ジョーカー(JOKER)独自解説 ジョークの意味と病院の謎 Joker
Вставка
- Опубліковано 16 жов 2024
- ●サブチャンネル 守鍬刈雄のとらわれないch → / @ch-gy2hq
●守鍬刈雄のLINEスタンプ販売中! → line.me/S/stic...
「スタンプショップ」からクリエイターズスタンプで「守鍬刈雄」または「SUGUWA KARUO」で検索。
●Twitter → / y7fuwkrscpqp3vh
●リクエスト一覧を確認する → suguwa.work/ca...
●リクエストをする → / @suguwa
●配信中動画を確認する → suguwa.work/20...
●ジョーカー ブルーレイ&DVDセット (初回仕様/2枚組/ポストカード付) [Blu-ray] →amzn.to/37xoqsa
ジョーカー(字幕版)Amazonプライムビデオ(動画配信サービス) → amzn.to/2RyLe5v
ジョーカー(吹替え版)Amazonプライムビデオ(動画配信サービス) → amzn.to/30X4JYp
♪映画を暗記科目にしたくない!♪
守鍬刈雄が独自視点でひとつの映画を考察・レビューし、それを解説してたり、あらすじを紙芝居にしたりしてます。
#すぐにわかる #守鍬刈雄 #vtuber
2019
監督 トッド・フィリップス
脚本 トッド・フィリップス
スコット・シルヴァー
出演者 ホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ザジー・ビーツ
フランセス・コンロイ
『みなさんへのお願い』
出来れば今回の動画の感想(意見や別の考察や間違いの指摘などなんでも結構です)をコメント欄にたくさん書き込んでいただきたいです。
なぜなら、来週(2/7)、生放送を予定しているからです!(あくまでも予定です)
独自解説の延長戦みたいな感じになるのを期待しています。
有意義な時間にするため、コメントをよろしくお願いします!
守鍬刈雄でしたー。
私も軽度の知的障害持ちなので、この映画を観たらかなり共感してしまうでしょうね😢
普通の人と同じクラスで居ることは可能なのですが、実際は故あって授業には付いていけないのでかなり苦労します。
生より死を選びたくなる気持ちもかなり共感出来ます。
でもとにもかくにも、映画好きなので単純に娯楽として観たいとは思います😄
ジョーカーもj
😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
「僕の人生は悲劇ではなく喜劇だったんだ」このセリフの意味を読み解くことで、この映画が理解できます。つまり喜劇とは何を指すのか、そして最終的にアーサー(ジョーカーとして)が行き着いた喜劇、笑いとは何なのか。これらを読み解くことで映画ラストシーンにおけるアーサーの笑い(ジョーク)も理解できるようになります。
まずストーリー上でアーサーが悲しむ場面、失敗する場面(アーサー主観では悲劇であり、笑えないシーン)は、世間の視点(コメディの視点とも言える)から見ると、突然笑いだすコメディアンを自称したキチガイが失敗、馬鹿をしている場面であり、喜劇(コメディ)として見ることができます。そもそもコメディ、笑いというのは世間の常識(社会の価値観)を前提にして、そこからズレているものこそ笑えるということであり、笑いの多くは愚かな人、弱者を馬鹿にする、嘲笑するというようなブラックな要素を含むものです。アーサーは世間(社会)において弱者、愚か者として扱われており、嘲笑の対象にはなれど嘲笑する立場にはなれません。つまり世間を笑わせるコメディアンには全く向いていないのです。逆に言えば世間(社会)の価値観の中で生きにくい思いをしている人達の気持ちが分かる優しい人間と言えるかもしれません(映画内で唯一、アーサーに優しく接してくれたのは小人の同僚でしたが、彼もまた日々嘲笑される立場だったからこそ、アーサーに優しかったのでしょうか)。「ランドル、優しかったのは君だけだ」、「本当の悪は笑顔=嘲笑(世間、社会の価値観)の中にある」。
最初のセリフを解読すると「僕の人生は僕にとっては辛い悲劇だけれど、世間の視点から見れば笑える喜劇だったんだ」と解釈できます。そして自分がコメディアンとしての笑いを提供するには、自分の悲劇を演じれば良いのだと気づくのです。(put on happy face 悲しみを隠し、笑いの仮面を被って、皆を笑わせよう)
その後の展開では、アーサーは世間に嘲笑という笑いを提供するコメディアン(ピエロ)として、マーレーの番組に出演します。そこで銃による自殺(悲劇)を演じることで壮大な喜劇コメディを世間に提供しようと試みるのです。「自分の人生以上に硬価な死を望む」。
番組登場直後、アーサーがスタジオの観客を見回しながら「想像していた通りだ」というセリフを言います。これは世間に嘲笑されるコメディアンとしての自覚、僕という人間(人生)は世間からみれば喜劇なんだということを改めて実感したシーンです。これから自殺をしようとし、とても辛い状況の中(悲劇の真最中)なのに、周りの観客は嘲笑している(喜劇楽しんでいる)。
しかしながら結局、アーサーは自殺を取り止めます(ネタが笑えないと静止される)。アーサーの夢、モットーは「皆を笑わせたいだけ」でした。自分の渾身ギャグで笑いが取れなくなったアーサーは世間を笑わせるために被っていた笑いの仮面を取り外し自分を偽ることを辞めました。ここからアーサーの顔つきがガラっと変わります。命を捨ててまで挑もうとした笑いが提供できなくなったアーサーの心の奥底に隠されてい感情が少しずつ表出していきました。その場でアーサーは社会(世間)へ怒りを吐露するのです。「僕が地下鉄の三人を殺した」、「奴らが最低のクソだったから殺した」、「いや、奴らが音痴だったから殺した」、「おいおい、なぜ今のジョークが笑えないんだ?なぜ証券マン3人を庇うんだ?」、「社会(世間)の主観による善悪の基準では、そうやって証券マン3人組の死を悲しむけど、たとえ自分みたいな弱者が倒れててもあんたたちは何も思わないじゃないか」、「奴らを殺した自分を狂っている、悪だとあんたたち世間は言うが、自分の立場(主観)では奴らが悪だったのであり、奴らを擁護する世間(社会)の考え方(主観=価値基準)は狂っている」。
そしてマーレーを、自分を無いものと扱ったり、嘲笑してきた世間の象徴だとして、怒りの感情に任せて殺害、アーサーはソファを叩きながら高らかに笑い出します。途中で番組が強制終了し、コメディ(喜劇)調の曲が流れていく。
「(僕の視点から見れば)これこそが喜劇だ」。世間の主観による喜劇とは意味が異なる、アーサーの主観による喜劇(コメディ)です。ここでのアーサーの喜劇(コメディ)とは「嘲笑する立場の者が、嘲笑されてきた者(社会の価値基準では、蔑ろされてきた人)の怒りを買い、ひと泡吹かせられる」という構図のものです。ある種の社会に対する復讐です。「マーレー、喜劇(コメディ)は主観だよね、社会(世間)が善と悪を主観で決めるのと同じように、笑えるか笑えないかは自分の主観で決めればいい」。マーレー殺害の後、これまでの殺人では見せなかった笑顔の表情を浮かべるアーサー。ジョーカーが誕生した瞬間です。逆に言えば番組内の自殺前までのアーサーはまだ本当の意味で皆さんの知るジョーカーになってはいなかったのです。そして、お馴染みのジョーカーというイカれたキャラクターの笑顔の根源にあるものを説明した映画の肝となるシーンです。ジョーカーの笑顔の根底あったものは、世間(社会)が自分を理解してくれない悲しみと、そこから生まれた怒りの感情でした。だからこそ世間(社会)の主観、価値基準の否定していく行動を取ろうとする。ここに、お馴染みのジョーカーが一定の価値基準を持つ世界ではなく、混沌(カオス)の世界を求める理由があるのです。
ラストシーン、マーレーと同様に自分を蔑ろにしたトーマスウェインが、蔑ろにされてきた人間に殺されるという構図を踏まえたジョークを思いつき、アーサーは心の底から笑っています。このジョークは世間に蔑ろにされ悲劇的人生送って来た社会に見捨てられた者にしか笑えないジョークです。「理解できないさ」。その後の「これが人生」という曲とともに、皆さんのイメージふるイカれたジョーカーを彷彿とさせるアーサーの様子が映り幕を閉じます。このオチは、結局現実の社会、世間の価値基準=主観ではアーサーのような見捨てられた人間を思いやったり、理解してくれる人間は存在せず、そんな苦しい中でも、人生を生きていくしかないという諦め、悲哀を表現しており、だからこそ世間、社会の価値基準を否定し生きていくジョーカーの誕生を描いています。
余談なんですがアーサーがストーリー上で、病気により突発的に笑ってしまう場面というのは、アーサー自身が困惑、悲しい時かつ、ある意味笑えるシーンなんです。例を上げれば、バスで子どもを笑わせようとしたら注意されるシーン、自分が愛し信頼していた母親は実は本当の母親ではなく自分に虐待までしていたと判明したシーン、恋人が病的妄想だったシーンなど。これらはアーサーにとっては悲劇なんですが、世間の視点から見れば愚か者の馬鹿で笑える喜劇(コメディ)です。
つまり、皮肉なことにアーサーの突発的な笑いは世間の嘲笑とリンクしているのです。アーサーの突発的な笑いの中には、アーサーの辛く悲しい人生と、それに対する世間の嘲笑のが表現されているのです。笑っているアーサーの表情が辛く苦しそうに見えるのはこのためです。象徴的なシーンは冒頭にあります。少年たちに暴行され横たわっているアーサーの様子、悲劇的なBGMの中、その背景に黄色いフォントでコメディ調のJOKERの題名が表示される。直後のカットでこの自分自身を、苦しさと悲しみをまとった顔で爆笑する。「狂ってるのは、僕か、世間か」
一方、ストーリーはアーサーの妄想だったというような意見もありますが、監督はそういうこと表現したかったのではないと思います。今作はジョーカーという往年のキャラクターの誕生をテーマにしています。イカれたジョーカーというキャラクターがどのように、どうすれば生まれるか、誕生の過程が論理的に考えられ作られています。またその過程も現実にありえそうな、リアルな描写で表現されており、深みと迫力があり、考えさせられる作品となっています。
笑われる側のアーサーは、笑う側のジョーカーに生まれ変わった、ということでしょうか。
今までで一番すごい考察だ
気付いたら最後まで読んでいました…
考察も凄いですが文章力も凄いですね。
@@田中ぽん-y3e 重要シーンを時系列に説明しているので、自然と読み進めたくなるんだと思います。読み返してみると一文一文はホントに酷いものですね。分かりづらい。
やっぱりジョーカーの山場はマーレーや観客に激昂するシーンのような気がしますね。他のシーンもそのワンシーンを引き立てるだけでない、丁寧な解説はわかりやすくて、テンション上がってます。今まで見てきた考察で、もちろん答えかどうかは気にしていません、その中で一番圧巻されました。本当素晴らしい考察と解説力に感謝です。ジョーカー大好きです。
50:05 アーサーが部屋で誤射する時に椅子に向かって撃つフリをしていましたが、いつもそこに座る母親に向けてだと思っていました。
何気ないシーンでしたが劇中で観た時は、ゾッとしたのを覚えています。
アーサーが踊りながら階段を降りるシーンは、
自分を解放して行くのと同時に、堕落して行く人間の比喩というのはなるほどと思った。
しかも面白いのが登る時は凄く辛そうなのに、悪になり下るのは凄く簡単そうってのが善悪の表現が上手い事出来てますよね
今更JOKERを見直しているのですが
最初にあの階段が出るのが登りなんですよね。『堕ちてゆく』という意味では下りを使いたくなると思うのですが、彼の住んでいる街では住む場所に移動するのに登るのが普通で違和感ないのかもしれないですけど、眺めの良い高い場所はハイソな人が住む人というイメージがあります
ノックノックはアメリカでのジョーク開始の合図で、相手がどなたですか?と応じ、有名人や物や動物に扮して面白い事を言うお約束の掛け合いです
ウゴウゴルーガでやってたアレですね
意見?感想になっちゃいますけど、発達障害+二次障害から来る精神病がある自分にとっては映画の些細な差別のシーン一つ一つが「ああ〜あるある」って感じでした。カウンセリングのシーン、最初は「よくいる悪いカウンセラーの典型だな」と思ってさほど違和感はなかったのですが、最後の病院?のカウンセリングのシーンは違和感があったので妄想なのかなとは思いました。現実と妄想が上手いことごっちゃになって何が何かわからなくなる感じはすごいリアルに精神障害者の心を表してんなーとは思います。
階段の場面も勿論好きだけど、ラストのアーサーが自分の血で笑顔を作る場面が特に好きです。
「ジョーカー」を讃える暴徒たちを見てしばらく呆然としてからの自分の血で笑顔を作った場面は鳥肌が立ちました。
考察とは関係ないけど、マレーに発砲する寸前の怒りをぶちまけるシーンでホアキンの口とか色んな所が震えてる演技が凄く真に迫ってて一気に持ってかれた。
わかる
私も引き込まれました
なるほどー別人格に助けを求めるか
倒れてすぐに急所を守ってたから
昔から虐められすぎて
一番早く暴力が終わる行動は
無抵抗ってアーサーは考えてるのかと思った
なるほどね!
全部妄想説も面白いと思うけど
逆にありがちな映画になっちゃいそうで個人的には無し
はい!全部妄想!!
だと面白味が失せてしまいますね💧
どう捉えるかは
観た人に委ねるのが
1番いいと思います!
私も考えていました。
それだとするならば、
妄想するに留まる留まらざるを得ないような、
腐った社会全体 もう
F○○K,N ROTTEN THE WHOLE SOCIAL SYSTEM
ですよ。
夢と金は相対 極性だと思ってます。
現代にて
この映画は、訴えかけてるんですよ。
夢を見ようじゃないかと。(о^∇^о)
最後のシーンは、一人残されたブルースがコウモリのコスプレをしていることを妄想して笑っているんじゃないてすかね。
個人的憶測時系列(簡略版)
病院に入院→退院→ピエロの仕事→ジョーカー→病院に入院
彼はただ、子供の頃から虐待を受けて、まともに教育を受けておらず、大人から手を差し伸べて貰えずに大人になってしまった悲しい大人のように見えて、観ているのがとてもキツイ映画でした。
ストレスの母親を手にかけた後の、目の変わり方や歩き方は今から自由に生きれるという解放感が溢れててとても美しいお顔だと思いました。
小人症の同僚を殺さなかった辺り、やっぱり対象はアーサーを笑った者だけなんだなと思いました
最初の看板をくるくる回すシーンは、あれだけクルクル回すのだから、どちらが上かわからなくなるのは当然だと思います。そして、上下が逆だとアーサーが気付き、向きを変えようとした時に不良に襲われてます。
11時11分ってエンジェルナンバーの1つ、1111のことじゃ?時計を壊した意味はわかりませんが1111は近いうちに願望が達成されることを意味してるそうなのでマレーの番組に出る、母親という重荷から開放される、女の人(ソフィー)と近い関係になれる(これは妄想でしたが)といった願望が達成される伏線かと
マレーと対面する直前に11時11分ではなかったのは映像として既にマレーの番組に出ているから、母親を既に頃しているから、ソフィーの付き合ったという妄想が既に終わっているからだと思います
アーサーの走り方、序盤は変な感じだったけど、後半に走っていた時は比較的普通になっていたのが印象的だった。
悪に落ちるにつれて障害から解放されて思い通りの自分になっていったのかなと思いました。
ぺぺ 個人的には映画序盤のあの走り方に感動しました。
特に悪ガキ追いかける走り方なんて、昔のアニメみたいな動きで(道を急いで曲がるドタバタ動きとか)今まさに道化タイムなのだからどんな状況でも道化に徹しているアーサーの、ちょっとおかしい人物像を印象付ける良いシーンでした。
すべてがアーサーの妄想とか、細かく映画を見てる方達の考察が沢山ありまが、私はもっと単純に、ジョーカーが誕生するまでの話としてだけで楽しみました。
もちろん色々気になる点はあります。
でも、単純に見た方が私にはグッときました。
いつも爆発しそうな気持ちを抱えていて、すべてを壊してしまいたい感情が私にもあり、でも友達や家族だったりのお陰でなんとかこらえられている私は幸福だと思う一方で、アーサーのように爆発したいとも思う。
そんな根性は私にはありませんが…
そう言う単純なジョーカー誕生までのお話として面白かったです‼️
待ってました!
長いとは聞いていましたが2時間半超えとはw
それだけ素晴らしい作品ということですね!!
ひさびさの映画本編越えでしたねw
アーサーの自分が嫌になる気持ちが良くわかります。
公衆トイレで踊るアーサーはとても優雅で美しかったです。
この映画を観終わって感じたのが
自分の原点 親との思い出や 感情の記憶 が
大分 心苦しさ が 救われるな と思いました。
この観察力というか着眼点からくる考察はなかなか真似できるものではないですね。
今回も大変面白かったです。
妄想説は、初めて知りました!
すぐわさんの解説毎回自分の思っているのと違う視点なのでとても楽しいです!
個人的には、母親や仕事、コメディアンという夢、父親、妄想であっても恋人など、アーサーを普通の人として保っていた要素が一つ一つと外されていき、彼の本質(ジョーカー)が開放されていく作品に感じました
私は、このJOKERを観て何回も泣きました。
去年に自身の障害を受け入れる事が出来て、
それから、2020年の1月29日のレンタルリリースで仕事終わりに自転車で借りに行きました。
猛ダッシュで。
吃音の自分にとって、突然笑いだすアーサーや
複数の薬を欲しがる。
完治しない事に気付いてるのに。
全てのアーサーの行・考・肯・抗・幸 動が全ての私だった事に、
気付いてこの映画を私の宝物にしようと決めました。
そして、一つ思ったことがあり、
もしも日本が銃社会だったらアーサーのようになってたのかなぁと。
違うとしても、
反論を言えない 本心とは裏腹の自分にも銃を向けるし、
必ず言葉に詰まるし、言い負かす気持ちも起きないので憎い相手を降す。
弱いものいじめが何よりも鼻につく
しゃくにさわる
そして、何よりも介入した者は
笑えないジョークで必ず挨拶する。
第一印象は大事ですからね。
深々と私が日本に生まれた意味を考えました。
映画館で観たかったです。
時間とお金がどうしてもなかったのが悔やまれます。
50%&50%の左 右に対して、
それぞれ、
自由・解放の嬉し涙。 束縛・抑圧の悲し涙。
最後のセリフ「言っても理解できないさ」は、
名セリフでしたね。
考察聴くの面白すぎてますますファンになりました。
楽しい時間をありがとうございました!🍀
(´▽` )
「自分のやったことをよく考えろ。君のせいで街で暴動が起きてる」が「本当はコントロールする側が原因なのに全く理解できず暴動を他人のせいだと思い込んでる」っていう面白いジョークだからお返しにジョーク聞かせてあげたのかもってちょっと思った。
カウンセリングがアーサーの頭の中っていうのはめっちゃ腑におちた
映画が終わった後にジョーカーが出てきて、『笑えよ、ジョークだよ』って言っても納得できちゃうんだよなあ…
ジョーカーに正体なんてないだよ~
今年の10月に続編がでるとのことで、最近ジョーカーみました。そのあとの考察色々みてきましたが、かるおさんの考察が一番自分としてしっくりきましたし、続編に繋がりやすい考察だとも感じました。ジョーカーフォリアドゥも楽しみですね!
最初のカウンセリング時のノートを取り出すシーンは取り出す時、左後ろに体を捻って取り出してるので椅子にかけてあるカットソーというか上着のポケットにあったと思います。恐らくあのノートは常時持ち歩いてると思います。
白い部屋で頭を打ち付けてるシーンで上に見切れてて正確じゃないですけど、たぶん「OBSERVATION ROOM」と書かれてて意味は普通に訳せば「監察房」ですけど「展望室」とも訳せてすぐわさんのカウンセリングは脳内会議説も含めて考えると客観的に自分を見てることを表したシーンかと思えて面白いです。
薬局帰りの紙袋とソフィの時の紙袋は違いました。薬局帰りの時は白色。ソフィの時は茶色でした。昨日と同じ日というわけではないと思いました。
すぐわさんの「銃と薬は同じ意味を持つもの」説は面白いです!
予算削減のカウンセリングのシーンでカウンセラーが「市はあなたたちなんてどうでも良いのよ」って台詞があってアーサーの悲劇観、内面を表してるのかなと思いました。
処方されてる薬はたぶん全部アーサーのだと思います。6個の薬の空きボトルが出てきた時、名前が「FLECK, ARTHUR」となってました。
32:52 ゲイリーがイジられてるのに爆笑しているのは、本当に笑っているのでは無く発作だと思います
その直後ボスに呼ばれると真顔になっていますし、病気をネタにイジられてるゲイリーに対して同情の気持ちを表しているため、発作だと思います
SKYNET 自分はアーサーが周りに溶け込むための笑いだと思いました。ゲイリーがいじられている時の甲高い笑いは、アーサーが小さなショー(?)を見ている時に周りが笑ったあと、少し遅れて甲高い笑いをしていたものと同じだったのでそう思いました。
なるほど!!!その考えはなかった
ジョーカー誕生までの物語として観るのか
アーサー・フレックの人生として観るのか
で全く違う話になってる。
すごい映画だ
丁度すぐわさんのジョーカーのレビューを見返していたので解説動画めちゃくちゃ嬉しいです!
Put on a HAPPY face.
ハッピーの皮を被れと分かったときは鳥肌立った。
白い壁の個室に監禁されてたのはアーサーではなく、ジョーカーで、最後のシーンでアーサーの心の中のジョーカーが完全に解放されたのかなって思った。「どうして監禁されたのか考えてみた?」って言葉の本当の意味はどうしてジョーカーを抑えなければならないんだ、って考えてるシーンなんじゃないかな。で、自分の障害は全部ジョーカーの本性であって、「監禁されていた方が良かった」ってのはジョーカーのせいで障害が起こって仕事が上手く行かないって映画の序盤では思っていたから。最後の白い部屋のシーンやパトカーの中にいるアーサーは笑いたくて笑ってる感じがするからジョーカーそのもの。もう障害じゃなくなったんだ。ジョーカーそのものになったんだ。って僕は解釈しました。
冒頭の涙は鏡に映った涙なので、常に左目だけ涙を流していると思います。
また、12は13を止めるから聖なる数字と言われているなら、11は12を止める悪の数字と言えるんじゃないでしょうか?
あたしはアーサーは存在の証明をしたいんだと思いました。
存在の否定=辛い
唯一母親は自分を頼ってくれていたから捨てられなかったが、その母親に虐待されていたことがわかる。
結局この世に一人も自分の存在を肯定してくれる人はいない。
追い詰められたアーサーは存在の証明のため、悪に堕ちた…
アメリカの薬ですが、一ヶ月分で処方されるのでなく、薬ごとに入っている錠数がバラバラなんですよね。
血圧の薬は60錠、糖尿病の薬は30錠みたいな感じで無くなるタイミングがバラバラになってしまうので、それぞれ無くなったらオーダーして取りに行くシステムになってます。
だから3種類の薬しか貰ってこなかったと私は思います。
電車とかでたまにいるずっと一人で喋ってる人はアーサーと同じように抑えたくても抑えられないんだよなって気づいた。今の日本でもジョーカーは生まれるよね。
なんかタクシードライバーみたいな映画だった。
「ジョーカー」はトラビスじゃなくハンニバルでいて欲しかった。
待ってましたぁぁ😂
長くて嬉しい〜です!!
ラジオのように聴きながら色々作業してます
パトカーで護送され外を眺めるシーンは良かったですねえ、自由の風を感じる俺ヒースレジャーを思い出す
ノックノックの所って銃の空砲のカチャッて音がドアを開ける音だよって笑いどころだと思った
2:27:52
『コウモリの格好をした奴が俺をやっつけに来るんだ。俺もそいつも頭がイカれてる。何故イカれてるかって?兄弟だからさ』って感じだと思った。
また、このジョーカーとバットマンと戦うジョーカーは別人かなとも思った。バットマンと戦うには知能が伴ってないように思えるし、彼に感化された人間が2番目のジョーカーかなと思う。トランプにもジョーカー2枚あるし
子供と楽しく話した後、引きの画面で子供の姿がなかったように見えたので劇場で鳥肌が立ちました。
デジタル配信版でも確認しましたが、子供が写っていませんでした。前の座席に隠れているだけなのかもしれませんし、私の考えすぎなのかもしれません‥‥
40:00あたりのアーサーが”全面的”に悪いってのは少し違うかな~って
楽器店にもピエロ派遣会社にも連絡してないのは完全にアーサーが悪いけど、俺はクソガキに襲われてるのにっていう怒りもあると思うんだよね
アーサーが冷蔵庫に入るシーンの次に差し込まれてるマレーの番組から電話がかかってくる場面で、ここでも同じく冷蔵庫あたりが数秒間写し出されてますがカーテンの開き具合が変わっていたり、冷蔵庫の前が綺麗になってることに気が付きました。冷蔵庫に入ってしまうような精神状況から察するに片付けをするような状態とは思えませんから電話からソフィーの部屋へ侵入するあたりまで妄想なのかなと思いました。
ソフィーの部屋からビショ濡れ状態で戻った次に差し込まれるシーンが一気に髪が乾き部屋で笑いこげてるのにも違和感...。
そこで考えたのは冷蔵庫の次の現実部分はおそらく狂って自室で笑ってる場面なのではないかなと。笑ってる場面でも気になる点があり窓からパトカーのライトが見え、その後部屋をノックする音と男が何か叫んでる声が聞こえます。そこから母の病室に映像が切り替わる訳ですが、現実の時間軸で見ていくと自室で笑ってる時に警察が戸を叩き、部屋に踏み込んできて逮捕される→正しい次の場面は白い部屋でカウンセリングを受けながら笑いこげてる描写なんじゃないかなと思いました。
最後のカウンセリングを受けながら一瞬映るブルースをなぜアーサーが知っているのかと考えると、母の病室からマレー番組出演を経てジョーカーとして祭り上げられ、アーサーの影響を受けた者によってウェイン夫妻殺害までがアーサーの思いついたジョークでありカウンセラーに「君には理解できない」と言い放ったのではないでしょうか。
そう考えるとアーサーが実際に殺したのは証券マン3人だけとなってしまいますが;
前に、ジョーカー見たときにあまりにも辛く苦しかったのが今になって私自身に発達障害疑い(自閉症)があって体に染み付くほど繰り返した作業以外が苦手で人付き合いで疲弊してしまうのがあって分身を見ているような気分になってしまったからなんだなと
マレーを撃った後の
アーサーがこっち(左後ろを振り向いてる)向いてるシーン
本当にアーサー綺麗やなって思った。
何でかはよく分からないけどw
細かい考察をした訳ではないですが、この映画に鏤められた謎って、どれをとっても見方次第というか複数回答で
「俺のことを理解できる訳ない」というメッセージのように見える。
ジョーカーは公開当初に劇場で見ました.劇場で見た時点ではよくわからなかった,時系列の整理や,細かい描写への言及など,映画の流れを思い出しながら聞けたので,とっても楽しかったです.ツッコミ殺人の説明のところは声出して笑いましたw
生放送も楽しみにしてます.
見る前からドキドキワクワクが止まらない!美味しい紅茶を入れてゆっくり飲みながら、これから見ます♪♪
待ってました!すぐわかるおさん、お疲れさまです!
DVDの特典映像見た感じだと最後のシーンは精神科病院にいる男がジョーカー誕生の物語の1つを語っているらしいですね!
解説も紙芝居も、いつも楽しく拝見してます。今回重たい(複雑な)作品だったのもあり、かなり長編動画だなと思ったのですが、作り方について知りたいです。行きつ戻りつ何時間くらい観て、考察して、よしこれでいこうとなりましたか?どういう時間的労力で出来上がるのか、他の考察動画等の平均や、今回の実際の時間がだいたいでもいいので知りたいです。
•ゲイリーのいじりで笑っていたのは自分との類似点から笑いどころが分かったのではなく、皆が毎日ネタにしていたからタイミングを学習しただけで、実際に笑いどころが分かったわけではないのでは?だから、劇場で単発のショーを見た時に周りとタイミングが合わなかったのかと。きっと毎日同じネタをショーでしていたらアーサーも覚えられると思います。
ジョーカー解説ありがとうございます!
薬は医者から7種類と、別に3種類薬局に買いに行ってるのかなーとか思ってました…(計10種類)
自分もこの説に同意見です。または母親と精神安定剤(睡眠薬?)をシェアしてるんじゃないかなとも思います。
→だから薬をもっと欲しがっていた??
この映画にフランク・シナトラの
That's Lifeを起用した人のセンスがとても好き
すっごいすごい待ってました!!
生放送も楽しみにしてます!
7種類のはずが3種類の薬の件ですが
自分に合う抗精神薬は、色々な薬を試しながら長い時間を掛けて見つける大変な作業です。
やっと見つけた自分に合う薬を、増やすことも減らすことも出来ません。続けることが大切とされています。
久しぶりに再視聴しました。やっぱり面白い〜!
1:29:00からの「ファミコン」が何度聴いも笑っちゃう。😮
長時間の解説お疲れ様です。
この映画を観て思った事は善悪が逆転した瞬間を描いた作品だと思いました。世間一般的に善とされるトーマスが悪人として殺害され、殺人という悪を犯したアーサーが英雄として讃えられ善となる、全てが反転した作品だと思いました。
つまりこの映画は人の善悪は環境や立場、今の状況で幾らでも変わるんだ、という事を伝えてたいのかなと考えました。
これ見ただけで映画見た気になれる私の人生喜劇
レンドレヤフー
自分で見るより理解できますからね。
見る、は、体感で別の感動があるけど、理解するのとはまた違うことがよく分かります。
わかるけどこの映画は本当にちゃんとみてほしい
表情とか、演出とかすごいから
今回も長くて嬉しかったです!
生放送も楽しみにしています!!
テッドバンディの独自解説もお待ちしております!
自分はアメコミファンなんですが、1回目映画館で見たときは「おお、あのジョーカーに感情移入できる!これは魅力的だ!」と思ったのですが、考察とか色々見た後に2回目見ると「ああ、やっぱりjokerって理解できない事が魅力なのかな」と思えてきました。
それと私自身がそうなのですが、ノートの文字の汚さとか、独特の動作とかは軽めなディスレクシアとか、ADHDなのかな?
ホアキン・フェニックスじゃなきゃあこのJOKERという映画は成り立たなかった。それくらい、演技が凄かった。監督も脚本もキャストも、全ての歯車が噛み合わさった感じ。
待ってましたー
私の初見の時の感想は
誰もがアーサーを救えるチャンスはあった でした
動画時間2時間41分って凄いですね。映画本編より長いのでは(笑)今から見させて貰いますが見る前からすごい熱量を感じてます!
時計の11:11は統合失調症などにありがちな数字へのこだわりの結果かなと思いました…💭
面白い考察ですね!めっちゃ楽しみながら聞きました!
私は逆に最後の白い部屋の方が現実と感じました。
本編は彼の妄想ではなく計画
それをこれから実行する為、職員を振りはらい走り去ったように見えた。
初めからずっと観客を欺いていたと考えるとそれこそまさにピエロらしいオチだったかと。
アーサーの「最後は自分で考えろ」発言もこうやってみんなが考察することを見越して言ってるのかな
ジョークで殺す、というのが意味わからなかったけど、解説聞いててようやく理解できました。
拳銃、ハサミでツッコミを入れてたってことですかね。ハリセンでツッコミ入れてるのと同じ要領で。
私もこの映画について周りと語っていたのですが、一番腑に落ちたのは「このお話全てがジョーカーのジョークだ」と言う説でした。
妄想説と少し近いのですが、ジョーク「作り話」であると思った瞬間映画を観終わった後の不思議な感情に答えが出た気がしました。
観終わった瞬間に私はなんだか騙された!してやられた!という感情が湧いたのです。
真剣に親身に観ていたのにジョークかよ!やられたぜ!という感情だったんだと思います。
過去、ジョーカーは原作でも過去が色々と書き換えられているキャラクターとしても有名です。
ダークナイトでも自分の過去を色々と捏造しては語っていましたね。
つまりこの作品は「っていう悲しい過去が僕にはあるのさ笑えるだろう?」という作り話、ジョークだったのではないかと思いました。
更にこうして長い映画を観て真剣に考察している観客=カウンセラーに向かって「理解できるわけがない」と最後言ったのではないかなと私は考えました。
アメコミのキャラクターは
ベンおじさん以外は色々変わるのが普通ですよ
まっすぃ 確かにアメコミのキャラクターは時代と共に過去がよくかわっていきますよね!そこがとっても魅力的です。
冒頭の割れた看板も11時11分の向きになってるんですよ
本編より長い解説流石です📽
ところてんウェーイw
映画のポスターにもなっている、冒頭の、アーサーがピエロメイクしているときに口を二本の指でニュっと引き上げ、右目から涙が流れているシーン・・・あそこで、ある意味でネタバレしているんですよね。
アーサーって、実は別にコメディアンになりたい人でも、人を笑わせる職業につきたい人でもないんですよ。
それは、お母さんにそう言われたから、やっているだけなんです。
全ては、お母さんに愛されるために・・・。
お母さんに”ハッピー”になってもらうために、やりたくもない、やりたいとも思っていないコメディアンに必死でなろうとしているけれど、心の底ではそんなことは望んでいないから、涙が出ちゃう・・・でも、こうしないとお母さんに愛されないし、ハッピーでいないと愛されないし・・・ていう。
待ってました!!
本当にありがたいです!!
待ってました!
私にとっては今年度ナンバーワン映画です!
ボー見た後だとJOKER余計に面白い気がしました。
昨日新宿でジョーカー再上映をimaxで観てきました。
個人的には全てアーサーの妄想で病院でのお母さん殺害と最後の親子(両親)の銃殺だけ自分でやったのかなと思いました。
最初の3人の殺人は関与しておらず、ゴッサムのピエロ祭りに感化されて妄想と便乗をしたのではないかと。
紙芝居も見てきました!
看板を取り返すため走って路地を曲がるシーンが印象的だった(昔の海外アニメの様に足をバタバタしながら曲がるシーン)
ぜひそこも見てみたいです。
アーサーの人となりが現れている良い動きだと思います。
一つのベットで親子が寝てるのはそれほどお金がないことの強調かもしれないね
後は、彼には母親しかいない、母親からは愛情を感じていた。
けど…(・・;)
アーサーはソファーで寝てたっぽいですが。枕と毛布置いてましたし。
時間の感覚が曖昧になってる説なんてどうですか?
今が何時だろうと彼にとってはそれはどうでもいいことで
彼にとってはいつも11:11とか。
この映画で必死に真剣な顔で見ていたり、みんな揃って考察をしてたりあんなに社会現象になってるのを目前として、ジョーカーとしては「いや、ジョークジョーク!」て言うことなんだと思う。こんなに熱くなっている私たちを見て彼(アーサーではなくジョーカー)なら”why so serious?" と言うだろうな、と。あくまでもジョーク(喜劇)ですから!最後にアーサーが言ったように「きっと理解できない」と言うこと。そして私たちはできなかった。そしてそのセリフはJOKERと言う映画を見にきた人へのこの上ない冒涜であり、歩み寄ろうとしてわかったふりをした私たちを突き放す言葉でしたよね。11時11分に関するスピ系解釈は個人的にはあまり好みではないです。11時11分の時計たちは「ジョークだっつうの!」て言うせめてものジョーカーからのヒントだったのかなって思う。なんせ、私たちが相手にしているのは「ジョーカー」ですから……ねえ?私たちは結局何も「理解できない」まま。そんな感じに思いましたあ!生放送いけないのがとても残念です…
ジョーカーの精神分析のために女医が実在の殺人ピエロ、アーサーの話をした。
アーサーは冷蔵庫に入って自殺をして、その後の話はジョーカーの考えた
バットマンとジョーカーは同じ切っ掛けで誕生した兄弟というジョーク。
ラストシーンでの女医の「何で笑っているの?」という質問はアーサーにはしない質問のはずです。
「このジョークはあんたには理解できないさ」
というのは女医と同時に、ジョーカーに感情移入したつもりでいる観客にも向けられたものだと思いました。
ジョーカー一流のジョークで観客を笑った映画、というのが個人的な考えですが
最狂のヴィランであるところの理想のジョーカー像ありきの考察です。
とても楽しく見させて頂きました!
アップロードありがとうございます😂
リクエストです! できればロードオブザリングを解説お願いします!🙇♂️
あくまでも個人的にですが自分的に思っていたことを言ってくれてました。それ以上は言いません、ありがとうございました。次回以降も楽しみにしています。
これはもうスピンオフの域を超えてる
後半の顔にメイクしてるシーンで出てくる母親の若いころの写真を見るに、ウェインと母親の関係は妄想だけだったとは考えづらい
もし裏書をしたのが母親ならばTWというイニシャルではなくトーマス・ウェインと書くだろうし(母親の精神疾患的にね)、
他にも写真への一言を求められただけならサイン等と同様に写真の表に書くはずでは?
ウェインが財力にものを言わせてアーサーと母親を放り出したのだとしたら・・・ウェインの最後は因果応報と言えなくもないね
11:11について私見。アーサーはジョーカーです。ジョーカーありのポーカーにおいて1=エースのフォーカードは最強の役であるファイブカードとなります。もしそうだとしてそれにどんな意味があるのか結局分かりませんが、一種の遊び心として11:11と数字を並べただけでも芸の細かいユーモアかなと。ほかに解釈があれば教えて頂きたいです。
面白いもつまらないも主観だそうなのでキャッツ見に行ってきますね。
いつも楽しく拝見しています!
アーサーの暴力に対して無抵抗なことについての考察です。個人的には別人格に助けを求めているわけではないと考えています。アーサーは虐待を受けていたため、暴力への抵抗の無意味さや、我慢すれば時間が解決することを本能的に理解していたのだと思います。
この暴力を受けた瞬間無抵抗になり終わるのを待つだけという姿から虐待の事実を表現されているのではないでしょうか?
アーサーは妄想癖はあるが別人格に助けを求めているという描写はなかったと思います。
自分もそう思います
しかも複数対1人ですしね 下手に抵抗するよりじっとしてる方が被害が少ないのを知っているのかも
映画内では2回だったけど、以前にも何度もリンチされてたのかもしれないし
私もそうだと思います。
子供の頃虐待を受けていたので、とにかくひたすら我慢する、心を無にすることをしていたのだと思います。
考察は誰でもジョーカーになる可能性がいいなぁ。不幸の連続だとどんな良い人でも化物になりそうだ。
不幸過ぎると人間壊れますからね。そんな人には優しくするだけで少しは救われるかも
@@架橋明日-u1k
ほんの少しの優しさだけで救われることもありますよね。
まぁ いえることはアーサーはジョーカーになることで正常になったってことですね・・・(薬の服用がなくなった)
アーサーと自分は近いものを感じました。ですが、自分には信頼できる行動を共にしてくれた仲間がいます。だから、私は人を傷つけることなく正義を貫きます。
ジョーカーに共感する事は出来るけど
ジョーカーを理解する事は出来ない。
銃=ジョーカーだと勝手に感じた。
銃は自分を守るための護身用でもあり攻撃性でもある。アーサーの中に潜むジョーカーは、狂ってしまうようなロクなことがない日々を過ごし銃を手にしたその日から段々と形となっていき、彼の体へと一体化した。ジョーカーは自らに銃口を向け自殺する素振りを見せるアーサーの手を回し、その銃口を彼にとっての悪に向けて放った。
一種の防衛機制でもあるのかなーて思った。
ちなみに「ノックノック」はアーサーの中に潜んでいたジョーカーが(体の)中に入ろうと訪ねてきた場面でもあると感じた。
ジョーカーと完全に一体化した彼は側から見れば狂気的で孤独な虚しいピエロなんだろうけど、彼自身はアーサーのときより間違いなく幸せそう(ハッピー)に見えた。
妄想で混沌した狂気にも感じるアーサーの現実を上手く表せていた。そして、心が孤独な者にとって自分の中にある存在ってまあ…この映画では良いと言い切れないが、ときに守ってくれるんだよね。そして、それは社会や他者との人間の間から生まれ、銃のような凶器にもなりうる。JOKERでは人々の社会への鬱憤を映画という娯楽として美しく私たちの心を燃え上がらせてくれた!
11:11とはポーカーにおけるエースのフォーカード、世界のルールが変わって(ハウスルールになりジョーカーを使って良くなった)のでエースのフォーカード+ジョーカーでファイブカードになった…のではと思ったりしました。
マーレイをやる直前の時計は22:40くらいでしたが…
これはただの感想なんですけど…
(長いので、読みづらかったらすみません)
2人の同僚が家に来たシーンで、銃の持ち主だった方を殺したのは「まぁこいつ胸糞悪いやつだったしなぁ」って気持ちになったんですが、
その後もう1人を笑顔で逃したところに心底ゾッッ…としました。
よくフィクションの世界で敵味方なのに、なぜか情を見せて
「フン、逃げるなら今のうちだぞ、って脅しつつ見逃す」
「殺してやる〜とか言いつつ間を持たせて逃しちゃう」
みたいなシーンてありますよね。
それって、敵味方の中にある絆や、悪い奴の中にある人間味を表現するような感じで肯定的に感じさせるものが多いというか。
なのに、あのシーンはめちゃくちゃゾッとしました。
人なら殺さない、動物なら食べるために殺す。味方なら殺さない、敵なら襲って来るから殺す。
そういう命の選別を、本当に日常的にやってるのが人間です。
日常的すぎて、無意識に正当化していたかもしれない「それ」をああやって目の当たりにすると衝撃的だったし、
同時に「あ、これが人間なんだわ…」と思って背筋が寒くなりました。
「背が低くて自力で逃げられない体格」であるっていうのはわざわざそう設定してるんだろうな…と思いました。
「怖くて逃げだすのを見逃す」んじゃなく、
「わざわざドアを開けてあげる」ですよ!
そのとき、アーサーは笑っています。怯える同僚のこと、ふざけて脅かすフリして「笑って」るんです。
少なくともあのシーンでは、彼らは対等な友達なんかじゃないです。アーサーがより上の、より力がある方、笑う側にいる。
でも、それはアーサーがもう好き放題やり始めて、価値観が逆転しているから?上下関係が変化したから?
それは違うと思うんですよ…
うまく言えないのですが、大なり小なり元々「そう」だった感じがするんです。「憐み」みたいなものがあったように見えました。
でも「憐み」って、あまり対等な感情ではないですよね…
アーサーも、アーサーをバカにしてきた連中と本質のところでは全く違うとは言えないんじゃないか、そんな気がします。
発達障害の身内がいて序盤聴辛いなーと思いながら聴いていました。虐待されていなかったら、療育されていたら違った結果になったでしょうか?しかし蝶が羽化したかのような様子は羨ましくあり…。私が母なら喜んで殺されたい。毒気に酔っているかもしれませんが。
気づいた&疑問 その2
●バスで子供をあやそうとして怒られるシーンと
エレベーターでソフィーと出会うシーンは
メイクの洗い残しが見られる。
→二つのシーンは別の日でっぽく編集されているが同じ日のできごと?
●1回目のカウンセリングの部屋で11時11分の時計とドアが映るが、
アーサーがドアに頭突きをしている場所(監禁された病院)も、
ドアと11時11分の時計との位置関係が一緒→同じ場所?
●ランドール殺害時に
ゲイリーが玄関のチェーンキーに手が届かずアーサーに外してもらうところ。
ゲイリーは殺されるかもしれなくて切羽詰まっているが、
観客からはただのチビいじりで不謹慎だが笑えてしまう。
ここが悲劇⇄喜劇を端的に表しているろ思う。
ウェイン夫妻が襲撃される場面は、バットマンファンのために取ってつけたようなシーンであり、要らないんじゃないかという感想をどこかでみました。しかし私はそうは思いませんでした。コミックと比べることになってしまいますが、ウェイン夫妻がただの強盗ではなくアーサーに影響を受けたクラウンによって襲撃された点はこの映画にとっては重要じゃないかと思います。すぐわさんの言う「自分の頭で考えろよ」っていうテーマにも関わりますよね。まぁ、真珠のネックレスが飛び散ったのはファンサービスだと思いますが。
あのクラウン男が実は後のジョーカーだという説や、本物のジョーカーに影響されたアーサーだという説など様々な捉え方があって非常に面白いです。
生放送楽しみにしてまーーす。
他の方のコメントを読んで
やはり冒頭のカウンセラーは存在するのではないでしょうか
『アーサーという弱者は社会・福祉からも見捨てられた、存在を切り捨てられた』『カウンセラーすら親身になって話を聞いてくれない』という描写は絶対必要ですし
もし妄想だったならアーサーを異常に肯定する都合のいいカウンセラーであるか、
逆にアーサーの心の抑制の象徴であるならば厳しく「芸人にはなれない(アーサーが心の底では自分で芸人にはなれないのではという不安が現れる?)」「このまま社会が求めるように大人しく生きていけ→ピエロの仕事を続けた方がいい」と言うとか
でもカウンセラーは何もアーサーに言わないですよね
アーサー的にも作者側にもここが現実でなく妄想である理由が薄いかなと
素直に考えればカウンセリングが打ち切られ断薬したから妄想の症状が強く出てきたのではないかと
マレーの妄想は妄想だと理解しているし、以前から現実に侵食するレベルの妄想は出ていなかったのでは
ソフィーを好きになったのはエレベーターの場面が初ではないですよね(初かもしれないけど)
付き合う妄想が今まで出なかったのにそこで急に現れたのは何故なのか クビになったことや舞台へのプレッシャーストレスもあるかと思いますが
衝撃が強すぎてマスクの下で開いた口がふさがらなかった・・・
すぐわさんの解説動画をいつも楽しみ視聴させて頂いてます。
色々な人の考察を見ると、とても感心してしまいます。確かに時計は気になりましたが、気にした程度で疑問にも思わず、涙の件も、きっと意味があるんだろうなー程度でした。すぐわさんの洞察力も頭が下がります。私の自称映画好きは、まだまだ修行が足りないなと思いました。
でも唯一気になっているのは「衣装、服装」でしょうか。今までのジョーカー〔私の無知かもしれませんが〕では、今回の様な明るい衣装を着たジョーカーを観たことがありませんでした。なので、他の方の考察でもあったようにアーサーはジョーカーのモデルであって、バットマンのジョーカーではないのかなと思いました。長々すいません。これからも応援しています。