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明け方に抜海付近で見た利尻富士が忘れられない
晴れていて利尻が見えた時は嬉しかったです。昔はあっという間の光景でしたが、今では徐行してくれるのですね。
実際に乗車し、かなりの長時間録音の用意に耐えないと絶対に得られない、とても貴重過ぎる音源。ご苦労されたと拝察いたします。ドキュメンタリーと言ってよいですね。配信ありがとうございます。
現代のICレコーダーと違ってテープによる録音は時間の限りもあり、また、録音ボタンを押すタイミングを逸したりすることがあって結構疲れる旅でした。録音の途中でテープの片面が終了してしまう失敗もありました。そんな失敗続きの音声ですが、40年以上の歳月を経て、多くの方にご視聴頂き、評価のコメントまで頂戴して嬉しいです。こちらこそ有難うございます。
わざわざ再アップ、ありがとうございます。これからも貴重な音源を楽しみにしております。車内放送、南稚内まで深夜は無かったこと、音源を聴いて思い出しました。南稚内からの天北線への乗り換えは、音威子府で下車して天北線の一番列車に乗車のほうが浜頓別へは近いですが、チャレンジできませんでした。今は無き路線も多い中、路線図にあるかなりのバス路線も消えていってるのも寂しいですね。
同じ内容の掲載にもかかわらず、こちらへもコメント有難うございます。この録音の数年後のこと、同じ時期に休暇を取って北海道を一人で巡っていた職場の友達にばったり札幌駅で会いました。これまた偶然に行程が一致し、二人で利尻に乗りました。彼はチャレンジ20000キロをやっていて、早朝の音威子府で下車して天北線に乗り換えていきました。コメントを拝見し、そんな記憶もよみがえりました。
昭和51年7月にこの利尻に乗りました。名古屋からサロベツ原生花園が目的の男一人旅でした。上野からゆうづるの寝台に乗って青函連絡船、函館は雨でロープウェイに乗ったものの真っ白で何も見えませんでした。直ぐに稚内を目指しました。この利尻では乗客はまばら。ボックス席で寝たのを覚えています。若かったなぁ。もう一度行きたい!
昔の旅を思い出すと「若かったな」と感じるのは一緒です。旅の思い出だけではなく、その当時の日常生活の記憶までもがよみがえります。もう随分遠い昔のことになりました。
地平駅当時の札幌駅の発車ベルは独特の音色で、もはや自分の記憶の中のみと思っていました。その音色をまた聞かせていただくとは……。大変感謝しました。
函館駅もそうでしたが、このベルの音色のファン多いですね。わたしも好きでした。
もう半世紀近くになりますが、昭和49年7月下旬に友人達と利尻・礼文の島巡りのため、利用したのが「利尻」でした。奮発して往復グリーン車、初めて乗った哀愁漂う特ロ…スロ54。今回も懐かしい思い出が蘇りましたわ。貴重な記録ありがとうございます。
7月下旬と言えば夏休みの混雑期。グリーン車に乗って大正解だったことと思います。利尻島、礼文島に渡るには気候もいい頃ですし、ご友人と一緒の楽しい旅だったことでしょう。
わざわざ、ありがとうございます。かなり聞きやすくなりましたね!
早速のコメント有難うございます。UPして自分で視聴した時から音量の小ささが気になって「ありゃ~っ」という感じでしたので、思い切って修正版をUPしてみました。パソコンでの処理に時間がかかるものの、たいした手間ではありませんでした。
音の立ち上がりがよくなり聞きやすくなりました。旧客夜行列車の雰囲気がよく感じられます。いまでは考えられない当時の長大列車で満席の様子、ハイケンスのチャイムと肉声の放送、廃線となった乗換先の案内など懐かしい限りです。
ほんの少しでも聞きやすくなっていれば良かったです。修正版をUPした甲斐があります。旧型客車の雰囲気を感じていただけましたら嬉しいです。当時は録音がうまくいかなかったら「また乗って録ればいいや・・・」ぐらいの気持ちでしたが、やがて乗ることもできなくなってしまいました。
郵便や荷物車と寝台やグリーン車、自由席が連結されてる今見ると豪華ですね
少し前までは半車のA寝台もあったのですが、この頃にはなくなっていました。
決して稚内が田舎と言う訳では無いが、やはりオロハネ 10 という寝台車は、地方閑散形向けなのでしょうか?
学生時代にアルバイトで金を作り北海道周遊券を利用して行った夏の貧乏旅行を思い出しますね稚内から札幌までの上り急行利尻を利用しました稚内駅での改札が始まると一目散に自由席を目指してバックパックを担ぎながら駆け足で客車に乗り込みました4人掛けのボックスに私と女子学生2人が陣取り互いの学生生活について遅くまで語り合った思い出が有ります今はこんな夜行列車の旅を経験出来ないのは寂しい気がしますね。
夏の北海道はさぞかし混んだことと思います。でもいい思い出ができて良かったですね。
前でも良かったと思いますが更に聞きやすいようになったと思います。旅の旅情が出ていますね。まるで乗っているようです。そしてハイケンスはいいですね。気動車の多かった北海道はアルプスがほとんどなのでさらに良しとあさひがわの放送がまたいいですね。
再掲載にもかかわらず、早速のご視聴とコメント有難うございます。ほんの少しでも聞きやすくなっていれば良かったたです。今後も長く掲載し続けることを考えると早めに修正版を・・・と思った次第です。
貴重な音源、ありがとうございます。上りの急行大雪と旭川で接続していた記憶。札幌発の時刻表を見ると普通岩見沢行きが利尻の時間だけ1時間空いているので利尻が江別、岩見沢の人に対する通勤ライナー的な存在であったように見えます
他の画像に寄せられたコメントを拝見すると、実際に上り大雪から下り利尻に乗り継ぐ旅をされた方もいらっしゃるようですね。私は深夜の乗り換えは不安があるので避けていました。夜の江別方面の普通列車が少ないですね。やむを得ず急行券を買って乗った人も多かったことと思います。
コスパ・タイパだのとやってたらこういう真に必要な列車が消えた
臨時列車が豪華利尻 大雪 狩勝か
客車なら蘭留ー和寒で補機の連結深夜の旭川駅ホームで 駅弁の立売り
懐かしいですね。それにしても夜遅くまで話し声がうるさい。それが許された時代だったんですね
札幌からの帰宅列車の役割も兼ねていましたからね。車中泊で乗っている人の方が少なかったです。
明け方に抜海付近で見た利尻富士が忘れられない
晴れていて利尻が見えた時は嬉しかったです。
昔はあっという間の光景でしたが、今では徐行してくれるのですね。
実際に乗車し、かなりの長時間録音の用意に耐えないと絶対に得られない、とても貴重過ぎる音源。ご苦労されたと拝察いたします。ドキュメンタリーと言ってよいですね。配信ありがとうございます。
現代のICレコーダーと違ってテープによる録音は時間の限りもあり、また、録音ボタンを押すタイミングを逸したりすることがあって結構疲れる旅でした。録音の途中でテープの片面が終了してしまう失敗もありました。
そんな失敗続きの音声ですが、40年以上の歳月を経て、多くの方にご視聴頂き、評価のコメントまで頂戴して嬉しいです。こちらこそ有難うございます。
わざわざ再アップ、ありがとうございます。これからも貴重な音源を楽しみにしております。
車内放送、南稚内まで深夜は無かったこと、音源を聴いて思い出しました。南稚内からの天北線への乗り換えは、音威子府で下車して天北線の一番列車に乗車のほうが浜頓別へは近いですが、チャレンジできませんでした。
今は無き路線も多い中、路線図にあるかなりのバス路線も消えていってるのも寂しいですね。
同じ内容の掲載にもかかわらず、こちらへもコメント有難うございます。
この録音の数年後のこと、同じ時期に休暇を取って北海道を一人で巡っていた職場の友達にばったり札幌駅で会いました。これまた偶然に行程が一致し、二人で利尻に乗りました。彼はチャレンジ20000キロをやっていて、早朝の音威子府で下車して天北線に乗り換えていきました。
コメントを拝見し、そんな記憶もよみがえりました。
昭和51年7月にこの利尻に乗りました。名古屋からサロベツ原生花園が目的の男一人旅でした。
上野からゆうづるの寝台に乗って青函連絡船、函館は雨でロープウェイに乗ったものの真っ白で何も見えませんでした。直ぐに稚内を目指しました。この利尻では乗客はまばら。ボックス席で寝たのを覚えています。
若かったなぁ。もう一度行きたい!
昔の旅を思い出すと「若かったな」と感じるのは一緒です。
旅の思い出だけではなく、その当時の日常生活の記憶までもがよみがえります。
もう随分遠い昔のことになりました。
地平駅当時の札幌駅の発車ベルは独特の音色で、もはや自分の記憶の中のみと思っていました。その音色をまた聞かせていただくとは……。大変感謝しました。
函館駅もそうでしたが、このベルの音色のファン多いですね。わたしも好きでした。
もう半世紀近くになりますが、昭和49年7月下旬に友人達と利尻・礼文の島巡りのため、利用したのが「利尻」でした。奮発して往復グリーン車、初めて乗った哀愁漂う特ロ…スロ54。
今回も懐かしい思い出が蘇りましたわ。貴重な記録ありがとうございます。
7月下旬と言えば夏休みの混雑期。グリーン車に乗って大正解だったことと思います。
利尻島、礼文島に渡るには気候もいい頃ですし、ご友人と一緒の楽しい旅だったことでしょう。
わざわざ、ありがとうございます。
かなり聞きやすくなりましたね!
早速のコメント有難うございます。
UPして自分で視聴した時から音量の小ささが気になって「ありゃ~っ」という感じでしたので、思い切って修正版をUPしてみました。パソコンでの処理に時間がかかるものの、たいした手間ではありませんでした。
音の立ち上がりがよくなり聞きやすくなりました。旧客夜行列車の雰囲気がよく感じられます。いまでは考えられない当時の長大列車で満席の様子、ハイケンスのチャイムと肉声の放送、廃線となった乗換先の案内など懐かしい限りです。
ほんの少しでも聞きやすくなっていれば良かったです。修正版をUPした甲斐があります。
旧型客車の雰囲気を感じていただけましたら嬉しいです。
当時は録音がうまくいかなかったら「また乗って録ればいいや・・・」ぐらいの気持ちでしたが、やがて乗ることもできなくなってしまいました。
郵便や荷物車と寝台やグリーン車、自由席が連結されてる今見ると豪華ですね
少し前までは半車のA寝台もあったのですが、この頃にはなくなっていました。
決して稚内が田舎と言う訳では無いが、やはりオロハネ 10 という寝台車は、地方閑散形向けなのでしょうか?
学生時代にアルバイトで金を作り北海道周遊券を利用して行った
夏の貧乏旅行を思い出しますね
稚内から札幌までの上り急行利尻を利用しました
稚内駅での改札が始まると一目散に自由席を目指して
バックパックを担ぎながら駆け足で客車に乗り込みました
4人掛けのボックスに私と女子学生2人が陣取り
互いの学生生活について遅くまで語り合った思い出が有ります
今はこんな夜行列車の旅を経験出来ないのは寂しい気がしますね。
夏の北海道はさぞかし混んだことと思います。でもいい思い出ができて良かったですね。
前でも良かったと思いますが更に聞きやすいようになったと思います。旅の旅情が出ていますね。まるで乗っているようです。そしてハイケンスはいいですね。気動車の多かった北海道はアルプスがほとんどなのでさらに良しとあさひがわの放送がまたいいですね。
再掲載にもかかわらず、早速のご視聴とコメント有難うございます。
ほんの少しでも聞きやすくなっていれば良かったたです。
今後も長く掲載し続けることを考えると早めに修正版を・・・と思った次第です。
貴重な音源、ありがとうございます。上りの急行大雪と旭川で接続していた記憶。札幌発の時刻表を見ると普通岩見沢行きが利尻の時間だけ1時間空いているので利尻が江別、岩見沢の人に対する通勤ライナー的な存在であったように見えます
他の画像に寄せられたコメントを拝見すると、実際に上り大雪から下り利尻に乗り継ぐ旅をされた方もいらっしゃるようですね。私は深夜の乗り換えは不安があるので避けていました。
夜の江別方面の普通列車が少ないですね。やむを得ず急行券を買って乗った人も多かったことと思います。
コスパ・タイパだのとやってたら
こういう真に必要な列車が消えた
臨時列車が豪華
利尻 大雪 狩勝か
客車なら
蘭留ー和寒で補機の連結
深夜の旭川駅ホームで 駅弁の立売り
懐かしいですね。それにしても夜遅くまで話し声がうるさい。それが許された時代だったんですね
札幌からの帰宅列車の役割も兼ねていましたからね。車中泊で乗っている人の方が少なかったです。