Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
片山さんの貴重なお話し、どれも楽しく、だれも知らなかった当時の事を惜しげもなくお話ししてくれてうれしいかぎりです。
74年頃MC誌の座談会で隅谷さんが「片山というとんでもなく速い子が現れた。時代が変わった気がする」という様なコメントをされていたのを思い出しました。
バイクに乗り始めた頃、本田のレーサーで凄い人がいる!という話を聞いてから隅谷守男さんのファンになりました。 真似をしたくてヘルケットを隅谷さんデザインで塗装をしてバイクに乗っていました。 その隅谷さんのお話をレジェンドライダー片山さんの口から聞けるとは思いもしませんでした。 バイクに乗り始めた当時の頃がスッと蘇って懐かしく思います。 隅谷さんのお話をしてくださいまして感謝しています。 ありがとういございました。
当時オートバイ誌の広告で「静かなる男の為の500」というフレーズに憧れてCB500fourに乗ってました。
マイクHのレコードを破ったレースを見ていました、興奮の場内アナウンスは今でも耳に残っています。S字ではドリフトしてコースアウトしそうでも何故か縁石でピタッと止まりカーブを抜けて行き、もう神業としか言えませんでした。それとサーキット内の建物はRSCですね。
今週も有り難うございます 「今ご健在なら」 そんな世界で戦った男達のお話はずっしりと心に響きます
ホンダ4スト乗りと言えば「静かなる男」隅谷守男さんでした。このCB500Fourのキャッチフレーズが隅谷さんの印象でした。後にRCBが登場し耐久レースやスーパーバイクでホンダ4ストは世界を制しますが、スプリントレースで2ストと渡り合った隅谷さんを継いだのは片山さんでしたね。「静かなる男」隅谷守男さんの好敵手「ミスターカワサキ」和田正宏さんの登場が嬉しいです。
記憶に有るのわ鈴鹿サーキットでの川崎たいホンダ川崎のエ-ス川崎対角谷守男のバトル.初めて見ました角谷守男の二輪ドリフト対川崎の二輪ドリフト信じられ無いバトル
隅谷さん境町から榛名山(秋名山)へ通っていたという!
自分の初めてのヘルメット、白いヤマハのヘルメットを隅谷守男レプリカに塗って原付バイクに乗っていました。隅谷守男氏を知ったのはバイク雑誌当時の「オトーバイ」の小さな記事で隅谷守男が鈴鹿サーキットでテスト中に死亡したという記事でした。それの情報から、たどってすごい人物だと知り自分のヘルメットの塗装を隅谷守男の日の丸ヘルメットにしていました。
隅谷さんが亡くなったのは、鈴鹿ではなくwikiに記述されているように1975年9月のポール・リカール・サーキットです。
@@weekendmen 教えていただいてありがとうございます。whikiは見ていなかったので当時の記憶の片隅からの投稿でした。
@@weekendmen wikiも間違い、実際に亡くなったのはブガッティ@ル•マン。当時の雑誌にもそう記載されてます。
晩年の昭和50年9月号の月刊モーターサイクリストで、カワサキ750RSに跨る隅谷選手の勇姿(4メーカーのナナハンを当時のセニアが乗り換えると言う企画)が読めます。また、同号の特集では、隅谷選手が徹底的に攻めたCB750F IIの集合菅結合部の削れた写真が両面見開きの白黒写真で掲載されていて、その迫力が半世紀近く経った今も思い出されます。今回、片山先生が語ったドリフト走法については、当時、神谷忠さんが「危険なので隅谷に口外させない」と仰っていた件と思います。時代も変わり歴史の一ページとして拝聴致しました。今聴いても血湧き肉躍るような快進撃、、現場にいた人だけが知る凄いお話を無料で聴けるって良い時代です。
隅谷さん片山さんお二人とも存じております、二人とも凄く早いライダーでしたね。
17:50 当時、RSC製のCB500Rは隅谷スペシャルと呼ばれていました。隅谷さんしか乗らないマシンなので彼しか乗りこなせないマシンに仕上げられていると当時から言われていたようです。最終的には650cc近辺まで拡大され3バルブ・カムギアトレインに『魔改造』されていました。亡くなったのはポール・リカールではなくブガッティ・サーキットでした。訂正いたします。
貴重な情報を有り難うございます。4バルブだと思っていました。4本マフラーが途中から集合管に変わりました?よね…
@@hakatapain ブガッティで亡くなった時のマシンはRCBのプロトタイプだったようですね。
免許は大型2輪ありますが今はフォルツァ250に乗っています。ハンドルの外側を持つのは昔からやってますよ。街中乗りでのクイックな動きを求められるときには便利なテクですね。それから当時の彼女のあの方がフランス国内をツーリング中であったのですが、当人曰く「日本で会えるからいいか」と考え会いに行かなかったと、何かの本で読みました。
話しのなかで HRCとありましたが 当時はRSCだと思います、、、 OHCのマシンで 2ストに勝つ ガキの頃 まったく理解できませんでした、 雑誌でしか情報が無かった頃 穴があくほど眺めていた記憶が、、、
1982年迄RSCで1983年からHRCですね、今や2.4輪両方に関わるとは時代の流れを感じますね。
隅谷さんは髭が濃かったのか青い剃り残しが印象的でした。当時はMFJもフジでレースを開催していましたね。
隅谷守男…私が子供の頃、伯父が隅谷守男のポスターを飾ってました。ルマンかボルドールか…耐久レースで亡くなった…ホンダのバイクを駆る伝説のライダー……。という印象の方です。レースが好きな私としては伯父のポスターをよく見ていたので「この人誰?」的な印象があって、後にすごいライダーだと知った記憶があります。私的にはヘルメットのデザインが好きです。片山敬済氏と交流があったとは…貴重なお話有難う御座います!
75年の確か オートバイ誌の記事だったと思いますが今でも覚えていますコース上に横たわったライダーの写真(当時は掲載されるのが当たり前でしたね...)をもちろん隅谷さん本人でしたまだ小学生だった自分が 不思議に何故だかずっと鮮明に記憶しています
「静かなる男」隅谷さんへの片山さんお言葉に先輩への敬意が強く感じられました。片山さんに出来ない走りはないはずなのに・・・隅谷さんが出てきたので今度は石川岩男さんをお願い致します🙏
鈴鹿で見ましたたしかCB600改でした
腕の筋肉がモリモリしてるのが写真でもわかります。片山さんは以前、レーシングスーツは動きを邪魔しないように大きめだと言っておられたと思います。隅谷さんはどうしてピッタリしたスーツなのか?写真なのでたまたまか?
当時(昔から)のスーツは、小牛の革が最上とされていた。薄く柔らかく軽い。安全性などの言葉は当時なかった。安全を考えるならレースをしない的な言葉もあった。私が膝や肘にモトクロスのパッドを付けたのを、バリーがイギリスに持ち帰り、世界に広めるキッカケを作った。「小牛の革」は動きを邪魔しないのでピッタリに作った。
今回も有り難う御座いますサーリネン繋がりで、金谷秀夫かと思いました。次回も楽しみにしてます
ペンネームは SF 小説の「ウルフガイ」シリーズから来てたりして。
CB650改”は あのマシンじゃないのか?ガンメタに塗装されたマシン俺も若き時 FLクラスウォーミングアップに突然出て来たマシン赤白で無く ガンメタだった 当時驚いたもの がホンダ何とかデイに出て来るマシンは赤白なんだよねあのガンメタのマシンだと思うよ CB650改そうねルマンで亡くなった時の現場写真 背中から撮られていた画何とも複雑な気持ちだったね 隅谷守男「静かなる男」ねCB650改?も静かなマシンだった NR500もね 2stはうるさ過ぎ片山 木山のNR500の音が聞こえなかったぞ今でも恨み?に思う2stの騒音
ルマンだったか、アフリカで亡くなったかと思ってました。生きてたらNR作ってたかな?神谷さんと喧嘩したかな?アップサイド?CB乗りは重いバイク乗りは自然とやってたねー オレも座禅やろ!
やっぱり平忠彦やな〜
片山さんの貴重なお話し、どれも楽しく、だれも知らなかった当時の事を惜しげもなくお話ししてくれてうれしいかぎりです。
74年頃MC誌の座談会で隅谷さんが「片山というとんでもなく速い子が現れた。時代が変わった気がする」という様なコメントをされていたのを思い出しました。
バイクに乗り始めた頃、本田のレーサーで凄い人がいる!という話を聞いてから隅谷守男さんのファンになりました。 真似をしたくてヘルケットを隅谷さんデザインで塗装をしてバイクに乗っていました。 その隅谷さんのお話をレジェンドライダー片山さんの口から聞けるとは思いもしませんでした。 バイクに乗り始めた当時の頃がスッと蘇って懐かしく思います。 隅谷さんのお話をしてくださいまして感謝しています。 ありがとういございました。
当時オートバイ誌の広告で「静かなる男の為の500」というフレーズに憧れてCB500fourに乗ってました。
マイクHのレコードを破ったレースを見ていました、興奮の場内アナウンスは今でも耳に残っています。S字ではドリフトしてコースアウトしそうでも何故か縁石でピタッと止まりカーブを抜けて行き、もう神業としか言えませんでした。それとサーキット内の建物はRSCですね。
今週も有り難うございます 「今ご健在なら」 そんな世界で戦った男達のお話はずっしりと心に響きます
ホンダ4スト乗りと言えば「静かなる男」隅谷守男さんでした。このCB500Fourのキャッチフレーズが隅谷さんの印象でした。後にRCBが登場し耐久レースやスーパーバイクでホンダ4ストは世界を制しますが、スプリントレースで2ストと渡り合った隅谷さんを継いだのは片山さんでしたね。「静かなる男」隅谷守男さんの好敵手「ミスターカワサキ」和田正宏さんの登場が嬉しいです。
記憶に有るのわ鈴鹿サーキットでの川崎たいホンダ川崎のエ-ス川崎対角谷守男のバトル.初めて見ました角谷守男の二輪ドリフト対川崎の二輪ドリフト信じられ無いバトル
隅谷さん境町から榛名山(秋名山)へ通っていたという!
自分の初めてのヘルメット、白いヤマハのヘルメットを隅谷守男レプリカに塗って原付バイクに乗っていました。
隅谷守男氏を知ったのはバイク雑誌当時の「オトーバイ」の小さな記事で隅谷守男が鈴鹿サーキットでテスト中に死亡したという記事でした。
それの情報から、たどってすごい人物だと知り自分のヘルメットの塗装を隅谷守男の日の丸ヘルメットにしていました。
隅谷さんが亡くなったのは、鈴鹿ではなくwikiに記述されているように1975年9月のポール・リカール・サーキットです。
@@weekendmen 教えていただいてありがとうございます。whikiは見ていなかったので当時の記憶の片隅からの投稿でした。
@@weekendmen
wikiも間違い、実際に亡くなったのはブガッティ@ル•マン。当時の雑誌にもそう記載されてます。
晩年の昭和50年9月号の月刊モーターサイクリストで、カワサキ750RSに跨る隅谷選手の勇姿(4メーカーのナナハンを当時のセニアが乗り換えると言う企画)が読めます。また、同号の特集では、隅谷選手が徹底的に攻めたCB750F IIの集合菅結合部の削れた写真が両面見開きの白黒写真で掲載されていて、その迫力が半世紀近く経った今も思い出されます。
今回、片山先生が語ったドリフト走法については、当時、神谷忠さんが「危険なので隅谷に口外させない」と仰っていた件と思います。時代も変わり歴史の一ページとして拝聴致しました。今聴いても血湧き肉躍るような快進撃、、現場にいた人だけが知る凄いお話を無料で聴けるって良い時代です。
隅谷さん片山さんお二人とも存じております、二人とも凄く早いライダーでしたね。
17:50 当時、RSC製のCB500Rは隅谷スペシャルと呼ばれていました。隅谷さんしか乗らないマシンなので彼しか乗りこなせないマシンに仕上げられていると当時から言われていたようです。
最終的には650cc近辺まで拡大され3バルブ・カムギアトレインに『魔改造』されていました。
亡くなったのはポール・リカールではなくブガッティ・サーキットでした。訂正いたします。
貴重な情報を有り難うございます。4バルブだと思っていました。4本マフラーが途中から集合管に変わりました?よね…
@@hakatapain
ブガッティで亡くなった時のマシンはRCBのプロトタイプだったようですね。
免許は大型2輪ありますが今はフォルツァ250に乗っています。ハンドルの外側を持つのは昔からやってますよ。街中乗りでのクイックな動きを求められるときには便利なテクですね。それから当時の彼女のあの方がフランス国内をツーリング中であったのですが、当人曰く「日本で会えるからいいか」と考え会いに行かなかったと、何かの本で読みました。
話しのなかで HRCとありましたが 当時はRSCだと思います、、、 OHCのマシンで 2ストに勝つ ガキの頃 まったく理解できませんでした、 雑誌でしか情報が無かった頃 穴があくほど眺めていた記憶が、、、
1982年迄RSCで1983年からHRCですね、今や2.4輪両方に関わるとは時代の流れを感じますね。
隅谷さんは髭が濃かったのか青い剃り残しが印象的でした。
当時はMFJもフジでレースを開催していましたね。
隅谷守男…私が子供の頃、伯父が隅谷守男のポスターを飾ってました。
ルマンかボルドールか…耐久レースで亡くなった…ホンダのバイクを駆る伝説のライダー……。という印象の方です。
レースが好きな私としては伯父のポスターをよく見ていたので「この人誰?」的な印象があって、後にすごいライダーだと知った記憶があります。
私的にはヘルメットのデザインが好きです。片山敬済氏と交流があったとは…
貴重なお話有難う御座います!
75年の確か オートバイ誌の記事だったと思いますが今でも覚えています
コース上に横たわったライダーの写真(当時は掲載されるのが当たり前でしたね...)を
もちろん隅谷さん本人でした
まだ小学生だった自分が 不思議に何故だかずっと鮮明に記憶しています
「静かなる男」隅谷さんへの片山さんお言葉に先輩への敬意が強く感じられました。片山さんに出来ない走りはないはずなのに・・・
隅谷さんが出てきたので今度は石川岩男さんをお願い致します🙏
鈴鹿で見ました
たしかCB600改でした
腕の筋肉がモリモリしてるのが写真でもわかります。片山さんは以前、レーシングスーツは動きを邪魔しないように大きめだと言っておられたと思います。隅谷さんはどうしてピッタリしたスーツなのか?写真なのでたまたまか?
当時(昔から)のスーツは、小牛の革が最上とされていた。薄く柔らかく軽い。安全性などの言葉は当時なかった。安全を考えるならレースをしない的な言葉もあった。私が膝や肘にモトクロスのパッドを付けたのを、バリーがイギリスに持ち帰り、世界に広めるキッカケを作った。「小牛の革」は動きを邪魔しないのでピッタリに作った。
今回も有り難う御座います
サーリネン繋がりで、金谷秀夫かと思いました。
次回も楽しみにしてます
ペンネームは SF 小説の「ウルフガイ」シリーズから来てたりして。
CB650改”は あのマシンじゃないのか?ガンメタに塗装されたマシン
俺も若き時 FLクラスウォーミングアップに突然出て来たマシン
赤白で無く ガンメタだった 当時驚いたもの が
ホンダ何とかデイに出て来るマシンは赤白なんだよね
あのガンメタのマシンだと思うよ CB650改
そうねルマンで亡くなった時の現場写真 背中から撮られていた画
何とも複雑な気持ちだったね 隅谷守男「静かなる男」ね
CB650改?も静かなマシンだった NR500もね 2stはうるさ過ぎ
片山 木山のNR500の音が聞こえなかったぞ
今でも恨み?に思う2stの騒音
ルマンだったか、アフリカで亡くなったかと思ってました。生きてたらNR作ってたかな?神谷さんと喧嘩したかな?
アップサイド?CB乗りは重いバイク乗りは自然とやってたねー オレも座禅やろ!
やっぱり
平忠彦やな〜