第43回『関ヶ原の戦い』解説┃秀頼の出陣準備はあった?関ヶ原本戦は東西どちらも予想外の展開だった!
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- Опубліковано 7 лют 2025
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▼主な参考文献
論争 関ヶ原合戦 (新潮選書)
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石田三成伝
amzn.to/45HCKvB
徳川家康 人物叢書
amzn.to/433sNHs
関ヶ原への道 豊臣秀吉死後の権力闘争
amzn.to/3FN7jFP
関ヶ原合戦の経緯
amzn.to/47btAZs
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【目次】
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#歴史 #日本史 #大河ドラマ #どうする家康 #石田三成 #徳川家康 #鳥居元忠 #雑賀孫一
関ヶ原の戦いまで毎週見続けて良かったです😊。
コロナ騒ぎのときは、合戦が描けない状態でショボかったが、コロナも収まって合戦がちゃんと描くことができたことだけでもありがたい。ありがたい。
久しぶりの関ヶ原、鉄板から新説まで各武将に見所があって良かったです!
小早川秀秋をカッコ良いと思ったのは初めてでした。
小早川秀秋 よく優柔不断な感じに描かれますが、慶長の役で無双している勇猛な武将だったはずなので 今回の描かれ方はよかったと思いました
岡田さん主演の関ヶ原では、逃げる敵を後ろから斬り、首級をいくつも上げた。と話されていました。
小西行長がただただ良い奴に描かれているのが新鮮ですごくよかった
「黄金の日々」で小野寺昭さんが演じた小西行長を思い出しました。
次第に狂気じみていく緒形拳さんの豊臣秀吉政権下にあって、近藤正臣さんの石田三成と並んで、かろうじて残る政権の良心として描かれていたと思います。
今作もどちらかといえばそちらよりの小西行長だったのかなと、私も感じました。
やっぱり井伊直政は武士としても男としてもかっこ良すぎるな
いつも分かりやすい解説で、なるほどと思う演出を理解できました。😊
今回の小早川秀秋は格好良かったな
茶々にビンタされてるの見て「羨ましい☺️」って、
どう言う事😂
いつも通り武士道さん面白い🤣
三成が捕えられて家康に意見する場面、時代を越えて人間の性を感じました。悲しいけれど戦は、何時の時代も起きてしまいますね。
いつもの
関ケ原の戦いと違って、調略とそれぞれの思惑がうまく描かれていて、面白かったですね
小早川もあんなに知略があっての裏切りだったと描かれると、切れ者でなんかカッコ良かったのが意外でした
感動の関ヶ原合戦でした! 戦う前に勝負はついていたのかな
小早川秀秋さんは堂々としていて良かったですね~
家康と三成の対峙シーン 、 三成の言葉に それでもやらねばならぬ! 痺れましたー ここからが 本当の修羅の道なのでしょうね
凛とした阿茶局と 狂気を感じる茶々の戦いも見応えありました!
このどうする家康の関ヶ原は本当に良かったですね。
個人的には刑部が
「治部よ!さらばだ!」って絶叫するあのシーンがお気に入りです!
リアルタイムで、観れて良かった。🐯関ヶ原の戦いは、歴史で、習いました。🐯
松尾山に鉄砲だか大砲だか打ち込んで小早川がビビって寝返るってのが定型パターンだけど、今回のは新鮮だったなぁ
徳川が前に出たのを見て寝返ったのか〜なんかちょっと有能な武将に見えてしまったw
小早川の裏切りは開戦前夜で松尾山押しのけ入り 小早川大谷の陣地配置 大谷救援の為に西軍が移動
この辺は新説に近い描写だったし、思い切って前に出る→秀秋が優勢と判断したから寝返ったってのは新しい解釈だったなぁ 戦場の人間の心理を経験で得たか家康
「(政敵を排除する)戦乱を求める心が確かにあっただけのこと。一度火が付けばもう止められぬ火種が…」と三成は述懐したが青天を衝けの「人は誰が何を言おうと戦争したくなれば必ずするのだ。ひとたび敵と思えばいくらでも憎み残酷になれる」を思い出したなぁ 平和な世なぞまやかしの夢と断じたけど家康の辞世の句で答えを出すんかな…→暁の空
茶々にビンタされて羨ましいとおっしゃってましたが、それ笑えました。わかります。
「毛利輝元、
茶々に思いっきりビンタされていましたけどね~
いやぁ、ちょっとねぇ、うらやましいですけどねぇ」
↑
笑った!(*^O^*)
関ヶ原の戦い
お互い万全の状態で戦ってたイメージを持ってましたが、実際はお互いにバタバタしてたことが分かりました
やっぱり石田三成の生き様かっこいい渋いし目がかっこよく信念の眼差しが伝わった、井伊直政の鎧兜かっこいい藤堂高虎👍
私も大感動でした…… いつも詳しい解説をありがとうございます……🐧(笑
大坂城内での茶々と阿茶のチャチャチャ戦争も面白かったっすよね(笑)
石田三成のラストの家康とのシーンよかった〜
茶々が阿茶に対面するシーンで、激して懐から扇子様のもの(雛人形の五人囃子の歌い手が手に持っているもの)を出した際、まるで鉄砲を向けたのかと見間違いそうになって笑った。彼女が鉄砲など所持していないのは分かるのだが、以前家康との初対面シーンでの”バーーン!”と言いながら彼に鉄砲を向ける場面とかぶってしまった。気の強い茶々のイメージを鮮烈に印象づける場面だった。これからしばらくは、茶々はこの無敵な超手強い気の強さという性格と行動の人として、定着しそうだ。
笏という名称のようですね。
私は一瞬、茶々が短刀を出したのかと思いました。
昨日の昼過ぎ街でお見かけしましたー!
功名が辻の西田敏行の徳川家康が好きで関ヶ原の時の小早川秀秋に大筒を撃ち込んでやれっていう強気な態度がめちゃすきだっだので、違う形だけど松潤徳川も堂々としててかっこよかった
解説ありがとうございます!ラストスパートですが武士道さんの動画楽しみにしてます!
小早川秀秋😍😍👍👍かっこいい普通に裏切ったシーン😍👍、毛利輝元判断😍👍
博打を打って勝ちを得る
確かに尾張三英傑は九死に一生を得るような戦いを経験していますね。
信長→桶狭間
秀吉→金ケ崎撤退
家康→三方ヶ原
伏見城攻めに参加して鳥居元忠を討っておいて、関ケ原では三成を裏切って大谷吉継を討ち、さらに徳川先鋒として、嬉々と三成の佐和山城を落とす小早川秀秋。めちゃめちゃです。
今回のドラマでは凛々しく描いてるけど、相当なイカれサイコパスだったんじゃないかと。
アル中で亡霊を恐れて若死にした、とされているけど、果たして何があったのやら…
しかも小早川家は断絶したのに、家臣には徳川に拾い上げられた人もいたとか。
闇が見えるわ😱
いい関ヶ原だった
茶々にビンタされたい気持ち分かりますwww
解説ありがとうございます、小早川秀秋の描き方の変化は優柔な不断な武将というイメージが最近は変わりつつあるのを反映したものでしょう。東軍にも本軍遅参など不安要素はあったものの結局西軍の足並みが揃わなかったのが敗因かと思います。
吉川広家は自分が不戦の約束をするのは自由ですが、戦意のある毛利秀元をまで阻んだのがゲスな感じがしますね。
この働きは大きかったと思います。
小早川秀秋かっこいいやっぱり😍😍👍すぐ切り替え小早川秀秋に満足した
干し柿のエピソードは白湯のかわりにと善意で差し出された物を拒否するあたり
友達の少ない三成の性格をあらわした話しだと勝手に思ってる
今回も解説ありがとうございます。
いよいよ関ケ原、小ネタ・エピソード盛りだくさんでしたね。私もいくつか有名な逸話が盛り込まれてるのは気付きましたが、多分見落としてるのがまだまだたくさんありそうです。
徳川の軍法で抜け駆けは厳禁とのことでしたが、やはり陣営が違えど抜け駆けは基本的に咎められるべきものだったのでしょうか。だとするとなおの事空弁当の重み(吉川が動かないのに追い抜けない)が出て来るなーと思いました。
小早川秀秋が立派な大将していて、すごい良かったです。
石田三成も最後、家康を言い負かす勢いが良かった!
しかし井伊直政のやられ方は余りに情けなかった…
徳川勢の配役は一部、ちょっと残念
真田昌幸の「除名」嘆願ではなく「助命」嘆願です。
あの三方原の敗北から半年・・関ケ原に間に合うのか?どんな描かれ方なのか?と待ち遠しく見てきました・・今回は一人一人の武将の心境など細かいとこ突いて来ましたよね~家康公も押し引きが見事で貫禄の佇まいになり申して・・敗北しても三成の信念は揺るぎないモノであった点は武将としてあっぱれでしょうか・・六条河原で斬首と言うのは当時では極刑なのでしょうね・・ギュ~と詰まった回でした。
今までで1番の関ヶ原シーンだったわ🤣
小早川の裏切りの抑えの立場にいた脇坂や赤座なども見たかった。本編では小早川だけの裏切りだけ表現だけで物足りなかった。
大谷吉継推しなので、最期までかっこよく描かれていて嬉しく思いました( ́𖠶͈⌄𖠶͈ ̀)ᦂ
確か関ヶ原の戦いの後、斬首されたのは、石田三成と小西行長と安国寺恵瓊の3人だと記憶していましたが、安国寺恵瓊って、ドラマに出てきました?(^^;
出てきてないですね...
軍師官兵衛ではガッツリ出てきましたが
諸説あれど…
毛利本家は130万石→30万石
これは事実であり、
輝元のヘタレ度がわかる気がするします。
淀殿は家康が将軍になった頃くらいに
診察医の記録に現在で言うところの
「うつ病になってる」
と書かれてたこともあるそうで、
北川茶々のような猛女だったとは
考えにくいんですよね。
秀吉の遺言でも公的権力は何も与えられてないし、
政治的重要場面でこんな言動をした、
という一次史料もない。
「ドラマとしては見栄えのする方を選ぶ」
というのは
女性キャラの場合はさらに厄介ですね。
麒麟がくるで川口帰蝶が兄高政に対して
史実としてはあり得ないほど猛女描写されましたから。
(かと言って夫信長がその影響を受けた、
とは別段描かれていない)
ちなみに自分は関ヶ原の戦いの日に産まれた男です!!
徳川家康が美濃に来て最初の陣 赤坂が出てました。ここは岡山と言われてましたが、戦に勝って、勝山と呼ばれるようになりました。私は、地元ですのでお勝山と呼んでます。また、最初の戦 杭瀬川の戦いがありましたが、これは出てきませんでした、唯一西軍が勝った戦ですけど。
小西行長は、関ヶ原から山越えで春日に逃げて、残党狩りで竹中半兵衛の息子に捕まりました。春日には、小西行長の位牌を安置した観音寺や小西行長を祀った小西行長神社があります。
投稿ご苦労様です。島左近は大阪夏陣でてきそうな気がする(笑)
今回の関ヶ原の戦いは、新説を活かし新しい描き方をしていた。いつもおどおどし情けない小早川秀秋が、堂々とした態度で戦の趨勢を見極め、予定通り東軍に付いた。そして、小早川も含め、毛利、吉川が密かに家康と密約を結び、調略を受け入れていた。そのあげく、毛利輝元は全ての責任を三成に押し付けるあざとさで、それを茶々にも見破られていた。三成は秀吉同様、”戦なき世など為せない、まやかしの姿だ!”と論じ、家康は”それでもやらねばならぬ!”と反論した。
三成役の中村七之助さんが、素晴らしかった!正義に燃えつつも戦う決断をするや一歩も退かず、純粋に豊臣家を守ろうとする。最後に味方の裏切りに合い、苦悩する姿、家康に反論する大胆さ、父中村勘三郎さん譲りの真摯な眼差し、全てが演技力との相乗効果で、この大河ドラマ内での最も適役であり好演だった。
「どうする家康」の小早川秀秋の裏切りのシーンで「葵 徳川三代」合戦映像が使われたね。
もう20年以上前の大河ドラマなのにいまだに当時の合戦映像が使われるって
当時の大河ドラマのクオリティの高さに改めて思い知らされるな。
小早川軍が大谷軍になだれ込むシーンね。津川家康が高笑いするところw
肖像画から受けた印象からもっと優柔不断かと思っていましたが、小早川秀秋が立派に描かれていましたね。ちょっと安心しました。それから、阿茶が寧々のもとで大切に保護されていたのはどうしてなのでしょうか。敵方の大将の側室なのですから、人質として交渉に利用されてもおかしくないと思うのですが。
今回も解説、ありがとうございました!!小和◯氏の解説動画が物足りなさ過ぎるので、やはり武士道さんの解説が頼りです。
輝元・・・、資料や武士道さんの解説だと日本史の中でもS級の悪党・卑怯者と言えるのですが、ドラマでは西軍の総大将なのに三成の副将的な立ち位置にされ、大坂では狂った茶々の相手をさせられては「もうやってられねえ」と家康に靡くのは仕方ないかと・・・。
ドラマで言うと、頑なに島津義弘と豊久を登場させなかったのも謎というか、不満でしたね。なんかそれっぽい(坊主頭の武将が軍議の場にはいた)モブキャラはいましたけど・・・。
後、安国寺恵瓊も登場しませんでしたが、何故に三成や行長と共に処刑されたのか?後ほど、機会があれば武士道さんの見解を。
秀秋がちょっと有能武将になっててびっくり
大筒を打ち込まれてあたふたする秀秋のイメージしかなかったから。そのくだり今回もみたかったのに
慶長の役の活躍からして有能でしょ
秀吉に怒られたけど
本編にも出てこなかったし、今回の解説動画でも出てこなかった松平忠吉殿 なんか不憫だな
忠吉は子役では出てるのにね💦
長宗我部ファン的には弁当にぶちギレる役が盛親なのは嬉しかったんですけどもう登場してる長束正家をなんで出さなかったんだ……
井伊直政は、娘婿の松平忠吉を上手く利用した(のかな?)抜け駆けになりましたね。家康の息子なので、福島軍も粗略には扱えないし(ただ、出てないんだな、忠吉が💦)。
ちゃんと、島津の捨てがまりで直政が負傷もしてる。
西軍と石田三成ファンです。
今回の三成とても好きでした。やはり何回みても悔しいです。
毛利秀元が予定通りの40〜50万石の領土があったらまた違ったかなと考えています。
ドラマで安国寺恵瓊、長束正家の名前くらいは出してほしいなと思いました。
「うつして治る病なら私にうつせ!」と吉継の茶を飲み干した三成がその吉継の土産の柿を「痰の毒だ」と言って手をつけなかったのは一貫しないので昨日の放送ではその答が見られると思ったのですが…。
これほどまでに美しい小早川の裏切りの様が描かれた事があっただろうか!
井伊直政に板垣さんがキャスティングされたのはなぜなのでしょう🤔最初の出会いのシーンの美しい舞を撮りたかったから🤔?
結構小柄で細身で綺麗すぎるご尊顔なので、徳川四天王の剛健なイメージとは少し離れているような、、、
武士道さんの見解をお聞かせ頂きたいです!
『葵 徳川三代』の時には淀殿(演者・小川真由美さん)は秀頼が大将として出陣することに非常に消極的な態度を取っていたけど、今回の北川景子さんの淀殿は
関ケ原を見る限りそんな感じではなかったので、まもなくやってくる大坂の陣で秀頼が豊臣軍の大将になって、さて淀殿は秀頼にどう言うのか(結果的には出陣し
なかったですが)見ものです。
三成の最後のエピソードは貶める为に伝えられたんだろうけど現代人の感觉からすると逆に格好いいですよね!
キャラが前面に出て無いので仕方無いながら、黒田長政が三成に羽織を掛けた話は描いて欲しかった。。。。九州でのおとっちゃんの動静やらも。会話で良いから。
茶々はこの戦を三成に家康討伐を画策、仕掛けさせる一方で、これは三成が仕掛けた戦いであると家康に書状を送っている。もし秀頼が関ヶ原の戦いに出陣したら小早川も流石に裏切る事は出来ず、西軍は勝っていたとの説があるが、これは残念ながら無かった事と思われる。この後の大阪夏の陣 真田幸村の戦いでも、茶々は秀頼を出陣させる事無く、敗戦している。
やはり 総大将が力をどれだけ持っているかで歴史は動くということか?
三成も律儀に豊臣家の為に合議制で政治を行おうと奮闘努力したが、家康との戦いでは、味方が少数派という事で
既に勝負は既についていた。
戦の最中は、馬上から伝令することは作法として許されるので、これで烈火の如く怒るということはない。
小栗旬さんは最終回出ますがもっぱら伊達政宗かな!と言われてますし小四郎のままとも?なんせ鎌倉殿から家康までこの2年セットだったような気がします
大河ドラマ 関ケ原もっと描いてほしかった?す
詳しくわかりやすい説明でいつも学ばせてもらってます!!
リクエストなんですが、大野治長と茶々の怪しい話しが調べてみたら出てきたんですが詳しく知りたいです。
石田三成と茶々の関係の隠し子とかの話しばかり気にしてたものですから大野治長という人物が引っかかって仕方ないです。
よろしくお願いいたします
あと5回しかない😢
関ヶ原の戦いは豊臣政権内の争いと言う定義が良くされますが、関ヶ原の戦い後に豊臣が領地を大幅に削られているのはなぜでしょうか⁇
松平忠吉の後見として直正と一緒に一番槍を行ったため福島も文句を言えなかったのではないか。
今回も駄目だったよ(by 三成
伸びろこのコメ
問い鉄砲ないのが関ヶ原の戦いで残念でしたね…他は良かったけどね😊
意外と知られていないけど、宇喜多秀家の家臣が、後に津軽に落ち延びて、津軽家家臣になっているみたいです。
でも、彼らは、切支丹であったにもかかわらず、公には類族扱いも受けずに明治になるまで、命脈を保ちました。
16:20〜宇喜多秀家について。
そうですね、宇喜多秀家は、関ヶ原のあと、八丈島に配流となりましたよね。が....。
大河ドラマでは、即座に決定•実行された様に画面に書かれていましたが、武士道さんが言われた様に、暫く薩摩の島津に身柄を匿ってもらっていて、実際に八丈島に配流となったのは、1606年つまり、江戸幕府が、二代目秀忠の世の中になってからでしたよね。
次の大河で関ヶ原が描かれるとしたら、島津家主役が観たいですねー
「井伊直政」・・徳川陣営を強行突破しようとした島津勢の鉄砲隊に、撃たれてしまいましたね・・・
この時の鉄砲傷が元で、直政はこの世を去ってしまう事になるんですよね。僕はどっかの漫画の影響で
、「島津豊久」に直政を撃たせる役をやらせると思ってましたよ。
直政さんは、関ヶ原の戦いで鉄砲で撃たれて、それが原因で、若くして、なくなったみたいですね🐯
干し柿と松平忠吉のエピソードが欲しかった(ᵔᴥᵔ)
ホワイトボードの右側真ん中の【真田昌幸の欄】の
【除名嘆願❌(誤字)】
【助命嘆願⭕】😅
何故か久能山東照宮に納められている島左近のものと伝わる兜
そんなに詳しくないですが😅スピード勝負みたいな感じだったんですかね?
私の小学校(京都市立仁和小学校)の校門前に島左近のお墓があります。
安国寺恵瓊のうさん臭さが好きなのだが、ドラマではスルーされているのが残念。細かいことですが、「除名嘆願」は「助命嘆願」では?
毛利三万が動かず西軍は敗北したのだから、毛利輝元自ら出陣しなければならなかったと思います。
今回も厳しい結果wwwwww
武士道さん、散髪しましたか?
関ヶ原の戦いの再現といえば、葵 徳川三代。
小生はテレビが無いので、今回の関ヶ原はどうだったかわからないけど、
凄かったのかな?
尺は思いの外短めながらも、足軽の戦闘の必死さ、頑張って敵を一人二人倒したところでバッサリ斬られてあっさり死んでしまう悲壮感がしっかり描かれてましたし、「死者8000人も出した大惨事」と総括した淡々とした戦後処理がまた…「地位と権力は確固たるものになったけど、唐入りとは別の意味で、本来なら出さずに済んだはずの死者と思うと喜べない虚しさ」さえ感じさせるものでした…
戦で高揚感を持てる寅(家康は通説では寅年)に成長したけど、心の内の白兎は多数の戦死者が出てしまったことを哀しんでしまう。そんな本作の家康を象徴する回でした
一部、使い回しがありました。功名が辻ほど露骨ではないけど💦
小西や長曽我部の家臣は酷い目にあったよね、なぐらいで実は敗戦処理がかなり甘い日本最大の合戦
小早川秀秋は、みなもと太郎さんの歴史漫画のイメージ強すぎでして。てか日本史は、みなもと太郎さんの漫画が土台です。これで真田丸の関ヶ原は許されたと思いますよ。アレは翌日イジられまくってたな😁
これはあくまでも一つの説なので完全ではありませんが…薩摩押しの男です。
島津義弘は一万にも満たない兵力で、そのため自軍防衛に当たったとの説があります。
なぜ兵が少なかったのか、それは当主島津義久の意向があったという説、
兄弟不仲説や兄弟の不仲説は無くても了兄弟の家臣団の対立があって兵を出せなかったとか、
義久の宿老で豊臣秀吉とも昵懇になった、伊集院忠棟親子を義弘の子、忠恒(初代薩摩藩主家久)が謀殺したり(庄内の乱)などあって兵を出せなかったなど色々な説があります。
私は兄弟安寧を祈りたいのですが、色々説があり、当主義久の九州勢、加藤、黒田、立花、鍋島、細川等の嘆願をしながら徳川にはノラリクラリ作戦、義弘の井伊、本多の嘆願などが項じて敗者ながら所領安堵となったかなと思っております。
あくまでも一説を考察しただけなので間違いはあると思いますが、お忙しい中でもしもお時間が有りましたらダメ出し下さい。
私の母方は薩摩の下級武士で幕末は蘭学も学んでいたそうです。
西南戦争は西郷軍として田原坂で戦士しております。
東京出身の薩摩ハーフ、薩摩愛に溢れてます。
急い中でウザかったらごめんなさいm(_ _)m
でも薩摩関係はまた顔を出すかもしれませんm(_ _)m
これからも基本的には影から応援しております、いつも楽しく勉強になる配信ありがとうございます。
くれぐれもお身体には気をつけて良いペースで配信して下さい。
それだけでも大応援です!
秀吉没後、家康は遊んでいたわけではない。
天下取りのための外交工作を着々と進めていた。
関ヶ原は仕上げのイベントに過ぎない。
だから簡単に決着がついた。
毛利輝元が淀にビンタされるシーンを毛利家の御子孫で有る方がUA-camで大変ご立腹されている動画を出していましたよ…😅
秀頼でした。
保元の乱で源氏勢が夜襲を提案するも、藤原頼長に却下された話ですね
三成の最大の失敗は、伊達を取り込めなかったことじゃないかな。伊達+上杉+佐竹+その他(合計200万石超?)で江戸を急襲、これを受けて毛利が態度を変えていたら、歴史はかなり変わっていたなぁ。大局的に見たら、小早川よりも伊達が最大の功労者でないのかな。
伊達はそもそも上杉佐竹と仲が悪いし、
殺生関白事件で連座しかけたのを徳川に取りなしてもらって恩があるうえに、姫が家康の息子に嫁いでいるんだ
どう考えても三成が取り込むのは無理があるんじゃないかなぁ
よく大蔵卿がどうとかって言うのを見るんですが実際どうなんでしょう…
東軍が赤、西軍が青なのが違和感あります。
逆のイメージ。
さこにゃん、なんであの人だったんだろうか...島津義弘は麿赤児で鉄板だったのになぁ...
毛利家は養子の秀元と実子の秀就で後継争い、吉川広家は独立をしようとしてたから今回の戦で輝元&秀就の失脚を画作してたかも知れません。
最上・伊達と最上をさきに書いていただけるのは最上ファンとしてはうれしいです。