【ゆっくり解説】航空朝日昭和19年3月号アメリカ航空年鑑1942年版後編■敗戦の理由をここまで公開していた!
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- Опубліковано 25 сер 2024
- 航空朝日昭和19年(1944年)3月号の、
アメリカ航空年鑑1942年版に載っている、
緒戦での敗退の理由の翻訳記事後半です。
技術的にかなり突っ込んだ部分まで説明してあり、
当時ここまで国民に公開していたのかと、
驚かされます。
#ゆっくり解説 #ミリタリー #軍事解説 #第二次世界大戦
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最後に米国をディスる強気な訳注入れとけば、米英の最新情報をバンバン掲載してもOK、という方針が感じられて面白かった。中国で、「とりあえず抗日ドラマ仕立てにしておけば、どんな設定でも審査フリーパスでテレビ局に採用される」のと似てる。
訳注で若干エクスキューズが書かれてはいるものの、出版に際してよく上(特に軍部)から怒られなかったものだなーと思いました
アメリカの場合は情報公開の志向が強いというのもあるが民主主義国家ゆえに
「こんなに強力な敵に対抗するには予算が必要だ」というプロパガンダの側面もあるだろうね。
アメリカの良いところは誰も政府を信用してないし、そもそも民主主義を信じてないこと。政府の流す情報は大体はくだらないことで大切なことではないと知っていた。だけど日本人は戦時下の統制にあって、民主主義を逆説的にだけど信用してしまっていた。それが戦後の愚行に繋がった。
当時のアメリカは実は自分たちの技術レベルが世界の第一線から遅れているという劣等感のようなものを抱いていましたからね。WW1後は陸軍も海軍もずっと冷や飯をくらわされ続けていて、軍を維持するだけで精一杯という予算を必死にやりくりしていました。
技術畑の士官や技術者はわかっていたものの、日本の基礎工業力とロジスティクスが前時代的だったことを嘆く記録が残っているよね。
空冷エンジンより液冷エンジンの方が戦闘機用として優れていると当時考えられていたのは、単純に空冷星型エンジンがまだ複列化してなかったからです。
航空機用レシプロエンジンはWW1の頃には既にシリンダーの大きさがガソリンレシプロエンジンで実用可能な上限に達していました。よって、エンジンの出力を大きくするためには、シリンダーの数をどれだけ増やせるかが最大の課題になっていました。
WW1の前のエンジンと言えば直列エンジンでしたが、これは気筒数を増やすとクランクシャフトが長くなり、クランクシャフトは長くしすぎると強度(捩じり剛性)に問題が生じるためせいぜい6気筒か、頑張っても8気筒ぐらいが限界でした。
そこへ星型空冷エンジンが登場し、7気筒や9気筒のエンジンが実現すると、それまでの直列エンジンでは出力競争で対抗できなくなりました。
その後V型エンジンが登場すると12気筒まで増やせるようになり、9気筒が実用限界だった空冷星型エンジンでは対抗不能になってしまいます。
空冷星型エンジンが再び第一線に浮上するのは空冷星型エンジンが複列化したことで、14気筒や18気筒のエンジンが実現可能となってからです。
これが動画内での記事が書かれていた時期で、複列星型エンジンを搭載した戦闘機(F4FやF4U、Fw190)が最新鋭戦闘機として登場し始めています。
訳者も翻訳していて何言ってやがると思うと同時、情報公開の度合いに驚いた事でしょうね。液冷エンジンとターボ過給機が遅れていたと言っても訳者は専門家なので日本の現状を知っていたでしょうし、これが開戦後急速に技術が発達し物量が増してゆく中で2年も前の話なんだとゾッとした事でしょう…。
爆弾などの投下手順はどのようにされるのでしょうか?爆弾倉のなかで爆弾はどのように固定されているのでしょうか?
アリソン一択で考察されているけど、実際はターボ過給機付けた米軍機は他に居るし、戦闘機ならジャグとか、
アリソンは結局パッカード・マーリン(ロールスロイス・グリフォン66)に主役の座を渡してしまう訳ですが。
ここでは明確にソ連では低空での戦闘が一般的な為にP-39が制空で活躍したと書かれてますね。なんで戦後になって対地攻撃に活躍したなんて俗説が広まったんだろう?陸でのチャーチルの活躍と同じで、冷戦の中でアメリカからもらった戦闘機が活躍したと言う事実が不都合で隠されて、そのうち西側でも忘れ去られたのかな?