道綱母の回想録『蜻蛉日記」について
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- Опубліковано 13 гру 2024
- #大河ドラマ #平安時代 #解説
※概要
リクエストにお答えして、『蜻蛉日記』の解説です。前回の道綱の母の動画でお話しできなかった、養女のその後についてもお話しています。
2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」解説動画です。
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財前さんの寧子がとても良かったです。少しお年を召してからの女優さんの言葉遣いや情感が素敵だな〜って感じてました。兼家さんの字が汚い件は笑えました。
ステキエピソードが脳内で段田安則さんに変換されてしまいます😅
道綱母、承認欲求強かったり、嫡妻になりたい野心が強かったり、焼き餅焼きな部分もあったけど、賢くて可愛らしい女性だったのだろうなと思いました。兼家も道綱母とのやり取りが楽しかったのだろうな
こんばんは🌙😃❗
13日(土)に、まひろちゃん達より1日お先に石山寺(大河ドラマ館)に行ってきました😊
財前直見さんのサイン色紙に添えられたコメントには「道綱 道綱 道綱」でした😂
この徹底ぶりに、ささやかれる兼家パパの擬似体験ができました😂😂 面白かったけれど、妾の子である道綱への強い思いと温かさを肌で感じ取れた気がしましたよ😊
あと、本堂で数量と期間限定の若紫の御朱印getしました🙌
8:30
文藝春秋5月号に本ドラマの時代考証を担当しているという方の文章が載っていました。通常NHKの大河ドラマは時代考証に3人程度の方が担当者として関わるらしいのですが、本ドラマはその方お一人だけで担当しているとのことで、色々と大変のようです。また、ドラマなので史実とは異なる部分もあり、時代考証の担当者としては矛盾する部分をどうするかと色々と悩みながら担当されているとのことでした。NHKがきりゅうさんも時代考証の担当者として雇ってくれればいいのになあ、などと思った次第です。
自分の道を見つけられないまひろは寧子に出会い、書くという行為の大きな力を知った。今まで誰にも告げずにいた思いや葛藤を記すことにより形にし、他人にも伝えられる。そこに自身の考えや思いを託し綴ることで自分自身の力ともなり、共感も得られる可能性に気づいた。まひろの心には、大きく響く発見だったろう。この体験が、”源氏物語”執筆の着想の始まりとなるのだろう。
ラストのシーンの道綱がしのんで行くが当人がいなかったエピソードは、”源氏物語”の空蝉ですね!
いつ視聴してもきりゅうさんの熱量は落ちてないですね。熱の籠った解説にいつも身を乗り出して聞いています。
初めまして、桐生さんの話は、ためになるし、面白いですね、勉強になります。、わかりやすくて良いですね、よく勉強していますね、ほんまに、有難う御座います、頑張って下さい、楽しみにしています、
蜻蛉日記の解説ありがとうございます!
恨み節で有名な作品ですが、きりゅうさんのお話で、かなり兼家に愛されていたのだなぁ、と印象が少し変わりました。
兼家の家に招かれたエピソード中々ロマンチックですね~😊
でも今は枕草子をきりゅうさんの解説を思い出しながら、読んでます。
蜻蛉日記の解説、おもしろかったです!
養女さんのその後もわかって良かったです!
本当に大河の最後シーン演出は素敵でしたよね!
かしましの皆様、今回も蜻蛉日記の解説ありがとうございました。
高校の古文の授業で明るいイケメンの先生に教わった古典の世界。30年も経って大河で見れることになるとは、感無量です😂
それにしてもトホホな道綱くんでしたね。さわちゃんが可哀想です。せっかく旅を楽しんでいたのに。
ただまひろにとっては道綱の母君との出会いは、源氏物語の執筆に繋がる大きなきっかけだったので、それはよかった事なんでしょう。😊
今蜻蛉日記の書写、上が終わり、中の三分の一まできました。
夏には終えて、次は姪の更級日記予定です。
ありがとうございます、物語の具体性、輪郭がハッキリしてきて感謝します🙏
念願の『蜻蛉日記』の解説‼️ありがとうございました🙏❣️ 解説して頂いて本当に良かったです。く〜さんがおっしゃるように、きりゅうさんがお話すると、とっても可愛い女性に見えますね😊
くーさんに同意❤面倒くさい人がきりゅうさんの語りで可愛く思える理解と愛が尊いです。
私も書写してみようかしら、という気になります。もちろん鉛筆&普通のノートですが🐣
字幕や楽しいエフェクトが多くて動画編集いつもすごいなお疲れ様だなと思います。く〜さんがやられてると聞きましたが更新ペースも多いのですごいですね!
道長の字が汚いのは兼家からの遺伝かも😂
お見舞いのイチャイチャエピソード、
普段の愚痴との対比がキュンでした!♡
兼家パパとの若い頃のエピソードで門前払いしたのにさみしいわーって和歌を送る所の話は若い頃の自分を思い出し恥ずかしくなりました😅きりゅうさんがもっと素直になたらいいのにとか言ってたのも今ならわかるけど若い頃は恋に恋してるみたいな心と態度があやふやで不思議な頃でしたね😅蜻蛉日記は共感できるかも❤
❤おお〜最高〜愉しく愉しく拝見拝聴ありがとうございます。わかりやすい説明、参考になり、勉強📚になります😊😊😊
酸いも甘いも噛みわけた女性の回顧録... 兼家パパの魅力って、最強じゃないですか😮今回の放送、まひろが石山寺で道綱ママと出会う偶然が、源氏物語の執筆を導くことに... このシーンは感動的でした。光源氏は道長への想いと信じたい。雑談タイムが、待ち遠しいです😊
道長、しっかりと兼家パパの性格を受け継いでいますね。蜻蛉日記の連続ドラマがみたくなりました。きりゅうさんのお話しで段田さんと財前さんのお顔を浮かべながらコメディver.で妄想して楽しんでいます。今回も楽しく拝見できました。ありがとうございます。
道綱母の蜻蛉日記と養女のその後を教えて頂き有難うございます。
兼家にとっては一種の宣伝効果のような感じで得をしていたかもしれないと思いました。当時の人が読んでDVしないんだ、とか以外に優しいとか親しみ(兼家を知っているとゆー錯覚)を感じてモテ効果に繋がっていたように思います。
養女ちゃんの顛末も知れて安心しました。1000年前も女性公務員がいたことに感激、昔から男女雇用機会均等法あったのかも、知らんけど。
第15驕れる者たち本編見所満載だったけど
予告編キター⤴️
倫子「殿のおこころにはもう一人の誰かがいるわ」誰かがまひろってわかるかどうかですよね。
光るき君へ ドラマはもちろん解説も、ああこの歴史上にも記録のある事実やエピソードが源氏物語のヒントになったのであろうか?って思わされることが多いですね
道綱母の養女さんには、頭中将が引き取った近江君?の、モデルとまでは言わずとも着想のタネだったんじゃないかな〜って思ってました
養女のその後を教えていただきありがとうございました
今回の石山寺詣で道綱の母と出会い、「源氏物語」執筆へ繋がるという脚本の筋立ての素晴らしさに感服致しました。で、道綱の母は髪型が所謂、尼削で袈裟も身に着けていましたから兼家死後に出家したという設定なんでしょうねぇ。しかし、母親と石山寺詣でに来て夜這いで、おまけに失敗と道綱って一体…(;^ω^)
遅くなりました
ありがとうございました♪
分かりやすく教えて頂き嬉しかったです
大変失礼を申し上げますが、なげきつつ、、の歌の訳には大笑いしちゃいました。きりゅうさんの楽しいお話のおかげで、また平安文学を読み始めました。❤
他の方も仰ってましたが 道綱の最初のラブレターが及第点を貰えなかったのはパパ譲りだったとは😅血は争えませんね
夕飯時、ちょっとした事から発展してあの時はああだった、この時は・・と弾丸トークをしている道綱母と、熱ーーいお茶をフーフーしながら相槌をうっているだけの兼家パパを想像してしまいました
何だかんだと可愛いお二人だと思います
先月の春分の日、石山寺に行ってきました。昼は大雨、夜は猛吹雪のとんでもないお天気でしたw
名物の石餅が美味しかったです。つぶあんなので、赤福餅より好きかも。
最高の解説
引き込まれました😆
ずっと聞いてたい気持ちです
昨日まで京都旅行へ行っており、自宅に戻り日曜放送を観たところでした。どんどん大河ドラマ楽しくなってきました。学生の頃は全く興味もない「学校の授業でしかない話」でしたが、きりゅーさん達のおかげでことても楽しくなりました。残念な事に御朱印スタンプラリーに命を燃やした友人との旅行だったのでタイトに訪問先を入れ込みんだ3泊4日、その土地その土地に時間を使い想いを馳せることが出来ず帰宅。次回は心ゆったりと尋ねてみたいです。因みに「どうする家康」の時に解説頂いた方広寺の鐘、養源院の天井は尋ねることが出来ました。これからもUA-cam楽しみにしてます!
当時は、紙が貴重だったので、
それなりのスポンサーがいないと日記など書けなかったのかな。
わしの場合は、紙よりも「髪」が貴重で、「はげろう日記」やな。
迫真の小芝居、楽しかったです
聞いていると、雅な貴族の方々も、現代人と似てておもしろいですね
ドラマの兼家と寧子の最後のシーンは、心が通って、良い夫婦だったのだなと思えました😊
嫉妬や不安や意地っ張りな場面もわかる〜と思いましたが、きりゅうさんのおっしゃるとおり、兼家の病気見舞いの場面はステキで好きな場面でした😊
随分前ですが石山寺にお詣りに行きました。
紫式部が源氏物語を書いている人形が有りました。
ドラマのように夕方に着いて(どうして夕方だったのかは覚えていません)奥の院に登る石段が暗くて怖かったです。
戻ってから紫式部は石山寺で執筆したのか色々調べましたがはっきりとは分かりませんでした?
道綱くん、間違えて言い訳していましたが、隣にもし誰か寝ていたら距離近いっ!と思ってしまいました💦
@@うさぎららさん、コメントの書き込み場所を、もしかしたら間違えましたか?
うさぎららさんのコメントは、きりゅうさんを気遣ったり、とても可愛らしくて、いつも楽しみに読ませて頂いています😊
兼家の字が汚い。とか道長に通じるものがある。
今回も解説ありがとうございます。
無粋な紙に汚い字…道長→まひろの手紙もそうでしたね、やはり蜻蛉日記の兼家から来たのでしょうか。
「もう朝じゃないの」「まだ帰んないでよ、ほらほら、お庭きれい」とか、もしかして兼家も寧子もこの面倒な駆け引きを楽しんでいたんでしょうかね。もしそうなら兼家も、夫として通わなくなっても客や友として尋ねる事は有ったのかも知れませんね。だから作中で、史実的には切れてる時期でも寧子亭に来ていたのかと妄想しております。
ラットちゃん キレイだね
道綱の母は、ともすると丑の刻参りもしかねない、嫉妬心の強い女性だったのをドラマでは、書くことによって消化する、明るい女性に描いてくれていて良かったですね。
「光る君へ」が始まって、「蜻蛉日記」も斜め読みしてみました。恨みぶし炸裂の内容に共感できませんでしたが、そのまま受け入れる内容というより、作品としてプロデュースされたものだったんだなと理解できました。
それにしても…「蜻蛉日記」「光る君へ」「源氏物語」を知るにつけ、平安時代の女性にはなりたくないと思わされます。選ばれて待つだけなんて辛いし、女房としてバリバリ働くのもツライ…みんなが出家したいと願う気持ちが分かってきました。現代に生まれた仕合わせを噛み締めたいと思います🙌
蜻蛉日記の由来を聞いて、ワンオク の『カゲロウ』という曲の「君を想う気持ちはカゲロウ」という歌詞をふと思い出しました。
陽炎と蜻蛉の違いはあると思いますが、結実しない恋心の儚さを例えているという点では平安時代も現代も似たような感性なのだなと、なんだか不思議な気持ちになりました。
アマガエルのお話かわいい
凄く分かりやすく楽しい解説を有り難う御座います
昔、石山寺にお詣りに行きました。夕方着いて奥の院に行く石段が怖かったです
紫式部が執筆をしている人形が有りました。
戻ってから紫式部は石山寺で源氏物語の執筆をしたのか調べてみたのですが分かりませんでした?
「蜻蛉日記」千年前の日記が読めて幸せです🍀😆🍀
蜻蛉日記、おおよその内容は知っているつもりでしたが、きりゅうさんの説明で初めて知ったことが多々あります。
道綱の母は、自身の美貌と文才ゆえにプライドが高くて素直になれなかったんでしょうね。もう少し器用になればラクに生きられたろうにと思います。そうしたら蜻蛉日記の名作は生まれなかったかも…。
蜻蛉日記に描かれた兼家は野心家で魅力的な男性に思えます。その血を一番受け継いだのは道長なんでしょうね。
兼家さんは、なんだかんだいっても懐が深いです。道綱のお母ちゃんのこと、お持て余してしまうんじゃないかと思います。例え財前さんであったとしても難いです
今日も分かり易い解説ありがとうございます🤗寧子さんこれからも登場して欲しいキャラです😁ドラマの中のことですがまひろさんが北の方を望んだのと寧子さんが嫡妻を望んだのも似た者同士で気が合うのではないでしょうか😅
読んでみようと思い、本屋にいき先程購しました。単行本なのに太いです!
一緒に、小右記も書いましたがこちらも太い!
道綱母も紫式部も訪れた石山寺。
google mapでみたら御所から石山寺まで徒歩4時間半ほど。
私は子供のころ東山区に住んでいて、夏休みに弟と何を思ったか大津から歩いて帰ったことがありましたが、子供の足で半日かからなかったですね。
とはいえ、今ほど道路が舗装されてなく、スニーカーもない時代に、貴族の女性方は大変だったと思います。
日頃運動せず屋内をにじり動いてる方々なので。
信仰のなせる業でしょうか、それともいつの時代も遊山は楽しいものなのかもしれません。
この女性文学で名を残す二人が石山寺で出会い、道綱母から書くことを示唆されるという展開はなかなかだと思いました。
可愛げのある男が一番だと思う関西出身の人間なので、道綱の母の蜻蛉日記での兼家が好ましい。仕事ができて出世する男の人は可愛らしい人が多い気がします。それときりゅうさん、たまにはトニー・レオンの目からビームのような話しをして気分転換もしてくださいね。いつもありがとうございます。
兼家パパの恋文の使者を都勤めの和田義盛みたいな坂東武者を思い浮かんじやいました!
兼家パッパ、思ってた以上にめちゃくちゃ気ぃ使ってますね。
道綱母は結構愛されていたんだなと思いました。
おまけの兼家と道綱母の一人芝居クソ笑った
道綱の母としては、ライバルの時姫が自分とそんなに変わらない階級出身だったから、余計にピリピリしてしまったんでしょうね。
倫子さんわ明子さんのような帝の孫やひ孫が相手だったら…いや、それはそれで「あちらは高貴な方ですもんね」と拗ねるかも笑
ツンデレな寧子さん😂
兼家の血を受け継ぐ女の子を幼女にするとは、本当に兼家が好きだったんだなぁと感じました。
ちょっと面倒くさいキャラではあるけど、愛情深さの裏返しな感じが愛おしい女性ですね。財前直見さんの「道綱道綱…」をもう聞けないのかと思うと寂しいです🥲
まひろも15話で写本をしていましたが、おそらく写本を売るためでしょう。下級貴族が内職をする話は多いし、皇女が上級貴族の女房をして、冬に用事で出かけて夜遅くなり、盗賊に身ぐるみ剥がれて近くの屋敷に助けてと呼びかけても入れてくれなくて凍死したエピソードが今昔物語集に載っています。
枕草子についても解説もお願いしたいです!来る定子様の悲劇に対する衝撃に耐えるためにも!
まひろと道綱母が石山寺で遭遇して♪蜻蛉日記と道長との想いを重ねていたのが感慨深かったです♪兼家パパ嫉妬されるまで、想われていたんですねー♪🫶
きりゅうさんの和歌の解説、めっちゃ面白い〜😙😙
『蜻蛉日記』の解説ありがとうございます!
昨日の大河でまひろちゃんとさわちゃんに
『出来る事なら嫡妻になられませ』
と言っていたのはそうなのか、とより納得です。
嫉妬したり、なんだり、色恋の駆け引きは下手そうですが、そこがなんとも、身近に感じて愛らしいといいますか。
蜻蛉日記を読んでみたくなりました😊
不器用に暴走する蜻蛉夫人って可愛げあって好き😊
兼家の方もがさつがすぎるし。
方丈記や「ハーレムの暑い日々」を読んだときに、これは小説ではなくて日記だな、と思ったのですが昔からあったのですね。
『質問です』
いつもありがとうございます!
平安の作家になり名をはせていくシステムとは当時はどのようなものだったのでしょうか?
現代は賞を受賞してそこから作家と認められていったり、中には作品を出版社に自ら持ち込み優れていれば、出版してもらったり。
たとえば自分の書いた日記を誰かに読ませてそれが面白いとなると、クチコミがひろがったりして読まれていくのかな? コピーは専門に作るひとがいたのですか? 値段があって収入みたいになったのでしょうか? 1200前の作家の成り立ちと読者、想像がつきません。どうぞよろしくお願いいたします。
蜻蛉日記に藤原道綱の母
「日記を書くことで己の悲しみを救いました、あの方との日々を日記に書き記し公にすることで妾の痛みを癒したのでございます」と言っていました。
日記を公にする場合、兼家の許可が必要だったんでしょうか、また どのような方法で公にできましたか?
これで まひろが「源氏物語」を書くきっかけが 見えてきました。道長との関係・思い出からも救われたいのですね
蜻蛉日記 ドラマの中でまひろや倫子さんサロンの面々も読者だったように描かれていましたが、この時代の本・書籍というものはどのようなシステムで世に広まっていっていたんでしょうか。出版社的な組織が有ったのかな?でも今のように本屋で売られているわけでもないですよね。印刷の技術はまだ無いでしょうから写本なんでしょうけど、それを仕事とする人もいたのでしょうか?
好き嫌いは分かれるかもしれませんが、そのご気性だからこそ蜻蛉日記が誕生したのかもしれませんね。
たぶん源氏物語や枕草子なども似たような感じでしょう。
いつも楽しみに拝見させて頂いてます♪
今回の回は蜻蛉日記にみなさん着目してられましたが、私は旅をしていた まひろとさわが胸のあたりからグルとリボンのようなものを付けていたのが気になって、気になって。。笑
あれは、なんでしょうか??
ぜひ、きりゅうさんに教えて頂きたいです!!よろしくお願いします♪
道綱の母は兼家の事をなんだかんだ悪く言いながらも、その心底には愛があると感じたのは私だけ❓
面倒な性格の道綱の母ですが
蜻蛉日記は兼家パパへの愛の日記に思えました。
文才があることで道綱の母は嫡妻になれなかった悲しみを乗り越えることができた。
道綱の母との出会いが
まひろが源氏物語を執筆する元になろうとは‼️
驚きです。
某小説の中で恋人が買ってきたケーキを捨て(勿体ない!)又、恋人が買いに行く等と書かれている文章の意味が心底訳分からんと思う私は、多分、蜻蛉日記の機微がわからんのだろうなぁ…😅
もう少し年齢を重ねてから読んでみます
アマガエルかわいい
道綱の母、せっかく兼家が東三条の御殿に呼び寄せてくれたのなら、そのまま居座っちゃえばいいのでは…と思ったけど、それだと召人になっちゃうのかな?
蜻蛉日記などの日記物語は今の大河ドラマみたいですね
ノンフィクションのようだけどあくまでもフィクション
大石静さんが別れているのに兼家の臨終時に道綱母を傍にいさせたようなものですね
ドラマや本にするなら色をつけたほうが面白い事もありますからね😁
また次回の動画も楽しみにしています🙏
道綱母の養女は「宮の宣旨」と呼ばれる詮子の女房であったと言われています。
宮の宣旨は詮子に仕える女房たちの筆頭格であり、儀式の折には和歌を詠み交わすなど詮子とは非常に親密な関係であったことが知られています。
系図などでは兼家の娘の一人として「宣旨」という女性がいたと言われており、この人が「宮の宣旨=道綱母の養女」にあたるとされています。
ドラマで、妾だけはやめておきなさいね、を、まひろちゃんたちに滾々とアドバイスしてたのは、成程、そうだったのねーと思いました。
この蜻蛉日記のエピソードもそうなのですが、平安時代の人って、本当にその場で速攻であんな素敵な和歌を詠んだのでしょうか?
どの和歌も素晴らしくて、即興で作ったとはにわかに思えないのですが・・・
ドラマだと最後は嫡妻いない分兼家看取ったに等しくて、最後蜻蛉日記のことを話題にしてくれて報われた感ありましたけどね・・
確かに昔百人一首の漫画解説で見た時は、男(兼家)を門前払いしてたのを思い出した(笑)
兼家パパの無粋無骨な求婚スタイルは、一部ドラマの道長に活かされているのかな❓(恋文の紙質とか)と少し思いました😅道綱母も絡みすぎ・拗ねすぎとは思いますが、兼家パパも結構相手をしているし微笑ましいですよね😊二人の間の様々な交渉を紹介して下さり、その事がよく分かりました。娘さえ産まれていたらその後の展開も?・・・
他で聞いたのですが~道綱の恋の顛末・母の世話焼きの経緯を書き留めている話(中下巻?)を聞きましたが、やっぱり結果は少々息子を甘やかし過ぎかな😅と・・・
一つアレッと思ったことが~時姫さんは嫡妻として東三条邸に兼家と同居していなかったのでしょうか❓「看病に出掛ける」の部分がよく分かりませんでした💦あと、入内候補の娘を「后がね」と呼称する由来は何でしょう❓【補足】⇒ググりました😅「后がね=(皇后および中宮に)立后する候補者。(きさいがね)とも。がねは候補の意の接尾語。」
やすこさんもっと兼家をうらんでたのと思っていたから
昨日のやすこさんみて見る目がかわりました
19:25 この噂は兼家が流したんじゃないですかね?兼家にとってはこの程度の工作は日常茶飯事だったでしょう
なかなか断れずにいたのを見かねて、何も言わずにサポートしたのでは?
道綱はドラマのように夜這いの相手を間違えたのかな😂
お見舞いについての嫡妻と妾の違いの説明は、まるで、現代で言うと、病院に入院した時に堂々と見舞いや付き添いできるかできないか、のようですね。
いつも楽しみに拝見しています。
きりゅうさんに質問です。
結婚届がない時代ですが、嫡妻は夫が婿入りして同居していた妻、夫が通っていた妻は妾妻という認識で正しいでしょうか?
加えて「その他に愛人がいた…」といわれたりもしますが、妾との違いはステディか短期間の相手かの違いでしょうか?
それとも区別は後の人が称しただけでしょうか?
よろしくお願いします。
もしや、ツンデレの先駆者?
今のラノベや少女マンガのヒロインライバル視点に見えて面白いです。悪役令嬢サイド視点っぽいですね♪
兼家パパのガサツな求婚ラブレターって何話か?前の道長のまひろに送った最初ラブレターといっしょじゃん⁉️😂💦きりゅうさん?凄く怒っていたやん⁉️😅💦
道綱の母の気持ち 分かるな〜😅
百舌鳥彦はどこへ行っちゃったんでしょう…
兼家パパは退場しました。しかし、俯瞰すると、兼家一家に人材が集まって来る……。
女流歌人を見ても、
道綱の母・寧子(蜻蛉日記):兼家の妾。
清少納言:中宮定子の女房(侍女)
紫式部・和泉式部:中宮彰子の女房。
軍事・行政でも人材が集まり、一家を支えたのだろうか⁉
兼家は人材(政治・文化・経済)を使いこなす天才的人物に思えて来ました。😊
質問があります。
どのシーンか忘れましたが、庭に謎のオブジェ?が…。
柱の上に苔むした?屋形のような物が載った何かしらがチラと映りました(形的にはゲゲゲの鬼太郎の妖怪ポストのような?笑)。
あれは何ですか?
アレ!我が家も気になってました!きりゅうさんがきっと教えてくださるわーって思ってました
兼家の家系はあまり文系ではないようなので パパをはじめ (道兼はわかりませんが)和歌や漢詩など学問に優れた方がお好きなようですね
とりあえず、平安にネットやらSNSやらがなくてホントによかった
炎上案件テンコ盛り
蜻蛉日記を書いた道綱母はいろいろな人から読まれてますが、作者としてお金とかの実入があったのですか?
昔訳本で読んだことあるけれど、女として共感はするけどひたすらしんどくて平安時代の女には絶対なりたくないと思った記憶が…(笑)
私も本当に愛してる人には同じように愛してほしいと思うタイプなのでそういう人は平安時代の貴族はムリですね。
今回の石山詣の話ヤバいですね
まさかここでまひろと道綱母をひきあわせて、
まひろを源氏物語に誘うとは。。。。
脚本の妙にゾクゾクきました。。。。
今度京都に行ったら石山寺にお参りにいきたいと思います
「中の関白家」とは?
なぜこのように呼ばれるのですか?
今週は桔梗が中宮につかえるエピソードもありましたが 桔梗が定子妃の美しさに驚いていたが いやいや桔梗のほうが美人だったろう と思った 桔梗のOL生活が楽しみです
昨日の光る君へのことで聞きたいことあるんですが
まひろとさわが石山寺にいくときに赤い紐みたいのをつけていましたが
お参りするときにするものだったのですか?
私も同じ事、気になってました。
嫉妬深いが才能がある。条件が揃えば北条政子のようになったかもしれないな。🤔
帝日記なんて有ったのでしょうか?
読んでみたいです。
たくさんありますよ~w ぜひ読んでみてください。
@@kashimashi_rekishi_ch
返信有難うございます。探して読んでみます。😊
いつも楽しく見させて頂いています。
こちらのコメントとしてはふさわしくないのですが、ずーっともやもやしていることがあるので質問をさせて下さい。
安倍晴明様の従者の方は、式神様でしょうか?もしそうであったら、安倍晴明様以外にはお姿は見えていないのでしょうか。
もし、わかるようでしたら教えて下さい。よろしくお願い致します。
個人的には式神なんじゃないかと思ってます。