【人物紹介】『枕草子』執筆以外何をした人?〜清少納言の生涯/藤原4人組の序列 ほか 

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  • Опубліковано 8 вер 2024

КОМЕНТАРІ • 21

  • @nihonshi-salon
    @nihonshi-salon  7 місяців тому +23

    0:35 図解の表記「ちはや」は「ちやは」です。僕のチェック漏れでした…何度も申し訳ございません。
    12:58 「長女」ではなく「次女」です。
    ご指摘くださった皆様ありがとうございます。
    今回、『蜻蛉日記』の作者の藤原道綱の母と藤原道綱が初登場しましたね。残念ながら解説作成が間に合わなったため、ライブと次回以降の復習動画で詳しく解説します。
    また、今週も業務が立て込んでおり、コメントにお返事が出来ずすみません。すべて目を通しているので、遠慮なくコメントしてくださいね!

  • @user-sf8qs9wf5m
    @user-sf8qs9wf5m 7 місяців тому +16

    今回は、道長の父、兼家役の段田さんの悪役演技が、素晴らかったです‼️

    • @hito884
      @hito884 7 місяців тому +6

      おもしろかった❗😊

  • @scott-joplin
    @scott-joplin 7 місяців тому +12

    いつもありがとうございます🙇
    今回、まひろの号泣に、もらい泣き😢😢😢

  • @cancan5892
    @cancan5892 7 місяців тому +6

    清少納言も、父が三十六歌仙に選ばれるほどの歌人だったのですね。DNAは侮れません。でも、親の七光とは逆の意味で、会う人ごとに和歌を所望されるのが苦痛で、積極的に和歌を作らなかった気持ちは、何となく分かります。清少納言が紫式部より10歳も年上だったとは、初耳でした。清少納言も伊周から貴重な紙の提供を受けていたのですね。ただ彼女の場合紫式部とは異なり、自身の衝動や宮中での記録として書いたのではないような気がします。動画でも言われていましたが、出仕した定子の都度重なる不幸(父母の死、兄の左遷)を知り、定子に少しでも明るい気持ちになって欲しいと願った当時の気持ちを忘れないよう書き留めた、そんな気がします。悲劇が多ければ、それに飲み込まれるか乗り越えるかしかありません。彼女は、敢えて敦康親王誕生や定子の死を描かずに、深い洞察力で物事の本質や人の世の常、思いをエッセー風に書き綴ったのだと感じます。それが、時代を超えて現在まで、私達の共感を呼び読み継がれてきた理由でしょう。”源氏物語”ほど難解な古文ではなく、短いので親しみもわきます。中3の娘(日独ハーフです)と私は、清少納言の”枕草子”春夏秋冬の全文、暗唱できます。

  • @yuzupon6years
    @yuzupon6years 7 місяців тому +2

    お忙しい時に、動画ありがとうございます♪
    今回はつらい回でしたね。吉高さんも柄本さんもすごい演技で引き込まれて、終了後動けませんでした。
    ただ予告を見た家族が、また芸人枠って笑ったので
    ファーストサマーウイカさんは芸人枠なの⁉️😂と来週が楽しみになりました。
    この時代は女性が下に見られるのに、仕事があったり。
    賢い事を理由に重用されたり、妬まれたり😢
    いつの時代も生きにくいのですね。

  • @Hiroko_0409
    @Hiroko_0409 7 місяців тому +3

    お疲れ様です。
    あの直秀って、結構いい奴だなぁーと思った回でした。
    兄の秘密を知った道長、今後は熱い思いを表に出していくのか?楽しみですね。先週のライブで紹介して下さった国語便覧、Amazonで見てみました。
    表紙が美しくて一目惚れ。今後のおすすめ国語便覧も見てから購入しようかと。表紙の美しさで決めちゃいそうです。^o^

  • @kurogewa_gyu
    @kurogewa_gyu 7 місяців тому +1

    予習解説ありがとうございます🙇
    大部分が創作を占めていたとはいえ、兼家のこの国の未来を担うのは自分だとの言葉は、自身が本当にそう考えていたのではないかと思わせられました。
    また、全ての女性がそうではないとしても妬みと噂と陰口は女の世界にはつきものなのか…と感じます。
    次回のライブも配信楽しみにしてます!

  • @user-pr7ry4uw3z
    @user-pr7ry4uw3z 7 місяців тому +3

    早速の解説をありがとうございます。
    0:35 字幕が…😅
    清少納言を専攻しましたが、背景まではしりませんでした😮

  • @user-yd1uk5ym4d
    @user-yd1uk5ym4d 7 місяців тому +5

    道長もいずれ兼家みたいに闇落ちするのかなあ
    いやー楽しみ

  • @user-qt3kf9pq7x
    @user-qt3kf9pq7x 7 місяців тому +1

    冒頭の表記に「ちやは」と「ちはや」の混在が・・・😅
    清少納言は才気煥発のイメージしかありませんでしたが、ご指摘の悲しい出来事の背景もあったのですね。初めて知りました。紫式部の清少納言に対する批判も~紫式部の漢籍に対する意識の違いが有ってのこと❓としても、もし会って語り合えば~お互いの漢籍理解でも認め合う部分もあったかもしれませんね🙂紫式部は陰キャラの部分があったともいわれていますが、お互いに女房達の苛めに合っていたことも勉強になりました。「(身分が低いくせに)才能をひけらかす」と両者ともに取られたのかもしれないと思いました。配信ありがとうございました😉

  • @HansSchmidt2006
    @HansSchmidt2006 7 місяців тому +2

    清少納言の宮仕えがかなり悲惨だったのを初めて知りました。紫式部ど同じく家庭的には大変だった様子。予告を見ると話している場面がありますね。女対決が楽しみです。

    • @user-vv1ri9zd4b
      @user-vv1ri9zd4b 7 місяців тому

      実際は、清少納言と紫式部は会ったことが無いらしいですね。

  • @kumiko823
    @kumiko823 7 місяців тому +3

    ありがとうございました🙇
    頭の良い女性は良いですね。
    いじめる者を相手にしない、同じレベルで生きない。
    清少納言の聡明さが良く分かりました。
    受験期ですので、立春とは名のみの東京でした。
    ご自愛下さい。

  • @zerozerotwo5543
    @zerozerotwo5543 7 місяців тому +5

    「清少・納言」ではなくて「清・少納言」ですよね。

  • @a19800907je
    @a19800907je 7 місяців тому +3

    定子皇后は長女ではなく次女を出産後に亡くなられたはずでは?

  • @user-oi5dt9tt8d
    @user-oi5dt9tt8d 7 місяців тому +5

    もし紫式部と清少納言が同時に宮中にいたとしても、式部の方が「同病相憐れむ」よりも同族嫌悪でどのみち酷評した可能性が高いと考えるのは式部に失礼でしょうか。それにしても、ドラマとこの動画を拝見し、女の最大の敵はやはり女と思えてきます。

    • @lapislazuli1012
      @lapislazuli1012 7 місяців тому

      そう思わされて来たのでしょう。英国も植民地を統治するのに部族間の対立を煽ってましたし男にとって自分たちが圧迫していることを隠すために女の敵は女と言う言葉は誠に都合が良かったですからね。未だにそんな古くさいことを信じてる人がいるのに驚いてます。

  • @yuki5370
    @yuki5370 Місяць тому

    さだこじゃなくて「ていし」な

    • @nihonshi-salon
      @nihonshi-salon  Місяць тому +2

      「ていし」読みは明治時代以降広まったもので、近年の研究では、「さだこ」読みが通説となっています。光る君へでも「さだこ」読みです。

    • @strawberry7883
      @strawberry7883 Місяць тому

      今はさだこ読みが有力です
      彰子もあきこ。