Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
マグネット凄く面白かったです。またやってください!とても分かりやすかったです。
正面突破説がなんかカッコいい👍👍
マグネット欲しいかも~✨今回もとてもわかりやすい解説、ありがとうございました!!
何時も楽しく拝見してます!ホワイトボード&マグネットの解説とても面白く、解りやすかったです!また、楽しみにしてます。
マグネットを使っての解説わかりやすくて面白かったです😃お身体に無理しない程度でまた歴史解説お願いします。
良かったです。是非続けて欲しいですね
奇襲にしろ正面突破にしろ信長っぽいですね!武士道さんの説明を聞きながら、木村信長で頭がいっぱいでした❕
いつも、楽しく、勉強になる動画ありがとーございます❗歴史の流れも楽しいですが、今回の戦いの動きが見える解説も勉強になるので、またやってもらいたいですね。
子どもの時に読んだ本にも諸説書いているのを思い出しました。その本の中には、ブシドーさんが言われてなかった説もありました。一つは、信長が義元に和議を申し出て、桶狭間に呼び出した上、騙し討ちにした説、もう一つは、正面突破説明と同じなのですが、いきなり本陣を襲うという、電撃戦説です。桶狭間には色々説はありますが、今回の動画を見て、諸説が整理されていて、大変にためになりました。ありがとうございました。
布陣図のあれマグネットいいすね❗️背景が北条の三つ鱗かと思わせちゃうところも良きかなです‼️
正面突破は腑に落ちないってずっと思ってたんで、追撃説は最近知ったのだけど、簡潔で分かりやすい解説でした。
武士道さんこんばんは!歴史上の戦略・戦術もの好きなのもあり、楽しく今回も拝見させて頂きました!桶狭間の戦いは、"奇襲"ではないにせよ"急襲"的な面はあった、と信じて(笑)おりますね。
子供の頃は上洛目指して「おじゃる、おじゃる〜」って調子に乗っていた義元公を信長が悪天候を味方につけて奇襲したと認識してました。麒麟がくるあたりから桶狭間の戦いの認識が180度変わった気がします。
アメバTV御出演おめでとうございます。
今回も、大変勉強になりました。今後も頑張り続けて下さい。
奇襲説知立も刈谷も桶狭間(豊明?緑区?)からかなり離れてるので義元軍がそちらへ向かおうとしたにしても大高城から離れて即信長にボコられた格好になりますね😅桶狭間古戦場の側に資料館があって子どもの頃行ったことがあるはずなんですけど今はないんですよね。サビサビの兜を見せてもらって「かぶる?」なんて係のおっさんに声かけられた思い出があります。あの辺りでたくさん鎧兜が出土されたみたいです。
最近読んだ歴史小説だと今川義元はあくまで大高城救援が目的で大軍を出して尾張に威勢を表すことにより寝返りを増やし大高城を安定させ後の尾張統一をもくろんだらしいとのこと。なぜなら進軍があまりにも遅くこのあと美濃や三好勢、越前朝倉と戦うことを考えると進軍に無理があるとのこと。また信長の優秀なところは、ほとんど役に立たないような砦を多く築くことにより今川勢を分断させ、かつ兵糧を入れさせることで本来の目的であった大高救援を成功と見せさせ、安心させて正面奇襲?を仕掛けたのではないだろうか、わからんけど永遠に(笑)
武士道殿!お疲れ様でござる。これは絶対バズるだに!
とても面白かったです。正面突破説、証拠を示す分捕りをしなければ、確かに速く進めるので、少人数でも有利ですね。私は、追撃説に1票!敵が他の場所に移動中を狙うのは、最良の戦力ですね。信長であれば、今川方が後ろ向きであろうと、勝利すれば戦い方は問わないと思われるので、討つでしょうね。これから様々な戦が描かれると思いますが、是非またこの合戦図やって下さい。期待しています。
合戦話しワクワクしました。また、長久手の戦い、関ヶ原もぜひやってください。
マグネット良いですね関ヶ原に向けて大量買いしておく必要ありますね😅
TVのUA-camでこの解説を聞こうと思っても何故か見れない。戦国さんの他の回は普通に開けるのに。なぜかな?なのでPadでトライしてみたら見れました。
大高城に一旦入った上で緒川城を攻めた場合今川義元の布陣は鳴海城に対して背を向ける形になりそうなので中々説得力がある説と思う反面、義元が大高城から出てこない場合は信長はどう戦うつもりだったのだろう?という見方も出来ますね
甫庵先生は、『歴史小説家』だからなあ。
「エンタメ戦国時代」の開祖
テレビ見るより面白い😅
追撃説は面白いですね!背後を急襲するのはありえると思います。ただし大高城から緒川城への連戦はキツイので、緒川城を攻撃する前に一旦沓掛城に戻る時に信長に狙われたと予想します。沓掛城で休憩がてら戦備を整えれば緒川城方面と鳴海城方面の両方面に出撃できますし。今川にとって大高ー沓掛ラインは地理的に重要だと思います。
従軍記者、SNS、GPS、衛星回線がある現代ですら戦争の経緯には不透明な部分が多いわけですから、中世の戦争なんて細かくわかるはずもないんですよね。現場の兵士は生き残るのに必死でしょうし、指揮官だって「何故勝てたのか」「何故負けたのか」を把握できないケースも多かったはず現代の我々が戦国時代の戦いについて漠然と「こんな感じだろう」と思ってるイメージの多くは、江戸時代に盛んになった軍記物とか講談のイメージを引きずっていたり、下手したら昭和期に成立した小説や映画の描写から影響を受けている場合もあります
ホワイトボードで説明しながら動かすのは、分りやすくて良かったです。文字がもう少し大きいと更に良かったかも
私そこらで暮らしてるので子供の頃から走り回ってますので土地勘ありますが、沓掛から二村台抜けるとすぐに桶狭間ですが今中京競馬場辺りが1番高いのでそこらに義元は布陣してたんじゃないかなって思ってます
分かり易い解説」でした。
最初に「真実は分からない」と断言してくれてる方が信頼性があるな。
「桶狭間で討たれた今川義元は影武者だった」はまだしも、「本物は寺の住職として94歳まで生きた」は氏真に家督譲ってたとはいえ、なぜ今川再興に尽力しなかったのか等々突っ込みどころ満載すぎて、「東洲斎写楽=オランダ人シャイロック」くらいトンデモ説ですねえ……
『今川義元は素晴らしい人格者だったから、氏真たちは義元が殺されないように全力で保護した』という設定ですからね。今川家が滅亡してでも、義元が良い人だったから生きのびさせる、なんて考えは、少しでも中世を勉強したことあるなら思いつかない発想です……素人だからこそ思い込みで書けるんですね。
桶狭間の戦いの秘密は、奇襲説なのかな?よくドラマとかでは桶狭間の戦いは奇襲説があったから。まさに桶狭間の戦いも戦国最大のミステリーかな?
マグネットいいですね。まるで参謀の兵棋演習みたいですね。
大体この桶狭間がどこかさえ、定かでなくて諸説ふんぷんですからね。
駒?を使っての合戦解説分かりやすかったです!!信長の野望やってるみたいで(笑)学生の時の歴史の授業もこんな感じだったら良かったのになぁ〜と思いましたね。
地元民です。大きな本屋だと、コーナも出来てるぐらいです。地元なので土地勘もあるし関心も高いんですが、他の地方の方とかはどうなんでしょうか?他の合戦で、あまりここまで細かに地理の話も出ないのに、興味モテるのか気になります
るるぶ大河紀行トラベルがあるから全国から旅行に来るよ自治体の大河誘致合戦が激しいんは恒例
マグネット使って陣形、とかやってください❗️
例の凸のアレは兵棋とか兵棋演習用の駒とか言うらしいですね。
色々な説が有る事が判りました。結局、個別の証言は得られるものの、全体の兵の動きを把握している人物がいないので、「桶狭間の戦い」は永遠の謎なんでしょうね。
初めて聞きましたが後退説興味深いですね、桶狭間の陰に隠れて印象薄いですが同年北条は大変な事になってます。だから兵糧だけ運んで耐えてもらって後退して北条救援に向かったって可能性も。。。現に氏真は北条救援してるし
六角からの援軍の話とかもあるね2000ほどだとか
マグネットだけで中田敦彦より分かりやすくなる解説動画!お見事!
NHK-BSの「英雄たちの選択」では、織田信長は今川軍の戦力の分散を図ったり、今川義元を有利なところにおびき出す工夫をしていたりするような説明があったのですが、実際のところはどうだったのでしょうか?番組を見た印象としては、織田信長はかなり緻密に計画を立てて実行したという感じでした。
動画内でもお話した通り、一次史料(同時代に書かれた記録)が無いのでわからないですね!でも信長に限らず戦国大名は忍びを使うなどして情報収集してるので、信長も事前の下調べはしっかりしていたと思います!
この頃って知多半島は水野と佐治辺りのみが独立して存在してたのか
手掛かりが無さ過ぎるのが痛いですね。ほぼ唯一の手掛かりの信長公記でさえ、書いたのは筆者の晩年で原本もない。真実は永遠に判明しそうもないですね・・・
そもそも桶狭間の場所自体がどこにあるのか?今も論争になっているので有名な戦いの割に、戦いの真相は謎だらけですなぁ。旧日本軍が作った幻想から脱却して、歴史の研究が進むのは良いことだと思います。
やっぱ、信長は砦を作り義元を桶狭間に誘い出したのか?それが真実なら織田側は相当な訓練とシュミレーションをしてたか?そんな歴史資料はないのですかね?
へぇ〜マグネット売ってるんですね。作ったのかと思ってました。
「布陣図のあれ」と言う商品名で売ってますね。
信長は鷹狩好き=領地内の地形は熟知、義元の所在がわかった時点で狙えると踏んだのでしょう。
岡部さんは実際この後に水野氏を攻撃して一族の1人も打ち取ってますから、水野信元が色々やってたんだろう事は容易に想像できますね。ただ、何をしてたからは武士道さんのおっしゃる通りで、良質な資料がない。
水野信元は叔父では無く伯父ですね。親の兄姉は伯父伯母。弟妹は叔父叔母になります。重箱の隅をつつくつもりは無いのですが気になったので。気付かず使っている人も多いと思いますのでついコメントしました。武士道さんの、主張はするけど決めつけて話さないスタンスはすばらしいと思います。これからも応援しています。
やっぱあの時のやつか❗
織田兵A「おりゃあああ!」今川兵A「ゲ、強そうなやつが仲間を倒した。でも大丈夫。アイツは今倒した兵の首を持って自陣に帰るはずだもんね」織田兵A「ぜりゃあああ!」今川兵A「・・・アレ?なんで首とろうとしないの?なんでこっちに来るの?」織田兵A「ぬおりゃあああ!」今川兵A「ヤバい、織田兵、鬼ヤバい。手柄も、首も、欲しがらずに殺しまくる、殺人鬼にちがいない!!」梅雨前線「折からの豪雨でござんす」今川兵ABCD「うわああああ!!」自分は正面強襲説がわりとアリだと思ってます。
義元の祖父義忠は、1476年、遠江の旧領を回復しようと出陣した時、織田家の主筋になる斯波氏との戦闘で戦死していますね。今川家にとって、西の方は鬼門だったかもしれません。
45000の兵は食い物は現地で自分で調達なって感じなんですかね
どうする家康は大河ドラマ史上可愛い地図を使っているので麒麟の時みたいなホワイトボードの解説で懐かしく分かり易かったですよー
正面突破説は(信長から見て)敵は砦を落として疲れた部隊だから新手の信長の部隊で撃破するつもりで攻撃したらたまたまそれが今川義元本隊だった(信長の勘違い)って話ではないですか?ただ追撃説に絡めることは可能ですが(生山の信長視点で、水野を攻撃しようとしていた今川の部隊を砦を落として疲れて下がった部隊だと勘違いして追撃した、とか。)
↓事実裏切り戦だから。成功ばかり注目されるけど、奇襲は退却が困難。先に裏切りの成立がないと、討っだけでどう退却したのかは未だに歴史上の謎
現場は中京競馬場のすぐ近くだから訪ねてみるのをお勧めします。
私が競馬行く前提やん
今の国道1号を通っていたのかな?
絶対裏切らな1千人が集まれは、現代でも無理でそれは偶像(アイドル)。逆に裏切ってもいいので数万人が集めれの方が理解できる、事実裏切り戦だから
流石に正面突破は無理がある。兵数とかも・・・信長公記が1番トンデモな気がw
いまだに謎?、戦略レベルなら推測できるが、、、。実行部隊の3千の兵をどう集めたか?本当実は1千人でも負け戦で裏切り者出たら奇襲できない。そこまでのカリスマ性はなぞ?
Googleマップとかで、今でも普通に桶狭間出てきますよ。しかも、どこに本陣とか、義元が捕まったとこも出てますよ。
わかりにくい説明だ
桶狭間の古戦場の図面を広げて外国人武官の視察団に勝敗を訪ねて十人中十人が 今川の (=ω=`) 勝ちや勝者は (`-ω-)/ 織田って日本武官はドヤ顔で言うたとかなんとか
関ヶ原の話は聞いたことありますね。ただ本当かどうかは不明らしいですが。
マグネット凄く面白かったです。
またやってください!
とても分かりやすかったです。
正面突破説がなんかカッコいい👍👍
マグネット欲しいかも~✨今回もとてもわかりやすい解説、ありがとうございました!!
何時も楽しく拝見してます!
ホワイトボード&マグネットの解説とても面白く、解りやすかったです!
また、楽しみにしてます。
マグネットを使っての解説わかりやすくて面白かったです😃お身体に無理しない程度でまた歴史解説お願いします。
良かったです。是非続けて欲しいですね
奇襲にしろ正面突破にしろ信長っぽいですね!武士道さんの説明を聞きながら、木村信長で頭がいっぱいでした❕
いつも、楽しく、勉強になる動画ありがとーございます❗歴史の流れも楽しいですが、今回の戦いの動きが見える解説も勉強になるので、またやってもらいたいですね。
子どもの時に読んだ本にも諸説書いているのを思い出しました。その本の中には、ブシドーさんが言われてなかった説もありました。一つは、信長が義元に和議を申し出て、桶狭間に呼び出した上、騙し討ちにした説、もう一つは、正面突破説明と同じなのですが、いきなり本陣を襲うという、電撃戦説です。桶狭間には色々説はありますが、今回の動画を見て、諸説が整理されていて、大変にためになりました。ありがとうございました。
布陣図のあれマグネットいいすね❗️
背景が北条の三つ鱗かと思わせちゃうところも良きかなです‼️
正面突破は腑に落ちないってずっと思ってたんで、追撃説は最近知ったのだけど、簡潔で分かりやすい解説でした。
武士道さんこんばんは!
歴史上の戦略・戦術もの好きなのもあり、楽しく今回も拝見させて頂きました!
桶狭間の戦いは、"奇襲"ではないにせよ"急襲"的な面はあった、と信じて(笑)おりますね。
子供の頃は上洛目指して「おじゃる、おじゃる〜」って調子に乗っていた義元公を信長が悪天候を味方につけて奇襲したと認識してました。
麒麟がくるあたりから桶狭間の戦いの認識が180度変わった気がします。
アメバTV御出演おめでとうございます。
今回も、大変勉強になりました。
今後も頑張り続けて下さい。
奇襲説
知立も刈谷も桶狭間(豊明?緑区?)からかなり離れてるので義元軍がそちらへ向かおうとしたにしても大高城から離れて即信長にボコられた格好になりますね😅
桶狭間古戦場の側に資料館があって子どもの頃行ったことがあるはずなんですけど今はないんですよね。
サビサビの兜を見せてもらって「かぶる?」なんて係のおっさんに声かけられた思い出があります。
あの辺りでたくさん鎧兜が出土されたみたいです。
最近読んだ歴史小説だと今川義元はあくまで大高城救援が目的で大軍を出して尾張に威勢を表すことにより寝返りを増やし大高城を安定させ後の尾張統一をもくろんだらしいとのこと。なぜなら進軍があまりにも遅くこのあと美濃や三好勢、越前朝倉と戦うことを考えると進軍に無理があるとのこと。また信長の優秀なところは、ほとんど役に立たないような砦を多く築くことにより今川勢を分断させ、かつ兵糧を入れさせることで本来の目的であった大高救援を成功と見せさせ、安心させて正面奇襲?を仕掛けたのではないだろうか、わからんけど永遠に(笑)
武士道殿!お疲れ様でござる。これは絶対バズるだに!
とても面白かったです。正面突破説、証拠を示す分捕りをしなければ、確かに速く進めるので、少人数でも有利ですね。私は、追撃説に1票!敵が他の場所に移動中を狙うのは、最良の戦力ですね。信長であれば、今川方が後ろ向きであろうと、勝利すれば戦い方は問わないと思われるので、討つでしょうね。これから様々な戦が描かれると思いますが、是非またこの合戦図やって下さい。期待しています。
合戦話しワクワクしました。また、長久手の戦い、関ヶ原もぜひやってください。
マグネット良いですね
関ヶ原に向けて大量買いしておく必要ありますね😅
TVのUA-camでこの解説を聞こうと思っても何故か見れない。戦国さんの他の回は普通に開けるのに。なぜかな?なのでPadでトライしてみたら見れました。
大高城に一旦入った上で緒川城を攻めた場合今川義元の布陣は鳴海城に対して背を向ける形になりそうなので中々説得力がある説と思う反面、義元が大高城から出てこない場合は信長はどう戦うつもりだったのだろう?という見方も出来ますね
甫庵先生は、『歴史小説家』だからなあ。
「エンタメ戦国時代」の開祖
テレビ見るより面白い😅
追撃説は面白いですね!背後を急襲するのはありえると思います。
ただし大高城から緒川城への連戦はキツイので、緒川城を攻撃する前に一旦沓掛城に戻る時に信長に狙われたと予想します。
沓掛城で休憩がてら戦備を整えれば緒川城方面と鳴海城方面の両方面に出撃できますし。
今川にとって大高ー沓掛ラインは地理的に重要だと思います。
従軍記者、SNS、GPS、衛星回線がある現代ですら戦争の経緯には不透明な部分が多いわけですから、中世の戦争なんて細かくわかるはずもないんですよね。現場の兵士は生き残るのに必死でしょうし、指揮官だって「何故勝てたのか」「何故負けたのか」を把握できないケースも多かったはず
現代の我々が戦国時代の戦いについて漠然と「こんな感じだろう」と思ってるイメージの多くは、江戸時代に盛んになった軍記物とか講談のイメージを引きずっていたり、下手したら昭和期に成立した小説や映画の描写から影響を受けている場合もあります
ホワイトボードで説明しながら動かすのは、分りやすくて良かったです。文字がもう少し大きいと更に良かったかも
私そこらで暮らしてるので子供の頃から走り回ってますので土地勘ありますが、沓掛から二村台抜けるとすぐに桶狭間ですが今中京競馬場辺りが1番高いのでそこらに義元は布陣してたんじゃないかなって思ってます
分かり易い解説」でした。
最初に「真実は分からない」と断言してくれてる方が信頼性があるな。
「桶狭間で討たれた今川義元は影武者だった」はまだしも、「本物は寺の住職として94歳まで生きた」は氏真に家督譲ってたとはいえ、なぜ今川再興に尽力しなかったのか等々突っ込みどころ満載すぎて、「東洲斎写楽=オランダ人シャイロック」くらいトンデモ説ですねえ……
『今川義元は素晴らしい人格者だったから、氏真たちは義元が殺されないように全力で保護した』という設定ですからね。今川家が滅亡してでも、義元が良い人だったから生きのびさせる、なんて考えは、少しでも中世を勉強したことあるなら思いつかない発想です……素人だからこそ思い込みで書けるんですね。
桶狭間の戦いの秘密は、奇襲説なのかな?よくドラマとかでは桶狭間の戦いは奇襲説があったから。まさに桶狭間の戦いも戦国最大のミステリーかな?
マグネットいいですね。
まるで参謀の兵棋演習みたいですね。
大体この桶狭間がどこかさえ、定かでなくて諸説ふんぷんですからね。
駒?を使っての合戦解説分かりやすかったです!!
信長の野望やってるみたいで(笑)
学生の時の歴史の授業もこんな感じだったら良かったのになぁ〜と思いましたね。
地元民です。
大きな本屋だと、コーナも出来てるぐらいです。
地元なので土地勘もあるし関心も高いんですが、他の地方の方とかはどうなんでしょうか?
他の合戦で、あまりここまで細かに地理の話も出ないのに、興味モテるのか気になります
るるぶ大河紀行トラベルがあるから
全国から旅行に来るよ
自治体の大河誘致合戦が激しいんは恒例
マグネット使って
陣形、とかやってください❗️
例の凸のアレは兵棋とか兵棋演習用の駒とか言うらしいですね。
色々な説が有る事が判りました。結局、個別の証言は得られるものの、全体の兵の動きを把握している人物がいないので、「桶狭間の戦い」は永遠の謎なんでしょうね。
初めて聞きましたが後退説興味深いですね、桶狭間の陰に隠れて印象薄いですが同年北条は大変な事になってます。だから兵糧だけ運んで耐えてもらって後退して北条救援に向かったって可能性も。。。現に氏真は北条救援してるし
六角からの援軍の話とかもあるね
2000ほどだとか
マグネットだけで中田敦彦より分かりやすくなる解説動画!
お見事!
NHK-BSの「英雄たちの選択」では、織田信長は今川軍の戦力の分散を図ったり、今川義元を有利なところにおびき出す工夫をしていたりするような説明があったのですが、実際のところはどうだったのでしょうか?
番組を見た印象としては、織田信長はかなり緻密に計画を立てて実行したという感じでした。
動画内でもお話した通り、一次史料(同時代に書かれた記録)が無いのでわからないですね!
でも信長に限らず戦国大名は忍びを使うなどして情報収集してるので、信長も事前の下調べはしっかりしていたと思います!
この頃って知多半島は水野と佐治辺りのみが独立して存在してたのか
手掛かりが無さ過ぎるのが痛いですね。
ほぼ唯一の手掛かりの信長公記でさえ、
書いたのは筆者の晩年で原本もない。
真実は永遠に判明しそうもないですね・・・
そもそも桶狭間の
場所自体がどこにあるのか?
今も論争になっているので
有名な戦いの割に、
戦いの真相は謎だらけですなぁ。
旧日本軍が作った幻想から脱却して、
歴史の研究が進むのは
良いことだと思います。
やっぱ、信長は砦を作り義元を桶狭間に誘い出したのか?それが真実なら織田側は相当な訓練とシュミレーションをしてたか?
そんな歴史資料はないのですかね?
へぇ〜マグネット売ってるんですね。作ったのかと思ってました。
「布陣図のあれ」と言う商品名で売ってますね。
信長は鷹狩好き=領地内の地形は熟知、義元の所在がわかった時点で狙えると踏んだのでしょう。
岡部さんは実際この後に水野氏を攻撃して一族の1人も打ち取ってますから、水野信元が色々やってたんだろう事は容易に想像できますね。ただ、何をしてたからは武士道さんのおっしゃる通りで、良質な資料がない。
水野信元は叔父では無く伯父ですね。
親の兄姉は伯父伯母。弟妹は叔父叔母になります。
重箱の隅をつつくつもりは無いのですが気になったので。気付かず使っている人も多いと思いますのでついコメントしました。
武士道さんの、主張はするけど決めつけて話さないスタンスはすばらしいと思います。これからも応援しています。
やっぱあの時のやつか❗
織田兵A「おりゃあああ!」
今川兵A「ゲ、強そうなやつが仲間を倒した。でも大丈夫。アイツは今倒した兵の首を持って自陣に帰るはずだもんね」
織田兵A「ぜりゃあああ!」
今川兵A「・・・アレ?なんで首とろうとしないの?なんでこっちに来るの?」
織田兵A「ぬおりゃあああ!」
今川兵A「ヤバい、織田兵、鬼ヤバい。手柄も、首も、欲しがらずに殺しまくる、殺人鬼にちがいない!!」
梅雨前線「折からの豪雨でござんす」
今川兵ABCD「うわああああ!!」
自分は正面強襲説がわりとアリだと思ってます。
義元の祖父義忠は、1476年、遠江の旧領を回復しようと出陣した時、織田家の主筋になる斯波氏との戦闘で戦死していますね。今川家にとって、西の方は鬼門だったかもしれません。
45000の兵は食い物は現地で自分で調達なって感じなんですかね
どうする家康は大河ドラマ史上可愛い地図を使っているので麒麟の時みたいなホワイトボードの解説で懐かしく分かり易かったですよー
正面突破説は(信長から見て)敵は砦を落として疲れた部隊だから新手の信長の部隊で撃破するつもりで攻撃したらたまたまそれが今川義元本隊だった(信長の勘違い)って話ではないですか?
ただ追撃説に絡めることは可能ですが(生山の信長視点で、水野を攻撃しようとしていた今川の部隊を砦を落として疲れて下がった部隊だと勘違いして追撃した、とか。)
↓事実裏切り戦だから。
成功ばかり注目されるけど、奇襲は退却が困難。
先に裏切りの成立がないと、討っだけでどう退却したのかは未だに歴史上の謎
現場は中京競馬場のすぐ近くだから訪ねてみるのをお勧めします。
私が競馬行く前提やん
今の国道1号を通っていたのかな?
絶対裏切らな1千人が集まれは、現代でも無理でそれは偶像(アイドル)。
逆に裏切ってもいいので数万人が集めれの方が理解できる、事実裏切り戦だから
流石に正面突破は無理がある。
兵数とかも・・・信長公記が1番トンデモな気がw
いまだに謎?、戦略レベルなら推測できるが、、、。
実行部隊の3千の兵をどう集めたか?本当実は1千人でも負け戦で裏切り者出たら奇襲できない。
そこまでのカリスマ性はなぞ?
Googleマップとかで、今でも普通に桶狭間出てきますよ。
しかも、どこに本陣とか、義元が捕まったとこも出てますよ。
わかりにくい説明だ
桶狭間の古戦場の図面を広げて
外国人武官の視察団に勝敗を訪ねて
十人中十人が 今川の (=ω=`) 勝ちや
勝者は (`-ω-)/ 織田
って日本武官はドヤ顔で言うたとかなんとか
関ヶ原の話は聞いたことありますね。
ただ本当かどうかは不明らしいですが。