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5分後に客車列車の急行ニセコ、30分後に気動車のすずらんが続くのですね。上野発23:00と23:05の二本のゆうづるから来る筋ですね。食堂車もしっかりある。函館から洞爺まで無停車。懐かしい。
ゆうづるの他にも日本海、十和田、津軽なども受けていました。鉄道好きには楽しい時代でしたね。
5分後に客車列車の急行ニセコ、30分後に気動車のすずらんが続くのですね。懐かしい。
今回も聴かせていただいて感慨深いものがあります。当時の特急の停車駅の少なさ。函館から洞爺までノンストップでまさに特急。いまの急行のような特急とは格が違う。千歳も止まらず、飛行機など相手にしない国鉄の力を感じます。そして車内放送の格調の高さ。私は当時急行しか乗りませんでしたから、比較して落ち着いた抑揚と流れるような語り口など違いを感じます。当時の国鉄の底力を感じ、今の自動放送化され画一的な案内で合理化された姿からは隔世の感があります。
深夜の臨時北斗51号は、東室蘭運転停車(運転士交代)で札幌までノンストップが存在してました。特急券は連絡船の中のみで発売、もちろん手書きでね。
それにしても「北斗」の停車駅も増えたものですね。急行を廃止にして、特急を停車させるのは全国的な傾向としても、函館を出て、五稜郭、新函館北斗・・・と。「北斗」の愛称はそのままに、姿を変えながらも長年にわたって走り続けていますが、新幹線開業後はいよいよ転機を迎えますね。
北斗2号は上野発のゆうづる6号7号を受ける本州連絡列車なので停車駅が少なく、その任が無い北斗1号3号は道内需要に応えるため停車駅が多いのだろうと推察します。
おはようございます。本日も貴重な記録をありがとうございました。いやー、驚きました。何が驚いたって、この車掌さん、市販の音源「国鉄ふるさとの駅」にも札幌到着の「おおぞら2号」で登場されていますね。思わぬところで再会することになりました(笑)やはり「特急組」は「選ばれし者」だということの証を見たような気がします。そして、10両食堂車つき、洞爺まで通過、急行がすぐ後追いするダイヤなどなど、やはりこの時代の「特別急行」の特別感は凄いですねぇ…
「国鉄ふるさとの駅」そういうものが市販されているとは知りませんでした。情報を有難うございます。早速検索したところネット販売でも扱っているようですね。でもちゃんとした音源を聞いたら、きっと自分のヘタな録音など恥ずかしくて公開できなくなってしまうことと思いますので購入は見送りました。航空機に乗客が移り始めた頃でしたが、まだまだ鉄道に乗る人も多く、特急と急行がしっかり役割分担できていた時代でしたね。北斗と同じ経路を走っていた急行「すずらん」もとうの昔になくなってしまいました。特急「北斗」も時を経て姿を変えていますが、新幹線開業まで元気に走り続けてほしいと思います。
@@急行-宗谷 いえいえそんなことございません。あちらは主に駅放送のコレクションで急行宗谷さまの「列車をたどる音風景」とは趣が異なりますし、いつも若き主さまの旅路に同行させていただいている気持ちで拝聴しております。ありがとうございます。
当時ならではの道内時刻表と、車掌さんのかなり重厚なアナウンス… 今では北に行ったとしても感じられない昭和の北斗を楽しめます動画、ありがとうございます。
昭和も遠くなってしまいました。鉄道が元気で味わいがありましたが、昔に比べれば格段に良くなった座席、紫煙がない車内、快適な現代の旅もこれまた楽しいです。
いつもながらの懐かしさを感じる音声、ありがとうございます。最近、また少しずつNゲージを集め始めており、キハ82はかつての長大編成が組めるようにと奮発して、6両セットを2セット購入しました。実車になかなか乗れなかった分、せめて模型で鉄道が元気だった頃を再現できればと思っています。また来年も、味のある車内放送の紹介に期待しています。良い歳をお迎えください。
Nゲージをやってらっしゃるとは羨ましいです。わたしは長続きしそうにないので、手を出せません。他の方がUA-camに公開されているNゲージ動画を観て楽しんでいますが、奥が深そうですね。
急行宗谷さま。毎度の貴重な音源発表ありがとうございました。素晴らしいクリスマスプレゼントを頂戴した想いです。1977年10月収録という事で、前年1976年11月の悪名高き国鉄運賃料金の約2倍値上げ実施後に一気に国鉄利用客のシェアが下がった時期に当たり、この1977年10月にA寝台とグリーン席料金だけが約3割値下げになったものの、翌年1978年から再び毎年恒例行事のように国鉄運賃料金の値上げが続いてしまいましたね。個人的見解ですが、労働争議の先鋭化と共に、毎年恒例の国鉄運賃料金の値上げで、日本国有鉄道の息の根を止める要因となったと思います。さて、函館本線・室蘭本線・千歳線直通特急北斗2号札幌行き。翌年10月の国鉄ダイヤ白紙改正から一部の例外を除いて、下り列車の列車附番号が奇数、上り列車が偶数となって、いわゆる「新宿発8時ちょうどのあずさ2号のジレンマ」が生じる事になりますが、昭和52年10月であれば、まだ下り特急列車北斗2号で良い訳です。それにしても、函館始発列車の次の停車駅が洞爺駅という事実にビックリします。大沼(公園)も、森も長万部も通過して、客扱いしない運転停車を除いて約153.8km無停車!給水が不可欠な蒸気機関車牽引の客車列車には無理な芸当でしょう。他線乗換駅を除くと洞爺駅と登別駅に停車という観光地最寄駅を重視した姿勢にも、何とか観光客だけでも特急列車に乗って貰いたいと、国鉄北海道総局の考えを推察いたします。“旅のレストラン”日本食堂の食堂営業案内放送も興味深いですね。えぞ定食には地元で取れた鮭の切り身フライでも配膳されたのでしょうか?帆立貝のフライは別メニューに有りますから、鮭フライと一緒に帆立貝も1個でも入っていたら幸せになれそうです。車掌長さんの放送も、長距離優等列車にふさわしい落ち着いたベテランらしい聴き取りやすいお声ですね。好印象しかございません。急行宗谷さま、貴重な音源発表ありがとうございました。次回作発表もありましたら是非ともお願いいたします。
そう言えば、毎年のように値上げがありました。組合の闘争もありました。新聞には国鉄叩きの記事も多かったです。でも今となってはそんなことは記憶の彼方に消えていました。思い返せばやはり列車の旅は楽しかったです。節約ばかりせずに、もっと優雅な旅行をしておけば良かったかな、などとも思います。
当時特急北斗はなんと長万部は通過だったのですね。特急が特別急行たる所以がここにあったような気がします...
当時の時刻表を見ると、3往復あった「北斗」のうち下り2号と上り2号が長万部を通過していますね。下りは1時間後ぐらいに、上りは1時間前ぐらい前に急行「すずらん」が設定されていて、役割分担していた感じですね。
函館駅の表示、時刻表の乗船口案内、とても懐かしく拝見しました。過日のNHK「ブラタモリ」で青森から「函館」が放映されました。番組では遥か彼方にかすんでいる記憶がよみがえります。自分はこの二年半ほど後、札幌の友人を訪ねろために青函連絡船で未明の函館に到着(午前4時台)。函館駅のホームに「北斗1号」(室蘭まわり)と「北海1号」(小樽まわり)がとまっており、北海道周遊券(全道の特急急行自由席乗り放題。冬季は2割引きで2週間有効)を持っていた私は空席が多かった(遠回りのせい?)「北海1号」に乗りました。未明の噴火湾が印象的でした。格安切符で鉄道旅行を満喫できた、良い時代でした。長々申し訳ありませんでした。
どなたにも、それぞれに楽しい思い出があるのですね。このスライドショーを見て、そんな思い出を記憶の底からよみがえらせていただけましたら嬉しいです。思い出の投稿を有難うございます。
今回も素晴らしい音源ありがとうございました。急行宗谷さんの音源は、道内時刻表が登場するのが素晴らしいのですが、千歳線含め札幌近郊の普通列車の本数の少なさには驚かされますね。当時はこんな本数で通勤客をさばいていたのですね。当時の札幌市の人口は130万人位でしたが・・・
確かに札幌近郊の普通列車、少なかったですね。昔は貨物列車も多かったですからね。不運にも通勤時間帯に乗ると、普通列車は勿論のこと、急行列車も混んでいた印象です。大きな荷物を持って乗り込むのも気が引けるようなこともありました。
北斗2号札幌行きの表記を見て、真っ先に、あぁ懐かしい、下りが偶数だぁ…と。若い鉄道ファンにも観て貰いたい素晴らしい動画だと思いました!
写真がないため時刻表加工画像による素朴なスライドショーですが、ご視聴有難うございます。
ホームよりも長い編成の列車。鉄道の黄金期の貴重な記録ですね。それと車掌さんの声、本当にうまいと思います。
さすがに13両編成の「おおぞら」は伊達紋別を通過していましたね。それにしても「北斗」も昔に比べて短編成になったものですね。
静止画の構成ですが非常に凝った内容なので飽きません。私はS38生まれなので尚更です。
有難うございます。音声に付ける動画も写真も無く、苦し紛れに時刻表を加工したスライドショーですが、楽しんで頂けましたら嬉しいです。
当時の函館駅は北海道の玄関口なだけあって、行き先と車両の種類が多いですね!旧客長距離ドンコー、急行、キハ56形急行、キハ82系特急。この当時の特急北斗の停車駅が凄いですね、洞爺までノンストップ、登別も停車に加えて温泉宿泊利用客の為の連絡バス案内と、苫小牧から日高本線に乗り換えなど、胆振・日高エリアの観光アクセスを重視してる感がありましたね。
北海道の玄関口として函館から、稚内、網走、釧路と長距離列車が走っていた時代もすでに遠い昔のことになり、青函トンネルを通って本州まで走る列車が出ていた時もだんだん遠くなってきますね。時代と共に変貌し続けてきた函館駅ですが、新幹線札幌延伸後はどんな感じになっているのかな・・・と思います。
全車指定席で食堂車付き。停車駅も森や長万部を通過して必要最低限の駅のみの停車。北海道特急のトップランナーとしての格を感じますね。
当時の特急列車、貫禄がありましたね。食堂車もなくなり、停車駅が増え、編成が短くなって・・・これも時代の流れですね。
北斗の停車駅が増えたのは2000年代になってから、今は昔の急行すずらんの停車駅レベルになった
「特別」急行だから。全車指定席・食堂車が当たり前だった。
今年最後の配信になるのでしょうね。特別急行、恐るべしですね。停車駅の少なさに驚きました。車内放送の語り方も一味違いますね。函館駅の各列車案内、何度も聞きました。これも良かったです!今年も、多くの配信ありがとうございました。来年も、配信楽しみにしております。急行宗谷様も、よいお年をお迎えください。
昔は長距離移動も急行列車に乗っていましたので、特急は本当に「特別」な存在でした。急行が廃止され、その代わりに特急の本数や停車駅が増えて、今ではすっかり庶民的になりましたが、これはこれで時代の流れと受け止めています。快適になった現代の旅もこれまた楽しいものです。一時は沈静化するかと思われたコロナもまた増え続け、今年も旅行自粛の一年でした。見えないウイルスの不安がなく楽しい旅ができる日まで元気に過ごしていきたいと思います。本年も有難うございます。
初めて投稿します。毎度貴重な音源ありがとうございます。当時はこんなに停車駅の少ない北斗があったんですね。
当時は急行列車も多く、急行停車駅を平然と通過するのが嬉しかったです。後に函館から東室蘭まで停車しない北斗もありましたね。
お疲れ様です😃北海道でも特急のトアカットがあったのですね(四国では今でも普通にやっています、しかもG車で…)。長万部通過なんてSL時代では出来ないことですね。気動車特急の本領を発揮している点も味わいを感じます。アップありがとうございました😀
確かに蒸気機関車牽引では長万部通過はありえなかったと思いますね。長万部通過の北斗は近年まであったような気がしていましたが、今では全列車停車なのですね。
懐かしい🤗
有難うございます。その一言が嬉しいです。
壮観の全車🈯😊🎉🌈北斗の全盛期🌺
食堂車付きで10両編成、おおぞらの13両には及びませんが貫禄がありましたね。
路線図にチラッと映る、苫小牧から大分までの航路にも驚きです。
当時の時刻表を開いてみると、苫小牧~名古屋間は途中仙台に寄港して毎日運航。名古屋~大分は隔日ですが、名古屋では半日近く停泊後に大分へ運航していたようです。苫小牧16時45分発(2泊)名古屋9時30分着 名古屋20時00分発(1泊)大分16時50分着苫小牧と大分を結ぶというよりは名古屋を境に別な航路のような感じだったのかと想像いたします。
平成になってからも、室蘭~直江津~博多の航路がありましたな。前者が東日本フェリーで後者が九越フェリーでの運航でしたが、同一の船で乗船したままのり通せました。運賃は通しにはならず、割高だったように思います。(´Д`|||)
懐かしい!私は津軽〜連絡船〜すずらん2号と乗り継いでましたね
誰しもそれぞれ思い出があるのですね。旅の記憶がよみがえりましたら嬉しいです。
沿線在住の者です。当時の記憶が鮮明に蘇ります!昭和55年〜60年頃の記録でしょうか?たいへん貴重な資料ありがとうございます。
沿線にお住まいの方にご視聴頂けるとは嬉しいです。旅行者には新鮮でも、近隣の方にとっては日常ですね。録音は1977年(昭和52年)10月です。下りの号数が奇数に統一されたのが53年10月ですから目安になると思います。
2号は長万部では客扱しなかったんですね。それにしても昔の映画を観ているような、味わい深い車内放送。日本食堂のアナウンスが素敵です。急行カムイは711系でしたね。
函館~洞爺は無停車でしたか!スゴいダイヤだったですね。。。
現在の北斗は道内各都市間を結ぶのが役目ですが、この頃は青函連絡船を介して本州連絡の一翼を担っていましたからね。
80系特別急行には。ブラームスの子守唄が似つかわしいですね。北斗も年々停車駅が増え、かつての急行すずらんと変わらなくなりましたが、道内初の特別急行おおぞらを凌ぐ、北海道を代表する列車になりました。歴史を感じます。しかし懐かしい。
懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。「北斗」の停車駅も増えたものですね。急行「すずらん」と変わらないどころか、それ以上に増えていますね。でもまあそれもいいです。新幹線開業まで元気に走り続けてほしいものです。
乗りたかったなぁ…。
車両も鉄道を取り巻く環境もすっかり変わってしまいましたが、まだ「北斗」には乗ることができますね。新幹線の札幌延伸まで、大沼公園、駒ケ岳、内浦湾などを眺めながら走る車窓を楽しんでおきたいですね。
@@急行-宗谷 現在の北斗でしたら261 281で完乗してますが…超ロングランの北海道特急・急行を楽しみたかったですね。
日本食堂の食堂車車内放送懐かしい
今はレストラン列車が各地で走っていて人気になっていますが、日常の列車に食堂車が連結されていたのも次第に遠い過去になってきましたね。
子供の頃にこのダイヤ(後に北斗3号、北斗5号に変遷していきましたが)は北海道に帰省する際によくお世話になりました。函館に青函連絡船から乗り換えるの時にホーム上の『よつば3.4牛乳』の自販機で美味しい濃い味の牛乳を飲むのがとても楽しみでした。室蘭を過ぎた辺りから食堂車に連れて行ってもらって車窓を眺めながら食事をするのもその時のルーティーンになっていてそれも楽しみでした。何よりも楽しかったのがキシ82に窓が開くところと短いロングシートがそこに着いていて特急列車に乗りながら窓を開けて(開いていただけなんですが)にしてロングシートに足を乗せて車窓を楽しむ事が出来たのが思い出されます。
子供の頃の船旅・汽車旅、印象深いことでしょう。子供の頃の記憶って、妙に鮮明に思い出せることがありますね。大人になって親に話すと「よくそんなこと覚えているな・・・」と言われたものでした。遠い昔の記憶がよみがえり、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
キシ80の窓が開く席は自分もすきでした、札幌から帯広へ帰る時には落合駅通過したらキシ80へ行き上落合信号場を窓開けて眺めていました
現行の15号に相当するスジ停車駅は増えたがサービスは低下した
初めての特急音源のアップですね。いつも貴重な音源楽しみにしております。おそらくいつもは周遊券でご旅行されていたのではと思います。私も夏休み周遊券を利用して何回か貧乏旅行しておりました。停車時間が少しでもあれば入場券と下車印押してもらいに改札に走ったもんです。その時の入場券はいまでも思い出の品としてとってあります。
ご視聴と思い出の投稿を有難うございます。楽しかった旅の記憶をよみがえらせて頂けましたら嬉しいです。
全車指定席北斗の時代、函館から北斗1号に乗り食堂車でビ-フシチューを食べました。海を見ながら食べるご馳走は格別でした。現在のキハ261系に比べて、キハ80系の方が遥かに豪華編成でしたね。
今は各地で様々なレストラン列車が走っており、景色を眺めながら豪華な食事が摂れますが、ホンモノの食堂車はやっぱりそれとは違いますよね。
この車掌(たぶん車掌長かな?)の声をどこかで聞いたことがある。たぶん車内放送だかをインターネット上でアップしていたサイトだと思うが、その時は函館行きのおおぞら3号の車内放送を聞いた。石勝線開業前で、滝川回りだということを覚えてる。
なるほど、この北斗はニセコ号がすぐあとに発車するので函館発車後洞爺まで停車しないのですね。しかし当時の列車内を録音して今まで保管されていたことが凄いと思います。
「ニセコ2号」の後には「すずらん2号」もありますので、この「北斗2号」は停車駅を絞ったのかなと思います。特急と急行の役割分担が感じられますね。お恥ずかしいですが古い録音を「保管」というよりは「放置」状態でしたが、コロナによる旅行自粛を機会に身辺整理を始めたたまものでもあります。
函館を出ると洞爺まで停まらないとか、苫小牧~札幌がノンストップとか今では考えられない停車パターン。それでも当時は4時間ばかりかかっていたのですね。それと関係ありませんが、8:02の路線図で苫小牧からの航路に「大分ゆき」がある。これはもしかしたら太平洋沿海フェリーの仙台、名古屋経由便?
当時の時刻表を開いてみると、苫小牧~名古屋間は途中仙台に寄港して毎日運航。名古屋~大分は隔日ですが、名古屋では半日近く停泊後に大分へ運航していたようです。苫小牧16時45分発(2泊)名古屋9時30分着 名古屋20時00分発(1泊)大分16時50分着苫小牧と大分を結ぶというよりは名古屋を境に別な航路のような感じだったのかと想像いたします。運賃も名古屋を境に別表記になっていて、乗客はおそらく名古屋で一旦下船したものと思います。自動車などは積み替えなしで運べたことと思います。
10両編成で食堂車付きなのは今みたら豪華ですね。うなぎごはん(お吸い付き)1000円が気になりました。
「えびフライが高い」というコメントもありましたが、値段を考えれば「うなぎご飯」ですね。
現在と違い列車名の番号の振り方が違いますね、特急列車は食堂車の連結が格の違いがあります、子供の頃江差線普通列車の中から見た当時の特急形キハ80系は貫禄ありました。
当時は長距離、長編成の特急列車が各地に走っていましたね。長距離、長編成といえば新幹線という時代になってしまいました。
この頃の新札幌駅は主要駅扱いでは無かったんですね。急行さえも通過。
たまに訪れるだけの旅行者にとって、新札幌は下車することもなく、車窓から眺める街並みは「いつの間にこんなに賑やかになったのだろう・・・」という感じでした。
千歳空港駅、まだなかったのですね。
石勝線もない時代でした。
82系北斗、おおぞら、北海、おおとり、連絡船を挟んでよく利用しました。新札幌あたりの高架を思いっきりブッ飛ばしていたのをおぼえてます。キハ82-901ありました。
当時の特急列車をよく利用されていたとは羨ましいです。わたしなどは急行列車ばかりでした。それにしても今は新札幌にも特急が停車する時代なのですね。
@@急行-宗谷 昭和46年8月3日、青森桟橋において連絡船2便待ちの苦い経験から、渡道の際はよく特急の乗り継ぎを利用してました。1200+600の投資でしたが翌年の夏休みに「みどりの窓口」に前日から並んで求めた特急券は値千金の価値がありました。
長万部からニセコ方面、小樽経由の札幌行き特急「北海」もあったな。(岩見沢市在住)
一時は急行宗谷の函館~札幌間を特急に格上げして、「北海」も2往復になりましたが、今思うと短い間でした。
車掌さんの優しい語り口…と思っていたら「ふたばん」…競馬場の気分になりました。食堂車の「えぞ定食」が気になりますね🍴
食堂車で「えぞ定食」。北海道らしい情緒をそそられますが、ネットで検索しても写真が見つからないので、今となってはどんな内容だったのか・・・
1:35函館駅表「乗船口」函館だけに許された表示。😂
列車の終着駅ですが、「ごりょうかく」の反対が空白になっていない所が気に入っております。
列車番号17Dと奇数なのに対し、北斗2号と偶数なんですね。
在来線列車の号数が、下り奇数、上り偶数に統一されたのが昭和53年10月ですから、他の番組などをご覧になる際にはひとつの目安になるかと思います。
この頃だと森⇔桂川八雲⇔鷲ノ巣単線か…
特急いしかりが走ってた頃かー。中学の修学旅行で上り北斗2号に乗りました。砂原線経由で4時間以上かかってました。食堂車のメニュー案内いいですねー。
修学旅行の思い出、いいですね。時間がかかっても楽しかったことと思います。
札幌行きの普通列車があったのに驚きです。しかも所要時間が約10時間😅
昔は長距離普通列車が結構ありましたね。荷物輸送のためだろうとは思いますが・・・
動画の概要(説明)欄が気になったので書いてしまいます。急行宗谷さんはこの当時の北海道鉄道旅は周遊券をご利用でしたか? 地域別の均一周遊券がワイド周遊券ミニ周遊券と名称が変わったのが何年だか知らないのですが、ご乗車のこの当時はまだ北海道周遊券?で、周遊区間内特急自由席が乗れる時代ではなかったんですよね。ですから特急料金をお支払いになっていると。ワイド周遊券に名称変更直後も周遊区間内特急自由席も別料金でしたが段階を経て、ワイド周遊券の区間内特急自由席乗車化になっていったようですね。最初に北海道と道南と九州と九州北のワイド周遊券が周遊区間内に限り特急自由席に乗車可能になったようです。81年8月はじめて北海道ワイド周遊券を使った時は、特急自由席乗車可能でした。しかし手持ちの81年2月時刻表を見ると北海道九州ワイド周遊券も特急自由席乗車不可でした。北海道 道南 九州 九州北 ワイド周遊券はこの間に特急自由席乗車可になったようですね。その後83年5月の時刻表を見ると全てのワイド周遊券で区間内特急自由席が乗車可能になってました。動画とは直接関係ない長文失礼しました。
確かにこの当時は周遊券で特急には乗れませんでした。周遊券で特急の自由席に乗れるようになったのは、急行列車がほとんどなくなってしまった救済策かなと思います。それでも北海道に入るまでの経路では急行の自由席にしか乗れませんでしたね。今思うと、18きっぷと違って「乗車券」としては有効なのだから、別途料金を払ってでももっと有効活用すればよかったかなと思います。
今の停車駅と大違いですね。急行が廃止されて停車駅がどんどん増えてしまったのが何とも残念です座席も今は自由席付けて、食堂車が無くなってしまったのが残念。
国鉄が地域の輸送と、全国ネットの輸送を担っていた時代でしたね。
停車駅少なくても キハ82系ですし やっと100km出すやつですから 4時間超えしますな駅出発→暫くダラダラ走行→「加速→最高速度→惰行→停車するのでは?って位の速度低下→暫くダラダラ」→減速→駅停車「」は繰り返しって感じの走りでしたな
在来線特急が「下りが奇数、上りが偶数」となったのは昭和53年10月ダイヤ改正時からだったんですね。函館発なのにどうして「2号」? と思ってしまいました。 それと、苫小牧~札幌間の途中駅が全駅通過なのは、今では考えられないのでビックリ(低学年の時に乗車経験あるはずなのですが、意識しなかった由)。千歳空港駅(現南千歳駅)が出来る前のダイヤですね。 「千歳空港駅開業」のニュースを聞いた時、「新しい駅が出来るんだー」と思ったのを覚えています。
今や「下りが奇数、上りが偶数」がすっかり定着していて、「下り2号」に違和感を感じる時代なのですね。53年の改正後はなかなか馴染めず、1号、2号、3号の方が愛着があったのに・・・と思ったものでした。開業前でほぼ完成していた千歳空港駅を通過する際には、「ここを通過するのも今のうち・・・」とその体験を喜んだものでした。
食堂車あるのが懐かしい( ;∀;)
在来線の昼間の特急に食堂車・・・もう遠い昔のことになってしまいましたね。
国鉄時代の北斗は札幌行きが上りなのですか?今だと北斗2号と言えば函館行きなので
このころ、在来線列車は上り・下りそれぞれ(始発駅発車順に)1号・2号…と番号が割り振られていました(新幹線は開業当初から上り偶数・下り奇数)。そのため、「北斗2号」は上りにも下りにも存在していました。在来線列車が現在のような上り偶数・下り奇数に改められたのは1978年の「ゴーサントオ」ダイヤ改正からです。
@@Mugitoro2022 様。適切な返信感謝いたします。
昭和53年につけ方が変わったこの列車は今の北斗15号に相当する列車として生き残っている
伊達紋別ではホームを外れる場合があると放送がありますが、ドアカットはしていなかったのでしょうか?
ドアカットはどうだったのでしょう・・・? 観察不足でした。北斗星などでも「ホームから外れる」という案内があったと記憶しています。
@@急行-宗谷 ドアカットしていなかったとしたらホームから外れた車両の危険防止はどのようにしていましたか?
昔は、ホームなんか関係なしにドアは開いていましたよ。(1980年代半ばまでは)特急・急行列車ではホームにかからない号車番号を丁寧に案内している場合が多かったですが、鈍行では案内も無く、何度かホームのないバラストに飛び降りた事がありました。
@@bolaurel1 様。助け舟感謝いたします。わたしもただの旅行者ですので、「質問されても・・・」と返信に窮していました。
@@急行-宗谷 様。いえいえ。昔の客車列車では荷物車・郵便車がついている場合が多く、この場合、取扱い駅では荷物・郵便車はホームにかかる位置に必ず停車させなければならない為、それと反対側の旅客車はホームから外れる場合が多かったですね。また旧型客車で手動ドアのため、ドアカットという概念がそもそも無かったですね。
放送のチャイムがあまり聞いたことがありません。何でしょうか?ハイケンスやアルプスならありますがわかりません。この列車の80系のチャイムか?なら他のおおぞらなども同じかな?と思いました。そして食堂車放送は丁寧で気分がいいですね。値段も高め?と営業時間は短いでしょう。あとは全車指定席は急行列車との差別化でしょうか急行列車ばかりの乗車なら特急は乗らないよねの時代ですかね。今回もご苦労様です。
この当時は特急列車にほとんど乗ることがなく、珍しいオルゴールだな・・・と思いました。
当時のチャイムの曲名は「ブラームスの子守唄」だと思います。
なんでか999の車掌さん思い出した
なに! 札幌行き普通列車!何時に着くんだろ?
このレチ氏イントネーション関西だね
えびフライ高い
食に関しての知識はないのですが、東南アジアなどからエビが大量に輸入され、冷凍技術の進歩もあって、安価で庶民的になったのはいつ頃からだっかな・・・と思います。幼少だった昭和30年代頃はエビ天やエビフライは食べさせてもらった記憶がありません。録音した昭和50年代初期はやっと庶民的になり始めた頃なのかな・・・と想像いたします。
52年じゃ無いけれど…55年に82系おおぞら号に乗車したな。過酷な北海道内での運行のどことなくくたびれた雰囲気があったな。
55年といえば183系が登場した頃ですね。82系も引退が近かったのですね。
5分後に客車列車の急行ニセコ、30分後に気動車のすずらんが続くのですね。上野発23:00と23:05の二本のゆうづるから来る筋ですね。食堂車もしっかりある。函館から洞爺まで無停車。懐かしい。
ゆうづるの他にも日本海、十和田、津軽なども受けていました。鉄道好きには楽しい時代でしたね。
5分後に客車列車の急行ニセコ、30分後に気動車のすずらんが続くのですね。懐かしい。
今回も聴かせていただいて感慨深いものがあります。
当時の特急の停車駅の少なさ。函館から洞爺までノンストップでまさに特急。いまの急行のような特急とは格が違う。千歳も止まらず、飛行機など相手にしない国鉄の力を感じます。
そして車内放送の格調の高さ。私は当時急行しか乗りませんでしたから、比較して落ち着いた抑揚と流れ
るような語り口など違いを感じます。
当時の国鉄の底力を感じ、今の自動放送化され画一的な案内で合理化された姿からは隔世の感があります。
深夜の臨時北斗51号は、東室蘭運転停車(運転士交代)で札幌までノンストップが存在してました。特急券は連絡船の中のみで発売、もちろん手書きでね。
それにしても「北斗」の停車駅も増えたものですね。急行を廃止にして、特急を停車させるのは全国的な傾向としても、函館を出て、五稜郭、新函館北斗・・・と。
「北斗」の愛称はそのままに、姿を変えながらも長年にわたって走り続けていますが、新幹線開業後はいよいよ転機を迎えますね。
北斗2号は上野発のゆうづる6号7号を受ける本州連絡列車なので停車駅が少なく、その任が無い北斗1号3号は道内需要に応えるため停車駅が多いのだろうと推察します。
おはようございます。
本日も貴重な記録をありがとうございました。いやー、驚きました。
何が驚いたって、この車掌さん、市販の音源「国鉄ふるさとの駅」にも札幌到着の「おおぞら2号」で登場されていますね。
思わぬところで再会することになりました(笑)
やはり「特急組」は「選ばれし者」だということの証を見たような気がします。
そして、10両食堂車つき、洞爺まで通過、急行がすぐ後追いするダイヤなどなど、
やはりこの時代の「特別急行」の特別感は凄いですねぇ…
「国鉄ふるさとの駅」そういうものが市販されているとは知りませんでした。情報を有難うございます。
早速検索したところネット販売でも扱っているようですね。でもちゃんとした音源を聞いたら、きっと自分のヘタな録音など恥ずかしくて公開できなくなってしまうことと思いますので購入は見送りました。
航空機に乗客が移り始めた頃でしたが、まだまだ鉄道に乗る人も多く、特急と急行がしっかり役割分担できていた時代でしたね。
北斗と同じ経路を走っていた急行「すずらん」もとうの昔になくなってしまいました。特急「北斗」も時を経て姿を変えていますが、新幹線開業まで元気に走り続けてほしいと思います。
@@急行-宗谷
いえいえそんなことございません。
あちらは主に駅放送のコレクションで
急行宗谷さまの「列車をたどる音風景」とは趣が異なりますし、
いつも若き主さまの旅路に同行させていただいている気持ちで拝聴しております。
ありがとうございます。
当時ならではの道内時刻表と、車掌さんのかなり重厚なアナウンス… 今では北に行ったとしても感じられない昭和の北斗を楽しめます動画、ありがとうございます。
昭和も遠くなってしまいました。鉄道が元気で味わいがありましたが、昔に比べれば格段に良くなった座席、紫煙がない車内、快適な現代の旅もこれまた楽しいです。
いつもながらの懐かしさを感じる音声、ありがとうございます。最近、また少しずつNゲージを集め始めており、キハ82はかつての長大編成が組めるようにと奮発して、6両セットを2セット購入しました。実車になかなか乗れなかった分、せめて模型で鉄道が元気だった頃を再現できればと思っています。
また来年も、味のある車内放送の紹介に期待しています。良い歳をお迎えください。
Nゲージをやってらっしゃるとは羨ましいです。わたしは長続きしそうにないので、手を出せません。
他の方がUA-camに公開されているNゲージ動画を観て楽しんでいますが、奥が深そうですね。
急行宗谷さま。毎度の貴重な音源発表ありがとうございました。素晴らしいクリスマスプレゼントを頂戴した想いです。
1977年10月収録という事で、前年1976年11月の悪名高き国鉄運賃料金の約2倍値上げ実施後に一気に国鉄利用客のシェアが下がった時期に当たり、この1977年10月にA寝台とグリーン席料金だけが約3割値下げになったものの、翌年1978年から再び毎年恒例行事のように国鉄運賃料金の値上げが続いてしまいましたね。個人的見解ですが、労働争議の先鋭化と共に、毎年恒例の国鉄運賃料金の値上げで、日本国有鉄道の息の根を止める要因となったと思います。
さて、函館本線・室蘭本線・千歳線直通特急北斗2号札幌行き。翌年10月の国鉄ダイヤ白紙改正から一部の例外を除いて、下り列車の列車附番号が奇数、上り列車が偶数となって、いわゆる「新宿発8時ちょうどのあずさ2号のジレンマ」が生じる事になりますが、昭和52年10月であれば、まだ下り特急列車北斗2号で良い訳です。
それにしても、函館始発列車の次の停車駅が洞爺駅という事実にビックリします。大沼(公園)も、森も長万部も通過して、客扱いしない運転停車を除いて約153.8km無停車!給水が不可欠な蒸気機関車牽引の客車列車には無理な芸当でしょう。他線乗換駅を除くと洞爺駅と登別駅に停車という観光地最寄駅を重視した姿勢にも、何とか観光客だけでも特急列車に乗って貰いたいと、国鉄北海道総局の考えを推察いたします。
“旅のレストラン”日本食堂の食堂営業案内放送も興味深いですね。えぞ定食には地元で取れた鮭の切り身フライでも配膳されたのでしょうか?帆立貝のフライは別メニューに有りますから、鮭フライと一緒に帆立貝も1個でも入っていたら幸せになれそうです。
車掌長さんの放送も、長距離優等列車にふさわしい落ち着いたベテランらしい聴き取りやすいお声ですね。好印象しかございません。
急行宗谷さま、貴重な音源発表ありがとうございました。次回作発表もありましたら是非ともお願いいたします。
そう言えば、毎年のように値上げがありました。組合の闘争もありました。新聞には国鉄叩きの記事も多かったです。
でも今となってはそんなことは記憶の彼方に消えていました。
思い返せばやはり列車の旅は楽しかったです。節約ばかりせずに、もっと優雅な旅行をしておけば良かったかな、などとも思います。
当時特急北斗はなんと長万部は通過だったのですね。特急が特別急行たる所以がここにあったような気がします...
当時の時刻表を見ると、3往復あった「北斗」のうち下り2号と上り2号が長万部を通過していますね。
下りは1時間後ぐらいに、上りは1時間前ぐらい前に急行「すずらん」が設定されていて、役割分担していた感じですね。
函館駅の表示、時刻表の乗船口案内、とても懐かしく拝見しました。過日のNHK「ブラタモリ」で青森から「函館」が放映されました。番組では遥か彼方にかすんでいる記憶がよみがえります。自分はこの二年半ほど後、札幌の友人を訪ねろために青函連絡船で未明の函館に到着(午前4時台)。函館駅のホームに「北斗1号」(室蘭まわり)と「北海1号」(小樽まわり)がとまっており、北海道周遊券(全道の特急急行自由席乗り放題。冬季は2割引きで2週間有効)を持っていた私は空席が多かった(遠回りのせい?)「北海1号」に乗りました。未明の噴火湾が印象的でした。格安切符で鉄道旅行を満喫できた、良い時代でした。長々申し訳ありませんでした。
どなたにも、それぞれに楽しい思い出があるのですね。
このスライドショーを見て、そんな思い出を記憶の底からよみがえらせていただけましたら嬉しいです。
思い出の投稿を有難うございます。
今回も素晴らしい音源ありがとうございました。
急行宗谷さんの音源は、道内時刻表が登場するのが素晴らしいのですが、千歳線含め札幌近郊の普通列車の本数の少なさには驚かされますね。
当時はこんな本数で通勤客をさばいていたのですね。当時の札幌市の人口は130万人位でしたが・・・
確かに札幌近郊の普通列車、少なかったですね。昔は貨物列車も多かったですからね。
不運にも通勤時間帯に乗ると、普通列車は勿論のこと、急行列車も混んでいた印象です。大きな荷物を持って乗り込むのも気が引けるようなこともありました。
北斗2号札幌行きの表記を見て、真っ先に、あぁ懐かしい、下りが偶数だぁ…と。若い鉄道ファンにも観て貰いたい素晴らしい動画だと思いました!
写真がないため時刻表加工画像による素朴なスライドショーですが、ご視聴有難うございます。
ホームよりも長い編成の列車。鉄道の黄金期の貴重な記録ですね。それと車掌さんの声、本当にうまいと思います。
さすがに13両編成の「おおぞら」は伊達紋別を通過していましたね。
それにしても「北斗」も昔に比べて短編成になったものですね。
静止画の構成ですが非常に凝った内容なので飽きません。私はS38生まれなので尚更です。
有難うございます。音声に付ける動画も写真も無く、苦し紛れに時刻表を加工したスライドショーですが、楽しんで頂けましたら嬉しいです。
当時の函館駅は北海道の玄関口なだけあって、行き先と車両の種類が多いですね!
旧客長距離ドンコー、急行、キハ56形急行、キハ82系特急。
この当時の特急北斗の停車駅が凄いですね、洞爺までノンストップ、登別も停車に加えて温泉宿泊利用客の為の連絡バス案内と、苫小牧から日高本線に乗り換えなど、胆振・日高エリアの観光アクセスを重視してる感がありましたね。
北海道の玄関口として函館から、稚内、網走、釧路と長距離列車が走っていた時代もすでに遠い昔のことになり、青函トンネルを通って本州まで走る列車が出ていた時もだんだん遠くなってきますね。
時代と共に変貌し続けてきた函館駅ですが、新幹線札幌延伸後はどんな感じになっているのかな・・・と思います。
全車指定席で食堂車付き。停車駅も森や長万部を通過して必要最低限の駅のみの停車。北海道特急のトップランナーとしての格を感じますね。
当時の特急列車、貫禄がありましたね。食堂車もなくなり、停車駅が増え、編成が短くなって・・・これも時代の流れですね。
北斗の停車駅が増えたのは2000年代になってから、今は昔の急行すずらんの停車駅レベルになった
「特別」急行だから。
全車指定席・食堂車が当たり前だった。
今年最後の配信になるのでしょうね。
特別急行、恐るべしですね。停車駅の少なさに驚きました。
車内放送の語り方も一味違いますね。
函館駅の各列車案内、何度も聞きました。これも良かったです!
今年も、多くの配信ありがとうございました。
来年も、配信楽しみにしております。
急行宗谷様も、よいお年をお迎えください。
昔は長距離移動も急行列車に乗っていましたので、特急は本当に「特別」な存在でした。
急行が廃止され、その代わりに特急の本数や停車駅が増えて、今ではすっかり庶民的になりましたが、これはこれで時代の流れと受け止めています。快適になった現代の旅もこれまた楽しいものです。
一時は沈静化するかと思われたコロナもまた増え続け、今年も旅行自粛の一年でした。見えないウイルスの不安がなく楽しい旅ができる日まで元気に過ごしていきたいと思います。本年も有難うございます。
初めて投稿します。毎度貴重な音源ありがとうございます。当時はこんなに停車駅の少ない北斗があったんですね。
当時は急行列車も多く、急行停車駅を平然と通過するのが嬉しかったです。
後に函館から東室蘭まで停車しない北斗もありましたね。
お疲れ様です😃
北海道でも特急のトアカットがあったのですね(四国では今でも普通にやっています、しかもG車で…)。
長万部通過なんてSL時代では出来ないことですね。気動車特急の本領を発揮している点も味わいを感じます。アップありがとうございました😀
確かに蒸気機関車牽引では長万部通過はありえなかったと思いますね。
長万部通過の北斗は近年まであったような気がしていましたが、今では全列車停車なのですね。
懐かしい🤗
有難うございます。その一言が嬉しいです。
壮観の全車🈯😊🎉🌈北斗の全盛期🌺
食堂車付きで10両編成、おおぞらの13両には及びませんが貫禄がありましたね。
路線図にチラッと映る、苫小牧から大分までの航路にも驚きです。
当時の時刻表を開いてみると、苫小牧~名古屋間は途中仙台に寄港して毎日運航。
名古屋~大分は隔日ですが、名古屋では半日近く停泊後に大分へ運航していたようです。
苫小牧16時45分発(2泊)名古屋9時30分着 名古屋20時00分発(1泊)大分16時50分着
苫小牧と大分を結ぶというよりは名古屋を境に別な航路のような感じだったのかと想像いたします。
平成になってからも、室蘭~直江津~博多の航路がありましたな。前者が東日本フェリーで後者が九越フェリーでの運航でしたが、同一の船で乗船したままのり通せました。運賃は通しにはならず、割高だったように思います。(´Д`|||)
懐かしい!私は津軽〜連絡船〜すずらん2号と乗り継いでましたね
誰しもそれぞれ思い出があるのですね。旅の記憶がよみがえりましたら嬉しいです。
沿線在住の者です。当時の記憶が鮮明に蘇ります!昭和55年〜60年頃の記録でしょうか?たいへん貴重な資料ありがとうございます。
沿線にお住まいの方にご視聴頂けるとは嬉しいです。旅行者には新鮮でも、近隣の方にとっては日常ですね。
録音は1977年(昭和52年)10月です。下りの号数が奇数に統一されたのが53年10月ですから目安になると思います。
2号は長万部では客扱しなかったんですね。それにしても昔の映画を観ているような、味わい深い車内放送。日本食堂のアナウンスが素敵です。急行カムイは711系でしたね。
函館~洞爺は無停車でしたか!スゴいダイヤだったですね。。。
現在の北斗は道内各都市間を結ぶのが役目ですが、この頃は青函連絡船を介して本州連絡の一翼を担っていましたからね。
80系特別急行には。ブラームスの子守唄が似つかわしいですね。
北斗も年々停車駅が増え、かつての急行すずらんと変わらなくなりましたが、道内初の特別急行おおぞらを凌ぐ、北海道を代表する列車になりました。
歴史を感じます。
しかし懐かしい。
懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
「北斗」の停車駅も増えたものですね。急行「すずらん」と変わらないどころか、それ以上に増えていますね。
でもまあそれもいいです。新幹線開業まで元気に走り続けてほしいものです。
乗りたかったなぁ…。
車両も鉄道を取り巻く環境もすっかり変わってしまいましたが、まだ「北斗」には乗ることができますね。
新幹線の札幌延伸まで、大沼公園、駒ケ岳、内浦湾などを眺めながら走る車窓を楽しんでおきたいですね。
@@急行-宗谷 現在の北斗でしたら261 281で完乗してますが…超ロングランの北海道特急・急行を楽しみたかったですね。
日本食堂の食堂車車内放送懐かしい
今はレストラン列車が各地で走っていて人気になっていますが、日常の列車に食堂車が連結されていたのも次第に遠い過去になってきましたね。
子供の頃にこのダイヤ(後に北斗3号、北斗5号に変遷していきましたが)は北海道に帰省する際によくお世話になりました。
函館に青函連絡船から乗り換えるの時にホーム上の『よつば3.4牛乳』の自販機で美味しい濃い味の牛乳を飲むのがとても楽しみでした。
室蘭を過ぎた辺りから食堂車に連れて行ってもらって車窓を眺めながら食事をするのもその時のルーティーンになっていてそれも楽しみでした。
何よりも楽しかったのがキシ82に窓が開くところと短いロングシートがそこに着いていて特急列車に乗りながら窓を開けて(開いていただけなんですが)にしてロングシートに足を乗せて車窓を楽しむ事が出来たのが思い出されます。
子供の頃の船旅・汽車旅、印象深いことでしょう。
子供の頃の記憶って、妙に鮮明に思い出せることがありますね。大人になって親に話すと「よくそんなこと覚えているな・・・」と言われたものでした。
遠い昔の記憶がよみがえり、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
キシ80の窓が開く席は自分もすきでした、札幌から帯広へ帰る時には
落合駅通過したらキシ80へ行き上落合信号場を窓開けて眺めていました
現行の15号に相当するスジ
停車駅は増えたがサービスは低下した
初めての特急音源のアップですね。いつも貴重な音源楽しみにしております。
おそらくいつもは周遊券でご旅行されていたのではと思います。
私も夏休み周遊券を利用して何回か貧乏旅行しておりました。
停車時間が少しでもあれば入場券と下車印押してもらいに改札に走ったもんです。
その時の入場券はいまでも思い出の品としてとってあります。
ご視聴と思い出の投稿を有難うございます。楽しかった旅の記憶をよみがえらせて頂けましたら嬉しいです。
全車指定席北斗の時代、函館から北斗1号に乗り食堂車でビ-フシチューを食べました。
海を見ながら食べるご馳走は格別でした。
現在のキハ261系に比べて、キハ80系の方が遥かに豪華編成でしたね。
今は各地で様々なレストラン列車が走っており、景色を眺めながら豪華な食事が摂れますが、ホンモノの食堂車はやっぱりそれとは違いますよね。
この車掌(たぶん車掌長かな?)の声をどこかで聞いたことがある。
たぶん車内放送だかをインターネット上でアップしていたサイトだと思うが、その時は函館行きのおおぞら3号の車内放送を聞いた。
石勝線開業前で、滝川回りだということを覚えてる。
なるほど、この北斗はニセコ号がすぐあとに発車するので函館発車後洞爺まで停車しないのですね。
しかし当時の列車内を録音して今まで保管されていたことが凄いと思います。
「ニセコ2号」の後には「すずらん2号」もありますので、この「北斗2号」は停車駅を絞ったのかなと思います。特急と急行の役割分担が感じられますね。
お恥ずかしいですが古い録音を「保管」というよりは「放置」状態でしたが、コロナによる旅行自粛を機会に身辺整理を始めたたまものでもあります。
函館を出ると洞爺まで停まらないとか、苫小牧~札幌がノンストップとか今では考えられない停車パターン。それでも当時は4時間ばかりかかっていたのですね。それと関係ありませんが、8:02の路線図で苫小牧からの航路に「大分ゆき」がある。これはもしかしたら太平洋沿海フェリーの仙台、名古屋経由便?
当時の時刻表を開いてみると、苫小牧~名古屋間は途中仙台に寄港して毎日運航。
名古屋~大分は隔日ですが、名古屋では半日近く停泊後に大分へ運航していたようです。
苫小牧16時45分発(2泊)名古屋9時30分着 名古屋20時00分発(1泊)大分16時50分着
苫小牧と大分を結ぶというよりは名古屋を境に別な航路のような感じだったのかと想像いたします。
運賃も名古屋を境に別表記になっていて、乗客はおそらく名古屋で一旦下船したものと思います。
自動車などは積み替えなしで運べたことと思います。
10両編成で食堂車付きなのは今みたら豪華ですね。うなぎごはん(お吸い付き)1000円が気になりました。
「えびフライが高い」というコメントもありましたが、値段を考えれば「うなぎご飯」ですね。
現在と違い列車名の番号の振り方が違いますね、特急列車は食堂車の連結が格の違いがあります、子供の頃江差線普通列車の中から見た当時の特急形キハ80系は貫禄ありました。
当時は長距離、長編成の特急列車が各地に走っていましたね。長距離、長編成といえば新幹線という時代になってしまいました。
この頃の新札幌駅は主要駅扱いでは無かったんですね。急行さえも通過。
たまに訪れるだけの旅行者にとって、新札幌は下車することもなく、車窓から眺める街並みは「いつの間にこんなに賑やかになったのだろう・・・」という感じでした。
千歳空港駅、まだなかったのですね。
石勝線もない時代でした。
82系北斗、おおぞら、北海、おおとり、連絡船を挟んでよく利用しました。新札幌あたりの高架を思いっきりブッ飛ばしていたのをおぼえてます。キハ82-901ありました。
当時の特急列車をよく利用されていたとは羨ましいです。わたしなどは急行列車ばかりでした。
それにしても今は新札幌にも特急が停車する時代なのですね。
@@急行-宗谷 昭和46年8月3日、青森桟橋において連絡船2便待ちの苦い経験から、渡道の際はよく特急の乗り継ぎを利用してました。1200+600の投資でしたが翌年の夏休みに「みどりの窓口」に前日から並んで求めた特急券は値千金の価値がありました。
長万部からニセコ方面、小樽経由の札幌行き特急「北海」もあったな。(岩見沢市在住)
一時は急行宗谷の函館~札幌間を特急に格上げして、「北海」も2往復になりましたが、今思うと短い間でした。
車掌さんの優しい語り口…と思っていたら「ふたばん」…競馬場の気分になりました。
食堂車の「えぞ定食」が気になりますね🍴
食堂車で「えぞ定食」。北海道らしい情緒をそそられますが、ネットで検索しても写真が見つからないので、今となってはどんな内容だったのか・・・
1:35函館駅表
「乗船口」函館だけに許された表示。😂
列車の終着駅ですが、「ごりょうかく」の反対が空白になっていない所が気に入っております。
列車番号17Dと奇数なのに対し、北斗2号と偶数なんですね。
在来線列車の号数が、下り奇数、上り偶数に統一されたのが昭和53年10月ですから、他の番組などをご覧になる際にはひとつの目安になるかと思います。
この頃だと
森⇔桂川
八雲⇔鷲ノ巣
単線か…
特急いしかりが走ってた頃かー。中学の修学旅行で上り北斗2号に乗りました。砂原線経由で4時間以上かかってました。食堂車のメニュー案内いいですねー。
修学旅行の思い出、いいですね。時間がかかっても楽しかったことと思います。
札幌行きの普通列車があったのに驚きです。しかも所要時間が約10時間😅
昔は長距離普通列車が結構ありましたね。荷物輸送のためだろうとは思いますが・・・
動画の概要(説明)欄が気になったので書いてしまいます。急行宗谷さんはこの当時の北海道鉄道旅は周遊券をご利用でしたか? 地域別の均一周遊券がワイド周遊券ミニ周遊券と名称が変わったのが何年だか知らないのですが、ご乗車のこの当時はまだ北海道周遊券?で、周遊区間内特急自由席が乗れる時代ではなかったんですよね。ですから特急料金をお支払いになっていると。ワイド周遊券に名称変更直後も周遊区間内特急自由席も別料金でしたが段階を経て、ワイド周遊券の区間内特急自由席乗車化になっていったようですね。最初に北海道と道南と九州と九州北のワイド周遊券が周遊区間内に限り特急自由席に乗車可能になったようです。81年8月はじめて北海道ワイド周遊券を使った時は、特急自由席乗車可能でした。しかし手持ちの81年2月時刻表を見ると北海道九州ワイド周遊券も特急自由席乗車不可でした。北海道 道南 九州 九州北 ワイド周遊券はこの間に特急自由席乗車可になったようですね。その後83年5月の時刻表を見ると全てのワイド周遊券で区間内特急自由席が乗車可能になってました。動画とは直接関係ない長文失礼しました。
確かにこの当時は周遊券で特急には乗れませんでした。周遊券で特急の自由席に乗れるようになったのは、急行列車がほとんどなくなってしまった救済策かなと思います。それでも北海道に入るまでの経路では急行の自由席にしか乗れませんでしたね。
今思うと、18きっぷと違って「乗車券」としては有効なのだから、別途料金を払ってでももっと有効活用すればよかったかなと思います。
今の停車駅と大違いですね。
急行が廃止されて停車駅がどんどん増えてしまったのが何とも残念です
座席も今は自由席付けて、食堂車が無くなってしまったのが残念。
国鉄が地域の輸送と、全国ネットの輸送を担っていた時代でしたね。
停車駅少なくても キハ82系ですし やっと100km出すやつですから 4時間超えしますな
駅出発→暫くダラダラ走行→「加速→最高速度→惰行→停車するのでは?って位の速度低下→暫くダラダラ」→減速→駅停車
「」は繰り返し
って感じの走りでしたな
在来線特急が「下りが奇数、上りが偶数」となったのは昭和53年10月ダイヤ改正時からだったんですね。函館発なのにどうして「2号」? と思ってしまいました。
それと、苫小牧~札幌間の途中駅が全駅通過なのは、今では考えられないのでビックリ(低学年の時に乗車経験あるはずなのですが、意識しなかった由)。千歳空港駅(現南千歳駅)が出来る前のダイヤですね。
「千歳空港駅開業」のニュースを聞いた時、「新しい駅が出来るんだー」と思ったのを覚えています。
今や「下りが奇数、上りが偶数」がすっかり定着していて、「下り2号」に違和感を感じる時代なのですね。
53年の改正後はなかなか馴染めず、1号、2号、3号の方が愛着があったのに・・・と思ったものでした。
開業前でほぼ完成していた千歳空港駅を通過する際には、「ここを通過するのも今のうち・・・」とその体験を喜んだものでした。
食堂車あるのが懐かしい( ;∀;)
在来線の昼間の特急に食堂車・・・もう遠い昔のことになってしまいましたね。
国鉄時代の北斗は札幌行きが上りなのですか?今だと北斗2号と言えば函館行きなので
このころ、在来線列車は上り・下りそれぞれ(始発駅発車順に)1号・2号…と番号が割り振られていました(新幹線は開業当初から上り偶数・下り奇数)。
そのため、「北斗2号」は上りにも下りにも存在していました。
在来線列車が現在のような上り偶数・下り奇数に改められたのは1978年の「ゴーサントオ」ダイヤ改正からです。
@@Mugitoro2022 様。適切な返信感謝いたします。
昭和53年につけ方が変わった
この列車は今の北斗15号に相当する列車として生き残っている
伊達紋別ではホームを外れる場合があると放送がありますが、ドアカットはしていなかったのでしょうか?
ドアカットはどうだったのでしょう・・・? 観察不足でした。
北斗星などでも「ホームから外れる」という案内があったと記憶しています。
@@急行-宗谷 ドアカットしていなかったとしたらホームから外れた車両の危険防止はどのようにしていましたか?
昔は、ホームなんか関係なしにドアは開いていましたよ。(1980年代半ばまでは)
特急・急行列車ではホームにかからない号車番号を丁寧に案内している場合が多かったですが、鈍行では案内も無く、何度かホームのないバラストに飛び降りた事がありました。
@@bolaurel1 様。助け舟感謝いたします。わたしもただの旅行者ですので、「質問されても・・・」と返信に窮していました。
@@急行-宗谷 様。
いえいえ。昔の客車列車では荷物車・郵便車がついている場合が多く、この場合、取扱い駅では荷物・郵便車はホームにかかる位置に必ず停車させなければならない為、それと反対側の旅客車はホームから外れる場合が多かったですね。
また旧型客車で手動ドアのため、ドアカットという概念がそもそも無かったですね。
放送のチャイムがあまり聞いたことがありません。何でしょうか?ハイケンスやアルプスならありますがわかりません。この列車の80系のチャイムか?なら他のおおぞらなども同じかな?と思いました。そして食堂車放送は丁寧で気分がいいですね。値段も高め?と営業時間は短いでしょう。あとは全車指定席は急行列車との差別化でしょうか急行列車ばかりの乗車なら特急は乗らないよねの時代ですかね。今回もご苦労様です。
この当時は特急列車にほとんど乗ることがなく、珍しいオルゴールだな・・・と思いました。
当時のチャイムの曲名は「ブラームスの子守唄」だと思います。
なんでか999の車掌さん思い出した
なに! 札幌行き普通列車!
何時に着くんだろ?
このレチ氏
イントネーション関西だね
えびフライ高い
食に関しての知識はないのですが、東南アジアなどからエビが大量に輸入され、冷凍技術の進歩もあって、安価で庶民的になったのはいつ頃からだっかな・・・と思います。
幼少だった昭和30年代頃はエビ天やエビフライは食べさせてもらった記憶がありません。録音した昭和50年代初期はやっと庶民的になり始めた頃なのかな・・・と想像いたします。
52年じゃ無いけれど…55年に82系おおぞら号に乗車したな。過酷な北海道内での運行のどことなくくたびれた雰囲気があったな。
55年といえば183系が登場した頃ですね。82系も引退が近かったのですね。