昼夜問わず走り続けた酷使車両「583系」を徹底解説【ゆっくり解説】
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- Опубліковано 28 вер 2024
- 今回は個人的に大好きな583系について徹底解説してみました!
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/ yukkuri_museum
BGM
OP 『Dramatic train』 TAM Music Factory
劇中 曲名『Train』 作曲 Ryu Ito ryu110.com/tra...
【BGM素材】鉄道唱歌-First Train Arrange-【DL】
高宮いぬかみ 旧 高宮魔女
ED 「LAMP BGM」様
#鉄道 #ゆっくり解説 #583系 系
かつて583系の寝台セットの作業をしていたけれど、上段にシーツを敷くのが大変だった。でももっと大変なのは座席⇔寝台の転換。寝台にするときははしごやカーテンを取り付けるのがすごく時間がかかるし、座席にするときは枕や下段のマットレスや掛毛布などをすべて中段寝台に乗せてその中段寝台を押し上げるんだけど、めちゃめちゃ重い。中途半端に押し上げると、また寝台が降りてくるのでかなり危ない。当時はキツかったけど、今となってはいい思い出。
後の14系で中段がボタン一つで昇降出来るようになり どれだけ楽になったのかこのコメントからもわかりますね。
煤 様
ついさっき、後藤様のコメントに反応しました。
朝、放送があり着替えして待っていました。ざわざわするとあっ❗︎近づいたなと分かります。
私は客車の解体作業は目👀の当たりにしましたが583はありません。
583の運転中解体作業は限られた列車と思いますが下りなは、下り金星、臨時あおもりかな❔
お疲れ様でした。
(^-^)/~~
言い忘れた。さくら・みずほ・はやぶさ・富士・日本海を583にとの意見が当時ありましたが、私は「あほこけ」と思いました。セット・解体に関わる方達のその苦労を知っているから。
追伸、設定当初の数本ある明星も後発は新大阪および熊本着は10:00前後とやや遅い時間帯だった。
増備車が出てたら14系みたいに2段寝台化や中段の動力化がされたかも知れませんね、職員泣かせの乗客のセルフ寝台も防げますし。
@@信広-q4h あと、583系は言わずもがな、昼夜兼用なので、東京~九州ブルトレだと昼の列車がない。日本海縦貫線は「白鳥」あるけど長距離過ぎて「白鳥」~「日本海」の連続運用組めない。よって、必然的に東京~青森とか大阪~九州になる😉
@@N--jv3go さん
中段寝台の動力化は試作もされたそうですが
二段寝台化はA寝台が583と同じだったので無理ですね。
夜を駆ける列車って言い方好きw
583系が一番好きだなぁ…
盛岡~青森のはつかりで乗りました
臨時便だったのでガラガラでゆったり移動できました
夜行で一度乗ってみたかったな
581・583系の運転席窓後ろ両サイドの青いアクセントのデザインは新幹線951試験車にも使われました。
広い『ボックスシート』
しかし超混雑時には立客が向かい合わせに座っているお客の間に入り込む弊害もありました。
また漫画『カレチ』のネタにもなりましたが 車両区で寝台→座席への変換は作業員1人で1両1時間程かかりましたが
5人だと数分で終わったそう。
座席から寝台へするときは、1人1両3時間掛かりました…
上段・中段下ろしと下段の引き出し50分、カーテンとはしご等の取り付け70分、毛布シーツ等のベッドメイク60分くらい。先頭車やパンタグラフ付き車両に当たると、少し寝台数が少なくて嬉しかったw
昔、夏休みや冬休みになるといとこの家に行く時に1人で『はつかり』乗った思い出があります❤
一人旅をしてる気分で楽しかったのを覚えてます😊
当方は583系ファンですが583系を取り上げて頂きめっちゃ嬉しかったです。当方の若い頃にきたぐにで2回、はくつるで1回お世話になり、きたぐにの2回目でA寝台に乗りA寝台の広さと静けさに感動したことを覚えています。はくつるではモハネの下段に乗り宇都宮を過ぎたあたりからフル運転のせいかモーターの音がうるさくて車掌さんの許可を得てパンタグラフの下の中段に移ってやっと寝られたという思い出があります。今となっては当方の若い頃の良い思い出です。
鉄道を取り巻く環境と時代における人々の価値観が変わり過ぎて夜行列車もサンライズ号のみとなり寂しい限りです。
彗星や明星には普通座席指定車も存在していましたね。
ただ寝台車が衰退したのは、現場の苦労の面も大変大きいそうで、
特に583系の維持や作業も大変だったことでしょう。
受験のため宮崎→岡山の彗星で乗った記憶が鮮明です。同じブルートレインのB寝台より快適でしたね。
私は、583系には、2回ほど乗りました。1978年の夏休みに、名古屋から富山まで特急しらさぎ号でした。当時は、小学生🎒でしたので、ボックスシート💺
の狭さは、気になりませんでした。2回目👀
は、1990年の冬頃だったと思います。3段寝台の中段でした。上野駅から青森まで、はくつる号でした。上下の
スペースが、とても狭く、窓もカプセル💊
みたいな、小さいめものでした。青森までの9時間が、とても苦痛
でした。その後、あけぼの号のB寝台が、とても快適でした。☺️
その後、北斗星🌠
のA寝台ロイヤルが、
天国のような、快適な
サービスと、乗り心地
でした。
上段3席しか取れなかった我が家、両親はグリーンへ行き自分だけが上段に残った
翌日後悔する両親の姿を今でも忘れられない
結局最後に乗れたのは津軽だった
子供の頃、プラレールで583系は発売されていました。今は販売されていないけど、昔持つてました。583系は昭和時代を感じますね。
急行きたぐには何度もお世話になりました。
最後に乗ったのはボックスシートだったのはいい思い出。
小学生の頃、583系の特急はつかりに上野〜盛岡まで帰省で乗った事ありますね。
当時は車内販売もあり、食堂車で食事した事を覚えています。
結構、広々としたボックスシートだったです。
当方も食堂車のサシ581が好きで食事をしてみたかったです。そしてサシ581が現存するのであれば見てみたいです。
@@竹内勉-x3d 食堂車廃止後に各地の駅に設置され据え付け食堂車になってました、仙台と淵野辺で利用した事があります、現在では残っていないかなと思います。
@@N--jv3go 貴重な情報をありがとうございます。
動画にも出ていましたが、昼間の間合い運用の特急[雷鳥]に乗車しました。
屋根の高い食堂車が良い思い出になります。
夜行列車としては[はくつる]のパンタグラフ下の中段寝台に乗車しました。
屋根上スペースが広くて快適だったのが良い思い出になります。
撮影にも色々行きました。
奥羽本線でのラストランの撮影にも行きました。
今となっては全てが懐かしいですね。
私は「はつかり」で583系に乗った事がありましたが、さすがに普通車のボックスシートは「・・・」だったので、583系にあたった時の多くはグリーン車に変更してもらった記憶があります。
「はくつる」に使われ始めたのは1986年ではなく、昭和46年。
一般的にファンにとって人気のある車両ほど現場泣かせの車両だと言われているが583系はその典型的な車両です。昼間の向かい合わせの座席使用において乗客の評判が良くなくまた多客期に荷棚がいっぱいになると天井が高いが故に極端に冷房の効きが悪くなり照明も荷物に遮られて暗く感じたり、東北用の583系は冬季の絶縁不良による故障が多かったり他にも重量が重い為台車に対する負担も大きかったとか。
たくさんの人と共に思い出も運んだんだろうね。
北海道の旧仁宇布駅には583系中間車がありますね。お世辞にも保存は言えずほとんど野ざらし状態ですが。
子供の頃にいとこ二人と私で大阪から西鹿児島まで行ったけど、このタイプの車両だったのかと初めて知りました。
長距離なので、途中でベッドから座席に変わった思い出があります。
583系よりも近郊電車化した419・715系の方のイメージが強く583系よりも419系の車歴が長い車両がいたのも事実。ただ583系では腐食化した乗り心地だったが元特急車両だった419系はかなりいい乗り心地だった。
あいづライナーの代走でしか乗った事はありませんが、485を凌ぐほどの乗り心地でした。
あとは北陸で419系になってから...
この動画では触れていないが、この車両のスゴいのは静粛性
めちゃくちゃ静かで485系や185系なんか足元にも及ばない
シートの快適さもあって、「ひばり」に充当されてた時は、583系ひばりを選んで乗ってた
若い頃、北海道のお客様に行くとき、常磐線経由でゆうづるを使ったことがある。
出張の前日くらいに予約したのだが、三段寝台の一番上しか空いて無かった。
思えば、引退前のマニア混雑だったのかもしれない。狭い空間だったが、懐かしい思い出だけは確保できた。
583系は特急で運用が終わってから、ホリデー快速富士山号で何回か乗りました。
優等列車だったので乗り心地が良く、583系が来ると良かったですね
上野から仙台までたまたま583のひばりに乗ったけど今となったら貴重な思い出。
友人と2人で乗ったけど、ボックスシートに座って「これでひばりって言われてもなぁ...」とは正直思ったw
統一後も臨時運用の為にイラストヘッドマークがありましたね。
急行「津軽」でも使われてたな。
家族連れが勝手に座席を引き出して車掌に怒られてた。
583系を全車両座席車で夜行運用という残念な使い方ではあった...
民営化後のはつかりでもおじさんやおばさんが座席引き出してましたね、どこでやり方教わったんでしょうか。
昭和60年3月ダイヤ改正で大阪ー新潟間の夜行急行きたぐにに使用された583系。一部が座席自由席と座席指定席と寝台車で構成され、湖西線でなく、米原経由で北陸本線を上り下りした。
2013(平成25)年のダイヤ改正で運行終了。全車廃車となった。
もう、この時は食堂車が編成から外されていました。by酒向正也
「きたぐに」に乗るときは必ずパン下の中段を利用していました。中段料金で下段と同じくらいの高さを確保できる。当時で1050円お得でした。
当方もはくつるで乗ったことがありますが、結構快適であった事を覚えています。常連さんやファンからはパンタグラフ下の中段指定で寝台券を取る客が多いと当方は聞いた事があります。
うちは絶対に寝台列車は使わない。テンション上がって朝まで車窓にくぎ付けになっちゃう(=寝不足で翌日死ぬ)自信があるから。でも一度サンライズ乗ってみたいなぁ。
この型に数度乗ったのですが、眠れなかったです。やはり音と震動かな。それと夏はすぐに夜が明けてしまう。グループでの旅だと遅くまで飲んでしゃべるからすぐに朝になってしまう。でも70年代後半に旅をするのはこうして寝台列車とユースホステルは最強のコンビだったですね。本当に低料金で旅が出来ました。旅行でなく旅です。
寝台乗るなんてブルジョアだね!基本は追加料金いらない普通車自由席だな😁
子どもの頃、青森操車場からそれ程遠くないところに住んでいたので、列車見物によく行ったものですが、特急と言えば583系のはつかりが大好きでした。その後寝台運用のゆうづる、座席運用のはつかりとも何度も乗りましたが、新幹線が開業してから活躍の場がなくなっていき、サビで塗装があちこちはげた583系を青森駅で見かけたときには、寂しい気持ちになったものです。
その後、全廃間近の2014年に八王子からの団体列車に乗りました。取れた寝台はパンタ下。それが583系との最後の旅になりました。
583が余剰車となり、昭和58年から交流近郊電車715系が九州の長崎本線と佐世保線に、耐寒耐雪対応の715系1000番台が東北本線に投入された。
一方、交直流切り替えがある北陸本線には419系が3両編成で投入されて、客車列車を置き替えていった。サハネ581からの魔改造で食パン電車と呼ばれた。
あれ?仁宇布?って思ったけどあれは状態が悪くて保存とは呼び難いか…w
きたぐにで座席車に乗った事あるし改造だけど715系にはよく乗ったね、天井高いのが印象的だった。
東北線は寝台設備を除去してありましたので広かったですね、北陸線は最後まで寝台が残されていましたが、固定窓の車内側が外されていたのが見受けられました。
@@N--jv3go
イタズラも多かったらしいですね。
近畿圏在住。会津若松に仕事が入った時、仕事の内容を考え夕方17時台18時前に終わると答えが出たらやっていたことがある。郡山まで新幹線、磐越西線を在来線で会津若松に到着してお仕事。帰るに帰れないので報告書はお泊り。実態は西へ移動して新津。座席の関係で切符を買い新潟へ移動。そして急行きたぐにを始発駅から乗る。すいていればボックスシートに横になり、こみだしたら座って大阪まで移動。大阪で降りるとき京都から大阪までに切符を追加して清算。時間も費用も浮きまくらせた良き思い出。
懐かしい車両ですね、なはで1度だけ乗ったことがありましたよ。
11:50 改造箇所はこれ以外にもあって、583系時代は側窓が全て固定式だったのが、混雑時等の換気を考慮し1両につき片側3か所が上段下降・下段上昇に開閉可能な4分割ユニット窓へ交換されました。
よって、ボックスシートの窓が固定だったり開閉できたりとまちまちになってしまいました。
上野駅で臨時急行「津軽」何度か見かけました。「八甲田」には一ノ関~大宮で乗車しましたが、こちらは客車だったので583系としての乗車機会ありませんでしたね。
東北の715系は結構利用しました。素人目にも特急車からの改造とはわかりましたが、ボックスシートのやたら広いシートピッチが寝台用だったからとは知らず、当時はガラガラでも空いた向かい側の席に足投げ出せず不便だなと思っていました。
583系は使い勝手が悪いと、嫌われたんだよな。最期は使い回しされて地方に回されたりした。また多数改造された。
トイレが和式というレトロ感がいい。
ドアが狭いが、形状が面白い。
長距離には、485系よりも583系のほうが疲れにくいと思います。583系は、車両重量が重いしボックスシートもかなり広く、空いていればかえってゆったりしていた。485系は、シートピッチも今と違って、座席下に暖房用の配管があり足が伸ばせず長時間座るには、しんどかった。ただ、ボックスシートが嫌われた。たしかに知らない人と一緒だと気まずい思いがあったのも事実だった。
中学校の修学旅行で青森から上野まで「はつかり」で行ったことがあります。
8時間半くらいの乗車時間だったかな?
ホームに降り立つと身体がフワフワしているのに、足だけは地面にビタッとくっ付いているような不思議な感覚でした。
あまりに乗っている時間が長くて、座面を寝台にして寝転がっていたら車掌さんに怒られましたね(^^;)
夜行の「はくつる」には新婚旅行で沖縄に行く際に、これまた青森から上野まで嫁と向かい合わせで下段に乗りました。
その後は583系に乗ることもなく引退してしまいましたが、自分の子供の頃の記憶では「青い帯のはつかり」が遠くまで乗って行ける特急電車のイメージでした。
月光型というものの
月光号の運転期間は昭和42〜50年のわずか8年ということにびっくり。
太く短い生きざまでした。
私は715系時代にたいへんお世話になりました。
きたぐにでも乗車した事もありました.魔改造後のJR九州の長崎本線の715系での1993年大晦日夜の終夜運転での乗り継ぎは、夜行普通列車風の旅だったので貴重な体験談ですね.でも、2022年9/23の西九州新幹線開業により、長崎本線の長崎寄りの区間では、非電化区間に戻ってしまうので、こんな体験談も昔話になってしまいますよね.(715系自体がとっくに廃車になってるが.)
西日本では、1968年10月(ヨトウサントウ)のダイヤ改正から、夜行列車では、名古屋~博多の金星,昼行では、山陽新幹線岡山開業前の特急名古屋~熊本のつばめに運用にもされました.1972年3月ダイヤ改正の山陽新幹線岡山開業後~1978年10月ダイヤ改正までは、名古屋~富山のしらさぎの一往複にも運用されていました.
若いころ「雷鳥」でお世話になりました
当方は昼間の特急で乗りたかったです。
583系使用の雷鳥は自由席や指定席では対面座席となり、また食堂車も営業していましたが、これがたった一杯のコーヒーやソフトドリンクはもとより日本酒それにビールといったアルコール飲料を注文した際、自由席代わりに利用して暴れていた客がいたこともあり583系は怒られる話だけど嫌われ者扱いのようでしたね。by酒向正也
@@酒向美由起 当方は客車のオシ14、オシ24の食堂車しか利用したことがなく電車の食堂車は利用したことはないですが、天井が高く開放的なサシ581で食事がしてみたかったです。
一度だけ寝台に乗ったことがありましたが下段は広々としてるぶん、最上段はまさに鰻の寝床でした。。。
鉄道には詳しくないけど小学校のころに読んだ本で平均時速が一番早いのが特急はつかりで583系ってのをなんか覚えてる。
八戸市の根城、八戸市博物館正面入口、道を挟んだ向かいの民家と思いますが、サシが置いてありました。2年前の話ですが。
青森に岡山にサシ581が保存されていますよ
場所は検索で
これ旧仁宇布駅にあるよな
居眠りこえると、背もたれ上部の金属部に頭ぶつけていたそう。その点、普通のクロスシーとなら、その心配はない。
確か、秋田車両センターにクハネ583-17の先頭車が動態保存されてますね
博物館展示前提に再塗装したものの
収蔵が宙に浮いて錆が浮いたまま放置されているから
遠からず重機の餌だろうね
583系は、北海道のどっかしらの廃線の終着駅に一両中間車両があった気がする
美興線の仁宇布駅跡にあった。
つくば博の帰りに眠いとグズったらエキスポライナーで
「この電車ベッドがあるのよ」母と叔母が寝台をセットしてくれたから
上段で寝ていたわ
次は、485系を取り上げて欲しい。
北海道の旧仁宇布駅にも保存車両がまだいるのでは?
考えたら昼も夜も走らせるって無茶ですよね。高度経済成長期らしい発想ですけど
多少は快適に工夫したかもしれないが昼間は特急料金で急行に乗る感じだったよ。昼間は急行料金で走ればよかったのにね。
それに寝台車はやはり電気で走る自走式より引っ張られるやつの方が寝心地が良い。
ロコはロコで発車時にドーン!で
定期的に叩き起こされた
スハネフ14は発電機の音がうるさいかと。(ヽ´ω`)
飛行機新幹線で前乗りしてホテルで安眠が最適
なんていうかサムネの右半分、スー◯みたい ()
そういや幻の銀河幕、結局14系になったけどね。
「ナインドリーム甲子園」と「EXPOドリーム」にも触れてほしかった。
廃止間際の「きたぐに」に乗る予定だったのが身内のゴタゴタで泣く泣くキャンセルした事は今でも痛恨の思い出デス。
…一石二鳥を狙ったものの、座席特急車として見劣りした為に、二兎を追ったが辛うじて一兎しか得られなかった、残念な車両でしたね…( ̄▽ ̄;)
こういう特定の車両にテーマを絞った解説もっとみたい
当方も同感です。
たしか北海道の美深トロッコ王国にも廃車体がいたきがする。
門司港の九州鉄道博物館で、581系月光の中を見ました。構造がとても興味深かったです。すごく格好いい電車でした。秋田の車両が大宮に来るといいですね。
まだ東北新幹線が盛岡までしか通っていなかった頃、修学旅行で青森(奥入瀬)に行くのに盛岡から八戸までは583系でした。その列車が寝台特急なのを知っていたので、シートをベッドにさせて周囲から称賛を浴びましたw。
車掌「お客様、下段A寝台券をお買い求めください😁」
いー商売ですね😂
いやぁ~ 本当に食パン列車にお世話になったな~
外観もそうだけど、中も面白くて天井が低く(元々寝台部分)、洗面所も使えない部分あったり、謎のスペースがあったり。
よく福井までこの列車で遊びに行きました。
食パン電車晩年は九州長崎本線普通列車用として715系に改造された車両もあった。
当方も乗ったことがありますが、正におっしゃる通りです。
「タウントレイン」って名前のによく乗ってました
かっこいい顔とヘンな顔がいるのと
頭上には謎の収納BOXみたいなのが気になって
いつか開けてやろうと思ってました
@@大坂孝幸
上京前の九州と上京後には北陸で運用されてた同改造の車両(形式名失念)で乗った事がありました。
昼間の座り心地も良かったですよね。
後継がないんで全盛期を過ぎると特急としては格落ち扱いになっていきましたが、下手なリクライニングシートより疲れませんでした。
そうそう、あの頃の485系など特急用車両のリクライニング機能は簡易的なものでしたし、最悪だど座席が2列連なっているものもありましたからね。その後は1席ずつ分離したシートに取り替えられて背面テーブルも拡大して使いやすくなりましたが。
@@Yoshin-Sashizume 正におっしゃる通りです。当方も若い頃の記憶にありますが、485系の0番台や200番台やキハ82系やキハ181系の様に初期に出来た車両はリクライニング出来ない2連続きのシートが多く、その後の車両のシートでも簡易リクライニングシートで、かなりサービスが悪かったですが民営化してから普通車でもかなり良いリクライニングシートに変わったのを当方は記憶にあります。
@@竹内勉-x3d どちらかと言うと、箱席が嫌われていたとあちこちに書かれているけど…😉
@@psychedelicraspberry517 さん
西欧ではボックス席への嫌悪感は日本ほど無いのですが
これは目を合わせる=喧嘩ふっかける
と考える野蛮で短絡的な日本人の思考回路も大
@@古家武史-f5d
ガンのくれ合い飛ばし合い(何だよ?!)@Y浜銀蝿www
上野から秋田に帰るとき、寝台車をよく利用しました。電車に詳しい人間ではないのですが、この車両はよくみたことがあります。所感ですが、寝台車の車輪のカタンカタン…って音がすごくリズミカルで大好きでした。
一時期、「あけぼの」に多客期に充当された事もあります。
@@坂田庄司-g6n
そうだったんですね!あけぼの利用してました!懐かしい…
寝台は無く、座席のみで急行津軽にも使われたかと。(・ε・` )
@@クモハ165
ムーンライト運用もありましたね。
急行きたぐにに何度か乗りましたが、乗ってるだけでテンション上がったのを覚えてます。
今となっては、良い思い出です😊
当方も2回きたぐにに乗ったことがあり、2回目はA寝台に乗りましたが今となっては当方の若い頃の良い思い出です。
@@竹内勉-x3d さん
「きたぐに」はA寝台、B寝台、グリーン車、座席(指定席、自由席)とバリエーション豊富で、予算や気分に合わせて選ぶことができましたね。ただし、グリーン車は両端部がロビーゾーンになっていて座席部分との間仕切りがなく、バカ騒ぎされたらグリーン車もなにもあったものではないだろうなと思い私は避けていましたが。
@@Yoshin-Sashizume 583系「きたぐに」は普通車指定席ないよ😉
583系に乗車したのは52年前、大阪万博見物での利用でした。寝台特急「明星」号の、狭い最上段の天井で何度も頭を打った事、
小さな窓から見た流れゆく夜景、ペラペラの紙コップで飲んだ冷水。当時小学生だったのに、今でも記憶に残る夜汽車でした。
tac12469 様
熊本~新大阪を二本運転していました。
熊本を1号21:40と2号22:15発。まだ下りは奇数上りは偶数でない頃。
なぜか?2号は上り水曜日下りは木曜日が運休でそれがゆえに覚えていますが。
私の明星は高校出て上京する時八代から乗りました。上段の小窓から去りゆく里にうるると来ました。錦を飾って帰ると。
(ノ_・。)
明星は元々は583だけに付いてた名前でしたね、あかつきがブルトレ専用だったはずです。
向かい合わせで不評だけど
座席のクッションの丁度良い堅さだった
ロマンスシートや簡易リクライニングシートより座り心地が良い
あと583系は最低限9両までで
6両編成だと短くて様に成らなかった
父母の実家が鹿児島だったので幼稚園の頃は名古屋~博多の金星号、
小学~中学の頃は博多~西鹿児島の有明号をよく利用していました。
今思うと結構乗り心地の良い車両だったことを覚えています。
私も小学校の夏休みに当時の有明が583系だったので二度乗りましたね。座席💺乗り時は有明二回、はつかり一回、寝台はきたぐにで一回利用しましたよ。
1958年、581,583系は元は「仮称153系寝台電車」として計画されていて、当時製造が進んでいた10系客車をそのまま電車化するようなもので、図面まで描かれました。しかし、東海道新幹線の開業の見通しが立っておりその後の転用先が見込めないことから構想は取りやめになりました。
トミックス総合ガイド2016-2017年版から引用
きたぐにのB寝台で最上段に乗りました
何が良いってとにかく静かで揺れも少なかったです
あと進行方向縦向きの寝姿勢なので多少の加減速でも大丈夫
狭くとも安眠できて多人数が利用できる素晴らしい寝台でした
当方もきたぐにのB寝台の上段に乗ったことがありますが、静かで揺れが少なかったのを覚えています。
きたぐには1985年から583系に変わりましたがこの時食堂車は編成から外されています。by酒向正也
ガキの頃にはくつるとゆうづるを何度か利用したが、頑丈な線路の東北・常磐線で、下段なのに高速運転時にとにかく揺れるというのとモーター音が気になった記憶。
きたぐにはそんなに高速運転しないからか。
@@酒向美由起 正におっしゃる通りです。いわゆるロクマルサンと言われた1985年、昭和60年3月のダイヤ改正まではコンプレッサーの関係で食堂車の営業が停止している列車でもサシ581を連結していましたがロクマルサンで食堂車を全列車外しました。
@@5red90 正におっしゃる通りです。きたぐにも東北本線や常磐線の様に線路状態の良い北陸本線や信越本線を走りますが、急行列車であり停車駅が多いのと停車駅での時間調整が多いので、はくつるやゆうづるに比べて速度が遅くなります。
583系大好きです。昭和50年代昼間の特急ですがボックス席であるが故に知らないお向かいさんとお話ができたりお菓子やみかんを交換したり楽しい思い出があります。
寝台車の構造が客車寝台車のA寝台と同じプルマンでベッド幅もA寝台並みだからというのも断然の魅力でしたね。
親子連れだと客車B寝台は二人分の寝台券が必要だったが電車下段は一枚の寝台券で済み夏、冬、春休みは子供連れに人気がありました。
急行「きたぐに」に転用される際、サハネ581をA寝台化、すなわち2段化改造を行いました。
学研の特急列車図鑑には新製時A寝台車は技術上難しくて作られなかったとの記載があった。
当方も同感です。
@@坂田庄司-g6n 当方は乗りましたが、なかなかよかったです。ちなみに当方が生まれて初めて乗ったA寝台です。今となっては当方の若い頃の良い思い出です。
この車両はきたぐにのイメージが強いな。
各シュプールの運用が衰退してから、ずーっときたぐにで運用されてたから、ほとんどの年代の人が583と言ったら「きたぐに」が先に思いつくだろうね
@@tuna2623 正におっしゃる通りです。当方の様なアラフィフ世代よりも下の世代の方は583系イコールきたぐにという印象が強いと当方は考えます。
今の平成生まれの方は583系イコールきたぐにという印象が強いと当方は考えます。
初めて乗ったのが新幹線新大阪乗継で「月光」、最後は「きたぐに」でした
全車涯の寝台に乗れたことは583系好きな私にとってよき思い出です🚄
581系, 583系の寝台車だと、パンタグラフの真下にある寝台を選んでましたね。
3段ではなく2段。かつ上段(厳密には中段扱い)なので高さもあって余裕あったのでね。
時代の流れだから仕方ないですね。
食堂車に乗りたかったです。天井が高く485系とは違った雰囲気だったみたいです。フル編成での編成美は最高ですね。
何でも、食堂車に三相電源切替器を置いたため、長らく「食堂車営業休止」だったとか😭
グリーン車も天井が高く、開放的でした。
しかし、当時は安い設定が皆無で客は私ひとり😱、他の車両は立席券でごった返し。
現在の首都圏普通列車のグリーン車も同様、もっと利用促進を願います。
サシ481は24系客車のスシ24に改造および再活用されて生き残ったものが何両かありましたが、サシ581もそうなってほしかった・・・。
国鉄の旅情を感じる唯一無二の車輌です。
上野ー青森間で昼間は常磐線経由特急みちのく号及び東北本線経由特急はつかり号で使用され夜🌃は寝台車として常磐線経由の寝台特急ゆうづる、東北本線経由のはくつる号で使用されていました。東日本地区の583系の車両所属は青森運転所に所属していました。昼間に走る特急はつかり号及びみちのく号で使用する際に食堂車の営業をして夜🌃は寝台車として常磐線経由寝台特急ゆうづる号及び東北本線経由寝台特急はくつる号では営業休止扱いにされていました。1982年11月15日の上越新幹線🚄大宮ー新潟間開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で常磐線の特急みちのく号が廃止されて、東北本線経由の特急はつかり号の上野ー盛岡間が区間廃止されて盛岡ー青森間に短縮されて食堂車が営業休止扱いになりました。
今、思ったんですが、583系を直流専用改造して、ムーンライトながらに運用すれば、今でも需要あったんでは!?って思う。
例えば、10両編成にして、1号車〜6号車までは寝台モードで、7号車〜10号車までは自由席車輌として。
快速だから、寝台モードの車輌、シーツや毛布なしで、乗車券+α程度の料金なら夜行高速バスにも対抗出来るでしょ。
なにより「寝台を確保できれば横になって移動出来る」ってセールスポイントあるからね。
1980年代仕事で583系きたぐにを寝台で利用したことがありました。
確か関西地区から北陸、新潟地区間で利用しました。
とても懐かしい。
こんな何でも有りの普通L特急座席指定と寝台の顔両方の顔を持つ特急車両はもう二度とお目にかかれないだろうと思うとさびしくなりますねぇ。😮
当方も同感です。
みちのく、はくつる、きたぐに、そして北陸方面で419系に乗ったことがあります。
楽しかったなー。
もう、あんな時代は来ないのか…と思うと寂しい限りですが…。
北陸本線の交直流切り替えスイッチ取り付け近郊電車419系が3両編成で米原ー金沢ー直江津間に使われた。
九州鉄道記念館に保存されている583系は、ニセ583。クハ715ー7。
京都鉄道博物館に保存されている583系は、本物のクハネ581ー33。485系ボンネットクハ489ー1と東海道山陽新幹線500系521ー1と一緒に本館プロムナードに保存されている。
学生時代、食パン列車で通学してましたよ。
他の国鉄車輌よりも広くて、夏はエアコンが効きすぎてるくらい涼しかったですね。
この車輌に乗れた時は当たりと言ってました(笑)
この車両で夏の甲子園に向かい第一試合を応援。帰りの朝に駅弁とお茶っ葉を落とすタイプのお茶を飲んで帰る2泊(三段ベッドの真ん中2泊)3日。修学旅行より思い出深い旅でした。
当時「はくつる」?を上野〜宇都宮間を父が運転してました。
普段普通列車しか運転しなかった父が年一回?特急電車を運転するのが誇らしかった記憶があります。
こちらのチャンネルは一般人(?)でも興味を持って見られるのでいいと思います。
がんばってくださいね!
はくつるで乗ったことがあるな。下段以外の寝台が狭いのは確かだけど、一部には知られた当たり席(寝台)があって、パンタグラフ下の上段は中段が無くて実質2段寝台でちょっと余裕があった。
みどりの窓口で「パン下ありますか?」ってよく聞いた
少し補完しますと、西日本の581、 583系は1972年3月の改正で北陸特急しらさぎに寝台特急金星の間合い運用を持っています。
これは昼間の九州特急つばめの名古屋-岡山間の運用廃止の影響によるものでした。1978年10月以前に北陸特急の583といえばしらさぎでしたね。
航空機のB-52でも言えることだけど、長く使われるには汎用性は重要な要素だなぁ
B-52よりも、輸送機のC-130Hハーキュリーズかなと…
月光型と言われていました。
名古屋~博多の月光が由来?
新大阪ー博多間の寝台特急。
名古屋地区では、昼はしらさぎとして夜は金星として走っていた❗
後藤康仁 様
金星の絵入りマークをデザインするのは難しかったでしょうね。
博多18:47~名古屋6:10は名前の通り宵の明星、明けの明星にぴったりと合います。先行するみずほに広島で追いつき並びます。名古屋でも3分後に着きまたみずほに並びます。
地球の公転は365日か366日、金星は225日なので名古屋発22:50発の時刻は一生忘れません。
当初は新幹線岡山開業まで名古屋~熊本のつばめもありました。
難点は寝台~座席転換する時は自動でないからかなりの重労働で危険な作業だった。係員の苦労が偲ばれます。
しかし車内は二重窓のベネシアンブラインドで静かでしたね。名車です。