河崎裕之:伝説のレーサー達
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- Опубліковано 7 жов 2024
- 伝説のレーサー達。今回は「河崎裕之」。
河崎 裕之(かわさき ひろゆき )さんは、日本の元レーシングライダー。京都府出身。
14歳で50ccの免許を取得、高校時代にはモトクロスに熱中する。1965年にスズキの契約ライダーとなり、やがてロードレースに転向。1967年に日本GPで50ccクラス3位となる。1968年にスズキの世界GP撤退に伴いヤマハと契約。1970年に全日本シニア251cc以上でチャンピオンとなる。1976年、77年にはインドネシアGPで優勝する。
1977年から82年までスズキに所属、500ccレーサーの開発を担当する。81年オーストリアGPで3位入賞。1983年にヤマハに復帰、YZR500の開発を行いながら全日本、世界GPにも参戦した。1988年引退。現在はヤマハのレーシングアドバイザー。
-Wikipediaより-
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■片山敬済さんの書籍『1980 WGP』ノンフィクション小説
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'79年にHONDAと契約、だが "NR500" は出来上がらず悩みぬいたKATAYAMA。SUZUKIのRG500を購入して、再びプライベートチーム体制でWGPに参戦。当時のGPレース裏舞台の一部始終と揺れ動くライダー心理を描く。片山敬済渾身の処女作。
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■『RIDE? ~Hop on the Motorcycle~』って?
オートバイレースの元世界チャンピオン:片山敬済さんと一緒に配信する「バイクチャンネル」。
テーマは、安全に、楽しく、かっこよくバイクライフをおくるためのノウハウやテクニック、考え方や心構えなど。
いっこうにライディングスキルが上達しない、フツー・・・?のライダーの山ちゃんが、誰よりも速く世界中のサーキットを駆け抜けた世界のカタヤマに、バイクの基本的なライディングテクニックやマナー、そして、バイクライフをより豊かに楽しむ為のヒントやヒケツを聞いていきたいと思います。
初心者や中級ライダーは勿論、ベテランライダーの皆さんにとっても、役立つ情報を配信していきたいと思います。
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■片山敬済アイテムが買えるFacebookページ「Racing Brand "SEKITOBA"」
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■片山敬済さんが代表を務める民間レベルの緊急災害対策チーム「BERT」のオフィシャルサイト
bert-japan.org/
■山ちゃんインスタグラム(yamabata_hideaki)
/ yamabata_hideaki
■山ちゃんが動画制作した作品集:UA-camチャンネル
/ hideakiyamabata
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#河崎裕之 #伝説のレーサー #片山敬済 #バイク #オートバイ #テクニック #バイク動画 #バイクチャンネル #ライディングテクニック #世界チャンピオン
シャケさん、コーナリング中も路面に垂直に立て車体中央線上に残した頭と、コンパクトに畳みオフセットした身体で、高身長のライダーに珍しくフォームが美しいライダーでした。その上器用で後輩想い。脚は引きずっておられますが、平さん、難波さんらファクトリー後輩とイベントに出ておられる姿に、単なる観客の私も涙が滲みます。
片山さんも、シャケさんらの人柄を優しく語る口調が、現在から良き時代への夢憧れをいざなってくれて上手いです。ありがとうございます。
お身体にお気をつけられて下さい。いつか生でお会いしたいです。
スズキとヤマハのハンドリングを作り上げた偉人です。その素晴らしい技術が伝承されなかった事が残念でなりません。
とあるお弟子さんも言ってましたが、シャケさんに何か教えてほしかったらとにかくお酒を飲ませると(笑)
平さんと同じくフォームがいいんですよね、17:00の写真なんてこの時代のマシンでこのバンク角!惚れ惚れします。
富士30度バンクの話は恐ろしくて寒気がしますね・・。
シャケさんには10年前の「鈴鹿サーキット50周年イベント」でサインをもらった時、「コレ、もうないんだよね」と言われながら「シャケさんのキャラクターデザインのステッカー」を戴きました。また、引退する少し前の全日本500ccのレースで、並み居る上り調子の若手を尻目に表彰台に上った時の雑誌でのインタビューで、インタビューアーの「まだまだ速いですねぇ。どうしてですか?」みたいな質問に、「コース幅を最大に使えばいいんだよ。なんで皆(若手)は狭い所を走っているのかなぁ?」が印象に残っています。
レジェンド片山の話を、こんなに赤裸々に聞ける機会をもらえている私達バイクキッズは本当に幸せです。
川崎サンの、イン側の肩からアペックスに向かって行くような姿がカッコイイ!!って思った、小学生の頃を思い出しました。
もっともっと、私達がワクワクするようなお話を語って欲しいです。
このような場を用意してくれた方々、そこに楽しそうに語ってくれているレジェンドに感謝しかありません。
本当にありがとうございます。
本当に速い人で、世界GPに開発ライダーとしてスポット参戦しても表彰台に乗るのに、会社の方針でフル参戦しない。
フル参戦したらどこまで行くんだろう?見てみたい。
私の当時のシャケさんのイメージは、そんな感じで見てました。
いくらいいマシンとは言え、当時の錚々たるライダーがいる中にいきなりスポット参戦して表彰台なんて超人です。
プレイメイトレーシングのヘルメットが懐かしいですね。奥村さんもヤマハ時代は同じデザインでした。平さんはタカイの赤黒、シャケさんは赤赤のつなぎでしたよね。平さんも85年は赤赤になりましたけど。
80年代の全日本ではフォームがきれいないぶし銀の存在でしたね。
いつも楽しい動画をありがとうございます。私は60歳で片山さんのお話しほぼピシャリです。
阿部孝夫さんの特集はまだでしたと思います。
勝手ですみません。機会がありましたら是非とも宜しくお願いします。
これからも楽しみにしています。
懐かしい!昔、シャケさんがケニーロバーツから譲り受けた国内ツアーで使ってたキャンピングカーを友人が、手に入れてそれを借りて名古屋から浜松に家族で旅行した事を思い出しました。名古屋のある外車屋さんでよく見かけましたよ。
日本のロードレースの文化は片山さん始め先輩方の築いてこられたものがあってはじめて今があると思いました。仲間達と一緒に切磋琢磨してレースに打ち込んでいたのを想像すると素晴らしい人生を歩んでこられたのだなと、半ば羨ましく思います。自分は今アメリカのテキサスでクラブレースに時おり参戦する駆け出しです。お金もなく、タイヤやパーツ、走行費など全て自費で賄っていますが、目に見える進歩の少なさに心が折れそうになるときもありますが、何よりバイクに乗ることが好きで諦めずにいます。そんな中、片山さんのビデオを見て勉強し、同時に励みにさせてもらっています。いつもありがとうございます。
胸にSHAKEのマーク チャンプの人生訓 山ちゃんのトーク 素敵な時間を有り難うございます
大変ありがたいお話し ありがとうございました!
その昔スズキのRG軍団がケニーのアウトーインーアウト走法に勝つためのインーインーイン走法を可能にするためのハンドリングを築き上げたのがシャケさんで、「シャケさんがヤマハに戻ってからYZRのハンドリングが劇的に変わったんだよ」って講演の合間に横内悦男さんが笑いながら話していたことを思い出します。
コークと シャケさんの 写真 ポスターにして部屋に飾りたいです!
世代的に開発ライダーとしての面の方が印象があります
シャケさんが開発から退いてから、
ヤマハの戦闘力が落ちたように思います
本間さんや藤原さんが開発下手だとは思いませんが、
シャケさんに比べたらやはり落ちるのかなぁ
開発と言えば阿部孝夫さんをリクエストしたいと思います
シャケさんと同じくらい開発に長けた方だったと思います
サーキットでだけでなく、個人的なお付き合いとかはあったのでしょうか?
是非片山さんのお話を聞かせて戴きたく存じます
本間利彦さんもシャケさんのことを大絶賛してましたね。フランコ・ウンチーニもチャンピオンになった年、セッティングはカワサキさんを信頼して、ノーマルベスト、迷ったらカワサキさんのセッティングにしていたらしい。
ケニーロバーツはシャケさんが仕上げるバイクに全幅の信頼
高井氏も忘れないでくださいよん。
笑
有難う御座いました。
シャケさんのハングオンスタイルも早い取り入れだったと感じております。メカにもシステムにもライディング共にクレバーな方と思う一方、後世を担う方にも惜しみないアドバイスを提案できるレジェンドライダーの認識です。
レースの1コーナーの突っ込みで印象的だったのは、菅生の1コーナをケニー・ロバーツさんと高井幾次郎さんが
一速落としただけで、コーナーの深くをビューンと曲がって行き、三位からの人は二速か三速落としてにインベタ
で曲がっていたレースを思い出します。
YZRといえば河崎さんと平さんのイメージ。
河崎さんと言えば、ヤマハ時代平さんと走ってたの思い出しますね~ 42才でマン島で入賞してるのも凄いと思います
シャケさんは当時一番フォームが綺麗って言われてましたね
シャケさん、懐かしいです。
SUGOでは、平さんと共に何度かビール頂きました。
懐かしい思い出です、
シャケさんの開発した市販RGをNR初期時代に片山さんが購入してライディングしていたんだ。
ありましたね!
NRがトラブルだらけで参戦出来ない時に。
確か柳沢雄三氏が手を加えたRGBでしたね。
高速コースではシートカウルを大型化して最高速を伸ばす加工をしてましたね。
3年前に、ぼう有名解説者N氏に何で急に速くなったの?ってきいたら(シャケさんのおかげ)って言ってました😲💦100%納得😎👍‼️左のCサロン Bシーンがカッコイイ😃✨
昔二輪の免許を取ってからスズカサーキットにレースを見に行ってました、当時ホンダの角谷守男さんがカワサキの和田孝雄さんのデッドヒートが話題で行ってました。その時期に片山さんのレースも見てましたがスタートがうまくいかず最後尾からのスタートで優勝か上位入賞されたのを思い出します。懐かしいお話有難うございました、できれば角谷さんや和田さんの話もお願いします。
カワサキは和田将宏さんじゃないですか?
当時のシャーシと富士の路面だと今の300km/hより凄いから体感速度で話してると思う(笑)
レジェンドが聞きに行くほどの人だとは知らなかった
バイク雑誌を読み始めた頃は既にシャケさんで日本一のベテラン現役ワークスライダーなのに優勝したとは聞いたことも無かったのでその忘れた内容がとても気になります
11:00 辺りの話はストレートエンドでブレーキ掛けた振りをして敵を騙す作戦を思い出しました(笑)
TZ750は最高速は軽く300km/hオーバー、ストレートが破格に長い富士であることを考えれば300km/hは疑うような数字じゃないです。
今のレーサーが当時のバイクやコースでは走れないでしょうけど、その当時はそれが最高峰の環境ですからね。
怖いから危ないからより他人より速くが最優先でしょう。
07:07頃からの挿入映像の解説字幕で、第2戦ザルツブルクリンクでのシャケさんのマシンが前年型のRGA500/XR22とありますがFフォークにANDFが採用されており、バリーと同じRGB500/XR27ではないでしょうか?
シャケさん、スズキにいらっしゃったんですね⁉
❗(* ̄∇ ̄*)
81年世界GP開幕戦で表彰台(3位)
真偽はわかりませんがあのサーキットの狼のキャラ「ハマの黒豹」のモデル説がありますね(河崎という苗字が後に公表)いわゆる「ドライダー」が多かった時代(風吹もそういう設定)の作品でしたので可能性は高そうですね。
リアブレーキで荷重移動とは....恐れ入ります。ある意味、理にかなった走り方だったのでしょう。
有り難う御座います。
何度かリクエストしている根本健さん、コークバリントンさん、お願いします
6速全開でエンジン高回転音で、リアブレーキ踏んで減速して、そのひずみがどこに行くのかがわかりませんでした。半クラッチということなのかな。話の分かる方教えてください。
ヤマハのシャケさん
ホンダの阿部さん ですね。
片山敬済=赤・金ラインですからね
プレイメイの藤さんのメカニックした事ありマス。
河崎選手はケニーロバーツをぶぢぎった伝説ライター片山選手と同じ伝説外伝を持ってます笑