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クセが光る案内😊
釧路~釧網線経由~網走~札幌の急行があったのですね。。。
昔は長距離の急行が結構ありましたね。今では特急も短距離になってしまいました。
釧路ユースに泊まり、そこで知り合ったホステラーたちとこの列車に乗り根室標津へ。尾岱沼ユースでワイワイ楽しんだ思い出があります。昭和50年代でしたね。気動車チャイムがいつも中途半端なのも懐かしいです。貴重な音源ありがとうございます。
列車の思い出もユースの思い出も懐かしいです。釧路まきばユースでは、某私鉄出身の方がスタッフの一員になってお手伝いしていました。
懐かしき昭和のアナウンス…👀時代を感じさせますね✨
素晴らしい放送令和の今全て昭和に戻すべきです
昔を思い出すと「あの頃は良かった」と思いますが、昔を偲びつつ現代の旅もまた楽しいものです。
懐かしい音声をありがとうございます。昭和40年代の元カニ族として、たぶんこの列車にも乗車し尾岱沼に観光に行きました。根室標津から路線バスで尾岱沼へ、そこから西春別にバスで戻り、厚床経由で釧路に戻りました。昭和40年代は標津支線にもSLが走っており、C11で厚床の寂しい駅で乗り換えました。
厚床も原野の中にある小さな分岐駅でしたが、標津線から厚床に着くと大きな町に感じたものでした。日本離れした広大な景色の中を走っていた標津線。多くの旅行者の記憶の中に刻まれていることと思います。思い出の投稿を有難うございます。
人口より牛の数の方が多い別海町。標津線が走っていましたね。中標津から厚床へ。ロケ―ション的には、現在のパイロットロ―ドですか……。酪農の別海町から、今年のセンバツ高校野球に出場した別海高校。道東の誇りです。
「別海」の地名に馴染みがあったので、テレビで高校野球を観ながら応援していました。
@@急行-宗谷 別海高校。残念でした😭でも、道東から甲子園に出た学校はない?と記憶しますが‥‥。私は大阪在住ですが、大の北海道ファン。勿論、北海道の鉄道も含めて。縦横無尽に道内を走っていた国鉄時代から、北海道の鉄道をこよなく愛しています。私は大阪在住でありながら、地元での通勤や所用に於いてはマイカーが主流。ですから大阪圏は勿論、近畿圏は車。鉄道は殆ど利用しません。ですから、鉄道の利用回数は北海道が圧倒的。年に数回訪ねる北海道での足は鉄道です。北海道の現行鉄道路線は全て乗り尽くしていますし、廃線となった路線も殆どは乗り尽くました…かね?中でも標津線が好きでした。中標津から南へ。酪農の別海町を経て厚床へ。左右に広がる牧場を割って入るかのようにキハ20系が走る。ユーレイホ🤩標津線と根室本線が交わる厚床駅。この駅が大好きでね、ユーチューブでの登録名「厚床に会っとこ」に。その根室本線。廃止云々が囁かれていますが、北海道の鉄道をこよなく愛するファンとして、ホントに寂しい
この当時周遊券で旅をして北海道ファンになった方は多くいらっしゃることと思います。わたしもその一人です。縮小されていく路線に、皆、さびしさを感じていることと思います。
@@厚床に会っとこ中標津が1990年の夏に出てます。
個性豊かな車掌さんの車内放送。いいですねぇ。これから旅行が始まるんだなあ~って思います。北の大地を縦横無尽に走っていた頃の北海道の鉄路。乗り換えも沢山ありましたね。旅する鉄道。古き佳き昭和の時代が懐かしい
懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。釧路から網走を経由して札幌へ行く急行列車なんて今では夢のようですね。
中標津から東根室に向かう時、厚床駅での乗り換え待ち合わせで食べたほたて弁当が美味かった。
個性が光る車掌さんの名調子、堪能致しました。根室標津からのバスの時間の案内放送も驚きました。殿様商売、無愛想とJRに比べて何かと悪く言われがちの国鉄ですがこう言った行き届いた案内放送こそツーマン全盛の国鉄ならではです。いつも同じ表現で恐縮ですが古き良き時代を噛み締めております。
毎度代り映えの無い画面構成ですが、放送を堪能して頂き嬉しいです。国鉄バス以外のバスの発車時刻までも案内するのは当時でも珍しかったと思います。
この列車には乗ったような気がします。あのころは本当に木の枝のように併設、分割といろいろありました。なつかしいなあ。駅の写真の挿入もいいですね。
ありがとうございます。懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
最初の急行の車掌さんクセが強いですねwいかにも国鉄ぽくていい味な放送でした。楽しかったです!
当時の国鉄は運転に関しては厳しかったそうですが、優等列車の車内放送に関してはおおらかで、個性を許容していた感じですね。個性がある放送は好みが分かれると思いますが私は好きでした。
釧網線に急行が走ってたとは驚きました🫢急行大雪は何度か乗ったことがありましたが旭川以降は当時(子供の頃)全く興味が無かったので知らなかったです放送を聴いてるだけでもなにか旅をしている気分になり…ほっこりしてました。
釧網本線に急行列車が走っていたことも、すでに遠い昔の思い出になってしまいました。鉄道はすっかり変わってしまいましたが、車窓から眺める山や川など自然の姿は変わらないことと思います。ほんの少しでも旅気分を感じて頂けましたら嬉しいです。
大雪には釧路直通、紋別はぼろ連結、名寄線直通とキャラクターが濃いいまも特急大雪、オホーツク、快速きたみして生きている
いくつかの愛称が「大雪」に統合された経緯はあるようですが、「急行大雪」を名乗っていても、運転系統が違っていたのが時刻表を眺める楽しさでしたね。特急オホーツクの2往復が区間短縮により「大雪」の愛称が復活した時は少し嬉しかったです。
急行しれとこ1号は急行として単独運転をしてなかったということですね。それにしても、急行大雪3号が釧路から網走経由の札幌行、そして最後に根室本線の時刻表に載ってた急行ニセコ2号根室発函館行など、今では考えられない列車がありました。いい時代でした...
長距離急行に短距離急行・・・時刻表を眺めていると乗りたくなってしまう列車がたくさんありましたね。もうこの時代には戻れないので、せめて音声や当時の時刻表で昔を偲んでいただけたらと思います。
釧路から、網走経由の札幌行きが、あったんですね❗
今では国鉄時代の音源を公開していただくことが楽しみとなっています。もうこの路線で鉄道旅を体験することはできないわけで、こうして音で楽しませていただくのはありがたいことです。私自身は学生時代に尾岱沼を訪れたときに標津線を利用しましたが、その時の記憶がかすかながらよみがえりました。車内放送での車掌さんの節回しが前半と後半で違いが顕著で、独自のスタイルを確立していたのでしょう。これも今の自動放送では体験できない旅の楽しみのひとつでした。
学生時代に尾岱沼を訪れたということはひょっとして尾岱沼YH泊でしょうか・・・私も尾岱沼へ行ったことがあります。その時は根室標津で列車からバスの接続が悪く、気候が良い季節の昼間でしたので、徒歩に挑戦しました。さすがに遠く、3分の2ぐらで疲れ始めた頃、通りががった地元の車に声をかけられ、有難く乗せて頂きました。遠い昔の記憶がふと甦るってなんだか不思議なことですね。
@@急行-宗谷 さま 学生時代は北海道周遊券でYH巡りしてました。そのころはトドワラの荒涼とした立木姿も見られました。別海町では子供が軽トラを運転しているのを目撃して驚き、異国の地の感を抱いたものです。当時は鉄道移動が主流だったので土地の方と車内で会話したりYHの同宿者とまた別の宿で再会するなど多くの出会いがありました。
@@nyanpeco462 様。トドワラ見に行きました。別なYHでの再会もありました。懐かしいです。思い出の投稿をありがとうございます。
根室から函館...おおとり号に匹敵する運行距離ですね!
昼間の長距離列車は時刻表で眺めているだけでも楽しかったですね。いつかは全区間を乗ってみたい・・・と思いを馳せていましたが実現しないうちになくなってしまいました。
@@急行-宗谷 今は亡きはまなすなどの寝台列車にも乗って見たかったです...!北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスなどの豪華寝台にも...
キハ22を思い出します。エンジンと扇風機しかない素っ気ない車両だったけれどそれが北国の車両だなと。
本日も貴重な音源をありがとうございました。やはり音はいろんな想像をかきたてますね。根室標津駅は、廃止後まだ駅舎がある91年ごろに車で立ち寄ったことがあります。閉ざされた入口の扉にJR北海道のステッカーが貼ってありました。駅前にある営業所で阿寒バスが2台、「しれとこ」崩れのこの普通列車を待っていたんですね。バスには午前中に標津で用事を済ませた羅臼・尾岱沼方面にお住まいの方が三々五々乗っていたんでしょうか。夏の繁忙期を除けば、列車を待ったところで降りてくる数少ない客の、さらにその一部がポツリポツリと乗りこむぐらいで尾岱沼と羅臼に向けて発車していったんでしょうね…。などと、本日も妄想が膨らむ夜でありました(笑)
廃止後に根室標津駅を訪問されたのですね。そういえば標津線はJRになってからの廃止でしたね。列車が来なくなった終着駅、閉ざされた駅舎、何とも言えない複雑な情景だったことと思います。昭和50年代の初め、根室標津に泊まって朝の釧路行きに乗った時には、駅の待合室も列車も多くの人がいました。「ローカル線なのに混むなぁ…」と思ったものでしたが、そんな賑わいはもう遠い遠い昔のことなのですね・・・
釧路から釧網本線経由で網走を通り、石北本線で札幌行、釧路から網走は道東巡りの観光客向けのダイヤですね。沿線には屈斜路湖、摩周湖、川湯温泉、原生花園とかの観光資源がありますから。
根室標津にはレンタカーで訪れたことがあります。鉄道がなくなって久しかったですが、蒸気機関車と転車台が残されておりました。海岸線からは国後島も見えて、野付半島をはじめ見どころもたくさんあって、楽しむことができました。北海道の鉄道は今後の存続がますます厳しくなり、なくなる路線もこれから先も多くなるでしょうから、早めに鉄道の旅を記憶に残すべく訪問したいと思っています。
同じ気持ちです。廃止が決まってから訪れるより、今のうちに乗っておきたいですね。そして記録よりも、実際に体験して記憶に残しておきたいですね。あぁ…コロナさえなければ……
年度末進行で動画視聴とコメントが遅れました。謹んでお詫び申し上げます。旧標津線経由の急行から普通列車に代わったしれとこ号でしょうか?貴重な音源公開と編集作業ありがとうございます。旧標津線は旅行の機会に恵まれませんまま廃線になりました。中標津の駅名標と根室標津の駅名標や入場券や駅構内などの貴重な姿、羅臼方面への連絡バス案内、単純なローカル駅になってしまった標茶駅厚床駅などが、標津線乗換駅としてそこそこ重要な駅であったとか、今では貴重な記録ですね。他の方々もご指摘のように、急行大雪3号の車掌長さん、ハッキリと「あさひかわ」呼びをされていらっしゃいました。正式名称よりも乗客への解りやすさを最優先に考えた融通性を感じました。
多忙な中、ご視聴とコメントを頂戴して恐縮です。函館本線関連の放送は何本か公開しておりますが、道東方面が少ないのが気になっており、今回は急行しれとこと標津線を取り上げてみました。なかなか満足がいく録音はありませんが、難あり録音でも多くの方々にご視聴いたき、暖かいたコメントに励まされ、公開をさせていただいております。標津線はJRに継承されてからの廃止なので、画像や動画が比較的多く見られますが、他人様が公開した画像を勝手に使用するわけにはいかず、手持ちの素材だけで作成するので、どうしても乏しい画面になってしまいます。それにしても「かわ」「がわ」にこだわる方が多いのですね。私などは全く気にしないのですが・・・
貴重な音源をありがとうございます。このような名調子を聞くと、日本の隅々まであった鉄道のカレチさんたちの仕事に対する誇りが感じられます。翌年78年から国鉄のキャンペーンはISCOVER JAPAN 2 に変わり、テーマ曲「いい日旅立ち」が大ヒットしましたね。
釧網本線に急行が走っていたのも、すでに遠い昔になってしまいましたね。当時は結構乗る人がいたのに・・・
いつも貴重な音源をありがとうございます。一言でいうと、「壮大」これに尽きます。釧網本線に一部区間とはいえ、最大7両編成(グリーン車連結も)が日常走っていたのもすごいですが、札幌へ向かうのもスケールが大き過ぎます。中標津駅や根室標津駅の写真で貨物車が写ってますが、貨物取り扱いがあった頃は駅も賑やかでしたね。根室標津駅の写真で高校時代に立ち寄ったことを思い出しました。
かつてはあちこちの駅で貨物扱いがありましたね。ホームがない線路に数両の「ワム」がポツンと留置してあるのも情緒がありました。根室標津と尾岱沼にはYHがありましたので、周遊券で訪れる学生さんも多かったことと思います。私は会社勤めになってからも訪れています。鉄道好きでなくても標津線にはそれぞれの思い出があることでしょう・・・
@@急行-宗谷 さん仰る通り、根室標津YHに宿泊しました。バスでトドワラを見に行きましたが、駅行きの最終バスに乗り遅れ、リュックを担いで7、8キロ歩き、地元のオートバイに拾ってもらいYHに行った苦い思い出があります。
昔の国鉄の車掌さんのしゃべり方味のある話し方❗今では聞けないけど。昔映画の遥かなる山の呼び声で、高倉健が大雪で網走に護送される時北見駅停車してハナ肇さん、倍賞千恵子さんが乗ってきてクライマックスのシーンがありました❗それ以来キハ系のディーゼルカーが好きでした❗
遥かなる山の呼び声、いい映画でしたね。山田洋次さんは鉄道を使った演出も巧みでしたね。
乗って来るのは遠軽の設定だった気がします。発車直後に弟子屈の駅名標が一瞬映りますがw
またお宝音源のUPありがとうございます😄釧網線を8両で走る急行があったんですね!初めて知りました。貴重な写真と共に編成図までありとても楽しめました。
8両編成がわかる写真があれば「どうだい」という感じで入れることができたのですが、写真がなくて申し訳ありません。せめて音声で釧網本線のかつての賑わいを感じ取って頂けると嬉しいです。この頃は、釧網本線だけではなく標津線も乗る人が多かったです。
毎回、貴重な音源ありがとうございます今あっても楽しい列車ですね1日かけて網走、旭川経由でまったりと乗り鉄、飲み鉄、食い鉄
乗り鉄、飲み鉄、食い鉄、いいですね~。かつてのような長距離列車はなくなってしまいましたが、乗り継いだり、折り返したりしながらでも、1日中列車に揺られ、車窓を眺めながらのんびり過ごしてみたいです。
1977年から1982年頃が釧路市の人口のピークだったようです。約22.5万人。今は。17.5万人と約5万人も減少するとあんなに駅前が寂れてしまうのでしょうか? やっぱり自家用車・バスの影響が大きいのでしょうね。🤔
確かに当時の釧路は賑わっていました。駅の改札には多くの人が並び、今より編成が長い列車なのにそこそこ座席が埋まり、街も鉄道も元気でした。まあ釧路に限ったことではありませんが・・・
おはようございます。今日は、休みでゆっくりと拝聴いたしました。標津線、標茶→標津→中標津→厚床と全駅廻ったのですね。中標津駅は、写真のようだったのですね。ドアの開閉音まで録音されており、乗り換え案内も聞きやすかったです。中標津駅のバスの時刻表がよかってです。しかし、録音以外にも多くの資料をお持ちで驚かされます。いつも、楽しく拝見させて頂きありがとうございます。次回も、楽しみにしております。
おはようございます。丁度お休みの日で良かったです。UA-camを始めた頃は、時刻表と適当な作図画像だけで安直に作っていくつもりでしたが、身辺整理をするうちに、様々な出土品が出るわ、出るわで(←だらしないもので)、つい、あれもこれも画面に入れたくなってしまいました。切符類スタンプ写真など、必ずしも録音と同じ時のものではありませんが、おおまかに「国鉄時代」というくくりでイメージを作成しております。特に高音質でもない古い録音を、多くの方に楽しんで頂ければ何よりです。
@@急行-宗谷様 この夏、ちょうど標津線跡をバイクで巡ってみようかと思っています。ほとんど、何も残っていないでしょうが・・・。根室標津駅跡は公園になっているようですね。60も後半なので、無理をしないでゆっくり回ってこようかと思っています。(天北線も行こうかと思っていますが。どうなるやら・・・)出土品、楽しみです。こちらは、散逸してしまい、何も残っていません。寝台車の硬券などたくさんあったのですが・・・。今、国鉄と言っても、何それ?の時代になってしまいましたから。貴重品です!!!
@@オロロンライン-t9e 様。廃線巡りを計画されているとはすごいですね。インターネットなどで、事前に様々な情報を収集できる時代ですが、現地を訪れることで新しい発見もあることと思います。点在する鉄道の痕跡を眺め、昔日の情景に思いを馳せるのも味わい深いことと思います。実現するといいですね。
当時の釧路の人口は20万人以上とは、今は大幅にへりましたね😮 それでも小樽や室蘭よりマシかもしれませんが。
釧路の街もずいぶん変わりました。旅行者にとっては和商市場はいつも賑わっている印象ですが・・・
釧網本線回り札幌行き大雪と知床の根室標津行きを見ました。こんな前に走っていた列車の車内放送良くあったと思います。今まで色々な列車の放送がありましたからね。根室標津到着時の車内放送で羅臼行きバスの乗り換え案内があったのは利用者がいたからでしょうね、以上です。
当時、国鉄バス以外のバスの発車時刻まで案内するのは珍しかったように記憶しています。大抵は「〇〇方面は駅前からバスが出ております」程度の案内だったと思います。
この前映画「遙かなる山の呼び声」見たけど、上武佐駅ってなくねと思ったら生まれる前に廃止された標津線って路線の駅だったんですね…
標津線をご存じない世代の方にご視聴頂いたうえに、映画の一場面と関連付けて頂けるとは嬉しい限りです。
釧路から札幌まで9時間25分もかかるのか・・・
昼間なら景色を眺めつつ、飲んだり食べたりしていれば時間はあっという間に過ぎてしまいます。・・・と、これは現代の話。当時は4人向かい合わせのボックスシート。ほぼ満席状態で煙草の煙に満ちていたら、長時間はつらかったですね。
@@急行-宗谷 そうですね。当時の客車は座席が堅く、背もたれが動かない固定式でしたので、とても乗り心地が最悪でしたね。でも今となっては懐かしいです。
帯広経由ではなく網走、北見、旭川経由石北線の札幌直通昼行はオホーツク、おおとり、大雪があったが大雪は釧路直通と紋別、はぼろと併結するのがあったその大雪も釧路直通がオホーツクに格上げされ、3本建てがおおとりとの間合いを利用してオホーツクに格上げされた
@@akihironishimura4654 1本の列車なのに、次々と途中で切り離されて別の方向へ行ったり、逆に増設されたり、また優等列車だったのが途中で普通列車になったり、またその逆だったり。昔はこのような複雑な列車がたくさんありましたね。
標津線の支線は1日数往復しかない閑散線区の割に厚床での接続が、極めて悪いですね。
中標津~厚床間は乗りにくい線区でした。それだけに時刻表を検討しつつ、乗った時は達成感のようなものを感じたものでした。
この時代はあさひがわの筈ですが、あさひかわに聞こえるような・・・。
貴重な車内放送もだけど、当時の時刻表を併記してくれるのは嬉しい✨その中で釧路発釧網本線・石北本線経由札幌行き急行はもとより、根室発函館行きニセコには驚いた😲‼️国鉄時代は函館メイン、札幌サブな優等列車の体系だったけど、これは凄い☺️
当時はダイヤ改正のたびに急行が特急に格上げされていく時代でしたが、まだまだ長距離の急行列車もあって、時刻表を眺めているだけで楽しかったですね。
釧網本線に急行が走っていたのですね。しかもこの両数。ちょっと想像がつかないです(キハ54単行しか乗ったことないので)。
釧網本線も観光客や地元の人がたくさん乗っていて元気がありました。この頃は1両のワンマン運転になることなど夢にも思いませんでした。
0:26の時刻表駅名(原生花園)カッコ付き表記の仮乗降場、今の原生花園駅とは違うんですよね?(確か)5:15~チャイムが面白い(笑)
弟子屈、川湯、斜里・・・駅名が変わったり、釧路湿原駅ができたり、廃止になった駅もあり、変化し続けていますね。
釧路の人口20万7000…
早速ネットで調べたところ現在の釧路市の人口は16万1千人でした。
しれとこはキハ22ですねまだキハ40が登場してない時代
そうですね。キハ40が出る前でした。キハ40が出てからはキハ22も次第に首都圏色になってしまいましたね。画面で使用した「しれとこ」の愛称版画像は、キハ56に付けられれていたものです。ご了承願います。
43・10以前は急行はまなすだった大雪ですかね?
フリーザ車掌
おはようございます。お久しぶりです。急行大雪3号長距離で乗りごたえありましたね😱標茶からの標津線と中標津からの支線懐かしく聞かせて貰いました。何時もありがとうございます🙅編集お疲れ様でした体調気をつけてお過ごし下さい(*^^*
おはようございます。いつも早いですね。私が住む地域は桜が満開になりました。無事に冬を乗り越え、春を愛でながら健康に過ごしております。画面の編集は手間ですが、楽しみながらやっています。UA-camを始めたきっかけで、忘れていた切符類やスタンプ、写真などの『発掘』も進みました。編集を楽しみ、公開を楽しんで、そして寄せられたコメントを楽しんでいます。かな様その後、体調はいかがでしょうか。花粉、梅雨、猛暑・・・、考えてみるとラクな季節は少ないですが、気を付けてお過ごしください。
@@急行-宗谷 さん。まだ体調は完璧ではないですけど何とかやってます。何時もご心配頂き感謝してます。ありがとうございます🙇
車掌フリーザー様かいなww
いつも懐かしく拝聴しております。本編と少しズレで申し訳無いのですが、最後に出てくる時刻表を見て、根室行きのノサップ3号が、厚床を通過しているのに驚きました。この頃から利用者がそんなに多くなかったのでしょうか🤔また懐かし音声宜しくです_(_^_)_
厚床通過は夜間でもあり、根室に少しでも早く到着したいという思惑からなのかな……と想像いたします。
@@急行-宗谷 なるほどです。夜間ゆえ釧路から厚床への需要もあまり無かったのでしょうね。因みにこのノサップ3号の車両、翌日は根室から長駆函館行きになるんですよね!
クセが光る案内😊
釧路~釧網線経由~網走~札幌の急行があったのですね。。。
昔は長距離の急行が結構ありましたね。今では特急も短距離になってしまいました。
釧路ユースに泊まり、そこで知り合ったホステラーたちとこの列車に乗り根室標津へ。尾岱沼ユースでワイワイ楽しんだ思い出があります。昭和50年代でしたね。気動車チャイムがいつも中途半端なのも懐かしいです。貴重な音源ありがとうございます。
列車の思い出もユースの思い出も懐かしいです。
釧路まきばユースでは、某私鉄出身の方がスタッフの一員になってお手伝いしていました。
懐かしき昭和のアナウンス…👀
時代を感じさせますね✨
素晴らしい放送
令和の今全て昭和に戻すべきです
昔を思い出すと「あの頃は良かった」と思いますが、昔を偲びつつ現代の旅もまた楽しいものです。
懐かしい音声をありがとうございます。昭和40年代の元カニ族として、たぶんこの列車にも乗車し尾岱沼に観光に行きました。根室標津から路線バスで尾岱沼へ、そこから西春別にバスで戻り、厚床経由で釧路に戻りました。昭和40年代は標津支線にもSLが走っており、C11で厚床の寂しい駅で乗り換えました。
厚床も原野の中にある小さな分岐駅でしたが、標津線から厚床に着くと大きな町に感じたものでした。
日本離れした広大な景色の中を走っていた標津線。多くの旅行者の記憶の中に刻まれていることと思います。
思い出の投稿を有難うございます。
人口より牛の数の方が多い別海町。
標津線が走っていましたね。中標津から厚床へ。
ロケ―ション的には、現在のパイロットロ―ドですか……。
酪農の別海町から、今年のセンバツ高校野球に出場した別海高校。
道東の誇りです。
「別海」の地名に馴染みがあったので、テレビで高校野球を観ながら応援していました。
@@急行-宗谷
別海高校。
残念でした😭
でも、道東から甲子園に出た学校はない?と記憶しますが‥‥。
私は大阪在住ですが、大の北海道ファン。勿論、北海道の鉄道も含めて。
縦横無尽に道内を走っていた国鉄時代から、北海道の鉄道をこよなく愛しています。
私は大阪在住でありながら、地元での通勤や所用に於いてはマイカーが主流。
ですから大阪圏は勿論、近畿圏は車。
鉄道は殆ど利用しません。
ですから、鉄道の利用回数は北海道が圧倒的。
年に数回訪ねる北海道での足は鉄道です。
北海道の現行鉄道路線は全て乗り尽くしていますし、廃線となった路線も殆どは乗り尽くました…かね?
中でも標津線が好きでした。
中標津から南へ。
酪農の別海町を経て厚床へ。
左右に広がる牧場を割って入るかのようにキハ20系が走る。
ユーレイホ🤩
標津線と根室本線が交わる厚床駅。
この駅が大好きでね、ユーチューブでの登録名「厚床に会っとこ」に。
その根室本線。
廃止云々が囁かれていますが、北海道の鉄道をこよなく愛するファンとして、ホントに寂しい
この当時周遊券で旅をして北海道ファンになった方は多くいらっしゃることと思います。わたしもその一人です。縮小されていく路線に、皆、さびしさを感じていることと思います。
@@厚床に会っとこ中標津が1990年の夏に出てます。
個性豊かな車掌さんの車内放送。
いいですねぇ。
これから旅行が始まるんだなあ~って思います。
北の大地を縦横無尽に走っていた頃の北海道の鉄路。
乗り換えも沢山ありましたね。
旅する鉄道。
古き佳き昭和の時代が懐かしい
懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
釧路から網走を経由して札幌へ行く急行列車なんて今では夢のようですね。
中標津から東根室に向かう時、厚床駅での乗り換え待ち合わせで食べたほたて弁当が美味かった。
個性が光る車掌さんの名調子、堪能致しました。
根室標津からのバスの時間の案内放送も驚きました。
殿様商売、無愛想とJRに比べて何かと悪く言われがちの国鉄ですがこう言った行き届いた案内放送こそツーマン全盛の国鉄ならではです。
いつも同じ表現で恐縮ですが古き良き時代を噛み締めております。
毎度代り映えの無い画面構成ですが、放送を堪能して頂き嬉しいです。
国鉄バス以外のバスの発車時刻までも案内するのは当時でも珍しかったと思います。
この列車には乗ったような気がします。あのころは本当に木の枝のように併設、分割といろいろありました。なつかしいなあ。駅の写真の挿入もいいですね。
ありがとうございます。懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
最初の急行の車掌さんクセが強いですねw
いかにも国鉄ぽくていい味な放送でした。楽しかったです!
当時の国鉄は運転に関しては厳しかったそうですが、優等列車の車内放送に関してはおおらかで、個性を許容していた感じですね。個性がある放送は好みが分かれると思いますが私は好きでした。
釧網線に急行が走ってたとは驚きました🫢
急行大雪は何度か乗ったことがありましたが旭川以降は当時(子供の頃)全く興味が無かったので知らなかったです放送を聴いてるだけでもなにか旅をしている気分になり…ほっこりしてました。
釧網本線に急行列車が走っていたことも、すでに遠い昔の思い出になってしまいました。
鉄道はすっかり変わってしまいましたが、車窓から眺める山や川など自然の姿は変わらないことと思います。
ほんの少しでも旅気分を感じて頂けましたら嬉しいです。
大雪には釧路直通、紋別はぼろ連結、名寄線直通とキャラクターが濃い
いまも特急大雪、オホーツク、快速きたみして生きている
いくつかの愛称が「大雪」に統合された経緯はあるようですが、「急行大雪」を名乗っていても、運転系統が違っていたのが時刻表を眺める楽しさでしたね。
特急オホーツクの2往復が区間短縮により「大雪」の愛称が復活した時は少し嬉しかったです。
急行しれとこ1号は急行として単独運転をしてなかったということですね。それにしても、急行大雪3号が釧路から網走経由の札幌行、そして最後に根室本線の時刻表に載ってた急行ニセコ2号根室発函館行など、今では考えられない列車がありました。いい時代でした...
長距離急行に短距離急行・・・時刻表を眺めていると乗りたくなってしまう列車がたくさんありましたね。
もうこの時代には戻れないので、せめて音声や当時の時刻表で昔を偲んでいただけたらと思います。
釧路から、網走経由の札幌行きが、あったんですね❗
今では国鉄時代の音源を公開していただくことが楽しみとなっています。もうこの路線で鉄道旅を体験することはできないわけで、こうして音で楽しませていただくのはありがたいことです。私自身は学生時代に尾岱沼を訪れたときに標津線を利用しましたが、その時の記憶がかすかながらよみがえりました。車内放送での車掌さんの節回しが前半と後半で違いが顕著で、独自のスタイルを確立していたのでしょう。これも今の自動放送では体験できない旅の楽しみのひとつでした。
学生時代に尾岱沼を訪れたということはひょっとして尾岱沼YH泊でしょうか・・・
私も尾岱沼へ行ったことがあります。その時は根室標津で列車からバスの接続が悪く、気候が良い季節の昼間でしたので、徒歩に挑戦しました。さすがに遠く、3分の2ぐらで疲れ始めた頃、通りががった地元の車に声をかけられ、有難く乗せて頂きました。遠い昔の記憶がふと甦るってなんだか不思議なことですね。
@@急行-宗谷 さま 学生時代は北海道周遊券でYH巡りしてました。そのころはトドワラの荒涼とした立木姿も見られました。別海町では子供が軽トラを運転しているのを目撃して驚き、異国の地の感を抱いたものです。当時は鉄道移動が主流だったので土地の方と車内で会話したりYHの同宿者とまた別の宿で再会するなど多くの出会いがありました。
@@nyanpeco462 様。トドワラ見に行きました。別なYHでの再会もありました。懐かしいです。思い出の投稿をありがとうございます。
根室から函館...おおとり号に匹敵する運行距離ですね!
昼間の長距離列車は時刻表で眺めているだけでも楽しかったですね。
いつかは全区間を乗ってみたい・・・と思いを馳せていましたが実現しないうちになくなってしまいました。
@@急行-宗谷 今は亡きはまなすなどの寝台列車にも乗って見たかったです...!
北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスなどの豪華寝台にも...
キハ22を思い出します。エンジンと扇風機しかない素っ気ない車両だったけれどそれが北国の車両だなと。
本日も貴重な音源をありがとうございました。やはり音はいろんな想像をかきたてますね。
根室標津駅は、廃止後まだ駅舎がある91年ごろに車で立ち寄ったことがあります。閉ざされた入口の扉にJR北海道のステッカーが貼ってありました。
駅前にある営業所で阿寒バスが2台、「しれとこ」崩れのこの普通列車を待っていたんですね。
バスには午前中に標津で用事を済ませた羅臼・尾岱沼方面にお住まいの方が三々五々乗っていたんでしょうか。
夏の繁忙期を除けば、列車を待ったところで降りてくる数少ない客の、さらにその一部がポツリポツリと乗りこむぐらいで
尾岱沼と羅臼に向けて発車していったんでしょうね…。
などと、本日も妄想が膨らむ夜でありました(笑)
廃止後に根室標津駅を訪問されたのですね。そういえば標津線はJRになってからの廃止でしたね。列車が来なくなった終着駅、閉ざされた駅舎、何とも言えない複雑な情景だったことと思います。
昭和50年代の初め、根室標津に泊まって朝の釧路行きに乗った時には、駅の待合室も列車も多くの人がいました。「ローカル線なのに混むなぁ…」と思ったものでしたが、そんな賑わいはもう遠い遠い昔のことなのですね・・・
釧路から釧網本線経由で網走を通り、石北本線で札幌行、釧路から網走は道東巡りの観光客向けのダイヤですね。沿線には屈斜路湖、摩周湖、川湯温泉、原生花園とかの観光資源がありますから。
根室標津にはレンタカーで訪れたことがあります。鉄道がなくなって久しかったですが、蒸気機関車と転車台が残されておりました。
海岸線からは国後島も見えて、野付半島をはじめ見どころもたくさんあって、楽しむことができました。
北海道の鉄道は今後の存続がますます厳しくなり、なくなる路線もこれから先も多くなるでしょうから、早めに鉄道の旅を記憶に残すべく訪問したいと思っています。
同じ気持ちです。廃止が決まってから訪れるより、今のうちに乗っておきたいですね。
そして記録よりも、実際に体験して記憶に残しておきたいですね。あぁ…コロナさえなければ……
年度末進行で動画視聴とコメントが遅れました。謹んでお詫び申し上げます。
旧標津線経由の急行から普通列車に代わったしれとこ号でしょうか?貴重な音源公開と編集作業ありがとうございます。旧標津線は旅行の機会に恵まれませんまま廃線になりました。中標津の駅名標と根室標津の駅名標や入場券や駅構内などの貴重な姿、羅臼方面への連絡バス案内、単純なローカル駅になってしまった標茶駅厚床駅などが、標津線乗換駅としてそこそこ重要な駅であったとか、今では貴重な記録ですね。
他の方々もご指摘のように、急行大雪3号の車掌長さん、ハッキリと「あさひかわ」呼びをされていらっしゃいました。正式名称よりも乗客への解りやすさを最優先に考えた融通性を感じました。
多忙な中、ご視聴とコメントを頂戴して恐縮です。
函館本線関連の放送は何本か公開しておりますが、道東方面が少ないのが気になっており、今回は急行しれとこと標津線を取り上げてみました。
なかなか満足がいく録音はありませんが、難あり録音でも多くの方々にご視聴いたき、暖かいたコメントに励まされ、公開をさせていただいております。
標津線はJRに継承されてからの廃止なので、画像や動画が比較的多く見られますが、他人様が公開した画像を勝手に使用するわけにはいかず、手持ちの素材だけで作成するので、どうしても乏しい画面になってしまいます。
それにしても「かわ」「がわ」にこだわる方が多いのですね。私などは全く気にしないのですが・・・
貴重な音源をありがとうございます。
このような名調子を聞くと、日本の隅々まであった鉄道のカレチさんたちの仕事に対する誇りが感じられます。
翌年78年から国鉄のキャンペーンはISCOVER JAPAN 2 に変わり、テーマ曲「いい日旅立ち」が大ヒットしましたね。
釧網本線に急行が走っていたのも、すでに遠い昔になってしまいましたね。当時は結構乗る人がいたのに・・・
いつも貴重な音源をありがとうございます。
一言でいうと、「壮大」これに尽きます。釧網本線に一部区間とはいえ、最大7両編成(グリーン車連結も)が日常走っていたのもすごいですが、札幌へ向かうのもスケールが大き過ぎます。
中標津駅や根室標津駅の写真で貨物車が写ってますが、貨物取り扱いがあった頃は駅も賑やかでしたね。
根室標津駅の写真で高校時代に立ち寄ったことを思い出しました。
かつてはあちこちの駅で貨物扱いがありましたね。ホームがない線路に数両の「ワム」がポツンと留置してあるのも情緒がありました。
根室標津と尾岱沼にはYHがありましたので、周遊券で訪れる学生さんも多かったことと思います。私は会社勤めになってからも訪れています。
鉄道好きでなくても標津線にはそれぞれの思い出があることでしょう・・・
@@急行-宗谷 さん
仰る通り、根室標津YHに宿泊しました。バスでトドワラを見に行きましたが、駅行きの最終バスに乗り遅れ、リュックを担いで7、8キロ歩き、地元のオートバイに拾ってもらいYHに行った苦い思い出があります。
昔の国鉄の車掌さんのしゃべり方味のある話し方❗今では聞けないけど。
昔映画の遥かなる山の呼び声で、高倉健が
大雪で網走に護送される時北見駅停車して
ハナ肇さん、倍賞千恵子さんが乗ってきてクライマックスのシーンがありました❗
それ以来キハ系のディーゼルカーが好きでした❗
遥かなる山の呼び声、いい映画でしたね。山田洋次さんは鉄道を使った演出も巧みでしたね。
乗って来るのは遠軽の設定だった気がします。
発車直後に弟子屈の駅名標が一瞬映りますがw
またお宝音源のUPありがとうございます😄釧網線を8両で走る急行があったんですね!初めて知りました。貴重な写真と共に編成図までありとても楽しめました。
8両編成がわかる写真があれば「どうだい」という感じで入れることができたのですが、写真がなくて申し訳ありません。せめて音声で釧網本線のかつての賑わいを感じ取って頂けると嬉しいです。この頃は、釧網本線だけではなく標津線も乗る人が多かったです。
毎回、貴重な音源
ありがとうございます
今あっても楽しい列車ですね
1日かけて
網走、旭川経由でまったりと乗り鉄、飲み鉄、食い鉄
乗り鉄、飲み鉄、食い鉄、いいですね~。かつてのような長距離列車はなくなってしまいましたが、乗り継いだり、折り返したりしながらでも、1日中列車に揺られ、車窓を眺めながらのんびり過ごしてみたいです。
1977年から1982年頃が釧路市の人口のピークだったようです。約22.5万人。今は。17.5万人と約5万人も減少するとあんなに駅前が寂れてしまうのでしょうか? やっぱり自家用車・バスの影響が大きいのでしょうね。🤔
確かに当時の釧路は賑わっていました。駅の改札には多くの人が並び、今より編成が長い列車なのにそこそこ座席が埋まり、街も鉄道も元気でした。まあ釧路に限ったことではありませんが・・・
おはようございます。今日は、休みでゆっくりと拝聴いたしました。標津線、標茶→標津→中標津→厚床と全駅廻ったのですね。中標津駅は、写真のようだったのですね。ドアの開閉音まで録音されており、乗り換え案内も聞きやすかったです。中標津駅のバスの時刻表がよかってです。しかし、録音以外にも多くの資料をお持ちで驚かされます。いつも、楽しく拝見させて頂きありがとうございます。次回も、楽しみにしております。
おはようございます。丁度お休みの日で良かったです。
UA-camを始めた頃は、時刻表と適当な作図画像だけで安直に作っていくつもりでしたが、身辺整理をするうちに、様々な出土品が出るわ、出るわで(←だらしないもので)、つい、あれもこれも画面に入れたくなってしまいました。
切符類スタンプ写真など、必ずしも録音と同じ時のものではありませんが、おおまかに「国鉄時代」というくくりでイメージを作成しております。
特に高音質でもない古い録音を、多くの方に楽しんで頂ければ何よりです。
@@急行-宗谷様 この夏、ちょうど標津線跡をバイクで巡ってみようかと思っています。ほとんど、何も残っていないでしょうが・・・。根室標津駅跡は公園になっているようですね。60も後半なので、無理をしないでゆっくり回ってこようかと思っています。(天北線も行こうかと思っていますが。どうなるやら・・・)
出土品、楽しみです。こちらは、散逸してしまい、何も残っていません。寝台車の硬券などたくさんあったのですが・・・。今、国鉄と言っても、何それ?の時代になってしまいましたから。貴重品です!!!
@@オロロンライン-t9e 様。廃線巡りを計画されているとはすごいですね。
インターネットなどで、事前に様々な情報を収集できる時代ですが、現地を訪れることで新しい発見もあることと思います。点在する鉄道の痕跡を眺め、昔日の情景に思いを馳せるのも味わい深いことと思います。
実現するといいですね。
当時の釧路の人口は20万人以上とは、今は大幅にへりましたね😮 それでも小樽や室蘭よりマシかもしれませんが。
釧路の街もずいぶん変わりました。旅行者にとっては和商市場はいつも賑わっている印象ですが・・・
釧網本線回り札幌行き大雪と知床の根室標津行きを見ました。こんな前に走っていた列車の車内放送良くあったと思います。今まで色々な列車の放送がありましたからね。根室標津到着時の車内放送で羅臼行きバスの乗り換え案内があったのは利用者がいたからでしょうね、以上です。
当時、国鉄バス以外のバスの発車時刻まで案内するのは珍しかったように記憶しています。
大抵は「〇〇方面は駅前からバスが出ております」程度の案内だったと思います。
この前映画「遙かなる山の呼び声」見たけど、上武佐駅ってなくねと思ったら生まれる前に廃止された標津線って路線の駅だったんですね…
標津線をご存じない世代の方にご視聴頂いたうえに、映画の一場面と関連付けて頂けるとは嬉しい限りです。
釧路から札幌まで9時間25分もかかるのか・・・
昼間なら景色を眺めつつ、飲んだり食べたりしていれば時間はあっという間に過ぎてしまいます。・・・と、これは現代の話。当時は4人向かい合わせのボックスシート。ほぼ満席状態で煙草の煙に満ちていたら、長時間はつらかったですね。
@@急行-宗谷 そうですね。当時の客車は座席が堅く、背もたれが動かない固定式でしたので、とても乗り心地が最悪でしたね。でも今となっては懐かしいです。
帯広経由ではなく網走、北見、旭川経由
石北線の札幌直通昼行はオホーツク、おおとり、大雪があったが
大雪は釧路直通と紋別、はぼろと併結するのがあった
その大雪も釧路直通がオホーツクに格上げされ、3本建てがおおとりとの間合いを利用してオホーツクに格上げされた
@@akihironishimura4654 1本の列車なのに、次々と途中で切り離されて別の方向へ行ったり、逆に増設されたり、また優等列車だったのが途中で普通列車に
なったり、またその逆だったり。昔はこのような複雑な列車がたくさんありましたね。
標津線の支線は1日数往復しかない閑散線区の割に厚床での接続が、極めて悪いですね。
中標津~厚床間は乗りにくい線区でした。それだけに時刻表を検討しつつ、乗った時は達成感のようなものを感じたものでした。
この時代はあさひがわの筈ですが、あさひかわに聞こえるような・・・。
貴重な車内放送もだけど、当時の時刻表を併記してくれるのは嬉しい✨
その中で釧路発釧網本線・石北本線経由札幌行き急行はもとより、根室発函館行きニセコには驚いた😲‼️
国鉄時代は函館メイン、札幌サブな優等列車の体系だったけど、これは凄い☺️
当時はダイヤ改正のたびに急行が特急に格上げされていく時代でしたが、まだまだ長距離の急行列車もあって、時刻表を眺めているだけで楽しかったですね。
釧網本線に急行が走っていたのですね。しかもこの両数。ちょっと想像がつかないです(キハ54単行しか乗ったことないので)。
釧網本線も観光客や地元の人がたくさん乗っていて元気がありました。この頃は1両のワンマン運転になることなど夢にも思いませんでした。
0:26の時刻表駅名(原生花園)カッコ付き表記の仮乗降場、今の原生花園駅とは違うんですよね?(確か)
5:15~チャイムが面白い(笑)
弟子屈、川湯、斜里・・・駅名が変わったり、釧路湿原駅ができたり、廃止になった駅もあり、変化し続けていますね。
釧路の人口20万7000…
早速ネットで調べたところ現在の釧路市の人口は16万1千人でした。
しれとこはキハ22ですね
まだキハ40が登場してない時代
そうですね。キハ40が出る前でした。キハ40が出てからはキハ22も次第に首都圏色になってしまいましたね。
画面で使用した「しれとこ」の愛称版画像は、キハ56に付けられれていたものです。ご了承願います。
43・10以前は急行はまなすだった大雪ですかね?
フリーザ車掌
おはようございます。お久しぶりです。急行大雪3号長距離で乗りごたえありましたね😱標茶からの標津線
と中標津からの支線懐かしく聞かせて貰いました。何時もありがとうございます🙅編集お疲れ様でした
体調気をつけてお過ごし下さい
(*^^*
おはようございます。いつも早いですね。私が住む地域は桜が満開になりました。無事に冬を乗り越え、春を愛でながら健康に過ごしております。
画面の編集は手間ですが、楽しみながらやっています。UA-camを始めたきっかけで、忘れていた切符類やスタンプ、写真などの『発掘』も進みました。
編集を楽しみ、公開を楽しんで、そして寄せられたコメントを楽しんでいます。
かな様その後、体調はいかがでしょうか。花粉、梅雨、猛暑・・・、考えてみるとラクな季節は少ないですが、気を付けてお過ごしください。
@@急行-宗谷 さん。まだ体調は
完璧ではないですけど何とかやってます。何時もご心配頂き感謝してます。ありがとうございます🙇
車掌フリーザー様かいなww
いつも懐かしく拝聴しております。
本編と少しズレで申し訳無いのですが、最後に出てくる時刻表を見て、根室行きのノサップ3号が、厚床を通過しているのに驚きました。この頃から利用者がそんなに多くなかったのでしょうか🤔
また懐かし音声宜しくです_(_^_)_
厚床通過は夜間でもあり、根室に少しでも早く到着したいという思惑からなのかな……と想像いたします。
@@急行-宗谷
なるほどです。夜間ゆえ釧路から厚床への需要もあまり無かったのでしょうね。因みにこのノサップ3号の車両、翌日は根室から長駆函館行きになるんですよね!