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伊勢神宮の内宮は天照大神、外宮は豊受大神(トヨウケビメ)。一方、卑弥呼の次の次が台与(トヨ)。
卑弥呼が個人名なら死んで神格化されたのがアマテラスであり、巫女さんは彼女以来、同種の仕事をやる人のこと(個人名→役職名になった)をそういうようになったと思うし、役職名ならアマテラス(太陽神)に仕える巫女って事でいいのではと思う。前者なら確かに記紀に出てこないのはおかしいかもしれないが、神格化されて神様として登場してると言えるし、後者なら役職名であり個人として登場しないのはおかしくもなんともない。ただ、後者なら後世の書に何らかのエピソードで何何のミコトは国の行く末をヒミコに尋ねたという形で役職名として出てこないのはおかしいかなとは思う。(廃れてしまったとかでない限り)
二人とも=女性の国家元首であり・独身であり・弟がいて・太陽の化身である、これはどう見ても同一人物ではないでしょうか。また、古事記の天の岩戸伝説と、魏志倭人伝の卑弥呼が死んで台与が2代目の女王に即位する所も似ていますよね。
独身じゃないよ。仲哀天皇っていう夫がいる。何を見てるんだか? 日本の歴史で世の中、Wikipediaとかみれば無料でわかるんだから、ちゃんと確認してください。時代も、100年くらい違います。
天岩戸伝説は皆既日蝕でなく巨大噴火を表した伝説じゃ無いのかな?日蝕ぐらいではそんなに暗くはならないし時間も短時間だし当日晴れてなきゃ気付きもしないだろうし
高千穂の天の岩戸神社で天の岩戸を見る時に説明ありますが、名前こそ言いませんが、卑弥呼を連想させる人物が祭祀をしてたと説明してます
天岩戸伝説の話は天照大御神と須佐之男命の話ですねです。 女王卑弥呼は紀元2世紀であり、天照大御神は紀元前ニ世紀の話ですから、同一人物ではありません。
戦後は一般人の間でも邪馬台国論争が盛んになったが、戦前の一般では高天原論争が盛んだった。そして高天原論争も邪馬台国論争同様、九州説と近畿説に分かれて論争してた。高天原と邪馬台国、天照と卑弥呼はイメージが被る。
高千穂の天岩戸神社で天の岩戸を見るコースが有ります。そこで案内人の話を聞くんだが、自然崇拝から人型の神になり、神話後の話をするんだが、それって出雲の事か?とか直接には言いません。で、天の岩戸には一人の巫女が祈りを捧げてたんだって。それ聞いた時、ヒミコの事?って思ったよ。
天照大御神は伊邪那岐命、伊邪那濔命の皇子であり、瀬織津姫をはじめ13人の皇妃を持たれた男王です。 忍穂耳👂をはじめ多数の皇子、皇女があります。 兄に須佐之男命、弟に月読命がいらっしゃいます。 紀元前三世紀の方です。 女王卑弥呼は孝霊天皇の皇女であり、倭母母曽命が名前です。 紀元198年に崩御され、箸墓古墳の被葬者です。 したがって同一人物ではありません。
卑弥呼が神話の人物なら魏志倭人伝に載ってないと思うよ
同一人物ではありません。この度キンドル版誰も書かなかった邪馬台国探しを出版しました。関心があればそちらをご覧下さい
国記と天皇記が現存していれば何かしら分かったと思うんだけど…
なぜ記紀だけ史実性の認定を避けるのですか?
@@aiueiueo逆に史実だと思えるの?
@@おしゅらさん 好太王碑や隋・唐の史書の記述及び朝鮮半島南部の大和王権特有の前方後円墳があります。記紀の神話部分を使って全部嘘だと捏造する方がどうかしています。日本の「史書」である記紀には史実性が高い記述も多分に含まれています。
@@おしゅらさん三国志魏書東夷伝倭人の条の内容がただの伝聞で信憑性が薄い部分が多数あるかもだし、奴国が56年正月に遣いを送ってる事から九州倭人は漢字漢文を理解できた者がいた。渡来人帰化またはその弟子。徐福?
@@おしゅらさん史実か史実じゃないかの0or 100ではなくてどこが史実でどこが創作なのかを考えるべきでは?特に崇神天皇からの宮とされる纒向から大規模な出土があったのは記紀にも史実が混じっているという証拠でしょう
天照大御神は瀬織津姫をはじめ13人の皇后を持たれた男王です。 忍穂耳命をはじめ皇子、皇女の父です。 春秋2倍年説は誤りです。
卑弥呼は天照大御神で卑弥弓呼は須佐之男だとおもう
記紀にはアマテラスの生まれ場所が筑紫の日向とありここで日向とは古くは宮崎ではなく筑紫平野のあたりと言う説があります。と言うのは筑紫平野のあたりには日田とか日向と言う地名が多くあり昔は筑紫平野が日向だったと思われるからです。またニニギの天孫降臨の場所も古事記には筑紫の日向のクシフルダケとありクシフルダケは久住山の古名ですから、天孫降臨も南九州ではなく筑紫平野のあたりと思われます。此等のことから筑紫平野のあたりでアマテラスが生まれ、ニニギがいた事になりますから筑紫平野が高天原ではないでしょうか。またアマテラスは邪馬台国の卑弥呼と思われますからアマテラスがいた筑紫平野の高天原とは邪馬台国の事ではないでしょうか。そうすると邪馬台国は筑紫平野にあった事になります。
おしいです。日向は、糸島市にある日向峠、日向山です。すぐ隣にクシフル岳と高祖山があります。高千穂は、高祖がなまったらしいです。原田大六先生がいっています。要するに、皇室の先祖は、伊都国王でした。そして、隣の春日市 奴国から、伊都国に日向峠を通って、引っ越ししたのです。これが天孫降臨の秘密です。ちなみに、平原遺跡は玉依姫 神武天皇の母で、伊都国女王ですが、その人の墓です。三種の神器がでていて、かつ太陽信仰の跡があります。また、日向峠やクシフル岳は、農耕カレンダーになっていたそうです。まあ、いいかえれば、春日市、福岡市は、天孫降臨の前に住んでいた土地なので、高天原になります。
昔は九州の通称が筑紫だったはず
『生きた馬の皮を剥いで投げ込む・・・』たしか、魏志倭人伝には倭国に馬はいないと書かれていたかと思います。少なくとも邪馬台国において馬はいなかったのであるから、天照大神は卑弥呼とは違う国違う世界にいたのだと思います。日食は、邪馬台国だけで起きていたわけではありません。卑弥呼と天照大神が同じ年代に生きていたのなら、卑弥呼がいた国でも天照大神が生きていた国でも起こったことなので天野岩戸伝説を卑弥呼の時代に日食があったからと関連づけるのは安直すぎる。天皇家の系譜の祖が神として各地に祭られているということは、天皇家の祭祀やそれぞれの神社の祭祀でも多くの巫女が関わっていたと考えられるし、当時も女性が長寿であるだろうから発言力の大きい巫女がそれぞれの地域や国に居た可能性は否定できないと思います。
最近の地質調査では、AD185年前後に南海トラフ地震が発生しております。奈良(大和)を呑み込み、北は東海、濃尾では朝日、琵琶湖も津波を起こし、比叡山までその痕跡が残っていると。瀬戸内:主に言えば備中(岡山)あたりだと、2mの土砂に埋もれた下に更に集落があると京大・岡山大が、別々に地質調査の発表をしております。私見では、これが「倭国大乱」と思っています。環濠集落の環濠が埋まり(朝日は復旧)、高知集落に代わっていった年代でもあります。卑弥呼が天照大御神?wwと、思いましたがこの年代、後の現代科学の最先端を行く、とあるものが大陸から輸入されます。その過程を妄想すると、天照大御神!!!
卑弥呼=天照だとしたら邪馬台国が大和朝廷は関係あるの?って話になるよね。全くの無関係なら皇祖神にされるとは思えないんだよな。
天照→卑弥呼高天原(大和より前時代の九州王朝)→邪馬台国こう過程すればつじつまが合う。そもそも『古事記』は、「高天原」「出雲」「大和」の3王朝を強引に血縁で結んでいるが、都合よすぎないか。それぞれが無関係であったほうが自然に感じるのだが。おそらくそこが、古代日本史のタブーなんでしょう。
日月の弟としての素戔嗚尊は、嵐の神だろうか。関係ない事象の神というのは考え難いのだが。
天照ってそもそも女性とされてるけど、実際には性別について特に記述はないって聞くし卑弥呼が祈ってた神が天照の原型で、そっから時が経って卑弥呼のイメージと合体して今日の女神としての天照像が形作られたんだと予想ビッグコミックで中村真理子が連載してる漫画だと、卑弥呼は日見子で個人名ではなく天照の言葉を伝える事ができる特別な祈祷女の総称って扱いだけどこれが一番実態に近そう
スサノオから「姉」と呼ばれてるから普通に考えたら女神だろうまた、別名に女を表すメの読み方があるオオヒルメなどもある
「巫女であり神である」っていう背景にもつながりますね、これは確かにありそう
全部妄想じゃん笑
それ言ったらそもそも卑弥呼自体が妄想の産物という可能性も捨てきれんぞなんせ日本側に全く記録がない魏志倭人伝の記述は広範囲への支配力をアピールする為にでっち上げたり盛ったりしたんじゃないかという可能性もなくはないんじゃないかなあ中国って昔から兵員数とかも記録盛りまくりだからね
卑弥呼の没年に日蝕があった説などを知ると、「日の巫女」という位置付けは頷ける。
卑弥呼と日蝕は関係ありません。 天照大御神の時代は紀元前2世紀であり、卑弥呼は紀元2世紀の方ですから、同一人物ではありません。
この方らは今も生きてるのかしらとふと気になった
唐書に日本は倭国の別種と書いてあるんだが
天照大神は朝鮮征伐を実行してるので、卑弥呼と同一人物ではないでしょう。日本の古代は、祭り事を女神が担い、政り事を男神が担う統治を行っていたので、女性トップは卑弥呼だけでは無かったわけですし、同一人物視する必要はないのでは?それぞれの時代に祭り事を統べる女性トップがいたのだと考えています
三韓討伐をしたのは神功皇后です。
朝鮮征伐したのは神功皇后
可能性の話を否定する人らって自説を【断言】するんだよね、まるで当時にタイムスリップして確認してきたかのように威丈高に‥
古代史の数少ない著名な女性を無理矢理同一人物に仕立て上げようと屁理屈をこねくり回しているだけにしか見えない。
まあ、普通に女王はいたよね
天下った方は、海外から来た王…で普通に神話を抜きに人として考えて古墳の副葬品から思うに女性祭祀王が小国毎に居た、中国が鏡や玉を沢山送っていたし、途中から剣に変わるのでそのタイミングで男王制に変わった…戦で国を取ると統治者の名前を自分の名前に加えていた、役職名かも…で歴史も加える…普通に人がする事として考えて🤔ヒミコは女性祭祀王の役職名か制度上の継承者かな?天照大神は古の祭祀女王達を1人にまとめて自分達の歴史に加えたのかな?😊
あまてらすもひみこもカトリックも同じですよwww何故に同一?偶像が一致!統一会堂には三体の鋳物の像が飾ってある!拝む対象はよりどりみどりwww
卑弥呼は巫女、天照大神は神
卑弥呼がアマテラスであることを色々な角度から論証した本があります。井上悦文著「草書体で解く邪馬台国の真実 卑弥呼の墓は朝倉の山田にある!」(オフィス20i)この本を読めば、邪馬台国論争の決着がつきます。
ヒミコは記録ゆえ実在。天照は神話ゆえ作り事てか、則天武后の事だろ
4:29「実在した女性、卑弥呼」・・・??根底からして間違ってないか??(;^_^A アセアセ・・・
卑弥呼は、日皇子ひつぎのみこ だと思いますけど…外国人には、ひつぎのみこが聞きとれなくてヒミコと聞いたのでは?
卑弥呼って多分役職名だと思うんだよね。本当の役職は日巫女。中国の文献に書かれている上に、それを書いた人間は会えていない。中国人なので中華思想で自分たちの天子以外は卑しい者として考えている可能性も高い。従って悪意を持って卑しいの文字を入れている。また巫女という文字も使いたくないからここも変えていると考えられる。そうすると日巫女というのが、日本の神話に出てくる天照か直属の部下の可能性が出てくる。何故なら古代日本は祭祀王と統治王のセットで国を統治していたので、日巫女は祭祀王の当時の役職名の一つだった可能性と、祭祀王の役職名が天照大神で、その高位の部下が日巫女だった可能性があるからね。なので無関係ではないだろう。
陽巫女
年代が合う?神武東征が浪速神話で大阪が海だった紀元前1世紀以前だとすると魏志倭人伝に卑弥呼は没年は明確に3世紀と記されているんじゃ全然、時系列が合わんよ。
そもそも人じゃないでしょ?
天照大神は卑弥呼より前に実在した女性。日食とは関係ない。
日食が起きていたかどうかは説じゃなくて計算できるだろ。
ところが、微細な影響で皆既日食になって地平線に沈む地区が、北九州なのか奈良なのか最新の天体計算ではズレるみたいで…。確か論文出ていたような。
@@TIshida360 逆張りおじさんやるのはいいけどその論文持ってこれます?笑微細な影響って何の影響かも言えないんですか??
@@noon820 論文ではないけど、ブルーバックスの日本史サイエンス弐に書いていましたよ。
@@TIshida360 つまりあなたが論文と言っていたのは一出版社が出した本の中の一節という事ですよね。根拠になり得ないものをあたかも根拠になり得るかのように他人に絡むの相当ヤバいですよ。
@@noon820 まあ通俗本ですから論文のような厳密性はないですが一応ブルーバックスてすからその程度の信頼性はあるということで
卑弥呼と天照大御神を同一とするのは無理があり過ぎ。神武東征が紀元前50年より前なのは白肩津に船で至った事から明らかで、天照大神それより200年は遡るだろう。
反対意見は、そこが怪しいと思っている。
@@user-BGKMTSHR 半分陸地を船で遡るのか。船頭多ければ船陸に上るだな
神武天皇の存在を確定しないで話が進んでいくのが気持ち悪くて仕方ない都市伝説なら都市伝説と明記してくれ
魏志倭人伝なんて魏の都合で書いた偽書。大体今だに場所も不明。同一とは不適切
普通に考えて、記紀に卑弥呼はいないから別人物、九州王朝だろう、なんで魏志倭人伝を信じて記紀を信じないの?
要するに「怪しい」んだよ記紀は魏には遠い異国の記述をわざわざ改変する理由はないだろうけど記紀は日本人自身が編纂したわけだから、当然改変されまくってると見るべきよって魏志倭人伝の方が信憑性が高いと考えるのが当たり前
まだ、卑弥呼をやってる?お墓があるかな?魏志倭人伝の記述の日本行き。記述通りに、辿り着けません。それほどいい加減なもの。
天照大神なんていないよ、架空だよ❗️証拠がないよ❗️
そもそも天照大神とかいねえし
そんな訳あるか。
伊勢神宮の内宮は天照大神、外宮は豊受大神(トヨウケビメ)。一方、卑弥呼の次の次が台与(トヨ)。
卑弥呼が個人名なら死んで神格化されたのがアマテラスであり、巫女さんは彼女以来、同種の仕事をやる人のこと(個人名→役職名になった)をそういうようになったと思うし、
役職名ならアマテラス(太陽神)に仕える巫女って事でいいのではと思う。
前者なら確かに記紀に出てこないのはおかしいかもしれないが、神格化されて神様として登場してると言えるし、後者なら役職名であり個人として登場しないのはおかしくもなんともない。
ただ、後者なら後世の書に何らかのエピソードで何何のミコトは国の行く末をヒミコに尋ねたという形で役職名として出てこないのはおかしいかなとは思う。(廃れてしまったとかでない限り)
二人とも=女性の国家元首であり・独身であり・弟がいて・太陽の化身である、これはどう見ても同一人物ではないでしょうか。
また、古事記の天の岩戸伝説と、魏志倭人伝の卑弥呼が死んで台与が2代目の女王に即位する所も似ていますよね。
独身じゃないよ。仲哀天皇っていう夫がいる。何を見てるんだか? 日本の歴史で世の中、Wikipediaとかみれば無料でわかるんだから、ちゃんと確認してください。
時代も、100年くらい違います。
天岩戸伝説は皆既日蝕でなく巨大噴火を表した伝説じゃ無いのかな?
日蝕ぐらいではそんなに暗くはならないし時間も短時間だし
当日晴れてなきゃ気付きもしないだろうし
高千穂の天の岩戸神社で
天の岩戸を見る時に説明
ありますが、名前こそ言いません
が、卑弥呼を連想させる人物
が祭祀をしてたと説明してます
天岩戸伝説の話は天照大御神と須佐之男命の話ですねです。
女王卑弥呼は紀元2世紀であり、天照大御神は紀元前ニ世紀の話ですから、同一人物ではありません。
戦後は一般人の間でも邪馬台国論争が盛んになったが、戦前の一般では高天原論争が盛んだった。そして高天原論争も邪馬台国論争同様、九州説と近畿説に分かれて論争してた。高天原と邪馬台国、天照と卑弥呼はイメージが被る。
高千穂の天岩戸神社で天の岩戸を
見るコースが有ります。
そこで案内人の話を聞くんだが、
自然崇拝から人型の神になり、
神話後の話をするんだが、
それって出雲の事か?とか直接には
言いません。
で、天の岩戸には一人の巫女が祈り
を捧げてたんだって。
それ聞いた時、ヒミコの事?って
思ったよ。
天照大御神は伊邪那岐命、伊邪那濔命の皇子であり、瀬織津姫をはじめ13人の皇妃を持たれた男王です。
忍穂耳👂をはじめ多数の皇子、皇女があります。
兄に須佐之男命、弟に月読命がいらっしゃいます。
紀元前三世紀の方です。
女王卑弥呼は孝霊天皇の皇女であり、倭母母曽命が名前です。
紀元198年に崩御され、箸墓古墳の被葬者です。
したがって同一人物ではありません。
卑弥呼が神話の人物なら魏志倭人伝に載ってないと思うよ
同一人物ではありません。この度キンドル版誰も書かなかった邪馬台国探しを出版しました。関心があればそちらをご覧下さい
国記と天皇記が現存していれば何かしら分かったと思うんだけど…
なぜ記紀だけ史実性の認定を避けるのですか?
@@aiueiueo
逆に史実だと思えるの?
@@おしゅらさん
好太王碑や隋・唐の史書の記述及び朝鮮半島南部の大和王権特有の前方後円墳があります。
記紀の神話部分を使って全部嘘だと捏造する方がどうかしています。
日本の「史書」である記紀には史実性が高い記述も多分に含まれています。
@@おしゅらさん三国志魏書東夷伝倭人の条の内容がただの伝聞で信憑性が薄い部分が多数あるかもだし、奴国が56年正月に遣いを送ってる事から九州倭人は漢字漢文を理解できた者がいた。渡来人帰化またはその弟子。徐福?
@@おしゅらさん史実か史実じゃないかの0or 100ではなくてどこが史実でどこが創作なのかを考えるべきでは?特に崇神天皇からの宮とされる纒向から大規模な出土があったのは記紀にも史実が混じっているという証拠でしょう
天照大御神は瀬織津姫をはじめ13人の皇后を持たれた男王です。
忍穂耳命をはじめ皇子、皇女の父です。
春秋2倍年説は誤りです。
卑弥呼は天照大御神で卑弥弓呼は須佐之男だとおもう
記紀にはアマテラスの生まれ場所が筑紫の日向とありここで日向とは古くは宮崎ではなく筑紫平野のあたりと言う説があります。と言うのは筑紫平野のあたりには日田とか日向と言う地名が多くあり昔は筑紫平野が日向だったと思われるからです。またニニギの天孫降臨の場所も古事記には筑紫の日向のクシフルダケとありクシフルダケは久住山の古名ですから、天孫降臨も南九州ではなく筑紫平野のあたりと思われます。此等のことから筑紫平野のあたりでアマテラスが生まれ、ニニギがいた事になりますから筑紫平野が高天原ではないでしょうか。またアマテラスは邪馬台国の卑弥呼と思われますからアマテラスがいた筑紫平野の高天原とは邪馬台国の事ではないでしょうか。そうすると邪馬台国は筑紫平野にあった事になります。
おしいです。日向は、糸島市にある日向峠、日向山です。すぐ隣にクシフル岳と高祖山があります。高千穂は、高祖がなまったらしいです。原田大六先生がいっています。
要するに、皇室の先祖は、伊都国王でした。そして、隣の春日市 奴国から、伊都国に日向峠を通って、引っ越ししたのです。これが天孫降臨の秘密です。
ちなみに、平原遺跡は玉依姫 神武天皇の母で、伊都国女王ですが、その人の墓です。三種の神器がでていて、かつ太陽信仰の跡があります。また、日向峠やクシフル岳は、農耕カレンダーになっていたそうです。
まあ、いいかえれば、春日市、福岡市は、天孫降臨の前に住んでいた土地なので、高天原になります。
昔は九州の通称が筑紫だったはず
『生きた馬の皮を剥いで投げ込む・・・』
たしか、魏志倭人伝には倭国に馬はいないと書かれていたかと思います。
少なくとも邪馬台国において馬はいなかったのであるから、天照大神は卑弥呼とは違う国違う世界にいたのだと思います。
日食は、邪馬台国だけで起きていたわけではありません。卑弥呼と天照大神が同じ年代に生きていたのなら、卑弥呼がいた国でも天照大神が生きていた国でも起こったことなので天野岩戸伝説を卑弥呼の時代に日食があったからと関連づけるのは安直すぎる。
天皇家の系譜の祖が神として各地に祭られているということは、天皇家の祭祀やそれぞれの神社の祭祀でも多くの巫女が関わっていたと考えられるし、当時も女性が長寿であるだろうから発言力の大きい巫女がそれぞれの地域や国に居た可能性は否定できないと思います。
最近の地質調査では、AD185年前後に南海トラフ地震が発生しております。
奈良(大和)を呑み込み、北は東海、濃尾では朝日、琵琶湖も津波を起こし、比叡山までその痕跡が残っていると。
瀬戸内:主に言えば備中(岡山)あたりだと、2mの土砂に埋もれた下に更に集落があると
京大・岡山大が、別々に地質調査の発表をしております。
私見では、これが「倭国大乱」と思っています。
環濠集落の環濠が埋まり(朝日は復旧)、高知集落に代わっていった年代でもあります。
卑弥呼が天照大御神?wwと、思いましたが
この年代、後の現代科学の最先端を行く、とあるものが大陸から輸入されます。
その過程を妄想すると、天照大御神!!!
卑弥呼=天照だとしたら邪馬台国が大和朝廷は関係あるの?って話になるよね。
全くの無関係なら皇祖神にされるとは思えないんだよな。
天照→卑弥呼
高天原(大和より前時代の九州王朝)→邪馬台国
こう過程すればつじつまが合う。
そもそも『古事記』は、「高天原」「出雲」「大和」の3王朝を強引に血縁で結んでいるが、都合よすぎないか。
それぞれが無関係であったほうが自然に感じるのだが。
おそらくそこが、古代日本史のタブーなんでしょう。
日月の弟としての素戔嗚尊は、嵐の神だろうか。関係ない事象の神というのは考え難いのだが。
天照ってそもそも女性とされてるけど、実際には性別について特に記述はないって聞くし
卑弥呼が祈ってた神が天照の原型で、そっから時が経って卑弥呼のイメージと合体して今日の女神としての天照像が形作られたんだと予想
ビッグコミックで中村真理子が連載してる漫画だと、卑弥呼は日見子で個人名ではなく天照の言葉を伝える事ができる特別な祈祷女の総称って扱いだけど
これが一番実態に近そう
スサノオから「姉」と呼ばれてるから普通に考えたら女神だろう
また、別名に女を表すメの読み方があるオオヒルメなどもある
「巫女であり神である」っていう背景にもつながりますね、これは確かにありそう
全部妄想じゃん笑
それ言ったらそもそも卑弥呼自体が妄想の産物という可能性も捨てきれんぞ
なんせ日本側に全く記録がない
魏志倭人伝の記述は広範囲への支配力をアピールする為にでっち上げたり盛ったりしたんじゃないかという可能性もなくはないんじゃないかなあ
中国って昔から兵員数とかも記録盛りまくりだからね
卑弥呼の没年に日蝕があった説などを知ると、「日の巫女」という位置付けは頷ける。
卑弥呼と日蝕は関係ありません。
天照大御神の時代は紀元前2世紀であり、卑弥呼は紀元2世紀の方ですから、同一人物ではありません。
この方らは今も生きてるのかしらとふと気になった
唐書に日本は倭国の別種と書いてあるんだが
天照大神は朝鮮征伐を実行してるので、卑弥呼と同一人物ではないでしょう。日本の古代は、祭り事を女神が担い、政り事を男神が担う統治を行っていたので、女性トップは卑弥呼だけでは無かったわけですし、同一人物視する必要はないのでは?
それぞれの時代に祭り事を統べる女性トップがいたのだと考えています
三韓討伐をしたのは神功皇后です。
朝鮮征伐したのは神功皇后
可能性の話を否定する人らって自説を【断言】するんだよね、まるで当時にタイムスリップして確認してきたかのように威丈高に‥
古代史の数少ない著名な女性を無理矢理同一人物に仕立て上げようと屁理屈をこねくり回しているだけにしか見えない。
まあ、普通に女王はいたよね
天下った方は、海外から来た王…で普通に神話を抜きに人として考えて古墳の副葬品から思うに女性祭祀王が小国毎に居た、中国が鏡や玉を沢山送っていたし、途中から剣に変わるのでそのタイミングで男王制に変わった…戦で国を取ると統治者の名前を自分の名前に加えていた、役職名かも…で歴史も加える…普通に人がする事として考えて🤔ヒミコは女性祭祀王の役職名か制度上の継承者かな?天照大神は古の祭祀女王達を1人にまとめて自分達の歴史に加えたのかな?😊
あまてらすもひみこもカトリックも同じですよwww何故に同一?偶像が一致!統一会堂には三体の鋳物の像が飾ってある!拝む対象はよりどりみどりwww
卑弥呼は巫女、天照大神は神
卑弥呼がアマテラスであることを色々な角度から論証した本があります。井上悦文著「草書体で解く邪馬台国の真実 卑弥呼の墓は朝倉の山田にある!」(オフィス20i)この本を読めば、邪馬台国論争の決着がつきます。
ヒミコは記録ゆえ実在。
天照は神話ゆえ作り事
てか、則天武后の事だろ
4:29「実在した女性、卑弥呼」・・・??根底からして間違ってないか??
(;^_^A アセアセ・・・
卑弥呼は、日皇子ひつぎのみこ だと思いますけど…
外国人には、ひつぎのみこが聞きとれなくてヒミコと聞いたのでは?
卑弥呼って多分役職名だと思うんだよね。本当の役職は日巫女。中国の文献に書かれている上に、それを書いた人間は会えていない。中国人なので中華思想で自分たちの天子以外は卑しい者として考えている可能性も高い。従って悪意を持って卑しいの文字を入れている。また巫女という文字も使いたくないからここも変えていると考えられる。
そうすると日巫女というのが、日本の神話に出てくる天照か直属の部下の可能性が出てくる。何故なら古代日本は祭祀王と統治王のセットで国を統治していたので、日巫女は祭祀王の当時の役職名の一つだった可能性と、祭祀王の役職名が天照大神で、その高位の部下が日巫女だった可能性があるからね。なので無関係ではないだろう。
陽巫女
年代が合う?
神武東征が浪速神話で大阪が海だった紀元前1世紀以前だとすると魏志倭人伝に卑弥呼は没年は明確に3世紀と記されているんじゃ全然、時系列が合わんよ。
そもそも人じゃないでしょ?
天照大神は卑弥呼より前に実在した女性。日食とは関係ない。
日食が起きていたかどうかは説じゃなくて計算できるだろ。
ところが、微細な影響で皆既日食になって地平線に沈む地区が、北九州なのか奈良なのか最新の天体計算ではズレるみたいで…。確か論文出ていたような。
@@TIshida360
逆張りおじさんやるのはいいけどその論文持ってこれます?笑
微細な影響って何の影響かも言えないんですか??
@@noon820 論文ではないけど、ブルーバックスの日本史サイエンス弐に書いていましたよ。
@@TIshida360
つまりあなたが論文と言っていたのは一出版社が出した本の中の一節という事ですよね。
根拠になり得ないものをあたかも根拠になり得るかのように他人に絡むの相当ヤバいですよ。
@@noon820 まあ通俗本ですから論文のような厳密性はないですが一応ブルーバックスてすからその程度の信頼性はあるということで
卑弥呼と天照大御神を同一とするのは無理があり過ぎ。神武東征が紀元前50年より前なのは白肩津に船で至った事から明らかで、天照大神それより200年は遡るだろう。
反対意見は、そこが怪しいと思っている。
@@user-BGKMTSHR 半分陸地を船で遡るのか。
船頭多ければ船陸に上るだな
神武天皇の存在を確定しないで話が進んでいくのが気持ち悪くて仕方ない
都市伝説なら都市伝説と明記してくれ
魏志倭人伝なんて魏の都合で書いた偽書。
大体今だに場所も不明。
同一とは不適切
普通に考えて、記紀に卑弥呼はいないから別人物、九州王朝だろう、なんで魏志倭人伝を信じて記紀を信じないの?
要するに「怪しい」んだよ記紀は
魏には遠い異国の記述をわざわざ改変する理由はないだろうけど
記紀は日本人自身が編纂したわけだから、当然改変されまくってると見るべき
よって魏志倭人伝の方が信憑性が高いと考えるのが当たり前
まだ、卑弥呼をやってる?お墓があるかな?魏志倭人伝の記述の日本行き。記述通りに、辿り着けません。それほどいい加減なもの。
天照大神なんていないよ、架空だよ❗️証拠がないよ❗️
そもそも天照大神とかいねえし
そんな訳あるか。