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昭和51年(1976年)7月にこの北海に乗りました。稚内から天北線で名古屋へ帰りました。そして乗ったのがこれ。青函連絡船でカーペット敷きの所で寝た記憶があります。「あさひがわ」ですよ。「が」。駅ホームの駅名看板の写真が残っています。
このレチ氏“急行宗谷氏”のアカウントで“急行宗谷”の車内放送してる人と同じ気がする。
旭川の読み方とか案内の癖がほぼ同じですよね
@@cyclone_0921他の人も書いていますが、開業から1987年までは「あさひがわ」でした。1988年になって場所の呼び方に合わせ「あさひかわ」に改称しました。
10両編成で指定席満席とは国鉄時代最高の頃ですね。
私が鉄道が好きになったきっかけとなった列車です。1979年幼稚園の私は一人で登園しており、自宅付近の小樽の函館本線山線の踏切にて初めて見ました。それからは時計をみて時間を決めて家を出ましたね。グリーン車におじさんが座っていたのが印象的でした。「あさひがわ」っていい音源ですね。
貴重な音源ありがとうございます。当時を思い出して、なんだか豊かな気持ちになりました。
1:26 食堂車がある特急が走っていた路線が廃止(長万部-小樽)確定
昭和55年、高校を卒業して仙台に行くときの列車でした。感慨深い放送です。
自宅から見た北海が急勾配をうなりをあげて、余市方面に向けて走る姿が懐かしい。
しかし〝北海〟出たての当初は余市通過または乗客乗せずに閉塞待ち(列車交換/小樽━長万部間は単線区間のため、交換設備の整った停車駅(倶知安駅)と通過駅(塩谷駅/余市駅/仁木駅/銀山駅/小沢駅/ニセコ駅/蘭越駅など)で区間閉塞するため)の臨時停車だったけど、昭和56年(1981年)のダイヤ再?改正??で余市駅からも乗車利用できるようになった。その理由は、登場当初からの『旭川始発』を『札幌始発』に変更したため。
還暦です。二十歳の時に未明の函館から札幌まで乗車したことがあります。途中噴火湾を見ていると、車内のどこからか、カセットテープで寺尾聰「ルビーの指環」が流れてきたのをよく覚えています。オルゴールの「ブラームス」も懐かしい。
青函連絡船の乗り継ぎ案内で「出港」と言わず「出帆」といっていますね。津軽丸の名前が出ているので昭和57年3月3日以前の録音ですね。
更に踏み込めば、旭川発であること、「北海4号」ではないことから昭和56年10月1日ダイヤ改正前の録音といえます(同改正で運転区間を函館-札幌に短縮。また急行「宗谷」函館-札幌格上げで2往復化実施)。
昔は八雲を過ぎてから無線が入り船名が分かりました。この音声の頃には乗務点呼の際に配船が確定しており、予め伝達されていました。青函乗り継ぎ客の人数もノリホで長万部から報告されていました。その前は無線でやり取りしていました。
11Dと12Dで1往復だった時代ですね。のちに函館~札幌間の2往復(1往復は急行宗谷の函館~札幌間を振り替え)になりましたが、私の中では「特急北海」と言えばコレです^^それにしても札幌~倶知安が1時間40分、倶知安~長万部が1時間20分だなんて!かなりの俊足です。青函連絡船のアナウンスが入るところが萌えポイント!UPありがとうございます!!
北海道の「特別急行」らしい懐かしいサウンドありがとうございます。国鉄末期の「北海4号」のスジですね。その頃は旭川ではなく、札幌到着後にそのまま車内点検を行い「おおぞら3号・8号」として札幌-帯広間を往復していましたね。
この数年後に『北海4号』は183系に置き換わることとなっていく…
主な駅の到着時刻滝川 18時14分札幌 19時20分小樽 19時56分函館 23時55分
聞いてるだけで、青森到着からの連絡船がワクワクします😀
砂川も美唄も黒松内も森も八雲もかっ飛ばしていくとか豪気やなあ。
余市も
連絡船乗船名簿・・・なつかしすぎる。
特別急行北海。旭川から小樽経由で函館へ。キハ80系気動車で食堂車を連結。上りは渡島砂原経由。下りは渡島大野を経由しない藤城線経由。上砂川支線を除く上下1往復の函館本線の完全走破。「ふたじゅう」「みょうちょう」「○○丸しゅっぱん」この表現にジンとくる。
やはり、北海道では地名、旭川は「あさひがわ」と読むのでしょうか。「あさひかわ」とは読まないのですね。
赤ん坊も今年50歳かq😮
余りにも懐かしい 食堂車 10両編成 余市 黒松内 八雲 森は 通過なんだ!そして青函連絡船と乗船名簿青森からは はつかり みちのく 白鳥ですね。
特急・北海は昭和56年にキハ183系に、後に昭和61年のダイヤ改正で廃止されました
胆振線、富内線が廃止された時ですね。あの時は小6でした
昭和56年に北海に新車の183が投入されたのは山線最後の快挙だった。10両編成でシーズンは満席になる事もありました。でもこの5年後に廃止されるとは思ってもいませんでした。国鉄末期、急速な利用客の減少が進んでいたのだと思います。
@@青空うれし-n5i札幌中心ダイヤに移行&都市が点在する海線集中化の流れもあるように思います。
あさひがわ頑なに駅名だけがわだったなあ
今もあさひがわって言うんですか?僕は平成産まれなので昔の事はわからないので教えて下さい
長万部からノーストップ?!
同じく深夜便に接続するおおぞらは洞爺からノンストップだったよ
「あさひがわ」これも。
昭和51年(1976年)7月に
この北海に乗りました。稚内から天北線で名古屋へ帰りました。
そして乗ったのがこれ。青函連絡船でカーペット敷きの所で寝た記憶があります。
「あさひがわ」ですよ。「が」。
駅ホームの駅名看板の写真が残っています。
このレチ氏
“急行宗谷氏”のアカウントで
“急行宗谷”の車内放送してる人と同じ気がする。
旭川の読み方とか案内の癖がほぼ同じですよね
@@cyclone_0921
他の人も書いていますが、開業から1987年までは「あさひがわ」でした。
1988年になって場所の呼び方に合わせ「あさひかわ」に改称しました。
10両編成で指定席満席とは国鉄時代最高の頃ですね。
私が鉄道が好きになったきっかけとなった列車です。1979年幼稚園の私は一人で登園しており、自宅付近の小樽の函館本線山線の踏切にて初めて見ました。それからは時計をみて時間を決めて家を出ましたね。グリーン車におじさんが座っていたのが印象的でした。「あさひがわ」っていい音源ですね。
貴重な音源ありがとうございます。当時を思い出して、なんだか豊かな気持ちになりました。
1:26 食堂車がある特急が走っていた路線が廃止(長万部-小樽)確定
昭和55年、高校を卒業して仙台に行くときの列車でした。感慨深い放送です。
自宅から見た北海が急勾配をうなりをあげて、余市方面に向けて走る姿が懐かしい。
しかし〝北海〟出たての当初は余市通過または乗客乗せずに閉塞待ち(列車交換/小樽━長万部間は単線区間のため、交換設備の整った停車駅(倶知安駅)と通過駅(塩谷駅/余市駅/仁木駅/銀山駅/小沢駅/ニセコ駅/蘭越駅など)で区間閉塞するため)の臨時停車だったけど、昭和56年(1981年)のダイヤ再?改正??で余市駅からも乗車利用できるようになった。その理由は、登場当初からの『旭川始発』を『札幌始発』に変更したため。
還暦です。二十歳の時に未明の函館から札幌まで乗車したことがあります。途中噴火湾を見ていると、車内のどこからか、カセットテープで寺尾聰「ルビーの指環」が流れてきたのをよく覚えています。オルゴールの「ブラームス」も懐かしい。
青函連絡船の乗り継ぎ案内で「出港」と言わず「出帆」といっていますね。津軽丸の名前が出ているので昭和57年3月3日以前の録音ですね。
更に踏み込めば、旭川発であること、「北海4号」ではないことから昭和56年10月1日ダイヤ改正前の録音といえます(同改正で運転区間を函館-札幌に短縮。また急行「宗谷」函館-札幌格上げで2往復化実施)。
昔は八雲を過ぎてから無線が入り船名が分かりました。この音声の頃には乗務点呼の際に配船が確定しており、予め伝達されていました。青函乗り継ぎ客の人数もノリホで長万部から報告されていました。その前は無線でやり取りしていました。
11Dと12Dで1往復だった時代ですね。のちに函館~札幌間の2往復(1往復は急行宗谷の函館~札幌間を振り替え)になりましたが、私の中では「特急北海」と言えばコレです^^
それにしても札幌~倶知安が1時間40分、倶知安~長万部が1時間20分だなんて!かなりの俊足です。
青函連絡船のアナウンスが入るところが萌えポイント!
UPありがとうございます!!
北海道の「特別急行」らしい懐かしいサウンドありがとうございます。国鉄末期の「北海4号」のスジですね。その頃は旭川ではなく、札幌到着後にそのまま車内点検を行い「おおぞら3号・8号」として札幌-帯広間を往復していましたね。
この数年後に『北海4号』は183系に置き換わることとなっていく…
主な駅の到着時刻
滝川 18時14分
札幌 19時20分
小樽 19時56分
函館 23時55分
聞いてるだけで、青森到着からの連絡船がワクワクします😀
砂川も美唄も黒松内も森も八雲もかっ飛ばしていくとか豪気やなあ。
余市も
連絡船乗船名簿・・・なつかしすぎる。
特別急行北海。旭川から小樽経由で函館へ。キハ80系気動車で食堂車を連結。上りは渡島砂原経由。下りは渡島大野を経由しない藤城線経由。上砂川支線を除く上下1往復の函館本線の完全走破。「ふたじゅう」「みょうちょう」「○○丸しゅっぱん」この表現にジンとくる。
やはり、北海道では地名、旭川は「あさひがわ」と読むのでしょうか。「あさひかわ」とは読まないのですね。
赤ん坊も今年50歳かq😮
余りにも
懐かしい 食堂車 10両編成 余市 黒松内 八雲 森は 通過なんだ!
そして青函連絡船と乗船名簿
青森からは はつかり みちのく 白鳥ですね。
特急・北海は昭和56年にキハ183系に、後に昭和61年のダイヤ改正で廃止されました
胆振線、富内線が廃止された時ですね。あの時は小6でした
昭和56年に北海に新車の183が投入されたのは山線最後の快挙だった。10両編成でシーズンは満席になる事もありました。でもこの5年後に廃止されるとは思ってもいませんでした。国鉄末期、急速な利用客の減少が進んでいたのだと思います。
@@青空うれし-n5i
札幌中心ダイヤに移行&都市が点在する海線集中化の流れもあるように思います。
あさひがわ頑なに駅名だけがわだったなあ
今もあさひがわって言うんですか?僕は平成産まれなので昔の事はわからないので教えて下さい
長万部からノーストップ?!
同じく深夜便に接続するおおぞらは洞爺からノンストップだったよ
「あさひがわ」これも。