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待ってました!エリアの開発の数と発見はなるほど連動するんですね。次も楽しみにしてます。
ありがとうございます、日本の歴史の大部分はまだ未発掘ですね^_^
待ってました!🎉
12:45 大和においては、神話の時代が古墳時代の前期でもよいのではないかとのこと。同意いたします。最近、ふどきさんの古代日本史考チャンネルでは、記紀は、神話や伝説の形を借りて、倭の五王位の事件をオブラートに包みながら記載されているとのこと。(多層重複近似構造)古代史って、本当に夢が広がりますます。今後ともご発信を楽しみにしています。
大丹波チャンネル様いつも発信を待ち遠しく楽しみにしています。これからも引き続き富雄丸山古墳の考察をお願い致します
なるほど!ナガスネヒメ❣️
櫛。漆塗りの竹製で髪飾りにも使用できるようなものとのこと。確証はもちろんないのですが、そういう点でも私も被葬者は女性かなと思います。隅田八幡神社人物画像鏡のように銅鏡に経緯が刻まれていたら嬉しいけど、そういうのは時代的に早いのかなぁ。
最後の期待は銅鏡の銘文等ですね!可能性はあると思います、一枚でも特別なものだと嬉しいですね^_^
なんで物は出てきても、遺体は出てこないんだろう。遺体だけ掘り返してるんですかね。出雲系が日本の本流。
木の棺桶より骨や歯のほうが腐りにくそうですもんね^_^
日本の土壌はほぼ全域で酸性だそうです。金属や石以外は溶けちゃうみたいですね。今回は上に置かれた蛇行剣の金属成分で木棺が残った可能性が高いみたい。
縄文人には何系統があって、それぞれ原出雲族、安曇族、住吉族で彼らは氷河期に現在海底になっている浅い海域が陸だった頃から栄えていた海の民で、国常立命系の蛭子命が元出雲族の祖であることは確かだと思いますが、安曇族のアズミや安曇川のアドはアントニウスから来ているという伝承があります。アントニウスという名前は、同じく氷河期にアトランティックオーシャンにあったであろうアトランティスにルーツがあり、アトランティスの住民が氷河期の終わりに世界に四散して、アントニウスという名前をもたらしたと思っています。それから古墳から鉄剣が出た例の一つである、稲荷山古墳との比較も面白いと思います。稲荷山古墳の被葬者は明らかに長髄彦の出雲王朝を滅ぼした側ですが。
櫛が出土したこととなると日本海側の地域と密接な関係がありますね ただ、櫛の出土に関しては栃木県の小山市や千葉の内房地域でも出土していますので、もう少し掘り下げる必要がありますが…国内の円噴で一位の規模は富雄丸山古墳ですが、その二番目の円ぷ噴は、さきたま古墳群の丸墓山古墳です こちらはまだ未発掘なので大変気になります丹後といえば元伊勢にも数えられる竹野(たかの)神社が興味深いですね。神社のすぐとなりは古墳だし、なによりも、すぐ周辺には縄文時代の平遺跡があったり、旧石器時代の上野遺跡が点在し、古くから人間が住んでいた痕跡もあり、無視できない地域であります 配信楽しみにしています
ありがとうございます、かなり大胆にこじつけてみましたが、最後の期待は鏡の内容ですね^_^
櫛が九個、銅鏡三枚、巨大蛇行剣と盾、鏡が甕やマナの壺に水を満たした印だとすると、櫛水か蛇、くしみかかな。櫛が九個でククリの竜神、元菊理姫の可能性、ククとは算術だしクナト系の馬切り剣かな。クナトの王家筋かな。難問。
またまた元気もらえました。✨ありがとうございます♪どこ産の辰砂なのかも特定されたら良いですね。⤴️竪櫛🪮を使っていらした髪長姫‥👸だとすると、エキゾチックな外見を想像をしてしまいます。よく古代の中国ドラマを見ていると、貴人が亡くなると妻は殉死させられています。😢列島においても、垂仁期に野見宿禰が埴輪を提案する前なので、その可能性もあるのかな?と思いました。😅また、続報お願いします❣️
いつもありがとうございます、被葬者はだいぶエキゾチックだったと思います^_^まだ銅鏡がどんなものかによりますが、足元のいちばん隅っこに置かれていたようなので、その扱いは何を意味するのでしょうね、楽しみです♪
確かに。🤔普通は銅鏡は頭の方ですね。どんな祭祀王👸だったのでしょう。とてもロマンあります💕
今回も興味深い考察ありがとうございます!主葬者、副葬者というふうに埋葬されていたのだとすると統治王と祭祀王という関係か、出雲のような主王、副王の二王制、または姫彦制などが想像されますね。それならこの地を治めていたコンビとして饒速日と三炊屋媛が最有力かもしれませんね。ただし富雄は饒速日から何代かにわたって統治されていたというお話もあるので断定はできませんが。声の女性は奥さんですか?なかなか鋭い質問で良い仕事しますね~(笑)おっしゃるように証拠となる何かが出てくれたらスッキリするんですけどねー。ナガスネヒコと大彦は同一とする説もありますがどうなんでしょう。謎は深まるばかりです。。。関係ないけど来月、伊勢の伊雑宮や磯部神社あたりへ行ってみようと思っています。
富家伝承の長髄彦と大彦の同一説に関してはなかなか解釈が難しいですが、僕は否定しません。僕はそもそも欠史八代天皇は全てニギハヤヒであるとも考えているので、長髄彦なる人物もまた複数代存在したとすれば、大彦なる人とも重なるのかもしれませんね◎
@@nakabunken 確かに自分も似たような事を考えていて、外国でミドルネームに父親の苗字(ルーツ)を入れるような感じで火明って名乗ってるのかなぁと思ってます。
いつも楽しみにしています。この古墳は木棺と盾型銅鏡と蛇行剣は同時期に被葬されたのでしょうか?もしかして主体部の更に深くにナガスネヒコが埋葬されてないですかね?
有難うございます◎世界の王墓のように「隠し部屋」があったらと思うとワクワクしますね^_^
富長髄彦が出雲口伝のように孝元天皇の皇太子の大彦だとすると、崇神天皇の少し前の時代ですが、4世紀後半の円墳だとして、崇神天皇の享年、紀元前30年でも、実際の治世時期が3世紀後半から4世紀前半と推定されるとすると、長髄彦の親族より、もっと後の倭国大乱と呼ばれる時代以降の物部王家の親族と考えられる様な気がします。大和政権に出雲系の風葬の習慣は無かったでしょうけれど、既に初期の円墳が作られている時代だとすると、物部王家とは別系統の出雲系の、例えば蘇我氏などの拝み墓であった可能性もあるかもしれませんね。
他の方のコメントでも書いたのですが、富家伝承の長髄彦と大彦の同一説に関してはなかなか解釈が難しいですが、僕は否定しません。僕はそもそも欠史八代天皇は全てニギハヤヒであるとも考えているので、長髄彦なる人物もまた複数代存在したとすれば、大彦なる人とも重なるのかもしれません。思うに物部族はだいたい出雲族のところに入ってきて、政略結婚をしてネットワークを広げていて、例えば三輪の言知主の上に大物主がかぶさるなどしているので、富雄丸山古墳も、単一民族のシンプルな性格の墓ではないのかとも思えます。いずれにしても最後の手がかりは三枚の銅鏡ではないでしょうか^_^
大丹波さんありがとうございます‼️
キングダムの王騎将軍みたいにおねえだったナガスネヒコじゃかいかな。
丹波哲郎の先祖の墓だろう😮
🌿先生の説が 日本の学説になれば嬉しいです。🍀
動画の本筋とは少し趣旨が異なるかもしれませんが失礼します。大阪に大変有名な石切神社がありますが、「実は長髄彦が祀られている」という口伝があるのだそうですね。ところでアイヌ語で "イ・シ・ケリ" とは日本語で「その大いなる足」と解釈できるらしいです🤔
そんな話があるんですか、行ったことはありますが知りませんでした^^;ありがとうございます◎僕は生駒はニギハヤヒの聖地でもあり、今でも長髄彦を祀る聖地だと思っています。生駒聖天の実態も長髄彦だと思っています。物部族は出雲族の上に歴史を重ねているといつも感じております◎
とてもためになるのですが、毎回思うのが、声が聞き取りにくくて。(話に抑揚があるとすると、抑揚が高まるときははっきりしていてわかるのですが、抑揚が弱まるとき(語尾とか早口の時)に何を言っているかわらなくて。)字幕ありで見て、字幕が補助になってやっとわかるような感じで。これは私だけなのかな…。
饒速日の墳墓は、奈良県生駒市白庭台にあるといわれているのでそれをどう説明するのだろうか?
他の方のコメントでもお答えしたのですが、僕はニギハヤヒとは欠史八代皇統やその直系のことではないかと思っています。そもそも先代旧事本紀ではニギハヤヒの遺体は高天原へ返されたというので、本当のニギハヤヒの墓は生駒周辺にはないのかもしれませんね^_^
白庭台にある饒速日の墳墓は大正時代に地元の有志らによって建てられました。 したがってそこに饒速日は眠っていません。お参りしましたが高圧電線の高い鉄塔の下辺りで探すの難儀します。テニスコートの辺りから侵入できます。ちょっとしたアドベンチャーです。夏は虫除けと痒み止め用意しましょう!
僕もそれを知っているので行ったことがありません◎ただけっこう白庭台の墓に行ってきたという人を聞くので、あえて何も言わないです。それはそれで意味があると思っているので^_^
@@nakabunken @osamuarima11182 日前饒速日は神様なのになぜかしらお宮がないのはふしぎではありますが。。。。
あの村の奴らはナガスネヒコとかいう逆賊を祀ってるらしいぞ!ってかなり肩身の狭い思いをしたって証言してる動画あったな。
私もナガスネヒメに一票!前日、青森に行ってきました。弘前の神社の宮司さんに長髄彦のこと聞きましたが、残念ながら、青森では長髄彦の影は薄いようです😢『東日流外三郡誌は偽書って言われてるしー』って…。でも、長髄彦の末裔の安藤氏の拠点。十三湊(十三湖)のしじみは、美味しかったです👍
僕は東北に行ったことないので羨ましいです^_^偽書の中にも真実はありますよ、古事記も日本書紀も本質は同じだと思います◎
遺伝的に考えると脛が長いって、あるのかなぁ。なんて考えたりします。現在住んでる地が違っていても身体が象徴していたりとかw荒脛巾神は全国ありますょね。
もし脛だけ長い人たちがいたら興味深いですね◎長脛というのは脛が目立ってたのかもしれませんね、例えば真冬でも常に短パンだったとか^_^
高槻の阿武山古墳が藤原鎌足公の墓の可能性が高いと言われていますね。茨木市には奈良という町があります。中臣氏こそ饒速日の子孫なのかな?
阿武山古墳は鎌足の墓なんでしょうね、その一事を見ても摂津の重要性が表れていると思います。継体の墓も摂津ですし、摂津は古代史の重要なポイントだと思います^_^
遺跡が発見される時は何か意味があるタイミングと思えるようになりました。
柩が埋葬施設とは限りません。しかも造出しは本来踏まれる所。
長脛彦(=大彦)は倭国大乱の時の人物です。大彦は、信濃で没したという伝説があり、伊賀や伊勢遺跡を渡り歩き、日高見億を興したという言い伝えがあります。少なくとも大彦と古墳の年代は、不一致です。
短絡的な発想にもほどがある
待ってました!
エリアの開発の数と発見はなるほど連動するんですね。
次も楽しみにしてます。
ありがとうございます、日本の歴史の大部分はまだ未発掘ですね^_^
待ってました!🎉
12:45 大和においては、神話の時代が古墳時代の前期でもよいのではないかとのこと。同意いたします。最近、ふどきさんの古代日本史考チャンネルでは、記紀は、神話や伝説の形を借りて、倭の五王位の事件をオブラートに包みながら記載されているとのこと。(多層重複近似構造)
古代史って、本当に夢が広がりますます。今後ともご発信を楽しみにしています。
大丹波チャンネル様
いつも発信を待ち遠しく楽しみにしています。
これからも引き続き富雄丸山古墳の考察をお願い致します
なるほど!ナガスネヒメ❣️
櫛。漆塗りの竹製で髪飾りにも使用できるようなものとのこと。確証はもちろんないのですが、そういう点でも私も被葬者は女性かなと思います。隅田八幡神社人物画像鏡のように銅鏡に経緯が刻まれていたら嬉しいけど、そういうのは時代的に早いのかなぁ。
最後の期待は銅鏡の銘文等ですね!可能性はあると思います、一枚でも特別なものだと嬉しいですね^_^
なんで物は出てきても、遺体は出てこないんだろう。遺体だけ掘り返してるんですかね。出雲系が日本の本流。
木の棺桶より骨や歯のほうが腐りにくそうですもんね^_^
日本の土壌はほぼ全域で酸性だそうです。金属や石以外は溶けちゃうみたいですね。
今回は上に置かれた蛇行剣の金属成分で木棺が残った可能性が高いみたい。
縄文人には何系統があって、それぞれ原出雲族、安曇族、住吉族で彼らは氷河期に現在海底になっている浅い海域が陸だった頃から栄えていた海の民で、国常立命系の蛭子命が元出雲族の祖であることは確かだと思いますが、安曇族のアズミや安曇川のアドはアントニウスから来ているという伝承があります。アントニウスという名前は、同じく氷河期にアトランティックオーシャンにあったであろうアトランティスにルーツがあり、アトランティスの住民が氷河期の終わりに世界に四散して、アントニウスという名前をもたらしたと思っています。
それから古墳から鉄剣が出た例の一つである、稲荷山古墳との比較も面白いと思います。稲荷山古墳の被葬者は明らかに長髄彦の出雲王朝を滅ぼした側ですが。
櫛が出土したこととなると日本海側の地域と密接な関係がありますね
ただ、櫛の出土に関しては栃木県の小山市や千葉の内房地域でも出土していますので、もう少し掘り下げる必要がありますが…
国内の円噴で一位の規模は富雄丸山古墳ですが、その二番目の円ぷ噴は、さきたま古墳群の丸墓山古墳です
こちらはまだ未発掘なので大変気になります
丹後といえば元伊勢にも数えられる竹野(たかの)神社が興味深いですね。
神社のすぐとなりは古墳だし、なによりも、すぐ周辺には縄文時代の平遺跡があったり、旧石器時代の上野遺跡が点在し、古くから人間が住んでいた痕跡もあり、無視できない地域であります
配信楽しみにしています
ありがとうございます、かなり大胆にこじつけてみましたが、最後の期待は鏡の内容ですね^_^
櫛が九個、銅鏡三枚、巨大蛇行剣と盾、鏡が甕やマナの壺に水を満たした印だとすると、櫛水か蛇、くしみかかな。
櫛が九個でククリの竜神、元菊理姫の可能性、ククとは算術だしクナト系の馬切り剣かな。クナトの王家筋かな。難問。
またまた元気もらえました。✨
ありがとうございます♪
どこ産の辰砂なのかも特定されたら良いですね。⤴️
竪櫛🪮を使っていらした髪長姫‥👸だとすると、エキゾチックな外見を想像をしてしまいます。
よく古代の中国ドラマを見ていると、貴人が亡くなると妻は殉死させられています。😢
列島においても、垂仁期に野見宿禰が埴輪を提案する前なので、その可能性もあるのかな?と思いました。😅
また、続報お願いします❣️
いつもありがとうございます、被葬者はだいぶエキゾチックだったと思います^_^まだ銅鏡がどんなものかによりますが、足元のいちばん隅っこに置かれていたようなので、その扱いは何を意味するのでしょうね、楽しみです♪
確かに。🤔
普通は銅鏡は頭の方ですね。
どんな祭祀王👸だったのでしょう。
とてもロマンあります💕
今回も興味深い考察ありがとうございます!
主葬者、副葬者というふうに埋葬されていたのだとすると統治王と祭祀王という関係か、出雲のような主王、副王の二王制、または姫彦制などが想像されますね。
それならこの地を治めていたコンビとして饒速日と三炊屋媛が最有力かもしれませんね。ただし富雄は饒速日から何代かにわたって統治されていたというお話もあるので断定はできませんが。
声の女性は奥さんですか?なかなか鋭い質問で良い仕事しますね~(笑)おっしゃるように証拠となる何かが出てくれたらスッキリするんですけどねー。
ナガスネヒコと大彦は同一とする説もありますがどうなんでしょう。謎は深まるばかりです。。。
関係ないけど来月、伊勢の伊雑宮や磯部神社あたりへ行ってみようと思っています。
富家伝承の長髄彦と大彦の同一説に関してはなかなか解釈が難しいですが、僕は否定しません。僕はそもそも欠史八代天皇は全てニギハヤヒであるとも考えているので、長髄彦なる人物もまた複数代存在したとすれば、大彦なる人とも重なるのかもしれませんね◎
@@nakabunken 確かに自分も似たような事を考えていて、外国でミドルネームに父親の苗字(ルーツ)を入れるような感じで火明って名乗ってるのかなぁと思ってます。
いつも楽しみにしています。この古墳は木棺と盾型銅鏡と蛇行剣は同時期に被葬されたのでしょうか?もしかして主体部の更に深くにナガスネヒコが埋葬されてないですかね?
有難うございます◎世界の王墓のように「隠し部屋」があったらと思うとワクワクしますね^_^
富長髄彦が出雲口伝のように孝元天皇の皇太子の大彦だとすると、崇神天皇の少し前の時代ですが、4世紀後半の円墳だとして、崇神天皇の享年、紀元前30年でも、実際の治世時期が3世紀後半から4世紀前半と推定されるとすると、長髄彦の親族より、もっと後の倭国大乱と呼ばれる時代以降の物部王家の親族と考えられる様な気がします。大和政権に出雲系の風葬の習慣は無かったでしょうけれど、既に初期の円墳が作られている時代だとすると、物部王家とは別系統の出雲系の、例えば蘇我氏などの拝み墓であった可能性もあるかもしれませんね。
他の方のコメントでも書いたのですが、富家伝承の長髄彦と大彦の同一説に関してはなかなか解釈が難しいですが、僕は否定しません。僕はそもそも欠史八代天皇は全てニギハヤヒであるとも考えているので、長髄彦なる人物もまた複数代存在したとすれば、大彦なる人とも重なるのかもしれません。思うに物部族はだいたい出雲族のところに入ってきて、政略結婚をしてネットワークを広げていて、例えば三輪の言知主の上に大物主がかぶさるなどしているので、富雄丸山古墳も、単一民族のシンプルな性格の墓ではないのかとも思えます。いずれにしても最後の手がかりは三枚の銅鏡ではないでしょうか^_^
大丹波さんありがとうございます‼️
キングダムの王騎将軍みたいにおねえだったナガスネヒコじゃかいかな。
丹波哲郎の先祖の墓だろう😮
🌿先生の説が 日本の学説になれば嬉しいです。🍀
動画の本筋とは少し趣旨が異なるかもしれませんが失礼します。
大阪に大変有名な石切神社がありますが、「実は長髄彦が祀られている」という口伝があるのだそうですね。
ところでアイヌ語で "イ・シ・ケリ" とは日本語で「その大いなる足」と解釈できるらしいです🤔
そんな話があるんですか、行ったことはありますが知りませんでした^^;ありがとうございます◎僕は生駒はニギハヤヒの聖地でもあり、今でも長髄彦を祀る聖地だと思っています。生駒聖天の実態も長髄彦だと思っています。物部族は出雲族の上に歴史を重ねているといつも感じております◎
とてもためになるのですが、毎回思うのが、
声が聞き取りにくくて。
(話に抑揚があるとすると、抑揚が高まるときははっきりしていてわかるのですが、抑揚が弱まるとき(語尾とか早口の時)に何を言っているかわらなくて。)
字幕ありで見て、字幕が補助になってやっとわかるような感じで。
これは私だけなのかな…。
饒速日の墳墓は、奈良県生駒市白庭台にあるといわれているのでそれをどう説明するのだろうか?
他の方のコメントでもお答えしたのですが、僕はニギハヤヒとは欠史八代皇統やその直系のことではないかと思っています。そもそも先代旧事本紀ではニギハヤヒの遺体は高天原へ返されたというので、本当のニギハヤヒの墓は生駒周辺にはないのかもしれませんね^_^
白庭台にある饒速日の墳墓は大正時代に地元の有志らによって建てられました。 したがってそこに饒速日は眠っていません。
お参りしましたが高圧電線の高い鉄塔の下辺りで探すの難儀します。
テニスコートの辺りから侵入できます。
ちょっとしたアドベンチャーです。
夏は虫除けと痒み止め用意しましょう!
僕もそれを知っているので行ったことがありません◎ただけっこう白庭台の墓に行ってきたという人を聞くので、あえて何も言わないです。それはそれで意味があると思っているので^_^
@@nakabunken
@osamuarima1118
2 日前
饒速日は神様なのになぜかしらお宮がないのはふしぎではありますが。。。。
あの村の奴らはナガスネヒコとかいう逆賊を祀ってるらしいぞ!ってかなり肩身の狭い思いをしたって証言してる動画あったな。
私もナガスネヒメに一票!
前日、青森に行ってきました。
弘前の神社の宮司さんに長髄彦のこと
聞きましたが、残念ながら、青森では長髄彦の影は薄いようです😢『東日流外三郡誌は偽書って言われてるしー』って…。
でも、長髄彦の末裔の安藤氏の拠点。
十三湊(十三湖)のしじみは、美味しかったです👍
僕は東北に行ったことないので羨ましいです^_^偽書の中にも真実はありますよ、古事記も日本書紀も本質は同じだと思います◎
遺伝的に考えると脛が長いって、あるのかなぁ。なんて考えたりします。
現在住んでる地が違っていても身体が象徴していたりとかw
荒脛巾神は全国ありますょね。
もし脛だけ長い人たちがいたら興味深いですね◎長脛というのは脛が目立ってたのかもしれませんね、例えば真冬でも常に短パンだったとか^_^
高槻の阿武山古墳が藤原鎌足公の墓の可能性が高いと言われていますね。茨木市には奈良という町があります。中臣氏こそ饒速日の子孫なのかな?
阿武山古墳は鎌足の墓なんでしょうね、その一事を見ても摂津の重要性が表れていると思います。継体の墓も摂津ですし、摂津は古代史の重要なポイントだと思います^_^
遺跡が発見される時は何か意味があるタイミングと思えるようになりました。
柩が埋葬施設とは限りません。しかも造出しは本来踏まれる所。
長脛彦(=大彦)は倭国大乱の時の人物です。大彦は、信濃で没したという伝説があり、伊賀や伊勢遺跡を渡り歩き、日高見億を興したという言い伝えがあります。少なくとも大彦と古墳の年代は、不一致です。
短絡的な発想にもほどがある