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急行狩勝釧路行きではB寝台・札幌行きでは指定席、からまつが廃止になってからは自由席に乗りました。いずれも夏休み利用だったのでB寝台・指定席とも満席でしたね。一方、普通「からまつ」は小樽→釧路・釧路→小樽両方向のB寝台に乗りましたが、超ガラガラ。懐かしい時刻表ですね、根室8:30発函館行き急行ニセコ2号の送り込みの急行ノサップ3号グリ-ン車連結、釧路駅で実物見ました。
夏休みの旅の思い出ですね。楽しい旅の記憶が甦りましたら何よりです。
ほぼ同じ区間を同じ時間帯に走る「からまつ」もあるのに豪華なダイヤですね。むしろ新得あたりにはからまつの到着時刻のほうが便利なので降りる駅よって使い分けていたのでしょうが、贅沢な時代です。
その通りですね。帯広へは「からまつ」、釧路へは「狩勝」が便利でした。帯広からは士幌線や広尾線に乗り継いだものです。
先週、根室線の富良野から東鹿越間を2往復してきただけに、少し胸がつまります。
自然災害がなければ今でも富良野~新得間を乗り通せるのに・・・と思うと残念です。
@@急行-宗谷 落合から新得間で狩勝峠を堪能できないのは勿体ないですからねえ。
客車が9両もあったんですね今は6両だもんなー
道内を縦横無尽に敷かれた鉄路。北海道に於ける華やかな国鉄時代。道内を寝台急行が走るなんて、今では考えられませんね。また、一編成が8両とかが普通で、これも今では考えられないですね。古き佳きの昭和の時代の北海道の鉄路が懐かしい。こんな貴重な映像を見せて頂き、本当に有難うございます。私は大阪在住ですが、大の北海道の鉄道ファン。廃線になった鉄路を幾つも見て来ました。衰退の途を辿る鉄路は、そんな私の心の中にある鉄路までも蝕むような感じで、本当に哀しく辛い。
わたしも本州に住む北海道ファンです。行ったことがない所が多いのに、北海道へは何度も足を運んでいます。初めの頃は観光地を巡っていましたが、次第に列車に乗ることだけが楽しみになりました。まだまだ鉄道が元気だった時代・・・もう戻らない遠い昔を思い出して頂けました嬉しいです。
この列車の元祖は函館と釧路を函館本線止ませ経由で結んだ急行まりもで長万部と小樽間はC62重連で有名でした。その後、札幌以西は、急行ていねになり、ニセコ下り3号上り1号になった。三以東は準寝台列車まりもになり、ヨンサントウダイヤ改正で急行狩勝下り4号上り3号になったんだけど、石勝線開通時、再びまりも3,4号に改称されています。
@@急行-宗谷 いつも楽しく拝見させて頂いています。前にも言いましたが、私は大阪在住でありながらも、大の北海道の鉄道ファンです。ユーチューブで私は「厚床に会っとこ」と名乗っていますが、私は標津線の大ファンでした。起点の厚床駅が好きで、それで厚床に会っとこ。と言う事に。厚床から中標津へ走る鉄路。SLが走っていた頃からのファンです。歳がバレますね😀人の数より牛の方が多い酪農日本一!別海町の牧場を縫って走るSLの光景は今でも脳裏に。後に朱色に塗られたキハ20.22も、緑の牧場に映えました。20.22は、北海道を縦横無尽に走っていましたね。帯広から広尾を結んでいた広尾線も忘れられません。大阪から遥々、広尾線のラストランの為だけに駆けつけました。何故、そこまで北海道の鉄道を愛するのか?逆に、北海道以外の鉄道には興味はありません。私の住む大阪は、私鉄王国と言われますが、JRも含めて、全然興味はありません。年に2度は訪ねる北海道は、私の生きる活力です。関西空港から新千歳空港までの2時間足らずの機内での私は、子供のように胸燥ぐ😀すみません、長々と
素晴らしい。この頃は北海道は夜行列車の全盛だったんですね。今はすっかり面影がなくなり残念です。
道内完結の夜行列車がなくなってしまいさびしい限りです。せめて本州を結ぶ夜行列車ぐらいは残ってほしかったですね。
座席車より寝台車の両数が多いところに時代を感じます。芦別や富良野をギリ日着圏と考えると、つい最近の「札幌のホテル難民が宿泊予約サイトで誘導されるままに芦別の予約を入れてしまった」のも何とかなりそう…と妄想もまた楽し。
札幌の宿が取れず芦別・・・って結構大変ですね。
私自身は残念ながら「狩勝」には乗ったことがなく、専ら「からまつ」でした。座席なら周遊券が使えますし、強行軍で1週間くらいした時には、寝台料金課金して横になりたいと思うのですが、からまつの方が朝ゆっくり寝られることもあります。(実際死んだように眠り、9:30頃の到着直前まで起きなかったことがあります)。当時は金はなかったけど時間がありました。その後、金はあっても時間がない日々を送っています。当時は「金ができたらA寝台とグリーンで豪華に列車旅したい!」と思っていましたが、忙しい日々の間に夜行も長距離在来線特急も姿を消し、なんとなく鉄道旅から遠ざかっています。まだ中々時間が取れないですが、一段落したらフルムーンパスで乗りまくりたいと思ってます。(その頃にはフルムーンパスも廃止されてるかもですが)
夜行狩勝に自由席がなく、敷居が高く感じたのは一緒ですね。自分だけじゃなかったんだ…と思いました。お金があると時間がなくなるのも一緒です。会社ではなかなか長期休暇は取りにくいものです。それでもJR化後ではありますが、北海道フリーパスグリーン車用を使って、グリーン車やB寝台で豪華な旅をしたこともありました。フルムーンパスで旅行できるといいですね。奥様も鉄道好きなら、さらに素晴らしいと思います。実現しますように。
また貴重な国鉄時代の音源ありがとうございます。私もそのころは幾たびか北海道を訪れたものです。その時はSLの写真と録音が目的だったので移動中の車内音は気に留めていませんでした。いまになって当時の車内風景をなつかしみ音を通じて楽しませてもらっております。根室本線が被災する前に滝川から釧路まで各停のキハ40で通しで乗車したことがあります。その時も狩勝の名を冠した普通列車がありましたが、本物の夜行急行狩勝が聞けるとは幸いです。ハイケンスのオルゴール、車内放送、駅名案内の組み合わせが絶妙です。国鉄職員は旅情をかきたてる演出を考えていたのでしょうか。
SLの撮影と録音とはすごいですね。機材も相当な重量になり、体力を要したことと思います。わたくしが初めて北海道を訪れた頃は室蘭本線や釧網本線でSL牽引の普通列車や貨物列車が走っていましたが、せいぜい駅で写真を撮るくらいでした。何回目からの旅行から録音を始めましたが、その頃にはSLはなくなっていました。
これはまた貴重な音源の提供をありがとうございます。今や災害不通区間の切り捨て=廃止に面している根室本線も夜行列車が通常期でも2本走り、特急、急行も百花繚乱、釧路〜根室もノサップが何往復もして華やいでおります。時代の流れ、需要の変化と云えば其れ迄ですが改めて古き良き時代と云う言葉を噛み締めております。
本当にその通りですね。時代の流れを感じます。鉄道が元気だった頃の一つの記録として、様々な思い出と共に記憶にとどめて頂ければと思います。
あたかも私自身が乗車してるような感覚に囚われてしまいました。素敵な思い出をたくさんお持ちのようでうらやましい限りです。
録音から乗車気分を感じて頂けましたら嬉しいです。こんな形で40年以上前の旅の記録を公開させていただいておりますが、思い出は人それぞれで、いつの時代、誰にでも素敵な思い出はたくさんあることと思います。
この時代は札幌発の釧路、網走、稚内、函館行きと次々に夜行列車が発車していくのですね。夜の賑やかなホームは今では考えられなくなりました。貴重な音源ありがとうございます。
夜行列車が走っていた頃は何度札幌駅で列車を待ったことか。夜行列車がなくなってからはその頃の時刻に札幌駅に行くこともなくなってしまいました。夜に札幌駅に到着することがあっても、足早にビジネスホテルへと向かってしまいます。
狩勝4号とノサップ1号の乗り継ぎは懐しいですね。別海の牧場の長期アルバイトの時に乗りました。それからは牛に天龍チョップをかましながら、様々な人生修行をさせて頂きました。
尾岱沼近くの牧場で、ほんの少しですが牧場体験をさせていただいたことがありました。結果、やはり自分には無理だと悟りました。
おはようございます。そうそう、空席があると車内でも案内放送がありましたね。富良野と新得の停車時間が長いのは、狩勝峠越えのためですよね。最初の急行指定席券1000円、この1000円がぜいたくでしたね。急行で指定席と寝台車のみとは・・・。ホントに急行が特急扱いですね。釧路駅の案内放送いいですね!懐かしく拝見させて頂きました。ありがとうございます。
おはようございます。ご多忙なのに公開してすぐのコメント恐縮です。周遊券所持で自由席利用なら追加料金ナシでしたので、1000円は高く感じました。同じ根室本線の『からまつ』は何度も乗りましたが、夜行『狩勝』は釧路から『ノサップ』に乗り継ぐ時だけ指定券を買って乗りました。
@@急行-宗谷様 ノサップは3号まであったのですね。3号はグリーン車まである!時刻表を改めて見る発見が多いです。話は変わりますが、コメントを読んでいると、このサイトは健全というか、安心して書き込みができますね。皆さんがこのサイトを楽しんでいるのがよく伝わってきます。これからも、アップロード楽しみにしております。
@@オロロンライン-t9e 様。有難うございます。UA-camを始めた頃は数本程度でおしまいのつもりでしたが、多くの方のコメントに支えられて、1本また1本とupしてしまいました。駄作もあろうかと思いますが、これからもよろしくお願いいたします。
高1の時に釧路から札幌行きに乗りました。真夏だったのですが車内は少し寒かったですね。それでも岩見沢あたりまでしっかり寝てました(笑)
混雑を避け、夏の北海道はあまり行ったことがありませんが、夏でも夜の峠越えは寒いそうですね。
車内放送と釧路駅の乗り換え案内放送に情緒を感じます。いい音声ですね以上です。
こういう情緒を感じる機会も少なくなってしまいましたね。
道内唯一の寝台列車でした。昭和57年の1月中旬に、釧路から札幌行きの狩勝に乗車。昭和52年の7月下旬に、臨時狩勝に、何と車輌は東オクからの借り物…狩勝峠付近で電気暖房が入ってましたよ。国鉄時代の思い出が…アップありがとうございます。
シーズンオフにばかり旅行していたので夏の北海道は知らないのですが、夜の峠越えで暖房とはさすがに北海道ですね。
「くしろ~くしろ~」到着時の駅員さんの案内、味がありますよねJRの今日、大きな駅は、ほぼほぼ自動音声で、味気ないものですが、国鉄時代は、同じ駅でも、担当する駅員さんによって、発音が違ったりとか、イロイロ味がありました
こういう放送を耳にすると「あぁ、遠くまで来たんだな」と感慨深かったものでした。特に釧路は好きな街でしたので。
石勝線が出来る前の根室本線経由ですか〜。こんな音源が存在していること自体が驚異です。日本の鉄道文化の貴重な証拠資料ですね。
そんな大それた『資料』と呼べるようなものではなく、ただの鉄道趣味ではありますが、嬉しいコメントを頂戴し、有難うございいます。
ただただ、素晴らしい、そして懐かしい!!! 久しぶりに釧路へ行ってみくなりました。釧路の街はどうなってるのかなぁ〜 最後に、根室本線の富良野〜新得間が復旧予定なく廃止のようで・・・
富良野~新得間廃止がほぼ決定し淋しい限りです。この区間に最後に乗ったのは平成27年11月でした。滝川から釧路行で新得まで乗りました。回送を兼ねていたのでしょうが、富良野からは2両編成になりました。車内はガラガラで、途中からは他に乗客がなく、2両編成はわたくしの貸し切り状態でした。狩勝峠の眺望が良い区間は、今でも特急列車の車窓から観ることができますが、貸し切り同様の普通列車で眺めたことは何よりの贅沢でした。
ビール片手に大福を食べつつ、読書していた頃を思い出す。あの頃の釧路駅は地下にも売場があり、活気があったものだ。懐かしい思いをさせてもらい感謝します。
そう言えば地下にお店がありましたね。改札口もありました。駅の地下という立地の良さから、改装して再開されるものと思っていましたがいつの間にか忘れていました。秘密の地下空間は現在どうなっているのか気になります。釧路駅も高架化の構想があるそうですね。高架化されたら帯広駅のようにすっかり変わってしまうのでしょうね。
@@急行-宗谷 まち自体がとても寂れ、鉄道利用者もわずかな今、あの頃の華やかさはもう二度と来ないような気分です。先年行ったら日銀が和商市場の先の引き込み線跡の先の方に移転し、大通りの本屋も寂れていて悲しかった。またいろいろな音源を期待しております。
@@yuuzankouhi 様。釧路は好きな街なのですが、本州在住の身では数年に1回の旅行で訪れるだけです。「まりも」がなくなってからは釧路駅近くのビジネスホテルに泊まって、早朝の根室行き、網走行き乗る行程が多くなりました。和商市場は賑わっているし、町が寂れた感じはしませんでしたが、旅行者にはわからないものですね。だいぶ前に訪れた時はMOOの方が「昔はもっと賑わっていたのに」という印象でした。また和商市場でカニを買って食べたいです。
@@急行-宗谷 私は関東に居がある身。その昔は列車が宿でしたが、今ではホテルが宿に。しかし釧路にはもう数年泊まっていない。誤解されたようではしたらごめんなさい。
@@yuuzankouhi 様。道内在住の方と思いました。わたくし同様釧路が好きなのですね。勘違い申し訳ありません。
根室行の客車普通列車は狩勝の座席車と荷物車が化けるんですよね
あっそれは知りませんでした、貴重な情報を有難うございます。
いいですね~、特に北海道の夜行列車、旅情感がたまらないですね。案内放送と車輪の音でもう旅人です、有難うございました。
旅情を感じて頂けて何よりです。いい夢がみられるといいですね。
平成初期は夜行特急おおぞらに自由席、終点釧路で快速ノサップに乗り継げた。現状からすると滝川周りとは贅沢でしたね
滝川経由の釧路行き特急、急行が走った富良野~新得(新狩勝信号場)も廃止がほぼ決定し、普通列車ですら乗れなくなってしまうのですね・・・淋しい限りです。
おはようございます。夜行急行列車懐かしいですね。全車指定なので周遊券は使えなかったですねみんなからまつに乗ってました何時もありがとうございます🙇♀️お疲れ様でした釧網本線の時刻表見ていたら網走まわりの札幌行載ってますこれまた懐かしい😄
かな様。おはようございます。いつも公開してすぐのコメント有難うございます。『からまつ』は帯広から士幌線や広尾線に乗り継ぐのに便利でしたね。『からまつ』廃止後は『狩勝』にも自由席ができたようですが、その頃は旅に出られず、石勝線経由『まりも』になり、JRになってからはよく乗りました。道内の夜行列車、時刻表に掲載されている他の列車など懐かしく感じて頂ければ嬉しいです。まだ寒さが続くと思いますので、引き続きお大事に。
@@急行-宗谷 さん。何時もご心配ありがとうございます🙇宗谷さんも体調気をつけてお過ごし下さいね
@@kana08 様。お気遣い有難うございます。
連続ドラマ版の「北の国から」で気動車の急行狩勝が劇中に時々出ていたような気がします😊
記憶にあります。「北の国から」で鉄道のシーンが出てくるとワクワクしたものでした。
蛍とお母さんの永遠の別れの場面、東京へ戻るのに富良野を旅立つ時、急行狩勝に乗るお母さんを蛍は川べりから見送ります。
素晴らしいの一言です。昭和40年代から50年代に何度も北海道旅行をしたカニ族にとって、この音声は宝物です。時刻表とにらめっこしながら、当時を思い出しております。残念ながら、寝台列車のこの狩勝4号には乗車できませんでした。乗車したのは、普通の釧路行きだったと思います。いつも10台の青年です・・・(笑い)
狩勝に乗車されなかったのはやはり自由席がなくて、わたくし同様、敷居が高かったからと想像いたします。「普通の釧路行き」ということは「からまつ」の愛称が付く前からのご利用で? すごいですね。道内には蒸気機関車もたくさん走っていたことと思います。
@@急行-宗谷 昭和46年夏に1か月間、また、昭和48年2月から3月の2か月間、北海道を周遊旅行しました。当時はSL全盛時代、夜行列車はほとんどがディーゼル機関車連結の客車列車でした。寝台車や指定席は贅沢でした。10代の懐かしい思い出です。しかし、急行宗谷さんは、車掌のマイク放送をよく保存していましたねえ。本当に驚きです。私には、マネのできないことです。
@@文殊院陽光-h5j 様。次々と列車に乗ってはあちこちへ駆け回る私と違って、その土地、その土地をしっかり踏みしめ、交通が不便な地域にも足を踏み入れる文殊院様のような旅こそが本当の「旅」なのだなと思います。おそらく旅先では多くの人との交流もあったことと思います。いつも謙虚な文面から素晴らしいお人柄が想像できます。
@@急行-宗谷 様 有難うございます。北海道旅行が縁で、昭和48年春から昭和50年の春までの2年間を、道央の中心都市で働いていました。今年は古稀を迎える年となり、何としてもコロナ終息後の北海道の汽車の旅を計画しています。もちろん当時の友人と会いことも楽しみのひとつです。急行宗谷さんの録音を時刻表ともども拝見・拝聴していると、本当に当時のことを思い出します。それを現在まで保存していることに、ただただ驚きです。
全指定マーク、イイですね。(釧路駅表、ローマ字白ヌキ、タイプ好きだな~。)
当時はハーフのカメラにモノクロフィルムで駅名看板の写真を撮っていました。鳥居型の看板を好んで撮っていましたが、このタイプも確かにいいものですね。
いつも期待な音源のUPありがとうございます😄自分は石勝線開業後の急行まりも号で乗車しました。(当然周遊券なので自由席) 釧路駅で急行ノサップのあとの普通根室行きに乗車しょうとしたら、乗る車両が一晩過ごした客車だったのは驚きました😅
狩勝の座席車が普通根室行に運用されていたことを別な方のコメントで初めて知りました。『まりも』になってからも同様だったのですね。夜行の『狩勝』や『まりも』に乗った時は、いつでもすぐに根室行、網走行へと乗り継いでいたもので知る由はありませんでした。
貴重な音源ありがとうございます。廃線が進む北海道も昔は数多くの路線があり、夜行列車も多数運転されていたのですね。自分が知ってる北海道の夜行は名前だけですが、まりも号と利尻号。利尻号は14系?寝台がキハの間に連結されてるのしか知りません。高速道路が出来、高速バスや飛行機に乗客を奪われ、都心へ出稼ぎに行ってしまったのでしょうね。根室本線も廃線になり、留萌線も最終的には廃線。特急路線以外風前の灯ですね。次に危ないのは釧路-根室間あたりでしょうか…釧網線もSLとノロッコが将来廃止になったらどうなることやら…
昭和50年代の初め、炭鉱の閉山などですでに鉄道の全盛期は過ぎていたと思いますがまだまだ元気でした。今の姿を見るとさびしいです。
おはようございます😊こちらの急行狩勝4号、恐らく千歳線、石勝線経由の急行まりも号の前身にあたる夜行列車ではないかと。釧路駅到着時刻が似ていますので。(この当時はまだ石勝線が未開通だったので)それにしても色々な列車があり、本数も充実していていい時代でしたね!
夜行の狩勝も愛称が整理される前は「まりも」を名乗っていたようですね。札幌~釧路間の夜行が「狩勝」だったのは、意外と短かったようですね。
おはようございます。当時の「狩勝4号」は客車は寝台車と指定席車だけ連結の格式が高い夜行急行列車だったのですね。他路線の夜行急行列車「大雪」「利尻」には自由席車が連結されていたので、比較的豪華に感じます。当時は夜行普通列車でもB寝台車連結の「からまつ」が有ったからでしょうか?他路線の夜行急行「すずらん」と普通夜行41列車44列車はどうだったでしょうか?もう記憶もあやふやになってしまいました。釧路で接続列車の急行「ノサップ1号」に乗り換えると終点の根室には始業時間の9時前に到着可能。やはり北海道庁勤務の高級職員が根室の出張所へ現地視察するための列車に思えてなりません。これで北海道内の幹線ルートはほぼアップロード終わりでしょうか?貴重な音源と当時の道内時刻表と画像を組み合わせたスタイル、とても気に入っています。
おはようございます。早速のコメント有難うございます。難あり録音に変わり映えしない時刻表画像で、ご視聴の方もそろそろ飽きてきたかなと思いますが、そうでもないですか? こんな作品でも気に入って頂けて嬉しいです。確かに夜行の狩勝は釧路だけではなく根室も対象にしていたようですね。昭和49年3月、夜行狩勝に乗った時は、囲まれるように自衛隊の制服を着た方が大勢乗っていて圧倒されました。でも一般の乗客よりも静かでマナーも良くて、かえって幸運でした。狩勝の乗客が全てノサップに乗り換えるわけではありませんが、接続するノサップは2両で結構混んでいました。夜行列車の系統で言えば、夜行大雪の録音が未公開ですが、何しろ失敗ばかりの録音なので、マシな部分を探すのに苦戦しております。
43レ44レとすずらんですが、すずらんは寝台、グリーン、指定、自由の編成だったと記憶してます。いつまでかは定かでないですがA寝台もあったはずです。一方43レは自由席のみのモノクラス。ですので、自由席も連結されていることから「狩勝」と「からまつ」の関係とは少し違う位置付けだったかと思います。すずらんが函館札幌のメイン列車で、43レは山線各駅への利便性と、そもそも荷物列車がメインで旅客は付け足し的な位置付けだったかもしれません。4310から5510までの時刻表は全て所蔵してますが、押し入れの奥から発掘できない状態なので記憶違いでしたらすいません。
@@服部浩行 さま。ご指摘ありがとうございます。私自身も記憶があやふやなまま投稿していました。気になりましたので、私自身が楽天Kobo電子書籍で以前ダウンロードしていたJTBパブリッシング発行の交通公社の全国大型時刻表復刻版1975年3月号(山陽新幹線博多開業号)を改めて再ダウンロードして確認してみました。378ページ(函館本線山線区間を含む旭川→長万部のページ)によると、普通44列車と共に臨時夜行急行ニセコ51号(グリーン指定席車と普通座席指定席車と自由席車連結)が山線経由で運行されているようです。A寝台車、B寝台車、グリーン指定席車、普通座席指定席車と自由席車連結の定期夜行急行すずらん4号は千歳線・室蘭本線回りですね。函館本線下りのページに至っては、山線経由の43列車と室蘭本線・千歳線経由のすずらん4号だけで、山線経由の臨時夜行急行列車ニセコ51号の運転は無かったようです。(もちろん昼行急行ニセコ号の運転は有りましたが、議論外なので詳細は省きます。)室蘭本線経由のすずらん4号と、山線経由の43列車44列車とを同列視して比較するのは、服部浩行さまご指摘の通り不適切です。謝罪の周知期間を経て、私の投稿は削除いたします。申し訳ございませんでした。
@@ichidoureysol1964 削除の必要はないですよ。お互い記憶違いはよくあることですし、それを責める意図は当方には全くありません。もしそのように受け取られるような書き方であればお詫びします。それぞれの人には、さまざまな列車について、さまざまな記憶があります。それは美化されていたり、他の列車との混同もあるかと思います。それはそれとして、認め合いながら様々な方々との意見交換や資料が見つかれば、それでお互い気づけて、それを楽しみにすれば良いだけだと思います。もっと一緒に楽しみませんか?
@@服部浩行 さまご返信ありがとうございます。この鉄道旅行好きの趣味は墓場まで持って行くつもりです。力強いお言葉に救われました。改めて誤認投稿をお詫び申し上げます。
お疲れ様です。今だと、高速バスで札幌をこの時刻より遅く出て釧路には早く着いてしまいますね。失くなったのは仕方ないけど、やはり寂しいですね。乗ってみたかったなぁ…
公開して早速のコメント有難うございます。富良野経由から石勝線経由、愛称や種別を変更しつつ、長年にわたって走り続けた釧路行きの夜行列車。気が付けば遠い昔のことになってしまいましたね。
3段52㌢ベッドでも、フルフラットに寝れるのはありがたいですね。復活してほしいです。需要を呼ぶには、Wi-Fi・温水便座・携帯コンセントがあれば、できるかもしれません。
はまなす、ラベンダー編成で観光シーズンにイベント列車として夜行を走らせれば乗る人もいるかと思いますが、増収に繋がらなければJRとしても消極的でしょうね。B寝台の復活はさらに夢物語ですね。夢物語のついでに、廃車になる気動車を改造して『キハネ』を造るとか・・・
いつもながら素晴らしい記録をありがとうございます。道東筋の優等列車ここにあり、ですね。とうとう根室本線も被災区間の廃止が決まり、狩勝号の足跡をたどることさえ出来なくなりました。駅弁、蕎麦屋、電報に赤帽、グリーンとA寝台料金にかかる「通行税」…昭和は遠くなりにけり、ですね…。
有難う御座います。コメントを拝見していたら、わたくしも忘れていた記憶がまた一つ甦りました。狩勝ではありませんが、ある急行列車内で隣席の人が車掌に「電報を打ちたいんですけど」と依頼していたことがありました。携帯などなく、電話もダイヤル直通ではなく、交換手を通じて繋いでもらう地域があり、公衆電話からは繋がらないなどの不便を感じた記憶があります。本当に昭和は遠くになったものだと感じます。
流石、道東夜行「まりも」のスジを受け継ぐ、名列車「狩勝」。「大雪」、「利尻」より寝台車が多く、編成が豪華でしたよね(まぁ、この2列車はオロハネ10なる珍車を、ぶら下げていたが…)。石勝線開通前だから、函館本線廻りで釧路に入る。それだけで旅愁は満点。このころの10系寝台、43系座席、60系荷物の編成は、味がありましたね。札幌を拠点に「すずらん」、「狩勝」、「大雪」、「利尻」と如何にも北海道らしい名前の寝台急行が走っていました。そして忘れちゃならないのが「からまつ」。道東へ荷物を運ぶのが目的の普通列車(と言っては、悪いか)。深夜でも各駅停車をしてゆく律義者。とにかく、良い時代でした…。「からまつ」については、以前 宗谷 様がupされた「からまつ」編でも、同じようなコメントをしていたような…。スイマセン、進歩が無くって。
札幌を中心に各方面へ走っていた夜行列車。高速バスの進出で次第に乗客が減り、一時は快速ミッドナイトのような新たな作戦で巻き返しを試みてみたものの、1本、そしてまた1本と夜行列車が廃止され、夜の灯が消えていくようでした。気が付けば北海道だけではなく、全国的に夜行列車が消えて、残ったのはサンライズのみ。今では乗ることを楽しむWEST EXPRESS 銀河や、短区間を往復する夜行列車の企画が人気だそうですね。これも時代の流れですね。
@@急行-宗谷 さま、道内の、かつての急行は趣味的には、そそられます。北海道は車輌の墓場とは良くぞ言ったもの。でも転属で道内配置になった数々の車輌は、みな個性派揃い。あの蒸気が、どこどこの機関区に配属される…と聞いた、趣味の諸先輩方は携帯電話も無い時代、何で情報を知ったのだろう?蒸気末期には検査を受けて、まだ走るのに廃車とは勿体ないということで、北海道に随分やってきた奴もいたが、それも、また大歓迎。閑話休題、機関車だけではなく、趣味的には、客車も同じ。一番驚いたのは、マシ35の1~3が北海道に来たこと。都落ちもいいとこだ。スハ32なんかも普通にゴロゴロしていましたよね。あー、あの時代に戻りたい。地上時代の札幌駅は、なんと魅力的だったろうか!
@@米村純一-w5l 様。本州からの旅行者にとっては、古い客車に巡り合うと、10年も20年も前に戻ったような気分になったものでした。
北海道の鐵道で、根室本線の富良野-新得間の廃線どころか函館本線の長万部-小樽間の廃線も浮上しかなり問題になっているが、それほど深刻とみてよい。根室本線の事例は石勝線が開通したとたん前途ルートが急速に寂れ、旭川から道東への鐵道が失いやるせない思いも憤りも隠せず、JR北海道としては仕方ない話ではないかっ!!✋🚃にっぽんは一度廃止になった以上復活はあり得なくも、諸外国はあり得るのはおかしな國やろ…それにしても急行での周遊券はスゲー懐かし杉るよ😢⤵️⤵️😣💦⤵️🚃
懐かしさを感じて頂ければ何よりです。廃止のニュースは鉄道ファンにとって、淋しい限りですが、各地で過疎化が進む中、物流や人流は鉄道よりも道路が選ばれる。そんな時代になってしまったのだな・・・と諦めております。
貴重な音源ありがとうございます!石勝線開通後は札幌発が1時間遅くなって、帯広以遠はほぼ同じだったのですね。あれ、441レはハザが直通します、と言う放送はなかったのですね(^O^)ユ・ニとハザ2両は、4番線に転線の上後ろに貨車を繋げていたのですね!
座席車が普通根室行きになることを他の方のコメントで初めて知りました。まだまだ知らないことがたくさんあります。
急行狩勝釧路行きではB寝台・札幌行きでは指定席、からまつが廃止になってからは自由席に乗りました。
いずれも夏休み利用だったのでB寝台・指定席とも満席でしたね。
一方、普通「からまつ」は小樽→釧路・釧路→小樽両方向のB寝台に乗りましたが、超ガラガラ。
懐かしい時刻表ですね、根室8:30発函館行き急行ニセコ2号の送り込みの急行ノサップ3号グリ-ン車連結、釧路駅で実物見ました。
夏休みの旅の思い出ですね。楽しい旅の記憶が甦りましたら何よりです。
ほぼ同じ区間を同じ時間帯に走る「からまつ」もあるのに豪華なダイヤですね。むしろ新得あたりにはからまつの到着時刻のほうが便利なので降りる駅よって使い分けていたのでしょうが、贅沢な時代です。
その通りですね。帯広へは「からまつ」、釧路へは「狩勝」が便利でした。
帯広からは士幌線や広尾線に乗り継いだものです。
先週、根室線の富良野から東鹿越間を2往復してきただけに、少し胸がつまります。
自然災害がなければ今でも富良野~新得間を乗り通せるのに・・・と思うと残念です。
@@急行-宗谷 落合から新得間で狩勝峠を堪能できないのは勿体ないですからねえ。
客車が9両もあったんですね
今は6両だもんなー
道内を縦横無尽に敷かれた鉄路。
北海道に於ける華やかな国鉄時代。
道内を寝台急行が走るなんて、今では考えられませんね。
また、一編成が8両とかが普通で、これも今では考えられないですね。
古き佳きの昭和の時代の北海道の鉄路が懐かしい。
こんな貴重な映像を見せて頂き、本当に有難うございます。
私は大阪在住ですが、大の北海道の鉄道ファン。
廃線になった鉄路を幾つも見て来ました。
衰退の途を辿る鉄路は、そんな私の心の中にある鉄路までも蝕むような感じで、本当に哀しく辛い。
わたしも本州に住む北海道ファンです。行ったことがない所が多いのに、北海道へは何度も足を運んでいます。
初めの頃は観光地を巡っていましたが、次第に列車に乗ることだけが楽しみになりました。
まだまだ鉄道が元気だった時代・・・もう戻らない遠い昔を思い出して頂けました嬉しいです。
この列車の元祖は函館と釧路を函館本線止ませ経由で結んだ急行まりもで長万部と小樽間はC62重連で有名でした。その後、札幌以西は、急行ていねになり、ニセコ下り3号上り1号になった。三以東は準寝台列車まりもになり、ヨンサントウダイヤ改正で急行狩勝下り4号上り3号になったんだけど、石勝線開通時、再びまりも3,4号に改称されています。
@@急行-宗谷
いつも楽しく拝見させて頂いています。
前にも言いましたが、私は大阪在住でありながらも、大の北海道の鉄道ファンです。
ユーチューブで私は「厚床に会っとこ」と名乗っていますが、私は標津線の大ファンでした。起点の厚床駅が好きで、それで厚床に会っとこ。と言う事に。
厚床から中標津へ走る鉄路。
SLが走っていた頃からのファンです。
歳がバレますね😀
人の数より牛の方が多い酪農日本一!
別海町の牧場を縫って走るSLの光景は今でも脳裏に。
後に朱色に塗られたキハ20.22も、緑の牧場に映えました。
20.22は、北海道を縦横無尽に走っていましたね。
帯広から広尾を結んでいた広尾線も忘れられません。
大阪から遥々、広尾線のラストランの為だけに駆けつけました。
何故、そこまで北海道の鉄道を愛するのか?
逆に、北海道以外の鉄道には興味はありません。
私の住む大阪は、私鉄王国と言われますが、JRも含めて、全然興味はありません。
年に2度は訪ねる北海道は、私の生きる活力です。
関西空港から新千歳空港までの2時間足らずの機内での私は、子供のように胸燥ぐ😀
すみません、長々と
素晴らしい。この頃は北海道は夜行列車の全盛だったんですね。今はすっかり面影がなくなり残念です。
道内完結の夜行列車がなくなってしまいさびしい限りです。
せめて本州を結ぶ夜行列車ぐらいは残ってほしかったですね。
座席車より寝台車の両数が多いところに時代を感じます。
芦別や富良野をギリ日着圏と考えると、つい最近の「札幌のホテル難民が宿泊予約サイトで誘導されるままに芦別の予約を入れてしまった」のも何とかなりそう…と妄想もまた楽し。
札幌の宿が取れず芦別・・・って結構大変ですね。
私自身は残念ながら「狩勝」には乗ったことがなく、専ら「からまつ」でした。座席なら周遊券が使えますし、強行軍で1週間くらいした時には、寝台料金課金して横になりたいと思うのですが、からまつの方が朝ゆっくり寝られることもあります。(実際死んだように眠り、9:30頃の到着直前まで起きなかったことがあります)。
当時は金はなかったけど時間がありました。その後、金はあっても時間がない日々を送っています。
当時は「金ができたらA寝台とグリーンで豪華に列車旅したい!」と思っていましたが、忙しい日々の間に夜行も長距離在来線特急も姿を消し、なんとなく鉄道旅から遠ざかっています。
まだ中々時間が取れないですが、一段落したらフルムーンパスで乗りまくりたいと思ってます。(その頃にはフルムーンパスも廃止されてるかもですが)
夜行狩勝に自由席がなく、敷居が高く感じたのは一緒ですね。自分だけじゃなかったんだ…と思いました。
お金があると時間がなくなるのも一緒です。会社ではなかなか長期休暇は取りにくいものです。
それでもJR化後ではありますが、北海道フリーパスグリーン車用を使って、グリーン車やB寝台で豪華な旅をしたこともありました。
フルムーンパスで旅行できるといいですね。奥様も鉄道好きなら、さらに素晴らしいと思います。実現しますように。
また貴重な国鉄時代の音源ありがとうございます。私もそのころは幾たびか北海道を訪れたものです。その時はSLの写真と録音が目的だったので移動中の車内音は気に留めていませんでした。いまになって当時の車内風景をなつかしみ音を通じて楽しませてもらっております。根室本線が被災する前に滝川から釧路まで各停のキハ40で通しで乗車したことがあります。その時も狩勝の名を冠した普通列車がありましたが、本物の夜行急行狩勝が聞けるとは幸いです。ハイケンスのオルゴール、車内放送、駅名案内の組み合わせが絶妙です。国鉄職員は旅情をかきたてる演出を考えていたのでしょうか。
SLの撮影と録音とはすごいですね。機材も相当な重量になり、体力を要したことと思います。
わたくしが初めて北海道を訪れた頃は室蘭本線や釧網本線でSL牽引の普通列車や貨物列車が走っていましたが、せいぜい駅で写真を撮るくらいでした。何回目からの旅行から録音を始めましたが、その頃にはSLはなくなっていました。
これはまた貴重な音源の提供をありがとうございます。
今や災害不通区間の切り捨て=廃止に面している根室本線も夜行列車が通常期でも2本走り、特急、急行も百花繚乱、釧路〜根室もノサップが何往復もして華やいでおります。
時代の流れ、需要の変化と云えば其れ迄ですが改めて古き良き時代と云う言葉を噛み締めております。
本当にその通りですね。時代の流れを感じます。
鉄道が元気だった頃の一つの記録として、様々な思い出と共に記憶にとどめて頂ければと思います。
あたかも私自身が乗車してるような感覚に囚われてしまいました。素敵な思い出をたくさんお持ちのようでうらやましい限りです。
録音から乗車気分を感じて頂けましたら嬉しいです。
こんな形で40年以上前の旅の記録を公開させていただいておりますが、思い出は人それぞれで、いつの時代、誰にでも素敵な思い出はたくさんあることと思います。
この時代は札幌発の釧路、網走、稚内、函館行きと次々に夜行列車が発車していくのですね。夜の賑やかなホームは今では考えられなくなりました。貴重な音源ありがとうございます。
夜行列車が走っていた頃は何度札幌駅で列車を待ったことか。夜行列車がなくなってからはその頃の時刻に札幌駅に行くこともなくなってしまいました。夜に札幌駅に到着することがあっても、足早にビジネスホテルへと向かってしまいます。
狩勝4号とノサップ1号の乗り継ぎは懐しいですね。別海の牧場の長期アルバイトの時に乗りました。それからは牛に天龍チョップをかましながら、様々な人生修行をさせて頂きました。
尾岱沼近くの牧場で、ほんの少しですが牧場体験をさせていただいたことがありました。
結果、やはり自分には無理だと悟りました。
おはようございます。そうそう、空席があると車内でも案内放送がありましたね。富良野と新得の停車時間が長いのは、狩勝峠越えのためですよね。最初の急行指定席券1000円、この1000円がぜいたくでしたね。急行で指定席と寝台車のみとは・・・。ホントに急行が特急扱いですね。釧路駅の案内放送いいですね!懐かしく拝見させて頂きました。ありがとうございます。
おはようございます。ご多忙なのに公開してすぐのコメント恐縮です。
周遊券所持で自由席利用なら追加料金ナシでしたので、1000円は高く感じました。
同じ根室本線の『からまつ』は何度も乗りましたが、夜行『狩勝』は釧路から『ノサップ』に乗り継ぐ時だけ指定券を買って乗りました。
@@急行-宗谷様 ノサップは3号まであったのですね。3号はグリーン車まである!時刻表を改めて見る発見が多いです。話は変わりますが、コメントを読んでいると、このサイトは健全というか、安心して書き込みができますね。皆さんがこのサイトを楽しんでいるのがよく伝わってきます。これからも、アップロード楽しみにしております。
@@オロロンライン-t9e 様。有難うございます。UA-camを始めた頃は数本程度でおしまいのつもりでしたが、多くの方のコメントに支えられて、1本また1本とupしてしまいました。
駄作もあろうかと思いますが、これからもよろしくお願いいたします。
高1の時に
釧路から札幌行きに乗りました。
真夏だったのですが
車内は少し寒かったですね。
それでも岩見沢あたりまで
しっかり寝てました(笑)
混雑を避け、夏の北海道はあまり行ったことがありませんが、夏でも夜の峠越えは寒いそうですね。
車内放送と釧路駅の乗り換え案内放送に情緒を感じます。いい音声ですね以上です。
こういう情緒を感じる機会も少なくなってしまいましたね。
道内唯一の寝台列車でした。
昭和57年の1月中旬に、釧路から札幌行きの狩勝に乗車。
昭和52年の7月下旬に、臨時狩勝に、何と車輌は東オクからの借り物…狩勝峠付近で電気暖房が入ってましたよ。国鉄時代の思い出が…アップありがとうございます。
シーズンオフにばかり旅行していたので夏の北海道は知らないのですが、夜の峠越えで暖房とはさすがに北海道ですね。
「くしろ~くしろ~」到着時の駅員さんの案内、味がありますよね
JRの今日、大きな駅は、ほぼほぼ自動音声で、味気ないものですが、
国鉄時代は、同じ駅でも、担当する駅員さんによって、発音が違ったりとか、イロイロ味がありました
こういう放送を耳にすると「あぁ、遠くまで来たんだな」と感慨深かったものでした。特に釧路は好きな街でしたので。
石勝線が出来る前の根室本線経由ですか〜。こんな音源が存在していること自体が驚異です。日本の鉄道文化の貴重な証拠資料ですね。
そんな大それた『資料』と呼べるようなものではなく、ただの鉄道趣味ではありますが、嬉しいコメントを頂戴し、有難うございいます。
ただただ、素晴らしい、そして懐かしい!!! 久しぶりに釧路へ行ってみくなりました。釧路の街はどうなってるのかなぁ〜 最後に、根室本線の富良野〜新得間が復旧予定なく廃止のようで・・・
富良野~新得間廃止がほぼ決定し淋しい限りです。この区間に最後に乗ったのは平成27年11月でした。滝川から釧路行で新得まで乗りました。回送を兼ねていたのでしょうが、富良野からは2両編成になりました。車内はガラガラで、途中からは他に乗客がなく、2両編成はわたくしの貸し切り状態でした。狩勝峠の眺望が良い区間は、今でも特急列車の車窓から観ることができますが、貸し切り同様の普通列車で眺めたことは何よりの贅沢でした。
ビール片手に大福を食べつつ、読書していた頃を思い出す。あの頃の釧路駅は地下にも売場があり、活気があったものだ。懐かしい思いをさせてもらい感謝します。
そう言えば地下にお店がありましたね。改札口もありました。駅の地下という立地の良さから、改装して再開されるものと思っていましたがいつの間にか忘れていました。秘密の地下空間は現在どうなっているのか気になります。
釧路駅も高架化の構想があるそうですね。高架化されたら帯広駅のようにすっかり変わってしまうのでしょうね。
@@急行-宗谷 まち自体がとても寂れ、鉄道利用者もわずかな今、あの頃の華やかさはもう二度と来ないような気分です。先年行ったら日銀が和商市場の先の引き込み線跡の先の方に移転し、大通りの本屋も寂れていて悲しかった。またいろいろな音源を期待しております。
@@yuuzankouhi 様。釧路は好きな街なのですが、本州在住の身では数年に1回の旅行で訪れるだけです。「まりも」がなくなってからは釧路駅近くのビジネスホテルに泊まって、早朝の根室行き、網走行き乗る行程が多くなりました。和商市場は賑わっているし、町が寂れた感じはしませんでしたが、旅行者にはわからないものですね。だいぶ前に訪れた時はMOOの方が「昔はもっと賑わっていたのに」という印象でした。また和商市場でカニを買って食べたいです。
@@急行-宗谷 私は関東に居がある身。その昔は列車が宿でしたが、今ではホテルが宿に。しかし釧路にはもう数年泊まっていない。誤解されたようではしたらごめんなさい。
@@yuuzankouhi 様。道内在住の方と思いました。わたくし同様釧路が好きなのですね。勘違い申し訳ありません。
根室行の客車普通列車は狩勝の座席車と荷物車が化けるんですよね
あっそれは知りませんでした、貴重な情報を有難うございます。
いいですね~、特に北海道の夜行列車、旅情感がたまらないですね。案内放送と車輪の音でもう旅人です、有難うございました。
旅情を感じて頂けて何よりです。いい夢がみられるといいですね。
平成初期は夜行特急おおぞらに自由席、終点釧路で快速ノサップに乗り継げた。
現状からすると滝川周りとは贅沢でしたね
滝川経由の釧路行き特急、急行が走った富良野~新得(新狩勝信号場)も廃止がほぼ決定し、普通列車ですら乗れなくなってしまうのですね・・・淋しい限りです。
おはようございます。夜行急行列車
懐かしいですね。全車指定なので
周遊券は使えなかったですね
みんなからまつに乗ってました
何時もありがとうございます🙇♀️
お疲れ様でした
釧網本線の時刻表見ていたら
網走まわりの札幌行載ってます
これまた懐かしい😄
かな様。おはようございます。いつも公開してすぐのコメント有難うございます。
『からまつ』は帯広から士幌線や広尾線に乗り継ぐのに便利でしたね。『からまつ』廃止後は『狩勝』にも自由席ができたようですが、その頃は旅に出られず、石勝線経由『まりも』になり、JRになってからはよく乗りました。
道内の夜行列車、時刻表に掲載されている他の列車など懐かしく感じて頂ければ嬉しいです。
まだ寒さが続くと思いますので、引き続きお大事に。
@@急行-宗谷 さん。何時もご心配
ありがとうございます🙇宗谷さんも
体調気をつけてお過ごし下さいね
@@kana08 様。お気遣い有難うございます。
連続ドラマ版の「北の国から」で気動車の急行狩勝が劇中に時々出ていたような気がします😊
記憶にあります。「北の国から」で鉄道のシーンが出てくるとワクワクしたものでした。
蛍とお母さんの永遠の別れの場面、東京へ戻るのに富良野を旅立つ時、急行狩勝に乗るお母さんを蛍は川べりから見送ります。
素晴らしいの一言です。昭和40年代から50年代に何度も北海道旅行をしたカニ族にとって、この音声は宝物です。時刻表とにらめっこしながら、当時を思い出しております。
残念ながら、寝台列車のこの狩勝4号には乗車できませんでした。乗車したのは、普通の釧路行きだったと思います。いつも10台の青年です・・・(笑い)
狩勝に乗車されなかったのはやはり自由席がなくて、わたくし同様、敷居が高かったからと想像いたします。
「普通の釧路行き」ということは「からまつ」の愛称が付く前からのご利用で? すごいですね。道内には蒸気機関車もたくさん走っていたことと思います。
@@急行-宗谷 昭和46年夏に1か月間、また、昭和48年2月から3月の2か月間、北海道を周遊旅行しました。当時はSL全盛時代、夜行列車はほとんどがディーゼル機関車連結の客車列車でした。
寝台車や指定席は贅沢でした。10代の懐かしい思い出です。しかし、急行宗谷さんは、車掌のマイク放送をよく保存していましたねえ。本当に驚きです。私には、マネのできないことです。
@@文殊院陽光-h5j 様。次々と列車に乗ってはあちこちへ駆け回る私と違って、その土地、その土地をしっかり踏みしめ、交通が不便な地域にも足を踏み入れる文殊院様のような旅こそが本当の「旅」なのだなと思います。
おそらく旅先では多くの人との交流もあったことと思います。いつも謙虚な文面から素晴らしいお人柄が想像できます。
@@急行-宗谷 様 有難うございます。北海道旅行が縁で、昭和48年春から昭和50年の春までの2年間を、道央の中心都市で働いていました。今年は古稀を迎える年となり、何としてもコロナ終息後の北海道の汽車の旅を計画しています。もちろん当時の友人と会いことも楽しみのひとつです。
急行宗谷さんの録音を時刻表ともども拝見・拝聴していると、本当に当時のことを思い出します。それを現在まで保存していることに、ただただ驚きです。
全指定マーク、イイですね。
(釧路駅表、ローマ字白ヌキ、タイプ好きだな~。)
当時はハーフのカメラにモノクロフィルムで駅名看板の写真を撮っていました。
鳥居型の看板を好んで撮っていましたが、このタイプも確かにいいものですね。
いつも期待な音源のUPありがとうございます😄自分は石勝線開業後の急行まりも号で乗車しました。(当然周遊券なので自由席) 釧路駅で急行ノサップのあとの普通根室行きに乗車しょうとしたら、乗る車両が一晩過ごした客車だったのは驚きました😅
狩勝の座席車が普通根室行に運用されていたことを別な方のコメントで初めて知りました。『まりも』になってからも同様だったのですね。
夜行の『狩勝』や『まりも』に乗った時は、いつでもすぐに根室行、網走行へと乗り継いでいたもので知る由はありませんでした。
貴重な音源ありがとうございます。
廃線が進む北海道も昔は数多くの路線があり、夜行列車も多数運転されていたのですね。
自分が知ってる北海道の夜行は名前だけですが、まりも号と利尻号。
利尻号は14系?寝台がキハの間に連結されてるのしか知りません。
高速道路が出来、高速バスや飛行機に乗客を奪われ、都心へ出稼ぎに行ってしまったのでしょうね。
根室本線も廃線になり、留萌線も最終的には廃線。
特急路線以外風前の灯ですね。
次に危ないのは釧路-根室間あたりでしょうか…
釧網線もSLとノロッコが将来廃止になったらどうなることやら…
昭和50年代の初め、炭鉱の閉山などですでに鉄道の全盛期は過ぎていたと思いますがまだまだ元気でした。
今の姿を見るとさびしいです。
おはようございます😊
こちらの急行狩勝4号、恐らく千歳線、石勝線経由の急行まりも号の前身にあたる夜行列車ではないかと。
釧路駅到着時刻が似ていますので。
(この当時はまだ石勝線が未開通だったので)
それにしても色々な列車があり、本数も充実していていい時代でしたね!
夜行の狩勝も愛称が整理される前は「まりも」を名乗っていたようですね。
札幌~釧路間の夜行が「狩勝」だったのは、意外と短かったようですね。
おはようございます。当時の「狩勝4号」は客車は寝台車と指定席車だけ連結の格式が高い夜行急行列車だったのですね。他路線の夜行急行列車「大雪」「利尻」には自由席車が連結されていたので、比較的豪華に感じます。当時は夜行普通列車でもB寝台車連結の「からまつ」が有ったからでしょうか?他路線の夜行急行「すずらん」と普通夜行41列車44列車はどうだったでしょうか?もう記憶もあやふやになってしまいました。
釧路で接続列車の急行「ノサップ1号」に乗り換えると終点の根室には始業時間の9時前に到着可能。やはり北海道庁勤務の高級職員が根室の出張所へ現地視察するための列車に思えてなりません。これで北海道内の幹線ルートはほぼアップロード終わりでしょうか?貴重な音源と当時の道内時刻表と画像を組み合わせたスタイル、とても気に入っています。
おはようございます。早速のコメント有難うございます。難あり録音に変わり映えしない時刻表画像で、ご視聴の方もそろそろ飽きてきたかなと思いますが、そうでもないですか? こんな作品でも気に入って頂けて嬉しいです。
確かに夜行の狩勝は釧路だけではなく根室も対象にしていたようですね。昭和49年3月、夜行狩勝に乗った時は、囲まれるように自衛隊の制服を着た方が大勢乗っていて圧倒されました。でも一般の乗客よりも静かでマナーも良くて、かえって幸運でした。狩勝の乗客が全てノサップに乗り換えるわけではありませんが、接続するノサップは2両で結構混んでいました。
夜行列車の系統で言えば、夜行大雪の録音が未公開ですが、何しろ失敗ばかりの録音なので、マシな部分を探すのに苦戦しております。
43レ44レとすずらんですが、すずらんは寝台、グリーン、指定、自由の編成だったと記憶してます。いつまでかは定かでないですがA寝台もあったはずです。一方43レは自由席のみのモノクラス。
ですので、自由席も連結されていることから「狩勝」と「からまつ」の関係とは少し違う位置付けだったかと思います。
すずらんが函館札幌のメイン列車で、43レは山線各駅への利便性と、そもそも荷物列車がメインで旅客は付け足し的な位置付けだったかもしれません。
4310から5510までの時刻表は全て所蔵してますが、押し入れの奥から発掘できない状態なので記憶違いでしたらすいません。
@@服部浩行 さま。
ご指摘ありがとうございます。私自身も記憶があやふやなまま投稿していました。
気になりましたので、私自身が楽天Kobo電子書籍で以前ダウンロードしていたJTBパブリッシング発行の交通公社の全国大型時刻表復刻版1975年3月号(山陽新幹線博多開業号)を改めて再ダウンロードして確認してみました。
378ページ(函館本線山線区間を含む旭川→長万部のページ)によると、普通44列車と共に臨時夜行急行ニセコ51号(グリーン指定席車と普通座席指定席車と自由席車連結)が山線経由で運行されているようです。A寝台車、B寝台車、グリーン指定席車、普通座席指定席車と自由席車連結の定期夜行急行すずらん4号は千歳線・室蘭本線回りですね。函館本線下りのページに至っては、山線経由の43列車と室蘭本線・千歳線経由のすずらん4号だけで、山線経由の臨時夜行急行列車ニセコ51号の運転は無かったようです。(もちろん昼行急行ニセコ号の運転は有りましたが、議論外なので詳細は省きます。)
室蘭本線経由のすずらん4号と、山線経由の43列車44列車とを同列視して比較するのは、服部浩行さまご指摘の通り不適切です。謝罪の周知期間を経て、私の投稿は削除いたします。申し訳ございませんでした。
@@ichidoureysol1964
削除の必要はないですよ。
お互い記憶違いはよくあることですし、それを責める意図は当方には全くありません。もしそのように受け取られるような書き方であればお詫びします。
それぞれの人には、さまざまな列車について、さまざまな記憶があります。
それは美化されていたり、他の列車との混同もあるかと思います。
それはそれとして、認め合いながら様々な方々との意見交換や資料が見つかれば、それでお互い気づけて、それを楽しみにすれば良いだけだと思います。
もっと一緒に楽しみませんか?
@@服部浩行 さま
ご返信ありがとうございます。この鉄道旅行好きの趣味は墓場まで持って行くつもりです。力強いお言葉に救われました。改めて誤認投稿をお詫び申し上げます。
お疲れ様です。
今だと、高速バスで札幌をこの時刻より遅く出て釧路には早く着いてしまいますね。失くなったのは仕方ないけど、やはり寂しいですね。乗ってみたかったなぁ…
公開して早速のコメント有難うございます。
富良野経由から石勝線経由、愛称や種別を変更しつつ、長年にわたって走り続けた釧路行きの夜行列車。気が付けば遠い昔のことになってしまいましたね。
3段52㌢ベッドでも、フルフラットに寝れるのはありがたいですね。
復活してほしいです。
需要を呼ぶには、Wi-Fi・温水便座・携帯コンセントがあれば、できるかもしれません。
はまなす、ラベンダー編成で観光シーズンにイベント列車として夜行を走らせれば乗る人もいるかと思いますが、増収に繋がらなければJRとしても消極的でしょうね。
B寝台の復活はさらに夢物語ですね。夢物語のついでに、廃車になる気動車を改造して『キハネ』を造るとか・・・
いつもながら素晴らしい記録をありがとうございます。道東筋の優等列車ここにあり、ですね。
とうとう根室本線も被災区間の廃止が決まり、狩勝号の足跡をたどることさえ出来なくなりました。
駅弁、蕎麦屋、電報に赤帽、グリーンとA寝台料金にかかる「通行税」…昭和は遠くなりにけり、ですね…。
有難う御座います。コメントを拝見していたら、わたくしも忘れていた記憶がまた一つ甦りました。
狩勝ではありませんが、ある急行列車内で隣席の人が車掌に「電報を打ちたいんですけど」と依頼していたことがありました。
携帯などなく、電話もダイヤル直通ではなく、交換手を通じて繋いでもらう地域があり、公衆電話からは繋がらないなどの不便を感じた記憶があります。
本当に昭和は遠くになったものだと感じます。
流石、道東夜行「まりも」のスジを受け継ぐ、名列車「狩勝」。「大雪」、「利尻」より寝台車が多く、編成が豪華でしたよね(まぁ、この2列車はオロハネ10なる珍車を、ぶら下げていたが…)。石勝線開通前だから、函館本線廻りで釧路に入る。それだけで旅愁は満点。このころの10系寝台、43系座席、60系荷物の編成は、味がありましたね。札幌を拠点に「すずらん」、「狩勝」、「大雪」、「利尻」と如何にも北海道らしい名前の寝台急行が走っていました。そして忘れちゃならないのが「からまつ」。道東へ荷物を運ぶのが目的の普通列車(と言っては、悪いか)。深夜でも各駅停車をしてゆく律義者。とにかく、良い時代でした…。「からまつ」については、以前 宗谷 様がupされた「からまつ」編でも、同じようなコメントをしていたような…。スイマセン、進歩が無くって。
札幌を中心に各方面へ走っていた夜行列車。高速バスの進出で次第に乗客が減り、一時は快速ミッドナイトのような新たな作戦で巻き返しを試みてみたものの、1本、そしてまた1本と夜行列車が廃止され、夜の灯が消えていくようでした。
気が付けば北海道だけではなく、全国的に夜行列車が消えて、残ったのはサンライズのみ。
今では乗ることを楽しむWEST EXPRESS 銀河や、短区間を往復する夜行列車の企画が人気だそうですね。これも時代の流れですね。
@@急行-宗谷 さま、道内の、かつての急行は趣味的には、そそられます。北海道は車輌の墓場とは良くぞ言ったもの。でも転属で道内配置になった数々の車輌は、みな個性派揃い。あの蒸気が、どこどこの機関区に配属される…と聞いた、趣味の諸先輩方は携帯電話も無い時代、何で情報を知ったのだろう?蒸気末期には検査を受けて、まだ走るのに廃車とは勿体ないということで、北海道に随分やってきた奴もいたが、それも、また大歓迎。閑話休題、機関車だけではなく、趣味的には、客車も同じ。一番驚いたのは、マシ35の1~3が北海道に来たこと。都落ちもいいとこだ。スハ32なんかも普通にゴロゴロしていましたよね。あー、あの時代に戻りたい。地上時代の札幌駅は、なんと魅力的だったろうか!
@@米村純一-w5l 様。本州からの旅行者にとっては、古い客車に巡り合うと、10年も20年も前に戻ったような気分になったものでした。
北海道の鐵道で、根室本線の富良野-新得間の廃線どころか函館本線の長万部-小樽間の廃線も浮上しかなり問題になっているが、それほど深刻とみてよい。
根室本線の事例は石勝線が開通したとたん前途ルートが急速に寂れ、旭川から道東への鐵道が失いやるせない思いも憤りも隠せず、JR北海道としては仕方ない話ではないかっ!!✋🚃
にっぽんは一度廃止になった以上復活はあり得なくも、諸外国はあり得るのはおかしな國やろ…
それにしても急行での周遊券はスゲー懐かし杉るよ😢⤵️⤵️😣💦⤵️🚃
懐かしさを感じて頂ければ何よりです。廃止のニュースは鉄道ファンにとって、淋しい限りですが、各地で過疎化が進む中、物流や人流は鉄道よりも道路が選ばれる。そんな時代になってしまったのだな・・・と諦めております。
貴重な音源ありがとうございます!
石勝線開通後は札幌発が1時間遅くなって、帯広以遠はほぼ同じだったのですね。
あれ、441レはハザが直通します、と言う放送はなかったのですね(^O^)
ユ・ニとハザ2両は、4番線に転線の上後ろに貨車を繋げていたのですね!
座席車が普通根室行きになることを他の方のコメントで初めて知りました。まだまだ知らないことがたくさんあります。