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当時、本田贔屓では ありませんでしたが、あのスピリットには憧れました。「V-tec」も 他メーカーやエンジニアはこぞって「?」を付けていましたが、結果的には大成功でしたよね。「あの頃のホンダ」を知る者にとっては、正直 何とも物足りない「今のホンダ」です。
V-tec、ポルシェがやっていた技術でした。「量産乗用車世界初」なのでした。今は、無断変速の可変バルブが、普通の車に採用されているのでしょうかね。やがて、電化されてしまう時代になりますが(悲)
宗一郎さんからの輝かしいエンジン屋のイメージを捨ててEV化重視を打ち出したホンダは全然魅力ないですね、水素エンジン開発トヨタ、水素ロータリーマツダへの乗り換えを検討中です。
必ず出てくる元関係者。
@@ウルトラJ本田宗一郎翁が存命ならそんな時流にのみ流された事はしなかった様な気がします、寧ろ反骨してトヨタ自動車やマツダが今やろうとしている事を率先したでしょう、もしくは反対にトヨタ自動車の先を越そうと誰も言わない10年くらい前に電動化の構想をぶち上げたりしていたかも知れない。古来前輪駆動大好きなホンダ車には一度きりしか乗らなかったけど本田宗一郎氏はやはり神がかってみえました。
@@ミッシェルガント-y7j バイクではもっと早くバルブ休止と言う形で採用していたけどね。
量産型NRの関係者だったが、エンジンの歩留まりは本当に最悪だった、現場で作業方法を根本的に見直し、研磨ジグまですべて見直された工程は、当時車内のQCサークル、NHサークルの世界大会まで行きました…当時狭山にあったホンダエンジニアリングなんだけれどね、あと当時F1のピストンも作ってたんですがこれもまた超ウルトラ歩留まりがダメで、小型フォークリフトで運ぶバケットにぎっちり詰めて使えるの2-3個というやはり鬼畜でしたね~~今だから笑い話になるけれど当時みんな死にそうな顔して作ってたよ
量産型見た時は、あんなもんどうやってホーニングしてるのか訳がわからんかったわ。レーサーの長円の方が遥かに製作が楽だろうと思った。
分かるわ歩留まり悪いヤツ作る時一番キツイめっちゃメンタルにくる
@user-mc1nr2pf3rバカだね。お前が知ってるかわかんないが、ホンダは一人社長の町工場じゃねえよ。主管開発者から、開発チームや設計チームだけが関係者かよ?生産技術や、製造まで大量生産の市販車で無い限り、全て主要な社員だろ。大企業の物作りとか解んないんだな。てか小学生レベルな批判が、お前が社会経験さえろくな仕事してないことを露呈しているぞ。
大学受験当時NRに憧れて理工系受験を目指していました。私は電子部品や半導体の営業マンですが、シリコンウエハに感光印刷から最後にチップにした後の特性のばらつきは、たこ焼きの様に個体ごと別物の特性。モノは違えど、尖った仕様を抽出した良品の大変さ。共感しました。狭山工場で勤務していたシルバーさんが多数私の配下にいたから、憧れたホンダの仕事をたまに聞きました。
ゴードン・マーレイがマクラーレンF1開発する時に最初ホンダにV10かV12エンジン供給打診して断られたって逸話が有るが、そんなに歩留まり悪かったらそりゃホンダもNOて言うわな。マーレイもF1マシン用エンジンがそこまで歩留まり悪いとは思ってなかったかも。
私は「NR500唯一の一勝」を、鈴鹿のメインスタンドで見て居ました。チェッカーを受けたその瞬間に、スタンドの全員が総立ちに成り、雄叫びを挙げ、拍手喝采で祝福しました。目の奥に深く焼き付け、今でもその時の光景を有り有りと思い浮かべる事が出来ます。表彰式の時に、マシンも一緒に並べるのですが、クルーが緊張していたのか、スタンドを掛け損ねてマシンをコケさせてしまった時にはスタンドから笑いが起き、「それも御愛嬌さ!」と言う感じの軽い拍手が有りました。表彰台の木山選手は花束を片手に両手を上げ、満面の笑みで飛び跳ね、本当に嬉しそうでした。あれでNR500が終わってしまったのが残念です。
鈴鹿サーキットには感動の歴史が刻まれている。あの場所に立つと何とも言えない感覚に包まれる素晴らしい所だ。
4stが2stより優れている唯一の利点である燃費が良いということを活かして他の2stレーサーがレース途中で一回ピットインして給油するのに対して、NRは給油なしで完走する作戦だったらから勝てたんだよね。速さで勝ったわけじゃないからどうだろ?
元々200マイル(320キロ)レースだったのが、NRが無給油で走り切れる200キロレースにレギュレーションが変更されたから勝てた、とは言えあの高回転エンジンを良くコントロールできたな、と思います。当時バックトルクリミッターとかあったっけ❓私は3コーナーのあたりで観てました。
@@kusaba555 瞬間的な速さでなく、レース全体のトータルでの速さですかね最高速だけでは勝てないですよ
Tiger-Juice様 ピストンリングにまで言及してくださってありがとうございます。父が、このリケンに勤めてた時にこのピストンリングの話を聞いた事があり、ホンダからNR(750cc)を贈られたとか。
このマシンの開発に携わりました。ネットの無い時代、日曜の早朝に守衛所に現地から入るFAXが最速の情報源でした。月曜の朝に出勤すると守衛所で「完走した?」と聞くのが習慣だったのをのをよく思い出します。
開発してるなら休日出勤くらいはしろや!
@@jamesloc9928 おっしゃる通りです。しかも懸念されるのは「目的とする勝つための手段である技術」が目的化していなかったか、です。
ホンダ車は優等生と言われたけど、実は最もブッ飛んだことをやってたのが他ならぬホンダで、ブッ飛んでるものをちゃんと使える技術として磨いて市販車にフィードバックしていたからこそ。ホンダファンは、こういうスピリットに惹かれるのよね。
そして今もそれはRR-Rに受け継がれてるのがエモいよな市販車で999cc、218psとかバケモンすぎるw(SuperLeggelaV4は除く、あれはmotoGPレーサーとほぼ同じ設計だからね)
「失敗は成功の一部」 いい言葉ですね
「不利を承知の4ストローク」NRはホンダらしさ全開のマシンでしたね。その影響は後のF1のエンジンレギュレーションに“ピストンは真円であること”の一文が入るほどでした。NR500は複雑すぎる構造のためにレースの現場ではセッティングすらままならなかったと聞きましたが、後日実車を見て納得いきました。一方耐久レーサーに仕立て直したNR750は恐ろしくパワフルで、鈴鹿でテストした際に同時に走行していた500のGPマシンにストレートでグングン追いついて行ったという逸話から、このエンジンのポテンシャルに改めて驚いたのを覚えています。試作されていたというNR250ターボにもやはりこの長円形ピストンが採用されていたんでしょうか。
NR特集で見ました、その様ですね。2つのターボ過給トライが為された様で、設定されたブースト圧(圧力値不明)条件下で、NR直列2気筒等爆ターボ試作だと等爆により燃焼マッチングは取れたが直列2気筒形式によりクランク振動が強く成り過ぎ、NR90度V型2気筒ターボ試作だと90度V型2気筒形式により振動は抑えられつつも不等爆により燃焼マッチングが取れなかった、との事。試されなかったNRボクサー2気筒ターボについて私見予測をさせて頂くと、確かにボクサーベースなら、振動も燃焼マッチングも取れます。ですが、ボクサーだと2気筒とも同時にクランクケース容積を圧縮する動作に成ります。過給でクランクケース圧力もブローバイガス圧力やら高くなり管理も大変、管理以前の耐用設計でクランクケースが大きく成り過ぎる懸念も出ます。二輪用エンジン故にミッションも一体構造、ミッションへの支障因子も強く成るでしょう。
失敗を許す、失敗を予測しながら仕事をする・・・素晴らしい精神ですよねぇ 指導する立場で『失敗を許す』のは中々出来る事では無いですが人を育てるにはとても重要で忘れてはいけない事だと思います。
失敗を前提としないと開発なんて出来ないですからね〜
あの頃のホンダが好きだ!今は只の商売人にならはったんやねぇ~
失敗じゃないです。夢を量産しました。
R32型GTR買えるじゃん!と値段間違ってないかと、問い合わせ多かったらしい。参考:1992年5月 HONDA NR 520万円と発表1989年 R32GTR 新車販売価格 445万円前後
長円であることに言及してくれたTJ姐に感服
デビューは1979年のイギリスGP(シルバーストーン)でしたね。前年辺りから専門誌には様々な憶測記事が出回り、ワクワクしながら読んでいました。当時はまだ本社は青山ではなく、原宿近くの神宮前のヤシカのビル🏢に間借りしていましたね。兎に角、負け続けても興味津々でした🤩 唯一の優勝は、1982年の全日本選手権、鈴鹿で木山賢吾さんのレースで、2ストよりも燃費が良い点を活かした作戦勝ちでした。1992年にオンロードモデルNRが発売され感激して、青山の本社で豪華なカタログを戴きました。永遠の憧れです🥰
@@ontheroad8573 木山さんの優勝、覚えてます。8耐前の6月に行われた雨の鈴鹿200kmですね。何としてでもNRで勝ちたいホンダは、前年までのレギュレーションにあった「最低1回以上の給油義務」をその年は無くして、無給油で走りぬいたと記憶してます。
F1に進出した時もそうだけど、昔のホンダは変態エンジニアの集まりだった。今のホンダは、ただの大企業に過ぎない。寂しい限りです。
畑違いのエンジニアですが、技術的にとても良くわかり、感動しました「失敗を許すと同時に、失敗を予測しながら仕事を推進する」これって、先輩の教えを守る堅実な開発ではなく、守らずに失敗する只の無謀でもなく、先輩の失敗を克服して新技術を生み出す革新の精神で、これこそ後輩に持って貰いたいと感心しました
あの頃の夢をありがとうございます
hirolin9119 様、拍手ありがとうございます!大変励みになります。今後もホンダのバイクエンジンの動画をアップする予定ですので、よろしければまたご視聴ください。
確かにありましたねNR500もう何十年も前に作った片山が乗るNR 500のジグソーパズルが家に飾ってあります最近は本田宗一郎が生きていた時代と違いホンダにはびっくり箱のような面白い自動車が見るられなくなりましたこれも時代でしょうか守りに入った製造業に明日は無いと思うのですがホンダの技術者は今のような電池自動車や電池バイクを作るために入社したとは思えないのですがホンダにはメカニカルノイズ、吸気ノイズ、排気ノイズ、ガソリンの匂い、オイルの焼ける匂い、排気ガスの匂いが有ってこそホンダなんだと思うのはもう古い人間なんでしょうね
市販車のNR750のエンジンはオーバーホールが不可能になりました。世界で唯一、オーバルピストンのピストンリングを生産できたホンダの下請けが、リーマンショックの時にホンダが見捨てたため倒産しました。
動画ではピストンリングはリケンが生産したと言ってましたが、違うのですか?
多分嘘言ってんだろけどさしかも在庫あるやろ
今回も楽しい動画でした。個人的にNRの失敗はホンダが欲張り過ぎた事だと思います。まずエンジン、車体、サスペンションとか順次完成を目指す物を同時進行でやった事だと思います。まぁそれだけパワーのある時代でしたが。NRプロジェクトは失敗かもしれませんが、技術者が頭を悩ましてた時間は無駄ではないと思います。
片山敬済さんが乗っていたあのNRですか。当時の映像を見るとエンジンの重さもさることながら、2スト勢のビンビンのレスポンス(前傾姿勢でもすぐウイリー)に対しモサーとした印象でした。同じ排気量で4ストが2ストに勝つのはやはり無理です。ですが近い位置までいったホンダは凄いとしか言い様が有りません。
ライダーとしてランキング上位までいってたのに、こんな事に付き合わされて可哀想…その後、僅か数年で市販車FZ250で20000回転が出て驚いたwんな事言いながら自分はRG400スクエア4買ったけどw
コンビニコーヒーでもどうぞ ( ^^) _旦~~NR・・・。新しい技術に驚いていました。感動的な動画をいつも有難うございます。日本はサービス業だけじゃない、工業製品でも世界一のポテンシャルを持ってる。中国中心にならずに将来につながって行って欲しいです。
Hola!様 ありがとうございます!仰る通り、中国i依存になっている分野を見直し距離を置くべきだと思います。密かにHondaへ期待しているのは、いち早くアシモを一般家庭へ普及して欲しいと思っています。自動車だけでなく、Sonyと協力して世界が変わるようなものを出してくれるよう、勝手に期待を膨らませています。
HONDAの4Stレーサーへの執念。過去にツインリンクもてぎコレクションホールで開催されたレーサーの展示会で観た、50ccから250ccまでのレーサーモデルとその部品の小型さ精密さに感嘆し、遂に見たオーバルピストンの実物造詣。V8を2気筒ずつ連結して4気筒にし、超ショートストロークにして回転数を稼ぐ思想と考えると分かりやすいと所員?に説明され納得。その後のF1展示会でのV12の凄さに、4StのHONDAここにありと納得した思い出があります。楕円ピストンは、市販車では直線部はなくなり緩やかな曲線になって、ピストンリングへの攻撃性が減ったと知って、国際レースレギュレーションで楕円形状ピストンが禁止されたことが残念でなりません。こんなにも凄い技術を生み出せる集団と下請け部品メーカーがあるのに、エンジン廃止決定で捨て去るとは・・・・。血迷ったかHONDA!と悲しいです。
最近のホンダは「技研」のイメージ無いもんなぁ😢
最近では「挑戦」が抜けている感覚。
時代だから仕方ないとは言え、2輪各メーカー共に“企業”のイメージの方が強いかな…オヤジさんは首傾げてるかも知れんね
まぁ売れないものばかりになって潰れたら本末転倒だしなぁ。
技研は量産現場見ないから部品共通化が進まず、無駄も多かったんですよ。
車は惰性でやってるだけだから。本業は飛行機
ここ数十年、2輪4輪問わずホンダで1番好きな話です。しかも初めて知るエピソードが多くて感謝です。市販車は本当に必要としているユーザーに行き届かなかったRC30の反省から期間限定の受注生産だった記憶があります。
片山さんからスペンサーへの遍歴にこのような背景があったとは…涙無くして見れません。素晴らしい動画の制作、有難うございました。汚れた英雄を4回も買い替えボロボロになるまで読んだ世代です。
いつも解りやすい解説を有り難うございます 長年オートバイ業界に勤めながらも疑問に感じていたことが理解できて大変助かります ナレーションの方の少し関西弁のイントネーションも可愛くて素敵です お客様にも閲覧を勧めております
Tカー懐かしいですね。当時素直にV8にすれば?と思っていたが気筒数縛りがあったのですね。楕円ピストンはピストンリングがー、で思い出したが戦後ホンダを支えてたのはトヨタへのピストンリングの納入だったような。懐の広いプロジェクトだったような説明だが、うちは4ストだと宗一郎が2スト開発を許さなかったと妄想。
80年代のホンダが素晴らしいってよりこの技術を開発することに金を出す事を良しとした『時代』が素晴らしかったんだと思う。『今』同じレギュレーションだったとしてその開発に金は出ないかな。モータースポーツが一番輝いて居た時代だと思うよ。
レーサーNR500 市販車NR750 ともに夢のある車両です よくぞここまで詳しく動画にしてくれて感謝ですレースから生まれた技術は計り知れないほどの能力が必要でホンダらしいなと
魂のこもった動画でした。目標に向かって努力する人たちと、それを意気に感じて協力を惜しまない人たちを思うと涙が止まりません。確かに企業は営利を求めるものですが、働くことにロマンを排除して営利と効率だけを追い求めると、仕事が苦痛になってしまうと思います。僕もロマンを求め、挑戦を続けて働いていきたいと思います。
この時代中学生から高校生でHYもスズキやカワサキにも切磋琢磨していた。世界での活躍にワクワクしてみてましたね😊メーカーや技術者の努力の結果はその時失敗でも経過の経験が次の開発に繋がったのだと今思いますよ。私は社会学部出身なのでエンジニア筋ではありませんが此れ等の時代の自動車や単車の革新的技術力が今の各メーカーの財産で力なのだと思い出ます。息子に小さい時からこの時代の話しや動画を見せながら育てました。彼は今年某自動車メーカー開発部署に務めることになるらしい?ですが😮自分の若かった時のワクワクと日本メーカーの威信を再び取戻す様になって欲しいと思う😅時代の変化は激しいので多少は心配しながらも見守っています😂日本のエンジニアに敬意をと🎉
『4ストで2ストに勝つ』コンセプトと信号機を見て閃いたアイデアを形にする技術力、ホンダミュージアムでエンジンのカットモデルを見た時思わず「HONDAバカなんじゃねぇの?」(←褒め言葉)って笑ってしまった。
今や伝説の語り継がれるエンジン。
オーバルピストンのNRとは懐かしいですね。ホンダによる不屈の技術による挑戦は男の浪漫でもありますね。ホンダインライン4の時計のように緻密な回転はこのオーバルピストン開発があったから作り上げられたのでしょうか?エンデュランスのためのVFRのV4もNRの技術が応用されているでしょうし、後輪部のプロアームはエルフプロジェクトからの流用ですかね?技術革新とは繰り返される挑戦と失敗の積み重ねからしか生まれないのかも知れませんね。。。
'83の東京モーターショーに参考出品されたフレーム・ホイール・Fフォーク等がカーボン製で、エンジンにもチタンとマグネシウムを多用した「NR 3X」が最高にかっこよくて、「これならまだ戦えるはず!」と思ったものでした。
8バルブ長円形ピストンをやめて、次のエンジンがV型3気筒というのも、ホンダの凄いとこだよなあ…意地でもオーソドックスなエンジンは作らない!😅NRのド変態エンジンに隠れがちだけど、NSのV3だって十分変態エンジンなんだよな😂112°V型3気筒だけど、燃焼は120°間隔…要は並列3気筒と同じ。どんなクランク位相なんだよあれ!?🤪
いつも詳細な検証有り難うございます。とうとうホンダ珠玉の挑戦、NR500が来ましたね。良くも悪くも独自の路線を貫くホンダの姿勢が、今では懐かしいですね。
プロジェクトリーダーだった福井威夫氏が後にホンダの社長に。レースは走る実験室。って言葉をホンダは忘れないで欲しいです。
何気に東京モーターショーで展示してあったホンダのNRがカッコ良かったのでモーターショーでまたがってました。タミヤのプラモデルでも作りました。楕円ピストンエンジン搭載と言うのはプラモデルの説明に掲載してありましたが、恐らくここまで深く見たのは初めてだと思います。車の動画はワクワクしますが、モーターサイクルの動画も奥が深いと思います。
これは失敗を糾弾するより、チャレンジを称えるべきものだと思っている。
ホンダはいまだにそうだけど、やっぱり変態的でマニアック。それだけに熱狂的なファンも多い。
私もバイクや車好きですが、1970年代にそのようなエンジンが、有った事知りませんでした。とても、良い動画観れて、良かったです。これからも、色々なエンジンに関する動画など、楽しみにしています。
ありがとうございます!
のず様拍手をありがとうございます!
大学生の頃、VFR400Rを購入する時に、楕円ピストンのレースエンジンの事を知りましたね。ホンダらしい技術だと思ったことを記憶してますね。レースでは、結果が出なかった事は残念でしたが、フレームの技術や後のプロアームなどのスイングアーム技術など、市販車にも生かされた技術がありますね。
後日談で耐久仕様のNR750はルマン24時間で優勝しています。(ライダーの一人がネモケンさん)チューニングした市販車のNRは最高速300Km/h以上出してギネスブックに載りました。(ライダーは当時ホンダと契約していたロリスカピロッシ選手)
ルマンはリタイアですよ。NR750が優勝したのはオーストラリアのスワンシリーズです。
当時リアルタイムで注視していました、ホンダは四輪F2にも力を入れてましたが二輪GP復帰の衝撃は凄かった。国内レースでは木山選手が優勝しましたね。
失敗や一見無駄にみえることも、技術の奥行や革新に大きな影響をおよぼす。効率追求や利益を追いもとめる 今のホンダ。欧州の政治イデオロギーに流され燃焼技術をすてEV化を選択したホンダ。80年代のホンダがすきだった。
おっしゃるとおり今のホンダは・・って言い方になってしまいますが、創業者もとっくに亡くなり、図体も大きくなり企業の存続を優先させるとやむを得ない・・かも知れません。問題はかつての本田のようなベンチャー企業が生き辛い環境に日本社会がなってしまったことかもしれません。今、日本は滅びの道を辿っている。
サーキットはHONDAの実験場😊
逆にここまでホンダがやり込んでも同一排気量では2stにかなわないということでMOTOGPでは900CCになったはず。当時に900CCでNRのエンジン組んでたらどうなっただろうか?素材、部品の技術も成長途中とは言え、計算上は当時でも200馬力行けたのかもしれない。相当やばいマシンになりそうだが。市販NRも相当やばかった。本体価格500万オーバー。ホンダのプレリュードのCMに出演してるが、当時、「ゲストのほうが倍以上高い」と話題になったものです。
モトGPのレギュレーションで900ccに変更した際に、楕円ピストンエンジン4気筒の馬力は243PSとなります。当時のNSR500は180PSなので、これでは勝負にならないでしょう❗因みに、1986年に楕円ピストンエンジンの排気量を750ccに上げた時のプロトマシンNNR750は、188PS/18,500あり、当時のNSR500の160PSをバックストレートの立ち上がりの直線でぶっちぎったそうです。
NRについて表面的な知識しか持って無かったが、開発秘話などを知ることが出来ました。よくぞ、ここまで分かりやすくまとめてくれました。 一気に観終わりました。
木山さんが1勝したのは今でも思い出します😊
このNR、90年代位までは海外の閣僚クラスの方が視察する時のホンダ技術展示で、必ず展示されていたんですよ。NR本体はレースでは結果が出なかったけど、まさに動画で語られているように後の技術に大きな足跡を残したホンダの誇りなんです。90年前後の東京モーターショーホンダブースでプロトタイプNRが展示されていたときは大興奮してしまい、夢中で写真を撮っていました。良い思い出です(´∀`*)ウフフ
大変見ごたえがありました!
詳しい解説と、貴重映像の数々…ありがとうございました。面白かったです。ロマンですね。
NR250turboでレースに出て欲しかったです。市販型のVT250turboで80ps出てたので当時の運輸局の認可が降りなかったと、当時の開発者の方から聞きました。
楕円ピストンエンジンの開発で、過給器付きまでしてましたね!当時のレースのレギュレーションでは、過給器付の排気量は1/2の250ccとの事で、V4の半分のV2にて開発し、最終的に『V型2気筒250ccツインターボ/インタークーラーで153PS/18,500rpm(2バール時)』まで試作しました。1Lあたり612PS❗一度でも良いので走っているのを見たかったのは自分だけでは無かったと❗
押しがけスタートでなければポイントは取れたかもしれない。スタートで置いていかれるのは話にならなかった。2スト3気筒のNS500の始動性は抜群だった!
今回もとても見応えがありましたありました!全体の構成が素晴らしいです!
ホンダスピリットの真骨頂とも言えるのがNRだったと思います
このバルブ配置を見るといつも「真ん中にもう一本プラグ配置してぇ!」って思う
コンピュータのなかった時代によくもまあ作ったもんだ今なら開発・加工の支援にだけでなくエンジン等の制御にも使用できる時代だからもっと素晴しい物ができると思うその後コンロッドもレギュレーションで気筒あたり一本に制限されたような・・・
ホンダがいちばんホンダらしかった時代やっぱり誰でもそう思うんですね。今や軽のメーカーになってしまったホンダ。寂しい限りです。パニガーレV4とか本来ホンダがリリースしなければならないオートバイですよね。
豊田章男「今は仲間がいる。今の仲間は失敗ギリギリまで攻めて来る!何故か!私が失敗して良いと言ってるからです…失敗するな、って言うと皆萎縮して安全を取って来ますから、攻めて来ません。トップが失敗を許すからみんな攻めれるんですよ!」山本健一「責任を取って辞表を提出します」松田恒二「ここでやめてしまうとロータリーは失敗だったということになる」山本健一「(RX-8のエンジンを見て)僕らがダメだった部分(サイド排気)もしーっかり成功させてる。志を持って、挑戦し続けてるんだなあ、と感じましたね」本田宗一郎「(二輪車メーカーがF1挑戦一年目最終Rで1位を取る。しかも当時フェラーリとポルシェ以外やってなかった、エンジン・シャーシを同じメーカーが担当)F1は走る実験室です!」
確か楕円ピストンはデカい金属ブロックの中でも、均一で高密度の中心部分しか使えないと、贅沢に削り出して造られたらしいですね手の届く代物ではありませんでしたが、市販されたNR750には憧れたものです今に至っても唯一無二の技術ですね
入交昭一郎さんの入魂の一作。円筒シリンダーとはまるで異なるだろう膨張の特性、ピストンリングをどうするかなど、考えれば考えるほど難問山積で、よく挑んだと思います。しかし、4バルブよりは5バルブ、5バルブより8バルブのほうが抜けが良い。8バルブでは円筒シリンダヘッドに収まらないので楕円、と。思考方法が直線的でイノベーションとは言えず、技術的困難さの割りに得られるものは少なかっただろうと思います。
素晴らしい動画ありがとうございました チャレンジングスピリッツ 魂が揺さぶられますね水冷VS空冷も 凄まじい戦いがホンダ内でありましたよね また機会があればお願いします
楕円シリンダー、REV(VTEC)、HFT(無断変速機)、V型5気筒・・・世間をアッと言わせる事をするのがホンダですよね。
昔富樫ヨーコさんの著作『ホンダ二輪戦士たちの戦い』を読んだことを思い出しました。新しいものを作り出したワクワクとともに、とにかく勝てない話ばっかり続いて、読んでいてなかなかツラいものがありました。技術上のロマンと、リアルワールドのパフォーマンスとは必ずしも同じ線上にはないんだなと痛感させられたものです。
NRが無ければ短期間でのNSでの優勝はなかった。30億円でのちの技術力を買えたなら安いモンだ。
この技術をもう一歩進めて、4輪最高峰のNSXにも採用すべきだったのでは?あれだけ凝った車体構成したのにエンジンはレジェンド用V6をベースにした特に特色無い(まぁVTECとかはあれど) のが画竜点睛を欠く感じだった。コスト的にとか数作って安定した性能とか理由も判るが、せっかくの技術なのだから頂点車種には他所には真似出来ない技術を出し惜しみせずに搭載して欲しかった。
これV8エンジンをシリンダー繋げてV4にしたイメージなんですよね、GP500 ではあまり成功しませんでしたが耐久では結果残していますねエンジンが重くなるということは重量バランスとしても不利になる、同じレギュレーションではどうしても不利になってしまうとこに挑戦したのは当時のホンダらしいと思います今のホンダでは絶対ありえない力ですね
やってる人は大変だったろうけど、見ている分にはとても面白く興味深かったですね。すごく刺激的。
NRな、片山さんがね、泣いてたもんなホンダと契約してたのに、自分でRG500買ってレースに出てたもんなスペンサーの乗ったNSに受け継がれたのいいことだけど片山さんが可愛そう
エンジン車を捨てて、EVに全振りするという愚かな決定をした今のホンダに、NRを開発した当時のホンダエンジニアは何を思っているのだろう。正直なところ、悲しくなります。
時代の流れは残酷です
経営判断として正しいでしょう。営利企業なんですから。テスラや大型EVバイクに乗ればわかるが0からのフルトルクでる電動車は面白いですよ。
外野は無責任に何とでも言える
内燃機関は残すべきですね。インフラ含めEVの欠陥があぶり出されてきていますからねえ。
現状ではEVにデメリットが多すぎて、内燃機関を無くせないと結論が出ましたよね。
まさにホンダドリーム✨
失敗は成功の一部、沁みますねー
持続出来ない物を作るのもHONDAの特徴 NSX、z、今電動ターボなる物まで作ろうとしてる
NRのエンジンは実質8気筒エンジンなんだけれど、レギュレーション上では4気筒までなので、2個のピストンを1個に合体させたイメージの方が正しいかな。長円のシリンダーの加工、ホーニングのし方、ピストンの作り方やリングの細かい形状など、開発陣は恐ろしい程の努力をしただろう。誰がどう考えても不利な4ストでレースに挑む変態技術のホンダには憧れたなぁ!なお、ターボがあれば4気筒でも楽に200馬力は得られただろうに…。
当時のレースのレギュレーションでは、過給器付の排気量は1/2の250ccとの事で、V4の半分のV2にて開発し、最終的に『V型2気筒250ccツインターボ/インタークーラーで153PS/18,500rpm(2バール時)』まで試作しました。1Lあたり612PS❗一度でも良いので走っているのを見たかったのは自分だけでは無かったと❗
当時思った事はピストンリングの精度。
4ストローク技術で勝つんだ!と言う意気込みが凄いのと、それを形にして実用化まで持っていったエンジニアを始め関係者の方達には本当に頭が下がります。まさしく、不可能を可能にした訳でして、結果的にはレースで勝てなかったけど、とても有意義なプロジェクトだったんじゃないかと思います。
ホンダさんはいつの間にかトヨタの後追いをやって業績伸ばした感があるけど、結局やっぱり行き詰まった。金儲けは否定しないけどスピリッツの火が小さくなると結局ファンの期待値は下がって売れなくなる。難しいね。
本編との広告時の音量差あり過ぎて耳が…本編の音あげて欲しいです😂
えっ、コレ広告入ってるんですか。知らんかった。by youtube pro ユーザー
自分は ReVancedを使ってるOfficial アプリは管理用で3rd パーティから インストした旧 ver無論勝手な update防止の為にPlay ストアは バックグランド停止済み。
本来4ストは2ストの2倍の排気量で同等なのに4ストでチャレンジしたHONDAは凄い。WGPで勝てなかった理由のひとつにアクセルオフ時の強烈なエンジンブレーキがあったそうです。あの天才フレディ・スペンサーでも勝てなかったので当時は500ccクラスで2ストに勝つのは不可能だったんですね。
そしてホンダがエンジンブレーキ対策としてバックトルクリミッターを採用するきっかけになった。(1980年)
2分の1 デス
1.6倍で同等だよ。250㏄の2stと400㏄の4stが混走するTTF3やSP400がその係数で設定されている。2倍だと差がありすぎるのは500㏄の2stと1000㏄の4stが混走した初期のmotoGPで証明されている
気筒数の縛りがなければ素直に8気筒で作られたでしょうから、レギュレーションの中で悶え苦しみながら生み出された技術ですよね。市販されるとなったとき市販車で楕円ピストンにしなければならない理由ってないと思うのですがホンダとしては技術を商品として残したかったのでしょうね。きっと儲けにはなってないような気がします。持ってる人は大事にしてくださいね。
まさにPower of dreamだよね、VFRやCBR250Rとか持ってたよ。この楕円ピストンの存在は大きくて、後にF1で搭載されるのでは?って噂になり、当時のFIAは急遽F1エンジンのレギュレーションを変更してバルブ数制限を課して楕円ピストンエンジンの出現を阻んだ事は有名だよね。他のエンジンビルダーには実現不可能な沢山の技術ノウハウをホンダは持って居たので。
新谷かおるの作品「ジェントル萬」でも紹介され、作中ではF1用の新型エンジンに採用する計画が出されていた。
この楕円シリンダーはF1では速攻で禁止されました。それだけ衝撃を与えるシステムでホンダスピリッツの塊でした。今ホンダスピリッツを引き継いでるのは航空機分門かな??あれは非の打ち所がない完璧な回答ですよ。恐らく航空機業界にとってはラストフロンティアだったのが翼の上の空間で、アンタッチャブルなゾーン・・・興味はあっても手を出すなって領域!そこにあえてチャレンジして、常識を覆して効率の良いシステムを築き上げたんだから、これぞホンダの真骨頂!という感じです。
これは良い動画為になりました。
まぁ当時としては無謀なチャレンジでしたね。しかしその後のTTー1やTTー3のv4エンジンは圧倒的に強かった。特にTTー1ではホモロゲーションモデルまで発売されましたからね。NRをやっていなかったらあのマシン達の登場は無かったでしょうね。
バイクには詳しくないけどこう言う、悪ノリで最速目指す→ナゾの意地→頭のネジまで軽量化→華麗に爆死、みたいなロマン丸出しの熱意は好きですw昨今のインテリ風味サクセスストーリーには望め無い羨望を感じる
これぞ伝説中の伝説。ホンダスピリットの詰まった夢のマシンでした。今の技術なら長円シリンダーに対して長円2バルブ、1コンロッドも不可能ではないんじゃないか。。。
あの頃のホンダは、世界一の技術者集団でした。独創性、革新性、そして人に優しいものづくりとビジネスを超えた夢がありました。エリートでは無かったから常に挑戦し続けましたが、会社が大きくなりホンダも急激に保守的になって魅力を失いました。当時技術もないのにプライドばかりで、流行り物を取り入れて安直な物作りしかしていなかったエリート日産に今のホンダが時々似てきている様に思える。
後のVT250VFR400 750がこの開発があったればこそだと思います。
二輪と四輪で明暗がくっきりしてるのが闇深い
f1ではホンダが作りそうとFIAが妄想した時点で禁止されてしまった
アイデアを実現するのはホンダらしいです。押しがけの時代だったと思うし、そこも2ストに比べたら不利だったのかな?部品の点数が多くなると故障の可能性の他にパーツ同士の摩擦とかは問題無かったのかな?
NR750発売時、楕円ピストンだけ備品注文されるのを避けるために、購入者だけしか注文できない条件がついてた記憶が
失敗は成功の“一部分”良い言葉ですね🤔
80年代の車のエンジンは自分が乗った車の中ではスムーズさでは本田が一番だったです、まるでモーター、自分がホンダZCに乗っていたころ初代ロードスターに乗って高回転時のざらつきで幻滅した記憶があります、NRは夢のバイクでした
いやいや、60年代から20年代の今までずっとHONDAはすごいです。宗一郎魂!!
これこそ究極のエンジンだと私は今でも信じていますよ。(*^^*) ホンダの技術的革新にはいつもワクワクさせられます。 3気筒 レブ アタック カムギア RCバルブ NSシリンダー カーボンホイール 素晴らしい。
このチャレンジ精神が好きなんですよね。ホンダにはいつもこれを期待してしまいます。当時の惜しむらくは片山敬済選手が2st500に乗っていればどんな活躍をしていたのかどうかということ。
NR500がトラブル山盛りでレースに出れない事が続いた時に、自分で市販RGB500を用意して出てた事がありました。そのマシンで確か3位に入ったことがあったような・・・。やっぱり実力はあるんだなぁ、って思いましたね。柳沢雄三氏が手を加えてたってのもありますが、市販レーサーで大したもんです。
当時、本田贔屓では ありませんでしたが、あのスピリットには憧れました。
「V-tec」も 他メーカーやエンジニアはこぞって「?」を付けていましたが、結果的には大成功でしたよね。「あの頃のホンダ」を知る者にとっては、正直 何とも物足りない「今のホンダ」です。
V-tec、ポルシェがやっていた技術でした。
「量産乗用車世界初」なのでした。
今は、無断変速の可変バルブが、普通の車に採用されているのでしょうかね。
やがて、電化されてしまう時代になりますが(悲)
宗一郎さんからの輝かしいエンジン屋のイメージを捨ててEV化重視を打ち出したホンダは全然魅力ないですね、水素エンジン開発トヨタ、水素ロータリーマツダへの乗り換えを検討中です。
必ず出てくる元関係者。
@@ウルトラJ本田宗一郎翁が存命ならそんな時流にのみ流された事はしなかった様な気がします、寧ろ反骨してトヨタ自動車やマツダが今やろうとしている事を率先したでしょう、もしくは反対にトヨタ自動車の先を越そうと誰も言わない10年くらい前に電動化の構想をぶち上げたりしていたかも知れない。古来前輪駆動大好きなホンダ車には一度きりしか乗らなかったけど本田宗一郎氏はやはり神がかってみえました。
@@ミッシェルガント-y7j バイクではもっと早くバルブ休止と言う形で採用していたけどね。
量産型NRの関係者だったが、エンジンの歩留まりは本当に最悪だった、現場で作業方法を根本的に見直し、研磨ジグまですべて見直された工程は、当時車内のQCサークル、NHサークルの世界大会まで行きました…当時狭山にあったホンダエンジニアリングなんだけれどね、あと当時F1のピストンも作ってたんですがこれもまた超ウルトラ歩留まりがダメで、小型フォークリフトで運ぶバケットにぎっちり詰めて使えるの2-3個というやはり鬼畜でしたね~~今だから笑い話になるけれど当時みんな死にそうな顔して作ってたよ
量産型見た時は、あんなもんどうやってホーニングしてるのか訳がわからんかったわ。
レーサーの長円の方が遥かに製作が楽だろうと思った。
分かるわ
歩留まり悪いヤツ作る時一番キツイ
めっちゃメンタルにくる
@user-mc1nr2pf3rバカだね。お前が知ってるかわかんないが、ホンダは一人社長の町工場じゃねえよ。主管開発者から、開発チームや設計チームだけが関係者かよ?生産技術や、製造まで大量生産の市販車で無い限り、全て主要な社員だろ。大企業の物作りとか解んないんだな。てか小学生レベルな批判が、お前が社会経験さえろくな仕事してないことを露呈しているぞ。
大学受験当時NRに憧れて理工系受験を目指していました。私は電子部品や半導体の営業マンですが、シリコンウエハに感光印刷から最後にチップにした後の特性のばらつきは、たこ焼きの様に個体ごと別物の特性。モノは違えど、尖った仕様を抽出した良品の大変さ。共感しました。狭山工場で勤務していたシルバーさんが多数私の配下にいたから、憧れたホンダの仕事をたまに聞きました。
ゴードン・マーレイがマクラーレンF1開発する時に最初ホンダにV10かV12エンジン供給打診して断られたって逸話が有るが、そんなに歩留まり悪かったらそりゃホンダもNOて言うわな。マーレイもF1マシン用エンジンがそこまで歩留まり悪いとは思ってなかったかも。
私は「NR500唯一の一勝」を、鈴鹿のメインスタンドで見て居ました。チェッカーを受けたその瞬間に、スタンドの全員が総立ちに成り、雄叫びを挙げ、拍手喝采で祝福しました。目の奥に深く焼き付け、今でもその時の光景を有り有りと思い浮かべる事が出来ます。表彰式の時に、マシンも一緒に並べるのですが、クルーが緊張していたのか、スタンドを掛け損ねてマシンをコケさせてしまった時にはスタンドから笑いが起き、「それも御愛嬌さ!」と言う感じの軽い拍手が有りました。表彰台の木山選手は花束を片手に両手を上げ、満面の笑みで飛び跳ね、本当に嬉しそうでした。あれでNR500が終わってしまったのが残念です。
鈴鹿サーキットには感動の歴史が刻まれている。あの場所に立つと何とも言えない感覚に包まれる素晴らしい所だ。
4stが2stより優れている唯一の利点である燃費が良いということを活かして他の2stレーサーがレース途中で一回ピットインして給油するのに対して、NRは給油なしで完走する作戦だったらから勝てたんだよね。速さで勝ったわけじゃないからどうだろ?
元々200マイル(320キロ)レースだったのが、NRが無給油で走り切れる200キロレースにレギュレーションが変更されたから勝てた、とは言えあの高回転エンジンを良くコントロールできたな、と思います。当時バックトルクリミッターとかあったっけ❓
私は3コーナーのあたりで観てました。
@@kusaba555 瞬間的な速さでなく、レース全体のトータルでの速さですかね
最高速だけでは勝てないですよ
Tiger-Juice様 ピストンリングにまで言及してくださってありがとうございます。
父が、このリケンに勤めてた時にこのピストンリングの話を聞いた事があり、ホンダからNR(750cc)を贈られたとか。
このマシンの開発に携わりました。ネットの無い時代、日曜の早朝に守衛所に現地から入るFAXが最速の情報源でした。月曜の朝に出勤すると守衛所で「完走した?」と聞くのが習慣だったのをのをよく思い出します。
開発してるなら休日出勤くらいはしろや!
@@jamesloc9928 おっしゃる通りです。しかも懸念されるのは「目的とする勝つための手段である技術」が目的化していなかったか、です。
ホンダ車は優等生と言われたけど、実は最もブッ飛んだことをやってたのが他ならぬホンダで、ブッ飛んでるものをちゃんと使える技術として磨いて市販車にフィードバックしていたからこそ。
ホンダファンは、こういうスピリットに惹かれるのよね。
そして今もそれはRR-Rに受け継がれてるのがエモいよな
市販車で999cc、218psとかバケモンすぎるw
(SuperLeggelaV4は除く、あれはmotoGPレーサーとほぼ同じ設計だからね)
「失敗は成功の一部」 いい言葉ですね
「不利を承知の4ストローク」NRはホンダらしさ全開のマシンでしたね。
その影響は後のF1のエンジンレギュレーションに“ピストンは真円であること”の一文が入るほどでした。
NR500は複雑すぎる構造のためにレースの現場ではセッティングすらままならなかったと聞きましたが、後日実車を見て納得いきました。
一方耐久レーサーに仕立て直したNR750は恐ろしくパワフルで、鈴鹿でテストした際に同時に走行していた500のGPマシンにストレートでグングン追いついて行ったという逸話から、このエンジンのポテンシャルに改めて驚いたのを覚えています。
試作されていたというNR250ターボにもやはりこの長円形ピストンが採用されていたんでしょうか。
NR特集で見ました、その様ですね。2つのターボ過給トライが為された様で、設定されたブースト圧(圧力値不明)条件下で、NR直列2気筒等爆ターボ試作だと等爆により燃焼マッチングは取れたが直列2気筒形式によりクランク振動が強く成り過ぎ、NR90度V型2気筒ターボ試作だと90度V型2気筒形式により振動は抑えられつつも不等爆により燃焼マッチングが取れなかった、との事。
試されなかったNRボクサー2気筒ターボについて私見予測をさせて頂くと、確かにボクサーベースなら、振動も燃焼マッチングも取れます。ですが、ボクサーだと2気筒とも同時にクランクケース容積を圧縮する動作に成ります。過給でクランクケース圧力もブローバイガス圧力やら高くなり管理も大変、管理以前の耐用設計でクランクケースが大きく成り過ぎる懸念も出ます。二輪用エンジン故にミッションも一体構造、ミッションへの支障因子も強く成るでしょう。
失敗を許す、失敗を予測しながら仕事をする・・・素晴らしい精神ですよねぇ 指導する立場で『失敗を許す』のは中々出来る事では無いですが人を育てるにはとても重要で忘れてはいけない事だと思います。
失敗を前提としないと開発なんて出来ないですからね〜
あの頃のホンダが好きだ!今は只の商売人にならはったんやねぇ~
失敗じゃないです。夢を量産しました。
R32型GTR買えるじゃん!と値段間違ってないかと、問い合わせ多かったらしい。
参考:1992年5月 HONDA NR 520万円と発表
1989年 R32GTR 新車販売価格 445万円前後
長円であることに言及してくれたTJ姐に感服
デビューは1979年のイギリスGP(シルバーストーン)でしたね。前年辺りから専門誌には様々な憶測記事が出回り、ワクワクしながら読んでいました。当時はまだ本社は青山ではなく、原宿近くの神宮前のヤシカのビル🏢に間借りしていましたね。兎に角、負け続けても興味津々でした🤩 唯一の優勝は、1982年の全日本選手権、鈴鹿で木山賢吾さんのレースで、2ストよりも燃費が良い点を活かした作戦勝ちでした。1992年にオンロードモデルNRが発売され感激して、青山の本社で豪華なカタログを戴きました。永遠の憧れです🥰
@@ontheroad8573 木山さんの優勝、覚えてます。
8耐前の6月に行われた雨の鈴鹿200kmですね。
何としてでもNRで勝ちたいホンダは、前年までのレギュレーションにあった「最低1回以上の給油義務」をその年は無くして、無給油で走りぬいたと記憶してます。
F1に進出した時もそうだけど、
昔のホンダは変態エンジニアの集まりだった。
今のホンダは、ただの大企業に過ぎない。
寂しい限りです。
畑違いのエンジニアですが、技術的にとても良くわかり、感動しました
「失敗を許すと同時に、失敗を予測しながら仕事を推進する」これって、先輩の教えを守る堅実な開発ではなく、守らずに失敗する只の無謀でもなく、先輩の失敗を克服して新技術を生み出す革新の精神で、これこそ後輩に持って貰いたいと感心しました
あの頃の夢をありがとうございます
hirolin9119 様、拍手ありがとうございます!大変励みになります。今後もホンダのバイクエンジンの動画をアップする予定ですので、よろしければまたご視聴ください。
確かにありましたねNR500
もう何十年も前に作った片山が乗るNR 500のジグソーパズルが家に飾ってあります
最近は本田宗一郎が生きていた時代と違いホンダにはびっくり箱のような面白い自動車が見るられなくなりました
これも時代でしょうか
守りに入った製造業に明日は無いと思うのですが
ホンダの技術者は今のような電池自動車や電池バイクを作るために入社したとは思えないのですが
ホンダにはメカニカルノイズ、吸気ノイズ、排気ノイズ、ガソリンの匂い、オイルの焼ける匂い、排気ガスの匂いが有ってこそホンダなんだと思うのはもう古い人間なんでしょうね
市販車のNR750のエンジンはオーバーホールが不可能になりました。
世界で唯一、オーバルピストンのピストンリングを生産できたホンダの下請けが、リーマンショックの時にホンダが見捨てたため倒産しました。
動画ではピストンリングはリケンが生産したと言ってましたが、違うのですか?
多分嘘言ってんだろけどさ
しかも在庫あるやろ
今回も楽しい動画でした。
個人的にNRの失敗はホンダが欲張り過ぎた事だと思います。
まずエンジン、車体、サスペンションとか順次完成を目指す物を同時進行でやった事だと思います。まぁそれだけパワーのある時代でしたが。
NRプロジェクトは失敗かもしれませんが、技術者が頭を悩ましてた時間は無駄ではないと思います。
片山敬済さんが乗っていたあのNRですか。当時の映像を見るとエンジンの重さもさることながら、2スト勢のビンビンのレスポンス(前傾姿勢でもすぐウイリー)に対しモサーとした印象でした。同じ排気量で4ストが2ストに勝つのはやはり無理です。ですが近い位置までいったホンダは凄いとしか言い様が有りません。
ライダーとしてランキング上位までいってたのに、こんな事に付き合わされて可哀想…
その後、僅か数年で市販車FZ250で20000回転が出て驚いたw
んな事言いながら自分はRG400スクエア4買ったけどw
コンビニコーヒーでもどうぞ ( ^^) _旦~~
NR・・・。新しい技術に驚いていました。感動的な動画をいつも有難うございます。
日本はサービス業だけじゃない、工業製品でも世界一のポテンシャルを持ってる。
中国中心にならずに将来につながって行って欲しいです。
Hola!様 ありがとうございます!
仰る通り、中国i依存になっている分野を見直し距離を置くべきだと思います。
密かにHondaへ期待しているのは、いち早くアシモを一般家庭へ普及して欲しいと思っています。
自動車だけでなく、Sonyと協力して世界が変わるようなものを出してくれるよう、勝手に期待を膨らませています。
HONDAの4Stレーサーへの執念。過去にツインリンクもてぎコレクションホールで開催されたレーサーの展示会で観た、50ccから250ccまでのレーサーモデルとその部品の小型さ精密さに感嘆し、遂に見たオーバルピストンの実物造詣。
V8を2気筒ずつ連結して4気筒にし、超ショートストロークにして回転数を稼ぐ思想と考えると分かりやすいと所員?に説明され納得。その後のF1展示会でのV12の凄さに、4StのHONDAここにありと納得した思い出があります。
楕円ピストンは、市販車では直線部はなくなり緩やかな曲線になって、ピストンリングへの攻撃性が減ったと知って、国際レースレギュレーションで楕円形状ピストンが禁止されたことが残念でなりません。こんなにも凄い技術を生み出せる集団と下請け部品メーカーがあるのに、エンジン廃止決定で捨て去るとは・・・・。血迷ったかHONDA!と悲しいです。
最近のホンダは「技研」のイメージ無いもんなぁ😢
最近では「挑戦」が抜けている感覚。
時代だから仕方ないとは言え、2輪各メーカー共に“企業”のイメージの方が強いかな…オヤジさんは首傾げてるかも知れんね
まぁ売れないものばかりになって潰れたら本末転倒だしなぁ。
技研は量産現場見ないから部品共通化が進まず、無駄も多かったんですよ。
車は惰性でやってるだけだから。本業は飛行機
ここ数十年、2輪4輪問わずホンダで1番好きな話です。しかも初めて知るエピソードが多くて感謝です。
市販車は本当に必要としているユーザーに行き届かなかったRC30の反省から期間限定の受注生産だった記憶があります。
片山さんからスペンサーへの遍歴にこのような背景があったとは…涙無くして見れません。素晴らしい動画の制作、有難うございました。汚れた英雄を4回も買い替えボロボロになるまで読んだ世代です。
いつも解りやすい解説を有り難うございます 長年オートバイ業界に勤めながらも疑問に感じていたことが理解できて大変助かります ナレーションの方の少し関西弁のイントネーションも可愛くて素敵です お客様にも閲覧を勧めております
Tカー懐かしいですね。
当時素直にV8にすれば?と思っていたが気筒数縛りがあったのですね。
楕円ピストンはピストンリングがー、で思い出したが戦後ホンダを支えてたのはトヨタへのピストンリングの納入だったような。
懐の広いプロジェクトだったような説明だが、うちは4ストだと宗一郎が2スト開発を許さなかったと妄想。
80年代のホンダが素晴らしいってよりこの技術を開発することに金を出す事を良しとした『時代』が素晴らしかったんだと思う。
『今』同じレギュレーションだったとしてその開発に金は出ないかな。
モータースポーツが一番輝いて居た時代だと思うよ。
レーサーNR500 市販車NR750 ともに夢のある車両です よくぞここまで詳しく動画にしてくれて感謝です
レースから生まれた技術は計り知れないほどの能力が必要でホンダらしいなと
魂のこもった動画でした。
目標に向かって努力する人たちと、それを意気に感じて協力を惜しまない人たちを思うと涙が止まりません。
確かに企業は営利を求めるものですが、働くことにロマンを排除して営利と効率だけを追い求めると、仕事が苦痛になってしまうと思います。
僕もロマンを求め、挑戦を続けて働いていきたいと思います。
この時代中学生から高校生でHYもスズキやカワサキにも切磋琢磨していた。世界での活躍にワクワクしてみてましたね😊メーカーや技術者の努力の結果はその時失敗でも経過の経験が次の開発に繋がったのだと今思いますよ。私は社会学部出身なのでエンジニア筋ではありませんが此れ等の時代の自動車や単車の革新的技術力が今の各メーカーの財産で力なのだと思い出ます。息子に小さい時からこの時代の話しや動画を見せながら育てました。彼は今年某自動車メーカー開発部署に務めることになるらしい?ですが😮自分の若かった時のワクワクと日本メーカーの威信を再び取戻す様になって欲しいと思う😅時代の変化は激しいので多少は心配しながらも見守っています😂
日本のエンジニアに敬意をと🎉
『4ストで2ストに勝つ』コンセプトと信号機を見て閃いたアイデアを形にする技術力、ホンダミュージアムでエンジンのカットモデルを見た時思わず「HONDAバカなんじゃねぇの?」(←褒め言葉)って笑ってしまった。
今や伝説の語り継がれるエンジン。
オーバルピストンのNRとは懐かしいですね。
ホンダによる不屈の技術による挑戦は男の浪漫でもありますね。
ホンダインライン4の時計のように緻密な回転はこのオーバルピストン開発があったから作り上げられたのでしょうか?
エンデュランスのためのVFRのV4もNRの技術が応用されているでしょうし、後輪部のプロアームはエルフプロジェクトからの流用ですかね?
技術革新とは繰り返される挑戦と失敗の積み重ねからしか生まれないのかも知れませんね。。。
'83の東京モーターショーに参考出品されたフレーム・ホイール・Fフォーク等がカーボン製で、エンジンにもチタンとマグネシウムを多用した「NR 3X」が最高にかっこよくて、「これならまだ戦えるはず!」と思ったものでした。
8バルブ長円形ピストンをやめて、次のエンジンがV型3気筒というのも、ホンダの凄いとこだよなあ…意地でもオーソドックスなエンジンは作らない!😅
NRのド変態エンジンに隠れがちだけど、NSのV3だって十分変態エンジンなんだよな😂
112°V型3気筒だけど、燃焼は120°間隔…要は並列3気筒と同じ。
どんなクランク位相なんだよあれ!?🤪
いつも詳細な検証有り難うございます。
とうとうホンダ珠玉の挑戦、NR500が来ましたね。
良くも悪くも独自の路線を貫くホンダの姿勢が、今では懐かしいですね。
プロジェクトリーダーだった福井威夫氏が後にホンダの社長に。
レースは走る実験室。って言葉をホンダは忘れないで欲しいです。
何気に東京モーターショーで展示してあったホンダのNRがカッコ良かったのでモーターショーでまたがってました。
タミヤのプラモデルでも作りました。
楕円ピストンエンジン搭載と言うのはプラモデルの説明に掲載してありましたが、恐らくここまで深く見たのは初めてだと思います。車の動画はワクワクしますが、モーターサイクルの動画も奥が深いと思います。
これは失敗を糾弾するより、チャレンジを称えるべきものだと思っている。
ホンダはいまだにそうだけど、やっぱり変態的でマニアック。
それだけに熱狂的なファンも多い。
私もバイクや車好きですが、1970年代にそのようなエンジンが、有った事知りませんでした。
とても、良い動画観れて、良かったです。
これからも、色々なエンジンに関する動画など、楽しみにしています。
ありがとうございます!
のず様
拍手をありがとうございます!
大学生の頃、VFR400Rを購入する時に、楕円ピストンのレースエンジンの事を知りましたね。
ホンダらしい技術だと思ったことを記憶してますね。
レースでは、結果が出なかった事は残念でしたが、フレームの技術や後のプロアームなどのスイングアーム技術など、市販車にも生かされた技術がありますね。
後日談で
耐久仕様のNR750はルマン24時間で優勝しています。(ライダーの一人がネモケンさん)
チューニングした市販車のNRは最高速300Km/h以上出してギネスブックに載りました。
(ライダーは当時ホンダと契約していたロリスカピロッシ選手)
ルマンはリタイアですよ。
NR750が優勝したのはオーストラリアのスワンシリーズです。
当時リアルタイムで注視していました、ホンダは四輪F2にも力を入れてましたが二輪GP復帰の衝撃は凄かった。国内レースでは木山選手が優勝しましたね。
失敗や一見無駄にみえることも、技術の奥行や革新に大きな影響をおよぼす。効率追求や利益を追いもとめる 今のホンダ。欧州の政治イデオロギーに流され燃焼技術をすてEV化を選択したホンダ。80年代のホンダがすきだった。
おっしゃるとおり今のホンダは・・って言い方になってしまいますが、創業者もとっくに亡くなり、図体も大きくなり企業の存続を優先させるとやむを得ない・・かも知れません。
問題はかつての本田のようなベンチャー企業が生き辛い環境に日本社会がなってしまったことかもしれません。今、日本は滅びの道を辿っている。
サーキットはHONDAの実験場😊
逆にここまでホンダがやり込んでも同一排気量では2stにかなわないということでMOTOGPでは900CCになったはず。
当時に900CCでNRのエンジン組んでたらどうなっただろうか?
素材、部品の技術も成長途中とは言え、計算上は当時でも200馬力行けたのかもしれない。
相当やばいマシンになりそうだが。
市販NRも相当やばかった。本体価格500万オーバー。ホンダのプレリュードのCMに出演してるが、当時、「ゲストのほうが倍以上高い」と話題になったものです。
モトGPのレギュレーションで900ccに変更した際に、楕円ピストンエンジン4気筒の馬力は243PSとなります。
当時のNSR500は180PSなので、これでは勝負にならないでしょう❗
因みに、1986年に楕円ピストンエンジンの排気量を750ccに上げた時のプロトマシンNNR750は、188PS/18,500あり、当時のNSR500の160PSをバックストレートの立ち上がりの直線でぶっちぎったそうです。
NRについて表面的な知識しか持って無かったが、開発秘話などを知ることが出来ました。
よくぞ、ここまで分かりやすくまとめてくれました。
一気に観終わりました。
木山さんが1勝したのは今でも思い出します😊
このNR、90年代位までは海外の閣僚クラスの方が視察する時のホンダ技術展示で、必ず展示されていたんですよ。
NR本体はレースでは結果が出なかったけど、まさに動画で語られているように後の技術に大きな足跡を残したホンダの誇りなんです。
90年前後の東京モーターショーホンダブースでプロトタイプNRが展示されていたときは大興奮してしまい、夢中で写真を撮っていました。良い思い出です(´∀`*)ウフフ
大変見ごたえがありました!
詳しい解説と、貴重映像の数々…ありがとうございました。面白かったです。
ロマンですね。
NR250turboでレースに出て欲しかったです。市販型のVT250turboで80ps出てたので当時の運輸局の認可が降りなかったと、当時の開発者の方から聞きました。
楕円ピストンエンジンの開発で、過給器付きまでしてましたね!
当時のレースのレギュレーションでは、過給器付の排気量は1/2の250ccとの事で、V4の半分のV2にて開発し、最終的に
『V型2気筒250ccツインターボ/インタークーラーで153PS/18,500rpm(2バール時)』
まで試作しました。
1Lあたり612PS❗
一度でも良いので走っているのを見たかったのは自分だけでは無かったと❗
押しがけスタートでなければポイントは取れたかもしれない。
スタートで置いていかれるのは話にならなかった。
2スト3気筒のNS500の始動性は抜群だった!
今回もとても見応えがありましたありました!
全体の構成が素晴らしいです!
ホンダスピリットの真骨頂とも言えるのがNRだったと思います
このバルブ配置を見るといつも「真ん中にもう一本プラグ配置してぇ!」って思う
コンピュータのなかった時代によくもまあ作ったもんだ
今なら開発・加工の支援にだけでなくエンジン等の制御にも使用できる時代だからもっと素晴しい物ができると思う
その後コンロッドもレギュレーションで気筒あたり一本に制限されたような・・・
ホンダがいちばんホンダらしかった時代
やっぱり誰でもそう思うんですね。
今や軽のメーカーになってしまったホンダ。
寂しい限りです。
パニガーレV4とか本来ホンダがリリースしなければならないオートバイですよね。
豊田章男「今は仲間がいる。今の仲間は失敗ギリギリまで攻めて来る!何故か!私が失敗して良いと言ってるからです…失敗するな、って言うと皆萎縮して安全を取って来ますから、攻めて来ません。トップが失敗を許すからみんな攻めれるんですよ!」
山本健一「責任を取って辞表を提出します」
松田恒二「ここでやめてしまうとロータリーは失敗だったということになる」
山本健一「(RX-8のエンジンを見て)僕らがダメだった部分(サイド排気)もしーっかり成功させてる。志を持って、挑戦し続けてるんだなあ、と感じましたね」
本田宗一郎「(二輪車メーカーがF1挑戦一年目最終Rで1位を取る。しかも当時フェラーリとポルシェ以外やってなかった、エンジン・シャーシを同じメーカーが担当)F1は走る実験室です!」
確か楕円ピストンはデカい金属ブロックの中でも、均一で高密度の中心部分しか使えないと、贅沢に削り出して造られたらしいですね
手の届く代物ではありませんでしたが、市販されたNR750には憧れたものです
今に至っても唯一無二の技術ですね
入交昭一郎さんの入魂の一作。
円筒シリンダーとはまるで異なるだろう膨張の特性、ピストンリングをどうするかなど、考えれば考えるほど難問山積で、よく挑んだと思います。
しかし、4バルブよりは5バルブ、5バルブより8バルブのほうが抜けが良い。8バルブでは円筒シリンダヘッドに収まらないので楕円、と。
思考方法が直線的でイノベーションとは言えず、技術的困難さの割りに得られるものは少なかっただろうと思います。
素晴らしい動画ありがとうございました チャレンジングスピリッツ 魂が揺さぶられますね
水冷VS空冷も 凄まじい戦いがホンダ内でありましたよね また機会があればお願いします
楕円シリンダー、REV(VTEC)、HFT(無断変速機)、V型5気筒・・・世間をアッと言わせる事をするのがホンダですよね。
昔富樫ヨーコさんの著作『ホンダ二輪戦士たちの戦い』を読んだことを思い出しました。新しいものを作り出したワクワクとともに、とにかく勝てない話ばっかり続いて、読んでいてなかなかツラいものがありました。技術上のロマンと、リアルワールドのパフォーマンスとは必ずしも同じ線上にはないんだなと痛感させられたものです。
NRが無ければ短期間でのNSでの優勝はなかった。30億円でのちの技術力を買えたなら安いモンだ。
この技術をもう一歩進めて、4輪最高峰のNSXにも採用すべきだったのでは?
あれだけ凝った車体構成したのにエンジンはレジェンド用V6をベースにした
特に特色無い(まぁVTECとかはあれど) のが画竜点睛を欠く感じだった。
コスト的にとか数作って安定した性能とか理由も判るが、せっかくの技術なのだから
頂点車種には他所には真似出来ない技術を出し惜しみせずに搭載して欲しかった。
これV8エンジンをシリンダー繋げてV4にしたイメージなんですよね、GP500 ではあまり成功しませんでしたが耐久では結果残していますね
エンジンが重くなるということは重量バランスとしても不利になる、同じレギュレーションではどうしても不利になってしまうとこに挑戦したのは当時のホンダらしいと思います
今のホンダでは絶対ありえない力ですね
やってる人は大変だったろうけど、見ている分にはとても面白く興味深かったですね。すごく刺激的。
NRな、片山さんがね、泣いてたもんなホンダと契約してたのに、自分でRG500買ってレースに出てたもんな
スペンサーの乗ったNSに受け継がれたのいいことだけど片山さんが可愛そう
エンジン車を捨てて、EVに全振りするという愚かな決定をした今のホンダに、NRを開発した当時のホンダエンジニアは何を思っているのだろう。正直なところ、悲しくなります。
時代の流れは残酷です
経営判断として正しいでしょう。営利企業なんですから。テスラや大型EVバイクに乗ればわかるが0からのフルトルクでる電動車は面白いですよ。
外野は無責任に何とでも言える
内燃機関は残すべきですね。インフラ含めEVの欠陥があぶり出されてきていますからねえ。
現状ではEVにデメリットが多すぎて、内燃機関を無くせないと結論が出ましたよね。
まさにホンダドリーム✨
失敗は成功の一部、沁みますねー
持続出来ない物を作るのもHONDAの特徴 NSX、z、今電動ターボなる物まで作ろうとしてる
NRのエンジンは実質8気筒エンジンなんだけれど、レギュレーション上では4気筒までなので、2個のピストンを1個に合体させたイメージの方が正しいかな。
長円のシリンダーの加工、ホーニングのし方、ピストンの作り方やリングの細かい形状など、開発陣は恐ろしい程の努力をしただろう。
誰がどう考えても不利な4ストでレースに挑む変態技術のホンダには憧れたなぁ!
なお、ターボがあれば4気筒でも楽に200馬力は得られただろうに…。
当時のレースのレギュレーションでは、過給器付の排気量は1/2の250ccとの事で、V4の半分のV2にて開発し、最終的に
『V型2気筒250ccツインターボ/インタークーラーで153PS/18,500rpm(2バール時)』
まで試作しました。
1Lあたり612PS❗
一度でも良いので走っているのを見たかったのは自分だけでは無かったと❗
当時思った事はピストンリングの精度。
4ストローク技術で勝つんだ!と言う意気込みが凄いのと、それを形にして実用化まで持っていったエンジニアを始め関係者の方達には本当に頭が下がります。
まさしく、不可能を可能にした訳でして、結果的にはレースで勝てなかったけど、とても有意義なプロジェクトだったんじゃないかと思います。
ホンダさんはいつの間にかトヨタの後追いをやって業績伸ばした感があるけど、結局やっぱり行き詰まった。金儲けは否定しないけどスピリッツの火が小さくなると結局ファンの期待値は下がって売れなくなる。難しいね。
本編との広告時の音量差あり過ぎて耳が…本編の音あげて欲しいです😂
えっ、コレ広告入ってるんですか。
知らんかった。
by youtube pro ユーザー
自分は ReVancedを使ってる
Official アプリは管理用で
3rd パーティから インストした旧 ver
無論
勝手な update防止の為に
Play ストアは バックグランド停止済み。
本来4ストは2ストの2倍の排気量で同等なのに4ストでチャレンジしたHONDAは凄い。
WGPで勝てなかった理由のひとつにアクセルオフ時の強烈なエンジンブレーキがあったそうです。
あの天才フレディ・スペンサーでも勝てなかったので当時は500ccクラスで2ストに勝つのは不可能だったんですね。
そしてホンダがエンジンブレーキ対策としてバックトルクリミッターを採用するきっかけになった。(1980年)
2分の1 デス
1.6倍で同等だよ。250㏄の2stと400㏄の4stが混走するTTF3やSP400がその係数で設定されている。
2倍だと差がありすぎるのは500㏄の2stと1000㏄の4stが混走した初期のmotoGPで証明されている
気筒数の縛りがなければ素直に8気筒で作られたでしょうから、レギュレーションの中で悶え苦しみながら生み出された技術ですよね。市販されるとなったとき市販車で楕円ピストンにしなければならない理由ってないと思うのですがホンダとしては技術を商品として残したかったのでしょうね。きっと儲けにはなってないような気がします。持ってる人は大事にしてくださいね。
まさにPower of dreamだよね、VFRやCBR250Rとか持ってたよ。この楕円ピストンの存在は大きくて、後にF1で搭載されるのでは?って噂になり、当時のFIAは急遽F1エンジンのレギュレーションを変更してバルブ数制限を課して楕円ピストンエンジンの出現を阻んだ事は有名だよね。他のエンジンビルダーには実現不可能な沢山の技術ノウハウをホンダは持って居たので。
新谷かおるの作品「ジェントル萬」でも紹介され、作中ではF1用の新型エンジンに採用する計画が出されていた。
この楕円シリンダーはF1では速攻で禁止されました。それだけ衝撃を与えるシステムでホンダスピリッツの塊でした。
今ホンダスピリッツを引き継いでるのは航空機分門かな??あれは非の打ち所がない完璧な回答ですよ。
恐らく航空機業界にとってはラストフロンティアだったのが翼の上の空間で、アンタッチャブルなゾーン・・・興味はあっても手を出すなって領域!
そこにあえてチャレンジして、常識を覆して効率の良いシステムを築き上げたんだから、これぞホンダの真骨頂!という感じです。
これは良い動画
為になりました。
まぁ当時としては無謀なチャレンジでしたね。
しかしその後のTTー1やTTー3のv4エンジンは圧倒的に強かった。
特にTTー1ではホモロゲーションモデルまで発売されましたからね。
NRをやっていなかったらあのマシン達の登場は無かったでしょうね。
バイクには詳しくないけどこう言う、悪ノリで最速目指す→ナゾの意地→頭のネジまで軽量化→華麗に爆死、みたいなロマン丸出しの熱意は好きですw
昨今のインテリ風味サクセスストーリーには望め無い羨望を感じる
これぞ伝説中の伝説。
ホンダスピリットの詰まった夢のマシンでした。
今の技術なら長円シリンダーに対して長円2バルブ、1コンロッドも不可能ではないんじゃないか。。。
あの頃のホンダは、世界一の技術者集団でした。独創性、革新性、そして人に優しいものづくりとビジネスを超えた夢がありました。エリートでは無かったから常に挑戦し続けましたが、会社が大きくなりホンダも急激に保守的になって魅力を失いました。当時技術もないのにプライドばかりで、流行り物を取り入れて安直な物作りしかしていなかったエリート日産に今のホンダが時々似てきている様に思える。
後のVT250VFR400 750がこの開発があったればこそだと思います。
二輪と四輪で明暗がくっきりしてるのが闇深い
f1ではホンダが作りそうとFIAが妄想した時点で禁止されてしまった
アイデアを実現するのはホンダらしいです。
押しがけの時代だったと思うし、そこも2ストに比べたら不利だったのかな?
部品の点数が多くなると故障の可能性の他にパーツ同士の摩擦とかは問題無かったのかな?
NR750発売時、楕円ピストンだけ備品注文されるのを避けるために、購入者だけしか注文できない条件がついてた記憶が
失敗は成功の“一部分”
良い言葉ですね🤔
80年代の車のエンジンは自分が乗った車の中ではスムーズさでは本田が一番だったです、まるでモーター、自分がホンダZCに乗っていたころ初代ロードスターに乗って高回転時のざらつきで幻滅した記憶があります、NRは夢のバイクでした
いやいや、60年代から20年代の今までずっとHONDAはすごいです。
宗一郎魂!!
これこそ究極のエンジンだと私は今でも信じていますよ。(*^^*)
ホンダの技術的革新にはいつもワクワクさせられます。 3気筒 レブ アタック カムギア RCバルブ NSシリンダー カーボンホイール 素晴らしい。
このチャレンジ精神が好きなんですよね。
ホンダにはいつもこれを期待してしまいます。
当時の惜しむらくは片山敬済選手が2st500に乗っていればどんな活躍をしていたのかどうかということ。
NR500がトラブル山盛りでレースに出れない事が続いた時に、自分で市販RGB500を用意して出てた事がありました。
そのマシンで確か3位に入ったことがあったような・・・。
やっぱり実力はあるんだなぁ、って思いましたね。
柳沢雄三氏が手を加えてたってのもありますが、市販レーサーで大したもんです。