フレディ・スペンサー:伝説のレーサー達
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- Опубліковано 30 лис 2024
- 伝説のレーサー達。今回は「フレディ・スペンサー」。
フレデリック・"フレディ"・バーデッド・スペンサー(Frederick "Freddie" Burdette Spencer, 1961年12月20日 - )さんは、アメリカ合衆国ルイジアナ州出身の元モーターサイクル・レーシングライダー。1983年にはロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスで、史上最年少チャンピオン、1985年には同じくWGPの500cc、250cc両クラスでシリーズチャンピオンを獲得した。
-Wikipediaより-
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■片山敬済さんの書籍『1980 WGP』ノンフィクション小説
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'79年にHONDAと契約、だが "NR500" は出来上がらず悩みぬいたKATAYAMA。SUZUKIのRG500を購入して、再びプライベートチーム体制でWGPに参戦。当時のGPレース裏舞台の一部始終と揺れ動くライダー心理を描く。片山敬済渾身の処女作。
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■『RIDE? ~Hop on the Motorcycle~』って?
オートバイレースの元世界チャンピオン:片山敬済さんと一緒に配信する「バイクチャンネル」。
テーマは、安全に、楽しく、かっこよくバイクライフをおくるためのノウハウやテクニック、考え方や心構えなど。
いっこうにライディングスキルが上達しない、フツー・・・?のライダーの山ちゃんが、誰よりも速く世界中のサーキットを駆け抜けた世界のカタヤマに、バイクの基本的なライディングテクニックやマナー、そして、バイクライフをより豊かに楽しむ為のヒントやヒケツを聞いていきたいと思います。
初心者や中級ライダーは勿論、ベテランライダーの皆さんにとっても、役立つ情報を配信していきたいと思います。
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■片山敬済アイテムが買えるFacebookページ「Racing Brand "SEKITOBA"」
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■片山敬済さんが代表を務める民間レベルの緊急災害対策チーム「BERT」のオフィシャルサイト
bert-japan.org/
■山ちゃんインスタグラム(yamabata_hideaki)
/ yamabata_hideaki
■山ちゃんが動画制作した作品集:UA-camチャンネル
/ hideakiyamabata
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#フレディ・スペンサー #伝説のレーサー #片山敬済 #バイク #オートバイ #テクニック #バイク動画 #バイクチャンネル #ライディングテクニック #世界チャンピオン
憧れの片山さんから当時のお話がお聞き出来て本当に嬉しいです⭐️
83年のワールドグランプリ500クラスは、異常とも言える位のレベルの高さを感じておりました。 その中でもケニーとフレディの争いに、片山氏が加わっている構図は今でも胸を熱くさせて頂いております。本当に素晴らしいお話ありがとうございます😊
高校生の頃にタイムスリップしてました
片山さんをはじめ、フレディ、ケニー、
ランディ、マルコ、当時GP500の
ライダーは永遠に私のヒーローです
スペンサーで時代が変わった。83年は衝撃的な時代だった。ハングオンを持ち込んだケニーロバーツ、スライドを持ち込んだフレディースペンサーの新旧の争いは凄まじいレースの連続で歴史に刻まれた年。脊椎パッドの話は映像で見ました。ランディがパンツ一丁で出てたのが微笑ましかった。このコーナーいつか阿部孝夫さんや木山賢吾さんの話お願いします。
全盛期のフレディ・スペンサーを一番身近で見ていた片山さんのお話はとても興味深かったです。貴重なお話ありがとうございます。
今週も素敵なお話を有り難うございます
現役時代の世界のトップレーサーたちの中でのお話を聞いてると、心も体も熱くなります。世界のトップの領域に話だけでも触れられる片山さんのお話は、貴重なモータースポーツ史の生々しい記録だからだろう。
この番組はホント面白いですね❗私が世界GPを見るようになってから、一番衝撃を受けたのが、スペンサーでした!
とにかく、同年で2クラスエントリーするだけでも凄いのに、チャンピオンになるなんて、他では見たことが無かったです❗
片山さんの話方、とても楽しく聞いてます。
スペンサー懐かしいな~
憧れのヒト、お元気で何よりです。この瞬間、いい時間過ごせました。ありがとうございます!
歴代最高のライダーはロッシでも無くシュワンツでもマルケスでも無いフレディーだと俺は思う!
異論なし!
激しく同意。うなずき定期。
そうだね。強く同意。
個人的にな同率でキングケニーやね。
F1のA-セナに匹敵する天才ライダーはF-スペンサーですね。
活躍期間は短くても煌めく走りは永遠です。
250&500のWタイトルは彼だけです。
2輪ドリフト、彼の走りで初めて見ました。
『フレディ・スペンサー』・・・この人を超える ”スーパースター″ は未だいない。
ケニーとのコークスクリューのバトル映像を今のバイカーに是非見て欲しい。
お互いに切磋琢磨して戦い抜いた戦友の話し、素晴らしいく聴き入ってしまいました。当時夢中で見ておりました。
その時に、GPで争っていた、伝説の片山氏、すごいですね!改めて、感動です!
フレディが脊髄パッドを勧めてたのは凄く印象的でしたね。
片山さん…俺のヒーロー👍✨中学生の時、部屋にデカいポスター貼ってたなぁ~。
片山さん、お元気そうで何よりです。
スペンサー時代の到来、正に熱狂してた頃で懐かしいです。
唯一、日本人ライダーで参戦の片山さんも凄かったです。
最近のツーショット画像も載せられてますが、お二人ともこれからもお元気でお過ごし下さい。
バンクセンサーの使い方。「使い方、色々」…凄すぎますわ😂
敬済先生(と呼ばせていただきます!)の語り口は、とてもウィットに富んでて、数知れないぶ厚い経験の裏打ちのある知見を最小限のそれでも最大限の的確な言葉でおしゃべりしていただいていて、とても聞きやすく理解しやすいです。やはり、一時代を築いた者としての大人の余裕とか深みが感じられて、とてもかっこいいです。
これからも、敬済先生のお話に期待します!頼むよ、山ちゃん!
フレディはコンタクト使用者でしたので、レース中に飛ばないよう雨でも晴れでもいつもヘルメットにテープを貼ってすき間風を防いでましたね。
尊敬し憧れだった片山さんのチャンネルで、同じく憧れだったフレディーの話を聞けるなんて感慨深いです。
自分は当日スチール缶踏みつぶして重ねてガムテープグルグル巻きでした。
高校生の頃に片山さんが大森の病院に入院してると噂を聞き、逢いたくて行った覚えがあります。
逢えませんでしたが、、、
まあ本当におられたのかも定かではないですが!!
片山さんの映画のパンフレット今も大事に持っております。
あ~、あの頃のドキドキ感は何十年経っても甦りますね~
正しく甦るヒーロー!!
これからも楽しく、あのドキドキを思い出させてくれるお話し宜しくお願い致します。
貴重なお話し有難う御座います!
ドクター ペッパー好きです♪
初めてフレディを見たときに、
完全にオフロードの乗り方だと思った。
マシンを上から押さえつけてるという感じ。
片山さんは、何度もフレディと走っていただけに、大変興味深い動画でした。
80年代中頃までは峠を走るライダーも皆膝にガムテ貼ってましたね。 たまには空き缶も!笑
うわーー感動。
片山敬済さんのこんなトークが聴けるなんて、、、。
コメント書いてるの皆んなおっさんだよな。
レジェンドの片山さんがお元気で、フレディーを語っているのが嬉しいです。
二輪免許取りたての3○年ほど前、
当時は良くも悪くも? 街や峠でノンビリは知っている奴は、ちょいとダサいという空気感があり、免許取りたての頃は、早く上手くなりたいと必死だったことを思い出す。
そんな中、書店で見つけた片山さんの『片山敬済俺だけの2輪テクニック』、何百回読んだろうか。ギアの入れ方一つにも哲学がありました。今、目次を見ても、素晴らしい構成だと思います。懐かしいです。
片山さんとFreddieは僕の永遠のHEROです
片山敬済さん、ケガで療養されていた時、NHKの「YOU」という番組の青春プレイバックというコーナーで、自動車の助手席で六甲ドライブウェイをプレイバックされていたのが記憶に残っています。当時、「2人鷹」というバイクレースのアニメのオープニングソングのバックに、スペンサーさんが走っている画像が流れていましたね。懐かしいです。
キングケニーとファストフレディが凄すぎて彼らが去ったその後のレースシーンが頭に入ってこなかったよ
83年のNSのカラーが1番好きだなぁ‼️ NS250R乗ってましたけど、自分でこのカラーリングに塗り替えて乗ってました✨
4.19からのスペンサーを従えて走る片山さんの画像がかっこよすぎます。!(^^)!
片山さん、あの映画、映画館で観ました。マモラと特にフレディのシーンが印象に残っています。
スペンサーの走りの裏側(走り方)片山さんの話でよく理解出来ました。それに片山さんの凄さも再認識する事もできました。話し引きここまれました片山さん、山ちゃんありがとうございます。
最新型のダイネーゼ脊椎パッドをプレゼント!?
いい話ですね!
ここで鼻の屋がツンとしました!
ヤマハに移籍してからはトホホだったけど腕あがりの故障までは本当に天才と言えるライダーでしたね。
才能という点ではマルク・マルケスよりも上だと私は思います。(でも私はローソンが好き)
懐かしい〜あの時間を思い出すな〜
フレディは太く短いGP人生だと思う!
バイク乗り始めた時片山さんの映画とか本など見ながら学んだ。
甦るヒーローはレーザーディスクで持っています、パンツ一丁のランディの映像を片山さんが撮影していたのが印象に残ってます、片山さんだからこそ撮れた映像ですね。
確かフレディーはまわしすぎるので、スペシャルマシンになったとか。
全盛期のフレディーの、真後ろを走っていた唯一の日本人が、タカズミさん。
当時、自分もレースやっていて、フレディーのビデオを何回も何回も見た。コーナーの途中からいつでも全開にしようとしているのが信じられなかった。真似して何度も、吹っ飛んだのが今ではいい思い出や。
つ 0:20 たわ❤、^_^
^_^うと❤❤❤❤
^_^。まみ
^^'47^ 0:20 0:20 ーお😅😂😅❤😊
スペンサーはおじさんの憧れでした、ジグゾーパズルもあるし、今はスペンサーレプリカヘルメットです。
ダブルチャンピオン記念NS250R rothmans限定カラー乗ってました。
30年振りに乗ろうかなぁ~っと、購入するバイクを探している時にこのチャンネルを知りました。
過去のテクニック動画も参考にさせて頂きながら、安全に、楽しく、長くバイクを楽しみたいと思います。
これかも動画楽しみにしております。
片山さんの話し方って昔から(350チャンピオンを獲得した頃の番組を視ました!)好きだなぁ。
蘇るヒーローのワンシーンで脊椎パッドのお話ありましたね。「ケブラーという繊維だ。」とフレディーのセリフを字幕で見て「ケブラーすげー!」と感動した中学生でした
フレディー、ケニー、ランディー、エディー、錚々たる英雄と共に闘った、
同じく英雄の片山さんのお話、
当時のわくわく感が甦りました!
はじめまして。片山さん 凄い 格好いい方ですね❗私は、1960年代以降殆ど 4輪レース観戦主体のカーキチでしたが、その頃の日本の超一流レーサー達は、殆どが、二輪からの転向者達でしたから 片山さん ホンダF1 乗って欲しかったです。勝手言って 申し訳ありません。楽しい勉強になりました。ありがとうございます。ハレルヤ
当時の日本じゃカートはまだマイナーだったから「ドライダー」という選択肢しかなかったのでしょうね。
片山さん今でもカッコ良いですね!若い頃憧れていました!皮ジャンがカッコ良い!私は今はオートバイから自転車になっていますが!フレディスペンサーは250ccと500ccのチャンピオン凄い選手でしたが、いつの間にか名前を聞かなくなりましたね?ケニーロバーツをバイクから降ろしたのは彼だったと思います。凄い!
当時のバイクTVCM
〔アライ、Castro、
ロスマンズ、南海・・〕のほとんどにフレディが
出ていた記憶があります。
青春時代を思い出しました。嘘つきフレディも
偉大な人が故に出たフレーズでしょうね。
今回は特に面白かったです。
伝説のライダー達シリーズが好きで、楽しく拝見させて頂いてます。
私はランディ・マモラが大好きだったので、昔の色々な裏話的なものを聞いてみたいです。
是非宜しくお願いします!
敬済さんカッコイ👍✨
誕生日が一日違い(時差はあるが)の同い年の現役バイク乗りです。
これからどんなライダーが出てこようとも、彼は、私の永遠のヒーローです。
ダイネーゼのデビルマークを見せつけながら、美しいハングオフでコーナーを 立ち上がって行く姿は、最早、芸術です。鳥肌モンです。
片山さんが鈴鹿で解説してて、「嘘つきフレディ」と言って怒ってた事を未だに覚えてる。
その時の動画見ました。今回、片山さんすっとボケてますね。
当時、テレビで見てました。
根本健さんとダブル解説で
片山さんが憤慨してました。
アナウンサーが、「スペンサー許さないぞと言う所ですね。」と言ってました。
レースは、ガードナー選手と
平選手の一騎打ちでした。
今でも良く覚えてます。
フレディレプリカヘルメットは三年ほど前までアライのラインナップに入っていたし、今でも南海部品オリジナルで販売されてます。オッサンになったせいか今みたいに派手なグラフィックは今一つ好きになれずあの頃のシンプルなデザインのヘルメットがもっと増えてくれないかななんて思ってます。今愛用しているのがトリコロールカラーのフレディレプリカ一番欲しいのは片山レプリカです(できればロスマンズカラー)。
テレビでうそつきフレディ言うてたの観てました🤣
嘘つきフレディはよく記事で見ました。いま思えば若すぎて、メディアや大人に対応できないで、精神的に病んでいたと思います。腕上がりも今になっては、当たり前ですが当時は認識されてなかったですからね😢
@@ブルーフラッグ-x3r
腕上がり=仮に診断書があっても感情的になってたら「偽造だろ!!」になってたでしょうしね。
フレディーとKCはホンモノ🤩天才ですわ😎
この時代にこの写真。カメラマンも職人だな~
敬済さんが「嘘つきフレデイ」と言ってたのは86鈴鹿耐久レースの出場を約束しながら、直前に出走を取り消したことに怒っての発言でした。貴重な映像ありがとうございます。
そのビデオ今でも家にあります💦
ランディ・マモラがパンツいっちょで片山さんをインタビューしてましたねw
フレディーは1度だけ出た、鈴鹿の8耐に出たときに、西コースヘアピンだったか転倒リタイヤして、歩いて帰る所をすれ違ったのを覚えています。若かったね。
その後職場が朝霞研究所になりましたが、片山さんにはお会い出来なかったのは本当に残念でした。
私と同じ歳のワインガードナーには、ホンダの新年会でサイン貰いました。
スペインの決勝で予選タイヤで走ってたとかのお話も思い出しましたよ‼️
映画の中でケブラーのプロテクターについて語ってましたね。傍らにロン・ハスラム選手がいて「何で出来てるって?」と非常に興味津々な表情をされているのが印象的でした。懐かしいです(o^^o)
片山さんが言っていた80年代のダイネーゼの亀の甲羅みたいな赤い脊椎バッド持っています。
2000年代に買ったダイネーセのは進化していて、ハニカムアルミ構造で、衝撃を吸収する構造になっています。
山ちゃんの弁護では無いですが、片山先生がフレディに批判的なコメントは当時確かに聞いてました(笑)
今は昔、懐かしい思い出です!
86年の日本グランプリを腱鞘炎(?)で欠場したフレディに対して、TV放映中に「嘘つきフレディ」「ケニーやバリーが築き上げてきたワールドチャンピオンの格を下げた」とこき下ろしてた片山さん、あの怒りは本物だったけどな〜😂🤣
3:04 この年のベルギーGPはゾルダーで開催。1周約14kmの旧コースは一部が公道閉鎖で、500ccクラスの平均スピードが200km/hを超える超高速サーキット。前年の1979年にはコースの安全性の問題に端を発してFIMのレース運営に対する不満からトップライダーたちがベルギーGPをボイコットするという事態にまで発展したため、当時4輪のF1GPが開催されていたゾルダーで行われた。
懐かしいなぁ~
2スト350、3気筒。
片山さん
勇気をありがとうございます‼️
いつも楽しく見させていただいています!
バイクを楽しむ全ての人に見てほしいと思う一方、自分だけの楽しみにしておきたいような複雑な気持ちです。
片山さんの「怖いと思う領域で走ってはいけない」という言葉に命を助けて貰ったと感じております。
バイクに乗る人が増えたことにより事故も増加するかと思われますが、特に私のような若い世代に片山さんの発するメッセージが届けばいいなと考えております。
コロナが落ち着いたら是非、公開収録や可能であれば片山さんとファンが交流できる場の企画をして欲しいです!!
Fスペンサー初来日の歓迎パーティーは鈴鹿サーキットホテル、私はお手伝いで潜入、WGPの動画観賞していると、お疲れですからフレディはこの辺で失礼します、と司会の言葉でドアから出た、するとすぐに入って来て部屋の隅で動画を見ていました。人をかき分けて進みフレディにサインをお願いしました、笑顔で応じてくれました。
1981年のAUTO SPORT誌の鈴鹿8時間耐久レースリポートで「片山敬済&F.スペンサーという夢のコンビで8耐参戦予定だったがスペンサーのアメリカでの負傷で幻となってしまった」と言う記事が忘れられません。記事の中心はマーシャルバイクになった(市販)世界初のターボバイク、ホンダCX500ターボでしたが。
83年は最高のシーズンでした。フレディーとケニーのドッグファイト、そしてこのシーズン、二人に割って入った唯一のライダーが片山選手でした。終盤のケガが無ければ年間3位は間違い無かったですね。
終盤どころか第一戦で転倒してますけど
ランディが実質のランキング3位は片山だって言ってたね。
片山さん✨僕もダイネーゼの脊髄パッドまだ持ってますよう。
37年前に、この話をされた時、レースで使ってました。
片山さんにNSRは回ってこなかったのは残念でしたよね。
NRは乗ったけどね
高校生の頃、ヘルメットの「片山レプリカ」メッチャ欲しかった…のを思い出す。
80's HONDAファンから御願いがあります。入交さん、福井さん、尾熊さんのお話があれば、是非とも聞かせて下さい❗️
還暦を過ぎた高齢者です、私は10代からバイクに乗り始めましたが、どうしてもコーナーで目線が路面に対して斜めになると速度感と距離感がつかめずうまくカーブを曲がれませんでした、スペンサーのスタイルを見て、「この姿勢でカーブを曲がれば問題ないのでは?」と思い試したところカーブを曲がるのが楽しくなりました。2倫車にのるのは目線とハンドルの押し引きだ大事だとつくづく思ったのを覚えています。
片山さんが日本GPの解説してたときですね
84年ですね。
〇〇ツキフレディー発言した時は、そこそこの時間怒ってしゃべってたと思います。
それをネモケンさんだったかが、どうフォローしようかって感じのしゃべりだった記憶が・・・
蘇るヒーロー見ました。ヘルメットもレプリカ持ってました。
アメホンのデザインヘルメットだったので初期はフレディスペンサーとマイクボールドウィンが一緒に走ってると、どっちなかわからなかったよ。
微妙に違うんだけどね。 あとフレッド・マーケルも同じカラー。
1982〜3の汚れた英雄、峠族、スペンサーvsケニー時代を17〜18歳で過ごした。漫画はバリ伝にあいララ、雑誌は月刊オートバイ。ほんと楽しい時代でした^_^
多分私全く同じ歳でバイクの内容も本当に同じです。
偶然にもバリ伝は先週全部読み返した所です。
私の人生の中で1983年は特別な年です。最高な高校3年生を過ごしました。
私も全く同じです。
1965年生まれ。1983年は高校3年でした。私にとっても1983年は特別な年ですね。
この年の世界GPのフレディとケニーのブッチギリのトップ争いは異次元でしたね。
まさしく伝説の1983年です。思い出すと涙が止まりません。あれから40年経つのですね。
片山レプリカ被ってCBR乗ってたよ。懐かしい。
言ってましたー!
その時の気持ち、今の気持ちを聞きたいんだよなぁ~
このチャンネルで、何十年ぶりかに片山さんを見ました。ご健在で何よりです。
片山さんに聞いてみたい、当時の楕円ピストン8バルブのけったいなマシンに悩まされたのは本当ですか?
性能曲線の頂上以降のパワーバンドの下り坂になった部分を駆使して走ってるって言われてたね、つまりパワーが出すぎて滑り出したとき「更に開ける」とグリップを取り戻すって言うこと・・・・まぁ、端的に言って「神」だね。
山ちゃんの言っていることは、本当です。
高校生の頃、片山レプリカヘルメットが欲しくて探しましたが売ってる所がなくて手に入らなかった事を覚えてます。当時のバイク少年にとって片山さんは憧れのライダーでした。NR500の開発ライダーでなければもっと...。
NRに乗せられなければチャンピオンになれたかも知れませんね。
せめてNSRを回して貰えてたら…
3気筒ロスマンズの渋さも捨てがたいけど(笑)
「嘘つきフレディ」仰ってましたね〜。
あと、ダイネーゼの脊椎パッド。
その時、ロン.ハスラムさんも一緒にいらして話されたましたよね!
自分も、競技してた時はダイネーゼの脊椎パッド、「RSタイチ」で、買ったの使ってました!
お〜。片山とお揃いや!って自分も一端のレーサー気取ってました!
変形しやすいバイアスタイヤで走ってた時代。今はラジアルタイヤで、タイヤがボコボコしないから、とんでもないバンク角で曲がっていく。何でも与えられる時代と試行錯誤の時代。面白いw
超完璧主義なんだと思う‼️🤠🇺🇸カッコ良すぎる🤩💦
やっと、フレディが出てきましたね。
伝説のライダーにふさわしい人。
今、スペンサーレプリカのヘルメットを被っています。
若い人は知らないみたいですね。
今はヘルメットの値段が高いですね。レーシングレベルだとヘルメットの内側の気流も大切ですよね。
フレディ・レプリカのヘルメットというとオーストラリアのマルコム・キャンベル氏がいつも使っていましたね。
若い人が知らなくて当然。何を言っているのか
@@Rougai-kissyo
モトGP好き以外の若者だと、ごく一部の層でせいぜいロッシぐらいしか知らんだろうね。
片山さんはあの怪我さえ無ければランキング3位だったのに…
当時、キングとフレディに張り合えたのは片山さんだけでしたね。
僕は片山さんに憧れてバイクに乗り出した者ですが、いまだにオーラレジェンドは毎年1度は読んでます。
そして毎年1度は片山ロスマンズレプリカヘルメットをオーダーしようか悩んでます(笑)
私もスペンサーレプリカのヘルメット持ってます
鈴鹿でGP観戦した時の
雨の中で、めっちゃ早い
マモラにはびっくりしましたね
このころはロスマンズのレプリカヘルメットをかぶってました。
あと、フレディーに影響されてドクターペッパーを飲むようになりましたね。
確かに言ってた
「ウソつきフレディー!」
ガードナーがコースから飛び出た時には
「ゴルフをしに行ってたんじゃない」も言ってた!😄
スペンサーについては人気もあるし片山さんも一緒に戦って語る事も多いと思うので数回に分けて語って欲しいです
(笑)嘘つきフレディー!チャンピオンの品格を下げた!とか憤慨されてましたね。あの時はフレディーが走らんのだったら俺が代わりにお前のNSR乗ったる!みたいな勢いでしたね。世界中のファンが観るGPライダーはワールドヒーローだから確たる態度で臨まなければならないと言う片山さんの憤りも感じましたし、当時のバブル期の浮ついた金持ち日本の気風もありましたね。
AMAでDUCATIに乗ってましたが、GUZZIにも乗ってたとは知らなかった。