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毎々貴重な音源ありがとうございます。昭和50年から54年まで親の仕事の都合で根室に住んでいましたが、この客車列車(急行「狩勝」の間合い)が存在していた時代でした。まだ根室も鉄道も元気な時代でした。
この録音当時根室にお住まいだった方にご視聴頂けて光栄です。昔は納沙布岬へ行ったり観光しながら根室の町を散策したものでしたが、活気があった印象です。
私が、昭和50年に札幌に引っ越しましたので、入れ替わりくらいかな。根室のピークは、200浬規制の直前くらいですかねえ。
概要欄に「またこれか」とおっしゃっておられますが、私は「これ」をいつも楽しみにしておるのです。これからも期待しております...
有難うございます。毎回同じような作りではありますが、まだ続けられそうです。
@@急行-宗谷ぜひ続けてください。楽しみにしておりますので。
この時代の北海道に行きたかったです。北海道ワイド周遊券を手に。これからもマイペースで楽しみます。
いつまで 旭川は アサヒガワ駅だったんだろ
千葉人です。昭和53年(1978年)3月高校入学前の春休みに北海道へ行き、札幌から急行“狩勝4号”(B寝台利用)~釧路~急行“ノサップ1号”~根室~納沙布岬観光~根室~444列車~釧路という経路で444列車に乗りました。客車は急行“狩勝”の間合運用で貨車混結の混合列車でしたね。厚岸駅のサケ弁当が美味しかったです。
この録音の時も同じ行程でした(狩勝は普通車指定席でしたが…)。みんな同じような旅をしていたのですね。想い出の投稿を有難うございます。
いつも見ています。貴重な音源を元に良い作品を作って頂いてると思っています。私は北海道出身で昭和、平成と暮らしていました。作品を見るととても懐かしい気持ちになります。これからも製作頑張ってください。
わたしは本州からの旅行者なので、北海道で目にするもの、耳にするものは何でも新鮮でした。そんな音声を元に作っているスライドショーですが、北海道出身の方に懐かしくご視聴頂けて嬉しいです。励みになるコメントを有難うございます。
車掌の名調子は勿論のこと、旧客車両ならではの走行中のキシミ音、ジョイント音が懐かしく心地良いですし、また、急行狩勝の旭川行き併結時の案内放送も貴重ですね。
放送部分だけでは短いので、今回はゴットン、ゴットンという客車の走行音も少し長めに入れてみました。旧型客車の普通列車が日常的に走っていた時代も遠い昔になってしまいました。
いつも懐かしく聞かせていただいております。旧型客車、短尺レールのジョイント音、車掌さんの案内等、たいへん貴重な音源を公開していただきありがとうございます。録音時のご苦労が偲ばれます。次はなにかな?と「これ」を楽しみにしておりますので、次回もよろしくお願いいたします。
有難うございます。素人の録音でお聞き苦しい箇所も多々ありますが、旧型客車による普通列車の雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。音質には自信がないので、せめて画面だけでもこまめに変わるような作りをしております。時刻表以外にも収集品などを入れて画面を作っておりますが、概要欄に記しましたようにネタ切れの感があります。今後も同じような画面が登場すると思いますが、まだ未使用の音源はありますので続けてまいります。
子供の頃から読書してましたが、時刻表の欄外にある「駅弁一覧」が好きでした。西鹿児島駅だったかの「黒豚弁当」やらが憧れでした。
時刻表に載っている駅弁案内、旅心を誘いますね。今はだいぶ少なくなり、しかも停車中にホームで買えることもほとんどできなくなってしまいました。
ニセコ、宗谷、おおとり、当時は北海道の最果ての地から函館まで、乗り通して内地へ行かれた方もいらっしゃったのでしょうね。貴重な音源、ありがとうございました。
趣味で乗るのと違って、用事があって乗る人は、長い列車の旅は大変だったことと思います。
おつかれさまです冒頭の時刻表のニセコ2号が根室8:30発、函館23:05着とはなんとも壮大な列車ですね
ニセコ2号、全区間乗り通すことはできませんでしたが、釧路→函館は乗ることができました。もう遠い昔のことになってしまいました。
0:21 ああ…動き出し、前の方から順に連結器の隙間が引っ張られて「ガシャンガシャン…」って迫ってくるの懐かしい😂
良質な音源ではありませんが、客車列車の雰囲気をわずかでも感じて頂けましたら嬉しいです。
貴重な根室発の客車列車の音源ありがとうございます。この荷物車は、急行狩勝に継承されて隅田川まで行く北東航の運用であったと思います。遥かなる旅のスタートであったわけですね。厚床駅に駅弁がありますが国鉄からJRになるころでも食べた人がいるというのを聞いたことはあります。しかし自分が行ったときには国鉄物資部でカップラーメンに湯を入れてもらって食べただけで、駅弁のえの字もありませんでした。この度の改正で狩勝の名前が消えました。急行として長い歴史を誇り、快速となってからも昨日まで生きながらえていましたが、その峠に至る経路が廃止されてしまうので、一つの時代が終わったような気がします。また4月1日に同じようなことを思うのでしょうか・・・
この時は編成をじっくり観察できなかったのですが、隅田川まで行く荷物車があったとは知りませんでした。そんな知識があれば、もっと感慨深かったかも知れませんね。JR化後間もない頃ですが、駅弁が入手できず空腹の時に、今で言う花咲線のどこかの駅で「うまいんでないかい」という今川焼をJRの職員が売っていました。その日最後のお客だったらしく、残っていた数個もおまけに付けてくれました。まだ暖かく、空腹でしたので美味しかったこと。
ハザ自体も、夜になると「狩勝→まりも」で札幌に行ってました。朝の441列車は、実際は札幌→根室直通でした。元々は急行「まりも」(釧路以東普通)として函館~根室を直通していました。
@@ogasawarah 様この当時はまだ、貨物をつないだ混合列車だったでしょうか。釧網本線とは違い、冬季の暖房は混合列車であっても、DDからの蒸気暖房であったと思います。北東航の荷物列車はなおさら2000番台の電気暖房蒸気暖房併用の車両であったので、この地で使われていた石油ストーブの暖房ではなかったと思います。そのため、貨物は常に編成の後ろに連結されていた時代であったと思います。ハザの所属は確かではありませんが札ナホだったのでしょうか。客貨車区でしたから札サウかもしれません。冬季間は特に、隅田川まで行く車両などもあったことから蒸気管の凍結などないように慎重に運用されていたのだと思います。今では半分推測でしか話すことのできないことですが、車両の運用だけでも奥深いものがありますね。
懐かしい音、客レの走行音は落ち着きますね
今回は放送部分だけではなく、走行音も少し長めに入れてみました。
今日から北海道地方線が自動放送のデクモに置き換わるという時、こうした旧客列車の時代は遠くなったものです。やはり北海道の風景に合うのはこうした客車列車だと思います。こうして聞いてみると車掌さんの案内放送もローカル列車と急行列車ではそれぞれ特徴があり、もしかしたら意識的に使い分けていたのかと思ったりします。
近年は北海道を訪れておりませんが、路線ばかりでなく車両も随分変わったことと思います。冬に乗った旧型客車の寒かったことが印象的でした。そんな遠い昔を偲びつつ快適になった現代の旅を楽しみたいと思います。
他の方も書かれてますが使い回し等とは全く気にしておりませんし、貴重な音源をアップしていただいているのにただただ感謝です。新得~富良野は急行「狩勝」の乗車機会が1回だけありましたが、根室本線の客車列車時代は乗車経験がないので羨ましいです。
有難うございます。毎回、録音スタートのタイミングを逸し、放送の初めが切れた失敗録音が多いですが、「貴重」と言って頂ければやはり嬉しいものです。多くの方からのコメントに支えられ、まだ続けて行けそうです。
かつて良く聞いた車内放送のように思いました。厚床駅で待ち合わせ時間がすごいなあと思いました。また釧路からの急行狩勝かもうないのが時代かな。寂しい気もありますが。
標津線の厚床~中標津間は本数が少なく、乗るためには待ち時間が少なくなるように時刻表を駆使したものでした。快速として残っていた「狩勝」の愛称もなくなってしまいましたね。
東釧路駅付近に住んでいました。音の臨場感が最高です。当時に引き戻されました。ありがとうございます。
沿線にお住まいだった方にご視聴頂けて嬉しいです。昔は東釧路にも貨物用の線路が多くあり、貨物で賑わっていた印象があります。
最近は忙しく時刻表を見ることがなくなりまして旅の楽しみをすっかり忘れております。今ではすっかり少なくなった駅弁も記載されていて懐かしさを感じました。車内補充券は個人的に好きです。標津線の列車本数と運転間隔にびっくりです
昔は数多くの路線があり、魅力ある列車もあって、時刻表を眺めているだけでも楽しかったですね。
子供の頃、根室に住んでいました。小学生の頃、一度だけ親に連れられて根室→西和田に行ったとき客車の列車だったことを憶えています。誰のところに行ったかなどは全く憶えていないのですが客車の列車だったことだけは鮮明に憶えています。
子供の頃の記憶って、断片的ながら妙に鮮明に記憶に残っている事ってありますね。親に話すと「よくそんなこと覚えているな」と驚かれたりもしたものでした。この音声をきっかけに遠い昔を思い出して頂けましたら嬉しいです。
初めて拝聴しました😀知らない駅…かつ現存しない駅も多数あり、今となっては貴重な記録だと思いました😉
ご視聴とコメント有難うございます。録音した時は鉄道趣味のコレクションに過ぎませんでしたが、40年以上の歳月を経て、多くの方に「貴重」と言って頂けて、やはり嬉しいものです。
廃止直前の441レに乗ったことがあります。懐かしいですね。442レは荷物車と郵便車を併結してましたので、鉄道荷物は11時までが当日発送となっていました。貴重な音源ありがとうございます。
「花咲線」の愛称を付けて、今や根室本線とは分離されてしまった感じではありますが、釧路~根室間の客車普通列車にも多くの方の思い出があるのですね。
こんばんは。この列車の下り、441レに乗ったこと思い出しました。懐かしいです(^^)隅田川からのコンテナ車連結した混合列車でしたね~😀
昔の旅を思い出して頂けましたら嬉しいです。
懐かしいですね。客車時代は根室から茶内まで歯医者(笑)通いで乗ってました。座席車は最果て鈍行に似合わない急行用の客車で運用され急行「狩勝→まりも」で札幌まで行ってました。(その旧客「まりも」にも乗ったことがあります)84年2月に貨物廃止でDC化されてから、釧路での「狩勝4号」への乗継も敢行しました。
日常的に乗っていた方にご視聴頂き、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
現在の花咲線に客車が走っていたのですか?これは驚き!昔の時刻表で調べてみますそれと 国鉄バスもきちんとのってますね
荷物車の関係で1往復だけ残っていたものと思います。もう遠い昔のことですね。
今回も貴重な音源ありがとうがざいます、今月末でで 根室線の分断、狩勝の愛称消滅、残念でなりません
録音から40年以上が経過し、昔とはすっかり様相が変わってしまいました。根室本線の一部廃止、長年親しんだ「狩勝」の愛称がなくなり、当時普通列車の主力だったキハ22を置き換えたキハ40も、今やH100へ・・・またひとつ時代が移り変わったような気がいたします。
2年前の6月に、大阪から釧路に旅行しました。空路を使いました。2泊3日でしたが、一度くらいは電車に乗ればよかったですね。
空路も良し、鉄路も良しです。北海道を旅行するだけで楽しいです。
客車普通列車は、ディーゼル気動車と比べると、不便だったかもしれませんが、その代り、気動車では味わえないわくわく感があると思います。その時代に産まれていないのですが、当時にタイムワープ出来たら、この列車に乗って、厚床駅のホタテ弁当を食べながら車窓を見てみたかったです。
今は気動車ばかりになってしまいましたが、車窓を流れる自然はほとんど昔のままの姿ですね。遠い昔の客車列車に思いを馳せつつ、現代の列車に乗るのもまた楽しいものです。
この頃の時刻表に簡易軌道の時刻はウタノボリだけ出ていた。ハマナカは出ていなかった。私が北海道ツーリングした頃は客車列車乗った記憶がない。花咲線、当時は根室本線とはべつの根釧支線とか呼んでた。列車はキハ08ベースの2両編成、もちろん今でも原野の鉄道を走る列車はキハ08を思い出す。
いい音ですね~!^^狩勝やからまつに続く荷物車や郵便車も繋いでいたんでしょうかね?しかし、厚床の乗換時間が非情ですね・・・^^;
厚床から標津線に乗り換えるなら、大抵の人は時刻表を見た上で、根室から乗る列車を1本後にしたことと思います。
おはようございます 客車普通列車懐かしい。根室⇔釧路は、何とか存続してまいますがこれからの風向き次第では、どうなるかわかりませんね。何せ、根室本線 富良野⇔新得間は廃線ですからね。ここは残して欲しかった!これで、長大根室本線は寸断されてしまいました。JR北海道と北海道庁が見捨てた区間です。ある意味、道東を見捨てたかもしれません。石勝線 石北本線があるといっても、ここも何かあれば不通になる区間を抱えていますかね。道東方面を石北本線のみに頼るのはいかがなものか?すみません。朝から愚痴を言ってしまいました。オレンジカード 持っています。これ今も使用可能なのでしょうか?録音されているレールの音がいいですね。今はこの音は聴くことが難しい。今日は朝からいい映像を拝見しました。ありがとうございました。今年は、寒気の流れ込みが例年と違い寒暖の差が激しいですね。まだ、この先寒の戻りがあるようです。明日は彼岸の入りなので春は確実に目の前ですね。次の配信も楽しみしております。
石勝線が開業した時は新線ができたことを喜んだものでしたが、まさか根室本線が今のような姿になろうとは思いもよりませんでした。時代は変わったものです。空港や道路は整備され、鉄道だけが見捨てられていくような感じでさびしいです。オレンジカードは気に入った図柄のものを見つけるとせっせと買い込んだものでした。一時は未使用のカードが何万円分もたまったものでした。今でも主要駅では使える券売機があるようですが、オレンジカードもすでに過去のものになってしまいましたね。今回は客車列車のゴットン、ゴットン、という音も少し長めに入れてみました。楽しんで頂けましたら何よりです。寒暖差はありますが、暖かい日はすでに春を感じています。加齢と共に花粉に弱くなりましたが。
当たり前ですが、根室に機回し線が有るのが新鮮。厚床からの中標津行が廃線前の4往復より多い!
Wikipediaによれば、今でも機回しは可能だそうですね。使われることもほとんどないのでしょうが。厚床~中標津間は本数が少なくて乗りにくい区間でした。
何気に当時の時刻表に硬券失くしてから気付くけど、貴重な資料ですよ。当時の時刻表は情報の宝庫。地図は全国を張り巡らせたロセだらけで鉄道でどこでも行けたんだよなー…今じゃ骨抜きなってもて(泣)
旅行に携帯した時刻表は当然のように汚れ、擦り切れていますが、捨てるに捨てられませんでした。40年以上再生することなく眠っていた音声と合わせることで、古い時刻表が生き返った感じです。
昭和48年3月父の転勤で函館から根室へ、昭和49年12月、単身根室から函館へ戻り下宿生活、春夏冬休みは函館〜根室を往復しました。父が根室から釧路へ転勤する昭和52年3月まで、8往復しました。その後函館〜釧路を6往復しました。
道内とはいえ函館~根室間も、函館~釧路間も相当な距離があり、ご苦労されたことと思います。
@@急行-宗谷さまありがとうございます。まだ石勝線が開通する前ですから。半日かかりました。函館駅の到着放送ありましたら、アップお願いします。「は、こーだ、でぇー」という到着放送、今は聞けませんね。
貴重な音源もですが今回は時刻表を見てビックリしました。急行ニセコ2号函館行き😳富良野線から滝川→札幌→小樽回りだったのでしょうか?乗ってみたいです←ケツが痛くなりそうwwあっ...いつも楽しみにしてます!
函館発根室行きの下りはなく、上りだけの変則的な運用でしたね。この数年後には札幌で系統が分離されて、「ニセコ」と「狩勝」になってしまいましたが、それでもまだ根室から札幌へ直通する列車として残ったのですね。
普通列車の普通車掌にくらべて、やはり急行狩勝の車掌長の放送は上手ですね
昔は普通列車で経験を積んでから優等列車に乗務していたと思うのですが、今や道内の普通列車は大部分がワンマンになってしまい、経験を積む機会もなくなってしまったみたいですね。
旧客独特の消毒液の臭いが..😅(懐かしい😢)3:48(原生花園)今の原生花園とは、違うんですよね?
昔の車両は煙草と、お酒と、おつまみのイカの匂いが混ざったような、独特の空気がありましたね。
国鉄民営化翌年、バイクブームに乗って道内ツーリングをしました、当時の釧路は街も大きく雰囲気がいい街で駅前も良い感じでした、やはり産業が衰退して大手が去ると街から大都市へ人も物も流れてしまうのは仕方ないのかな。
たまに訪れるだけの旅行者ですので、街の情勢のくわしいことは語れませんが、釧路は好きな街で何度も泊まっています。MOOもできた当初は多くの観光客でにぎわっていた印象ですが、いつの頃からか店舗も人も減って淋しくなってしまったのを感じました。駅前から幣舞橋へ行く途中もシャッターを閉めた店が多かった印象でした。釧路を最後に訪れてからもう何年も経ちますが、和商市場が賑わっていたのが嬉しく感じました。
この頃から本数は今とほぼ変わらなかったんだね。十往復ない。
この頃は貨物列車もあり、気動車の編成もたいてい2両以上で、有人駅も多く、まだ元気がありました。急行ノサップの末期はキハ53の1両になってしまいましたが・・・
北陸新幹線が敦賀まで延伸しました。新幹線もいいですが、やっぱり客車鈍行の方が個人的にいいです。客車を味わえるのは大井川鐵道ぐらいしかいまはないですが
昔は日常的に走っていた旧型客車。50系に変わったかと思ったら、客車列車自体がなくなってしまいましたね。もっと乗っておけば良かった・・・などと後になって思います。
根室まで路線が維持できるかどうか。そんなことを言っている現在、もう北方領土返還とか無理だわ。「北海道のインフラは何としても維持する」とか言えない政府じゃ、より僻地の離島が返って来ても荒れ地にするだけだろう。
いやー、旅情をそそられますなー。
良質な音声ではありませんが、客車普通列車独特の雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。
毎々貴重な音源ありがとうございます。
昭和50年から54年まで親の仕事の都合で根室に住んでいましたが、この客車列車(急行「狩勝」の間合い)が存在していた時代でした。
まだ根室も鉄道も元気な時代でした。
この録音当時根室にお住まいだった方にご視聴頂けて光栄です。
昔は納沙布岬へ行ったり観光しながら根室の町を散策したものでしたが、活気があった印象です。
私が、昭和50年に札幌に引っ越しましたので、入れ替わりくらいかな。根室のピークは、200浬規制の直前くらいですかねえ。
概要欄に「またこれか」とおっしゃっておられますが、私は「これ」をいつも楽しみにしておるのです。これからも期待しております...
有難うございます。毎回同じような作りではありますが、まだ続けられそうです。
@@急行-宗谷ぜひ続けてください。楽しみにしておりますので。
この時代の北海道に行きたかったです。北海道ワイド周遊券を手に。これからもマイペースで楽しみます。
いつまで 旭川は アサヒガワ駅だったんだろ
千葉人です。昭和53年(1978年)3月高校入学前の春休みに北海道へ行き、札幌から急行“狩勝4号”(B寝台利用)~釧路~急行“ノサップ1号”~根室~納沙布岬観光~根室~444列車~釧路という経路で444列車に乗りました。客車は急行“狩勝”の間合運用で貨車混結の混合列車でしたね。厚岸駅のサケ弁当が美味しかったです。
この録音の時も同じ行程でした(狩勝は普通車指定席でしたが…)。みんな同じような旅をしていたのですね。
想い出の投稿を有難うございます。
いつも見ています。貴重な音源を元に良い作品を作って頂いてると思っています。私は北海道出身で昭和、平成と暮らしていました。作品を見るととても懐かしい気持ちになります。これからも製作頑張ってください。
わたしは本州からの旅行者なので、北海道で目にするもの、耳にするものは何でも新鮮でした。
そんな音声を元に作っているスライドショーですが、北海道出身の方に懐かしくご視聴頂けて嬉しいです。
励みになるコメントを有難うございます。
車掌の名調子は勿論のこと、旧客車両ならではの走行中のキシミ音、ジョイント音が懐かしく心地良いですし、また、急行狩勝の旭川行き併結時の案内放送も貴重ですね。
放送部分だけでは短いので、今回はゴットン、ゴットンという客車の走行音も少し長めに入れてみました。
旧型客車の普通列車が日常的に走っていた時代も遠い昔になってしまいました。
いつも懐かしく聞かせていただいております。旧型客車、短尺レールのジョイント音、車掌さんの案内等、たいへん貴重な音源を公開していただきありがとうございます。録音時のご苦労が偲ばれます。次はなにかな?と「これ」を楽しみにしておりますので、次回もよろしくお願いいたします。
有難うございます。素人の録音でお聞き苦しい箇所も多々ありますが、旧型客車による普通列車の雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。
音質には自信がないので、せめて画面だけでもこまめに変わるような作りをしております。
時刻表以外にも収集品などを入れて画面を作っておりますが、概要欄に記しましたようにネタ切れの感があります。今後も同じような画面が登場すると思いますが、まだ未使用の音源はありますので続けてまいります。
子供の頃から読書してましたが、時刻表の欄外にある「駅弁一覧」が好きでした。西鹿児島駅だったかの「黒豚弁当」やらが憧れでした。
時刻表に載っている駅弁案内、旅心を誘いますね。
今はだいぶ少なくなり、しかも停車中にホームで買えることもほとんどできなくなってしまいました。
ニセコ、宗谷、おおとり、当時は北海道の最果ての地から函館まで、乗り通して内地へ行かれた方もいらっしゃったのでしょうね。
貴重な音源、ありがとうございました。
趣味で乗るのと違って、用事があって乗る人は、長い列車の旅は大変だったことと思います。
おつかれさまです
冒頭の時刻表のニセコ2号が根室8:30発、函館23:05着とはなんとも壮大な列車ですね
ニセコ2号、全区間乗り通すことはできませんでしたが、釧路→函館は乗ることができました。
もう遠い昔のことになってしまいました。
0:21 ああ…動き出し、前の方から順に連結器の隙間が引っ張られて「ガシャンガシャン…」って迫ってくるの懐かしい😂
良質な音源ではありませんが、客車列車の雰囲気をわずかでも感じて頂けましたら嬉しいです。
貴重な根室発の客車列車の音源ありがとうございます。
この荷物車は、急行狩勝に継承されて隅田川まで行く北東航の運用であったと思います。
遥かなる旅のスタートであったわけですね。
厚床駅に駅弁がありますが国鉄からJRになるころでも食べた人がいるというのを聞いたことはあります。しかし自分が行ったときには国鉄物資部でカップラーメンに湯を入れてもらって食べただけで、駅弁のえの字もありませんでした。
この度の改正で狩勝の名前が消えました。急行として長い歴史を誇り、快速となってからも昨日まで生きながらえていましたが、その峠に至る経路が廃止されてしまうので、一つの時代が終わったような気がします。
また4月1日に同じようなことを思うのでしょうか・・・
この時は編成をじっくり観察できなかったのですが、隅田川まで行く荷物車があったとは知りませんでした。
そんな知識があれば、もっと感慨深かったかも知れませんね。
JR化後間もない頃ですが、駅弁が入手できず空腹の時に、今で言う花咲線のどこかの駅で「うまいんでないかい」という今川焼をJRの職員が売っていました。その日最後のお客だったらしく、残っていた数個もおまけに付けてくれました。まだ暖かく、空腹でしたので美味しかったこと。
ハザ自体も、夜になると「狩勝→まりも」で札幌に行ってました。
朝の441列車は、実際は札幌→根室直通でした。
元々は急行「まりも」(釧路以東普通)として
函館~根室を直通していました。
@@ogasawarah 様
この当時はまだ、貨物をつないだ混合列車だったでしょうか。
釧網本線とは違い、冬季の暖房は混合列車であっても、DDからの蒸気暖房であったと思います。北東航の荷物列車はなおさら2000番台の電気暖房蒸気暖房併用の車両であったので、この地で使われていた石油ストーブの暖房ではなかったと思います。
そのため、貨物は常に編成の後ろに連結されていた時代であったと思います。
ハザの所属は確かではありませんが札ナホだったのでしょうか。客貨車区でしたから札サウかもしれません。
冬季間は特に、隅田川まで行く車両などもあったことから蒸気管の凍結などないように慎重に運用されていたのだと思います。
今では半分推測でしか話すことのできないことですが、車両の運用だけでも奥深いものがありますね。
懐かしい音、客レの走行音は落ち着きますね
今回は放送部分だけではなく、走行音も少し長めに入れてみました。
今日から北海道地方線が自動放送のデクモに置き換わるという時、こうした旧客列車の時代は遠くなったものです。
やはり北海道の風景に合うのはこうした客車列車だと思います。
こうして聞いてみると車掌さんの案内放送もローカル列車と急行列車ではそれぞれ特徴があり、もしかしたら意識的に使い分けていたのかと思ったりします。
近年は北海道を訪れておりませんが、路線ばかりでなく車両も随分変わったことと思います。
冬に乗った旧型客車の寒かったことが印象的でした。そんな遠い昔を偲びつつ快適になった現代の旅を楽しみたいと思います。
他の方も書かれてますが使い回し等とは全く気にしておりませんし、貴重な音源をアップしていただいているのにただただ感謝です。
新得~富良野は急行「狩勝」の乗車機会が1回だけありましたが、根室本線の客車列車時代は乗車経験がないので羨ましいです。
有難うございます。毎回、録音スタートのタイミングを逸し、放送の初めが切れた失敗録音が多いですが、「貴重」と言って頂ければやはり嬉しいものです。
多くの方からのコメントに支えられ、まだ続けて行けそうです。
かつて良く聞いた車内放送のように思いました。厚床駅で待ち合わせ時間がすごいなあと思いました。また釧路からの急行狩勝かもうないのが時代かな。寂しい気もありますが。
標津線の厚床~中標津間は本数が少なく、乗るためには待ち時間が少なくなるように時刻表を駆使したものでした。
快速として残っていた「狩勝」の愛称もなくなってしまいましたね。
東釧路駅付近に住んでいました。音の臨場感が最高です。当時に引き戻されました。ありがとうございます。
沿線にお住まいだった方にご視聴頂けて嬉しいです。
昔は東釧路にも貨物用の線路が多くあり、貨物で賑わっていた印象があります。
最近は忙しく時刻表を見ることがなくなりまして旅の楽しみをすっかり忘れております。今ではすっかり少なくなった駅弁も記載されていて懐かしさを感じました。車内補充券は個人的に好きです。標津線の列車本数と運転間隔にびっくりです
昔は数多くの路線があり、魅力ある列車もあって、時刻表を眺めているだけでも楽しかったですね。
子供の頃、根室に住んでいました。小学生の頃、一度だけ親に連れられて根室→西和田に行ったとき客車の列車だったことを憶えています。
誰のところに行ったかなどは全く憶えていないのですが客車の列車だったことだけは鮮明に憶えています。
子供の頃の記憶って、断片的ながら妙に鮮明に記憶に残っている事ってありますね。
親に話すと「よくそんなこと覚えているな」と驚かれたりもしたものでした。
この音声をきっかけに遠い昔を思い出して頂けましたら嬉しいです。
初めて拝聴しました😀
知らない駅…かつ現存しない駅も多数あり、今となっては貴重な記録だと思いました😉
ご視聴とコメント有難うございます。録音した時は鉄道趣味のコレクションに過ぎませんでしたが、40年以上の歳月を経て、多くの方に「貴重」と言って頂けて、やはり嬉しいものです。
廃止直前の441レに乗ったことがあります。
懐かしいですね。
442レは荷物車と郵便車を併結してましたので、鉄道荷物は11時までが当日発送となっていました。
貴重な音源ありがとうございます。
「花咲線」の愛称を付けて、今や根室本線とは分離されてしまった感じではありますが、釧路~根室間の客車普通列車にも多くの方の思い出があるのですね。
こんばんは。
この列車の下り、441レに乗ったこと思い出しました。懐かしいです(^^)隅田川からのコンテナ車連結した混合列車でしたね~😀
昔の旅を思い出して頂けましたら嬉しいです。
懐かしいですね。
客車時代は根室から茶内まで歯医者(笑)通いで乗ってました。
座席車は最果て鈍行に似合わない急行用の客車で運用され
急行「狩勝→まりも」で札幌まで行ってました。
(その旧客「まりも」にも乗ったことがあります)
84年2月に貨物廃止でDC化されてから、
釧路での「狩勝4号」への乗継も敢行しました。
日常的に乗っていた方にご視聴頂き、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
現在の花咲線に
客車が走っていたのですか?
これは驚き!
昔の時刻表で調べてみます
それと 国鉄バスもきちんと
のってますね
荷物車の関係で1往復だけ残っていたものと思います。もう遠い昔のことですね。
今回も貴重な音源ありがとうがざいます、今月末でで 根室線の分断、狩勝の愛称消滅、残念でなりません
録音から40年以上が経過し、昔とはすっかり様相が変わってしまいました。
根室本線の一部廃止、長年親しんだ「狩勝」の愛称がなくなり、当時普通列車の主力だったキハ22を置き換えたキハ40も、今やH100へ・・・またひとつ時代が移り変わったような気がいたします。
2年前の6月に、大阪から釧路に旅行しました。空路を使いました。
2泊3日でしたが、一度くらいは電車に乗ればよかったですね。
空路も良し、鉄路も良しです。北海道を旅行するだけで楽しいです。
客車普通列車は、ディーゼル気動車と比べると、不便だったかもしれませんが、その代り、気動車では味わえないわくわく感があると思います。その時代に産まれていないのですが、当時にタイムワープ出来たら、この列車に乗って、厚床駅のホタテ弁当を食べながら車窓を見てみたかったです。
今は気動車ばかりになってしまいましたが、車窓を流れる自然はほとんど昔のままの姿ですね。
遠い昔の客車列車に思いを馳せつつ、現代の列車に乗るのもまた楽しいものです。
この頃の時刻表に簡易軌道の時刻はウタノボリだけ出ていた。ハマナカは出ていなかった。
私が北海道ツーリングした頃は客車列車乗った記憶がない。
花咲線、当時は根室本線とはべつの根釧支線とか呼んでた。列車はキハ08ベースの2両編成、もちろん今でも原野の鉄道を走る列車はキハ08を思い出す。
いい音ですね~!^^狩勝やからまつに続く荷物車や郵便車も繋いでいたんでしょうかね?
しかし、厚床の乗換時間が非情ですね・・・^^;
厚床から標津線に乗り換えるなら、大抵の人は時刻表を見た上で、根室から乗る列車を1本後にしたことと思います。
おはようございます 客車普通列車懐かしい。
根室⇔釧路は、何とか存続してまいますがこれからの
風向き次第では、どうなるかわかりませんね。
何せ、根室本線 富良野⇔新得間は廃線ですからね。
ここは残して欲しかった!これで、長大根室本線は
寸断されてしまいました。JR北海道と北海道庁が
見捨てた区間です。ある意味、道東を見捨てたかも
しれません。石勝線 石北本線があるといっても、ここも何か
あれば不通になる区間を抱えていますかね。道東方面を
石北本線のみに頼るのはいかがなものか?
すみません。朝から愚痴を言ってしまいました。
オレンジカード 持っています。これ今も使用可能
なのでしょうか?
録音されているレールの音がいいですね。今はこの音は
聴くことが難しい。
今日は朝からいい映像を拝見しました。ありがとうございました。
今年は、寒気の流れ込みが例年と違い寒暖の差が激しいですね。
まだ、この先寒の戻りがあるようです。明日は彼岸の入りなので
春は確実に目の前ですね。
次の配信も楽しみしております。
石勝線が開業した時は新線ができたことを喜んだものでしたが、まさか根室本線が今のような姿になろうとは思いもよりませんでした。時代は変わったものです。
空港や道路は整備され、鉄道だけが見捨てられていくような感じでさびしいです。
オレンジカードは気に入った図柄のものを見つけるとせっせと買い込んだものでした。一時は未使用のカードが何万円分もたまったものでした。今でも主要駅では使える券売機があるようですが、オレンジカードもすでに過去のものになってしまいましたね。
今回は客車列車のゴットン、ゴットン、という音も少し長めに入れてみました。楽しんで頂けましたら何よりです。
寒暖差はありますが、暖かい日はすでに春を感じています。加齢と共に花粉に弱くなりましたが。
当たり前ですが、根室に機回し線が有るのが新鮮。厚床からの中標津行が廃線前の4往復より多い!
Wikipediaによれば、今でも機回しは可能だそうですね。使われることもほとんどないのでしょうが。
厚床~中標津間は本数が少なくて乗りにくい区間でした。
何気に当時の時刻表に硬券
失くしてから気付くけど、貴重な資料ですよ。
当時の時刻表は情報の宝庫。
地図は全国を張り巡らせたロセだらけで鉄道でどこでも行けたんだよなー…
今じゃ骨抜きなってもて(泣)
旅行に携帯した時刻表は当然のように汚れ、擦り切れていますが、捨てるに捨てられませんでした。
40年以上再生することなく眠っていた音声と合わせることで、古い時刻表が生き返った感じです。
昭和48年3月父の転勤で函館から根室へ、昭和49年12月、単身根室から函館へ戻り下宿生活、春夏冬休みは函館〜根室を往復しました。父が根室から釧路へ転勤する昭和52年3月まで、8往復しました。その後函館〜釧路を6往復しました。
道内とはいえ函館~根室間も、函館~釧路間も相当な距離があり、ご苦労されたことと思います。
@@急行-宗谷さま
ありがとうございます。
まだ石勝線が開通する前ですから。半日かかりました。
函館駅の到着放送ありましたら、アップお願いします。「は、こーだ、でぇー」という到着放送、今は聞けませんね。
貴重な音源もですが今回は時刻表を見てビックリしました。急行ニセコ2号函館行き😳富良野線から滝川→札幌→小樽回りだったのでしょうか?
乗ってみたいです←ケツが痛くなりそうww
あっ...いつも楽しみにしてます!
函館発根室行きの下りはなく、上りだけの変則的な運用でしたね。
この数年後には札幌で系統が分離されて、「ニセコ」と「狩勝」になってしまいましたが、それでもまだ根室から札幌へ直通する列車として残ったのですね。
普通列車の普通車掌にくらべて、やはり急行狩勝の車掌長の放送は上手ですね
昔は普通列車で経験を積んでから優等列車に乗務していたと思うのですが、今や道内の普通列車は大部分がワンマンになってしまい、経験を積む機会もなくなってしまったみたいですね。
旧客独特の消毒液の臭いが..😅
(懐かしい😢)
3:48
(原生花園)
今の原生花園とは、違うんですよね?
昔の車両は煙草と、お酒と、おつまみのイカの匂いが混ざったような、独特の空気がありましたね。
国鉄民営化翌年、バイクブームに乗って道内ツーリングをしました、当時の釧路は街も大きく雰囲気がいい街で駅前も良い感じでした、
やはり産業が衰退して大手が去ると街から大都市へ人も物も流れてしまうのは仕方ないのかな。
たまに訪れるだけの旅行者ですので、街の情勢のくわしいことは語れませんが、釧路は好きな街で何度も泊まっています。
MOOもできた当初は多くの観光客でにぎわっていた印象ですが、いつの頃からか店舗も人も減って淋しくなってしまったのを感じました。駅前から幣舞橋へ行く途中もシャッターを閉めた店が多かった印象でした。
釧路を最後に訪れてからもう何年も経ちますが、和商市場が賑わっていたのが嬉しく感じました。
この頃から本数は今とほぼ変わらなかったんだね。十往復ない。
この頃は貨物列車もあり、気動車の編成もたいてい2両以上で、有人駅も多く、まだ元気がありました。
急行ノサップの末期はキハ53の1両になってしまいましたが・・・
北陸新幹線が敦賀まで延伸しました。新幹線もいいですが、やっぱり客車鈍行の方が個人的にいいです。客車を味わえるのは大井川鐵道ぐらいしかいまはないですが
昔は日常的に走っていた旧型客車。50系に変わったかと思ったら、客車列車自体がなくなってしまいましたね。
もっと乗っておけば良かった・・・などと後になって思います。
根室まで路線が維持できるかどうか。
そんなことを言っている現在、もう北方領土返還とか無理だわ。
「北海道のインフラは何としても維持する」とか言えない政府じゃ、より僻地の離島が返って来ても荒れ地にするだけだろう。
いやー、旅情をそそられますなー。
良質な音声ではありませんが、客車普通列車独特の雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。