【地形と歴史で辿る鉄道路線】~開業時の中央線各駅の地形と歴史~

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  • Опубліковано 31 тра 2024
  • 今回は【地形と歴史で辿る鉄道路線】ということで、
    東京の中央線を取り上げます。
    その中でも、開業時に開設された、
    新宿駅、中野駅、境駅、国分寺駅、立川駅をみていきます。
    【関連動画】
    ・中央線の誕生~甲武鉄道会社の歴史~
    • 【中央線の誕生】 ~甲武鉄道誕生の歴史~
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    ※衛星写真はGoogle Mapを加工して、使用しています。
     標高図は国土地理院(地図タイル)を加工して、使用しています。
     地図はOpenStreetMapを加工して、使用しています。
    ※地形図等を重ねて、目視やなぞりながら地図を作成しています。
     そのため河川や場所の位置等にズレがあるかもしれません。ご了承ください。
    ※個人制作となりますので読み間違い、誤字脱字等ありますこと、ご了承ください。
    ※参考にさせていただいた資料
    ◎書籍
    ・中村健治 『中央線誕生 甲武鉄道の開業に賭けた挑戦者たち』 本の風景社
    ・内田宗治 『地形と歴史で読み解く 鉄道と街道の深い関係』 実業之日本社
    ◎Web
    ・中央線の歴史について
    旅と鉄道とそらまめHP
    【中央線の歴史】長い直線が特徴的な人気路線。休日ダイヤにグリーン車、これからの中央線。 | 旅と鉄道とそらまめ (lifework-sora.com)

КОМЕНТАРІ • 19

  • @user-ro5ys2mf3c
    @user-ro5ys2mf3c Місяць тому +8

    地勢や地質から人の営みを掘り下げていくのは非常に面白いね。当初そこまで考えていたとは思えないが中央線と甲州街道をいい距離感をもって離したのは現代の利用者数を思うと大正解だね。

  • @user-mr3vl9fz2b
    @user-mr3vl9fz2b Місяць тому +4

    中央線の直線区間は地形的に見てもかなり合理的なルートだったんですね。この区間についてはいくつかの噂がささやかれていますが、地形という観点から掘り下げるのは面白いと感じました。

  • @user-qi7co2tw7e
    @user-qi7co2tw7e Місяць тому +2

    こんだけ真っ直ぐであんまりスピード出せないのも珍しいよな、それだけ人が多く住んでるという事だけど

    • @user-re9uj8ug5r
      @user-re9uj8ug5r Місяць тому

      速くて便利な中央特快をご利用ください

  • @user-om3sq5qp5l
    @user-om3sq5qp5l Місяць тому +2

    水夫が水路に小便やら大便やら....想像に難くない。

  • @hideji1263
    @hideji1263 Місяць тому +1

    「三鷹市の地形と歴史」も面白いが、今回の路線の開業から最初の駅の設置までは興味深く面白い。高崎線、東海道線もやってほしい

  • @user-ye7sd9pd6n
    @user-ye7sd9pd6n Місяць тому

    国立住まいなんでとても興味深かったです。

  • @user-xc8zx9fo8e
    @user-xc8zx9fo8e Місяць тому +1

    中央線の直線がなぜできたのかは、なかなか明確な答えが解らなかったけれど、この動画のように考えれば確かに納得がいく。事業者は最も有利に線路を敷設したいはずだから、このルートが最も効果的で、安上がりだったと考えられる。
    曲線よりもまっすぐ線路を引いた方が安く済む。既に江戸時代から市街地になっていた甲州街道沿いの土地収用は高くつくし、反対も多い。地形の高低差もこのルートが最も緩慢だとすると、絶妙なところに線路を敷いたことになる。
    ちなみに、ちょっと話はそれるが、「12:30の左側の地図の多摩川橋梁の北詰付近から線路が西の方に分岐している」のがわかるだろう。これは、中央線の支線としては、あまり知られていない「中央本線多摩川支線」で、貨物線であった当該支線は、 立川駅 ⇔ 多摩川信号場 (この地図の本線との分岐地点)⇔多摩川原駅間 の約4km弱の路線であった。
    現在の都道59号線、多摩大橋の東手前付近まで線路が伸びており、ここから、川砂利を採取して搬出していた。多摩川左岸(北側)の河川敷に線路が敷設されていたが、現在は土手などとして線路跡が残っている。
    多摩川信号場 の跡も資材置場のような形で今も残っている。この多摩川支線は、終戦後少しして使われなくなったようだ。

  • @chaco-papeco
    @chaco-papeco Місяць тому

    ルート選定について、鉄道忌避伝説は学術的に否定されていると前置きし、地形の解説に入るところがとてもわかりやすい。また、直線ルート採用に関する資料は見つからないとのことだが、境、国分寺、立川の駅誘致合戦があったことからしても、この時期に鉄道忌避があったとは、考えにくい。

  • @mnagashima9604
    @mnagashima9604 Місяць тому +1

    西国分寺も地下とまではいかない程度に削ってるから国立との接続にそれほど無理はなかったよな

  • @Ruri_Novel
    @Ruri_Novel Місяць тому +1

    新宿から立川40分※遅延しなければ

    • @sus9688
      @sus9688 Місяць тому +2

      新宿からは25分やな※中央特快

  • @user-rr4ty7pl6l
    @user-rr4ty7pl6l Місяць тому +1

    武蔵境は十分栄えてる気が、、

  • @t.o.9176
    @t.o.9176 Місяць тому

    16:45 中央線の北の通りは早稲田通りでしょうか

  • @lolipuni1
    @lolipuni1 Місяць тому +1

    ロングストレート(25km

  • @Zundam123
    @Zundam123 Місяць тому +3

    中山道の高崎線や東海道の東海道線と比べたらド田舎の鉄道だったんですね。

    • @sus9688
      @sus9688 Місяць тому +1

      なお今は高崎線、東海道線を越すほどの都会路線になって行ったな

    • @Zundam123
      @Zundam123 Місяць тому

      @@sus9688
      大宮、熊谷、高崎とか
      横浜、小田原、静岡のほうが未だに栄えていると思いますが。

    • @sus9688
      @sus9688 Місяць тому

      @@Zundam123 そこまで遠くの話だと変わってくるが、都内近郊jrだと中央線は山手線に次ぐブランド力があるからド田舎だった頃から現在までの発展は流石首都東京中央線としか言いようがない