Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
「高度経済成長などの景気の良い時代は立身出世の豊臣秀吉が称賛され、不況の時代は質素倹約、質実剛健の徳川家康が人気になる、、、そして今川氏真が評価される。」 今日、地元の図書館の歴史イベントで、学芸員の先生がこんなことを言って聴衆から笑いを取っていました。「立身出世が無理でも氏真みたいに細く長く生きられれば勝ち組じゃん!」ってことで、まさに世相を現してますなぁ。
今川氏真はボンクラっていうより、いきなり義元が討ち死にして遠江の国人もばらばら離反する中で立て直しからスタートっていうベリーハードモードで開始させられた可哀想な人ではありますよね。滅亡時の当主はだいたいボンクラ扱いだけど、その前の当主が残した負債を処理するハードモードの難易度からやらされているというところは差し引いて評価してあげたいですね。
関東侵略好き👍👍上杉謙信
信雄もそうだけど一族をそれなりの地位で残したのだから氏真も立派です!
今回も勉強になりました。今川氏の重臣達が次々武田に離反していく流れ、そのまま武田の最後を見るようですね。戦国の世の習いでしょうか…。
とても面白かったです。戦国期の複雑な同盟関係やその変遷、こんな状況下では、今川家誰が当主でも難しかったんでは?!と感じます。武田と徳川に挟み撃ちにされれば、もう無理ですよね!それ以前自国領が危機に際していても、甲相駿三国同盟を重んじ援軍を送る氏真は、偉大な父義元の政治を手本とし、その構想を引き継いで行こうと志していたのかもしれません。しかし、時代は移り、情勢は大きく変化していたのを気づけなかったのは、皮肉でもあり、戦国大名としては致命的ですね。
でも結局1610年まで生きて(しかも77歳は家康より長生き)高家にもなったのだから武田、北条よりかは良かったのかなと思いますなかなかかつての部下が主君になったときにプライドを捨てて仕えるなんてできないですよ(豊臣然り)
むしろ、昨日の大河で氏真かっこよかった。家康のお兄ちゃん代わりとか義元に言われてよかったな。実際に家康に兄弟がいたのか、あんまり印象にありません。
しかし、織田、豊臣、武田、上杉、徳川の誰よりも長く生きたんである意味勝ち組かな。
対上杉への援軍だけでなく、家康の造反に呼応した三河国衆に対して攻撃もしているし、氏真自身も出兵していますね。ただ二正面作戦は駿河遠江の国力では厳しかったのでしょう。蹴鞠や闘鶏にうつつを抜かしていたという無能イメージは後世の創作ですね。
私も溝端さんの氏真を見て、武士道さんに似てるなぁと思っていました!私だけじゃなくてうれしい😊イケメンには変わりないので良いと思いますよ!
こういう全体の解説欲しかった!
氏真は周りの状況含めてちょっと可哀想
妻の実家の為に援軍出したら松平の安全保障放棄と見なされ独立される、かといって松平もとい自国優先だと北条・武田に早期に目を付けられるという絶望…今川って氏親の代からしょっちゅう身内争いあったから一門の貧弱さも痛かった感ある(頼れる親兄弟、親類がいない 寿桂尼も隠退して駿河退去済という説もあり)考えれば考えるほど史実ルートが一番幸福だったんだろうね… 掛川城の籠城とか大沢基胤の降伏の申し出を労う手紙の話とか本人なりの良い話があるだけ幸せ者
今川への離反祭りとジャニーズの退所祭りが重なった、カリスマ頼りの組織がもろいのは今も昔も変わらないんだな
「阿部さん怖そうだから、武田信玄やらかしてくれそう。」って、思わず笑ってしまいました。
桶狭間で義元と出陣した重臣がことごとく討ち取られてマイナススタートだっからむしろ良く5年も保ったと思う
火花散る虚々実々の外交戦という感じで熱いですね氏真もプレイヤーの一角として存在感は見せてるんですが、結局は今川の一人負けになっちゃって無惨…うーん乱世乱世
三国同盟も三つすくみ状態だったからで、均衡が破れるとあっという間に瓦解しますね。
☓ 英雄二人に挟まれた○ 腹黒謀略家二人に挟まれたあと、父(と祖母)が傲慢な態度で、周り(特に三河)に恨みを買いすぎていた、というのもあったと思います
なんだか甲州征伐の時と同じ物を感じますね。桶狭間の戦いで重要な家臣団を失ったのも長篠の戦いと似てますし。決定的に違うのは、今川氏真は信長や家康に臣従して天寿を全うしたのに対し、武田勝頼はあくまで徹底抗戦した事で家臣から離反され、自害して武田家は滅亡してしまった事ですね。家を残したと言う意味では、氏真の方が上だったという事でしょうか…。
「今川氏真物語」みたいな時代劇(映画含む)は今後も作られないと思うんで、劇から彼の人生(特に桶狭間後)を知ってもらうのは困難なのが残念ですね。戦国大大名から滑り落ちたのに、死なずに戦国最終勝者の部下になって家を存続させたんですから。
「なかなかに 世をも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科にして」氏真が主人公のドラマも面白いと思うんだけどなぁ・・・
大河ではおんな城主直虎でおおよそやっちゃってるから難しいかもですね。
氏真の奥さん(正室)の早川殿の存在が大きいのでは。北条氏康の娘はただ者ではなかったということ。結局氏真は武田と別ち北条とも縁を切り徳川に養われ織田、豊臣の世を生き抜くという氏真の生き方を導いたのは誰なのか?
え、氏真さん有能だったんですね…私は「敵に塩を送る」という言葉、恥ずかしながら知らなかったので、勉強になりました。
隣接するのが家康バックに信長、信玄、氏康だからキツイよね。
この人自体は有能。考え無しなら天寿全うできないだからKoeiさん、知略もうちょっと上げたげて
お疲れ様です!
無能というか運が悪かったというか平時の殿様なら蹴鞠などの公家文化、発給文書を見ても十分有能時代に翻弄されたのが氏真という印象
力が全ての戦国時代。オセロのコマの如く負けたら領地があっという間にひっくり返る。この時代の武将の息子は辛いよなー。今川も武田も織田も。。。。この時代の武将の子でなくてよかった😢
氏真は後に長篠の戦いに織田方として参戦しています。氏真さん、憎っくき武田が敗走していく様を眺めてどう感じたんでしょうね。気分爽快!
今川が荷留めをした時、上杉は塩を送ったわけではなく端に協調して荷留めをしなかったってだけです。
ですよね~!そもそも、海水から塩を造るのに、北陸地方で造るのと、東海地方で造るのと、どちらの方が有利で、大量生産ができるのか?ってことです。堺屋太一さんが書かれた、峠の群像では、東海地方の吉良と、山陽地方の赤穂とでは、どちらの方で製塩は生産性に優れていて儲かったのか?ってことを物語の中心に据えていましたよね。
今川氏真は唯のぼんぼんでは無く、お坊ちゃんでは無かったと思う。蹴鞠が得意だったそうだから其れなりに運動神経も有り、朝廷との和歌集にも和歌を残していたから、其れなりに文化教養も有った。家康は没落した、今川家を断絶せずに、家康は幼き頃世話になった、今川家や氏真を保護し、江戸幕府は今川家を幕末迄代々今川家を朝廷、公家との連絡役高家とした。
今回の動画で今川氏真への見方が随分変わりました。上杉謙信は余りにも優先順位が分かっていない正義の味方です。ここで越後から武田領に南下していれば、今川氏は滅びずに済んだかも知れませんね。
プライドを捨て主君を変えながら戦国時代をサバイバルして生き残ったんだから個人としては優秀いいサラリーマンになれたと思う
窓際の平社員として定年まで勤めあげたサラリーマンを評価かするか、若くして取締役まで出世するも派閥争いに負けて会社を去るサラリーマンを評価するか、、、そういう事だと思います。
分かりやすい表現ですね😀
立場上当初の彼には主君はいなかったと思うけど?(北条氏康も義父であって主君ではない)大企業の御曹司(社長の息子)で生まれ育ってるのに、よくサラリーマン(社員側)がやれたと思うよ。
@@dindon1969 まぁ、その後かつての部下の会社で宴会部長ですからね。
豊臣家や武田家のように派手に滅んだほうが涙を誘うやん?
話を聞いていると、後の武田家の滅亡のようですね。勝頼が近年評価が見直されているので、氏真もどうなんですかね。
周りの状況的に、誰が当主でも滅びそう
謙信は「甲州の家は全部焼き払ってやるぜー(意訳)」みたいな願文を残してるので、「タダで塩を送るはずがない。高値で売りつけてたならあり」というのが妥当みたいですね。
信玄への手紙「戦いは兵力をもって行うもの。自分は塩留めには参加しない。だからいくらでも越後から輸入しなさい。高値にしないよう商人にも厳命しておく」塩止めもしないし、タダで塩を贈りもしてないが、足元を見て高値にもしていない。
無能と言うよりあまりに相手が悪すぎた・・・・後年信長が公家との交渉役に氏真重用したとも言われてるし氏真無能説払拭できたかも(あと野村萬斎の義元がかっこいい)
一説には遠州忿劇の数々の離反には武田信玄も暗躍していたと言われてますね、もしかすると家康が信玄に手紙を送っていたのが伏線になる可能性もありますね。おんな城主直虎での井伊直親と家康との密会のシーンの家康が明らかに偽物だったのが気になりましたね。遠州忿劇を取り上げてくださりありがとうございます。
敵に囲まれたのも、同盟相手に裏切られたのも信長と大差無いけど、片や天下人(一歩手前)と差が出てしまったのは、氏真が重要な「選択」を誤ったからだよね😅北条氏を頼みにするのは間違いでは無いけど、北条氏の救援にばかりかまけて三河をがっちりと抑えなかったのが最後まで尾を引いている。その点信長は、後顧の憂いに繋がる様なボヤは都度全力で消しにかかる。判断力と決断力の差
それだけまだ三河者を信用していたんだろうね
氏真は別に無能じゃないが、やっぱり「義元親父を討ち取られちゃった」のが…ね。
今川氏真て上杉謙信にコンタクト取ってだんだん越中、責め朝倉宗滴👍👍
上杉の越中侵攻と武田の駿河侵攻は申し合わせたように…
さりげなく今川の没落原因の根底にあるのって謙信だよね...w武田方面にしろ北条方面にしろ状況を逆流させてる元凶というか、謙信からのシワ寄せが全部氏真に行っちゃってる気がするww
氏真が現代に生まれいたらサッカー部のキャプテンで学年トップの秀才。おまけに子供の頃から剣道してる有段者。個人の能力なら三英傑より上なのに、生まれた時代が悪かった。
三国同盟。信玄の息子の勝頼、義元の息子の氏真、氏康の息子の氏政(正確には氏直の代?)に、滅んでしまうのが、盛者必衰の理を表していますね。南無~。
治世ならば大名として有能であったろうな。産まれた時代を間違えたとしか。
武士道さん痩せましたね。まだ本調子では無さそう
人には向き不向きがあるからね、平和な時代なら名君たり得る人でも戦乱の世には無能になる、逆に織田信長だって今や江戸時代に生まれてたら何もできなかっただろうし
わかりやすい解説ありがとうございました。それにしても助けを求められたらほっとけず助けに行く謙信、心情は現在でも理解できますが一番戦国武将らしくななぁ(ᵔᴥᵔ)
Twitterもフォロー済み 持ち UA-camも
氏真を無能な設定にしておかないと家康が裏切ったことを正当化できないから。秀頼と違ってかつての部下に頭を下げて生き残った勝ち組
戦国の英雄が地方豪族から1か国の太守になるのがだいたい10年。それから1~2か国切り取るのに10年。 1か国もしくは2か国を相続して安定させるのにだいたい10年。うまくいかなきゃ滅亡。今川家の場合 氏真の前に義元が太原雪斎が作って運営していたものの神輿でしかなかったところから雪斎死後 太守と軍師と宰相と最前線の将軍(全部うまくいかんから 最前線でなきゃいかなくなった)と全部やらなきゃいけなくなって 突然死END。そこから相続で10年もった。 しかし信玄に裏切られ徳川と武田で攻められたらたらもう無理だろう。相続前の支配者がきっちりと支配運営外交整えてすべて譲ってでなきゃ皆潰れるなり地獄のような相続戦争してる。ということで氏真でなく義元が無能。 武田勝頼でなく武田信玄が無能。豊臣秀頼でなく秀吉が痴呆。毛利は相続大成功。徳川ももちろん大成功
信雄より氏真だよね。😊😊😊
そもそも駿河が本拠してきた今川が戦国大名として、遠江を支配地域においたのはそれほど古くないですからね。それは氏親時代に伊勢宗瑞の協力を得てからですから、今川自体領国経営は上手く行ってなかったような気がします。氏親(寿桂尼、雪斎)が早期に今川仮名目録を作り、義元がそれを補完したのも領国安定化を急ぎたかったからでしょう。古くからの譜代家臣が多い駿河に対する遠江衆の想いはいかばかりだったでしょうか。雪斎も死に、義元が討たれたとあれば、元々西との結びつきが強かった遠江は氏真が相当優秀でも離反を止めることは出来なかったと思います。
北条氏康みたいに代替わり直後の袋叩きを巧く切り抜けられなかった。北条幻庵に策を貰えば・・・
ほんと信玄の野郎って思ってたでしょうね。義信も才能あったのにかわいそうですよね。結局代替わりしてから武田家は滅亡の道を辿るんですけど
武田信玄って優秀だと思うけど、腹黒だよなぁ....元々の性質なのか、時代がそう有らねば生きられなかったのか...
そういえば後北条氏は今川に二度も裏切られてるねぇ。
あとあと今川以上に武田が悲惨な滅亡してせいせいしました。(武田晴信の因果応報)
はて?信玄公の正室は三条の方で公家の出では?今川の仲介で京ヵら来たと思いましたが…今川義元の娘ではないですよね?
動画内で武士道さんも解説していますが、永禄5年(1562年)の井伊直親による謀反は一次史料で確認できないため、最近は疑問視されているようで、「遠州忩劇」は翌年からはじまったとされます。 注目すべきは翌永禄6年(1563年)に今川氏真は「 三 州 急 用 」を名目に領国全体に臨時課税を行っていることです。「三州」つまり三河に攻め込むための戦費調達を目的にした徴税でした。これがかなり不評だったようです。 と、こ、ろ、が、その後、なぜか氏真は三河ではなく関東へ出兵してしまうんですね~・・・おかしいだろ!!!直後の同年12月に、飯尾連龍が今川に反旗を翻し「遠州忩劇」の開始となります。(シカタナイネ) 今川氏滅亡へのターニングポイント、それはやはりこの「 三 州 急 用 、かーらーの関東出兵!」ではなかったか?NHK公式の登場人物欄では、今川氏真のことを「 な す こ と す べ て 裏 目 に 出 る 」と紹介してるんですが、「言い得て妙!」「でももう少しオブラートに包んであげて」「でも氏真くんさあ、アレ↑ は無いんじゃない?」などなど、脳内で賛否?が論戦を繰り広げております。
自分で言ってるじゃーねーか。「おかしいだろーって」、、、全然有能じゃね~じゃん。
@@ひろひろ-h3p さん あ! ひろひろさんですね。 わたし貴方のコメントの下に「氏真は有能であった!」なんてこと書き込んでいませんよ! もう一度読み返してください。 私が気になったのは「歴史は事実と結果のみで評価されれべきであり、」という「結果論」を「是」とする貴方の考え方です。 いや、すみません。よく見れば「結果のみ」だけではなく「事実」も評価対象になるとお考えなのですね? ですよね? 「事実」は重要です。「氏真は、蹴鞠や和歌など貴族趣味にうつつを抜かし、政治や戦に無関心な愚かなバカ殿であった」みたいな「事実」に基づかない酷すぎるデマ噓っぱちを否定することに不満があるのですか?
@@kattsunS 何をそんなにむきになっているの?
@@kattsunS じゃあ、あんたは歴史をどのような物差しで評価するかご教示下さいな。
@@ひろひろ-h3p さん コメントありがとうございます。 私はムキになってはいませんよ、これが私のスタイルですので。ひろひろさんにおかれましては「何をそんなにむきになっているの?」なんてつまらないコメントではなく、「ぐぬぬ、痛いとこ突かれた」となるような反論をしていただけると、私としても嬉しく思う次第です。いや、できればお手柔らかにお願いしますw
「敵に塩を送る」=武田信玄が越後の塩商人を買収して武田領に塩を送ってもらった
流石にこの周りの状況じゃ、今川の歴代当主誰でも滅びそう
領国が大変な時に同盟を守って北条助けてあげたのに、最後は助けて貰えなかったんですか?
最後は北条が援軍出してくれてます。しかし、北条の力をもってしても、武田家と徳川家の挟み撃ちには耐えきれませんでした。
@@sengokubanashi へー、ありがとうございます
氏真の問題は戦国大名としては戦場での実績が無さすぎるという点かな
その氏真ものちに家は滅ぶけど今川氏真の一族は幕末まで栄えるからね〜お世話になる家康に上から目線は笑うけどね😅
どうする氏実で大河主役にしたい。恐らくは家康とか他の大名よりは身内を大事にして優しかった人なんでしょうな。
こいつはほんとに可哀想大河ドラマでも大体悪役の立場だしw
正直、無理矢理有能な処を必死に探そうとしている昨今の風潮に疑問を覚えます。歴史は事実と結果のみで評価されれべきであり、やはり歴史的にみて無能であったと考えます。
有能でありさえすれば、誰でも必ず成功できるとお考えなのでしょうか?「幸運、不運」という要素は無視してかまわないとお考えですか?最終的に天下人となった徳川家康についても「強運の持ち主だった」といった評価もあり、持ち前の能力だけではどうしようもないケースもあるものです。「歴史は事実と結果のみで評価されれべき」↑ そういう考え方を「結果論」と言います。辞書で調べてみてください。
@@kattsunS それはわからんよ。歴史にifはないからね。あんたの意見も私の意見もあくまで一意見に過ぎない。人それぞれだよ。何をむきになっているのかわからんね。あんたが幼稚というだけは事はよく判った。
氏真に関してはある程度記録に残っている、そういう物が掘り起こされて実情が判明する事に関してはいい事だと思う。まあ光栄とかのゲームに出てくる様なステレオタイプでないと納得いかないと言うのであれば話は別だけど。
@@m.i.9104 ま、その理論だと、過去の人物は皆優秀な人物になってしまうよ。完璧な人間などいないし、どんなクズも心温まるようなエピソードはあるからね。ようはその人物のどの部分にスポットライトを浴びるかで評価なんていくらでも変わるよ。
@@ひろひろ-h3p そうとは限らないんだよね、資料によっては評価が下がる人も勿論居る、例えば小早川秀秋はアル中で肝硬変を患うほど酒に溺れていて性格も粗暴になって関ヶ原の辺りになると肝硬変が末期で政務もまともに出来ていなかったのでは?と言う所までほぼ判明しているんだし。こういう部分ってやはり資料が残ってるから判明しているのが大きい。
三国志の劉禅と生き様がかぶる今川氏真軍門に下り 高家の爵位持ち天寿を全うするあとから思い出したけど親父さんの信虎が今川家で隠居しとったような
「高度経済成長などの景気の良い時代は立身出世の豊臣秀吉が称賛され、
不況の時代は質素倹約、質実剛健の徳川家康が人気になる、、、そして今川氏真が評価される。」
今日、地元の図書館の歴史イベントで、学芸員の先生がこんなことを言って聴衆から笑いを取っていました。
「立身出世が無理でも氏真みたいに細く長く生きられれば勝ち組じゃん!」ってことで、まさに世相を現してますなぁ。
今川氏真はボンクラっていうより、いきなり義元が討ち死にして遠江の国人もばらばら離反する中で立て直しからスタートっていうベリーハードモードで開始させられた可哀想な人ではありますよね。
滅亡時の当主はだいたいボンクラ扱いだけど、その前の当主が残した負債を処理するハードモードの難易度からやらされているというところは差し引いて評価してあげたいですね。
関東侵略好き👍👍上杉謙信
信雄もそうだけど一族をそれなりの地位で残したのだから氏真も立派です!
今回も勉強になりました。今川氏の重臣達が次々武田に離反していく流れ、そのまま武田の最後を見るようですね。戦国の世の習いでしょうか…。
とても面白かったです。戦国期の複雑な同盟関係やその変遷、こんな状況下では、今川家誰が当主でも難しかったんでは?!と感じます。武田と徳川に挟み撃ちにされれば、もう無理ですよね!それ以前自国領が危機に際していても、甲相駿三国同盟を重んじ援軍を送る氏真は、偉大な父義元の政治を手本とし、その構想を引き継いで行こうと志していたのかもしれません。しかし、時代は移り、情勢は大きく変化していたのを気づけなかったのは、皮肉でもあり、戦国大名としては致命的ですね。
でも結局1610年まで生きて(しかも77歳は家康より長生き)高家にもなったのだから武田、北条よりかは良かったのかなと思います
なかなかかつての部下が主君になったときにプライドを捨てて仕えるなんてできないですよ(豊臣然り)
むしろ、昨日の大河で氏真かっこよかった。家康のお兄ちゃん代わりとか義元に言われてよかったな。
実際に家康に兄弟がいたのか、あんまり印象にありません。
しかし、織田、豊臣、武田、上杉、徳川の誰よりも長く生きたんである意味勝ち組かな。
対上杉への援軍だけでなく、家康の造反に呼応した三河国衆に対して攻撃もしているし、氏真自身も出兵していますね。ただ二正面作戦は駿河遠江の国力では厳しかったのでしょう。蹴鞠や闘鶏にうつつを抜かしていたという無能イメージは後世の創作ですね。
私も溝端さんの氏真を見て、武士道さんに似てるなぁと思っていました!私だけじゃなくてうれしい😊イケメンには変わりないので良いと思いますよ!
こういう全体の解説欲しかった!
氏真は周りの状況含めてちょっと可哀想
妻の実家の為に援軍出したら松平の安全保障放棄と見なされ独立される、かといって松平もとい自国優先だと北条・武田に早期に目を付けられるという絶望…
今川って氏親の代からしょっちゅう身内争いあったから一門の貧弱さも痛かった感ある(頼れる親兄弟、親類がいない 寿桂尼も隠退して駿河退去済という説もあり)
考えれば考えるほど史実ルートが一番幸福だったんだろうね… 掛川城の籠城とか大沢基胤の降伏の申し出を労う手紙の話とか本人なりの良い話があるだけ幸せ者
今川への離反祭りとジャニーズの退所祭りが重なった、カリスマ頼りの組織がもろいのは今も昔も変わらないんだな
「阿部さん怖そうだから、武田信玄やらかしてくれそう。」って、思わず笑ってしまいました。
桶狭間で義元と出陣した重臣がことごとく討ち取られてマイナススタートだっからむしろ良く5年も保ったと思う
火花散る虚々実々の外交戦という感じで熱いですね
氏真もプレイヤーの一角として存在感は見せてるんですが、結局は今川の一人負けになっちゃって無惨…うーん乱世乱世
三国同盟も三つすくみ状態だったからで、均衡が破れるとあっという間に瓦解しますね。
☓ 英雄二人に挟まれた
○ 腹黒謀略家二人に挟まれた
あと、父(と祖母)が傲慢な態度で、周り(特に三河)に恨みを買いすぎていた、というのもあったと思います
なんだか甲州征伐の時と同じ物を感じますね。桶狭間の戦いで重要な家臣団を失ったのも長篠の戦いと似てますし。決定的に違うのは、今川氏真は信長や家康に臣従して天寿を全うしたのに対し、武田勝頼はあくまで徹底抗戦した事で家臣から離反され、自害して武田家は滅亡してしまった事ですね。家を残したと言う意味では、氏真の方が上だったという事でしょうか…。
「今川氏真物語」みたいな時代劇(映画含む)は今後も作られないと思うんで、
劇から彼の人生(特に桶狭間後)を知ってもらうのは困難なのが残念ですね。
戦国大大名から滑り落ちたのに、
死なずに戦国最終勝者の部下になって
家を存続させたんですから。
「なかなかに 世をも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科にして」
氏真が主人公のドラマも面白いと思うんだけどなぁ・・・
大河ではおんな城主直虎でおおよそやっちゃってるから難しいかもですね。
氏真の奥さん(正室)の早川殿の存在が大きいのでは。北条氏康の娘はただ者ではなかったということ。結局氏真は武田と別ち北条とも縁を切り徳川に養われ織田、豊臣の世を生き抜くという氏真の生き方を導いたのは誰なのか?
え、氏真さん有能だったんですね…
私は「敵に塩を送る」という言葉、恥ずかしながら知らなかったので、勉強になりました。
隣接するのが家康バックに信長、信玄、氏康だからキツイよね。
この人自体は有能。考え無しなら天寿全うできない
だからKoeiさん、知略もうちょっと上げたげて
お疲れ様です!
無能というか運が悪かったというか
平時の殿様なら蹴鞠などの公家文化、発給文書を見ても十分有能
時代に翻弄されたのが氏真という印象
力が全ての戦国時代。
オセロのコマの如く負けたら領地があっという間にひっくり返る。
この時代の武将の息子は辛いよなー。
今川も武田も織田も。。。。
この時代の武将の子でなくてよかった😢
氏真は後に長篠の戦いに織田方として参戦しています。
氏真さん、憎っくき武田が敗走していく様を眺めてどう感じたんでしょうね。気分爽快!
今川が荷留めをした時、上杉は塩を送ったわけではなく端に協調して荷留めをしなかったってだけです。
ですよね~!
そもそも、海水から塩を造るのに、
北陸地方で造るのと、
東海地方で造るのと、
どちらの方が有利で、大量生産ができるのか?
ってことです。
堺屋太一さんが書かれた、
峠の群像
では、東海地方の吉良と、
山陽地方の赤穂とでは、どちらの方で製塩は
生産性に優れていて儲かったのか?
ってことを物語の中心に据えていましたよね。
今川氏真は唯のぼんぼんでは無く、お坊ちゃんでは無かったと思う。蹴鞠が得意だったそうだから其れなりに
運動神経も有り、朝廷との和歌集にも和歌を残していたから、其れなりに文化教養も有った。
家康は没落した、今川家を断絶せずに、家康は幼き頃世話になった、今川家や氏真を保護し、江戸幕府は今川家を幕末迄代々今川家を朝廷、公家
との連絡役高家とした。
今回の動画で今川氏真への見方が随分変わりました。上杉謙信は余りにも優先順位が分かっていない正義の味方です。ここで越後から武田領に南下していれば、今川氏は滅びずに済んだかも知れませんね。
プライドを捨て主君を変えながら
戦国時代をサバイバルして生き残ったんだから
個人としては優秀
いいサラリーマンになれたと思う
窓際の平社員として定年まで勤めあげたサラリーマンを評価かするか、若くして取締役まで出世するも派閥争いに負けて会社を去るサラリーマンを評価するか、、、そういう事だと思います。
分かりやすい表現ですね😀
立場上当初の彼には主君はいなかったと思うけど?
(北条氏康も義父であって主君ではない)
大企業の御曹司(社長の息子)で生まれ育ってるのに、
よくサラリーマン(社員側)がやれたと思うよ。
@@dindon1969
まぁ、その後かつての部下の会社で宴会部長ですからね。
豊臣家や武田家のように派手に滅んだほうが涙を誘うやん?
話を聞いていると、後の武田家の滅亡のようですね。勝頼が近年評価が見直されているので、氏真もどうなんですかね。
周りの状況的に、誰が当主でも滅びそう
謙信は「甲州の家は全部焼き払ってやるぜー(意訳)」みたいな願文を残してるので、「タダで塩を送るはずがない。高値で売りつけてたならあり」というのが妥当みたいですね。
信玄への手紙「戦いは兵力をもって行うもの。自分は塩留めには参加しない。だからいくらでも越後から輸入しなさい。高値にしないよう商人にも厳命しておく」
塩止めもしないし、タダで塩を贈りもしてないが、足元を見て高値にもしていない。
無能と言うよりあまりに相手が悪すぎた・・・・
後年信長が公家との交渉役に氏真重用したとも言われてるし
氏真無能説払拭できたかも(あと野村萬斎の義元がかっこいい)
一説には遠州忿劇の数々の離反には武田信玄も暗躍していたと言われてますね、もしかすると家康が信玄に手紙を送っていたのが伏線になる可能性もありますね。
おんな城主直虎での井伊直親と家康との密会のシーンの家康が明らかに偽物だったのが気になりましたね。
遠州忿劇を取り上げてくださりありがとうございます。
敵に囲まれたのも、同盟相手に裏切られたのも信長と大差無いけど、片や天下人(一歩手前)と差が出てしまったのは、氏真が重要な「選択」を誤ったからだよね😅北条氏を頼みにするのは間違いでは無いけど、北条氏の救援にばかりかまけて三河をがっちりと抑えなかったのが最後まで尾を引いている。その点信長は、後顧の憂いに繋がる様なボヤは都度全力で消しにかかる。判断力と決断力の差
それだけまだ三河者を信用して
いたんだろうね
氏真は別に無能じゃないが、やっぱり「義元親父を討ち取られちゃった」のが…ね。
今川氏真て上杉謙信にコンタクト取ってだんだん越中、責め朝倉宗滴👍👍
上杉の越中侵攻と武田の駿河侵攻は申し合わせたように…
さりげなく今川の没落原因の根底にあるのって謙信だよね...w
武田方面にしろ北条方面にしろ状況を逆流させてる元凶というか、謙信からのシワ寄せが全部氏真に行っちゃってる気がするww
氏真が現代に生まれいたらサッカー部のキャプテンで学年トップの秀才。おまけに子供の頃から剣道してる有段者。個人の能力なら三英傑より上なのに、生まれた時代が悪かった。
三国同盟。信玄の息子の勝頼、義元の息子の氏真、氏康の息子の氏政(正確には氏直の代?)に、滅んでしまうのが、盛者必衰の理を表していますね。南無~。
治世ならば大名として有能であったろうな。産まれた時代を間違えたとしか。
武士道さん痩せましたね。まだ本調子では無さそう
人には向き不向きがあるからね、平和な時代なら名君たり得る人でも戦乱の世には無能になる、逆に織田信長だって今や江戸時代に生まれてたら何もできなかっただろうし
わかりやすい解説ありがとうございました。
それにしても助けを求められたら
ほっとけず助けに行く謙信、
心情は現在でも理解できますが
一番戦国武将らしくななぁ(ᵔᴥᵔ)
Twitterもフォロー済み 持ち UA-camも
氏真を無能な設定にしておかないと家康が裏切ったことを正当化できないから。秀頼と違ってかつての部下に頭を下げて生き残った勝ち組
戦国の英雄が地方豪族から1か国の太守になるのがだいたい10年。それから1~2か国切り取るのに10年。 1か国もしくは2か国を相続して安定させるのにだいたい10年。うまくいかなきゃ滅亡。今川家の場合 氏真の前に義元が太原雪斎が作って運営していたものの神輿でしかなかったところから雪斎死後 太守と軍師と宰相と最前線の将軍(全部うまくいかんから 最前線でなきゃいかなくなった)と全部やらなきゃいけなくなって 突然死END。そこから相続で10年もった。 しかし信玄に裏切られ徳川と武田で攻められたらたらもう無理だろう。相続前の支配者がきっちりと支配運営外交整えてすべて譲ってでなきゃ皆潰れるなり地獄のような相続戦争してる。ということで氏真でなく義元が無能。 武田勝頼でなく武田信玄が無能。豊臣秀頼でなく秀吉が痴呆。毛利は相続大成功。徳川ももちろん大成功
信雄より氏真だよね。😊😊😊
そもそも駿河が本拠してきた今川が戦国大名として、遠江を支配地域においたのはそれほど古くないですからね。
それは氏親時代に伊勢宗瑞の協力を得てからですから、今川自体領国経営は上手く行ってなかったような気がします。
氏親(寿桂尼、雪斎)が早期に今川仮名目録を作り、義元がそれを補完したのも領国安定化を急ぎたかったからでしょう。
古くからの譜代家臣が多い駿河に対する遠江衆の想いはいかばかりだったでしょうか。
雪斎も死に、義元が討たれたとあれば、元々西との結びつきが強かった遠江は氏真が相当優秀でも離反を止めることは出来なかったと思います。
北条氏康みたいに代替わり直後の袋叩きを巧く切り抜けられなかった。北条幻庵に策を貰えば・・・
ほんと信玄の野郎って思ってたでしょうね。義信も才能あったのにかわいそうですよね。
結局代替わりしてから武田家は滅亡の道を辿るんですけど
武田信玄って優秀だと思うけど、腹黒だよなぁ....
元々の性質なのか、時代がそう有らねば生きられなかったのか...
そういえば後北条氏は今川に二度も裏切られてるねぇ。
あとあと今川以上に武田が悲惨な滅亡してせいせいしました。
(武田晴信の因果応報)
はて?信玄公の正室は三条の方で公家の出では?今川の仲介で京ヵら来たと思いましたが…今川義元の娘ではないですよね?
動画内で武士道さんも解説していますが、永禄5年(1562年)の井伊直親による謀反は一次史料で確認できないため、最近は疑問視されているようで、「遠州忩劇」は翌年からはじまったとされます。
注目すべきは翌永禄6年(1563年)に今川氏真は「 三 州 急 用 」を名目に領国全体に臨時課税を行っていることです。
「三州」つまり三河に攻め込むための戦費調達を目的にした徴税でした。これがかなり不評だったようです。
と、こ、ろ、が、その後、なぜか氏真は三河ではなく関東へ出兵してしまうんですね~・・・おかしいだろ!!!
直後の同年12月に、飯尾連龍が今川に反旗を翻し「遠州忩劇」の開始となります。(シカタナイネ)
今川氏滅亡へのターニングポイント、それはやはりこの「 三 州 急 用 、かーらーの関東出兵!」ではなかったか?
NHK公式の登場人物欄では、今川氏真のことを「 な す こ と す べ て 裏 目 に 出 る 」と紹介してるんですが、
「言い得て妙!」「でももう少しオブラートに包んであげて」「でも氏真くんさあ、アレ↑ は無いんじゃない?」
などなど、脳内で賛否?が論戦を繰り広げております。
自分で言ってるじゃーねーか。「おかしいだろーって」、、、全然有能じゃね~じゃん。
@@ひろひろ-h3p さん あ! ひろひろさんですね。
わたし貴方のコメントの下に「氏真は有能であった!」なんてこと書き込んでいませんよ! もう一度読み返してください。
私が気になったのは「歴史は事実と結果のみで評価されれべきであり、」という「結果論」を「是」とする貴方の考え方です。
いや、すみません。よく見れば「結果のみ」だけではなく「事実」も評価対象になるとお考えなのですね? ですよね?
「事実」は重要です。
「氏真は、蹴鞠や和歌など貴族趣味にうつつを抜かし、政治や戦に無関心な愚かなバカ殿であった」
みたいな「事実」に基づかない酷すぎるデマ噓っぱちを否定することに不満があるのですか?
@@kattsunS
何をそんなにむきになっているの?
@@kattsunS
じゃあ、あんたは歴史をどのような物差しで評価するかご教示下さいな。
@@ひろひろ-h3p さん コメントありがとうございます。
私はムキになってはいませんよ、これが私のスタイルですので。
ひろひろさんにおかれましては「何をそんなにむきになっているの?」なんてつまらないコメントではなく、「ぐぬぬ、痛いとこ突かれた」となるような反論をしていただけると、私としても嬉しく思う次第です。いや、できればお手柔らかにお願いしますw
「敵に塩を送る」=武田信玄が越後の塩商人を買収して武田領に塩を送ってもらった
流石にこの周りの状況じゃ、今川の歴代当主誰でも滅びそう
領国が大変な時に同盟を守って北条助けてあげたのに、最後は助けて貰えなかったんですか?
最後は北条が援軍出してくれてます。しかし、北条の力をもってしても、武田家と徳川家の挟み撃ちには耐えきれませんでした。
@@sengokubanashi へー、ありがとうございます
氏真の問題は戦国大名としては戦場での実績が無さすぎるという点かな
その氏真ものちに家は滅ぶけど今川氏真の一族は幕末まで栄えるからね〜
お世話になる家康に上から目線は笑うけどね😅
どうする氏実で大河主役にしたい。
恐らくは家康とか他の大名よりは身内を大事にして優しかった人なんでしょうな。
こいつはほんとに可哀想
大河ドラマでも大体悪役の立場だしw
正直、無理矢理有能な処を必死に探そうとしている昨今の風潮に疑問を覚えます。歴史は事実と結果のみで評価されれべきであり、やはり歴史的にみて無能であったと考えます。
有能でありさえすれば、誰でも必ず成功できるとお考えなのでしょうか?
「幸運、不運」という要素は無視してかまわないとお考えですか?
最終的に天下人となった徳川家康についても「強運の持ち主だった」といった評価もあり、持ち前の能力だけではどうしようもないケースもあるものです。
「歴史は事実と結果のみで評価されれべき」
↑ そういう考え方を「結果論」と言います。辞書で調べてみてください。
@@kattsunS
それはわからんよ。歴史にifはないからね。あんたの意見も私の意見もあくまで一意見に過ぎない。人それぞれだよ。何をむきになっているのかわからんね。あんたが幼稚というだけは事はよく判った。
氏真に関してはある程度記録に残っている、そういう物が掘り起こされて実情が判明する事に関してはいい事だと思う。
まあ光栄とかのゲームに出てくる様なステレオタイプでないと納得いかないと言うのであれば話は別だけど。
@@m.i.9104
ま、その理論だと、過去の人物は皆優秀な人物になってしまうよ。完璧な人間などいないし、どんなクズも心温まるようなエピソードはあるからね。ようはその人物のどの部分にスポットライトを浴びるかで評価なんていくらでも変わるよ。
@@ひろひろ-h3p
そうとは限らないんだよね、資料によっては評価が下がる人も勿論居る、例えば小早川秀秋はアル中で肝硬変を患うほど酒に溺れていて性格も粗暴になって関ヶ原の辺りになると肝硬変が末期で政務もまともに出来ていなかったのでは?と言う所までほぼ判明しているんだし。
こういう部分ってやはり資料が残ってるから判明しているのが大きい。
三国志の劉禅と生き様がかぶる今川氏真
軍門に下り 高家の爵位持ち天寿を全うする
あとから思い出したけど
親父さんの信虎が今川家で隠居しとったような