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かつて583系の寝台セットの作業をしていたけれど、上段にシーツを敷くのが大変だった。でももっと大変なのは座席⇔寝台の転換。寝台にするときははしごやカーテンを取り付けるのがすごく時間がかかるし、座席にするときは枕や下段のマットレスや掛毛布などをすべて中段寝台に乗せてその中段寝台を押し上げるんだけど、めちゃめちゃ重い。中途半端に押し上げると、また寝台が降りてくるのでかなり危ない。当時はキツかったけど、今となってはいい思い出。
後の14系で中段がボタン一つで昇降出来るようになり どれだけ楽になったのかこのコメントからもわかりますね。
煤 様ついさっき、後藤様のコメントに反応しました。朝、放送があり着替えして待っていました。ざわざわするとあっ❗︎近づいたなと分かります。私は客車の解体作業は目👀の当たりにしましたが583はありません。583の運転中解体作業は限られた列車と思いますが下りなは、下り金星、臨時あおもりかな❔ お疲れ様でした。(^-^)/~~言い忘れた。さくら・みずほ・はやぶさ・富士・日本海を583にとの意見が当時ありましたが、私は「あほこけ」と思いました。セット・解体に関わる方達のその苦労を知っているから。追伸、設定当初の数本ある明星も後発は新大阪および熊本着は10:00前後とやや遅い時間帯だった。
増備車が出てたら14系みたいに2段寝台化や中段の動力化がされたかも知れませんね、職員泣かせの乗客のセルフ寝台も防げますし。
@@信広-q4h あと、583系は言わずもがな、昼夜兼用なので、東京~九州ブルトレだと昼の列車がない。日本海縦貫線は「白鳥」あるけど長距離過ぎて「白鳥」~「日本海」の連続運用組めない。よって、必然的に東京~青森とか大阪~九州になる😉
@@N--jv3go さん中段寝台の動力化は試作もされたそうですが二段寝台化はA寝台が583と同じだったので無理ですね。
こういう特定の車両にテーマを絞った解説もっとみたい
当方も同感です。
夜を駆ける列車って言い方好きw583系が一番好きだなぁ…
急行きたぐにに何度か乗りましたが、乗ってるだけでテンション上がったのを覚えてます。今となっては、良い思い出です😊
当方も2回きたぐにに乗ったことがあり、2回目はA寝台に乗りましたが今となっては当方の若い頃の良い思い出です。
@@竹内勉-x3d さん「きたぐに」はA寝台、B寝台、グリーン車、座席(指定席、自由席)とバリエーション豊富で、予算や気分に合わせて選ぶことができましたね。ただし、グリーン車は両端部がロビーゾーンになっていて座席部分との間仕切りがなく、バカ騒ぎされたらグリーン車もなにもあったものではないだろうなと思い私は避けていましたが。
@@Yoshin-Sashizume 583系「きたぐに」は普通車指定席ないよ😉
583系大好きです。昭和50年代昼間の特急ですがボックス席であるが故に知らないお向かいさんとお話ができたりお菓子やみかんを交換したり楽しい思い出があります。
門司港の九州鉄道博物館で、581系月光の中を見ました。構造がとても興味深かったです。すごく格好いい電車でした。秋田の車両が大宮に来るといいですね。
いやぁ~ 本当に食パン列車にお世話になったな~外観もそうだけど、中も面白くて天井が低く(元々寝台部分)、洗面所も使えない部分あったり、謎のスペースがあったり。よく福井までこの列車で遊びに行きました。
当方も乗ったことがありますが、正におっしゃる通りです。
「タウントレイン」って名前のによく乗ってましたかっこいい顔とヘンな顔がいるのと頭上には謎の収納BOXみたいなのが気になっていつか開けてやろうと思ってました
@@大坂孝幸 上京前の九州と上京後には北陸で運用されてた同改造の車両(形式名失念)で乗った事がありました。
まだ東北新幹線が盛岡までしか通っていなかった頃、修学旅行で青森(奥入瀬)に行くのに盛岡から八戸までは583系でした。その列車が寝台特急なのを知っていたので、シートをベッドにさせて周囲から称賛を浴びましたw。
車掌「お客様、下段A寝台券をお買い求めください😁」いー商売ですね😂
たしか北海道の美深トロッコ王国にも廃車体がいたきがする。
盛岡~青森のはつかりで乗りました臨時便だったのでガラガラでゆったり移動できました夜行で一度乗ってみたかったな
583系に乗車したのは52年前、大阪万博見物での利用でした。寝台特急「明星」号の、狭い最上段の天井で何度も頭を打った事、小さな窓から見た流れゆく夜景、ペラペラの紙コップで飲んだ冷水。当時小学生だったのに、今でも記憶に残る夜汽車でした。
tac12469 様熊本~新大阪を二本運転していました。熊本を1号21:40と2号22:15発。まだ下りは奇数上りは偶数でない頃。なぜか?2号は上り水曜日下りは木曜日が運休でそれがゆえに覚えていますが。私の明星は高校出て上京する時八代から乗りました。上段の小窓から去りゆく里にうるると来ました。錦を飾って帰ると。(ノ_・。)
明星は元々は583だけに付いてた名前でしたね、あかつきがブルトレ専用だったはずです。
今、思ったんですが、583系を直流専用改造して、ムーンライトながらに運用すれば、今でも需要あったんでは!?って思う。例えば、10両編成にして、1号車〜6号車までは寝台モードで、7号車〜10号車までは自由席車輌として。快速だから、寝台モードの車輌、シーツや毛布なしで、乗車券+α程度の料金なら夜行高速バスにも対抗出来るでしょ。なにより「寝台を確保できれば横になって移動出来る」ってセールスポイントあるからね。
昔、夏休みや冬休みになるといとこの家に行く時に1人で『はつかり』乗った思い出があります❤一人旅をしてる気分で楽しかったのを覚えてます😊
父母の実家が鹿児島だったので幼稚園の頃は名古屋~博多の金星号、小学~中学の頃は博多~西鹿児島の有明号をよく利用していました。今思うと結構乗り心地の良い車両だったことを覚えています。
私も小学校の夏休みに当時の有明が583系だったので二度乗りましたね。座席💺乗り時は有明二回、はつかり一回、寝台はきたぐにで一回利用しましたよ。
1958年、581,583系は元は「仮称153系寝台電車」として計画されていて、当時製造が進んでいた10系客車をそのまま電車化するようなもので、図面まで描かれました。しかし、東海道新幹線の開業の見通しが立っておりその後の転用先が見込めないことから構想は取りやめになりました。トミックス総合ガイド2016-2017年版から引用
受験のため宮崎→岡山の彗星で乗った記憶が鮮明です。同じブルートレインのB寝台より快適でしたね。
時代の流れだから仕方ないですね。
金星こそ至高!名古屋に6時についた!これで2段寝台なら銀河も廃止されなかっただろうに。昼行も青森盛岡で乗りました。設計した人にノーベル賞をあげたい
581・583系の運転席窓後ろ両サイドの青いアクセントのデザインは新幹線951試験車にも使われました。広い『ボックスシート』しかし超混雑時には立客が向かい合わせに座っているお客の間に入り込む弊害もありました。また漫画『カレチ』のネタにもなりましたが 車両区で寝台→座席への変換は作業員1人で1両1時間程かかりましたが5人だと数分で終わったそう。
座席から寝台へするときは、1人1両3時間掛かりました…上段・中段下ろしと下段の引き出し50分、カーテンとはしご等の取り付け70分、毛布シーツ等のベッドメイク60分くらい。先頭車やパンタグラフ付き車両に当たると、少し寝台数が少なくて嬉しかったw
初めて乗ったのが新幹線新大阪乗継で「月光」、最後は「きたぐに」でした全車涯の寝台に乗れたことは583系好きな私にとってよき思い出です🚄
みちのく、はくつる、きたぐに、そして北陸方面で419系に乗ったことがあります。楽しかったなー。もう、あんな時代は来ないのか…と思うと寂しい限りですが…。
昼間の座り心地も良かったですよね。後継がないんで全盛期を過ぎると特急としては格落ち扱いになっていきましたが、下手なリクライニングシートより疲れませんでした。
そうそう、あの頃の485系など特急用車両のリクライニング機能は簡易的なものでしたし、最悪だど座席が2列連なっているものもありましたからね。その後は1席ずつ分離したシートに取り替えられて背面テーブルも拡大して使いやすくなりましたが。
@@Yoshin-Sashizume 正におっしゃる通りです。当方も若い頃の記憶にありますが、485系の0番台や200番台やキハ82系やキハ181系の様に初期に出来た車両はリクライニング出来ない2連続きのシートが多く、その後の車両のシートでも簡易リクライニングシートで、かなりサービスが悪かったですが民営化してから普通車でもかなり良いリクライニングシートに変わったのを当方は記憶にあります。
@@竹内勉-x3d どちらかと言うと、箱席が嫌われていたとあちこちに書かれているけど…😉
@@psychedelicraspberry517 さん西欧ではボックス席への嫌悪感は日本ほど無いのですがこれは目を合わせる=喧嘩ふっかけると考える野蛮で短絡的な日本人の思考回路も大
@@古家武史-f5d ガンのくれ合い飛ばし合い(何だよ?!)@Y浜銀蝿www
きたぐにのB寝台で最上段に乗りました何が良いってとにかく静かで揺れも少なかったですあと進行方向縦向きの寝姿勢なので多少の加減速でも大丈夫狭くとも安眠できて多人数が利用できる素晴らしい寝台でした
当方もきたぐにのB寝台の上段に乗ったことがありますが、静かで揺れが少なかったのを覚えています。
きたぐには1985年から583系に変わりましたがこの時食堂車は編成から外されています。by酒向正也
ガキの頃にはくつるとゆうづるを何度か利用したが、頑丈な線路の東北・常磐線で、下段なのに高速運転時にとにかく揺れるというのとモーター音が気になった記憶。きたぐにはそんなに高速運転しないからか。
@@酒向美由起 正におっしゃる通りです。いわゆるロクマルサンと言われた1985年、昭和60年3月のダイヤ改正まではコンプレッサーの関係で食堂車の営業が停止している列車でもサシ581を連結していましたがロクマルサンで食堂車を全列車外しました。
@@5red90 正におっしゃる通りです。きたぐにも東北本線や常磐線の様に線路状態の良い北陸本線や信越本線を走りますが、急行列車であり停車駅が多いのと停車駅での時間調整が多いので、はくつるやゆうづるに比べて速度が遅くなります。
583系の欠点は何と言っても3段寝台のため寝台セット時の頭上空間が全くなく179㎝の当方からしたら体を傾けるしかなく中で着替えなど全然できなかった。中段以上になると降りるにもコツがあって、体を傾けながら一気に反動をつけて梯子まで動かし、その時に下段の人に迷惑がかからないよう体をぶつけず音を立てずにそーっと降りるのに気を付けました。715系に変わってからもよく利用しましたが、車内は暗かったけど、ボックスシートはそのままでシートはフカフカで快適でした。ただ特急から一気に普通列車に変わったので「二段階降格(当時は急行も残ってた)」などと冗談で言ってました。その特急時代の酷使が祟ったのか、最初の頃はよく故障で運休してました。あとモーターの音も元寝台列車にしてはやかましく、特急として乗車した時もモーターのうなる音が残響に残ってて熟睡した経験はあまりありませんでした。最近、定年で退職した人が昔話で「自分が新人の頃、福岡から名古屋出張に行った時、帰りは博多行の新幹線に乗れず特急金星に乗るか、新幹線で新大阪まで来てあかつきか明星に乗った」と583(581?)系利用の話をされてました。
当方は583系ファンですが583系を取り上げて頂きめっちゃ嬉しかったです。当方の若い頃にきたぐにで2回、はくつるで1回お世話になり、きたぐにの2回目でA寝台に乗りA寝台の広さと静けさに感動したことを覚えています。はくつるではモハネの下段に乗り宇都宮を過ぎたあたりからフル運転のせいかモーターの音がうるさくて車掌さんの許可を得てパンタグラフの下の中段に移ってやっと寝られたという思い出があります。今となっては当方の若い頃の良い思い出です。
食堂車に乗りたかったです。天井が高く485系とは違った雰囲気だったみたいです。フル編成での編成美は最高ですね。
何でも、食堂車に三相電源切替器を置いたため、長らく「食堂車営業休止」だったとか😭グリーン車も天井が高く、開放的でした。しかし、当時は安い設定が皆無で客は私ひとり😱、他の車両は立席券でごった返し。現在の首都圏普通列車のグリーン車も同様、もっと利用促進を願います。
サシ481は24系客車のスシ24に改造および再活用されて生き残ったものが何両かありましたが、サシ581もそうなってほしかった・・・。
急行きたぐには何度もお世話になりました。最後に乗ったのはボックスシートだったのはいい思い出。
上野から秋田に帰るとき、寝台車をよく利用しました。電車に詳しい人間ではないのですが、この車両はよくみたことがあります。所感ですが、寝台車の車輪のカタンカタン…って音がすごくリズミカルで大好きでした。
一時期、「あけぼの」に多客期に充当された事もあります。
@@坂田庄司-g6n そうだったんですね!あけぼの利用してました!懐かしい…
寝台は無く、座席のみで急行津軽にも使われたかと。(・ε・` )
@@クモハ165 ムーンライト運用もありましたね。
彗星や明星には普通座席指定車も存在していましたね。ただ寝台車が衰退したのは、現場の苦労の面も大変大きいそうで、特に583系の維持や作業も大変だったことでしょう。
鉄道を取り巻く環境と時代における人々の価値観が変わり過ぎて夜行列車もサンライズ号のみとなり寂しい限りです。
子供の頃、プラレールで583系は発売されていました。今は販売されていないけど、昔持つてました。583系は昭和時代を感じますね。
向かい合わせで不評だけど座席のクッションの丁度良い堅さだったロマンスシートや簡易リクライニングシートより座り心地が良いあと583系は最低限9両までで6両編成だと短くて様に成らなかった
この車両で夏の甲子園に向かい第一試合を応援。帰りの朝に駅弁とお茶っ葉を落とすタイプのお茶を飲んで帰る2泊(三段ベッドの真ん中2泊)3日。修学旅行より思い出深い旅でした。
幼い頃、電車図鑑でこの電車を見て好きになった。小学生の時、家族で能登旅行の帰りに金沢から乗車したのが、当時(昭和48年頃)「しらさぎ」に運用に入っていたこの電車、終点名古屋に到着してホームから眺めたら、車内は乗務員の人たちが寝台への変換、ベッドメイクの作業開始、列車名・行先表示は「しらさぎ 名古屋行」から「金星 博多行」と変わり、ワクワクしながら見ていた。個人的には一番使用条件にマッチングしていただろう「日本海」に使用されなかったのが残念。3電源方式、食堂車連結という特性が活かせただろうに。
「日本海」はパートナー昼行列車が設定できないから無駄。「白鳥」~「日本海」だと24時間で回せない😉
動画にも出ていましたが、昼間の間合い運用の特急[雷鳥]に乗車しました。屋根の高い食堂車が良い思い出になります。夜行列車としては[はくつる]のパンタグラフ下の中段寝台に乗車しました。屋根上スペースが広くて快適だったのが良い思い出になります。撮影にも色々行きました。奥羽本線でのラストランの撮影にも行きました。今となっては全てが懐かしいですね。
当時「はくつる」?を上野〜宇都宮間を父が運転してました。普段普通列車しか運転しなかった父が年一回?特急電車を運転するのが誇らしかった記憶があります。
私は「はつかり」で583系に乗った事がありましたが、さすがに普通車のボックスシートは「・・・」だったので、583系にあたった時の多くはグリーン車に変更してもらった記憶があります。
たくさんの人と共に思い出も運んだんだろうね。
小学生の頃、583系の特急はつかりに上野〜盛岡まで帰省で乗った事ありますね。当時は車内販売もあり、食堂車で食事した事を覚えています。結構、広々としたボックスシートだったです。
当方も食堂車のサシ581が好きで食事をしてみたかったです。そしてサシ581が現存するのであれば見てみたいです。
@@竹内勉-x3d 食堂車廃止後に各地の駅に設置され据え付け食堂車になってました、仙台と淵野辺で利用した事があります、現在では残っていないかなと思います。
@@N--jv3go 貴重な情報をありがとうございます。
上野ー青森間で昼間は常磐線経由特急みちのく号及び東北本線経由特急はつかり号で使用され夜🌃は寝台車として常磐線経由の寝台特急ゆうづる、東北本線経由のはくつる号で使用されていました。東日本地区の583系の車両所属は青森運転所に所属していました。昼間に走る特急はつかり号及びみちのく号で使用する際に食堂車の営業をして夜🌃は寝台車として常磐線経由寝台特急ゆうづる号及び東北本線経由寝台特急はくつる号では営業休止扱いにされていました。1982年11月15日の上越新幹線🚄大宮ー新潟間開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で常磐線経由の特急みちのく号が廃止され、東北本線経由の特急はつかり号が東北新幹線🚄大増発に伴い上野ー盛岡間が区間廃止され盛岡ー青森間に運転区間が短縮されて食堂車の営業休止扱いになりました、1985年3月14日の東北・上越新幹線🚄大宮ー上野間の延伸開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で営業休止扱いしていた食堂車1両が廃止されて編成が13両→12両編成に減車されました、寝台特急ゆうづるの定期・季節列車各1往復が廃止されて寝台特急はくつる号定期列車2往復のうち1往復が季節列車に格下げられました。寝台特急はくつる号およびゆうづる号を一度東大宮操車場に回送して寝台設備を解体して下段寝台を折りたたみ昼間の座席💺車として大宮ー万博中央間(武蔵野線・常磐線経由)の臨科学万博臨時快速エキスポライナー号で半年間波動輸送として活躍していました。
こちらのチャンネルは一般人(?)でも興味を持って見られるのでいいと思います。がんばってくださいね!
この動画では触れていないが、この車両のスゴいのは静粛性めちゃくちゃ静かで485系や185系なんか足元にも及ばないシートの快適さもあって、「ひばり」に充当されてた時は、583系ひばりを選んで乗ってた
あいづライナーの代走でしか乗った事はありませんが、485を凌ぐほどの乗り心地でした。あとは北陸で419系になってから...
寝台車の構造が客車寝台車のA寝台と同じプルマンでベッド幅もA寝台並みだからというのも断然の魅力でしたね。
親子連れだと客車B寝台は二人分の寝台券が必要だったが電車下段は一枚の寝台券で済み夏、冬、春休みは子供連れに人気がありました。
急行「きたぐに」に転用される際、サハネ581をA寝台化、すなわち2段化改造を行いました。
学研の特急列車図鑑には新製時A寝台車は技術上難しくて作られなかったとの記載があった。
@@坂田庄司-g6n 当方は乗りましたが、なかなかよかったです。ちなみに当方が生まれて初めて乗ったA寝台です。今となっては当方の若い頃の良い思い出です。
綺麗に保存頂いていて感謝
上段3席しか取れなかった我が家、両親はグリーンへ行き自分だけが上段に残った翌日後悔する両親の姿を今でも忘れられない結局最後に乗れたのは津軽だった
国鉄の旅情を感じる唯一無二の車輌です。
583系は座席からベットにか居られるのは面白いです
1980年代仕事で583系きたぐにを寝台で利用したことがありました。確か関西地区から北陸、新潟地区間で利用しました。とても懐かしい。こんな何でも有りの普通L特急座席指定と寝台の顔両方の顔を持つ特急車両はもう二度とお目にかかれないだろうと思うとさびしくなりますねぇ。😮
北海道の旧仁宇布駅には583系中間車がありますね。お世辞にも保存は言えずほとんど野ざらし状態ですが。
「はくつる」に使われ始めたのは1986年ではなく、昭和46年。
学生時代、食パン列車で通学してましたよ。他の国鉄車輌よりも広くて、夏はエアコンが効きすぎてるくらい涼しかったですね。この車輌に乗れた時は当たりと言ってました(笑)
2011年新幹線リレー号で583系と485系で活躍した583系の好きなところ形と色
583系の登場年に間違いがありました1986年では無く正しくは1968年の登場です。訂正してお詫び申し上げます。
子供の頃にいとこ二人と私で大阪から西鹿児島まで行ったけど、このタイプの車両だったのかと初めて知りました。長距離なので、途中でベッドから座席に変わった思い出があります。
一般的にファンにとって人気のある車両ほど現場泣かせの車両だと言われているが583系はその典型的な車両です。昼間の向かい合わせの座席使用において乗客の評判が良くなくまた多客期に荷棚がいっぱいになると天井が高いが故に極端に冷房の効きが悪くなり照明も荷物に遮られて暗く感じたり、東北用の583系は冬季の絶縁不良による故障が多かったり他にも重量が重い為台車に対する負担も大きかったとか。
私が一番通学や通勤に使ってたのがこの普通電車です。北陸本線1駅。普通電車はボックスシート当たり前やと思ってました。昭和 63年~平成12年くらいです。
はくつるで乗ったことがあるな。下段以外の寝台が狭いのは確かだけど、一部には知られた当たり席(寝台)があって、パンタグラフ下の上段は中段が無くて実質2段寝台でちょっと余裕があった。
みどりの窓口で「パン下ありますか?」ってよく聞いた
私は、583系には、2回ほど乗りました。1978年の夏休みに、名古屋から富山まで特急しらさぎ号でした。当時は、小学生🎒でしたので、ボックスシート💺の狭さは、気になりませんでした。2回目👀は、1990年の冬頃だったと思います。3段寝台の中段でした。上野駅から青森まで、はくつる号でした。上下のスペースが、とても狭く、窓もカプセル💊みたいな、小さいめものでした。青森までの9時間が、とても苦痛でした。その後、あけぼの号のB寝台が、とても快適でした。☺️その後、北斗星🌠のA寝台ロイヤルが、天国のような、快適なサービスと、乗り心地でした。
583系よりも近郊電車化した419・715系の方のイメージが強く583系よりも419系の車歴が長い車両がいたのも事実。ただ583系では腐食化した乗り心地だったが元特急車両だった419系はかなりいい乗り心地だった。
就活で、寒い新潟から大阪までいくときに「きたぐに」を使いました。座席車両(グリーン車)を使いましたが、貴重な三段寝台を使えば良かったかな…雪の降るなか待っていたので、車内にはいった時に「あー、助かった」と感じたのは良い思い出。
新潟駅とかならまだしも東三条駅のような中小駅名で吹雪の中ホームで待つのは辛かった
少し補完しますと、西日本の581、 583系は1972年3月の改正で北陸特急しらさぎに寝台特急金星の間合い運用を持っています。これは昼間の九州特急つばめの名古屋-岡山間の運用廃止の影響によるものでした。1978年10月以前に北陸特急の583といえばしらさぎでしたね。
この車両はきたぐにのイメージが強いな。
各シュプールの運用が衰退してから、ずーっときたぐにで運用されてたから、ほとんどの年代の人が583と言ったら「きたぐに」が先に思いつくだろうね
@@tuna2623 正におっしゃる通りです。当方の様なアラフィフ世代よりも下の世代の方は583系イコールきたぐにという印象が強いと当方は考えます。
今の平成生まれの方は583系イコールきたぐにという印象が強いと当方は考えます。
名古屋地区では、昼はしらさぎとして夜は金星として走っていた❗
後藤康仁 様金星の絵入りマークをデザインするのは難しかったでしょうね。博多18:47~名古屋6:10は名前の通り宵の明星、明けの明星にぴったりと合います。先行するみずほに広島で追いつき並びます。名古屋でも3分後に着きまたみずほに並びます。地球の公転は365日か366日、金星は225日なので名古屋発22:50発の時刻は一生忘れません。当初は新幹線岡山開業まで名古屋~熊本のつばめもありました。難点は寝台~座席転換する時は自動でないからかなりの重労働で危険な作業だった。係員の苦労が偲ばれます。しかし車内は二重窓のベネシアンブラインドで静かでしたね。名車です。
高校三年の時に583系はつかりに宇都宮~大宮間で乗りました。食堂車でコーヒー飲んだの覚えてます。
もう25年位前になりますが上野発の夜行のスキー列車シュプール号に乗車しました。うろ覚えなのですが、BOXシートの座面を引っ張り出したらフラットになる事に気が付いてすごく快適に移動出来ました。
若い頃、北海道のお客様に行くとき、常磐線経由でゆうづるを使ったことがある。出張の前日くらいに予約したのだが、三段寝台の一番上しか空いて無かった。思えば、引退前のマニア混雑だったのかもしれない。狭い空間だったが、懐かしい思い出だけは確保できた。
上野から仙台までたまたま583のひばりに乗ったけど今となったら貴重な思い出。友人と2人で乗ったけど、ボックスシートに座って「これでひばりって言われてもなぁ...」とは正直思ったw
統一後も臨時運用の為にイラストヘッドマークがありましたね。
航空機のB-52でも言えることだけど、長く使われるには汎用性は重要な要素だなぁ
B-52よりも、輸送機のC-130Hハーキュリーズかなと…
私が最も好きな車両が581/583系です。北九州に住んでいた関係もあって昭和42年の”月光”の鮮烈なデビューを今でも覚えています。通学時に前夜新大阪を出発した月光を良く見かけましたし、その後に有明が来ますがそれも鹿児島電化とともに581/583系に変わり朝から高揚したのを覚えています。実際に乗ったのは、月光 つばめ 有明で夜行は当時の20系よりまた昼行も向い合せの問題はあるが、背もたれや足の間隔も十分にあるので快適でした。新幹線の博多開業や盛岡開業で活躍場所がだんだんなくなっていきましたが、1時代を作った名列車だと思います。
きたぐにで座席・B寝台とも何度も利用しました。末期の頃は子どもが小さかったので、下段ベッドに大人と一緒に寝てもらいました。小児料金不要でリーズナブル。子どもも「ベッドの電車」と喜んでいました。
この車両は「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」で乗った🚃寝台車は下段が快適✨中段・上段はめっちゃ狭かった^^;はつかりは青森~盛岡の時代に数回、2号は583だったので印象が強い。座席モードはボックスシート💺なので特急らしさは?だけど、足元は広かった☺️
当方もきたぐにで上段に乗ったことがありますが、かなり狭かったのを覚えています。
書き忘れましたが確かに下段は広くて快適ですが、下段の場所によってはモーターの走行音やコンプレッサーの稼動音でうるさくて寝られない恐れがあります。当方もはくつるでパンタグラフのあるモハネのパンタグラフの下の下段に乗ったことがありますが宇都宮を過ぎてからフル運転になったせいかモーターの走行音がうるさくて寝られないので、車掌さんに許可を得て空いていたパンタグラフの下の中段に移った事があります。
@@竹内勉-x3d 様パンタノシタハしずかでした?
@@倉品弘 パンタグラフ下は静かでした。パンタグラフ下に移ってからはぐっすり眠れたのを覚えています。
@@竹内勉-x3d 様 合理的に考えられた鉄道車輌ですが、寝台客にとっては、◌◌をすぎたあたりから、寝台の解体で、当然寝台利用客は起こされ、服に着替えて、スゴイホコリに耐えるのはたいへんなことです、1列車この様な作業を・・・大変な寝台車でした。後年、VIA RAIL CANADA・フィンランド・ノールエイの寝台車を利用しましたが、この様な合理的なシステムで無く、古いままでした、が、これが一番ですネ!又、1M80近い身長の自分には・・・
581系, 583系の寝台車だと、パンタグラフの真下にある寝台を選んでましたね。3段ではなく2段。かつ上段(厳密には中段扱い)なので高さもあって余裕あったのでね。
晩年は東北からの甲子園応援列車によく使われてた印象「必勝○○高校」という特製ヘッドマークがつけられてるのが好きだった
甲子園と言えば、大阪発甲子園口行き「ナインドリーム甲子園号」もこの車両でした。この列車は遠方から高校野球観戦に訪れる人のための、宿泊所も兼ねての夜行列車(?)で走行距離は十数キロ、所要時間も十数分で走行以外の時間は大阪駅に夜間停泊、翌朝ラッシュ時間前に大阪駅を出て甲子園口駅に向かうというものでした。飲みに行った帰りに大阪駅に停車しているのを見たことがあります⚾
この電車の特徴の一つに前面デザインがありますネ。のちにデビューする国鉄電車特急の手本になりました。
583系は特急で運用が終わってから、ホリデー快速富士山号で何回か乗りました。優等列車だったので乗り心地が良く、583系が来ると良かったですね
札幌の大学受験はゆうづるに、入学の移動は1Mはつかりにと青春の節目を常に飾った列車です。東北の雪野原を120km/hで爆走した場面や、松島海岸を走り抜けた光景などいつまでも心に焼き付いてます。新幹線とは違った手作り感と多様性のあるところが在来線特急の魅力でした。下段寝台で窓際の空間に上半身を押し込んで、夜景を眺めるのが好きでした。日本が希望に満ちていて何もかも良い時代だったな。
何度も乗った。食パンになったあとも乗った。583万歳!
懐かしい 別府から新大阪行彗星で乗ったな 昼行では日豊線にちりんにて2段寝台のA寝台に一度乗りたかったわ
実際鉄道ファンに大人気で好き過ぎて乗り過ぎてご破算(583)しそうになった人が多い
時代の需要に見事に答えた車両だったけど、その需要の期間があまりに短過ぎた…
懐かしいですね。幼い頃、函館の祖母に会いに行く時は必ずはつかりの上段に乗っていたのを思い出しました😅
私のチャンネル名にもなっている583系走行している実物を見ることはかないませんでしたが、クリーム色と青色の車体はほかの特急型と比べてもその存在感は大きかったですね末期は夜行専用として活躍していた彼らですが、その存在感は昔も今も変わりませんね日本ではどんどん廃止されている夜行列車ですが、ヨーロッパでは再び夜行列車ブームに火が付き始めています再び日本の夜を、583系が築き上げた技術を基にした寝台特急が駆け回る日が来るといいなと願っています
TS583 様下段は客車A寝台車で実績済み。中段を降ろすと隠れていた上段が出現する。どれも当時のスタンダード20系寝台車の幅52cmを優に越えている。のちのちに583を知ったり利用したりした方達はそれでも狭いと難癖付けるが。開発の背景知らんのだからほっとくとする。話それた。昼間、座席使用時の網棚は回転して中段の天井部に収まっている。棚の役割はしないでただ隠れているだけだがどこかに収納せねばならない。この設計には試行錯誤されたことだろう。感心しました。今では神出鬼没の伝説の英雄になりました。
そうですねあの網棚の発想は私も結構びっくりしました今の日本人から見れば、70センチでも狭く感じるかもしれませんが、私は逆にそれを体験してみたい気もしますね(笑)
山形新幹線の改軌工事期に、急行津軽で乗車しました。みなみ東北ワイド北限の天童から乗車して仙山線経由で上野までの運行でした。ふたり掛け分で寝て、爆睡だったと記憶しています。
285系よりも583系(43.10改正登場)が好き。
鉄ヲタというより583系ヲタだった子供時代。しかも愛称幕は「はつかり」以外は認めないという偏屈ぶり。それはともかく583系はボックスシートだったけどシートピッチも座席幅も広く快適だった。6両編成の485系より9両編成の583系の方が定員が少ないと知ったのは最近の話。そりゃ広いわけだ。寝台も下段は広くて、しかも進行方向に寝れるから高ささえ気にしなければ客車のA寝台のような快適さ。窓と中段の隙間に頭を入れて車窓を楽しんだけど、隙間が狭いから頭が痛くなってくるのは難点だった。こんな魅力ある車両は他には無い。ホント大好き。
急行「津軽」でも使われてたな。家族連れが勝手に座席を引き出して車掌に怒られてた。
583系を全車両座席車で夜行運用という残念な使い方ではあった...
民営化後のはつかりでもおじさんやおばさんが座席引き出してましたね、どこでやり方教わったんでしょうか。
小学生の頃名古屋から博多へ行く際に金星に乗りました😃懐かしいですね😆
「きたぐに」に乗るときは必ずパン下の中段を利用していました。中段料金で下段と同じくらいの高さを確保できる。当時で1050円お得でした。
当方もはくつるで乗ったことがありますが、結構快適であった事を覚えています。常連さんやファンからはパンタグラフ下の中段指定で寝台券を取る客が多いと当方は聞いた事があります。
うちは絶対に寝台列車は使わない。テンション上がって朝まで車窓にくぎ付けになっちゃう(=寝不足で翌日死ぬ)自信があるから。でも一度サンライズ乗ってみたいなぁ。
39年前に寝台で乗りました、今思えば3段式の真ん中だったのでカプセルホテルのようでしたね(笑)下方のスペースが広くて羨ましかったですよ
東北の食パン電車の頃に乗ったことがありますが、側窓の二重窓のほうの窓間に人工芝が敷いてあって、その上に一体か二体、ちっちゃいフィギュア(どんなのだったかは忘れましたが)が乗っていたのを憶えています。
廃車寸前にふるさとゴロンと号で上段寝台に乗れて良かった
きたぐにで座席車に乗った事あるし改造だけど715系にはよく乗ったね、天井高いのが印象的だった。
東北線は寝台設備を除去してありましたので広かったですね、北陸線は最後まで寝台が残されていましたが、固定窓の車内側が外されていたのが見受けられました。
@@N--jv3go イタズラも多かったらしいですね。
583系は修学旅行にも使用されていた。現役引退直前は臨時快速弘前桜祭り号としGW期間中秋田~弘前間を走っていた。
当方、小学生の頃に583系の昼行特急列車のはつかりに乗った事があります。なので583系はとても馴染みのある電車でしたね(笑)
581系&583系は色々と問題含みの車輌でした。製造元の一社であった汽車会社の人の話では、手間ばかりかかり儲けの薄い車輌だった。昼間ボックスシートで特急として乗務していた車掌さんは、特急なのになんで対面シートなんだ、と客からクレームを受けたりとお世辞でも関係者には良い車輌ではなかったようです。寝台使用ではプルマン式ではあったものの三段寝台で、一段目はA寝台に匹敵する快適さはありましたが、二段目三段目は窮屈極まりなく、解放式B寝台の方がまたマシでした。パンタの下の寝台は二段だったので、ある程度は快適ではありましたが、私なら寝台は利用しないで、グリーン車を利用したでしょう…。
この車両は子供の頃、父の故郷に帰省する時に「なは」や「有明」で乗りましたが、後年「なは」がブルートレイン化して「有明」からも撤退した理由をこの動画で初めて知りました。平成に入ってからは北海道や東北へ旅行の際に急行「きたぐに」に乗車。予算の都合で自由席と寝台車を乗り分けていましたが自由席だと急行券1260円で超安価、下段寝台は居心地抜群。末期は寝台車オンリーの7両編成でしたが廃止寸前まで利用してました。食パンは北陸や東北で乗りましたが暗くてもうひとつ好きではありませんでした。
583系、懐かしいです。両親の実家、札幌へ向かうため、ゆうづる→青函連絡船→おおぞらor北斗のリレーで15時間くらいかかった記憶が。小学生当時は上段まではしごで登ると床までの高さに驚いたものです。また中段、上段の外を見る窓は秘密基地のようでした。夏休みのチケットは1ヶ月前に新宿駅の「みどりの窓口」に始発で並んで確保するようなプラチナチケットでした。夜の駅で発車を待つ青い13両編成は巨大で迫力がありました。ワクワク感満載の車両でした。
川崎に住んでた時、盆・暮れ・ゴールデンウィークの帰省時に、『急行津軽』や『寝台特急はくつる』(臨時)でよく乗りましたね。
かつて583系の寝台セットの作業をしていたけれど、上段にシーツを敷くのが大変だった。でももっと大変なのは座席⇔寝台の転換。寝台にするときははしごやカーテンを取り付けるのがすごく時間がかかるし、座席にするときは枕や下段のマットレスや掛毛布などをすべて中段寝台に乗せてその中段寝台を押し上げるんだけど、めちゃめちゃ重い。中途半端に押し上げると、また寝台が降りてくるのでかなり危ない。当時はキツかったけど、今となってはいい思い出。
後の14系で中段がボタン一つで昇降出来るようになり どれだけ楽になったのかこのコメントからもわかりますね。
煤 様
ついさっき、後藤様のコメントに反応しました。
朝、放送があり着替えして待っていました。ざわざわするとあっ❗︎近づいたなと分かります。
私は客車の解体作業は目👀の当たりにしましたが583はありません。
583の運転中解体作業は限られた列車と思いますが下りなは、下り金星、臨時あおもりかな❔
お疲れ様でした。
(^-^)/~~
言い忘れた。さくら・みずほ・はやぶさ・富士・日本海を583にとの意見が当時ありましたが、私は「あほこけ」と思いました。セット・解体に関わる方達のその苦労を知っているから。
追伸、設定当初の数本ある明星も後発は新大阪および熊本着は10:00前後とやや遅い時間帯だった。
増備車が出てたら14系みたいに2段寝台化や中段の動力化がされたかも知れませんね、職員泣かせの乗客のセルフ寝台も防げますし。
@@信広-q4h あと、583系は言わずもがな、昼夜兼用なので、東京~九州ブルトレだと昼の列車がない。日本海縦貫線は「白鳥」あるけど長距離過ぎて「白鳥」~「日本海」の連続運用組めない。よって、必然的に東京~青森とか大阪~九州になる😉
@@N--jv3go さん
中段寝台の動力化は試作もされたそうですが
二段寝台化はA寝台が583と同じだったので無理ですね。
こういう特定の車両にテーマを絞った解説もっとみたい
当方も同感です。
夜を駆ける列車って言い方好きw
583系が一番好きだなぁ…
急行きたぐにに何度か乗りましたが、乗ってるだけでテンション上がったのを覚えてます。
今となっては、良い思い出です😊
当方も2回きたぐにに乗ったことがあり、2回目はA寝台に乗りましたが今となっては当方の若い頃の良い思い出です。
@@竹内勉-x3d さん
「きたぐに」はA寝台、B寝台、グリーン車、座席(指定席、自由席)とバリエーション豊富で、予算や気分に合わせて選ぶことができましたね。ただし、グリーン車は両端部がロビーゾーンになっていて座席部分との間仕切りがなく、バカ騒ぎされたらグリーン車もなにもあったものではないだろうなと思い私は避けていましたが。
@@Yoshin-Sashizume 583系「きたぐに」は普通車指定席ないよ😉
583系大好きです。昭和50年代昼間の特急ですがボックス席であるが故に知らないお向かいさんとお話ができたりお菓子やみかんを交換したり楽しい思い出があります。
門司港の九州鉄道博物館で、581系月光の中を見ました。構造がとても興味深かったです。すごく格好いい電車でした。秋田の車両が大宮に来るといいですね。
いやぁ~ 本当に食パン列車にお世話になったな~
外観もそうだけど、中も面白くて天井が低く(元々寝台部分)、洗面所も使えない部分あったり、謎のスペースがあったり。
よく福井までこの列車で遊びに行きました。
当方も乗ったことがありますが、正におっしゃる通りです。
「タウントレイン」って名前のによく乗ってました
かっこいい顔とヘンな顔がいるのと
頭上には謎の収納BOXみたいなのが気になって
いつか開けてやろうと思ってました
@@大坂孝幸
上京前の九州と上京後には北陸で運用されてた同改造の車両(形式名失念)で乗った事がありました。
まだ東北新幹線が盛岡までしか通っていなかった頃、修学旅行で青森(奥入瀬)に行くのに盛岡から八戸までは583系でした。その列車が寝台特急なのを知っていたので、シートをベッドにさせて周囲から称賛を浴びましたw。
車掌「お客様、下段A寝台券をお買い求めください😁」
いー商売ですね😂
たしか北海道の美深トロッコ王国にも廃車体がいたきがする。
盛岡~青森のはつかりで乗りました
臨時便だったのでガラガラでゆったり移動できました
夜行で一度乗ってみたかったな
583系に乗車したのは52年前、大阪万博見物での利用でした。寝台特急「明星」号の、狭い最上段の天井で何度も頭を打った事、
小さな窓から見た流れゆく夜景、ペラペラの紙コップで飲んだ冷水。当時小学生だったのに、今でも記憶に残る夜汽車でした。
tac12469 様
熊本~新大阪を二本運転していました。
熊本を1号21:40と2号22:15発。まだ下りは奇数上りは偶数でない頃。
なぜか?2号は上り水曜日下りは木曜日が運休でそれがゆえに覚えていますが。
私の明星は高校出て上京する時八代から乗りました。上段の小窓から去りゆく里にうるると来ました。錦を飾って帰ると。
(ノ_・。)
明星は元々は583だけに付いてた名前でしたね、あかつきがブルトレ専用だったはずです。
今、思ったんですが、583系を直流専用改造して、ムーンライトながらに運用すれば、今でも需要あったんでは!?って思う。
例えば、10両編成にして、1号車〜6号車までは寝台モードで、7号車〜10号車までは自由席車輌として。
快速だから、寝台モードの車輌、シーツや毛布なしで、乗車券+α程度の料金なら夜行高速バスにも対抗出来るでしょ。
なにより「寝台を確保できれば横になって移動出来る」ってセールスポイントあるからね。
昔、夏休みや冬休みになるといとこの家に行く時に1人で『はつかり』乗った思い出があります❤
一人旅をしてる気分で楽しかったのを覚えてます😊
父母の実家が鹿児島だったので幼稚園の頃は名古屋~博多の金星号、
小学~中学の頃は博多~西鹿児島の有明号をよく利用していました。
今思うと結構乗り心地の良い車両だったことを覚えています。
私も小学校の夏休みに当時の有明が583系だったので二度乗りましたね。座席💺乗り時は有明二回、はつかり一回、寝台はきたぐにで一回利用しましたよ。
1958年、581,583系は元は「仮称153系寝台電車」として計画されていて、当時製造が進んでいた10系客車をそのまま電車化するようなもので、図面まで描かれました。しかし、東海道新幹線の開業の見通しが立っておりその後の転用先が見込めないことから構想は取りやめになりました。
トミックス総合ガイド2016-2017年版から引用
受験のため宮崎→岡山の彗星で乗った記憶が鮮明です。同じブルートレインのB寝台より快適でしたね。
時代の流れだから仕方ないですね。
金星こそ至高!名古屋に6時についた!これで2段寝台なら銀河も廃止されなかっただろうに。昼行も青森盛岡で乗りました。設計した人にノーベル賞をあげたい
581・583系の運転席窓後ろ両サイドの青いアクセントのデザインは新幹線951試験車にも使われました。
広い『ボックスシート』
しかし超混雑時には立客が向かい合わせに座っているお客の間に入り込む弊害もありました。
また漫画『カレチ』のネタにもなりましたが 車両区で寝台→座席への変換は作業員1人で1両1時間程かかりましたが
5人だと数分で終わったそう。
座席から寝台へするときは、1人1両3時間掛かりました…
上段・中段下ろしと下段の引き出し50分、カーテンとはしご等の取り付け70分、毛布シーツ等のベッドメイク60分くらい。先頭車やパンタグラフ付き車両に当たると、少し寝台数が少なくて嬉しかったw
初めて乗ったのが新幹線新大阪乗継で「月光」、最後は「きたぐに」でした
全車涯の寝台に乗れたことは583系好きな私にとってよき思い出です🚄
みちのく、はくつる、きたぐに、そして北陸方面で419系に乗ったことがあります。
楽しかったなー。
もう、あんな時代は来ないのか…と思うと寂しい限りですが…。
昼間の座り心地も良かったですよね。
後継がないんで全盛期を過ぎると特急としては格落ち扱いになっていきましたが、下手なリクライニングシートより疲れませんでした。
そうそう、あの頃の485系など特急用車両のリクライニング機能は簡易的なものでしたし、最悪だど座席が2列連なっているものもありましたからね。その後は1席ずつ分離したシートに取り替えられて背面テーブルも拡大して使いやすくなりましたが。
@@Yoshin-Sashizume 正におっしゃる通りです。当方も若い頃の記憶にありますが、485系の0番台や200番台やキハ82系やキハ181系の様に初期に出来た車両はリクライニング出来ない2連続きのシートが多く、その後の車両のシートでも簡易リクライニングシートで、かなりサービスが悪かったですが民営化してから普通車でもかなり良いリクライニングシートに変わったのを当方は記憶にあります。
@@竹内勉-x3d どちらかと言うと、箱席が嫌われていたとあちこちに書かれているけど…😉
@@psychedelicraspberry517 さん
西欧ではボックス席への嫌悪感は日本ほど無いのですが
これは目を合わせる=喧嘩ふっかける
と考える野蛮で短絡的な日本人の思考回路も大
@@古家武史-f5d
ガンのくれ合い飛ばし合い(何だよ?!)@Y浜銀蝿www
きたぐにのB寝台で最上段に乗りました
何が良いってとにかく静かで揺れも少なかったです
あと進行方向縦向きの寝姿勢なので多少の加減速でも大丈夫
狭くとも安眠できて多人数が利用できる素晴らしい寝台でした
当方もきたぐにのB寝台の上段に乗ったことがありますが、静かで揺れが少なかったのを覚えています。
きたぐには1985年から583系に変わりましたがこの時食堂車は編成から外されています。by酒向正也
ガキの頃にはくつるとゆうづるを何度か利用したが、頑丈な線路の東北・常磐線で、下段なのに高速運転時にとにかく揺れるというのとモーター音が気になった記憶。
きたぐにはそんなに高速運転しないからか。
@@酒向美由起 正におっしゃる通りです。いわゆるロクマルサンと言われた1985年、昭和60年3月のダイヤ改正まではコンプレッサーの関係で食堂車の営業が停止している列車でもサシ581を連結していましたがロクマルサンで食堂車を全列車外しました。
@@5red90 正におっしゃる通りです。きたぐにも東北本線や常磐線の様に線路状態の良い北陸本線や信越本線を走りますが、急行列車であり停車駅が多いのと停車駅での時間調整が多いので、はくつるやゆうづるに比べて速度が遅くなります。
583系の欠点は何と言っても3段寝台のため寝台セット時の頭上空間が全くなく179㎝の当方からしたら体を傾けるしかなく中で着替えなど全然できなかった。中段以上になると降りるにもコツがあって、体を傾けながら一気に反動をつけて梯子まで動かし、その時に下段の人に迷惑がかからないよう体をぶつけず音を立てずにそーっと降りるのに気を付けました。
715系に変わってからもよく利用しましたが、車内は暗かったけど、ボックスシートはそのままでシートはフカフカで快適でした。ただ特急から一気に普通列車に変わったので「二段階降格(当時は急行も残ってた)」などと冗談で言ってました。その特急時代の酷使が祟ったのか、最初の頃はよく故障で運休してました。あとモーターの音も元寝台列車にしてはやかましく、特急として乗車した時もモーターのうなる音が残響に残ってて熟睡した経験はあまりありませんでした。
最近、定年で退職した人が昔話で「自分が新人の頃、福岡から名古屋出張に行った時、帰りは博多行の新幹線に乗れず特急金星に乗るか、新幹線で新大阪まで来てあかつきか明星に乗った」と583(581?)系利用の話をされてました。
当方は583系ファンですが583系を取り上げて頂きめっちゃ嬉しかったです。当方の若い頃にきたぐにで2回、はくつるで1回お世話になり、きたぐにの2回目でA寝台に乗りA寝台の広さと静けさに感動したことを覚えています。はくつるではモハネの下段に乗り宇都宮を過ぎたあたりからフル運転のせいかモーターの音がうるさくて車掌さんの許可を得てパンタグラフの下の中段に移ってやっと寝られたという思い出があります。今となっては当方の若い頃の良い思い出です。
食堂車に乗りたかったです。天井が高く485系とは違った雰囲気だったみたいです。フル編成での編成美は最高ですね。
何でも、食堂車に三相電源切替器を置いたため、長らく「食堂車営業休止」だったとか😭
グリーン車も天井が高く、開放的でした。
しかし、当時は安い設定が皆無で客は私ひとり😱、他の車両は立席券でごった返し。
現在の首都圏普通列車のグリーン車も同様、もっと利用促進を願います。
サシ481は24系客車のスシ24に改造および再活用されて生き残ったものが何両かありましたが、サシ581もそうなってほしかった・・・。
急行きたぐには何度もお世話になりました。
最後に乗ったのはボックスシートだったのはいい思い出。
上野から秋田に帰るとき、寝台車をよく利用しました。電車に詳しい人間ではないのですが、この車両はよくみたことがあります。所感ですが、寝台車の車輪のカタンカタン…って音がすごくリズミカルで大好きでした。
一時期、「あけぼの」に多客期に充当された事もあります。
@@坂田庄司-g6n
そうだったんですね!あけぼの利用してました!懐かしい…
寝台は無く、座席のみで急行津軽にも使われたかと。(・ε・` )
@@クモハ165
ムーンライト運用もありましたね。
彗星や明星には普通座席指定車も存在していましたね。
ただ寝台車が衰退したのは、現場の苦労の面も大変大きいそうで、
特に583系の維持や作業も大変だったことでしょう。
鉄道を取り巻く環境と時代における人々の価値観が変わり過ぎて夜行列車もサンライズ号のみとなり寂しい限りです。
子供の頃、プラレールで583系は発売されていました。今は販売されていないけど、昔持つてました。583系は昭和時代を感じますね。
向かい合わせで不評だけど
座席のクッションの丁度良い堅さだった
ロマンスシートや簡易リクライニングシートより座り心地が良い
あと583系は最低限9両までで
6両編成だと短くて様に成らなかった
この車両で夏の甲子園に向かい第一試合を応援。帰りの朝に駅弁とお茶っ葉を落とすタイプのお茶を飲んで帰る2泊(三段ベッドの真ん中2泊)3日。修学旅行より思い出深い旅でした。
幼い頃、電車図鑑でこの電車を見て好きになった。小学生の時、家族で能登旅行の帰りに金沢から乗車したのが、当時(昭和48年頃)「しらさぎ」に運用に入っていたこの電車、終点名古屋に到着してホームから眺めたら、車内は乗務員の人たちが寝台への変換、ベッドメイクの作業開始、列車名・行先表示は「しらさぎ 名古屋行」から「金星 博多行」と変わり、ワクワクしながら見ていた。個人的には一番使用条件にマッチングしていただろう「日本海」に使用されなかったのが残念。3電源方式、食堂車連結という特性が活かせただろうに。
「日本海」はパートナー昼行列車が設定できないから無駄。「白鳥」~「日本海」だと24時間で回せない😉
動画にも出ていましたが、昼間の間合い運用の特急[雷鳥]に乗車しました。
屋根の高い食堂車が良い思い出になります。
夜行列車としては[はくつる]のパンタグラフ下の中段寝台に乗車しました。
屋根上スペースが広くて快適だったのが良い思い出になります。
撮影にも色々行きました。
奥羽本線でのラストランの撮影にも行きました。
今となっては全てが懐かしいですね。
当時「はくつる」?を上野〜宇都宮間を父が運転してました。
普段普通列車しか運転しなかった父が年一回?特急電車を運転するのが誇らしかった記憶があります。
私は「はつかり」で583系に乗った事がありましたが、さすがに普通車のボックスシートは「・・・」だったので、583系にあたった時の多くはグリーン車に変更してもらった記憶があります。
たくさんの人と共に思い出も運んだんだろうね。
小学生の頃、583系の特急はつかりに上野〜盛岡まで帰省で乗った事ありますね。
当時は車内販売もあり、食堂車で食事した事を覚えています。
結構、広々としたボックスシートだったです。
当方も食堂車のサシ581が好きで食事をしてみたかったです。そしてサシ581が現存するのであれば見てみたいです。
@@竹内勉-x3d 食堂車廃止後に各地の駅に設置され据え付け食堂車になってました、仙台と淵野辺で利用した事があります、現在では残っていないかなと思います。
@@N--jv3go 貴重な情報をありがとうございます。
上野ー青森間で昼間は常磐線経由特急みちのく号及び東北本線経由特急はつかり号で使用され夜🌃は寝台車として常磐線経由の寝台特急ゆうづる、東北本線経由のはくつる号で使用されていました。東日本地区の583系の車両所属は青森運転所に所属していました。昼間に走る特急はつかり号及びみちのく号で使用する際に食堂車の営業をして夜🌃は寝台車として常磐線経由寝台特急ゆうづる号及び東北本線経由寝台特急はくつる号では営業休止扱いにされていました。1982年11月15日の上越新幹線🚄大宮ー新潟間開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で常磐線経由の特急みちのく号が廃止され、東北本線経由の特急はつかり号が東北新幹線🚄大増発に伴い上野ー盛岡間が区間廃止され盛岡ー青森間に運転区間が短縮されて食堂車の営業休止扱いになりました、1985年3月14日の東北・上越新幹線🚄大宮ー上野間の延伸開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で営業休止扱いしていた食堂車1両が廃止されて編成が13両→12両編成に減車されました、寝台特急ゆうづるの定期・季節列車各1往復が廃止されて寝台特急はくつる号定期列車2往復のうち1往復が季節列車に格下げられました。寝台特急はくつる号およびゆうづる号を一度東大宮操車場に回送して寝台設備を解体して下段寝台を折りたたみ昼間の座席💺車として大宮ー万博中央間(武蔵野線・常磐線経由)の臨科学万博臨時快速エキスポライナー号で半年間波動輸送として活躍していました。
こちらのチャンネルは一般人(?)でも興味を持って見られるのでいいと思います。
がんばってくださいね!
この動画では触れていないが、この車両のスゴいのは静粛性
めちゃくちゃ静かで485系や185系なんか足元にも及ばない
シートの快適さもあって、「ひばり」に充当されてた時は、583系ひばりを選んで乗ってた
あいづライナーの代走でしか乗った事はありませんが、485を凌ぐほどの乗り心地でした。
あとは北陸で419系になってから...
寝台車の構造が客車寝台車のA寝台と同じプルマンでベッド幅もA寝台並みだからというのも断然の魅力でしたね。
親子連れだと客車B寝台は二人分の寝台券が必要だったが電車下段は一枚の寝台券で済み夏、冬、春休みは子供連れに人気がありました。
急行「きたぐに」に転用される際、サハネ581をA寝台化、すなわち2段化改造を行いました。
学研の特急列車図鑑には新製時A寝台車は技術上難しくて作られなかったとの記載があった。
当方も同感です。
@@坂田庄司-g6n 当方は乗りましたが、なかなかよかったです。ちなみに当方が生まれて初めて乗ったA寝台です。今となっては当方の若い頃の良い思い出です。
綺麗に保存頂いていて
感謝
上段3席しか取れなかった我が家、両親はグリーンへ行き自分だけが上段に残った
翌日後悔する両親の姿を今でも忘れられない
結局最後に乗れたのは津軽だった
国鉄の旅情を感じる唯一無二の車輌です。
583系は座席からベットにか居られるのは面白いです
1980年代仕事で583系きたぐにを寝台で利用したことがありました。
確か関西地区から北陸、新潟地区間で利用しました。
とても懐かしい。
こんな何でも有りの普通L特急座席指定と寝台の顔両方の顔を持つ特急車両はもう二度とお目にかかれないだろうと思うとさびしくなりますねぇ。😮
当方も同感です。
北海道の旧仁宇布駅には583系中間車がありますね。お世辞にも保存は言えずほとんど野ざらし状態ですが。
「はくつる」に使われ始めたのは1986年ではなく、昭和46年。
学生時代、食パン列車で通学してましたよ。
他の国鉄車輌よりも広くて、夏はエアコンが効きすぎてるくらい涼しかったですね。
この車輌に乗れた時は当たりと言ってました(笑)
2011年新幹線リレー号で583系と485系で活躍した
583系の好きなところ形と色
583系の登場年に間違いがありました1986年では無く正しくは1968年の登場です。訂正してお詫び申し上げます。
子供の頃にいとこ二人と私で大阪から西鹿児島まで行ったけど、このタイプの車両だったのかと初めて知りました。
長距離なので、途中でベッドから座席に変わった思い出があります。
一般的にファンにとって人気のある車両ほど現場泣かせの車両だと言われているが583系はその典型的な車両です。昼間の向かい合わせの座席使用において乗客の評判が良くなくまた多客期に荷棚がいっぱいになると天井が高いが故に極端に冷房の効きが悪くなり照明も荷物に遮られて暗く感じたり、東北用の583系は冬季の絶縁不良による故障が多かったり他にも重量が重い為台車に対する負担も大きかったとか。
私が一番通学や通勤に使ってたのがこの普通電車です。北陸本線1駅。普通電車はボックスシート当たり前やと思ってました。昭和 63年~平成12年くらいです。
はくつるで乗ったことがあるな。下段以外の寝台が狭いのは確かだけど、一部には知られた当たり席(寝台)があって、パンタグラフ下の上段は中段が無くて実質2段寝台でちょっと余裕があった。
みどりの窓口で「パン下ありますか?」ってよく聞いた
私は、583系には、2回ほど乗りました。1978年の夏休みに、名古屋から富山まで特急しらさぎ号でした。当時は、小学生🎒でしたので、ボックスシート💺
の狭さは、気になりませんでした。2回目👀
は、1990年の冬頃だったと思います。3段寝台の中段でした。上野駅から青森まで、はくつる号でした。上下の
スペースが、とても狭く、窓もカプセル💊
みたいな、小さいめものでした。青森までの9時間が、とても苦痛
でした。その後、あけぼの号のB寝台が、とても快適でした。☺️
その後、北斗星🌠
のA寝台ロイヤルが、
天国のような、快適な
サービスと、乗り心地
でした。
583系よりも近郊電車化した419・715系の方のイメージが強く583系よりも419系の車歴が長い車両がいたのも事実。ただ583系では腐食化した乗り心地だったが元特急車両だった419系はかなりいい乗り心地だった。
就活で、寒い新潟から大阪までいくときに「きたぐに」を使いました。
座席車両(グリーン車)を使いましたが、貴重な三段寝台を使えば良かったかな…
雪の降るなか待っていたので、車内にはいった時に「あー、助かった」と感じたのは良い思い出。
新潟駅とかならまだしも東三条駅のような中小駅名で吹雪の中ホームで待つのは辛かった
少し補完しますと、西日本の581、 583系は1972年3月の改正で北陸特急しらさぎに寝台特急金星の間合い運用を持っています。
これは昼間の九州特急つばめの名古屋-岡山間の運用廃止の影響によるものでした。1978年10月以前に北陸特急の583といえばしらさぎでしたね。
この車両はきたぐにのイメージが強いな。
各シュプールの運用が衰退してから、ずーっときたぐにで運用されてたから、ほとんどの年代の人が583と言ったら「きたぐに」が先に思いつくだろうね
@@tuna2623 正におっしゃる通りです。当方の様なアラフィフ世代よりも下の世代の方は583系イコールきたぐにという印象が強いと当方は考えます。
今の平成生まれの方は583系イコールきたぐにという印象が強いと当方は考えます。
名古屋地区では、昼はしらさぎとして夜は金星として走っていた❗
後藤康仁 様
金星の絵入りマークをデザインするのは難しかったでしょうね。
博多18:47~名古屋6:10は名前の通り宵の明星、明けの明星にぴったりと合います。先行するみずほに広島で追いつき並びます。名古屋でも3分後に着きまたみずほに並びます。
地球の公転は365日か366日、金星は225日なので名古屋発22:50発の時刻は一生忘れません。
当初は新幹線岡山開業まで名古屋~熊本のつばめもありました。
難点は寝台~座席転換する時は自動でないからかなりの重労働で危険な作業だった。係員の苦労が偲ばれます。
しかし車内は二重窓のベネシアンブラインドで静かでしたね。名車です。
高校三年の時に583系はつかりに宇都宮~大宮間で乗りました。食堂車でコーヒー飲んだの覚えてます。
もう25年位前になりますが上野発の夜行のスキー列車シュプール号に乗車しました。
うろ覚えなのですが、BOXシートの座面を引っ張り出したらフラットになる事に気が付いて
すごく快適に移動出来ました。
若い頃、北海道のお客様に行くとき、常磐線経由でゆうづるを使ったことがある。
出張の前日くらいに予約したのだが、三段寝台の一番上しか空いて無かった。
思えば、引退前のマニア混雑だったのかもしれない。狭い空間だったが、懐かしい思い出だけは確保できた。
上野から仙台までたまたま583のひばりに乗ったけど今となったら貴重な思い出。
友人と2人で乗ったけど、ボックスシートに座って「これでひばりって言われてもなぁ...」とは正直思ったw
統一後も臨時運用の為にイラストヘッドマークがありましたね。
航空機のB-52でも言えることだけど、長く使われるには汎用性は重要な要素だなぁ
B-52よりも、輸送機のC-130Hハーキュリーズかなと…
私が最も好きな車両が581/583系です。北九州に住んでいた関係もあって昭和42年の”月光”の鮮烈なデビューを今でも覚えています。通学時に前夜新大阪を出発した月光を良く見かけましたし、その後に有明が来ますがそれも鹿児島電化とともに581/583系に変わり朝から高揚したのを覚えています。実際に乗ったのは、月光 つばめ 有明で夜行は当時の20系よりまた昼行も向い合せの問題はあるが、背もたれや足の間隔も十分にあるので快適でした。新幹線の博多開業や盛岡開業で活躍場所がだんだんなくなっていきましたが、1時代を作った名列車だと思います。
きたぐにで座席・B寝台とも何度も利用しました。
末期の頃は子どもが小さかったので、下段ベッドに大人と一緒に寝てもらいました。小児料金不要でリーズナブル。
子どもも「ベッドの電車」と喜んでいました。
この車両は「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」で乗った🚃
寝台車は下段が快適✨
中段・上段はめっちゃ狭かった^^;
はつかりは青森~盛岡の時代に数回、2号は583だったので印象が強い。
座席モードはボックスシート💺なので特急らしさは?だけど、足元は広かった☺️
当方もきたぐにで上段に乗ったことがありますが、かなり狭かったのを覚えています。
書き忘れましたが確かに下段は広くて快適ですが、下段の場所によってはモーターの走行音やコンプレッサーの稼動音でうるさくて寝られない恐れがあります。当方もはくつるでパンタグラフのあるモハネのパンタグラフの下の下段に乗ったことがありますが宇都宮を過ぎてからフル運転になったせいかモーターの走行音がうるさくて寝られないので、車掌さんに許可を得て空いていたパンタグラフの下の中段に移った事があります。
@@竹内勉-x3d 様
パンタノシタハしずかでした?
@@倉品弘 パンタグラフ下は静かでした。パンタグラフ下に移ってからはぐっすり眠れたのを覚えています。
@@竹内勉-x3d 様 合理的に考えられた鉄道車輌ですが、寝台客にとっては、◌◌をすぎたあたりから、寝台の解体で、当然寝台利用客は起こされ、服に着替えて、スゴイホコリに耐えるのはたいへんなことです、1列車この様な作業を・・・大変な寝台車でした。後年、VIA RAIL CANADA・フィンランド・ノールエイの寝台車を利用しましたが、この様な合理的なシステムで無く、古いままでした、が、これが一番ですネ!
又、1M80近い身長の自分には・・・
581系, 583系の寝台車だと、パンタグラフの真下にある寝台を選んでましたね。
3段ではなく2段。かつ上段(厳密には中段扱い)なので高さもあって余裕あったのでね。
晩年は東北からの甲子園応援列車によく使われてた印象
「必勝○○高校」という特製ヘッドマークがつけられてるのが好きだった
甲子園と言えば、大阪発甲子園口行き「ナインドリーム甲子園号」もこの車両でした。この列車は遠方から高校野球観戦に訪れる人のための、宿泊所も兼ねての夜行列車(?)で走行距離は十数キロ、所要時間も十数分で走行以外の時間は大阪駅に夜間停泊、翌朝ラッシュ時間前に大阪駅を出て甲子園口駅に向かうというものでした。飲みに行った帰りに大阪駅に停車しているのを見たことがあります⚾
この電車の特徴の一つに前面デザインがありますネ。のちにデビューする国鉄電車特急の手本になりました。
583系は特急で運用が終わってから、ホリデー快速富士山号で何回か乗りました。
優等列車だったので乗り心地が良く、583系が来ると良かったですね
札幌の大学受験はゆうづるに、入学の移動は1Mはつかりにと青春の節目を常に飾った列車です。東北の雪野原を120km/hで爆走した場面や、松島海岸を走り抜けた光景などいつまでも心に焼き付いてます。新幹線とは違った手作り感と多様性のあるところが在来線特急の魅力でした。下段寝台で窓際の空間に上半身を押し込んで、夜景を眺めるのが好きでした。日本が希望に満ちていて何もかも良い時代だったな。
何度も乗った。食パンになったあとも乗った。583万歳!
懐かしい 別府から新大阪行彗星で乗ったな 昼行では日豊線にちりんにて
2段寝台のA寝台に一度乗りたかったわ
実際鉄道ファンに大人気で好き過ぎて乗り過ぎてご破算(583)しそうになった人が多い
時代の需要に見事に答えた車両だったけど、その需要の期間があまりに短過ぎた…
懐かしいですね。幼い頃、函館の祖母に会いに行く時は必ずはつかりの上段に乗っていたのを思い出しました😅
私のチャンネル名にもなっている583系
走行している実物を見ることはかないませんでしたが、クリーム色と青色の車体はほかの特急型と比べてもその存在感は大きかったですね
末期は夜行専用として活躍していた彼らですが、その存在感は昔も今も変わりませんね
日本ではどんどん廃止されている夜行列車ですが、ヨーロッパでは再び夜行列車ブームに火が付き始めています
再び日本の夜を、583系が築き上げた技術を基にした寝台特急が駆け回る日が来るといいなと願っています
TS583 様
下段は客車A寝台車で実績済み。中段を降ろすと隠れていた上段が出現する。
どれも当時のスタンダード20系寝台車の幅52cmを優に越えている。
のちのちに583を知ったり利用したりした方達はそれでも狭いと難癖付けるが。開発の背景知らんのだからほっとくとする。
話それた。昼間、座席使用時の網棚は回転して中段の天井部に収まっている。棚の役割はしないでただ隠れているだけだがどこかに収納せねばならない。この設計には試行錯誤されたことだろう。
感心しました。
今では神出鬼没の伝説の英雄になりました。
そうですね
あの網棚の発想は私も結構びっくりしました
今の日本人から見れば、70センチでも狭く感じるかもしれませんが、私は逆にそれを体験してみたい気もしますね(笑)
山形新幹線の改軌工事期に、急行津軽で乗車しました。
みなみ東北ワイド北限の天童から乗車して仙山線経由で上野までの運行でした。ふたり掛け分で寝て、爆睡だったと記憶しています。
285系よりも583系(43.10改正登場)が
好き。
鉄ヲタというより583系ヲタだった子供時代。しかも愛称幕は「はつかり」以外は認めないという偏屈ぶり。
それはともかく583系はボックスシートだったけどシートピッチも座席幅も広く快適だった。6両編成の485系より9両編成の583系の方が定員が少ないと知ったのは最近の話。そりゃ広いわけだ。
寝台も下段は広くて、しかも進行方向に寝れるから高ささえ気にしなければ客車のA寝台のような快適さ。窓と中段の隙間に頭を入れて車窓を楽しんだけど、隙間が狭いから頭が痛くなってくるのは難点だった。
こんな魅力ある車両は他には無い。ホント大好き。
急行「津軽」でも使われてたな。
家族連れが勝手に座席を引き出して車掌に怒られてた。
583系を全車両座席車で夜行運用という残念な使い方ではあった...
民営化後のはつかりでもおじさんやおばさんが座席引き出してましたね、どこでやり方教わったんでしょうか。
小学生の頃名古屋から博多へ行く際に金星に乗りました😃懐かしいですね😆
「きたぐに」に乗るときは必ずパン下の中段を利用していました。中段料金で下段と同じくらいの高さを確保できる。当時で1050円お得でした。
当方もはくつるで乗ったことがありますが、結構快適であった事を覚えています。常連さんやファンからはパンタグラフ下の中段指定で寝台券を取る客が多いと当方は聞いた事があります。
うちは絶対に寝台列車は使わない。テンション上がって朝まで車窓にくぎ付けになっちゃう(=寝不足で翌日死ぬ)自信があるから。でも一度サンライズ乗ってみたいなぁ。
39年前に寝台で乗りました、今思えば3段式の真ん中だったのでカプセルホテルのようでしたね(笑)
下方のスペースが広くて羨ましかったですよ
東北の食パン電車の頃に乗ったことがありますが、側窓の二重窓のほうの窓間に人工芝が敷いてあって、その上に一体か二体、ちっちゃいフィギュア(どんなのだったかは忘れましたが)が乗っていたのを憶えています。
廃車寸前にふるさとゴロンと号で上段寝台に乗れて良かった
きたぐにで座席車に乗った事あるし改造だけど715系にはよく乗ったね、天井高いのが印象的だった。
東北線は寝台設備を除去してありましたので広かったですね、北陸線は最後まで寝台が残されていましたが、固定窓の車内側が外されていたのが見受けられました。
@@N--jv3go
イタズラも多かったらしいですね。
583系は修学旅行にも使用されていた。現役引退直前は臨時快速弘前桜祭り号としGW期間中秋田~弘前間を走っていた。
当方、小学生の頃に583系の昼行特急列車のはつかりに乗った事があります。なので583系はとても馴染みのある電車でしたね(笑)
581系&583系は色々と問題含みの車輌でした。製造元の一社であった汽車会社の人の話では、手間ばかりかかり儲けの薄い車輌だった。昼間ボックスシートで特急として乗務していた車掌さんは、特急なのになんで対面シートなんだ、と客からクレームを受けたりとお世辞でも関係者には良い車輌ではなかったようです。寝台使用ではプルマン式ではあったものの三段寝台で、一段目はA寝台に匹敵する快適さはありましたが、二段目三段目は窮屈極まりなく、解放式B寝台の方がまたマシでした。パンタの下の寝台は二段だったので、ある程度は快適ではありましたが、私なら寝台は利用しないで、グリーン車を利用したでしょう…。
この車両は子供の頃、父の故郷に帰省する時に「なは」や「有明」で乗りましたが、後年「なは」がブルートレイン化して「有明」からも撤退した理由をこの動画で初めて知りました。平成に入ってからは北海道や東北へ旅行の際に急行「きたぐに」に乗車。予算の都合で自由席と寝台車を乗り分けていましたが自由席だと急行券1260円で超安価、下段寝台は居心地抜群。末期は寝台車オンリーの7両編成でしたが廃止寸前まで利用してました。食パンは北陸や東北で乗りましたが暗くてもうひとつ好きではありませんでした。
583系、懐かしいです。
両親の実家、札幌へ向かうため、ゆうづる→青函連絡船→おおぞらor北斗のリレーで15時間くらいかかった記憶が。
小学生当時は上段まではしごで登ると床までの高さに驚いたものです。また中段、上段の外を見る窓は秘密基地のようでした。
夏休みのチケットは1ヶ月前に新宿駅の「みどりの窓口」に始発で並んで確保するようなプラチナチケットでした。
夜の駅で発車を待つ青い13両編成は巨大で迫力がありました。ワクワク感満載の車両でした。
川崎に住んでた時、盆・暮れ・ゴールデンウィークの帰省時に、『急行津軽』や『寝台特急はくつる』(臨時)でよく乗りましたね。