なるほどなあ!(考古学には詳しくない) あり得るとすれば、当初の出雲とその後の出雲で担い手が違うと思います。つまり、出雲に銅鐸を運んだのはニギハヤヒ=琉球語派(?)集団で、それは大和に本拠地を移した後、新たに出雲にやってきたのは大陸倭語派の集団です。これで神話のスサノオとも合致しますし、言語学的知見とも合致します。古代出雲方言は語中 k が脱落しますが、これは大陸倭語の特徴です。
ナガスネヒコは「邑」の名前に由来するとされているので toponym です。私見では、おそらくこのあたりの基層言語は tu > su になっていて上代東国語と繋がります。ヤマト王権は言語が異なるので言葉遊びで再解釈されています。同様の例は、古代朝鮮語らしき「クサナギ」*kusV narki "巫術の剣"やアイヌ語から翻訳したらしき因幡の白兎にも見当たります。
神話の正しい読み方 ua-cam.com/video/j9F71wfLGS8/v-deo.html
もっと詳しく聞きたいから本として出版して欲しい
このチャンネルを2年ほど前に見つけてからこの分野に興味を持ち、今年4月に言語学の大学院に入学しました。ありがとうございました。
おめでとうございます。大変なこともあるとは思いますが、楽しんで勉強や研究をなさってください〜応援しています!
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
おめでとうございます〜
他人の人生の選択に影響を与える、
これは凄いことです…
羨ましいです。いい研究をしてくださいね。
素敵です。たっぷり研究をしてくださいね。
ご本人の早口解説も学会発表感があって好きです。
めちゃくちゃワクワクする話ですね。
真実かどうかはさておきこういうの好きです。
ゆる言語学ラジオで体をならして、このチャンネルで、どっぷり言語学に浸かるのが好き
本当かどうかはとにかく、ラノベか?ってくらいめちゃくちゃ面白い。
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
それな、勉強と思わないと結構面白いんだよな歴史って
面白さの例がラノベって義務教育の敗北やん
@@freedom5065 なぜラノベを例に出したら義務教育が敗退するのかわからんな
@@quanhault879 科学的な思考?関係なしに、自分の好みを例に出しただけで義務教育ガー言われるコメ主、、、
言語学的視点で、神話と歴史の間を説明できるのは素晴らしい。説明できちゃうんですね
実際このとおりかは分からんけど、大陸とこれくらい複雑に交流があったんやろなあって思った
倭国大乱って知らなかったけど、ヨーロッパの民族大移動みたいにやっぱり人が移動するだけで争いごとは起こるもんなんだな…
今のグルド人問題もそうかも。
とても面白かったです。
ひとつ気になることがあるのですが、銅鐸は埋められており、それは西から東にかけて時代が新しくなっていったと記憶してます。
出雲と近畿でしたら出雲の方が先に銅鐸文化が終焉しているということです。
なので、大和から出雲を攻めたとなるとそこの整合性はどうなのだろうかと思いました。
なるほどなあ!(考古学には詳しくない)
あり得るとすれば、当初の出雲とその後の出雲で担い手が違うと思います。つまり、出雲に銅鐸を運んだのはニギハヤヒ=琉球語派(?)集団で、それは大和に本拠地を移した後、新たに出雲にやってきたのは大陸倭語派の集団です。これで神話のスサノオとも合致しますし、言語学的知見とも合致します。古代出雲方言は語中 k が脱落しますが、これは大陸倭語の特徴です。
@@minervascientia282
ご返信ありがとうございます。
非常に面白い考えだと思います。言語学的知見というのは大変勉強になります。
しかし、そうなると播磨国風土記には大国が出て参りますし、銅鐸ではなく玉や神話で見ていくと対馬海流を動力として北陸と出雲は蜜月でした。ニギ→スサ、大国という大きな体制変化はあり得たのだろうかともおもってしまいす。
@@ウェイロー長嶋 ちな先程気づいたのですが、出雲神話で驚いた女神の陰部に「杼」pi が突き刺さって死ぬのは琉球祖語「女性器」*pi の言葉遊びだと思います。やはり出雲に隼人琉球系の言語がちょっと拡散していると思います。
@@minervascientia282
なるほど。その言葉遊びは面白いです。
ご返信ありがとうございました。
いつも動画楽しみにしています。
応援しています。
@@minervascientia282
「はた」と「ほと」も似てるしなぁ。
諏訪で出雲と大和がぶつかったのは両勢力の本拠地からどっちも離れすぎに感じるけど、日本海側に勢力を持っていた出雲と太平洋側を東進した大和が勢力の前線からそれぞれ南進・北進した中間地とみれば頷ける。
中津川から飯田に抜けるのは厳しいと思っていたけど、当時大和が静岡あたり抑えていたなら富士川北上すれば良いだけだし。
柱建てたり地中で儀式したり、諏訪の古祭事は面白いですね。
川中島みたいですね。
大和の勢力と思われるDNAは瀬戸内沿岸、関西、北陸に多い。
出雲から東進したというのは今のDNA分布から見ると実は考えにくい。
もちろん否定はしないが、否定的データはあるね。
当時の住民(骨)のデータか、現在の住民のデータかでかなり変わるね。
現在の関西、北陸、瀬戸内住民のDNAが大和よりなのは、支配階級の大和が政権を持って1000年ほど経過してるためなら違和感ない。
「こうして日本という国が出来上がりました」最後のこの言葉、さらっと言ってるけどものすごく重要だよね。これより前には日本など存在せず、九州や中国地方、東国、朝鮮半島、中国大陸がそれぞれ別の存在で影響を与え合っていた。そもそも今の日本人という意識は明治維新になってから築かれたものだと聞いたこともあり、面白い。
国民国家っていう考え方が出てきたのは
19世紀くらい
「これより前には日本など存在せず」、仰るとおり日本など存在していないですね。 言葉も民族もバラバラ。
すばらしい!
こういった知的考察が出来る方は尊敬します。民族の変遷についてはDNAで証明できたら一気に信憑性を持たせられますね。
この話、PDFファイルで欲しいです…
細かい指摘ですが江田船山古墳と稲荷山古墳はそれぞれ九州と関東なので字幕の位置が逆ですかね?
うわーっ!そうです
凄い。説得力凄い内容。歴史、神話、口伝、遺伝子学、方言、色んなものシックリくる説。
銅鐸は時期が特定できるものがないので開始時期の特定が難しいですね。通説は紀元前ですが。初期型銅鐸の鋳型は九州で多く見つかっていますが、学者でこれを指摘する人はわずか。終末期の銅鐸は古墳開始時期と重複しそうなものが結構ありますが、学者はこれも紀元前というニュアンスなんですよね。政治的な確執でもあるのかな。
中国、朝鮮、日本の繋がり濃すぎで面白いな
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
このでたらめプロパガンダ動画を信じるんですか??
近年高度に解析されているDNAを見たって朝鮮半島と日本人は大きく違いますが…
日本神話は他の神話との類似性を指摘されている以上テンプレがあるのはまさにそうなのよね。だから、どれが本物なのか抜き出さないといけないなよなぁ……。めっちゃ大変そう。あと、比較言語学を、使えば空白の4世紀の大まかな内容が判明できる可能性ってあるんかな。
古事記や日本書紀の垂仁天皇、景行天皇や神功皇后、応神天皇あたりを読めば空白の150年や空白の4世紀はわかりますよ。
実際、考古と照らし合わせても記紀の記述を裏付けできますからね。
言語学に則った魏志倭人伝研究、もっと聞きたいです!どうか詳しくお願いします!
北宋版通典の「倭面土國」は、翰苑蕃夷部倭国の条の「有倭面上國王帥升至」(面上=面会するの丁寧語)の誤記ということで学説は一致していますよ
卑弥呼は機内説を取ってるのか。
一度統一王朝が生まれた後に分裂して再度統一されたと…
この説の信憑性はともかく、物語としては面白い!
要するに古代日本の歴史はこうですね。
ありとあらゆる和人系(+韓系、漢族など)の集団が日本列島と対馬海峡を、まるで両面道路のように行き交いしていた。そしてそれらの集団はお互いに協力と対立を繰り返してきた。
日本神話とは、そのいろんな集団の物語を、まるで「1つの国」で起きた出来事のように記録したものである、のですね。
およそこうではあるんですが、原典を見てもらえば分かるように、神話時代にもめちゃくちゃ外国人、朝鮮半島の地名、古代朝鮮語が出てきて、外国として認識されています
国立科学博物館館長の篠田謙一氏の日本人ゲノム解析のお話と言語考察を合わせるとおのずと日本人の成り立ちが見えてくるのが面白い。「鬼」とは、アシハセや隼人、蝦夷とは。
ナガスネヒコは徳島ではなく奈良や東大阪にいた豪族のはずですが…
日本の黎明期複雑過ぎる
未だに故郷をクニと読んだり日本全体を指して全国と言ったり多民族の感覚の名残は未だに残っていてそれが画一でない多様なアイデンティティの源流になっているんだろうな
ナガスネヒコは土蜘蛛、国栖族の身体的特徴である、「身長が短くて手足が長い」→これ、縄文人の身体的特徴とも一致する。というところから来ていると私は思います。国栖族は別名八束脛とも呼ばれますが、これもふくらはぎが八束、きわめて長いというところからきています。
奈良盆地のナガスネヒコは神武天皇に討たれてしまいましたが、吉野は国栖族が服属していたので、奈良時代まで残っていました。信仰していた神は、金峰山金精明神、石棒男根の神でしたので非常に縄文人的な集団だったと謂われます。600年代中盤に役行者の弟子となり、大峰開闢に協力した井角乗は、国栖族の出身です。修験山伏の発祥に国栖族が関わっていたとは驚きでした。
ナガスネヒコは「邑」の名前に由来するとされているので toponym です。私見では、おそらくこのあたりの基層言語は tu > su になっていて上代東国語と繋がります。ヤマト王権は言語が異なるので言葉遊びで再解釈されています。同様の例は、古代朝鮮語らしき「クサナギ」*kusV narki "巫術の剣"やアイヌ語から翻訳したらしき因幡の白兎にも見当たります。
気づきましたが、比較神話学的に、国栖の正体は濊とアイヌ系の混成です。伊勢のサルタヒコは、日光感精型神話、海洋信仰、金精神、「歯の生えた膣」モチーフの4点を含んでいます。前者2つが濊由来、後者2つがアイヌ由来です。これで周辺情報のどれとも矛盾しません。
up主様返信ありがとうございます。
考古学的には、国栖の正体は縄文系弥生人だと思います。
東日本だと、縄文模様をゴテゴテに装飾した弥生土器が多く見つかっております。縄文土器と弥生土器のあいの子みたいな土器です。それが、古墳時代に入ると一気に土師器に駆逐されヤマト王権の支配が及びました。その支配を及ぼす過程をヤマト王権とそれに服属する地方豪族の視点から見たのが、国栖伝承だとおもいます。
また、決定的なのは、八束脛が居たという伝承の残る群馬県水上町の八束脛洞窟遺跡から、縄文系弥生人の再葬用の土器と人骨が発見されたことでしょう。
@@浄門道場 おお、まさに知見が一致しますねえ
諏訪での戦闘で大和が勝ったのに大国主命の息子である建御名方神が諏訪大社の主祭神として祀られてるのは面白い
確かに興味深い。
天下を治らすのは国津神にお譲りしたけれども、特定の土地で厚く信仰されるべきは産土神だぜ!みたいな考え方なのかな。
大神神社(主祭神:大国主神)設立の経緯にしても、お告げを受けた崇神天皇自身にも大国主神の血は入っているのに(大国主神の娘と神武天皇が婚姻)、あえて祭祀に男系子孫の大田田根子を指名しているあたり、男系継承をひときわ重視している節があるよね神々。
日本って、菅原道真を祀るみたいな、敗北者もしっかり弔うじゃない?
磐井の反乱の磐井も。大きい石の墓?みたいなモニュメントあったよね。
怨霊信仰
タケミナカタがタケミカヅチに負けて科野(信濃)からもう出ないっていったから。
出雲系の同盟者の首長(戦死?処刑?)を葬ったのが諏訪大社とみていいのでは?
勉強不足で脱解王と于老は知らなかったです。
この2つかなり重要な話なのにこれまでの邪馬台国論争であまり話題になってるのを見たことがない。
4:41 このくだりは奥吉野の言語島と関係あるのでしょうか。素人目線ですが、奥吉野方言の東京式アクセントと上代東国語が関連ありそうな印象を受けましたので。
五十嵐さんのルーツを知りたくなる
大和の支配域が東日本に拡大していたとして、なぜ決戦の地は諏訪湖?
出雲はわざわざ東から回り込んで近畿に侵入しようとした? 或いは出雲は北陸や新潟等の環日本海的な勢力?
諏訪湖より琵琶湖の方が現実的ですね
でも日本海の海上貿易が盛んで日本海同盟的なものがあったんじゃ無いですかな?
銚子塚古墳等をみても富士川沿いに山梨は比較的早くからヤマト王権(またはその同盟者)の存在が認められます。
甲府盆地から諏訪に攻め込んだと推測できます。逆に地形を考えると天竜川沿いから北上するのは相当困難だったでしょう。
淡路島には前方後円墳がないんですよね。兵庫側には淡路島から見える場所に立派な前方後円墳があるのに。
あと伊勢の存在も謎ですよね。あんな所に神宮つくるからには、大和に支配される前にとても重要な何かがあったはずなのに、伊勢にも前方後円墳はない(三重県内にはたくさんある)。
淡路島は前方後円墳がないのか。じゃあなぜ前方後円墳が作れる豪族がいないのに古から最高位であった伊弉諾神宮があるのだろうか。そう考えると確かに前方後円墳が淡路にないのか本当に不思議ですね。あと伊勢も伊勢神宮という国内の神社で別格とされる神社(神宮)があるのに前方後円墳がないのか。なんでしょうか?国内で偉い神社の付近には古墳がないのでしょうか?不思議ですね~
どうにも5世紀ごろ、比較的遅く一気に伊勢に進出しているようで、確かに言語の情報としてはアクセント分布を見ると、奈良県南部〜三重県南部に"ニギハヤヒ訛り"を放置したまま、伊勢までヤマト勢力が広がっています
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%A8%80%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Japan_pitch_accent_map.png
@@神聖でもローマでも帝国でもない
気づきましたが、比較神話学的に、国栖の正体は濊とアイヌ系の混成です。伊勢のサルタヒコは、日光感精型神話、海洋信仰、金精神、「歯の生えた膣」モチーフの4点を含んでいます。前者2つが濊由来、後者2つがアイヌ由来です。これで周辺情報のどれとも矛盾しません。
個々の歴史事象が事実かどうかはあまり重要ではないと思います。
下記の歴史フレームを採用するべきか否かが論点になるのかなと考えます。
・日本列島、朝鮮半島の両方が倭韓(そしてアイヌ)雑居状態であった
・倭韓はあくまで大枠であり、当時はそれぞれが部族意識の下、混ざり合いながら複数の集団が覇を競っていた
・朝鮮半島、日本列島内部でも集団の移住と衝突は盛んに行われていた
大和朝廷という強力な権力が生まれる前には、きわめて多様な小国たちが大陸すら巻き込んで歴史を紡いできており、むしろそのダイナミックさが大和朝廷を生み出すエネルギーの源泉だと考えるのは理にかなっているように思います。さながら戦国時代があってこその江戸幕府のように。
한국 과 일본의 고대사는 칼로 깨끗히 나눌수 없는 관계 이지요
神話を年号に当てているのあんまり無いから面白かったです。が、証明が大変なんですよね
鳥井龍蔵さんて人が古代モンゴル文化や古代台湾原住民の文化記録をしてるから面白いよ
説得力ある!比較言語学おもろい!
面白いけど、ちと勉強してから見直さないとだめだなと思った
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
うーん ちょっと違うような気がします。ニギハヤヒが銅鐸を使った祭りを司る。その後イワレヒコがというのはわかるのですが、時代的にどうなのでしょう。最近のゲノム研究では縄文時代と弥生時代は緩やかにつながっていて古墳時代以降に大陸と人的交流(混血)が急速に進んだらしい事がうかがわれるそうです。日本語の成立については相当前(例えば5000年前くらい)から徐々に進んで俗に言う半島日本語の時代(2500年くらい前)にも北部九州から広島あたりまでは日流祖語が話されていたような気もします。いずれにしても戦国時代から三国史の時代にかけて大陸での民族言語系統が解明されていない状況では難しい状況だと思いますがいかがでしょうか。ちなみに戦国時代の韓は滅びますが、それが三韓と関係あるのでしょうか。大陸の倭人と日本の倭はどうなのでしょうか。今後も考察を楽しみにしています。
茨城とか岩手にある地名の久慈って国栖と関係あんのかな
ニンギパヤピが東国語話者ということは最初に触れてくれたら分かり易いと思う
これはよく分からなくて、「南」*paye < *payai という琉球語派の言葉が混ざってるので、琉球語派と上代東国諸語がミックスしてたかもしれない
@@minervascientia282 すると、隼人は南の人という意味ですか
もっと詳しく知りたいです。詳細編を期待してます。
奈良の大神神社の興りが国造りに由来しているので、資料を見れば新たな発見があるかと思います。
てっきりうぷ主は倭国九州説派だと思ってました。
狗奴国の人名が明らかに東海地方の上代東国語なので、隣接する邪馬台国は近畿で確定です
@@minervascientia282 一大率はどこになると考えておられますか?
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
飢饉のところで倭国は九州になっていますよ
@@minervascientia282
魏志倭人伝の記述に沿えば、倭種の国々は数多くあり、ヤマト王権は大和にあったが、邪馬台国が近畿にあった可能性はない。
ニンギパヤピは隼人系なのに上代東国語を話すのですか?4:25
今回は百済が空気だけど、中国沿岸部〜渤海〜百済〜日本列島の言語的つながりを持った古代の倭人が日流祖語を伴って饒速日になったと考えると、そもそも百済を外国として扱っていなかったため明確な形で史書に残っていないという可能性もありそう
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
いうて伽耶の倭系移民は別にして扶余系はかなり遠縁になるしツングース系が混ざっていて、動画中で説明省いたけど金官伽耶王の名前は明らかにツングース祖語「金属、金」*sele です。上古中国語で書かれたり、口伝で朝鮮語訛りになった後の語形が中古中国語で書かれたりしていて、従来研究で気づかれてないようですが。
@@minervascientia282
おかしいな? 韓国では親羅がツングース系と言われているけど・・・・ 親羅の有った場所で高句麗やモンゴル由来の遺物が出ているから。
それに韓国の金氏の本貫でもあるからね。
それと今の中国(高句麗の有った場所)に扶余という地名がある。 百済の有った場所にも扶余という地名、百済の王家の姓が扶余
だから百済は扶余系(漢人)百済以前の馬韓は倭人系、この倭人系が日本に移住’(戻った)したとした方が辻褄が合うと思うけどな。
大分の秦姓は秦の国からの移民と言われてるしね。何だか都合の悪いところは無視しているような・・・・
前方後方墳が先に分布したのにも関わらず(庄内式古段階にはすでに前方後方墳は確認されている)前方後円墳が優勢になり前方後方墳がフェードアウトしたという事実がやっかいすぎる。日本神話ってあれヤマト建国の話だよね?崇神天皇について日本書紀が示す見解ってのが日本神話と多くの部分で合致するんだけど。
分布としては、前方後方墳の担い手はいかにも上代東国語の話者っぽく見える。全然よく分からないけど古墳の形が何かのシンボルであるなら比較神話学と繋がってほしい。
@@minervascientia282 「古墳の形が何かを示す」というのに関しては大和政権においての序列を示す上で「大王や土地の王に前方後円墳が用いられそれに準じたものに前方後方墳の造営が認められる」のが考古学の示す見解でしたがとある方(名前忘れました😭)前方後方墳の年代を土器編年から再考をした結果この見解は切られてしまいましたからね、、、やはり尾張瀬戸内海vs日本海(タニハ連合?吉備?瀬戸内海?)の結果このようなものが存在したと考えてもよさそうですね。ただこれだと楯築弥生型墳丘墓が邪魔になってきます。前方後円墳は「ヤマト統一記念だよ!」みたいな感じだったら楽なんですが、、、
私ワクワクしてきましたよ
そういやちょっと前に比較言語学で邪馬台国の場所特定したやつバズってましたな
あれからガツガツ解像度がアップしている(当時は後漢中国語で解読しようとしてたけど間違っていて実際はそれよりちょっと上古中国語に近い)
@@minervascientia282 しゅごい🤤
その動画、探したのですが見つけられませんでした。
教えて頂けませんでしょうか?
@@あや-t2v9v Twitterにあります
面白かったけどこれを史実として信じる人たち出てきそうだな笑
古代中国神話についても考察して欲しいです
諏訪まで行ったのは建御名方神がそこに逃げたからだっけか
本当の歴史をシミュレーションゲームみたいに変遷で見れたらなあ〜
8:50 『倭の五王』って新書の本はおすすめ
これをゲームにしたら絶対売れると思う❗️
@@エダマメ-q9x
説によって、分岐ルートがたくさんあるゲームとか面白そう
アサシンクリードみたいなファンタジー要素込みの古代日本オープンワールドゲーとか面白そう
国栖奏という天皇の即位儀礼に演じられた舞踊がありましたね。
考古学における時代考証をかなぐり捨てて草
日本神話への完璧な考察ですね。本当かどうかはともかくですがやはりこういう話は面白い。これぞ神話や歴史の面白さ。あと諏訪の神話では諏訪の地元の神である洩矢神が建御名方神に服従を命じられて拒否し、今の洩矢神社で陣をとり天竜川を挟んで戦い負けて建御名方神に忠誠を誓い祭政を司ることになったというのがあるらしいですがこれは出雲方面の勢力が諏訪へ侵攻して最後今の洩矢神社に諏訪周辺で一番強い豪族(守矢氏の御先祖様?)が天竜川を挟んで出雲勢力と戦い負けたが地方の統治のために一番強い豪族(守矢氏の御先祖様?)を重役にしたということなのでしょうか。
不覚にも🔥ポイで🤭クスッときました✌️
お疲れ様です。minerva scientia様の大ファンでいつもアイヌ語研究等興味深く見させて頂いております。
しかしこの動画に関しては2つ疑問点がありました。
1つは、動画内で面土国が出雲方面の国として描かれておりますがその根拠は何なのでしょうか、ということ
1つは、諏訪湖において大和勢力と出雲勢力の決戦が行われたとされていますが、さすがにそれは地勢的地理的に無理がありすぎるのではないでしょうか、ということです。諏訪は山奥の狭い土地であり、西から来た軍勢が決戦の場に選べるような所ではないです。
3週間前の動画で恐縮ですがもしこれを見ておられたら返答頂けると幸いです。
比較言語学の観点から記紀を読み解くということですが、記紀の素性を正しく把握していないと考古学の成果と矛盾してしまいます。日本書紀は天武天皇が編纂を命じましたが、崩御して30年以上経って完成しています。当時の権力者だった藤原不比等が、藤原氏が権力を握り続けるために、不都合な日本建国の史実を神話で隠し、デタラメな話で歴史を改ざんしていることが、考古学や民俗学などから判明しました。
例えば、魏志倭人伝に登場する地名や人名などは、漢字を読み書きできない倭人の発音を聞いて魏の役人が韻書の冒頭の字を当てたというのが通説になっていましたが、最近北部九州などで出土していた砥石と思われたものが硯石であったり、博多の弥生後期の遺跡から木製の組机が出土していましたから、倭人は文字を使っていたことが分かります。そして糸島市の三雲遺跡番上地区では楽浪土器が集中的に出土しています。伊都国に華僑や外交使節団がやって来ていたと考えられています。つまり、倭人の中で彼らと交流し漢字を読み書きできた人がいたと考えられます。そのひとつの証拠が伊都国というとても深い意味のある地名が残されていることです。その他にも証拠が出てきました。
そして神話で高天原とされたのは、金印をもらった奴国王が支配していた倭国のことだったことも分かり、日本書紀の編纂者もこの史実を知っていた証拠まで出てきました。
ということで、史実に基づいて科学的な手法で推論し検証して、日本建国以前の東アジアの状況から三世紀の建国の過程まで解明しました。よろしければ拙ブログ、たとえば最近の記事「伊都国の意味がヒントだった?」などをご参照ください。できれば比較言語学の観点からご意見を頂けると幸いです。お邪魔しました(*^▽^*)
私も地名由来が濃厚かと思いますが、母方の出身地由来という可能性もありますので、卑弥呼が火國出身や火國在住とまで断定出来るかは何とも言えないかと思います。考古と照らし合わせると菊池地域は熊本平野と同じ免田式土器圏ですので、狗奴国のクコチヒクも菊池彦とも解釈できます。
ただ菊池川下流やその北部の火國に邪馬台国があったのなら、火國でもかなり納得出来るかと思います。
@ジャパン・ファースト さん 気づかずに、返事が遅れてすいません(^^;)
とてもいいご指摘です。有力視されている邪馬台国北部九州説の方は、狗奴国が菊池の地名から熊本とされています。ですから火國に邪馬台国があったとすると、さらにその南に狗奴国があるということになり、とても邪馬台国に対抗できる勢力ではなさそうです。そこで、倭国大乱の痕跡を、弥生後期後半(2世紀末ごろ)の鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べて見つけましたので、卑弥呼が登場するまでの主な戦場は北部九州だと分かりました。鹿児島や宮崎などの南九州には戦闘の痕跡は見あたりませんでしたから、邪馬台国は熊本ではなく、狗奴国も別の場所にあったと分かります(「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」参照)。後で述べますが、狗奴国の官として王よりも先に登場する狗古智卑狗の正体も分かりました。これにより倭国大乱の実態がかなり判明しました。説明が長くなったのでブログ記事にします。よろしければお越しいただき、疑問点などコメントいただけると幸いです(#^.^#)
神武東征が終わった後隼人が支配下に無いのが不思議に思いました。
ここのチャンネルの過去の言語学系の動画を集中的に見たいのだけれど、AI系の動画に交じって探しづらい。皆さんはどうやっているのですか?
チャンネルに行って「動画」を選択した後「人気順」にすると、ある程度はソート出来ます。
@@あや-t2v9v さん
ありがとうございます!
人気の動画って、言語学系ばかリじゃないですか。😊
神話はちゃんと歴史なんだな
いや、神話です
これはあくまで、神話をベースに解釈した歴史だからな
@@og4429 学会の回し者かな
あらかじめ存在した神話類型(物語のテンプレ)の合間にむりやり史実を詰め込んでるんだけど、少なくとも三韓征伐は美化して盛ってて朝鮮側の記録と噛み合ってない
都合の良い歴史は盛るし悪い歴史は改変する、これ神話の常識
ヤマタノオロチ退治の話は日本書紀の異伝と比較するとオロチ退治とスサノオの系譜はプロットが別のような気がするんだけどなぁ。
まぁ主も分かってると思うけど、神話=史実とは限らんからね
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
正確には、
神話≒史実
@@GeorgeIter418
それは全く正しくないよw
神話ってのは長い年月をかけて自然淘汰されてきた物語なのであって、史実とニアリイコールになるわけがないw
@@らすく-l4u 仕方がないよ、文学や歴史学の基礎的な考え方なんて大学とかじゃないと学べないし、ネットに跋扈する愛国心に裏付けられた皇国史観のなり損ないを信じてしまう気持ちは分かる。
自分は、史実は2、3割であとの残りが神話ってイメージだ
そう考えると、鹿島の鹿が奈良に移住したのも、ただの伝説ではなくて、何か歴史的意味のあることなのかも知れんなあ
そうそうこの前ニュースで奈良市内の鹿と郊外の鹿のDNA調べたら一致していないと言っていた。ついでに鹿島神宮あたりの鹿も調べてほしい、これで一致したら面白いのに。
昔から気になっているのですが、九州っていつごろから「九州」と呼ばれているんでしょうかね?
筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅の9ヶ国
ニニンギってなんかキエンギみたいだな(ギルガメシュ並感
この時代、東北にはアイヌとか縄文系がまだ残ってて普通に生活してるから日本は本当はかなり多民族国家だったんだな。
アイヌ文化が成立したのは13世紀な。
ちなみに奥州藤原氏が滅亡したのが12世紀。
@@Bloomerschwater お呼びじゃないよ
アイヌが入ってくるのってもっと後じゃなかった?
@@jasminetiger5287 まあアイヌの他にオホーツク文化人ってのも居たよ。
アイヌはコーカソイドでオホーツク文化人とかいう北方アジアの血が入ったから
顔がアジア系になったんじゃないかな。
アイヌ人はいたとして今のアイヌ文化は北方民族との交易で今の形に変わっていったんじゃ無いかな?
宮内庁さん! 古墳の発掘調査させてください! あとできれば三種の神器の科学分析もさせてください! 状態だな
いい加減掘れよって思う😅
大半の古墳は盗掘にあっていますので、被葬者の特定はかなり困難ですよ。
わかることは築造年代や身分の上下、運用良く遺骨があったとしても性別、年齢程度。
記紀には天皇や皇族の埋葬地が記述されていますので、よほど運の良い発見がない限り、定説は覆ることはないかと思いますよ。
天皇陛下は陵墓の調査には前向きですし、今後の修繕の際に調査されていきますよ。むしろ予算と皇族の墓を荒らす行為が不敬と思ってしまうことが問題かと
天孫族が渡来人で原住民を従えたっていう主張はあまりに安直すぎるな。
実際には列島にも半島にも雑多に韓族やら倭族やら縄文系やらが居ったわけで複雑怪奇
ヤマトとイズモは、諏訪湖で戦争したのですか!
倭国大乱は北方民族が寒冷化で南下してきて、ゲルマン人の大移動みたいに球付き事故になり争いになったと聞いた事がある。1000人以上が新羅にいったのも寒冷化で食べ物がなくなり移動したらしい。
寒冷化でより寒い北に移民するのは矛盾するかと思うのですが…
ニンギパヤピの子孫積極的に主張していきたい
九州に来ると北関東のアクセントに似たものを感じてとても他人とは思えなかった。隼人・ニギハヤヒ系統でやっぱり他人じゃないのかしら。
鎌倉時代に関東の武士が守護、地頭に任命されて九州地方の戦国大名に
なりました。その影響かも
鹿児島の島津家も元は関東の武士。
@user-uf3bb2dk4kそれは初耳でした。清正公の子孫は山形県にいますけど。
言語学からの視点は興味深かったです。
ただ、同じように言語学の観点から、中国語を主として読むと、魏志倭人伝の記述に矛盾はなく、邪馬台国は九州としか考えられないとする人もあります。
九州の西側に邪馬台国を配置し、邪馬台国と大和は別の勢力とみて、のちに大和がヤマタイを滅ぼし、倭国の正当な政権を名乗って魏との国交を継いだとみるストーリーもありえるように思うのですがどうでしょうか。
その意見に同意。今回の話はほとんど荒唐無稽だと思う。
九州北部の邪馬台が分裂して大和に移住した後、力関係が逆転して大和が邪馬台を吸収と妄想
非常に面白い。こう見ると当時の海上交易ルートの解明がますます重要になりそう
ところで古代南部中華大陸、今の広東省辺りの古代文明が出雲の銅鐸の原型のような銅鐸を作っていたわけですが、その辺りからも人々が流れてきたと考えてよろしいのですか?
minervaさんご本人の声のほうが説得力を感じて好きだったんですが……戻される気は無いですか?w
島根vs奈良 @長野はおもろい
6:06 狗奴・久努、これが静岡市の久能山(くのうざん)の語源かぁ!
江田船山古墳と稲荷山古墳逆じゃないですか?
この動画…なんか分からんけどヤバいんちゃう…?
新羅の存在が早過ぎませんか?
今回は百済より新羅との交流か
面白いね~
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
正直、言語学(と精神医学?)以外の分野ではすきえんてぃあ余り信用してない
専門分野以外信用ならないのは大学の先生みたいなものね
アマテラスは実は男神と言う説があるのよね。
男の娘だったか
@@HageZura それ言う奴絶対居ると思ったわ...
@@HageZura 神聖冒涜
そもそも男女の区別はないんじゃないだろうか
例えとして微妙だけど、伝説のポケモン的な感じ?
最後に出来た国はヤマトじゃないのかな
ほぼ触れられずにひっそりと隼人がいるの草
なんか、邪馬台国は宮崎県にあったのではという説を見たのですが、どうなんですかね?
神話で有名ですけど、歴史で見るとそんなに重要じゃないんですかね?
魏志倭人伝と考古を照らし合わせると、かなり矛盾が発生しますよ。
3世紀の日向には鉄交易もなく、紀元前からずっと入墨文化もありませんので、相当トンチを働かせないと矛盾を解消できないかと思いますよ。
なんかパリピみたいな言葉がいっぱいあったね
言語学の知見の裏付けがある主の私見は、真実に近いと思います。
神宮とは明らかに異質な諏訪大明神が東国の長野にあり、また福岡にも諏訪神社があることの関連性は無視出来ませんが、主の私見はそれを見事に説明しています。
いつの時代も日韓関係悪いの草
中国文献を読むと倭人も韓人も半島の市場では鉄を使って取引するとありますし、百済や伽耶は倭国と同盟関係でもありましたのでかつては仲良くやってた思いますよ
面白くはありますが、いつもとは違い
既知の神話や考古学的発掘との乖離が激しすぎて、
???の回。
MINWRVAさんの博識は感歎能わざるところですが、
例えば、神功皇后の件りとか、整理していただけると有難い。
実在の人物というより、北部九州や山陰西部の勢力と関係の強い
象徴的女性像なのは間違いないし、
大和王権との関わりの在り方も、単純ではないのかと・・・
邪馬台国が九州の沖合にあるのは回避してほしいw
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
隋書の冒頭あたりを見てもらえば分かりますがあの部分は古書からの引用で、まだ倭人が大陸にいた時代の話が混ざっています。
www.eonet.ne.jp/~temb/16/zuisyo/zuisyo_wa.htm
神話の部分は厳然たるおとぎ話なので、無理に合理化する必要もないと思いますね。よく「神話は事実の反映だ」と主張する人がいますが、そこにこだわり過ぎても過ぎたるは猶及ばざるが如しなのではないか。日本書紀はかなり政治的な産物で、完成までに40年もかかってます。むしろ7世紀の政治状況の反映と考えた方が話は早いのでは?
ニギハヤヒは草
コハクヌシかな?
タラシヒコもそこなん?
邪马台的中文读音和日文「大和」很像🤔
史実の中で神話をどのように扱うか、改めて考え直してみようと思いました。育鵬社、お前この動画見ろ。
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ
@@nipp3410 お、文盲ゥー!
さすがに今回はムチャクチャ言うなあ…と思った
ここまで史実にしなくても典型的な話型モチーフの一つでどれも片付けられそう
まぁ言語学と神話とを基にした私見ですからね。
あくまで個人の意見だと割り切ってみるのがいいでしょう。
それでも面白いけど
私見だからな。そりゃそう
大和と出雲の戦いがお互いの地ではなく遠くの諏訪で行われるって諏訪にとってはいい迷惑にしか見えない
歴史上は正しいんだろうけど
山陽と山陰に拡大して長野で戦争になったんですかね?
おもしろい
大陸の弥生人集団と先住民縄文人集団の間に戦争があって縄文人完全負けたから、今の顔は東南アジアの顔ではない原因を判明できた、ハプログループO (Y染色体)の民族移動を見ればわかる。神武東征も一例なのだ、古事記による毛人は縄文人ってことだろ、日本古事記はなぜ中国語なのかもうわかるでしょ