久能山東照宮は駿河の名城?徳川家康と武田信玄が愛した絶景の山の秘密
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- Опубліковано 21 чер 2024
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1616年4月。徳川家康は駿府城にて75年の生涯を閉じます。家康の亡骸はその日のうちに駿府を発ち、約10キロ離れた久能山に葬られたと伝わります。「自分が死んだら久能山へ葬れ。江戸の増上寺で葬儀を行い三河の大樹寺に位牌を納める。一周忌が過ぎた後、日光山に勧請せよ。関八州の鎮守になろう」家康はこのように言い残したと言われています。
家康が眠る地に二代将軍秀忠が建てたのが久能山東照宮です。久能山東照宮が建つこの山。以前は城だったと言われています。久能山城(くのうざんじょう)と呼ばれたこの城を築いたのは武田信玄。家康を追い詰めたこともある戦国の名将です。信玄が築いた城の跡地に家康が眠っているなんて考えると不思議ですね。形は違うとはいえ二人の英雄は何故この地を選んだのでしょうか。今回は久能山東照宮を実際に訪れてみたいと思います。
いつも楽しみしております。
今回エピソードは一乗谷並にガチに行きたくなりました。ありがとうございます
信玄公と神君家康公の不思議な縁を感じますね😳東照台権現様にとってやはり信玄公は特別な存在だったと甲斐の住人の私的には思いたいです。
久能山城、まさに山城でした、井戸の作りも群馬の金山城に似ていると思いました。石垣が古代遺跡感が出ているのも似ている気がしました。
静岡に行く時は立ち寄ってみます
ロープウェイ無しでもなかなか良かったです。とても素敵なところでした!
攻城、お疲れさまでした。
動画中2:40ごろに看板が出てましたが、ロープウェイは7月まで運休なんですね。ゴンドラからは久能山城背後の険しい谷を見ることができるのですが、残念でした。大手側(海側)も背後も絶壁に守られ、駿河湾を監視できる、駿府防衛の拠点だったんですね。
家康時代の城主榊原清政は四天王榊原康政の兄。松平信康の傅役にもなった人物だったので家康の信頼も篤かったのでしょう。信康が徳川家を継いでいたら弟と共に幕府の中枢を担っていたかもしれません。子孫は久能山が神社になってからも「久能山総門番」として管理を任されたので、家康の命令を守り続けた忠臣だったのでしょう。
私は長らく隣県民でありながら静岡市周辺を散策した経験があまりないので、かいのすけ様の動画は本当にありがたいです。今後もよろしくお願いします。
コメントありがとうございます。ロープウェイ運休は残念でしたがそうでなければ一の門の階段は登らなかったかも。久能山の地形がよくわかってよかったと思うようにします。以前ロープウェイに乗ったことがあるのですが確かにすごい谷の上で怖かったのを覚えています。でも次回は乗りたいてすね。
城ではなかったですが、中学の頃に鋸山を階段で登りました。
2639段と今更ながら知りました。(今のジジィ状態では無理)
真夏の安土城跡も登ったが、地獄でしたわ。
2639段ということは久能山をはるかに超える階段ですね!
久能山東照宮と富士山山頂と日光東照宮は一直線で並んでいる@ブラタモリ
聞いたことあります!
久能山東照宮の紹介ありがとうございます。
関ヶ原で敗れた宇喜多秀家が島津家にかくまわれ1603年に出頭したあと八丈島に流される1606年まで久能山に3年間幽閉されたとされますが、居住跡などが案内板などで残されているのでしょうか?
宇喜多秀家の久能山の生活について、現地の案内などは見当たりませんでした。備前宰相もこの景色を眺めた久能山仲間ですね。小説を読んで好きになった武将の1人なので、嬉しいコメントありがとうございます。
@@kainosuke-rekishi 返信ありがとうございます。やはり何も案内はないのですね。動画を拝見して、逃げ出したり旧臣が助けに来るのは不可能だと改めて思いました。家康と秀家が豊臣家の行く末を駿河湾を眺めながら話し合ってたらなぁと夢想します😁
家康=津川さん 家忠=西田さんのイメージが強すぎる私だよ。
久能山から富士山またいで鬼門の北東に日光。
鬼門はワイが護るわ。それが家康さんんの意思だったのかもなぁ。
まさに神レベルの壮大な話ですね!
個人的な好き嫌いですが、
東照宮の装飾は質の悪い職人の技術アピールに思えてしまいます。
まず機能美(東照宮の装飾は機能でなく飾りですからね)があって、それに優美さ、雅さがあって欲しいですね。