かつて存在した意味不明すぎる列車7選

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  • Опубліковано 9 лип 2022
  • ご視聴いただきありがとうございます!
    今回はかつて存在したカオスな列車を紹介してみました!
    エキスポドリームみたいな列車乗ってみたいんですが、流石にもう実現することはなさそうですね...
    皆さんの知ってるカオスな列車も教えて欲しいです!
    このチャンネルでは今後も鉄道に関する様々な話題を提供していきますので、チャンネル登録・高評価・コメントを是非よろしくお願いいたします!
    BGM
     OP 『Dramatic train』 TAM Music Factory
     劇中 曲名『Train』 作曲 Ryu Ito ryu110.com/train/#google_vign...
    【BGM素材】鉄道唱歌-First Train Arrange-【DL】
        高宮いぬかみ 旧 高宮魔女
    ED 『蛍の光』 MMT STUDIO
    #鉄道 #ゆっくり解説 #中古車

КОМЕНТАРІ • 466

  • @user-cq5fi1nv4n
    @user-cq5fi1nv4n Рік тому +91

    さんべが途中で止まる小郡は福岡県ではなく、山口県の現新山口駅でしょうね

  • @veccaxhinlca7292
    @veccaxhinlca7292 Рік тому +31

    エキスポドリーム号の一休さんばりのとんち戦法は凄い
    今の時代でも活かせそうだし

  • @vladimirgeorge
    @vladimirgeorge Рік тому +169

    旅館業法をすり抜けるためにエキスポドリーム号を考えだした人は天才。後に別地でも応用されたのもすごい

    • @N--jv3go
      @N--jv3go Рік тому +18

      須田さんあたりが考案したんでしょうか、いまJR東日本が同じ列車を運転したら3万円とかありそうですね。

    • @user-be4jp6bk4q
      @user-be4jp6bk4q Рік тому +10

      ひたち野うしく駅、駅横の西友は経営母体が変わり、駅前にはサービス付き高齢者住宅できました。
      JL123便の犠牲者には「科学万博から帰る」という乗客が多くいて悲しかった。万博の「未来への手紙」で、桶川ストーカー事件の犠牲者になったお嬢さんの手紙が、彼女が
      亡くなったあと親御さんのもとに届いた話も切ない。

    • @user-ih5uz7ue2h
      @user-ih5uz7ue2h Рік тому

      他には佐賀県の「唐津くんち」の見物客に対応するため同様の列車が運転されていた

    • @bzq14555ify
      @bzq14555ify Рік тому

      よみがえる金狼

    • @Gloire_Xac6496
      @Gloire_Xac6496 Рік тому

      夜行高速バスドリーム号(SA/PAで長時間停車) の列車版に近いような位置づけかな…

  • @knonlinear
    @knonlinear Рік тому +17

    列車ホテル、旅館業法の縛りだったのか
    運賃を取らないと寝台料金を取れないからだと思いこんでいた

  • @user-bx2di2bq7e
    @user-bx2di2bq7e Рік тому +8

    12:11
    皆さん指摘されていらっしゃいますが、「あきよし」の(石見)益田で切り離されて山口線を経由する編成の終点、小郡駅は現在の新山口駅の事で山口県山口市小郡(当時は小郡町)になります。福岡県小郡市の小郡駅は甘木線 筑後小郡駅(現在の甘木鉄道 小郡駅)ではございません。
    循環列車といえば、千葉県民には房総半島の一周した急行「みさき」「なぎさ」が有名でした。両国駅始発(一部は新宿駅始発)で、蘇我から房総東線(現在の外房線)廻りで安房鴨川に行った列車が、そのまま房総西線(現在の(内房線)廻りで蘇我に戻ってきて、そのまま両国へ帰り着くのが急行「みさき」、逆廻りが急行「なぎさ」でした。当時は房総東線大網駅が現在とは別の東金線沿いの北側に存在していて、スイッチバックの形で折り返す運行経路だったので、両国~蘇我は編成が同一方向で運用可能であり、165系急行型電車にATS機器等々を複数揃える手間が省けました。
    昭和47年3月ダイヤ大改正で、大網駅が現在位置に移転して循環列車運用が難しくなった事で、房総東線が同時に改称した外房線急行が「外房」安房鴨川行きに、同じく房総西線急が改称した内房線急行が「内房」館山行き(一部は千倉や安房鴨川まで行く列車も)になりました。同時に特急「わかしお」「さざなみ」に格上げされて開業した、東京駅総武本線地下ホームに乗り入れた事に隠れた逸話でした。

  • @OroblancoTree
    @OroblancoTree Рік тому +22

    珍ドコ列車は迷列車で行こうシリーズで知ったけど、
    どないしたらこんなイカれた編成考えられんねんってレベルの衝撃だった。

    • @user-rg7jr2vs3q
      @user-rg7jr2vs3q Рік тому +10

      昭和の終わりから、平成の初期はいわゆるジョイフルトレインブームでした。
      なので、当時として、これは行き着くとこに行ったカタチです。
      これをゴハチが牽引することに意味があったんです。
      俺達、アラフォー世代にとって、ゴハチはヒーローでしたから。

  • @user-re2ur7ct8m
    @user-re2ur7ct8m Рік тому +11

    珍ドコ列車に【マイテ49】が連結されていたのには、驚きです。かつて、模型化されていましたが、昭和時代の幻の車輛というイメージが強かったので懐かしさがこみ上げてきました。歴史を紐解いて下さりありがとうございます。

  • @user-bc6gz2us1g
    @user-bc6gz2us1g Рік тому +7

    貴重な情報、ありがとうございます!
    複数階建て列車、昔は多かったですよね?
    乗るには複雑だったけど、そこが魅力で良かったな!
    又、懐かしい情報の提供、お願いします!

  • @runaway1730
    @runaway1730 Рік тому +86

    急行「大社」を紹介して欲しかった。あの珍ルートはなかなかありえない。

    • @user-ey5bl6ej4r
      @user-ey5bl6ej4r Рік тому +2

      しかもスイッチバック3回

    • @user-yk6ss8cg4m
      @user-yk6ss8cg4m Рік тому +3

      宮脇俊三先生が最長片道切符の旅で重宝した列車でしたね。

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 Рік тому +2

      山陰行った際に母親に乗せてほしいとせがんだけど、呆気なく却下😵

  • @a378685085
    @a378685085 Рік тому +11

    こういうのは復刻版時刻表を見るとよくわかるんですよね。
    モータリゼーション・高速道路網が発展した現代においてはもう廃線・三セク化も相俟って運転不可能になってしまいました

    • @user-kd7kv4lk1k
      @user-kd7kv4lk1k Рік тому +2

      冒頭ででてきた名古屋富山循環列車も北半分は西日本+3セク、南半分は東海に・・・

  • @user-dj2fh5wj9e
    @user-dj2fh5wj9e Рік тому +8

    12:11 小郡駅って今の新山口なので場所が…
    新幹線とかの大幅遅延時の応急措置としての列車ホテル、なんていう発想はエキスポドリーム号みたいな運用があったからこういう対応もできるんだろうな、なんて考えてしまうな…。

  • @user-kz7oq5hy7v
    @user-kz7oq5hy7v Рік тому +10

    急行丹後の最後は、電化に伴う特急電車デビューで廃止になったという穏やかな最期を迎えたと思う。
    殆どは、乗客減少の廃止が多かったからです。

    • @user-rg7jr2vs3q
      @user-rg7jr2vs3q Рік тому +5

      そうですね。
      丹後は最後まで結構な本数ありました。編成も長めでした。
      途中からリクライニングシート装備のキハ58まで居ましたね。
      明日から電車特急に変わる最後の日、架線の下をキハ58達が爆走していました。
      最後まで国鉄急行色を堅持したのも懐かしい。

  • @sp_Aritomo-Kuzumi.sankutaikyou
    @sp_Aritomo-Kuzumi.sankutaikyou Рік тому +10

    これも今はありませんが、東武にも「区間快速 新藤原・鬼怒川温泉・会津田島行き」っていう多層階建てもありましたね

    • @kcs688
      @kcs688 Рік тому +4

      その行先だと、途中駅で順次切り離すだけでは?
      浅草を6両で出て、下今市で分割して2両は日光行、4両は鬼怒川方面に進んで、東武の終点の新藤原で2両切り離し、最後の2両は野岩鉄道の会津田島まで行く列車なら乗ったことがある。
      杉戸町在住で足立区在勤だった頃に夜勤明けの帰りに乗った。

  • @user-lh1en7bc1d
    @user-lh1en7bc1d Рік тому +7

    エキスポドリーム号乗ったことありましたよ。
    583系で下段でした。
    土浦駅で乗れなくても、留置線へタクシーで行けばスタッフがお迎えしてくれました。

    • @user-be4jp6bk4q
      @user-be4jp6bk4q Рік тому

      そこまでしてたのか・・・今や土浦駅でぼんやりしてると勝田と品川に泣き別れする時代だよ(常磐線こそ混沌とした運用だった、昔も今も)

    • @user-eh4wo5xx8b
      @user-eh4wo5xx8b Рік тому

      私は20系のエキスポドリーム号に夏休みに友達と乗りました。つくば万博閉幕前には万博中央~大宮まで583系のエキスポライナー号に乗りました。

  • @user-uq9me9vd4p
    @user-uq9me9vd4p Рік тому +8

    「もがみ」も複雑だった!西村京太郎さんのダイヤトリックの初期作品で使われました!

  • @user-vd9ll8sh9s
    @user-vd9ll8sh9s Рік тому +5

    丹後は京都発で西舞鶴分割され敦賀行き急行わかさ。同じく、敦賀発わかさが西舞鶴で丹後と併結され京都行きとなっていた。
    わかさは自由席の編成でした。懐かしいです🐽

  • @hiro-oj3ri
    @hiro-oj3ri Рік тому +4

    急行丹後 宮津線は普通列車、西舞鶴、綾部、京都間は急行となり、私にとって、重要な路線でした。早朝の京都行は行商列車でもありました。なつかしい。ありがとうございます。

  • @user-tp1im1py9m
    @user-tp1im1py9m Рік тому +5

    「離婚再婚電車」とか多方面編成とか、まるで十津川警部&亀井刑事の世界だなwww♪

  • @shouheibaba7626
    @shouheibaba7626 Рік тому +6

    急行「丹後」よく使ってました。どの列車も通る綾部までしか使わなかったので悩むことはなかったんですが、それ以降使う人は大変だったでしょうねえ。

  • @user-mv7zn3yc2c
    @user-mv7zn3yc2c Рік тому +126

    寝台車を列車ホテルと活用すればかなり流行りそう。

    • @user-xb6ec7gf3g
      @user-xb6ec7gf3g Рік тому +33

      引退した車両に泊まれるとこなら今でもありますよ

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Рік тому +20

      川上薫さん
      今は亡き「かいもん」「日南」は、時間調整の為「かいもん」は熊本、「日南」は大分で上下列車が長時間停車していたので、周遊券キッパーは上下列車を乗り換えるというチャレンジャーがいたそうな。

    • @user-xb6ec7gf3g
      @user-xb6ec7gf3g Рік тому +19

      @@user-fz4qk1mj2z
      そういえば数年前に18キッパーがムーンライトながら降りを静岡でムーンライトながら上りに乗り換えて宿にしてるのを鉄道系youtuberがやっているのを見たことあるな

    • @brt0001
      @brt0001 Рік тому +8

      @@user-xb6ec7gf3g キックターンってやつですね
      大先輩方々から聞いた話、宿代浮かす為に夜行列車で途中で反対行きに乗り換えて往復して戻って来るってのを良くやったそうです

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Рік тому +7

      @@brt0001 さん
      正に私の言った話そのもので、「かいもん」「日南」を引き継いだ、「ドリームつばめ」「ドリームにちりん」でもエリア内フリーキップを使ったやり方があったらしい。

  • @oratorio51
    @oratorio51 Рік тому +80

    今回は比較的間違いないと思ったら盛大な間違いが…
    12:14の「小郡駅」の場所が福岡県になっていますが、間違いで、山口県の現・新山口駅が小郡駅です
    訂正願います
    因みに福岡県の小郡駅は、旧・国鉄甘木線(現・甘木鉄道線)の「筑後小郡駅」で、甘木鉄道に転換後に小郡駅に改称されました
    ですので、この山陰地区の「離婚・再婚列車」とは全く関係ないもので御座います

    • @dekakinmania
      @dekakinmania Рік тому

      @絶対に荒らす坂口達也【再.生リスト見てね】 で

  • @user-nw6iv4ei8r
    @user-nw6iv4ei8r Рік тому +47

    「あきよし」や「さんべ」のような運用が可能だったのは山陰線経由、山口線経由、美祢線経由の3ルートがほぼ同じ距離だったことが挙げられます。また、歴史としては最初の山陰線は今の山口線、そして美祢線が2番目の山陰線西端、更に西へ伸ばして現在の形になったそうです。

  • @jrw381s4
    @jrw381s4 Рік тому +102

    多層建て列車のメリットに車内間の通り抜けで乗換できる(14:10)もありますが、なにより一番のメリットは、線路容量が逼迫している区間で列車を1つにまとめることで、ダイヤに余裕ができることです。

    • @asakazefuji
      @asakazefuji Рік тому +21

      ゆえに東北とかの列車逼迫区間や
      単線が多い紀勢、関西本線などでよく見られた気がしますね
      新幹線の場合は通り抜けができないけども、東京から大宮の線路容量が今も併結運転をする最大要因と思われる

    • @hirataz3
      @hirataz3 Рік тому +1

      美濃太田沿線民です。単線非電化幹線の線路容量確保が基本ですな…特急ひだ5/25/16/16号は急行「たかやま」格上げ・キハ85系への車両統一を機に現れた新しい多層建て列車。名鉄の特急「北アルプス」もキハ85系と美濃太田で連結。昔の急行「のりくら」は定期「おくみの」臨時「うなづき」「むろどう」併結や夜行金沢行の臨時珠洲乗入れ(翌日登路で金沢まで戻る)などカオスの典型でした。循環急行は後に高山線部分が「のりくら」になったとか。廃止直前にのりくら3号富山行に乗ったけど増結車高山切離しなど機動力的にカオス要素はあったなwwのりくら1/6号も末期は高山-富山間グリーン車なしのカオスっぷりだったし。

    • @asakazefuji
      @asakazefuji Рік тому +7

      @@hirataz3
      循環急行「こがね」「しろがね」以来の伝統だと思われます
      紀勢線もなかなかカオスでしたよ鳥羽発紀伊勝浦行とか有りましたから…

    • @hirataz3
      @hirataz3 Рік тому +4

      @@asakazefuji うむ。紀州・くまの・志摩・はまゆうなど気勢東線の気動車急行も個性満々。快速みえ名古屋~紀伊勝浦(急行紀州の雰囲気)や臨時特急鳥羽・勝浦の臨時復活など須田御大時代のJR東海はオモロかったでホンマ!

    • @tsuka5116
      @tsuka5116 Рік тому +3

      東北新幹線は東北本線時代からの名残ですかね?(通り抜けは出来ないけど。)
      関東では以前は小田急や東武でも普通に分割併合がありましたね。
      (特急は今でも残っていますが。)

  • @user-rw2qy8sv6b
    @user-rw2qy8sv6b Рік тому +6

    循環急行は北海道のいぶりもそうでしたよ。

  • @AT-M--STSCOOPEDOG
    @AT-M--STSCOOPEDOG Рік тому +4

    1980年ブルートレインブームの頃に関西本線の
    『紀伊』を知り、嬉しくて見たかったけど、家の近くの関西本線を深夜2時頃に通過で小学生じゃ見に行けなかったのが心残り。

  • @izumasarhapsody
    @izumasarhapsody Рік тому +4

    下関から山陰本線で福知山まで走破した普通列車(客車)に部分的ですが乗車したのは良い思い出でした。40年以上前です。

  • @user-we4kh5vc9k
    @user-we4kh5vc9k Рік тому +7

    自分が覚えてたのは103系のカラフル編成ですかね
    ガキ時代・乗ったことはないのですが横浜線で走ってたの覚えてました。

  • @syoufuji
    @syoufuji Рік тому +8

    珍ドコ列車は子供のときのプラレールを思い出すね

  • @eijiendou3668
    @eijiendou3668 Рік тому +8

    鉄道マニアしか知らない様な事ばかりで面白かったです。地元の岡山近辺のネタも多くて興味深く視聴しました😃

  • @user-sd4iy4pl8d
    @user-sd4iy4pl8d Рік тому +7

    本題と異なりますが、いろいろな列車名と急行列車が何ともいい感じですね❗️
    長距離の急行列車復活して欲しい❗️

  • @user-kh6ke2es8m
    @user-kh6ke2es8m Рік тому +13

    こがね・しろがねを全線乗り続けた人は偉業達成だな…。苦行に近い。

    • @user-em4ti9tk5u
      @user-em4ti9tk5u Рік тому

      緒方湊 様
      同感します。が、はたしてそのようなおめでたいと云うか素っ頓狂な鉄ファンさんはいらしたのでしょうか?
      大分~別府~小倉~熊本~大分~別府行きのひまわりに子供時代、博多~熊本に乗り、いや父上に乗らされて時刻表見るのが楽しくて仕方なかった。おかげさまで日本中の地理を覚えました。
      他の多目的列車も車掌さんは案内放送に苦労されたと思います。いや遣り甲斐の方が強いかな?

    • @user-kv7sw2nm6d
      @user-kv7sw2nm6d Рік тому

      キハ85辺りでイベント列車でやってくれないかなぁ〜。
      乗ってみたいですねぇ〜

  • @kizineko_tama
    @kizineko_tama Рік тому +4

    じいちゃんばあちゃんに会いに行く時に急行「丹後」をよく利用しました。京都~米子を走った、少し停車駅の少ない急行「白兎」もありましたね。

    • @user-gi8oy7er4l
      @user-gi8oy7er4l Рік тому +1

      白兎は丹後と同じ車両なのに何故かプレミアム感ありましたね。特急「あさしお」に格上げされた後、96年電化で消滅し、智頭急行スーパーはくとで、京都復活しましたね~

  • @peugeotatsu1921
    @peugeotatsu1921 Рік тому +50

    急行〔丹後〕は、よくあのカオスっぷりのままJR化後10年近くも残っていたなと思います。
    また、急行は末端区間で気軽に快速になったり普通になったり種別が変わるので、それもまた全容の把握困難さに拍車をかけてますね。

    • @kei-ud9ov
      @kei-ud9ov Рік тому +3

      乗り換えアプリもない時代に間違えずに乗れるのすごい
      自分なら間違える自信があります

    • @user-gi8oy7er4l
      @user-gi8oy7er4l Рік тому +2

      朝の宮津線からの上り丹後には、行商のおばちゃんが、よう乗っとっちゃったのを思い出した。

    • @user-kd7kv4lk1k
      @user-kd7kv4lk1k Рік тому +1

      これは部活の合宿で一度だけ乗ったことがある
      「JR宮津線」が存在した3年のあいだの初年・・・

    • @rhscm989
      @rhscm989 Рік тому +1

      「丹後」1.5号は西舞鶴で宮津線方面行きとに分割した後、前寄り2両が同じ敦賀行きでありながら西舞鶴以東は各駅に停車するものの、1号は7号と同様に京都から乗った場合でも東舞鶴まで急行料金を徴収する仕組みだったのに対し、5号は9号と同様に京都から乗った場合でも西舞鶴まで急行料金を徴収する仕組みだったため、いかにも紛らわしかった。

    • @user-em4ti9tk5u
      @user-em4ti9tk5u Рік тому

      申し訳ない。このコメと賛同した方達のコメに感心してからなぜか笑いがこみ上げた。
      東北地方同様、折角覚えた列車を明日には忘れている(笑)
      また時刻表見て確認してはまた忘れる。(笑)

  • @user-se4oe8ns5l
    @user-se4oe8ns5l Рік тому +9

    列車じゃないけど青函博覧会で定期運行を廃止に成った青函連絡船が1日2往復の暫定運行して函館と青森の桟橋での夜間停泊を利用して連絡船ホテルをやってましたね、格安で利用出来て有難い運用でした、利用券は全国のみどりの窓口と旅行代理店で発売でした。

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 Рік тому

      今はわかりませんが、父島で「おがさわら丸」が、繁忙期に「ホテルシップ」として同じ事してました😉

  • @user-oq1yf1ts5p
    @user-oq1yf1ts5p Рік тому +1

    とても面白い解説ありがとうございました!つくば科学万博には専用の臨時列車で何度も行きましたが、1度だけ客車列車(おそらく座席を倒すと寝台にもなりそうだった気がします)にあたった事があり、もしかしてドリームエキスポの昼間運用だったのかしら?などと思ったりしました。

  • @TwilightNagomi
    @TwilightNagomi Рік тому +5

    昔の技術でここまで盛んなダイヤがあって今の時代まで車両が生き残ったということは、空が増えたということが有るが、今の時代は一般化しすぎて、色々良い味の部分が衰退しているということなのかしら。。

  • @de0555
    @de0555 Рік тому +7

    最後の珍どこ編成、確かにた編成が
    JR西の和田岬線にも入線してたの思い出した

  • @TOBUEXPRESSch
    @TOBUEXPRESSch Рік тому

    チャンネル登録しました!

  • @user-ck5vq5ke1p
    @user-ck5vq5ke1p Рік тому +2

    エキスポドリーム号、今となっては乗っておけば良かったと後悔してる。

    • @user-eh4wo5xx8b
      @user-eh4wo5xx8b Рік тому

      私は乗っておいて良かったです。7月の夏休みに乗車して、583系に乗るか、20系に乗るか
      友達と話し合いましたが、20系に乗ったことがないので20系の運転日に乗りました。

  • @user-ei2bb5oi2f
    @user-ei2bb5oi2f Рік тому +5

    名鉄774列車よりも最強クラスのカオス列車がいたとは

  • @Sp-pf7mp
    @Sp-pf7mp Рік тому +3

    12:07 小郡が福岡の小郡市示してて草
    小郡駅は現在の新山口駅のことなんだけどなあ…小郡市に乗り入れてた国鉄なんて今の甘木鉄道に当たるとこだしあんなとこで折り返しできないし

  • @gingaexpress6539
    @gingaexpress6539 Рік тому +19

    急行陸中がもう意味不明ですね。
    当時の人、よく間違えずに乗れたものだと思います。
    珍ドコ列車、なにげに豪華な快速列車ですね。ぜひ乗ってみたかったです。

    • @hiroshia5789
      @hiroshia5789 Рік тому +3

      当時東北地方には分割併合する急行列車が今では有り得ないダイヤで運行されてました。新幹線が開業し全て廃止になり、今は東北各地から首都の仙台市に高速バスが多数運行されてます。

    • @user-be4jp6bk4q
      @user-be4jp6bk4q Рік тому +4

      え、いろんな色をつなげて先頭車に看板ぶらさげればいいんじゃね?→古い横浜線利用者

    • @N--jv3go
      @N--jv3go Рік тому

      東北の多層建て急行はデッキのドアのあたりにに運転区間を表示したサボが付いていた。東武鉄道の快速も車内に行先表示を示した方向幕が付いていた。

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 Рік тому

      @@hiroshia5789 いつから仙台が首都になったんだ?😜

    • @Kazusa-Hinano
      @Kazusa-Hinano 6 місяців тому

      ​@@psychedelicraspberry517
      県都の間違いだろ。

  • @user-ju8ns8ho2q
    @user-ju8ns8ho2q Рік тому +2

    急行丹後は、子供の頃から廃止になるまでよく乗りました。
    丹後に帰るときは、号車番号に注意して乗らないと、綾部や西舞鶴到着前に車両を移動するはめに。

  • @user-nr1wq1xb2j
    @user-nr1wq1xb2j Рік тому +3

    当時の山陰、紀伊半島、三陸の海岸線をゆっくり走るディーゼル急行、のんびりとした車窓、「古き良き日本」の風景が楽しめて良かっただろうな…。

  • @user-dt7nb3hx2g
    @user-dt7nb3hx2g Рік тому +5

    エキスポドリーム号の時代に上野東京ラインが仮に開通していたら、東京or品川発の設定も可能だったはず。

  • @user-ye7sd9pd6n
    @user-ye7sd9pd6n Рік тому +3

    名古屋から高山線経由で金沢へ向かった時にしろがねを使ったな。いやー、考えてみると、この企画は実におもしろい、興味深い、いいところに目をつけましたね。

    • @user-em4ti9tk5u
      @user-em4ti9tk5u Рік тому

      塩島聖一 様
      コメント数からも窺えます。それも昭和20~30~40年代に生まれた方々が主様でしょう。
      自分自身のカオスな謎について。
      子供時代、八代駅に5~6両もっといたか?の青い🟦旧型客車が休んでいた。
      理由はのちのち知るが西鹿児島~新大阪行きの急行「しろやま」が深夜23:00、早朝6:00頃に八代駅で3両の増結・解結を行っていた。未だに分からんのは通常は熊本駅と思います。なぜゆえに八代駅なのか?今は使用しない長大ホームを見るたびに思うし懐かしい。

  • @tetsuono9535
    @tetsuono9535 4 місяці тому +1

    実際につくば博に行った時エキスポドリーム号を利用したが、20系客車の方だったけど違和感がなかった。土浦駅を出発するとすぐに留置線に入り一夜を過ごした。寝台特急「ゆうづる」が通過するまでは起きていようとしてたが、夜間の暗さにギブアップ。朝食だったか駅弁が配布された記憶がある。万博中央駅脇の土産物ショップの方が万博会場より空いていたので、コスモ星丸の饅頭やら缶バッチやらを買い込んだものです。連節バスでつくば博会場までピストン輸送しており、今や懐かしい思い出。エキスポライナーはレアなキハ58を狙って乗車(当時上野駅に顔を出した貴重な常磐水郡線「ときわ・奥久慈」のキハ58を充当していたもの)したものです。

  • @user-pt1rn4rt7q
    @user-pt1rn4rt7q Рік тому +2

    分割併合では無いけど、急行「大社」のようにへそまがりな経由をする列車も多かったですね。
    当時は方眼紙にダイヤ職人がダイヤを書き込んでいたので、腕の見せ所でもあるけど、よく思いつくなぁと関心するしかない車両運用が多数・・・

  • @matsukaze1001
    @matsukaze1001 Рік тому +2

    「さんべ」の件は再婚列車殺人事件として西村京太郎のトラベルミステリーとしての題材になっています。
    東北新幹線が併結れれなっているのは東北地区の急行が多層建ての列車があった名残なのかもしれませんね。

  • @hajay1455
    @hajay1455 Рік тому +1

    BGMが鉄道唱歌でGOOD

  • @user-ct2ms3gb1j
    @user-ct2ms3gb1j Рік тому +5

    今度は混色編成の話があればよろしくお願いします😊

  • @Katoki-6801
    @Katoki-6801 Рік тому +15

    分割、併合で九州を目指す急行は、西村京太郎さんの十津川警部シリーズでアリバイ工作に使用されそうですね。

    • @bzq14555ify
      @bzq14555ify Рік тому +5

      蜜月旅行列車殺人事件
      すみません、急行さんべが舞台の再婚列車殺人事件でした😅

    • @mkrsknkarkw
      @mkrsknkarkw Рік тому

      お前が産まれる前の遥か昔に書かれてますけど何か?

    • @user-ih5uz7ue2h
      @user-ih5uz7ue2h Рік тому

      西村京太郎さんでは無かったと思いますが、長崎・佐世保と京都を結んでいた気動車特急の「かもめ」をアリバイ工作に利用した小説を読んだことがあります。
      九州内では小倉で分割・併合し、長崎編成は博多経由、佐世保編成は直方経由で別個に運転されるのですが、肥前山口~鳥栖(原田)間は同一経路を走るため特急「かもめ」が上下それぞれ2本あるのを利用したトリックでした。

    • @bzq14555ify
      @bzq14555ify Рік тому

      @@user-ih5uz7ue2h さん
      なるほど
      西村京太郎のそれはあかつきでした。
      模倣作品だったのかも?ですね

    • @bzq14555ify
      @bzq14555ify Рік тому

      @@mkrsknkarkw お前って、きしゃんのことや?怒

  • @user-fe9kg8ju9w
    @user-fe9kg8ju9w Рік тому +3

    急行陸中やっぱりきたか!
    迷列車で行こう速達編さん!

  • @user-zf7qz9uw8d
    @user-zf7qz9uw8d Рік тому +3

    個人的には、急行「大社」推しですw 他列車と分離併結しない点で選考漏れしたのでしょうが、ルートが意味不明すぎという点がミソでした。

  • @user-fx1pb8de2f
    @user-fx1pb8de2f Рік тому

    凄い面白い🤣

  • @user-cg7oc7cx4m
    @user-cg7oc7cx4m Рік тому +3

    急行深浦、当方小学5年生の時、八戸市内の少年自然の家での臨海学校に行く時に乗ったが、そんな運用があったとはね。ちなみに、当時の時刻表見ると、当方が乗った時には、「深浦」は、上り列車のみ、青森駅前で、急行むつ4号秋田行を併結したのみでした。

  • @sakamig
    @sakamig Рік тому +13

    12:10この場合の小郡駅は現在の新山口駅のことではないでしょうか?
    こちらは僕の思い込みかもしれませんが、岡山から鳥取なら伯備線ではなく津山線・因美線の方がしっくりくるのですが。

    • @party_parrot_
      @party_parrot_ Рік тому +1

      まあ列車の走ってた時代を鑑みれば小郡呼びの方が妥当なんじゃなかろうかね…

    • @oratorio51
      @oratorio51 Рік тому +8

      仰る通りで、この地図の駅の場所が間違っています
      小郡駅は、福岡県の小郡市の駅ではなく、現在新山口と名乗っている場所が「小郡駅」です
      しかしながら、準急「しんじ」に関しては、宇野→岡山→倉敷→新見→米子…と伯備線経由で米子に向かって運行していました

    • @spur_hakutaka
      @spur_hakutaka Рік тому +1

      福岡県小郡市の小郡駅は国鉄時代、筑後小郡駅でしたので、現新山口が正しいかと。

    • @sakamig
      @sakamig Рік тому

      @@oratorio51
      ご指摘ありがとうございます。
      では、動画の鳥取を経由していたというのは誤りですかね。

    • @oratorio51
      @oratorio51 Рік тому +1

      @@sakamig えっと…厳しいことを申し上げますが、本当に鉄道に詳しいのでしょうか?
      自ら「伯備線を経由し」と仰っておりますよね?伯備線は倉敷から新見経由し伯耆大山迄結ぶ路線です
      伯耆大山は米子の一個鳥取寄り。伯耆大山停車後は米子停車し、出雲市を経由し、当時の岩見益田で山口線経由と山陰本線経由を分離し下関で再び連結し博多に向かうのです
      因みに「あきよし」が浜田発着になったのは昭和40年9月で、この時は、岩見益田で山口線編成と美祢線編成が分離、山陽本線の厚狭駅で再び併合、更に小倉駅で美祢線編成は日田彦山線経由で天ヶ瀬へ、山口線編成は博多止まりではなく更に足を延ばして筑肥線の東唐津行となっていましたが、流石に東唐津行はやりすぎだったために、42年10月には博多行に再変更となったのです
      元々は昭和35年3月改正で山口~博多の準急として運行開始したのが、昭和38年6月改正で東萩~博多(美祢線経由・厚狭で併合)が追加。昭和39年10月に浜田・岩見益田~天ヶ瀬・東唐津となったが、この時は山陰側は別列車の為、岩見益田駅では07:15発に
      岩見益田始発の東唐津行が出発後に、07:20発の浜田から来た美祢線経由天ヶ瀬行が岩見益田駅に到着と言う複雑すぎる経緯が有ります
      因みに鳥取は、宇野発の「しんじ」と岡山まで併結し津山・因美線経由で準急「砂丘」が運行していましたので、もしかしたらこの事が混乱して鳥取経由する…と勘違いしたのではないかとも推測されますが、このような動画を挙げるときは二重三重のチェックされてから投稿されることを推奨いたします

  • @masahiro5513
    @masahiro5513 Рік тому +7

    列車ホテルはナインドリーム甲子園号だけかと思ってたけど、エキスポドリーム号なんてのもあったんだ(^o^)

  • @user-us4iv1rx2e
    @user-us4iv1rx2e Рік тому +5

    珍ドコ列車に乗ってみてぇ。今ならレアな客集まりそうじゃない。

  • @user-me5cu2th2t
    @user-me5cu2th2t Рік тому +5

    僕は45歳だけど小学生の頃だったかな。。ミステリートレインてのが何回か運行されてましたね。
    行き先不明な列車でまさに鉄道ファンの為に走らせた列車ですよね☺️
    まだJR初期中期頃は鉄道全盛期で楽しかったなぁ。。今はつまらないです。

    • @hiroshia5789
      @hiroshia5789 Рік тому

      999号ってありましたね。
      SLではなかったはず。

  • @mochimochianco1956
    @mochimochianco1956 Рік тому +2

    12:12 この小郡はおそらく西鉄小郡ではなく、山口線の終点の小郡(現在の新山口)かと思います…

  • @user-zy4hj6je1y
    @user-zy4hj6je1y Рік тому +7

    タンゴエクスプローラーは気動車やけどね(笑)電化の場面で出てきたけど。今はタンゴエクスプローラーの車体も酷い仕打ちを受けているけど…

  • @user-do6iy2cl7i
    @user-do6iy2cl7i Рік тому

    上手すぎる。初めて知った

  • @user-ny9pi1uq9o
    @user-ny9pi1uq9o Рік тому +4

    珍どこ列車は、いろいろな種類に乗れて楽しいと思います。

  • @user-zo4zz7qq4z
    @user-zo4zz7qq4z Рік тому +2

    中学校の修学旅行で北九州に出かけた際に「さんべ」の往復を利用しました。行きは安来から博多まで山陰本線線経由で、帰りは美祢線経由でした。どのような経由をするのか事前通知もなかったことが理由不明ですが、クラスでただ一人時刻表を購入して持って行きましたので、ここで言う「離婚・再婚列車」での運行は理解できました。帰りにはどちら経由かわからず、クラスで運転台を別車両に分かれていたので、帰りにはクラスで別線を通るのではないかと期待していたことを思い出します。

  • @user-ik6vm7he9j
    @user-ik6vm7he9j Рік тому +4

    珍ドコれっしゃはプロ野球のオールスター戦みたい。

  • @snowwolf2526
    @snowwolf2526 Рік тому +4

    循環急行って各地に走ってたんですね。北海道は札幌発札幌行きの「いぶり」。他の急行と離れたりくっついたりで
    胆振線を走るときには1両編成。
    寝台列車「からまつ」も、普通列車なのに愛称がある列車でした。

    • @N--jv3go
      @N--jv3go Рік тому

      寝台の発券システムの関係ですね、他に「はやたま」「山陰」「ながさき」もあった。最近だと普通になってからの「妙高」も指定券発行のために列車名が付いていた。

  • @user-fv2ip7bc1w
    @user-fv2ip7bc1w Рік тому +8

    名古屋発紀伊半島回って天王寺行「くろしお」の間合いとして走らせた「あすか」は東和歌山(現和歌山)から阪和線杉本町→阪和貨物線→八尾から関西本線経由名古屋行で今まで定期特急で唯一奈良県を走る国鉄(JR)特急だった。利用率悪すぎて2年で廃止された

    • @user-kd7kv4lk1k
      @user-kd7kv4lk1k Рік тому

      金岡→堺が特急停車駅になったきっかけの列車だったりするから世の中はわからない

  • @user-kv7sw2nm6d
    @user-kv7sw2nm6d Рік тому

    丹後3号で城崎に行ったコトありますよ。当時は山陰本線の旧線でしたから3時間以上かかりましたね。途中待ち合わせや分割なんかありましたね。ただあの固いボックスシートは背中がいたかったなぁ〜

  • @user-ic8to8fi7y
    @user-ic8to8fi7y Рік тому +1

    この時代の列車や運行がUA-camにあったら物凄い数の動画になりそう
    今のは同じようなのをそれぞれができるだけ内容が被らないようにしてたり見せ方を変えたりて大変だろうなと思う

  • @tousekitetsu
    @tousekitetsu Рік тому +3

    ちょっと乗って見たい列車が多かったですね。つくばエクスポ、一応、行きましたよ。

  • @user-lt3cc6cs1t
    @user-lt3cc6cs1t Рік тому +5

    急行さんべの小郡って今の新山口じゃなかったけ?まあでも、カオスなので良し!(現場猫)

  • @2010m3
    @2010m3 Рік тому +5

    急行那智 A寝台下段
    急行紀伊 グリーン車(1等車?) B寝台下段
    特急紀伊 B寝台下段 B寝台上段
    に乗ったことがあります。
    急行時代は、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車と様々なタイプがあったので、私は子供でしたが、とても面白かったです。
    特急に格上げされて、全車B寝台となったことがこの列車の寿命を縮めてしまったと思います。
    急行時代、確かにB寝台から売り切れが出ていたのですが、当時は夜行列車に特急も急行もないだろう、という批判も一部にはありました。
    全車B寝台というのは、ブルートレインとしては特別感が薄く、昼行新幹線+在来線特急くろしおに移行した人が多かったのではないでしょうか。

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 Рік тому +1

      あと、寝台特急としては下りの亀山以遠の到着が早すぎる😵

  • @user-tz6sq9gn2u
    @user-tz6sq9gn2u Рік тому +1

    エキスポドリーム号は学生時代に、つくば科学万博見学の際に利用したのを思い出しました。降車の際にミスタードーナツのサービス券を
    頂きました。 1985年は日航ジャンボ機墜落、阪神タイガース21年ぶりの優勝と色々あった年でした。 
    他の列車は乗ったことはありませんが。時刻表を見たり、鉄道雑誌をみたりしてその存在は知っていました。ほとんど国鉄時代と思われ、懐かしく思い出しました。

  • @user-lk6wm2nt2o
    @user-lk6wm2nt2o Рік тому +2

    ぱっと見で夢空間みたいに色違いにしてるのかと思ったら寝台特急とジョイフルトレインのオールスター編成だったでござる

  • @user-mc1hd3kt6e
    @user-mc1hd3kt6e Рік тому +7

    当時のディーゼルカーは貫通幌のある連結面とない連結面でしか連結できず(なしとなしは当然だがありとありでも貫通幌をつなげない)分割併合の際はそれも考慮しなければならなかったという。

    • @user-cq5cs1wq5d
      @user-cq5cs1wq5d Рік тому

      連結相手が来たときに「あーっ連結できない!」とかなりそう

    • @axiondc48
      @axiondc48 Рік тому

      分割する時に幌をどちら側の車両に残すか、ルールを決めておかないとい大変ですね。

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 Рік тому

      「鉄道ジャーナル」でDC急行の幌の話が載ってたよ😉

    • @exp.m.k.2300
      @exp.m.k.2300 Рік тому +1

      幌だけの運用ダイヤがあったとか...

    • @user-zd7yl4vr7h
      @user-zd7yl4vr7h Рік тому +2

      よくご存知ですなー、車両運用のみで無く、幌運用と言うのも有りました。その為に幌に機関区名も書いて有りました。例えば我が地元で亀山機関区や名古屋第一機関区では、幌にナコやカメキ等の書き込みが昔は有りました。

  • @user-fz3bq7rb5w
    @user-fz3bq7rb5w Рік тому +2

    増解結は西村京太郎のトリックで使われてるんだっけ?
    流石に陸中の増解結は複雑怪奇過ぎて無理だろうなぁ…

  • @user-rf5wr9vl6z
    @user-rf5wr9vl6z Рік тому +3

    北海道の急行大雪・紋別・はぼろは、3か所から途中で一つになって札幌を目指す、札幌からは、深川ではぼろと分離、旭川で紋別と分離していた急行で、乗ってみたかった。今はだだっ広い深川駅のホームも、昔はこの列車の連結切り離しに使われていた。

  • @yukemuri-T1220
    @yukemuri-T1220 Рік тому +10

    口頭説明で理解するのは諦めました。
    でも、国鉄ってこんな面白い時代だったんだなと思いました。日本の鉄道全盛期なだけある。

  • @user-wy4hr9is8d
    @user-wy4hr9is8d Рік тому +1

    最近の列車ホテルの例だと、唐津線(唐津くんちホテルトレイン)がありましたね

  • @user-ig4hx8jl9k
    @user-ig4hx8jl9k Рік тому

    なつどまりと深浦は晩年の快速のイメージ。かつてはそんな複雑なルートの急行列車とは知りませんでした。

  • @shimasesa-ra7216
    @shimasesa-ra7216 Рік тому

    カシオペアの車両で列車ホテルやってほしいと私も思いました。初代トワイライトExpは残念ながら京都てっぱくが安住の地になってしまいましたが。

  • @user-gn6bf7lu7n
    @user-gn6bf7lu7n Рік тому +8

    なお東北では増解結運用が
    現在も行われている模様(新幹線で)
    増解結はもはや伝統()←

  • @No-work2010
    @No-work2010 Рік тому +1

    12:12 動画で小郡駅は九州にあることになっていますが、今の新山口駅ですね。(下関出身者)

  • @user-gn5vg1bc4i
    @user-gn5vg1bc4i Рік тому +1

    国鉄時代の分割併合はまさに無茶苦茶が多かった🤗一つの会社が全国を牛耳っていたから出来ること😁赤字でもやっちゃう、今だと黒字でも面倒くさいからってやめちゃうのにね❣️ありがとうございました🙌

  • @user-hd7tz4yv3r
    @user-hd7tz4yv3r Рік тому

    大変良く出来ました。💮

  • @ashash5549
    @ashash5549 Рік тому +1

    12:12 この小郡駅は山口県の小郡駅(現・新山口駅)のことだと思いますよ!

  • @Yoshin-Sashizume
    @Yoshin-Sashizume Рік тому +6

    私は「みささ」と「みまさか」の行先で、どちらが中国勝山行きか鳥取行きか紛らわしいと思いました。今なら旧国名や沿線の三朝温泉から採用された列車名で判別できますが。

    • @user-mc1hd3kt6e
      @user-mc1hd3kt6e Рік тому

      当時姫新線の駅では木の札で列車の案内をしていたがそれに急行みささ、急行みまさかと縦書きに書かれていて漫才師みたいだなと思っていた。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke Рік тому +1

    急行「さんべ」は西村京太郎トラベルミステリーの初期に映像化されましたね。
    犯人役は緒形拳!

  • @user-hoshinokirby
    @user-hoshinokirby Рік тому

    5:35懐かしいコスモ星丸だぁ🥰

  • @s.mitchy824
    @s.mitchy824 Рік тому +1

    多層建て列車の急行列車(特急含む)の特徴として、併合した列車に車内乗継した後に分割した場合でも急行料金は1本の列車として通しの料金で計算できる制度がある。現在でも大阪発高山行のひだ25号と名古屋発飛騨古川行のひだ5号の併結で大阪~大垣間から飛騨古川への特急料金が通しの料金で計算されるという形で制度が残っている。

  • @user-wz4sb6vy1l
    @user-wz4sb6vy1l Рік тому +1

    京都から城崎まで丹後2号(後の3号)に乗りました。京都11:03発3時間かけて城崎へ向かいます。DD54牽引の普通列車や貨物と出会い、特急まつかぜに先をゆずります。城崎温泉で泊った後、翌日天橋立に向けて乗ったのが丹後4号(だったと思う)。この列車、豊岡から宮津線に入り途中9駅連続停車する急行だったように後から知りました。天橋立観光後、迎えに来たのが丹後5号。舞鶴と綾部で進行方向が変わり、京都へ向かいました。この旅行の印象は特別に強く、今の鉄道好きもこの時から来ています。行の2号では保津峡で車窓案内がありました。

  • @N--jv3go
    @N--jv3go Рік тому +1

    急行から特急になって客離れが進んですぐに廃止になった列車としては、旧しらゆき金沢⇔青森がある、特急になって特急白鳥2号福井⇔青森になったが数年で廃止になった。

  • @user-sb3iy7kt6p
    @user-sb3iy7kt6p Рік тому +1

    函館~釧路の特急「おおぞら」は一時期、千歳空港 (現・南千歳)を2回停車していた。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Рік тому +1

      赤塚宣昭さん
      1981年に石勝線が開業して「おおぞら」の札幌以遠が函館本線→根室本線から、千歳線→石勝線→根室本線ルートに変更された後ですね。

  • @pastelpureakgjze5791
    @pastelpureakgjze5791 Рік тому

    エキスポドリーム号の寝台券と乗車証明書には、万博会場周辺のミスタードーナツで使えたドーナツ引換券がついていたそうです。

  • @tetsumiyokoyama823
    @tetsumiyokoyama823 Рік тому +4

    「大和」という列車が有ったとは知らなかった。
    今だったら列車側面にヤマトが描かれた車両になりそうだ。

    • @user-md6tw5hb6d
      @user-md6tw5hb6d Рік тому

      鉄道ジャーナル誌で分割併合がネタになってたときに同じ事書かれてたなw。

  • @MrAskr036
    @MrAskr036 Рік тому

    東北だと、盛岡発の客車列車にディーゼルを連結してた普通列車が有りましたね。
    ディーゼルは好摩で分割して、田沢湖線に入って行くという運用だったそうです。

    • @user-pg1us8qw6h
      @user-pg1us8qw6h Рік тому +2

      田沢湖線ではなく、花輪線です。

  • @suito8000
    @suito8000 Рік тому +3

    12:13小郡駅の場所が違うそっちは西鉄電車の駅

  • @QTX1234
    @QTX1234 Рік тому

    外房線と内房線の普通列車は運用上は別列車だが実際は安房鴨川で折り返さず循環運転してた頃があると聞いたのだけど、急行は確かに循環運転してた頃があるのですが、普通列車はどうだったんでしょうね。
    昔の南武線も珍どこ列車にはかないませんが、総武中央山手京浜東北と各色混ざってカラフルでしたね。

  • @user-nagano_M3104
    @user-nagano_M3104 Рік тому

    陸中はじめ東北の急行列車がスゴイのは、ただ繋げただけでなく貫通ホロまで渡していて、分割時にホロを付けておく車両まで決められていたので、カオスな分割併合時でもトラブルが起きなかったこと。(参考文献:鉄道ジャーナル1981年12月号)
    あと珍ドコ列車にEF61-200が後押しに付いている場面が2度あったが、自動解放せず終始連結されていたなら胸熱w
    急行「すわ」「のべやま」のお世話にはならなかったが、「天竜3号・きそ1号」にはお世話になった。
    ハザのみで12両編成(4両×3階建て)PCでもDCでなくEC。今なら普通かもしれないけど当時は画期的だった?