【戦艦大和】戦艦大和の最期 乗組員八杉康夫の証言【ガリレオCh ドキュメンタリー】
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- Опубліковано 11 сер 2023
- 日本の象徴として魂と最高の技術をもって建造された「戦艦大和」。
その真実の能力を徹底的に分析するとともに、建造から沈没までの一生を追い、その「実像」に迫る。また、大和乗組員であり、映画「男たちのYAMATO」のモデルとなった八杉康夫氏のリアルな体験をインタビュー、さらにその再現ドラマを収録した傑作ドキュメンタリーです。
※2006年制作作品
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<ワックの映像作品・DVDはこちら>
www.web-wac.co.jp/dvd/
叔父が大和5番高角砲員で、生還者の内の一人でした。数年前に90歳で亡くなりましたが、大和の話をする時も背筋が真っ直ぐで、家も塵一つ無いくらいいつも綺麗にされておりました。
御尊父様のご冥福をお祈りいたします。さぞ、ご苦労された事と存じます。慰霊祭にご出席されておられましたら、お写真が我が家にあるかも知れません。
国のためにありがとうございます。今の日本があるのはご親族様のおかげです。
国の為に命を亡くした若者に御冥福をお祈り致します。
今の平和は、命を無くされた方のお陰です。当たり前では有りません!😅😅😢😢😢😢😢😢😂😂😂😂😂😂😂😂❤❤
祖父の弟が19歳で大和とともに
戦死しています。
必ず泳いで泳いで帰る、お米が食べたいなぁ。出陣前に母に言った言葉だそうです。
数年前初めて遺族として大和ミュージアムを訪れて名前を確認しました。
なんとも言えない気持ちでした。
今の日本が素敵になっている事を願って死んでいったと思います。
遺品は何一つありません。菊の紋章が入った盃が送られてきたそうです。
生きたかった
忘れないであげて下さい。
はぁ?😮
@@MON_MOSO_MON
お前には難しい話やもんな。
アホは黙っとけボケ‼️
@@MON_MOSO_MON
そのコメントいつまで続ける気なんですか
@@MON_MOSO_MONはー?😮
@@MON_MOSO_MON
はあ? あなたが はあ?やわ
日本国民やないんでしょうか?
八杉氏の『うかうかと歩んできたこともないし、うかうかと死んでいく気もありません』、この言葉を肝に銘じました。良い番組です。
はぁぁぁぁぁ?😮
@@MON_MOSO_MON
あなたは無駄に生きてそうだw
八杉さん、使命を最後まで全うして下さりありがとうございます。ゆっくりおやすみになってください。そして大和の乗組員の戦友と再会出来ている事を祈ります。
私の祖父は大和の乗組員の生還者の一人で、2024年現在も存命の数少ない一人です。
信号の担当で、当時の話はちょこちょこ講演会で話していましたが、昨年2023年を最後に講演会も終了しました。
直接話を聞けるのはもうほぼ難しいですね。
祖父は5月で99歳になります。
今のうちに動画にしたほうが良いよ
NHKや地方のテレビなどがよく来てるので、映像は沢山残ってるのは残ってると思います。
多分、もうボチボチ最後の一人なんじゃないかと言ってました。
16歳〜行ってて今98歳だから、16歳以下は居なかったみたいな事言ってたので、、、祖父より年下は居ない事を考えるともう最後の一人かもしれません。。
@@piro_lucidus 八杉さん!?
八杉康夫さん、大和の事を後世にまで伝えて下さってありがとうございました。
生前お会いして感謝をお伝えしたかったです。
八杉さんの証言の価値がすごい
歴史の重さを感じました。
❤😂🎉
現場で優秀な人達が頑張っているのに国を動かす人らが駄目なのは昔と今も変わらないままなのかも知れません
八杉さんは日本の誇りであり先人の1人です。
お話聞けて良かったと思います。
素晴らしい動画ありがとうございます。
八杉さん、本当にお疲れ様でした。
この当時既に80歳を超えていたんですよね?余りに綺麗な発声でビックリしました。
八杉さんの口調を聞いていると、昭和時代のNHKのアナウンサーの様な話し方ですね…。😂
正直、戦艦大和は美しく格好いい艦として把握してませんでしたが、改めて生存者のお話や経緯を知ると改めて考えさせられる艦だと思いました。
八杉康夫さんが生きていてくれて本当に良かったとも思いました。
この映像の時80歳を超えておられたということですが、背筋真っ直ぐで軽やかな動き。若々しい。お話が上手で、身を乗り出して聞いてしまいました。
八杉さんには一度お会いした事があったので、新聞に訃報が載った時ショックを受けたことを覚えています
3年ぐらい前の正月に八杉さん亡くなったな。長生きして現代まで話しを繋いでいただき、ありがとうございました。
はぁ?😮
ワシの親戚の駆逐艦冬霜の大和護衛にあたった艦長の大山さんも20年ほど前に亡くなったな。
亡くなられたって言えよ。
敬意も払えないのか?
@@user-oo1vl102kk冬霜なんて駆逐艦は存在しないですよ。
この動画を昨日みつけ、八杉さんのこと、ご存命ならお会いしたくて。
お亡くなりになられていて、残念。
戦争を体験してこうした語り手は貴重な人ですね、自分も死ぬかも知れない、また最年少で大和に偶然乗り込み員として参加して生き残り組みに恵まれた。戦後語りつぎに戦友のともらい、戦争の悲惨さ、など話していくことが自分の生きる道と考えておられると思います。貴重な解説に感謝します。亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。
先生(八杉さん)に頂いたこのDVDは何度も拝見させて頂きました。
ご自宅へ招いて頂き語り合う事数回、大和の事は勿論、頂いた貴重な品々は全てお宝です。
我が愛媛にも講演に来て頂き魂の語りを航海長の御息女や彩雲の杉野さん達にも聴講頂きました。
生涯600回を超える講演を全国各地へ足を運び、生かされた証を語り部として大和同様に満身創痍の御身体で語って来られ本当にお疲れ様でした。
晩年、大和の事を忘れない姿は立派でした㊙
安らかに・・
決して批判するつもりではないのですが、大和ばかりを取り上げることに関しては、いつも疑問を持っています。
太平洋戦争では誰にも看取られることなく海のもずくと消え失せた艦船が多くありました。特に海軍に徴用されて作戦活動を支えた輸送船や、それらを護衛する任務を負いながら貧弱な対空対潜兵装しか装備しなかった海防艦などの最期は悲惨としか言えない壮絶なものでした。米爆撃機の跳弾爆撃を受けて横転した船腹にしがみつく乗組員たちの姿を捉えた写真を見ると、何ともやるせない思いに駆られます。
大和を取り上げることは一般視聴者の関心を引く上で有効だと思いますが、現実にはもっと悲惨な例がたくさんあることも知って欲しいです。
いつ迄ですか?
な
同型艦の武蔵でさえいい扱いあんまりされてないし、生存者の末路は悲惨だったっていうし、もっととりあげてほしいなと思うな
@@user-vo2ug3wh7q 1945年昭和二十年までは大東亜戦争だったがそのあとは多くの人は太平洋戦争。15年戦争が一番いいと私は思う。
藻屑(もくず)
ま、モズクも海のモノなんだけど。
やはり戦争のドキュメンタリーは泣ける。自分の子にさよならを告げられる親の気持ちは居た堪れない。
そして、日本を守るという強い意志は、今の日本人にどれだけいるだろうか。もしも、その環境になってしまったら、そういう気持ちになれるんだろうか。
今の日本とい国を見ていて、その日本を守るという意思が、政府から感じられない。
戦争に行った先人達は、生きてていいのか、生きていちゃ行けないのか、色々な感情が終戦となった時にあったでしょう。その中で、生きたからには
簡単に死んでなるものか!って言葉は、あの時の経験での苦しみに比べたら、どんな事も乗り越えられるという物になったんでしょう。今を生きる我々にはとてもじゃないけど、想像出来ない苦しみだったと思います。
後世に残す素晴らしい言葉であり、生きて戻って来られて、ホントに良かったと思いました
八杉さんのお話…
本当に聞いてたら胸が締め付けられる…
お国のためにと命を捧げてまで…
戦艦大和の乗組員となって…
未来の平和のために戦ってくれて
ありがとうございます…
生きて帰って来てくれて…
生還して無事で居てくださり…
お話を残して下さる…
現代人の私達にとってそれがどれほど
重みのあるものなのか…
改めて実感させられる…
戦争になったらその遺志を引き継ぎ、次は君が乗組員になって日本を守ってくれよ
@@user-pi1gg1jh8n どこにそんなことが書き込んである?
あなた頭おかしいのか?
@@user-pi1gg1jh8nわざわざ言う必要ないだろ定期
「うかうか死なない」という言葉、心にしみました。
八杉さん貴重なお話を有難うございました。先人の皆様の国を思う気持ち心にしみました、お話の最後のうかうかと生きてはいけない≒しっかりと生きなければならないなと思いました。
雪の降る朝に母上との別れの件、映画にも採用されていますね。
もし自分がその場で当人であったら、あのような立派な態度がとれたのだろうか。
最後の「ウカウカ人生を送っていない」心に沁みました。
日本の為に命を張って戦われた方すべてに感謝と敬意を致します。多くの方の犠牲の上で今の私たちの幸せがあることを決して忘れません。多くの戦争の資料館に行きましたがいつも涙が止まりません。
八杉さんとの出会いは尾道にあった映画『男たちの大和』のセットで買った氏の書かれた本からでした。帰宅後貪る様に読んだその本にはなんと私の事が書いてありました。それが縁で八杉さんのご自宅をお訪ねする事3回。様々なお話しを伺い、大和沈没時の脚の傷まで拝見しました。2回目には生徒2人を連れて行ったところ大変喜ばれた記憶があります。4回目の訪問を計画していた直後、体調を崩された様子が☎からも分かりました。私と同じ『緑内障』(片目だけ)を持たれていましたが、姿勢も良くまだまだお元気だと思っていただけに新聞に訃報が載ったのはショックでした。92歳。まだまだ語り続けて頂きたかったです。
語り部として普通にすごい。
聞き入ってしまった。
内容が壮絶なのはもちろんあるけど、話し方とか、表現とか声量が聞き手にとても伝わる
良い事にせよ悪い事にせよしっかりと実際の事実の歴史を後世に残す事って生きた人の、歴史を生きた人の生の声って尊い事だと思います。有難う御座います。
大和ミュージアムに試聴スペースを作るようお願いします。
考えさせられました。国を思う気持ちに感動しました。
17歳で「お世話になりました」と敬礼して子が親元から去っていく・・なんて
親からしたらどれだけ胸が張り裂けそうだったか・・もうこんな悲しい世界は
二度と起きて欲しくないですね・・・。
昭和史は日本人誰もが知っておくべきことだと思う。
大和に関する本も色々と読んだが、戦闘食と3,333人目の乗員の話が興味深く記憶に残っている。
大和ミュージアムへもまた行ってみたい。
何年前か忘れましたが、大和を含めての戦争特集があり、生き残りの方の証言もあり、衝撃を受けました。近年、戦争関連の映画、ドキュメンタリーもあまり観ません。再放送を望みます。
八杉さんの声を効けばうかうかと生きてきた人でないことは誰でも分かります
貴重な情報の配信を、ありがとうございます。
この動画は絶対残すべき
「空母〇〇、何月何日沈没」とか、
「戦艦〇〇、何月何日沈没」とか戦史に記載されるけど、
その軍艦1隻が沈没した時に、何百何千の兵士が犠牲になったかと思うと、
ホントにやり切れない。
それも大半がこれからの国を支えていくはずだった学生くらいの年齢の子たちや大勢の若者達ってことがまた、、、
戦力比が明らかに大差なのに喧嘩を売った当時の軍部などが
のうのうと残っていたと思うと複雑な気持ちだな……
祖父の弟は大和と共に沈みました。
祖父は特攻隊でしたが無事帰還しました。
戦争とは起きてはならない。
ほんとに。亡くなられた方を英雄視するのではなく、かれらの死を以て戦争が起きないように心に刻むことこそが亡くなられた方々への最大の敬意になると思っています。
貴重な映像有りがとうございました😢
幼少の頃、そのカッコよさから大和やゼロ戦のプラモデルを買って散々作った。
大和を知った入り口はそんなところからだったと思う。
しかし模型ではそのスタイルの良さはわかってもその船の終焉と悲劇はわからない。
大人になって知る戦場の悲惨さ、模型を眺めながら想う事・・・
昔、プラモデルを作った頃。日本の軍艦の組み立て説明書にある略歴で必ず「XXで沈没」と書かれていたのは悲しかったです。
日本海軍の軍艦で幸せに生涯を全うできたのは、今回も出てきた雪風だけかもしれません。でもその雪風に心があったなら「みんな、私の目の前で沈んでしまった」といって泣くかもしれないですね
先の大戦で日本海軍の軍艦・艦艇は約650隻沈んでいます。
戦争が終わった時、戦艦長門や駆逐艦雪風は、軍歌にあるように「思いもよらず 我一人・・・」という気持ちだったのだと思います。
大和のデザインてバランスが良くて美しくて完成されてますよね。
私の父は学徒出陣で召集され.零戦のパイロットとしてフィリピン沖へ出撃したと聞かされました。戦争の時の事は口にしなかった父ですが.一本筋が通っていて所作に厳しく子供の頃の自分はただ怖いイメージしか残っていませんでしたが.新年を迎えた元旦の日は靖國神社に参拝し連れて行ってくれた事を思い出します。終戦日は自室で背筋を伸ばし正座して黙想していた父の姿.体から漂う気迫のオーラというものを子供ながら感じました。今振り返ると変わりゆく日本の姿に父は何を見てどう感じていたのか..私は戦争を経験したことがありませんが.この動画を視聴して自然と涙が込み上げてとまりません。先人が今の日本の有り様をみてどう思うのか..申し訳ない気持ちでいっぱいです。
凄い番組でした。八杉さんの語り口調からも、この方が頭脳明晰なのがわかりますし、故に測距儀担当に配属され奇跡的に無事に生還なされたのだろうと思いました。
こんな生温い令和にダラダラ生きている自分を恥じました。
しかし人間は生きなければ、生きようとする気持ちが一番大事で尊いのですね。
それが許されない時代に生きて逝ってしまわれた先人にも感謝しなければなりません。
大和ミュージアムで、この内容を知ることはできません。ミュージアムでもいつもでこの動画を見ることができるようにすべきではないかと思います。是非お願いしたいです。
当時を経験したからこそより重みを感じるお言葉
語られる姿勢、口調、身振り手振り全てに語り継ぐ事を使命にしておられる生き様を感じました
長い間お疲れ様でございました
子供に別れの言葉を言わせない世界を作っていこうと改めて決意致しました
良い動画ありがとうございます。😢😢
かなり昔に戦艦大和の映画を観て戦争経験はないけど凄く辛いのと感動?って言葉には言い表わせなくて大和ミュージアム見に行きました、遺品他も見させて貰って泣きながら帰って今!この動画見させて頂きました、かなり前ですが大和の大きさ頭から離れてません、皆様御冥福をお祈りまた改めて申し上げます。大和の映画のDVD持ってて何回も見ては泣きの繰り返しでしたがお話聞かせてまた見ようと思って見始めたらやっぱり泣きます、母と年の離れた叔父が海軍でした、話しは聞いた事ないけどいつも姿勢良くピンとしてて亡くなった後に聞いて納得しました
先日、海自のパートナーと靖国神社へ参拝してきました。
私の父方の祖父は飛行機を造ってたし母方の祖父は帰ってきたけど出征していましたので、
島国の日本に有事があれば彼は真っ先にいなくなるんじゃないか、祖父が作ってたのはこのような飛行機だったのかとか、こんな弾が飛んでくる中生きて帰ったのかなど…展示されている様々な物を目の前にしたら涙が止まりませんでした。
家族がバラバラになって悲しい思いをするなんて絶対あってはいけない。
今の時代、「本当にお世話になりました。長生きして下さい」と親に向かって言う子供がどれくらいいるのだろう。おそらくはいまい。
決してそれが良いとか悪いとか言うつもりもないし、その様な言葉を自分の子供に言われたくもない。
ないが、それを受容し親として自らの気持ちを、「体に気を付けて」という言葉に言い換えざるを得なかった悲壮を思うと、戦争とはなんと空しいものか。
私の同級生のお父さんが大和や武蔵の近くにいた巡洋艦に乗っていてなんと大和と武蔵の最後も見ていたらしくて凄い体験をされています。7年前に亡くなられました。また近くに亡くなられていますが実際大和に乗っていた人がいました。またここは大和沈没地点からかなり近い所です。本当にあんな凄い世界一の戦艦が何の活躍もせずに沈められたのはとても残念で悲しいですね。できれば特攻作戦などに使わずに残しておいて欲しかったと思います。ゼロ戦と戦艦大和は日本の誇りです。
八杉さんの声がいいから凄く聞きやすいです。 八杉さんと一緒に乗っていた測距手の石田直義さんがNHKのTVで、測距そのいろ3回ゆうとりました 距離はかれいっても雲があってはかれんのじゃけん 艦長地団駄踏んどりましたと言っていたのがすごく印象に残っています。石田さんの方言で聞き取りづらかったですが艦長が三度 距離を測れと命令したんだと思います。
負けて悔しい、今度は必ず勝つ。
体験したものにしか話すことができない重みのある話だと感じました。
戦争に散った若者は国のため、大切な人のため自らの命を賭けて戦った。そして、その若者を見送ることしかできなかった家族の苦しさは想像してもし切れないものであったと思う。
それに引き換え今の私はどうか。打算的な目の前の利益のための仕事しかできていなのではないか?自分の家族でさえ十分幸せにできてるのだろうか?当時の若者のように社会から必要とされる人物になれているのだろうか?と考えさせられる。
男たちの゙大和何度も映画観ました良かった感動しましたもう一度観たいです
アルキメデスの大戦という漫画も見てほしいです。戦艦大和はこうやって運用するべきだったというのを見て震えましたね。
男たちの大和DVD化になっていますのでぜひ購入して下さい
映画なら「連合艦隊」もオススメです。海軍にいらした松林宗恵監督が、どこか八杉さんに通じるメッセージをたくしておられる映画です
前級の長門型が排水量3.4万トンですから、6.4万トンの戦艦である大和は排水量も2倍近い。それでいて長さは長門より50メートルほど長い程度だったから、戦艦としてはコンパクトに作られているんですよね。
46センチ砲塔は1500トンもあり、駆逐艦1隻分の重さがあります。それを3基動かすわけですから、コンパクトな体でもそれだけ大きな排水量が必要だったのですね。
こんな言い方をするといけないかも知れないけど、私は大和や零戦に凄く興味があって、男たちの大和や永遠の0の映画も勿論観たし、福岡から日帰りで大和ミュージアム迄観に行きました。福岡の太刀洗記念館も行きましたけど、特攻隊に行かれた皆様の音声を聴いたり、遺書や手紙を見ると、どれだけの想いでいただろうか?と想像して涙が止まらなかった😭😭😭💦私は決してこういう方々が命をかけて下さった事を忘れたくない。
実家に軍服姿の戦艦部隊にいた先祖の遺影があった。まだ若い世代だった。🇯🇵
大和ミュージアム友の会会員になって10年
足を運ぶ度に、この戦争を後生に伝えるために何が出来るのかどうすればいいのか考えさせられます。
貴重なお話ありがとうございます。
素晴らし感動しました
40kmも飛ばず大砲は実戦では1発も打てなかった事実。 大和が沈んで海中に吸い込まれる船員。
その時 大砲は引火し海中で爆発して沈むはずだった乗組員は海面へと浮き上がった。作り話の様な事実。生き残った船員の言葉が印象に残る
八杉康夫さんお疲れさまでした。長きにわたる語り部としての貴殿のお勤めは十分過ぎるほどのご活躍だったと思います。黄泉の国で懐かしき戦友等と再びの再会を祝してください。今度こそ旨い日本酒を味わってください。 ありがとうございました。 享年93歳(2020/01/11没) 合掌
大変素晴らしい言葉頂きありがとうございます。先人の方々の必死の戦闘で今を生かされてると思います!これからも出来うる限りご健康で居てくださいませm(_ _)m
ありがとうございました❗️❤🇯🇵🌄
アルキメデスの対戦って映画を見て
、戦艦大和が作られた悲劇を知って、ビックリしたのと共に悲しくなった。
これだけの規模の超弩級戦艦を作った先代の技術者に敬意と敬礼。攻撃力・防御力・推進性どれをとっても世界に誇れる戦艦。日本の技術は昔から世界最高水準だと認識させられる。
八杉さんの壮絶な体験を聞いた上で、動画の感想がそれか?
え、こんなポンコツ要らんでしょ…日本人のアホさを象徴するような戦艦
14:09 ここで説明されてるだろう😾
日本海軍の技術は世界トップクラスだった。
こんな無用のちようぶつ
よく作れたもんだ。
ミッドウエーの時も何も出来ず逃げ帰ってるし
最後は1時間で沈没してるし
何処が浮沈艦隊何ですかね
後世の人間が訳知り顔でこれはポンコツだのあれは駄目だの宣う滑稽さよ
自分が当時の帝国海軍に居たら高性能レーダーの開発と導入を出来るとでも言わんばかり
男たちの大和って、八杉さんがモデルなんですね
戦争とはなんと愚かな事だ
Yamato, one of my favorite battleships.
感動しました 😂
涙出た
ありがとうございます
安い涙やのぅ😂
@@Wild-bird-777 お前はだまれ😦
@@Wild-bird-777 そのコメントに速攻返信してくるとか暇人の極みかwww
@@MON_MOSO_MONよくみたら、野獣先輩で草
大和が活躍出来なかったことは事実としてありますが、八杉康夫さんのお話しは迫力がありました。
ありがとうございました。
ご冥福を祈らせて頂きます。
❤😂🎉
なるほど!大和がなんでデカく設計されたんだろうと疑問に思ってたけど、逆にあんだけの大砲積んでてこの大きさなら小さく出来てる方なんだね。当時の技術者凄!
大和ミュージアムの展示の中に、主砲を撃った際の反動と復原力の計算をしたノートがあった。
400mm厚さの装甲板部分の青焼き図面を、実寸まで拡大した壁紙とか。
もう30年エンジニアで飯食ってるけど、大和ミュージアムは何度行っても飽きない。
ある意味職業病かもしれないけど。
戦争を生き抜いた厳しさが伝わってきました。日本の為に亡くなった方がたに、恥ずかしくないような
日本にしたいと思います。
戦争経験者でこれだけ明るいのは非常に珍しいです
こういった先人の方がいて今の日本がある事を絶対忘れててはいけない!
呉市に感謝申し上げます😉🐭🍉😉いつでも大和に会えるのです😉小さなお子さんに見せ昔の姿を忘れてはいけない、これが昔を生きた方々への感謝に😉
親戚の長男、昭和20年春、海軍少尉に任官し、その後沖縄出撃の命をうけ、我が家に其の報告に来て、辞世の短冊を置き沖縄に出撃しましたが、その後戦に敗れて戦場にて切腹したそうです、天晴れなる最後は我が家の誇りです。
八杉さん
海軍を志願され、海兵団から砲術学校に進まれ最後に戦艦大和に乗られたのですね!
無茶苦茶名誉ある事ですね!
私の祖父も18で海軍を志願し、大竹海兵団から砲術学校を出て輸送艦の高射砲手でした。
昭和20年7月末舞鶴沖で触雷に遭い航行不能になり、曳舟で七尾港に何とか戻れ、修理準備中に終戦になり帰って来ました。
八杉さんの話しを聞いて、やはり戦争は起こすのも起こさせるのもいけない事だと思い知らされました。今体が思う様に動かなくなり(脳内出血で)強く思います。
昭和20年生まれです。戦争の話は部分的には色々聞いていました。また小学校の頃雑誌「丸」でミッドウェイなどの戦記も読んでいました。
子供ながらどうして戦争をしたんだろうと思っていました。高度経済成長の中で戦争はベトナム戦争でした。「ベトコン」と呼ばれり人が容赦なく最新兵器で殺されるのを見ました。
そして昨年からロシア、ウクライナ戦争が目の前で始まり、つまり大人として戦争の開始から戦争の激化、破壊尽くしを見ています。
これは過去ではなく、現在です。どうして話し合いで解決できないのだろうか。そして始まったら誰も止められない。何故なのかと思い、これまでの戦争の東西古今を調べると、絶えず人間は戦争を繰り返していることが分かる。
関ヶ原のように戦争をしたい人だけが戦うのではなく、国民全体が動員され、殺し殺され、破壊の限りを尽くす。一生をかけて購入した家が瓦礫になった街の姿をみると、人生の計画がめちゃくちゃになってしまう。
人の性で繰り返される戦争は必然なのか
避けることができないものなのか?
私も戦艦の模型を作って育った世代で、戦艦大和はかっこいいと中学生の頃思っていましたが、改めてこの動画から学ぶことが多い。
先週は北海道の江差の幕末の戦艦開陽丸を見学してきました。秋には姫路に用があるので呉の大和ミュージアムをぜひ見学したい。
人間の業ですねぇ…。😅
世界平和の一番の方法は人類滅亡だと誰か言ってましたねぇ…。😱💦
@@user-bs7vo6fp8j
まぁ... 地球にとって1番の害悪は、間違い無く人類でしょうね(苦笑
ロシアが戦わざるを得ない状況へとウクライナを動かした黒幕が居ると思います... 。
私も、丸、良く読ました。
今は、世界の艦船、を見てます。
関ヶ原だって戦いたくない足軽もいたやろ(笑)
子供がいる方なら分かると思う
自分より遥かに若い人が何故死ななければいけないのかと
戦争というのは、本当に酷く悲惨なドラマを生き残った人達に残しました。なのに何故未だ戦争を起こすのかが疑問でなりません。あの当時はその判断しか出来なかったのかもしれませんが、ならば何故もっと早く終戦を迎える事が出来なかったのか、当時の大本営は国民にいい事ばかりを言って、国の為だとか詭弁を知らせ、死ぬ事が美しいと若人を洗脳して死なせる。本当にそれが国の為だったのか、なんだか今の日本の議員が同じことをしている様に思えてならない。国の為に命を投げ出された戦没者またそのご家族皆様に心より敬意をお送り致します。
大橋巨泉の遺言・・・「戦争は年寄りが決めオッサンが、号令して若者が死んでいく」💧🙏 シベリア抑留も、モンゴル抑留にも、将校クラスは殆どいません!
45分辺りの大和ミュージアム館長さんのお話が大和という戦艦の全てだろうな、と
八杉さん、ご冥福をお祈り致します。ご苦労様
知覧から特攻隊で行かれた方の事を考えると、母親に最後の出撃の挨拶ができたのは良かったですね。
戦艦に偏り過ぎた日本の負けですね。戦火に倒れ失くなられた方のご冥福をお祈り致します。
歴史は、変えられないが、主砲も打てず沈没、大和ホテルだったですね。いろんな海戦に、主砲の活躍欲しかったですね。
私のおじいちゃんの兄が大和で戦い戦死しました
最期はもう体が半分しかなかったそうです
とにかく米軍機の多数の爆撃と攻撃には対応出来なかったそうです
戦後に生き残った乗組員の方が教えてくれました
享年18歳です
若者は昔は無敵でした
今は死んでますけどね
只々、英霊に敬礼!
同じく敬礼!そして非戦を誓う!
普通魚雷二、三本で沈む。例えリベット打ちがそうだとしても大和9本、武蔵20本は物凄い防御力を差し示した。
米艦は沈みにくい
男たちの゙大和何度も映画観ました良かった感動ハンカチなしでは見られませんもちろん主題歌長渕剛の゙CDパンフレットもう買いました宝物ですもう一度見られたらみたいです
まさに男たちの大和
大和壮絶なり
Superb model.
38:00 43:09
スゲー覚悟😱 ちょっと自分も少しはガチで生きなければ。、とちょっと思った。
八杉さん80歳には見えない
慰霊祭のとき、八杉さん、清水さん、原さん、お世話をしてくださった三笠さん。とお会い出来ました。
祖父は大和と運命をともにいたしましたが、語ることの大切さを教えていただきました。
三笠さんは十五の私に「これからは、君たちの時代なんだから」と、お話されました。
沈没後、救助され生きて帰れるチャンスがあったのに、沈んだ大和の方に消えていった。
真の大和魂ですね、この動画を日本中の人に見てもらいたいです。
平和で、便利で何も問題なく生きていますが、自分がいかに軽く薄っぺらい人間だと痛感させられます。
誰が詠んだか「8がつや 6日9日 15日」こんな川柳に涙する
はぁぁぁ?😮
8月6日広島原爆
8月9日長崎原爆
8月15日終戦記念日
を忘れ無いようにするための句。
かな、と僕は解釈😊
全然関係ない話だけど、12:16辺りの八杉さんの写真を見てると、もうカメラレンズなんて完成されてるじゃんとか思えてくる。
大和の艦橋直上の機銃員の話がリアルでしたね 雲が低く過ぎて雲から敵機が現れた特はもう対空砲火の照準が間に合わない
主砲の責任者が三式弾撃たせてほしいと頼み艦長が「撃っちゃいかんぞ! 絶対に撃ってはいかんぞ!」というやりとり 片側だけの魚雷攻撃で艦が傾き対空砲火に支障が 注水してバランスとるのでその区間の乗組員は退避命令が
「魚雷の衝撃でドアが開きません 退避できません」というやり取りが艦橋の電話ですべて聞こえてくる
こちらも敵の機銃掃射との戦いの最中 それでも冷静に聞くことはできませんでした
八杉さんも亡くなりましたね。
お悔やみ申し上げます。
八杉さんの語りが落語みたいで分かりやすいわ
八杉さんの大和のデカさ表現は納得しましたね。おいらも大阪港に何度か行く機会があります。其のときに岸壁接岸のフェリーが港から見上げ何とデカい船やねんと思った。サンフラワーの新造船らしい長さ約200m、12000重量tonとのこと此の船で此の大きさ、大和は満載でサンフラワーの約6倍にもなる浮かんでいる姿が誰もが山が浮いていると表現しているが納得ですね。其程大きかったんですね。
祖父は赤紙を伝達する役目だったと聞いた。
死に際までずっと赤紙を伝達した方々に謝罪して亡くなった。
最後の最後まですまなかった。申し訳ないって