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「三国志」は何度も読んだけど、やっぱり「劉備」「曹操」「孫権」の時が一番面白かったなぁ
その晋も後継者問題や粛清、身内同士の争いなどとたいして魏や呉と変わらず似たような理由で滅亡していくのは勝者は実は誰もいなかったのかもしれません(あえて言うならこれらの問題が全く起きなく降伏した蜀が 真の勝者とも言えます)
「破竹之勢」は「竹は、最初の一節さえ割ってしまえば、あとは一気に裂けること」から作られた四字熟語です。竹ひご作るのを見れば分かります。
😂竹を割るには、末から割る。
検索すると、「「晋書」杜預伝から」とするものが多いようですが、「「北史」周高祖紀」とするものも見られます。(※前者:コトバンク「破竹の勢い」他など。後者:情報・知識&オピニオンimidas スピーチに役立つ四字熟語辞典 「破竹の勢い」他など)「晋書」は、唐の2代皇帝、李世民の命により、房玄齢・李延寿らにより編纂され、完成は648年とされています。「北史」は「南史」と共に李大師、李延寿親子によって執筆され、完成は645年頃の様です。(それぞれWikipedia「晋書」、「北史」「李延寿」より)そして、李延寿が李世民に使えた関係か、659年に正史として公認されます。「晋書」杜預伝の原文と訳文(※「いつか読みたい晋書訳」より該当部分を引用)は、※※※(引用開始)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※時衆軍會議、或曰「百年之寇、未可盡剋。今向暑、水潦方降、疾疫將起、宜俟來冬、更爲大舉。」預曰「昔樂毅藉濟西一戰以并強齊。今兵威已振、譬如破竹、數節之後、皆迎刃而解、無復著手處也。」遂指授羣帥、徑造秣陵。所過城邑、莫不束手。議者乃以書謝之。※※※(和訳部分)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※時に衆軍會して議するに、或るひと曰く「百年の寇、未だ盡くは剋(さだ)むべからず。今、暑に向い、水潦 方に降り、疾疫 將に起こらんとすれば、宜しく來冬を俟(ま)ち、更めて大舉を爲すべし」と。預曰く「昔、樂毅は濟西に藉(よ)りて一戰して以て強齊を并(あわ)せり。今、兵威は已に振るい、譬えば破竹の如く、數節の後、皆な刃を迎えて解けば、復た著手する處無きなり」と。遂に羣帥に指授し、徑(ただ)ちに秣陵に造(いた)らしむ。過ぐる所の城邑、束手せざるは莫し。議者乃ち書を以て之に謝す。※※※(引用終了)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※次に「北史」周高祖紀の方は(※ひぽ太郎(アメブロ)「南北朝三国志(資治通鑑+正史)」「576年(2) 異議あるも 周武、再び東伐に赴き 急報あるも 淑妃、更めて囲殺を請う」より該当部分を引用)(※※原文と和訳が同時記載されているサイトを見つけられなかったので、個人ブログにてご容赦願います。意味は大体合ってる筈)※※※(引用開始)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※然晉州本高歡所起之地,鎮攝要重,今往攻之,彼必來援,吾嚴軍以待,擊之必克。然後乘破竹之勢,鼓行而東,足以窮其窟穴,混同文軌※※※(和訳部分)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※一方、晋州(平陽)はもと高歓⑵が身を起こした〔賊にとって由緒ある〕地で、拠点としても重要な地である。今この地を攻めれば、賊はきっと助けにやってくる。そこを、充分に態勢を整えた我らが攻撃をかければ、必ず勝てる。しかるのちに破竹の勢いに乗って東進すれば、賊の本拠(鄴)を陥とし、天下を統一することなど造作もないであろう。※※※(引用終了)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※晋書の方は、正しく「破竹の勢い」の『意味そのもの』である一方、北史の方は「破竹之勢」と『そのまんまの表記』である。両書がほぼ同時期に制作された事から考えれば、「破竹之勢」にあたる表現が既にあったと考えられ、それは上記のどちらかの事例から取られたものだと考えた場合、より古い晋書が語源であったと考えられます。超長文で果てしなく回りくどくなりましたが、つまり「破竹の勢い」は、「竹は節を割れば簡単に裂ける」という意味になるでしょう。従って、31:00 の「竹の節を割って行くような勢い」は、少々語弊があると言えるでしょう。「「破竹の勢い」の語源となった程の勢い」といった表現にしておけば良かったのではないかと。あと、余り大袈裟な煽りタイトルは感心しないな、と
三国志の孔明死すまでは結構知ってましたが、晋になるまでも色々と物語があるんですね。勉強になりました
その原因を作ったのが日本の作家であの有名な吉川英治氏ですね。諸葛亮の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名な『五丈原の合戦』をクライマックスに持ってきて終わらせてます。同様に宮本武蔵vs佐々木小次郎の『巌流島の決闘』をクライマックスにして宮本武蔵の小説を終わらせてる御仁ですね(笑) 後世の作家が大半吉川英治氏の脚本に引っ張られて大体同じ流れになってます。 良い所取りで読み物として面白いが、歴史的な検証ではイメージが先行し過ぎで邪魔な事が多い。
@@ahawaha2400要は演義でしょw
めっっっちゃわかりやすいな!ほとんど三国志知らないのに、思わず全部見てしまった。
姜維は、よくも悪くも骨の髄まで武人だった。
後の晋もお察しの通りになるあたり歴史は繰り返すってことなんだろうな
次は共産党王朝の番ですね
@@毛沢山-m8k晋王朝と清王朝を混同してませんか?
丁寧で良いですね。
久しぶりに三国志やりたくなる動画。
自分の認識が時間的にかなりズレている事を理解出来、又、晋の建国、呉の滅亡の過程が良く分かりました。とても面白かったです。ありがとうございました。
こうしてみると色々言われる劉禅の治める蜀の内部が一番平和だったという皮肉
こんにちは!最高に面白かったです!とて素敵な講談でした。「破竹の勢い」の誕生となる場面の表現が神がかりで感動しました。ありがとうございました❕️❕️❕️
晋含めて両漢由来のさまざまな政治制度が、社会情勢の実情と乖離しづづけていく時期ですよね。永嘉の乱の伏線にもなる異民族の労働力としての使役や戦力化が積極的に進められたのもその一つですし。
司馬懿を主人公にした中国ドラマがなかなかの長編。面白かったですよ。当時はやはり短命の人が多いですね。一度、病気になるとなすすべ無し、というか。
凄いチャンネル見つけてしまった最高👍️
北伐を牽制程度にしておけば蜀はもう少し長生きできたかな。呉も蜀も実権を握ってた人間が消えた瞬間に一気に崩れたな。
晋の話も聞きたいなぁ…この続きとして順々に話を聞かせてもらえませんか?続きが気になりますw
司馬氏から国を乗っ取っとられた曹氏ですが、陳留王として晋が滅んだ後も、何気に存続してたり。
一番わかりやすい動画でした。
劉禅とかそもそも劉焉の独立勢力みたいなとこ無理やり乗り込んで、荊州派閥やら魏からの亡命者やらでぐちゃぐちゃになったとこ、どうやって管理すんねんって感じがする。歴史が流れ過ぎて政治利用の脚色されたりもあるから、実は違ってたとか新説が出てくると良いよな。
全く人の世はままならぬそこが三国志の最大の魅力だけど
国力増強をせずに油断してると国は滅ぶ。
日本もでしょうか
@@kuroko3090 古今東西例外は無いです。
@@kuroko3090😭国力であって、軍事力だけではない。手取りを増やすのも国力の1つ。🤣年金は完全にインフレに負けてしまった。
魏は曹操の時代から北方異民族を登用して国力の増強を図っていました。それは皇帝や側近が巧く調整役になって価値観の異なる異民族の利害を制御出来無いと国家が瓦解する事を意味しました。蜀という強敵が存在するうちは、内包する価値観の相違が問題になっていませんが確実に燻り続けてはいたのです。蜀が滅び短命の皇帝が続くと、魏と云う国家体制の求心力は急速に衰退してしまった。異民族登用は諸刃の刃でしたね。
蜀漢は建国の経緯から、北伐しないと存在意義自体が無くなる。けど、国力の差が開きすぎて、北伐がうまくいく確率はかなり低かった。国としてのジレンマがあって諸葛亮も大変だったろうね。二世皇帝は劉禅だし。
太傅は太子ではなく皇帝を教え導く名誉職です。
っとまぁこんな感じの三国志物語ですが 史実では全然違うかったようでして昨今の分析検証などで解って来ています、もちろん歴史ロマンに浸るのは良いことです私もそうですが w
無双シリーズでの劉禅は、昼行燈を演じてるって感じでしたねしかしまぁ、あそこは本当に内戦と言うか内紛と言うか・・・自分たちで殴り合うのが好きな国なんでしょうかね・・・
蜀に関しては費禕の死が早すぎましたね。それ以後、姜維等の北伐を止められる者も居なくなり国力の低下を招きました。諸葛亮が選んだ後継者たちは国を支え維持しましたが、その下の後継者は育てられなかったのも原因でしょうか。
25:46 父親が酒乱爺に廃嫡された上にその後に自害までさせられてるのを見てたら人間不信にもなるわなあっさり降伏したし最初から憎い呉を滅ぼすつもりでいた気もする降伏後の司馬炎や賈充とのやりとり見てると決して凡才ではなかったのはよくわかる
素晴らしい👍
三国志好きが最期どうなるのかを知らないなんてありえない
龐統と法正が長生きしていたらどうだっただろう
少なくても龐統が生きてれば荊州を失うことはなかったと思う
龐統に関しては惜しいことに早く亡くなってしまい評価は付けづらいよね。
荊州を失わないってことは荊州の生産量を失わずに済む+関羽周りが生存するってことだし色々変わりすぎるね、拮抗する時代が長く続いたかもね
なぜ龐統が関羽をコントロールできると思うの?
@@rowhow6449 まあ、無理だよね。派閥と地位の違いがあるし、孔明ですらお世辞を言って手のひらで転がしてたとはいえ、かなり気を使っていたくらいだものね。孔明の北伐だって理由の一つは国をまとめる為の戦争でもあったくらいには内部は複雑だった。
曹爽の漢中侵攻(興勢の役)が漢川を遡ったかのようになっていますが、実際は長安から駱谷道で侵攻ですね。李勝と司馬懿のエピソードも出身の荊州を意味する本州と并州の聞き間違いだけですね。
孔明が死んでから蜀が滅亡するまで30年くらいあるのに、小説も横山光輝さんの漫画もダイジェストなのが・・・
中国史は面白い!!こんな昔からって考えると本当凄い
全ては馬謖の失態から…
吉川英治の三国志を若い時に読みました。懐かしい思いでが甦えました。諸葛亮は素晴らしい人材でしたね、排水の陣は今でも現代人の中に生きていますね、三国志のその後を知り、感無量です。
吉川英治氏の小説は読み物としては面白いですが、良い所で終わらせて後は知らないみたいな流れです。因みに横山光輝氏の『三国志』では蜀滅亡まで描かれてます。
語りが聞きやすいですね。早口にならず、適切に間を取っているからでしょう。他のユーチューバーも参考にしてほしい。もちろん肉声が良いことはいうまでもない。あと少しだけまろやかな声音になれば文句ありません
五胡十六国もお願いします!
ショウエン、兼務が多すぎて激務すぎですよね。
劉禅が降伏する事を決めた時に、息子の劉諶が、劉備、諸葛亮、関羽、張飛達先代が命をかけて作り上げた蜀を、1度も戦わずして降伏するのかって泣きながら反論したシーンは、横山光輝大先生の三国志で読んだ時に泣いたな…。でも、諸葛亮の北伐よりも夷陵の戦いで敗れた事が、蜀の国力を低下させた一番の要因だろうな…。
寧ろ諸葛亮が亡くなってから30年近く保った事の方がスゴイと思います。
@@大坂智義 確かに凄いですね。多分長く続いたのは、司馬懿と曹家の対立があったりしたのもあるかもしれないですね。
魏も呉も内部崩壊が始まったから微妙なバランスが保たれたのもあるでしょう。
結果的に、蜀を滅亡に追いやった発端をたどると、関羽が諸葛亮の言うことを守らずに呉に討たれたことがすべて。それによって無駄な仇討ちに固執した劉備が夷陵の戦いで敗北、その前に張飛が寝首をかかれ、ここでもう蜀は終わったに等しい。また、日本のカリスマ大名あるあるのように、劉備も跡継ぎをしっかり教育しなかった。阿呆を跡継ぎに亡くなってしまった。
関羽の敗北と夷陵の戦い、これで事実上は蜀が天下を取る道は途絶えましたね。それどころか滅亡寸前というレベルまで追い込まれたとも言えます。それを諸葛亮が支えたわけですが、彼が指名した後継者以降に人材が育たなかったのも痛いですね。特に費禕の早い死で姜維の北伐を止める重石が無くなり、国力の低下を招いたのは痛恨でした。
多分劉禅は蜀の持続を念頭に置いていたのに、絶対漢再興するマンに国力削がれてしまったんだね。
劉禅は黄皓と遊興に耽ってきたと言うのは実は姜維達に内緒で三国の国力を比較、分析した上で孔明亡き後の情勢を図上演習をしていたのでは無いかと思っています。
戦争ばかりしているのに流れを変える人物はだいたい病死戦争するより衛生環境整えるとか他にやることあったはずよね…
まともな薬も無い、領内の設備整備整えても敵に略奪される可能性もあるからね董卓がスタートダッシュ失敗せず中国統一して、古代ローマくらい安定した地盤つくれてたら三国時代に飛行機やらWi-Fi飛んでただろうよ
耐え難きを耐え、忍び難きを••
劉禅はまだ孫晧よりましだな。
つまり魏では【暗刹将軍:徳川吉宗♪】が大活躍した訳ね😂晩年の孫権の所業を見て『あぁ、太閤も〜』と一時期は思ってたが、アレは【イイ人振っていた下衆】と気付いた今日、この頃🤔
曹操そんなに悪いなら独り占めするだろう
イヤイヤ、家臣が良かっただけだよ!
魏の皇帝が若くしてこの世を去ったり廃位されたのは、後漢の皇帝が3代目章帝以降禅譲した献帝(享年54)以外40歳以上生きられなかった「呪縛」が移った為では、という話を聞いたことがあります。
晋のその後も踏まえると、結果的にどの国も勝ったわけではなく結果的には北方民族にやられたって印象です。そして漢民族ではない王朝が気が付いたら漢民族を名乗るようになった。
普の続きが気になる!
キングダムの話があって三国志だもんなぁ。中国の戦乱の歴史は物凄い。
この動画を見ると、ゲームの蒋琬の能力値はもっと高くても良いと感じました。
一般の民にとっちゃ平和に暮らせるのが一番。無駄な戦はせず降伏した劉禅は名君でしょ。
そうだね だけど劉諶が好きです
読者は劉備達の尽力を見ているから劉禅が腹立たしいけど、庶民からしたら圧政をしかないなら誰でも良いもんな。
???劉禅が降伏しても「戦国時代」は終わらないんだけど???
本当の地獄はこれから
図体が幾ら大きくても、要は人で肝心な要(かなめ)ですね。C国の衰退も支那の伝統に定めに従った運命を辿るのか?(集金兵)
32:25これについては、早稲田大の渡邉先生が「悲哀の物語」と論じていらっしゃる。勝者はいないと。そして屯田制を中心に後世でも役立てられた法律や制度が生まれ、劉備と諸葛亮が守ろうとした漢は、現代でも中国のアイデンティティになっているから、決して無駄ではなかった、とも。
劉備の入蜀の大義名分が漢の復興なので、魏を攻めないといけなかったが、後漢の献帝が220年曹丕に皇位を禅定、五丈原の戦いの同年の234年に死亡してしまったので、大義名分もそれほど必要なくなり、劉禅は蜀防衛だけすれば良くなった。五丈原以降は順当に勢力差だけで終わり盛り上がりに欠けるので、五丈原で話を切るのは物語としては正しい。
それを現在では海外まで巻き込んで歴史を繰り返そうとしているから困る。内輪でやって心底国外まで巻き込まないで欲しい物である。
戦死と老化とか世代交代かな
魏の滅亡史で煮えたぎるような効果音だったので「七歩の詩」を期待しましたが、無かったのが残念です。是非改訂してとりいれましょう。
政治用語の傀儡は「かいらい」芸能用語の傀儡は「くぐつ」
やっぱ禿髪樹機能だよな
汶山はぶんざんではなく「びんざん」ですね
初見です。最後まで見た感想ですが、面白いの一言です。今の大半の日本人に三国志の知識やアイデンティティの元になったのは、吉川英治氏の小説『三国志』でしょう。後に様々な作家(北方謙三氏含め)が諸葛亮が最後に活躍した『五丈原の合戦』で魏の司馬懿仲達を翻弄した「死せる孔明、生ける仲達を走らす」をクライマックスにして終わらせてます。 横井光輝氏の『三国志』でその後の蜀がどうなったかを最後まで描いてますね。
因みに吉川英治氏が同じ様に、宮本武蔵を小説の題材にして『巌流島の決闘』をクライマックスに勝った武蔵が悠々と船で去る姿で締めてます。 実際の武蔵は船島(負けた小次郎の『巌流』が付く前)の戦い以降散々な生活だったのは知られて無いですね・・・・
人口の推移が分かるとありがたいですね😊
食人の問題🐶
結局笑ったのは腐らせた元凶と文化
五胡十六国と五代十国・・・混同しますね
政治家の孔明が軍権を握ってからでしょうね。演技じゃ名軍師みたいになってるが、史実では教本通りにしか動かないので司馬懿、曹真、郝昭に裏かかれまくってる
史実を全然読んでなくて草
普による統一のあと、すぐ八王の乱という内紛を始め、ま〜た国内は混乱していくんですよね〜。その混乱に乗じて北方異民族達が侵入してきて、長い長い中国の大混乱の時代が続く…。3国時代はまだこの混乱の序章にすぎなかったという。その後、隋が統一するまで200年近く混乱が続くという大変な時代だったんですねえ…😢
日本と中国とで 密接で良好な関係を持っていた時代としては、遣唐使でも知られている「唐」ではないかと思っています。平成から令和への即位・大礼の儀式において、皇居宮殿内の様子は唐時代の様式を継承しているというTV解説が、思い出されます。また、唐より真言密教を日本(平安時代)に伝えた空海も活躍された時代であり、特別な思い入れに事欠きません。最後に、魏・呉・蜀の時代、日本ではというと「卑弥呼」の時代になると思うのですが、詳細をうぷ主様に解説頂けると幸いです。😅
鳳雛を失わなければ、関羽を諌め、荊州を失わずに済み、北伐の難易度も下がったと思っている。
姉が子供の名前皓にしようとして全力で諌めたな
死せる孔明生ける仲達を走らす。だけではなく魏まで走らせた。
そもそも論で、漢民族は権力握ったらどうなるかは歴史が証明していることだし、漢民族にさせようとしたのが本当の原因なのでは?
諸葛亮の北伐で衰退したのは明白
諸葛亮は政治家では無く 官僚だったと言う事でしょう、机上の空論 では完璧でも現実は相手がある事まして相手は仲達 文武両道の人 易々とはのらない逆に時間を掛けられ作戦の無効化と消耗し何も得ることなく撤退が続くハメになり 諸葛亮自体苦悩し死んで行った印象、兎に角蜀には将軍とかはそこそこ居たけど 政治家の人材は劉備時代から少なかった だからこの時代のエリートは魏か呉に集まっていたのでしょうね..
劉備が連れてきた中原出身者も多く、いつかは中原に返り咲くって目的があっての国でもあるのでは?と。
玄徳が亡くなった後人材が枯渇したのが蜀滅亡の原因
中国人ですよ
そもそも運の要素が強くて、どの陣営でも統一があり得てその中の最悪の全て全滅のルートを辿ったに過ぎないかと思う。
あーいいね 良い動画
蜀の失策はやはり夷陵だと思う。孔明は「荊州と蜀で鍛え上げられた精兵を率いて」という構想で打倒魏を掲げ、逆にそうしなければ魏には勝てないと考えていたのではないだろうか?夷陵の後の蜀は北伐を大義に掲げていたが、実際は「攻めこそ最大の防御」思想であって、魏を攻めることで蜀漢という国の体裁を保っていただけだと思う。
夷陵の戦いは荊州名士層で形成されていた蜀には必要な戦いで関羽の弔い合戦はあくまで士気を上げる名目。実際に諸葛亮も止めてないし関羽が亡くなってからかなり後の話。荊州失陥の時点で命運は尽きてる。それだけにそこから立て直し国是として北伐をした諸葛亮が優秀なのは疑いようがない事ですが。あとその割を食ったのは馬謖ですかね。最近の研究では蜀の当時の戦力では間道を塞ぐ事は不可能であり山に布陣するしかなかったと言われてます。要するに国力の差による敗北を馬謖1人に被せる事で将の損害と士気の低下を防いだ当て馬役を全うしましたね。
あと北伐に関しては、蜀の存在意義という側面もある。漢朝から帝位を簒奪した魏を倒すという大義名分が存在したから。とはいえ、国力でも人員でも魏には差を付けられている以上どのみち蜀がジリ貧になっていた可能性は高いけど
まあそもそもが、圧倒的に国力が違うからね。魏と蜀は織豊政権と島津家くらいの差があったのでは?
魏呉蜀(約6:3:1)の国力を考慮するすれば当然の結果かと…
姜維の北伐マシーン振りを現代の価値観で評価するのは違うと思うわ国是を否定する訳になるし…まぁ元々益州に居た人達や蜀漢後に産まれた人間からすれば知らんがな案件になるんやけど
哲学者ヘーゲルが、中国の歴史は同じ歴史の繰り返しである、と言ってますが、全くその通りですな。つまり、その結果として現在においても変わっていないということで、中国の歴史については全く興味が持てません。
私は、晋王朝……すべての国 すべての英雄、すべての民族を消し……そして、私も消えよう……永遠に!!
シバエクスデス
しっかり読むと全員大した事ない人達の戦いですよね。
三国志は国がどの辺とか登場人物の関係性分からなくて、訳分からない歴史の一つ
魏、とゆうか官僚制度なんだよ中央は曹操が魏王になったのも官僚制による出世漢臣の最高官位であった曹丕が皇帝になってことで慣例をつくってしまったよって後の最高官位であった司馬炎に大義名分が回ってきた
司馬懿に天下を取ったあとの子孫たちの運命を教えたら、果たして曹家の天下を奪おうと思うだろうか。
漢字が難しいなぁ
晋のその後は、聞いたことないなぁ。
晋も長続きはしなかったよね!そう言う変化の時代だったんだね😅
蜀は関羽の死が早かったのが痛かったな
勉強になりました。晋は、どのようにして滅亡したのか、興味が、わきました。😂
とてもよく分かる動画でした。😆姜維って私には、ドラゴンボールのトランクスを彷彿させます。未来でたった一人で、敵に挑むところが…その姜維の最期がとても悲しい。🥺
戦国時代でいえば真田幸村かな。
三國志マニアなら史実・演義のラストを知らない人はいないと思いますが…9割の人=そもそも三國志を知らない人の事ですか?
9割の人は横山光輝三国志しか読んでない説
そーですねー漫画が一般的なものとしての認知なんでしょーそんな感じの人たくさん見てきましたよーそれは入り口でそのさきが面白いのにねーなんか?残念⤵️
司馬昭から司馬炎になって、内紛やらどっかの部族に襲撃されたりして、西晋・東晋に別れた……ってまではしってるが、その後のChinaの皇帝は誰だっけ笑❓️ん~~〜🤔曖昧だもんな笑笑
綿竹の戦い全員軍師なら話し合いだろうよ
病死が多いな…やはりストレスなのか…日本の政治家は長生きなのは何故なのか。
光栄三国志の劉禅の能力は低すぎる気がしますね、もう少し高くてもよかったのではないかと😅孔明の死後30年くらい蜀は存続していたので
確かに武力は最低値でも、他は微増しでも良いでしょうね。
魏の滅亡は、ショックでした。
これって弥生時代くらいの事なんだよな。改めて中国史は凄い。ただこの時代に去っていった英雄たちは現在の中共を見てどう思うのかな?
うん、知ってた
中国人が不思議に思う「なぜ日本人は長い中国の歴史で三國志だけ概要に好きなのか」を特集したほうが海外でネタにされるぞw
じゃんけんが好きだから
吉川英治の功績でしょ
「三国志」は何度も読んだけど、やっぱり「劉備」「曹操」「孫権」の時が一番面白かったなぁ
その晋も後継者問題や粛清、身内同士の争いなどとたいして魏や呉と変わらず似たような理由で滅亡していくのは勝者は実は誰もいなかったのかもしれません(あえて言うならこれらの問題が全く起きなく降伏した蜀が 真の勝者とも言えます)
「破竹之勢」は「竹は、最初の一節さえ割ってしまえば、あとは一気に裂けること」から作られた四字熟語です。
竹ひご作るのを見れば分かります。
😂竹を割るには、末から割る。
検索すると、「「晋書」杜預伝から」とするものが多いようですが、「「北史」周高祖紀」とするものも見られます。
(※前者:コトバンク「破竹の勢い」他など。
後者:情報・知識&オピニオンimidas スピーチに役立つ四字熟語辞典 「破竹の勢い」他など)
「晋書」は、唐の2代皇帝、李世民の命により、房玄齢・李延寿らにより編纂され、完成は648年とされています。
「北史」は「南史」と共に李大師、李延寿親子によって執筆され、完成は645年頃の様です。
(それぞれWikipedia「晋書」、「北史」「李延寿」より)
そして、李延寿が李世民に使えた関係か、659年に正史として公認されます。
「晋書」杜預伝の原文と訳文(※「いつか読みたい晋書訳」より該当部分を引用)は、
※※※(引用開始)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
時衆軍會議、或曰「百年之寇、未可盡剋。今向暑、水潦方降、疾疫將起、宜俟來冬、更爲大舉。」預曰「昔樂毅藉濟西一戰以并強齊。今兵威已振、譬如破竹、數節之後、皆迎刃而解、無復著手處也。」遂指授羣帥、徑造秣陵。所過城邑、莫不束手。議者乃以書謝之。
※※※(和訳部分)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
時に衆軍會して議するに、或るひと曰く「百年の寇、未だ盡くは剋(さだ)むべからず。今、暑に向い、水潦 方に降り、疾疫 將に起こらんとすれば、宜しく來冬を俟(ま)ち、更めて大舉を爲すべし」と。預曰く「昔、樂毅は濟西に藉(よ)りて一戰して以て強齊を并(あわ)せり。今、兵威は已に振るい、譬えば破竹の如く、數節の後、皆な刃を迎えて解けば、復た著手する處無きなり」と。遂に羣帥に指授し、徑(ただ)ちに秣陵に造(いた)らしむ。過ぐる所の城邑、束手せざるは莫し。議者乃ち書を以て之に謝す。
※※※(引用終了)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
次に「北史」周高祖紀の方は(※ひぽ太郎(アメブロ)「南北朝三国志(資治通鑑+正史)」「576年(2) 異議あるも 周武、再び東伐に赴き 急報あるも 淑妃、更めて囲殺を請う」より該当部分を引用)
(※※原文と和訳が同時記載されているサイトを見つけられなかったので、個人ブログにてご容赦願います。意味は大体合ってる筈)
※※※(引用開始)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
然晉州本高歡所起之地,鎮攝要重,今往攻之,彼必來援,吾嚴軍以待,擊之必克。然後乘破竹之勢,鼓行而東,足以窮其窟穴,混同文軌
※※※(和訳部分)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
一方、晋州(平陽)はもと高歓⑵が身を起こした〔賊にとって由緒ある〕地で、拠点としても重要な地である。今この地を攻めれば、賊はきっと助けにやってくる。そこを、充分に態勢を整えた我らが攻撃をかければ、必ず勝てる。しかるのちに破竹の勢いに乗って東進すれば、賊の本拠(鄴)を陥とし、天下を統一することなど造作もないであろう。
※※※(引用終了)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
晋書の方は、正しく「破竹の勢い」の『意味そのもの』である一方、北史の方は「破竹之勢」と『そのまんまの表記』である。
両書がほぼ同時期に制作された事から考えれば、「破竹之勢」にあたる表現が既にあったと考えられ、それは上記のどちらかの事例から取られたものだと考えた場合、より古い晋書が語源であったと考えられます。
超長文で果てしなく回りくどくなりましたが、つまり「破竹の勢い」は、「竹は節を割れば簡単に裂ける」という意味になるでしょう。
従って、31:00 の「竹の節を割って行くような勢い」は、少々語弊があると言えるでしょう。
「「破竹の勢い」の語源となった程の勢い」といった表現にしておけば良かったのではないかと。
あと、余り大袈裟な煽りタイトルは感心しないな、と
三国志の孔明死すまでは結構知ってましたが、晋になるまでも色々と物語があるんですね。
勉強になりました
その原因を作ったのが日本の作家であの有名な吉川英治氏ですね。
諸葛亮の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名な『五丈原の合戦』をクライマックスに持ってきて終わらせてます。
同様に宮本武蔵vs佐々木小次郎の『巌流島の決闘』をクライマックスにして宮本武蔵の小説を終わらせてる御仁ですね(笑)
後世の作家が大半吉川英治氏の脚本に引っ張られて大体同じ流れになってます。
良い所取りで読み物として面白いが、歴史的な検証ではイメージが先行し過ぎで邪魔な事が多い。
@@ahawaha2400要は演義でしょw
めっっっちゃわかりやすいな!
ほとんど三国志知らないのに、思わず全部見てしまった。
姜維は、よくも悪くも骨の髄まで武人だった。
後の晋もお察しの通りになるあたり歴史は繰り返すってことなんだろうな
次は共産党王朝の番ですね
@@毛沢山-m8k晋王朝と清王朝を混同してませんか?
丁寧で良いですね。
久しぶりに三国志やりたくなる動画。
自分の認識が時間的にかなりズレている事を理解出来、
又、晋の建国、呉の滅亡の過程が良く分かりました。
とても面白かったです。
ありがとうございました。
こうしてみると
色々言われる劉禅の治める蜀の内部が
一番平和だったという皮肉
こんにちは!
最高に面白かったです!
とて素敵な講談でした。
「破竹の勢い」の誕生となる場面の表現が神がかりで感動しました。
ありがとうございました❕️❕️❕️
晋含めて両漢由来のさまざまな政治制度が、社会情勢の実情と乖離しづづけていく時期ですよね。永嘉の乱の伏線にもなる異民族の労働力としての使役や戦力化が積極的に進められたのもその一つですし。
司馬懿を主人公にした中国ドラマがなかなかの長編。
面白かったですよ。
当時はやはり短命の人が多いですね。
一度、病気になるとなすすべ無し、というか。
凄いチャンネル見つけてしまった
最高👍️
北伐を牽制程度にしておけば蜀はもう少し長生きできたかな。呉も蜀も実権を握ってた人間が消えた瞬間に一気に崩れたな。
晋の話も聞きたいなぁ…この続きとして順々に話を聞かせてもらえませんか?
続きが気になりますw
司馬氏から国を乗っ取っとられた曹氏ですが、陳留王として晋が滅んだ後も、何気に存続してたり。
一番わかりやすい動画でした。
劉禅とかそもそも劉焉の独立勢力みたいなとこ無理やり乗り込んで、荊州派閥やら魏からの亡命者やらでぐちゃぐちゃになったとこ、どうやって管理すんねんって感じがする。歴史が流れ過ぎて政治利用の脚色されたりもあるから、実は違ってたとか新説が出てくると良いよな。
全く人の世はままならぬ
そこが三国志の最大の魅力だけど
国力増強をせずに油断してると国は滅ぶ。
日本もでしょうか
@@kuroko3090
古今東西例外は無いです。
@@kuroko3090
😭国力であって、軍事力だけではない。手取りを増やすのも国力の1つ。
🤣年金は完全にインフレに負けてしまった。
魏は曹操の時代から北方異民族を登用して国力の増強を図っていました。それは皇帝や側近が巧く調整役になって価値観の異なる異民族の利害を制御出来無いと国家が瓦解する事を意味しました。蜀という強敵が存在するうちは、内包する価値観の相違が問題になっていませんが確実に燻り続けてはいたのです。蜀が滅び短命の皇帝が続くと、魏と云う国家体制の求心力は急速に衰退してしまった。異民族登用は諸刃の刃でしたね。
蜀漢は建国の経緯から、北伐しないと存在意義自体が無くなる。
けど、国力の差が開きすぎて、北伐がうまくいく確率はかなり低かった。
国としてのジレンマがあって諸葛亮も大変だったろうね。二世皇帝は劉禅だし。
太傅は太子ではなく皇帝を教え導く名誉職です。
っとまぁこんな感じの三国志物語ですが 史実では全然違うかったようでして昨今の分析検証などで解って来ています、もちろん歴史ロマンに浸るのは良いことです私もそうですが w
無双シリーズでの劉禅は、昼行燈を演じてるって感じでしたね
しかしまぁ、あそこは本当に内戦と言うか内紛と言うか・・・自分たちで殴り合うのが好きな国なんでしょうかね・・・
蜀に関しては費禕の死が早すぎましたね。
それ以後、姜維等の北伐を止められる者も居なくなり国力の低下を招きました。
諸葛亮が選んだ後継者たちは国を支え維持しましたが、その下の後継者は育てられなかったのも原因でしょうか。
25:46
父親が酒乱爺に廃嫡された上にその後に自害までさせられてるのを見てたら人間不信にもなるわな
あっさり降伏したし最初から憎い呉を滅ぼすつもりでいた気もする
降伏後の司馬炎や賈充とのやりとり見てると決して凡才ではなかったのはよくわかる
素晴らしい👍
三国志好きが最期どうなるのかを知らないなんてありえない
龐統と法正が長生きしていたらどうだっただろう
少なくても龐統が生きてれば荊州を失うことはなかったと思う
龐統に関しては惜しいことに早く亡くなってしまい評価は付けづらいよね。
荊州を失わないってことは荊州の生産量を失わずに済む+関羽周りが生存するってことだし色々変わりすぎるね、拮抗する時代が長く続いたかもね
なぜ龐統が関羽をコントロールできると思うの?
@@rowhow6449 まあ、無理だよね。
派閥と地位の違いがあるし、孔明ですらお世辞を言って手のひらで転がしてたとはいえ、かなり気を使っていたくらいだものね。孔明の北伐だって理由の一つは国をまとめる為の戦争でもあったくらいには内部は複雑だった。
曹爽の漢中侵攻(興勢の役)が漢川を遡ったかのようになっていますが、実際は長安から駱谷道で侵攻ですね。李勝と司馬懿のエピソードも出身の荊州を意味する本州と并州の聞き間違いだけですね。
孔明が死んでから蜀が滅亡するまで30年くらいあるのに、小説も横山光輝さんの漫画もダイジェストなのが・・・
中国史は面白い!!
こんな昔からって考えると本当凄い
全ては馬謖の失態から…
吉川英治の三国志を若い時に読みました。懐かしい思いでが甦えました。諸葛亮は素晴らしい人材でしたね、排水の陣は今でも現代人の中に生きていますね、
三国志のその後を知り、感無量です。
吉川英治氏の小説は読み物としては面白いですが、良い所で終わらせて後は知らないみたいな流れです。
因みに横山光輝氏の『三国志』では蜀滅亡まで描かれてます。
語りが聞きやすいですね。早口にならず、適切に間を取っているからでしょう。他のユーチューバーも参考にしてほしい。もちろん肉声が良いことはいうまでもない。あと少しだけまろやかな声音になれば文句ありません
五胡十六国もお願いします!
ショウエン、兼務が多すぎて激務すぎですよね。
劉禅が降伏する事を決めた時に、息子の劉諶が、劉備、諸葛亮、関羽、張飛達先代が命をかけて作り上げた蜀を、1度も戦わずして降伏するのかって泣きながら反論したシーンは、横山光輝大先生の三国志で読んだ時に泣いたな…。
でも、諸葛亮の北伐よりも夷陵の戦いで敗れた事が、蜀の国力を低下させた一番の要因だろうな…。
寧ろ諸葛亮が亡くなってから30年近く保った事の方がスゴイと思います。
@@大坂智義
確かに凄いですね。多分長く続いたのは、司馬懿と曹家の対立があったりしたのもあるかもしれないですね。
魏も呉も内部崩壊が始まったから微妙なバランスが保たれたのもあるでしょう。
結果的に、蜀を滅亡に追いやった発端をたどると、関羽が諸葛亮の言うことを守らずに呉に討たれたことがすべて。それによって無駄な仇討ちに固執した劉備が夷陵の戦いで敗北、その前に張飛が寝首をかかれ、ここでもう蜀は終わったに等しい。また、日本のカリスマ大名あるあるのように、劉備も跡継ぎをしっかり教育しなかった。阿呆を跡継ぎに亡くなってしまった。
関羽の敗北と夷陵の戦い、これで事実上は蜀が天下を取る道は途絶えましたね。
それどころか滅亡寸前というレベルまで追い込まれたとも言えます。
それを諸葛亮が支えたわけですが、彼が指名した後継者以降に人材が育たなかったのも痛いですね。
特に費禕の早い死で姜維の北伐を止める重石が無くなり、国力の低下を招いたのは痛恨でした。
多分劉禅は蜀の持続を念頭に置いていたのに、絶対漢再興するマンに国力削がれてしまったんだね。
劉禅は黄皓と遊興に耽ってきたと言うのは実は姜維達に内緒で三国の国力を比較、分析した上で孔明亡き後の情勢を図上演習をしていたのでは無いかと思っています。
戦争ばかりしているのに
流れを変える人物はだいたい病死
戦争するより衛生環境整えるとか
他にやることあったはずよね…
まともな薬も無い、領内の設備整備整えても敵に略奪される可能性もあるからね
董卓がスタートダッシュ失敗せず中国統一して、古代ローマくらい安定した地盤つくれてたら三国時代に飛行機やらWi-Fi飛んでただろうよ
耐え難きを耐え、忍び難きを••
劉禅はまだ孫晧よりましだな。
つまり魏では【暗刹将軍:徳川吉宗♪】が大活躍した訳ね😂
晩年の孫権の所業を見て『あぁ、太閤も〜』と一時期は思ってたが、アレは【イイ人振っていた下衆】と気付いた今日、この頃🤔
曹操そんなに悪いなら独り占めするだろう
イヤイヤ、家臣が良かっただけだよ!
魏の皇帝が若くしてこの世を去ったり廃位されたのは、後漢の皇帝が3代目章帝以降禅譲した献帝(享年54)以外40歳以上生きられなかった「呪縛」が移った為では、という話を聞いたことがあります。
晋のその後も踏まえると、結果的にどの国も勝ったわけではなく結果的には北方民族にやられたって印象です。
そして漢民族ではない王朝が気が付いたら漢民族を名乗るようになった。
普の続きが気になる!
キングダムの話があって三国志だもんなぁ。
中国の戦乱の歴史は物凄い。
この動画を見ると、ゲームの蒋琬の能力値はもっと高くても良いと感じました。
一般の民にとっちゃ平和に暮らせるのが一番。無駄な戦はせず降伏した劉禅は名君でしょ。
そうだね だけど劉諶が好きです
読者は劉備達の尽力を見ているから劉禅が腹立たしいけど、庶民からしたら圧政をしかないなら誰でも良いもんな。
???劉禅が降伏しても「戦国時代」は終わらないんだけど???
本当の地獄はこれから
図体が幾ら大きくても、要は人で肝心な要(かなめ)ですね。
C国の衰退も支那の伝統に定めに従った運命を辿るのか?(集金兵)
32:25
これについては、早稲田大の渡邉先生が「悲哀の物語」と論じていらっしゃる。勝者はいないと。そして屯田制を中心に後世でも役立てられた法律や制度が生まれ、劉備と諸葛亮が守ろうとした漢は、現代でも中国のアイデンティティになっているから、決して無駄ではなかった、とも。
劉備の入蜀の大義名分が漢の復興なので、魏を攻めないといけなかったが、後漢の献帝が220年曹丕に皇位を禅定、五丈原の戦いの同年の234年に死亡してしまったので、大義名分もそれほど必要なくなり、劉禅は蜀防衛だけすれば良くなった。五丈原以降は順当に勢力差だけで終わり盛り上がりに欠けるので、五丈原で話を切るのは物語としては正しい。
それを現在では海外まで巻き込んで歴史を繰り返そうとしているから困る。
内輪でやって心底国外まで巻き込まないで欲しい物である。
戦死と老化とか世代交代かな
魏の滅亡史で煮えたぎるような効果音だったので「七歩の詩」を期待しましたが、無かったのが残念です。是非改訂してとりいれましょう。
政治用語の傀儡は「かいらい」
芸能用語の傀儡は「くぐつ」
やっぱ禿髪樹機能だよな
汶山はぶんざんではなく「びんざん」ですね
初見です。最後まで見た感想ですが、面白いの一言です。
今の大半の日本人に三国志の知識やアイデンティティの元になったのは、吉川英治氏の小説『三国志』でしょう。後に様々な作家(北方謙三氏含め)が諸葛亮が最後に活躍した『五丈原の合戦』で魏の司馬懿仲達を翻弄した「死せる孔明、生ける仲達を走らす」をクライマックスにして終わらせてます。
横井光輝氏の『三国志』でその後の蜀がどうなったかを最後まで描いてますね。
因みに吉川英治氏が同じ様に、宮本武蔵を小説の題材にして『巌流島の決闘』をクライマックスに勝った武蔵が悠々と船で去る姿で締めてます。
実際の武蔵は船島(負けた小次郎の『巌流』が付く前)の戦い以降散々な生活だったのは知られて無いですね・・・・
人口の推移が分かるとありがたいですね😊
食人の問題🐶
結局笑ったのは腐らせた元凶と文化
五胡十六国と五代十国・・・混同しますね
政治家の孔明が軍権を握ってからでしょうね。
演技じゃ名軍師みたいになってるが、史実では教本通りにしか動かないので司馬懿、曹真、郝昭に裏かかれまくってる
史実を全然読んでなくて草
普による統一のあと、すぐ八王の乱という内紛を始め、ま〜た国内は混乱していくんですよね〜。
その混乱に乗じて北方異民族達が侵入してきて、長い長い中国の大混乱の時代が続く…。
3国時代はまだこの混乱の序章にすぎなかったという。
その後、隋が統一するまで200年近く混乱が続くという大変な時代だったんですねえ…😢
日本と中国とで 密接で良好な関係を持っていた時代としては、遣唐使でも知られている「唐」ではないかと思っています。
平成から令和への即位・大礼の儀式において、
皇居宮殿内の様子は唐時代の様式を継承しているというTV解説が、思い出されます。
また、
唐より真言密教を日本(平安時代)に伝えた空海も活躍された時代であり、特別な思い入れに事欠きません。
最後に、
魏・呉・蜀の時代、日本ではというと「卑弥呼」の時代になると思うのですが、詳細をうぷ主様に解説頂けると幸いです。😅
鳳雛を失わなければ、関羽を諌め、
荊州を失わずに済み、北伐の難易度も
下がったと思っている。
姉が子供の名前皓にしようとして全力で諌めたな
死せる孔明生ける仲達を走らす。だけではなく魏まで走らせた。
そもそも論で、漢民族は権力握ったらどうなるかは歴史が証明していることだし、漢民族にさせようとしたのが本当の原因なのでは?
諸葛亮の北伐で衰退したのは明白
諸葛亮は政治家では無く 官僚だったと言う事でしょう、机上の空論 では完璧でも現実は相手がある事まして相手は仲達 文武両道の人 易々とはのらない逆に時間を掛けられ作戦の無効化と消耗し何も得ることなく撤退が続くハメになり 諸葛亮自体苦悩し死んで行った印象、兎に角蜀には将軍とかはそこそこ居たけど 政治家の人材は劉備時代から少なかった だからこの時代のエリートは魏か呉に集まっていたのでしょうね..
劉備が連れてきた中原出身者も多く、いつかは中原に返り咲くって目的があっての国でもあるのでは?と。
玄徳が亡くなった後人材が枯渇
したのが蜀滅亡の原因
中国人ですよ
そもそも運の要素が強くて、どの陣営でも統一があり得て
その中の最悪の全て全滅のルートを辿ったに過ぎないかと思う。
あーいいね 良い動画
蜀の失策はやはり夷陵だと思う。孔明は「荊州と蜀で鍛え上げられた精兵を率いて」という構想で打倒魏を掲げ、逆にそうしなければ魏には勝てないと考えていたのではないだろうか?
夷陵の後の蜀は北伐を大義に掲げていたが、実際は「攻めこそ最大の防御」思想であって、魏を攻めることで蜀漢という国の体裁を保っていただけだと思う。
夷陵の戦いは荊州名士層で形成されていた蜀には必要な戦いで関羽の弔い合戦はあくまで士気を上げる名目。実際に諸葛亮も止めてないし関羽が亡くなってからかなり後の話。荊州失陥の時点で命運は尽きてる。それだけにそこから立て直し国是として北伐をした諸葛亮が優秀なのは疑いようがない事ですが。あとその割を食ったのは馬謖ですかね。最近の研究では蜀の当時の戦力では間道を塞ぐ事は不可能であり山に布陣するしかなかったと言われてます。要するに国力の差による敗北を馬謖1人に被せる事で将の損害と士気の低下を防いだ当て馬役を全うしましたね。
あと北伐に関しては、蜀の存在意義という側面もある。漢朝から帝位を簒奪した魏を倒すという大義名分が存在したから。
とはいえ、国力でも人員でも魏には差を付けられている以上どのみち蜀がジリ貧になっていた可能性は高いけど
まあそもそもが、圧倒的に国力が違うからね。魏と蜀は織豊政権と島津家くらいの差があったのでは?
魏呉蜀(約6:3:1)の国力を考慮するすれば当然の結果かと…
姜維の北伐マシーン振りを現代の価値観で評価するのは違うと思うわ
国是を否定する訳になるし…まぁ元々益州に居た人達や蜀漢後に産まれた人間からすれば知らんがな案件になるんやけど
哲学者ヘーゲルが、中国の歴史は同じ歴史の繰り返しである、と
言ってますが、全くその通りですな。つまり、その結果として現在においても
変わっていないということで、中国の歴史については全く興味が持てません。
私は、晋王朝……
すべての国 すべての英雄、すべての民族を消し……
そして、私も消えよう……
永遠に!!
シバエクスデス
しっかり読むと全員大した事ない人達の戦いですよね。
三国志は国がどの辺とか登場人物の関係性分からなくて、訳分からない歴史の一つ
魏、とゆうか官僚制度なんだよ中央は
曹操が魏王になったのも官僚制による出世
漢臣の最高官位であった曹丕が皇帝になってことで慣例をつくってしまった
よって後の最高官位であった司馬炎に大義名分が回ってきた
司馬懿に天下を取ったあとの子孫たちの運命を教えたら、果たして曹家の天下を奪おうと思うだろうか。
漢字が難しいなぁ
晋のその後は、聞いたことないなぁ。
晋も長続きはしなかったよね!そう言う変化の時代だったんだね😅
蜀は関羽の死が早かったのが痛かったな
勉強になりました。
晋は、どのようにして滅亡したのか、興味が、わきました。😂
とてもよく分かる動画でした。😆
姜維って私には、ドラゴンボールのトランクスを彷彿させます。
未来でたった一人で、敵に挑むところが…
その姜維の最期がとても悲しい。🥺
戦国時代でいえば真田幸村かな。
三國志マニアなら史実・演義のラストを知らない人はいないと思いますが…
9割の人=そもそも三國志を知らない人の事ですか?
9割の人は横山光輝三国志しか読んでない説
そーですねー
漫画が一般的なものとしての認知なんでしょー
そんな感じの人たくさん見てきましたよー
それは入り口でそのさきが面白いのにねー
なんか?残念⤵️
司馬昭から司馬炎になって、内紛やらどっかの部族に襲撃されたりして、西晋・東晋に別れた……ってまではしってるが、その後のChinaの皇帝は誰だっけ笑❓️
ん~~〜🤔曖昧だもんな笑笑
綿竹の戦い全員軍師なら話し合いだろうよ
病死が多いな…やはりストレスなのか…
日本の政治家は長生きなのは何故なのか。
光栄三国志の劉禅の能力は低すぎる気がしますね、もう少し高くてもよかったのではないかと😅孔明の死後30年くらい蜀は存続していたので
確かに武力は最低値でも、他は微増しでも良いでしょうね。
魏の滅亡は、ショックでした。
これって弥生時代くらいの事なんだよな。改めて中国史は凄い。ただこの時代に去っていった英雄たちは現在の中共を見てどう思うのかな?
うん、知ってた
中国人が不思議に思う「なぜ日本人は長い中国の歴史で三國志だけ概要に好きなのか」を特集したほうが海外でネタにされるぞw
じゃんけんが好きだから
吉川英治の功績でしょ