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動画ありがとうございます。色々考えさせられました。私もここ数年で頻繁に演奏会に足を運ぶようになったのですが、行けば行くほど色々なことが気になりはじめ、あたりハズレとジャッジして、次第に満足度が減ってしまっていたのです。しかし、今日の動画で、自分はかの偉大な作曲家の作った音楽を聴こうとしていなかったこと、またそういう態度での参加により演奏会における聴衆の大事な役割を放棄していた、ということに気が付かされました。悪癖になる前に、大切なことを教えてくださって良かったです。いつも大事なことを平易な言葉で届けてくださることに、感謝しています。明日もチェロの演奏会があるのですが、気持ちをあらたに、音楽を聴いてこようと思います。
コンサート、ぜひ楽しんできてください!
コンサートが好きで、アマチュアの発表会からプロのオペラまで足しげく通います。会場が音楽に満ちる親密な雰囲気が大好きだからなのだと、お話を聞いて自覚しました❤自分の好みと違うコンサートに行った時は、次からその演奏者を聴きに行かないだけです。そんなコンサートでも隣の人は熱烈に感動したりしているので…その人の感動を壊すようなことはしたくないなと思います。
共感しました。私は、音楽そのものに耳を傾けられたとき、演奏家の姿はむしろ遠く小さくなっていく感覚になります。批判的な感情などとは無縁な世界。ただその場には音楽だけがある。突然涙が出ることもありました。忘れられない時間です。
最近、知識のマウント取りたがる方々が多いような気がします。なぜ?純粋に音楽を受け入れられないのか。批判ー当然の権利・・・と言われれば、感じることは個人の自由です。私なら、公に表明するならば今後の期待を込めます。ライブなら、心身の具合など大きく作用します。それが演奏会です。生の音楽です。それが人としての演奏家を身近にかんじられる瞬間だと思います。
いいお話ありがとうございました。私もいわゆるクラシック通を自称するひとたちの、やたら演奏の上手下手を話題にしたがる傾向にすごく違和感を抱いていて、どうして音楽そのものを聴こうとしないんだろう?と思ってましたので、お話すごく共感します。いっぽうで、わたしがコンサートに行って演奏に不満を覚えることもあります。それは、演奏から、その曲に対する愛情とか、曲の魅力を聴衆に伝えよう、という姿勢が感じられない時。え、そんな演奏ないはず、と思われそうですが、残念ながらあります。いちばんよくあるのは「技巧を見せびらかすことが露骨な演奏」。そういう演奏が好きなリスナーもいるから、という事情もあるからだと思いますが、例えばモーツァルトでそういうのやられると怒りすら覚えます。ばかみたいに速く弾いて見せたりとかです。有名コンクール上位入賞とか大家としての名声を得ているひととかがたまにそういうことをするのを目撃します。若い演奏家はあまりそういうのはないようですが。車田先生がおっしゃるように、コンサートは作曲家が心血注いで作った優れた作品を堪能する場であってほしいです。
インターネットとSNSの普及により安全なところから、名前を出さずに縁もゆかりもない他人をバッシング出来るようになり、演奏スキルがどうかとかでなく、妬みや嫉みから「なんとなく気に入らないから」叩いている人もいると思います。批判する側も試されていることを頭に置いていたほうが良いですね。
人として対等な関係を普段から意識できるようになると、過度な批判というのもある程度はなくなると思うのですが、なかなか難しいですね。
僕は地方在住なので、専らCDです。気に入らない演奏は、「個人的感想ですが」と、前置きしてすることもありますが、ほぼしません。CDを出すだけで、ひとかどの演奏家だと、敬意があるからです。僕は楽譜も読めませんし、細かい演奏ミスは分からないのが現実です。ですから、SNSでは、気に入ったCDの紹介にとどめ、気に入らなかったCDのことは闇に葬っています😆😆😆
私は自分が素人という自覚があるので、まず作曲家と演奏家にリスペクトがあります。だって、舞台に上がって演奏するなんてアガリ症の私からするとそれだけでもう偉業ですから。オーケストラの弦楽器奏者は指揮者に近い席から席次順に並んでいるなんて話を聞くと、その時点で人の評価にさらされている競争の世界なのですね。音楽でご飯を食べていけるというだけで、凄いとしか思えません。同じお金を払っているんだから、音楽を楽しもうと思って演奏会に行きます。批評家という職業は或る意味そういった楽しみを削ることを覚悟したうえで成り立つ職業なのかもしれませんね。ネットでたまに音楽などのことを書くときは、楽しかった演奏のことを書くことにしています。音楽に接したいと思う人が一人でも多くなれば良いと思うから。音楽のアプローチの仕方は好みの問題なので、それが好きだという人の気分を害してまで貶す理由がありませんからね。
車田先生の話は至極当然のお話でした。プロの演奏家として活躍するのであるなら、自分自身が余裕を持って作曲家の作曲した素晴らしい音楽を奏でなければならないと思います。協奏曲でオーケストラにやっとこさついて行ってる演奏。当日のコンデションが悪く、ミスタッチが数えられないほどの多さや割愛して演奏してしまう等々はいい例だと思います。高い切符を買って土砂降りの日でも聴きに行って、そのような演奏では、音楽自体が楽しめないで、ただただ時間だけが過ぎていく…。残念でなりません。アマチュア、プロに限らず演奏して聴衆に聞いてもらうのであれば、自信をもって、余裕をもって選曲に気を付けて欲しいです。厳しいジャッジではなく音楽を純粋に聴く立場でコメントします。ありがとうございました。
そもそもジャッジするつもりでいく演奏会って楽しいんですかね?笑
演奏会ではパンフレットと一緒にアンケート用紙が付いてくることが多いので、感想や演奏者に対して言いたいことがあれば、ちゃんと自分の名前も記載した上でそこに書けばよいと思います。一度でも舞台に立ったことのある者ならば、アンケート用紙に書かれた愛のあるメッセージにどれ程励まされることか、報われた思いがすることか、知っているはずです。
私は、自分が合唱で参加して、その作曲家と知り合える……という体験から、先生のおっしゃることが少しわかります。ありがとうございます🌹🍀
いつも素敵なお話を有難うございます。仰る事に至極同意致します。名曲、名演奏、素晴らしい聴衆........これらが満たされた時、我々は深い感銘を受けます。そしてそれは即ち人生に於ける大きな喜びの一つです。車田さんの食の嗜好にも癒されております☕
今日もおもしろいお話しでした。コンサート大好きで、月4、5回行くのですが、その感動は胸から溢れるので、帰りの電車に乗るや否や、FBに感想を投稿してます。でも決して批判はしません。まさに、対等ですし、演奏してくれた感謝で溢れます。対等。これですね。
大変興味深い切り口の動画で、とても考えさせられました。音楽芸術というものは、作曲家が書いた楽譜を、演奏家が音に変換しなければ成り立たないので、我々聴衆は作曲家の芸術を間接的に感じることになります。そこが厄介なところですね。絵画や彫刻とは違います。 しかし、その厄介な部分を楽しめる事も大いにあります、だから音楽は面白いし、大好きなんです。 これからも、楽しんでいきたいと思っています。 いつも勉強させられる動画配信ありがとうございます。
毎回のお話、ありがとうございます♪会場で聴く生の音は、良いものです。時間と空間を共にしていることも、贅沢な時間です。こうして先生のお話を聴けるのも、ありがたいことです。オマケのコーナーが楽しみで、最後まで視聴させていただいています。😊お飲みになられていたハーブティーが気になります🫖
クラシックにおける聴衆と演奏家の関係に興味があったので貴重な話を頂けてありがとうございます😊私も先生の意見に賛成です。演奏に対して意思表示するのは聴衆の特権ではあるが、匿名でわざわざSNSに批判するのは筋違いかと思います。面と向かってではないので言葉が荒くなりますね。私はB'zやGLAY、洋楽ではQueenファンのコミュニティに入っていた期間が長いので、ロックファンは音楽も楽しむけど、どちらかといえば、圧倒的に1にあたる聴衆(ファンがミュージシャンに癒着する)が多いですね。ただ批判するにしてもミュージシャンではなく、メディアやインタビューアに対してですね。オペラでは例えば、このオペラ歌手が好きなので、CDを買ったり、チケット取って会場で観るという関係は健全ではないですか?(そのオペラ歌手に対して、迷惑行為をしていなくても)
ファンができるのは素晴らしい事だと思います。あくまで程度の問題ですね😊😊
@@kazuhisakurumada 返事ありがとうございます。程度は大事ですよね♪私は演奏家ではないのでわからないけど、ドミンゴとかパヴァロッティみたいにベテランで世界的にも有名な方だと、熱狂的なファンが沢山いても歌手が調子に乗ることは全くないですしね。なので積み上げてきた実績やキャリアも大事ですかね?
仰る通りだと思います。もちろん演奏家の技術不足、準備不足は批判されるべきです。一昔前、カラヤン批判のなかには、カラヤンを批判することで「君らはマスコミの影響でカラヤンファンになった、俺はそれ以上に音楽を知っているのだぞ」と示したいが為に批判している輩もいました。
アマチュア吹奏楽の演奏会では、まるで審査員かのようにジャッジすることが目的と思える聴衆がとても多いですね。そのジャッジの基準も「吹奏楽コンクールで金賞が取れる演奏かどうか」で聴いているようです。せっかく演奏会に足を運んだのに、眉間にしわを寄せてわざわざ粗を探して音楽の本質から離れたところをジャッジするのはとても勿体ないことだと私は思います。アマチュアのしかも入場無料の演奏会に足を運んだならば、演奏の欠点を探すよりも、良いところを見つけて楽しんだ方が有意義な時間を過ごせるのになぁと常々思っています。
何時も深いお話ありがとうございます。アクセンフェルト先生は良い聴衆が良い演奏家を育てると仰いました。 人でなくその演奏を聞く。これからもよろしくお願い致します。
以前吹奏楽に関する動画でお話しされていたと思いますが、特に吹奏楽経験者に縦線と音程の正確さでジャッジする耳を育ててしまったのもあるかと思います。でもそれだともはや芸術ではなく競技ですね。ところで正直自分も行ったコンサートの感想をツイッターに書いたりしますが、良くない感想を書くときは名指しを避けぼかすように書きます。アマチュアとはいえ自分も楽器を演奏する身で、どれだけ大変な努力を積み重ねてステージに上がっているかを知っていますからそこには敬意しかありません。
初心に返るような、お話しでした。演奏家と聴衆が対等な立場で、音楽そのものを通じて心を通わせるって、理想的ですね。😊小さなライヴハウスで、自作の曲を演奏する場合など、そうゆう瞬間が、ところどころに感じられます。会場の良い空気を作る事は、なかなか小手先だけでできる事ではなく、演奏家さんの技量以上の何か【something】が必要だと思います。
相互尊重を本則とした漱石の「個人主義」を思いました。書き手と読み手、作り手と使い手、演奏家と聴衆…、作品を通してある感情の普遍なテーマで大切なお話でした。「ものの見方」。深いものです。良いお話に感謝いたします。
音楽の文化は個人主義のヨーロッパで生まれてきたという背景がありますから、大きく関係していますね。漱石の個人主義、読んでみようと思います😊😊
クラシック愛好家をかれこれ40年以上やっていますが、歳をとるとだんだん理想にとらわれなくなりましたね。むしろ多様な演奏がある事のありがたみや価値を感じています。親からもらう少ない小遣いでCDを買っていた頃は、好みでない演奏だと『金返せ💢』って本気で怒ってましたね😅でもその頃の方がしっかり聴き込んでいたようにも思います。
だいぶ遅ればせながらのコメントすみません。最もなご意見で聞いていて気持ちがスッキリする動画でした。批判箇所を探しにコンサートに出かけるとか、そういう人がいるとしたら大変気の毒な事ですね。その人自身にとって。「演奏家はいい年をしても指導者から常にダメ出しをされる職業」とおっしゃっていて、成る程厳しい世界だよなあ、と感じつつ、生涯ご自身の目指す表現を追求できるというのも素敵な職業だなと思いました。これからも応援しております。
日本でクラシック音楽に批判的になるのは、私には日本人の音楽ではないからであるように思います。歌謡曲やJpopでは音が外れていても批判するどこらかそれが良いと言っています。そこには好きか嫌いだけしかないように思います。クラシック音楽はレベルが高いと思い込んでいるので、単純に楽しむ事も出来ないのではないでしょうか。
ブラコンの出だしに失敗したショックで引退してしまった、ジェシカ・タンディ演ずる元バイオリニストという設定の映画がありましたが、もう曲全体を台無しにするぐらいの失敗をした公演を見たことあります。ぐちゃぐちゃになった後に苦笑いしながら弾いてた演奏家に殺意すら覚えました。チケットが3万円もしたからです。しかし演出にブーイングをしても良いのですね。😂 蝶々夫人が切腹するやつとか、さすがに周りに止める人がいなかったのか?と思います。
ん~…スゴい分かりやすい丁寧な話しで思わずうなずいてしまいました…笑 これからも動画楽しみにしています…笑
とても素晴らしいお話だったと思います!!演奏家は作曲家が作った音楽を聴衆に届けるためにたくさん練習をされていると思います。「お客様は神様」ではなく、聴衆にもその音楽にしっかり耳を傾けるという心意気みたいなものが必要ですね。作曲家の音楽そのものを楽しむという大事なことを少し忘れていたかもしれないと思いました。批判するにも演奏家がトラウマになってしまうような批判の仕方ではなく、できるだけ誰も嫌な思いをしないやり方がベストですね。
古今亭志ん朝さんの言うには、落語好きが寄席の場で容赦なく批判したのだそうです。それで名人と言われる人がいたのだそうです。一番困るのは何にも云わずに落語を聞かなくなってしまう事だと言ってたと思います。
私は、今まで行ったコンサートでは、ほとんど、不満は、なかったですね。あらかじめ、自分でよく調べて行くからだと思いますが。私は、音楽の専門家では、ありません。あくまでも、趣味ですから、自分で楽しめれば良いと思っているからだと思います。
素敵なお話し ありがとうございました。 先生のお話し とてもありがたく 勇気をもらえました。 ありがとうございました。次のお話しも 楽しみに待ってます。
私の周りには音楽を専門に学んでいる方もいるので、プロがどれほど日々研鑽を積み、どれほど考えて演奏しているかが分かっているつもりです。才能もあり、音楽に人生をかけている人が、時間をかけて作った音楽を、大した才能もない私が、良いとか悪いとか、恥ずかしくてとても言えません。あるとすれば、相性でしょうか。車田さんがカラヤンの回で仰っていた1960年代ベルリンフィルのトランペッターのベーゼニック。今の若い方の耳には雑で汚い音だと思われることが多いと思いますが、私はあの耳に突き刺さってくる、切れば動脈血が吹き出してきそうなハイパーテンションな音が大好きです。1966年録音の1812年のドンコサック合唱団に続いてズドーンと出てくるベルリンフィルの一撃は最高です。
なるほど、演奏家と聴衆が対等な関係になること、大切ですね。このバランスがくずれると、作曲家が作った偉大な作品の本当の凄さに気づかないままコンサートが終了してしまいそうです。それこそお金を払ったのにもったいないことですし、これはクラシックならではの重要な観点だと思いました。私が作曲家をあきらめたのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を素晴らしい演奏で生で聴いたからです。こんな曲は自分はどう頑張っても作れない、と思いました。でも、今まででいちばん感動したコンサートです。
😊😊
好きな奏者ほど聴きこんでいるので、コンディションが良くない時は分かってしまいますよね。年代によっても多少変わりますが基本的な演奏センスはずっと変わらない気がしています🥺❣️
クラシックには全くの素人ですが、よいコンサートはプレーヤーだけではなくて、そこに集うオーディエンスのヴァイブレーションもプレイヤーに伝わり、音楽が広がるような気がします。晩年のホロヴィッツのウィーン・コンサートを聞いて、なぜかそんなふうに感じました。僕自身はアメリカ音楽(一部イギリス)で育ってきたので、プレイヤーとオーディエンスの隔たり、ステージと客席の境というのが、何がしらあったような気がします。しかし、ブラジル、キューバのラテン音楽を聴くようになって驚いたのが、プレーヤーとオーディエンス、ステージと客席の境がないこと。そこに集うすべての人が音楽している感じです。振り返って、アメリカのゴスペルも実はそうでした。Kirk Franklinていう、アメリカのなんかようわからん人がいますが、彼はキーボード弾いたり、歌ったり、掛け声かけたり、しまいには、意味不明の踊りを始めたりするのですが、何故か?彼がいると、バンドも、オーディエンスも一つになって、凄いヴォルテージの音楽でその場が満たされます。あえて言えば、彼はConductror、彼が聞いているのは音楽そのものであリ、そこに集うすべての人の心の中の音楽のような気がします。
今回も興味深いお話を聞かせていただきました。演奏会は音楽を聴きに行くもの、というお話については全く同感です。よほど「ミス」だらけでなければ、演奏会で視聴することで何かしらその曲に関する新しい発見が得られ、他の演奏家はその部分をどのように演奏しているのだろう、と興味が沸いてくることもしばしばあります。演奏会を聴きに行く、という立場からすると、客観的な情報(提示部をリピートしているかどうか、バイオリンは対向配置か、他の演奏家と比べてテンポの取り方がどうか、どの版を使っているか、など良し悪しの評価を除いた情報)なら知りたいところですが、他人の価値基準による批評は自分には全く意味がありません。本題とは離れますが、ハーブティーはドイツで販売されているものでしょうか?日本で入手可能なら是非飲んでみたいと思うのですが・・・
Eilesという会社のものですが、日本で取り扱っているところがあるかどうか・・
@@kazuhisakurumada ありがとうございます。
もっぱらヘッドホンでユーチューブの音楽を聴いていますが、最近、ライブ演奏を聴きたくなっています。夏場の野外のジャズであれ、クラシックのコンサートであれ、この田舎のことですから、一流のプロの演奏者ではありません。しかし、生のライブ演奏が恋しくなっているところです。なぜなのでしょうか。音楽は文字通り「サウンドを楽しむ」ものでしょう。明らかに不調であったオーケストラの演奏にもかかわらず感動したこともありました。演奏のアラ探しのような聴き方は悲劇です。なまじミスタッチに気づかない人間の方が幸せだと思います。その方がより作曲家の音楽に近づくでしょう。あるいは演奏中に大きなクシャミを聞いたとしても、怒りではなく音楽そのものに浸ってられるような自分でありたいものと思っています。
コンサートなぁ。長らく行ってないんだよなぁ。また、行きたいです。コンサートに行くのはなんのため?ってことだと思う。音楽雑誌や新聞に載ってる評論家のコメントはそれほど参考にはしてないです。音楽を聴いてどう感じるかは人それぞれだと思うから。演奏家だって生身の人間ですからコンディションがいまいちでそれが演奏にも影響が出て結果として、しょぼーんとなってしまうような演奏にもなってしまう可能性だってありうるから、まあ難しいとこですね。演奏家と聴衆の関係って。
車田先生今日も素晴らしいご投稿ありがとうございます(^_^)今日はコメント一番乗りです(^o^)こんなふうに説明出来たら・・・という感じのお話をいつも聞貸せて頂けて嬉しいです。先日、ミスタッチというテーマで私も動画を撮ったのですが・・・本当にミスタッチの指摘がお好きな方がが多くて閉口していました(^^;)ちゃんと聴いていた、この曲知ってる、ミスに気づいたという意思表示らしいのです・・・全然詳しくない友人に開口一番言われたことがあり・・・本当に対等でなかった!忙しい中来てくれたからと私も少し卑屈になっていたのかもしれませんが、それほど音楽を損なうほどではなかったと自身思っている演奏なのでかなり落ち込みましたが・・・素晴らしいご解説で持ち直しました!でも、本当に若い人だったら、二度と舞台に立ちたくないと言うかもしれませんね。。。自分の思い、自分の個性みたいなことにあまりにもこだわるのはちょっとベクトルがずれているんですね(^-^)自身が作品を表現する媒体となれた!透明の存在になれた!と感じる演奏が出来た時の演奏が、やはり一番専門の友人からも一般方からも評判がいいです(*^_^*)当たり前ですが(^_-)これからもますます素晴らしいご投稿楽しみに致しておりますm(_ _)m現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
ブログでそうした批判めいたことを連載している方のことを思い出しました。内容は納得することもあればそうでないこともありました。
正直、仲間内で傷を舐め合う様な演奏会も少なくありません。ヴァイオリニストの友人が居りますが、大変感銘を受ける事も有れば、今一つだなぁ~???とか練習不足、熱量過剰だなぁ~・・・と思う事も有ります。だけど、明らかに???な会でも取り巻きみたいな方々の誉め言葉しか出て来ないのは如何なものかと思います。ただ、演奏ミスが有ると急に現実に戻されて仕舞います。折角酔いに行っているのにね。だけど、ミスが有っても寸毫もその世界を壊さない演奏も有ります。私は良い演奏はSNSにUPしますが、悪かったときは行った事だけUPして他は沈黙する様にして居ます。
今日は難しい話でしたね、私としては素晴らしい演奏を気軽に安く聞かせていただければそれでいいのですが。
音は自然現象と考えれば、自然から生まれたものに感想はあるかもしれませんが、批判や評価は受け入れたあとに、どう理解したかしかないのではと思います。態度や分析スキルを明らかにしないと分かりにくいのかも知れません。地震や大雪に被害はありますが、起こることに文句は言えないでしょう。音楽は、人しか再現できないから経済という枠組み(人の営み)が必要になり、経済はお金で価値を計るしかないので、お金を払った聴衆と演者の関係が関係の維持のためには必要な観点になるのかもしれません。批判する側は、自分の感性や好みもお金に換算するとか、先人とも感性を比較してフェアかどうか、あるいは難しいことかどうか、好きなものはお金で表現できないかとか考えると思います。最後に好みというのが精いっぱいかも知れません。聴衆の一個人としては、音楽は宇宙のようなロマンがあり、表現の可能性が膨大(1小節に音を自由に並べられるとして音のパターン数を想像してみるだけで、ため息)で、音楽世界のプロは、相当の訓練と飯より好きというくらいじゃないとやれないのではないかと想像するのが精いっぱいです。駄文で失礼しました。
私は グレン、グールドの大ファンですが、彼は大絶讚されたり、大批判されたり、そして、また彼も多くの作曲家に対して、批判的だったりと、、、今回の話しとは、少しズレますが、批判も、また面白いと。クラッシクに限らずとも、創造性の高いアーティストほど、批判されますね❗
むかし、キース・ジャレッドが(トリオの時も)来日するたびに聴きに行ってました。即興から始めて、残り(アンコール?)はスタンダードってかたちでした。即興がメインなので上手くいくときとそうでないときがありました。上手くいかない時も批判的な感情は起こりませんでした。凡人には及びもつかない偉大な試みに立ち会えた満足感で満たされたものです。Wollblume はモウズイカらしいです。「毛」ですね。w
そのハーブティーは日本にも売っていますか?
SNS等の匿名の批判を気にしないとのことですが、演奏会のブーイングも匿名なのでは?それでは演奏家はブーイングを気にする必要はないのか?…と、疑問が湧いてきました。車田先生のお言葉を借りると、前者と後者の違いは「フェアかどうか」にあると思われますが、果たしてフェアな状態とは何なのか?人によってフェアの判断が分かれるのかなと感じました。
ブーイングはこちらからも顔が見えますし、周りの人にも当然顔が見られます。そういう場でブーイングを言うには相当な勇気がいります。それが不当なブーイングであれば、周囲の聴衆から冷たい視線にさらされるリスクも負う事になります。ですから、SNSと同じとは考えないですね。
私の考えですが、批評家でないので(幸いなことに)、音楽が楽しめればいいと思っています。あえて赤の他人に言うほどでもない。ご飯を食べに行っても、楽しめばいいのであって、評論しなくていい。評論しようとすることで楽しめなくなる気がします。かえって大事なものを失っているように思います。
いや~、長年聴いてると、いろんなことが起きますよ。出だしでミスって楽章いっぱいとっちらかっちゃったホルンとかw…それも一つの思い出ですが。
ありますね〜😆それから、1番大事な所で盛大にやらかしても、その後崩れずぐんぐん調子を上げて、終演後には指揮者に立たされて照れ臭そうにしてる姿も何度か見ました。
私は死も間近な老哲学者ですが、哲学は、心つまり感情の科学ではなく、精神の科学です。ゆえに、自分は思う、信じる、好きだ嫌いだ、考えるに基づく学問ではありません。そういうわけで、演奏批評も極力 自分 を捨象して自己 の観点で行います。当然、感情の勝った演奏は評価しないことになります。失礼致しました。
コメントする時はなるべく、より魅力的な演奏になるにはどうしたらいいか?それを書くようにしています。少しずつでも、より魅力的な音楽が聴けた方が自分もお得だと思います。
ある著名なピアニストのコンサートを初めて聴きに行った時の事です。正直、プロの演奏のレベル?って思いました。でも、熱心に拍手されている方が多くて会場全体がそのピアニストのファンの方達なのかしら?と思った事がありました。こういう場合、批判する気持ちにもなりません。自分がそのコンサートに来たのが間違いだった、そう思いました。
動画ありがとうございます。色々考えさせられました。私もここ数年で頻繁に演奏会に足を運ぶようになったのですが、行けば行くほど色々なことが気になりはじめ、あたりハズレとジャッジして、次第に満足度が減ってしまっていたのです。
しかし、今日の動画で、自分はかの偉大な作曲家の作った音楽を聴こうとしていなかったこと、またそういう態度での参加により演奏会における聴衆の大事な役割を放棄していた、ということに気が付かされました。悪癖になる前に、大切なことを教えてくださって良かったです。
いつも大事なことを平易な言葉で届けてくださることに、感謝しています。
明日もチェロの演奏会があるのですが、気持ちをあらたに、音楽を聴いてこようと思います。
コンサート、ぜひ楽しんできてください!
コンサートが好きで、アマチュアの発表会からプロのオペラまで足しげく通います。会場が音楽に満ちる親密な雰囲気が大好きだからなのだと、お話を聞いて自覚しました❤自分の好みと違うコンサートに行った時は、次からその演奏者を聴きに行かないだけです。そんなコンサートでも隣の人は熱烈に感動したりしているので…その人の感動を壊すようなことはしたくないなと思います。
共感しました。私は、音楽そのものに耳を傾けられたとき、演奏家の姿はむしろ遠く小さくなっていく感覚になります。批判的な感情などとは無縁な世界。ただその場には音楽だけがある。突然涙が出ることもありました。忘れられない時間です。
最近、知識のマウント取りたがる方々が多いような気がします。なぜ?純粋に音楽を受け入れられないのか。批判ー当然の権利・・・と言われれば、感じることは個人の自由です。私なら、公に表明するならば今後の期待を込めます。ライブなら、心身の具合など大きく作用します。それが演奏会です。生の音楽です。それが人としての演奏家を身近にかんじられる瞬間だと思います。
いいお話ありがとうございました。私もいわゆるクラシック通を自称するひとたちの、やたら演奏の上手下手を話題にしたがる傾向にすごく違和感を抱いていて、どうして音楽そのものを聴こうとしないんだろう?と思ってましたので、お話すごく共感します。
いっぽうで、わたしがコンサートに行って演奏に不満を覚えることもあります。それは、演奏から、その曲に対する愛情とか、曲の魅力を聴衆に伝えよう、という姿勢が感じられない時。え、そんな演奏ないはず、と思われそうですが、残念ながらあります。いちばんよくあるのは「技巧を見せびらかすことが露骨な演奏」。そういう演奏が好きなリスナーもいるから、という事情もあるからだと思いますが、例えばモーツァルトでそういうのやられると怒りすら覚えます。ばかみたいに速く弾いて見せたりとかです。有名コンクール上位入賞とか大家としての名声を得ているひととかがたまにそういうことをするのを目撃します。若い演奏家はあまりそういうのはないようですが。
車田先生がおっしゃるように、コンサートは作曲家が心血注いで作った優れた作品を堪能する場であってほしいです。
インターネットとSNSの普及により
安全なところから、名前を出さずに
縁もゆかりもない他人をバッシング
出来るようになり、演奏スキルが
どうかとかでなく、妬みや嫉みから
「なんとなく気に入らないから」
叩いている人もいると思います。
批判する側も試されていることを
頭に置いていたほうが良いですね。
人として対等な関係を普段から意識できるようになると、過度な批判というのもある程度はなくなると思うのですが、なかなか難しいですね。
僕は地方在住なので、専らCDです。
気に入らない演奏は、「個人的感想ですが」と、前置きしてすることもありますが、ほぼしません。CDを出すだけで、ひとかどの演奏家だと、敬意があるからです。
僕は楽譜も読めませんし、細かい演奏ミスは分からないのが現実です。
ですから、SNSでは、気に入ったCDの紹介にとどめ、気に入らなかったCDのことは闇に葬っています😆😆😆
私は自分が素人という自覚があるので、まず作曲家と演奏家にリスペクトがあります。
だって、舞台に上がって演奏するなんてアガリ症の私からするとそれだけでもう偉業ですから。オーケストラの弦楽器奏者は指揮者に近い席から席次順に並んでいるなんて話を聞くと、その時点で人の評価にさらされている競争の世界なのですね。音楽でご飯を食べていけるというだけで、凄いとしか思えません。同じお金を払っているんだから、音楽を楽しもうと思って演奏会に行きます。批評家という職業は或る意味そういった楽しみを削ることを覚悟したうえで成り立つ職業なのかもしれませんね。ネットでたまに音楽などのことを書くときは、楽しかった演奏のことを書くことにしています。音楽に接したいと思う人が一人でも多くなれば良いと思うから。音楽のアプローチの仕方は好みの問題なので、それが好きだという人の気分を害してまで貶す理由がありませんからね。
車田先生の話は至極当然のお話でした。プロの演奏家として活躍するのであるなら、自分自身が余裕を持って作曲家の作曲した素晴らしい音楽を奏でなければならないと思います。協奏曲でオーケストラにやっとこさついて行ってる演奏。当日のコンデションが悪く、ミスタッチが数えられないほどの多さや割愛して演奏してしまう等々はいい例だと思います。高い切符を買って土砂降りの日でも聴きに行って、そのような演奏では、音楽自体が楽しめないで、ただただ時間だけが過ぎていく…。残念でなりません。アマチュア、プロに限らず演奏して聴衆に聞いてもらうのであれば、自信をもって、余裕をもって選曲に気を付けて欲しいです。厳しいジャッジではなく音楽を純粋に聴く立場でコメントします。ありがとうございました。
そもそもジャッジするつもりでいく演奏会って楽しいんですかね?笑
演奏会ではパンフレットと一緒にアンケート用紙が付いてくることが多いので、感想や演奏者に対して言いたいことがあれば、ちゃんと自分の名前も記載した上でそこに書けばよいと思います。
一度でも舞台に立ったことのある者ならば、アンケート用紙に書かれた愛のあるメッセージにどれ程励まされることか、報われた思いがすることか、知っているはずです。
私は、自分が合唱で参加して、その作曲家と知り合える……という体験から、先生のおっしゃることが少しわかります。ありがとうございます🌹🍀
いつも素敵なお話を有難うございます。仰る事に至極同意致します。名曲、名演奏、素晴らしい聴衆........これらが満たされた時、我々は深い感銘を受けます。そしてそれは即ち人生に於ける大きな喜びの一つです。車田さんの食の嗜好にも癒されております☕
今日もおもしろいお話しでした。
コンサート大好きで、月4、5回行くのですが、その感動は胸から溢れるので、帰りの電車に乗るや否や、FBに感想を投稿してます。
でも決して批判はしません。まさに、対等ですし、演奏してくれた感謝で溢れます。
対等。これですね。
大変興味深い切り口の動画で、とても考えさせられました。音楽芸術というものは、作曲家が書いた楽譜を、演奏家が音に変換しなければ成り立たないので、我々聴衆は作曲家の芸術を間接的に感じることになります。そこが厄介なところですね。絵画や彫刻とは違います。 しかし、その厄介な部分を楽しめる事も大いにあります、だから音楽は面白いし、大好きなんです。 これからも、楽しんでいきたいと思っています。 いつも勉強させられる動画配信ありがとうございます。
毎回のお話、ありがとうございます♪会場で聴く生の音は、良いものです。時間と空間を共にしていることも、贅沢な時間です。
こうして先生のお話を聴けるのも、ありがたいことです。オマケのコーナーが楽しみで、最後まで視聴させていただいています。😊お飲みになられていたハーブティーが気になります🫖
クラシックにおける聴衆と演奏家の関係に興味があったので貴重な話を頂けてありがとうございます😊私も先生の意見に賛成です。演奏に対して意思表示するのは聴衆の特権ではあるが、匿名でわざわざSNSに批判するのは筋違いかと思います。面と向かってではないので言葉が荒くなりますね。私はB'zやGLAY、洋楽ではQueenファンのコミュニティに入っていた期間が長いので、ロックファンは音楽も楽しむけど、どちらかといえば、圧倒的に1にあたる聴衆(ファンがミュージシャンに癒着する)が多いですね。ただ批判するにしてもミュージシャンではなく、メディアやインタビューアに対してですね。オペラでは例えば、このオペラ歌手が好きなので、CDを買ったり、チケット取って会場で観るという関係は健全ではないですか?(そのオペラ歌手に対して、迷惑行為をしていなくても)
ファンができるのは素晴らしい事だと思います。あくまで程度の問題ですね😊😊
@@kazuhisakurumada 返事ありがとうございます。程度は大事ですよね♪私は演奏家ではないのでわからないけど、ドミンゴとかパヴァロッティみたいにベテランで世界的にも有名な方だと、熱狂的なファンが沢山いても歌手が調子に乗ることは全くないですしね。なので積み上げてきた実績やキャリアも大事ですかね?
仰る通りだと思います。
もちろん演奏家の技術不足、準備不足は批判されるべきです。
一昔前、カラヤン批判のなかには、カラヤンを批判することで「君らはマスコミの影響でカラヤンファンになった、俺はそれ以上に音楽を知っているのだぞ」と示したいが為に批判している輩もいました。
アマチュア吹奏楽の演奏会では、まるで審査員かのようにジャッジすることが目的と思える聴衆がとても多いですね。
そのジャッジの基準も「吹奏楽コンクールで金賞が取れる演奏かどうか」で聴いているようです。
せっかく演奏会に足を運んだのに、眉間にしわを寄せてわざわざ粗を探して音楽の本質から離れたところをジャッジするのはとても勿体ないことだと私は思います。
アマチュアのしかも入場無料の演奏会に足を運んだならば、演奏の欠点を探すよりも、良いところを見つけて楽しんだ方が有意義な時間を過ごせるのになぁと常々思っています。
何時も深いお話ありがとうございます。
アクセンフェルト先生は良い聴衆が良い演奏家を育てると仰いました。 人でなくその演奏を聞く。これからもよろしくお願い致します。
以前吹奏楽に関する動画でお話しされていたと思いますが、特に吹奏楽経験者に縦線と音程の正確さでジャッジする耳を育ててしまったのもあるかと思います。でもそれだともはや芸術ではなく競技ですね。ところで正直自分も行ったコンサートの感想をツイッターに書いたりしますが、良くない感想を書くときは名指しを避けぼかすように書きます。アマチュアとはいえ自分も楽器を演奏する身で、どれだけ大変な努力を積み重ねてステージに上がっているかを知っていますからそこには敬意しかありません。
初心に返るような、お話しでした。演奏家と聴衆が対等な立場で、音楽そのものを通じて心を通わせるって、理想的ですね。😊
小さなライヴハウスで、自作の曲を演奏する場合など、そうゆう瞬間が、ところどころに感じられます。
会場の良い空気を作る事は、なかなか小手先だけでできる事ではなく、演奏家さんの技量以上の何か【something】が必要だと思います。
相互尊重を本則とした漱石の「個人主義」を思いました。
書き手と読み手、作り手と使い手、演奏家と聴衆…、作品を通してある感情の普遍なテーマで大切なお話でした。
「ものの見方」。深いものです。
良いお話に感謝いたします。
音楽の文化は個人主義のヨーロッパで生まれてきたという背景がありますから、大きく関係していますね。漱石の個人主義、読んでみようと思います😊😊
クラシック愛好家をかれこれ40年以上やっていますが、歳をとるとだんだん理想にとらわれなくなりましたね。むしろ多様な演奏がある事のありがたみや価値を感じています。
親からもらう少ない小遣いでCDを買っていた頃は、好みでない演奏だと『金返せ💢』って本気で怒ってましたね😅
でもその頃の方がしっかり聴き込んでいたようにも思います。
だいぶ遅ればせながらのコメントすみません。最もなご意見で聞いていて気持ちがスッキリする動画でした。批判箇所を探しにコンサートに出かけるとか、そういう人がいるとしたら大変気の毒な事ですね。その人自身にとって。「演奏家はいい年をしても指導者から常にダメ出しをされる職業」とおっしゃっていて、成る程厳しい世界だよなあ、と感じつつ、生涯ご自身の目指す表現を追求できるというのも素敵な職業だなと思いました。これからも応援しております。
日本でクラシック音楽に批判的になるのは、私には日本人の音楽ではないからであるように思います。歌謡曲やJpopでは音が外れていても批判するどこらかそれが良いと言っています。そこには好きか嫌いだけしかないように思います。クラシック音楽はレベルが高いと思い込んでいるので、単純に楽しむ事も出来ないのではないでしょうか。
ブラコンの出だしに失敗したショックで引退してしまった、ジェシカ・タンディ演ずる元バイオリニストという設定の映画がありましたが、もう曲全体を台無しにするぐらいの失敗をした公演を見たことあります。ぐちゃぐちゃになった後に苦笑いしながら弾いてた演奏家に殺意すら覚えました。チケットが3万円もしたからです。
しかし演出にブーイングをしても良いのですね。😂 蝶々夫人が切腹するやつとか、さすがに周りに止める人がいなかったのか?と思います。
ん~…スゴい分かりやすい丁寧な話しで思わずうなずいてしまいました…笑 これからも動画楽しみにしています…笑
とても素晴らしいお話だったと思います!!
演奏家は作曲家が作った音楽を聴衆に届けるためにたくさん練習をされていると思います。
「お客様は神様」ではなく、聴衆にもその音楽にしっかり耳を傾けるという心意気みたいなものが必要ですね。
作曲家の音楽そのものを楽しむという大事なことを少し忘れていたかもしれないと思いました。
批判するにも演奏家がトラウマになってしまうような批判の仕方ではなく、できるだけ誰も嫌な思いをしないやり方がベストですね。
古今亭志ん朝さんの言うには、落語好きが寄席の場で容赦なく批判したのだそうです。それで名人と言われる人がいたのだそうです。一番困るのは何にも云わずに落語を聞かなくなってしまう事だと言ってたと思います。
私は、今まで行ったコンサートでは、ほとんど、不満は、なかったですね。あらかじめ、自分でよく調べて行くからだと思いますが。私は、音楽の専門家では、ありません。あくまでも、趣味ですから、自分で楽しめれば良いと思っているからだと思います。
素敵なお話し ありがとうございました。 先生のお話し とてもありがたく 勇気をもらえました。 ありがとうございました。次のお話しも 楽しみに待ってます。
私の周りには音楽を専門に学んでいる方もいるので、プロがどれほど日々研鑽を積み、どれほど考えて演奏しているかが分かっているつもりです。
才能もあり、音楽に人生をかけている人が、時間をかけて作った音楽を、大した才能もない私が、良いとか悪いとか、恥ずかしくてとても言えません。
あるとすれば、相性でしょうか。
車田さんがカラヤンの回で仰っていた1960年代ベルリンフィルのトランペッターのベーゼニック。
今の若い方の耳には雑で汚い音だと思われることが多いと思いますが、私はあの耳に突き刺さってくる、切れば動脈血が吹き出してきそうなハイパーテンションな音が大好きです。
1966年録音の1812年のドンコサック合唱団に続いてズドーンと出てくるベルリンフィルの一撃は最高です。
なるほど、演奏家と聴衆が対等な関係になること、大切ですね。このバランスがくずれると、作曲家が作った偉大な作品の本当の凄さに気づかないままコンサートが終了してしまいそうです。それこそお金を払ったのにもったいないことですし、これはクラシックならではの重要な観点だと思いました。
私が作曲家をあきらめたのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を素晴らしい演奏で生で聴いたからです。こんな曲は自分はどう頑張っても作れない、と思いました。でも、今まででいちばん感動したコンサートです。
😊😊
好きな奏者ほど聴きこんでいるので、コンディションが良くない時は分かってしまいますよね。年代によっても多少変わりますが基本的な演奏センスはずっと変わらない気がしています🥺❣️
クラシックには全くの素人ですが、よいコンサートはプレーヤーだけではなくて、そこに集うオーディエンスのヴァイブレーションもプレイヤーに伝わり、音楽が広がるような気がします。晩年のホロヴィッツのウィーン・コンサートを聞いて、なぜかそんなふうに感じました。僕自身はアメリカ音楽(一部イギリス)で育ってきたので、プレイヤーとオーディエンスの隔たり、ステージと客席の境というのが、何がしらあったような気がします。しかし、ブラジル、キューバのラテン音楽を聴くようになって驚いたのが、プレーヤーとオーディエンス、ステージと客席の境がないこと。そこに集うすべての人が音楽している感じです。振り返って、アメリカのゴスペルも実はそうでした。Kirk Franklinていう、アメリカのなんかようわからん人がいますが、彼はキーボード弾いたり、歌ったり、掛け声かけたり、しまいには、意味不明の踊りを始めたりするのですが、何故か?彼がいると、バンドも、オーディエンスも一つになって、凄いヴォルテージの音楽でその場が満たされます。あえて言えば、彼はConductror、彼が聞いているのは音楽そのものであリ、そこに集うすべての人の心の中の音楽のような気がします。
今回も興味深いお話を聞かせていただきました。演奏会は音楽を聴きに行くもの、というお話については全く同感です。よほど「ミス」だらけでなければ、演奏会で視聴することで何かしらその曲に関する新しい発見が得られ、他の演奏家はその部分をどのように演奏しているのだろう、と興味が沸いてくることもしばしばあります。
演奏会を聴きに行く、という立場からすると、客観的な情報(提示部をリピートしているかどうか、バイオリンは対向配置か、他の演奏家と比べてテンポの取り方がどうか、どの版を使っているか、など良し悪しの評価を除いた情報)なら知りたいところですが、他人の価値基準による批評は自分には全く意味がありません。
本題とは離れますが、ハーブティーはドイツで販売されているものでしょうか?日本で入手可能なら是非飲んでみたいと思うのですが・・・
Eilesという会社のものですが、日本で取り扱っているところがあるかどうか・・
@@kazuhisakurumada ありがとうございます。
もっぱらヘッドホンでユーチューブの音楽を聴いていますが、最近、ライブ演奏を聴きたくなっています。夏場の野外のジャズであれ、クラシックのコンサートであれ、この田舎のことですから、一流のプロの演奏者ではありません。しかし、生のライブ演奏が恋しくなっているところです。なぜなのでしょうか。音楽は文字通り「サウンドを楽しむ」ものでしょう。明らかに不調であったオーケストラの演奏にもかかわらず感動したこともありました。演奏のアラ探しのような聴き方は悲劇です。なまじミスタッチに気づかない人間の方が幸せだと思います。その方がより作曲家の音楽に近づくでしょう。あるいは演奏中に大きなクシャミを聞いたとしても、怒りではなく音楽そのものに浸ってられるような自分でありたいものと思っています。
コンサートなぁ。長らく行ってないんだよなぁ。また、行きたいです。コンサートに行くのはなんのため?ってことだと思う。音楽雑誌や新聞に載ってる評論家のコメントはそれほど参考にはしてないです。音楽を聴いてどう感じるかは人それぞれだと思うから。演奏家だって生身の人間ですからコンディションがいまいちでそれが演奏にも影響が出て結果として、しょぼーんとなってしまうような演奏にもなってしまう可能性だってありうるから、まあ難しいとこですね。演奏家と聴衆の関係って。
車田先生
今日も素晴らしいご投稿ありがとうございます(^_^)
今日はコメント一番乗りです(^o^)
こんなふうに説明出来たら・・・という感じのお話をいつも聞貸せて頂けて嬉しいです。
先日、ミスタッチというテーマで私も動画を撮ったのですが・・・本当にミスタッチの指摘がお好きな方がが多くて閉口していました(^^;)
ちゃんと聴いていた、この曲知ってる、ミスに気づいたという意思表示らしいのです・・・全然詳しくない友人に開口一番言われたことがあり・・・本当に対等でなかった!忙しい中来てくれたからと私も少し卑屈になっていたのかもしれませんが、それほど音楽を損なうほどではなかったと自身思っている演奏なのでかなり落ち込みましたが・・・素晴らしいご解説で持ち直しました!でも、本当に若い人だったら、二度と舞台に立ちたくないと言うかもしれませんね。。。
自分の思い、自分の個性みたいなことにあまりにもこだわるのはちょっとベクトルがずれているんですね(^-^)
自身が作品を表現する媒体となれた!透明の存在になれた!と感じる演奏が出来た時の演奏が、やはり一番専門の友人からも一般方からも評判がいいです(*^_^*)当たり前ですが(^_-)
これからもますます素晴らしいご投稿楽しみに致しておりますm(_ _)m
現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
ブログでそうした批判めいたことを連載している方のことを思い出しました。内容は納得することもあればそうでないこともありました。
正直、仲間内で傷を舐め合う様な演奏会も少なくありません。ヴァイオリニストの
友人が居りますが、大変感銘を受ける事も有れば、今一つだなぁ~???とか練習
不足、熱量過剰だなぁ~・・・と思う事も有ります。
だけど、明らかに???な会でも取り巻きみたいな方々の誉め言葉しか出て来ない
のは如何なものかと思います。
ただ、演奏ミスが有ると急に現実に戻されて仕舞います。折角酔いに行っているの
にね。だけど、ミスが有っても寸毫もその世界を壊さない演奏も有ります。私は
良い演奏はSNSにUPしますが、悪かったときは行った事だけUPして他は沈黙する
様にして居ます。
今日は難しい話でしたね、私としては素晴らしい演奏を気軽に安く聞かせていただければそれでいいのですが。
音は自然現象と考えれば、自然から生まれたものに感想はあるかもしれませんが、批判や評価は受け入れたあとに、どう理解したかしかないのではと思います。態度や分析スキルを明らかにしないと分かりにくいのかも知れません。地震や大雪に被害はありますが、起こることに文句は言えないでしょう。音楽は、人しか再現できないから経済という枠組み(人の営み)が必要になり、経済はお金で価値を計るしかないので、お金を払った聴衆と演者の関係が関係の維持のためには必要な観点になるのかもしれません。批判する側は、自分の感性や好みもお金に換算するとか、先人とも感性を比較してフェアかどうか、あるいは難しいことかどうか、好きなものはお金で表現できないかとか考えると思います。最後に好みというのが精いっぱいかも知れません。聴衆の一個人としては、音楽は宇宙のようなロマンがあり、表現の可能性が膨大(1小節に音を自由に並べられるとして音のパターン数を想像してみるだけで、ため息)で、音楽世界のプロは、相当の訓練と飯より好きというくらいじゃないとやれないのではないかと想像するのが精いっぱいです。駄文で失礼しました。
私は グレン、グールドの大ファンですが、彼は大絶讚されたり、大批判されたり、そして、また彼も多くの作曲家に対して、批判的だったりと、、、今回の話しとは、少しズレますが、批判も、また面白いと。クラッシクに限らずとも、創造性の高いアーティストほど、批判されますね❗
むかし、キース・ジャレッドが(トリオの時も)来日するたびに聴きに行ってました。即興から始めて、残り(アンコール?)はスタンダードってかたちでした。即興がメインなので上手くいくときとそうでないときがありました。上手くいかない時も批判的な感情は起こりませんでした。凡人には及びもつかない偉大な試みに立ち会えた満足感で満たされたものです。
Wollblume はモウズイカらしいです。「毛」ですね。w
そのハーブティーは日本にも売っていますか?
SNS等の匿名の批判を気にしないとのことですが、演奏会のブーイングも匿名なのでは?それでは演奏家はブーイングを気にする必要はないのか?…と、疑問が湧いてきました。
車田先生のお言葉を借りると、前者と後者の違いは「フェアかどうか」にあると思われますが、果たしてフェアな状態とは何なのか?
人によってフェアの判断が分かれるのかなと感じました。
ブーイングはこちらからも顔が見えますし、周りの人にも当然顔が見られます。そういう場でブーイングを言うには相当な勇気がいります。それが不当なブーイングであれば、周囲の聴衆から冷たい視線にさらされるリスクも負う事になります。ですから、SNSと同じとは考えないですね。
私の考えですが、批評家でないので(幸いなことに)、音楽が楽しめればいいと思っています。あえて赤の他人に言うほどでもない。
ご飯を食べに行っても、楽しめばいいのであって、評論しなくていい。
評論しようとすることで楽しめなくなる気がします。かえって大事なものを失っているように思います。
いや~、長年聴いてると、いろんなことが起きますよ。出だしでミスって楽章いっぱいとっちらかっちゃったホルンとかw…それも一つの思い出ですが。
ありますね〜😆それから、1番大事な所で盛大にやらかしても、その後崩れずぐんぐん調子を上げて、終演後には指揮者に立たされて照れ臭そうにしてる姿も何度か見ました。
私は死も間近な老哲学者ですが、哲学は、心つまり感情の科学ではなく、精神の科学です。ゆえに、自分は思う、信じる、好きだ嫌いだ、考えるに基づく学問ではありません。そういうわけで、演奏批評も極力 自分 を捨象して自己 の観点で行います。当然、感情の勝った演奏は評価しないことになります。失礼致しました。
コメントする時はなるべく、より魅力的な演奏になるにはどうしたらいいか?
それを書くようにしています。
少しずつでも、より魅力的な音楽が聴けた方が自分もお得だと思います。
ある著名なピアニストのコンサートを初めて聴きに行った時の事です。正直、プロの演奏のレベル?って思いました。でも、熱心に拍手されている方が多くて会場全体がそのピアニストのファンの方達なのかしら?と思った事がありました。こういう場合、批判する気持ちにもなりません。自分がそのコンサートに来たのが間違いだった、そう思いました。