【最速復習】新登場人物紹介/興福寺僧兵はなぜ押しかけた? など 

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  • Опубліковано 3 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 14

  • @ケンケン-g8g
    @ケンケン-g8g 2 місяці тому +7

    「曲水の宴」にて、漢詩を詠む新顔の貴族~誰かな❓と思いましたが、ドラマでは誰かは?よくは解からず・・・大江匡衡さんだったのですね😃公任の辞表代筆の件は有名ですね❗有難うございました。

  • @coro5655
    @coro5655 2 місяці тому +12

    道長の金峯山寺詣は切羽詰まった懐妊祈願だったのですね~
    それにしても宣孝の御嶽詣は派手な衣裳で楽しそうだったのに、道長は白い衣裳で悲愴感さえ漂っていましたね。

    • @user-さわ
      @user-さわ 2 місяці тому +3

      いや、宣孝が異質で、道長の装束が常識的😅

    • @coro5655
      @coro5655 2 місяці тому

      ​@@user-さわ そうそう。対比が面白いと思いました。

  • @獅子-n4k
    @獅子-n4k 2 місяці тому +5

    斉信邸と道綱邸の火事は本当にあったのですか?その時の伊周のあの行動はドラマの創作ですかね…

  • @sS000
    @sS000 2 місяці тому +17

    伊周は実の息子にも甥の敦康にも嫌われていましたね。あんなに悪く描かなくてもと思いましたが。

    • @momo-co
      @momo-co 2 місяці тому +5

      同感です😊伊周も光源氏のモデルの1人と言われているので書籍によく書かれているようにもっとスマートな人物像にしてほしかったです!

    • @taka586
      @taka586 2 місяці тому +2

      今回の大河は、良くも悪くも独自の解釈が全面に出ていて、不満を持つ人が多いですね😮‍💨

    • @taka586
      @taka586 2 місяці тому

      今回の大河は、良くも悪くも独自の解釈が全面に出ていて、不満を持つ人が多いですね😮‍💨

  • @cancan5892
    @cancan5892 2 місяці тому +5

    興福寺の僧らが大挙して押しかける経緯が、よく分かりました。当時から山法師=有名寺院の僧侶は、悩みの種だったのですね。既に、後の世の大問題の萌芽を感じます。しかし院政期と異なり、まだ朝廷が十分にその力を抑えることができただけ優位に立てていたわけですね。伊周の息子、道雅も父同様、自滅型の人生を歩んでいるようで、父を反面教師にしなかったのはこの一族の性でしょうか?!金峯山詣が危険を賭けての決死の行動だったとは、道長もさすがにもう打つ手がなく神仏頼みだったということなのかもしれません。

  • @Mmc-d4hox
    @Mmc-d4hox 2 місяці тому +2

    平城京から遷都した理由に寺社の影響を弱めたいとあったのに結局逃げただけで対峙しなかったから後々江戸時代まで影響力を下げられなかったのが政治の無能さと宗教の恐ろしさが出ている。
    現代も統一教会や公明党の創価学会など宗教が政治に影響力があると考えると政教分離は難しいんですね。

  • @武闘派のび太
    @武闘派のび太 2 місяці тому +3

    寺社勢力は、延暦寺も白河法皇の悩みの種の一つになるほど侮れないものであったことが伺えます。ドラマでニンマリといやらしい笑みを浮かべる定澄は「してやったり」の心境であったに違いありません。道長の彰子を使った工作は、一族のためだけでなく己が娘の幸せも願っての事であったと思いたいです。

  • @utamaro-gh7mh
    @utamaro-gh7mh 2 місяці тому +2

    御堂関白記に、「この人事が正しかったかわからない」と書くなんて、望月の歌を詠んだ人とも思えない😅人間味が感じられる記述ですね。
    道雅、百人一首で悲恋の歌が気になってました。斎宮の務めが終った後なのにひどいですね。荒れる様子が、現代とも重なるように思いました。