「戦国関東三国志」上杉謙信・武田信玄・北条氏康の居城へ!現在はどんな姿をしている?

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  • Опубліковано 5 лип 2024
  • 戦国時代、広大な関東平野を巡って多くの大名たちが戦いを繰り広げました。弱い者は滅亡し強い大名が生き残る。戦火は広がり、規模の大きな戦いが繰り広げられるようになっていきました。
    この「関東三国志」とも呼ばれる戦い。その主人公が上杉謙信、武田信玄、そして北条氏康です。今回は彼らの活躍とその本拠となった城とその後の様子を紹介します。春日山城(新潟県上越市)躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)小田原城(神奈川県小田原市)

КОМЕНТАРІ • 6

  • @user-bd5ic7jg5b
    @user-bd5ic7jg5b 4 дні тому

    「人は城!人は石垣人は堀!情けは味方仇は敵!」と山梨県民は信玄公について代々教えられています。

  • @umakara55
    @umakara55 5 днів тому +3

    関東の城といえば北条系・武田系に多い「土の城」であり、大規模な石垣が発達した西日本と比べると一見見劣りします。多くの石垣を作った穴太衆は近江の出であり、西日本に優れた石垣が多いのもこれが理由のひとつでしょう。しかし「では東日本の城は劣っているのか?」と言うと単純にそうとも言えず、関東ローム層が作り出した黒土は結着性がつよく容易に巨大な盛り土が作れるため「さして石垣を必要としなかった」という側面もあります。しっかり突き固めて磨いた黒土はツルツルになるため登るのは容易ではなく、軍事的に見ればむしろ石垣よりも優れた側面もありました。近世城郭で石垣が流行ったのは、軍事面よりも美観と権威誇示の面が大きかったと思います。

    • @kainosuke-rekishi
      @kainosuke-rekishi  2 дні тому

      コメントありがとうございます。関東の土の凄さを知ってから、私の土の城の見方がだいぶ変わりました。

  • @user-tj1he2dl7d
    @user-tj1he2dl7d 4 дні тому

    城の知名度で言えば北条サンがダントツですね。