卑弥呼と日食の関係!邪馬台国論争ついに科学で解明か?

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  • Опубліковано 8 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 24

  • @santanacream
    @santanacream Місяць тому

    音楽にも【ゆらぎ】は大切です。
    人も【バイオリズム】という揺らぎがあります。
    干潮・満潮も揺らぎの一種でしょうか。
    人は母親の胎内で揺らぎの中で育ちます。

  • @trinitydisconnect
    @trinitydisconnect Місяць тому +1

    正史三国志の記述の話ですね。記述には2通りあり、日有蝕之6か所・日有食之5か所でしたね。
    この場合、ハワイ付近での観測推定の日食が魏書に記述あるので、現在の計算データーはまだ未完成の可能性ありますね。
    東西の山の高さも関係しますし、海だったら障害物ないのですが、山だったら早めに山に隠れるし、例えば163号線の清滝トンネル出たら大阪湾一望できるとか、推定日時に現地観光して実際みたら旅行提案したら参加者多いかもしれません?
    見えないはずの日食が魏書に書いてるのも凄い事ですよね。
    追伸
    高句麗王の東川王を句麗呼と記述してるので、馬韓の卑彌國の人が卑弥呼じゃないんですかね???
    現在の正史三国志は唐の時代のリメイク版なので、編集の失敗かも?
    当事国では、東川王が247年・楽浪・帯方郡に遷都したのか?が、議論の的のようなので、結論次第では倭人伝の信ぴょう性が失われますよね。ちょうど、卑弥呼も東川王も247年他界なので興味深々です。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому

      天文学でも確定できないようです。AIが確定してくれたりして・・・。

    • @trinitydisconnect
      @trinitydisconnect Місяць тому +1

      @@kumao01nigi 様。ララァが導いてくれますよ。きっと。
      by  シャア(^^)

  • @gorinbasi
    @gorinbasi Місяць тому +1

    魏志を解説した中国の古文学者は、東夷に記載の道程では対馬から日本海航路へ向かったと解釈するのが妥当であるとの事です。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому +1

      日本海航路だと畿内説でしょうか。

    • @gorinbasi
      @gorinbasi Місяць тому

      @@kumao01nigi 場所の特定はされていませんでしたが、そもそもスタート地点が「帯方郡」ではなく当時の都である「洛陽」であり、魏志記述の「帯方郡から~」の解釈も「帯方郡を経て~」と解釈するのが妥当であるとの事でした。

  • @masamasaict7312
    @masamasaict7312 Місяць тому

    カン海の南。記紀を持ち出すから無限ループが始まる。時代が違いすぎる。

  • @yomoda_yomokure
    @yomoda_yomokure Місяць тому +1

    面白い考察でした。ただいくつか前提をクリアしていかないと難しいですね。動画でも述べられていましたが天照大御神が卑弥呼なのかどうか、天の岩戸神話が日食なのかどうかなどですね。そしてそもそも邪馬台国と大和朝廷とで神話体系を含む文化が連続しているのかどうかという大きな問題があります。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому +1

      記紀で天岩戸神話が日食とは言ってないし、アマテラスが卑弥呼なのかも確証ないのですが、そもそも魏志倭人伝があいまいすぎます。

  • @松の葉-q2x
    @松の葉-q2x Місяць тому

    天照大神の男神説は今も昔も根強いですよね。
    両性具有神説でさえ鎌倉時代には記されているし。
    昔話の主人公女子2人を同一人物に比定するのは危ないような😅

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому

      魏志倭人伝が曖昧すぎて、確定できないですね。

  • @いるか好き
    @いるか好き Місяць тому

    卑弥呼の墓は宇佐神宮ですので

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому

      ありがとうございます。宇佐八幡説ですね。

    • @いるか好き
      @いるか好き Місяць тому

      @@kumao01nigi
      説じゃなくて
      宇佐神宮以外あり得ないので
      邪馬台国はその周辺です

  • @UnknownUnknown-nx7ov
    @UnknownUnknown-nx7ov Місяць тому +1

    登録解除します。

  • @りんりん-k3m
    @りんりん-k3m Місяць тому

    スサノオって、台風?

  • @kazuomoriya348
    @kazuomoriya348 Місяць тому +1

    天照大神と卑弥呼は別人です。
    天照大神と日食は関係ないでしょう。

  • @古屋公夫-s9s
    @古屋公夫-s9s Місяць тому +1

    邪馬台国はヤマト国と発音して現在の奈良県を指しています。
     魏志倭人伝の時代に奈良県には大和政権があり、歴代の天皇がいらっしゃいました。
     その後都が京都に遷都されるまでの間奈良県は邪馬台国の都であり続けました。
     又、初代邪馬台国女王卑弥呼は第7代孝霊天皇の皇女の倭母母曽毘売命ですか
     倭母曽毘売命は紀元115年に生まれ198年に84歳で崩御され箸墓古墳に葬られました。 
     従って邪馬台国は奈良県にほかなりません。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому

      邪馬台国畿内説ですね、ありがとうございます。

  • @fujidido27
    @fujidido27 Місяць тому

    邪馬台国、魏志倭人伝を誤記なしで地名を中国語発音で読めば、宇佐を中心とする大分になりますが?
    理由は下記です。
    道案内の基本は、距離と方角を言い、そのあと、そこまでの行程でかかる時間を言います。
    よって不彌國到着で終わりであり、何日かかるは帯方郡からの行程です。
    また、魏志は中国の書物であり、国名を日本語漢字読みではなく中国語発音で読むはずです。
    末盧國をマツラなどと絶対読みません。ムリュに近い音になります。
    詳細を記述したホームページは「5チャンネル 大分に邪馬台国があったらしいけど」の7番に乗せてあります。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому

      宇佐八幡説ですね。ありがとうございます。