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学校で習った参勤交代と実際の参勤交代の目的や内容がかなり違っていて興味深い動画ありがとうございます。
更新が楽しみなチャンネルNo.1
いつも、江戸時代の空気というか生活臭漂う内容の紹介となっており、江戸時代が身近に感じられます。素晴らしいチャンネルです。
参勤交代のおかげで、街道や宿場町が整備され、日本の基盤が整備されたのですね。
「企業が、リモートワークを認めず出社させるのも、参勤交代だ」ってXで誰かが言ったwリモートワークを認めると忠誠心が下がる、出社させて奴隷根性を植え付けるんだ、みたいな言いえて妙だな、って思った
参勤交代と大名行列、とても分かり易くて、ためになりました🤔参勤交代の制度は徳川家光の時からだと思ってたんですが、豊臣秀吉の頃からその原型があったのと、大名行列の人員は皆武士かと思ったら、雇われた人足が半数以上も居たのは意外でした😳それでも、家格に応じた大名行列、江戸滞在にする為に多額の出費を💴毎年出さなければいけなかったのには、大名もさぞ頭が痛かったことでしょう😩それで自分達より身分の低い商人に頭を下げて、高利で金を借りて、また出発😵泰平の世の武士はとても大変で、低賃金,物価高騰で大変ながらも自由の有る現代人でホント良かったなぁ〜とつくづく思います🌝今興味深いのは、江戸時代の貨幣制度ですね😌また、面白くて参考になる動画楽しみにしています😊
半強制的に江戸と地方と人が行き交うことで、物流が増加し街道や宿場が整備され、現在の交通網の基盤になった経済的側面も大きいと感じました。それにしても、以前からこちらのチャンネルで江戸での生活を学んでいますが、これほど諸藩の財政に負担をかけていたことに驚きました。江戸の街が地方のモノと金を吸収していた側面もあるんですね。
室町時代は有力な守護の多くが京都在住だったので、領国には代官(守護代)を置く必要があり、これが下克上を招くことになりました戦国時代は多くの大名が領国に在住し、事実上の独立国になっていました。これだと国境付近では当然ながら戦乱が起こりやすくなります江戸時代の参勤交代は、この両方の折衷的な状況を作り出した良い制度です。幕府の支配を維持しつつ、領国が代官に奪われなくなる
近隣の町の博物館で、仙台藩と一関藩の江戸の大名屋敷という展示がありまして見に行ったんですが、ここの動画で仕入れていた知識のお陰でこれがアレなのかーとか分かってとても楽しめました。ありがとうございます。
人が多く住んでるような所以外では隊列を崩して歩いてるあたり、思ってたほど終始ガチガチな雰囲気ではなかったのかな。大名側近以外だと旅行気分な人もいそう。めちゃ歩かされるけど
「遠足のしおり」が配られていたかと思うと面白いです。
この動画を観て改めて自宅前の1国東海道に参勤交代の大名行列が行き来していたのかと思いをはせています。
このチャンネルはナレーションが非常に良い正にプロで他のチャンネルのようなド素人の聞き苦しいナレーションと違ってこの声故に見るまである
機械じゃなくてウプ主の生声?
参覲交代は武家が交代で武家の頭領たる徳川将軍家を守護する軍役です江戸時代の武家は大名と旗本となります単独で戦闘集団(戦闘部隊て輜重部隊)を編成出来る大名と単独では戦闘部隊しか編成出来ない旗本ですですから大名は交代で将軍家から預けられた領地から江戸に出陣してきた訳です旗本は出陣して来れない為に元々江戸城周辺に住む事になりました江戸への出陣ですから決められた期日に間に合わなければ戦場に遅参となり改易となるのです同様に京都の朝廷の守護の為に出陣する事となりますがこれは旗本を京都・大阪に出張させる事となりました地方の大名が隔年で出陣していく訳で通行途中の街や宿場は潤いました最先端の江戸の文化・風俗が地方へと伝播していく、金が全国に行き渡りました徳川将軍家による公共事業のひとつと言えます動画内でも述べられていましたが徳川将軍家は度々出陣部隊の規模を定められた人数・武器に制限しましたしかし各大名は競って華美を誇った為費用が増大しました大名行列の騎馬は大名家臣の武士ですが足軽・人足は人目のある場所になるとアルバイトの臨時雇いの人達ですまた江戸市中に入る手前の宿場(品川・新宿・板橋・千住)で着替える必要がある為大抵の大名は上記の宿場近くに下屋敷を構えて休息・着替えをしました参覲交代の費用は各大名家中の支出の内2割から3割が平均です各大名家中の支出のうち最大なのはもちろん番士の給料です統計にある『江戸経費比率』は参覲交代の費用だけではなく大名と引き連れた軍勢が一年間暮らす費用なので参覲交代費用ではないのは注意が必要で純粋な参覲交代は2割から3割です繰り返しますが参覲交代は江戸守備の出陣なので戦支度が基本です動画中で度々『軍役』を『ぐんやく』と呼んでいますが正しくは『ぐんえき』です
11:20、図の考案者頭いいな!国鉄の運行チャートそのものだ。
有沢永貞さん『いやぁ、それほどでも…』
確かウチのお殿様が江戸と地元を行ったり来たりしてるうちに いつの間にか制度化されてたって聞いたなあ。
なるほどね、優秀な官僚が芽生えるのも当然のシステムだわね
通信機器がない時代に、どうやって国元と江戸までのすべての宿に予約したのと、災害の情報を収集したんですかね?
江戸生活に慣れ過ぎて幕府に届けを出して江戸に居座る大名もいる。
大名や家来たちにとって『居たい』と思ったのは江戸と国元どっちだったんだろうねぇ
江戸かな?国替の度に引っ越さないといけなかったから。実際に磐城平藩(福島県)の内藤家が延岡藩(宮崎県)に国替の時には移動距離が短いから江戸への転勤を希望した藩士が多く、家老の父親が船酔いを理由に引っ越し拒否した話がある。
例外として喜連川藩と御三家の水戸徳川家は参勤交代を免除されていました
御三家の分家は高松藩以外は江戸定府で本家から米を支給されるだけの新田藩も江戸定府で免除だった。
喜連川藩は足利家なので別格として優遇されてましたね。石高が少ないので藩財政は厳しかったですが、名誉はありました。
17や18世紀頃のオランダとか馬車が有るような気がするけど、1台輸入して鉄炮のように沢山造り、道を整備すれば殿様も楽だったかも知れないですね。
こういうのが参勤交代があったから各地方のインフラが出来上がって、金が途中の土地に落ちて、軍が移動することによって道の安全が守られて、軍規を設けることによって一定の品位を確保してついでに反乱を抑えてたんか
昔の人は凄すぎるよ。ワイ大阪から東京まで歩くとか確実に死ぬと思う。
お武家さんじゃなくて、人足の方が多かったんだ!? 当然、帰りも必要だよね。どういった職業の人が多かったんだろ? 半年いるんだから、人足は帰るのかな? 時代劇では、一般庶民のコトはあんまりわからないねえ。
全国でお金を使って経済を回していたと考えれば、そう悪くもないかもね。
道中にある大名は宿泊等の税収で笑いが止まらないシステムですな。
ダイヤグラムヤベ〜下手するとオーパーツだぞ。
大名行列の制度は 日本の国土がそれに適した広さやったからで 例えば 米国の広さではとてもできなかったろうそれにしても 江戸時代の人はすごい 九州や北海道からあるいて江戸まで来るんやから
家康の人質時代から学んだ政治、徳川265年の安定政権。
途中で病気になったりする人がいたらどうしてたんだろう🤔
藩主が将軍家にお土産を持参、、、手ぶらでっては流石にいかないわね。
某知事みたいに将軍側がおねだりしたパターンもあったみたいです
籠の中をリクライニングシートにする知恵は無かったのか
どの道籠ん中は担がれるんでどうしても四六時中上下に揺れて胃が絶えず揺さぶられるんで現代人だったら間違いなく吐きそう😱殿様は頑張って耐えてたようだが😂
籠にスプリング取り付けて振動を吸収させたり、馬車にしてやや広い空間作ろうって考えは働かなかったのかな?
飛行機も新幹線もない時代に参勤交代は地方の大名はまじでうざかったやろなーw
そうでもない
殿様のう◯こ運ぶ人の石高ってどのくらいだったんだろう
学校で習った参勤交代と実際の参勤交代の目的や内容がかなり違っていて興味深い動画ありがとうございます。
更新が楽しみなチャンネルNo.1
いつも、江戸時代の空気というか生活臭漂う内容の紹介となっており、江戸時代が身近に感じられます。
素晴らしいチャンネルです。
参勤交代のおかげで、街道や宿場町が整備され、日本の基盤が整備されたのですね。
「企業が、リモートワークを認めず出社させるのも、参勤交代だ」
ってXで誰かが言ったw
リモートワークを認めると忠誠心が下がる、出社させて奴隷根性を植え付けるんだ、みたいな
言いえて妙だな、って思った
参勤交代と大名行列、とても分かり易くて、ためになりました🤔
参勤交代の制度は徳川家光の時からだと思ってたんですが、豊臣秀吉の頃からその原型があったのと、大名行列の人員は皆武士かと思ったら、雇われた人足が半数以上も居たのは意外でした😳
それでも、家格に応じた大名行列、江戸滞在にする為に多額の出費を💴毎年出さなければいけなかったのには、大名もさぞ頭が痛かったことでしょう😩
それで自分達より身分の低い商人に頭を下げて、高利で金を借りて、また出発😵
泰平の世の武士はとても大変で、低賃金,物価高騰で大変ながらも自由の有る現代人でホント良かったなぁ〜とつくづく思います🌝
今興味深いのは、江戸時代の貨幣制度ですね😌
また、面白くて参考になる動画楽しみにしています😊
半強制的に江戸と地方と人が行き交うことで、物流が増加し街道や宿場が整備され、現在の交通網の基盤になった経済的側面も大きいと感じました。
それにしても、以前からこちらのチャンネルで江戸での生活を学んでいますが、これほど諸藩の財政に負担をかけていたことに驚きました。江戸の街が地方のモノと金を吸収していた側面もあるんですね。
室町時代は有力な守護の多くが京都在住だったので、領国には代官(守護代)を置く必要があり、これが下克上を招くことになりました
戦国時代は多くの大名が領国に在住し、事実上の独立国になっていました。これだと国境付近では当然ながら戦乱が起こりやすくなります
江戸時代の参勤交代は、この両方の折衷的な状況を作り出した良い制度です。幕府の支配を維持しつつ、領国が代官に奪われなくなる
近隣の町の博物館で、仙台藩と一関藩の江戸の大名屋敷という展示がありまして見に行ったんですが、ここの動画で仕入れていた知識のお陰でこれがアレなのかーとか分かってとても楽しめました。ありがとうございます。
人が多く住んでるような所以外では隊列を崩して歩いてるあたり、思ってたほど終始ガチガチな雰囲気ではなかったのかな。
大名側近以外だと旅行気分な人もいそう。めちゃ歩かされるけど
「遠足のしおり」が配られていたかと思うと面白いです。
この動画を観て改めて自宅前の1国東海道に参勤交代の大名行列が行き来していたのかと思いをはせています。
このチャンネルはナレーションが非常に良い
正にプロで他のチャンネルのようなド素人の聞き苦しいナレーションと違ってこの声故に見るまである
機械じゃなくてウプ主の生声?
参覲交代は武家が交代で武家の頭領たる徳川将軍家を守護する軍役です
江戸時代の武家は大名と旗本となります
単独で戦闘集団(戦闘部隊て輜重部隊)を編成出来る大名と単独では戦闘部隊しか編成出来ない旗本です
ですから大名は交代で将軍家から預けられた領地から江戸に出陣してきた訳です
旗本は出陣して来れない為に元々江戸城周辺に住む事になりました
江戸への出陣ですから決められた期日に間に合わなければ戦場に遅参となり改易となるのです
同様に京都の朝廷の守護の為に出陣する事となりますがこれは旗本を京都・大阪に出張させる事となりました
地方の大名が隔年で出陣していく訳で通行途中の街や宿場は潤いました
最先端の江戸の文化・風俗が地方へと伝播していく、金が全国に行き渡りました
徳川将軍家による公共事業のひとつと言えます
動画内でも述べられていましたが徳川将軍家は度々出陣部隊の規模を定められた人数・武器に制限しました
しかし各大名は競って華美を誇った為費用が増大しました
大名行列の騎馬は大名家臣の武士ですが足軽・人足は人目のある場所になるとアルバイトの臨時雇いの人達です
また江戸市中に入る手前の宿場(品川・新宿・板橋・千住)で着替える必要がある為大抵の大名は上記の宿場近くに下屋敷を構えて休息・着替えをしました
参覲交代の費用は各大名家中の支出の内2割から3割が平均です
各大名家中の支出のうち最大なのはもちろん番士の給料です
統計にある『江戸経費比率』は参覲交代の費用だけではなく大名と引き連れた軍勢が一年間暮らす費用なので参覲交代費用ではないのは注意が必要で純粋な参覲交代は2割から3割です
繰り返しますが参覲交代は江戸守備の出陣なので戦支度が基本です
動画中で度々『軍役』を『ぐんやく』と呼んでいますが正しくは『ぐんえき』です
11:20、図の考案者頭いいな!国鉄の運行チャートそのものだ。
有沢永貞さん『いやぁ、それほどでも…』
確かウチのお殿様が江戸と地元を行ったり来たりしてるうちに いつの間にか制度化されてたって聞いたなあ。
なるほどね、優秀な官僚が芽生えるのも当然のシステムだわね
通信機器がない時代に、どうやって国元と江戸までのすべての宿に予約したのと、災害の情報を収集したんですかね?
江戸生活に慣れ過ぎて幕府に届けを出して江戸に居座る大名もいる。
大名や家来たちにとって『居たい』と思ったのは江戸と国元どっちだったんだろうねぇ
江戸かな?国替の度に引っ越さないといけなかったから。実際に磐城平藩(福島県)の内藤家が延岡藩(宮崎県)に国替の時には移動距離が短いから江戸への転勤を希望した藩士が多く、家老の父親が船酔いを理由に引っ越し拒否した話がある。
例外として喜連川藩と御三家の水戸徳川家は参勤交代を免除されていました
御三家の分家は高松藩以外は江戸定府で本家から米を支給されるだけの新田藩も江戸定府で免除だった。
喜連川藩は足利家なので別格として優遇されてましたね。石高が少ないので藩財政は厳しかったですが、名誉はありました。
17や18世紀頃のオランダとか馬車が有るような気がするけど、1台輸入して鉄炮のように沢山造り、道を整備すれば殿様も楽だったかも知れないですね。
こういうのが参勤交代があったから各地方のインフラが出来上がって、金が途中の土地に落ちて、軍が移動することによって道の安全が守られて、軍規を設けることによって一定の品位を確保してついでに反乱を抑えてたんか
昔の人は凄すぎるよ。ワイ大阪から東京まで歩くとか確実に死ぬと思う。
お武家さんじゃなくて、人足の方が多かったんだ!? 当然、帰りも必要だよね。どういった職業の人が多かったんだろ? 半年いるんだから、人足は帰るのかな? 時代劇では、一般庶民のコトはあんまりわからないねえ。
全国でお金を使って経済を回していたと考えれば、そう悪くもないかもね。
道中にある大名は宿泊等の税収で笑いが止まらないシステムですな。
ダイヤグラムヤベ〜
下手するとオーパーツだぞ。
大名行列の制度は 日本の国土がそれに適した広さやったからで 例えば 米国の広さではとてもできなかったろう
それにしても 江戸時代の人はすごい 九州や北海道からあるいて江戸まで来るんやから
家康の人質時代から学んだ政治、徳川265年の安定政権。
途中で病気になったりする人がいたらどうしてたんだろう🤔
藩主が将軍家にお土産を持参、、、手ぶらでっては流石にいかないわね。
某知事みたいに将軍側がおねだりしたパターンもあったみたいです
籠の中をリクライニングシートにする知恵は無かったのか
どの道籠ん中は担がれるんでどうしても四六時中上下に揺れて胃が絶えず揺さぶられるんで現代人だったら間違いなく吐きそう😱殿様は頑張って耐えてたようだが😂
籠にスプリング取り付けて振動を吸収させたり、馬車にしてやや広い空間作ろうって考えは働かなかったのかな?
飛行機も新幹線もない時代に参勤交代は地方の大名はまじでうざかったやろなーw
そうでもない
殿様のう◯こ運ぶ人の石高ってどのくらいだったんだろう