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懐かしいです18mながら4両編成で運転してましたいまでは車が主流になって乗客が減ってきたので20mの2両編成になってしまいました
3000系時代は、18m4両、5050系、通勤型1800系時代は、20m4両が走っていましたね。その後、8000系ワンマン化と同時に20m2両(伊勢崎線は3両)に。寂しくなりましたね。
夏の暑い日に窓から入ってくる風や草の匂い、もあ~とした風を撹拌する扇風機…当時の雰囲気が伝わって来て子供の頃を思い出しました。昭和50年台、東上沿線に住んでいましたが、8000系も後ろ2両が扇風機が多かった記憶があります。子供心にクルクル回る扇風機が大好きで、扇風機の方に乗りたいと駄々をこねた思い出も蘇りました。親は当然冷房車に乗りたかったそうです。
非冷房時代は、窓全開で風を感じながら乗車できました。8000系も非冷房時代がありましたね。扇風機見たさに、駄々をこねたというエピソードも子供らしくていいですね。
この車両を見ると、毎年小学校の遠足で清水公園へ行ったのを思い出す。冷房無くて二段窓全開で走ってて、友達の声が聞こえにくかったのが懐かしい思い出。
確かに、暑いから窓を開けていると、吊掛駆動の走行音で、車内の放送や友達の声も聞きづらかったでしょうね。現在では、窓全開に出来る車両もほどんどなくなりましたね。
懐かしいですね、野田線3000系を思い出します。昔野田線は3000系ばかりの扇風機が多かったです。しかし1992年で野田線3000系は全廃しました。
当時の東武鉄道は、冷房化率を上げるために、7800系から改造した5000系列の投入などをして、3000系列を置き換えて行きましたね。最後まで残った3000系列は、館林以北、宇都宮線などでしたね。
音が凄い割に、スピードが出ない「吊り掛け駆動方式」独特のある走り。非常に懐かしいです!!
爆音と言われている、東急8500系を上回る、吊掛駆動の爆音!懐かしいですね。
雰囲気が昭和な感じですね。走っている時の音もファンからしたらたまらないですね。
まさに、昭和に製造された車両ですね。吊掛駆動の音は独特で、遠くからでも聞こえるくらい、爆音でしたね。笑
94年だと、まだ館林・新栃木以遠のローカル線はまだ禁煙ではなかったですかね。私は宇都宮線で喫煙してた思い出がありますね。
以前は、「禁煙 浅草⇔館林・新栃木、亀戸線・大師線・野田線」という表記でしたね。つまり、新栃木以北、館林以北は喫煙可能なので、宇都宮線は、全線喫煙可能でしたね。2:30あたりの映像を見ると、その表記が消されていますので、1994年時点で、特急以外は、既に全線で禁煙になっていたようですね。
この頃の感じが、たまらなく好きでした…。
非冷房の扇風機、窓全開で風を浴びながら乗車していたことが想い出です。
若干新京成の8800型SiCに更新していない編成に加速音が似てる気がしますね。20m級車両が好きな東武が18m級の車両がいるのにも驚きました。釣りかけ駆動面白いですね。
吊掛駆動は、独特な音をしていますね。種車が18m級でしたので、8000系と同じ顔ながら、非冷房で18m3つドアという面白い車両が出来上がったわけですね。
窓から入ってくる風が心地良かったですよね。
非冷房なので、窓全開にして乗っていましたよね。入って来る風は、本当に心地よかったですね。
吊り掛け懐かしいですね。😃
吊掛駆動を後世に残すめに、1編成くらい、動態保存して欲しかったですね。
僕は東武宇都宮→新栃木で吊り掛けの5000系に乗りました。懐かしいです。
このあと載せていく映像の中に、東武宇都宮線の5050系などもありますので、お楽しみに。
この車両野田線春日部ー大宮で1980年代のころ時々乗っていました。6両編成でした岩槻ー春日部単線でした。この影響かもしれないけど大宮ー岩槻の運転区間が多くありました。
夏場は、本当に暑い車両でしたね。当時「大宮⇔岩槻」の表示をよく見た気がします。
懐かしいですよく乗りました
今となっては、懐かしいですよね。
動画投稿お疲れ様です。3050系はこのようなモーターの音だったのですね。
吊掛駆動のモーター音は、こんな感じですね。東武3000系列、5000系列などは、この吊掛駆動の爆音で走行していました。これらの系列の映像も載せていく予定ですので、お楽しみに。
懐かしいですねぇ😄
東武3000系って扇風機付いてたんですね、吊り掛けの音も最近聞くことが無いので懐かしくなりました。
東武3000系列は、非冷房で、扇風機がついていましたね。確か、冬の間は、扇風機を取り外していた記憶があります。
はい。冬の間は外してあって天井がスッキリとしてました。尚、扇風機は8000系非冷房車とは違う7800系等と同じ東芝製のもので、物凄く回転が早くて「ブーン」と大きな蜂が集団で飛んでるような音がしてました。
3050系は間に合った世代で懐かしく拝見させていただきました。3000系列は国電のような箱型スピーカーが天井の真ん中に設置され、音質が粗い車内放送だったことを思い出されます。竜舞→東小泉間の展望映像ですがこれはもしかして5050系ではないでしょうか?クーラーと思われる送風音やブレーキ緩解音が8000系同様のHSCブレーキ特有の音が聞こえます。減速し始めると吊り掛けの唸りが大きく聞こえてくるのも5000系列の特徴でした。
音質が粗いスピーカーと吊掛け駆動の音、窓は全開で、放送が何を言っているのか聞こえない時もありましたね。この映像では分かりませんでしたが、小泉線太田~東小泉は、5050系かもしれませんね。音でわかるのは凄いですね。今後も、東武3000系列、5000系列の映像を載せる予定ですので、お楽しみに。
小泉線の風景、意外と変わってないもんですね。さすがに車両の方は、吊掛け台車で冷房なし、というものはとうの昔になくなりましたが、私の高校時代はまだ7800系がしぶとく生き残っていましたからね。暑い夏の期間、帰宅の途で太田駅0番線に留まっている電車が7800系でがっかり、なんてことがありました。
太田駅 0番線に 7800系、懐かしいですね。当時は、非冷房で「ハズレ」だったのでしょうね。ちなみに、この映像で最初に出て来る、小泉線1号踏切は、現在廃止となりましたね。
110kwの3050系(3070系も)は97kwモーターの3000系よりも重厚なモーター音で、中速域以上の加速も良かったです。野田線で乗り比べるとよくわかりました。この季節と正反対ですが、暖房もよく効く電車でした。津覇車輌東京の銘板も懐かしいです。
3000系と3050系(3070系)で、モーター音が違いまで分かりませんでしたね。勉強になります。確かに、座席下の暖房は、よく効いていましたね。
これと同じ時期に、これと瓜二つの車両が南海本線から分岐する支線区でも「1521系」として実際に走っていましたが、こちらは今ご覧いただいた東武3050系とは異なり片開き4扉・サイドウインドウはアルミサッシ1枚下降式で開け閉めにはかなりのコツを要するといった変わり種だったものの、1995年11月20日付で最後まで残っていた10両すべてが退役(ほかにこれに先立つこと1995年7月5日付で18両中8両は弘南鉄道へ譲渡)し、これにより南海電気鉄道の営業車両から吊り掛け駆動の車両が全廃されるとともに、ケーブルカーを除くすべての営業車両が冷房化率100%を同社創業110周年のメモリアルイヤーにようやく達成しました。
南海でも、東武3050系と同じような車両が、同時期に走っていたんですね。
野田線では3000系と3050系が活躍してましたが、モーター出力が違い、初石〜豊四季では、今、流山おおたかの森駅がある処まで力行しても前者は70km/h位しか出ないけど、後者は80km/hは出てましたね。
流山おおたかの森駅が、影も形もない頃ですね。なるほど、そんなに出力の差があったのは、知りませんでしたね。
群馬ローカルエリアが、ワンマン化する前の様子ですね。3050系は現在活躍中の、8000系と比べても、2回りぐらい小さい車体です。群馬ローカルエリアは、基本的に古い車両が、最後まで残るのは変わりないですね。引退後は上毛電鉄へ移籍しましたが、短命に終わりましたね。
小泉線がワンマン化する前は、4両が当たり前に走っていましたね。館林以北は、基本、本線で活躍した車両のお下がりで使い切ったあと廃車となりますが、3000系、3050系は、さらに上毛電鉄へ譲渡したというのも、凄いですね。
東武8000系未更新顔。しかし形式は3000系や3050系。更に、5000系や5050系も、8000系未更新顔がありました。
これらの8000系初期顔は、東武顔と言われるくらい、当時はたくさん走っていましたね。
3050は野田線でも走ってましたかね?確かに、非冷房で暑かった記憶があり、冷房の5000系を待ったけど、連チャンで3050という記憶が…種別表示は3つにわかれていたような気がします。というか、18mは知りませんでした😳
3000系、3050系は、野田線でも走っていましたね。冷房車に乗りたい時に、非冷房が来ると、「残念」という感じでした。種別表示に「回送」の回と、「試運転」の転だけ表示されていて、「回 転」となっていた記憶があります。18m車は、野田線で言えば「小6」(18m 6両)という停止位置の表示があったと思います。20m車は「大6」(20m 6両)で、大小を分けて表示していましたね。
この時代、まだ館林が超猛暑スポットとしてネタになることなど想像もつきませんでした。真夏に小泉線の3050系に乗ったことがありますが、とりわけ暑苦しさは感じませんでした。致命的な猛暑で地球沸騰化と酷評される令和の今なら非冷房の車両は“伊佐桐小”4線で営業運転出来ないですね。今だと電車内集団熱中症沙汰にもなりかねないと思われます。
現在はこの当時より、夏は暑くなっている感じですね。窓全開で、風を浴びながら乗車していれば、何とかなった感じでしたね。
セイジクリームの3000系に乗車した身からすれば、動画の塗色車両は新車のようにさえ見える😂😂太田駅北口のロッテリア🍔🥤、南口のユニー🏬~~各々思い入れがあります。
この塗装の前は、セイジクリームでしたからね。太田駅南口のユニーは記憶にありますが、ロッテリアがあったのは知りませんでした。
枕木の ======が東武らしいです。=ってどんな役目があったのでしょうか?
確かに、小泉線の太田~東小泉で多く見られましたね。枕木がずれないように、固定していたんでしょうかね。
@@nishitakeshi 枕木がずれない様にでしょね、お返事ありがとうございます。東武以外では見た記憶無いので不思議でした。
5050系の方が懐かしい
このあと載せていく映像で、5050系もありますので、お楽しみに。
懐かしいです
18mながら4両編成で運転してました
いまでは車が主流になって乗客が減ってきたので20mの2両編成になってしまいました
3000系時代は、18m4両、
5050系、通勤型1800系時代は、20m4両が走っていましたね。
その後、8000系ワンマン化と同時に20m2両(伊勢崎線は3両)に。
寂しくなりましたね。
夏の暑い日に窓から入ってくる風や草の匂い、もあ~とした風を撹拌する扇風機…当時の雰囲気が伝わって来て子供の頃を思い出しました。昭和50年台、東上沿線に住んでいましたが、8000系も後ろ2両が扇風機が多かった記憶があります。子供心にクルクル回る扇風機が大好きで、扇風機の方に乗りたいと駄々をこねた思い出も蘇りました。親は当然冷房車に乗りたかったそうです。
非冷房時代は、窓全開で風を感じながら乗車できました。
8000系も非冷房時代がありましたね。
扇風機見たさに、駄々をこねたというエピソードも子供らしくていいですね。
この車両を見ると、毎年小学校の遠足で清水公園へ行ったのを思い出す。
冷房無くて二段窓全開で走ってて、友達の声が聞こえにくかったのが懐かしい思い出。
確かに、暑いから窓を開けていると、吊掛駆動の走行音で、車内の放送や友達の声も聞きづらかったでしょうね。
現在では、窓全開に出来る車両もほどんどなくなりましたね。
懐かしいですね、野田線3000系を思い出します。昔野田線は3000系ばかりの扇風機が多かったです。しかし1992年で野田線3000系は全廃しました。
当時の東武鉄道は、冷房化率を上げるために、7800系から改造した5000系列の投入などをして、3000系列を置き換えて行きましたね。
最後まで残った3000系列は、館林以北、宇都宮線などでしたね。
音が凄い割に、スピードが出ない「吊り掛け駆動方式」独特のある走り。非常に懐かしいです!!
爆音と言われている、東急8500系を上回る、吊掛駆動の爆音!
懐かしいですね。
雰囲気が昭和な感じですね。走っている時の音もファンからしたらたまらないですね。
まさに、昭和に製造された車両ですね。
吊掛駆動の音は独特で、遠くからでも聞こえるくらい、爆音でしたね。笑
94年だと、まだ館林・新栃木以遠のローカル線はまだ禁煙ではなかったですかね。
私は宇都宮線で喫煙してた思い出がありますね。
以前は、「禁煙 浅草⇔館林・新栃木、亀戸線・大師線・野田線」という表記でしたね。
つまり、新栃木以北、館林以北は喫煙可能なので、宇都宮線は、全線喫煙可能でしたね。
2:30あたりの映像を見ると、その表記が消されていますので、1994年時点で、特急以外は、既に全線で禁煙になっていたようですね。
この頃の感じが、たまらなく好きでした…。
非冷房の扇風機、窓全開で風を浴びながら乗車していたことが想い出です。
若干新京成の8800型SiCに更新していない編成に加速音が似てる気がしますね。20m級車両が好きな東武が18m級の車両がいるのにも驚きました。釣りかけ駆動面白いですね。
吊掛駆動は、独特な音をしていますね。
種車が18m級でしたので、8000系と同じ顔ながら、非冷房で18m3つドアという面白い車両が出来上がったわけですね。
窓から入ってくる風が心地良かったですよね。
非冷房なので、窓全開にして乗っていましたよね。
入って来る風は、本当に心地よかったですね。
吊り掛け懐かしいですね。😃
吊掛駆動を後世に残すめに、1編成くらい、動態保存して欲しかったですね。
僕は東武宇都宮→新栃木で吊り掛けの5000系に乗りました。懐かしいです。
このあと載せていく映像の中に、東武宇都宮線の5050系などもありますので、お楽しみに。
この車両野田線春日部ー大宮で1980年代のころ時々乗っていました。6両編成でした岩槻ー春日部単線でした。この影響かもしれないけど大宮ー岩槻の運転区間が多くありました。
夏場は、本当に暑い車両でしたね。
当時「大宮⇔岩槻」の表示をよく見た気がします。
懐かしいです
よく乗りました
今となっては、懐かしいですよね。
動画投稿お疲れ様です。
3050系はこのような
モーターの音だったのですね。
吊掛駆動のモーター音は、こんな感じですね。
東武3000系列、5000系列などは、この吊掛駆動の爆音で走行していました。
これらの系列の映像も載せていく予定ですので、お楽しみに。
懐かしいですねぇ😄
今となっては、懐かしいですよね。
東武3000系って扇風機付いてたんですね、吊り掛けの音も最近聞くことが無いので懐かしくなりました。
東武3000系列は、非冷房で、扇風機がついていましたね。
確か、冬の間は、扇風機を取り外していた記憶があります。
はい。冬の間は外してあって天井がスッキリとしてました。
尚、扇風機は8000系非冷房車とは違う7800系等と同じ東芝製のもので、物凄く回転が早くて「ブーン」と大きな蜂が集団で飛んでるような音がしてました。
3050系は間に合った世代で懐かしく拝見させていただきました。3000系列は国電のような箱型スピーカーが天井の真ん中に設置され、音質が粗い車内放送だったことを思い出されます。
竜舞→東小泉間の展望映像ですが
これはもしかして5050系ではないでしょうか?
クーラーと思われる送風音やブレーキ緩解音が8000系同様のHSCブレーキ特有の音が聞こえます。減速し始めると吊り掛けの唸りが大きく聞こえてくるのも5000系列の特徴でした。
音質が粗いスピーカーと吊掛け駆動の音、窓は全開で、放送が何を言っているのか聞こえない時もありましたね。
この映像では分かりませんでしたが、小泉線太田~東小泉は、5050系かもしれませんね。音でわかるのは凄いですね。
今後も、東武3000系列、5000系列の映像を載せる予定ですので、お楽しみに。
小泉線の風景、意外と変わってないもんですね。さすがに車両の方は、吊掛け台車で冷房なし、というものはとうの昔になくなりましたが、私の高校時代はまだ7800系がしぶとく生き残っていましたからね。暑い夏の期間、帰宅の途で太田駅0番線に留まっている電車が7800系でがっかり、なんてことがありました。
太田駅 0番線に 7800系、懐かしいですね。
当時は、非冷房で「ハズレ」だったのでしょうね。
ちなみに、この映像で最初に出て来る、小泉線1号踏切は、現在廃止となりましたね。
110kwの3050系(3070系も)は97kwモーターの3000系よりも重厚なモーター音で、中速域以上の加速も良かったです。
野田線で乗り比べるとよくわかりました。
この季節と正反対ですが、暖房もよく効く電車でした。
津覇車輌東京の銘板も懐かしいです。
3000系と3050系(3070系)で、モーター音が違いまで分かりませんでしたね。勉強になります。
確かに、座席下の暖房は、よく効いていましたね。
これと同じ時期に、これと瓜二つの車両が南海本線から分岐する支線区でも「1521系」として実際に走っていましたが、こちらは今ご覧いただいた東武3050系とは異なり片開き4扉・サイドウインドウはアルミサッシ1枚下降式で開け閉めにはかなりのコツを要するといった変わり種だったものの、1995年11月20日付で最後まで残っていた10両すべてが退役(ほかにこれに先立つこと1995年7月5日付で18両中8両は弘南鉄道へ譲渡)し、これにより南海電気鉄道の営業車両から吊り掛け駆動の車両が全廃されるとともに、ケーブルカーを除くすべての営業車両が冷房化率100%を同社創業110周年のメモリアルイヤーにようやく達成しました。
南海でも、東武3050系と同じような車両が、同時期に走っていたんですね。
野田線では3000系と3050系が活躍してましたが、モーター出力が違い、初石〜豊四季では、今、流山おおたかの森駅がある処まで力行しても前者は70km/h位しか出ないけど、後者は80km/hは出てましたね。
流山おおたかの森駅が、影も形もない頃ですね。
なるほど、そんなに出力の差があったのは、知りませんでしたね。
群馬ローカルエリアが、ワンマン化する前の様子ですね。3050系は現在活躍中の、8000系と比べても、2回りぐらい小さい車体です。群馬ローカルエリアは、基本的に古い車両が、最後まで残るのは変わりないですね。引退後は上毛電鉄へ移籍しましたが、短命に終わりましたね。
小泉線がワンマン化する前は、4両が当たり前に走っていましたね。
館林以北は、基本、本線で活躍した車両のお下がりで使い切ったあと廃車となりますが、3000系、3050系は、さらに上毛電鉄へ譲渡したというのも、凄いですね。
東武8000系未更新顔。しかし形式は3000系や3050系。
更に、5000系や5050系も、8000系未更新顔がありました。
これらの8000系初期顔は、東武顔と言われるくらい、当時はたくさん走っていましたね。
3050は野田線でも走ってましたかね?確かに、非冷房で暑かった記憶があり、冷房の5000系を待ったけど、連チャンで3050という記憶が…
種別表示は3つにわかれていたような気がします。というか、18mは知りませんでした😳
3000系、3050系は、野田線でも走っていましたね。
冷房車に乗りたい時に、非冷房が来ると、「残念」という感じでした。
種別表示に「回送」の回と、「試運転」の転だけ表示されていて、「回 転」となっていた記憶があります。
18m車は、野田線で言えば「小6」(18m 6両)という停止位置の表示があったと思います。
20m車は「大6」(20m 6両)で、大小を分けて表示していましたね。
この時代、まだ館林が超猛暑スポットとしてネタになることなど想像もつきませんでした。真夏に小泉線の3050系に乗ったことがありますが、とりわけ暑苦しさは感じませんでした。
致命的な猛暑で地球沸騰化と酷評される令和の今なら非冷房の車両は“伊佐桐小”4線で営業運転出来ないですね。今だと電車内集団熱中症沙汰にもなりかねないと思われます。
現在はこの当時より、夏は暑くなっている感じですね。
窓全開で、風を浴びながら乗車していれば、何とかなった感じでしたね。
セイジクリームの3000系に乗車した身からすれば、動画の塗色車両は新車のようにさえ見える😂😂太田駅北口のロッテリア🍔🥤、南口のユニー🏬~~各々思い入れがあります。
この塗装の前は、セイジクリームでしたからね。
太田駅南口のユニーは記憶にありますが、ロッテリアがあったのは知りませんでした。
枕木の ======が東武らしいです。
=ってどんな役目があったのでしょうか?
確かに、小泉線の太田~東小泉で多く見られましたね。
枕木がずれないように、固定していたんでしょうかね。
@@nishitakeshi 枕木がずれない様にでしょね、お返事ありがとうございます。東武以外では見た記憶無いので不思議でした。
5050系の方が懐かしい
このあと載せていく映像で、5050系もありますので、お楽しみに。