楽器をしている人だとキーが変わると押さえる部分が違ってくるのは知っていると思います。弦の長さが変わってこもった音になるので、和声というよりも音色的にキャラが変わりますね。管楽器でも演奏しやすいキーとやたら難しいキーがあり、曲想に影響してくると思います。もっとも、そうした楽器の開放音の選び方も、バロック時代に想定された調のキャラクターに対応させて設定されているんでしょうから、その名残りという言い方もできるかもしれませんね。
すげー興味深い。調によるキャラクターの概念、深い。深すぎる。今の時代、「純正律こそが正しい音楽だ」という主張は、素人をだますレトリックですね。
ワンちゃんが愛らしい❤お母さんコーラスを20年近くやってましたが、こんなに難しい深淵な歴史や文化の産物だったのですね🎵ど素人でただただ楽譜にかじりついて皆さんの足手まといにならない様にと音程やリズムを外さない事ばかり.....幼稚な団員に終始して残念ながら人生も終盤です。でも繰り返し拝聴してみたいですね🎉人生が二度あれば....😢
素晴らしい解説ありがとうございます。ものすごく勉強になりました。私は金管楽器で育って来ましたので純正律とか平均律を感覚的に知っていました。金管楽器はほぼフラット系の楽器なので吹奏楽、ブラスバンドの曲はフラット系が多いですし、シャープ系は苦手は不得手だと、まあ楽器の倍音からも納得出来ることかと…ものすごくスッキリしました
ありがとうございました。勉強になることがたくさんありました。でも、私には平均律で調律されたピアノで同じ曲を調を変え演奏すると違う印象に聞こえます。因みに家のピアノは数年前に調律を変え、ベルクマイスターで調律されています。とても新鮮な和音の響きを感じます。
それは素晴らしい‼︎現代のピアノでも、ヴェルクマイスターの調律は可能なのですね😮是非、聴いてみたいし弾いてみたい。私は諸事情で何年も前にピアノを手放してしまいましたが😢ピアノは私の永遠の憧れ✨です。
これは!とても興味深い話でした!難解な図や説明もなく物語のような形で、調による音のキャラクターという概念がとても理解しやすかったです。どこかの動画で元音大生が、CDの音源か何かの調をデジタル的に移調し、それを聞かせて「壮大なイメージになりました」というような説明をしてましたが、私には単に音の高さが変わっただけとの認識でした。そのようなこともあり、目からうろこが落ちるようでした。
そうだったのか!「絶対音感のある人は(平均律でも)違いが分かるんだろうな」ぐらいに思ってましたものすごく大事なことなのに、なんで今まで知らなかったんだろう!?
貴重な話をありがとうございました。音楽素人で目から鱗です。個人的には調の性格が音にでる昔の調律法が理にかなっているように思えます。今聞いている音楽を昔の調律法で演奏されたもので聴くともっと深い理解が出来るのではと。何故調の性格が無くなるような平均律になってしまったのでしょうか?
曲によってはドンピシャリはまるかもしれないけど、基本的にメリットよりデメリットの方がはるかに多い、例えば作曲の自由度が落ちる、調律をいちいち変えて演奏するのは現実的ではないとかが理由かと思います。
いつも深いお話、ありがとうございます♪日本を離れて長いので、Major, minorの方に慣れてしまいました…こちら🇺🇸は♭が付く調の曲が多く、初めの頃は大変だった記憶があります。(今は慣れました)それにしても、可愛いワンちゃんですね。癒されます。
アメリカ🇺🇸からのメッセージなのですね‼︎ こんにちは🤗🇯🇵私の中でアメリカの音楽のイメージは、金管楽器が大活躍するブラスバンドやデキシーランド・ジャズ。今回、このコメント欄で金管楽器奏者の方々が「金管楽器はフラット系の楽器」と仰っているので、それもあってアメリカでは♭の付く曲が多いのでしょうか?私自身はピアノの平均律の世界しか知らないので、他の楽器奏者の方々のお話は興味深く、大変勉強になります🎻🥁🎺アメリカ🇺🇸での暮らし、素敵ですね!
長年の謎が解けました!ありがとうございます!
非常にわかりやすい解説でした
まじすか、だいぶ驚き。かつて友人が調の違いは音程だけじゃないよね?と言ってきて、何いってんの?と突っ込んだけど、もしかして彼女のピアノは調律が違ってたとか!?
三たび、本当に申し訳ありません。非常に非常に長いですが…音楽に関する、最も根本的だと私が考える疑問なので、どうぞお許しを…。音楽、それに人間の感覚…考えてみれば、とても不思議ですね…。音楽の本質とは何か。また、音楽が人間に与える感覚の本質とは、一体何なのか。これは、音楽や芸術に関する、最も根本的な疑問なのだと私は思います。とても、とても不思議ですよね…。深く、深く突き詰めていきたい…。具体的に言えば、例えば…一般的に、長調は明るく嬉しい、短調は暗く悲しい音楽だと言われ「真実」であるように思われていますし、私もそのように感じることが多いのは確かです。でも、それはどこまで本当に「真実」なのでしょうか。ひょっとして、思い込みということはないのでしょうか。また、その「真実」はどのような性質を持つものなのでしょうか。人間が先天的に有している本能による感覚なのか、あるいは意識・記憶が芽生える前に周囲の音や音楽、それに接する周りの人間の反応といった環境に知らずと影響され後天的に持つに至った感覚なのか。言い替えると例えば、全く異なる文化圏では全く逆の印象(例えば一般的に長調を悲しいと感じるような)を一般的に持たれるようなことが、(実例の有無にかかわらず)原理的にあり得るのか否か。そもそも、先天的なものであるにせよ、後天的なものであるにせよ、人間は現に、なぜ長調に明るさや嬉しさを、短調に暗さや悲しさを感じるのか。他に例えば…振動数が単純な2音は、なぜ人間の耳に調和して聴こえるのか。ドと1オクターブ上のド、ドとソ、他にも…。逆現象としての不協和音についても。2音の波長の振動数やそれらの比、またそれらが重なる時に生じるうなり等の物理現象、さらには大脳生理学等も交え説明されることは多いですが、そうではなく、なぜ人間の耳には「調和」として「感じる」のか…。きっと、突き詰めると人間の持つ本能に由来し、説明し切れないものなのでしょうね…。例えば、ある波長の光をなぜ赤🔴でなく緑🟢と人間は認識するのか(緑🟢の振動数(波長の裏返し)は○○Hzだから、という話ではなく、なぜ○○Hzを人間は緑🟢と「感じる」のか。違った認識を持つ、例えば同じ○○Hzに赤🔴や青🔵を感じる動物がいるかもしれない。 色を感じず替わりに熱🔥を感じる動物もいるかも。 動物によっては色🌈も熱🔥も感じず例えば痛み💥を感じたりして?! それはさすがにないか、真っ暗でない限り痛みを感じない時がなくなってしまう?! 深海など、光のない世界に生息する動物ならあり得るか? でもきっと眼そのものがない又は退化しているか…。…話を戻して、そんな中、人間が緑🟢と認識する理由、必然性は何なのか。)、ある化学物質になぜ苦みでなく甘みを感じるのか(体にとっていいからというのなら苦みでないのは受け入れるとして、なぜ旨味ではなく甘みであるのか、そうである理由、必然性は何か…。)、などというのと、きっと同じなのでしょうね…。究極的には音楽に限らず…人間の感覚、五感の本質とは、一体全体何なのだ…?
車田様いつも、興味深いお話ありがとうございます。ピアノ好きの者です。和声、調性について、理解できず疑問に感じていました。理解できていないが耳で感じている部分はあるのでしょうが。いっそ音楽大学の講義を聴講したいと考えていました。平均律で演奏される、調性が持つキャラクタにについて、疑問があります。正しく理解できているか心配で恐縮ですが、どうか、追加の講義をお願いできれば幸せです。
さすが、とてもいい声ですね。解説動画じゃないから仕方ないのかもしれないけれど、基礎知識がない人間だと全然理解できませんでした😅数式にすれば全部わかるんですけど、数学が苦手で数式の意味が理解できないと言ってる人はこんな感覚なんだろうなと初めて理解できないという意味が理解できた気がします。
『平均律クラヴィーア曲集』が平均律でなかったとは! これは曲名を変更すべき、と思いましたが、実際に現在演奏される時は平均律で調律されたピアノなので変更しなくてもいいのかな??? ピアノ=平均律だという思い込みからベートーヴェンも平均律で作曲してたとイメージしてた素人にとってはとても有意義なお話でした。
独住現役のオケ弾きです。今まで疑問に思っていたことを音の例もまじえて説明してくださって、わかりやすくてすっごくためになりました、ありがとうございました‼️🤩✨しかもお声も素晴らしくて聞いていて心地よかったです。ただひとつ疑問が…ブラームスの例えばピアノ曲や歌曲はwohltemperierte Stimmung での作曲演奏だったとしても、たとえばオケ曲は、純正調で当時も演奏されていたのではないかと…オケの中では歪みを感じると違和感があり無意識に純正調に修正して演奏してしまうと思うんですがどうなのかなと…ふと疑問に思いました⭐︎
音楽好きなど素人には、昔から疑問でした。ありがとうございます♪完全な理解を求めると頭が痛くなりそうですが、現実にヒトの耳と脳の性格からなのか、とりあえずホモサピエンスには共通な調和や不協和があると理解します。むかし学校の音楽の歌のテストでオルガンに合わせて声の音程取りしたけど、プロではあかんのですねー。
ホントにとても面白いです。有難う🎵❤😊
どうして24も違う調があるのかと思っていましたが、そうかそういうことだったのか!という気持ちですそれにしても、ピアノだけとかオルガンだけならわかりやすいですが、異なる複数の楽器の演奏を聴いて音の濁りを聴き取ってキャラづけするって、相当耳澄ましていないとわからないですよね
あー!わんちゃんだー!☺️
変ホ長調の曲はものすごく落ち着いた沈んだ感じがするな〜と思う時があります。
なんか内容とそこまで関係ない自分の言いたいこと語ってるコメントと、微妙に動画内容誤解してるコメントが結構あって少しいたたまれない気持ちになった。
一般聴衆は絶対音感を持たない人が多いのに「調性によって性格が異なる」ことが分かるのか?ということが長年の疑問だった。この動画を見て、私の回答を書こうとしたが やっぱり理解不十分で書けない。質問自体が間違っているのかも・・・何回この動画を見ても理解が進むように思えない。残念!理解しないまま生涯を終えそうだ。
なるほど!調律上、音と音の間に生まれる濁りや歪みを生かして調性の特徴としていたとは!ずっと疑問に思っていたことですので、教えてくださいまして本当にありがとうございます。ところで先生に質問なのですが、日本ではイタリア音名ドレミでピアノの声部を歌って覚えますが、ドイツでは楽譜を歌う時もドイツ語音名で歌っているのでしょうか?ピアノの先生から「ドレミでは♯や♭の区別がつかないがドイツ語音名で歌って覚えた方が良い」と言われたのですが、ドイツ語音名で歌っている動画を見たことがありません。
ベートーヴェンの曲の調性のお話、なるほどですね。調律の方法が、全ての調を綺麗に響かせるようになりましたね。ヴェルクマイスター、により、各調の和音が、綺麗に聴こえますね。国によっても、チューニングする時のヘルツが違いますね。曲の中でも、いろいろ調性が変わってくるから、面白みが増しますね。私は小学校の時に合唱部で、コールユーブンゲンで、練習をしましたが、やはり、声楽の勉強には、必要ですね。柴犬ちゃん、大きくなりましたね。
ヴェルクマイスター等により各調の和音が「違って」聴こえる(平均律だとどの調も同じに聞こえる)曲の中での調性の変化は、平均律で調律した場合より、ヴェルクマイスター等で調律した場合のほうが、曲調の変化が大きくなる
嬰ハ長調と変ニ長調、ピアノの鍵盤ではどちらも同じ音階になりますが、感覚として嬰ハ長調のほうが微妙に高音で変ニ長調のほうが微妙に低音な感覚を持ってしまっています。今回のテーマを視聴して、なぜその感覚なのだろう?と久しぶりに考えてみましたが結論は出ませんでした。同じような感覚をお持ちの方いらっしゃるでしょうか?
大学時代、音楽学の試験で「嬰ハ長調と変ニ長調ではどちらの音程が高いか述べなさい」みたいな問題があったのを思い出しました!
主にピアノ曲になりますが、ハ長調は白、♯の曲は元気なクリアなイメージで原色、♭の曲は少しフィルターがかかった様な柔らかな淡い色やパステルカラーのイメージで聴いていました。(全て当てはまる訳ではないのですが。)♯は調号が1つずつ増える毎に主音が5度ずつ上がり、♭は調号が増える毎に主音が5度ずつ下がり、♭1つのへ長調はまだクリアなイメージなのですが、♭2つの変ロ長調からは主音自体に♭が付く(半音下がる)、その上がる・下がるの感覚が関係有るのかなぁ~、と考えたことが有ります。楽譜を観て、♯と♭を同時に眼にする時、その高さの違いの感覚になることが有ります。嬰ハはドを半音上げた音だから、変二はレを半音下げた音だからなのかなぁ~、同じ音なのに不思議です😊
@@Satox_-wb3rd様へ 答えがわからないので、とっても気になります😊
決して揶揄して言っている訳ではありませんが、それって単なる気の所為ではありませんか?同じに調律されたピアノで演奏されたものならば嬰ハ調と変二調はまったく同じに聴こえないとおかしいですよ。
よく分かります😊 私が思うに「嬰」「変」、この言葉の意味からの連想なのでは?「半音上がる」「半音下がる」、こういった言葉の理解から来る、脳の錯覚?冷静に考えてみれば、嬰ハと変ニは同じ音に聞こえなければ、可笑しいですよね😅人間の感性とは、不思議なものですね。一方、私達は、客観的事実を主観的に捉える危険性を孕んでいる。疑似科学が跋扈するのは、それが原因だと思います。以前、このチャンネルで大いに盛り上がった「純正律」に対しても、ある種の信仰のような誤解が蔓延しているのも、一つの例だと思います。私達は、ロマンチストであると同時に、リアリストでなければいけません。
大変貴重な講義でした。調性の謎に触れた思いです。ありがとうございます。平均律で調律されたピアノで、さまざまな調性で書かれた音楽を聴くとき、調性によるキャラクターの違いは無い。ただ主音の音の高さは違う。ことになるのでしょうか。主音の音の高さでも、調性上のキャラクタは違って聴こえそうですが。実際の曲では、さまざまなメロディー、リズム、和音が使われるので多彩な曲調が生まれているが、調性自身が持つキャラクタは無い。のでしょうか。
音楽知識のない私のような素人にとって、もっとややこしいのが「転調」と「移調」の違いです😅何度か説明を聞いた事があるのですが、未だに覚えられません😅
転調の転は起承転結の転、でいけると思います。転調は曲の途中から(楽譜があればその指示に従って)調を変えること。移調は曲全体の調を他の調に変えること。
いや最も単純な話だと思います、「転調」は楽曲の中身に関するものであり、途中で調が変えられているときに言います。「移調」は演奏上の都合などで曲全体の高さを変える場合です。
とても面白かったです。絶対音感より相対音感の方が有益と言われますが、その相対音感がヴェルクマイスターに基づいていたら、、とか思いました。
光が色として区別できるように、絶対音感を持っている人は音を色のようなものとして区別できるので、ハ長調とニ長調とを別のものと感じるのかと思っていました。調律が原因だったのですね。ということは、ピアノやチェンバロが入らない管弦楽とか吹奏楽とかはどうなるのでしょう?
すごく面白い。ありがとうございます。わたしにとって、倍速にしない希少な動画です。
へ短調の話をさせて下さい。マッテゾン(1681〜1764)によるとへ短調は温和で冷静であるが、それと同時に、深く、重々しく、何かしら絶望に関係する、死ぬほどの心の底からの不安をも表すように思われる。また、この調は並外れて人の心を打つ。短調は真っ暗で救いのない憂鬱を見事に表現し、また、時には聴き手に恐怖、あるいは戦慄を引き起こす。実は、ちょうど1週間前に、私の「推し」のリュート奏者から新着配信があり、へ短調の曲と共に、このマッテゾンの解説が掲載されていました。正に、目から鱗、そして今回の車田先生の解説は、私にとって本当にタイムリーでした。「へ短調は"絶望"の調性」と云うことですが、へ短調の曲といって私が先ず思い浮かぶのは、ショパンのバラード第4番。確かに、この曲を聴くと、これ程の絶望が他にあるのか⁉︎ 最後、ショパンにド〜ン!と突き放されたような気持ちに、私は必ずなるのです。ショパンも、マッテゾンの調性の勉強をしていて、へ短調でこの曲を作ったのは、やはり「絶望」を表す為だったのでしょうか?ショパンが、どのようなピアノを弾いていたのか、私はよく知らないのですが、平均律ではない調律のピアノであったら、その絶望感は、現代の演奏以上の迫力があったのでしょうね。長文、失礼しました。でも、そのリュート奏者とのやり取りで、この一週間ずっと考えていたことなので、どうしても文章化したかったので、こちらにコメントさせていただきました😊
ヘ短調、なかなか強烈な文章ですね💦ヴィヴァルディ(1678~)の四季「冬」、マッテゾンと同世代、ん~…引っ掛からないかもですが💦ベートーベンの「熱情」、チャイコフスキー交響曲第4番もこの文章にピッタリかもです😲
@@ぴあのと珈琲.n3c様ベートーヴェンの『熱情』、へ短調だったのですね😮 実は、この曲を演奏するポリーニの動画を時々視聴するのですが、調性を考えたことはありませんでした。今回の解説をふまえて改めてこの曲について考えてみると、ベートーヴェンは激しい怒りと共に、深い絶望の感情を、最大限に表現しようとしたのでしょうね。実は、このポリーニの『熱情』の動画を視聴するようになったのは、車田先生の『熱情』の解説がキッカケです(犬さん初登場の回)そして、リュートの演奏動画を視聴するようになったのは『古楽器』の解説がキッカケです。私の音楽の学びは、全て車田先生のチャンネルからスタートしてます😊🎵お返事ありがとうございます😊貴女の「変ホ長調」についてのコメント、興味深く拝読しました。調性にキャラクターがある!なんて、本当に面白いですね。マッテゾンが、24調それぞれに、どんなキャラクター付けをしているのか、気になるところです😊
いつもありがとうございます🤗本当に。大袈裟ではなく、車田さんの動画はクラシック音楽を通して、同時に色々な方面の事を学んでいる所が魅力だなぁと思っています。私はホロヴィッツ、バックハウス、メジューエワさんの演奏で聴いていますが、誰の演奏にしろ、今回の動画の後に「熱情」を聴くと、より一歩ベートーベンの内面と音楽に近づけた気がしました。ポリーニも聴いてみますね🎵昨日からずっと、時間見つけてはマッテゾン、シャルパンティエ、加えてシューバルトの調性の言葉を求めてネットで探しているのですが、なかなか確かなものにたどり着けずにいます。たまたま私が見つけたのは、20代後半のBloggerさん(横野さんという方)のものでした。訳する言葉に対して、丁寧な文章でした。(変ホ長調はその引用でした。)また、目次を見ると、調性について書かれているのかなぁと予想出来る(読んでみないと解らないですが💦)、マッテゾンの1713年の「新しく開かれたオーケストラ」全訳と解説という書籍を翻訳したものが2022年に出版されていたようで(4000円代)、それを見つけた所で、私の動きは留まっています😅キャラクターの文章を知っても別に鵜呑みにする訳ではなく、古楽器を演奏している方々がこの様な事も参考にし、当時の音を再現しようと熟慮しながら演奏されているのだなぁという、その理解の寄り添いになる気がして。そういう意味で、知りたいなと思い…。信者になってはいけないですもんね😊にしても、そのリュート奏者さん、演奏プラス文章も添えてくださって、ご丁寧な方ですね👍️
エチュード「革命」「大洋」、ソナタ「悲愴」、超絶技巧練習曲「狩」、などですね😊作曲家に聴いてみなければ意図は確定出来ないですが、コメント主さんの仰る様に、作曲家自身の演奏、おそらく現代の演奏以上の迫力を感じ取って聴いていたであろう当時の聴衆の方々が羨ましいですね。作曲家それぞれが使用していたピアノも歴史が有り、当時の調律法でのピアノで作曲されたのだという事を、今後鑑賞する時に想い出したいと思います。
@@kazuo0523様ベートーヴェンの交響曲『運命』もハ短調ですね!新たな知識を得ることが出来ました。ありがとうございます😊
古楽器での演奏が何か趣が違う(悪い意味ではありません)と感じるのはこの部分もあるのだなーと納得しました。今回のテーマとは少し異なりますが、ラの音を432Hzで調律したピアノやギターにおける演奏などを聴くと、私には何かおとなしい感じ・リラックスする感じ・ギターではどの曲もハワイアンのような感じ・長く聞いていると眠たくなるような感覚になります。もちろん先入観ということもあるのでしょうが、そう感じてしまいます。
コールユーブンゲンは合唱のため、しかもピアノを使わずに!そこを強調したいです〜
ハイドンの弦楽四重奏曲は沢山ありますが、主音が開放弦にならない変ホ長調のものが1番多かったりします英雄的なものが好まれたからでしょうかね…?
ヴェルクマイスターで調律したピアノで平均律クラビア弾いてみたいです。なかなか違いわからないかもですが。
コーリューブンゲン、高校の時、音楽の時間に勉強しました。数十年前のものですが、当時の音楽の先生は芸大のピアノ科を出ておられた先生でした。音大受験校ではなかったので、私はその時間、よく、数学の内職をしていました。当時の楽譜がまだありますが、数学の時間に習った数式などが、楽譜の下の方にメモ書きしてあります。
訂正。コーリユーブンゲンではなく、コンコーネでした。数式だけではなく、化学式やら、はては、あみだくじまで、いろいろ書き込みがあります。
コンコーネ、懐かしやぁ~😆、あみだくじもよくやりました🎵理数系だったのですね凄い…私は数学嫌いだったので、スラスラ解ける人がとっても羨ましかったです。我が家の物は、コールユーブンゲンと併せて10年程使ってるので年季入ってます💦16番が一番好きでした❤移動ドで覚えたので、「ソミソ~ラシドレ~シソ~…♪」1番から歌い出すと、自然に2番、3番…とノンストップで最後まで歌える程、当時のヒット曲を憶えているものだよなぁ~と言うのと同様に、頭に染み付いてます。
@@ぴあのと珈琲.n3c 理数系に行きたかったのですが、実は文系です。理数系では出席日数が足りず、高校3年を2回やっています。1回目は理数にしたのですが、2回目の3年は文系で、その方が、楽で、なんとか出席日数稼いで卒業しました。
固定ドより移動ドの方がいい理由はここら辺にあるのかも!と思いました。昔の人は相対音感はあっても絶対音感は持っていなかったかも。。地域や時代によって異なる基準音の高さはどうやって決めていたんだろう??と疑問に思っていましたが、教会の鐘の音の高さ説を聞いて、なるほど〜と思いました。柴ちゃん、かわいいですね〜フード食べるようになったでしょうか。。ウチの🐕も成犬になってから途端に食いつきが悪くなり、今はふりかけをトッピングしてます😊
パガニーニ超絶技巧練習曲のラ・カンパネラは♭が7つついていてパガニーニ大練習のラ・カンパネラと調は違いますが弾く音は同じです。
ギターをチューニングしていると平均律は妥協だなあ、というのはよく思いますね使うコードやポジションによっては、チューナーで開放弦をEBGADEにきっかり合わせるよりもしっくりくるチューニングがある・・・・・・ということは多くのギター弾きがなんとなく感じていることだと思います
残念ながら、私には理解できませんでした。私は、音楽を聴いて感動したり、楽しんだり、自分の感覚で感じればいいと思っています。 一方で、音楽を聴くだけの人々の耳はどうなってるでしょうか? 鼓膜の張りは全人類同じなんでしょうか?若干の個性はあると思いますので、同じ音を聞いても感じ方は違うかもしれません。 なので、私は音楽を聴く者として耳を澄ませて行きたいと思います。柴犬可愛いですね、もう7.7キロですか? 成長が早いですね。 うちの猫達も、子猫の可愛さは半年で終って、1年もすれば成猫でした。猫の年齢を人間に換算すると、1年で20歳、2年目からは1年で4歳分増えていくらしいですね。 いつも楽しい動画ありがとうございます。
Wohltemperierteやミーントーンといった予備知識があったのでよくわかりました。Baroque調律の一例をオルガンのうなりがわかりやすい音源で聴けたのでよかったです。しかし合唱やオーケストラのひとたちがWohltemperierteで本当に「演奏」できたのかは疑問が湧きました。そこは通奏低音のオルガンまたはチェンバロが、微細な音程の実は超重要リーダーで、鍵盤楽器なしだと不可能に近かったのではないでしょうか。
調によるキャラクターの違いは ピアノに慣れた人が持つ病気だと思っていました私は管楽器なので 楽器の調性による雰囲気の違いは その作られた国の文化や使用目的の影響が大きいと思っています声楽はどうなんでしょうか
調の使い分けについて長年の疑問でしたが謎が解けた気がします。的外れの理解で馬鹿馬鹿しい疑問だったらスミマセン。ヴェルクマイスター調律による調の個性を再現するとして、1音ずつ調律できるピアノや連続的に音程を変えられる弦楽器や管楽器なら可能だが、ギターのようにフレットで音程が決まる楽器では不可能という理解でいいですか?それとも、名人の域にあるギター奏者はチョーキング的な技術で雰囲気を合わせようとしているものでしょうか?
同じ曲を移調して弾いてみると、調による曲想の微妙な差を感じることができますね。調により微妙に、より好ましい曲の展開変わります。
動画で説明されているように、平均律で調律してしまうとその差が出ないのです平均律の場合、移調しても基準音のピッチを変化させれば元と同じになるから
やっとまともな説明があった🎉 平均律でも違う、という人が多くて困る😂
バッハが実際にどのような調律方法を採用していたのか興味があります。バッハは自分でチェンバロを調律していて、そんなに時間がかからなかったという記録が残っていることから、調律が難しい調律方法ではなかったと考えられます。古いオルガンやそれに関する文献を調べてどんな調律方法だったかを推測することはできないのでしょうか?
2通目…理屈っぽく、また非常に長くなりすみません…。音楽理論は、数学理論や物理法則のような客観的なものではなく、ある地域、ある時期までの従来の音楽に見られる傾向・特性を後付けでまとめ体系化したものに過ぎない、理論とは言えない理論であるという印象を私は持っています。どちらかというとノウハウ集のような感じでしょうか?数字理論ではその論理体系にそぐわないものが、物理法則では実際に観測される現象を説明できないものが、それぞれ誤りとして排除され、また、それは基本的に全世界共通のものとされています(物理法則では例えば、一般に日常的な感覚からかけ離れた現象を説明する相対性理論や量子力学が確固たる地位を占めるに至った一方、それらに反する部分もありながら、身近な現象を説明できる古典物理学も排除されず、今だに有効であるという一面もあります。「実際に観測される現象」の捉え方次第ということなのでしょう。逆に、ある時代で正しいと思われていたものでも、後年誤りだと判定されることもあります。それは、後年から振り返れば、過去の認識が単に誤りだったということであり、後年において排除されてしまう(物理学史には残るでしょうが。)。例え当時は正しいと確信されていたものであっても…。)。一方の音楽理論では、本質的に間違いというものはないのだ、と私は考えます(「間違いなので排除するんだ!」、という主張をする人物は、いつどこにでも存在するのでしょうが…。)。数字や物理との違いは、音楽は、理論体系や自然現象ではなく、心の内から湧き上がってきた人間の感性感覚から産まれ、拠り所であるということ。湧き上がってきたものやその表現方法には、自らの心に正直である限り、誤りというものが本質的に、ない。実際に、あるジャンルや時代の音楽で使われていなかったり禁止されているような技法で、他のジャンルや時代では普通に使用されているようなことがあります。そのような意味で、全世界、過去の全時代に視野を広げると、音楽ってもっと自由なものでいいのだと、私は思うのです(過去どの時代やジャンルでもまだ採用されていない音楽技法も、もしかしたらまだあるかもしれない。ただそれは、絶対的に禁止されているのではなく、ただ使われなかっただけ(その時々場所で禁止されていたことはあったかもしれませんが。)のこと。今だ人類未発見で見出されていないからなのか、単にいつどこでも受け入れられなかっただけなのかは分かりませんが。)。そのようなこともあり、新たな音楽が出現しそれが広がっていくと、(物理法則とは違う意味で)音楽理論にも追加されたりする。それ以前にあった他の理論が排除されることもなく(廃れてしまって過去の理論が忘れられてしまい、教本からも消されてしまうことはあるでしょうが…。)。モノフォニーしかなかった時代に導入されたポリフォニー音楽とその後のホモフォニー音楽、今回少し話題となったピタゴラス音律や純正律の時代に現れた平均律、長単調の調性音楽の爛熟期に現れた無調や十二音技法や微分音階などの現代音楽などは、まさにその一例(厳密性に欠ける記述ですが。)。その後、それらも既存の理論に追加される。仮に仮に…荒唐無稽すぎる仮定ですが…例えばルネサンス時代に十二音技法を発見した人がいたとして、しかもそれがある程度広がるようなことがあったとしたら…もしかしたら当時の音楽理論に何かしら加わっていたかもしれず、当時においても今から振り返っても、決してそれは誤りとは言えないのではないでしょうか(実際にそのようなことがあれば、「そんな音楽は誤りだ!」と主張し受け入れない人が、当時きっとたくさん出現したとは思いますが…。)。ルネサンスでの十二音技法、仮に実際あったとすれば、当時決して受け入れられなかったかもしれませんが、今から振り返り、想像はしにくいですが、決して間違いだとは言えないですよね?!日本古来の音楽理論やインドネシアのガムラン、アラブの音楽などの理論も立派な音楽理論でしょうが、西洋音楽理論の体系外ですね。平均律に調律されたピアノの音を聴いて、アフリカの音楽家が「音痴だ!」と言ったというエピソードもあるようです。聴いてきた音楽の性質に理論体系が違うと、そういうことになる。でも本来、どれが正しく、どれが誤りであるというわけではないですよね。今後これら全てが一体化していき、遠い将来、西洋音楽理論書にそれが普通に掲載されるような日が、もしかしたら…もしかしたら、来るかもしれませんね…(さすがにないか。)。いろいろと、興味は尽きません。
単純に聞きなれているからの違和感かもしれませんが、モーツァルトの40番交響曲をハ短調や、ベートーベンの運命交響曲をト短調など移調して聴いてみると、微妙な透明感、重厚さなど作曲家がその調を選択した感覚を少し感じとれるような気がします。
私はティンパニをやっていましたが、この楽器は調によって鳴らす音の印象が大きく違います。ヘ調(F)の場合、主音はいちばん大きな太鼓を使うドスンという重い音か、いちばん小さい太鼓の甲高い音のどちらかを選ぶことになり、どちらを使うかで曲のキャラクターは大きく変わります。ベートーヴェンやチャイコフスキーは曲の印象に合わせてそれを巧みに使いわけましたね。
使う楽器によっても調によるキャラクターが違ってきますね。
自分は合唱を永らくやってきた素人です。なぜ「ニ長調が荘厳」な調なのか、平均律ではハ長調と何が違うんだ?とずっと思っていました。長年の疑問が氷解した気持ちです。ありがとうございます。
本当に興味深いお話をありがとうございます!
僕は理系なのでこういう物理系の話が大好物です笑
僕も車田先生と同じで学生の頃は吹奏楽部でトランペットやってました。
B管しか経験はありませんが、音色や音の出やすさはバルブによって多少違っていましたので(特に3番管)、C管で同じ曲を演奏すると違う「キャラクター」が感じられるのかもしれませんね。
まあ、僕の耳ではその違いは感じられないと思いますが笑
現在は単なる趣味でピアノを弾いていて、練習にリトルピシュナを使っています。
1小節(または数小節)ごとに半音ずつ同じ音型で上がっていき、1曲で12の調をやるように設計されていますが、やはりキャラクターの違いは僕の耳では全く感じられません。
ただ「高くなってってるな~」としか感じません笑
柴犬可愛い😊😊😊
今回のお話、大変ためになりました🎶🎶🎶
また見直して観たいと思います😊😊😊
めちゃくちゃ面白かった。
歌とかラッパみたいに振動を身体が直で感じる楽器をやっていると、キーの違いによって音色(ねいろ)が変化して、音楽の雰囲気が変わるってことは実感してるから、そういう話なのかな…と思ったが見事に裏切られた。素晴らしいです。
20:54 地域によって違う高さを基準に調律されてたってことは、バロック時代は徒歩や馬でやっとの思いで違う国や地域に行くと、全く違う雰囲気の音楽が演奏されて「この地域ではこんな音が流れてるんだ!スッゲー!!異国情緒半端ねえ!!」っておもったミュージシャンもたくさんいたんだろうなと思うと、ロマンがありますね。
興味深いお話を感謝します。
私は作曲をする時に、何調にするか?を頭で考えるのではなく
パッとメロディーを思いついた時の調を、そのまま楽譜に採譜して書きます。
残念ながら私は絶対音感がないので、頭の中ではそれが何調かわからず、後からピアノの所へ行って音を探ってみて、
「あ、ロ長調か、面倒くさい調だなw」
とか、そんな感じです。
それを自分が楽譜に書きやすいようにハ長調に変えて弾いてしまうと、やっぱりなんかイメージが違う変な感じがしたりします。
その曲想の続きを思いうかべられず、いつのまにか消えてしまったりします。
最初の調のままだと、どんどん曲の最後まで仕上がります。
不思議なんですが。
生き物?みたいな。。
一般的に作曲家が曲の調を決める時に、どういう基準で決定して書き始めるのか、最初に思いついた調とは関係なく、いろいろ考えて決めていくのか、
興味がありますね。
絶対音感も大切ですが、そういった枠に収まらない、素晴らしい感受性を持っていらっしゃるのですね。きっと素敵な曲をたくさん作ってこられたのでしょう。「音」に対して、繊細そして鋭い、優れた感性だと思います😊🎵
私も時々作曲をやりますが、最初に思いついた調性にはこだわりたいです。因みに絶対音感あります。
実際に作曲をされている方の考え方を教えて頂き、大変興味深いです。つまり最初に思い付いたメロディーを口づさんで音の高さがどの調に相当するかということでしょうか?なるほど!私は作曲しませんがカラオケとか行ってもキーを変えると違和感ありますからね。作曲が大体終わって実際に自分で演奏してみて演奏のしやすさも考慮して調を多少妥協して変更することはありますか?
頭に浮かぶのはその人の声の範囲
自分も全く同感で、コメント読んでいて嬉しい気持ちになりました。絶対音感もないので、浮かんだ調を確認して「ゲッ」というところまですごく同感でした。
クラッシック音楽が調によって音楽の雰囲気が変わるとされてきたのは、ブラームスの頃まで平均律ではなくWohltemperierte Stimmungという調律を使っていたからなのですね。
みなさんコメントされてらっしゃいますが、長年の疑問が氷解しました。大切なことは教えてくれないのですね😢
名曲の数々をぜひ当時の音律で聞いてみたいものです。
調(キー)に関するお話ありがとうございました。調のキャラクターは『色』で表されることもありさらに楽器によっても得意な『調』もありますね。長調 短調が出来るまでは“教会旋法”というのがあってそこから時を経て今に至っていますがいずれ『教会旋法』についても取り上げてくださると思いますのでその回の時も宜しくお願いいたします
ありがとうございます。中学からギターを弾いていますが、構造的に平均律しか出来ない楽器なので調はフレットの平行移動としか理解してませんでした。バンドの演奏時にホールにある生ピアノに合わせますが、Aが440Hzではなく、442Hzなど少し高めに設定されていることが多かったですが、438Hzに設定されているとCメジャーも何となく悲しい響きに感じました。チューニング、調律は深いですね!
分かりやすい解説ありがとうございます。
ずっと「時代や文化の違いからくる理解の難しさ」だと思ってましたが、調律も異なっていたのですね。ついでに昔に持っていた鍵盤にミーントーンとヴェルクマイスターのスイッチがありましたが、その意味も30年越しに回収できてすっきりしました。
と、とんでもない話だぞこれは…
この動画に出会えてよかった…
長年の疑問が解決しました。分かりやすくて納得しました。
当時のアプローチや感性、先人の試行錯誤が想像できるようになりました。
それでも平均律が優勢になったのは、機能和声のカデンツ(緊張から解放の概念)が平均律以外では解消しきれないとか、ソナタ形式の転調が別物になりすぎてしまうとか、いろんな理由があったからだと思います。先人たちの葛藤の歴史が面白いと思います。
今回のお話も、音楽理論については、まるで素人の私には大変興味深くためになるお話でした。
マッテゾンやシューバルトの調性論は興味深くて面白いのですが、人間の耳や感性は、それほど単純なものではありませんので、同じ調で書かれている同じ曲を聞いても、人によってクオリアは違ってきますよね。そこが音楽の奥深いところだと思っています。
このチャンネルの動画を始めて拝見しました。
基準周波数と調律の話題、以前から気になっていたのに何を調べたらいいのか分からなかった題材でした。
純正律でも平均律でもない調律の、音階の間隔の不揃いさの中に、その調がその調である理由が存在していたなんて、今まで考えたこともありませんでした。
平均律しか知らなかった頃には、基準周波数と長調短調の組み合わせだけで表現すればいいのにとよく思っていました。バッハさんが編み出した当時の調律、誰かが決めた言葉ではなく、自分が直に聞いた時にどんなキャラクターを感じるのか試してみたかったなあとすごく思いました。
後半の楽器の調律の話にも興味が湧きました。BbだったりCだったり、それぞれの楽器の音階はなぜそのようになったのか?考え始めればきりはないですが、ロマンを感じました。
とてもためになる時間をありがとうございました。感謝致します。
吹奏楽とオーケストラ両方経験したからかもしれませんが、シャープ系の調性はウッディ(木質)で、フラット系の調性は金属的なイメージを個人的に持っています。
吹奏楽ではオーケストラの曲を編曲してよく演奏しますが、原曲はシャープ系の調性のものをフラット系に移調したものを聴くと音楽の持つ色彩感や温度感が全く変わってしまい、自分にとっては別の曲にすら聞こえてしまうことがあります。
とはいえ、最近は低めのピッチの古楽器の演奏を良く聴くので、自分の中に確固としてあったはずの調性感がぐちゃぐちゃになってしまいました(苦笑)
こういうことがスラスラと理解できたら、楽しいでしょうね。
柴犬とってもかわいいですね。
うちにもメヌエットて名前の3歳の柴犬がいます。
いつか動画で車田さんとワンちゃんの二重奏🎶きいてみたいです😊
調性が持つ性格的な特性については、例えば青島広志氏が書かれた楽典書等にも示されていますね。「曲における調の選定」については作曲家が24種類の調からそれを選んだ理由というものが必ずある訳で(かのL.バーンスタインはベートーヴェンの交響曲第7番の冒頭に関し、『FdurでもEsdurでもなくAdurで書いたのは、聴衆をビックリさせるためだった』と語ったとか・・)、例えば管弦楽曲が吹奏楽に編曲される際、「演奏しやすいように」移調してしまうことには個人的に抵抗を感じています(by元吹奏楽部員)。
濁りのお話を聞いて、お米と似ているなと思いました。
うちは米農家なのですが、どんなお米にも雑味というものが含まれています。
その、風味、強さ、クセなどは本当に様々で、同じ種類の米でも年によって違ったりします。
雑味と聞くと悪いもののように聞こえますが、これがないと、ただ甘いだけの米とかになってしまい、味に深みがなく美味しくないんです。
音楽とは関係ないかも知れませんが、お米の鑑定家のかたがたも、この雑味をとても重視していらっしゃるようです。
スーパーの棚に、お米が再び並ぶようになって、本当に安心しました😮💨 お米のない生活なんて、考えられない‼︎ 我が家の朝食は、ご飯🍚に味噌汁、納豆に海苔……週に3回は、このメニューです。因みに、今日(昨日になってしまいましたが)の夕食は、ご飯の上に明太子をのせて食べました。
お米さん、そして生産農家さんには、心から感謝しております😊
新米が美味しい季節となりましたが、今年は特によく味わって頂こうと思います🌾🍙✨
@@sH-cr5zc そこまでお米を愛していただいているのなら、こちらも作り甲斐があります。ありがとうございます😊
包括的に噛み砕いて説明いただき、ありがとうございました。
これまで、断片的な知識と思い込みで正しく理解できていなかった点がクリアになりました!
私は、趣味でピアノを弾いてます。
弾き始めた頃は、シンプルに「平均律ならば、どこが主音でも等比数列なので響きが変わることはない」と思っていました。最近、調による差が「分かる」ように感じてきたのは、実は「知識による印象の上書き」だったのかもしれません。。
やはり、平均律ならキャラクター変化はないはずなんですね。
さらに、純正律でも全ての主音について比は一緒なのでキャラクターは変わらない。一方、(もっと昔に使われていた)主音ごとに比が異なる音階では、主音が異なれば別のキャラクターを感じられる、と理解できました。
蛇足ですが、私の場合、移調に伴う印象変化を平均律のピアノで確認する際に、ハ長調→ト長調→ニ長調、あるいは、ハ長調→ヘ長調→変ロ長調、みたいなパターンでチェックしていました。このため、もしかすると、移調でキャラクターが変わるように感じたのは、シャープが増える場合は演奏中に属調へ転調する時の印象変化(フラットなら下属調への転調時の印象変化)と同じ理由なのかもしれません。
おぼろげな記憶ですが、内田光子女史は、モーツァルトの協奏曲の録音時に、ヴェルクマイスター3に調律していた云々、という文章を読んだことが。
確かに、23番の或る和音、20番の或る箇所、など要所要所で、平均律での響きとは明らかに異なる趣きの音の響きを醸し出していたように感じています。
ひえー、こんな論理的かつ歴史的な理由があったとは!調は旋律等に対して楽器や人の声の得意な音域や演奏のし易さで自然と選ばれるのだと思っていました(動画の最後で、その点にも言及されていましたね)。全編、目から鱗でした、勉強になりました!
昔、バッハの平均律の楽譜を見て、先生に平均律の意味を尋ねて何か答えてくれましたが、さっぱりわかりませんでした。理解するのは難しいですが、初めてざっくり理解できました。ありがとうございます。
長年の疑問が30分で解決いたしました。本当に音楽は面白い。
ミーントーンによるヘ長調と変イ長調のカデンツの響きの違い、メチャ解りやすかったです❣
調の性格というのは音の高さではなく、幅の歪みから生じる濁り具合によるものという理解で
ザックリ合っているのではないか思いますが、いっぽう私は現在の調性においても、
ハ長調=落ち着いた感じ ニ長調=明るい感じ イ長調=さらに陽気な感じ
ヘ長調=のんびりした感じ 変ロ長調=くぐもった感じ 変ト長調=キラキラした感じ
というような印象を持っています。これなんかは、まさに音の高さによるものなのかも。。。
ピアノを習って平均律の響きしか知らなかったので、調性ごとに性格があるというのが、イマイチわかりませんでした。響きと濁りが違うので、性格も違って聞こえるとは、はじめてストンと腑に落ちました。クラシックは調によって、曲想も似た趣のものがあるのですね!今度、弾くとき確かめてみます。いつも面白いお話ありがとうございます。
平均律の現代にも私にはヘ長調は牧歌的というイメージは何かわかるような気がします。
ピアノでの学習だとド/ハ長調から始まるので、ドやハ長調を基準とした各音・各調のイメージがつく(ファ/ヘ長調は(ド/ハ長調に対して)柔らかい、優しいなど)のかなと思っていました。
いつも面白い話をありがとうございます😊
「調の性格による違い」の話,ずっと楽しみにしていました!
犬が可愛すぎる...👍
9月もありがとうございました!中学生の時に購入したコールユーブンゲン、目次より前のページを見たことが有りませんでした。久しぶりに手に取り、6ページにて見つけました「…~ピアノで一緒に奏してはならない。~…」。もっと最近の練習書だと思っていました。日本においては50年後の大正14年、西暦1925年に発行(初版)、もう来年で100年が経つのですね、歴史を感じました。
どうもありがとうございます😊
いつも、ご指導賜り有り難うございます。感謝。感動有る日々をお送り下さいませ。
調とキャラクターの結びつきは決して自明・自発的なものではなく、当時の音楽家・学者の恣意的な言及によって構築され普及してきたものである、という側面が強い訳ですね。具体的な説明でよく理解できました。
調の性格は純正律で決まったんだろう考えてた時がありましたが、その後純正律では転調できないことを知り、悶々としてました。今日の動画で全てがスッキリしました。ありがとうございました。
1:45 音楽大辞典に載ってるっていうからどんだけ難解な文言が来るかと思いきや意外にも結構しっくりくる概念説明…かも?
それにしても気になっていてもどうせわからないまま人生を過ごすだろうと思っていた調について学べるなんてとても幸運でした
弦楽器奏者なら、ピアノだったら同じ音が、シャープ付きの音かフラット付きの音かで違っていることがわかっていると思います。例えば、ソのシャープは、ラのフラットより高く抑えます。シャープは高め、フラットは低めということです。
調性に対する私の個人的感覚は、シャープ系の調は開ける感じで、フラット系の調は平静な落ち着いた感じが、してます。
いつも楽しみに見ています。今回は長い間疑問に思っていたことが、かなりすっきりしました。音楽をやっている人や音大卒の人に訊いても「そんなこと考えたことない」とか、もやもやが残る回答ばかりだったんです。調律については関心を持っていましたが、やはりかなり深い歴史があったのですね。ありがとうございました。
音楽の素人ですが、どうしてもわからなかったことがパッと解けた気がしました。ありがとうございます。
おもしろいです。理論というか方程式というか物理法則というか、この手の話は惹きつけられます。人間同様、欠点(濁り)があるから魅力(キャラクター)が与えられてるとは。知らなかった。
ものすごく良い内容でした! ピタゴラス律で調律したハープで平均律にあった違和感が解決した一方でピタゴラス律スケールの問題を認識したのですが、その次のレベルのお話しでした。
興味深い〜、面白い〜。クラシック音楽がますます楽しめそうです。和音に生じるうなりの現れ方が調のキャラクターだったのですね🤗。
ハ長調とニ長調の違いが判るのは、絶対音感(あるいは共感覚)を持った人だけかと思っていましたが、平均律以前の調律が大きく影響していたのですね。非常に勉強になりました。😮
少し今回のお話の趣旨とは外れますが…調性音楽とは一体何なのでしょうか。
本来連続的である音からなぜ離散的な12音が選ばれたのか、その中の白鍵7音がなぜ音階を構成する音として選ばれたのか、黒鍵5音を含む他の音との本質的な違いは何か。
7音を使用した様々な音階、数ある教会旋法の中から長音階(イオニア旋法)と短音階(エオリア旋法)の2つが生き残ってきたのはなぜか、他の音階・旋法との本質的な違いは何だったのか…。
ピタゴラスから始まる紆余曲折の物語や楽典、いくつか本を読みました。
ある音から振動数が1.5倍の音を積み重ねて行って…とのことですが…。
ある程度頭で理解できたと思っていても、実感として解ったとは充分感じられないんですね、理屈としては理解できますが…。
そう言えば…数ある音楽の中で西洋12音階(調性音楽)が広く流布し一般化されているのは何故なのでしょう。
それそのものが持つ、他の音楽にはない何か普遍的な特性があるのか、それとも西洋の世界進出という(音楽とは関係のない)歴史的背景が主な原因だったりするのでしょうか?
また、5音からなる音階(ペンタトニック)は、いろんな種類のものが世界中にありますね。
ヨナ抜き音階や琉球音階等、日本古来特有の音階でもいくつかあるようです。
これにはきっと何かの必然性が…5音の音階には、特有の何らかの秘密がきっとあるんでしょうね、何なのだろう…。
いろいろと、興味は尽きません。
中学の頃、音楽の先生が(平均律で調律された)ピアノ上で同じ曲をニ長調とヘ長調でそれぞれ弾いて「ほら、曲の雰囲気が全然違うだろう?」と言い、周りの生徒もみんな「すごい、全然違う!」って言っていたのですが、この動画を見て「あれはなんだったのか」と思いました。ちなみに当時、自分は本当は違いがさっぱり解りませんでしたが、周りがみんなそう言うので一緒になって「やっぱ違うねー」と言っておりました。
😂😂😂❤
作曲されたその背景を考える時、「~的」と言われているのと違う印象の調性の曲も有り、そもそも何故そういったキャラクターに分かれたのだろうかとずっと疑問でした。
それぞれの時代の調律方法、地域別の違い等の歴史を経て、修辞学の型、演奏者のため管楽器の演奏しやすさ・弦楽器の開放弦など、作曲家の熟慮が背景に有るのだと改めて、その凄さが身に染みました。
例えば「変ホ長調」は「英雄的」、古典派の時代の曲だと納得感が有る曲が多いですが(ホルン奏者の為とかも)、以下ピアノ曲ですが、シューベルトの♪即興曲Op90-2、
ロマン派以降の時代になると、ショパンの♪華麗なる大円舞曲や♪アンダンテ・スピアナートに続く華麗なる大ポロネーズ、デュランの♪ワルツ、
♪乙女の祈りの様に、柔らかくも明るく煌びやかな曲も有れば、
♪ノクターンOp9-2、ビゼーの♪アルルの女「メヌエット」(ピアノ編)など柔らかくしっとり系の曲も有り、近現代になると、ドビュッシーの♪ゴリウォーグのケークウォークの様に楽しい曲など、それぞれに理由が有るのでしょうね。
マッテゾンの文章が気になります。
また、現在の平均律においては、それぞれの調性に色を感じる方がいらっしゃいますし、それも人それぞれ。
私自身、ピアノのイメージで言うと、ハ長調は白、イ短調は紫、♯の曲は原色寄り、♭の曲は少しフィルターのかかった音色、淡い色やパステルカラーに感じ、「変ホ長調」は柔らかで優しい音の印象をずっと持っていましたが、自分が子供の頃に出逢い、慣れ親しんだ上記の中のしっとり系の曲達のせいも有るのかも知れません。
マッテゾンの文章を見つけました。
変ホ長調 (E♭): それ自身で感情的なものが多い、そして真剣かつ悲しみ嘆くものしか欲しない [調子であり]、全ての充足感にあたかも敵対的なようでもある調子
知らないことばかりで目から鱗でした。ありがとうございます。
今日のお話を聴いていて思ったことは、バッハのような偉大な音楽家が歴史の中で現れた要因には、彼の天才だけでなくて、彼が生まれ育った時代の影響もあったのだということ。調律の影響もそうだけど、宗教改革によってプロテスタントが生まれていなかったなら、今ぼくたちの知るバッハはちがうバッハになっていたにちがいない。たしか吉田秀和が丸山眞男の座談会の中で、ドイツの音楽は宗教改革以降にすばらしくなったというようなことを言っていた。
と、ちょっと音楽通を気取ってみたけれど、ワンちゃんを見てしまったからには、犬のことが気になってしまってどうしようもない。ぼくにとってイヌという動物は、赤ん坊の頃から親友だったから。
日本で知り合ったイギリス人が芝犬と散歩していたので、あなたのワンちゃんはJapaneseだねと言ったら、JapaneseじゃなくってEnglishだと彼は言う。その犬はイングランドで生まれた芝犬だからEnglishだというのが彼の考えだったらしい。まじめな顔で言ってたから冗談ではなかったのだと思う。イギリス人はまじめな顔で冗談を言うことがあるけれど。
英国で加藤周一がイギリス人の家を訪ねた時、居間で語り合っていたところに一頭の馬が窓からその大きな顔を出してきた。するとそのイギリス人は「ぼくの友だちの〇〇だよ」と言って紹介したという。馬を友だちとして紹介することに加藤周一はきっと驚いたのかもしれないけど、そんなイギリス人に好意をいだいたことも確かだと思う。
ぼくの親友のイギリス人も、「あたしにとってイヌという動物は家族である以上に親友なのよ」と言っていた。日本の現状を想うと、欧州の犬たちは幸せだと思う。ウィーンで生まれ育ったオーストリア人が日本に移住して動物保護活動をしているけど、日本という国では犬の自由と権利がまったく無視されていて、ペット産業を自動車産業にたとえるなら、車を売っておきながら道路を走るなというようなことをやっていると彼は言ってる。
椎名誠が世界中を旅して気づいたことは、日本以外の国々ではリードに繋がれていない犬をよく見かけるけれど、日本ではどこでもいつも繋がれている。イギリス人ならば off lead として何も問題視しなくていいような場合でさえ、日本人の中には「放し飼い」として警察に通報するような人までいる。さいわい、警察は法律や条例のことを庶民よりはよく理解しているから、ぼくの体験では、「どこからどう見ても事件性のない犬のことで通報しないでほしい」と言って本音をもらしたお巡りさんがいたくらいだけど、C.W.ニコルは日本の田舎で地元の人間や警察に相当にいじめられたらしい。
音楽と同じで、犬が本来のイヌらしく育つためにも自由が必要であって、この自由ということが日本人にとっていつも問題になるように思う。日本ではイヌだけでなく、ヒトも眼には見えないリードにいつも繋がれているのかもしれない。もちろん音楽にも規律があるように、自由にも規律が必要なのだけど、犬の自由を認めない日本の現状の中で、社会性の育っていない犬たちがイヌぎらい・ヒトぎらいになっていていろんな問題行動を起こしているのだから、少なくとも人間の教育に関係している人たちであれば、こんなイヌの問題にも関心をもってもらいたいといつも思っている。日本人の事なかれ主義の中で、ヒトだけじゃなくイヌのことでも重大な事が起きてるってことに。
大好きな音楽の話にイヌまで加わっちゃうと、ただでさえ長くなる傾向のあるコメントが、さらに長くなってしまう。最後まで読んでくれる人はほとんどいないだろうなと思って書き込んでるのだけど、30年のネット人生を通して世界中で出会って親友と呼べるような人がぼくにも何人かいるので、たったひとりでもそんな親友と出会えることを、いつも願っているのかもしれない。
wを~ゥてmrピrえァてシュてmムng だけ覚えました。ちゃんと鼻先でも「待て」できててお利口。
歴史を交えて解説で、とても勉強になりました。単純に、純正律 対 平均律では無いと言う点、とても興味深かったです。音楽を愛好していますが、音楽を勉強してるわけではありません。今回のビデオで今まで本を読んでわからなかった点が解消しました。
Wohltemperierteが調号ごとのキャラクターを決める大きな要因…なるほど!
つまり、少なくとも世間様でよく言われるように「絶対音感があればわかるのに」という話ではない、と。
納得‼️💡
確かに、 18:47 からの実際の和音の響きを聴けば、絶対音感とはほぼ無縁な私でもはっきりと「キャラクターの違い」≒度数ごとの音程幅の違いは聴き取れます!
24:30 〜のマッテゾンの説明が、そこまでの科学的な話と違って「情緒に訴えるわかりやすさ」があったから独り歩きしてしまっているところもあるんだな、と納得です❣️
調のキャラクターを上手く出すような歌い方を知りたいです。また歌い手さんによって持って生まれた調が違う(金管楽器っぽい声、プラチナ色の声 など)というのがあるのも気になります。是非 有名な歌手を例に取り上げて頂きたいです😊
平均律でも、ギターやヴァイオリンなどの弦楽器をしている人だとキーが変わると押さえる部分が違ってくるのは知っていると思います。弦の長さが変わってこもった音になるので、和声というよりも音色的にキャラが変わりますね。管楽器でも演奏しやすいキーとやたら難しいキーがあり、曲想に影響してくると思います。
もっとも、そうした楽器の開放音の選び方も、バロック時代に想定された調のキャラクターに対応させて設定されているんでしょうから、その名残りという言い方もできるかもしれませんね。
すげー興味深い。調によるキャラクターの概念、深い。深すぎる。
今の時代、「純正律こそが正しい音楽だ」という主張は、素人をだますレトリックですね。
ワンちゃんが愛らしい❤お母さんコーラスを20年近くやってましたが、こんなに難しい深淵な歴史や文化の産物だったのですね🎵ど素人でただただ楽譜にかじりついて皆さんの足手まといにならない様にと音程やリズムを外さない事ばかり.....幼稚な団員に終始して残念ながら人生も終盤です。でも繰り返し拝聴してみたいですね🎉人生が二度あれば....😢
素晴らしい解説ありがとうございます。ものすごく勉強になりました。私は金管楽器で育って来ましたので純正律とか平均律を感覚的に知っていました。金管楽器はほぼフラット系の楽器なので吹奏楽、ブラスバンドの曲はフラット系が多いですし、シャープ系は苦手は不得手だと、まあ楽器の倍音からも納得出来ることかと…
ものすごくスッキリしました
ありがとうございました。勉強になることがたくさんありました。でも、私には平均律で調律されたピアノで同じ曲を調を変え演奏すると違う印象に聞こえます。
因みに家のピアノは数年前に調律を変え、ベルクマイスターで調律されています。とても新鮮な和音の響きを感じます。
それは素晴らしい‼︎
現代のピアノでも、ヴェルクマイスターの調律は可能なのですね😮
是非、聴いてみたいし弾いてみたい。私は諸事情で何年も前にピアノを手放してしまいましたが😢
ピアノは私の永遠の憧れ✨です。
これは!とても興味深い話でした!
難解な図や説明もなく物語のような形で、調による音のキャラクターという概念がとても理解しやすかったです。
どこかの動画で元音大生が、CDの音源か何かの調をデジタル的に移調し、それを聞かせて「壮大なイメージになりました」というような説明をしてましたが、私には単に音の高さが変わっただけとの認識でした。
そのようなこともあり、目からうろこが落ちるようでした。
そうだったのか!
「絶対音感のある人は(平均律でも)違いが分かるんだろうな」ぐらいに思ってました
ものすごく大事なことなのに、なんで今まで知らなかったんだろう!?
貴重な話をありがとうございました。音楽素人で目から鱗です。
個人的には調の性格が音にでる昔の調律法が理にかなっているように思えます。今聞いている音楽を昔の調律法で演奏されたもので聴くともっと深い理解が出来るのではと。
何故調の性格が無くなるような平均律になってしまったのでしょうか?
曲によってはドンピシャリはまるかもしれないけど、基本的にメリットよりデメリットの方がはるかに多い、例えば作曲の自由度が落ちる、調律をいちいち変えて演奏するのは現実的ではないとかが理由かと思います。
いつも深いお話、ありがとうございます♪日本を離れて長いので、Major, minorの方に慣れてしまいました…
こちら🇺🇸は♭が付く調の曲が多く、初めの頃は大変だった記憶があります。
(今は慣れました)
それにしても、可愛いワンちゃんですね。癒されます。
アメリカ🇺🇸からのメッセージなのですね‼︎ こんにちは🤗🇯🇵
私の中でアメリカの音楽のイメージは、金管楽器が大活躍するブラスバンドやデキシーランド・ジャズ。今回、このコメント欄で金管楽器奏者の方々が「金管楽器はフラット系の楽器」と仰っているので、それもあってアメリカでは♭の付く曲が多いのでしょうか?
私自身はピアノの平均律の世界しか知らないので、他の楽器奏者の方々のお話は興味深く、大変勉強になります🎻🥁🎺
アメリカ🇺🇸での暮らし、素敵ですね!
長年の謎が解けました!ありがとうございます!
非常にわかりやすい解説でした
まじすか、だいぶ驚き。
かつて友人が調の違いは音程だけじゃないよね?と言ってきて、何いってんの?と突っ込んだけど、もしかして彼女のピアノは調律が違ってたとか!?
三たび、本当に申し訳ありません。
非常に非常に長いですが…音楽に関する、最も根本的だと私が考える疑問なので、どうぞお許しを…。
音楽、それに人間の感覚…考えてみれば、とても不思議ですね…。
音楽の本質とは何か。
また、音楽が人間に与える感覚の本質とは、一体何なのか。
これは、音楽や芸術に関する、最も根本的な疑問なのだと私は思います。
とても、とても不思議ですよね…。
深く、深く突き詰めていきたい…。
具体的に言えば、例えば…
一般的に、長調は明るく嬉しい、短調は暗く悲しい音楽だと言われ「真実」であるように思われていますし、私もそのように感じることが多いのは確かです。
でも、それはどこまで本当に「真実」なのでしょうか。
ひょっとして、思い込みということはないのでしょうか。
また、その「真実」はどのような性質を持つものなのでしょうか。
人間が先天的に有している本能による感覚なのか、あるいは意識・記憶が芽生える前に周囲の音や音楽、それに接する周りの人間の反応といった環境に知らずと影響され後天的に持つに至った感覚なのか。
言い替えると例えば、全く異なる文化圏では全く逆の印象(例えば一般的に長調を悲しいと感じるような)を一般的に持たれるようなことが、(実例の有無にかかわらず)原理的にあり得るのか否か。
そもそも、先天的なものであるにせよ、後天的なものであるにせよ、人間は現に、なぜ長調に明るさや嬉しさを、短調に暗さや悲しさを感じるのか。
他に例えば…振動数が単純な2音は、なぜ人間の耳に調和して聴こえるのか。ドと1オクターブ上のド、ドとソ、他にも…。
逆現象としての不協和音についても。
2音の波長の振動数やそれらの比、またそれらが重なる時に生じるうなり等の物理現象、さらには大脳生理学等も交え説明されることは多いですが、そうではなく、なぜ人間の耳には「調和」として「感じる」のか…。
きっと、突き詰めると人間の持つ本能に由来し、説明し切れないものなのでしょうね…。
例えば、ある波長の光をなぜ赤🔴でなく緑🟢と人間は認識するのか
(緑🟢の振動数(波長の裏返し)は○○Hzだから、という話ではなく、なぜ○○Hzを人間は緑🟢と「感じる」のか。
違った認識を持つ、例えば同じ○○Hzに赤🔴や青🔵を感じる動物がいるかもしれない。 色を感じず替わりに熱🔥を感じる動物もいるかも。 動物によっては色🌈も熱🔥も感じず例えば痛み💥を感じたりして?! それはさすがにないか、真っ暗でない限り痛みを感じない時がなくなってしまう?! 深海など、光のない世界に生息する動物ならあり得るか? でもきっと眼そのものがない又は退化しているか…。
…話を戻して、そんな中、人間が緑🟢と認識する理由、必然性は何なのか。)
、ある化学物質になぜ苦みでなく甘みを感じるのか
(体にとっていいからというのなら苦みでないのは受け入れるとして、なぜ旨味ではなく甘みであるのか、そうである理由、必然性は何か…。)
、などというのと、きっと同じなのでしょうね…。
究極的には音楽に限らず…人間の感覚、五感の本質とは、一体全体何なのだ…?
車田様
いつも、興味深いお話ありがとうございます。
ピアノ好きの者です。
和声、調性について、理解できず疑問に感じていました。理解できていないが耳で感じている部分はあるのでしょうが。
いっそ音楽大学の講義を聴講したいと考えていました。
平均律で演奏される、調性が持つキャラクタにについて、疑問があります。
正しく理解できているか心配で恐縮ですが、どうか、追加の講義をお願いできれば幸せです。
さすが、とてもいい声ですね。解説動画じゃないから仕方ないのかもしれないけれど、基礎知識がない人間だと全然理解できませんでした😅
数式にすれば全部わかるんですけど、数学が苦手で数式の意味が理解できないと言ってる人はこんな感覚なんだろうなと初めて理解できないという意味が理解できた気がします。
『平均律クラヴィーア曲集』が平均律でなかったとは! これは曲名を変更すべき、と思いましたが、実際に現在演奏される時は平均律で調律されたピアノなので変更しなくてもいいのかな??? ピアノ=平均律だという思い込みからベートーヴェンも平均律で作曲してたとイメージしてた素人にとってはとても有意義なお話でした。
独住現役のオケ弾きです。今まで疑問に思っていたことを音の例もまじえて説明してくださって、わかりやすくてすっごくためになりました、ありがとうございました‼️🤩✨
しかもお声も素晴らしくて聞いていて心地よかったです。
ただひとつ疑問が…
ブラームスの例えばピアノ曲や歌曲はwohltemperierte Stimmung での作曲演奏だったとしても、たとえばオケ曲は、純正調で当時も演奏されていたのではないかと…
オケの中では歪みを感じると違和感があり無意識に純正調に修正して演奏してしまうと思うんですがどうなのかなと…ふと疑問に思いました⭐︎
音楽好きなど素人には、昔から疑問でした。ありがとうございます♪
完全な理解を求めると頭が痛くなりそうですが、現実にヒトの耳と脳の性格からなのか、とりあえずホモサピエンスには共通な調和や不協和があると理解します。
むかし学校の音楽の歌のテストでオルガンに合わせて声の音程取りしたけど、プロではあかんのですねー。
ホントにとても面白いです。有難う🎵❤😊
どうして24も違う調があるのかと思っていましたが、そうかそういうことだったのか!という気持ちです
それにしても、ピアノだけとかオルガンだけならわかりやすいですが、異なる複数の楽器の演奏を聴いて音の濁りを聴き取ってキャラづけするって、相当耳澄ましていないとわからないですよね
あー!わんちゃんだー!☺️
変ホ長調の曲はものすごく落ち着いた沈んだ感じがするな〜と思う時があります。
なんか内容とそこまで関係ない自分の言いたいこと語ってるコメントと、微妙に動画内容誤解してるコメントが結構あって少しいたたまれない気持ちになった。
一般聴衆は絶対音感を持たない人が多いのに「調性によって性格が異なる」ことが分かるのか?
ということが長年の疑問だった。
この動画を見て、私の回答を書こうとしたが やっぱり理解不十分で書けない。
質問自体が間違っているのかも・・・
何回この動画を見ても理解が進むように思えない。残念!
理解しないまま生涯を終えそうだ。
なるほど!調律上、音と音の間に生まれる濁りや歪みを生かして調性の特徴としていたとは!ずっと疑問に思っていたことですので、教えてくださいまして本当にありがとうございます。
ところで先生に質問なのですが、日本ではイタリア音名ドレミでピアノの声部を歌って覚えますが、ドイツでは楽譜を歌う時もドイツ語音名で歌っているのでしょうか?
ピアノの先生から「ドレミでは♯や♭の区別がつかないがドイツ語音名で歌って覚えた方が良い」と言われたのですが、ドイツ語音名で歌っている動画を見たことがありません。
ベートーヴェンの曲の調性のお話、なるほどですね。調律の方法が、全ての調を綺麗に響かせるようになりましたね。ヴェルクマイスター、により、各調の和音が、綺麗に聴こえますね。国によっても、チューニングする時のヘルツが違いますね。曲の中でも、いろいろ調性が変わってくるから、面白みが増しますね。私は小学校の時に合唱部で、コールユーブンゲンで、練習をしましたが、やはり、声楽の勉強には、必要ですね。柴犬ちゃん、大きくなりましたね。
ヴェルクマイスター等により各調の和音が「違って」聴こえる
(平均律だとどの調も同じに聞こえる)
曲の中での調性の変化は、平均律で調律した場合より、ヴェルクマイスター等で調律した場合のほうが、曲調の変化が大きくなる
嬰ハ長調と変ニ長調、ピアノの鍵盤ではどちらも同じ音階になりますが、感覚として嬰ハ長調のほうが微妙に高音で変ニ長調のほうが微妙に低音な感覚を持ってしまっています。今回のテーマを視聴して、なぜその感覚なのだろう?と久しぶりに考えてみましたが結論は出ませんでした。同じような感覚をお持ちの方いらっしゃるでしょうか?
大学時代、音楽学の試験で「嬰ハ長調と変ニ長調ではどちらの音程が高いか述べなさい」みたいな問題があったのを思い出しました!
主にピアノ曲になりますが、ハ長調は白、♯の曲は元気なクリアなイメージで原色、♭の曲は少しフィルターがかかった様な柔らかな淡い色やパステルカラーのイメージで聴いていました。(全て当てはまる訳ではないのですが。)
♯は調号が1つずつ増える毎に主音が5度ずつ上がり、♭は調号が増える毎に主音が5度ずつ下がり、♭1つのへ長調はまだクリアなイメージなのですが、♭2つの変ロ長調からは主音自体に♭が付く(半音下がる)、その上がる・下がるの感覚が関係有るのかなぁ~、と考えたことが有ります。
楽譜を観て、♯と♭を同時に眼にする時、その高さの違いの感覚になることが有ります。嬰ハはドを半音上げた音だから、変二はレを半音下げた音だからなのかなぁ~、同じ音なのに不思議です😊
@@Satox_-wb3rd様へ 答えがわからないので、とっても気になります😊
決して揶揄して言っている訳ではありませんが、それって単なる気の所為ではありませんか?同じに調律されたピアノで演奏されたものならば嬰ハ調と変二調はまったく同じに聴こえないとおかしいですよ。
よく分かります😊 私が思うに
「嬰」「変」、この言葉の意味からの連想なのでは?「半音上がる」「半音下がる」、こういった言葉の理解から来る、脳の錯覚?
冷静に考えてみれば、嬰ハと変ニは同じ音に聞こえなければ、可笑しいですよね😅
人間の感性とは、不思議なものですね。
一方、私達は、客観的事実を主観的に捉える危険性を孕んでいる。疑似科学が跋扈するのは、それが原因だと思います。以前、このチャンネルで大いに盛り上がった「純正律」に対しても、ある種の信仰のような誤解が蔓延しているのも、一つの例だと思います。
私達は、ロマンチストであると同時に、リアリストでなければいけません。
大変貴重な講義でした。調性の謎に触れた思いです。ありがとうございます。
平均律で調律されたピアノで、さまざまな調性で書かれた音楽を聴くとき、
調性によるキャラクターの違いは無い。ただ主音の音の高さは違う。ことになるのでしょうか。
主音の音の高さでも、調性上のキャラクタは違って聴こえそうですが。
実際の曲では、さまざまなメロディー、リズム、和音が使われるので多彩な曲調が生まれているが、
調性自身が持つキャラクタは無い。のでしょうか。
音楽知識のない私のような素人にとって、もっとややこしいのが「転調」と「移調」の違いです😅何度か説明を聞いた事があるのですが、未だに覚えられません😅
転調の転は起承転結の転、でいけると思います。
転調は曲の途中から(楽譜があればその指示に従って)調を変えること。
移調は曲全体の調を他の調に変えること。
いや最も単純な話だと思います、「転調」は楽曲の中身に関するものであり、途中で調が変えられているときに言います。
「移調」は演奏上の都合などで曲全体の高さを変える場合です。
とても面白かったです。絶対音感より相対音感の方が有益と言われますが、その相対音感がヴェルクマイスターに基づいていたら、、とか思いました。
光が色として区別できるように、絶対音感を持っている人は音を色のようなものとして区別できるので、ハ長調とニ長調とを別のものと感じるのかと思っていました。調律が原因だったのですね。ということは、ピアノやチェンバロが入らない管弦楽とか吹奏楽とかはどうなるのでしょう?
すごく面白い。ありがとうございます。わたしにとって、倍速にしない希少な動画です。
へ短調の話をさせて下さい。マッテゾン(1681〜1764)によると
へ短調は温和で冷静であるが、それと同時に、深く、重々しく、何かしら絶望に関係する、死ぬほどの心の底からの不安をも表すように思われる。また、この調は並外れて人の心を打つ。短調は真っ暗で救いのない憂鬱を見事に表現し、また、時には聴き手に恐怖、あるいは戦慄を引き起こす。
実は、ちょうど1週間前に、私の「推し」のリュート奏者から新着配信があり、へ短調の曲と共に、このマッテゾンの解説が掲載されていました。正に、目から鱗、そして今回の車田先生の解説は、私にとって本当にタイムリーでした。
「へ短調は"絶望"の調性」と云うことですが、へ短調の曲といって私が先ず思い浮かぶのは、ショパンのバラード第4番。確かに、この曲を聴くと、これ程の絶望が他にあるのか⁉︎ 最後、ショパンにド〜ン!と突き放されたような気持ちに、私は必ずなるのです。
ショパンも、マッテゾンの調性の勉強をしていて、へ短調でこの曲を作ったのは、やはり「絶望」を表す為だったのでしょうか?ショパンが、どのようなピアノを弾いていたのか、私はよく知らないのですが、平均律ではない調律のピアノであったら、その絶望感は、現代の演奏以上の迫力があったのでしょうね。
長文、失礼しました。でも、そのリュート奏者とのやり取りで、この一週間ずっと考えていたことなので、どうしても文章化したかったので、こちらにコメントさせていただきました😊
ヘ短調、なかなか強烈な文章ですね💦
ヴィヴァルディ(1678~)の四季「冬」、マッテゾンと同世代、ん~…引っ掛からないかもですが💦
ベートーベンの「熱情」、チャイコフスキー交響曲第4番もこの文章にピッタリかもです😲
@@ぴあのと珈琲.n3c様
ベートーヴェンの『熱情』、へ短調だったのですね😮 実は、この曲を演奏するポリーニの動画を時々視聴するのですが、調性を考えたことはありませんでした。今回の解説をふまえて改めてこの曲について考えてみると、ベートーヴェンは激しい怒りと共に、深い絶望の感情を、最大限に表現しようとしたのでしょうね。
実は、このポリーニの『熱情』の動画を視聴するようになったのは、車田先生の『熱情』の解説がキッカケです(犬さん初登場の回)
そして、リュートの演奏動画を視聴するようになったのは『古楽器』の解説がキッカケです。
私の音楽の学びは、全て車田先生のチャンネルからスタートしてます😊🎵
お返事ありがとうございます😊
貴女の「変ホ長調」についてのコメント、興味深く拝読しました。
調性にキャラクターがある!なんて、本当に面白いですね。マッテゾンが、24調それぞれに、どんなキャラクター付けをしているのか、気になるところです😊
いつもありがとうございます🤗
本当に。大袈裟ではなく、車田さんの動画はクラシック音楽を通して、同時に色々な方面の事を学んでいる所が魅力だなぁと思っています。
私はホロヴィッツ、バックハウス、メジューエワさんの演奏で聴いていますが、誰の演奏にしろ、今回の動画の後に「熱情」を聴くと、より一歩ベートーベンの内面と音楽に近づけた気がしました。ポリーニも聴いてみますね🎵
昨日からずっと、時間見つけてはマッテゾン、シャルパンティエ、加えてシューバルトの調性の言葉を求めてネットで探しているのですが、なかなか確かなものにたどり着けずにいます。
たまたま私が見つけたのは、20代後半のBloggerさん(横野さんという方)のものでした。
訳する言葉に対して、丁寧な文章でした。(変ホ長調はその引用でした。)
また、目次を見ると、調性について書かれているのかなぁと予想出来る(読んでみないと解らないですが💦)、
マッテゾンの1713年の「新しく開かれたオーケストラ」全訳と解説という書籍を翻訳したものが2022年に出版されていたようで(4000円代)、それを見つけた所で、私の動きは留まっています😅
キャラクターの文章を知っても別に鵜呑みにする訳ではなく、古楽器を演奏している方々がこの様な事も参考にし、当時の音を再現しようと熟慮しながら演奏されているのだなぁという、その理解の寄り添いになる気がして。そういう意味で、知りたいなと思い…。
信者になってはいけないですもんね😊
にしても、そのリュート奏者さん、演奏プラス文章も添えてくださって、ご丁寧な方ですね👍️
エチュード「革命」「大洋」、ソナタ「悲愴」、超絶技巧練習曲「狩」、などですね😊
作曲家に聴いてみなければ意図は確定出来ないですが、コメント主さんの仰る様に、作曲家自身の演奏、おそらく現代の演奏以上の迫力を感じ取って聴いていたであろう当時の聴衆の方々が羨ましいですね。
作曲家それぞれが使用していたピアノも歴史が有り、当時の調律法でのピアノで作曲されたのだという事を、今後鑑賞する時に想い出したいと思います。
@@kazuo0523様
ベートーヴェンの交響曲『運命』もハ短調ですね!
新たな知識を得ることが出来ました。ありがとうございます😊
古楽器での演奏が何か趣が違う(悪い意味ではありません)と感じるのはこの部分もあるのだなーと納得しました。今回のテーマとは少し異なりますが、ラの音を432Hzで調律したピアノやギターにおける演奏などを聴くと、私には何かおとなしい感じ・リラックスする感じ・ギターではどの曲もハワイアンのような感じ・長く聞いていると眠たくなるような感覚になります。もちろん先入観ということもあるのでしょうが、そう感じてしまいます。
コールユーブンゲンは合唱のため、しかもピアノを使わずに!そこを強調したいです〜
ハイドンの弦楽四重奏曲は沢山ありますが、主音が開放弦にならない変ホ長調のものが1番多かったりします
英雄的なものが好まれたからでしょうかね…?
ヴェルクマイスターで調律したピアノで平均律クラビア弾いてみたいです。なかなか違いわからないかもですが。
コーリューブンゲン、高校の時、音楽の時間に勉強しました。数十年前のものですが、当時の音楽の先生は芸大のピアノ科を出ておられた先生でした。音大受験校ではなかったので、私はその時間、よく、数学の内職をしていました。
当時の楽譜がまだありますが、数学の時間に習った数式などが、楽譜の下の方にメモ書きしてあります。
訂正。コーリユーブンゲンではなく、コンコーネでした。数式だけではなく、化学式やら、はては、あみだくじまで、いろいろ書き込みがあります。
コンコーネ、懐かしやぁ~😆、あみだくじもよくやりました🎵理数系だったのですね凄い…私は数学嫌いだったので、スラスラ解ける人がとっても羨ましかったです。
我が家の物は、コールユーブンゲンと併せて10年程使ってるので年季入ってます💦
16番が一番好きでした❤移動ドで覚えたので、「ソミソ~ラシドレ~シソ~…♪」
1番から歌い出すと、自然に2番、3番…とノンストップで最後まで歌える程、当時のヒット曲を憶えているものだよなぁ~と言うのと同様に、頭に染み付いてます。
@@ぴあのと珈琲.n3c
理数系に行きたかったのですが、実は文系です。理数系では出席日数が足りず、高校3年を2回やっています。1回目は理数にしたのですが、2回目の3年は文系で、その方が、楽で、なんとか出席日数稼いで卒業しました。
固定ドより移動ドの方がいい理由はここら辺にあるのかも!と思いました。
昔の人は相対音感はあっても絶対音感は持っていなかったかも。。
地域や時代によって異なる基準音の高さはどうやって決めていたんだろう??と疑問に思っていましたが、教会の鐘の音の高さ説を聞いて、なるほど〜と思いました。
柴ちゃん、かわいいですね〜
フード食べるようになったでしょうか。。ウチの🐕も成犬になってから途端に食いつきが悪くなり、今はふりかけをトッピングしてます😊
パガニーニ超絶技巧練習曲のラ・カンパネラは♭が7つついていてパガニーニ大練習のラ・カンパネラと調は違いますが弾く音は同じです。
ギターをチューニングしていると平均律は妥協だなあ、というのはよく思いますね
使うコードやポジションによっては、チューナーで開放弦をEBGADEにきっかり合わせるよりもしっくりくるチューニングがある・・・
・・・ということは多くのギター弾きがなんとなく感じていることだと思います
残念ながら、私には理解できませんでした。私は、音楽を聴いて感動したり、楽しんだり、自分の感覚で感じればいいと思っています。 一方で、音楽を聴くだけの人々の耳はどうなってるでしょうか? 鼓膜の張りは全人類同じなんでしょうか?若干の個性はあると思いますので、同じ音を聞いても感じ方は違うかもしれません。 なので、私は音楽を聴く者として耳を澄ませて行きたいと思います。
柴犬可愛いですね、もう7.7キロですか? 成長が早いですね。 うちの猫達も、子猫の可愛さは半年で終って、1年もすれば成猫でした。
猫の年齢を人間に換算すると、1年で20歳、2年目からは1年で4歳分増えていくらしいですね。 いつも楽しい動画ありがとうございます。
Wohltemperierteやミーントーンといった予備知識があったのでよくわかりました。Baroque調律の一例をオルガンのうなりがわかりやすい音源で聴けたのでよかったです。しかし合唱やオーケストラのひとたちがWohltemperierteで本当に「演奏」できたのかは疑問が湧きました。そこは通奏低音のオルガンまたはチェンバロが、微細な音程の実は超重要リーダーで、鍵盤楽器なしだと不可能に近かったのではないでしょうか。
調によるキャラクターの違いは ピアノに慣れた人が持つ病気だと思っていました
私は管楽器なので 楽器の調性による雰囲気の違いは その作られた国の文化や使用目的の影響が大きいと思っています
声楽はどうなんでしょうか
調の使い分けについて長年の疑問でしたが謎が解けた気がします。
的外れの理解で馬鹿馬鹿しい疑問だったらスミマセン。
ヴェルクマイスター調律による調の個性を再現するとして、1音ずつ調律できるピアノや連続的に音程を変えられる弦楽器や管楽器なら可能だが、ギターのようにフレットで音程が決まる楽器では不可能という理解でいいですか?
それとも、名人の域にあるギター奏者はチョーキング的な技術で雰囲気を合わせようとしているものでしょうか?
同じ曲を移調して弾いてみると、調による曲想の微妙な差を感じることができますね。調により微妙に、より好ましい曲の展開変わります。
動画で説明されているように、平均律で調律してしまうとその差が出ないのです
平均律の場合、移調しても基準音のピッチを変化させれば元と同じになるから
やっとまともな説明があった🎉 平均律でも違う、という人が多くて困る😂
バッハが実際にどのような調律方法を採用していたのか興味があります。
バッハは自分でチェンバロを調律していて、そんなに時間がかからなかったという記録が残っていることから、調律が難しい調律方法ではなかったと考えられます。
古いオルガンやそれに関する文献を調べてどんな調律方法だったかを推測することはできないのでしょうか?
2通目…理屈っぽく、また非常に長くなりすみません…。
音楽理論は、数学理論や物理法則のような客観的なものではなく、ある地域、ある時期までの従来の音楽に見られる傾向・特性を後付けでまとめ体系化したものに過ぎない、理論とは言えない理論であるという印象を私は持っています。
どちらかというとノウハウ集のような感じでしょうか?
数字理論ではその論理体系にそぐわないものが、物理法則では実際に観測される現象を説明できないものが、それぞれ誤りとして排除され、また、それは基本的に全世界共通のものとされています
(物理法則では例えば、一般に日常的な感覚からかけ離れた現象を説明する相対性理論や量子力学が確固たる地位を占めるに至った一方、それらに反する部分もありながら、身近な現象を説明できる古典物理学も排除されず、今だに有効であるという一面もあります。
「実際に観測される現象」の捉え方次第ということなのでしょう。
逆に、ある時代で正しいと思われていたものでも、後年誤りだと判定されることもあります。
それは、後年から振り返れば、過去の認識が単に誤りだったということであり、後年において排除されてしまう(物理学史には残るでしょうが。)。
例え当時は正しいと確信されていたものであっても…。)。
一方の音楽理論では、本質的に間違いというものはないのだ、と私は考えます
(「間違いなので排除するんだ!」、という主張をする人物は、いつどこにでも存在するのでしょうが…。)。
数字や物理との違いは、音楽は、理論体系や自然現象ではなく、心の内から湧き上がってきた人間の感性感覚から産まれ、拠り所であるということ。
湧き上がってきたものやその表現方法には、自らの心に正直である限り、誤りというものが本質的に、ない。
実際に、あるジャンルや時代の音楽で使われていなかったり禁止されているような技法で、他のジャンルや時代では普通に使用されているようなことがあります。
そのような意味で、全世界、過去の全時代に視野を広げると、音楽ってもっと自由なものでいいのだと、私は思うのです
(過去どの時代やジャンルでもまだ採用されていない音楽技法も、もしかしたらまだあるかもしれない。
ただそれは、絶対的に禁止されているのではなく、ただ使われなかっただけ(その時々場所で禁止されていたことはあったかもしれませんが。)のこと。
今だ人類未発見で見出されていないからなのか、単にいつどこでも受け入れられなかっただけなのかは分かりませんが。)。
そのようなこともあり、新たな音楽が出現しそれが広がっていくと、(物理法則とは違う意味で)音楽理論にも追加されたりする。
それ以前にあった他の理論が排除されることもなく
(廃れてしまって過去の理論が忘れられてしまい、教本からも消されてしまうことはあるでしょうが…。)。
モノフォニーしかなかった時代に導入されたポリフォニー音楽とその後のホモフォニー音楽、今回少し話題となったピタゴラス音律や純正律の時代に現れた平均律、長単調の調性音楽の爛熟期に現れた無調や十二音技法や微分音階などの現代音楽などは、まさにその一例(厳密性に欠ける記述ですが。)。
その後、それらも既存の理論に追加される。
仮に仮に…荒唐無稽すぎる仮定ですが…例えばルネサンス時代に十二音技法を発見した人がいたとして、しかもそれがある程度広がるようなことがあったとしたら…もしかしたら当時の音楽理論に何かしら加わっていたかもしれず、当時においても今から振り返っても、決してそれは誤りとは言えないのではないでしょうか
(実際にそのようなことがあれば、「そんな音楽は誤りだ!」と主張し受け入れない人が、当時きっとたくさん出現したとは思いますが…。)。
ルネサンスでの十二音技法、仮に実際あったとすれば、当時決して受け入れられなかったかもしれませんが、今から振り返り、想像はしにくいですが、決して間違いだとは言えないですよね?!
日本古来の音楽理論やインドネシアのガムラン、アラブの音楽などの理論も立派な音楽理論でしょうが、西洋音楽理論の体系外ですね。
平均律に調律されたピアノの音を聴いて、アフリカの音楽家が「音痴だ!」と言ったというエピソードもあるようです。
聴いてきた音楽の性質に理論体系が違うと、そういうことになる。
でも本来、どれが正しく、どれが誤りであるというわけではないですよね。
今後これら全てが一体化していき、遠い将来、西洋音楽理論書にそれが普通に掲載されるような日が、もしかしたら…もしかしたら、来るかもしれませんね…(さすがにないか。)。
いろいろと、興味は尽きません。
単純に聞きなれているからの違和感かもしれませんが、モーツァルトの40番交響曲をハ短調や、ベートーベンの運命交響曲をト短調など移調して聴いてみると、微妙な透明感、重厚さなど作曲家がその調を選択した感覚を少し感じとれるような気がします。