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むらくも歴史チャンネル
Japan
Приєднався 3 жов 2023
古代から現代につながる、歴史の真相を探求する、むらくも歴史チャンネルです。
歴史学者ではないため間違いがあるかもしれません、ご容赦くださいませ。
神奈川在住で、生まれは尾張です。
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神奈川在住で、生まれは尾張です。
最強のパワースポット!関西地方の「一宮」全部見せます
関西・近畿地方の「一宮」を一挙に紹介します。
近江国・滋賀県、大和国・奈良県、丹後国・京都府、山城国・京都府、丹波国・京都府
摂津国・大阪府、和泉国・大阪府、河内国・大阪府、淡路国・兵庫県、但馬国・兵庫県
播磨国・兵庫県、紀伊国・和歌山県、
一宮とは何か?
「一宮」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?
一宮とは、各地域で最も古く由緒ある存在であって、最も重要とされた神社を指し、文献のない時代から各地域の人々の信仰によって成り立っていたもので、信仰や文化の中心的な存在です。
国家の統制による格付けではないというのがミソです。
一宮に赴くことは、神話の世界や古代の日本人の心に触れる機会であり、各地の歴史を探訪する意味合いもあるのです。
それぞれの一宮に宿る神の物語や、土地の歴史を感じながら巡ることで、現代の日本人が忘れがちな大切な価値観や、古代から続く祈りの姿勢を再発見できるでしょう。
日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました
このチャンネルでは、独自の視点から見た歴史、科学について発信しています
ぜひ、チャンネル登録よろしくお願いします。
www.youtube.com/@kumao01nigi
この動画は下記の音声読み上げソフト、画像、動画、音楽を使用しています。
・Wikipedia
・Adobe stock
・UA-cam オーディオライブラリ
・VOICEPEAK
・Google Earth Studio
【参考書籍】
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
・『古事記上中下』次田真幸 著 講談社学術文庫
・『現代語 古事記』竹田恒泰 学研
・『続日本紀』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
・『記紀以前の資料による古代日本正史』原田常治 著
・『古代日本神話の考古学』関裕二 著
・『日本書紀と神社が語る天皇誕生史』崎元正教 著
・『神社と古代豪族の謎』歴史REAL編集部 著 洋泉社
・『文の神が息づく一宮の秘密』戸矢学 著 方丈社
・『二十二社』島田裕巳 著 幻冬舎新書
・『最強神社と太古の神々』島田裕巳 著 祥伝社新書
・『諸國一之宮めぐり 新日本【神頼み】紀行』鹿野島孝二 著 彩流社
#神社 #関西 #日本史 #むらくも歴史チャンネル #神社巡り #一宮 #大神神社 #籠神社 #パワースポット
近江国・滋賀県、大和国・奈良県、丹後国・京都府、山城国・京都府、丹波国・京都府
摂津国・大阪府、和泉国・大阪府、河内国・大阪府、淡路国・兵庫県、但馬国・兵庫県
播磨国・兵庫県、紀伊国・和歌山県、
一宮とは何か?
「一宮」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?
一宮とは、各地域で最も古く由緒ある存在であって、最も重要とされた神社を指し、文献のない時代から各地域の人々の信仰によって成り立っていたもので、信仰や文化の中心的な存在です。
国家の統制による格付けではないというのがミソです。
一宮に赴くことは、神話の世界や古代の日本人の心に触れる機会であり、各地の歴史を探訪する意味合いもあるのです。
それぞれの一宮に宿る神の物語や、土地の歴史を感じながら巡ることで、現代の日本人が忘れがちな大切な価値観や、古代から続く祈りの姿勢を再発見できるでしょう。
日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました
このチャンネルでは、独自の視点から見た歴史、科学について発信しています
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この動画は下記の音声読み上げソフト、画像、動画、音楽を使用しています。
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【参考書籍】
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
・『古事記上中下』次田真幸 著 講談社学術文庫
・『現代語 古事記』竹田恒泰 学研
・『続日本紀』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
・『記紀以前の資料による古代日本正史』原田常治 著
・『古代日本神話の考古学』関裕二 著
・『日本書紀と神社が語る天皇誕生史』崎元正教 著
・『神社と古代豪族の謎』歴史REAL編集部 著 洋泉社
・『文の神が息づく一宮の秘密』戸矢学 著 方丈社
・『二十二社』島田裕巳 著 幻冬舎新書
・『最強神社と太古の神々』島田裕巳 著 祥伝社新書
・『諸國一之宮めぐり 新日本【神頼み】紀行』鹿野島孝二 著 彩流社
#神社 #関西 #日本史 #むらくも歴史チャンネル #神社巡り #一宮 #大神神社 #籠神社 #パワースポット
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最強のパワースポット!九州地方の「一宮」一気にご紹介
Переглядів 20 тис.14 годин тому
九州地方の一宮を一挙に紹介します。 筑前国・筑後国・福岡県、豊前国・豊後国・大分県、肥前国・佐賀県、壱岐国・対馬国・長崎県、肥後国・熊本県、日向国・宮崎県、薩摩国・大隅国・鹿児島県 一宮とは何か? 「一宮」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか? 一宮とは、各地域で最も古く由緒ある存在であって、最も重要とされた神社を指し、文献のない時代から各地域の人々の信仰によって成り立っていたもので、信仰や文化の中心的な存在です。 国家の統制による格付けではないというのがミソです。 一宮に赴くことは、神話の世界や古代の日本人の心に触れる機会であり、各地の歴史を探訪する意味合いもあるのです。 それぞれの一宮に宿る神の物語や、土地の歴史を感じながら巡ることで、現代の日本人が忘れがちな大切な価値観や、古代から続く祈りの姿勢を再発見できるでしょう。 日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を...
一宮 知る人ぞ知る!隠れた名社 厳選5社(中四国)
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知る人ぞ知る!隠れた名社 一宮5選(中四国) 一宮とは何か? 「一宮」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか? 一宮とは、各地域で最も古く由緒ある存在であって、最も重要とされた神社を指し、文献のない時代から各地域の人々の信仰によって成り立っていたもので、信仰や文化の中心的な存在です。 国家の統制による格付けではないというのがミソです。 一宮に赴くことは、神話の世界や古代の日本人の心に触れる機会であり、各地の歴史を探訪する意味合いもあるのです。 そして、一宮は単なる観光スポットではなく、日本人の心のふるさととしての役割を果たしています。 それぞれの一宮に宿る神の物語や、土地の歴史を感じながら巡ることで、現代の日本人が忘れがちな大切な価値観や、古代から続く祈りの姿勢を再発見できるでしょう。 【目次】 00:00 スタート 01:25 第1社 04:00 第2社 06:24 第3社 10...
歴史ミステリー!磐井の乱と任那割譲
Переглядів 3,1 тис.14 днів тому
■ 磐井の正体 皆さん、『磐井』という名前を聞いたことがありますか? 磐井は、今から1500年ほど前、九州の筑紫地域に君臨した豪族です。 当時の日本は、大和朝廷が各地を支配下に置き始めていた時代。 しかし、磐井はただの地方豪族ではなく、大和朝廷に対し一大反乱を起こした伝説的な人物でした。 では、磐井はなぜそこまでの行動に出たのか? ■ 石人石馬類と岩戸山古墳 磐井が残した遺産といえば、皆さん、九州・福岡にある岩戸山古墳をご存知でしょうか? この古墳には『石人石馬類』と呼ばれる、石でできた人や馬の像が並べられていますが、これは単なる装飾ではありません。 ■ 磐井の乱の前史 磐井が反乱を起こすまでには、激動の前史がありました。 皆さん、6世紀初めの日本は、各地で大和朝廷への反発が生まれていたことをご存知でしょうか? 当時、大和朝廷は朝鮮半島にも勢力を広げようとし、九州の豪族たちも朝廷に従...
異端の考古学者の邪馬台国論と卑弥呼の正体
Переглядів 5 тис.21 день тому
■ 異端の考古学者 みなさんは、『ケンカ大六』と呼ばれた異端の考古学者をご存じですか? 福岡県糸島郡、今の糸島市で生まれ、古代の歴史を命がけで探求した人物です。 彼は測量士の父の影響もあり、幼い頃から地元の山や川、田畑を歩き回って遺跡を調べ、考古学への情熱を深めていきました。 若き日、糸島中学校に通っていた彼は、そこで考古学の素晴らしさを教えた教師に出会います。 この恩師との出会いが、彼の人生を大きく変え、やがて彼を『伊都国の歴史に捧げる男』へと導いていったのです。 ■ 平原弥生古墳と三種の神器 ■神秘の古墳を発掘 1965年、福岡県前原町(現・糸島市)で、古代史を揺るがす大発見を果たしました。 彼が見つけたのは、「平原弥生古墳」と呼ばれる弥生時代末期の古墳で、これまでにない規模と豪華さを誇るものでした。 この古墳には37面もの銅鏡が副葬されており、中でも直径46.5センチに及ぶ日本...
邪馬台国宮崎説を推す理由
Переглядів 2,5 тис.Місяць тому
皆さん、邪馬台国の場所について諸説あるのはご存じかもしれません。 九州北部説や畿内説も有力ですが、ここ宮崎にも驚くべき説があるんです。 それが『邪馬台国宮崎説』 今回は、なぜ宮崎が邪馬台国候補地とされているのか、その根拠に迫ります。 この地が古代からの重要な文化圏であり、邪馬台国の候補地にふさわしい点について、少しずつ紐解いていきましょう。 ■国名や人名、地名が変 魏志倭人伝の文章では、中国の古代史における周辺国や民族の名前や地名の記述が、日本などの周辺諸国に対して蔑視的かつ恣意的に名付けられていることはあきらかです。 中国の学者たちは自身の国以外の名称について、実際の事実を反映させるつもりがなく、創作や蔑称で記述しているに過ぎないようです。 ■距離、日数、方角について 魏志倭人伝の「日数」「里数」「方角」については、作者・陳寿が実際に日本へ来たわけではなく、数十年前の話を伝え聞いた...
中部地方の隠れた「一宮」名社5選
Переглядів 32 тис.Місяць тому
■一宮とは 一宮とは、各地域で最も古く由緒ある存在であって、最も重要とされた神社を指し、文献のない時代から各地域の人々の信仰によって成り立っていたもので、信仰や文化の中心的な存在です。 一宮に赴くことは、神話の世界や古代の日本人の心に触れる機会であり、各地の歴史を探訪する意味合いもあるのです。 一宮は神道の聖地であり、その地に根差した信仰が長い年月を経て育まれています。 一宮は単なる観光スポットではなく、日本人の心のふるさととしての役割を果たしています。 それぞれの一宮に宿る神の物語や、土地の歴史を感じながら巡ることで、現代の日本人が忘れがちな大切な価値観や、古代から続く祈りの姿勢を再発見できるでしょう。 【目次】 00:00 スタート 01:12 第1社 04:03 第2社 05:57 第3社 08:49 第4社 11:31 第5社 日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国...
三種の神器!歴史に埋もれた謎の神宝
Переглядів 1,5 тис.Місяць тому
日本の歴史に埋もれた『三種の神器』をご存じですか? 古代から、天皇家の正統性を証明する宝として、神聖な意味を持ち続けてきたこの三つの秘宝。 しかし、その姿はほとんどの人々の前に現れることはなく、今もその多くは謎に包まれています。 今回は、この三種の神器がいかに日本の歴史と結びついているのか、そしてそれぞれの秘宝にどんな神話と歴史があるのかを深く掘り下げていきましょう! ■ 三種の神器とは何か では、なぜ三種の神器はこれほどまでに重要視されるのでしょうか? それは、天皇が日本の歴史において神聖な存在であること、そしてその力が神々によって認められているという象徴だからです。 日本の神話に登場する天照大神が、これらの神器を初代天皇に繋がる皇祖神に授けたとされています。 この物語を通じて、天皇の存在は『神々から直接選ばれた者』としての地位を持つことができたのです。 それでは、三種の神器それぞ...
関東地方の隠れた名社!知られざる「一宮」5選
Переглядів 7 тис.Місяць тому
■一宮とは 一宮というのは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことです。 自然発生的に各地域で称されたもので、律令制の誕生より古いものもあります。 それゆえ、全国に一宮が何社存在するのかといわれると、約100社程度あるとしか答えられません。 つまり、自ら一宮であると主張する神社もあるため、特定するのが難しいのです。 関東地方には、格式高い一宮が数多く存在しますが、その中にはあまり知られていない、隠れた名社も存在します。 今回は、関東地方の一宮5社を厳選してご紹介します。 古代の歴史や神秘的な逸話に触れながら、一宮の魅力を再発見しましょう! ■第1社:(下野国一宮/栃木県) 日光東照宮の近くにあるため、少し目立たないかもしれませんが、実は古代から下野国の一宮として、非常に重要な霊山信仰の中心です。 二荒山神社は、日光山を神体山としており、古代から山岳信仰が行われてきました。 ■...
飛鳥時代の「闇」!持統天皇と皇子たちの権力バトル
Переглядів 1,6 тис.Місяць тому
■持統天皇ってどんな人? 日本の歴史には、時に驚くような人物が登場します。 持統天皇は、その一人 彼女は、なんと女性でありながら、日本の政治のトップに立ちました! しかも、彼女の父は天智天皇、夫は天武天皇という超有名な天皇たち。 そんな中で、彼女がどのようにして権力を握っていったのか、その秘密を探っていきます。 彼女の父は天智天皇、そして夫は天武天皇という、日本の歴史に大きな影響を与えた人物たち。 つまり、彼女は二つの異なる天皇家の血を引き、さらにはその間に挟まれた権力闘争を生き抜いた強力な女性でした。 ■突然の悲劇!草壁皇子の謎の死 持統天皇の息子、草壁皇子が次の天皇になるはずでした。 でも、彼は天皇になる前に急に亡くなってしまいます。 持統天皇は、この死をどう受け止め、どのように行動したのでしょうか? 草壁皇子は天武天皇と持統天皇の息子で、次期天皇として期待されていました。 持統...
物部守屋と蘇我馬子: 対立が生んだ日本史の転機
Переглядів 1,9 тис.Місяць тому
①物部守屋と蘇我馬子の対立 ②丁未の乱と物部氏の衰退 ③物部守屋に関する謎 二選 これら3つのテーマについてご紹介します。 6世紀の日本 新しい宗教、仏教が大陸から伝わり、古くからの神道と衝突し始めました。 この時代のリーダーたちは、新しい時代にどう対応するか、重要な決断を迫られていました。 物部守屋と蘇我馬子、二人の大物が運命を決することになるのです。 ■物部守屋と蘇我馬子の背景 ■ニギハヤヒと物部氏 ニギハヤヒは物部氏の祖先とされる人物です。 先代旧事本紀や神社伝承をたどると、ニギハヤヒこそ九州から東遷したさきがけでした。 神武天皇より先にヤマト入りを果たしていたのがニギハヤヒでした。 さらに、継体天皇の時代には筑紫磐井の乱で、天皇が物部麁鹿火に筑紫より西は物部が制圧し統治するように命じています。 守屋にとって、仏教は外来の脅威であり、国の魂を揺るがすもの。 一方、馬子にとって仏...
謎とロマンに包まれた飛鳥時代を解明!古代日本の始まりとは?
Переглядів 2,6 тис.Місяць тому
飛鳥時代とは、日本の古代史の中でも特に興味深い時代で、政治、文化、宗教が大きく変革を遂げた時期です。 今回は、その飛鳥時代について、初めてのかたにもわかりやすく解説していきます。 飛鳥時代は、日本の歴史の中で6世紀末から8世紀初め頃までの時期を指し、その名前の由来は奈良県飛鳥地域が当時の政治・文化の中心地であったことからきています。 この時代は、古代国家としての日本が形作られ始めた重要な時代であり、仏教の伝来や天皇制の確立など、後の日本社会に深く影響を与えました。 まず、飛鳥時代が「飛鳥」という地名で呼ばれるようになった背景についてです。 飛鳥時代は、これまでのヤマト王権が中国や朝鮮半島の影響を受けながら大きく変革し、中央集権国家の形成が進む時代でもありました。 この飛鳥時代の特徴的な出来事として、仏教の伝来があります。 ■仏教伝来(538年または552年) 飛鳥時代の幕開けともいえ...
霧島神宮は。
お父さん(瓊瓊杵)のほうが一の宮じゃないのって不思議ですよねぇ。 延喜式で論社であることが原因かな?とも思います。鹿児島神宮の方は官幣大社ですから。
青井阿蘇神社や幣立神宮は?
青井さんは阿蘇神社の分社ですよ。幣立は不思議さで近年人気が出たけど、論証が不確かなので一の宮にはなり得ないでしょうね。
他もすごいけど、やっぱ関西は別格やなぁ〜
藤原氏=当時は中臣は中大兄に付いて倭に来た外交官、なので天智のために陰謀を巡らしていた。しかし大友天皇をめぐって同族内で揉めて、壬申の乱では沈黙した。奈良盆地の王であった葛城族と結んだ中大兄が葛城王子となって血統的な問題をクリヤしたのも鎌足の知恵やな❤
小林やす子説がとっても面白いですよ🎉オススメ 白村江で百済が滅びその王族はじめ渡来した人びとが天智、天武に別れて内紛が起きた、これが壬申の乱です。そこには戦勝国唐新羅にどう対抗するか❓️😰が最大のテーマだったから❤リアルですね 中大兄は百済の王子で父は百済の王でもあった舒明 盖蘇文こと大海人は高句麗王子で狂暴な将軍、対唐戦にヤマトの兵力を使うために渡来していた。もちろん平和外交主義の蘇我氏を滅ぼしたのはこの二人の共同作戦だった🪓🤣つまり二人は倭国を乗っとり、唐に白村江で負けるまではお仲間だった😂
16:00頃の一覧表、対馬国の海神神社の字が間違ってますね。
そうですね、指摘ありがとうございます。
神社巡りが好きになった関東人が、南東の神社巡って知った知識で発信してるような考察。アマテラス族が、古来の聖地を神社として、自分の神話の一部としたことなど何にも考察されていないように思います。
岐阜と尾張を結ぶ岐阜街道の近くにある真清田神社はパワースポットのように感じる
単なる各時代の時の政権が選んだ格で格付けを集計して意味があるの。 政治が付けた飾りや背乗りを取り除いてみないと。
高良大社のご祭神である高良玉垂命は、武内宿禰と言われることもありますが、はっきりしていません。また、高良大社は戦さの神とも言われます。ここは戦国時代も含め昔から戦いの要衝です。広い筑紫平野から太宰府や博多へ向かう隘路までが一目瞭然です。古代山城と言われる神籠石がおかれた理由もそこにあったのでしょう。
1:27 2:49 住吉神社が被ってます。内容はそれぞれ別みたいですけど。
順番よくなかったようです。1:27のあとに住吉神社紹介すればよかったですね。
こうら「さん」たい
ごめんなさい、確認怠ってました。
出雲の国一宮の熊野神社が無いのですが?
5つに絞ってしまったので。。。また機会があれば紹介したいです。
大宮の氷川神社は勅祭社で宮中の四方拝で遥拝される神社の1つなので、現代でも一の宮として認められているという理解です。
実在の人物です。 ただ日本書紀の記述は信用できません。それだけです。
御所市から葛城周辺ほとんど 歩きましたけど狭いよw 1日で高天彦神社まで登り 高鴨神社→葛城御年神社→ 鴨都波神社に降りて来れる 葛城王朝と言うても奈良の 小さな自治体て感じです。
蘇我氏の祖の蘇我石川宿禰は武内宿禰の子となっています。武内宿禰は西暦360年頃に三韓征伐して任那を占領し任那に何年かいたようですがその後任那統治を一族の蘇我石川宿禰やその子の満智宿禰にまかせたと思われます。満智宿禰は百済の大臣でもあったようですがその後日本に戻ってきたのではないでしょうか。だから蘇我氏は元々は渡来系でなく九州の豪族ではないでしょうか。
砥鹿神社の、土鈴はとても素敵です。 我が家の神棚でたまにシャンシャンしてます😊
私も古道の案じゃないかと思います 断層沿いは人が歩きやすいので道ができやすく、道しるべにしてたものが神社になったんじゃないかと
真清田神社が戦災で焼失するまで神主をしていた家の子孫です 今となれば関わりもありませんが、こうして取り上げて頂けて嬉しいです。感謝します😊
白村江のときに百済が高句麗に滅ぼされたとありますが、唐の間違いですよね? また478年の時に武は喪に服していましたが、興が462年ごろ亡くなったとすると喪が長すぎではないでしょうか?
水行◯◯をするを帯方群からと読むと、10日1万里、末盧国。20日。2万里投馬国、1里をソウル釜山を参考に40m暗いとすると、投馬国は宮崎に当たります。末盧国から2000里80k。日田、八女、久留米、甘木、当たりに女王国があったのではないか?日本書紀にも八女の土蜘蛛、田油津姫の記載もありますし。
一番初めは一宮♪~
一之宮巡りは、未だに崇拝集めてるとこもあれば、往時を偲ぶような昔は栄えてたんだなぁって感慨深くて楽しいですよね
東海と言えば愛知県豊川市の砥鹿神社も一宮ですので残念です😢
5社に絞ってしまったので。。。またの機会に紹介したいです。
抜けが多いし隠れてもないし・・・
5社に絞ってしまったので。。。またの機会に紹介します。
真清田神社と南宮さん行ってみます、近くなのに行ったことないです。熱田神宮より格上なんですね。
大麻比古神社は、徳島の人にとって特別な神社ですね 初詣の参拝も非常に多いです
九州説の人は魏志倭人伝を捨てて考古学だけでストーリーを組み立てた方がいいと思うけど?
そもそも全国に一之宮が置かれた理由・目的理解してるのかなぁ? 外威・害意在るものに対する討伐にあたり挙兵参加従事する地元戦士の戦勝祈願の意味合いが強いんだけど。護国鎮護とはそういう意味。理解してます??
一宮は、各国で第一位にあった神社のことで、自然発生的に生まれた呼称。 起源は各社によってバラバラであり、国家が定めた社格と一致するとは限らない。 つまり一宮の呼称は、民間のものです。 一宮が先で後付で国家管理された神社もありますし、国家管理に逆らった神社もあるとか。 国府に近い神社ほど、自然発生的というよりも、国家による政治的な位置付けの社が多いらしいです。 八幡神のような武運の神様を祀る社は、国家鎮護の信仰が強いでしょう。 縄文、弥生時代に自然発生的に生まれたとされる神社が、当初から武運を祈り、国家鎮護を求めていたかは私にはわかりませんけど。
@@kumao01nigi >>そうとも言えないですよねぇ。<宮>がついているものは、皇室ゆかりの神が祀られてる神社。一之宮などの称される神社については国から遣わされた国司が廻る地方の神格の高い神社。 国司が派遣された地の神格の高い神社を参る=国家鎮護、五穀豊穣、国家安泰、戦勝祈願、戦死傷者の御霊の安寧祈願・慰霊・・・を祈ってまわる順番をしめすものですし。現在は民間管理の神社とはいえ、催事祭礼神事に国や公的機関から支払われる玉串し料とかは公費支出ですしねぇ。。。<(== むつかしいです・・・はい。σ(==;
平原古墳の被葬者は穂穗手見命の后の豊玉毘売命です。 息子は鵜草葺不合命であり、孫は初代神武天皇です。 豊玉毘売命は紀元前161年に生まれ118年に44歳で崩御されました。
諏訪大社にも9月に伺いました
愛知県一宮市に住んでます 真清田神社には初詣にも伺います とても心落ち着く神社です
蘇我と言えば蘇我氏、曽我兄弟、ウルトラ警備隊のソガ隊員ですね
宮崎県は、投馬国 であったようです。邪馬台国は、福岡県南部です。詳しくはキンドル版[誰も書かなかった邪馬台国探し]を読むと、わかるかもしれませんよ。
高天原などの比定で地元愛が出てきたところでアウト。 伊都国=平原遺跡付近は可能性あるも。
磐井の乱は継体天皇の時代ではなく雄略天皇の時代ですか?
赤い色を古墳に使用する石室は高貴で豊かな財力ある御門の墓でした
禁忌が頻繁に起きた故に女性が天皇を人数多い時代だった
結局は日本の内乱こうなる その最初の戦いで後々まで 壬申の乱→源平合戦→南北朝 関ヶ原の戦→明治維新と 九州瀬戸内勢力と 東海北陸以東勢力の 内乱が定期的に起こります
岩戸山古墳を造った技術者たちは岩井没落後、旧出雲王家・富家の大庭鶏塚古墳等を築造し出雲地方に移ったと伝わる。
徐福が漂着していたならば勿論彼は文字を使えていただろうし文字の資料が残っていないとおかしい事になります 壬申の乱等で多くの資料が破棄されたでしょうが当時の石板等が一つも出土してないのは厳しいかなって思います
魏志倭人伝の、伊都國の爾支と一大率ならび持衰の関係は 物部氏の祖先を記述している事の証明 魏志倭人伝には、 一大率は女王国以北の諸國を監察。 持衰は、航海の際、随行する。 厳しく見張られており、航海が不首尾なら、宗教的/祭祀的な価値観から殺されることも有る掟もある、と記述されている。 現代で言うと、 一大率とは、警察権・検察権と、神官として宗教的/祭祀的な事も司る事をマージした役割なり働きといえる。 そして、その役割なり働きは、大和朝廷での物部氏の役割なり働きと同じくし、 その為、邪馬台国時代に既にそのプロトタイプが有った事を強く示唆しています。 曹魏や西晋が、未来の大和朝廷の物部氏や、その役割を知る筈が無いし、 大和朝廷の物部氏がニギハヤヒを祖先としていることも、 曹魏なり西晋は、当然、未来の事なので知る訳が無い。 つまり、魏志倭人伝における、 大和朝廷の物部氏の祖先と目される爾支、 ならびに物部氏と、一大率・持衰の役割の記述の一致することの発生確率として思考したなら、 簡単なモデルで説明すると、 抽象概念となるが 極めて多い面を持つサイコロが2つあり、2個のサイコロ共に3回続けて任意の面(数)が出る確率と同じと言える。 ①爾支 ↔ニギハヤヒ(名前の一致) AND ②一大率↔警察権・検察権(役割の一致 その1) AND ③持衰から↔祭祀的・宗教的関わり(役割の一致 その2) 確率の最大値/上限値(必然に起きる事)の数を1とするなら、 AND(〜で且つ)で、物事が一致する事象が3重であり、3回続けて 2つの超多面体(巨大数のサイコロ)の同じ任意の面(数)が出る事なので 1÷(①の確率 ✕ ②の確率 ✕ ③の確率) で表され、 事象の発生の確率は、極めて小さくなり、明らかに 偶然一致は考えづらく 私の概算より、客観的場合の数を求める為、 人口知能におおよそを 求めてもらった所、 P(確率)= 1/100 ✕ 1/50 ✕ 1/30 (名前の一致x役割の一致1x役割の一致2) =1/150000 の発生確率となりました。 逆に言えば、必然に起こる事の数1に対して 逆数の150000倍、偶然の一致は考えづらいと言えます。 1/150000の発生確率でも否定的な意見とかあるかもしれないが、 偶然の一致は、非常に考えづらい確率だと言え。 よって、客観的事実の蓋然性に足ると考えます。 それは、 或る事件で使用された銃弾の線状痕が一致する銃が、容疑者が3つにバラして、それぞれ3箇所に埋めたとの供述通りに、捜索で発見されたなら、 則ち、当事者にしか知り得ない秘密の暴露を供述した事になり、 当事者以外が、そのような事を行ったり、供述する可能性は極めて低く、 確率的に、客観的事実の蓋然性に足ると認められるのと同様の事です。 そのため、魏志倭人伝の爾支や一大率と持衰の関係の記述は 逆説的に、当事者にしか知り得ない秘密の暴露となっており、 その記述の、客観的事実の証明になってしまっています。 採用しなかった他の例として、 投馬國の官 彌彌も天忍穂耳尊と名前から同一人物の可能性が考えられますが、 物事が一致する事象が、幾つか重なっていない事象は、確度が下がるので、確定的との判断はとどまるべきと考えからです。
全部行きましたよ。
原田大六氏は発見者ではなく、発掘者の一人ですよ。発見者は地主さんです。近年も平原墳墓をお掃除に来られてます。
私は北部九州説ですが宮崎も隣なので関係あるかもしれません。北部九州説は吉野ケ里での倭人伝記述ソックリな環濠集落(物見やぐら含む)発見や、鉄器の発見量、絹の 発見などからです。これらは今もって他地区での発見は聞きません。それと福岡県での金印発見、大分(日田市)での魏の英雄曹操への副葬品と同じ鏡の発見、など 古代中国の遺物は北部九州で発見されています。また三角縁神獣鏡は肝心の中国では一枚も発見されておらず、卑弥呼の鏡にしては何百枚もあり、国産と言われています。
◆宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社 ◇日光二荒山(ふたらさん)神社 読みが違います。また、安房国の洲崎神社も一之宮ですね。 武蔵国は元々、小野神社が一之宮で、その頃は氷川神社は三之宮であったことが総社である府中の大國魂神社に伝わるお祭りからも確認出来ています。
宮崎説は道中含め、距離・方角・戸数全てが合致・説明が可能な場所だと思う。 水行・陸行も丁寧に考察を重ねれば九州内の移動に収まる可能性を導き出せますが、この説では端からその考えを捨てているのが残念です。 また、21国と狗奴国を沖縄方面に伸ばすと侏儒国の記載と矛盾するので、同じ宮崎説を主張する立場でもこの説の考え方には乗れないです。
日向の国とはいつの時代のことですか? 天照大御神のころに日向国と言っていたのでしょうか?
シラス台地は鹿児島の方だけでしょうか? コメつくりに適した地域ですか? 対馬や壱岐から来るのに九州をぐるりと半周回するのは何故ですか? 宮崎の東に海を隔てて倭地はありますか?