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四国自動車博物館にワークスデルタS4が展示されてますね。ボンネットにはトイボネンとクレストのステッカーが貼ってあります。とんでもないオーラを放ってますよ。隣は037ラリーのワークス、そして、Gr4ストラトスも。131ラリーも有りますよ。マジで凄いです。ラリー好きにはたまりませんね。
ターマック用の軽量版で940kg、グラベル用で980kgと言われてますよね、037と違いロールゲージは一応スチールらしいです。
今から25年ほど前の話になりますが、友人がこの車を輸入して乗っていました。横に乗せてもらいましたがフル加速されると景色が溶けていくような気持ち悪い感覚に襲われ例えて言うなら戦闘機のカタパルト発射みたいな感じでした。それと燃料タンクがアルミ製と表現されていますが、実際は違います。ガソリンタンクは黒い耐油性のゴムでできをておりその上にカーボンとアルミのハニカムの素材がシートとの間にあったのこの目で見ました。乗せてもらった車は現在四国自動車博物館に展示されており、機会があれば見にいかれることをおすすめします。
ランチア(アバルト)のラリーにかける情熱は凄まじかったのが良く分かる。そこに差し迫って行ったトヨタ&セリカも凄いけど。
01:19 確かに1986年はデルタS4が主力マシンでしたが、85年サンレモでラリー037は引退した訳ではありません。1986サファリラリーに関してはランチャ・ワークスも信頼性が高いラリー037を3台投入。エースのアレン・当時新人のビアシオン・そして地元のプレストンJrに託しました。結果はアレンが3位。最終ステージはスペアタイヤも降ろし、捨て身の猛追撃でトヨタ・セリカの1-2-3フィニッシュを阻止。ランチャとアレンは執念を見せました。
ご指摘、そして詳しい補足頂き、本当にありがとうございます!
デルタS4。ワークスS4には「パワーステアリングが装着されていた」と言うのは知られていない事実です。もう一つ、ワークスS4は所謂スペシャルガソリン使用が前提なので、ハイオクだとノッキングを起こしてまともに走れません。各種添加剤を入れてやらないとだめです。そして、ワークスS4の一番恐ろしい部分は「停止状態から発進するといつまでも加速が終わらない恐怖」を味わいます。知人がマルク・アレン車を所有していた時に横に乗せてもらって体験し、話を聞けました。あんなのでラリーを走ってたのは正気の沙汰じゃないと思いますね(´∀`*)ウフフそりゃ名手アレンが最後までコントロールしきれなかった訳ですよ。でも、ランチアに限らず一番嫌いな車。トイヴォネンとクレストは忘れる事は出来ない。
マルク・アレン車に同乗って、、、めちゃくちゃ貴重な体験じゃないですか羨ましいです((+_+))
S4のパワステはフロントデフから動力を取っており、ブレーキングでフロントタイヤがロックすると パワステが効かなくなるというトンデモ仕様だったそうです。
トリフラックスは、側面での吸気と排気の温度差でヘッドが歪むのを防ぐ為、真上から吸気して左右から排気するシステムだと記事に書いてありました。ビスカスはレスポンスの遅さとオーバーヒートするのが欠点みたいですね。
ランチアデルタS4大好きな車輌だからとても嬉しいです!
変わったエンジン音だから赤猫って呼ばれてるんらしいですよね。デルタs4って数年前どこかの国のオークションで日本円にして9000万円で落札されたらしいって雑誌で読みました。凄いよですね~
ツインチャージャーゆえの独特の猫の鳴き声みたいなところから来ているらしいですね♪しかし、伝説のマシンとは言え9000万円するのは…買える人本当に凄いですね
ランチア・デルタS4はとんでもないじゃじゃ馬でトイヴォネンしか乗りこなせなかった化け物
うぽつです‼️待ってましたよ☺️👍前回に引き続きラリーのランチア特集とても嬉しいです。アレンに成りきってラリーの真似事をしていて新車買って7カ月で横転炎上した16Vが夢に出てきそうです😂
それは…中々に過激なエピソードをお持ちですね😅
ヘンリ・トイボネンの同僚としてデルタS4を駆り、88年、89年のWRCチャンピオンを獲得することになるミキ・ビアシオンは「グループAやランチアラリー037では道幅をフルに活用できたが、S4ではコースの中央をキープするしかなかった。どこに行くか決めるのは『彼女』だった。操る喜びというものは一切なかった。その代わりに限界まで加速する強烈な喜びがあった。狂った馬を抑えつけ、支配する喜びは何物にも代えがたかった。ただし、シート下の燃料タンク、タービン横の燃料ポンプ…、エンジニアリング的には間違ったコンセプトだった。あの頃の車がクルーの能力を超えていることは誰もが知っていた。」とコメントしていました。
デルタs4はグループB時代の最強の怪物だったけど86年のツール・ド・コルスの事故によって無冠の帝王になってしまった。
不幸なことに良く燃えてしまった原因には、ホイールがマグネシウムであったというのもありました。
いまでこそ難燃性のマグネシウムパーツがあるけど当時のは普通に燃えちゃうんだよねマグネシウムホイールを燃やしながらGr.B カーが走る映像もあったはず
ランチャワークスの象徴であるマルティーニ・カラーは秀逸
デルタS4、待っていました。ツインチャージャー搭載の一方で、電子制御装備が不十分だったのが悔やまれます。ヘンリ・トイヴォネンもアイルトン・セナ・ダ・シルヴァもハイテク未搭載の車両での事故だったので、安全性の関係で、再認識させられました。余談だが現在の大型🏍は、大半にトラクションコントロールが標準装備されています。
その当時の雑誌プレイドライブに「トイボネンお前もか」と書いてあった。
安全性度外視だった、ランチアデルタS4らのGr.Bマシンですが、アウディスポーツクワトロS1はどうだったのだろうか?
ホモロゲモデルを運転したことがありますがコクピットとエンジンの間仕切りがペラペラの透明の板のみ、うるさいの一言wスーパーチャージャーのプーリーの甲高い金属音にブローオフバルブの音で会話もできませんでしたw
これのホモロゲモデルの運転とかめちゃくちゃ素敵な体験ですね♪( ´▽`)羨ましい😭
うるさくてわるかたね
出た!ツインチャージャーw、890Kgで600psとか怖すぎ・・・次はFORD RS200 Cosworth 取り上げて下さいな♡
リクエストありがとうございます!RS200もそのうち、取り上げる予定です!
037が一番美しい。2ボックス化が進んだのは仕方ないがそれしかなくなっていったのは見た目もつまらなくなった。フルタイム4駆ミッドシップツインカムツインタ-ボこの時出来た全てを実現していたBカ-は時代そのもの。
今でこそ、安全性能も充実していき平均時速もグループBのそれを超えるようになってきましたが、それでも、やっぱりグループBの常識に囚われないマシン達は輝いて見えますよね~
@@YOS_cars クワトロの前ならFF、FR、MR、RRと様々な機構と2~3ボックスという車体がぶつかりあって得意不得意な場面が面白かった。クワトロが全てを変えたとは言えなけいど自身も車体を短くしても結局2ボックスに勝てなくなったという皮肉めいた感じがとても好き。
ラリーゲームのdirt rally 2.0で乗れる車種で450hpとなってますが、プジョー同様あたおか加速をしますよ。
dirt rally 2.0でグループBカー使ったことありますけど、ムリゲーすぎました( ;∀;)
@@YOS_cars こういう動画を見ちゃうと久々に乗ってみたくなって走ってみました。ぶつけるなという方が無理ですね。^^あたおかな加速動画(垂れ流し)はこちら。ua-cam.com/video/PytHggDOf8k/v-deo.html
8:08 この悲劇と事故の前にも、ポルトガルラリーでフォードRS200がカーブを曲がりきれずに、ギャラリーの方に突っ込んで死傷者を出すという事故が起きている。そしてこの動画で語られている事故が決定的になってしまい、殆どのワークスが撤退に追い込まれてしまった
もしも第三京浜でアクセル踏めるなら、ラリー037、デルタS4、288GTO、KOENIGテスタロッサ
ランチアといえば、HFフライングエレファントが印象的でした。
次はシトロエンbxかダイハツ シャレードのグループbで全5回くらいがみたいなあ
やはり求められているものはグループBか…笑リクエストありがとうございます!全5回は厳しいですが😅
S4の4WDシステムはメカニカル+VCU。このVCU(ビスカスカップリング)の性能が悪く、複数の粘度のユニットを用意して、コース状況によって交換が普通だったらしい。これが曲者でターマックでは勝手にロックし(トイボネンの事故の原因の一つ?との噂あり。でもコルスの時点ではVCUは未使用の筈?)、グラベルではズルズルゆっくり滑っていくトンデモナイ代物(日産の車は昔はVCUばっかり。入力によっては変な動きをしていた。勿論、NISMOの機械式に変えた。)。人間の体力、精神力を超えた異常な車だけど名車(迷車?)です。
我々にできることはステアリングを切り、アクセルを踏むことだけだった。どこへ行くかは彼女が決める。
トイボネンの事故に関してはインフルエンザに罹患していたという話もあります。高熱で意識がもうろうとしていた為に反応が遅れたのでは?と言われています。
ランチアのワークスラリーカー史上、『(実戦で使われた中では)最も過激』かつ、唯一『無冠』で終わった車。シーズン終盤の『例の一件』は、S4にとっても、アレンにとっても残念な結果だったなぁー。
ランチャの終焉と共にイタリアのラリーカーも終了してしまったのは残念。安全で手軽にと定めたグループAが欧州車全体の首を絞めることになるとは、この時はFIAも欧州の自動車メーカーも想像もつかなかったんだろうな。しかし、結局のところWRカー規定のせいでグループBのローパワー版になったのだから、なんとかランチャには帰ってきて欲しかった。
レギュレーション違反とか反則とかではなく、ただ速過ぎてヤバいという理由で一つの時代を終わらせた狂気の車🎵(誉め言葉)ランチアの歴代ラリー車を特集した雑誌で、イタリア人メカニックが「エスフォー、なんてダサい名前で呼んでくれるなよ。コイツはエッセ・クワットロて言うんだぜ🎵」と言ってた(記事になってた)のが忘れられない(´∀`*)
『エッセ・クワットロ』はおしゃれですねぇ~自分も次からはそう呼びたいと思います(^^♪
四国自動車博物館にワークスデルタS4が展示されてますね。ボンネットにはトイボネンとクレストのステッカーが貼ってあります。とんでもないオーラを放ってますよ。隣は037ラリーのワークス、そして、Gr4ストラトスも。131ラリーも有りますよ。マジで凄いです。ラリー好きにはたまりませんね。
ターマック用の軽量版で940kg、グラベル用で980kgと言われてますよね、037と違いロールゲージは一応スチールらしいです。
今から25年ほど前の話になりますが、友人がこの車を輸入して乗っていました。横に乗せてもらいましたがフル加速されると景色が溶けていくような気持ち悪い感覚に襲われ例えて言うなら戦闘機のカタパルト発射みたいな感じでした。それと燃料タンクがアルミ製と表現されていますが、実際は違います。ガソリンタンクは黒い耐油性のゴムでできをておりその上にカーボンとアルミのハニカムの素材がシートとの間にあったのこの目で見ました。乗せてもらった車は現在四国自動車博物館に展示されており、機会があれば見にいかれることをおすすめします。
ランチア(アバルト)のラリーにかける情熱は凄まじかったのが良く分かる。そこに差し迫って行ったトヨタ&セリカも凄いけど。
01:19 確かに1986年はデルタS4が主力マシンでしたが、85年サンレモでラリー037は引退した訳ではありません。
1986サファリラリーに関してはランチャ・ワークスも信頼性が高いラリー037を3台投入。
エースのアレン・当時新人のビアシオン・そして地元のプレストンJrに託しました。結果はアレンが3位。
最終ステージはスペアタイヤも降ろし、捨て身の猛追撃でトヨタ・セリカの1-2-3フィニッシュを阻止。
ランチャとアレンは執念を見せました。
ご指摘、そして詳しい補足頂き、本当にありがとうございます!
デルタS4。ワークスS4には「パワーステアリングが装着されていた」と言うのは知られていない事実です。
もう一つ、ワークスS4は所謂スペシャルガソリン使用が前提なので、ハイオクだとノッキングを起こしてまともに走れません。各種添加剤を入れてやらないとだめです。
そして、ワークスS4の一番恐ろしい部分は「停止状態から発進するといつまでも加速が終わらない恐怖」を味わいます。
知人がマルク・アレン車を所有していた時に横に乗せてもらって体験し、話を聞けました。あんなのでラリーを走ってたのは正気の沙汰じゃないと思いますね(´∀`*)ウフフ
そりゃ名手アレンが最後までコントロールしきれなかった訳ですよ。
でも、ランチアに限らず一番嫌いな車。トイヴォネンとクレストは忘れる事は出来ない。
マルク・アレン車に同乗って、、、めちゃくちゃ貴重な体験じゃないですか
羨ましいです((+_+))
S4のパワステはフロントデフから動力を取っており、
ブレーキングでフロントタイヤがロックすると パワステが効かなくなるというトンデモ仕様だったそうです。
トリフラックスは、側面での吸気と排気の温度差でヘッドが歪むのを防ぐ為、真上から吸気して左右から排気するシステムだと記事に書いてありました。
ビスカスはレスポンスの遅さとオーバーヒートするのが欠点みたいですね。
ランチアデルタS4大好きな車輌だからとても嬉しいです!
変わったエンジン音だから赤猫って呼ばれてるんらしいですよね。デルタs4って数年前どこかの国のオークションで日本円にして9000万円で落札されたらしいって雑誌で読みました。
凄いよですね~
ツインチャージャーゆえの独特の猫の鳴き声みたいなところから来ているらしいですね♪
しかし、伝説のマシンとは言え9000万円するのは…買える人本当に凄いですね
ランチア・デルタS4はとんでもないじゃじゃ馬で
トイヴォネンしか乗りこなせなかった
化け物
うぽつです‼️
待ってましたよ☺️👍
前回に引き続きラリーのランチア特集とても嬉しいです。
アレンに成りきってラリーの真似事をしていて新車買って7カ月で横転炎上した16Vが夢に出てきそうです😂
それは…中々に過激なエピソードをお持ちですね😅
ヘンリ・トイボネンの同僚としてデルタS4を駆り、
88年、89年のWRCチャンピオンを獲得することになるミキ・ビアシオンは
「グループAやランチアラリー037では道幅をフルに活用できたが、
S4ではコースの中央をキープするしかなかった。どこに行くか決めるのは『彼女』だった。
操る喜びというものは一切なかった。その代わりに限界まで加速する強烈な喜びがあった。
狂った馬を抑えつけ、支配する喜びは何物にも代えがたかった。
ただし、シート下の燃料タンク、タービン横の燃料ポンプ…、
エンジニアリング的には間違ったコンセプトだった。
あの頃の車がクルーの能力を超えていることは誰もが知っていた。」とコメントしていました。
デルタs4はグループB時代の最強の怪物だったけど86年のツール・ド・コルスの事故によって無冠の帝王になってしまった。
不幸なことに良く燃えてしまった原因には、ホイールがマグネシウムであったというのもありました。
いまでこそ難燃性のマグネシウムパーツがあるけど
当時のは普通に燃えちゃうんだよね
マグネシウムホイールを燃やしながらGr.B カーが走る映像もあったはず
ランチャワークスの象徴であるマルティーニ・カラーは秀逸
デルタS4、待っていました。ツインチャージャー搭載の一方で、電子制御装備が不十分だったのが悔やまれます。
ヘンリ・トイヴォネンもアイルトン・セナ・ダ・シルヴァもハイテク未搭載の車両での事故だったので、
安全性の関係で、再認識させられました。
余談だが現在の大型🏍は、大半にトラクションコントロールが標準装備されています。
その当時の雑誌プレイドライブに「トイボネンお前もか」と書いてあった。
安全性度外視だった、ランチアデルタS4らのGr.Bマシンですが、
アウディスポーツクワトロS1はどうだったのだろうか?
ホモロゲモデルを運転したことがありますがコクピットとエンジンの間仕切りがペラペラの透明の板のみ、うるさいの一言w
スーパーチャージャーのプーリーの甲高い金属音にブローオフバルブの音で会話もできませんでしたw
これのホモロゲモデルの運転とかめちゃくちゃ素敵な体験ですね♪( ´▽`)
羨ましい😭
うるさくてわるかたね
出た!ツインチャージャーw、890Kgで600psとか怖すぎ・・・次はFORD RS200 Cosworth 取り上げて下さいな♡
リクエストありがとうございます!
RS200もそのうち、取り上げる予定です!
037が一番美しい。2ボックス化が進んだのは仕方ないがそれしかなくなっていったのは見た目もつまらなくなった。フルタイム4駆ミッドシップツインカムツインタ-ボこの時出来た全てを実現していたBカ-は時代そのもの。
今でこそ、安全性能も充実していき平均時速もグループBのそれを超えるようになってきましたが、
それでも、やっぱりグループBの常識に囚われないマシン達は輝いて見えますよね~
@@YOS_cars クワトロの前ならFF、FR、MR、RRと様々な機構と2~3ボックスという車体がぶつかりあって得意不得意な場面が面白かった。クワトロが全てを変えたとは言えなけいど自身も車体を短くしても結局2ボックスに勝てなくなったという皮肉めいた感じがとても好き。
ラリーゲームのdirt rally 2.0で乗れる車種で450hpとなってますが、プジョー同様あたおか加速をしますよ。
dirt rally 2.0でグループBカー使ったことありますけど、ムリゲーすぎました( ;∀;)
@@YOS_cars こういう動画を見ちゃうと久々に乗ってみたくなって走ってみました。
ぶつけるなという方が無理ですね。^^
あたおかな加速動画(垂れ流し)はこちら。ua-cam.com/video/PytHggDOf8k/v-deo.html
8:08 この悲劇と事故の前にも、ポルトガルラリーでフォードRS200がカーブを曲がりきれずに、ギャラリーの方に突っ込んで死傷者を出すという事故が起きている。
そしてこの動画で語られている事故が決定的になってしまい、殆どのワークスが撤退に追い込まれてしまった
もしも第三京浜でアクセル踏めるなら、ラリー037、デルタS4、288GTO、KOENIGテスタロッサ
ランチアといえば、HFフライングエレファントが印象的でした。
次はシトロエンbxかダイハツ シャレードのグループbで全5回くらいがみたいなあ
やはり求められているものはグループBか…笑
リクエストありがとうございます!
全5回は厳しいですが😅
S4の4WDシステムはメカニカル+VCU。このVCU(ビスカスカップリング)の性能が悪く、複数の粘度のユニットを用意して、コース状況によって交換が普通だったらしい。これが曲者でターマックでは勝手にロックし(トイボネンの事故の原因の一つ?との噂あり。でもコルスの時点ではVCUは未使用の筈?)、グラベルではズルズルゆっくり滑っていくトンデモナイ代物(日産の車は昔はVCUばっかり。入力によっては変な動きをしていた。勿論、NISMOの機械式に変えた。)。人間の体力、精神力を超えた異常な車だけど名車(迷車?)です。
我々にできることはステアリングを切り、
アクセルを踏むことだけだった。
どこへ行くかは彼女が決める。
トイボネンの事故に関してはインフルエンザに罹患していたという話もあります。
高熱で意識がもうろうとしていた為に反応が遅れたのでは?と言われています。
ランチアのワークスラリーカー史上、『(実戦で使われた中では)最も過激』かつ、唯一『無冠』で終わった車。
シーズン終盤の『例の一件』は、S4にとっても、アレンにとっても残念な結果だったなぁー。
ランチャの終焉と共にイタリアのラリーカーも終了してしまったのは残念。安全で手軽にと定めたグループAが欧州車全体の首を絞めることになるとは、この時はFIAも欧州の自動車メーカーも想像もつかなかったんだろうな。
しかし、結局のところWRカー規定のせいでグループBのローパワー版になったのだから、なんとかランチャには帰ってきて欲しかった。
レギュレーション違反とか反則とかではなく、ただ速過ぎてヤバいという理由で一つの時代を終わらせた狂気の車🎵(誉め言葉)
ランチアの歴代ラリー車を特集した雑誌で、イタリア人メカニックが
「エスフォー、なんてダサい名前で呼んでくれるなよ。コイツはエッセ・クワットロて言うんだぜ🎵」
と言ってた(記事になってた)のが忘れられない
(´∀`*)
『エッセ・クワットロ』はおしゃれですねぇ~
自分も次からはそう呼びたいと思います(^^♪