東海道本線 大森・六郷川橋梁 '84

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  • Опубліковано 15 кві 2022
  • 大森駅近くの山王道人道跨線橋及び六郷川橋梁で撮影した東海道本線と京急六郷川橋梁の動画です。
  • Авто та транспорт

КОМЕНТАРІ • 10

  • @user-km5gf8nd9r
    @user-km5gf8nd9r 2 роки тому +10

    高価な機材やテープを使い
    当時にはなんて事ない一コマを
    残されたことに感服いたします

  • @gogonokoutya2007
    @gogonokoutya2007 2 роки тому +6

    冒頭の京浜東北線、中間4両は非冷房なんですね。昔の人は夏場よく耐えてたなあ。

    • @user-ov6dk3ks1h
      @user-ov6dk3ks1h 2 роки тому +2

      昔は、今程暑くはなかったです。実際は、両端3両に、集中して、非冷房を利用する人は、冷房が苦手な方か、サウナ感覚で乗車する方、空いているから乗車する方が主な理由です。

  • @user-dn2fs4zg3e
    @user-dn2fs4zg3e 2 роки тому +2

    このころ夢中で鉄道写真撮ってました。なつかしいなあ

  • @indepenentsus
    @indepenentsus 11 місяців тому

    私は1985年から1988年まで蒲田にある高校に通っていたのですが、特に1985年はこんな感じの
    東海道線沿線の風景ですごく懐かしいですね。
    消滅間近のEF58は団体臨時列車で首の皮一枚、仕業が残っていて、たまにその姿を見ることが出来ました。
    京浜東北線の103系も非冷房車が多く残っており、オール冷房車はそんなに多くありませんでした。
    他の方のコメントにもあるように、クモハ103とクハ103 500の中間封じ込め編成も蒲田と下十条を
    中心に残存数が多かったのを覚えていますが、京葉線や常磐線快速などでクモハ103の需要があってどんどん転配されていきました。
    113系は変わり映えないように見えますが、0’番代、1000番代初期車との混結が多数派でした。
    2000番代は一時期は「オール2000番代」という編成もありましたが、1985年になるとクハだけ
    0’番代に差し替えられてしまい、さらにサハ111も1000番代が組み込まれてしまい、スッキリした編成は
    崩れてしまいました。
    この113系の中に、静岡運転所のグリーン車無しの編成が来京するスジがあり、111系の電動車ユニットも
    やって来ました。クハだかモハのユニットだかは忘れたけど、111系の1番も見たことがあります。

  • @user-ws8iz9wu5u
    @user-ws8iz9wu5u 2 роки тому +7

    本当に公共交通機関は全て民間企業に任せて良いのかと感じています。

  • @k-dra2793
    @k-dra2793 2 роки тому +3

    103系の編成が冷房車と非冷房車のミックス編成ですね。
    浅草線の5000形や京急2代目600形もあるし

  • @mako9574
    @mako9574 Рік тому

    この頃は汐留発の荷物は品鶴線、東海道貨物経由じゃなくて本線走行だったんだね。

  • @user-jz8lp4kc9r
    @user-jz8lp4kc9r 2 роки тому

    京浜東北線はATC化後、まだ中間に低運転台先頭車を組み込んでいた当時の編成ですね。完全冷房編成は、他線の冷房化率との兼ね合いもあり、少なかったです。この頃の東海道ローカルはまだ、静岡・島田・浜松行きのロングランがあったと思います。

  • @user_Fukaya-green-onion
    @user_Fukaya-green-onion 2 роки тому +2

    国鉄を民営化するか否かの議論が進められ、それでも赤字を垂れ流しながらも一生懸命走り続けていた時代の一コマですね。
    このような当時の日常風景を現代人に伝えて下さるのはとてもありがたいです。