江戸時代の相撲事情!国民的な娯楽に発展した理由とは?
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- Опубліковано 11 лип 2024
- 江戸時代の中期に、相撲のルールや興行形式が確立されると、多くの人々が相撲を観戦するようになります。
相撲はどのように国民的な娯楽として発展したのでしょうか?
今回は、江戸時代の相撲事情について解説します。
▼もくじ▼
00:00 江戸時代の相撲事情
00:46 相撲のルールと土俵の誕生
03:47 相撲興行の形式と相撲小屋について
08:20 相撲人気のピークと強豪力士
▼おすすめ関連動画▼
【大ブーム】江戸時代に流行した庶民の娯楽7選
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▼主な引用元・引用書籍▼
日本相撲協会
www.sumo.or.jp/
▼参考文献▼
竹内 誠『江戸を知るー江戸学事始め』(敬文舎、2022)
池田 雅雄『大相撲史入門』(角川ソフィア文庫、2020)
『歴史REAL 大江戸くらし図鑑』(洋泉社MOOK、2019)
滝口 正哉『江戸の祭礼と寺社文化』(同成社江戸時代史叢書、2018)
安藤 優一郎『江戸の《新》常識』(SBクリエイティブ、2018)
大石 学編集『史上最強カラー図解 江戸時代のすべてがわかる本』(ナツメ社、2009)
花咲 一男『大江戸ものしり図鑑―ひと目で八百八町の暮らしがわかる』(主婦と生活社、2000)
黒船館『図説 黒船の時代』(河出書房新社、1995)
他多数
動けるデブじゃなくて鍛え抜かれた質量という考え方をすると凄いよな
やっぱお相撲さんはすげぇや
力士がひときわ大きく、一般人が小さく描かれているのが
力士が常人でないということを表していていいですね。
江戸時代は色々な娯楽が発展したのですね😊
当時も190センチ程もある大柄な人がいたとは驚きです😮
落語では(阿武松)や(大安売り)、(花筏)が相撲ネタとして残ってます、力士の粋な言葉にお相撲さんにはどこよそ惚れた、稽古帰りの乱れ髪があります。三遊亭円歌一門の三遊亭歌武蔵師匠の新作落語(支度部屋外伝)では誰も知らない相撲界の話が聞けます
昔は小柄な方が多かったと云うイメージがありましたが、凄い巨躯な方も居たのですね。
米俵担いでる力士の中にアメリカ人兵士も乗せてる人が居て笑ってしまいました🤭凄い!
体育座りなのがかわいいw
こんなに面白いチャンネルに逢えた幸せ♥️
何がすごいって、江戸時代に行われていた大相撲と、今まさに行われている大相撲の形態がほとんど変わっていないということなんですね。
今の大相撲の姿がそのまま浮世絵に描かれていると言ってもいいくらいです。
伝統を尊重するという意味においては、究極の好例と言えるのではないでしょうか。
あえて違いを挙げるとすれば、土俵四隅の柱の有無くらいでしょう。
🎉🎉🎉行き付く先は九州相良…。
木村庄之助や伊勢ケ浜等々現代の相撲でもよく聞く名前も多くて歴史と伝統、当時からのつながりが感じられて親近感が感じられるね
土俵ってそんな後から出来たんだ。確かになんでも最初から揃ってるはずは無いですね……。
素晴らしい企画です!ありがとうございます。これからもワクワクするような企画をお願いします。
これを考えると今の相撲は己を神格化しすぎなのかもな
昔も今もエンターテイメントよ
明治に入り、大相撲を残す為に神事の側面を以前よりも強調したというのもあるかも知れませんね。
そやで。歌舞伎も当時は風紀を乱すとして何度も禁止された低俗な娯楽、今では伝統芸能
西洋も舞台に近い一階より桟敷の方が高い席だったですよね。考えることは一緒なんですねぇ。近くで見たい!ってなったお金持ちもいたんじゃないかなって想像していましたw
ら
今はお年寄りや若者も相撲を見る事が多いからねぇ
新選組が力士と争った話とかもあったり江戸から明治にかけての力士は荒いイメージがある。江戸時代じゃないけど明治には相撲の年寄名跡の押尾川を力士経験も無い司馬遼太郎の小説にもなった大阪の大侠客の小林佐兵衛が襲名したりとか今もそういう部分が残ってるんだろうけど昔の相撲界は極道感が凄い。そういう部分も含めて自分は相撲は好きだけど。
本当にこのチャンネルは、挿し絵が多様で聞くだけでなく見ているのも面白いです
今回の動画も良かったです!改めて相撲の歴史を学べました(^^
喜三郎カッコイイねえ~
「力士」だもんなあ
男として憧れる
赤坂三分坂報土寺に雷電為右ェ門のお墓がありました。それと大きな手形の石🖐
入場料マジ😱☀️で高いですね😔。相撲は奥が深い!
江戸時代に身長190㎝とか200㎝とかデカすぎやろ。
むしろ雷電に土付けた力士が凄いわ。
室町時代から職業相撲集団、プロスポーツ選手がおったんですな。
当時から相撲のチケットは高かったんだなぁ!
よくよく考えたら世界的に見ても未だにこれほど無差別級のスポーツってないなと感じる。
後付けかもしれないけど、イカサマをしない、何も持ってないってことを己の肉体を晒すことで示すって感じ好き
こいの動画も面白かった。相撲は子供の頃から好きでした・雷電、小野川、谷風の名前は子供漫画で知ってました。しかし体格はスゴイですね、200cm前後と言えば当時としては化け物だったでしょう。入場料は上等席は高いですね。武士でも金持ちですね。
江戸時代の力士の通算成績を見ると、やたら引き分けが多いのですが、どうしてこんなに多かったのでしょう?昔時代劇で、それぞれのお抱え藩の面目を保つため、立ったと同時に行司が待ったをかけ「この相撲・・・」なんちゃらかんちゃらと言って強引に引き分けにしたというシーンがありましたが、それが本当に行われていたということでしょうか?
知らんけどたぶん当時から八百長だらけだったんじゃないかねえ?
各藩にタニマチがいて、お互いに勝ち負けを均等にして遺恨が残らないようにしてたとか…
普通にありえるよね今も昔も
知らんけどね
12:14
一俵で約60キロらしいから、
八俵約500キロは流石に盛りすぎだろw
この時に贈られた米俵は五斗入りらしいから、一俵で75kgぐらいになる。
つまり8俵だと600kg。化け物かな?
昔は身長140cm台くらいの普通のおばあちゃんが米俵2~3俵をひょいと担いでいた。
そもそも、米俵が1俵60キロなのは、女性が誰でも担げるくらいの重さってことで
そう決まった。よく、昔は栄養状態が悪かったから云々などと語る奴がこの手の動画には
いるけど、その理屈、俺には信じられない。幕末の頃、米しか食わなかった飛脚の体力に
驚いた外国人が飛脚に肉を食わせたら、途端に走れなくなったという逸話も残っている。
知らないことづらけだ‥😮
剛力無雙だね‼️力士はみんな‼️江戸時代の力士はみんな化け物レベルの強さやん‼️
幕末と言えば、官軍長州藩には力士隊と言うのがありましたね。
元々ゴロツキが集まってやってたイベントなの?
ブレダンみたいやな
神事としての『相撲』はもともとあったんでしょうが、そう言ったのを取り込む事で興行化していったんですかねえ
なんだ、江戸時代からすでに神事の名残がある程度のものじゃないか
雷電はオランダ人だったという説が有りますね
あの時代だと欧州のデカい人間にはそうそう勝てへんやろなぁ
白鵬のかち上げ、張り差しを止めろ!と非難する人もいるが、雷電同様、強いから禁じ手を求められるんだね
闘神雷電 花田勝を思い出した。
谷風、小野川はここからのキャラだったんですね。20年前かなり打ち込みました。
わかる人にはわかるはず
1俵60kgですよね・・・バケモノ
とはいえ 5俵かつぎ なるものもあったようで
2俵は籾殻としても180kg超
もう何が何だか
だから今の尊富士がいるのか
ペリー自身も巨漢だったが力士には嫌悪感を抱いたらしいですな
江戸時代の力士もかなり大きな人がいたんですね。今より体重が軽いので、強かったんじゃないかと思います。😉
配信、感謝します。
年季明けのイスラエル兵と立技で互角だったのが印象的でした。
初っ端、鋏受けが出来てしまい相手の機動力を奪い、対象とあいこで終われたことですかね。
相撲をスポーツと勘違いしてる日本人や外国人がとても多い。
昔からプロスポーツだよ。純粋な神事だけ・なら金は取らない。
国技でも無い。
横綱とは九州の吉田司家からその資格を戴いた力士のみが名乗れると聞きおよんでいます。