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やっぱあのドニントンパークのパフォーマンスは忘れられない・・・
93年のF-1は、最高にエキサイティングだった。HONDAエンジンを失ったセナは、衰えるどころか更に輝きを増した。最高にカッコ良かった!翌年、あんなことになろうとは誰が予想しただろうか・・・。
アイルトンが素晴らしいドライバーであったのはわかっていましたが、本当に素晴らしいと思ったのは、このMP4/8の時でした。最強のマシン&パワーユニットを失い、ある意味「裸一貫」でGPに対峙したこのシーズン、もっとも生き生きとしていた強い印象が今も残っています。
ドニントンパークサーキットでの雨のレース、鬼神がかったセナの走りはめちゃくちゃ最高でした🤗
大雨の中、大外からごぼう抜きにしたセナの走りは忘れられない。
MP4/8はコンパクトながら軽くてキビキビ走る操縦性の良さでホンダ時代とはまた違ったタイプの傑作マシンでしたね。でも勝利のほとんどはセナの超人的な活躍によるもので、いかにマクラーレンにとってセナの存在が大きかったのかを再確認する年でもありました。
この時がマクラーレンとセナの本当の強さを実感した年になりましたね。
でもタイトルは、取れなかった……残念
条件が厳しくなるほど輝きを増すセナのようなドライバーは今後も出てこないだろう。当時の喪失感を今でも引きずっています。
@@堀畑隆 様ほんとにそうですよねリアルタイムで活躍を知らない世代ですが現代のF1と違い抜きん出たマシンが勝利してるのとは大違いですと感じてます
圧倒的に速かったウィリアムズに立ち向かうこの年のセナとシューマッハはめちゃくちゃかっこよかった。
最初からセナとハッキネンのコンビで見たかった
フォードエンジンだからアメリカ人のアンドレッティを起用せざるを得なかったのだろう。
元々正ドライバーのハッキネンを1レース毎契約のゴリ押しでテストドライバーに押しやっていたセナ。フジテレビ&古舘伊知郎のひいきが度が過ぎていたのでどうも好きになれなった上にこの行状で完全にセナ嫌いになったのでした。
@@ダンドレジーラウール 「コイツは将来自分を脅かす存在になる」というセナの嗅覚でしょうね。自分のパートナーはパトレーゼやバリチェロのようなドライバーであってほしい、と思うのが常。
でも当時我輩…前年までアメリカにおりまして、インディでのマイケルの大活躍を目の当たりにしていたので、かなり期待はしておりました〜🙇
ハッキネンが予選でセナより速かった時のセナのパニクった顔が浮かぶようです。流石に本戦では結果を出しましたね。ハッキネンは、シューマーカーが何度も卑怯な地を手を使って勝とうとした相手ですから本当に速かった。
93年のドニントンのセナは圧巻でした✴テレビ観ててゾクゾクしました、インをこじ開けて鍔迫り合いも面白いけどアウトからあっさり抜き去っていく姿はあっぱれでしたね。
車重が軽くなってフットワーク良くなった特性を生かして、セナも戦い方を変えたんでしょうね。アウトから抜き去っていくのは大きく重いホンダエンジンではできなかったと思います。
mp4-8懐かしいなぁセナの神がかった走りは勿論のこと、アンドレッティの代わりに終盤に走ったハッキネンの速さも光ったのを今でもよく覚えています。
アンダーパワーのコスワース😢セナが乗ったからこその熱いシーズン。セナの凄さがたくさん見れた年。94年にセナとお別れが来るなんて😭ブラジル🇧🇷モナコ🇲🇨鈴鹿🇯🇵最終戦🏁セナが勝った大切な思い出の車ですね😢
MP4/8はウィリアムズが最強のルノーエンジンを搭載している中でコスワース(フォード)のHBエンジンで明らかに劣勢でしたけど、セナの手腕とウィリアムズに匹敵するハイレベルな空力とハイテクもありなかなか戦えるマシンになって5勝の活躍!セナはこのマシンに最初は絶望していながらもテストの結果から薄々手応えを感じていたとのこと。まあ、彼が手応えを掴めばどうにでもなりますね!それだけの信頼と実力のあるドライバーですから。あと、最初から相方がハッキネンだったら…セナはもっと燃えていたでしょうに。
マイケルはマクラーレンというかF1の居心地が良くなさそうでしたね。(>_
確かにホンダから戦闘力は落ちたけどこの年はウィリアムズがとにかく速かったから仕方ない部分もある。それでも5勝するセナとマクラーレンの組み合わせは凄い
ホンダエンジンの段階でもはやウィリアムズルノーにたいして先が見えてましたね💦これ💦
実はホンダエンジンがバランスを悪くしていた説
@@ダンドレジーラウール 結局はV10がF1には1番相性がいいとホンダの川本さんが言ってた記憶があります💦👍
@@user-td2nr4ni3ですね。音は、V12が最高だったんですけどね。 笑
実はこのマシンも空力的には失敗しており、リアの車高が下がるとダウンフォースが抜けてしまう欠点がありました。しかし、アクティブサスを上手く活用することで、ストレートでは意図的に車高を下げ、トップスピードを上げることができたようです。パワーアシストブレーキさえもう少し早く実現していれば、FW15と最後までタイトル争いができたかもしれません...
ウィリアムズも同様でマクラーレンは分かりませんがウィリアムズは意図的にストールさせる設計だったようですね…(2021年までのF1でも同じような設計になっていましたね)
前年までエンジンに頼ったしょーもないシャーシをつくっていたのに、いろいろ追いつめられた結果見事な空力マシンをつくって93年では自分の中で一番カッコいいマシンになってたのを思い出します。
な!最高にイカしてたよな!
御意!
エンジンに頼ったシャーシじゃなかったらどうなっていたと思いますか?><
シーズン前半は良い出だし。でも夏の高速コースで空力の悪さが露見して、またシーズン後半に盛り返した。良い車が悪い車かよくわかりませんでしたね。でも、前年の7Aよりははるかに良い車でした。
確かにMP4/8はかっこいいマシンだったがMP4/4も捨てがたいw(年寄りの戯言)
中盤の取りこぼしが無ければ、チャンピオンの可能性も大いにあっただけに残念でしたが、93シーズンはセナの腕がよく分かりましたね。
ウィットマーシュが中盤でで気が抜けてたって言ってましたね。ポルトガルでハッキネンに予選で負けて目を覚ましたとも😮
終盤のマクラーレンは、この年最速のチームだった。ハッキネンを1年間乗せてみたかった。ところが、ハイテク禁止の誤った判断により「面白かったF1、楽しかったF1」がこの年で終わってしまった。
確かにそうですよね…いっそのことサスペンション制御システムを画一化してしまえばよかったのにって思います。
私はミカ.ハッキネンが初めて表彰台に(しかも鈴鹿!)上がったマシンとして印象深いですね。
マルボロカラーのマクラーレンで一番格好良いと思ってます。このMP4/8の成績でロン・デニスが4/7もエンジンさえしっかりしてれば悪い車じゃなかったんじゃないかと言ったと当時記事があったんですよね。第二次マクラーレンホンダの時のルノー製PUなら優勝出来る発言もこのチームのメンタリティは変わってないなと思ったもんです
セナが開幕直前にシーズン参戦を決めた結果リザーブ兼テストドライバーに格下げ。だが、そんな不遇に耐えて復帰初戦のポルトガルGP予選、セナを上回る速さを見せつけパドックを驚愕させたミカ・ハッキネンヒストリーで忘れてはいけないマシン。
セナはハッキネンに、どうやってタイム出したか聞いたら、ハッキネンは「俺の金○がアンタより大きいから」と答えたら、セナは怒り💢ながらリミットを越えて吹っ切れた感じだったみたい。
@@crankyfranky9801 今はF1は観ず、ワールド スーパー バイクを楽しみにしてますが、ハーフウェットの時、皆がインターミディエイトの時にドライのスリックで最終的に優勝🏅したりすると、周りから、タヌキか❗️ってくらい「デカい金○だな❗️」とポーズされたりしてますね。
ミカの存在がセナの発奮につながり鈴鹿アデレードの2連勝へ
ホンダエンジンではないけれど、MP4/8は大好きなマシンです、雨のドニントンパークのセナの走りは忘れられません😝
個人的に、セナは92・93年が一番輝いていたと思っています。チャンピオン獲得はならなかったのですが、それまでのチャンピオン獲得シーズンよりも素晴らしかった。ほんと、光輝いていたと思います。ちなみに、私自身はセナファンではありません。マンセルの大ファンでした。今でも、それは変わりません。
MP4/8は美しかったし、その結果は伝説のヨーロッパGPに集約される。
前の4/7が見た目がヤバかったからね
92年にシャシー性能でウィリアムズだけでなくベネトンに負けていたであろうマクラーレンが、ホンダエンジン失った翌年に素晴らしい車を作ったのには、底力を感じました。
シーズンオフにランボルギーニのエンジン載せてテストしてましたね
MP4/8ですが、フォードと組んだのが良かったと思います。当時のマクラーレンはシャシーの開発が進まず、エンジン(ホンダ)の性能を活かせない状況に陥っていました。フォードはパワーは劣る物のトータルバランスは取りやすい特性のあるエンジンで、シャシーがライバルチームより開発進まないマクラーレンには吉と出た、と見ています。加えて、セナのパフォーマンス自体はこの年はチャンピオン獲得していた頃よりも冴えていたと思います。勝てる展開となった時には確実に物していていましたね。ブラジル、ドニントン、モナコなど。それもあって、予想よりは健闘したシーズンになりました。
>当時のマクラーレンはシャシーの開発が進まず、エンジン(ホンダ)の性能を活かせないフェラーリだって勝ててなかったし、ホンダ自体もV10で勝ってたのに、変な拘りからV12にしてしまって、結局ウィリアムズに負けた。あの当時、V10が最適解だったのは明白。
1年休止して久しぶりに復帰したプロストが、F1キャリアで初めてアクティブサスペンションを体験して慣れていなかった事と1993年シーズンが悪天候(雨)のレースが多く続いたのもセナに味方した(シーズン前半セナがポイントランキングトップに立った事でも分かる)しかしウィリアムズの方が圧倒的に強いのは明白だったので後半にはプロストがランキングトップを取り戻した。そして4度目の世界タイトル獲得して引退した。この1993年F1シーズン、セナとプロストの対決は以前ほど激しさは無く世代交代の方が目立った。セナはチームメイトのハッキネンとベネトンのシューマッハからプレッシャーを受ける場面が多くなった(セナが追い掛けられる立場になった)逆にプロストの方は、チームメイトのデーモン・ヒルに対しては指導レクチャーする立場(世界王者になる秘訣を伝授?)だった。かってマクラーレン時代にプロストがラウダから世界王者獲得の教えを授かったのと同じように。
MP4/8が優れていたというより、明らかにセナの腕一本での勝利数だったと思う。シンプルで軽量コンパクトなマシンというのも多少の貢献はしてたと思うが、まあセナの腕が一番大きいよね。
あくまで他のコスワース勢よりとも💦👍まぁそれでもセナだからこその勝率ですが。
93年ブラジル、どうあがいてもプロスト&FW15Cには歯が立たないという予測を覆し突然降ってきた豪雨を味方にしてなんと優勝してしまったのにはもう朝方だというのに大騒ぎしました「ブラジルに奇跡が起こったッ!まさに奇跡ッ!ミラクルウィンッ!!」実況の三宅アナの絶叫が今でも耳にこびりついてます
「あの雨は一体なんだたんでしょうね〜」
地元である サンパウロ市独特のスコールが来るのを読んで、トップでレインタイヤに履き替えた。雨が降り始めた時、地元ファンはスタンドで大騒動だったのを覚えています。雨が降れば 挙ってカート練習に励んでいたのは地元では有名でしたから。
@@natami7223これぞ 雨のセナ💦👍
1993年シリーズ第3戦ヨーロッパGPのオープニングラップの衝撃は今も忘れられない…ホントに凄いオープニングラップだった!
セナが別格なだけで、序盤は未完成なマシンだったよね。シーズン後半は熟成が進んで素晴らしいマシンになった。シーズン中にここまで進化するんだと感心した。
MP4/8解説動画の公開どうもありがとうございます、この日が来るのを待っていました。 僕は中嶋デビューの87年から2002年あたりまでF-1をTVで見ていましたが、その間で勝利した唯一のカスタマーエンジン搭載車ですよねMP4/8は。オーソドックスなスタイルでエンジンパワーも他車より劣るのにも関わらずそれをマクラーレンの技術力とセナの神がかりの如くの走りで優勝を勝ち取ったこの車には特別な魅力を感じます。
アクティブサスペンションの出来は、ベネトンB193Bよりも良かったと思う
MP4/8は前年のMP4/7とは打って変わってハンドリングマシンになりましたね。この年のセナはとりあえず第5戦までの参戦という形でしたがその間にもエンジンに関してこの年から参戦を始めた無限ホンダV10を望んでいて「このエンジンを載せるなら全戦契約する」とロン・デニスに言っていたらしいですね・・・ただ、この話が本当になったらこのマシンのハンドリング性能が出せたかどうか疑問ですが・・・。(後の年度では軽量化されたとはいえこの年の無限ホンダV10はお世辞にも軽いとは言えなかったので)この年はハンドリングに勝るMP4/8とパワーを含めたトータルバランスに優れたFW15Cの対決という図式で面白かったですね!!ただ、ドライバーに関しては最初からセナとハッキネンのコンビで戦うべきだったと思います・・・。セナにとっては最後の輝きを見せてくれたマシンになってしまいましたが今でも私の中では大好きなマシンの一つです!!
無限ホンダV10エンジン供給の可能性があったのは初めて聞きました。けども重かったですから同じ操縦性を発揮できたかは疑問ですね。
ドニントンで観戦してましたがセナスタート直後に5番手に😢しかし寒さに震える私の前にオープニングラップをトップで帰って来たのがナンバー8 MP4/8のセナでした😊
今でも自分の中で美しいマシンはMP4/8です。オンボードから見たウネウネのアクティヴサスの動きが綺麗で当時のハイテクの集大成だと思っています。
でもモナコ予選でのアクティブサスの暴走は見ていて怖かった😨
懐かしいこのマシン好きで、当時タミヤのF1のプラモ作ったなぁあの頃はプラモを作ることで内部構造も分かって面白かった
ちょっとヴァージンボード仕様にもできますね👍右側のカメラも👍
俺は勿体無くて作って無い(-_-;)
@@bookue-s40 契約が切れちゃって当時のF1のプラモデルって再販が出来ないみたいですね…残念な話です
@@dyd880さん作らないとプラモ買った意味が無い事は解ったちゃいるんすがね…(-_-;)
この頃は現エブロの木谷さんがタミヤにいた時代ですが、製品化したらパドックでキットや完成品の贈呈式したり。タミヤがモデル化するって、F1界では結構なステイタスなんですよね。それで当時、ロンデニスが歴代マシンを全てタミヤでモデル化させるってノリノリでした。が、MP4/8で一旦シリーズ終了でした。
ホンダを失って、シーズン開幕前には未勝利か😵!?と憶測がありましたが、終わってみれば5勝を挙げてコンストラクターズもドライバーズもランキング2位✨👊改めてセナの凄さ✨🎉を私達に教えてくれたマシンでした🙆セナの才能と天候☔も味方にしてしまうんだから伝説に残るマシンと1993年のセナでしたね🙆当時鈴鹿を観に行きましたが、決勝当日朝のウォームアップランでセナがわざと汚れてるイン側を走って、汚れてるインの埃を蹴散らしておいた👊とコメントしており、その言葉通りスタートでトップに立って、天候を味方につけて戦略で優勝✨ヨーロッパでの優勝✨もそうでしたがセナは本当に偉大✨👑なドライバーでした🙇
このマシン上から見るときれいなクサビ形でカッコ良かったよね。
F1PP 動画だったと思いますがレース後の インタビューにて。自分が カスタマー Engでもこの成績を出しベネトンを貶してる映像がありました。プジョー等に鞍替え等せずフォードで継続してればまた違う結果に成ったかも知れん。
セナが当たり前の様に勝っていたホンダ時代はあまり応援していなかったですが、93年にホンダエンジンを失ったマクラーレンは非力なフォードエンジンになってからセナの本気と意地で開幕戦のアフリカやブラジル、ドニントンでの走りやモナコの勝利、日本、オーストラリアの勝利はカッコ良すぎてセナ頑張れ!と応援しながら見てました。セナは最強のドライバーだったと思います。
個人的にこの年のブラジルの勝利はセナのベストレースだと思います
知らない人が多いのは仕方ないことですが、マイケルアンドレッティはインディカー参戦してる合間にマクラーレンのテストドライブもこなしてて、93年のシートはロングビーチGP(インディ500の前のGP)辺りの段階から決まってことですが、ウィリアムズは93年はプロストとの契約が決まった頃は、セナのシートがなかなか決まらず、マクラーレン離脱も前々からほのめかす記事が92年の雑誌レーシングオンにも載ってたし、93年はインディカー参戦(実際に93年型ペンスキーもテストドライブしてる)か休養も考えてたほどマイケルアンドレッティについては知ったかぶり発言が目立っていますが、92年のインディカーシリーズ(当時TBSで放送されてた)も並行して見てた人は知ってるはず
強かった頃のマクラーレンのマシンよりこのMP4/8が好き〜
チャンピオンは取れなかったがセナ、この年は半端じゃなく凄かったウィリアムズとのマシン差は歴然、そしてベネトンにも劣る型遅れエンジンのMP4/8・・・車が駄目なら腕で勝負!しかもいいところで雨が降るんですよね神がかった最高の年と記憶しています。
ドニントンのオープニングラップにはセナの匠が凝縮されてたホンダ時代は何よりも「速いマシンを一点の曇りもなく走らせる」という方向性に彼の技倆が現われてたけど、あのシーズン特に前半戦は「圧倒的に速い敵の後ろで劣勢にあるマシンを捌く」ことにも長けてる、ってところを見せつけたと思う
まぁ、チャンピオン確定後の鈴鹿とメルボルン、雨のドニントンや同じくスコールに助けられたサンパウロ、プロストやシューマッハが自滅したモンテカルロって感じだが、この中でも雨のドニントンではセナの持ち味が出たレースでしたね
細かいツッコミで申し訳ありませんが、'93年のオーストラリアGP開催地はアデレードでした。(セナ最後の優勝でした)開催地がメルボルンに移るのは'96年の事。
ホンダエンジンパワーだけで勝てるマシンではなかった。MP4/8はかっこうよかったですMP4/9プジョーも好きでした。
カラーリングと相まって一番美しいマクラーレンのマシンと言っても過言ではないだろう
馬力的には非力でも、軽量、コンパクトのフォードHBを選択したから、トータルパッケージの重要性に気づかざるを得なかったとも言えるかな。型落ちのカスタマー供給であっても、ECUの設定は自由だったから、レスポンスを重視してどこからでも加速できる様にチューニングできた。序盤はそれで面白かったけど、ワークス共有を受けることができる様になったら、選択肢が増えすぎて、どうしてもウィリアムズに遅れをとっていた様な...。シリーズV、VI、VIIでは、ボアxストロークが全然違ったし。ある意味、今までの特性を捨てて馬力を求めて、ルノーエンジンとの超えられない壁に気がついた時にはもう遅かったと言うか...。ブラジルGPでは、セナはウィニングランで車を止めて観客に「ブラジル国旗を持ってこい!」とアピールする姿が印象的だった。モナコGPでも前方車に「そこを退け。道を開けろ」と手振りでアピールするセナの姿が車載カメラで捉えられていた。マリオの低迷...と言うか、ドライブスタイルが合わなかったのは「テクニカルコースのバトル」に慣れてないんだなと思った。もしもランボルギーニ エンジンを選択していたら、さらにどうなっていたかはわからない。
所詮、同じ所をグルグル回る「オーバルコース」のインディでチャンピオンになれても高速なストレートあり、タイトなコーナーあり、ヘアピンあり、シケインありのテクニカルなコースでは全く通用しなかったということですよね。(失笑、( ;∀;))・・・それに比べて、92年でF1を引退し、アメリカのインディに転向したナイジェル・マンセルがインディデビューイヤーでいきなりチャンピオンを獲得してしまった事を考えるとマンセルとアンドレッティの「マシンコントロール」の力量の差をモロに感じますよね。(笑、(^-^;)
あとこの時期にZetecRがあったなら少しはルノーV10にももう少しくらいついたかもしれないですね。
これがセナの最後の勝利マシン
そうなんすよね〜(-_-;)
あの時、鈴鹿のヘアピンにいたんだけど、最終ラップで観客に腕をふっての余裕の走行。ゴール後のクルージングラップでも。まさか翌年にはいなかったとは。あれがファンへの最後の挨拶になってしまったのかと思うと複雑。後ろにのちのチャンピオンのミカ・ハッキネンを従えて。
セナが休養してたら盛り上らなかった93年だったな、良くも悪くもセナがいたから面白かった年。セナとマクラーレンの底力を見たシーズン、ウィリアムズからパディ・ロウを引き抜いたのも大きかった。 燃料をギリギリまで削ったり、コスワースに独自のHBエンジン開発を探ったり、ランボルギーニエンジンのテストやハッキネンを起用して結果的にセナのケツを叩かせたんだし。
HBじゃなくっていっそのことV10でも独自開発されてればもうちょっとは良かったかなと思ってましたが。無理ですかね💦
この年のセナは、確かマクラーレンと一戦一戦ごとにレースに出る契約を交わしていた筈。全く戦え無い様な体たらくな車なら、すぐにでも参戦を止めれるパートタイマーの様なね。でも、予想に反してMP4/8が、意外にも戦えそうなマシンだった為、結局最後まで参戦したんだよね。
@@無限の無-s9g 今じゃ大問題の契約内容💦
@@無限の無-s9g😮😅
MP4/8を取り上げてくれて、ありがとうございますm(_ _)m個人的に、最高のマシーンだと思います。
イギリスGPでのセナのプロストに対するあのディフェンスは見てて面白かったです。
ニューマンハースはマイケルアンドレッティとマンセルが入れ替わったが、92年のインディカーシリーズはコスワースXBエンジンはシボレーA(ペンスキーのみB)より速かったがトラブル多くチャンピオンになれなかったが、93年には改善されたのもあるし、マンセルが適応できたからデビュー戦のサーファーズパラダイスでポールトゥウィン(フルコースコーション中に追い越しなどもやらかしての上で)もシリーズチャンピオンになったからね
92年は中古?ローラ改造のボビーレイホールがチャンピオンになったようですね👍94年からは社会人新しく入ってきたメルセデスイルモアエンジンとペンスキーのハイテクにちょっとやられてしまいましたかね💦
インディ94年開幕戦はマイケルとマンセルの直接対決でした
@@nf-104 この年はホンダもブラバムホンダでなくワークスとして本格出場しましたね👍音が悪かったですが💦
@@user-td2nr4ni3 F2用のホンダエンジンをベースにジャッドがインディカー用メタノール・ターボエンジンに仕立てあげた80年代の時とは違い、アメリカホンダによる本格参戦でしたね
@@nf-104 類似というよりほとんど共有の状態のエンジンコンスタンターのジャッドのエンジンも2年前あたりまで参加してたようですね💦
マイケルがF1で結果を残していたらアメリカでのF1人気は上がっていたはず。そうなったらインディからF1へ転向するドライバーがもっと増えていたかもしれない。実際にアル・アンサーJr.やポール・トレーシーに関心を持ったチームもあったし。でもそうはならずジャック・ヴィルヌーヴのウイリアムズ入りまで待たねばならなかった。
あとは奥さんが止めてもすぐに他のドライバーにイディオット!って喧嘩を売るコロンビアの暴れん坊将軍な😂
今改めて振り返ると、フォードに忖度した結果のアメリカ人ドライバー、アンドレッティの起用だったんだなと。フォードのロゴですが、カスタマー期は白地にフォードの文字が黒。ワークス以降は黒(青?)地に白文字でフォードに変わったんですよね。懐かしい。
そんなマイケルも2年前まではシボレー党という💦
93年のマクラーレンチームは92年のウイリアムズチームに大敗を喫し、王者陥落した経験からマシンのシャシー設計の見直しを図り、さらにマクラーレンチームが長きにわたり、頼りにしていたホンダエンジンが撤退したことにより、フォードV8HBエンジンを搭載せざるおえない状況でしたが、今まで重く大きいV12エンジンでマシンパッケージも色々、限られた設計しか出来なかったのに対し、軽くてコンパクトなV8エンジンを搭載した事により、マシンのシャシー設計も空力に優れたボディに仕上がり、パワーではホンダV12に劣るものの、コーナリングでの運動性能が向上し、さらに、アクティブサスペンションやトラクションコントロールなどのハイテクデバイスも手伝って、予想以上の戦闘力を得た93年のマシン、マクラーレン・フォードMP4/8・・・セナの神がかり的なドライビングと相まって優勝候補のウイリアムズやベネトンと「ガチンコ」で勝負できるレース展開を見せていましたね。(*^^)v・・・しいて言えば、F1のマシンに不慣れでタイトなコーナーの多いサーキットでのドライビングが下手なマイケル・アンドレッティを、もっと早くに解雇して、ミカ・ハッキネンをもう少し早くレギュラードライバーに起用していれば、ウイリアムズチームとのコンストラクターズ争いももっと接戦になっていたと思いますね。(^_-)-☆
フォードエンジンだからアメリカ人のアンドレッティ、切りたくても中々切れない。
@@specialconcorde ありえないけど、マリオの方ならどうなってただろう💦
MP4/8が速かったのは紛れもない事実だけど、同時にMP4/8、特に前半のカスタマーエンジン搭載仕様を引き離せなかったFW15Cが意外と速くなかった説もある気がする。ハイテクがなかったら、そのままB194とFW16の関係だったのではないだろうか?
高地でのレース、雨絡みが多かったことも影響していると思う共にエンジンパワーの差が小さくなる方向に作用したヨーロッパラウンド以降は雨が少なく、比較的標高の低い場所でのレースが多く、エンジンパワーの差が大きく出たように思う
少なくともポルトガル以降はウイリアムズとの差はかなり少なくなった。
GPcarsではディフューザー後端に三角板を追加したらストレートで最高速が一気に伸びたと書いてあったな😉
プロストが引退を決めチャンピオンシップも決まって残りが消化レースになってしまったのも大きいですね
1992年シーズン終了間近の時にマクラーレンは1993年シーズンに向けて、ルノーV10獲得を狙ってリジェ買収を狙っていた事もありましたが…リジェの内部はフランス政府とのマネロン天国状態でこれはヤバいと悟ったのか、リジェ買収を断念せざるを得れなかったというエピソードもありましたからね…。
ボディーはスリムでカッコ良かった記憶が、あります😃
ドニントンも凄かったけど、モントリオールのオープニングラップもすごかった。
雨のドニントンは今でも覚えてます。あれが日本のオートポリスで開催予定だったアジアGPの代替というと考え深い物があります。
シーズン終盤のブレーキの改良によって速くなった話は、初めて知りました。これが、シーズン序盤に投入されていたら、なんて考えてしまいますね。
MP4/8はロータス78、ジョーダン191と並んで自分の中で3本の指に入る好きなマシンです。
ワールドチャンピオンを望むアイルトン・セナ・ダ・シルバとして物足りないMP4/8だったかもしれないが私的にはセナの速さが観れて良かったなと思います、雨天でのレース🏁は上手いレーサーでしたね?特に雨のドニントン・パークサーキットと鈴鹿サーキットは凄かったです、そしてセナが活躍する最後の年でもありました。もう時期運命の5月1日が今年もやってきます😢💦🙏
この年のマクラレーンは最強ではなくなっているしウィリアムズにも大きな差があったにも関わらずセナがこのマシンのポテンシャル以上のパフォーマンスが出せたのは圧倒的。今活躍中のドライバーが同じ条件で走行したら同じパフォーマンスは出せないと思うが現在のマシンでセナが乗っていればと思うと想像以上のレースを展開していただろう。何せ今はドライバーが誰だろうとコンストラクターズの優劣の差で勝負は決まっている。
全くの、自分本位の思い出話ですが(笑) 就活中の夜勤バイト当時、ブラジル、ヨーロッパ 半ば寝惚けながら見てました。 あっ、もちろんミニカー、タミヤキット、色々持ってます。
マクラーレンランボルギーニ見てみたかった
開幕からセナ&ハッキネンが乗っていたらどのような結果になっていたのか?
開幕南アフリカから第7戦のカナダまではセナは1戦ごとの契約だったと思います。それと、最新のフォードエンジンになってノーズのフォードのロゴが白抜きから紺色のエンブレムになっています。
白抜き→カスタマー 紺色→ワークス
アンドレッティは可哀想だったアクティブサス、フライ・バイ・ワイヤなど、ローテクのCARTからF1でも未知のテクノロジー満載のMP4/8は流石にキツかったと思う。またローリングスタートだったCARTからスタンディングスタートのハイテクF1は戸惑い多かった、事実スタート後すぐにリタイヤも散見した記憶
モントーヤやジャック・ビルヌーブはまだ恵まれた方でしたな💦
@@user-td2nr4ni3マイケルの失敗はマシン開発の遅れによる走り込み不足が理由のひとつでしたから、ジャックやモントーヤがマイケルの二の舞にならぬようフランク・ウイリアムズはマシンに慣れさせるためにみっちり走り込ませたんですよね。そう考えたらマイケルは良き反面教師になったと言えますね。
@@しろコンニャク これは息子マルコさんもF1は諦めますな💦👍
マクラーレンのハイテクシャーシ-も良かったですが、セナのドライビングスタイルとフォードエンジンの相性も良かったんでしょうもっと早い時期にワ-クスエンジンを搭載してたら、終盤戦までタイトル争いしてたかも?しれませんねそれは、それで、観て見たかったですね。
一説によるとホンダに比べてフォードのエンジンブレーキが弱かったおかげでコーナースピードが保ちやすかったみたいね
いくら天候や相手チームのトラブルがあったとは言ってもフォードのカスタムエンジンで3勝したのは後にも先にもセナだけ!
HBシリーズエンジンに花を添えましたね👍
鈴鹿の予選、セナがラストアタックで東コースをプロストに対してマイナス表示で駆け抜けて来た時は観客席がどよめいたものでした。ただやはりルノーエンジンに対してパワーのハンデはいかんともし難く、高速区間の西コースで差をつけられてしまいました。シケイン立ち上がりでのトラクションコントロールを効かせた独特の音が印象的でしたね。ハイテクマシンがセナの神がかり的なドライブという“人間力”を際立たせる結果になったのは皮肉というか何と言うか。そういえばマクラーレンのアクティブサスペンションのシステムを購入して使用していたフットワークのマシンの挙動がMP4/8のそれに似ているなと思って見ていました(←多分に思い込みの可能性あり・笑)。
この年はマイケルを観れなかったのが最も残念だったね鈴鹿までに辞めてしまった まあっ仕方ないよね当時でもインディカー?は頭まで覆うほどのサイド何とか?で安全性に関することは超進んでいたが F1はクビから上が出ぱなしそりゃ怖いし不安はあるよね マイケルが辞めた一番の理由がこれマクラーレンの不調?など自分にはどうでもよかったですわ
MP4/8のセミATとアクティブサスの信頼性と完成度が、最初からある程度高かった事が意外だった。他チームは1~2シーズン捨てていた事を考えると、当時のマクラーレンの開発力は決して捨てたものではなかった。
MP4/8の活躍はいろいろと考えさせられます。電子デバイスへの高い適用性を見せたセナ、V12→V8でもルノーV10に勝てる事で、マシンパワーよりも総合パッケージが重要視される事が明白になったこと。ある意味、ホンダV12は必要無かったかも、と思ってしまいます。
シーズン途中に、MP4/8を改良してランボルギーニV12エンジンを搭載したMP4/8Bを試作テストでドライブしたセナとハッキネン。これでセナが実戦走行したいと言ったり、ハッキネンは好感触を得た。V12エンジン搭載用に燃料タンクを改造したとはランボルギーニV12エンジンを載せたくらいだから、ホンダV12エンジンをMP4/8に載せていたら?きっとセナのホンダ戻って来て欲しいラブコールだったに違いないと思います。
フォードとベネトンとの問題があった中でマクラーレンがあのような終わり方を出来たのは「セナ」がいたからであり、セナとマクラーレンの長年の積み重ねが大きく、モナコとアデレードの勝利はそれを物語っていたと思います。
シーズン序盤、なかなか上手く行かないプロストに「上手く行かないならクルマ変えるよ?」と皮肉タップリに話すセナに大人げないなあと感じました。
セナは2位走行中のメカニカルリタイア(サンマリノ、カナダ、ハンガリー、ポルトガル)が勿体なかったです。さすがに全線完走は無理ですが、あわよくばチャンピオン争いができたのではないかと考えてしまいます。
92年のMP4/7よりはマシン的にはいい出来だったはず。それはフォードV8の軽量なことが大きく影響したと思う。ただV8なので、どうしてもストレートやカーブの立ち上がりでパワー不足があった。セナとしてもエンジンパワーが大きいものがよかった感じなので不満は大きかったと思う。ただセナのドライビングテクニックと勝利を諦めない姿勢のおかげでM P4/8はシーズン前の予想よりいい成績を残せたのだろう。もしセナでなければ・・・。個人的には大好きなマシンの一つ
そのあとのプジョーV10はさらなる悲劇に。
@@user-td2nr4ni3 プジョーV10は火炎放射器または焼き芋やさんでしたね。
@@user-td2nr4ni3 マクラーレンチームは94年にプジョーと契約してプジョーエンジンを搭載する事になりますが、実は93年に4度目のチャンピオンを決め、引退したプロストの元にセナとロン・デニスから「またF1に復帰してくれないか???」というオファーが度々、あったそうです。それもあってプロストは94年シーズン開幕前、マクラーレンMP4/8を改良したシャシーにプジョーエンジンを搭載したマシンでテストに参加したそうです。・・・しかし、プジョーエンジンの出来きがイマイチ良くなかったため、プロスト自身「このエンジンではアイルトンとは闘えない。・・・このエンジンの性能を熟成させるには時間がかかる。」と言ってF1復帰を断念したそうです。(>_
@@MrNori4649 確かにいくら凄腕プロフェッサープロスト氏でもマクラーレンはどうにかできてもエンジンばかりは💦👍プロストもルノーエンジンならと思ったでしょうね💦
@@hisashi1976 元リジェことチームプロストの時代になってもちょっと怪しいエンジンばかり💦
アンドレッティの不振がつくづく勿体ない何故セナとの差がこんなに開いたのか❓🤔
このMP4/8、軽量コンパクトなフォードV8エンジンを搭載した事によって前年マシンのMP4/7よりホイールベースが7cm短くなり、軽快なハンドリングが可能になり、セナは「こんなに取り回しがしやすいとは!」と驚愕したそうです。後はエンジンパワーだ、とランボルギーニV12エンジンを搭載したMP4/8をテストしました。そのランボルギーニエンジンは恐ろしくパワーがあり、セナはすぐにこのランボルギーニV12エンジンを搭載するようにチームに懇願しました。後に当時のエンジニアやハッキネンはそのエンジンパワーを認めながら、「本当に3.5リッターだったか疑わしい」と語っていました。
確かに93年は面白いシーズンでしたね伝説のヨーロッパドニントンイギリスではセナプロシューの三つ巴の激しい争いでしたねさんざんセナがベネトンと同じエンジンが欲しいとメディアを通し訴え続けて遂に同じエンジンを獲得しましたね。
たしかにハッキネンにとってはセナが乗るのでリザーブへ。。これは気の毒でした。その後チャンピオン。
ベネトンはフォードのシリーズ7と8を無条件で使用できるけど、マクラーレンとロータスとミナルディは使用料を払えば搭載出来る契約だったんだよね。だけどロータスとミナルディは資金不足で断念って感じだったけども、マクラーレンはフォードとコスワースに使用料を払ってても中盤からじゃなきゃ搭載できなかったのは…他でもないベネトンからの横やりって感じだね。シーズンが終了したときにベネトンのポイントはセナのポイントに及ばずだったし、ベネトンはマクラーレンと言う老舗にしてやられて、ベネトンはワークスエンジンを搭載しながら…って感じだったし、マクラーレンが知らしめたって感じだったね😃これは、さすがロン・デニスって感じだね😉👍️
MP4シリ-ズの中ではこの”8”がけっこう好きです。最強タッグの象徴であるホンダエンジンは失いましたが、パワーはあっても大きく重いV12に比べてコンパクトで軽いV8エンジンで車体の造形の自由度が上がって運動性能が上がったような気がします。大きく重いエンジンありきがゆえに設計の自由度が効かなかった、その呪縛から解き放たれた感すらありました。ベネトンに供給されていたワークス仕様のぶん捕り合いは大変だったみたいですが、アンダーパワーであっても軽い車体でフットワーク良くレースを戦うのはセナ本人の希望とは違ったかもしれませんが、腐らずに与えられた環境で5勝を挙げたのはさすがプロフェッショナルです!!セミAT・トラクションコントロール・アクティブサスとハイテク満載で、これも良く機能していたみたいですしね。マイケルはあまりイギリスの居心地が良くなかったみたいで途中離脱になってしまったのは残念でしたね。もう何戦かハッキネンをセナと組ませることで学習・吸収できる物があったかなと。そうであれば何かを学んだハッキネンはその後どう変わったでしょうね?ポルトガルGPの予選でセナを上回った時は、なんだか大変な時代が来そうな気がしました。(*゜ロ゜)オークションに出品されたそうで、自分にもお金があればなと恨めしかったです。(T_T)現実はタミヤのプラモデルです。(^o^)
この年、前年インディチャンピオンのアンドレッティが全然ダメで、逆に前年F1チャンピオンのマンセルがインディにニューマンハースから参戦して初年度でいきなりチャンピオン。当時は完全にF1の方がレベルが高いと認識させられましたね。
鈴鹿優勝の時のレース観戦に行きました
パワーを失った代わりにパワーは出ていたが長く、重いというハンデがあったホンダV12に代えてフォードHBを積まざるを得ない結果パワーがないもののフォードHBはV8で短く軽いため、シャーシの設計に自由度が増したのも事実です。
MP4シリーズで一番好きなの8ですわ
ウィリアムズのマシンは誰が乗っても速いという状況になっていたのに対し、セナは本当に腕で勝利をもぎ取った。ドライバーの腕の違いがまだはっきり分かる時代だった。
フォードコスワースはベネトンとマクラーレンには全く同じエンジンを供給していると言い訳して居ましたが違うのはシリンダーヘッドの小さな部品だけだとコメントして、セナプロ欲しかった伸ばし正にその部品だったと言う事でしたね同じフォードHBエンジンでしたから。
今のレッドブルの手法を見るに、この時1年救済措置で無限からV10をフットワークと一緒に供給してもらえば良かったのでは?と思うのだが・・・
セナの技術もさることなから、セットアップの指示とかも的確だったのでは?セナがいなくなってからはF1は見なくなったし、それに関する雑誌なども読まなくなりました!
最後の2戦は明らかにFW15を凌駕してた。せめてハンガリーGP位から、パワーアシストブレーキを実用化してたら、、、と思う。また、軽量なV12のランボルギーニの線もあった筈だ。
本当にセナ様様だよな。
歴代マシンの中で一番好きなのがこのマシンです。
やっぱあのドニントンパークのパフォーマンスは忘れられない・・・
93年のF-1は、最高にエキサイティングだった。
HONDAエンジンを失ったセナは、衰えるどころか更に輝きを増した。
最高にカッコ良かった!
翌年、あんなことになろうとは誰が予想しただろうか・・・。
アイルトンが素晴らしいドライバーであったのはわかっていましたが、本当に素晴らしいと思ったのは、このMP4/8の時でした。最強のマシン&パワーユニットを失い、ある意味「裸一貫」でGPに対峙したこのシーズン、もっとも生き生きとしていた強い印象が今も残っています。
ドニントンパークサーキットでの雨のレース、鬼神がかったセナの走りはめちゃくちゃ最高でした🤗
大雨の中、大外からごぼう抜きにしたセナの走りは忘れられない。
MP4/8はコンパクトながら軽くてキビキビ走る操縦性の良さでホンダ時代とはまた違ったタイプの傑作マシンでしたね。
でも勝利のほとんどはセナの超人的な活躍によるもので、いかにマクラーレンにとってセナの存在が大きかったのかを再確認する年でもありました。
この時がマクラーレンとセナの本当の強さを実感した年になりましたね。
でもタイトルは、取れなかった……残念
条件が厳しくなるほど輝きを増すセナのようなドライバーは今後も出てこないだろう。当時の喪失感を今でも引きずっています。
@@堀畑隆 様
ほんとにそうですよね
リアルタイムで活躍を知らない世代ですが
現代のF1と違い
抜きん出たマシンが勝利してるのとは大違いです
と感じてます
圧倒的に速かったウィリアムズに立ち向かうこの年のセナとシューマッハはめちゃくちゃかっこよかった。
最初からセナとハッキネンのコンビで見たかった
フォードエンジンだからアメリカ人のアンドレッティを起用せざるを得なかったのだろう。
元々正ドライバーのハッキネンを1レース毎契約のゴリ押しでテストドライバーに押しやっていたセナ。フジテレビ&古舘伊知郎のひいきが度が過ぎていたのでどうも好きになれなった上にこの行状で完全にセナ嫌いになったのでした。
@@ダンドレジーラウール 「コイツは将来自分を脅かす存在になる」というセナの嗅覚でしょうね。
自分のパートナーはパトレーゼやバリチェロのようなドライバーであってほしい、と思うのが常。
でも当時我輩…
前年までアメリカにおりまして、インディでのマイケルの大活躍を目の当たりにしていたので、かなり期待はしておりました〜🙇
ハッキネンが予選でセナより速かった時のセナのパニクった顔が浮かぶようです。流石に本戦では結果を出しましたね。ハッキネンは、シューマーカーが何度も卑怯な地を手を使って勝とうとした相手ですから本当に速かった。
93年のドニントンのセナは圧巻でした✴テレビ観ててゾクゾクしました、インをこじ開けて鍔迫り合いも面白いけどアウトからあっさり抜き去っていく姿はあっぱれでしたね。
車重が軽くなってフットワーク良くなった特性を生かして、セナも戦い方を変えたんでしょうね。
アウトから抜き去っていくのは大きく重いホンダエンジンではできなかったと思います。
mp4-8懐かしいなぁ
セナの神がかった走りは勿論のこと、アンドレッティの代わりに終盤に走ったハッキネンの速さも光ったのを今でもよく覚えています。
アンダーパワーのコスワース😢
セナが乗ったからこその熱いシーズン。
セナの凄さがたくさん見れた年。
94年にセナとお別れが来るなんて😭
ブラジル🇧🇷
モナコ🇲🇨
鈴鹿🇯🇵
最終戦🏁
セナが勝った大切な思い出の車ですね😢
MP4/8はウィリアムズが最強のルノーエンジンを搭載している中でコスワース(フォード)のHBエンジンで明らかに劣勢でしたけど、セナの手腕とウィリアムズに匹敵するハイレベルな空力とハイテクもありなかなか戦えるマシンになって5勝の活躍!セナはこのマシンに最初は絶望していながらもテストの結果から薄々手応えを感じていたとのこと。まあ、彼が手応えを掴めばどうにでもなりますね!それだけの信頼と実力のあるドライバーですから。
あと、最初から相方がハッキネンだったら…セナはもっと燃えていたでしょうに。
マイケルはマクラーレンというかF1の居心地が良くなさそうでしたね。(>_
確かにホンダから戦闘力は落ちたけどこの年はウィリアムズがとにかく速かったから仕方ない部分もある。それでも5勝するセナとマクラーレンの組み合わせは凄い
ホンダエンジンの段階で
もはやウィリアムズルノーにたいして先が見えてましたね💦これ💦
実はホンダエンジンがバランスを悪くしていた説
@@ダンドレジーラウール 結局はV10がF1には
1番相性がいいとホンダの
川本さんが言ってた記憶があります💦👍
@@user-td2nr4ni3ですね。
音は、V12が最高だったんですけどね。 笑
実はこのマシンも空力的には失敗しており、リアの車高が下がるとダウンフォースが抜けてしまう欠点がありました。
しかし、アクティブサスを上手く活用することで、ストレートでは意図的に車高を下げ、トップスピードを上げることができたようです。
パワーアシストブレーキさえもう少し早く実現していれば、FW15と最後までタイトル争いができたかもしれません...
ウィリアムズも同様でマクラーレンは分かりませんがウィリアムズは意図的にストールさせる設計だったようですね…(2021年までのF1でも同じような設計になっていましたね)
前年までエンジンに頼ったしょーもないシャーシをつくっていたのに、いろいろ追いつめられた結果見事な空力マシンをつくって93年では自分の中で一番カッコいいマシンになってたのを思い出します。
な!
最高にイカしてたよな!
御意!
エンジンに頼ったシャーシじゃなかったらどうなっていたと思いますか?><
シーズン前半は良い出だし。でも夏の高速コースで空力の悪さが露見して、またシーズン後半に盛り返した。良い車が悪い車かよくわかりませんでしたね。でも、前年の7Aよりははるかに良い車でした。
確かにMP4/8はかっこいいマシンだったがMP4/4も捨てがたいw(年寄りの戯言)
中盤の取りこぼしが無ければ、チャンピオンの可能性も大いにあっただけに残念でしたが、93シーズンはセナの腕がよく分かりましたね。
ウィットマーシュが中盤でで気が抜けてたって言ってましたね。
ポルトガルでハッキネンに予選で負けて目を覚ましたとも😮
終盤のマクラーレンは、この年最速のチームだった。ハッキネンを1年間乗せてみたかった。
ところが、ハイテク禁止の誤った判断により「面白かったF1、楽しかったF1」がこの年で終わってしまった。
確かにそうですよね…
いっそのことサスペンション制御システムを画一化してしまえばよかったのにって思います。
私はミカ.ハッキネンが初めて表彰台に(しかも鈴鹿!)上がったマシンとして印象深いですね。
マルボロカラーのマクラーレンで一番格好良いと思ってます。このMP4/8の成績でロン・デニスが4/7もエンジンさえしっかりしてれば悪い車じゃなかったんじゃないかと言ったと当時記事があったんですよね。第二次マクラーレンホンダの時のルノー製PUなら優勝出来る発言もこのチームのメンタリティは変わってないなと思ったもんです
セナが開幕直前にシーズン参戦を決めた結果リザーブ兼テストドライバーに格下げ。だが、そんな不遇に耐えて復帰初戦のポルトガルGP予選、セナを上回る速さを見せつけパドックを驚愕させたミカ・ハッキネンヒストリーで忘れてはいけないマシン。
セナはハッキネンに、どうやってタイム出したか聞いたら、ハッキネンは「俺の金○がアンタより大きいから」と答えたら、セナは怒り💢ながらリミットを越えて吹っ切れた感じだったみたい。
@@crankyfranky9801
今はF1は観ず、ワールド スーパー バイクを楽しみにしてますが、ハーフウェットの時、皆がインターミディエイトの時にドライのスリックで最終的に優勝🏅したりすると、周りから、タヌキか❗️ってくらい「デカい金○だな❗️」とポーズされたりしてますね。
ミカの存在がセナの発奮につながり鈴鹿アデレードの2連勝へ
ホンダエンジンではないけれど、MP4/8は大好きなマシンです、雨のドニントンパークのセナの走りは忘れられません😝
個人的に、セナは92・93年が一番輝いていたと思っています。チャンピオン獲得はならなかったのですが、それまでのチャンピオン獲得シーズンよりも素晴らしかった。ほんと、光輝いていたと思います。ちなみに、私自身はセナファンではありません。マンセルの大ファンでした。今でも、それは変わりません。
MP4/8は美しかったし、その結果は伝説のヨーロッパGPに集約される。
前の4/7が見た目がヤバかったからね
92年にシャシー性能でウィリアムズだけでなくベネトンに負けていたであろうマクラーレンが、ホンダエンジン失った翌年に素晴らしい車を作ったのには、底力を感じました。
シーズンオフにランボルギーニのエンジン載せてテストしてましたね
MP4/8ですが、フォードと組んだのが良かったと思います。
当時のマクラーレンはシャシーの開発が進まず、エンジン(ホンダ)の性能を活かせない状況に陥っていました。
フォードはパワーは劣る物のトータルバランスは取りやすい特性のあるエンジンで、シャシーがライバルチームより開発進まないマクラーレンには吉と出た、と見ています。
加えて、セナのパフォーマンス自体はこの年はチャンピオン獲得していた頃よりも冴えていたと思います。
勝てる展開となった時には確実に物していていましたね。ブラジル、ドニントン、モナコなど。
それもあって、予想よりは健闘したシーズンになりました。
>当時のマクラーレンはシャシーの開発が進まず、エンジン(ホンダ)の性能を活かせない
フェラーリだって勝ててなかったし、ホンダ自体もV10で勝ってたのに、変な拘りからV12にしてしまって、結局ウィリアムズに負けた。あの当時、V10が最適解だったのは明白。
1年休止して久しぶりに復帰したプロストが、F1キャリアで初めてアクティブサスペンションを体験して慣れていなかった事と1993年シーズンが悪天候(雨)のレースが多く続いたのもセナに味方した(シーズン前半セナがポイントランキングトップに立った事でも分かる)
しかしウィリアムズの方が圧倒的に強いのは明白だったので後半にはプロストがランキングトップを取り戻した。
そして4度目の世界タイトル獲得して引退した。
この1993年F1シーズン、セナとプロストの対決は以前ほど激しさは無く世代交代の方が目立った。
セナはチームメイトのハッキネンとベネトンのシューマッハからプレッシャーを受ける場面が多くなった(セナが追い掛けられる立場になった)
逆にプロストの方は、チームメイトのデーモン・ヒルに対しては
指導レクチャーする立場(世界王者になる秘訣を伝授?)だった。
かってマクラーレン時代にプロストがラウダから世界王者獲得の教えを授かったのと同じように。
MP4/8が優れていたというより、明らかにセナの腕一本での勝利数だったと思う。
シンプルで軽量コンパクトなマシンというのも多少の貢献はしてたと思うが、まあセナの腕が一番大きいよね。
あくまで他のコスワース勢よりとも💦👍
まぁそれでもセナだからこそ
の勝率ですが。
93年ブラジル、どうあがいてもプロスト&FW15Cには歯が立たないという予測を覆し
突然降ってきた豪雨を味方にしてなんと優勝してしまったのにはもう朝方だというのに大騒ぎしました
「ブラジルに奇跡が起こったッ!まさに奇跡ッ!ミラクルウィンッ!!」
実況の三宅アナの絶叫が今でも耳にこびりついてます
「あの雨は一体なんだたんでしょうね〜」
地元である サンパウロ市独特のスコールが来るのを読んで、トップでレインタイヤに履き替えた。雨が降り始めた時、地元ファンはスタンドで大騒動だったのを覚えています。
雨が降れば 挙ってカート練習に励んでいたのは地元では有名でしたから。
@@natami7223これぞ 雨のセナ💦👍
1993年シリーズ第3戦ヨーロッパGPのオープニングラップの衝撃は今も忘れられない…ホントに凄いオープニングラップだった!
セナが別格なだけで、序盤は未完成なマシンだったよね。シーズン後半は熟成が進んで素晴らしいマシンになった。シーズン中にここまで進化するんだと感心した。
MP4/8解説動画の公開どうもありがとうございます、この日が来るのを待っていました。 僕は中嶋デビューの87年から2002年あたりまでF-1をTVで見ていましたが、その間で勝利した唯一のカスタマーエンジン搭載車ですよねMP4/8は。オーソドックスなスタイルでエンジンパワーも他車より劣るのにも関わらずそれをマクラーレンの技術力とセナの神がかりの如くの走りで優勝を勝ち取ったこの車には特別な魅力を感じます。
アクティブサスペンションの出来は、ベネトンB193Bよりも良かったと思う
MP4/8は前年のMP4/7とは打って変わってハンドリングマシンになりましたね。
この年のセナはとりあえず第5戦までの参戦という形でしたがその間にもエンジンに関してこの年から参戦を始めた無限ホンダV10を望んでいて「このエンジンを載せるなら全戦契約する」とロン・デニスに言っていたらしいですね・・・ただ、この話が本当になったらこのマシンのハンドリング性能が出せたかどうか疑問ですが・・・。(後の年度では軽量化されたとはいえこの年の無限ホンダV10はお世辞にも軽いとは言えなかったので)
この年はハンドリングに勝るMP4/8とパワーを含めたトータルバランスに優れたFW15Cの対決という図式で面白かったですね!!
ただ、ドライバーに関しては最初からセナとハッキネンのコンビで戦うべきだったと思います・・・。
セナにとっては最後の輝きを見せてくれたマシンになってしまいましたが今でも私の中では大好きなマシンの一つです!!
無限ホンダV10エンジン供給の可能性があったのは初めて聞きました。
けども重かったですから同じ操縦性を発揮できたかは疑問ですね。
ドニントンで観戦してましたがセナスタート直後に5番手に😢
しかし寒さに震える私の前にオープニングラップをトップで帰って来たのがナンバー8 MP4/8のセナでした😊
今でも自分の中で美しいマシンはMP4/8です。
オンボードから見たウネウネのアクティヴサスの動きが綺麗で
当時のハイテクの集大成だと思っています。
でもモナコ予選でのアクティブサスの暴走は見ていて怖かった😨
懐かしい
このマシン好きで、当時タミヤのF1のプラモ作ったなぁ
あの頃はプラモを作ることで内部構造も分かって面白かった
ちょっとヴァージンボード仕様にもできますね👍
右側のカメラも👍
俺は勿体無くて作って無い(-_-;)
@@bookue-s40 契約が切れちゃって当時のF1のプラモデルって再販が出来ないみたいですね…
残念な話です
@@dyd880さん
作らないとプラモ買った意味が無い事は解ったちゃいるんすがね…(-_-;)
この頃は現エブロの木谷さんがタミヤにいた時代ですが、製品化したらパドックでキットや完成品の贈呈式したり。タミヤがモデル化するって、F1界では結構なステイタスなんですよね。
それで当時、ロンデニスが歴代マシンを全てタミヤでモデル化させるってノリノリでした。
が、MP4/8で一旦シリーズ終了でした。
ホンダを失って、シーズン開幕前には未勝利か😵!?と憶測がありましたが、終わってみれば5勝を挙げてコンストラクターズもドライバーズもランキング2位✨👊改めてセナの凄さ✨🎉を私達に教えてくれたマシンでした🙆セナの才能と天候☔も味方にしてしまうんだから伝説に残るマシンと1993年のセナでしたね🙆当時鈴鹿を観に行きましたが、決勝当日朝のウォームアップランでセナがわざと汚れてるイン側を走って、汚れてるインの埃を蹴散らしておいた👊とコメントしており、その言葉通りスタートでトップに立って、天候を味方につけて戦略で優勝✨ヨーロッパでの優勝✨もそうでしたがセナは本当に偉大✨👑なドライバーでした🙇
このマシン上から見るときれいなクサビ形でカッコ良かったよね。
F1PP 動画だったと思いますが
レース後の インタビューにて。
自分が カスタマー Engでも
この成績を出し
ベネトンを貶してる映像がありました。
プジョー等に鞍替え等せず
フォードで継続してれば
また違う結果に成ったかも知れん。
セナが当たり前の様に勝っていたホンダ時代はあまり応援していなかったですが、93年にホンダエンジンを失ったマクラーレンは非力なフォードエンジンになってからセナの本気と意地で開幕戦のアフリカやブラジル、ドニントンでの走りやモナコの勝利、日本、オーストラリアの勝利はカッコ良すぎてセナ頑張れ!と応援しながら見てました。
セナは最強のドライバーだったと思います。
個人的にこの年のブラジルの勝利はセナのベストレースだと思います
知らない人が多いのは仕方ないことですが、マイケルアンドレッティはインディカー参戦してる合間にマクラーレンのテストドライブもこなしてて、93年のシートはロングビーチGP(インディ500の前のGP)辺りの段階から決まってことですが、ウィリアムズは93年はプロストとの契約が決まった頃は、セナのシートがなかなか決まらず、マクラーレン離脱も前々からほのめかす記事が92年の雑誌レーシングオンにも載ってたし、93年はインディカー参戦(実際に93年型ペンスキーもテストドライブしてる)か休養も考えてたほど
マイケルアンドレッティについては知ったかぶり発言が目立っていますが、92年のインディカーシリーズ(当時TBSで放送されてた)も並行して見てた人は知ってるはず
強かった頃のマクラーレンのマシンよりこのMP4/8が好き〜
チャンピオンは取れなかったがセナ、この年は半端じゃなく凄かった
ウィリアムズとのマシン差は歴然、そしてベネトンにも劣る型遅れエンジンのMP4/8・・・
車が駄目なら腕で勝負!しかもいいところで雨が降るんですよね
神がかった最高の年と記憶しています。
ドニントンのオープニングラップにはセナの匠が凝縮されてた
ホンダ時代は何よりも「速いマシンを一点の曇りもなく走らせる」という方向性に彼の技倆が現われてたけど、あのシーズン特に前半戦は「圧倒的に速い敵の後ろで劣勢にあるマシンを捌く」ことにも長けてる、ってところを見せつけたと思う
まぁ、チャンピオン確定後の鈴鹿とメルボルン、雨のドニントンや同じくスコールに助けられたサンパウロ、プロストやシューマッハが自滅したモンテカルロって感じだが、この中でも雨のドニントンではセナの持ち味が出たレースでしたね
細かいツッコミで申し訳ありませんが、'93年のオーストラリアGP開催地はアデレードでした。
(セナ最後の優勝でした)
開催地がメルボルンに移るのは'96年の事。
ホンダエンジンパワーだけで勝てるマシンではなかった。
MP4/8はかっこうよかったです
MP4/9プジョーも好きでした。
カラーリングと相まって一番美しいマクラーレンのマシンと言っても過言ではないだろう
馬力的には非力でも、軽量、コンパクトのフォードHBを選択したから、トータルパッケージの重要性に気づかざるを得なかったとも言えるかな。
型落ちのカスタマー供給であっても、ECUの設定は自由だったから、レスポンスを重視してどこからでも加速できる様にチューニングできた。
序盤はそれで面白かったけど、ワークス共有を受けることができる様になったら、選択肢が増えすぎて、どうしてもウィリアムズに遅れをとっていた様な...。
シリーズV、VI、VIIでは、ボアxストロークが全然違ったし。
ある意味、今までの特性を捨てて馬力を求めて、ルノーエンジンとの超えられない壁に気がついた時にはもう遅かったと言うか...。
ブラジルGPでは、セナはウィニングランで車を止めて観客に「ブラジル国旗を持ってこい!」とアピールする姿が印象的だった。
モナコGPでも前方車に「そこを退け。道を開けろ」と手振りでアピールするセナの姿が車載カメラで捉えられていた。
マリオの低迷...と言うか、ドライブスタイルが合わなかったのは「テクニカルコースのバトル」に慣れてないんだなと思った。
もしもランボルギーニ エンジンを選択していたら、さらにどうなっていたかはわからない。
所詮、同じ所をグルグル回る「オーバルコース」のインディでチャンピオンになれても
高速なストレートあり、タイトなコーナーあり、ヘアピンあり、シケインありの
テクニカルなコースでは全く通用しなかったということですよね。(失笑、( ;∀;))
・・・それに比べて、92年でF1を引退し、アメリカのインディに転向したナイジェル・マンセルが
インディデビューイヤーでいきなりチャンピオンを獲得してしまった事を考えると
マンセルとアンドレッティの「マシンコントロール」の力量の差をモロに感じますよね。(笑、(^-^;)
あとこの時期にZetecRがあったなら少しはルノーV10にももう少しくらいついたかもしれないですね。
これがセナの最後の勝利マシン
そうなんすよね〜(-_-;)
あの時、鈴鹿のヘアピンにいたんだけど、最終ラップで観客に腕をふっての余裕の走行。ゴール後のクルージングラップでも。まさか翌年にはいなかったとは。あれがファンへの最後の挨拶になってしまったのかと思うと複雑。後ろにのちのチャンピオンのミカ・ハッキネンを従えて。
セナが休養してたら盛り上らなかった93年だったな、良くも悪くもセナがいたから面白かった年。
セナとマクラーレンの底力を見たシーズン、ウィリアムズからパディ・ロウを引き抜いたのも大きかった。
燃料をギリギリまで削ったり、コスワースに独自のHBエンジン開発を探ったり、ランボルギーニエンジンのテストやハッキネンを起用して結果的にセナのケツを叩かせたんだし。
HBじゃなくっていっそのことV10でも独自開発されてればもうちょっとは良かったかなと思ってましたが。
無理ですかね💦
この年のセナは、確かマクラーレンと一戦一戦ごとにレースに出る契約を交わしていた筈。全く戦え無い様な体たらくな車なら、すぐにでも参戦を止めれるパートタイマーの様なね。でも、予想に反してMP4/8が、意外にも戦えそうなマシンだった為、結局最後まで参戦したんだよね。
@@無限の無-s9g 今じゃ大問題の契約内容💦
@@無限の無-s9g😮😅
MP4/8を取り上げてくれて、ありがとうございますm(_ _)m
個人的に、最高のマシーンだと思います。
イギリスGPでのセナのプロストに対するあのディフェンスは見てて面白かったです。
ニューマンハースはマイケルアンドレッティとマンセルが入れ替わったが、92年のインディカーシリーズはコスワースXBエンジンはシボレーA(ペンスキーのみB)より速かったがトラブル多くチャンピオンになれなかったが、93年には改善されたのもあるし、マンセルが適応できたからデビュー戦のサーファーズパラダイスでポールトゥウィン(フルコースコーション中に追い越しなどもやらかしての上で)もシリーズチャンピオンになったからね
92年は中古?ローラ改造の
ボビーレイホールがチャンピオンになったようですね👍
94年からは社会人新しく入ってきたメルセデスイルモアエンジンとペンスキーのハイテクにちょっとやられてしまいましたかね💦
インディ94年開幕戦はマイケルとマンセルの直接対決でした
@@nf-104 この年はホンダもブラバムホンダでなく
ワークスとして本格出場しましたね👍
音が悪かったですが💦
@@user-td2nr4ni3 F2用のホンダエンジンをベースにジャッドがインディカー用メタノール・ターボエンジンに仕立てあげた80年代の時とは違い、アメリカホンダによる本格参戦でしたね
@@nf-104 類似というよりほとんど共有の状態の
エンジンコンスタンターのジャッドのエンジンも
2年前あたりまで参加してたようですね💦
マイケルがF1で結果を残していたらアメリカでのF1人気は上がっていたはず。そうなったらインディからF1へ転向するドライバーがもっと増えていたかもしれない。実際にアル・アンサーJr.やポール・トレーシーに関心を持ったチームもあったし。でもそうはならずジャック・ヴィルヌーヴのウイリアムズ入りまで待たねばならなかった。
あとは奥さんが止めてもすぐに他のドライバーにイディオット!って喧嘩を売るコロンビアの暴れん坊将軍な😂
今改めて振り返ると、フォードに忖度した結果のアメリカ人ドライバー、アンドレッティの起用だったんだなと。
フォードのロゴですが、カスタマー期は白地にフォードの文字が黒。ワークス以降は黒(青?)地に白文字でフォードに変わったんですよね。懐かしい。
そんなマイケルも2年前まではシボレー党という💦
93年のマクラーレンチームは92年のウイリアムズチームに大敗を喫し、王者陥落した経験から
マシンのシャシー設計の見直しを図り、さらにマクラーレンチームが長きにわたり、頼りにしていた
ホンダエンジンが撤退したことにより、フォードV8HBエンジンを搭載せざるおえない状況でしたが、
今まで重く大きいV12エンジンでマシンパッケージも色々、限られた設計しか出来なかったのに対し、
軽くてコンパクトなV8エンジンを搭載した事により、マシンのシャシー設計も空力に優れたボディに
仕上がり、パワーではホンダV12に劣るものの、コーナリングでの運動性能が向上し、さらに、アクティブ
サスペンションやトラクションコントロールなどのハイテクデバイスも手伝って、予想以上の戦闘力を得た
93年のマシン、マクラーレン・フォードMP4/8・・・セナの神がかり的なドライビングと相まって
優勝候補のウイリアムズやベネトンと「ガチンコ」で勝負できるレース展開を見せていましたね。(*^^)v
・・・しいて言えば、F1のマシンに不慣れでタイトなコーナーの多いサーキットでのドライビングが
下手なマイケル・アンドレッティを、もっと早くに解雇して、ミカ・ハッキネンをもう少し早く
レギュラードライバーに起用していれば、ウイリアムズチームとのコンストラクターズ争いも
もっと接戦になっていたと思いますね。(^_-)-☆
フォードエンジンだからアメリカ人のアンドレッティ、切りたくても中々切れない。
@@specialconcorde ありえないけど、マリオの方ならどうなってただろう💦
MP4/8が速かったのは紛れもない事実だけど、同時にMP4/8、特に前半のカスタマーエンジン搭載仕様を引き離せなかったFW15Cが意外と速くなかった説もある気がする。ハイテクがなかったら、そのままB194とFW16の関係だったのではないだろうか?
高地でのレース、雨絡みが多かったことも影響していると思う
共にエンジンパワーの差が小さくなる方向に作用した
ヨーロッパラウンド以降は雨が少なく、比較的標高の低い場所でのレースが多く、エンジンパワーの差が大きく出たように思う
少なくともポルトガル以降はウイリアムズとの差はかなり少なくなった。
GPcarsではディフューザー後端に三角板を追加したらストレートで最高速が一気に伸びたと書いてあったな😉
プロストが引退を決めチャンピオンシップも決まって残りが消化レースになってしまったのも大きいですね
1992年シーズン終了間近の時にマクラーレンは1993年シーズンに向けて、ルノーV10獲得を狙ってリジェ買収を狙っていた事もありましたが…リジェの内部はフランス政府とのマネロン天国状態でこれはヤバいと悟ったのか、リジェ買収を断念せざるを得れなかったというエピソードもありましたからね…。
ボディーはスリムで
カッコ良かった記憶が、あります😃
ドニントンも凄かったけど、モントリオールのオープニングラップもすごかった。
雨のドニントンは今でも覚えてます。
あれが日本のオートポリスで開催予定だったアジアGPの代替というと考え深い物があります。
シーズン終盤のブレーキの改良によって速くなった話は、初めて知りました。
これが、シーズン序盤に投入されていたら、なんて考えてしまいますね。
MP4/8はロータス78、ジョーダン191と並んで自分の中で3本の指に入る好きなマシンです。
ワールドチャンピオンを望むアイルトン・セナ・ダ・シルバとして物足りないMP4/8
だったかもしれないが私的にはセナの速さが観れて良かったなと思います、雨天でのレース🏁は上手いレーサーでしたね?特に雨のドニントン・パークサーキットと鈴鹿サーキットは凄かったです、そしてセナが活躍する最後の年でもありました。もう時期運命の5月1日が今年もやってきます😢💦🙏
この年のマクラレーンは最強ではなくなっているしウィリアムズにも大きな差があったにも関わらずセナがこのマシンのポテンシャル以上のパフォーマンスが出せたのは圧倒的。今活躍中のドライバーが同じ条件で走行したら同じパフォーマンスは出せないと思うが現在のマシンでセナが乗っていればと思うと想像以上のレースを展開していただろう。何せ今はドライバーが誰だろうとコンストラクターズの優劣の差で勝負は決まっている。
全くの、自分本位の思い出話ですが(笑) 就活中の夜勤バイト当時、ブラジル、ヨーロッパ 半ば寝惚けながら見てました。 あっ、もちろんミニカー、タミヤキット、色々持ってます。
マクラーレンランボルギーニ見てみたかった
開幕からセナ&ハッキネンが乗っていたらどのような結果になっていたのか?
開幕南アフリカから第7戦のカナダまではセナは1戦ごとの契約だったと思います。
それと、最新のフォードエンジンになってノーズのフォードのロゴが白抜きから紺色のエンブレムになっています。
白抜き→カスタマー 紺色→ワークス
アンドレッティは可哀想だった
アクティブサス、フライ・バイ・ワイヤなど、ローテクのCARTからF1でも未知のテクノロジー満載のMP4/8は流石にキツかったと思う。またローリングスタートだったCARTからスタンディングスタートのハイテクF1は戸惑い多かった、事実スタート後すぐにリタイヤも散見した記憶
モントーヤやジャック・ビルヌーブはまだ恵まれた方でしたな💦
@@user-td2nr4ni3マイケルの失敗はマシン開発の遅れによる走り込み不足が理由のひとつでしたから、ジャックやモントーヤがマイケルの二の舞にならぬようフランク・ウイリアムズはマシンに慣れさせるためにみっちり走り込ませたんですよね。そう考えたらマイケルは良き反面教師になったと言えますね。
@@しろコンニャク これは息子マルコさんもF1は諦めますな💦👍
マクラーレンのハイテクシャーシ-も良かったですが、セナのドライビングスタイルとフォードエンジンの相性も良かったんでしょう
もっと早い時期にワ-クスエンジンを搭載してたら、終盤戦までタイトル争いしてたかも?しれませんね
それは、それで、観て見たかったですね。
一説によるとホンダに比べてフォードのエンジンブレーキが弱かったおかげでコーナースピードが保ちやすかったみたいね
いくら天候や相手チームのトラブルがあったとは言ってもフォードのカスタムエンジンで3勝したのは後にも先にもセナだけ!
HBシリーズエンジンに花を添えましたね👍
鈴鹿の予選、セナがラストアタックで東コースをプロストに対してマイナス表示で駆け抜けて来た時は観客席がどよめいたものでした。
ただやはりルノーエンジンに対してパワーのハンデはいかんともし難く、高速区間の西コースで差をつけられてしまいました。
シケイン立ち上がりでのトラクションコントロールを効かせた独特の音が印象的でしたね。
ハイテクマシンがセナの神がかり的なドライブという“人間力”を際立たせる結果になったのは皮肉というか何と言うか。
そういえばマクラーレンのアクティブサスペンションのシステムを購入して使用していたフットワークのマシンの挙動がMP4/8のそれに似ているなと思って見ていました(←多分に思い込みの可能性あり・笑)。
この年はマイケルを観れなかったのが最も残念だったね
鈴鹿までに辞めてしまった まあっ仕方ないよね
当時でもインディカー?は頭まで覆うほどのサイド何とか?で
安全性に関することは超進んでいたが F1はクビから上が出ぱなし
そりゃ怖いし不安はあるよね マイケルが辞めた一番の理由がこれ
マクラーレンの不調?など自分にはどうでもよかったですわ
MP4/8のセミATとアクティブサスの信頼性と完成度が、最初からある程度高かった事が意外だった。
他チームは1~2シーズン捨てていた事を考えると、当時のマクラーレンの開発力は決して捨てたものではなかった。
MP4/8の活躍はいろいろと考えさせられます。電子デバイスへの高い適用性を見せたセナ、V12→V8でもルノーV10に勝てる事で、マシンパワーよりも総合パッケージが重要視される事が明白になったこと。ある意味、ホンダV12は必要無かったかも、と思ってしまいます。
シーズン途中に、MP4/8を改良してランボルギーニV12エンジンを搭載したMP4/8Bを試作テストでドライブしたセナとハッキネン。これでセナが実戦走行したいと言ったり、ハッキネンは好感触を得た。
V12エンジン搭載用に燃料タンクを改造したとはランボルギーニV12エンジンを載せたくらいだから、ホンダV12エンジンをMP4/8に載せていたら?
きっとセナのホンダ戻って来て欲しいラブコールだったに違いないと思います。
フォードとベネトンとの問題があった中でマクラーレンがあのような終わり方を出来たのは「セナ」がいたからであり、セナとマクラーレンの長年の積み重ねが大きく、モナコとアデレードの勝利はそれを物語っていたと思います。
シーズン序盤、なかなか上手く行かないプロストに「上手く行かないならクルマ変えるよ?」と皮肉タップリに話すセナに大人げないなあと感じました。
セナは2位走行中のメカニカルリタイア(サンマリノ、カナダ、ハンガリー、ポルトガル)が勿体なかったです。さすがに全線完走は無理ですが、あわよくばチャンピオン争いができたのではないかと考えてしまいます。
92年のMP4/7よりはマシン的にはいい出来だったはず。それはフォードV8の軽量なことが大きく影響したと思う。ただV8なので、どうしてもストレートやカーブの立ち上がりでパワー不足があった。セナとしてもエンジンパワーが大きいものがよかった感じなので不満は大きかったと思う。ただセナのドライビングテクニックと勝利を諦めない姿勢のおかげでM P4/8はシーズン前の予想よりいい成績を残せたのだろう。もしセナでなければ・・・。個人的には大好きなマシンの一つ
そのあとのプジョーV10はさらなる悲劇に。
@@user-td2nr4ni3 プジョーV10は火炎放射器または焼き芋やさんでしたね。
@@user-td2nr4ni3 マクラーレンチームは94年にプジョーと契約してプジョーエンジンを
搭載する事になりますが、実は93年に4度目のチャンピオンを決め、引退したプロストの
元にセナとロン・デニスから「またF1に復帰してくれないか???」というオファーが
度々、あったそうです。それもあってプロストは94年シーズン開幕前、マクラーレンMP4/8を
改良したシャシーにプジョーエンジンを搭載したマシンでテストに参加したそうです。
・・・しかし、プジョーエンジンの出来きがイマイチ良くなかったため、プロスト自身
「このエンジンではアイルトンとは闘えない。・・・このエンジンの性能を熟成させるには
時間がかかる。」と言ってF1復帰を断念したそうです。(>_
@@MrNori4649 確かにいくら凄腕プロフェッサープロスト氏でも
マクラーレンはどうにかできてもエンジンばかりは💦👍
プロストもルノーエンジンならと思ったでしょうね💦
@@hisashi1976 元リジェことチームプロストの時代になってもちょっと怪しいエンジンばかり💦
アンドレッティの不振がつくづく勿体ない
何故セナとの差がこんなに開いたのか❓🤔
このMP4/8、軽量コンパクトなフォードV8エンジンを搭載した事によって前年マシンのMP4/7よりホイールベースが7cm短くなり、軽快なハンドリングが可能になり、セナは「こんなに取り回しがしやすいとは!」と驚愕したそうです。後はエンジンパワーだ、とランボルギーニV12エンジンを搭載したMP4/8をテストしました。そのランボルギーニエンジンは恐ろしくパワーがあり、セナはすぐにこのランボルギーニV12エンジンを搭載するようにチームに懇願しました。後に当時のエンジニアやハッキネンはそのエンジンパワーを認めながら、「本当に3.5リッターだったか疑わしい」と語っていました。
確かに93年は面白いシーズンでしたね伝説のヨーロッパドニントンイギリスではセナプロシューの三つ巴の激しい争いでしたねさんざんセナがベネトンと同じエンジンが欲しいとメディアを通し訴え続けて遂に同じエンジンを獲得しましたね。
たしかにハッキネンにとってはセナが乗るのでリザーブへ。。これは気の毒でした。その後チャンピオン。
ベネトンはフォードのシリーズ7と8を無条件で使用できるけど、マクラーレンとロータスとミナルディは使用料を払えば搭載出来る契約だったんだよね。
だけどロータスとミナルディは資金不足で断念って感じだったけども、マクラーレンはフォードとコスワースに使用料を払ってても中盤からじゃなきゃ搭載できなかったのは…他でもないベネトンからの横やりって感じだね。
シーズンが終了したときにベネトンのポイントはセナのポイントに及ばずだったし、ベネトンはマクラーレンと言う老舗にしてやられて、ベネトンはワークスエンジンを搭載しながら…って感じだったし、マクラーレンが知らしめたって感じだったね😃
これは、さすがロン・デニスって感じだね😉👍️
MP4シリ-ズの中ではこの”8”がけっこう好きです。
最強タッグの象徴であるホンダエンジンは失いましたが、パワーはあっても大きく重いV12に比べてコンパクトで軽いV8エンジンで車体の造形の自由度が上がって運動性能が上がったような気がします。
大きく重いエンジンありきがゆえに設計の自由度が効かなかった、その呪縛から解き放たれた感すらありました。
ベネトンに供給されていたワークス仕様のぶん捕り合いは大変だったみたいですが、アンダーパワーであっても軽い車体でフットワーク良くレースを戦うのはセナ本人の希望とは違ったかもしれませんが、腐らずに与えられた環境で5勝を挙げたのはさすがプロフェッショナルです!!
セミAT・トラクションコントロール・アクティブサスとハイテク満載で、これも良く機能していたみたいですしね。
マイケルはあまりイギリスの居心地が良くなかったみたいで途中離脱になってしまったのは残念でしたね。
もう何戦かハッキネンをセナと組ませることで学習・吸収できる物があったかなと。
そうであれば何かを学んだハッキネンはその後どう変わったでしょうね?
ポルトガルGPの予選でセナを上回った時は、なんだか大変な時代が来そうな気がしました。(*゜ロ゜)
オークションに出品されたそうで、自分にもお金があればなと恨めしかったです。(T_T)
現実はタミヤのプラモデルです。(^o^)
この年、前年インディチャンピオンのアンドレッティが全然ダメで、逆に前年F1チャンピオンのマンセルがインディにニューマンハースから参戦して初年度でいきなりチャンピオン。
当時は完全にF1の方がレベルが高いと認識させられましたね。
鈴鹿優勝の時のレース観戦に行きました
パワーを失った代わりに
パワーは出ていたが
長く、重いというハンデがあったホンダV12に代えてフォードHBを積まざるを得ない結果
パワーがないもののフォードHBはV8で短く軽いため、シャーシの設計に自由度が増したのも事実です。
MP4シリーズで一番好きなの8ですわ
ウィリアムズのマシンは誰が乗っても速いという状況になっていたのに対し、セナは本当に腕で勝利をもぎ取った。ドライバーの腕の違いがまだはっきり分かる時代だった。
フォードコスワースはベネトンとマクラーレンには全く同じエンジンを供給していると言い訳して居ましたが違うのはシリンダーヘッドの小さな部品だけだとコメントして、セナプロ欲しかった伸ばし正にその部品だったと言う事でしたね同じフォードHBエンジンでしたから。
今のレッドブルの手法を見るに、この時1年救済措置で無限からV10をフットワークと一緒に供給してもらえば良かったのでは?と思うのだが・・・
セナの技術もさることなから、セットアップの指示とかも的確だったのでは?セナがいなくなってからはF1は見なくなったし、それに関する雑誌なども読まなくなりました!
最後の2戦は明らかにFW15を凌駕してた。せめてハンガリーGP位から、パワーアシストブレーキを実用化してたら、、、と思う。また、軽量なV12のランボルギーニの線もあった筈だ。
本当にセナ様様だよな。
歴代マシンの中で一番好きなのがこのマシンです。