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わかりやすくご解説いただき、ありがとうございます。また、私の本もご紹介くださり、ありがとうございます。
山田先生!ありがとうございます!むしろ勝手に御著書を使わせていただき恐縮です。これからも忍者の勉強させていただきます!
聖徳太子が初めて「志能便」という諜報部員を使ったのが、「しのび」の起源だと子供の頃に習いましたが……
とても素晴らしいきかくでした。今後も色々な先生とコラボしてほしいです。
動画を拝見しながら忍びの民は兵としての人力が必要になる時代まで権力者が放置していたのは年貢を納める稲作ができない土地に住んでいたからかもしれないですね。違うかもしれませんが自分的にはちょっとすっきりしました
伊賀甲賀の土地は作物が取れにくいので、己の体を鍛え上げ、他の土地へ出稼ぎに行って金を稼いでいたそうですね。
脱線してるフードプロセッサーの話は全ての商売に通じる話しなのでは?何気に考えさせられるエピソードです。
私もフードプロセッサ使うようになってから料理が一気に変わりました
先日、伊賀越えのゆかりの所-柘植の徳永寺に行きました、確かに忍びの里の地、家康公は、忍びの案内で、三河、浜松に、帰還したのでしょうネ ~😮😅甲賀、伊賀の国境で、民衆が、荒れた所です。伊賀・天正の乱の地です😮
福地城跡-芭蕉公園、松尾芭蕉の生誕地-碑、写真撮りました🤳😄
フードプロセッサの例え好き
伊賀衆、雑賀衆、村上水軍、堺衆といった、戦国時代にあって自治勢力になっていった勢力というのはロマンがあっていいですね
スケバン刑事IIIの風間三姉妹のお父さんも風間小太郎でしたね。風魔忍者の末裔という設定でした。
画眉丸最強👍👍😍
最近、竹田信玄公に仕えていた7家の末裔を名乗る武術家の方がUA-camで活躍されてますが、あの人の話されていることを想像で組み合わせると…忍びの家系かのかな?と思ってしまう。主に当て身を得意として、裏で護衛の様なことをしたり…任務を遂行するための術として体術をメインに一子相伝で500年間継いできたと。外に漏れないための口伝や一子相伝とか、もう忍びとしか思えないワードが飛び交う方ですけど。ジャンルが違うので無理でしょうが、いつか対談とか有ってそういうこと聞けるなら聞いてもらいたいな。影武流合氣体術の雨宮先生とコラボをして、歴史的なことを深堀してもらえたらなぁ…と思ってしまう。
18:00~伊達政宗は字が大変立派で上手いので由来含めて後世に残る確率が高く、真贋判定が比較的容易で今でも自筆の新資料が見つかるようです。黒脛巾組も平和になって忍び働きをさせられなくなった人々に対して、「黒脛巾組のことは忘れてないよ」、というお気持ちの書状だったのではないか、という説があるようです
甲賀出身です!とても分かりやすく面白かったです地元の油日神社に伝わっている話ですが甲賀忍者は「甲賀古士」、「甲賀武士」と自らを認め、「忍」ではなくあくまで自分たちは「武士」なんだという事が伝わっているようです
子供んとき、ニンジャになりたかったのでもっとニンジャについて知りたいですなー
甲賀の忍術書「忍術應義伝」には、聖徳太子に仕えた甲賀出身の大伴細人・杉原斎入が「良き情報の入手を志す者」という意味の「志能備」と太子に呼ばれていたと記されている。真偽の程は兎も角として、「十人の声を同時に聴いて聴き分ける」と言う太子の超人伝説は、もしかしたら複数人(10人?)の志能備を使いこなしていた事から生じた物だったりしてね😎
平山先生の「戦国の忍び」で紹介されていた折口信夫の「ごろつきの話」は青空文庫で読めます。短いですが面白いですよ。
忍が~ぁ通ぉぉるぅ獣み...子供のころテレビでアニメのカムイ外伝を見て忍者のおじさんたち可哀そうと思ってました。時代劇研究家 春日太一氏いわく、日本人が今思い描くイメージは、小説や映画で昭和のエンタメがいろんな尾ひれつけて味変してるらしい。個人的にはいい味がでてるんだから、世界にも昭和のテイストのままで発信し続けて、むしろYMOのように確信犯的に誤解させちゃっていいかななんて
忍びは世界の情勢が分からない今の日本人に1番必要なものでしょう!😮💨
今は『スパイ天国の国』として世界中のスパイから愛されています。
@@たまてばこ-y8t 様 😮💨返信有難う御座います。戦争に負けてアッチ系の政治家がかなり入ってますしNアッチ系が国民から金を毟りながら局内にCCTV『中国国営中央テレビ今はどうか不明』があって検閲の真似してますから。忍びどころの話では有りません!
平安末期から活動してた善児はしのびじゃないんだ・・・
忍びは一般人に紛れて情報収集とかしているの下りで思い出したけど、有名どころだと、千利休とか松尾芭蕉なんかも忍びだったとかいう説もありますね
卑怯というのは自分に不利益が被るから言うけど、自分に利益があるなら平気で使うそれって卑怯って言えるのか?現代人も平気で卑怯とかいう奴いるけど、何も考えてないんだなと思う
Xinobiってゲームのタイトルにありそうでかっこいいw
こういう掘り下げ動画、たまりません😋
室町時代の終わりになると、近江の穴太の石積みとか国友の鉄砲みたいに、地域ごとに技術が専門化して大名に金でその技術や製品、サービスを提供するようになりますよね。大和の柳生の剣術や雑賀の傭兵もそういう要素があるかな?伊賀や甲賀の忍者もそういう流れの中の1つで、農耕だけで食べて行けないから忍びの技術提供や要員派遣をしてくれるものであるかなと勝手に理解しております。
小学生の頃はくノ一に憧れてました。その後、山田風太郎の忍者小説をドキドキしながら読んだのが懐かしい!正に女大鼠の世界でした。
磯田先生の本には忍ばない忍者の話がありました。江戸時代の尾張藩士の日記に紀州藩の吉宗が将軍になった時にあからさまに忍びとわかる者たちが尾張藩内に商人に化けて潜入してきたと書いてあったそうです。要するに紀州藩は尾張藩のことを監視しているぞと見せつけるためだったそうです。その前に尾張藩主やその後継者が次々に死んだことで内紛があるのではと吉宗が不審に思ったからのようです。尾張藩主が死んだときに葬儀のため進物を担いで行った紀州藩のものの一人が尾張家の玄関前で頓死した事件もあったようです。忍ばない忍びというのも抑止力になるんですね。
すごく興味深い話ですね。例えば武田の軍師となった山本勘助ですが、実は南信濃に波及したとされる甲賀流を汲んだ伊那流の乱破あがりであり、今川の間者を経た後に 蒼眼で脚の不自由さを装った謀将にのし上がったという、マニアックな諸説を思い出しました。
個人的には草とは何代もその土地に土着していざという時忍びとして働く農民というイメージだったのですが違っているのですね。或いはそれぞれあったのか。
里入りの術という兵法の1つですね。幼少時から敵領内に領民として住み着き 敵地を諜報したり、成人ともなれば足軽として敵陣に組み入り諜報や工作を企てるという者達です。
武田の歩き巫女や最上の羽黒山の山伏集団、尼子の鉢屋衆然り普段から忍び忍びしてる訳ではなく、何かしらの職につきつつ、その特性を活かして仕事をしていた例も意外と多いなぁ。
体調がよくなると表現力もパワーアップして面白いです!毎回わかりやすいです!
料理で卵を砕くエピソードは最高でした❤
仮面の忍者で有名になった?飛騨忍者は、小動物を使役していたらしい、という伝承がある。
仮面の忍者赤影! 懐かしいです! 昔は子供向けの特撮時代劇というジャンルがあったんだよなあ、と思い出しました。 『快傑ライオン丸』なんて知りませんかねぇ? 今でも主題歌を唄えましたwww
面白かった毎度話が上手い🎵
聖徳太子が忍びを使っていたって言う話を聞いたことがあるのですが、、、
SHINOBI. 映画にありました。
風魔が『風間(かざま)』だったとは(クレヨンしんちゃんの友達)。。。各戦国大名の使役していた忍びの解説有難うございます🙏!解説やコメントを拝見して、多分善児やトウが忍者の始祖で〜徳川吉宗が御庭番を駆使するのを得意としたのは、紀州藩出身もあるのかなと思い、ワクワクしました。大河ドラマでは今川家は名家の誇りで忍びを使うのを嫌った(認めたくなかった)設定や演出なのかも知れませんね。ハットリ君や、千葉真一やショーン・コスギやミュータントタートルズ🐢やら世界に拡がったNINJA凄いですね!ポテサラ食べたくなりました🤤。
軒猿は、内野さんの風林火山で、呼び名、でてましたね。緒方さん、が、呼んでましたね。😊
勝てば官軍負ければ賊軍www映画の梟の城のように天守閣の屋根に登ってしまう様な忍者が自分の中のイメージでした。
近代の忍者物の映画の中では最も まともな作品かと。序盤から天正9年伊賀の乱のシーンがありますよね。
うぽつです。忍びと同じ傭兵集団と目される根来衆、雑賀衆等についてもお纏め動画をお願い出来ればと・・。ついでにロケ等も如何ですか?
伊賀・甲賀が特別な忍びの地となったのは、京や大和から東海へ抜ける要衝に近いが山に囲まれた僻地という特殊な地域と修験者との関係があります。伊賀や甲賀の使う毒や薬、忍者ポーズに代表される九字印は修験者由来のものです。九字印は的に潜入する前に精神統一とおまじないとして行ったものだそうです。あと平時の夜間潜入時のオモシロ戦法として「懐に恋文」があります。見知らぬ奴と誰何されても「恋文預かってきましたー」と誤魔化すというもので、どうもわりと見逃してもらいやすかったようです。確かにキレいな侍女の名前とか予め調べておいて名前を出せば「なんだよ、○○さん目当てかー」とかで済まされそうですもんね。
大野智の無門好きだな
忍者と言えば猿飛佐助ですが、「真田太平記」でも草の者の活躍が多かったですね。実際 真田家は忍者を使っていたんでしょうか?
むかしテレビドラマで忍者の番組ありましたね「忍者部隊月光」「赤影」とかwww
「科学忍者隊ガッチャマン」
ありましたね。子供向けの特撮時代劇といったジャンルが。 私が夢中だったのは『快傑ライオン丸』だったんですが・・・、確かに忍者は子供たちの間でも人気でしたよ。
今期のドラマにも、忍者の末裔には、結婚が難しいという題材のドラマやってますね。あとは、特撮もの見てました。
忍者という言葉が、昭和30年代に使われ始めたというのは意外でした。忍び=傭兵もなーるほど!と納得しました。裏切らないように、人質を取っていたわけですね。武田、伊達氏はじめ著名な戦国大名は、さすがに皆忍びを使っていたのですね。その中でも、ある戦国大名にのみ属するのではなく、いろいろな大名に雇われる形で活躍した伊賀、甲賀は、他の忍びと異なりますね。山奥で他から干渉されないという地形的特性が、彼らの技能や能力を高めたというのは、とても説得力があります。動画の中では両者が助け合ったという話もありましたが、実際のところ両者が対立することは多かったのでしょうか?それとも、その場その場の状況から、敵にも味方にもなり得る流動性があったのでしょうか?忍びの能力は、どちらが上だったのか?など興味は尽きません。
忍者がいたというのは、実利的に考える大名が多かったというわけですね
2代目大鼠(女)の本名が明かされる時は来るんでしょうか?江戸時代まで生き延びるのか?その後はどんな風に生きて行くのか?も気になります。
伊賀甲賀の忍者の末裔たちは戊辰戦争とかで活躍したんかな?井伊の赤備えは近代兵器に屈したけど
武士道さん、生配信で予告された通り、週内で忍者解説あげてくださりありがとうございます。今週は資料に目を通すことで忙しかったことでしょう。おかげさまで、ほぼテレビ影響のみの忍者知識がとても深まりました。時に、説明前に言われる ’ざっくり~’、 すきです~。私には、わかりやすく充分ありがたいです。今回の、ポテトサラダの例えも面白い説明でよかったです!今年の大河、突っ込みたくなる傾向もありましたが、忍者に力入れていることで、新たな歴史の深堀でき、楽しくなってきました。もちろん、新しい家康像を見ていくのも楽しくなってます。余談ですが、武士道さん、新ヘアスタイルへ移行中ですか?
体調大丈夫ですか…?何卒ご自愛ください。
忍者、忍者ならマンガ忍者ハットリ君イメージが
柳生もまた伊賀と隣接してますからね。
例え話嫌いじゃないぜ笑
「信長の野望」ではひたすら忍を放って、隣国を混乱に陥れてきましたw平時(江戸期)の隠密ネタも面白いです。御公儀のそれと各藩のしのぎ合いもあったとか。
忍者の話…大変興味深いものでした。伊賀には伊賀上野城がありましたが、伊賀忍者との関係なども聞きたかったです。また、当時の呼名が今の地名に関係している所なども聞きたいです。
もう少し、信長の野望も忍び活用する機能つかえればなぁー
とても興味深い内容でした(^-^)ありがとうございます!
きちんと『いが』、『こうか』と呼び分けているのに好感が持てました。だいたい今の人はいがに引っ張られて『こうが』呼びですからね。それとすっぱ抜くの語源は透波(すっぱ)が情報を抜き取ったことから来ている様ですね。
善二!忍びは善二(笑)
お疲れ様でござる!いつも楽しみに拝見してるでございまする。順調に登録忍び伸びてるでございまするな!皆の者も登録お願いするでござりまする。
風間の始まりは善児とトウらしいよ(すっとぼけ🙄)
面白かったです、武田氏、真田氏、ゆかりの出浦盛清の話もしてほしかった、今回の大河は、具体的に忍者を描いているので、上田合戦では、甲州透破と服部組の戦いをみたいです。
真田の忍にもふれて欲しかったですね。
わかりやすくご解説いただき、ありがとうございます。また、私の本もご紹介くださり、ありがとうございます。
山田先生!ありがとうございます!むしろ勝手に御著書を使わせていただき恐縮です。これからも忍者の勉強させていただきます!
聖徳太子が初めて「志能便」という諜報部員を使ったのが、「しのび」の起源だと子供の頃に習いましたが……
とても素晴らしいきかくでした。今後も色々な先生とコラボしてほしいです。
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伊賀甲賀の土地は作物が取れにくいので、己の体を鍛え上げ、他の土地へ出稼ぎに行って
金を稼いでいたそうですね。
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私もフードプロセッサ使うようになってから料理が一気に変わりました
先日、伊賀越えのゆかりの所-柘植の徳永寺に行きました、確かに忍びの里の地、家康公は、忍びの案内で、三河、浜松に、帰還したのでしょうネ ~😮😅
甲賀、伊賀の国境で、民衆が、荒れた所です。伊賀・天正の乱の地です😮
福地城跡-芭蕉公園、松尾芭蕉の生誕地-碑、写真撮りました🤳😄
フードプロセッサの例え好き
伊賀衆、雑賀衆、村上水軍、堺衆といった、戦国時代にあって自治勢力になっていった勢力というのはロマンがあっていいですね
スケバン刑事IIIの風間三姉妹のお父さんも風間小太郎でしたね。風魔忍者の末裔という設定でした。
画眉丸最強👍👍😍
最近、竹田信玄公に仕えていた7家の末裔を名乗る武術家の方がUA-camで活躍されてますが、あの人の話されていることを想像で組み合わせると…忍びの家系かのかな?と思ってしまう。
主に当て身を得意として、裏で護衛の様なことをしたり…任務を遂行するための術として体術をメインに一子相伝で500年間継いできたと。
外に漏れないための口伝や一子相伝とか、もう忍びとしか思えないワードが飛び交う方ですけど。
ジャンルが違うので無理でしょうが、いつか対談とか有ってそういうこと聞けるなら聞いてもらいたいな。
影武流合氣体術の雨宮先生とコラボをして、歴史的なことを深堀してもらえたらなぁ…と思ってしまう。
18:00~
伊達政宗は字が大変立派で上手いので由来含めて後世に残る確率が高く、真贋判定が比較的容易で今でも自筆の新資料が見つかるようです。
黒脛巾組も平和になって忍び働きをさせられなくなった人々に対して、「黒脛巾組のことは忘れてないよ」、というお気持ちの書状だったのではないか、という説があるようです
甲賀出身です!
とても分かりやすく面白かったです
地元の油日神社に伝わっている話ですが甲賀忍者は「甲賀古士」、「甲賀武士」と自らを認め、「忍」ではなくあくまで自分たちは「武士」なんだという事が伝わっているようです
子供んとき、ニンジャになりたかったのでもっとニンジャについて知りたいですなー
甲賀の忍術書「忍術應義伝」には、聖徳太子に仕えた甲賀出身の大伴細人・杉原斎入が「良き情報の入手を志す者」という意味の「志能備」と太子に呼ばれていたと記されている。真偽の程は兎も角として、「十人の声を同時に聴いて聴き分ける」と言う太子の超人伝説は、もしかしたら複数人(10人?)の志能備を使いこなしていた事から生じた物だったりしてね😎
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子供のころテレビでアニメのカムイ外伝を
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今思い描くイメージは、小説や映画で昭和の
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個人的にはいい味がでてるんだから、世界にも
昭和のテイストのままで発信し続けて、むしろ
YMOのように確信犯的に誤解させちゃって
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今は『スパイ天国の国』として世界中のスパイから愛されています。
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平安末期から活動してた善児はしのびじゃないんだ・・・
忍びは一般人に紛れて情報収集とかしているの下りで思い出したけど、
有名どころだと、千利休とか松尾芭蕉なんかも忍びだったとかいう説もありますね
卑怯というのは自分に不利益が被るから言うけど、自分に利益があるなら平気で使う
それって卑怯って言えるのか?
現代人も平気で卑怯とかいう奴いるけど、何も考えてないんだなと思う
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室町時代の終わりになると、近江の穴太の石積みとか国友の鉄砲みたいに、地域ごとに技術が専門化して大名に金でその技術や製品、サービスを提供するようになりますよね。
大和の柳生の剣術や雑賀の傭兵もそういう要素があるかな?
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小学生の頃はくノ一に憧れてました。
その後、山田風太郎の忍者小説をドキドキしながら読んだのが懐かしい!
正に女大鼠の世界でした。
磯田先生の本には忍ばない忍者の話がありました。
江戸時代の尾張藩士の日記に紀州藩の吉宗が将軍になった時にあからさまに忍びとわかる者たちが
尾張藩内に商人に化けて潜入してきたと書いてあったそうです。
要するに紀州藩は尾張藩のことを監視しているぞと見せつけるためだったそうです。
その前に尾張藩主やその後継者が次々に死んだことで内紛があるのではと吉宗が不審に思ったからのようです。
尾張藩主が死んだときに葬儀のため進物を担いで行った紀州藩のものの一人が尾張家の玄関前で頓死した事件もあったようです。
忍ばない忍びというのも抑止力になるんですね。
すごく興味深い話ですね。
例えば武田の軍師となった山本勘助ですが、実は南信濃に波及したとされる甲賀流を汲んだ伊那流の乱破あがりであり、今川の間者を経た後に 蒼眼で脚の不自由さを装った謀将にのし上がったという、マニアックな諸説を思い出しました。
個人的には草とは何代もその土地に土着していざという時忍びとして働く農民というイメージだったのですが違っているのですね。或いはそれぞれあったのか。
里入りの術という兵法の1つですね。
幼少時から敵領内に領民として住み着き 敵地を諜報したり、成人ともなれば足軽として敵陣に組み入り諜報や工作を企てるという者達です。
武田の歩き巫女や最上の羽黒山の山伏集団、尼子の鉢屋衆然り普段から忍び忍びしてる訳ではなく、何かしらの職につきつつ、その特性を活かして仕事をしていた例も意外と多いなぁ。
体調がよくなると表現力もパワーアップして面白いです!
毎回わかりやすいです!
料理で卵を砕くエピソードは最高でした❤
仮面の忍者で有名になった?飛騨忍者は、小動物を使役していたらしい、という伝承がある。
仮面の忍者赤影! 懐かしいです! 昔は子供向けの特撮時代劇というジャンルがあったんだよなあ、と思い出しました。
『快傑ライオン丸』なんて知りませんかねぇ? 今でも主題歌を唄えましたwww
面白かった
毎度話が上手い🎵
聖徳太子が忍びを使っていたって言う話を聞いたことがあるのですが、、、
SHINOBI. 映画にありました。
風魔が『風間(かざま)』だったとは(クレヨンしんちゃんの友達)。。。各戦国大名の使役していた忍びの解説有難うございます🙏!解説やコメントを拝見して、多分善児やトウが忍者の始祖で〜徳川吉宗が御庭番を駆使するのを得意としたのは、紀州藩出身もあるのかなと思い、ワクワクしました。大河ドラマでは今川家は名家の誇りで忍びを使うのを嫌った(認めたくなかった)設定や演出なのかも知れませんね。ハットリ君や、千葉真一やショーン・コスギやミュータントタートルズ🐢やら世界に拡がったNINJA凄いですね!ポテサラ食べたくなりました🤤。
軒猿は、内野さんの風林火山で、呼び名、でてましたね。
緒方さん、が、呼んでましたね。😊
勝てば官軍負ければ賊軍www
映画の梟の城のように天守閣の屋根に登ってしまう様な忍者が自分の中のイメージでした。
近代の忍者物の映画の中では最も まともな作品かと。
序盤から天正9年伊賀の乱のシーンがありますよね。
うぽつです。
忍びと同じ傭兵集団と目される
根来衆、雑賀衆等についても
お纏め動画をお願い出来ればと・・。
ついでにロケ等も如何ですか?
伊賀・甲賀が特別な忍びの地となったのは、京や大和から東海へ抜ける要衝に近いが山に囲まれた僻地という特殊な地域と修験者との関係があります。
伊賀や甲賀の使う毒や薬、忍者ポーズに代表される九字印は修験者由来のものです。九字印は的に潜入する前に精神統一とおまじないとして行ったものだそうです。
あと平時の夜間潜入時のオモシロ戦法として「懐に恋文」があります。見知らぬ奴と誰何されても「恋文預かってきましたー」と誤魔化すというもので、どうもわりと見逃してもらいやすかったようです。確かにキレいな侍女の名前とか予め調べておいて名前を出せば「なんだよ、○○さん目当てかー」とかで済まされそうですもんね。
大野智の無門好きだな
忍者と言えば猿飛佐助ですが、「真田太平記」でも草の者の活躍が多かったですね。実際 真田家は忍者を使っていたんでしょうか?
むかしテレビドラマで忍者の番組ありましたね
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私が夢中だったのは『快傑ライオン丸』だったんですが・・・、確かに忍者は子供たちの間でも人気でしたよ。
今期のドラマにも、忍者の末裔には、結婚が難しいという題材のドラマやってますね。
あとは、特撮もの見てました。
忍者という言葉が、昭和30年代に使われ始めたというのは意外でした。忍び=傭兵もなーるほど!と納得しました。裏切らないように、人質を取っていたわけですね。武田、伊達氏はじめ著名な戦国大名は、さすがに皆忍びを使っていたのですね。その中でも、ある戦国大名にのみ属するのではなく、いろいろな大名に雇われる形で活躍した伊賀、甲賀は、他の忍びと異なりますね。山奥で他から干渉されないという地形的特性が、彼らの技能や能力を高めたというのは、とても説得力があります。動画の中では両者が助け合ったという話もありましたが、実際のところ両者が対立することは多かったのでしょうか?それとも、その場その場の状況から、敵にも味方にもなり得る流動性があったのでしょうか?忍びの能力は、どちらが上だったのか?など興味は尽きません。
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明かされる時は来るんでしょうか?
江戸時代まで生き延びるのか?
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伊賀甲賀の忍者の末裔たちは戊辰戦争とかで活躍したんかな?井伊の赤備えは近代兵器に屈したけど
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体調大丈夫ですか…?
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柳生もまた伊賀と隣接してますからね。
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伊賀には伊賀上野城がありましたが、伊賀忍者との関係なども聞きたかったです。また、当時の呼名が今の地名に関係している所なども聞きたいです。
もう少し、信長の野望も忍び活用する機能つかえればなぁー
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きちんと『いが』、『こうか』と呼び分けているのに好感が持てました。だいたい今の人はいがに引っ張られて『こうが』呼びですからね。
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善二!
忍びは善二(笑)
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真田の忍にもふれて欲しかったですね。